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悟り全般に関すること

92佐藤:2014/10/08(水) 08:16:29
参考なればと思います。

頭からハートに自覚もよいですが、
ハートからハートに自覚したり、
ハートから頭と
色々な角度で自覚してみてください。
また、ハートの広がった空間に入って禅定を味わうギリギリ寸止めの一歩手前で、猛烈に自覚してみてください。

93まる:2014/10/08(水) 16:45:44
私は2段階から戻りましたが?

これって小悟では?大悟すると物理的にも生活に実際に困らないと複数の覚醒者?から直接お聞きしました。
単に気を病まないという次元でなく。自然に覚醒者には、お布施したくなりますから。マスターすい空にも感じました。Srkwブッダも同様の生活を在家で送られています。

94まる:2014/10/08(水) 16:56:01
失礼ですが、2未満は自己啓発セミナーレベルでトレーナーが優秀ならすぐに体験できます!

2の体験も未来内観でできます!問題は戻らないかだと感じております!佐藤さんが不快に感じられたらお許しください。

95佐藤:2014/10/08(水) 17:27:08
>2の体験も未来内観でできます!問題は戻らないかだと感じております!佐藤さんが不快に感じられたらお許しください。

いえいえ、そんな風には感じません^_^;

私が仕事で悩んでいるという事で、2未満(小悟)ではないかという事で良いんですよね?

>大悟すると物理的にも生活に実際に困らないと複数の覚醒者?から直接お聞きしました。

大悟は生活に困らないです。
ただ大悟を手放すと、生活に困ります。

96佐藤:2014/10/08(水) 17:35:15
あと補足なのですが、
手放したので、大悟でなくても小悟でなくても良いと思ってます。^_^;
モヤモヤが終わった時点で私の悟りの道は終了です。

97麒麟:2014/10/08(水) 18:47:29
>>92
佐藤さん、アドバイスありがとうございます。
こんな直球で理解してもらえるのは、初めてです。
早速、禅定ギリギリのハートの自覚を実践しています。
無心になりますね。
どこにも無いという自己の混乱が、静まり、開ける感覚があります。
ハートの私が目覚めたときの安心感が、無心になる。
僕は無我に気がついた時に、ありとあらゆる対象は、自己によってあるのでなく。
ただ、あるだけだと、無によってあるのではなく、無はないのだと気がつきました。
それまでは無が有ると思っていたのです。
そこから、この現在の混乱が巻き起こってきています。
対象しかなく、自己のよりどころのない状態は、苦しい。
しかし、同時に、この苦しみすらも自己ではないと言う思考がオマケでついてくる。
あの時考えたのは特別なものは悟りではないということです。
差が無い。
しかし、この、禅定寸前のギリギリの自己喪失は方向があっているのか。
開けた感覚と自己喪失の感覚が無心にして苦をなくします。
執着した自己はムクムクと起き上がって、考えて暴れています。

98佐藤:2014/10/08(水) 18:59:57
>無心になりますね。
どこにも無いという自己の混乱が、静まり、開ける感覚があります。
ハートの私が目覚めたときの安心感が、無心になる。

ハートに安堵してしまっている状況かと思いますが、
それを判断できているので、それはあなたではありません。その時、私に意識を向けてみてください。
ハートの中で意識が落ちる寸前まで自覚です。。。


>それまでは無が有ると思っていたのです。

それにしがみついていたのが手放せそうですね。
私も手放す前は苦しいです。汗

99佐藤:2014/10/08(水) 19:20:51
>開けた感覚と自己喪失の感覚が無心にして苦をなくします。

禅定でフワーとならないよう鋭く硬い剣みたいなので、自覚しつつハートの中へ中へ進んでみてください。奥底の私のコアみたいなのがあると思います。

注:慧空さんは別のイメージかもしれませんが、自分なりにアレンジしてやりました。

100慧空:2014/10/08(水) 20:31:11
>>87キリンさんへ
確かに、ビパッサナも禅定も停止、すなわち無を目指す点では共通しています。
しかし、両者のその意味合いは大きく異なるのです。

ビパッサナの主たる目標は、普通に活動している動的状態の私の意識を
、その動的な状態のまま、ある一点に定めて静止させていくことなのです。
悟りを知らない方の意識が定まらず、とてもふらふらと揺れ動いています。
そのふらふらと揺れ動く度合いが小さくなり、迷いが小さくなっていくにつれ、
悟りが深くなっていきます。
そしてその究極の状態として、その動的な意識がある一点に定まった状態が、
最終的な悟りである解脱の悟りに対応しています。
つまり、ビパッサナは悟りを得て深めていくことを直接的な目的としているとともに、
私の意識に対してもそのように作用します。

これに対して、禅定は、私の意識の働きを抑制して停止させることをその狙いとしています。
しかし、この禅定は、それをいくら体験しても、多くの場合、悟りは得られず、
悟りとは全くと言っていいほど関係が無いのです。
その証拠に、殆どの禅定体験の場合で、禅定から通常の意識状態に戻ると、
何の意識次元の変化もなく、ものと意識レベルに戻ってしまいます。
実際に私は、31、2歳のころに瞑想をやっていたころから、
数え切れないくらい涅槃(意識も感覚も無い完全な無我であり、気絶状態です)に落ちた経験がありますが、
何の悟りも得られませんでした。

101慧空:2014/10/08(水) 20:39:53
キリンさんへ
キリンさんは大悟を目指しておられる方なのかも知れませんね。
佐藤さんの仰るように、ハートで感じる私という感覚の中心に、
徹底的に意識を集中してみて頂きたいと思います。

