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明主様
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有志からの投稿
これは私が投稿の教団史と関連するので、ここに再投稿しました。
元 世界救世教いづのめ教団専従者の、 2018年5月21日の投稿 。この人は当時 教団の誤りを告発した有志の一人だった。
それがもうこれは無理だと教団を辞められた。
その人の投稿からです。 謝罪と言う題名から入ってきます。別の
元信者氏が、この人も教団の醜態を見て離れた一人、この人は相当、救世教に憤(いきどお)っておられました。
の、投稿に対して、元専従さんの謝罪文からです。
「 元信者様、 あなたの仰ることはその通りです 。私のような 似非宗教者が教団を破壊し、元信者様のように明主様信仰を放棄する方を生みました。
その通りのことでございます。心よりお詫び申し上げます 。おっしゃる通りこれが教団の正体です。
渡辺派(現 世界救世教いづのめ教団 )の建前である教主中心などは、二派の勢力拡大のための大義名分です 。
当時はそれが分からずに同調した一人として、大変申し訳なく思います。
川合先生(現 世界救世教 東方の光教団)が山口組(反社団体)渡辺先生が稲川会(々)を使って裏で自派の勢力争いを行いました。
これが教団浄化の真実の姿です 。
明主様信仰とは何も関係はございません。
元信者様のような方を生んだのは、我々専従者です。
その件については弁解の余地はございません。誠に申し訳ありませんでした。」
これを読んで、ここに今の救世教の浄化の元があると思いました。教団浄化は四代教主が原因ではなく、救世教に原因がある。
明主様の教えを出汁( だし)に使っている。 明主様が晩年『私は化けているからな』というお言葉があります、
これは知らぬふりをしているから、お前たちは好きにしなさいと 、そしてお前たちの正体が分かったら、 その時は覚悟しとけ、ということでしょうか。
それがこれからだと思うんです。
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(無題)
>暴露が直接人々の悪想念(陰気)を誘発し、増幅する作用はあると思います。
これは実感しています。
母にワクチン打って欲しくないが故に、色々な情報を伝えてきたけど、
本筋、ワクチンに効果が無い話よりも、
薬剤メーカーや政治家の保身話、
の方が明らかに記憶に残ってしまっている。
母が友人にそういった内容を電話で話しているのを横で聞いていて、
ああ、失敗したな、と反省中です。
一番知ってほしかった本筋の話よりも、
他を責める話が強く印象付いてしまっていると。
ワクチンに限らず、全てに通じると思っています。
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(無題)
スピ系リーダーや宇宙人の転生らしき人達が言うには、正義感からとしても悪を批判や咎めをしても良くならない。それどころが悪が増幅すると言う。
教団の歴史に置き換えてみれば、他の批判するばかりの争いばかり。一向に良くならないなあと。酷くなってる気がする。
自分がどうであるか?他人よりも自分軸を大事にしたい。
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教規変更
プーチンのチェチェン戦争、 NHK でやってました。 この内情 を、当時の情報局員が暴露、外国へ逃亡、 後に毒殺された。
ロシアの建物が爆破され、それを チェチェン 共和国 がやったとプーチンはチェチェンに戦争を仕掛け、勝利する 。
そしてプーチンは 大統領に選出。テレビで
これは 自作自演と言ってました。それを プーチンはNATOの陰謀と言う。 真偽はわかりません、
これは世界救世教
川合氏が 松本明重氏と組んで 世界救世教の教規を変更、
教主を象徴にして、自分で物が決められないようにした 。
これも川合氏が教団の実権を握る思惑、自作自演に似ている 。教規変更を決める時、色々策略をしたと、神慈秀明会に書いてある。
それが後に 教主が問題を起こした。 中村総長を辞任させられない 事情がある。
教主が新総長を認証するのは違法だ、自分は絶対に辞めないと言い出した。
混乱が収まらない。
これは 川合氏が決めた教規変更に起因する。
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未来人
いつでしたか 、世界救世教いづのめ教団の勉強会、永峰先生でした。
先生は救世教がおかしくなった当時、渡辺理事長でした、そこで一人、裁判に訴えられてました。
ユニオンに入っておられたのか。
先生も有志の会だったんでしょうか。
それで裁判に勝った、それでも左遷(させん)された。
そして その頃、永峰先生が勉強会で 皆なそれぞれ、 遺伝子にインプットされている、
それぞれの使命が 神様によって 埋め込まれている。それを自分が、気づかないで行動をしていると おっしゃってました 。
そして「未確認飛行物体」の話になって 、これは私が質問したのか 、後で勉強会に参加した人に聞いても、記憶にないと言ってました、
それで、それぞれの魂に記憶がある。生きてきた部分が 魂に刷り込まれている。 何千年か、 それ以上に生きていた人はいたと思うんですね。明主様が、 10万年のことは分かるが、説明しても分からんから、1万年ぐらいの話をしようとありました。
それは宇宙人、 頭の大きい子供の形とか 、色々テレビでやってますが それは別として、何か文明の進んだところから来たものが存在すると思うんです。
明主様 御在世の頃、まだ まだ宇宙人とか、ああいうものは 理解されなかった。
今 時代が進んで、 人間が 月や火星に ロケット送ってます。 星が無限にあるその一つが地球であって、 そこに生物がいて、他にいないというのは現実的でないと考える人が増えてきた。
時代が進んできた。み教えには宇宙人はいないとありますが 、また 違うみ教えもあると、掲示板に投稿がありました。
私は「未確認飛行物体、 大峠で大きな働きをする」のお言葉、永峰先生からお聞きしたことは、 何か聞かされたと思うんです。
これは後の人が解明するかもしれません。
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新興宗教がわかる本、8
(続き)「岡田教主自らの新総長任命で、多くの信者たちは内紛ゴタゴタ劇も、これで幕が閉じると期待した。
ところがその翌日、中村力?前総長?は幹部会及び信者各位宛に「通達」を出すのだ。」( 前回まで)、
吉岡庸治氏の新総長選任は 、重大な違法行為の中で行われたものであって、しかも教主様を渦中に巻き込んだ暴挙と言わざるを得ないのであります。
「私を中心とする現執行部体制は、文部省の認証を受けた教団の『規則』そして『教規』によって、・・」中村総長は教主の?新総長の任命?は「違法」であり、しかもこれは改革派が教主を捲き込んでの暴挙と決めつけ、したがって私は総長を降りないと突っぱねたのだ。
赤っ恥をかいたのは教主である。 岡田教主は日頃 、幹部とりわけ、 末端信者から 象徴として、なかば、?神?扱いされていたのに、その神をも恐れぬ輩(やから)が教団内に出てきたのだ。
逆に言えば教主の権威のなさを、自らさらけ出したことになる。教主を信仰のシンボルとする新興教団にとっては、まさに致命的な事件だったといえよう。
ところで、その頼りない教主が新総長を任命したその日、法務調整委員会の三浦重治委員長は中村総長をはじめ、一部の教団幹部を静岡県警察に告発するのである。
受けて同県警と地元の熱海警察署は関係者の事情聴取に乗り出した。( なぜかこの告発は同年9月20日に取り下げ )6月に入って教団内に、新たな第3グループによって「新生協議会」( 現 いづのめ教団)が結成され同教団は教団の内紛解決に乗り出した。
一方中村総長は11月に入って「新生協議会」の解散を発令し、全国の布教所、県本部長など約700人の幹部に次のような文章を配送している。
「 告発を受けて以来、被害者の立場に置かれていたので、司直(??静岡県警)の手によって潔白が明かされるまでは、言動の全てが歪曲され不要な誤解が生じることから、今日まで沈黙を守ってまいりました。・・・ 怪文書によると、私は6億円を株式に投機して欠損を出し、それを建設の認可申請もされていない、有名無実の霊園事業に、切り替えたということにされているのでありますが、そうした事実は全くないのであります。狙いは(反総長派)の権力であります。
仕掛け人は成功した時、どんなメリットがあるかといえば、自分の存在自分の力を、教団の中に大きく影響させることが出来るということ、狙いは総長おろしであることが分かった。・・」
こう力んで見せる 中村総長であったが、新生協議会では、前回の調査委員とは全く別の、「6億円の金銭疑惑」をめぐる調査委員会、(委員長・木村統一郎弁護士)を設けた。
結果は前回の調査委員会と同様「99%の黒」と出た。そして同調査委員会は12月10日、中村総長を再び、静岡地方検察庁に詐欺罪で告発するのだ。
窮地に立たされた 、中村総長は逆襲に出た。
反総長派の実力メンバーである教団最高幹部、川合輝明氏、藤枝茂(岡田教主の亡夫)、故石原幸雄氏らの実名をあげて、
「彼らも、教団関係の不動産などから多額のリベートを取っていた。その証拠もある 。」
不正してたいたのは、俺ばかりではないとばかり、
教団の最高実力者である総長 自ら 、教団腐敗の一端を暴露するのだ 。
もはや泥仕合である。このようにして2年にわたる紛争がダラダラと繰り広げられてきた。
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世界救世教が 歪(ゆが)んでいく、 一元化当時(今日の教団浄化の原因)
「地区制(一元化)をやっていたのは、K合管長一人なのです。
全部自分でやっていたのです。もちろん誰に相談してやっていたかは後ほど分かります。
相談相手が京都にいた訳です。 京都のおかしな男( 某右翼団体のボス)に相談してこれをやっていた訳で、会主様は全然ご存知なかった。
だから3月31日突如姿をくらます前の日、明日4月1日から地区制にするなどと、大きなこと言っている訳ですが、一体で出来のですが、どうされるのですかと、言って会主様はK合に詰問なさった訳です。
というのは布教部長ですから、会主様には布教のことが全部お分かりになるのです。
全国各地の教会をずっと回っておられますから、内部事情は一番よくご存知です。どういう教会長が、どんな生活をしていて、どういう風に布教しているかということを、全部ご存知です。
これを(一元化して)まとめていくのは、大変なことだ。
そんな1日で書類の上だけ返事をしたというハンコをもらって、できる問題と違います。
それからもう一つ、これが欲が絡(から)んでいた。もちろんK合は欲でやっているのですが、教会長にも欲が絡んでいた。
教会長は自分が御用させて頂だいている教会の土地なり、建物を自分の名義にしている人が非常に多かった。
神慈秀明会はこの本部御神前もそうですし、本部の土地もそうですし、 宗務棟も 道場も皆そうですし、各支部もそうですが、会主様や私の名義のものはひとつもありません 。
これは全部宗教法人神慈秀明会のものです。いわば法人のものです。ところが他の80いくつの教会の多くは法人でないところも沢山あったのです。
ということは各教会長の名義になっている訳です。
教会長のものなのです。教会長の家であり、教会長の土地であり、教会長自身のものになっていたのです。
こんなことは本当は良くないのです。当然法人のものなのです。
ただ、そういう私利私欲がある訳です。教団にはそういうのがいっぱいいたのです。会主様は潔癖です。
いわば教会を私有物化と言うか、自分のものにしたい人が沢山いたということです。」
「神意の離脱」 神慈秀明会 発行から
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秀明紙がきた。
今秀明の世話人が新しい新聞を持ってきました。
3000年の罪のイメージ画を見せました。第三者が見ないと客観的に見れないから 大きいと驚いてました。
右にいるのが 父上と叫んで 止めようとする 国常立尊の娘 、これは大本教の開祖出口直と聞いてますが。
そして刀を振り上げるこの天若彦の尊が 、 この時が夜の世界の始まり。
私は画期的なんだろうと思うんですが。
天若彦尊が 中島一斎先生の前世であると これは元専従さんが投稿されてました。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005640.jpg
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(無題)
同じことを繰り返し書き込むのはどうか・・・???
