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明主様

5449佐藤 孝:2022/06/15(水) 22:33:49
独特な表現(笑)
と言えば、私の、自分の「内側」と「外側」とに分けた表現・考え方。

少し前に東山さんから独特な表現と指摘してもらい、言われてみれば確かに自分でも納得。
周りとは違う自分オリジナルだなぁ〜。と改めて認識する機会を得ました。(ありがとう)


この考え方の元になっているのは実は、節分の豆撒き「鬼は外、福は内」からで
自分の【外側】の「鬼」に向かって「豆を投げつける」三千年の罪穢れ(原罪)。


豆をぶつける際の引退迫る想念「あっちへ行け!」「出てくるな!」「引っ込んでろ!」など、
自分の無意識レベルに内在する、【排他の想念】を消化しないといけないよなぁ〜、と。
原罪の清算を強く意識し始めた頃からのものです。


大本教では確か豆撒きが「鬼は内、福も内」で、全部自分の【内側】だったと思います。


自分の立ち位置を「低く穢れた者」とした時の、自分の【外側】の鬼・国常立・邪神とは、
そいつが居ると自分の思い通り・自分都合が通せない。という自分にとっての不都合な存在。

鬼・邪神・悪は、追い払うのではなく、鬼も福も、正神も邪神も【両神】自分の内に迎える
「歓迎の想念」が本当である。と設定し直しました。


それが「善も悪も」両方とも自分の中に結んで開くの取り組み(内観)とも心地良く合致。
もちろん、私の参考書でもあった日月神示の「悪を抱き参らせる」の取組みとも合致する。

鏡合わせの考え方も、自分の外側の鬼・邪=全て自分自身。鬼は内。邪の原点は自分とする
事と、そもそも魂の字に鬼が存在する事・自分自身の内に魂が在るという事とも繋がり。

と、まぁ大体そんな感じ(笑)なんですが、自分の肌にはとても合っていて快適です。




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