そのワークのときの注意点は、無我になることではないということです。
むしろ逆なのです。
「私」に対する認識をしっかりを維持した状態で、ハートで感じる私という感覚の中心に
徹底的に集中していただきたいのです。
意識の集中度が上がってくると、自然と無我の方に意識が行ってしまいますので、
無我の方向に行かないように「私」がこれをやっているだという認識を
しっかりと持ったまま、それをやって頂きたいと思います。
そのときのいいやり方として、「わたし、わたし、わたし、・・・」とゆっくりと
声を出して、あるいは心の中で唱えながら、つまり「わたし」をしっかりとつくりながら、
そこに意識を集中してみてください。
ぜひやってみてくだいさいな(^^)/

102麒麟:2014/10/08(水) 20:50:27
ありがとうございます。
慧空さんの記事には納得させられると言うか共感する部分が多いです。
僕があれに気がついたのは鐘の音を聞いたときでした。
しかも、リアルな鐘の音ではなく、ポッドキャストで聞いたときです。
内部で響く音が、それに触れた確かな感覚がありました。
無です。
無が無いのは言葉として当たり前ですが、これで気がついたのです。
自己はないと気がついてしまったのですが、それは覆りません。
しかし、私の自我はたくさん残っている。
それらの活動が、もはや、私ではなく、そこにあるのだと分かるのです。
ただあるだけの、活動が、苦しみによって自我を追い詰めている。
しかし、逃れる道は、無いことも分かっている。

103慧空:2014/10/08(水) 20:56:35
キリンさんへ

>それらの活動が、もはや、私ではなく、そこにあるのだと分かるのです。

これも考えなのです。
その認識、その感覚、その考えにはまってしまっているのです。
まずは、そこに気づいて頂きたいと思います。
そして、ご自身の自我の主体性を取り戻して頂きたいと思います。

キリンさんは、どうされたいのですか?
何を求めておられるのですか?

そのあたりを、一度徹底的に見つめてみて頂きたいと思います。

104麒麟:2014/10/08(水) 21:01:29
>>100
>>101
ありがとうございます。
わたしを逆に意識していくことですね?
救われるかもしれません。
しばらく実践して、なんとか苦境を脱したいと思います。
感謝です。
そういえば、井上哲玄さんというお坊さんも悟っているようですね。
僕は、あの人は悟っていると思います。
関係ないお話で、申し訳ありません。

105慧空:2014/10/08(水) 21:09:53
キリンさんへ
いえいえ、こちらこそ、私の話を聞いて頂き感謝しております。
私は言いたがりの伝えたがりですから。(^^)

>わたしを逆に意識していくことですね?

まさにその通りです。

井上哲玄さん、ネット動画で存じております。
特定の方、特に存命の方についての言及は控えさせていただきます。

106みどり:2014/10/08(水) 21:25:49
慧空さん、こんばんは。

参考までに。
人は生まれる前に自分のやることを決めてくる。
それが個人個人の人生のシナリオです。

生まれて来る前だから、
そんなの覚えてないし、うまれてからも赤ちゃんの時なんて覚えてないですよねぇ。
この世は、三次元、あの世は、四次元。

わたしの場合、四次元は、ひとくくりで、細分化されてないけど。

だから、自分でわかる時があるんです。

107慧空:2014/10/08(水) 21:39:30
みどりさんへ

>人は生まれる前に自分のやることを決めてくる。

ある段階ではある程度妥当な考えなのですが、最終的には誤りなんです。
例えある程度決めて生まれてきたとしても、なかなかそう思うようには行かないのです。
なぜなら、カルマが起こしてくる展開はなかなか予想がつかず、ままならないのです。
また、私たちには、各時点、各時点において自由な意思があるんです。
当然、気が変わるということも多いにあるんです。(^^)

108みどり:2014/10/08(水) 21:45:20
>>107慧空さんの言われることも含めて全部です。

109慧空:2014/10/08(水) 21:49:11
みどりさん、だからその考えが間違っていると言っているんですよ。

「既に全部決めている」これは、程度の低い幻想であり、妄想です。
そんな考えとっとと捨ててください。

しかし現実問題として、「すべて決まっている」、この考えの愚かさに気がつかない方々余りに多いのです。
困ったものです。

110慧空:2014/10/08(水) 21:51:41
「既に全部決めている」、「すべて決まっている」と考えているのは誰ですか? と私は強く強く申し上げたい!!!

111みどり:2014/10/08(水) 22:11:09
>>109そこは、ふーんってきけないとこなんだね。

そっちから入っていく人もいるからね。

答えは自分の中にあります。
これ本屋で以前みたとき、なんのこっちゃって思ったけど、

今は、決まっていたって、先のことは、わからない。
自分が生きてしるしかないっていうのが、私です。

人に間違ってるっていうのは、あなたも間違ってるってなるのわたしの場合。

そいいう時は、わたしの言うのと違うっていうかな?
でも、慧空さんは、ずっと言っていくつもりだから、そういう表現になるのかな?。

わかんないな。

どちらにしても、私が慧空さんのところにお邪魔させて頂いてるのに言いたいこと、言わせて頂きました。
この先、私がこういうこと、言わなくなるのかもしれないし。

112みどり:2014/10/08(水) 22:16:10
>>111うわっ、怒ってる?
そうなんだなぁと実感するだけ。

自分しかわからないこと、実証できないじゃん。

こんな感じっていうしか。

113慧空:2014/10/08(水) 22:19:13
みどりさんへ

「間違い」と言うのは、私の表現の間違いでした。
正確には、こういう言い方になります。
「あなたは、その考え、その世界観を作り上げて握りしめておられるのです。」
「あなたは、既に全部決めているという世界観である考えを掴んでおられます」
「それに気づいてください」

