したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

死刑制度についてひと言お願いします

1boro:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。

2127紫煙狼:2009/06/26(金) 01:04:59
ちなみに…カレーさんは刑務官の方々のお話を聞いてみたり、
もと受刑囚の方と話をしたり、被害者遺族の方々と話してみたり、してますよね?
で、話を聞いた感想として、そんなことを感じることが多いですか?

死刑存廃に思うところがある以上、私はしているんですよ。
それをせずに空論だのデータだの振り回しても仕方ないですからね。
惜しむらくは…私、死刑囚とお話したことがないんです。
存廃問題に頭を突っ込んで25年しか経ってませんからね。もう少し
時間をかけて死刑囚とお話しする機会も得てみたいですね。
本当は、殺害された被害者の話しも聞いてみたいのですが、こればかりは
私が生きている間には無理のように思いますので…。

2128紫煙狼:2009/06/26(金) 01:06:26
>>2127
誤 「そんなことを感じることが多いですか?」
正 「どんなことを感じることが多いですか?」
一文字違いで大違い(笑)失礼しました。

2129無精髭:2009/06/26(金) 01:25:00
>EU圏ではEUの人がせっせとカラスを白ペンキで
>塗った結果、白いカラスの方が多くなりました。

面白い切り返しですねw
私の見たところ、lovelessさんとKenさんとでは、諸外国の死刑廃止に対する
認識にEU内外を分かつ境界線を引くか否かという点で意見が異なっているみたい
ですね。分かりやすく言うと、EUの死刑廃止とその他の国の死刑廃止とは本質的に
異なる事象であると主張しているのがlovelessさん。逆に、それらの事象に本質的な
差異はない(死刑廃止の理由はその国固有の事情・背景から生じたにせよ、死刑廃止に
帰結した点において共通するなら、シンプルにその点に注目するだけでよい(根源的な
差異は無視しても良い))と主張しているのがKenさん。

私が妄想するに、EU以外の国・地域で白いカラスが見つかってしまったのは、
人為的に作られたのでない、正真正銘突然変異種の白いカラスが本当に生まれた
からなのか、あるいはEUがせっせとカラスに白ペンキを塗っている最中、豪腕を
振りかぶった瞬間に勢い余って白ペンキのとばっちりが他の国々のカラスに
タイミング良く降り掛かったのか(はたまたペンキの入ったバケツをひっくり
返したのか)、はたしてどちらかな〜とね。

あと、UFOのお話は私にも分かりませんでした。たぶん、「悪魔の証明」と同じ
ことだと思うのですが。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%98%8E
直感ですが、上で述べさせて戴いたように、lovelessさんが死刑廃止事象を
区別なさっていることに関係するのではないかなあ。

lovelessさん(>>2123
>死刑も廃止を訴えるのならば、実利面に訴える方が早いのでは?
>(今の日本人は、悲しいかな、実利面でしか動かないような・・)

シェンさん(>>2082
>私は日本国民を信じてますからね。死刑廃止のためのコストには目くじらを立てて、
>死刑存置のためならコストを度外視できる日本の国民性を信用してますからね(笑)

ちょww
シェンさんの逆鱗に触れそうなのでw

2130無精髭:2009/06/26(金) 01:47:04
カレーさんへ。

正直に申しますと、>>2096は心理的駆け引きのつもりで投稿したのですけどね。。。
紫煙狼さんやufloatさんはいざ知らず、あの時も今も、私は機嫌を損ねてはいませんよ。
どうぞご安心ください。

ただ、感情的に書かれたと思われる箇所以外の記述に関しては、冗談ではなく
本気で主張しておりますので。

「今のままで形成を逆転できないようでは」という発言に引っかかったご様子ですが、
>>2096での筆勢のノリで出てしまったというのもあるのですが、1対4の議論について
ただ単に見た感じが前門の虎後門の狼みたいに見えましたから。たったこれだけの話です。

2131ufloat:2009/06/26(金) 06:25:42
夜に読んで、朝に愚考を書こうとしたら、無精髭さんに先を越されてしまいましたか(笑)。

>>2123
死刑を実利で論じるべきかは個々の判断として、死刑廃止の実利面が世論に広まらなければ
今の日本において廃止の機運は非常に高まりにくい、というのは確かですね。
それで、死刑廃止の受け皿が無期懲役では今の日本では受け入れられにくいでしょうし、
実際にかなり具合が違ってくるので、とりあえず仮釈放のない終身刑を代替と考えて、
「社会に対する」実利を思考してみたところ、私のお粗末な頭では
・(死刑の方が費用がかかるなら)費用
・冤罪
実際にはもっとあるのかもしれませんが、この程度しか浮かびませんでした
(実は重要な点を見落としていたりして、厳しいツッコミを受けそうですが)。
「更生させる」「死刑の人道上の問題」などを理由にしたとしても、きっと
「更生?二度と出られないならどうでもいいじゃん」
「凶悪犯罪者は非人道的な方法でくびり殺せ!」
などという声が四方八方から飛んでくる上、両者とも社会の実利が増大するわけではないので、
これらを訴えても広まりにくいのが現実でしょう。
そこで先の2点なのですが、費用に関しては紫煙狼さんのおっしゃる通り
「仮釈放なし終身刑?バカ言うな。何で犯罪者に金かける必要があるんだ」
「それが実は、終身刑の方が安上がりでして」
「バカか。凶悪犯は死刑が当然、金なんざどうでもいい」
「あなた、さっき言ったことと違うんじゃ・・・」
「お前、凶悪犯罪者の処遇を金で判断するのか!」
きっとこのようなことになるでしょう。
すると残るは冤罪ですが、現状で死刑や犯罪に関心のない人の多くは、冤罪というものを
身近に感じておらず、「疑われたのは怪しい行動を取っていたからでは?」程度の見方を
している人も少なくないようです。どこか遠い世界の出来事です。
これでは冤罪死刑の阻止に実利を感じる人が少ないのも必然でしょう。
大転換が発生するとすれば、以前にKenさんがおっしゃった通り、ごく普通の無辜の人が逮捕され、
凶悪犯にされ、死刑にされてしまった後で冤罪が発覚する、すなわち日本でエヴァンス事件が
発生し、死刑廃止の実利が知れ渡った時、となりましょうか。非常に嫌な話ではありますが
(余談ながら、死刑存置は実利面でかなり強いですね。人権や生命の尊厳についての意識が低く、
刑務所作って自由刑、などという思想も余裕もなかった時代に、各国の様々な政治機構が
必ずと言っていいほど死刑を用意していたのも、無理はありません)。

2132Ken:2009/06/26(金) 16:07:21
Lovelessさんへ
いやいや、「特殊」いう言葉は辺見さんの文章の要約として(つまりLovelessさんの主張としてではなく)Lovelessさんが使っているのは知ってますとも。「死刑廃止は人類史上において特殊だ」という意味でしょ?
でも、それを「私はEUの方が特殊な例だと思っていますので」と言い換えると語弊がありますよ。「私は(死刑を廃止した)EUの方が(人類史上において)特殊な例だと思っていますので」とカッコ内の言葉を補わないと。たとえば、Lovelessさんは平安時代の例にもふれてますけど、そのことをもって「日本という国は特殊な例だ」と書くと語弊があるのと同じで。この場合「死刑が廃止された平安時代は日本の歴史において特殊な例だ」という書き方のほうが正確です。

それで、やっぱりキリスト教に関してはよく分かんないです。とにかく、米国では原理主義の福音派が強い地域ほど死刑が熱心に支持されて執行されています。テキサスとか。サザン・バプティストとか。その一方で、刑場の外で死刑に反対するおばさんに限って「私はクリスチャンとして死刑に反対しに来ました」とかテレビで言ってるんで。要するにキリスト教徒として賛成する人もいれば反対する人もいるんで、正直混乱します。宗派が違うということなんでしょうけど。英国人は米国人と比べて毎週教会に行く人は少なくて世俗的なのですが、死刑は廃止されてますよね。だからキリスト教と死刑廃止は関係しているのかどうなのかよく分からんのです。それこそ米国は特殊な例かもしれないですが。

日本の平安時代も仏教の影響ですよね。ということは、やはり死刑廃止には宗教が関係しているのか???

今の日本に死刑を廃止する機運なりきっかけなりないというのはその通りですね。やる気がなくなるというか。たいがいの死刑廃止論者は予測される未来のうちに死刑が廃止されるなんて思ってないですよね。そうすると、ややもすると理論的なことに終始しちゃって、それはそれでよくないわけですが、そういう中で紫煙狼さんの努力は尊敬に値するなあと。

>>2082私は日本国民を信じてますからね。死刑廃止のためのコストには目くじらを立てて、死刑存置のためならコストを度外視できる日本の国民性を信用してますからね(笑)

はうまいこと書いてますね。だいたい死刑や無期懲役のコストさえつまびらかにされてないのに、コスト云々というのはちゃんちゃらおかしい。

2133Ken:2009/06/26(金) 16:14:55
カレーさんへ
>>さて最初の1文しかないことを非常に残念に感じている

>>1778でも書いてますけど、私「俺はこう思う」という個人的な主観の表明にはなんら価値を見出さないんで。あしからず。一つ書き忘れてましたけど、日本の死刑制度については、それが秘密主義でであることと絞首刑という執行方法も反対する理由になってます。

>>もしかしてKenさんは文章をレスを読むときに1文1文を確認(ソースを調べたり)しながら読まれているのではないですか?

はい!そして誇りをもってそれをしてます。ときどき大事な部分を読み飛ばしちゃいますけど。

>>私が右往左往しているというよりもあなたが意図的に振り回しているのではないですか?

やだなあ、それは穿ち過ぎですよ。心外だなあ。ただし、まだ少し続きます。

2134Ken:2009/06/26(金) 16:15:53
・米国の終身刑
>>1967年に全米で死刑停止(モラトリアム)が行われたため、死刑と終身刑(相対的も絶対的も)存在する結果となった

わけではないです。歴史的にはLWOPは昔から存在したみたいですが、非常に稀な刑罰であったようです。現代の米国でLWOPの先例となったのはMaurice L. Schickという囚人で、1954年、8歳女児惨殺の廉で軍事法廷で死刑判決を受けたのですが、6年後にアイゼンハワー大統領(当時)がLWOPに減刑しました。というわけで、死刑モラトリアムの前です。その後、LWOPは死刑モラトリアムの間に注目を集め、現在では死刑相当ではない犯罪にも拡大適用されるようになったということです。まあ、米国が時代の潮流に逆らってるのは確かですが。
http://en.wikipedia.org/wiki/Life_Imprisonment_without_Parole_(LWOP)

・フランスの終身刑
これ以上議論が深まることはなさそうですね。ちゃんと書かなかったのは悪かったですけど、カレーさんが挙げた日本語ソースはちゃんと読んでますよ。そのソース自体をチャレンジしているつもりだったんですけどね。食い違うソースを見つけたときにどうやって止揚するのか、という話で。ただし、LWOPがあるのかないのか、という二者択一の場合、フランスはないとするのが正しいようです。実態としてそういう判決・決定が下されるのか、LWOP受刑者がいるのかが判断基準になるみたいです。たとえば、米国でもLWOPをただの終身刑に減刑して後に釈放することはあるのですが、LWOPの判決を受けて生涯受刑する囚人が存在するので、米国にはLWOPはある、となります。

・英国の終身刑
この歴史は簡潔にまとまっていてよいとは思いますが、肝心の「英国ではいつLWOPが採用されたか」が書いてないのですが。

It came into force in 1983 when the British Home Secretary began to set minimum terms that convicted killers had to serve before being considered for release on life licence.
(終身タリフは、有罪判決を受けた殺人犯が仮釈放を考慮されるようになるまでの最低服役期間[Life licence]を英国内務省大臣が設定するようになる1983年に施行された。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Whole_life_tariff

>>しかし死刑廃止が現実的になった時にその代替案として仮釈放なしの終身刑が設けられるというのは「近年」ではありませんが1980年以前ではごく普通でした。

という記述から、なぜ1980年で区切るのか理由はよく分からんのですが、カレーさんの「近年」という定義は「1980年より後」であることが分かります。

>>「近年」死刑を廃止して(絶対的)終身刑を採用するなどということはあり得ません。

英国で終身タリフが採用されたのは1983年です。これもまた「(絶対的)終身刑」と「採用」いう言葉をどう定義するかで変わってはくるでしょうが。「近年」という言葉が「死刑を廃止して」の部分にしかかかってない場合、英国で死刑が廃止されたのは1980年以前なのでカレーさんの言い分は英国に関しては正しいですが、「近年」という言葉が「(絶対的)終身刑を採用する」という部分にまでかかる場合、英国で終身タリフが採用されたのは1983年なので間違いです。ちなみに、1983年より前にLWOPの扱いを受けた囚人がいないという意味ではないです。あと

>>1980年以前ではごく普通でした。

のソースはありますか?それをにおわせる記述はあったのですが、具体的になんという国で何年に死刑の代わりにLWOPが採用されたのか、確認できませんでした。

・オランダの終身刑
>>2031オランダ、ハンガリー、スウェーデン、オーストラリアでは絶対的終身刑があります。ただし、オランダでは最低服役期間は設置されていませんが仮釈放が認められることもあります。

オランダでは1945年以来41人の犯罪者が終身刑判決を受けましたが、そのうち恩赦が認められたのはたったの二人しかなく、なおかつこの二人は既に死にかけていたからです。ちょっと誇張かなあと。
http://en.wikipedia.org/wiki/Life_imprisonment#Netherlands

・スペインの終身刑
>>他にも、オーストリア、アイルランド、スコットランド、スペインも絶対的終身刑はありません。

というかスペインには無期刑そのものがないです。ただし、有期刑は最長で40年なので、実態としてLWOPがないとは言い切れないかなあと。
http://en.wikipedia.org/wiki/Life_imprisonment#Spain

という感じで、細かく見ていくと「人権先進国の欧州にはLWOPがない」というのはちょっと言いすぎかなあとやはり思っています。米国や日本と比べて人権先進国であることには異論はないですが。

2135Ken:2009/06/26(金) 16:29:01
それでまあ、LWOPなんて本当はどうでもいいんですよ。こまけえこたあいいんだよ。

私の一番の不満は私が指摘し続けている一番肝心な矛盾にカレーさんが向き合ってくれないことなのです。それで、今回は別な方法で追求してみようと思います。単純な二択なので、答えてみてください。

Q1.日本の死刑に賛成しますか?

A1はYesのはずです。

Q2.日本にLWOPを導入するのには賛成しますか?

A2はNoのはずです。

Q3.死刑とLWOPのような長期収監と人権上より問題なのはどちらですか?

>>2002でカレーさんは「(LWOPは)死刑と同等かそれ以上に残虐な刑罰であり、人権尊重の見地からあってはならない刑罰である」と書いてあるので、A2は長期収監のはずです。A1、A2を合わせた場合もそのような回答が導かれるはずです。

Q4.A3(長期収監のほうが死刑よりも人権上問題)は世間一般で受け容れられている考え方だと思いますか?

どういう答えが返ってくるのか分かりませんが、世間一般ではどう考えても死刑のほうが長期収監よりも人権上問題だと受け止められています。たとえば「死刑をLWOPに減刑する」という表現はあっても「LWOPを死刑に減刑する」とは普通言いません。「減刑する」というのは刑を減らす、という意味ですから軽重関係で言えば死刑のほうがLWOPよりも重い刑罰であり、当然人権上の見地からより慎重に取り扱う必要があります。

LWOPに賛成する人は二つに分かれます。

まず、LWOPには賛成し、死刑にも賛成する人。犯罪者の人権よりも公共の福祉や犯罪を防ぐことのほうが大事なのだから、LWOPや死刑があるのは仕方がない、という人々です(米国など)。

LWOPには賛成するが、死刑には反対する人。死刑は人権上問題があるから反対だが、LWOPは人権上死刑よりは問題が少ないのでなんとか我慢できる、という人々です(英国など)。

LWOPに反対する人は一通りしかありません。

LWOPに反対する人は当然死刑にも反対します。死刑のほうがLWOPよりも人権上もっと問題がありますから(フランスなど)。

LWOPに反対する人で死刑には賛成する人(つまりカレーさん)は論理的にありえません。公共の福祉、犯罪を防ぐために死刑があるのは仕方がない、というのでしたら、それより軽い刑罰であるLWOPがあるのも当然仕方ない、としなければなりません。トーフさんがうまいこと書いてるでしょ。

>>2110ところで「絶対無制限の人権」というのは日本国憲法上19条の「内心の自由」しかありません。その他の「人権」は「公共の福祉」によって制限がかかります。生命も。

公共の福祉によって生命にさえ制限がかかるくらいなのですから、身体的自由や幸福追求権に制限がかかるのは当然です。

そうではなく、LWOPに反対するのでしたら当然死刑にも反対しないと論理的におかしいです。紫煙狼さんも書いてますけど、自説に都合のよいときだけ欧州にはLWOPがほぼ存在しないことを例として引き合いに出すのに、「でも欧州には死刑もないですよね」と反論すると、これは自説に都合が悪いので「日本は和の人権後進国だ」とかわけわかんない言い訳して欧州の例を無視するのは、日和見で一貫してしかなくて説得力ゼロです。

2136Ken:2009/06/26(金) 16:44:29
>>2110ところで「絶対無制限の人権」というのは日本国憲法上19条の「内心の自由」しかありません。その他の「人権」は「公共の福祉」によって制限がかかります。生命も。

その原理に反対する人は誰もいません。その原理が日本の死刑制度という個別の事柄に当てはまるかどうかを具体的に議論しないと意味がないです。たとえば

>>もっとも、米英・欧州といった国では、現場の警官の銃の引き金が日本にくらべ格段に軽く、現場における射殺数が多いらしい

というように、市民や警察官の生命に差し迫った脅威があり、なおかつ他に防ぐ手段がない場合、警察官が武器を持った者をその場で射殺するのは一向に構わない、と私は思っていますし、むしろ、日本の警察は武器使用の敷居をもう少し下げたほうがいいくらいだと思ってます。この場合、危険にさらされている何人かの無辜の市民の生命と犯罪者一人の生命はどちらが大事なのか簡単に比較することができますが、死刑の場合、公共の福祉と犯罪者の生命の比較はそれほど単純ではないです。日本の死刑制度には、犯罪者の生命と比して公共の福祉が十分に大きい、という確信を私はもてないです。

2137Ken:2009/06/26(金) 16:46:31
>>2121ここで考えていただきたいのですが、トーフさんがおっしゃるように刑罰は応報刑なんです。もしも応報刑を否定して目的刑や教育刑だけに特化させた法律を作ると「すべての犯罪は更生が完了するまで無期懲役」以外あり得ないのはご存じだと思います。>>2009-2010でも申し上げましたが、刑罰によって刑務所に入ることの目的はあくまで「社会からの隔離」でしかありません。もちろんまったく何もしていないわけではありませんが、更生がみられるのはほんの一部です。

こういう「一切が応報刑」と「一切が目的刑ないし教育刑」という両極端を提示してどちらかを選ばせるというのは詭弁の一種であり、意味がないです。あらゆる物事は程度の問題として捉えないと意味がないです。仮に今の日本の刑罰体系は教育刑として全く考慮されていないのでしたら「更生がみられるのはほんの一部」なのは当たり前です。犯罪者を更生させるために相応な努力を払っていないのですから。また、今現在、応報刑に基づいていたとしても、将来にわたってそのままでなければならないということにはなりません。実際には日本でも刑務所で更生プログラムとかはじめたんじゃなかったでしたっけ。

>>Kenさんは絶対的終身刑には反対だということですが、では更生の可能性を見いだせない加害者はどうするべきなのでしょうか?

いや「反対する」とは書いてないです。「慎重にしたほうがよい」とは書きましたけど。LWOPに強硬に反対しているのはカレーさんだけです。LWOPは法律的には日本にないですけど、LWOPの扱いを受けている死刑囚や無期懲役囚はすでにいるんで、そのあたりは柔軟に対処したいです。「更生の可能性を見いだせない加害者」は、カレーさんの挙げた仮釈放のための条件①を満たせないので無期懲役だったとしても釈放されないと思います。

>>山路悠紀夫だけでなく、大久保清、宮崎勉と言った凶悪な犯罪者たちからどうやって国民の命を守っていくのでしょうか。

そりゃ再犯のおそれが高い人を釈放しちゃだめでしょ。無期懲役囚は必ず釈放しなければならない、という考え方が間違ってますし、実際今でもそうなってないです。50年以上入っている人とか獄死する人とかたくさんいるんで。逆に聞きますけど、カレーさんはマジで彼らが仮釈放のための8条件を満たすと思ってますか。宮崎死刑囚は最期まで自分の犯したことの重大性に気付いてなかったですよね。釈放後に受け容れるはずの家族も親父さんが自殺するとかばらばらになってましたよね。無期懲役囚が仮釈放の条件が満たせなくて釈放されないのはしょうがないんでしょ?あと前に紹介した中日新聞の記事には『仮釈放の許可には、再犯の恐れがないことや更生の意欲などに加え「社会の感情が仮釈放を認めること」も必要』って書いてあるんで、宮崎死刑囚が仮に死刑ではなくて無期懲役だったとしても、やはり今だったらめったなことで仮釈放は認められてなかったと思います。それでも不安だったら、たとえば山地死刑囚のような累犯殺人犯は基本的に仮釈放を認めないと法律に書いといたらいいのと違いますか。

>>例えば(山地死刑囚を)無期懲役に処し、現在の日本の無期懲役受刑者の平均収監期間の30年を与えたとします。仮出所は50代のうちに適うでしょう。

この部分が激しくダウトなんですけど。厳罰化のご時世でっせ。死刑相当の累犯殺人犯の収監期間が「平均」だという仮定がすでに現実的じゃないでしょ。あと無期懲役受刑者の平均服役期間は30年ではなくて31年10カ月(2008年中日新聞)です。これだってこの先たぶん伸びるでしょう。

そりゃ、死刑がなくなってLWOPもだめ、というのでしたら再犯を完全に防ぐ手立てはないですけど、紫煙狼さんも書いてますけど、再犯が完全に防げてないのは今だって同じです。山地死刑囚は死刑があったにも関わらず殺人を二度も犯したんでしょ。強姦なんて殺人と並ぶ凶悪犯罪ですけど、強姦罪は死刑どころか無期懲役にさえならないわけで、強姦魔は必ずまた社会に出てきますし、実際性犯罪は再犯が問題になってますよね。だからといって、いきおい強姦魔を処刑せよ、とはならないのは、再犯を防ぐ手立ては死刑以外にもあるし、社会がある程度は再犯のおそれを受容しているからじゃないですか。死刑相当の犯罪についても同じだと思いますよ。

2138ufloat:2009/06/26(金) 19:55:11
カレーライスさん。
以前に書き込もうと考えつつ記憶の奥底に封印されていた記事を、Kenさんの書き込みを見て
思い出したので、私も少しばかり便乗質問をさせていただいてよろしいでしょうか。
あまり深く考えていただいても、それが元で話があさっての方向に突進していくのが
いつものパターンですので、単純に考えていただいて構いません。
徒労に終わりそうでもありますが・・・。

1.カレーライスさんは、死刑より仮釈放なし終身刑の方が非人道的として、反対されています。
しかし、世間のほとんどの人は仮釈放なし終身刑より死刑の方が重いと考えています。
カレーライスさんが人道上の理由から(予防効果の面で死刑の代替となりうる)仮釈放なしの
終身刑を導入すべきでないと主張し、死刑の方を存続すべしと主張されるのは、
死刑廃止派が人道上の理由から死刑を廃止し、仮釈放なしの終身刑に置き換えるべし、
と主張するのと共通項が多いとお考えになりませんでしょうか。
そうであれば、世間の多くが死刑をより非人道的と考え、実際の死刑囚たちの多数も
「殺されるならオリの方がマシだ」と考えているのなら、カレーライスさんの論は
そのまま死刑廃止論になるのではないでしょうか。

2.カレーライスさんは受け皿の不存在を主な死刑存続の理由としておられます。
カレーライスさんが仮釈放なしの終身刑に反対される主要な理由は、これが人道的に
死刑よりもよろしくない刑罰だからのようですが、(1)の通り「死刑の方が重い刑罰である」と
考える人がほとんどで、当の囚人の多くもそう考えている可能性が高いと私には思えます。
また、仮釈放なしの終身刑が死刑と同等程度の一般予防効果を持つであろうことは、
以前の得るものが少なかった議論の中で、カレーライスさんも
「抑止力について言えば、絶対的終身刑と死刑で際立った差は生まれないと思いますよ」
とおっしゃっています。
感情面では、カレーライスさんは仮釈放なし終身刑の方が死刑よりも人道的に残酷と
お考えなのでしたら、少なくともカレーライスさんにとっては、凶悪犯は死刑になるより
仮釈放なし終身刑になった方が、報復としての面では溜飲が下がるのでしょう。
他にも仮釈放なし終身刑と死刑の違いは色々ありますが、全部出すときりがないので
この辺にしまして。私には十分受け皿として検討する余地がある思えるのですが。
仮釈放なし終身刑では受け皿として問題外でしょうか。
それとも、仮に受け皿の余地があるにしても、別の理由で死刑は存置すべきでしょうか。

2139無精髭:2009/06/26(金) 23:02:30
次の質問にお答え願えませんか?

