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明主様
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御面会
これは岡田茂吉全集 付録、解説、 安食卓郎先生が書かれたものからです。
抜粋 、《明主様に初めての御面会》
「昭和19年(1944)5月東京大空襲で家を焼かれた私共は、昭和21年、井の頭線、東松原駅の近くに家を購入し、 山中湖から転居していました。私共は近くの東松原治療所の遠藤先生のご指導を受けておりましたが、私が仙台や山中湖で浄霊活動している姿を見ておられ、 遠藤先生より、「明主様に御面会させてあげる」というお許しが出ました。
当時戦後とはいえ、明主様へのご面会は活動者でなければ許されませんでした。 現在、「聖地参拝を許されて・・」という言葉がありますが、これは御面会を許されるということから始まったのです。
昭和21年の7月でした。場所は箱根、神仙郷の観山荘です 。」(午前11時から正午まで、月に3回教会のグループ別での御面会、今式典が11時から始まるのは御面会の開始時間、その名残でしょうか)(一番)
「小田急線に朝暗いうちに乗って箱根に行きました。その頃は戦後の荒廃で、電車の窓には所々 ガラスがなく板が貼ってあり、風がピューピュー入ってくる、
各駅停車の電車でした。私は当時学生ですから、学生服を着てのご面会でした 。
ご面会場所である観山荘の「上の間」に通されて、初めて明主様にお会いしました。学生でしたので一番後に 着座 しました。集まったのは3、40人です。「大先生のお出ましです」と言われ一斉に平伏します 。衣擦れの音が頭上をよぎります。
着座されるのを待って一斉に頭を上げます。そこで坂井先生が明主様にご挨拶を申し上げ、言葉を交わされる。
他の先生方は黙って頷いている。お話をしているのは坂井先生と明主様だけ。
御神業の話になると私のような初心者には、さっぱり理解できません。
あの頃は御経綸とか、神界の話がほとんどです。こっちはさっぱり分からない。ただ ひたすらじっと明主様が話されているお姿を、穴があくように見ているだけでした。
御面会は2時間位、その間 正座で足は崩せず、棒のようになりましたが耐え抜きました。」
(何かその頃の情景が見えてきます 。初めは神界のお話、経綸のお話をされていたんですね。
安食先生のご子息は、 世界救世教いづのめ教団、鎌倉教会でご奉仕をされていると、鎌倉の人に聞いた覚えがあります。)(一番)
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