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秀明新聞
ばんさん、おっしゃる通り、 ただ言えるのは、国常立尊の娘が、出口直の前世である。書いたもの、 スクラップ、探しても見つからない、 どなたかご存知ないか。
間違いないとは思うんです、
違うとなっても、絵は成立する。
話は変わって 、秀明新聞を見たんですが、 白人の助教師が、2人誕生と書いてあります。
マルセロ、デ、ソウザ助教師の発表
抜粋 、会主様カレンダー今月のお言葉 、
「明主様の御心を心として」
積極的に、
朝起きても御守護、昼も御守護、夜寝る時も??御守護、
御守護の連続ですよ。
以上でございます。
マルセロは今回の試験勉強(??助教師の)におきまして、多くのことを学ぶ貴重な機会となりましたことを、心から感謝しておりました。明主様の御事、み教え、さらに、会主様の明主様信仰、命様と共に真の明主様信仰を守りくださった「神意の離脱」、聖地神苑から、これまでの種々の建設、今まで学んだ内容が浅い理解であったことを反省し、より深められたことに大きな喜びを。(中略)
(マルセロ、デ、ソウザ助教師)
「私はイギリスでの生活が長年に及びますが、もともとはブラジルで生まれ育ちました。14歳の時キリスト教の奉仕精神、美徳には憧れて信仰の道に入りました。19歳の時、2年間宣教師としての奉仕生活をしました 。
(中略)神慈秀明会に出会うまで、私は長年ひどい花粉症で苦しんでいました。(中略) ところが御浄霊の御守護で症状はなくなり、完全に治ってしまいました。(中略)
ある日ものすごい感謝の気持ちと共に、体全体が強いエネルギーに包まれている。 その感謝の気持ちは泣けてくるくらいでした。
(中略) (ブラジルでトラック事故で御守護をいただかれる。)
神苑(本部)奉仕は私自身の魂を深く見つめ磨くことによって、私が少しでも明主様のお心に近づかせて頂くための機会でした。(中略)」
◇ブラジルの故郷に 明主様のみ光が広がっていたことについて話してください。
「2012年本部奉仕からロンドンに帰ってからは、より大きな想念で御用をしようと、情熱と活力に溢れていました。 (中略)、母は 命に関わる 病気と診断されたのですが 、ブラジルのサンパウロセンターの職員たちが母に御浄霊をする為、飛行機で3時間かけて、私の故郷に。そして母は短期間で奇跡的な回復を見せました。感謝いっぱいで母と弟が2013年の8月に?おひかり?を戴だきました。母はそれから、どんどん人に御浄霊をするようになり、信者の数は毎年少しずつ増えていきました。これまでに22名が?おひかり?を戴だき、まだ数名のおひかり 拝受の予定があります。
母は、ブラジルに明主様のみ光を広げるべく、2016年に御神体御奉祭が許され。
そして母の家には信者、未信者が集まるようになって、日々礼拝、御浄霊をするようになりました。
現在私の家は参拝所のようになっています。(後略)
会長先生は将来どうするのかを聞いてくださり、
「しっかりして使命を果して下さい」とお言葉くださりました。そのとき世界人類のために尽くすよう使命を頂いたと思いました。それは今日までの道を歩むにいたる決定的瞬間でした。(中略)
その日の午後、空に金龍が舞っているのが見えました。」
(後略)
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天若彦の尊
掲示板、もうすぐ終わりる、皆さん思いの丈をどうぞ
こういう機会はないと思う。
普段思っていることを。
出口王仁三郎神示集、「伊都能売神諭」から
これは3000年の罪という絵を書いてますが、
これは明主様のみ教えでもありますが、
その元になる ものと思うんですが、抜粋、
「稚日女岐美尊( わかひめぎみのみこと)の後見を為された至善の神が、 天照日子尊(あまてるひこのみこと)であるぞよ。
天照彦命(あまてるひこのみこと)は、海潮(かいてう)の肉体に宿りて、五六七の世の御用を致して居るなれど、誰もまだ分かりて居らぬぞよ。
この神が表にあらわれたら 2度目の世の立て直し、九重の花が十曜に咲くので、三千世界の統一が成就するのであるぞよ。
この神々が大国常立尊の差添え大和魂の生粋であるから、タ、キ潰しても潰れず、火に焼いても焼けもせぬ豪強なる御魂であれど、
大地の祖神(おやがみ)が世に落とされたについて、供に落ねばならぬようになりて、是非なく世に落ちたのであるぞよ。
時節参りって、地の先祖の ※国常立尊が再び世に現れるについて、供に今度は現れて万古末代萎(しぼ)れぬ花咲く、結構な神代が来たのであるぞよ。
世の元の国常立尊を 世に落としたのは第一番に、天稚日子命(あまわかひこのみこと)であるぞよ。
天稚日子命は大変に女の好く神でありたから、女神を沢山に部下につけて、天の規則を破りたり、破らしたり、体主霊従の大将となりて、世を荒らした神でありたぞよ 。
天地の分かれた折りからの邪気、凝(こりかた)まりて、体主霊従の邪鬼と成りた神が、天稚日子命であるぞよ。」
(天若彦尊(あまわかひこのみこと)が、 夜の世界を作った。これから国常立尊(メシヤ)が表に現れて 、立て直しが行われ、地上天国になると書いてあります。
天若彦は色男だったということか 、女の部下が沢山ついていたとあります。 女を惑わしたということですね 。この中に国常立尊の娘もいたということでしょうか。)(一番)
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明主様は桃の実
神慈秀明会の人が見たらいい、 他の人たちは桃と言っても ピンとこない。
これは昭和10年観音講座、第6講座、
三位一体にあります。
《三位一体 》
『この大本教の二人は私と供に、三位一体となるのであります。王仁三郎先生は西王母なります。
3000年の桃の実を天皇(主神)に献じたのであります 。私は?桃の実?であります。
桃太郎は私で、王仁三郎先生は婆で、教祖は爺であります 。
昨年私(伊都能売として)が生まれたから、母体至る大本教から離れたのであります。』
大本教の出口直、王仁三郎は 経(たて)と緯(よこ) であって 、完全ではない 。
そして 明主様が、その真ん中、両方を備えた完全(伊都能売)として 誕生された 。それが明主様であって 、桃の実であると書いてあります。
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大本から見た岡田茂吉
岡田茂吉全集 著述篇、観音講座、 第6講座、 抜粋、
『昨年私が大本を辞める時、大本と大喧嘩をしたが、
それは産みの大浄化であり、
(後略)』
大本と大喧嘩をしたと書いてあります 。
そして 出口王仁三郎が明主様におひねり(お守)を作るのを許したとみ教えがある、これは 世界救世(メシヤ)教から見たみ教であり、大本から見たらどうなのか、 その記事があります。
「また世界救世教を創始した岡田茂吉は、その当時大本に入信し後東京の大森支部長として活躍したが、岡田と王仁三郎の間に面白い逸話が残っている。
大本では昔からお守りを出しているが、お守りを書くのは教主か、それに準ずる特別の人に限られているところが、いつのころからか岡田は自分で、そのお守りを書きはじめ、支部の信徒に下付していた。
この噂が大本の幹部の耳に入り、けしからん振る舞いだと激怒した幹部たちは、岡田を王仁三郎のもとへ引っ張って行く。
幹部の口々に告げる御注進を一通り聞いた王仁三郎は、やがて岡田を前の方へ手招きした。
岡田は百雷一時に落ちることを観念して、ひたすら平服する。
すると王仁三郎は岡田の耳元に口を寄せ、他のものに聞き取れぬ低い声で、
「 ああ 言うて、みんな怒りよるからな、みんなに分かんぬように、内緒にやれよ」と言ったのである。
後年教団を率いた岡田は『同じことを自分の部下がやったら、とてもほっておけないだろう。
親父は大きかった。親父が懐かしいなあ』とつくづく 述懐したと言う。」
( 出口直、王仁三郎の生涯「大本」伊藤栄蔵、講談社)から
これはそのまま、み教えがある。
何か情景が見えてきます。
明主様は特別な人物であると、王仁三郎は見抜いていた。
立場上言えない 。その一端を見せられた 。
面白いですね。
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自民党
み教えとは関係ないんですが、 今自民党が政権を握っていて、細田議長がセクハラ問題で国会で辞めさせるかで問題に。
自民は問題ないと言って、 自分達は国民の支持率が高い。関係ないとはねのけました。
野党はどうして弱いのか、 これは、支持率 、選挙の投票、全てこれを動かす事ができる「ムサシ」という開票マシンがあると 、ジャーナリスト書いている。アメリカでも問題になったと。
これが事実なら、問題起こしても自民党、高い支持率 でおられる。
《ロスチャイルド、ロックフェラー選挙結果支配》
「このような不正選挙が白昼堂々と行われてきた、 あなたは声を失ったはずだ。
その 現状 を一人の青年が YouTube で告発している。 あなたも拡散して欲しい不正選挙。
7月21日参議院選挙、日本の選挙はロスチャイルド、ロックフェラーに支配されている。
私も彼の熱意をここに拡散し応援する。
安倍政権はロスチャイルド、ロックフェラーによって仕組まれた。
選挙は大きな権力によって操作されている。
投票用紙が書き換えられている。 一人で何枚も用紙を偽造して 票数を水増ししている。 投票結果はあらかじめ決められている出来レースだ。
そこで
?ムサシ?という会社名が登場する。以下 YouTube より」
船瀬俊介、「日本の真相から」成甲書房
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新興宗教の裏がわかる本、9
《教主自からも金銭不正疑惑問題の渦中に》
60年(1985) 9月30日 静岡県 地検沼津支部は 6億円疑惑で告白されていた中村力総長に対し「嫌疑不十分」として不起訴と裁定した。
そうなると俄然、元気を取り戻したのは中村総長である。
早速教団内に私に対する疑惑が晴れた以上、「私は教団の総長としての責任を全うし・・」とアピールした 内報号外をばらまいた。
一方教主任命の松本康嗣総長は、機関紙『栄光』60年10月29日付で、「中村氏は「不起訴」即、「白」であり、「潔白の証明」であると宣言し、総長として復権する旨を表明しておりますが、
このことは信仰的反省が全く見られないのみならず、善良なる信徒と社会を欺(あざむ)くものであり、明主様(岡田茂吉)のみ教えてに照らして、・・」と激しい批判の矢を放っている。
どうしても総長の椅子にしがみつき、権力の座から離れまいとする中村総長をなんとか、おい落とそうとする改革派との対立は今なお、平行線をたどったままである。
教団のこうした異常事態にこそ、教主としての出番があり善悪を極め、きっぱりと裁断を下すのが務めであり責任だ。
だが その教主がいかんせん力量不足で、その権威すらも持ち合わせていないのみならず、教主自らが、スキャンダルの渦中に落ち込んだので、なんと今度は岡田教主自身の?金銭不正疑惑?を示す内部帳簿が表に飛び出したのである。
教団追及の矢が中村総長一人に向いていたのが、岡田教主自らも、中村総長と同じ?被告の席?に座るはめになったのだ。
いったいこの教団はどうなっているのだろう。
「私は宗教法人世界救世教の経理部職員です」で始まる内部告発文書にはこう記されていた。
この「書類(コピー)は世界救世教の教主室の職員が上司の指示により、空出張や来客に支払うべき祝金、車代等を教団経理部より引き出し蓄(たくわえ)たものを、世界救世教の最高責任者、藤枝イツキ教主(教団では岡田斎と名乗る)の私的な出費に当てていたことを示すものであります。
ちなみに昭和58年4月より12月までの100%私的なゴルフの出費についてまとめますと 、別紙のとおりになります。
世界救世教の教主がこのような卑しむべき不正な脱法行為をさせていたとは、誠に恥ずべきことでありますが、これらはごく一部であって、20年以上にわたって教主私邸における私的な食事や・・・」と告発が続いている。
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世界救世教
新生の松本総長、
新生 (現いづのめ)は教主を中心に置くとする。それに反対なのが川合氏の東方の光、ここは教主を否定してます。 その考えが 根底にある、
教主も川合氏も、 どちらも、み教えから外れたことをしていた、
教主を否定する川合氏、共感できるし、川合氏を否定する、いづのめ、 これも共感できる。
狐と狸の化かし合い。
これは世界救世教 。しかし今その 四代教主が 信徒を連れ、 離脱したので、 そうも言っおれんと慌て出した。
これは2018年7月8日 世界救世教いづのめ教団 元信者さんからの投稿です
「久しぶりに書き込まさせていただきます。先にどなたか書れてましたが、「 神議論」とか「教団崩壊」とか、元信者とはいえ寂しい限りです。
教団の輝かしい時代、幼少期から青春時代を過ごしたこと、今も感謝でいっぱいです。
教団の歴史や、人間関係に詳しく知るものではありませんが、あの昭和57年当時に戻って欲しいと願いつつ、今も熱海や箱根の聖地写真などを眺めております。
当時の専従者や幹部の先生方にもお聞きしましたが、数々の離脱問題や、社会的問題を起こしてきたが、ようやく地元市民にも受けられる時期を迎えていたと言ってました。
何度も繰り返し言いますが、
あの当時に戻すべく努力をなぜ出来ないのでしょう 。
三派の紛争時「御神体を変える」「祝詞を変える」「自然農法のあり方を変える」等々、分裂の促進を図ってきたとしか思えない。
(中略) 信者から元信者になったきっかけでもあります 。
今からでも一つずつまとめていく努力をして欲しい。
私は信仰二世でしたが、 明主様を知る親が亡くなる時の願いでした。
もう教団内部の方達では無理でしょう 。
あの当時の?正常化連中憎し?で救世教を辞めました。」
当時の事をご存知であると書いてあります。
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(無題)
昭和二十七年十月六日
「ですから自分を酷い目に遭わせたり苦しめたりするという人は、自分の曇りを除ってくれているわけです。浄化作用の仕事をやってくれているわけです。そこまで来ると、感謝してもよいことになってくるのです。この間裁判所で、公判がすんだ時に被告の感想を言わせたのですが、ほかの人は今まで間違った調べをして、検事や検察官はけしからんと、今までの言い足りない不満足を言ってましたが、私は今まで検察官やなにかのお蔭で、私はたいへん磨かれた、そのために教団も堅実になった、大いに御苦労であった、それを感謝する。ということを言ったのです。で、なにも迎合したり、そんなような意味ではないのです。今言うように、大乗的に考えればそうなるのですから、大いに感謝してよいのです。だから、考え方というのはそこの点です。そういう考え方が信仰の価値なのです。価値ではない、それが蕊(ずい)です。」
頭脳の拷問と言われるほどの目にあいながら、検察に感謝するとおっしゃる明主様に神習うのであれば、N氏にもK氏にもW氏にも感謝して然るべきかと思います。
そして反省すべきは、そうしてこれなかった信徒であり専従者ではないでしょうか。何より信仰の「蕊」であるということですから。
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新興宗教の裏がわかる本、10
人を裁いてはいけない。 それは神様の特権であるから、
これは検証です。 検証と言っても露骨すぎるではないか 、それだけ 3000年、9000年の検証、重たいものだと思います。
この掲示板も終わるので、こういう事は表に出ない。
若い人たちに残す 、知る年配者も少なくなっています。
どうして今教団がこういう形になっているのか 。
もちろん神慈秀明会も昔 、会主様が息子の元会長が亡くなった後、奥様に多額の金銭譲渡があったと記事がありました。 これは真偽、経緯は知りませんが 、これは大きく見たら、今の教団の状態で判断できます。
衰退しているか発展しているかですね。
何事も分からなくなってたら、遠くから見たら 分かるとあります。
(続き)
「( 前略)
昭和58年 (1983 )4月〜昭和58年12月まで、裏金から出張等で蓄えた金品で、 教主様がゴルフに行かれ、清算された回数は30回、(240万円余)に及ぶ。