1.過去ログを読むおつもりはないのですか。(あるいは何か読めない事情がありますか。例えば>>2001のような?)
2.これまで廃止派側(ufloatさんは慎重派とのことですけど)から向けられた批判・反論に対して有効に再反論してきたとお思いですか。
(以下、2.でYesとお答え戴いた場合は回答不要です。)
3.自説を撤回、あるいは修正するおつもりはありませんか。

ここから先は箇条書きではこちらの疑問が上手く伝わらないと思いますので、、、

冤罪死刑の可能性については廃止論特有の論点であり、これを以て廃止理由の全て
とは言えないにしろ、その一つとは言えませんかね? これは「論」ではないと?
>>2068で「(廃止論が)廃止派から展開されたという事実はない」と書きましたが、
今ではこれは間違いだったと思っております。死刑冤罪とその他のケースの冤罪に
ついて決定的な違いを力説することは十分に廃止論足り得るのであり、それさえ
呑み込めるのならば、死刑冤罪によって失われるものに刮目することで廃止論者が、
更にその視線の先に一体何を見つめているのか、全体何にこだわって死刑を批判
しているのか、その目的なり理由なりは自ずと知れるでしょう。

カレーさんは、紫煙狼さんやufloatさんやKenさんがこれまで書き込んできたものは、
全く「論」の体裁を成していないと仰っているかのように受け取れますけど、それに
ついてこちらも判然としないことがあるのですが。

カレーさんは、「論」を構成するための要件に不備があると仰っているのか
(論の形式・論述の作法の問題だと仰っているのか)、ある課題について目的・
手段・理由を述べなければ「論」は成立し得ないと仰っているのか(論の内容に
不足があると仰っているのか)、はっきりとは分からないのですがどちらなのでしょうか?

って、以上のことだけはぜひともお聞き致したかった。

閑話休題。

カレーさんって仮釈放のない終身刑に反対とのことですから、存置論者であるとともに、
終身刑廃止論者、あるいは終身刑(導入)反対論者ともお呼びすることができるのでは
ないかと思うんですよ。しかしそうだとすると、カレーさんが紫煙狼さんやKenさんのレスに
対して廃止論足りえないと断じた理由と同じ理由が、カレーさんの終身刑廃止論や導入反対論
にも当てはまりませんかね?

私のことはさておき、Kenさんや紫煙狼さんが死刑廃止を叫ぶ動機なり目的なり理由なりが
分からない、と少し上の方で仰っていましたけど、カレーさんもカレーさんで人のこと言えた
義理ではなくて、かなりスタンスが怪しいですよねえ。その旨、>>2135でKenさんははっきりと
指摘されましたけど、他の方々も口に出さずともこれまで同じ思いを抱いていたと思います。

これも、カレーさんが皆さんに対して仰った「目的を隠す」「廃止論(持論)を展開しない」
「議論に躊躇する」ことの主要な原因じゃないでしょうか。結局カレーさんに起因するという
ことでは。

2140カレーライス:2009/06/26(金) 23:07:55
>>2124
1年間に起こる刑法犯の認知件数をご存知でしょうか?
平成17年の犯罪白書で刑法犯の認知件数は342万7606件です。
そのうち交通関係業過(業務上過失致死傷及び重過失致死傷)を望む一般刑法犯は256万3037件に上っています。
検挙人員は38万9297人にも上ります。
さて…およそ39万人もの人を全て更生させるまで収監するなんてことが可能だと思いますか?
確かにすべての人を更生させることが出来れば理想的です。
しかしあまりにも現実からかけ離れているとは思いませんか?

無期懲役を受けた受刑者の仮釈放に関するデータは
http://www.geocities.jp/y_20_06/parole.html
こちらを見ていただけたらと思います。
無期懲役から仮釈放を得た人のうち再犯をした人数というのは正確には私もわかりません。
ただソースのデータを見ていただければわかる通り、仮釈放者の人数は極めて少ないです。
1998年に無期懲役囚が968人だったものが2007年には1670人まで増加していることを考えれば、この数の増加率72%というのは異常とも言うべきものでしょう。
9年間で700人の増加が見て取れますが、その間に仮釈放を受けたのは102名です。
この102名の中でどれだけの人が再犯を行ったのかはわかりませんが、2000年以降で言えば佐々木勉、宇井りょう次の2人が殺人事件を起こしています。
もちろん他にもいるでしょうが正確なデータがないためよくわかりません。
ただ、あまりにも長い刑期を刑務所で過ごしたため、家族や親族と疎遠になりもちろん友人などもいないことから社会復帰がうまくいかず刑務所に逆戻りするケースは少なくないでしょう。

前科と言ってもさまざまで、13犯はすごいですが、すべての罪で刑務所に入っているわけでもないと思いますよ。
罰金刑で済むこともあれば、執行猶予処分になったり、満期出所を繰り返したとしても傷害などであればよほど重篤なケガを負わせなければ数年で出てこれますから。

更生プログラムの充実を図ることは私も必須だと思いますよ。
ただやっぱりすべての人間が更生出来るとは思えませんね。
また、やっぱり人間ですから、更生具合を見ると言っても間違って仮釈放させることもあれば、更生してても収監されているケースも多くあると思います。
目的刑、教育刑として刑罰を運用することは、正確な裁判をする以上に難しいことでしょう。

私は刑期を流動させることは非常に危険だと思います。
結局は裁判と一緒で更生しているかどうかなんて観察しててもそうそうわかるものじゃないです。
それに仮釈放に関しては刑務所の管轄(刑務所は法務省矯正局)ではなく、法務省保護局の更生保護組織の管轄になりますのでずっと観察するというのも難しいでしょう。

2141カレーライス:2009/06/26(金) 23:08:21
>>2125
同じような犯罪を犯してもその時の改悛の度合いや情状によってかなり判決は変わってくるはずですよ。
やはり裁判中に反省の色が見えない被告と反省の色がしっかりと見て取れる被告では量刑が同じではありませんよ。
他にも量刑判断において情状証人の有無なんかでもかなり変わってきます。
(情状証人というのは被告の身内など身近な人で執行猶予時や出所後に私たちがしっかり更生させますと裁判所に願い出る証人のことです。)
それでもやっぱり傷害で相手を殴っただけの被告やひったくりをした被告に対して反省の色がないからと言って10年も20年も刑務所に入っていろというのは無茶じゃないですか?

確かに再犯は起きない方がいいですし、更生させられるなら更生させた方がいいでしょう。
もちろん更生プログラムをどんどん充実させることで再犯率を下げることが出来れば言うことはありませんが、紫煙狼さんのやり方は現実的とは言えないと思いますよ。

ずっと言い続けていますがやはり更生には更生する側の協力がなければ不可能でしょう。
自分の犯した犯罪に対する改悛がなければどうしようもありません。
刑期を伸ばしたところで後悔はしても反省までたどり着くかどうかははなはだ疑問です。

1960年代にアメリカが更生させることによって犯罪を減らすことを名目に掲げて死刑の停止を行いましたが更生プログラムがことごとく失敗して莫大な税金の無駄遣いとたった4年で死刑が復活するというなんとも空しい出来事がありました。
もちろんそれから更生プログラムの発達によって修復的司法などそれなりに成果を上げているようですが…それでもやっぱり更生の意思がない受刑者には意味がないようです。
特にVORPやVOCなんかは被害者側からの働きかけが重要で、これも被害者側の許し、和解する意思がなければ意味がありません。

しかし、もしも紫煙狼さんのおっしゃっていることが現実のものとなるのであれば死刑なんかさっさと廃止した方がいいでしょうね。
もともと死刑囚の半数以上は再犯者ですから、初犯の段階でしっかりと更生出来ていれば問題ないわけですし。
そこまで技術の進歩がみられるのであればそれらを学校教育の場に生かして、犯罪を犯す前に予防することも可能でしょう。
まぁ私は更生しさえすればさっさと社会に出して社会のために働くことを望みますが…。

私は別に法に携わる仕事をしているわけでもないですし、公務員でもありません。
ですので元受刑者で話しをしたことがあるのは友人くらいですし、傷害とか窃盗の被害者は周りにいても被害者遺族と話したことはないですよ。

仕事柄書籍だけはたくさん触れ合う機会がありますので、本はかなりの数を読んでいます。
もちろん興味があることだけですが…。
というよりも25年前と言えばまだ死刑の存在すら知らない年齢です。


>>2130
心理的駆け引きって…なんの意味があるんですか?

で…ずっと気になっているんですが、死刑存廃問題に無精髭さんは意見とか提案とかないのでしょうか?

2142無精髭:2009/06/27(土) 00:31:25
スマソ。>>2139はカレーさんへのレスです。

>>2141
>心理的駆け引きって…なんの意味があるんですか?
以下に述べましたように、私にとっては大いに意味がございました。

実は私にとって>>2109はカレーさんの書き込みの中で一番ショッキングな内容でした。
少し前からですが、私はカレーさんとKenさんのやり取りを追っていくうちに、どうも
カレーさんはKenさんの書き込みに対して、後に>>2109ではっきりとお書きになった
ような印象をお持ちなのではないかとの疑いを持つようになりました。そこでKenさんを
含めこのBBSの論客である方々に対してカレーさんがどのような感情を抱いていらっしゃる
のか、その真意を確かめたく、>>2096のごとき不躾なレスをお付けいたしたという次第です。
その成果は予想にたがわぬものであったので満足がいったと言うべきでしたが、やはり
予想が真実だと分かるとショックとしか言いようがありませんでした。

ただ勘違いされると非常に困るのであらかじめ申しておきますと、私がショックを受けた
のは、別にKenさんを庇いたいからとか、そういった動機があるからではないですよ。
Kenさんは誰の擁護も必要としないほどタフな人だというのは百も承知ですから。むしろ私が
ショックだったのは、Kenさんに関することではなくて、カレーさんに関することなんですよ。
もうこの際だからはっきり言ってしまいしょう。カレーさんが議論に望むスタンスがものすごく
ショックだったのです。もっと具体的に言うと、批判や反論についてのカレーさんの考えの
底の浅さ、にです。自分の考えに対する他者からの批判は常に自分の(考えの)ためになる、
という理念をどうやらお持ちでないということについて、です。
(上記「有効な批判に限られますが」という条件をつけなかったのは、「無効な批判」
というものがあるとすれば、私はそんなものをそもそも批判とは捉えないからです。)

>で…ずっと気になっているんですが、死刑存廃問題に無精髭さんは意見とか提案とかないのでしょうか?

そりゃ、>>2000で申し上げたようにそのつもりで書き溜めて置いたもの(未完成のものがほとんどですが)
が少しはありますよ。しかし、上記の事実を知った今となっては、「死刑存廃問題」についてわざわざ
カレーさんと議論をして何になるというのでしょう? <死刑存廃問題>に取り組むなら、誰に対するレス
でもない(他者からのレスを期待しない)文章を、気が向いたときにでも私一人でしこしこと書き込んで
行けば済むわけですし。少し前には

>>2107今までの話しで、紫煙狼さん、ufloatさん、無精髭さんの死刑に対する考え方はおおよそわかりました。

と仰っていることですし、私からカレーさんに直接お話しすることはなさそうです。

ただし、>>2096の末尾で申し上げた疑問については、まだカレーさんと議論をする余地があると思っておりますけど。

2143カレーライス:2009/06/27(土) 01:42:29
>>2133
別にあなたの死刑反対の目的を評価しようなどとは思っていませんよ。
ただ、1文で終わらせられるほど浅い考えでもないと思いましたので感想を述べさせていただいただけです。

1文1文を確認すること自体は構わないのですが、それでは相手の言わんとすることを理解できないのではないですか?
とくに大事な部分を読み飛ばすなどと言うのは相手に対してもとても失礼だと思いますよ。
1度すべてのレスを読んでから、1文1文確認するようにすることで相手の意図も理解できるようになると思います。
議論をするというのは相手を理解することから始まると私は考えています。
だからこそ「目的はなんですか?」としつこく聞いてしまったのですが…。
相手を理解しようとしなければ議論は出来ないのではないでしょうか?

2144カレーライス:2009/06/27(土) 01:43:58
>>2134
アメリカに限らず、終身刑自体はかなり昔から存在しています。
確か中世ヨーロッパの時代からすでにあったはずです。
確かにかなり稀な刑罰で、当時は身分の高い貴族に対して死刑ではなく、終身刑という形の幽閉を行っていたという文献を読んだことがあります。

アメリカで絶対的終身刑が注目を集め、本格的な運用が始まったのがモラトリアム開始後の1960年代末だという意味です。
アメリカで死刑が復活したのは潮流に逆らったというよりも当時の更生プログラムに対する信用が裏切られたことが原因でしょう。
正確な金額は覚えていませんがかなり莫大な税金を投入したにもかかわらず、更生プログラムを受けたはずの受刑者の再犯が多発したことが原因ですね。
当時の更生プログラムは専門家によるカウンセリングの他に集団カウンセリングや様々な療法がためされましたが効果をほとんどあげなかったようです。

フランスに関しては納得していただけたようでよかったです。

イギリスは終身刑の運用が始まったのは1965年に謀殺罪の死刑が事実上廃止され、無期刑が最高刑になった時からになります。
イギリスの無期刑は大きく分けて3種類あります。
・謀殺罪に対する必要的無期刑
・謀殺以外の重大犯罪(人の生命・身体に重大な損害を与える暴力犯罪など)で有罪となった場合に裁判官の裁量によって科される裁量的無期刑
・1997年の犯罪(量刑)法により過去に暴力・性犯罪で有罪判決を受けて再び同種同犯で有罪となった場合に原則として科される自動的無期刑
ですね。
もちろんすべての無期刑でタリフが設定されるのですが、このタリフの定め方が異なっています。
必要的無期刑受刑者のタリフは内務大臣が定めます。
裁量的無期刑受刑者と自動的無期刑受刑者は裁判官が公開の法廷で定めます。
Kenさんのおっしゃっている1983年に施行された法律によってタリフを内務省大臣が設定するようになったというのはこの必要的無期刑受刑者のタリフを設定するという部分です。
それ以前まではこのような区別なく、すべて裁判官による公開の法廷の法廷で定められてきました。
ちなみに終身タリフの決定がなされた後でも、拘禁期間が25年になった時点で、有期タリフに変更するかどうかを内務省副大臣によって審査されます。
その後も5年ごとに審査が行われますが、有期タリフに変更されると仮釈放の可能性が出てきます。

2145カレーライス:2009/06/27(土) 01:44:24
1980年以降と申し上げたのは1977年にドイツで世界に先駆けて絶対的終身刑が違憲とされ、1981年に廃止されたからです。
これによって世界的に絶対的終身刑に対する考え方が大きく変わったからです。

オランダだけでなく、絶対的終身刑に恩赦が認められるというのはどの国でもそうですよ。
アメリカでも、オーストラリアでも、イギリスでもそうです。
もちろん、恩赦だけでなく減刑もあります。
中国は確認していませんが同じでしょう。

http://www.geocities.jp/y_20_06/lwop.html
こちらを見ていただけたらわかりますが最高刑が有期刑の国というのは結構あります。
セルビア、キプロス、ポルトガル、ノルウェー、パナマ、キルギスもそうですね。
面白いのはスペイン、メキシコ、ブラジルあたりでしょうか、これらの国は有期刑が最高刑なのですが、その刑期は無期限で、懲役200年が出る可能性があります。

スペインをはじめこれらの国でも刑期の途中での仮釈放がありますので絶対的終身刑というよりも相対的終身刑と考えるほうが妥当です。

2146カレーライス:2009/06/27(土) 01:46:09
>>2135
答えていないつもりはないのですが…とりあえずお答えするとともになぜそう考えるかを発表させていただきます。

Q1.もちろんYESです。
日本の死刑に賛成しますし、これからも存置し続けるべきだと考えています。

Q2.絶対的終身刑の導入は反対です。
私は死刑以上に絶対的終身刑が残虐だと考えています。

Q3.私は死刑よりも絶対的終身刑のほうが人権上の問題は大きいと考えています。
憲法13条において最大の尊重をすると言われる自然権の制限(剥奪?)は人権上もっとも大きな問題だと考えています。
しかし、条文にあるように公共の福祉によってこれらが制限されることに問題はないと考えます。
次に問題なのはその過程ではないでしょうか。
その過程においてどちらの苦痛がより大きいかだと考えます。
私は死刑のように「殺さないでくれ」と言わせるよりも、絶対的終身刑のように「殺してくれ」と言わせる刑罰のほうが精神的苦痛は大きいと考えます。
>>2044でも紹介しましたが、
http://www.geocities.jp/masakari5910/satsujinjiken_muki_syusin.html
こちらのサイトを見てからそう考えるようになりました。
よって私は絶対的終身刑のほうが人権上の問題は大きいと考えています。
もちろん相対的終身刑と死刑であれば人権上の問題は死刑の方が大きいと考えています。
ここで、現在の死刑制度において私が改善をしなければならないと考えている点を1つあげさせていただきます。
私は死刑は死刑判決が出てから必ず3年以内の執行を義務付けるべきだと考えています。

2147カレーライス:2009/06/27(土) 01:49:28
Q4.一般的な認知としては逆でしょう。
それは、絶対的終身刑とは言え、「生きている」という事実のみに着眼点を置いた時、死刑の方が圧倒的に苦痛が大きいように感じるからでしょう。
しかし、それは刑自体の内実を知らないからだと考えています。
ご存じだとは思いますが、アメリカではこの苦痛を和らげるための施策がいくつもあります。
例えば、受刑者同士の交流で運動やスポーツをさせたり、ゲームや趣味を共有させたり、テレビやラジオ、インターネットの使用を許可したり、外出や就職、進学を支援したり、果てには外泊や家族の収監房への宿泊許可など様々なことが行われています。
そこまでしても、拘禁ノイローゼにかかるものも、いれば自殺する者もあとを絶ちません。
ましてや日本の刑務所で今から終身刑を採用してこれらの施策を行えるとは思いいません。
それを考えると終身刑受刑者の苦痛は計り知れないものとなるでしょう。

日本に死刑廃止議員連盟があります。
彼らは終身刑を導入することで死刑がなくてもよいのではないかという国民世論を作ろうとしています。
もしも終身刑の実態を知らずにそのようなことを言っているのであれば、不勉強極まりなく、不誠実極まりないでしょう。
もしも終身刑の実態を知ってなおそのようなことを言っているものがいるとしたら、私はそのような議員など即刻辞めてもらいたいですね。

絶対的終身刑に反対する人は一通りしかいませんって…。
私は絶対的終身刑に反対しながら死刑を存置すべきだと考えているのですが…私は人ではないのでしょうか?

公共の福祉を優先するにしても受刑者の苦痛はより軽い方がいいと考えれば私のような考えになってもおかしくないんじゃないでしょうか。
公共の福祉を優先することと受刑者をないがしろにすることとはまったく違います。
公共の福祉によって受刑者の将来を絶つにしても、死刑と絶対的終身刑でより苦痛の少ない方を選ぶのは当然ではないですか?
それでも私は論理的ではありませんか?

私が死刑の存置を支持しながら絶対的終身刑を反対するのは受刑者のことを考えてです。
これは日和見ではなく、その時々に何を重視しなければならないかを考えた結果です。

加害者の更生という部分に着目して、公共の福祉により、社会復帰を許さない刑罰は必要だと考えました。
この時点においては別に死刑だろうが、絶対的終身刑だろうがどちらでも構わないんです。
次に着目したのが加害者の苦痛です。
死刑と絶対的終身刑ではどちらがより苦痛が大きいかを判断した時、私は絶対的終身刑の方が苦痛が大きいと判断したため、死刑が残ったということです。
これをただあなたにとって納得がいかないというだけで私を論理的でないというのはあまりにも理不尽ではないですか?

2148カレーライス:2009/06/27(土) 01:53:03
>>2137
別に私はどちらか選べと言っているわけではありませんよ。
そのことを前提に文章を読んでほしかっただけです。
確かに今の日本において更生を全く目指していないということはありませんね。
色々と試作を重ねていることも知っています。
しかしそれでもやはり更生への意欲がなければどうしようもないんです。
これからどんなに教育刑や目的刑の技術が発展したとしても、その意思がない受刑者には意味がないことはご理解いただけると思います。
更生がどれだけ難しいかというのを1つ例をあげて紹介します。
これは昔、書籍で読んだことがあるのですが、私がなぜ更生がそれほど難しいと考えているかをお分かりいただけると思います。

あなたはどんな容姿の女性が好みですか?と問われた時その答えは様々に返ってくるでしょう。
身長の高い女性、身長の低い女性、痩せていてモデルみたいな女性、ふくよかで肉感的な女性、胸の大きな女性、胸の控えめな女性、若い女性、妙齢の女性などなど…。
人によってそれは違います。
例えば、若くてモデルみたいに痩せていながら胸の大きな女性が好きだと答えた人がいたとします。
あなたはこの人に「明日から妙齢のふくよかなのに胸が控えめな女性を好きになってください。」と言ってその通りに好みが変わると思いますか?
あなたの好みの女性(男性)を頭に思い描いてください。
次に、その好みの女性(男性)とは全く正反対の相手を頭に思い描いてください。
あなたはその自分の好みと全く正反対の相手に明日から好意を持てるようになれと言われてなれますか?
すべての人はNOと答えるでしょう。
これが更生の難しさです。
殺人という行為に興奮を覚え、その感覚をまた味わいたいと考えた加害者、自分の欲求のために他人をないがしろにすることをいとわない加害者、恋愛の対象が少女でしかない加害者。
これらの加害者に対してそれらを否定することは非常に困難です。
例えそれを社会的に悪だと認識していても、それらが自分自身の欲求を満たすに値する行為であり、それらを1度でも経験したことがあればそれを否定することはとても難しい。
加害者が自ら自分の変革を望み、自分の過去の罪を悔い改めなければ更生への道は開けることはないでしょう。

私は更生という言葉は知っていてもその内実は全く知りませんでした。
この書籍を読んだ時に、更生の難しさを初めて理解できたと思いました。
Kenさんはいかがでしょうか?