私には、そう申し上げるより仕方が無いのです。
なぜなら、私はすべてが私に起こっている、あるいは私がつくっている認識であり、幻想に過ぎないことを知っていますから。
決まっていることも、全体的なことも無いのです。

114慧空:2014/10/08(水) 22:23:45
起こっていませんよ。

ただ、「すべては決まっている」という考えを握りしめておられる方に対しては、
その囚われを指摘したいという強い衝動に駆られてしまうのです。
なぜなら、ここは悟りを深めていくとき、とても重要な部分になるからなのです。
「すべては決まっている」という考えに囚われると、自我の主体性が損なわれ、
迷ってしまうんです。

115慧空:2014/10/08(水) 22:29:05
>>113自己レス、誤記訂正です

決まっていることも、絶対的なことも無いのです。

116みどり:2014/10/08(水) 22:31:19
>>114いろんなこと実感したり、他の人がいろんな説があるので、きりがないから、
自分に起きたことだけを真実としよう。

っていうのが私の生き方です。

他の方を迷わせたのなら、すみませんでした。

117慧空:2014/10/08(水) 22:40:27
>>116

いえいえ、大丈夫です。
ここは何でも書いて頂いていいんです。
これからも遠慮は無用です。
私はどうしても指摘したくなるので、つい私も熱く語ってしましました。
すみません(^_^;)

でも、またみどりさんに何か言いたくなりました。(^_^;)

>いろんなこと実感したり、他の人がいろんな説があるので、きりがないから、
自分に起きたことだけを真実としよう。

これはとても素晴らしいことだと思うのですが、敢えて言わせてくださいな。
そのご自分の体験や、それに基づく真実と認識されていることを疑ってみて頂きたいのです。
「この自分の体験は真実か?」、「そもそも真実とは何なのか?」、
「真実って存在するのか?」と、疑ってみて頂きたいのです。

ちなみに、私は何も信じているものが無いのです。

118佐藤:2014/10/08(水) 22:46:53
>ちなみに、私は何も信じているものが無いのです。

そうなんですよね。
信じなくて良いのに、なぜ信じないといけないのかよく分からないですよね。。

119みどり:2014/10/08(水) 22:52:50
>>117私、そうやってつっついちゃうの。

私のいう真実は、誰かが言ってたからとかであたかも自分のことのように自信満々にしゃべる人や、歴史だって、本当かどうかわからないじゃん、って思うから、
自分が経験したことしか、わからないってことです。
私も信じるものありませんよ。

何度も肩透かしをくって、期待もありません。

何にもないです。

120慧空:2014/10/08(水) 22:55:57
>>119

みどりさんは本当に信じるものは無いですか?
だってさっき、「既に自分で全部決めている」って仰っていたじゃないですか。

すみません、こうしてつっつくのも、私のサガです(^_^;)

121佐藤:2014/10/08(水) 22:58:46
真我にやられると、フラフラした感じになると思うので、自覚でそれをピタっと止めてみるとか。。

122佐藤:2014/10/08(水) 23:06:15
信じてるも信じてないも同じかなと思いました。
その時の自我をとらえさえすれば良いのかなと

123みどり:2014/10/08(水) 23:06:57
あっごめんなさい。

私の特徴いいますね。

コロコロかわります。

前は、絶対そうなんだと思ったときもありましたが、いまは、ふーん(-_-)って感じです。

言葉軽いし、その時の反応として、その時、その時、思ったこと書いてます。

反応なくて、私もいいたいことなければ、そこで終わってます。

あっ、焦る、慧空さん寝ちゃう。

124慧空:2014/10/08(水) 23:13:24
今日はまだ起きていますよ。(^^)

>言葉軽いし、その時の反応として、その時、その時、思ったこと書いてます。

なるほどー、ですね。(^_^;)
でも、その定まらない感じがどうも私には、またそこを指摘したくなるですよねー(^_^;)
やっぱり、自覚をやって頂きたいと思う訳なんですよ。
みどりさん、自覚、全然興味ないですか?

125みどり:2014/10/08(水) 23:18:24
>>124やろうと思うと、頭痛くなったり、すぐやめちゃう。

そのフラフラが私の持ち味なのかも。

鑑賞者っていうか、どっちもわかるっていうか、

それしか成りようがないんだよね。

126佐藤:2014/10/08(水) 23:23:54
大悟起こると、フラフラには行かないです。。
大悟起きなくて良いのであれば、フラフラで良いと思います。

127慧空:2014/10/08(水) 23:26:51
>>125
そうですかー。
少しでもいいですから、まずは自覚をやって頂かないことには、私としては手の打ちようがないんですよねー。

でもまあ、みどりさんがまだここに来られているということは、
私の話ことにもまだ少しは興味を感じておられるんだと思いますから、
みどりさんがその気になるのを、気ながーーーに待つことにします。
時折、つんつんとつっつきながら(^o^)

128みどり:2014/10/08(水) 23:33:24
>>127私、慧空の話より、慧空さんに興味があるのかなぁ。人間として。

男としてじゃないですよ。
私、なんでこんなことしてるんだろう。

わかるまでほっとこうが私ですので。

129慧空:2014/10/08(水) 23:43:54
>>128

>私、慧空の話より、慧空さんに興味があるのかなぁ。人間として。

それは大変光栄です。
素直に嬉しいです。(^^)

それにしても、みどりさんは、とらえどころがない方ですね。(^^)

