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死刑制度についてひと言お願いします

2186紫煙狼:2009/06/29(月) 22:32:59
トーフさん、ご回答ありがとうございます。非常に一般的で説得力のある模範解答だと思います。

さて、法には保護法益があると言うのは当然の話ですね。で、傷害罪の保護法益は云々だよ、と
言いますが、当然、法によって守られるべきものは色々あって、例えば
>「傷害罪」の保護法益は「人の身体の安全」であり
というのも、実際は他にも色々な法益がある中でも、最も重視すべきものは「人の身体の安全」で
あるよ、というのが解釈として妥当ですよね?人体の安全を守るという事に社会通念的側面がない
とは決していえませんから。

ところが、生きている人に対しての保護法益は「人の身体の安全」つまり対人法益であるのに対し、
死体に対する法益は対故人法益ではなく対社会通念法益であることに私は着目します。つまり、法は
「生きている人を優先的に保護する」という観点が先にあり、死体は法的には生き物ではない物体だが、
それに対する通念的感情を勘案すると路傍の石と同列には扱えない、と私は解釈しています。
もう少し、奇抜な言い方をすれば、死体に対する埋葬とか葬儀とかいう概念が全くない世の中なら、
死体損壊罪は成立し得ないと考えています。(これが法学界の常識だ!なんて言いませんから安心して)

つまり、私の考えでは「一つの事件で失われる人命は少ないほうが良い」という前提の下に、被害拡大を
防ぐために現行犯人を殺害するのは許されても、被害拡大の心配がない状態で、より多くの血を流すような
方法論が正当化されるとすれば、それは「感情に根ざす理由」以外にありえないと考えているわけです。
簡単に言えば「許せねぇ!殺しっちまえ!」ってワケですね。報復を基盤とし…といいますが、この報復
自体が感情の賜物であることは言うを待たないでしょう。そして、報復の限度を何処にするべきかと考える
場合は、逆に感情を廃して勘案しなければ「情に流され」ると考えています。

トーフさんは「何をやっても何百人何千人をどんな殺し方で殺しても犯人の命を保障する」ルールが公共の
福祉に反すると言うご意見ですが、逆に「一つの事件の決着として新たな血を求める」というのもまた、
公共の福祉に利するとは言えないと言うのが私の考えです。法や法運用が条文やら判例やらで制限されるのも
また、情に流されすぎることによる差異を限定するためであると私は考えますので「公共の福祉=情」なので
あれば、情に流されることは公共の福祉に利するものですよね?しかし、公共の福祉は情を含まないわけでは
ありませんが、情がすべてでもありません。生きている人間を最優先として法が運用されるのであれば、
被害の拡大を防ぐ緊急措置以外の目的を持って人の生命を奪うことの違法性を阻却してはならないと考えるのです。
つまり「応報」の許される範囲にも限度があると言う考え方ですね。私何度も言っていますが「応報」のために
加害者の命を奪うことが許されるというのは、多数決で生かすか殺すかを決めてよいと言うことです。
つまり国民の大多数が「ユダヤ人であるという事を罪と認識し」「その罪は死に値する」と同意すれば、
「ユダヤ人であるだけで殺されても仕方ない」世の中が出来上がるわけです。
(もちろん、日本人がそこまでバカだとは思ってませんよ?憲法でも信教の自由が保障されてますし。)

これがね?人間と言うものは人為的に何らかの措置を取らなければ半永久的に行き続ける生き物であり、
矯正教育の結果に全く以って期待できないと言うのであれば、死刑には賛成せざるを得ません。
どこかキリの良いところでこの世からご退場願うのは当然でしょう。しかし、100年あれば人は死にます。
それを、我々の手で早める必要は感じません。むしろ更正を信じるほうが公共の福祉ではないでしょうか?


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