2149カレーライス:2009/06/27(土) 01:55:54
>絶対的終身刑に「反対する」とは書いていない。
>山地死刑囚のような累犯殺人犯は基本的に仮釈放を認めないと法律に書いといたらいいのと違いますか。
えっと…どちらですか?
その都度その都度お答えが変わってきているように感じるんですが…。
ずばりあなたは死刑廃止後どうするべきだと考えているのですか?
ぜひお答えください。

無期懲役に関してですが、私は仮釈放の条件が満たされれば必ず釈放されなければならないと考えています。
また、仮釈放の条件を満たすための施策をほどこすことこそ重要だとも考えています。
死刑が存置されている現在において、無期懲役であったとしても社会復帰する権利はすべての受刑者にあるはずです。
更生に関しては受刑者の責任において行うことですが、受刑者からその旨があれば最大限の手助けはすべきでしょう。
懲役報奨金の引き上げ、家族、親族との通信や面会などの対面の緩和などを行い、社会復帰の弊害になることを取り除くことは必須だと考えています。
そしてだからこそ死刑を存置すべきだと考えています。

宮崎勉にしろ山地悠紀夫にしろその犯行から更生の余地などみじんも感じさせない加害者がもし無期懲役になったらなんていうのを死刑存置論者の私にどう答えろというのですか?
間違いなく死刑以外あり得ないとしかお答え出来るわけないじゃないですか。
死刑に反対しているあなたこそこの問いに答えなければならないのではないですか?
あれだけの残虐極まりない犯行を犯し、なんの改悛もみられないならば無期懲役などあり得ないのではないですか?

>この部分が激しくダウトなんですけど。厳罰化のご時世でっせ。死刑相当の累犯殺人犯の収監期間が「平均」だという仮定がすでに現実的じゃないでしょ。
>あと無期懲役受刑者の平均服役期間は30年ではなくて31年10カ月(2008年中日新聞)です。これだってこの先たぶん伸びるでしょう。
私はこの30年くらいというのが無期懲役受刑者の社会復帰出来るギリギリだと思いますよ。
31年10カ月が平均だと言っても2008年に釈放されたのは1人です。
その受刑者が31年10カ月だっただけで過去にさかのぼっても30年を超える刑期ののちに仮釈放された人は稀です。
30年を超えてもなお仮釈放の条件を満たして社会復帰が出来るかどうかはかなり難しいと言えるでしょう。

もちろん死刑の抑止力だけですべての犯罪がなくなるなんて私は考えてないですよ。
そんなことはだれも信じないし、あるわけがないです。
今の刑法は応報刑ですから、強姦を犯したとしても無期懲役も死刑もないでしょうね。
当然刑期が決まっているわけですから、その刑期を全うするかそれ以前に仮釈放で出獄してくるでしょう。
今の刑務所が今の体制のままであるならば更生を望むのも難しいでしょう。
再犯が起こっても不思議だとは思いません。
そしてそれが今の刑罰システム全体の問題だとも言えると思います。
この問題と死刑とどう関係があるのでしょうか?
なんか無理やりこじつけているだけにしか感じないのですが…。

2150トーフ:2009/06/27(土) 02:21:04
kenさんへ。レスありがとうございます。
「死刑が公共の福祉に合致するか否か具体的に論じないと意味が無い」とのお言葉ですが
「何をやっても何百人何千人をどんな殺し方で殺しても犯人の命を保障する」というルールが
公共の福祉に反するのは私には明らかで、具体的ではないでしょうか。

また、現在までの世論調査にで、死刑維持すべきという意見が常に多数を形成していることや、
ドナーカードのように、「あなたを殺した人間をいかなる刑罰に処してほしいですか?」という
ようなカードを自分で書くことになれば、「死刑」の選択がこれまた圧倒的多数であろうと私には
思われます。

警官の武器使用基準を下げる、というのは私も賛成です。緊急避難・正当防衛の要件
緩和という形になるでしょう。

「刑法は応報刑である」「応報か目的・教育か二択を迫るのは誤りである」というのも
全くその通りだと思います。が、応報と、目的・教育は並列関係にあるのではなく、
上下の関係にあるのです。言い直しますと、
「応報を基礎として一般予防及び特別予防を考慮する」とこうなります。
「応報という基礎」がないのに、一般予防及び特別予防を考慮すべきでない、という意味で。

kenさんは「死刑が公共の福祉に合致するかどうか確信がもてない」とおっしゃいましたが、
懲役刑や、禁固刑・罰金刑などについてはもっておられる?おられるとしたら、どのような
ご理由なのでしょうか。過去レスのここを読め、という形ででもお示し頂けると助かります。

宜しくお願いします。

2151紫煙狼:2009/06/27(土) 02:35:30
さて、今夜は若干時間が取れそうなので、お答えいただいたのをモトに、
カレーさんが「紫煙狼の言う廃止の必要性」を理解できるように努力しますね。
ただし、過去の私の書き込みを見て、それでも理由が読み取れない人にも理解
できるように書くと言うのは、保育園児に相対性理論を理解させる並みに難しい
ことでして、そのあたり、カレーさんも、まずは受け入れる受け入れないを別に、
私の言わんとすることを正しく理解することを目的に読んでくださいね?
(今回ばかりは珍しく読解力を求めさせていただきますよ?)
理解するため、という目的を忘れて読まれると、私も文意がつたわりませんから。

>>2104
>もしも明確に死刑を廃止しなければならない(中略)と考えるだろうかと言うとそれも甚だ疑問でした。
そこに関して、私はまさしく「今はしょうがないけど将来的にはダメ」と考えています。そして、
「今はしょうがないけれど」と考える理由は受け皿問題でもあるし、死刑制度が現存するからでもあります。
米国ではずいぶん昔「禁酒法」なんてワケのわからない法律がありましたね?私、実は酔っ払いが大の苦手ですし
自分自身殆どお酒を飲みません。かわりにヘビースモーカーです。
で、今、このご時世において「禁煙法」なる法律が成立するとなれば、これは仕方ないと納得できます。
受動喫煙とか、発がん性の高さによりがん患者が増大し医療費が云々、これは悔しいかな筋は通っています。
ただ、逆に、私の嫌いなお酒が「禁酒法」なる法律によって禁じられるとしたら、私は自分が酒飲みでもないのに
よほど納得せざるを得ない何らかの理由を提示されない限り、賛成はできませんね。
しかし、禁煙法なり禁酒法なりが成立してしまったら、悪法でも法は法。これを遵守することが大切です。
従って、死刑制度が存在している現状において、法務大臣の一存で死刑執行が停止されるなどと言う事態は
望ましくないと考えます。たとえ死刑自体が悪であってもね。ただし、未来的にはそれを是正するべきであると
訴えるだろう事は、私が今、死刑廃止を訴えるのと同じだと思いますよ?

なので、少なくとも、私は「今の死刑制度はイイ!」と思っているわけではないとご理解ください。
そしてついでに、私は「囚人を殺すことは刑罰足りえない」というスタンスからモノを言っていると
最初にご了解願いたいと思います。(その根拠はあとでね)

2152紫煙狼:2009/06/27(土) 02:35:52
さて、トーフさんとカレーさんは刑罰の本質を「報復にある」と仰いました。
ここがそもそも、私が死刑に疑問を抱いたきっかけなんです。で、若干スレは違いますが、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1050423679/151-157
このリブラなる人物、1年ほど続けていたロム専から投稿者に変わった当時の私のハンドルです。
これを読んで、私の意見に同意いただけるかどうかはさておき、私のスタンスは
ご理解いただけると思います。つまり「自分の行いが悪いことであった」と理解した者は、
受けた罰の如何を問わず、再犯しないものだと考えているのです。ここはカレーさんの
ハードル理論とは大きく異なるものです。

以前、人を刺殺して服役し、現在は(仮なのかな?)出所してカタギの生活を慎ましやかに
送っていらっしゃる元受刑囚とお話をしたことがあります。彼は人を指した瞬間の感触を
「意外なほどにやわらかく、簡単に刃物が深々と刺さって、興奮のせいもあるだろうが、
手ごたえらしき手ごたえが感じられず、意外であった」と刺殺することの難易度が想像より
はるかに低い、簡単なものであったと話してくれました。そういう意味では、人は簡単に死ぬ
人を殺すことは簡単である、という経験を経て、彼の中では刺殺と言う方法に対する技術的
ハードルはとても下がっていると私も同意します。
しかし、少なくとも彼に関しては、その行為によって引き起こされた悲劇、自分が犯した罪の
重さを正しく理解することができたので、むしろ、心理的ハードルは著しく高くなったと
私は評価しています。彼は、自分が一般的に言う幸福な家庭を持つ資格を持たないと自分で
自分に定義づけ、自分の犯した罪は一生消えないし自分が生きている事だって被害者や被害者
遺族には許せないことだろう、それを償うと言ってもどうすれば償いになるのか自分にはわからない。
せめて、何らかの形で社会に貢献できれば、誤差の範囲内程度の微々たるものでも、自分が生きて
いることを許してくれた社会への恩返しになるのではないか…そう考え、あえて過酷で賃金の低い
職(それは社会において誰かがやらねばならない仕事ですが、好んでその職を選ぶ人は少ない職です)
に身を投じています。

私が「死刑囚と話をしたことがないのは残念だ」というのは、実は、私が話したことのある元受刑囚
さんは全員「死刑判決を受けなかった人」言い方を変えれば「更生の余地があると認められた人」なので
これだけを根拠に話を進めると可笑しなことになります。しかし、そういう話を聞いているうちに一つ
奇妙な符号だけは感じ取ることができました。それは、彼らが更生したのは社会復帰を始めてからなんです。

2153紫煙狼:2009/06/27(土) 02:36:15
そう、留置所の中ではなく、社会に復帰してからなんです。と、いうのも…。
カレーさんの仰るとおり、現状の留置所の実態は単なる隔離施設なんです。刑務官の方々の多くは
自分が教育者であると言う誇りを持って公務に励んでいらっしゃるという現実は私も受け止めつつ、
しかし、残念ながら刑務官の皆さんは教育者としての実力を発揮できない環境の中で公務をなさっている。
(正直、教育とはなんぞや、とか、そういうのを取り違えていらっしゃる刑務官の方も多いようです。)
ならば、私はまず、この刑務官の方々の誇りをより一層叶えてあげたいと思うのですね。
従って、留置所は現状では単なる隔離施設でしかないかもしれないが、矯正教育施設になり得る素地を
併せ持っている。そして、再犯率を低下させるためならば、受刑囚の反省・更生を促すためであれば、
矯正教育施設としての役割を担わせるために、いくばくかの税金が投与されてもかまわないと思うのです。
(たとえ短期受刑者でも更生していない人間を満期出所させるより、ずっとマシだと思いませんか?)

つまり、死刑存廃の問題に入る前に、現在の矯正教育プログラムには至らない点が多いから、改善できるなら
改善したほうがいいと思っているのです。いや、そんな頑張って更生させなくても殺してしまえば解決よ…と
言うのであれば、これは短期受刑者の再犯率は低下しないと思うのですね。つきつめて刑事犯罪者は全て
死刑に処すべし!というご意見あらば、それはある種、天晴れです。明快この上ない。実際、私も一時期、
死刑賛成派だったころの中でも一番過激であったころには、All or Nothingのごとく極端に、再犯率をゼロに
する方法として、刑事犯罪者全員を死刑にするべきだ!と主張していたころもあったりしてお恥ずかしい限りです。
まぁ、さておき、以上を通して私は短期受刑者に目を向けた際に、留置所内における矯正教育プログラムの
充実化が必要だと考えるのです。

これに対する反論も多くの方々から何度も伺っています。

・矯正教育プログラムの充実化は過去何度も試みられているが差異を認めるほどの効果は未だない。
過去の試みは矯正教育プログラムではなく強制教育プログラムの充実化が図られただけだったように
私の目には映っているのですが、いかがでしょうか?更生とは能動的自発的なアクションが必要であり、
誰に強制されて更生効果が上がるとは思えませんので、その点で強制教育は効果を挙げられなかったの
ではないでしょうか?そういう意味で、更生を促すための矯正教育と言う支援という考え方に基づく
充実化が図られた経緯は、私には見つけられませんでしたし、かつ、過去と現在では教育方法学も、
相当な進歩をあげていますので、今なら…という可能性を試す価値はあると思います。

・短期受刑者だから問題なのであって、厳罰化によって多くの囚人を長期受刑者にすればいい。
では、恐喝罪で懲役25年とか、無期懲役という刑罰体系が可能でしょうか?どのみち、いずれ出所さ
せるのであれば、更生していてくれたほうが良いのは言うを待たないでしょう。従って、矯正教育の
充実化をせず厳罰化を図っても、再犯率の低下につながるかと言うと疑問であり、かつ、長期受刑者
を増やすことによって発生するコストを矯正教育にまわすことを考慮しても差し支えないと考えます。

2154紫煙狼:2009/06/27(土) 02:36:59
まだまだ色々ありますが、全部列挙するのは無理があるので、とりあえず2例で勘弁してくださいね。
少なくとも私が耳にした矯正教育に対する反論は8割以上がこの2例に集約されますので。。。

さて、矯正教育の充実化が図られてからの経過を見なければ、断定することはできませんが、
この手の方策によって再犯率が低下したと想定してください。いや、再犯率が低下するような
矯正教育をしなければ意味がない、と受け取ってくださっても結構。それはどっちでもいいです。
少なくとも単なる隔離施設ではなくなった留置所を想定した際、現状では更生不可能と判断された
ような囚人でも、更生効果が認められる可能性を否定することはできません。私の願望が含まれて
いると思ってくださって結構です。ただ、変化する可能性というのは基本的に否定できないもので
あると思いますので、ここに反論するのであれば「変化する可能性がない」ことを実証してほしいですね。

と、いうわけで、まずは犯罪者の更生の可能性は脳に何らかの欠落でもない限り残されていると考え、
また、脳に何らかの欠落がある場合は、外科的治療を含む医療行為、または投薬によって改善する可能性、
さらに、重症なものに関しては、そもそも責任能力を問うことができないのではないか、というのが、
私の更生に対する見解です。そして、更生が見られないものは刑期満了後も釈放せず留置すべきであると
考えているわけです。

そろそろイライラしてきましたね?でも我慢してください。死刑廃止の理由を挙げるには、先に更生と言う
物に対する考え方、留置拘禁と言う状態において何をするべきなのかを話さないことには先に進めないものですから。

さて、先日も申し上げましたが、私はあっさり更生したからと言って、すぐに釈放するのでは他者に対する
犯罪抑止効果は得られないだろうと思っています。従って、更生したとしても有期懲役に関しては刑期満了まで
釈放しないことが大切なのではないかと考えています。そして、無期懲役に関しては、有期懲役の上限より、
さらに長い期間を拘禁することが必要であると思っています。しかし、逆に、仮釈放の可能性のない刑罰は
人権意識以前に、あってはならないとも考えています。なぜなら、更生しても一生涯を監獄で送らせるのであれば
更生のための矯正教育を施す意味がないからです。無論、考え方の一つとして、生涯拘禁の刑や死刑の確定囚には
あえて無駄な矯正教育を施さないと言う選択肢もあるかとは思います。
ところがここで、宅間守元死刑囚の処刑に対する被害者遺族や、いわゆる有識者の意見の中に興味深いものが
あります。「もっと反省させてから処刑するべきであった」しかもこれは必ずしも少数意見ではなく、
むしろ、あの事件にかかわってしまった人の多くが、同じように考えている(らしい)事に私は注目していて
「凶悪犯罪者が自分の侵した罪の深さに打ちひしがれて更生する」こと自体は、被害者感情をいくぶんなり、
抑える効果があるのではないかと思うのです。宮崎勉元死刑囚に関しても、結局、執行されるまで謝罪のひとつも
なく、罪の重さを自覚することなく執行されたことに口惜しさを感じている人は少なくないようでした。

報復刑主義の方にも、同じ意見(反省させろ)の方は多いのではないかと思います。というのも、本来的に、
報復と言うからには、因果応報で言うところの因果に気づかぬものを処刑しても報復が達成されたとは言えないからです。
つまり、囚人に罪の重さを自覚させ、反省させると言うこと自体は、死刑存廃とは全く関係なく、多くの人の
要求であると考えて差し支えないのではないでしょうか?

って所まで書いていたら、書き始めてから6時間が経過していました。続きはまた後日。おやすみなさい(^^)

2155紫煙狼:2009/06/27(土) 02:37:19
わお!私が文章を作成している間に面白いことを書いていなさる。
>>2149
>今の刑法は応報刑ですから
少なくとも私の知る限り、日本における応報刑は死刑のみで、それ以外は全て
教育刑というのが通説だと思いますが?そのあたりはトーフさんに伺ったほうが
よろしいでしょうか?日本の刑法は教育刑と応報刑の二本立てで、応報刑は死刑
のみであるというのが最近の通説であると聞き及んでいたのですが、最近の刑法
学の通説では、日本は応報刑主義であると言うのが通説なんですか???
(それが最新の学説であるなら、良くも悪くも興味深いですね)

まぁ、私の認識が古いとしても、たいして問題はありません。
無期懲役以下の刑罰は社会復帰の可能性があるのですから、教育的見地なしに
応報のみを目的に行っていたら、むしろ拘禁されている間に社会に対する不満や
怒り、恨みなどが募る可能性のほうが大きいわけで、逆に教育することを前提と
するから、社会復帰の可能性を残せるのではないかと思うのですが???
そういう意味で、日本の刑罰で応報刑と言えるのは永久に社会から排除する、
死刑のみであると思いますが…いかがなんでしょう?

2156カレーライス:2009/06/27(土) 02:40:21
>>2138
1.確かにufloatさんの言う通り、「死刑のほうが仮釈放なしの終身刑のほうが非人道的で重い」というのが一般的ですね。
ただ私は内情を知らないからこそだと考えています。
>>2146とも重複しますが、どれだけの人がその内情を知っているのかという疑問が私にはあります。
だからこそ、死刑のほうが非人道的だと言う人もいると思いますし不思議でもなんでもないです。
別にそこは否定する気はないです。
ただ、私が仮釈放のない終身刑のほうが非人道的だと思っているだけですから。
内情を知って尚、死刑のほうが人道的だとおっしゃる人がいるとするならばそれは感性や人生観の違いかなと思います。
まぁ平行線で交わることはないでしょうね。
私がわざわざそれを主張するのは内情を知らない人が多すぎるからあえて強調して申し上げて興味を持っていただけたらなと思っているだけですね。
確かにここだけを見れば廃止論になるでしょう。
しかし私は、抑止力や被害者や遺族、社会感情の沈静化などを踏まえて存置論です。

2.2つお尋ねします。

1.死刑を絶対的終身刑に変える意味(目的)はなんでしょうか?
一般的に言えば「人権保護」ですよね?
死刑を廃止して絶対的終身刑を採用することでこの目的は達成するのでしょうか?
私が言うに及ばず、世界的に絶対的終身刑が非人道的刑罰であるというのはもはや常識です。
ただ、目的が「死刑廃止」と言うだけなら絶対的終身刑をを採用することで可能となるでしょう。
しかし死刑廃止の目的は「死刑廃止」ではなく「人権保護」のはずです。
これでは本末転倒になりませんか?

2.今、世間で絶対的終身刑の内実は知られているとおもいますか?
一般的に死刑のほうが絶対的終身刑よりも非人道的だと言われています。
私はそれを内実を知らないからであり、その内実を知れば意見が変わる人も出てくるだろうと申し上げました。
その内実が世間に認知されるまでは、絶対的終身刑よりも死刑のほうが非人道的であり、抑止効果があると思いませんか?
私が「抑止力について言えば、絶対的終身刑と死刑で際立った差は生まれないと思いますよ」と申し上げたのはあくまでその内実が世間に周知され、絶対的終身刑が非人道的だと認知されて初めて死刑と同等の抑止力が生まれるという意味です。
もちろんこれは受刑者たちにも言えることです。
実際にそれを体験し、将来に対する絶望感と向き合って初めて死刑と絶対的終身刑のそれぞれの恐怖と向き合えるのではないでしょうか。
その内実が知れ渡るまでの間は死刑のほうがより抑止力は高いでしょう。

次に感情面ですが、私自身は正直言って死刑でも絶対的終身刑でも構わないですよ。
絶対的終身刑のほうが苦しんで死んでいけと思うくらいです。
まぁ税金の無駄遣いのことも考えて死刑にしろと思うかもしれませんが。
あくまで感情的に言えばですがぶっちゃけ私には関係ないことです。

ただ、被害者、遺族感情は全く違うと思います。
特に遺族は自分の大切な人が殺されているわけです。
その加害者が死刑になりこの世からいなくなることのほうが留飲は下がるでしょう。

私は死刑にしろ、絶対的終身刑にしろそれに対する嫌悪感こそが死刑の抑止力だと考えています。
今現在、絶対的終身刑よりも死刑のほうが非人道的だと一般的に思われているならば死刑のほうが抑止力は高いでしょう。
もちろん将来的に逆転すれば抑止力も逆転するでしょうね。

これらも含めて総合的に判断しなければ間違った選択をしてしまうことになると私は考えています。

2157無精髭:2009/06/27(土) 02:40:42
私は、今でもカレーさんにとってKenさんとの議論こそ、無意味どころか、超有意義なものである
と信じて疑いません。なぜって、Kenさんが唯一カレーさんの土俵に立って議論しているからです。
カレーさんの存置論(>>2001-2003)に早々と見切りをつけ、色々と工夫を凝らして歩み寄ろうと
なさっている紫煙狼さんやufloatさんと異なり、またカレーさんの論法や議論の仕方に違和感を感じて
二の足を踏んでいる私とも違い、カレーさんの存置論(>>2001-2003)にわざわざ拘らなくても
いいものを、シンプルに議論を進めるため、あるいは議論の道筋を明確にするために、常に原点に
回帰して批判を試みるKenさんのスタンスこそ、フェアと言わずして何と言おうぞ。しかも、
カレーさんによって果てしなく展開された(されつつある)論旨に対し、真正面から挑んでいるわけ
です。はっきり言って、Kenさんがカレーさんと議論する目的ほど明瞭な目的を私は持っていません。
Kenさんにおいては絶望的に話が通じないとのご不満がおありとのことですが、ひょっとすると
カレーさんとの議論で一番利していらっしゃるのはKenさんではないでしょうかね。傍から見た印象
とは逆に、Kenさんご自身も「カレーさんとの議論って案外得るもの多いかも、儲け儲け」と感じて
いらっしゃったりして(笑)。

>・フランスの終身刑
>これ以上議論が深まることはなさそうですね。(中略)そのソース自体をチャレンジしているつもりだったんですけどね。
>食い違うソースを見つけたときにどうやって止揚するのか、という話で。

Kenさんがあきらめずに英語のソースを出して対抗したりして議論が長引きそうな兆しが見えて
きたときに、カレーさんにKenさんの意図を私からご説明するつもりでしたよ。私から言うのは
なんですけど、その件に関してはお止めになるのが賢明でしょうね。というか、Kenさん以上に
海外の刑罰事情にド素人な私にさえ聞かずとも分かることが、ソース提供者のカレーさんには
分からないというのは、悲しみを通り越して虚しさを感じます。

2158無精髭:2009/06/27(土) 02:41:17
今、カレーさんの膨大なレスを読み直しているのですが、
「う?ん」と感じた部分をコピペさせて戴きます。

>>2133(これはKenさんのレスね)
>>>もしかしてKenさんは文章をレスを読むときに1文1文を確認(ソースを調べたり)しながら読まれているのではないですか?(>>2121
>
>はい!そして誇りをもってそれをしてます。ときどき大事な部分を読み飛ばしちゃいますけど。

>>2143 1文1文を確認すること自体は構わないのですが、それでは相手の言わんとすることを理解できないのではないですか?
>とくに大事な部分を読み飛ばすなどと言うのは相手に対してもとても失礼だと思いますよ。
>1度すべてのレスを読んでから、1文1文確認するようにすることで相手の意図も理解できるようになると思います。

>>2103私自身は文章で議論する上で字義通りに判断することを大切にしています。

>>2092相手の文章を客観的な文章だとして、字義通りにその文章を理解することがこういったBBSによる議論の鉄則だと思っていたのですが…。
>(中略)
>ならばその文章通りの字義を読みとることこそが大切だと私は考えています。
>また私の文章は字義通りに読みとっていただけると助かります。

・・・あえて何も付け加えませんがね。

>>2149
>絶対的終身刑に「反対する」とは書いていない。
>山地死刑囚のような累犯殺人犯は基本的に仮釈放を認めないと法律に書いといたらいいのと違いますか。
えっと…どちらですか?
その都度その都度お答えが変わってきているように感じるんですが…。

>>2137
>いや「反対する」とは書いてないです。「慎重にしたほうがよい」とは書きましたけど。

カレーさんこそ、大事な部分を読み飛ばさないでください。マジで。

2159無精髭:2009/06/27(土) 02:51:49
シェンさんも、犯罪者・受刑者の更正という論点から有意義な議論を
展開なさろうとしているご様子…。遡って前のレスも含めて、
これから熟読いたそうかと存じます。

論点自体は比類なきものだと思います。願わくは、それが有意義な
議論に発展することを。

2160紫煙狼:2009/06/27(土) 03:07:59
ほんの5〜6時間の間に、またスレ進行に置いていかれた感があります(笑)

>>2140
>さて…およそ39万人もの人を全て更生させるまで収監するなんてことが可能だと思いますか?
>確かにすべての人を更生させることが出来れば理想的です。
>しかしあまりにも現実からかけ離れているとは思いませんか?