今日はもう寝ますね。
また明日です(^^)/

130みどり:2014/10/08(水) 23:52:00
自分でも手を焼いてる。

なんでこんな風になっちゃったかなぁって。

佐藤さん、

佐藤さんになんかいうと
慧空さんにつっつかれそうなので、自粛してました。

131みどり:2014/10/09(木) 05:10:00
>>128慧空さんの話よりのところ、さんが抜けて呼び捨てになって、すみませんでした。

132佐藤:2014/10/09(木) 05:24:11
>慧空さんにつっつかれそうなので、自粛してました。

おはようございます
いえいえ、いいですいいです。^_^
脇から言いたい事を言ってるだけなので返信頂かなくても

133みどり:2014/10/09(木) 05:55:38
わっ、佐藤さん、早起き。

134まる:2014/10/09(木) 16:22:52
なるほど、顕在意識での無我、不動心の体現、いわゆる持続性がある意識の体現が可能になるとお考えですか?

135慧空:2014/10/09(木) 20:51:05
>>134まるさんへ

>顕在意識での無我、不動心の体現、いわゆる持続性がある意識の体現が可能になるとお考えですか?

上のレスで書いた通りなのです。
解脱の悟りが起きると、普通に活動している私の動的な意識状態が、動的な状態のままある一点に定まるのです。
私に感情や欲求や思考が起こってきて、そのような活動を行っているのですが、それでいて、意識は定まったままなのです。
これが私の現在の意識の状態でして、言葉ではうまく表現できませんが、まさにそのようになっているのです。

136佐藤:2014/10/09(木) 21:24:55
慧空さん>
微細な表現されますね。
感心してしまいました。

変わっていくかもしれませんが、
特別な事は無く平凡で普通の意識状態です。
モヤモヤした迷いが無いだけの感じで、一人でいるといつまででもボーっとできます。。

137慧空:2014/10/09(木) 21:32:14
>佐藤さん

>微細な表現されますね。
>感心してしまいました。

ありがとうございます。
私、二十歳のころに少しだけですが、小説家になりたいと思ってたんです。(^o^)

138佐藤:2014/10/09(木) 21:40:16
昨日のブログ記事の内容とかも長めの文章ですが、
すごいシナリオ展開力だなあと感心してしまいました。

私は、書けてパワーポイント1枚に箇条書きで5行程度です。

悟りの本書かれたら買いますよ。笑

139佐藤:2014/10/09(木) 21:44:52
ひたすら自覚の実践の例がずらずら書かれていたりするような
自覚の実況中継本(執着チェックリスト付き)とか売れるのではないかと思います。

140慧空:2014/10/09(木) 21:46:09
>私は、書けてパワーポイント1枚に箇条書きで5行程度です。

理系の人は普通、そんなものだと思います。
私も理系人間ですが、ちょっと文系的なところがミックスしてますから。(^o^)

でも、本を書くには持続力が続かないので無理っぽいです。
ブログの記事くらいが精一杯です。(^o^)

141慧空:2014/10/09(木) 21:47:37
>>139
佐藤さんのその発想は、受験勉強に毒されてますね。(^o^)

142佐藤:2014/10/09(木) 21:51:11
あ ばれました。笑

実は、先ほどの文章書き込む前に、
私の子供がわたしのような状態になったら、
受験戦争どうするのだろうか?
と心配してしたんですよ。

ろくに本も読めないですので。。

143慧空:2014/10/09(木) 21:55:05
>私の子供がわたしのような状態になったら、
>受験戦争どうするのだろうか?
>と心配してしたんですよ。

本当に心配してますか?
本当に本当に心配ですか?
深刻さが伝わってこないんですよねー(^o^)

144佐藤:2014/10/09(木) 22:16:21
さっきは、心配してなかったですが、
今、心配し始めましたね汗

なんて私は単純なんだ。笑

145慧空:2014/10/09(木) 22:19:48
ちっとも深刻さが伝わってきません。(^o^)

146佐藤:2014/10/09(木) 22:23:35
おかしいなあ。。
なんで伝わらないかなあ。
かわいい息子なんですよ。笑
きちんとした大人になって欲しいです。

147佐藤:2014/10/09(木) 22:28:55
目がしょぼしょぼしてきたので寝ます。
おつかれさまでした。

148慧空:2014/10/09(木) 22:33:55
>きちんとした大人になって欲しいです。

「きちんとした」って、本気で言っておられるのでしょうか?
思わず笑ってしまいました。(^o^)

私も寝ます。おやすみなさい(^^)/

149佐藤:2014/10/10(金) 07:32:47
>「きちんとした」って、本気で言っておられるのでしょうか?

おはようございます。
昨日は本気でしたが、今日はそうでもないです。
天気のように、その時その時ですね^ ^

150まる:2014/10/10(金) 09:11:03
25年以上前、京都山中でゴエンカ式のヴィパサナを、1日に16時間以上行い、その間無言で生活。無我?と感じる至高体験をしました。

何より驚いたのは、人の心が観えるようになったことでした。

しかし、その感覚は一週間で薄れていきました!改めてゴエンカ式は当時禅定の指導が主だったことが要因だったとマスターのお話で気ずきました。ありがとうございます!合掌

151めがね:2014/10/10(金) 11:53:59
皆さんに質問です(^○^)!
「ハートのワーク」のハートの位置ですが
動きませんか?日によって違うようにおもいますが
私だけですかね
偽物の私に光をあてているのかな(=ω=。)

152佐藤:2014/10/10(金) 12:05:21
ハートに手を当てて、私と言った時に感じる場所がハートで良いと思います。マハルシは右胸とか言ってましたね。笑

153佐藤:2014/10/10(金) 12:11:41
私は、みぞおちあたりです

154佐藤:2014/10/10(金) 12:18:24
表現が幼稚で申し訳ないのですが、ドキドキする場所でもいいと思いますよ笑

155めがね:2014/10/10(金) 12:19:10
>>152
佐藤さん
私は「ボワーン」とするとか「チクチク」する感じが
1日の中に何度か有ります。偽物だったか・・・(_△_;
言われた通りにしよ(笑

156めがね:2014/10/10(金) 12:22:43
幼稚ではないですよ、そうですよねドキドキするところですよね!