その他、接待ゴルフは教団経理部において正式に経理処理されている。したがって、これは全く私的なゴルフの精算で、それが信者の浄財で処理されていた。」 果たしてこの記録が事実なのかどうか、比較的信憑性が高いと思われるのは、実はこの帳簿類が「もちろん所轄庁である名古屋国税局にも掲出してあります。」(内部告発文から)
と明記されているからだ。 これでは岡田教主も6億円不正疑惑の中村総長に対し、強く責められなかったはずである。
それにしても目を見張るのは、ゴルフプレーの日の多さだ。よほどゴルフ好きなのか、それとも教主の職種というのは これだけ暇を持て余しているのかと思いたくなる。
58年8月2日、教主様ゴルフボール4200円、8月29日教主様用菓子、和、洋、6000円、9月9日教主様用菓子、納豆他2500円、9月9日教主様ケーキ2200円と、細かいものまで記録されている。
宗教法人の経理のずさんぶりは今に始まったことではないが 、それにしても教主が食べる菓子、 ケーキ、納豆の類まで、宗教法人の経理から出ていたとは恐れ入る 。
かって KDD の社長が、自分の女房の下着類まで会社に請求していたことが明るみに出て、世間の失笑を買ったが、全くその類といえよう。
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教主
教団トップの想念が下の信者に 行く。
これは 当時の幹部達が三代教主を骨抜きにしたんですね。
だからゴルフ ばかりやって、 明主様は 夜中の2時まで人を助けるために揮毫や指導をされてましたね 。
寸暇を惜しまず 、その想いが弟子達に伝わって、 救いが広がった。
時間にも大変厳しくあられた。 教団によって、今でも神慈秀明会はとても厳しいですが、
他の教団は 会長が時間に遅れて始まるというのを見たことありますが、こんなに違うのかと思いました。
これは布教していたら分かります、一生懸命やっていたら、自分が導いた人が、人を導いて、そこからまた導いた人が導いて、広がっていく、それは霊線を通じていくからよく分かる。
トップが自分で物が決められないで、ゴルフばっかりやっていたら、下の信者たちは 春の陽気ですね 。緊張感がなくなる、 悪魔の思惑通り。
教主は明主様のお書きになったものを 棒読みする、芯がないから 信者に表裏が出来る。
教主としては責任もあるし、またそうさせた幹部達の責任もある。
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(無題)
成長とは何か。という成長の定義も人それぞれだったりするように思っていますが、
過去自分比で、例えば数年前の自分と今の自分。良い変化の実感が持てる事というのは
結構大事な気がしています。信仰も日々精進の心が肝心と思っているので尚更なのかな。
自他共に二人三脚・三人四脚で進めている実感があるのと無いのとでは人生の充実感にも
違いがあるように思っています。幸せを実感する部分とも繋がっていると思うと言うか。
例えば十年前の自分と今の自分を比較した時、「あぁ、たいして成長出来てないなぁ」と
感じるとしたら、「一体何の為に生きてるんだろ」みたいな思考とも繋がりそうな気がする。
そんな意味からも、ここで皆さんに一つ質問をしてみたいと思います。
(投稿・返答はどちらでも構いません)
【あなたは、今の自分の事が好きですか?】
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秀明会
佐藤さん、すいません。話は僕は僕で勝手にします。
みなさまは佐藤さんのことを、 僕は自分のことを。
自身が
好きかと言われたら 、昔は好きじゃなかった。今は こういうのもあっていいんじゃないかと、 だんだん好きになってきましたね 。大雑把でしたが 、
話は勝手にします、
数日前、神慈秀明会に秀明紙勉強会で行ったら、新聞を忘れたので、世話人から 助教師 の部屋かどっかに置いてあると聞いた記憶で探していたら、わからずに入った部屋に机の上に、秀明紙があったから、それを借りて、後で返そうと思って、バタバタ行ったんです。
そしたら、後から厳しく注意を受けて、勝手に入ってはいけないということですね。
そこは関係者、教師の部屋だったんでしょうか。 それで普通だったら、こっちは知らんで入ったんだから、そこまで言うことないだろうと反発するんですが、昔の僕なら
?お前は何様か!?と言うかもしれません。
今はそんなこと言いません。 みんな秀明に反発して離れた人は、そうなると思うんですが、 私はそういうこと言いません。腹の中では思いますが。
それ以上に、秀明に良さを感じるからでもある。
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(無題)
>私はそういうこと言いません。腹の中では思いますが。
心言行の一致という意味で、心(腹の中)と言動が一致していない事について、
1番さん自身がそれをどう捉えるのか。は、私の課題ではないので興味も関心もありませんが
自分自身の事というのは、中々自分自身では気付きにくかったりするので、そういう意味で
一応自分の気に掛かったものだから「自分自身の役目として」伝えるだけは伝えておきます。
返答などは一切要りません。どうぞやりたい事に専念して下さい。
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(無題)
他人に何かを勧める、そこまでいかなくても示唆する。
掲示板でもよくある日常風景ですね。
伝える側は基本親切心。または自身の矜持。
仕事などのように、どうしても妥協点を見出す必要が有る場合もあれば、
この掲示板のように、特に必要の無い場合もある。
僕は単純に、書き込む人は親切だと思っています。
その親切が、常識的で有るか、押し売りであるかは
読んだ人の受け取り方次第、その反応でだいたい分かる、でしょうか。
さて、自由記述と選択閲覧を同時に実現するような掲示板が望ましいと感じています。
現在の仕様だと、自由記述&有る意味強制閲覧なので。
強制性は、明確に時代遅れ。
現在の仕様では、常識の異なる人同士が意見交換できるという長所を知る前に、
強制性によって興味を失いページが閉じられてしまって、
長所にたどり着けない人が相当多いんじゃないかと推測します。
投稿への返信形式、返信があった元投稿が上位にくるような掲示板を物色中。
しかし複雑でなく、とっつきやすいことも大事。
この掲示板のシンプルさは、かなり長所だと思っています。
良さそうな掲示板があれば、皆さん教えてください。
>【あなたは、今の自分の事が好きですか?】
過去自分比かなり好きです。
理想の自分には程遠いですが。
あるがままの状態を感謝できるようになってきました。
ちなみに体重は、半年前の眼の浄化発覚時は70kg。
現在は55〜57kgくらい。腹も引っ込みました。10年ぶりくらいに。
今の体型は結構好きです。今後はもうちょっと筋肉付けたい(笑)
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(無題)
いいなと思った記事。望月俊孝さん。
【目の前のことをどれだけ楽しめるかゲーム】
を僕たちは生まれる前に決めて、80億の仲間とこの世界に、この時代を選んで降りてきた。
★初級→楽しいことをどれだけ楽しめるかゲーム(中級以降は乗り気でないゲーム)
★中級→何でもないことをどれだけ楽しめるかゲーム
★上級→ちょっと重いことであってもどれだけ楽しめるかゲーム
★特級→降りかかってきた大変なことでさえ どれだけ楽しめるかゲーム
★最上級→どんなことでも楽しんじゃうので、楽しいことしか起きないようにしか見えないゲーム
今、僕は中級から上級ゲームをメインに取組中で、初級・中級ゲームはほとんどクリアするのですが、、、
楽しんでやっています。
・・・昼の世界♪
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(無題)
>現在は55〜57kgくらい。腹も引っ込みました。
おぉ〜。霊肉共に変化した。という訳ですね。なによりと思います^^
大変な浄化の渦中にある人の発言とは思えないくらい凄い事だと感じました。
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(無題)
>【目の前のことをどれだけ楽しめるかゲーム】
なかなかいいね、それ。
自分はかなり上位のプレイヤーだと思った(笑)
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(無題)
話が進むにつれ、段々と埋没して行っちゃうのでもう一度投稿しておきます。
今日、最も書きたいなぁ〜と思っていた事。
【あなたは、今の自分の事が好きですか】
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(無題)
>自分はかなり上位のプレイヤーだと思った(笑)
使う言葉の雰囲気からして、タカシさんは楽しめてると俺も思うよ(笑)
俺はまだ初中級かな〜。まあマイペースで。
他人と比較しなくなったのは、過去比とても好きな部分ですね。
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(無題)
>話が進むにつれ、段々と埋没して行っちゃう
これこそ、次の掲示板では改善したい、と思う点。
返信が有るたびに、上位表示に返り咲くような。
まあちょこちょこ探します。
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琳派
なんでも鑑定団見ていたら、 オーストリアの 画家グスタフ、クリムト( 1862年〜1918年 )妖艶な女性を描くと紹介、 この人の絵が
2006年、 156 億円 で売買されたとありました。 影響を受けたのが琳派と言ってましたので、 琳派といえば尾形光琳ですから 、本当に世界に影響を与えたんですね。
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御面会
これは岡田茂吉全集 付録、解説、 安食卓郎先生が書かれたものからです。
抜粋 、《明主様に初めての御面会》
「昭和19年(1944)5月東京大空襲で家を焼かれた私共は、昭和21年、井の頭線、東松原駅の近くに家を購入し、 山中湖から転居していました。私共は近くの東松原治療所の遠藤先生のご指導を受けておりましたが、私が仙台や山中湖で浄霊活動している姿を見ておられ、 遠藤先生より、「明主様に御面会させてあげる」というお許しが出ました。
当時戦後とはいえ、明主様へのご面会は活動者でなければ許されませんでした。 現在、「聖地参拝を許されて・・」という言葉がありますが、これは御面会を許されるということから始まったのです。
昭和21年の7月でした。場所は箱根、神仙郷の観山荘です 。」(午前11時から正午まで、月に3回教会のグループ別での御面会、今式典が11時から始まるのは御面会の開始時間、その名残でしょうか)(一番)
「小田急線に朝暗いうちに乗って箱根に行きました。その頃は戦後の荒廃で、電車の窓には所々 ガラスがなく板が貼ってあり、風がピューピュー入ってくる、
各駅停車の電車でした。私は当時学生ですから、学生服を着てのご面会でした 。
ご面会場所である観山荘の「上の間」に通されて、初めて明主様にお会いしました。学生でしたので一番後に 着座 しました。集まったのは3、40人です。「大先生のお出ましです」と言われ一斉に平伏します 。衣擦れの音が頭上をよぎります。
着座されるのを待って一斉に頭を上げます。そこで坂井先生が明主様にご挨拶を申し上げ、言葉を交わされる。
他の先生方は黙って頷いている。お話をしているのは坂井先生と明主様だけ。
御神業の話になると私のような初心者には、さっぱり理解できません。
あの頃は御経綸とか、神界の話がほとんどです。こっちはさっぱり分からない。ただ ひたすらじっと明主様が話されているお姿を、穴があくように見ているだけでした。
御面会は2時間位、その間 正座で足は崩せず、棒のようになりましたが耐え抜きました。」
(何かその頃の情景が見えてきます 。初めは神界のお話、経綸のお話をされていたんですね。
安食先生のご子息は、 世界救世教いづのめ教団、鎌倉教会でご奉仕をされていると、鎌倉の人に聞いた覚えがあります。)(一番)
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新興宗教の裏がわかる本、11
さてこの掲示板ももう終わりが近い。 パタッと画面が消えたら それまで、その前に 「新興宗教の裏がわかる本」段勲さん( 政界往来社)の本ですが、 これは 1986年 に出された本、 40年近く前で古いです。この本では色々な宗教団体が書いてあります 。
その中に「神慈秀明会」がありました。 簡単に書いてありますので 紹介します。
「資金のおおらかさでは「神慈秀明会」(小山美秀子会主)=(本部所在地京都)も負けてはいない 。
神慈秀明会は昭和45年、静岡県熱海市にある「世界救世教」から分派した教団である。
昭和45年当時の世界救世教は?中興の維新?と称する新体制の改革を行った年だ 。
改革と言うと聞こえは良いが何のことはない、それまでバラバラに運営されていた全国62の各教会を、本部にひとまとめしようとしたのだ。
早い話、教団本部の権力の金力の集権化であった。
本部のこうした身勝手な改革に、教会によっては裁判にまで訴えて反発した 。当時「世界救世教」の創立者、岡田茂吉の愛弟子で理事職を務めていた小山美秀子女史も、教団の改革に反旗を翻して、独立し「神慈秀明会」という新教団を結成するのだ。
同会の公称 信者数は約6万人、実数はその1/3と言われるが、この小規模教団が一昨年、滋賀県甲賀群の山中に何と150億円を投入して、「教祖殿」を建設したのだ。
活動信者数わずか2万人ぐらいの力で150億円を超える建物が建設されたのである。
実際に滋賀県甲賀郡信楽町の山中に、足を向けてその建築物を見学した物好きな人の話によると、「 富士山のような形をした大屋根を持っていて、その屋根の上でスキーが楽しめるほどの大きな寺院」だと言う。
ここまでです。
これだけの建物が 150億円では出来ないと思います。 もっと大きな金額であると聞いた記憶が、 これが建設されるまでには 、短い期間でしたので、
お救い。 献金、目標を立てて、明主様の 御生誕100年を目指してやっていたと思うんですが、
神慈秀明会は桃ですから百、 もも(100)ですね。
秀明は絶対、約束を守る教団。たから
色々浄化もありました。 そして達成、今の
神慈秀明会が出来た。
下は美術館から見た「教祖殿」
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005665.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005665_3.jpg
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(無題)
>【あなたは、今の自分の事が好きですか】
あえて考えた事はないですが端的に言えば、好きという事になりますかね。
心の中心軸にあるものも10代の頃と、ほぼ同じです。
今までの成長過程で思い起こせば、好きと少しだけ嫌いを繰り返しているような感じだと思います。
もし、この嫌いに思える度合いや期間が長すぎると生きる事自体が苦しくなるのではないかと想像しますね。
>話が進むにつれ、段々と埋没して行っちゃう
これは読み手の想いや捉え方次第ですが、話題が複数あるように感じられる場合、これは仕方がない事ではないでしょうか。
よくよく考えてみれば、ああ、関連性があるかも・・と思えることもありますからね。
個人的には単に時系列で表示される現状の方が、ありのままで自然だと思います。
まあ、それはさておき、FC2の掲示板はどうでしょうね。
選択肢もいくつかあります。
https://bbs.fc2.com
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ご参考に
「したらば 掲示板」
https://rentalbbs.shitaraba.com/
テーマ毎に複数のスレッド(掲示板)が立てられます。
自由に立てらるようにも、管理人だけに制限することも出来るようです。
↓ツリー式掲示板も討論向きかも?