>>2141
>もちろん更生プログラムをどんどん充実させることで再犯率を下げることが出来れば言うこと
>はありませんが、紫煙狼さんのやり方は現実的とは言えないと思いますよ。

もう一度、私のスタンスを思い出してくださいますか?
私は、死刑即刻廃止論者ではなく、将来的に廃止すべき論者でして、
カレーさんが「現実的ではない」という根拠は今しか見ていないからではないですか?
現状だけを見て「更生プログラムを充実さる」にも限界があるだろうと言っているわけですよね?
で、そこに関しては、私も「現状ですぐには難しい」と同意していまして、ゆえに、カレーさんの
存置論が「現状においては」ベターな選択肢だと認めているわけです。
しかし、将来的に再犯率を本当に下げることができてかつ、時間も余りかからないような
更生プログラムと教育方法(治療方法なのかもね)が確立されたあかつきには

>>2141
>もしも紫煙狼さんのおっしゃっていることが現実のものとなるのであれば死刑なんかさっさと廃止した方がいいでしょうね。
>もともと死刑囚の半数以上は再犯者ですから、初犯の段階でしっかりと更生出来ていれば問題ないわけですし。
>そこまで技術の進歩がみられるのであればそれらを学校教育の場に生かして、犯罪を犯す前に予防することも可能でしょう。
>まぁ私は更生しさえすればさっさと社会に出して社会のために働くことを望みますが…。
と、カレーさんも死刑廃止したほうがいいと認められるんですよね???
私はずーーーーーーーーーーーーーーーーっと前からそう申し上げているんですが?

そして、これを現実のものとするために山積みになっている問題を皆さんで考えませんか?という話をしているのですが。

そういえば、SF宇宙モノでよく出てくる「ワープ」というのは実現不可能と科学的に立証されたんですよね?
私の考え方は多分に理想論であり時としてSFチックなモノも含まれますから、空論扱いされるのはよくわかります。
しかし、実際に以前は空論あつかいされていたものが案外普通に目の前にころがっているでしょう?
ですから、科学的に更生が不可能であることを計測できる技術が確立すれば、私も死刑賛成に転じると思いますよ?

2161カレーライス:2009/06/27(土) 03:15:54
>>2139
お答えします。
1.>>2001のときはあまり読んでいませんでしたが、あれからチョコチョコ読ませていたいておおよそくだらないところ以外は眼を通しましたよ。
2.紫煙狼さんの目的刑、教育刑に刑事罰を特化させるというのは面白かったですね。
まぁ非現実的だとは思いましたが、初めての意見だったので楽しませてもらいました。
批判・反論と言っても私がどう考えているかという質問ばかりで具体的な発案と言うのに至るほどまだ議論してないように思いますよ。
まだ話し始めたばかりですから、私自身の考えを知っていただく段階だと思っています。
出来るだけ誠実に対応していきますよ。
3.今の段階ではありませんね。

冤罪問題については団藤重光氏が有名ですからどこの存廃論に行っても必ず出てきます。
私としてはやっぱりここでも出てきたかという感じでした。
そもそも冤罪とは誤判が原因です。
死刑があることが原因ではないという点を考えれば死刑存廃問題の論点となるとは思えないんですが…。
冤罪が出たときの心配よりも冤罪を出さない努力が大切だと思うのですがいかがでしょうか?
そう考えれば死刑というよりも司法システムの問題だと私は思いますよ。

「論」というのは他人に追随するものではないのではないでしょうか?
自分の視点から結論を導き出し、それを客観的に考えて正当性を導き出し、他人に理解できることが「論」だと私は思います。
わかりやすく言うと…「結論→目的→客観的考察」という過程を踏まえて考えなければ「論」とは呼べないと私は考えています。
結論の部分はみなさん死刑廃止ないし存置ですから問題ないですよね。
次に目的ですがこれが見えなかったためにみなさんにお聞きしました。
最後に客観的考察ですが…ここまでこられている方は今はまだいらっしゃいません。
紫煙狼さんとKenさんは目的まで明確にしてくださっていますからあとはご自分で客観的考察をしてくださればとそこに対して私も反論出来ると思います。
論の内容に不足があるというよりも、他人の理解を得るために必要な客観的考察がまだ出てないとしか言いようがないです。

2162カレーライス:2009/06/27(土) 03:16:19
私に終身刑導入反対論をしろと??
まぁある程度はしていると思うのですが…確かに不十分でしょうね。
これに関しては私もお詫びしなければなりません。
実際にアメリカにおける終身刑受刑者の死亡原因を調べたりして、他殺者や自殺者がどのくらいいるかを発表できればと思って調べているんですがこれが見つからないんですよ。
(終身刑受刑者の個人名から死因を割り出すことがいくつか出来たんですが、数が少なすぎてデータとしては不完全でした。)
あと日本の無期懲役受刑者の死因も調べたんですが、これも病死とかがほとんどでその内容が公開されていないんであきらめてしまいました。
もちろん他にも病歴とか行動記録なんかが手に入ればそこから色々と考察出来ると思うんですがさすがに公開されてないですね。
ですからデータではないですが、私よりもそれらに詳しそうなソースを出してはいるんですが…
http://www.geocities.jp/masakari5910/satsujinjiken_muki_syusin.html
私自身かなり不満は持ってます。
だからこそ絶対的終身刑導入に関しては納得していただけないのもしょうがないと思ってます。

私自身はしっかりとお伝えしたつもりだったんですが伝えきれていなかったんですね。
ただ、終身刑導入に反対という点以外は伝わっているようで安心してます。
その点に関しても今回出来る範囲で書かせていただいたのですがあれでよろしいでしょうか?

私自身が述べたことに対する反論や意見はありましたけどそれ以上のことって今まで結論しかなかったですよね?
目的や客観的考察まで届いていないのって私が原因だったんですか?
というよりも私の何が原因でみなさんは目的や客観的考察を出されなかったんでしょうか?
まぁ私の突っ込みどころ満載の存置論に突っ込むことでそっちまで余裕がなかったと言われればどうしようもないんですが…。

2163トーフ:2009/06/27(土) 03:20:37
紫煙狼さんへレスさせて頂きます。
刑法の本質が「応報」にある、というのは>>2150に書いたように、
「応報を基礎として一般予防・特別予防を考慮する」ということで、
「応報という基礎がないのに一般予防特別予防を考慮すべきでない」ということです。
通説です(だと思います)。根拠は刑法学の有名教授の教科書を参照しています。
大谷・大塚・前田 の各刑法総論の教科書を参照して記述しています。

もう少し私の考えを説明させて頂きますと、刑罰法規をつくる時=立法時には報復感情を
基礎としないと、「刑の軽重」が、定まらない。立ち小便と殺人が同じ罪の重さでいいわけ
がない、というようなことです。これが「応報を基礎とする」ということです。

kenさんだったか、うろ覚えなのですが、応報を基礎としないで一般予防・特別予防を
考えてしまうと、「反省完了するまで監獄」「反省した以上は即出所」ということになる
のではないでしょうか。

紫煙狼さんも、>>2154で「あっさり反省したからといって出所させると他者に対する
犯罪抑止効果=一般予防がないのではないか」ということをおっしゃっておられますが、
そういう場合に一般予防効果がない、と思われるのは一般的な報復感情に明らかに反する
からでしょう。例えば、殺しまくったけど、反省が認められたので10日めで釈放では明らかに
おかしい。この「おかしい」が「応報」なのです。

「刑罰の本質は応報である」ということについてなんとか説明を試みてみました。

矯正プログラムが改善されていくことについてもちろん大賛成です。このスレは死刑
存廃論ですが、刑罰は現在のところ、死刑・懲役・禁固・罰金・拘留・科料となっており、
仮に死刑が廃止されたとしても、懲役・禁固(自由刑)が廃止されるようなことはまず
考えられませんからね。

2164カレーライス:2009/06/27(土) 03:35:41
>>2142
死刑存廃問題について私と話しをしたくないというのはわかりました。

1つだけお聞きします。
ここのBBSはスレ違いの話しもいいんですか?

2165紫煙狼:2009/06/27(土) 03:37:13
>>2162
>まぁ私の突っ込みどころ満載の存置論に突っ込むことでそっちまで余裕がなかったと言われればどうしようもないんですが…。
うん、平たく言うとそのとおりなんです。というのは、私がずーーーーーーーーと以前から、
今すぐは無理だけど、将来的にいくつかのの条件を満たせば死刑は廃止できるよね?そういう状況になれば、
死刑を残しておくのは非合理的だよね?逆に、その条件を満たせば死刑の存在意義がなくなるというのは、
死刑と言うのが刑罰としての体をなしていないからではないかな?というのも、刑罰は躾であるべきと言う
考え方に基づいて考えるなら、躾ける意味を無くす刑罰は刑罰じゃないよね?
逆に、私の言う条件を満たしてなお、死刑を存続させなければならない理由があれば、
そこは考慮する余地があるよ?って言ってきていたのに、あなたは今だけを見て無理だ!と断じ、
そこまでは私と同じだけれど、それを以って、未来永劫存置すべき!というなら論理の飛躍ではない?
と申し上げてきたツモリなんですよ。
そこがちぃっとも伝わらないから「過去ログ読んだ?」って聞いたし、読んでなお、こんなことを
もう一度言わせるの?って凄まじく疑問だったのですよ。

今は存置で仕方ないよ。問題ありすぎだもの。だから一緒に解決しませんか?
それには私のCPUだけでは全然足りないから、カレーさんのCPUも貸してよ、ってお願いしたら、
「どうして死刑を存置する方向で考えないんですか?」って返ってきて、正直、絶望したよ?

でも、とりあえず、私の廃止論は伝わった見たいですね(ひとまず安心)

2166紫煙狼:2009/06/27(土) 03:51:15
>>2163
なるほどーーーーーーーーー!その説明はとても納得できます。
そうなると「この犯罪を犯したらこれだけの罪になる」
これが「ワリに合わない」と思わせる一般抑止効果というのは、
必ずしも報復と無関係ではないのですね。勉強になりました。

私は「報復」と「一般抑止」を表裏一体として考えていなかったので、
「報復感情を満たすもの」と「一般抑止効果をもたらすもの」を
別々に考える必要があると思っていたのですが、そういう事であるなら、
逆に一般抑止効果だけを追求しても報復的側面は満たされると考えて
よさそうですね(^^)

2167紫煙狼:2009/06/27(土) 04:03:33
>>2164
>1つだけお聞きします。
>ここのBBSはスレ違いの話しもいいんですか?
えっと、ここの掲示板の管理人ではない私が答えていいものか疑問ですが、
かといって、無精髭さんに答えられる性格の質問ではないと思うので、
あえて、私の考えを述べさせていただけば…。

このBBSの最大の趣旨はスレッドに上がっている題材に関して、多くの人が
意見を述べ合い、相互理解を深め、互いに切磋琢磨し、よりよいものを生み出す…。
というものだと思っていて、少なくともここ6年はそういう流れで来ています。
そして、その互いの理解を深める(互いの考え方を正しく理解する)ために必要な話や
熱くなりすぎて硬直した場の空気をクールダウンさせたりするための発言であれば、
若干、スレ違いであっても構わないのではないでしょうか???
いや、何なら、雑談スレを利用しても構わないし、新しくスレッドを建ててもいいでしょう?
とりあえず、互いに互いを勘違いしたまま、互いの主張を「とるにたらぬ」と終わらせるより、
ずーーーーーーっと意味があると思うので、そのあたりは「良識の許す範囲内」って考えでいいと思います。

2168トーフ:2009/06/27(土) 04:16:47
紫煙狼さんへ。
「ワリに合わない」と思うのは立法された刑罰法規をみたあとでしょう。
私が申しておるのは「あんなことをしたらこんなめにあうべきだ」という感情をいっているので
あって、「ワリに合わない」と思わせる前提には、「あんなことをしたらこんなめにあうべきだ」
という「応報感情」を前提にできた「刑罰法規」が必要でしょ?といっているのです。

「刑罰法規」を見てからでないと「ワリに合う」「合わない」と思えないでしょう。

応報と一般予防は表裏一体なのでなく、応報は基礎だという意味をお解り頂きたい。
応報なしで一般予防は存在できず、一般予防が存在しなくても応報は存在できる。
そういうような意味です。

私は死刑を維持しつつ、死刑に該当するような罪が起こらない状態を理想状態だと考え
ています。なので、死刑は未来永劫維持されるべきだと思います。

2169カレーライス:2009/06/27(土) 05:05:38
>>2151
>>2160
読ませていただきました。
ここまで「更生」に対して真剣に考え、その可能性を模索していたのかというのは考えが及びませんでした。
というよりも私の理解と想像の範囲外の答えが返ってきてびっくりしました。
でも漸く、紫煙狼さんの廃止の理由が見えました。
特に元受刑者の話しはとても有意義でしたし、紫煙狼さんの更生に対する熱意にはかなり驚かされました。
現在の矯正教育プログラムは強制教育プログラムだというのは私も文章を読みながら確かにそうだなと思いました。
私も以前から言っているように死刑なんかない方がいいと思います。
紫煙狼さんの言うようにすべての人が更生可能ならば、必ず更生させるということを理由に廃止してもいいと思います。

ずっと引っ掛かっていた>>2088で紫煙狼さんがおっしゃったことが今漸く理解できた気分です。
しかし、これは現実可能でしょうか?
私が紫煙狼さんの廃止の理由がずっと理解できなかったのはおそらくこの疑問からです。
ちょっときついことを言わせていただくと「絵に描いた餅は食べられない」のではないでしょうか。
すごく素敵な廃止の理由でしたし、ぜひそうなってほしいと思います。

SFチックな話しをするのであれば、人の記憶というのは脳の中にあるニューロン同士をシナプスが結ぶことでそれを維持すると言われています。
どの部分にどの記憶があるかを正確に割り出せることが出来れば、体験した記憶を消すことによって私のいうハードルを下げる原因を取り除く。
その時に犯罪を犯したという事実だけを残して、ハードルをさらに上げるように更生を施すことによって再犯を防ぐことが出来るかもしれません。
もちろんその犯罪に走るきっかけとなった出来事の記憶なんかもその時に同時に消せれば、より一層いいのかもしれません。
と…なんか混乱して変なことを言ってごめんなさい…。

しかし、実現可能かどうかわからない理由で廃止すべきだと主張されても出来ればいいねとしか答えられないんです。
もちろんこれは100%無理だとは言えませんよ。


ここから先は私自身が死刑存置論を説く上での前提として頭に置いてあることだと思って読んでください。

 現在、日本とアメリカを除く先進国はそのほとんどが死刑を廃止しています。
 そしてそのアメリカも徐々にではありますが、死刑を廃止する州が増えてきています。
 そんな中で、もちろん世界の潮流として死刑の廃止を日本も迫られています。
 我々日本人は今こそ死刑存廃について確固たる意志を世界に示さなければならないのではないでしょうか。

とまぁこう言う堅苦しいことを考えていたわけです。
言訳になりますが、こう考えていてせいで紫煙狼さんの「将来的に死刑は廃止すべき論」を理解出来なかったわけです。
漸く疑問が氷解しました。
おまえは堅苦しく考えすぎだと言われそうですね。

2170カレーライス:2009/06/27(土) 05:27:19
さて…ここで皆さんにお詫びします。
>>2169で申し上げた通り私はかなり堅苦しく考えすぎていたようです。

>>2161を読んでいただいたらわかるとは思いますが、「論」にこだわりすぎていました。
KYと言われればその通りなのですが…。

申し訳ありませんでした。

2171紫煙狼:2009/06/27(土) 12:25:06
>>2168
>「ワリに合わない」と思うのは(中略)存在できる。そういうような意味です。
はい、了解してます。と、いうか、それを上手く表現できませんでした。失礼しました。

でね?
>私は死刑を維持しつつ、死刑に該当するような罪が起こらない状態を理想状態
こう考える理由をよろしければお教えいただけますか?

2172紫煙狼:2009/06/27(土) 12:34:31
>>2169
>ちょっときついことを言わせていただくと「絵に描いた餅は食べられない」のではないでしょうか。
うん、だから現状維持は仕方ないとして、将来的に「絵に描いた餅」を食べる方法を考えませんか?って話なんです。
正直ね?「絵に描いた餅」を食べる方法をあまり考えてこなかったのが現状なのではないかと考えていて、ダンボール肉まん
ではないですが、絵に描いた餅も何らかの方法で食すのは可能ではないか?とね(笑)

>実現可能かどうかわからない理由で廃止すべきだと主張されても出来ればいいねとしか
うん、本当に「できればいいね」(^^) 最終的に無理かもしれないけど。
でも、本当にできればいいな、と思うんです。

ところで、いわゆる死刑廃止の潮流に対してですが、それも私の答えでいいと思うんですよ。
つまり、条件さえ揃えば死刑廃止することにやぶさかではないが、現状では条件が揃わない。
条件も揃わないのに死刑を廃止するのは愚かとしかいえない。これ以上、踏み込んでくるとすれば
それは内政干渉であり、日本国としては絶対に受け入れることはできない!
それが元で、他国から人権後進国の称号を与えられるなら、誇りを持って称号を受け入れていいと思いますよ。

2173ufloat:2009/06/27(土) 21:29:06
書いてもダメと分かりつつ、なぜ書いてしまうのだろう。にんげんだもの。

>>2156
色々ツッコミを入れたい点はありますが、確実にミスリードが発生するのは確実ですし、
無精髭さんほど的確な指摘もできそうにありませんので、これはやめておいて。
ひとまず質問にお答えしておきます。
また質問で返されて、不毛な状態にならなければ良いですが・・・。

1.仮釈放なし終身刑が人道的でないのは、それは世界的に見て常識でしょう。
しかし、死刑が人道的でないのも、世界的に見て常識です。
そして、死刑は仮釈放なし終身刑より重いというのが、世界的に見て常識です。
「死刑より仮釈放なし終身刑の方が重い国」や「仮釈放なし終身刑を廃して死刑を導入した国」
など、聞いたこともありません。逆はありますが。
仮釈放なし終身刑をもなくしてしまった国にしても、代わりにより人道的な死刑を復活しよう、
などとはなっていませんね。

2.私は死刑と仮釈放なし終身刑で、一般予防効果はさほど変わらないのではないかと考えています。
このことは過去に書いていますので、重ねて説明はいたしません。

そうそう、もし日本が仮釈放なし終身刑を作って、あるいはそれが存在する外国で、
囚人たちが「閉じ込めるなら殺してくれ」と言ったとしても、額面通り評価してはいけませんぜ。
身近に1人くらいいるでしょう。夏になると「あ゛つ゛い゛ー。死ぬ。冬の方が絶対マシだ」
と言い、冬になると「寒い。地獄だ。凍死する。夏の方が絶対いい」という人間。

それにしても、相手が文字1つ1つにこめた言霊を逃すまいとするKenさんのスタンスを見て、
改めて尊敬の念を抱いた私でありました。見習いましょう、お互いに。

2174紫煙狼:2009/06/27(土) 23:18:42
>>2172
自分で自分にレスを返すのはアレなんですが…(苦笑)

>条件さえ揃えば死刑廃止することに(中略)誇りを持って称号を受け入れていいと思いますよ。
ここをもう少し正確に言い直しますね。

日本国という国は死刑廃止の方向性を最初から排除しているのではなく、死刑廃止とそれに付随する
諸問題の処理に対して、真剣に熟慮を重ねている。囚人の人権と言う問題も決して永久に取り上げる
心づもりがないのではなく、むしろ、いかにすれば留置中に人道的な矯正教育を施し社会復帰を支援
できるかを真剣に討議している国である。従って、現状において諸国と比較して死刑の存在だけを以
ってあたかも人権意識の低い国であると断定されるのは非常に心外である。
しかしながら、諸国の要請に従うことと自国民の要請に従うことのどちらが優先するかと言えば、
それが諸外国に対して直接的な被害をもたらすものでない限り、自国民の要請を優先するのは国家と
して当然のことである。また、囚人と言えど(その殆どは)自国民であるからして、その囚人の要請
もまた、国家として一概に無視することはできない。その結果として囚人の要請と、それ以外の国民
の要請の衝突する部分を、いかにして軟着陸させるかは国家の力量の見せ所でもあるし、それに対す
る囚人を含む国民の理解と協力を得んとする努力に関しては聊かも妥協を許すべきではないごとき繊
細な問題と受け止めている。
この繊細にして重大な問題を、諸国の流れに乗り遅れ「人権後進国」という烙印を押されると言う理
由だけで、安易に答えを出すのは自国民に対する「許されざる裏切り行為」と考えれば、日本国にと
って「人権後進国」の烙印は「自国民への責任意識の高さ」と「内政干渉に屈服しない確固たる意思」
のもたらすものとして、むしろ誇りを持って受け入れること、わずかとも恥じるものではない。

って感じですかね?(笑)

ただ、こうなるとトーフさんの理想論とは真っ向勝負を挑まなければならなくなります(爆笑)

2175トーフ:2009/06/27(土) 23:28:34
紫煙狼さんへ。

先にも書きましたが死刑を廃止してしまいますと、
「何をやっても誰をどんな殺し方しても何百何千と殺しても犯人の命だけは保障する」
ということになってしまうということです。どんなに治安がよくなったとしても、死刑は
ある種の罪について設定されておくべきだということです。
現在18種類の罪について死刑が設定されていますが、これらの罪に死刑を設定しておくのが
妥当かどうかは議論・判断の余地があるでしょうが。

これは別に紫煙狼さんへということでなく、その他の方々にもご批評仰ぎたいのですが、
私がちょっとまえにやったことですが、アムネスティの死刑廃止国リストを見て、その国の
人口推計を足し算していき、世界総人口から引き算すると、人類の70~80%が
「死刑のあるエリア」で暮らしていることになります。死刑は人類の常識ではないでしょうか。
(↑はたぶん2006年頃のデータだと記憶しています)

2176ufloat:2009/06/28(日) 00:07:01
>>2175
トーフさんの書き込みは「なるほど」と考えながら見ていたのですが、
>私がちょっとまえに(中略)死刑は人類の常識ではないでしょうか。
これは少し同意しかねます
(発展途上国がどうとか、中東や中国がどうとか、といった話は詳しい方にお任せしまして)。
正しくは、lovelessさんがおっしゃっているように、昔から死刑が存在する事実なども考えて
「死刑は人類の常識」であることまでは必ずしも否定できないにしても、それを理由にして
「死刑を存続すべし」とするのには同意できません。
私は基本的に、「他の皆さんもなさっている」から死刑を廃止する、という考えには賛同
できないのですが、それと同様に「他の皆さんもなさっている」から存続するのにも
賛同できないのです。無論、「EUその他の多くの国が廃止しているのだから、日本も廃止せよ」
と声高に主張する人への反論として、そのデータを提示するのはありかと思いますが。
無論、世界の人権意識の変化とともに日本の人権意識も変化したり、死刑存置・廃止国を調査して
その知見を生かし、死刑存置または廃止を行う、ということまでは否定いたしません。

/* 実に余談ながら、死刑を廃止すると
「何をやっても誰をどんな殺し方しても何百何千と殺しても犯人の命だけは保障する」
ことになってしまうのが問題とトーフさんはおっしゃっていますが、カレーライスさんは
「閉じ込める方が死刑より残酷だ」と主張しており、この点について私がカレーライスさんと
論戦するよりも、存置派のお2人で論じた方が話がかみ合いそう、などと考える
あまのじゃくな私でありました。*/

2177紫煙狼:2009/06/28(日) 00:20:22
まず、トーフさんと私で認識を共有できそうな部分から確認しますね。

>アムネスティの死刑廃止国リストを(中略)人類の常識ではないでしょうか。
正直な話、トーフさんにとって死刑の現在の国際状況なんて「どーでもいい話」ですよね?
例えば、世界中の殆どの国々、いや、日本を除く全ての国で死刑が廃止されたとしても、
そんなこととは関係なく、日本においては死刑を存置すべきである、という主張ですよね?