157佐藤:2014/10/10(金) 12:27:24
>私は「ボワーン」とするとか「チクチク」する感じが

バッチリ当たってると思いますよ。

158めがね:2014/10/10(金) 12:48:35
(^-^)ゞ

159佐藤:2014/10/10(金) 12:54:16
>1日に16時間以上行い
壮絶ですね。。

>ゴエンカ式は当時禅定の指導

戒→定→慧
という見方もあるかなと思いました

私のヴィパッサナー実践は、定まで行かず戒でストップしたのでご縁を感じませんでした^_^;

ヴィパッサナーマスターだと慧が出るのでしょうけど。。

160慧空:2014/10/10(金) 20:37:47
>>151めがねさんへ

>「ハートのワーク」のハートの位置ですが
>動きませんか?日によって違うようにおもいますが
>私だけですかね

ハートの中心というか、ハートで感じる私という感覚の中心は、
動かないのです。
動くということは、まだ捉え方が不安定なんだと思います。
やっておられるうちに、段々と安定して定まっていくと思いますよ。

161麒麟:2014/10/10(金) 23:28:33
ハートは不動ですね。
一度気がついたら場所は見失わないと思いますよ。
絶対安心の境地ですね。
僕はこのところ、気が抜けてしまったように、ぼーっとしがちです。

162慧空:2014/10/10(金) 23:32:43
ああ、キリンさん、こんばんは。
今晩は誰も来ないのかと思ってました。

>僕はこのところ、気が抜けてしまったように、ぼーっとしがちです。

その境地にとどまられることなく、熾烈にハートの自覚ワークをやって頂きたいと思います。

163みどり:2014/10/11(土) 01:25:35
>>135今頃ですが、

ちょっと参照の技術が未熟なので、

レスの最後の解脱は、からの慧空さんの状態説明で、
他の人と話をしてても、
その人と話ながら、冷静に観てるというのとは、ニュアンスがちがいますか?

164佐藤:2014/10/11(土) 07:22:06
みどりさん>

おはようございます。
慧空さんでなくてすいません。笑

私の感じている事、書きますね。

自覚しつつけると私が追いつめられて、
最後の最後で逃げられない1点に到達して、
その1点に自覚が入って、ああ終わったという事になります。

状態が気になられると思うのですが、
状態はどうでもいいんです。
観照状態とか大悟状態は自我が削れて起こる現象であって、一つの目安にはなりますが
何か特別な事でも何でも無いと思ってます。

ただ、フワフワした状態や何かに依存した状態だと自覚できないので、
その1点を探す事が出来なくいつまでも迷い続けるという事かと思います。

165佐藤:2014/10/11(土) 07:37:30
ちょっと最後の最後を強調させてください。

その1点は色々な物で覆われていて、
最後の最後まで自覚し続けないと見えてきません。

この最後の最後というのは、大悟でさえも違うのですから、
なかなかたどり着けないと思います。

覚醒や大悟は、ある状態に達したという事にはなりますが、
終わったという感じになりません。

覚醒者や大悟者の発言などを見ると、
何か真理めいたものを語るのが特徴ですが、そんな事どうでもよくて、
それを捨てて自覚の道を進んだ方は無明が晴れた事を語ると思います。
そして、その最後はとても穏やかです。

166佐藤:2014/10/11(土) 07:53:15
最後の一行は余計でした。。

大悟までは、かなりエキサイティングな感じだったもので、
それに比べると、静かで穏やかな終わりだなと。

167みどり:2014/10/11(土) 08:29:18
佐藤さん、おはようございます。

私は、もしかして、ちがう道を通っても、到達することあるんではないかと、思ってるんです。

ところどころ似た経緯があるので、

進むことも戻ることも出来ないこととか、

通った道の違いで、言うことが違うだけみたいな。

そう思ったもんですから。
どうなんでしょう。

こちらでは、あーだこーだいう時点で、すでに違うけとは、わかりますが。

168佐藤:2014/10/11(土) 08:43:41
>私は、もしかして、ちがう道を通っても、到達することあるんではないかと、思ってるんです。

それはありえると思います。
ぜひ、実践方法などシェアいただけると嬉しいです。
女性向きに良いのではないかと思ったりします。

169佐藤:2014/10/11(土) 08:56:20
>こちらでは、あーだこーだいう時点で、すでに違うけとは、わかりますが。

すいません
こちら というのに引っかかりました笑
自覚はこちらでやる物なので、あちらは関係ないです。。

170みどり:2014/10/11(土) 09:04:29
>>169こちら、あちら面白い佐藤さん。

私のいったこちらは、
慧空さんのブログのことです。

171佐藤:2014/10/11(土) 09:08:26
あ なるほど笑
みどりさんの経緯や実践話もぜひぜひですよ
混ざると何なら、みどりさんスレッド立てて頂いて笑
私も興味深いです。