開設するには費用がかかるかもしれません。
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/security_previous/kiso/k01_bbs.htm
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絵
『三千年の罪』ここまで出来ました。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005668.jpg
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(無題)
minoruさん、どうもありがとう。もう他からの反応は多分ないだろうな、って思っていた
だけに、ちょっと意外でした。あるとすればリーチさんくらいかな、とか(笑)勝手に。
自分自身の事として、そんな意外性すら、他をちゃんと理解しきれてない。っていう事が
良く分ります。自分の勝手な思い込みってホント要らない(笑)
とは言え、勝手で余計な思い込み・予測みたいなもんは常にセットでくっついてたりするん
だけど、だからこそ、常に柔軟であり続けたいと思うなぁ〜。改めてそんな事を思った(笑)
普段、考えた事もない話って、自分にとっては斬新で面白く感じたりするけど、こんな感覚
にしたって、人には無かったりするもんなんだよね。人は自分とは違うからこそ面白い。
今回の、この【あなたは、今の自分の事が好きですか?】は、実際にリアルでやった事を
掲示板でもやってみたくて書いたんですが、リアルでは人によって返答が様々だったので、
そこに面白さを感じたのでした。へ〜、自分とは違うんだなぁ〜。を実感するタイム(笑)
実際に、この質問の次にした質問なんですが。
【じゃあ、今の自分に点数をつけるとしたら100点満点中、何点くらい?】
こっちも行ってみますか?(笑)
この質問の方が、人によって結構細かいバラつきがあって面白かった。
あ。もちろんこのまま全員スルーも想定してますから、完全なる自由参加です!
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最後に
>あなたは、今の自分の事が好きですか
>話が進むにつれ、段々と埋没して行っちゃう
自分を知るということについては自分に興味がないと探求できませんので、始まりは「自分のことが好き」というところからでしたが、同じ好きでも、現在は自分という枠に収まらないと思っています。
そして人生の2/3の辺りで人生全体を俯瞰できましたので、
本年から自分の好きなことをやりたいという想いで仕事も廃業しました。
残りの人生を目標に向かい悔いのない形にもって行けたらという想いだけです。
そしてこれは大勢に支持されれば、一つのテーマに対して多くの人が投稿する機会だっただけに残念に思います。
しかし一つの考え方の掲示板として、役割を果たされたのではないでしょうか。
お世話になりました。
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(無題)
「最後に」と題されたところを何なんですが^^;
>同じ好きでも、現在は自分という枠に収まらないと思っています。
いまいち意味が良く理解出来ず、自分という枠に収まらない。とは?でした。
過去の自分という枠を越えた今の自分の事が、より大好きになっています。
とかなら理解出来るのですが。(「今の自分」についての質問でしたので)
それから、
>一つの考え方の掲示板として、役割を果たされたのではないでしょうか。
ですが、私に対しての労いの意味?なのか、たまには誤字の可能性もあったりするから、
役割を果たせた。という36年生さん御自身の事だったのか、(最後にと題されてたので)
ちょっと判断に迷いました。
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掲示板に期待したもの
人生の内に出会う人、関りのある人に関しても自分の計画上にあるとすれば、自分個人よりもその計画した自分の方が大きいわけです。
自分が顔の一部の鼻だとしたら自分一人では存在し得ないし、耳や目や口との関わりで顔の一部となっているわけですから、
自分だけでは評価しきれないと思います。
ここは秀明の掲示板だと思いますが、他の組織のことを外部目線や大衆目線で非難したり、
その立場になければ出来ない行動を非難されるのは組織の宿命でしょうが、
同じ明主様グループの一人として辛くなります。
組織の立場で言えば、外部からの批判は組織が受けるわけですから、
教主は象徴として責任の及ばないところで毎日楽しく過ごしておられれば組織としても安泰だとすれば、
信者もそれで良ければ何も他人から非難されることは無く、
敢えて教主とはもっと信者のために勉強し、修行をしなければならないなどと思う人は出ていけばよいわけで‥。
一番大事なことは、掲示板なり何なりを通して各教団の状況がよく分かり、それぞれの組織に明主様は働きかけられるわけですから、
もっとお互いの使命を尊重し合えるような掲示板であって欲しかったと思っただけです。
そこから全体像が見えてくれば、明主様をもっと大きく御掲揚出来ると思ったからです。
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世界救世教 2
世界救世教の教規変更で教主を?象徴(しようちよう)?にすることで教団が狂ってしまうんですね。
教主様に迷惑がかかる、色々 問題が起こった時、その時は自分たちが責任を負いますので、教主様は象徴になって下さいとした。
そして教団の一元化で、 世界救世教は、ある人物の手に治められてしまう。
そして後の東方の光教団ができる。 これは ある人物が幅をきかせてきた。
今度はそれに反発する派閥が生まれてくる。 それが世界救世教いづのめ教団ですね。
その真ん中で中村力氏が、 主の光教団( 主の光の経緯は詳しくありません。 ご存知の方は訂正を)を作る。
三つが対立する。 その元を作ったのがK合氏なんですね。
これが明主様が造られた、『メシヤ会館』の中で暴力事件を起こし、警察まで呼ぶ事態に。 ブルドーザーやバリケード、 信者同士の 殴り合い。
(ブルドーザーを運転していたのが、今のいづのめ教団、新理事長と投稿があった。真実はわからない。)
新聞沙汰になってしまう。 箱根は俺達が、熱海は俺達が、 そして俺達はどっちにも入れないから、駐車場でと、各派が本部を作ってしまう。 これが今の世界救世教ですね。
三派が教主を中心に一つになろうと、これまで何回も話し合ってきたが、まとまらず。
今度はその教主が多くの信徒を連れて教団から離脱する。
壊滅ですね。
悪魔はうまいことやりました。
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新興宗教裏がわかる本、12
(世界救世教いづのめ、東方の光教団にも知り合いがいる、 皆さん本当に良い方で 、真摯に信仰されている。 先生も信者を想って一生懸命されているのは、 胸を打たれる。
今 教団危機を迎え、何とかしたいと話し合っておられる お姿を見たことありますが。)(一番)
《次から次へ出る金と権力のトラブル》
「 6億円不正疑惑に端を発した一連の世界救世教の内紛騒動は、教団幹部たちの金銭不正に波及し、さらに岡田教主の?裏 帳簿?まで発展した。 そして今教団内で新たに、ささやかれているのは、19億8000万円という代物だ。
東京銀座の画廊から教団に、
「早く代金を支払って、絵を引き取れ」の連絡が入ったことが事の始まりで 、聞けば中村総長が教団の誰にも相談することなく、19億8千万円もするイタリアの巨匠レオナルド、ダヴィンチの絵を購入したのだと言う。 その時画廊から1億円前後のリベートを取ったとか取らないとかの騒ぎになっているのだ。 世界救世教内紛は背景は万事、カネ、カネのオンパレードである。
この他、紹介しきれなかった、金にまつわる教団幹部達の疑惑が目白押しにあるのだ。
岡田斎教主は 昭和66年(1991)10月6日、京都国際会議場に信者を集めてこんな話をしている。
「ともかくこうして立教五十周年、第二の創業のスタートが切られた訳です。
これからは明主様のご就業は私達の想像を遥かに超えた次元で進められていくでありましょう。
さっきも総長が世界布教だとおっしゃっておりました。救世教の本義は世界布教であります。 世界救世教なのです。」
世界布教もいいけれど、世界救世教に早急に求められているのは、まず教団内の自律、自浄であろう。
繰り返すが現在教団が認証した総長は、松本康嗣(現 いづのめ教団) である。
が 、解任されたはずの中村力?前?総長は相変わらず本部5階の総長室を占拠していて、自称?総長?を名乗っている。
救世教という「地上天国」に二人の総理大臣がいるというややこしさで、しかも最近では新総長松本派が二つに分裂しそうという情報も流れている。
自律自浄と言っても、当分無理な話のようだ。」(完)
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なんか呼びました?
好きても嫌いでもないかな?好きかな?
と考えていましたら
仮に自分と同じ異性が居たとして、そいつと結婚出来るか?と考えると、嫌だ!!!と思ったので嫌いなのかも。
友達ならok。
年のせいか目が疲れるので書き込みや閲覧は控えると思います。
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UFO
さて今、大峠です。大震災、災害 、コロナワクチンの浄化、 経済、食料危機、核戦争?いろんなことが一挙に今からおこってくる。
これは 天国になる前の大浄化です。
この時期に生まれ会わせたというのは意味がある。
それで、これまでのみ教えと、これらの、み教えで UFO 、未確認飛行物体、これは想像もつかないと思うんです。
これは岡田茂吉全集の中にいくつか UFO のお言葉はあるんですが、 宇宙には『地球以外に生物なし』と、 昭和27年6月に御教えでありますが。
故永峰先生の勉強会で、私が先生に質問したのかもしれませんが、 これは地上天国40号、昭和27年9月25日
『教えの光』からです。
ー「空飛ぶ円盤」についてお伺い申し上げさせていただきます。
空飛ぶ円盤が新聞を賑わせてから1年以上になりますが、まだ正体が分からないらしく、本年8月1日、日本人の実見者の話を総合すると、
(イ)水色がかった光の塊が、長い尾を引いて南から北に走り、アッと思った瞬間二つに割れて、消えた。
(ロ)大きさは月齢5日ぐらいで、橙(ダイダイ)色の光だ。
(ハ)突然青光りするような閃光体が現れ、高さは成層圏ではないかと思われるくらいの高度で、目撃された大きさは、レコード盤ぐらいで厚みあり、進行速度は緩やかで、灼熱の発光体から、だんだん赤みを帯びて 、海上の上空に消え去るったと言っております。
この「空飛ぶ円盤」はアメリカ上空に多く出没して、騒がれているとのことでございますが、 新兵器 という説、そんなもの等は考えられないという反説、流星という説、流星ではないという説等々、諸説紛々としております。
この正体について、御垂示のほどお願い申し上げます 。
(御垂示)
『これについては世間で考えるようなものではない。非常に神秘なものであるから、何れ詳しく書いて栄光に乗せるはずである。』
ここまでは岡田茂吉全集に載せてあるんですね 。この後が知りたいんですが、これを永峰先生は教団本部、教学室で見たとおっしゃっていました。
『それが大峠に大きな働きをする』と書いてあったとおっしゃったんです。
それは自然現象ではなく 、宇宙人と言っていいのか、未来人と言っていいのか、そこはわかりませんが、
中に人影のようなものが見えたということを、 存在をおっしゃっていたような記憶があるんですが、ここははっきりと覚えていません。
これは新しい人たちは、このみ教えから何か 扉が開かれるような気がする。
今までのものとは違う何か 、想像を超えたもの。
はっきりとはわかりません。 これを当たり前に信仰している人に言っても、通じないでしょうね。
時期があるのかもしれません。
今これが 解明され、信仰と結びつく、 UFO のみ教えが本当ならば、だんだん時代のピントが合ってきたような気がします。
明日は地上天国祭、神慈秀明会信者は 日の出に祝詞を奏上します。 こちらは5時8分日の出ですから 、遅れないように。
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(無題)
>自分だけでは評価しきれないと思います。
「自分がどう感じているのか」という、自分の意識・感覚をあらためて感じてみる機会、
自分というものの存在を感じきる為だけの時間、というのがあっても良いかな。
「自分の評価」を、他人ではなく自分自身が下すところに意味があると思っての質問でした。
あらためて意識してみる事で、新たに感じる事・意外な気付きなどあったりするもので。
もちろんそんな事だって人により様々な訳ですが、基本、遊び半分・気軽な気持ちでやって
もらえたらイイなって、そんな感覚での質問でした。
また、思いもよらぬ返答から期待という言葉が出て来たので、期待について少し。
期待とは、本来、読んで字のごとくそのまんま、「期を待つ」事の意味ですが、
一般的には意外と「こうなってもらいたい」という「要求」の意味で使われる事が多い様に
思います。もしその場合であったとしても、一方的な要求というのは論外でしょうから、
前提として「お互い合意・意思確認済みのもとで。」という処は肝心な部分かなと思います。
期待という言葉自体に「求める・要求」の意味はなく「期を待つ」という意味がその本質。
だから、期待をする側の人の心構えとして、同時に求められるのは「期を待つ覚悟」。
相手が進化して行く可能性を100%信じて期をじっと待つ心構え。途中段階のまだダメ状態
を結果と捉えちゃう程度の信じ方・待つ覚悟の出来ない期待なら、初めからしない方がマシ。
期待を裏切られた!等という話も時折り聞いたりしますが、そういう被害者意識なども
肝心な自分の心構え・道理・責任など色々疎かにした結果だという事になるかなと思います。
リーチさん、どうもありがとう。
特に呼んだつもりで書いた訳じゃ無かったんですが・・・。
でも、そりゃまぁそうなりますよね!ごめんなさい!^^;
-
再び、暴露について
ネット上での発言は、不特定多数の人達の眼に触れる事になるので、暴露に関しては
「特に」慎重になったほうが身の為かと思います。
多くの人達の悪想念を誘発する・煽る先導者の責任は結構重いであろうと
(霊界への悪想念増量のきっかけ作り・先導=主犯格扱い?か?と)想像します。
それに加えて「悪事を暴露された側の人」が、もしも実際は冤罪だった場合、悪に仕立てた
罪は相当ヤバい事になるだろうと思うし、
本当の悪だったパターンで考えてみても、暴露無いまま逃げ切れた場合、現界での清算ゼロで
霊界まで持ち越した方がもちろん重罪確定=本人の為になる。
人間界での人の裁きよりも、霊界での神の裁きの方が圧倒的に正確で厳しいだろうから。
現界で下手に暴露する事で、その人の罪を軽減させつつも尚、自分が罪を背負う覚悟とは。
もちろん、そういう事まで全て承知のうえで、それでもなお、暴露への想いが強いとしたら、
それはもう、一つの立派な役目(魂レベルの使命、その人にしか出来ない事)だと思います!