死刑廃止の潮流と言うものについては、私自身は殆ど興味がありません。というのも、
私の死刑廃止論は「条件を満たすことができるか」に焦点は絞られており、それが満たされ
ないのであれば、世界中で唯一国であったとしても死刑を存置すべきだし、逆に満たされる
のであれば、世界中で唯一国であったとしても死刑を廃止すべきだという考えですから、
諸外国の制度なんてのは参考資料にはなり得ても、判断基準にはなり得ないと思っています。

それから、過去を正せば世界中の全てのエリアにおいて死刑は存在したと思っています。
(南極とか宇宙ステーションのような特殊なエリアは考えないでいいよね(笑))
そういう意味では「死刑は人類の常識」という認識は過去はもとより現在においても
正しい認識であると理解しています。「常識の否定無くして進歩はない」なんて格言もあり
ますから「常識」なんて曖昧な言葉で総括せずに「過去において死刑は全人類共通の要請であった」
そして「現在において死刑は人類の大多数における要請である」と表現すれば、より正確でしょうか?

そこで一つ教えを請いたいのですが、傷害罪と死体損壊罪に刑罰の差が存在するのはなぜなのでしょうか?
そうですね、具体的には、生きている人の指をナイフで切り落とすと傷害罪で、死んでいる人の指ををナイ
フで切り落とすと死体損壊罪ですが、この罪に対する刑罰の限度に差があるのはなぜなのでしょうか?

2178紫煙狼:2009/06/28(日) 00:26:14
もう少し質問を明確にしますと、

生きている人間相手なら、ナイフ一刺しで15年の懲役がありえるのに、
死んでいる人間相手なら、全身の皮をはいで、おろし金ですりおろしても
3年以下の懲役で済んでしまうのでしょうか???

2179トーフ:2009/06/28(日) 00:35:32
ufloatさんへ。
レスありがとうございます。
ええ,全くおっしゃる通りです。外国と我が国(国ごと、地域ごと)では犯罪感が全然違うのであろう、と
思われますからね。私の死刑維持根拠もそういう風な数とあまり関係ございません。

ただ、比較的よく見かける言い回しに一言釘をさしたかったのです。「世界」というとき、
中東やアジア・アフリカを「なかったこと」にしているように思えまして。

カレーライスさんは死刑賛成派ですが、ちょっと私の考えとは離れておられる。
が、結論が同じなのでちと絡みにくいと言うか。お互いがんばりましょうという気持ち
です。

「死刑より終身刑が残酷」というのはある意味で解る、としても死刑と終身刑は
併存できるので、私は別に終身刑があってもよいという立場です。

ところで人権とは「人が国家以前に持っていた権利」である、と定義されますが、
人は国家がそれを禁ずる以前には個々に報復を行っていたのでありますから、報復権
は人権であり、国家がそれを個々人から奪っているのは人権侵害なのです。無論、
ある種の犯罪者を死刑にするのも人権侵害なのです。懲役にするのも人権侵害なのです。

私も人権意識の上昇に貢献できればこれ幸いです。

2180トーフ:2009/06/28(日) 01:16:18
紫煙狼さんへ。レスありがとうございます。
「世界」に関してはおっしゃる通りでございます。>>2179でufloatさんへ申し上げた
通りです。私に取り、あまり関係ございません。

で、ご質問にうまくお答えできる自信がございませんが、こころみます。
刑法には「保護法益」という概念があります。ご質問の「傷害罪」の保護法益は
「人の身体の安全」であり、「死体損壊罪」の保護法益は「葬祭に関する風俗と死体に
対する公衆の敬虔感情」です。ちなみに「殺人罪」は「人の生命」です。

「身体の安全」
「葬祭に対する風俗維持と、死体に対する公衆の敬虔感情」

を比較して解る通り、傷害罪は個人の身体を守ろう、とするものであり、
死体損壊罪は社会的な風俗を保護しようとするものなのです。他方、憲法において
「個人の尊重」を謳われていますから、個人身体の安全より、社会風俗の維持を重く
するような刑事立法はできにくい。(←されることもあります。立法側がそれが強い
公共の福祉性をもっていることを説得的に言えた場合)

以上が、死体損壊罪よりも傷害罪が「重い」ということの法的説明です。

で、なぜ3年で15年なのか、ということにはちとお答えしかねます。
今は死体損壊罪と傷害罪しか出てきてませんが、おそらくは、その他の刑法各条文の刑の量を比較し、
「このへんがバランスがとれているであろう」というような判断ではなかったかということ
だと推測します。

お答えになっていますでしょうか。

2181トーフ:2009/06/29(月) 06:33:31
えー私からひとつ皆様にご質問致したいです。特に死刑賛成反対ということでなく。
(大きくは関係あるかもですが)

私は以前、「絶対無制限人権は19条の内心の自由しかなく、生命ですら制限の対象である」
と、書きました。これは現行憲法の立場であります。根拠は有名どころの憲法教科書です。

すると、例えば国家が懲役囚に対し、内心の反省を迫るのは憲法違反ではないでしょうか。
せいぜい反省することを「勧奨」するぐらいが限度でしょう。
「反省したか否か」という「内心の精神活動」を根拠にして「したから刑期短縮」
「しないから満期」という扱いは、憲法19条に違反するのでは。

19条の内心の自由は絶対であるとすると、
人を殺した者は反省しても良いがしなくてもよい。
強姦をした者は反省しても良いがしなくてもよい。
以下略
と、こういうふうにならなければおかしいのでは。犯罪者には内心の自由は無いとするならば
憲法19条の内心の自由の保障は絶対ではなく、相対だということになるのではないでしょうか。

お暇ございましたら、皆様のご見解を伺いたい。

2182無精髭:2009/06/29(月) 14:11:41
>>2181
全く暇ではありませんが、興味深いご質問なので答えさせて戴きます。

トーフさんが根拠として挙げる憲法解釈が正しいとするなら、
須らく受刑者に自発的な反省を強要することは憲法違反に当たるでしょう。

しかし、国家が犯罪者の身体を社会から隔離すること自体は、内心の自由を
何ら制限するものではありませんよね。そこで、たとえば紫煙狼さんのように
監獄を隔離施設であると共に教育施設とも捉えるならば、受刑者に教育を施す
こと自体は、トーフさんが仰るように受刑者の内面に働きかける方法(勧奨)
とは言えても、やはり内心の自由を制限する方法とまでは言えないでしょうから、
そこに収容され規律に従う者の人権は、監獄を隔離施設としてのみ捉えた
場合と全く変わらない扱いを受けることになる、という解釈で構わないかと
思います。

無論、教育といっても強制的に受けさせる呈のものなので、これまでの懲役刑や
禁固刑などと同じく、矯正教育や社会復帰訓練なども刑罰の一貫となるでしょうが、
受刑者の内心の自由を否定したり外部からコントロールしたりするような教育方法
(洗脳や脳外科手術・内心の自由を損ねるような過激または過剰な投薬)でなければ、
憲法違反とは言えないのではないか、と思いますね。受刑者との合意を取り付けた
上で行うのなら別として(いや、ここんとこはどうなんでしょう?)。要は、受刑者は
自由な意思によって矯正教育や社会復帰訓練などの更正プログラムの受講(笑)や
参加を拒絶することは出来ませんが、同じく自由な意思によって自ら更正するか
どうかを決断することは出来る、ということではないでしょうか。

早い話が、更正プログラムも刑罰の一貫なんだから、受刑者には拒否ることは
出来ない、ということではないでしょうかねぇ。これは数多の教育機関にも当て
はまることで、教育される者にとってはカリキュラムを受けることは強制だけど、
その内容を覚える・覚えないのは自由だってことになるのではないかなあ。
もちろん刑罰ですから、授業に望む態度に従順さを求められるのは当然ですけどね。

ということで、

>「反省したか否か」という「内心の精神活動」を根拠にして「したから刑期短縮」
>「しないから満期」という扱いは、憲法19条に違反するのでは。

このように受刑者の内心を判断するだけなら、憲法には違反しないと思います。
問題は、そういった判定で刑期を変えるとかどうとか以前にあって、その判定材料に
なる当のもの(受刑者の内心)が、判定する側によって内心の自由を奪ってまで一方的に
作られたかどうかということにあるでしょう。繰り返しますが、内心の自由を何らかの
方法で奪っておいて外部から更正させる、というのは現行憲法のままでは明らかな違反
ですから。まあそれでも解釈の余地はあるでしょうから、絶対とは言い切れませんね。

さて、私個人としては

>19条の内心の自由は絶対であるとすると、
>人を殺した者は反省しても良いがしなくてもよい。
>強姦をした者は反省しても良いがしなくてもよい。
>以下略

は正しい見解だと思います。

ああ、そうそう。ちなみに少しググって見たのですが、戦前の憲法は「内心の自由」を
認めていなかったらしいですね。歴史を振り返ってみたら、成程と得心が行きました。

2183無精髭:2009/06/29(月) 14:28:28
ちなみに、内心の自由については別の解釈もあります。
こっちの方が私の懐疑癖にぴったりの解釈なんですけど。
笑わないでくださいね。本気で言ってますから。

「内心の自由っていうけど、人ってどれだけ自分の心に対して
自由を認めているのかな〜。大体、人の心って自由なものなのかな〜。
自分にだって自分の心も良く分からないし。」

例えば、私が誰かから「反省しろ。でないと殴るぞ」と迫られても、
私は反省した振りをしてその場を切り抜けることが出来そうです。
ですが、もし別の誰かから「反省してください。でないと泣いちゃう」
と言われたら、なんか悪いことしたなあ、とつい思ってしまいそう(笑)。
後者の場合、はたして私の内心の自由は保たれているのでしょうか?

・・・以上を読めばお分かりになるかと思いますが、>>2182みたいな
考え方など、はっきりいって私にはどうでもよろしいので、むしろ
こちらの考え方を発展させていきたいですね(笑)。

2184Ken:2009/06/29(月) 14:34:32
>>2181
なんか、すげー屁理屈なような気もしなくはないのですがw

基本的には髭さんと一緒ですけど、外科的手術とか物理的な方法で拷問・洗脳(眠らせないとか大音量の音楽をかけるとか)することによって反省を無理強いすれば憲法違反のおそれが出てくるんじゃないでしょうかね。

反省するのもしないのも自由ですけど、反省しない人はもっと刑務所に入っててもらいますよ、というだけだと思いますけど。

2185Ken:2009/06/29(月) 14:44:36
>>もし別の誰かから「反省してください。でないと泣いちゃう」と言われたら、なんか悪いことしたなあ、とつい思ってしまいそう(笑)。後者の場合、はたして私の内心の自由は保たれているのでしょうか?

むはは。それは恋愛のテクニックでんがなw
恋愛においては内心の自由はないでしょうなあw

2186紫煙狼:2009/06/29(月) 22:32:59
トーフさん、ご回答ありがとうございます。非常に一般的で説得力のある模範解答だと思います。

さて、法には保護法益があると言うのは当然の話ですね。で、傷害罪の保護法益は云々だよ、と
言いますが、当然、法によって守られるべきものは色々あって、例えば
>「傷害罪」の保護法益は「人の身体の安全」であり
というのも、実際は他にも色々な法益がある中でも、最も重視すべきものは「人の身体の安全」で
あるよ、というのが解釈として妥当ですよね?人体の安全を守るという事に社会通念的側面がない
とは決していえませんから。

ところが、生きている人に対しての保護法益は「人の身体の安全」つまり対人法益であるのに対し、
死体に対する法益は対故人法益ではなく対社会通念法益であることに私は着目します。つまり、法は
「生きている人を優先的に保護する」という観点が先にあり、死体は法的には生き物ではない物体だが、
それに対する通念的感情を勘案すると路傍の石と同列には扱えない、と私は解釈しています。
もう少し、奇抜な言い方をすれば、死体に対する埋葬とか葬儀とかいう概念が全くない世の中なら、
死体損壊罪は成立し得ないと考えています。(これが法学界の常識だ!なんて言いませんから安心して)

つまり、私の考えでは「一つの事件で失われる人命は少ないほうが良い」という前提の下に、被害拡大を
防ぐために現行犯人を殺害するのは許されても、被害拡大の心配がない状態で、より多くの血を流すような
方法論が正当化されるとすれば、それは「感情に根ざす理由」以外にありえないと考えているわけです。
簡単に言えば「許せねぇ!殺しっちまえ!」ってワケですね。報復を基盤とし…といいますが、この報復
自体が感情の賜物であることは言うを待たないでしょう。そして、報復の限度を何処にするべきかと考える
場合は、逆に感情を廃して勘案しなければ「情に流され」ると考えています。

トーフさんは「何をやっても何百人何千人をどんな殺し方で殺しても犯人の命を保障する」ルールが公共の
福祉に反すると言うご意見ですが、逆に「一つの事件の決着として新たな血を求める」というのもまた、
公共の福祉に利するとは言えないと言うのが私の考えです。法や法運用が条文やら判例やらで制限されるのも
また、情に流されすぎることによる差異を限定するためであると私は考えますので「公共の福祉=情」なので
あれば、情に流されることは公共の福祉に利するものですよね?しかし、公共の福祉は情を含まないわけでは
ありませんが、情がすべてでもありません。生きている人間を最優先として法が運用されるのであれば、
被害の拡大を防ぐ緊急措置以外の目的を持って人の生命を奪うことの違法性を阻却してはならないと考えるのです。
つまり「応報」の許される範囲にも限度があると言う考え方ですね。私何度も言っていますが「応報」のために
加害者の命を奪うことが許されるというのは、多数決で生かすか殺すかを決めてよいと言うことです。
つまり国民の大多数が「ユダヤ人であるという事を罪と認識し」「その罪は死に値する」と同意すれば、
「ユダヤ人であるだけで殺されても仕方ない」世の中が出来上がるわけです。
(もちろん、日本人がそこまでバカだとは思ってませんよ?憲法でも信教の自由が保障されてますし。)

これがね?人間と言うものは人為的に何らかの措置を取らなければ半永久的に行き続ける生き物であり、
矯正教育の結果に全く以って期待できないと言うのであれば、死刑には賛成せざるを得ません。
どこかキリの良いところでこの世からご退場願うのは当然でしょう。しかし、100年あれば人は死にます。
それを、我々の手で早める必要は感じません。むしろ更正を信じるほうが公共の福祉ではないでしょうか?

2187紫煙狼:2009/06/29(月) 23:01:57
で、面白いことを言っていますな(笑)

内心の自由を侵すから矯正教育を通して内心の反省を求めるのは違憲である…ですか。
そういう切り口は初めてなので、今まで考えてみたこともありませんでした(笑)

さて、私の考える更正というのは必ずしも前述した元殺人犯の彼のように、禁欲的に
自分を痛めつけるような生き方の中で反省を具現しなければならないもの…とは思って
いません。一言で言えば、犯罪を思いついても良いが実行に移さない自制心と社会性を
身につけてくれれば充分だと考えています。(そうやって生きていけば、自然と罪の深さに
気づくはずだと信じているからでもあるのですがね?)

もともと内心の自由と言うのは、内心の確認方法がないことと、考えているだけなら、
他者に迷惑や危害を加えることはないと言うのが前提となっているはずです。ですから
内心を取り締まらなくても「公共の福祉に反するとはいえない」わけであって、憲19にも
「公共の福祉に反しないかぎり」という文面がないのであると考えます。

逆にね?エスパー物の様に「死ねーーーー!」って思っただけで相手が「ちみゃー!」と
死んでしまうような(それが当たり前の)世界なら、内心だって公共の福祉に反しない限り
と付け加えなければ危なくて仕方がないでしょう?現在の科学では「呪いのわら人形」なんて
「不可能犯」だから「殺人未遂」に問われないのであって、これがところ変われば、つまり、
「呪いという物が本当に存在する」と信じられている国では呪いを掛けている事実が判明すれば
それを罪として裁くことができるわけですよ。

それと…内心の自由が教育によって侵されるとするならば、道徳教育なんてのは違憲も良いとこ
ですよね?天動説を信じている人に対して地動説を科学的に説明するのも違憲ですよね?なんて
言い出したら「教育すべからく内心の自由を侵すもの」となりませんか?(笑)
いや、何なら、私とトーフさんが議論しているうちに、私がトーフさんの考え方に傾倒したら、
トーフさんは私の内心の自由を侵したことになりますか?逆に、万が一、トーフさんも死刑は
廃止したほうが良いなんて思うようになったら、私はトーフさんの人権を侵したことになりますか?

そういう面で教育と言うものは、その人の持つ悪い面を、その人の持つ良い面で覆うためにある
と考える私は、矯正教育もまた同じあり方であるべきだと思うし、結果的にそれが一定方向の様相を
呈するものであっても、憲法で言う内心の自由の精神に反するものではないと考えます。また、反省
しないから(監獄から)出すとか出さないとか言うのが人権問題であるとするなら、その問題が起き
ないように「ちーっとも反省もしていないし更正もしていないし、シャバに出たらまたやろー」って
思っているような短期囚を「刑期が来た」という理由だけで出すほうが、ずーーーーーーっと、
大きな人権問題だと思いますね。(ここで犯されるのは囚人ではなく衆人の人権ね)

それから…「死にたい」という願望を持って自殺を図った人に医療行為を施すのは自殺を図った人に
対する内心の自由に反する行為かもしれませんが、それを禁じることは、そんな人でも助けたいと
願う医療人への内心の自由に対する侵害かもしれませんね。「内心の自由」と言う権利が何らかの形で
他人の「内心の自由」と衝突する場合は、結局、それが「公共の福祉」に反するものか否かで決着を
つけざるを得ないのではないでしょうか?(今は死にたくても、明後日には死にたくなくなっている
かもしれないでしょう?見捨てて死なせるのが本人のため、ってのは社会通念としていかが?)

2188紫煙狼:2009/06/29(月) 23:31:35
ちなみに…最新の憲法学では憲法をどのように定義するのか私は知りませんが、私の知っている一昔前の
憲法学では憲法を「国民から国家への要求」であると定義しますから、本質は国家に対して国民が守らせ
るべき要求の集合体が憲法であるとし、憲法の中に国民の義務が記載されているのは「何らかの間違い」
と解釈していたものですが、今はどうなんでしょう?上手い説明がついたんでしょうかね?