172みどり:2014/10/11(土) 09:17:47
>>168私、女性、男性関係ないと思ってます。
自分にあってるかどうかだと思います。

それと、私沢山の文字が書けなくなって、
本とかも読めなく成りました。

ですので、すみません。

173佐藤:2014/10/11(土) 09:30:49
>自分にあってるかどうかだと思います。

男女関係ないかもしれませんね。
ただ、ハートの自覚はかなり体力使う面があるし、自覚自体もかなり苦しみを伴う面があるので、男性向きかなと思ったりもします。他の道があるなら、短文で良いのでご紹介頂いた方が良いと思います。

>本とかも読めなく成りました。

偶然にも私も同じです
通勤時間中2時間で1ページとか。。。

こういう感じの掲示板や縁のあるブログは読み書きできる感じです。
不思議です。

174睡蓮:2014/10/11(土) 09:34:01
私も、みどりさんの経緯や実践話、ぜひうかがってみたいです。

175みどり:2014/10/11(土) 10:07:48
>>173そうなんですよ。

その気になれば、即行動しますが、中々エンジンがかからず。

私は、仕事場で心も体も限界を超え、体が震え出し、不思議な世界が開いたみたいな感じで、最初、絶対自由を手に入れたと思ったら、絶対不自由もついてきた。ギリギリをどこまでも、押し進められて、死んだ方が楽、死ねないんだ私って、もう限界、もう限界ってなりながら、その代わり平気なこころだけやるわぁって感じです。

もういいだろうと思っても、まだまだぁとぐいぐい絶望を越えてきました。

前向きな言葉を言い聞かせながら、後ろ向きな生活を送っています。

ずいぶん、はしょってますが、こんな感じかな。

176佐藤:2014/10/11(土) 10:34:16
お聞きして、やはり苦しんでおられたのですね。^_^;

>もう限界、もう限界ってなりながら、その代わり平気なこころだけやるわぁって感じです。
>もういいだろうと思っても、まだまだぁとぐいぐい絶望を越えてきました。

途中で終わってる感じがしたのですが、
最後、どうなったのでしょうか?
それとも越え中でしょうか?
限界な苦しさ消えましたでしょうか?

177めがね:2014/10/11(土) 10:39:58
慧空さん
麒麟さん
なんか伝わってきました。続けます。(^^)
先を進まれている方達ばかりで嬉しいです!

「ハートの中心というか、ハートで感じる私という感覚の中心は」
この言葉気になりました

瞑想の状態でボーとしてきて、通常の人の状態ですとすぐ寝てしまう
その手前のフワフワしたボーっとが長いのですが
これはもしかしたら「真我に触れた」と表現されている感覚ですか?

178みどり:2014/10/11(土) 10:48:21
>>176もう佐藤さん、忙しいんじゃないの。

乗せ上手ぅ〜。

穏やか凹みを繰り返しなんともない時間が増えていったんで、
苦しいのは、ないです。

179佐藤:2014/10/11(土) 10:53:35
いえ、厳密にはまだ忙しくないです笑
ベランダ掃除、洗濯して今は買い物中です
この後、風呂掃除が待ってます汗


>穏やか凹みを繰り返しなんともない時間が増えていったんで、

この前に「あ これで終わった」って気づきありました?自覚の場合、必ず起きるので。汗

180麒麟:2014/10/11(土) 11:13:27
>>177
真我に触れた状態は幸福ですから、誰に確かめなくても分かると思いますよ。
あ、これだ、と疑いなく。
ハートに風が吹くだけで、嬉しくなってしまうような感応。
問題が無くてボーっとしてしまうことはあるかもしれません。
でも、これは、まだ知っている自分が残っているようで、それに気がつくと、苦しみがやってきますorz

ハートの自覚をしていて『見るものは見られるものである』というのは分かるのです。
無明が明知に照らされるというのも分かるのですが、この分かる私は、どうしても、消失しない。
もっと自覚する必要があるのでしょう・・・・・・

181みどり:2014/10/11(土) 11:18:04
>>179そこなんだよね、
最初の方で穏やかになってこれでカルマ終わったと思ったんだけど、

次から次にやってきたから、どうなんだろう。

最初に希望見せて、絶望に追いつめられたので、

終わったは、最初の頃かなぁ。

182佐藤:2014/10/11(土) 11:27:15
>ハートの自覚をしていて『見るものは見られるものである』というのは分かるのです。

ハートの自覚ができなくなると、見るもの見られるものになります。。
ハートの自覚時に、すでに見るもの見られるものだよねって私も慧空さんに力説していたのですが、実際は思っていたのと全然違いました。
例えば、見るものと見られるものに、薄皮一枚あったりしませんでしょうか?

>無明が明知に照らされるというのも分かるのですが、この分かる私は、どうしても、消失しない。
もっと自覚する必要があるのでしょう・・・・・・

推測ですが、
消失したいというのを握っておられるかもしれません。。

183めがね:2014/10/11(土) 11:45:57
麒麟さん

勉強になります(o`Θ´)ノ

◎問題が無くてボーっとしてしまうことはあるかもしれません。
何も問題がなくて幸せな、今そんな感じです♪

「真我にダイブ」「真我に触れた」など知識がないからかどんな感じか
擬音などを交えた表現でないと私にはニュウアンスがなかなか感じ取れなくて( ̄ロ ̄lll)

◎まだ知っている自分が残っているようで
では次は私が居なかったと気付くんですね

◎苦しみがやってきます
私が居なかったと気付くと悲しむんですね!
今の位置で考えるとだと笑えます( ´,_ゝ`)

私が居なかったと気付きが来るために続けます!