-
佐藤さん
なかなか最後が来ません。
客観についてはこれまでにも何度か取り上げたものの、あまり意見・質問を頂きませんでした。
肉体を通して主観的なことや経験したことを基に判断するようになるが、魂そのもので観ることが出来るようになると、客観的な部分が見えてきます。
これは川合輝明氏からイヤというほど、「本当に分かるのか?本当にそう思えているのか?」と言われ続けてきましたので、その時は感動しました。
10年前にその客観の世界が見えるようになり、昨年より主観と客観の世界の結び、つまり「創造」の段階に入っています(意識しなくても出来ていく世界)。
結んで新しく生まれる自分については「今の自分を超えたもの」になります。
「創造」を人生の最終目標にしているので、「新人たれ=一木一草に至るまですべて上に向かっている」という例えで、
「今日の自分は、昨日の自分よりも大きくなっている」と言う愛情表現で如何でしょうか。
-
36年生さん
え〜っと。先ずは、早速「佐藤さん」に変えて下さってどうもありがとうございます^^
で。投稿内容に関してですが、最後の「如何でしょうか」が、どこに掛かっているのか、
何に対しての返答を返せば良いのかな。というのが全文読ませて頂いた率直な感想でして。
5回以上じっくり熟読してみたんですけど。
先ず、私が最初に投げかけた「あなたは今の自分の事が好きですか?」の質問に対して、
これで返答になっていますか?という意味の「如何でしょうか」だとしたなら、
いいえ、私が求めた返答にはなっていません。という回答になります。
「好きですか?」と質問をしたので、私が求めた回答は「はい、好きです」もしくは
「いいえ、嫌いです」あとは「どちらとも言えません」とか「よくわかりません」など。
もう少し細分化すれば「どちらかと言えば限りなく好き寄りに近い嫌いかな」とか
「嫌い寄りの好きかも知れない」などですが、基本、はいorいいえ回答を望んでいます。
それも、返答はどちらでも構わないと思っている中で、もしも答えてくれるのであれば、
それ(はいorいいえ程度のシンプルな回答・基本二択)を望んでいたという意味です。
続きます。
-
つづき
それとも、そっちの意味ではなく、
36年生さんの書かれた内容・世界観について私がどう思っているのかを問う意味での
「如何でしょうか」であるとすれば、率直な感想としては、
独特な世界観・表現の仕方だなぁ〜。っていう感じです。
その内容について何か違和感や疑問など感じる感じない以前に、表現されている意味が
よく理解しきれていません。
独特な表現に対して、私も人の事は言えませんが(笑)通訳が欲しいくらいの気持ち。
例えば「魂そのもので観る」という表現ですが、霊視でも出来ればもう少し理解し易い
のかも知れませんが、魂自体が目に見えない・確認出来ないものなので、雰囲気として
「心≒魂」の感じ?なのか「霊体≒魂」?「守護神≒魂」?「明主様≒魂」みたいな事?
36年生さんが、一体何をもって魂と定義される感覚なのか、まるで掴み処の無い感じです。
私で言う処の「感じる」に近い感覚をそう表現されているのかな?みたいなのもありますが。
現時点で、36年生さんの世界観は独特だなぁ。という認識があるくらいで、特に惹かれる
とか求めたいとか、そういう興味・追求的な感覚はありません。それ以前の理解手前です。
「如何でしょうか」が、どっちの意味か判断出来なかったので、私の想定できる範囲内で
両パターン書いてみましたけど、もしもそれ以外の意味だとしたらまた教えて下さい。
-
独特な表現(笑)
と言えば、私の、自分の「内側」と「外側」とに分けた表現・考え方。
少し前に東山さんから独特な表現と指摘してもらい、言われてみれば確かに自分でも納得。
周りとは違う自分オリジナルだなぁ〜。と改めて認識する機会を得ました。(ありがとう)
この考え方の元になっているのは実は、節分の豆撒き「鬼は外、福は内」からで
自分の【外側】の「鬼」に向かって「豆を投げつける」三千年の罪穢れ(原罪)。
豆をぶつける際の引退迫る想念「あっちへ行け!」「出てくるな!」「引っ込んでろ!」など、
自分の無意識レベルに内在する、【排他の想念】を消化しないといけないよなぁ〜、と。
原罪の清算を強く意識し始めた頃からのものです。
大本教では確か豆撒きが「鬼は内、福も内」で、全部自分の【内側】だったと思います。
自分の立ち位置を「低く穢れた者」とした時の、自分の【外側】の鬼・国常立・邪神とは、
そいつが居ると自分の思い通り・自分都合が通せない。という自分にとっての不都合な存在。
鬼・邪神・悪は、追い払うのではなく、鬼も福も、正神も邪神も【両神】自分の内に迎える
「歓迎の想念」が本当である。と設定し直しました。
それが「善も悪も」両方とも自分の中に結んで開くの取り組み(内観)とも心地良く合致。
もちろん、私の参考書でもあった日月神示の「悪を抱き参らせる」の取組みとも合致する。
鏡合わせの考え方も、自分の外側の鬼・邪=全て自分自身。鬼は内。邪の原点は自分とする
事と、そもそも魂の字に鬼が存在する事・自分自身の内に魂が在るという事とも繋がり。
と、まぁ大体そんな感じ(笑)なんですが、自分の肌にはとても合っていて快適です。
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主観と客観
客観とは、他人からどう見られているかという他人目線のことではなく、自分を構成している主観と客観のことです。
私は主観とは「自分が欲しいもの、自分がしたいこと」であり、客観とは「自分に必要なもの、自分がすべきこと」と。
つまり主観は顕在であり、客観は潜在の分野だと定義しています。
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絵を見て
昨日はメシヤ様御神影へ 参拝、地上天国祭、帰りに 晴明会館( 教団の美術館)で 宗教画家で世界的と言われている杉本哲郎、1899〜1988の絵を見てきました 。この人の絵は前から見たことあるけど、何か壁画を描くから始まったと聞いて、大きな絵なんですが 、どうしても心には響いてこない。
それは何かわからないんですが、 天岩戸、西王母、聖徳太子が描いてありました。
キリストも、 聖徳太子は救世観音が背景にありました。
あまりにそのまま描いてあったから 、金で ぼかしてはあったんですが、あまりにもそのまま、描いてあったから、どうしても僕の心には入ってこなかった。これは学芸員の人には言えませんでした。
遠慮で。
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36年生さん
「自分が欲しいもの、自分がしたいこと」=主観?で、客観が潜在意識?ですか?
第二の自分から観て。というものとも違うのかな。。。
同じ欲しいでも、心から欲しているものと煩悩的に欲しがっているだけのものとの二種、
同じしたいでも、心からしたい事と、したい様な気がしてるだけの二種あるかと思います。
それらを全て総合して元々顕在意識としてあるもの。
事に当たって初めて結果から新たな視点(潜在意識?)に気付いて行くものと思いますが、
事に当たった結果から二種のそれがどちらだったのかも判断つく様になり、体験を重ねる
ごとに後者が消えて行く。という私の(心のまま=導きという)感覚とはまた違った感覚で
事に当たる前段階で既に潜在意識を察知できる様になった。みたいな事が仰りたいのか。
相変わらず意味が良く伝わりませんが、もし理解出来る第三者がいたらフォローが欲しい。
36年生さん自身が理解してる事を、伝える相手側も当然理解し得る前提で語られてませんか。
長文になっても構わないので、私を子供と捉えて、もっと具体例になぞらえながら手取り
足取り、低い者に目線を合わせる感じで教えてもらえたら理解出来るのかも知れません。
それ以前に、前投稿は結局どちらの意味だったんですか?正直そっちのほうが気に掛かる。
こっちの回答が是非欲しいです。それこそ心から。
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佐藤さん
客観とは自分を外から見た状態のことでも構わないと思いますが、自分の場合は内側から見た自分と定義しています。
私は美術・芸術の世界を通して教えられたことが多いのです。
以前、美人画展で自分の好きな画家の絵を見ていると、ヨコからジッと私を見つめる視線のあることに気づきました。
私はあまり好きではない画家の書いた美人画(私には不細工にしか見えない)からでした。近づいて見るとなんと浄霊と同じ光が出ているのです。
つまり先ほどまで疼いていた歯の痛みが解消しているのです。
自分の好きな作品では何ともなかったのに、好きでもないこの作品は、自分に必要なものということになるのかと。
自分を知るということで、自分の好きなものの世界を主観、自分に必要なものの世界を客観として、
自分の中でその主観と客観が結ばれるなら「新しい自分」が生まれるのかなと思いながら鑑賞に徹していると、
ある日、「創造」の力となっていることを見せられました。
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続き
私は御教えにしても、自分が出来るようになるまでは説明されても分からなかったと思います。
言いかえれば、分かる時が出来る時なのではないでしょうか。
本年は、世界救世教は華道の「山月流」発足から50周年になります。
私も過去に娘と一緒に習いました。当時言われたのは「花と話をしながら、その花の心を活けてやるのです」という明主様のお言葉に、
「花のような優しい気持ちで活けましょうね」と言われたものです。
ところが教団浄化を経て研修が始まり、このお言葉が出て「花の心を活けていますか」と投げかけられた時に、突然頭をガーンと殴られたような気がしました。
信仰向上と言いながら自分はどこを見ていたのかと。
自分の主観を入れずに、「花の心」を分かり、心をそのまま活けることが出来るかどうかです。
自分が活けた花を見て、癒されたと言われると嬉しいものですし、自分のレベルも理解できます。
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36年生さん
具体例他、色々とありがとうございます。お陰様で、ようやく少し雰囲気が掴めたような
気がします。それらについて思った処はあるんですが、それよりも
先ずは、どうしても昨日の「如何でしょうか」の結果が気になっちゃってて(笑)
結局どっちの意味だったんですか?教えて下さい。宜しくお願いします。
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如何でしょうか
は、他人の得意なこと、その人にしか実感できないことを説明するのに、その都度確認したりする意味合いで使ったとお考え下さい。
私はこのように発表していますが、決して行き当たりばったりで身についたものではなく、
指導を拠りどころにした心の営みがあって、自分の経綸がハッキリ見える中で歩んで来たものです。
ただその指導者である川合輝明氏は、ここでは非難の的として取り上げられているので詳しくは書きませんが、
「悪」に染まってもよければ、氏の著書の「飛躍前進」を求められれば参考にしていただけると思います。
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ありがとうございます!
なるほど、御自身で説明された事について確認するの意味でしたか。
お陰様でやっとスッキリ出来ました、どうもありがとうございます。
一先ず仰っている事の意味・雰囲気を掴めたような気がする程度の段階ではありますが、
いくつか思った内の、とりあえず一つ書いてみたいと思います。
>美人画展で自分の好きな画家の絵を
この「自分の好きな」の「好き」は、36年生さんの主観という事ですよね?
私が質問をした「あなたは今の自分の事が好きですか」の「好き」も、同様の意味で、
36年生さんの主観から観て「今の自分の事が好きですか?」と聞きたかったという事です。
もし可能であれば改めて返答下さい。無理そうならこのままスルーで!