で、何故こんなことを言い出したかというと「犯罪者は須らく正常ではない」という持論から来るのです。
これは責任能力とか、そういうのとは全く関係のない話で、例えば、遊ぶ金に困ったら、生活に困ったら、
働いて金を稼ぐのが正常だよ、と。ここで犯罪を思いつくのも、まぁ普通かもね、と。でもその犯罪を実行
してしまうのは何らかの異常ですよ?と思うのね。この異常と言うのは「教育の不足」によるものかもしれ
ないし、将来的には成長過程における脳神経回路の異常と言う病気として扱われるかもしれない。

でさ、例えば、私が今日、胃カメラを飲んだら、癌病変が発見されました。と、するわね。しかも、それが
手の施しようのない末期で、治癒を目的とするのではなく延命を目的とした治療しか残されていない。かつ
その延命治療のために私のQOLが著しく損なわれ、生きている意味が見出せなくなることが明らかだよと。
私としては、そういう診断を受けたら例え短くてもQOLを守りたいから終末医療を選択しますよ。これが、
とにかく長時間心臓を動かしていたいと思ったら延命治療を選択しますよ。これって、どちらを選んでも、
自分と家族以外には影響のない選択ですからね。でも、じゃぁ、私が死には至らないものの悪性の伝染病で
治療のために隔離されます…ってのを拒否する自由があるものやら。。。まぁ普通に考えたらないわな。
ってことは、治療自体は拒否できても、隔離は拒否できないわねぇ。

つまりですね、犯罪を犯すという病気があって、それが他人に危害を加える可能性がある限り、
隔離されるのは仕方のない話で、治療を受けるか否かは本人の判断でもいいでしょう?
犯罪を犯すという病気が治癒するまでは隔離状態を保つのが公共の福祉でしょうねぇ。。。
もしくは、犯罪を犯すという無知があって、それが他人に危害を加える可能性がある限り、
隔離されるのは仕方のない話で、教育を受けるか否かは本人の判断でもいいでしょう?
犯罪を犯さないという英知を学ぶまでは隔離状態を保つのが公共の福祉でしょうねぇ。。。

そういう面からも強制教育には反対ですよ。あくまで矯正教育。そしてそれを受けるか否かは
本人の内心の自由としても、治療効果・教育効果が見られないうちは隔離せにゃならんわ。

2189トーフ:2009/06/30(火) 03:17:34
やーどうも紫煙狼さんレスありがとうございます。まず>>2189にレスさせて頂きます。

>>つまり、私の考えでは「一つの事件で失われる人命は少ないほうが良い」という前提の下
    に、被害拡大を防ぐために現行犯人を殺害するのは許されても、被害拡大の心配がない
    状態で、より多くの血を流すような方法論が正当化されるとすれば、それは「感情に根ざ
    す理由」以外にありえないと考えているわけです。簡単に言えば「許せねぇ!殺しっちまえ
    !」ってワケですね。報復を基盤とし…といいますが、この報復自体が感情の賜物である
    ことは言うを待たないでしょう。そして、報復の限度を何処にするべきかと考える場合は、
   逆に感情を廃して勘案しなければ「情に流され」ると考えています。

「刑法の本質は応報である」という前に、「罪刑法定主義≒法治主義」というのがあり、報復
の限度はあらかじめ記述されなければならないことになっています。判決が完全に感情によ
り出されてもその限度はあらかじめ記述された範囲を超えることは出来ない。私が「刑法の
本質は応報」と申しますのは、立法段階においては「一般的抽象的な報復感情」を立法者
が考えて刑罰法規を作るのです。で、そうやって出来た刑罰法規に違反する人間が現れ
たとき、その一般的抽象的な報復感情を「この犯人」に適用する、のが刑事裁判なのです。
だから、被害者とその同時代人の法適用時=裁判時点の具体的報復感情と立法時の
一般的抽象的報復感情はずれていることが少なからずあるだろう、と見積もれます。被
害者の具体的報復感情と立法時の一般抽象報復感情は葛藤するのです。その葛藤が同時代人に
堪え難いものになれば(例えば軽すぎる・重すぎる)、「法の改定=新たな立法」となり、その新たな立法
が「一般的抽象的な報復感情」を記述したものとなり、具体的事件に適用される、という循環です。
「裁判時点の報復感情は立法時点の報復感情で制限される」ということです。
以上のことをお解り頂いた上で、死刑は感情に根ざすのです。懲役も感情に根ざすのです。

「多数決によって殺すか生かすか決める社会」とおっしゃるが、民主体制で死刑を維持する
以上はそういうことです。おっしゃられた「ユダヤ人」の例は憲法上14条でありえそうもないですが。

民主体制で懲役刑を維持する以上は
「多数決によって自由を取り上げるか否か決める社会(懲役等)」なのです。

それと、「生きている人間」と「生きている人間を殺して生きている人間」は「社会通念」から
して同じではない.
同じならば死刑云々の前に殺人罪自体が制定されないと思います。

2190トーフ:2009/06/30(火) 03:55:16
kenさん 無精髭さん、レスどうもありがとうございます。

なんであんな質問を書き込んだかと申しますと、
私も常識的にはお二方と同じように思えますが、私が参照した憲法教科書3冊全てに「絶対だ」
と書いてあることの意味が犯罪者との関係でよくわからなかったのです。

人の内心は外部から判定できない以上は、「矯正・更生したかしないか」の判定は、
ある場面である態度をとった(泣いたとか)・ある文章を記述したとか日常の起居とか
の「外部的行為」から判定せざるを得ず、「面従腹背」の問題を回避できそうも無い以上、
「矯正・更生プログラム」に過度の期待をすべきでないなーなどとつらつら考えていたもの
ですから。

監獄において「宗教者による悔悟」が強制されてはならない、というのは比較的わかるのですが
ね。

やっぱり、「反省しようがしようまいが、罰=報復は受けてもらうぞ」というのが刑罰の本質
ではないでしょうかね。

2191トーフ:2009/06/30(火) 05:46:18
>>2188に対してレスさせて頂きます。

というかその前の>>2189は紫煙狼さんの>>2186に対するレスです。間違えました
すいません。

憲法が「国民の国家に対する要求」というのはおおよそ正しいと思います。
「おおよそ」といったのは、「要求」という単語にちょっとした違和感を感じたからです。
我々は、自民党なり、民主党なりを支持して国会で多数をしめ、「立法」という行為により
自己の政治的要求を達成します。これが「法治主義」です。
憲法はこのような法治主義に対して限界を設けるものなのです。
「国家を統治するのは法に基づく」←法治主義
「しかし、作ってはならない法がある」←立憲主義

つまり、「国民が国家に対し、立法の限界を示したもの」なのです。
憲法を超えてはいかなる多数政党も立法出来ないタイプ(及び限度)の法がある。

で、現行憲法には納税・勤労・教育・12条の一般倫理義務が「国民の義務」として書かれて
いますが、私が調べてみたところ、紫煙狼さんがおっしゃっておられるごとく
「何かの間違い」で正しいんじゃないでしょうか。
例えば伊藤正己 憲法第3版 弘文堂によると、
「近代憲法の本質にそぐわない」「しかし、諸国の憲法でも伝統的に一定の義務規定が
おかれることがある」「それ自体としては法的意味をほとんど持たない」
などと書かれています。まあ「形式的な伝統美」みたいなもんですかね。

「犯罪者はおよそ異常」というのはまあわかります。「ゴルゴみたいに殺せる奴は稀だ」
という意味で。
でもしかし、「他人を害する可能性がある限り、隔離するのはやむを得ない」というのは
・・・・・?ま、たとえ話だとしても、
この世に「他人を害する可能性の無い人間」というのは存在できるのでしょうか。
かつての殺人犯も私もあなたも人殺しをする「可能性」はある。
「可能性」によって永久隔離されてしまってはたまらない。

ところで全然関係ないですけど「須く」というのは当為命令義務を表すのでは。
「須く」に「およそ・すべて」といった意味がありましたっけ?

2192Ken:2009/06/30(火) 15:30:27
>>2175アムネスティの死刑廃止国リストを見て、その国の人口推計を足し算していき、世界総人口から引き算すると、人類の70~80%が「死刑のあるエリア」で暮らしていることになります。死刑は人類の常識ではないでしょうか。(↑はたぶん2006年頃のデータだと記憶しています)

その計算はすごくずるいですw
人口トップ10のうち死刑存置国でないのはブラジルとロシアだけです。ひょっとすると人口の多寡と死刑の存廃に相関関係があるのかもしれないですね。

>>2179ただ、比較的よく見かける言い回しに一言釘をさしたかったのです。「世界」というとき、中東やアジア・アフリカを「なかったこと」にしているように思えまして。

アフリカ53カ国のうち13カ国が死刑廃止している。また20カ国が死刑執行していない。合計すると53カ国のうち死刑を行っていない国は33カ国である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91#.E3.82.A2.E3.83.95.E3.83.AA.E3.82.AB

アフリカは死刑存置国のほうが少数派ですね。アジアにもカンボジア、ネパール、パラオ、東チモール、ラオス、パプアニューギニア、スリランカといった死刑存置国ではない国があります。中東というかイスラム国はおおむね死刑存置国ですね。死刑存置国を勝手に分類しちゃいますけど

・イスラム国
イラン、イラク、サウジアラビア、インドネシア、マレーシア、バングラデシュ、パキスタン、アフガニスタンなど。イスラム国では刑罰はおおむね重く、レイプ被害者の女性が逆に鞭打ちにあったりします。文字通りの応報刑キサースとかあります。あまり日本の参考にはならないです。

・共産主義国
中国、北朝鮮、キューバ、ベトナム。個人の自由が著しく制限させる政治体制なのでさもありなん、という感じ。やっぱり日本の参考にはならないです。

・コモン・ローの国
アメリカのみ。日本と同じ島国で治安のいい国にニュージーランドという国があるんですけど、死刑は廃止されてます。

・大陸法の国
日本のみ(かな?)。フランス、ドイツといった国が日本にとって一番参考になるのでは。死刑を廃止したところで普通にしてますよね。

・それ以外
アフリカの一部の国、中南米の一部の国、アジアだと台湾、フィリピン、韓国、シンガポール、インド。

2193Ken:2009/06/30(火) 15:33:59
>>すべからく

「すべからく」の正しい用法は「政治家はすべからく襟を正すべし」みたいに、最後に「べき」とか「べし」がつくことになっている。そんでこれは「政治家は全員襟を正すべきだ」という意味ではない。すべからくは「全て」という意味ではない。「すべからく○○すべし」という一種の定型句だ。つまり、「政治家はすべからくバカだ」という用法は誤りで、この場合は「政治家は総じてバカだ」とか「政治家は概してバカだ」とか「政治家はおしなべてバカだ」と書くべきところ。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%B9%A4%D9%A4%AB%A4%E9%A4%AF

やべー、俺も誤用してたw

2194無精髭:2009/06/30(火) 20:49:13
「姑息」とか「役不足」なんかと同じですよね(笑)。
多くの人が意味を誤解して使っていますよっていう話。

でも、「すべからく」というのはちょっと特別らしくて、
Kenさんもこれをお読みになったかと思いますけど、
http://www.kotono8.com/wiki/%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%8F
「全て」を「すべからく」と言い換えることを高級表現だと
思い込んでしまうのは、周りが誤用しているから自分も誤用して
しまっているというよりは、周りが使わない言葉をわざわざ使う
ことで自分自身に箔を付けるみたいな心理が働いているからでは
ないか、とのこと。

ちなみに命令形にも対応しますので、最後が「せよ」とかでも
好いみたいですね。

2195無精髭:2009/06/30(火) 21:18:53
>>2191
>でもしかし、「他人を害する可能性がある限り、隔離するのはやむを得ない」というのは
>・・・・・?ま、たとえ話だとしても、
>この世に「他人を害する可能性の無い人間」というのは存在できるのでしょうか。
>かつての殺人犯も私もあなたも人殺しをする「可能性」はある。
>「可能性」によって永久隔離されてしまってはたまらない。

…トーフさん。誰かさんみたいな曲解(?)は勘弁して戴きたいっス。
紫煙狼さんはそんなスケールの大きな話なんかされてないですよ?
下記を再度お読みになればお分かりになるかと思います。

>>2188
>で、何故こんなことを言い出したかというと「犯罪者は須らく正常ではない」という持論から来るのです。
>これは責任能力とか、そういうのとは全く関係のない話で、例えば、遊ぶ金に困ったら、生活に困ったら、
>働いて金を稼ぐのが正常だよ、と。ここで犯罪を思いつくのも、まぁ普通かもね、と。でもその犯罪を実行
>してしまうのは何らかの異常ですよ?と思うのね。この異常と言うのは「教育の不足」によるものかもしれ
>ないし、将来的には成長過程における脳神経回路の異常と言う病気として扱われるかもしれない。

上記を読んでもまだ分からないと仰る場合は、トーフさん自身が引用
された部分をよぉーく確認されればさすがにお分かりになるでしょう。

>つまりですね、犯罪を犯すという病気があって、それが他人に危害を加える可能性がある限り、
>隔離されるのは仕方のない話で、(後略)

一言で申しますと、犯罪を犯してしまった者(病人)は隔離されるべきで、
隔離された者の中に治療を拒む者があれば、そいつを永久隔離すべきである
というのが紫煙狼さんの主張でしょう? これがなあんで「私もあなたも
人殺しをする可能性がある」という論旨に繋がっていくんです? 
可能性も何も、現に犯罪を犯してしまった者についてしか紫煙狼さんは言及
されていませんから、「可能性によって永久隔離する」とかどうとかいう
話なんかされていないことになりはしませんかね。「(他人を害する)可能性が
実現してしまった人間については、とりあえず隔離しなければならないのでは
ないでしょうか?」というのが、紫煙狼さんの論旨の出発点じゃないですかね。

2196無精髭:2009/06/30(火) 21:29:07
これはトーフさんだけでなく、カレーさんにも言えることですが、
本当に本当に相手のレスをよく読んで戴きたいです。相手の言葉を
誤読しないよう心がけること、これは議論の鉄則でしょう?

これで曲解なんかされた日にゃあ議論をする気が失せますので。

2197トーフ:2009/06/30(火) 23:14:42
無精髭さんへ。レスありがとうございます。

一応紫煙狼さんの病人の話をたとえ話として受け取った上でレスさせて頂いております
ので、無論、こっちの読み方が間違っていればいつでも修正致します。
>>2195で引用なさった部分で紫煙狼さんは

責任能力とは関係なく、とおっしゃっておられますが、
「犯罪を犯したものに対してのみ隔離する」のなら、「責任能力」は無関係ではありません
よ?
犯罪が成立した=責任能力があったということですから、私は紫煙狼さんのレスを
保護処分のことをおっしゃっておられるのかも、と一応思いましてレスさせていただいたの
です。
少年法3条で「虞犯少年」という概念がありますが、これは「触法する恐れのある少年」
という意味で、「触法の可能性」によって家庭裁判所の審判に付されることになっています。

こういう保護処分のことをイメージしてレスさせて頂いたのです。こういうことを少年のみで
なく、成人一般にまで広めよう、というご主張なのかな?と。

いずれにせよ、ご本人からのつっこみがあるでしょう。

2198無精髭:2009/06/30(火) 23:43:52
下記のように並べてみますと、ずいぶんと趣が違って見えますよね。。。

紫煙狼さん>>2195これは責任能力とか、そういうのとは全く関係のない話で
トーフさん>>2195で引用なさった部分で紫煙狼さんは責任能力とは関係なく、とおっしゃっておられますが、

でもトーフさんがどういう疑問を以て>>2191をお書きになったのかは分かりました。
まあたぶん、トーフさんが仰るようなことは紫煙狼さんの念頭にはないんじゃない
でしょうかね。トーフさんの杞憂だと思いますけど。

私が申しているのは、なんていうか、もっと簡単な話でしてね(笑)。

オタマジャクシとカエルがいるとするでしょう?

で、カエルになる可能性を持つのはオタマジャクシだけですよね。なぜといって、
カエルには、もうカエルになる可能性はないから。つまり、カエルという状態は、
オタマジャクシがカエルになったということ―――カエルという状態が実現した、
まさにそのことに他ならないわけです。

上記、オタマジャクシを現時点で犯罪を起していない人間、カエルを犯罪を犯した
者とするならば、紫煙狼さんの考えもお分かりになるのではないでしょうか。

「でもオタマジャクシはいずれカエルになるでしょう?」という突っ込みは
しないでくださいね(笑)。

2199無精髭:2009/06/30(火) 23:51:11
ちなみに、紫煙狼さんは病人のお話を例え話としてではなく、
大真面目に論じていらっしゃるかと私には思われます。

これ以上の解説は私には分不相応の行為となりますので
控えさせて戴きます。

2200無精髭:2009/07/01(水) 00:09:02
>>2189
私から見ると、トーフさんと紫煙狼さんの見解って重なっているんだけど
交差していない、という観があるのですがね。

紫煙狼さん>>つまり「応報」の許される範囲にも限度があると言う考え方ですね。
トーフさん>>判決が完全に感情により出されてもその限度はあらかじめ記述された範囲を超えることは出来ない。

ここまでは同じなんですが、

>>「応報」のために加害者の命を奪うことが許されるというのは、多数決で生かすか殺すかを決めてよいと言うことです。
>>立法段階においては「一般的抽象的な報復感情」を立法者が考えて刑罰法規を作るのです。

この違いは目茶目茶大きいです。とっても大事なところですよ。
違いを簡単に言い表すと、紫煙狼さんは報復感情がどんなに集まっても・
どんな代表者に担われたとしても、抽象的・一般的なものにはなりえないと
仰っているのに対し、トーフさんはそもそも立法者には職務上(権利上)
一般的抽象的報復感情しか持ち得ず、具体的報復感情の由来は先の感情と
対決するために刑罰法規とは全く別のところにある(とも言えないか)、
と仰っている風に、私なんかからは見て取れます。

おそらく>>2186では紫煙狼さんの念頭には一般的抽象的報復感情という概念は
なかったのではないかと思います。私見では、紫煙狼さんはトーフさんの区別を
無視して、立法者による一般的抽象的報復感情(長いなぁ)を具体的報復感情の
総体として捉えていらっしゃるように思えます。ですから報復感情と言っても、
個々においてはさまざまな違いがある以上、その総体との偏差はかなり大きいはず
なんですが、やはり個々人(大多数)の報復感情を一部の人間が代弁したものに
過ぎませんから本質的には何ら変わりはない。こんなもの法の下で正当化できる
かいっ!というお立場ではないかと。別スレでこれに近いことを仰っていたと
記憶しております。


>以上のことをお解り頂いた上で、死刑は感情に根ざすのです。懲役も感情に根ざすのです。

刑罰に根ざすとされているのは、一般的抽象的報復感情のことですか?
それとも具体的報復感情のことですか? 気になってものでして。

2201紫煙狼:2009/07/01(水) 00:53:26
くけけけけ(笑)

人が仕事に四苦八苦している間に随分とあったみたいね(笑)
まずは訂正から行きましょうか。うん。「すべからく」は英訳すると「needo to」だよね。
ただし、私としては「日本人特有の「和」という概念は日本語にも生きていて、省略しても
意味の通じるものは省略するすることを妨げられない」という言い訳の下、「犯罪者はすべ
からく正常ではない(と解釈すべし)」の一部を省略したまでよ、と強がって見せましょう(笑)

「正常ではない」の逆には「正常である」と言う言葉がありますわ。で、この話に限定すれば、
この正常値には血中脂肪の許容値と同じかそれ以上に幅があるはずですね。つまり、私が言う
正常と言うのは「安易に犯罪という手段を用いて問題解決を図る」という志向を「あえて、
犯罪ではない方法で解決しようとする問題解決能力の有無」でカバーできるか否かであって、
逆に、例えどのような事情があったとしても犯罪を思いつくことすら許されない状態とは思って
いないよ?それを実行に移さない良識さえ身につけてくだされば充分でござんせんか?(笑)

次に、立法時に報復の幅を限定する、と言っても、その立法時の報復感情に誤りがある、
もしくは、その立法時の報復感情が足りないと判断された場合、法律は新規追加されたり、
削除されたりするものじゃないですかね?たとえば、尊属殺人罪と言うのは、後に
「法の下の平等に反する」と言う理由で違憲判断があって、その立法時の報復感情が憲法により
否定されて削除されたものでしょう?もし、この報復感情が正しいものであったとするなら、
むしろ憲法が改正されていたのではないでしょうか?(憲法改正というのは大事意だから、
易きに流れた…と解釈しますか?それはそれで法運用の趣旨として大事だなぁ。)

でね?懲役も感情に根ざすものであり、死刑もまた感情に根ざすものである、立法段階において正と
しても、犯罪者を(その虞れがなくなったと判断されるまで)隔離することは同一犯による新たな
被害者を出さないために必要であると感情論以外での理由付けが可能ですなぁ。しかしですよ?
更正するなら出すがよし、しないなら出さぬも当然、という尺度で測ったときに、更正の可能性と
ともにその生命までも奪うという刑罰に感情以外の理由付けが可能ですかしら???
そして、トーフさんは「多数決で命を奪う…民主主義とはそういうものよ」と民主主義なんて大層な
物を持ち出して説明つけたもんだから、私に言わせりゃ「死刑」も「民主主義」も随分安く見られた
ものだなぁ…と人事ながら憤慨しますな。

そういう言い方をするなら、私は「懲役」自体にもかなーり疑問を持っておるわけですよ。
憲法では「犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」と規定されて
いますから、憲法が意見であるか否かと言う議論をトーフさんとするつもりはないよ?だって、
私が「懲役っ言っても結局は強制労働じゃねーの?」って言っても、トーフさんは「憲法を読め」と
言って来て相手にしてくれないのが分かりきっているからね。でも、厳密に私の考えを挙げるなら、
懲役と言う名の合憲強制労働も「基本的に」正しいとは言い切れないと思うなぁ、ってのが感想ですね。
ただし、穏やかに社会生活を送りながら働いている人達の税金で囚人を養うってのも、合理的におかしい
話ですよね?犯罪を犯して監獄内で働かずに生涯を安全にすごせる、なんて報復以前にロジックとして可笑しい。
ならば、自給自足のための労働を犯罪者に許す…って形の一種の請願作業的なものとして監獄内労働は
存在するほうが合理的だし、シャバでも働かずに飢え死にする人が居るんだから、監獄内でも働かない
ことが飢えに直結してもかまわないと思いますよ?ただし、生活保護のように働けない理由がある者に
関しては、保護するべきだと思いますがね。(単なる怠け者にも生活保護が出ているなら、監獄内でのんびりも
許すしかなかろうと思いますね。)

2202トーフ:2009/07/01(水) 01:01:58
無精髭さんへ。>>2200にレスさせて頂きます。

私の言う「一般報復感情(長いので略してみましたw)」と
紫煙狼さんがいっておられたという「具体報復感情の総体」はほとんど同じ意味だと思われます
よ。少なくとも、一般報復感情と具体報復感情が全く別の所からくる、というのは全然違います。

たぶん「立法」の意味について誤解があるのではないかと思います。
刑罰法規であれ、民法であれ、「立法」するときには「一般性・抽象性」を考えなければ
立法になりません。「トーフは何々をしてはならない」では憲法違反の立法でしょう。
「人は」とか「日本人は」とかでないと立法できない。
同じく、「傷害罪は懲役15年だ」「いや16年だ」「いや5年でよい」という個別具体的報復
感情を勘案して立法者が「15年」がよいだろう、という判断をして、
日本刑法=日本人の一般的抽象的報復感情として記述される、のです。

具体的個別的報復感情→代表者による一般的抽象的報復感情の認定→立法(刑罰法規)
と、こうなります。

「根ざす」のは個別具体報復感情ですが、「法治主義」を前提にする限り、立法時点と
裁判時点は必ず時間がずれます。裁判時点の裁判官がいかにその事件が起こった当時の
個別的具体的報復感情を共有してしまっても、立法時点の一般的抽象的報復感情を超えて
判決を出すことは許されない。と、こういうことを>>2189で申し上げたつもりです。

「法治主義」が前提にして頂けないと、この説明は無駄になると思いますが。

2203紫煙狼:2009/07/01(水) 01:21:30
さて「責任能力の有無を問わず」に引っかかられたご様子。

コレの意味することは一言ですよ?責任能力が無いとされる事由って何よって話ね。
明らかな精神異常により判断力等がなかった、とされれば責任能力は認められませんね。
逆説的に、責任能力を認めると言うことは、被告人が正常であると言う診断ですよ、と。
そこに対して、私は「責任能力を問うことのできる異常」もあるのでは?と言っている
わけです。(それが所謂「罪に問われて刑に服している人たち」なんですがね?)

つまり善悪の判断がつき、その行為が悪であると理解しつつ、犯罪と言う手段をとってしまう
弱さ、もしくは犯罪以外の方法が見えなくなってしまう視野狭窄を私は「異常」と表現している
わけで、G13型トラクターの3文広告を出さねば姿も現さず、挙句、法人口座しか門戸を開いてい
なかったはずのスイス銀行に報酬を振り込ませる「有限会社ゴルゴ」さんを想定しなくても、
犯罪を犯すという状態、犯罪を犯せるという状態自体が正常な判断とは相反するものであるとの
話をしているわけですよ。

そして、私だって、何らかのきっかけで犯罪に手を染めるかもしれませんわね。トーフさんだって
何らかのきっかけで犯罪に手を染めるかもしれませんわね。でも、現状ではその心配は殆どないで
しょう?逆に「ぜーったいに犯罪に手を染めることなんてありえませーん。だって、犯罪という
方法を思いついたことすらないですもーん」なんて聖人君子が居たら、そりゃ素晴らしい心がけでは
ありますし、他人に危害を加える虞れがまーったく無いんですから、全然かまいませんがね?それも
「正常」と表現していいのかどうか迷いますわな。まぁ「正常」の幅の中に含んでしまっても、
何の問題も生じませんし、更正の目標値をここに設定するのも構いませんが、トーフさん程度の
「犯罪に手を染める可能性」まで危険性が減少したら「正常に戻った」と判断していいと思いますよ?

もう少し言えば、癌で言うところの5年生存率ですかね。癌病変を体から取り除いて後、5年間無事に
生存していた者は「完治した」と判断するらしいですね。私の妻も癌病変を取り除いて2年経ちました。
あと3年後には「完治した」と判断されるでしょう。同様に満期だろうと何だろうと出所後一定期間は
犯罪志向の再発を小さな芽の内に摘み取るために仮出所と同様の保護観察期間があってよいと思いますよ?
もちろん、小さな芽が出たからと言って即隔離と言うのは行き過ぎだと思いますから、それはそれ、
アルコール依存症から回復した人たちの集まりのように、もう一度戻ってしまいそうな自分を励まし、
同じ悩みを持つもの同士で悩みを打ち明けあえばよろしいのではないでしょうかね?
(まぁ、そういう集団が一致団結してより凶悪な犯罪を犯す心配も、なきにしもあらずですが。)

2204紫煙狼:2009/07/01(水) 01:44:19
ちなみに、トーフさんは法律家の卵と言うことですから、犯罪者と話をする機会も、被害者や被害者遺族と
話をする機会も多いでしょう?カレーさんに聞いたことと同じ事を伺いますがね?どういう感想を持つことが
多いですか???