184佐藤:2014/10/11(土) 12:08:02
すいません。
時系列が混乱してきたので、
ちゃんと考えてみました。笑

>終わったは、最初の頃かなぁ。

>私は、仕事場で心も体も限界を超え、体が震え出し、

これの事でしょうか?
これは、明け渡しかと思われます。

>①もういいだろうと思っても、まだまだぁとぐいぐい絶望を越えてきました。

>②穏やか凹みを繰り返しなんともない時間が増えていったんで、
苦しいのは、ないです。

やはりここの記載が興味あります。笑
①と②の間に何の変化があったのかなと。

185みどり:2014/10/11(土) 12:33:51
>>184?@と?Aは、順番じゃなくて、同時進行です。

その間もいろいろあるから、表現が難しいです。

186みどり:2014/10/11(土) 12:44:20
>>185わっマーク変わってる。一番と二番です。

私、今に至る経緯が、たぶん全然違うから、

いろいろ有りすぎて、書けません。

今、固まってます。

187佐藤:2014/10/11(土) 13:30:24
そうでしたか笑
私もどう反応して良いか困っておりました。
何かまとまりましたら、シェアいただけると嬉しいです。

あと、秘技でなければ、実践内容も。。。汗

188みどり:2014/10/11(土) 13:54:04
もう、佐藤さん、笑ちゃったよぅ私。

そーだよね、これだけじゃ判断材料少ないし、困っちゃうよねぇ。

私は、思い込みが取れて、本当の自分自身って進んできたので、どう?実践って感じだよ。

自分を誉めて、誉めて、誉めまくるみたいなの。

このスレッドでいいのかな?

気軽な方、いこっかな?

189まる:2014/10/11(土) 17:10:46
開眼と閉眼で自覚ワークを行うので、全く感覚がちがいます。また、胸を包み込む感じと手をあわせるのとでも。

今日は、生まれてはじめて開眼の立姿勢での自覚ワークで至福を感じました。眼を閉と倒れそうになりましたから、やめました。

190慧空:2014/10/11(土) 19:12:25
>>163みどりさんへ

>他の人と話をしてても、
>その人と話ながら、冷静に観てるというのとは、ニュアンスがちがいますか?

はい、違うんです。
でも、人と話ながらそれを冷静に見ておられるというのは、みどりさんの自我が相当薄くなっている証拠だというのは直ぐに分かります。
解脱の悟りの状態を言葉で表現するのはとても困難なのですが、私としては、一切の考えを握りしめてないという表現が一番しっくりきます。
だから、意識がふらふらしないし、何かを探し求めたりすることもないんです。

みどりさんの場合は、まだ意識がふらふら、ふわふわしておられるのです。
それが、容易に見て取れるんです。

191慧空:2014/10/11(土) 19:19:28
>>180きりんさんへ

>この分かる私は、どうしても、消失しない。
>もっと自覚する必要があるのでしょう・・・・・・

私を消失させようとしても無理ですよ。
それは、エゴでエゴを押さえ込もうとしているだけです。
自我の思考を含めた意識は、存在が続く限り残ります。

きりんさんは、いまは、ハートで感じる私に徹底的に意識を集中し続けてみてください。
大悟に近づいてくると、確かに「見るものは見られるもの」という感覚を一時的に得るようになったりするのです。
しかしそれでは未だなんです。
本当に大悟に至れば、四六時中「見るものは見られるもの」になるんです。
あるいは、四六時中とまではいかないまでも、意識のチャンネルをそこに合わせれば、直ぐにかつ簡単に「見るものは見られるもの」の意識になるんです。

192みどり:2014/10/11(土) 19:19:56
>>190はい、わかりました。ありがとう。

193佐藤:2014/10/11(土) 19:44:41
>きりんさんは、いまは、ハートで感じる私に徹底的に意識を集中し続けてみてください。

体力的には、大悟前が一番しんどいと思います。
発心起こして、集中して突き抜けないと起こらないと思いますので、頑張ってください。
応援しております。

194佐藤:2014/10/11(土) 19:47:25
>自分を誉めて、誉めて、誉めまくるみたいなの。
>このスレッドでいいのかな?
>気軽な方、いこっかな?

確かにタイプがちょっと異なるかもですね。
でも、誉めまくるのしんどそうで、やりがいはありそうですね。
どのスレッドでも良いと思いますよ。なんか見分けつかなくなっている気がしますし。。

195みどり:2014/10/11(土) 20:25:34
>>194人生がしんどい状況にあったので、こころが少しでも楽になればとやったことなので、やりがいは、ありませんよ。

なんでこうなるの、ばかりです。

求めてなるんではなくて、なっちゃってから、分析するの繰り返しですから私。

196佐藤:2014/10/11(土) 20:45:54
>なんでこうなるの、ばかりです。

読むだけでしんどくなってきました。。
降参です。笑

197まる:2014/10/11(土) 22:50:33
ふらふらしない、不動心、平常心体現に、執着し、こだわってるのは、絶対普遍の境地がないと不安と私が感じてるからと自覚しました。
5週間前に、朝突然見る者と見られるものという感覚がなぜか、何もしてなかつたのに、10数年ブリに感じました。すぐ消えましたが。
その後、突然元兄弟子から電話がきて、会うとこのブログをしようかいされましたから。

