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本尊と曼荼羅

489彰往考来(しょうおうこうらい):2005/11/20(日) 16:18:14

>462,463 横レス失礼します。

導師御本尊と臨終漫荼羅について
(注:下記文章で“曼荼羅”と“漫荼羅”とが用語不統一です。 “曼荼羅”とあるのは引用資料原文のママであるためです。私は通常“漫荼羅”を使っていますのであえて用語統一をしませんでした。“八大龍王”と“八大龍玉”も同じです。)

臨終漫荼羅とは、「曼荼羅の中に特に「閻魔法皇」「五道冥官」が書き加えられ勧請された曼荼羅」(松村壽巌『日蓮宗儀礼史の研究』(平成13年、平楽寺書店、69頁)です。日蓮宗では「臨終曼荼羅」といい、日蓮正宗(石山)では「導師御本尊」と称しています。臨終葬送の際に使用される漫荼羅です。「八幡大菩薩」と「天照太神」を省き替わりに「閻魔法皇」「五道冥官」が書き加えられ、「臨終曼荼羅」では貫首の名と花押が、「導師御本尊」では日蓮在御判とあります。
松村氏によれば、「最初に「臨終曼荼羅」の世上に現われた時期についてみると、その上限は今のところ天正二十年(一五九二)京都本国寺(引用者注:“本圀寺”ですが原文のママ)第十六世究竟院日蘅を初見」(『日蓮宗儀礼史の研究』(86頁)とされています。『地涌からの通信 別巻②歴史編』(1993年、はまの出版、177頁)はこの見解を引用しています。
しかしながら、『大田区史 資料編 寺社2』(昭和58年、東京都大田区、1303頁)に山梨県甲府市の法華寺蔵天文廿一(1552)年十月十五日の日現師図顕による漫荼羅を紹介していまして、この漫荼羅には「閻魔法皇」「五道冥官」が勧請され、“逆修”(死後の往生菩提に資するために、生前にみずからの手で供養をおこなうということ(『日蓮宗儀礼史の研究』87頁))とありますので松村氏のいう「臨終曼荼羅」の定義に合致しますから「臨終曼荼羅」の出現は松村氏の見解よりもう少し時代が上がることになります。松村氏は「閻魔法皇」「五道冥官」が勧請されているだけでは「臨終曼荼羅」と断定できず、「逆修のため曼荼羅を授けていること」(87頁)としています。
『地涌からの通信 別巻②歴史編』(178頁)では、「それでは、いつ日蓮正宗に「閻魔法皇」「五道冥官」を配したニセ本尊が入り込んできたのだろうか。あくまでこれは推測にすぎないが、桃山期、第十五世日昌上人の登座(一五九六年)から江戸中初期、第二十三世日啓上人退座(一六九二年)までの要法寺系九代の法主の間において、用いられるようになった可能性が大である。 (中略) 総本山大石寺第十五世日昌上人(一五九六年登座〜一六二二年寂)の時代は、京都本満寺の日重が盛んに、臨終曼荼羅を顕していた頃である。(現存する臨終曼荼羅で日重のものは最多で六体が確認されており、その六体は一六〇〇年から一六二二年の間に書かれている)。日重から直接ではないにしても、京都ではびこったであろう臨終曼荼羅の影響が、京都要法寺出身の〝法主〟により大石寺にもたらされたとするのは、格別無理な推論ではないだろう。」と主張しています。


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