ひょっとしたら。ですけど、今の36年生さんは客観から観る方の比率多め、主観から
観る方の比率少なめ、で生きている感覚ですか?比率的には100:0くらいの勢いすら
感じましたが(自分の主観を入れずに、「花の心」を分かり。の一文からも)
なので、私の質問(主観重視)が気に掛かったという事なのかな。って思いました。
好きとか嫌いとか明言されなかったのも、そういう事であるなら辻褄が合います。
(私のイメージ上だけでの勝手な辻褄という事になるかもですが)
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佐藤さん
随分と登場の機会が増えました。
分からない自分の方に興味はありますね。
しかし、観ているうちに段々と距離が縮まるというか、好きなもの・嫌いなものの位取り・次元が違ってくるのだと思います。
つまり楽しんで花を活けている時は素の自分・主観だと思いますが、お言葉通りにということになればまた違ったように覚えていますが、
今現在は自分の好きに活けるようにしています。その結果が観る人をして「癒される」ということに繋がればそれでいいのかなと思っています。
私の場合は美による救いの世界が分かって来ると、同時に浄霊も想念で出来るようになりました。今から10年前のことです。
だから美の世界と浄霊を車の両輪として、美と浄霊の結びの世界に向かって走り出そうとした時に、結ぶ媒体と出合ったのです。
そして2年後の2014年、「メシヤ降誕仮祝典60周年」を迎え、結ばれた結果として「偶像」を必要としなくなった自分を感得できました。
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36年生さん
>近づいて見るとなんと浄霊と同じ光が出ているのです。
36年生さんには浄霊の光が見えるんですね?
だから魂から観るという事も可能なのかぁ〜と、ぼんやりとですが理解しました。
奇跡や光(霊視・霊感)によって導かれる、という意味に於いてですが、
【主観】での「好きではない方」つまり「どちらかと言えば嫌いな方」から浄霊と同じ光
を見たという部分には、私は明主様の御導き(進むべき道の示し)があったように思います。
「好き」な方からは光が出ておらず、「嫌い」な方から浄霊と同じ光が。という部分と、
「嫌いなもの(=光)」が「気に掛かった」のがきっかけ(入り口)で「近づいて見る」事
で光を体感するに至った。というのが、この体験のポイントだと言えるのかなと思います。
その体験をふまえた「36年生さんなりの理解」の結果として、現在の独特な主観と客観
(36年生さんのオリジナル)が形成されたのだと思いますが、より順調に歩んで行く為に
は、と言うか、明主様の指し示された「進むべき道」は、
36年生さんの「嫌いな方」という「主観による判断」が大切なように思います。
それを少し言いかえた表現で更に語ってみれば、
進むべき道は【主観による好き方向】ではないよ、と。御自身のみならず、私達に対しても
大切な事として、そういう事が伝えたかったんじゃないのかな?と思いました。
まだ書こうと思っている事はありますが、またのちほど^^
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浄霊
好きな人からの浄霊、嫌いな人から浄霊というのは違いがあるか、
これは幼稚園の会話ですね。
何かいも言って申し訳ないが、 現場をあまり知らない人の会話ですね 。私は神慈秀明会で 10年布教してきましたから、 好きとか嫌いとかそういうのは全く関係ない通用しない 世界 ですね。
そんなこと言ってたら、本当に霊層界の低い話だと 、やってる人から見たら 見えてきます。
これを投稿したら反発する人がおられるかもしれませんが、もうこの掲示板も終わるので本音で話します。
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佐藤さん
浄霊も2009年におひかりが要らなくなると、その3年後に「光」を感得できるようになり、同時に「想念」でも出来ることを発見しました。
御教え研鑽と云っても、「明主様のお言葉を自分自身に求めなさい」ということで、
「独自の世界観」かも知れませんが、方向付けをしていただき、御教えを私の個性で受け止めた結果ということになると思います。
私は何時かここでも取り上げましたが
昭和27年箱根美術館開館後の「一度ここ(聖地)に来れば、思い出すだけで霊はこちらに来るからその人は浄まる」というお言葉に、
「自分は本当にそれが実感できているのか」と自分へ問いかけるも、まだよく理解できませんでした。
しかしその2年後の2014年は「メシヤ降誕仮祝典60周年」にあたるも、誰も関心がないようなので一人でお祝いをさせていただきました。
すると本当にそれを実感できるようなことが起きてきました。だから私はそれ以後聖地へは参拝することなく想念で参拝させていただいています。
やはり奉祝というか、次へ進み開けてくるんですね。
そしてそれはさらに昭和28年、美術館別館の完成後の「左進右退の大渦巻が‥」というお言葉に繋がってきます。
『はねのけられるとはどういうことなのか』への答えも私なりの受け止め方であって、私自身は自分の完成に向けて歩んでいるという実感を持っています。
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布教体験が信仰
これは仕方ないのかもしれません。
世界救世教関係、他の教団は、詳しくは知りませんが、
神慈秀明会は特にこれは経験しますね。最近ここ、数年前どこか男子が会社で布教して、クビになりかけたが 、それでもその人は人を助けたいという思いで訴え、
てそれが逆に お救いに広がったと言ってましたね。
これは私も経験があるんです 。この経験がない人は、
分かったようなことを言う。 お前はわかっているのか、
いやこれは分からないけど 、80点ぐらいはいただいてもいいと自負がある。
明主様のみ教えは二つある。 無理をしなさいというのと、無理をしてはいけないというのがある。
世界救世教は無理をしてはいけないを取った。
神慈秀明会は徹底的に無理をして、無理をして、無理をした。
神様を押し付けてはいけないとみ教えがありますが。
神慈秀明会は 限度を超えていた。
だから押し付け見られたが、 それこそ、慢心を超えた慢心だと思います。
それで2万人程の信者が、 一挙に 10倍以上になったんだから、今日教団が発展して、奇跡で救われた人達が増え、感謝が増え、そして広がっていく。
それはその時期があったから 、否定はできない。
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36年生さん
36年生さんの「主観で観た嫌いなほう」から光を体感されたというそれは、本質的に
私の「自ら浄化方向に突っ込む心構え・覚悟」と少し似ている様に思えました。
36年生さんは美術・芸術の世界を通して主観と客観の結びへと進まれたようですが、
私は日常生活から、主に自分の感情を含む心の動き・想念の善悪(主に悪・陰)について
注意深く観察し続けてきた結果として、善と悪とを自分の中に結んで開く事が出来ました。
その結べた感覚で言うと、霊五体五というか、善も悪も等しく大切な存在となったのですが、
それによって、あらゆる相対するものの価値が同等という感覚が根付いて来ています。
よく対義語を出して表現したりするのも、そんなところから来ていると思っていますが、
今回の36年生さんの主観と客観の話では、その割合に偏りがある様に思えたので、
それは本当に真の結びなのだろうか、と思った。という事だけは伝えておこうと思いました。
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世界救世教
何度も書いてますが、 世界救世教いづのめ教団、山本教授が浄霊の科学的検証、また勉強会を開いてますが 、
意味があるのかと、外に向かって、皆が働くところに意味がある。
人を救うための、御浄霊、科学的検証もそれは一部であって、 世界救世教は人を救う、その過程が、わからない。??ボケている 。内向きですね。
どうしても足が重たくなる。 参拝が。
さてこの掲示板も来月いっぱいですか、 終了するのが 、
期日ははっきりとは分からないんですが、 間近であると 思います。
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遠隔浄霊
とうとうこの掲示板も8月1日をもって終了となるということで、
私は2015年1月、「一つの波紋掲示板」に初めて投稿させていただいたが、
「想念での浄霊」が出来る方を呼びかけるも、以来7年間で「自分も出来る、自分はこのようにやっている」という人は現れなかった。
ある浄化者に浄霊を頼まれ、手かざしで浄霊を取り次ぎ、終了間近になると再び浄化してくる。「苦しい」と言われるので想念で急所を探ると、
浄化療法の急所とは違う場所に光が入る、もちろん主訴の部分でもない。
そのまま想念で光を送っていると1分経った頃「楽になりました。有難うございました」とお礼を言われる。
時には2か所同時に光を送るということもあった。
「教団の専従者も10日に1回来られ浄霊で楽になるが、やはり最後に苦しくなるので訴えると、苦しいままで時間が来て帰られるので、
その後とうぶん苦しく、あとで妻に浄霊を頼むという繰り返しです」と言われ、「やはり先生の浄霊は光が強いんでしょうか?」と聞かれるので、
「それは違います」とは言えないので、「急所が違うのかもしれませんね。一度でいいから楽にしてもらえませんかと言ってみたら?」と、
そんなやり取りをしたことがある。
これは私の今後を方向付けるために用意していただけた事案だという確信から、それ以後は手をかざすふりをして想念で取り次ぐようにしている。
ここでもゲラさんが、「お委ねします」の想念で癒されたことを発表されていたが、以後話し合う機会もない状態。
教会時代の先輩に聞くと「以前は遠隔浄霊をやっていた」と聞いた。私も形だけやった覚えがあったが、「効果あったの?」と聞くと、「こっちも実感がないし、相手もフーンで終わり」だって。
このことも私の今後の課題を示すものと思っていたが、昨年から効果のある遠隔浄霊が出来るようになったので、他に遠隔浄霊の事例はありませんか?
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元専従さんの投稿
この掲示板も 終わる。しかし終わるのが分かるからいい。 以前あった掲示板、凛太郎「ファインライン」は急に終わったし 、その後に出た 「E、ビリーバー」も 続かなかった。
しかしこの掲示板は大きな意味があったですね 。
世界救世教いづのめ教団から離れた、 元専従さんの投稿は驚く事が多かった。 これは内情を知った人が書いているので 、
まだ見てない人もいるかも知れません 。抜粋して 紹介します 。
「 投稿日、2018年6月27日
明主様から直接〇〇の魂の再生であると言われた先達は、数多くいらっしゃいます。
渋井総斎= スサノオノミコト。中島一斎=天若彦(天邪鬼 )。
多賀先生= 伊邪那岐(いざなぎ)尊。本阿弥先生 = 伊邪那美(いざなみ)尊。
内藤ラク=此花咲夜(このはなさくや)姫。小川先生 、石坂先生=八大龍王。数多くの先生達が明主様から、直接お言葉を賜っております。」
(先日 仕事で関わったところに八大龍王を祀る寺が、 大きな大理石の門柱、そこに「八大龍王」と書いてあった、 さすがに龍神の勢いを感じました。
しかし、明主様信仰を支えた 中島一斎、渋井総斎が、 邪神の頭目というんでしょうか、 そういう人達の改心と あります、
分からないものですね。
渋井総斎は 現在の「世界救世教いづのめ教団」です。
中島一斎先生は「世界救世教東方之光教団」です。
神慈秀明会は渋井総斎、当時の「五六七(ミロク)会」で、
新健康協会は中島一斎、「天国会」 ですね。)
(一番)
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遠隔浄霊
はよくやります。時間決めてお互い座って通常通り行います。
地球の裏側でもやります。
効果は同じです。
自分の直近の遠隔浄霊では、信者さんの未信者の娘さんが、顎が痛くてご飯が食べられない、1日食べていないということで、30分遠隔浄霊をおこないました。30分ぐらいしたら、娘さんがお腹が空いたと言い、普通にご飯を食べ出したと連絡が入りました。
他にも色々ありますが、未信者の身内が意識不明の時に、信者さん達が時間を決めて同時に浄霊をして下さいました。信者さん曰く、浄霊の光がなかなか入らなかったが、3 日目で入るようなったと言ってました。毎日していただき、奇跡的に意識をとり戻し、今普通に働いております。
遠隔浄霊する時は、前にその人が座ってるイメージ、または寝ているイメージをして、通常どおりおこないます。
所属の教団では、入信時に遠隔浄霊を教わりますが、所属変わればいろいろなんですね。遠隔浄霊と言うと、御教えにないから駄目だ!言う人が居るかと思います。
ちなみに、お光ありの教団ですが、無しで浄霊してみたところ、やっぱり光が弱いというか出てないというか、駄目でした。
思うに組織の枠に入った場合、組織の方針により、変わってくるのではないかと思います。
自分がお光無しの教団に入っていれば、無しでも光が出たんだろうなと思います。
大和民族の魂の方は無しでも浄霊出来るのだろうなとも思います。
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(無題)
浄霊。
自分の場合、急所に来ると手がビリビリと反応する。ビリビリのままで終わると、相手は症状が変わっていない。ビリビリの途中でそのビリビリがふと弱まる時がある。その時に、どうですか?聞くとたいがい楽になったと言う。遠隔浄霊もビリビリが弱まるまで急所をやります。
自分はビリビリと感じますが、感じ方は人それぞれらしい。
長い時間浄霊すると体調が悪くなる人がいると。長くやって体調悪くなったら、時間置いてもう一度やると良くなると教えてもらいました。
そういう人は、一度の浄霊を長くしないようにと言われました。
36番さんの文章でそれを思い出しました。
目がつかれたのでこの辺で。
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遠隔浄霊
おひかりのあるなしは、 最後はこれは決められないということでしょうね 。ある時期までは厳格に守っている。またその決まりから外れたら弱くなるという時期と、最後は大和民族ということをおっしゃってましたね。リーチさんが、 それなんでしょうね。
最後は想念でしょうか。
私が神慈秀明会で 信者さんがお光を かけ忘れて、 家族に浄霊した時、受けた人は七色の光を見ているんですね 。
そしてそれは後で、お光をかけてなかったのでお詫びされましたが、 また新健康協会でもおひかりなしの 会長が浄霊されている時 、浄化されている人が、反応されてましたね。浄霊をいただいている時と同じ、