私は職業がシステムエンジニアで、およそ法律とは関係のない生活を送っていますがね?ここで投稿する際は
必ずメアドを明記していますよね?おかげで、元犯罪者さんからも、被害者さんからも、被害者遺族さんからも
案外頻繁にメールが舞い込んでくるのですよ。で、そういう人は私がどういう信念の持ち主か知っていて、
「死刑廃止を唱える紫煙狼に死刑を熱望する被害者遺族から」メールが来たりするわけです。そして、最初は
ケチョンケチョンに私に悪口雑言を並べていた被害者や被害者遺族さんも、じっくり話をしているうちに、
死刑廃止に理解を示してくれるとはいえないまでも、実際に会って下さる所までは話が進んだりするわけです。

で、被害者さんの話を聞いていると、その報復感情の強さには私も「軽視してはいけないもの」を感じます。

しかし「私と話したことがある被害者さん(もしくは遺族さん)」に限定すると、最終的に彼ら(彼女ら)が
熱望しているのは加害者の破滅(または死)ではないと言うことが伝わってくるんですね。もちろん、私が
曲解している可能性は否定しませんが、私には彼ら(彼女ら)の叫びが「血反吐はくほど泣き叫んで悔い改めよ!」
という声に聞こえるのです。そこで、私は暴挙を覚悟で伺うわけです。「加害者が悔い改めることなく死刑になる」
のと「死刑にはならないが、心から反省し悔い改める」のでは、どちらを望みますか?と。(現13例)

その場で即答された1例を含め、全ての例で「簡単に死なれて、この事件が終わった事になるより、後悔のなかで
苦しみながら生きながらえて欲しい」というのが答えでした。うち2例は「でもアイツが後悔するなんて思えない。
だから少しでも長い時間、死の恐怖におびえさせて、最後には残忍な方法で殺して欲しい」という但し書きがつき
ましたね。

トーフさんは、この言葉に「死刑永久存置」の必要性を感じ、私は「矯正教育の必要性」を感じるのでしょうね。
「でもアイツが後悔するなんて思えない。」の答えとして「矯正教育を通じて後悔の念を呼び起こさせることが
可能になる日が来る」と考えるか「そうだ、後悔なんかするわけがない。いや、後悔なんて求めるな。国家が殺して
事件を終わらせてやるよ」と考えるか…。ここは埋まらぬ溝かもしれません(苦笑)

2205トーフ:2009/07/01(水) 03:33:48
紫煙狼さんへ。先に>>2204にレスさせて頂きます。

私も被害者遺族にあったことや、公刊されたものを読みますが、
「死刑になること」と「事件が終わったことにすること」を一緒にしてはいけない。

私のお会いした被害者遺族で「報復感情」を否定された方はいません。読んだ範囲でも
「報復感情」自体を否定されている方はおられないという認識です。意外に多いと思ったのが
ご自分の手で殺してやりたいとおっしゃられる方です(父親というステータスを持つ人に多かった)。
国家が死刑にするのもいやだ、ということです。

それよりも実際的な問題としまして、殺人被害者遺族の方々は周りの無神経言動に対し
とても苦しんでおられる、というのが正直な感想です。司法関係者は
ご存知の通り、「判決が出た以上一丁上がり」ですし、親しいと思っていた友人やら隣近所の
ひとでも「私も犬を飼っていたからわかる」などと口にしてしまったりというようなことです。

一言で申せば事件当事者(遺族含む)とその他の人間では事件を境目にしまして、時間の流れ
が一変する、ということでしょうか。

被害者遺族がいた場合、その遺族は「楽しむ」ということに対して非常に拒否的になられる。
遺族が複数人で家族だった場合、家庭崩壊の危機はいたるところにある。それに対し、
加害者の家族は割合「団結」していたりするのです。それまた被害者遺族にとり、つらいこと
なのです。

被害者遺族にとり、報復感情とともに、事件と直接関係ない周りの人の態度がとても重い
比重でのしかかっているのだなぁ、と私は感じております。

お会いになる機会が多いそうですが、もしかして
「被害者遺族の感情を死刑につながるかつながらないか」という視点でしか話を聞かない、
ということだったら、お止め頂きたいなぁと思います。そういう話の聞かれ方もつらいのですよ。
遺族にとり。

私が死刑との関係で被害者遺族がお話になったことから汲み取るところによれば、
「とりあえず死刑になってくれ、お前が生きていること自体に耐えられない」というような
ところでしょうか。
「刑罰(死刑を含む)」は遺族にとり、スタート地点に等しいもので、断じて終わりではない。

まあ、私が考えているのはこのあたりです。

2206トーフ:2009/07/01(水) 04:40:58
で次に>>2201にレスさせて頂きます。

前にちらっと話題になったような記憶があるのですが、
おっしゃられることを全て認めたら、「殺人と窃盗」の軽重はつくのか、ということです。
「窃盗でも更生しない以上20年30年隔離し続ける」
「殺人罪でも更生した以上10日で釈放する」
というのがありえないと紫煙狼さんもお認めになったような記憶が。

「更生したのに釈放しない」という場合があることをお認めになる以上、それは「応報」を
考えているからではないですか、というのが私の疑問なのです。

紫煙狼さんのお立場で、「隔離期間」の長短を決めるのは、何なのでしょう。
「病気」のお例えが本気だとされると、なおった以上釈放せねばならないのではないですか。

私の理解によれば懲役=強制労働にも疑問をもたれていますが、それを
「労働なしの隔離」としたとしても、「犯罪を犯さない以上隔離されない」わけですから、
そこで「応報」が考慮されていることになるのですが。隔離を受け入れるかどうかは本人に
選択ができないわけでしょう。

それが多数人に受け入れられ、刑罰法規として記述されればそれが「一般的抽象的報復
感情」となるのですが。で、その法が具体的事件に適用され、「具体的報復感情」との
葛藤が堪え難いものになれば法が改定される、という循環は>>2189に書いた通りです。

紫煙狼さんがおっしゃっておられるようなことは、「少年」が人を殺した場合に実現している
かと思いますがどうでしょう。少年法のことですが。こういうことを一般化しようということなのでは
ないのでしょうか。このへんのことについてもコメント頂ければと思います。

2207紫煙狼:2009/07/01(水) 13:53:17
>>2205

まず最初に
>「被害者遺族の感情を死刑につながるかつながらないか」という視点でしか話を聞かない、
>ということだったら、お止め頂きたいなぁと思います。そういう話の聞かれ方もつらいのですよ。
の部分ですが、犯罪被害者の居場所を突き止めて押しかけていくわけではなく、あくまで、相手側からの
アプローチがあったときのみの話ですので、そういう意味では、私も暇人ではないし、相手も暇ではないし、
無駄な時間をすごすつもりも、すごさせるつもりはありませんから、私は可能な限り中立的立場として
お話を伺うスタンスを自分なりに守っていると思っています。また、相手も私のスタンスを知った上での
関係ですので、おそらくご心配のようなことはないと思っています。
もっとも…相手のほうからアプローチがある場合のみという時点で、任意に抽出した無作為的なデータでは
ないという自覚もありますので、世の中の全ての犯罪被害者がそう思っている!という主張でもありません。

それ以外の>>2205については「そういう意見もあって当然」もしくは「それが普通でしょうね」という感じで
特に抵抗はないです。その上で
>「死刑になること」と「事件が終わったことにすること」を一緒にしてはいけない。
という意見も私としては同じ意見なのですが(むしろその後に残された日々こそが事件の本質にさえ感じます。)
私にアプローチしてくる被害者や遺族さんは、そうは考えないようです。つまり、トーフさん的にも私的にも
「終わりじゃないよ」と思っても、そう思ってくれない被害者さんや遺族さんがいるというデータは、
特記事項的な意味合い程度はあると思います。

これは、私が死刑廃止派であるという前提が邪魔しているのかもしれませんが、
「死刑が執行されても、時間が終わるというわけではないですよ」という話をすると
「きれいごとをぬかすな!」と叱られる事が多いです。
(私が現状においては存置派である、というご認識を頂いていてもね。)
そういう意味では、私にアプローチをしてくる被害者さんや遺族さんの多くは、
自分の心の中で整理がつく前に司法によって何らかの決着をつけられ、終わったことにされるという
不安があるから、私のような者を捕まえて心情を吐露したいのでしょうね。。。

2208Ken:2009/07/01(水) 14:34:09
>>お会いになる機会が多いそうですが、もしかして「被害者遺族の感情を死刑につながるかつながらないか」という視点でしか話を聞かない、ということだったら、お止め頂きたいなぁと思います。そういう話の聞かれ方もつらいのですよ。遺族にとり。

それは大きなお世話でしょ。先方は紫煙狼さんの文章を見て、紫煙狼さんが死刑廃止論者であることを知りつつ、コンタクトしてくるわけですから。

メールアドレス欄にそんな有意義な使い方があるなんて想像できなかったです。数年のうちで13件、ということですよね。私の感覚的には非常に多いです。第三者に単に話を聞いてほしい方がそれくらい多いほど、刑事事件の被害者・遺族の対応がなおざりにされてきた、ということなのでしょう。

2209紫煙狼:2009/07/01(水) 23:18:42
>>2206
>「窃盗でも更生しない以上20年30年隔離し続ける」
判決時点において窃盗罪の判決が20年以上になるなんて、ありえないと思いますよ。
ただし、実際の収監後の様子によって釈放が先伸ばしされた結果としての20年30年なら、
あっても問題は無いと思います。次に
>「殺人罪でも更生した以上10日で釈放する」
とすると抑止効果は期待できませんよね?ですから、更生してもなお収監し続ける必要を感じます。

以上から総合してこのように纏めていただきたいですね。

懲役又は禁錮に処せられた者に(特に著しいと認めるに足りる)改悛の状があるときは、有期刑については
その刑期の三分の一を、無期刑については十年を経過した後、行政官庁の処分によって仮に釈放することができる。

これによって判決における刑期と言うものが無意味にはなりませんよね?トーフさんは報復を基本として刑法に
刑期が規定されると仰いますが、私は報復的側面より抑止効果としての刑期を考えますから「この程度の罪で
こんなに拘禁された日にゃたまらねぇ!」と思うように刑期を刑法で定めて構わないと思います。
しかし、人間の更生力、可能性を信じる私としては、更生した者を永久に隔離するのも、更生する可能性が
残されている者を永久隔離する方法も良しとしません。基本は全ての犯罪者に社会復帰の可能性を与える
のが前提です。

さて、抑止効果を求めて刑期を定める以上、更生していてもそれが著しいと認めるに足りない者に関しては、
刑期満了まで監獄内で生活していただくのが正しいと思います。つまり、仮出所と言うのは稀であって構わない
わけです。これは4年制大学で卒業に必要な単位数を2年で集めたら2年で卒業させるのかしら?法学の知識が
驚異的に高ければ、法科大学院どころか高校を卒業していない中学生でも司法試験の受験を許可しますか?
同様に、運転能力と安全意識の高さ、交通法規を遵守する精神の持ち主なら、18歳未満でも普通自動車免許の
受験資格を与えますか?と同義です。

ただし、著しく評価すべきものがあれば、特例として飛び級を認めても良いよ、という事ですね。実際、諸外国には
飛び級の制度があるところもありますから、それが社会通念として一般的になれば、必ずしも仮出所が稀でなくても
構いませんよ?大切なのは「飛び級するってすごいね」と思われる程度に困難が伴う必要がありますが。。。

で、これって、そんなに少年法に近いですかね?私が少年法に疎いと言う理由もさることながら、少年院に送られた少年
が、どのような過程を経て社会復帰しているのか現実を存じ上げないので、コメントするには少々勉強しなければならな
いようです。少年法では更生しない少年は社会復帰させないのですか???

2210ufloat:2009/07/01(水) 23:33:00
最近になってほんの少しだけ改善されてきてはいるようですが、刑事事件における
「被害者置き去り」の姿勢は、多くの被害者・遺族の方々が指摘するところですね。

>メールアドレス欄にそんな有意義な使い方があるなんて
紫煙狼さんの人徳の賜物でしょう。仮に私がメールアドレスを明記していたとしても、
送られてくるのは怪しい広告ばかりなり。仮に被害者の方からメールが来たとしても、
悪口雑言を送りつけられるところから始めて、自分の意図を理解してもらえるかどうか。
トーフさんが懸念されているようなことは120%ないでしょう。そのような不誠実な
態度では、そもそも「悪口雑言」から「対話」を生み出せるとは思えません。

2211紫煙狼:2009/07/01(水) 23:36:09
>>2208
最初のころは全部イタズラだと思っていたんです。でも、あまりに熱心に面会を求める声が
「元殺人犯」を名乗る人からありまして、私も酔狂に付き合おうと思ってお会いしてみたら、
これが本当に自分が犯した事件の記事の切抜き等を持ってきていて、その事件について
訥々と話し始めてくれたのです。正直驚きました。
その後、彼の口利きで、多くの「元犯罪者」さんたちとお話をする機会に恵まれました。

そういう経緯で、全部が全部イタズラと言うわけでもないな、と思って、それまでよりは
何倍も誠意を持って一つ一つにお答えするようにしていましたが、私自身、被害者さんや
被害者遺族さんから「会って見ませんか?」と持ちかけられるとは夢にも思っていませんでした。

2212トーフ:2009/07/02(木) 02:11:25
紫煙狼さんへ。レスありがとうございます。>>2209へレスさせて頂きます。

んー「抑止効果」というのは「応報」を前提にしないとでてこないのではと申し上げているのです。
お気づきだとは思われますが、「刑罰の本質は応報である」と認めてもそこから論理的には
「死刑」はでてこない。無論「懲役」もでてこず、罰金もでてこない。出てくるのは
「刑の軽重」なのです。死刑廃止国の刑法でもその本質は応報なのです。ドイツ刑法とか
フランス刑法とか。スウェーデン刑法はちとちがってて、「制裁」という概念を導入していますが
「刑の軽重」がある限り、その本質は応報なのです。
紫煙狼さんのお立場で死刑が廃止されると、終身刑か現在の無期懲役が最高の刑になる
のでしょうが、その「最高の刑に該当する罪としない罪」が分けられないでしょう、ということです。

少年法は、身柄は拘束されますが、拘束された後、少年院や少年感化院等で行われる
のは「罰」でなく「矯正教育」ということになっていることから、「そういうものかな?」として
お聞きしたまでで、別に他意はございません。釈放されないということはないでしょうが、
「出所するかしないか」は犯した罪の重さによるのでなく、もっぱら「矯正の進み具合」
だと聞き及んでいます。年齢により拘束すらされないこともあるようです。中学生(たぶん
2年生)の事例で、同級生を殺しておきながら3日目に普通に登校してきた事例があります。
うろ覚えですが、ご必要ならソースとってきます。

すべての犯罪者に更生の機会を、ということを認めたとして
紫煙狼さんのお立場ですと、「再犯者・累犯者」はどのように扱われるのでしょうか。

「事件が終わったこと」になるのはあくまで私や司法関係者や精神科医といった第三者にと
ってであり、残された遺族にとっては「大事な人がいない時間」がえんえん続く。
被害者の遺族はご自分を責めることが以外に多いという印象です。「あのとき外出をとめれ
ばよかったのだ」とかいうふうに。でも、希望がない訳でなく、15年20年という単位の時間が
立てば、なんとか笑ったり楽しんだり外出したり、事件のことをご自分の「客観的な記憶」
として捉えることができるようになれる、こともあるようです。

宜しくお願いします。

2213トーフ:2009/07/02(木) 04:23:59
紫煙狼さんへ。追加レスさせていただきます。書き忘れました。

紫煙狼さんは殺人者殺人被害者両方お話をお聞きしておられるようですが、
殺人者が話す内容は、たいがい被害者遺族にとり、「精神的なセカンドレイプ」だという
のが私の認識です。とりわけ法廷においては、殺人犯人と弁護士の言動により、深く傷つけ
られます。「被害者にも落ち度があったのだ」という方向の言動によってです。例えば
殺人罪ですと、「あいつは金を返さなかったのだ」
強姦罪ですと、「被害者は露出の多い服を着ていたのだ」とかいわれることによりです。

これらの理由は「殺されても仕方がない理由」「強姦されても仕方がない理由」にはもちろん
なりえない。結局、「言わない方がマシ」な言動でしょう。が、現在の裁判官は結構こういう
言動を聞いてしまって刑を割り引いてしまう。

紫煙狼さんがお会いした被害者遺族さんはどのようなことをおっしゃられておられたか、
また紫煙狼さんご自身のお考えでも結構ですからお伺い致したいです。

2214ufloat:2009/07/02(木) 06:54:15
例によって割り込み、失礼いたします。

>>2212
応報の側面を必ずしも否定するつもりはありませんが・・・。
「応報」というより「社会の安全のため」とは考えられないでしょうか。
窃盗より殺人の方が重いのは、さらなる犯行に及ぶ可能性がある人間を社会から隔離し、
かつ抑止効果によって同様の犯罪を抑制する必要性がより高いからではないでしょうか
(このようなことを書くと、たまに「犯罪者は全部死刑が社会にとって最も安全だ」
などと言う人が現れますが、これでは今までの議論が全部無駄になります。
そもそも刑罰は犯罪者とはいえ人間の人権を制限するわけですから、抑止的に運用
されるのは当然で、無節操に認められてはいけませんわな)。
抽象的危険犯との兼ね合いからしても、「外患誘致」なるものが日本の刑法における
最高の罪であったりする点を考えても、第一義として「社会の安全」ははずせない
のではないかと愚考いたしております。

# しかし、トーフさんのおっしゃる「応報」論は、「応報」の言葉の響きのせいで
# 多少受け入れがたくなっている印象が否めないような・・・。

2215トーフ:2009/07/02(木) 09:49:22
ufloatさんへ。レスありがとうございます>>2214にレスさせて頂きます。

「社会の安全の為」を第一義にすえるのは消防や病院・水道・衛生管理などなど行政一般
であり、刑罰の本質をそうとらえると、そもそも「罰」を与えることの意味が解らなくなるので
はないでしょうか。

紫煙狼さんもufloatさんも「犯罪抑止」というお言葉を
お使いになられますよね?私はこれを日常用語に言い直すと「恫喝」のことだと理解しており
ます。「抑止」と書いてある所で「恫喝」と読み替えられないところはちとあやしい。
「それをすればこれをするぞ」「殺人すれば死刑だぞ(終身刑だぞ)」という恫喝のことを
「抑止」というのです。「死刑になってもいいもん」という人には恫喝=抑止が効いてない訳です.
抑止力=恫喝力です。核抑止=核恫喝力です。
で、罰金より懲役のほうが抑止力が大きく、懲役より死刑の方が抑止力が大きく、
絞首刑よりも八つ裂き刑の方が抑止力=恫喝力が大きい、と一応考えられる訳ですよね。
で、この「抑止の大小」をつけるのは「応報の感情」ではないですか、と申し上げているのです。
でさらに、窃盗をどの刑に属させるか、立ち小便が死刑で良いかとか刑法に位置づけるのも
「応報の感情」ではないですかということなのです。

さらに、「応報感情」を前提にしないと、「刑が限定されない(にくい)」ということもあります。
「目には目を・歯には歯を」という言葉がありますよね?これには
「目を奪われたのだから相手の目を奪う以上のことはしてはならない」
「歯を奪われたのだから相手の歯を奪う以上のことはしてはならない」という
報復を限定する機能があるのです。
他方人間の持つ「危険性」やら、「更生」やら、未来に向かう要素は無限ですから、
刑罰を限定する機能を持たない(持ちにくい)のです。ゆえに近代憲法下の刑法として
採用されにくい。罪と罰はあらかじめ限定されていなければならない=罪刑法定主義
ですから。


抽象的危険犯・具体的危険犯の分類は刑法の下位概念ですから、関係ないと思います。
「外患誘致罪」はそもそも「危険犯」ではないので、どっちでもないです。「外患誘致罪」が
仮に罰金2千円でも「刑罰の本質は応報」です。

私の「応報論」とおっしゃって頂きましたが、「刑罰の本質は応報だ」というのは
刑法学の通説なので、受け入れ難い、とおっしゃられても・・・・刑法教科書でも普通に
「応報」と書かれています。
まあでも、私の説明は解りにくいかも・・・・・努力いたします。

2216Ken:2009/07/02(木) 15:02:59
>>2150「死刑が公共の福祉に合致するか否か具体的に論じないと意味が無い」とのお言葉ですが「何をやっても何百人何千人をどんな殺し方で殺しても犯人の命を保障する」というルールが公共の福祉に反するのは私には明らかで、具体的ではないでしょうか。

それは私にとって具体的ではないですw
あと極端な例はダメだってばw
「何百人何千人」殺したんだったら、死刑廃止論者だって「処刑したほうがいいかも」って思っちゃうでしょw

死刑のような問題は、法理論としてだけ論じるのは片手落ちで間違っており、実態論としても論じる必要があります。「具体的に論じる」というのはそういう意味です。

私の言いたいことはもうトーフさんが書いてますけど、「刑罰の本質は応報だ」と言ってみたところで刑罰が一意に決まるわけではなく、どの犯罪にはどういう刑罰が適切であるのかは具体的に実態として論じるしかないです。「殺しまくったけど...10日めで釈放」というのは明らかに罰が軽い例ですが、逆に「盗みで死刑」という場合、ほとんど全ての人は「それはどう考えても重過ぎるだろ」となるわけです。しかしながら、盗みで死刑になる国・時代というのは存在したわけで、どういう罪にどういう罰が適切であるのかは「今の日本で」という文脈で具体的に考える必要があります。法理論は不要だ、という意味ではないです。

トーフさんは最高刑は死刑であるべき、と主張しているだけみたいですね。今の日本で何百何千人殺すのは戦争しか思い浮かばないので、内乱罪と外患罪を残して死刑を廃止、ないし殺人罪には死刑を適用しない、というのでも私は何も文句ないです。

>>また、現在までの世論調査にで、死刑維持すべきという意見が常に多数を形成していることや、ドナーカードのように、「あなたを殺した人間をいかなる刑罰に処してほしいですか?」というようなカードを自分で書くことになれば、「死刑」の選択がこれまた圧倒的多数であろうと私には思われます。

各種世論調査では8割の人が死刑を支持するそうです。しかしながら、多数派が必ずしも正しいわけではありません。正しい判断は、それを下すために必要な情報全てを手に入れることができて、はじめて下すことができます。日本の死刑制度はこの前提を満たしていないので、これら8割の人々の判断が正しいという保証はないです。

>>kenさんは「死刑が公共の福祉に合致するかどうか確信がもてない」とおっしゃいましたが、懲役刑や、禁固刑・罰金刑などについてはもっておられる?おられるとしたら、どのようなご理由なのでしょうか。

そういう意味ではないので、直接的な答えにはなってないですが...。
上のほうの冤罪死刑に関する議論なんかを参照してもらうといいのですが、死刑は他の刑罰と本質的に異なります。そのため、他の刑罰と異なりいろいろと予防規定があるわけでしょう。18歳未満はダメだとか。死刑はもっとも深刻な人権の制限なのでその適用には他の刑罰よりも慎重さが求められるわけです。