明主様がおひかりはもういらないと、み教えがあるとあるので、最後はそうなるのでしょうか。
今教団によって色々あります。
遠隔浄霊はこれも、いづのめ教団で元松本総長の頃、 天国化、メシヤの教えをされてました。
自己浄霊の重要性の確率も元松本総長がされました。
当時はグループで浄化者に遠隔浄霊を皆でしてました。浄化者でその時間になると 光を感じたという人がいました。
私が神慈秀明会で、お光をかけないで 浄霊したことあるんですが、その人は霊動していたので、お光が入っている確認をしました。これは言えませんが。
リーチさんは目に浄化されているんですね 。私も浄化してますので、自己浄霊、毎日頂いています。
気長に根気よくですね。 東方之光の 信者さんは白内障1年かかったと言ってました。
一般は 飛蚊症、緑内障はこれは目玉を取り出し 、手術とラジオで言ってました。
それか薬でそれ以上進まないようにするしかないと言ってました。 我々は
自己浄霊。
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リーチさん
有難うございます。
こういう事実が欲しかったです。
私は東方之光に籍を置いていますが、大祭ご面会時の小坂理事長の集団浄霊をライブ配信で観ていると、浄霊の光を感得できます。
これも遠隔浄霊だと思いますが、リーチさんの遠隔浄霊をはじめこれらの事実は、
おひかりを掛けて、相手のことを念じ手をかざすと、光が届くということの証ですね。
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(無題)
最後は大和民族ということをおっしゃってましたね。リーチさんが、 それなんでしょうね。
いやあ、私は違うと思います。
教団でもお光をかけるのを忘れて浄霊をされても通常どおり光が出る人と、そうでない人が居るんですね。その違いは何なのか?前から思ってまして、その人の霊位なのか?信仰状態なのか?いや大和民族かどうか?なのか、謎です。
リモートで浄霊をやってる人聞いたことあります。
白内障は時間がかかると言われてますよね。
この間、とある方に相談すると、私の場合、原因が別のとこにあると言われました。浄霊をやりつつ、それも実践して良くなりましたら、掲示板で報告させていただきます。
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宇宙人の警告
なおきマンの YouTube 宇宙人からの人類への警告というのを見たんですが、 これは子供の 絵本のような感じでアニメ化されてましたが、
内容が分かりやすく、人類は科学が発達しすぎて、自滅に向かっている 。この中から愛情の多い人が選ばれ救われ、また宇宙に決まりがあって、地球の人間の動きに干渉はできないと言ってましたね。
そして地上天国のような世界があって 、そのもっと上の太陽のようなところに、もっと愛情の強い生命体が存在している。
これはもう、 主神界これは僕は明主様がお答えになったと永峰先生がおっしゃった、 大峠に「未確認飛行物体」が大きな働きをすると言う、ヒントが あるんではないかと想像しますが。
またサイトでウクライナにバイオ 研究所 があり、 ウクライナは曇りを作ることをした、 今回の浄化の影に 、そしてエプスタイン X と 、ぼかして紹介してました、 これは新たなウイルスとネットで、まだよくは分かってない、色々これからあるんでしょうか。
追伸、
大和民族は光が強いとあります、 解釈は色々あると思います。
白内障の原因は 体的には、毒素が眼球に集まって濁すとありますね 。また眼病は目で人を騙したら 、つまり 整形手術がある。人を騙してるんですね、 そこで10年以内に入れたものが溶けて顔が崩れる。マイケルジャクソンがそうでしたね。 弘田三枝子も 、この 人は 古い歌手、
これは霊的ですね。
コツコツ 自己浄霊で 、私も少しずつ改善しているようで 鼻水がたくさん出たら 、違いますね。
東方之光の人は1年かかったと言ってました。
焦らず慌てず。
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あと一ヵ月
来月いっぱいでこの掲示板を終了ですか 皆様思い残したことはございませんでしょうか でも本当に面白かった。
まだあと一か月あるから 思う存分 投稿したい。
3000 年の罪 の絵は 簡単じゃない。 後世に残るものを描きたい。 まだ 迷いがあるなあ。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005706.jpg
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(無題)
遠隔浄霊での病気治しは、私も結構目の当たりにしてきました。全盛期はもう20年以上
前になるでしょうか。患者の写真に浄霊をして効果ありっていうのも何度もありました。
私の母の浄霊がとにかくよく効いてましたね。
情深い人の浄霊のほうが、良く効くような気はしています。
思えば私自身の入信のきっかけも、目の前で母が次々治していくので、その不思議な力を
疑いきれなくなったのがきっかけでした。
半信半疑の、どちらかというと信じる寄りになった頃、まだお光を頂く前でしたが、
試しに寝ている弟に手をかざしてみたら、リーチさんと同じように手にビリビリと。
入信後もそのビリビリは同じで、私も手にビリビリ感じるタイプですが、確か御教えには
手に感じるのは本当ではないというのがあった気がしますけど、
当時、本当ではない、と言われたところで。。。と思った記憶があります(笑)
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(無題)
手に感じるのは本当ではないというのがあった
ほーそんなみ教えがあるんですね?知りませんでした。聞いたこともありませんでした。
ビリビリ、温熱、冷熱、何も感じない??だいだいこのぐらいのタイプがいます。
感じても感じなくても効果は一緒です。と入信時に教わりました。
ほんと教団によっていろいろですね。
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浄化について
天国の反対は地獄。その同じ地獄にも、階層は60段あるそうですから、その層に相応した
痛い・キツい・苦しい・辛い・怖い・さびしい等の感覚もそれぞれ軽重あろうと思いますが、
浄化の界=地獄界である(浄化と地獄はセットになっている)ものかなと。
浄化する層=浄化層(便所)で、汚いものを綺麗にする役割り・存在が地獄。
浄化はあってありがたい、無くてありがたい(どちらもありがたい)ものだとすれば、
地獄はあってありがたく、天国もあってありがたい、と置き換えられるでしょうか。
病んだ状態(地獄)でも、病みがなく健康な状態(天国)でも、どちらでもありがたい?
私は、出来る事なら地獄など勘弁して欲しいです。ただ、避ける事が出来ないのが浄化だし
その地獄が神の恩恵である事も知ってますから、ならばいっその事、どうせ浄まりたいと
望んでいる訳だし、どんな浄化(地獄)でも自分から突っ込んで行くぞ位の覚悟で居ようと。
そんな風に腹を括ったせいでしょうか。浄化の最中は、その景色をじっくり感じて味わう
事に、わりと徹せる様になりました。数々体験通し実感してきた自分なりのポイントは、
後先あれこれ考えるの取り越し・過ぎ越し苦労は問題の解消を長引かせ、後先関係なしで
今の自分の心にだけ感じているもの(特に負の感情)を充分に感じきれた時に浮上する。
今の自分の心に集中。感じきる。間違いなくその辺が浮上(転機・転換)のカギになってる。
そういう意味からも、どんな事にでも腹を括る【覚悟】が大事。だという事を書いてます。
人との会話でモヤるなども、一つの浄化だと思っています。自分が何を感じているのか。
それを充分感じきれた時に必ず開く。私の世界にはそれを展開して行ってます(現在進行形)
一言で言ったら「地獄のすゝめ」(笑)みたいな事になるでしょうか。
リーチさん
記憶はあくまでも記憶なので曖昧なものです^^;
安易に信じてもらっても困るから
むしろ、そんな御教えは無かった事にしておいて下さい(笑)
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宗教と日本医術
手に感じる‥‥放射能感という表現だったと思います。
本当ではないと云うのはご経綸ですから、その時期はいけないということだったのでしょうね。
浄霊も手をかなり強く振りながら、光が届くように後ろから団扇で別の人があおいだ時代もあったようです。
東方之光も組織としての経綸があったので、私も手が熱くなったものですが、
これからの統一したやり方をやっていく上で、力の個人差は認められるも、
個人の個性をなるべく抑え、統一したやり方で世に出して行こうという営みのなかで、
私自身、手が熱くなるということも自然になくなりました。
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元専従さんの投稿
世界救世教の暗部を目の当たりにして、 正常化委員会が出来たり、内部告発、有志の会、色々やってましたが、みんな排除されましたね 。
そこで、もうこれ以上はやってられんと、世界救世教を辞めたと書いていらっしゃいました。
こういう内部の事は 表に出ない。もうこの掲示板もう終わります。 知らない人もいると思うので、
これは私も驚きました。
元専従さんのこ投稿です。
2018年7月9日
「元信者様(世界救世教離れた人 に対して 返事)
私も明主様の教団を割ることに、加担した一人でございます 。そのことに関しては、まったく弁解の余地もありません。 あなた様のような棄教された方々を作ったことに対しては、お詫びの言葉もございません 。
昭和50年代の教団の華やかだった時代の裏で、どのようなことが行われていたのか、それは明主様の目指された教団の在り方とは、全く違うものでございました。
川合氏(現 東方之光)は、渡邉氏(現いづのめ)の権力闘争の中で、多くの先達を追放し、 エイテン様(投稿者)に書き込みしたように、教主も蔑(ないがし)ろにした組織でございました 。
その件に多くの信者様を巻き込み、明主様の教団を割ったことに対しては、重ね弁解するつもりはございませんが、明主様の目指された教団の内容と違う以上、今後も崩壊の道を辿ると考えております。
(後略)」
( こういうものの上に 建物が建ってる、今の世界救世教、教団浄化で、教主が多く信者を連れて離脱する。 教団崩壊の危機をむかえてます。
一般信者は知らない。表しか見てないから 、そして、どうして四代教主は 教団から離れて、あんなことをしたんでしょうか( 新興キリスト教、牧師と密会して、キリスト教に明主信仰を向かわせる)と、純粋に訊ねている。 いよいよ 崩壊ですね。
ここに原因がある。)
-
四代教主
しかし明主様の孫である四代教主がキリスト教に、明主様教団を持っていくのが 、理解できませんでしたが 、
これが川合氏達が当時 イギリス に四代教主を留学させる。 宗教の勉強のため、そしてその時に世界統一教会に入信をしたと書いてありましたね。
また後で詳しく 投稿しますが 、その中で 世界統一教会は韓国発祥で 、色々 物品販売、 集団結婚や また問題を起こしたところ、ここに入信し統一原理のキリスト教を学ぶんですね。
-
(無題)
浄霊も手をかなり強く振りながら、光が届くように後ろから団扇で別の人があおいだ時代もあったようです。
面白いですね??そんな事もあったんですね??驚きです。
統一したやり方で世に出して行こうという営みのなかで、私自身、手が熱くなるということも自然になくなりました。
そうなんですね。前にも投稿しましたが、教団トップの方針、やり方によって、結果も変わってくるのだろうな、とも思うのです。
たとえば、遠隔浄霊が駄目だとした教団の場合、それを実行しても効果なかったり、お光ありじゃあないと駄目とした教団の場合、無しでそれを実行しても効果なかったり、昔、組織を通して光が送られると聞いたことがあり、つまり教団との霊線の繋がりが影響するのではないか?と思ったりもします。
ただし、トップよりも魂が向上したり、同じような感じになったり、霊位が上になったり同じようになったならば、その法則も無効になると思っています。
トップよりも魂レベル霊位が低ければ、その教団の方針どおりの結果になるのだろうなと自分なりに思ってます。
私の場合、目の浄化は、エネルギー(そうねん)による浄化と教えてもらいました。どんなそうねんかと聞きましたら…??恥ずかしながら思い当たるふしがありありでして(^-^;????また良くなりましたら報告します。
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報道
これは昔、私がいづのめの教学部長にお聞きしたのは、 浄霊をしながら祝詞をあげて、そして?痛みよ去れ?と言って息を吹きかけたと仰っしやってました。変遷があるんですね。
今朝 サンデーモーニングで 、解説の青木さんが、 日本が経済の悪いのは、アベノミクスの時、金融緩和で札をばらまいた、国が国債を大量に買った。
今度は払い戻す時、金利を上げた分 払わなければいけない、国は金がない。金利を上げられない。それで低金利のままで、外国と日本との金利差で、 金利の高いドルを買って、円を売る 、円安で日本は物価がどんどん上がる、 景気が悪いから、給料が上がらない。
なるほどと思いました。
原発事故 裁判、国は責任ないと判決が出た、またスリランカの女性が衰弱死。 入管施設の幹部、嫌疑なしで不起訴と、
ひどい扱いをしていたと、ビデオで一部流されましたね 。これが日本人かと思いました。
劣化してますね。
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元専従さんの投稿3
これは元専従さんの投稿から続編、
(教団から離れた人に対しての 返事)( 教団崩壊後)
「 その上で教団の枠を超えて明主様と、み教え浄霊を求める信者によって、再生されると私は考えております 。
あなたは何を言うかと、思われるかもしれませんが、当時教団(いづのめ)が公開している 、み教えは「天国の礎」とわずかな御垂示録だけでございました 。
現在ではみ教え90%近くをネットでも知ることが出来るようになっております。
岡田茂吉思想の原点である、み教えを実生活に対する Q & A である講話録、浄霊の施術急所に対する医学論文、教団を介在させなくても、元信者様自身で明主様を求めることが出来る、世の中になっております。
信仰をしろと言っているのではございません。常識を極限まで昇華された岡田茂吉の思想に、今一度触れてみることは出来ないでしょうか。
勝手なことを書いておりますのは、重々承知しておりますが、どうか今一度お考え下されないでしょうか。
私は今現在は教団を離れて、個人として浄霊に取り組んでおります。許しを請うのは筋違いであるのは承知しておりますが、せめてもの私の償(つぐな)いでございます。」
(元専従さんの償い投稿 を教団でやってほしかった。