無期懲役と比べて死刑のほうが抑止効果がある、というのはそうでしょうが、それは実際どれくらいなのか。はっきりと区別できるくらいの差があるのか。なんとなく死刑のほうが刑罰として効果がありそう、というくらいだったら死刑は適用しちゃダメよ、というようなことが言いたかったのです。あるいは、懲役刑のほうが罰金刑よりも罰として効果はありそうなんですけど、この場合、その差がそれほど明確でなくても懲役刑が存在するのは構わないですよ、死刑ほどは深刻な人権侵害ではないので、というようなことが言いたかったのです。

2217トーフ:2009/07/03(金) 04:32:39
kenさんへ。レスありがとうございます。>>2216へレスさせて頂きます。

「最高刑は死刑であるべき」と考えているのはその通りなのですが、私は殺人にも死刑が
適用されなければならず、一人を故意に殺せば死刑が原則だと考えております。
なので、「それだけ」というのは・・・
「何百何千と殺しても〜」というのは「廃止したら」そうなるでしょう、ということです。
kenさんは死刑自体は肯定され、それが適用される罪について私と違いがある、ということ
と理解してよろしいのでしょうか。

「多数派が正しい」の「正しい」の意味がよく分からないのですが、民主体制においては、
多数を獲得しなければ、法律にならない。改定もできない。廃止もできない。
別に死刑に限らず、「正しいという保障」など、およそ国家の行為にありますかね?
「必要な情報を全て得られて下された判断」の具体例って過去にありますでしょうか。

私は「正しい・正しくない」というよりも、言論の自由を前提とした「民主体制下における多数
獲得競争の勝敗」から、死刑反対派も賛成派も逃げるべきでない、と思います。
民主体制は「少数派が多数派を統治することを認めない」のですから。
今日の少数も明日の多数を獲得すべく、言論を鍛えるべきではないでしょうか。
今日の多数も昨日の少数に逆転を許さぬよう、言論を鍛えるべきではないでしょうか。

しつこいようですが、私は死刑もその他の刑罰も本質は「応報」なので、本質が異なる、
とは考えません。自分の大切な人が31歳によって殺されたのか、13歳によって殺されたかは
全然関係ない。その18歳の規定は廃止されるべきと考えます。(最も、ある年齢以下の人間
は何をやっても無罪、とするほかないのではないかと思います。12歳未満ぐらいは・・・)
しかし「冤罪問題の本質」として、死刑をみるならば、それは他の刑罰とは違う、というのは
解ります。やってしまうと取り返しがつかない、という意味で。

私の立場では、抑止効果は応報を前提としますから、
抑止効果は、「懲役より死刑の方がいやだ=懲役より死刑の方が重い」と考える・感ずる人の
数によるので、ひょっとして懲役のほうがいやだ、と考える人が多くなると死刑の抑止力が
下にくることもある、と想像できます。
しかし、私の社会観察の雑感によれば、幼児のころから、「命を大切に」と家族ぐるみ学校ぐるみ
地域ぐるみ国家ぐるみで言い続ければ、まあ、普通は「自由よりも命が重い」という価値観
=応報感情は維持されるでしょう、と思います。

すいませんが、2−3日レス返すことが出来ないかも知れません。

宜しくお願いいたします。

2218無精髭:2009/07/03(金) 08:25:35
>>2202
心配ご無用。私としては、トーフさんの前提をとりあえずは受け入れるという形で
話を進めるつもりです。そうでないと有意義な議論とはならないでしょう。

>少なくとも、一般報復感情と具体報復感情が全く別の所からくる、というのは全然違います。

相分かりました。トーフさんに関しては勘違いしておりました。でも、紫煙狼さんに関しては
どうしても勘違いとは思えませんなあ。もしトーフさんの仰るとおりだとしますと、>>2200
指摘させて戴いたトーフさんと紫煙狼さんの見解の違いがなぜ起こるのかとか、その後の
紫煙狼さんのレス(>>2201)において、憲法や民主主義の話に絡めてトーフさんに対する反論が
試みられているのはなぜなのかとかいったことに、上手く説明が付かなくなるのではないでしょうか。
うーん。少なくとも私が考える「特殊報復感情の総体」はトーフさんの仰る「一般報復感情」とは
やっぱり違うように思われますね。

1.具体的個別的報復感情
2.代表者による一般的抽象的報復感情の認定
3.立法(刑罰法規)

1.と2.の間には、内容に差異がある、さまざまな具体的な報復感情の混在状態があって然るべき
だろうということを申したかったわけです。そういう相で捉えられた特殊・具体と、立法における
一般・抽象の違いが一目で分かるように、二つを列記して見ますと次のとおりになります。

・(全ての)日本人は○○をしてはならない。
・1億2千万人いる日本人(全て)は○○をしてはならない。

つまり、具体的にこれという数量に基づいているかどうか、その数値が特定可能な単位から
構成されているか否か、換言すれば固有の単体まで特定できるか否かの違いです。この国に
いる全ての日本人にとって…ということと、現時点においてこの国にいる全ての日本人にとって…
ということとは相違しますよね。「総体」という言葉を選んだのが悪かったのかも知れませんが、
個々においてはさまざまな違いを有する特殊報復感情をいくら掻き集めて来ても、それだけでは
一般的・抽象的な報復感情に結実しないのは自明でしょう。

だからといって、トーフさんの御説に反する見方ではないことはお分かり戴けるかと思います。
……今のところはね(笑)。

2219紫煙狼:2009/07/03(金) 23:17:43
>>2212
>すべての犯罪者に更生の機会を、ということを認めたとして
>紫煙狼さんのお立場ですと、「再犯者・累犯者」はどのように扱われるのでしょうか。
ここでいう再犯・累犯と言うのは、刑法で定めるとおりの再犯・累犯ですよね?
つまり、執行を終わり若しくはその執行の免除を得た後、5年以内に更に第2の犯罪を犯し、
有期懲役に処すべき場合、又はそのような犯罪が3回以上続く場合をいうのですよね?

そこで一度立ち返って欲しいのですが、私は「矯正教育ならぬ強制教育が横行している結果
更生という目標を達成することなく刑を終えて社会復帰している者が居る」これは間違いで
「立派に更生したと言えない限り社会復帰を許すべきではない」と繰り返しています。
その目的を再犯・累犯の防止としているのですが、この行き違いに気づかれませんか?

従って、矯正教育が拡充され、更生が見られない者は釈放されず、更生した者も特段評価すべき
事由がない限り満期まで釈放が許されないという仕組みが整備された場合において、再犯・累犯
者が出るとすれば、それは余程の事情であると考えざるを得ませんし、そこに余程の事情が見出
されないのであれば、正しい矯正教育を受けていなかったか、もしくは更生していないのに
見誤って釈放したかのどちらかでしょう。

もちろん、トーフさんが今後5年間の間に犯罪を犯すことは無いと言う確証はありません。
おなじく、私が今後5年間の間に犯罪を犯すことは無いと言う確証もありません。
しかし、私は5年生存率という概念を基に、満期釈放の元囚人に関しても、一定期間、
保護観察するべきであると言っているわけで、再犯・累犯を防ぐような社会整備が必要であると
主張していると言うのは読み取っていただけませんでしたか?

少なくとも私は現状において再犯・累犯が後を絶たないというのは犯罪者の問題もさることながら、
矯正教育の粗末さや、元犯罪者に対する監視管理の不行き届きを原因と考えています。

日本の大学は欧米の大学と比較して入学するのは難しく卒業するのは簡単である…などと言われる
のを散見しますが、大学も監獄も、入るに易く出るに難い存在であるべきです。一定時間の経過だけで
出してしまうのは愚の骨頂ではないでしょうか???

2220紫煙狼:2009/07/04(土) 00:25:34
>>2213
>これらの理由は「殺されても仕方がない理由」「強姦されても仕方がない理由」にはもちろん
>なりえない。結局、「言わない方がマシ」な言動でしょう。が、現在の裁判官は結構こういう
>言動を聞いてしまって刑を割り引いてしまう。
それは現在の裁判官の判断ミスでしょう。犯罪者の法廷や監獄内での言動により被害者や被害者遺族が
不必要な精神的苦痛を被るのは明らかな二次犯罪であり、マトモな判断力ある判事なら、
「この期に及んで反省が見られず、厳しい罰を持って臨むべき」と判断するのではないでしょうか?

基本的に私は「余程の事情」つまり、長年にわたり被害者に苦しまされてきたことによる鬱積した思いが
犯罪の引き金となったような場合を除いて、この手の発言は「罪を重くするのみ」と考えます。従って
>強姦罪ですと、「被害者は露出の多い服を着ていたのだ」
などと言う発言をする加害者はより重い罰を持って処断するしかないでしょう。ただし
>殺人罪ですと、「あいつは金を返さなかったのだ」
に関しては、必ずしもこの限りではありません。無論、お金を返さないことが殺害されることの正当な
理由になりえないことは明白ですが、あらゆる手段を以ってしても金銭を返却してもらえず、結果、
当の貸した本人のほうが立ち行かない状態に陥り、鬱積した思いが募る一方、返さなかった被害者が
貸した本人より裕福な暮らしで豪遊していたとしたら、少なくとも加害者から恨まれるに充分な理由足りえます。
これを以って加害者の罰を割り引くべきか否かは別としても、事件の全貌を明らかにする上ではこの発言も
合理的な動機を示す上で重要な発言であると考えます。

世の中には、本当に無辜の人間が被害者になる事件があるとともに、加害者ほど重罪ではないにせよ、
被害者の誠実とは言いがたい言動が事件の引き金になっている場合もあるわけで、これに関しては、
被害者や被害者遺族が精神的な苦痛を感じるものであっても、避けてはいけないものであると思います。

と、まぁ、ここまでは私個人の意見。

私と話したことのある被害者や被害者遺族の人々は、本当に無辜の被害に遭われた方々のみですので、
「何か恨まれるようなことでもしたのか、あるなら言ってみろ」という意見が大半でした。
でも、知らぬは遺族ばかりなりではないですが、本当に被害者にも刑事罰で臨むべき不実が存在している
ような場合で、遺族は全くその事実をあずかり知らなかったような場合、犯罪者の挙げる動機が、
衝撃的なものであれば衝撃的なものであるほど、受け入れがたいでしょうね。そして被害者の知られざる
不実を受け入れるにせよ受け入れないにせよ「だからって、殺していい理由にはならんだろ!」と思うの
でしょうね。もともと被害者にも被害者遺族にも「感情的になってはいけない」なんて通りませんから。

2221紫煙狼:2009/07/04(土) 00:25:58
一人の男性が痴情のもつれの結果殺害されると言う事件を想定して…。

最初にメディアに載るのは「男性の他殺死体が発見された」というニュース。
次には「女性が逮捕された」というニュース。その次のニュースは?
「逮捕された女性がどのような供述をしているか:というニュースですよね?

で、この殺害された男性が、家族(親兄弟)にとっては、非の打ち所の無い自慢の息子で、
彼らにとっては、殺された男性が「恨み一つかう様な男ではない」と信じきられていて、
でも、実際は、この殺害された男と言うのは、逮捕された女性以外にも何人もの女性と
同時進行で性的関係を含む交際をしており、この男に貢がされていた女性数知れず、
その中の一人たる女性が犯行に及び逮捕された…。

こんな事実関係が存在した場合、女性が裁判で犯行動機を語ることは「精神的なセカンドレイプ」
なのでしょうか?少なくとも、被害者遺族は、そう感じるだろうと思うのですが。。。
弁護側は、その女性の証言を裏付けるために、上手く行けば、被害者男性に弄ばれていた
他の女性を証言に呼ぶでしょう。裁判が進むほど、被害者の素行の悪さが露呈する場合、
少なくとも第三者の同情の目は、被害者たる男性より被害者に向けられるかもしれませんね。
安っぽく浅はかな正義を振り回す馬鹿者共なら被害者遺族の家に「殺されて当然!」なんて
FAXや投げ文をするやも知れませんね。(もちろん、それはあってはならないことです。)
しかし、逮捕された女性が犯行動機を語ることを被害者遺族の気持ちを慮るがために制限し、
真実を白日の下にさらけ出す事ができなくなるのは社会的な損失です。

以前、舎弟が兄貴分の子供を橋の欄干から突き落とし殺害すると言う事件がありましたね。
この事件、殺されてしまった子供たちには何ら落ち度は無いのは明らかですが、その親、
つまり兄貴分に舎弟が酷い扱いを受けていた、という事実が明らかになるにつれ、世間の同情の
目が、被害者遺族たる兄貴分より、加害者たる舎弟に移っていった…という事があったと思います。
もちろん、この例では被害者は何ら落ち度が無いのですし、兄貴分の子供と、まるっきり通りすがりの
子供なんてのは法の下では平等であるべきで、舎弟は「自己の中に鬱積した恨みを何のいわれも無い
赤の他人に対してぶつけた」という意味では死刑判決を受けても不思議ではないように感じます。
そういう意味では「日野OL放火殺人事件」も同様で、現住建造物放火殺人罪で二人もの人命を
奪っておきながら無期懲役判決で済んでいると言うのは、私には不思議で仕方がありません。
この被害者が、舎弟に苦痛を与え続けた兄貴分の子供でなかったら、不実でキャシーを苦しめ続けた
師匠なり師匠の妻の子供で無かったなら、どのような判決が出ていたでしょうか???

さて、ここは死刑存廃を話し合うスレですので、スレ意図に従ってまとめると、現行法制で死刑が存在し、
実際に死刑判決が出るような犯罪も少ないくない現在において、死刑を回避した理由を思議に思うような
事件もあります。むしろ他の事件とのバランスを考えると死刑にならないのは不公平だと思うような事件
もあります。私は死刑が正しいとは思いませんし、将来的に廃止するべきであるとは思っていますが、
上記2例が死刑判決にならずに、他の事件では死刑判決が下されるのであれば、公平を保つと言う意味では
死刑判決を下すことのほうが公平であると考えます。

2222紫煙狼:2009/07/04(土) 00:49:53
ところで…これは純粋に皆さんがどう感じるのかを教えていただきたいだけなのですが…。
以下に挙げる事件の判決を現在の法制度下で考えた場合、どれくらいが妥当でしょうか?
ただし、加害者は明確な殺意と計画性を持って犯行に及んでいますが対象は誰でもよく、
被害者となった人は、たまたま運悪くそこを通りがかった無辜の人間とします。

<一人の加害者が3人の被害者を殺意を持ってメッタ殴りにして死に至らしめた>
この場合、死刑判決が出ることに疑問を抱くものは居ないでしょう。

<一人の加害者が一人の被害者を殺意を持ってメッタ殴りにして死に至らしめた>
被害者が一人の場合、余程の事が無い限り死刑判決が出ない傾向がありますが、
逆に、最近の傾向では「被害者が一人であると言うことが死刑回避の理由にはならない」
という話もありますので、死刑判決が出てもおかしくはないですよね?

上記2例は単独犯による犯行なので、比較的判断しやすいのですが、複数犯の場合は
かなり微妙な判断が要求されると思います。以下の例には、上記の条件の他に、
・犯行グループの特定の者がリーダー格であると言う事実が無い。
・誰が一番最初に手を出したかは、事件後の調査でも明らかにできなかった。
・少なくとも最初の一撃が致命傷になったとは言えず、何度も殴打されているうちの
 何打目かが致命傷になっており、それを加えたものは特定できない
・本当は特定の誰かを殺害する予定であったが、その相手が現れず、手ぶらでは帰れない
 と言うワケのわからない集団意識が血を求め、結果として通りすがりの無辜の人間が
 被害者となった。

<5人組みの犯行グループが10人の被害者を殺意を持ってメッタ殴りにして死に至らしめた>
5人の犯人が10人の被害者を殺害しているわけですから、犯人一人当たり2人の被害者を
殺害したと考えると、一人の加害者が複数の被害者を殺害している以上、5人全員が死刑判決と
いう結論に至ってもそれほど疑問を抱くようなものではないのではないでしょうか?

<5人組みの犯行グループが5人の被害者を殺意を持ってメッタ殴りにして死に至らしめた>
この場合、犯人一人当たり一人の被害者を殺害している計算になります。被害者が一人の場合、
余程の事が無い限り死刑判決が出ない傾向がありますが、逆に、最近の傾向では「被害者が一人
であると言うことが死刑回避の理由にはならない」という話もありますので、死刑判決が出ても
おかしくはないですよね?

<20人組みの犯行グループが一人の被害者を殺意を持ってメッタ殴りにして死に至らしめた>
一人の被害者の命を贖うために20人全員を死刑にすることはありえるのか???

2223無精髭:2009/07/04(土) 08:24:29
>>2222
>・犯行グループの特定の者がリーダー格であると言う事実が無い。(1)
>・誰が一番最初に手を出したかは、事件後の調査でも明らかにできなかった。(2)
>・少なくとも最初の一撃が致命傷になったとは言えず、何度も殴打されているうちの
> 何打目かが致命傷になっており、それを加えたものは特定できない(3)
>・本当は特定の誰かを殺害する予定であったが、その相手が現れず、手ぶらでは帰れない
> と言うワケのわからない集団意識が血を求め、結果として通りすがりの無辜の人間が
> 被害者となった。(4)

上記4つの条件(特に(2)と(3))を受け入れなければならないとすると、非常にまずい
という気が・・・(汗)。「5人組みの犯行グループに対する10人の被害者」のケースでは、
(2)と(3)の条件と「犯人一人当たり2人の被害者を殺害したと考えると」という部分
とが相容れないと思いますし、「5人組み(略)に対する5人の被害者」のケースでは、
「犯人一人当たり一人の被害者を殺害している計算」の部分が(2)と(3)で不明とされて
いる事実関係があるにも関わらず、被害者と加害者が同じ人数だからと言う理由でそこの
ところの帳尻を合わせてしまうのはどうなんでしょう(笑)。

><20人組みの犯行グループが一人の被害者を殺意を持ってメッタ殴りにして死に至らしめた>
>一人の被害者の命を贖うために20人全員を死刑にすることはありえるのか???

私は何もシェンさんの仮定の仕方にケチを付けたかったのではなくて、上記のような事件を
考える場合、犯行に関わった者全員に対して死刑を適用すべきかどうか判断を下す上で、
確証とは言えなくても、事実関係をある程度明瞭にしてくれる情報というのは無くては
ならないものなのだな、とシェンさんの例えを読んで改めて気づかされたのでした。で、
本当は想像したくもないことですが、一人を殺害するのに20人が協同的に動くというのは、
想像以上に事実関係の解明を難しくするのではないかと思いました。犯行現場に目撃者が
いたとしても、いや人数において犯行グループを上回る目撃集団が取り巻いていたとしても、
上の(2)と(3)における不明な事実を明らかにすることは相変わらず難しそうです。

加害者が20名ならまだしも、50名…100名…とどんどん増やして考えてみますと、事実関係を
知りたいという欲求は強くなれども、明確な形でそれを知ることはもはや不可能と言っていい
でしょう。互いに相手の主張する事実を否定しあうといった証言や単なるデマの数々が出て
きそうで、何だか厄介なことになりそう。

ただし、たとえば加害者100名に対し被害者1名という構図で、加害者グループの各人が自らの
犯行において他のメンバーと同等の責任を持つと判断しても良いほどに事実関係が判明している
場合は、それに加わる者一人ひとりの責任が同じになるというような集団リンチとは具体的に
どういうものなのかという方法的問題や、そもそもそういった犯行が実際にありうるか否か
という現実的な問題を考慮しないなら、たとえ良心の声に逆らうことになろうとも全員を死刑に
処さなければならないのではないでしょうか。苦渋の決断ここに極まれり。泣いて馬謖を斬る
みたいなものなんじゃないでしょうかねぇ。

2224紫煙狼:2009/07/04(土) 11:09:28
まぁ、仮定に挙げる条件があまりに非現実的なのかもしれないですね。
実際の事件というのは、非常に複雑なものですからシンプルに考えようと
するほうが間違っているのかもしれないのですけど、例えが酷過ぎましたね(笑)

たとえば、刑法に「金10万円を盗んだものは懲役1年とする」という条文があったとして、
単独犯が10万円を盗んだら懲役1年。これは非常にわかりやすいなぁ、と思うんです。
では2人がかりで10万円を盗んだ場合、どう考えればいいのかな?という事が言いたかったのです。
2人がかりで盗んだ場合、一人当たり5万円盗んだと考えて2人を懲役6月にするのか、
それぞれ10万円を盗む犯行に加担したと考えて2人とも懲役1年にするのが正しいのか、ですね。

で、いわゆる法学的な考え方や実践的な司法での回答と皆さんの感覚はどこまで合致するのかなぁ。
というのが、私の質問の意図だったんです。


実際には複数犯による犯行では何だかんだ言って、罪の重い人と罪の軽い人に振り分けてしまえて、
そこはかとなく、納得できないでもない判決が出てて、それは大したものなんですけど、
本当に全員が同じ程度に責任を追及されるべきような事件が発生して、全員に反省の痕も見られず、
結果、同じ程度の罰を課すしかないような状況において、罪は加害者の人数で頭割りするものか、
加害者の頭数分罪は増えるものなのか…なんです。

私、こればかりはどっちが正解ともどっちが間違いとも言えない気がするんですね。それこそ無精髭さんの
言うとおり、事実関係が明瞭でないと考えようがない。なので、そもそもそういう仮定をするほうが間違って
いるのかもしれません。けど、一度疑問に思ってしまうと頭から離れなくなる性質なんで(笑)

2225Ken:2009/07/04(土) 12:42:24
もっと具体的な情報がないと判断に迷いますね。誰がどういう順番で何をしたのかが分からない場合、裁判を維持するのは難しそう。

・20人対一人
加害者が増えることによって罪が希釈される場合も増大する場合もあると思います。

強姦の場合、加害者が集団のほうが一人の場合よりも罪が重くなりますよね。集団強姦罪。この場合、無抵抗の被害者に一方的に集団で危害を加えたということで、凶悪性が認められて罪が重くなるのでしょう。被害者が一人であっても死刑判決が考慮されるようになるのでは。あと、常識的に考えて20人いると中心的な人物が必ず出てくるので、その人がとりあえず死刑になる可能性が高まるのでは。

逆に、集団心理から抑制が効かなくなり殺人に至った、という場合は「加害者が20人」というのは罪を軽くする方向に働くと思います。

具体的にどういう経緯で殺人に至ったのかが決まらないとなんともいえないですね。

・5対5
これは集団同士のけんかでありそうですね。そういう場合だと罪は軽くなるのでは。

・5対10
被害者のほうが多いので武器で脅されたとか言う状況ですかね。銀行強盗グループが行員を人質にとった後に殺害したとか。殴り殺すというのはちょっと変ですが。そうだとすると凶悪性が認められて死刑の可能性が高まると思います。

2226Ken:2009/07/04(土) 12:45:03
すげー速さで流れちゃうんでメモメモ...

>>2142自分の考えに対する他者からの批判は常に自分の(考えの)ためになる、という理念

これは箴言ですねえ。それがないと確かに掲示板という媒体を使う意味はないです。

>>2154ところがここで、宅間守元死刑囚の処刑に対する被害者遺族や、いわゆる有識者の意見の中に興味深いものがあります。「もっと反省させてから処刑するべきであった」しかもこれは必ずしも少数意見ではなく、むしろ、あの事件にかかわってしまった人の多くが、同じように考えている(らしい)事に私は注目していて「凶悪犯罪者が自分の侵した罪の深さに打ちひしがれて更生する」こと自体は、被害者感情をいくぶんなり、抑える効果があるのではないかと思うのです。宮崎勉元死刑囚に関しても、結局、執行されるまで謝罪のひとつもなく、罪の重さを自覚することなく執行されたことに口惜しさを感じている人は少なくないようでした。

こういう視点は紫煙狼さん独自ですよね。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板