そして 再出発する。
中村元総長が重病で 帰幽時に、川合氏が見舞いに。
その時、中村氏が 私はもうすぐあの世に行く、あなたは真実を公表して欲しいと 頼んだ。
しかし川合氏はその後、一切語らなかった。
拠点の式典で いづのめ理事長が今回の浄化で信者に、ご迷惑をかけました。だけでした。 どうしてここに至ったか語られなかった。)
(一番)
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(無題)
昔、私が尊敬していた教会の先生から「霊化」という言葉を聞きました。
それは、浄化よりも更に上の段階?というか、もっと軽く済むものがあるというものでした。
これを御教えで確認した記憶はありませんが、内容としては
「浄化」は体的な流動・排泄などの経過・時間を伴うが、「霊化」はそれよりももっと
瞬間的で、無から有の逆、有が無になる的な、瞬時に消え去る・気化するような表現でした。
それを聞いた当時の感想は、ふ〜ん、そんな事もあるのか。程度でしたが、思えば明主様の
御赦しの元「痛み去れ!」の言霊による浄霊なども、それに当たるのかなとは思います。
今の自分は、そういう魔法的?な瞬時に症状を取り除くやり方ではないのですが、その人の
心の状態を本人自身が自覚をし、否定部分が肯定に転換・ひっくり返る事(こっちが主)で
結果として(ついでに)痛みなどの症状が一瞬にして去る(こっちが従)
という体験を地道に積み重ねています。
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(無題)
前にも一度だけ実例を書いた事がありますが、やる事は会話のみ。その人が元々持っている
その人自身の答えを引き出す作業。作業と書くとなんか事務的ですが(笑)要はサポート。
その相手の方は読書が趣味な方で、私の話にも良く耳を傾けていましたが、その人本来の心
を取り戻した(会話は確か2・30分?程度だったような記憶です)いわば自然体に還れた感じ
余計な力が抜けた感じに雰囲気が(目の輝きも増し顔色も良く)変化した処で会話も終了。
後日、手術の予定日まで決まっていた原因不明の目まい・耳鳴りの症状が、あれからすっかり
治っちゃたのでキャンセルしました。お陰様で助かりました。という感謝の意を頂けました。
心の立て替え立て直しのほうを主とし、結果として(ついでに)症状にも変化が現れる。
ただ、その症状の変化スピードの瞬間さには見ているこっちが驚くほどで(笑)
でもそれはまた驚くほど心の変化と身体の変化が見事にちゃんと一致していて。
まさに顕幽一致とはこの事か。というような感じのやり方(自分オリジナル)です。
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(無題)
私のこのやり方を、皆さんにも推そうという気持ちなど更々無いのですが
(自分オリジナルなので)
ちょうどリーチさんが書かれてました、それぞれの価値観(信じているもの)
にあったやり方で、皆で力を合わせ、組んで歩んで行けたらイイよねぇ〜ってのは思います。
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非偶像化
「霊化」とか、「浄かよりもさらに上の段階」などは初めて聞きました。
同じように求めておられる方がおられれば、是非お聞かせいただきたいと思います。
私の場合は「想念での浄霊」をもっと極めたいということから、結果的に入り口となった教えは、「活字の浄霊」でした。
薬などの外から補うものに頼らなくても、人には「自然良能力」がありますね。
また「浄霊は外からで御神書読むと、アッと目覚める。だから中心から曇りが取れていく」(御垂示録2号)であるように
つまり内側の力を引き出すことが大事だと思っています。
浄霊も手をかざさなければ、社会にも相手にも認識されないと思いますので、それぞれの教団のやり方を尊重しこそすれ批判ではありませんし、
各自の道を極めて戴きたいと思います。
ただ私の場合は、浄霊のような外からの力ではなく、可能な限り想念などの内からの力による世界を展開出来るようになりたいと思います。
美術品でも現物は無くても、思い出すだけで光を戴けるようになるので、想念と共に非偶像化への道も見えてくるのではと思っています。
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霊化
私がいづのめ教団で浄霊を学び始めた頃 、霊化というのは 一般信者の御婦人から聞きましたね。
体の毒素が浄霊で、溶けて下に流れて大小便で出る 。そして、今度はその下の毒素は、つま先から霊化して出ると言ってましたね。霊がつま先から揮発(きはつ)すると言ってましたね。 表現は正確ではありませんが 、これは元専従さんも投稿されてました。
同じ世界救世教でも、霊化は東方の光では使わないんですね 。面白い。
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(無題)
「霊化」についての御教えは今まで見たことがありませんでした。
時期的には何時ごろ出されたものでしょうか。
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(無題)
これはいつ頃からは 詳しくは知りません。ご存知の方があったら投稿されたらと思います、元専従さんの投稿にもありますから、 どこかある。とにかく資料が多いので 出てきたら書きます。
いづのめの信者は当たり前に、霊化と言ってましたね。
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(無題)
明主様御垂示 「睡気と欠伸・涙」 (昭和23年12月29日)
https://web.archive.org/web/20181105112125/http://www.geocities.jp/shumeic2/haisetu.html
信者の質問
「眠くなると欠伸が出、涙が出ますのはいかなる訳でございましょうか。」
明主様御垂示
「欠伸は悪い霊、浄化作用の一種、霊的浄化作用である。
涙が出るのは霊の汚い所が欠伸になって出る、すると肉体の毒が出る、つまり欠伸が出ただけの涙が出る訳である。
ゲップが出るのも今のと同一の意である。
それだけずつ浄まっている訳である。」
(転載終了)
おそらく、元専従さんの書き込みにあった霊化に関わる内容とは、この霊的浄化作用ついてだったように記憶しています。
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浄霊力の差
そうだったですか 、足うらから浄霊をするというのもあると 聞いていて、これをまた 元専従さんが詳しく投稿されてましたから、その辺り霊化、それらしきことは書いてなかったですかね。
話はかわり、浄霊力を、「お光話録」17号(昭和25年2月28日)にお書きでありますが、
ここにあるのが、 毒素の硬軟の場合と、溶解する時の時速 、他で、明主様は、
( 浄霊で毒素が溶ける時の速さについて、 硬(かた)さもありますか?)
『 そんな固いものではなく、種々の原因があるから、一つや二つの原因ではない。薬の性質、その人の浄化力の強弱、環境職業にもよる』
『またその人の想念によっても大いに違うし、
溶解速度(おひかり)は特にその人の想念と、浄霊者の先生の力にも、』
『言霊によっても違う。』
『 受ける時の感激にもよるし、相手の誠にもよる。』
誠の想念でお光の強さが違うとおっしゃってますね。 受ける人も、誠がある人は強いお光を頂くとありますね。
誠の想念ですね。
誠のある人は、誠のある言霊が出るから、
誠ですね。 自分の事を後にして、相手の事を先にするのが誠とありますね。
後は力を抜く。
みのるさんは元いづのめ所属ですか、
霊化は知りませんか?
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(無題)
>浄霊も手をかざさなければ、社会にも相手にも認識されない
認識してもらう必要性というのは、何の為にですか。
私個人的には、少し前にも書きましたが、救世教なら救世教、キリスト教ならキリスト教
「ある宗教」一色で、この世を染めようとは思っていません。
多くの人の事を想える人(幸せな人)が増えれば良いだけなので、その人の宗教宗派は
何であってもそこは全く関係ないです。
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(無題)
夕べも書いたように「霊化」の話を推すつもりも全くありませんので、くれぐれもそこは
誤解の無いよう改めてお願いしたいと思います。(御教えにも多分無い?と思うし)
「中心の力」という話がありましたが、私と観ているところは同じ、という印象があります。
伊都能売にしても、キリストにしても、経緯結んだ十字(メシヤ教さんで言えば〇)の中心
にチョン(神)が宿ると思います。ポイントが中心というのは私も全く同じです。
感想として、若干の違いと言えば、私は「中心」を「中の心」と解いていますが、そこを
「中の力」とされている部分と、「光を頂く」のと「光りを放つ」のと、の違いさ位かな。
光に関しては以前にも「惑星(惑う星)」と「恒星(更生)」になぞらえて書いたと思います。
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それから
私自身の事として、一応これも改めて書いておきますが、
私は、誰か(又は教団など)自分の外側を批判をする事で自分の正しさを誇るような想い
や、どちらが合っているとか間違っているだとか、そういう競り合い・張り合いなどする
つもりは微塵もないのは勿論のこと、
特に大切だと思っているのは「人それぞれの心(想念)」でしかないので、それぞれが
【何が自分の肌には合っているのか】という自分の感覚を感じて見極めていく事が、最も
重要だと考えてます。(煮詰める話もそうですが、現象を通じて想い定まるのが重要の意)
要するに、外側を無理に変えようとしたり、期待要求の心などは既に多く消化済みなので、
心から祈るのは、【各々に合った心地よい方向】で進むのが最善だという想い一択です!
そんな訳ですので、残り時間も少ないですけど、どうぞよろしく^^
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浄霊
たかしさんも倫太郎のやっていたファインラインによく投稿されてましたね。 この掲示板もあとひと月ちょっとで終了ですので、
あなたのお考えもよくわかります。人のために何かしたいと思われているのは 素晴らしいですね。
話は変わって霊化ですが 、これは東方の光の人は 知らないということでしょうかね 。
いづのめの人は知っているので 、これは「天国会」と「三五六会」の昔から浄霊のやり方も多少違うのかもしれませんね。
今でも確か違いますよね。新健康協会は「天国会」ですから、 同じ世界救世教の いづのめとはまた、浄霊の仕方が違いますね。
京都の世界メシヤ教会 の浄霊、また私は受けたことありますが、違ってましたね 。
神慈秀明会は特に違います。 眉間 と脳天 だけですから。
これで大きな奇跡が 今でも 起こっている。これは誠が強いということですね。
小山会主の人を助けたいという思いですね。
それが下に伝わった。
私は現役ですから よくわかります。
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手かざし
>浄霊も手をかざさなければ、社会にも相手にも認識されない
認識してもらう必要性というのは、何の為にですか。
浄霊して下さいと言われても、まだ手かざし以外は市民権が無いようです。
手をかざす浄霊の方が、自治体なども予算をつけやすいと思います。
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(無題)
>みのるさんは元いづのめ所属ですか、
>霊化は知りませんか?
霊化という言葉自体は聞いた事がありませんでしたね。
ですが、御浄霊を頂いた時にあくびやゲップが出るという事は、少しづつ霊的に浄めて頂いているのだと聞いた事はあります。
まあ、浄霊は霊界での作用ですし、霊の曇りである不純水素を直に焼尽する訳ですから納得がいきますね。
佐藤さんの「霊化」に関わる書き込みとも相通じるように思われます。
ある意味、現象界より霊界の方が主従の関係において上位にあるとも考えられますしね。
例えば、薬等を服用した場合、その薬毒が体に入ってから霊に曇りを生じさせる。
その過程が霊化という事なのではないかなと個人的には捉えています。
元専従さんは霊化毒素、もしくは霊化した毒素と表現していたようにも。
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今
霊化毒素でしたか。
最後は毒素は霊化して 体から出ていく、これも不思議ですね。
体から汗が出るとき、湯気が出ますね。そこにアンモニアの匂いがします。 アンモニアは尿毒ですから、 これのもっと細かいものかもしれませんね。
話し変ります。
掲示板も終わる。これは後の人が見ると思うんです( コピーしたものを)、 今日記のように 書いてますが、
立ち止まって考えて動く、ほとんど今、動かないと言う か、考える、思うということが生活になってますね。
今まではじっとしていたら、落ち込んで、
動かなくなって、流れから外れていく、
不安で、 周りに迷惑をかけた、今は 逆に その流れに合わせるように動いてます。
教団に入って教団の流れ、明主様のみ教えに合わせる、だんだんピントが合ってきました 。
そして今は それを、どういうことかと、 毎日考える、 これが意外と心地いい。
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霊化
今新健康協会から帰ってきたんですが 、奉仕者から聞いたら、霊化は知らないと言ってました。
しかし古い会員は講話集にあると言ってました。
詳しくは覚えていないが、確かにあると言ってました。 大雑把に説明してましたが、
体的な曇りが 、霊的に変化して 、云々と。
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(無題)
>浄霊して下さいと言われても、まだ手かざし以外は市民権が無い
>手をかざす浄霊の方が、自治体なども予算をつけやすい
あぁ、なるほど、教団が手かざし(という形)を必要としている。という意味でしたか、
36年生さん御自身が必要とされている話?と勝手に勘違いしちゃってて謎でした^^;
どうもありがとうございました。
>たかしさんも倫太郎のやっていたファインラインに
「たかしさん」と、そう呼んでもらえると親近感がグッと増しますね。
なんかちょっと嬉しかった^^
心地良さそうな投稿の内容(雰囲気)も、私にとっても心地良かったです。
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