あまりに、この頃、できすぎな、ことが多過ぎて、私はなにかの手のひらにいて、本当に私という意思ある存在に疑問を感じる自分を自覚してます。

198めがね:2014/10/12(日) 16:27:07
ちょっとおかしな感覚になったので書きます。
先ほどトイレに入った時、「今日は暇やな」て思考が流れてきたんですよで、
今までならそう考えてる私が居るとか不安な気持ちが出て来たら
強い自分で気持ちを受け入れていたんです。と一連の流れをしていたのですが
「今日は暇やな」のこの思考、何の意味も価値もないじゃないかとただ流れてきた
音楽と同じで、さらにそれに連続する思考を作り感情まで作り受け入れて、
何をめんどうなことやっていたんだろうと、ただ引いて眺めている感じになったんですよ
スクリーンに流れてくる感じです
文章書いてる私も何の意味も価値もないことを一生懸命書いている、
静かに見てる、なんか気持ち悪い感覚

以前、慧空さんに質問してた時に書いた自我の見え透いた思考にイライラしたこの感じは
これだったんだと思いました。
自我が薄くなるとゆうかそのままあるけど意味も価値もないと感じれる立場これは何ですか?
で、考えることも流れてくる思考も意味も価値もないならどうしたらいいの???

199めがね:2014/10/12(日) 16:57:08
見性したんだ
2年もかかって入口か・・ショック

200佐藤:2014/10/12(日) 17:30:51
>見性したんだ
2年もかかって入口か・・ショック

おめでとうございます。見性したら新たなカルマは積まないと言われているみたいですよ。

201めがね:2014/10/12(日) 17:47:06
ありがとうございます。(⌒-⌒)

>>2年もかかって入口か・・ショック
これも幻か!

202佐藤:2014/10/12(日) 18:00:09

>>2年もかかって入口か・・ショック
これも幻か!

素晴らしいです!^_^
自覚どんどんやって執着手放して身軽になってください。

めがねさん真我は、すでに覚醒されましたか?覚えておらず2度聞きかもしれませんが。。

203めがね:2014/10/12(日) 18:09:10
佐藤さん

色々とありがとうございます(^○^)
真我の覚醒はどんなおかしな体験をするのですか?(笑)

204佐藤:2014/10/12(日) 18:11:22
>真我の覚醒はどんなおかしな体験をするのですか?

一般的にはハートから至福のエネルギーが放射して見るもの全てが愛おしいという感じの体験です。

205めがね:2014/10/12(日) 18:17:47
佐藤さんの以前の書き込み見つけました!
真我の第1段階
 ・明け渡しが起こり、ワンネス感があった事があるか?

この感覚はまだないです・・・
ハートのワークを1時間やってトイレに行ったらさっきの感覚で、
それ以前にもないです。
本当に入口のようです(笑)ありがとうございます。

206佐藤:2014/10/12(日) 18:44:48
>・明け渡しが起こり、ワンネス感があった事があるか?

神頼みな所もあるのですが、いかに自分の中の苦しみを直視するかだと思います。。自我が思いっきり蓋をしてますので、みつけてみてください。その時に門が開かれるという感じです。

別ブログになりますが、真我の第一覚醒に関しては、
http://4649soul.blog.fc2.com
も参考になると思います。

207佐藤:2014/10/12(日) 18:47:33
こないだの空ちゃんさんのブログも良いと思いますよ
ハートに来る感じがあるので。

208めがね:2014/10/12(日) 19:03:23
>・神頼みな所もあるのですが、いかに自分の中の苦しみを直視するかだと
思います。。自我が思いっきり蓋をしてますので、みつけてみてください。
その時に門が開かれるという感じです。

佐藤さんこんなことされていたんですね!驚きですw(゚o゚)w全く知りませんでした
私の中に苦しみが有るんですか? 頑張ります!
ブログもありがとうございますm(;∇;)m

209慧空:2014/10/12(日) 19:16:41
>>198めがねさんへ

>「今日は暇やな」のこの思考、何の意味も価値もないじゃないかとただ流れてきた
音楽と同じで、さらにそれに連続する思考を作り感情まで作り受け入れて、
何をめんどうなことやっていたんだろうと、ただ引いて眺めている感じになったんですよ
スクリーンに流れてくる感じです
文章書いてる私も何の意味も価値もないことを一生懸命書いている、
静かに見てる、なんか気持ち悪い感覚

>自我が薄くなるとゆうかそのままあるけど意味も価値もないと感じれる立場これは何ですか?
で、考えることも流れてくる思考も意味も価値もないならどうしたらいいの???

正直なところ今ひとつハッキリとは分かりかねますが、おそらく、その感覚は、
めがねさんの自我の根底にある観照意識が表面に出てきているときの
感覚だろうと思います。
その感覚は、起こってくる出来事や、感情、思考をただ見ているという感覚なんじゃないかと
思うんですよね。
もしそうなら、おそらく観照意識によるものだということで間違いないのでは
ないかと思います。

めがねさんは、おそらく、めがねさんの自我をしっかりと捉えられているんだと
思いますよ。
ご自分でもお分かりのように、見性ということでまあ間違いないんだろうと思います。

この観照意識を捉えられたということは、めがねさんの自我が相当薄くなっておられると
いうことですから、ひょっとするとひょっとして、めがねさんはもう、
真我の第一段階の覚醒を得ておられる可能性もあるんじゃないかと思います。
また、真我の第一段階の覚醒が未だであっても、自覚を続けおられたら、
おそらくそう遠くない時期に、真我の第一段階の覚醒が起こるんじゃないかと思いますよ。
素晴らしいです。(*^_^*)

210めがね:2014/10/13(月) 10:53:02
慧空さん

本当にありがとうございます\(●~▽~●)У
慧空さんに4段階の質問をしたときに私的には今までの気付きよりも
強く長かったのですがそれを言葉では伝えづらいく今思うとその時だったのかな
と思っています。このまま「ハートのワーク」「自覚」続けていこうと思います!

211麒麟:2014/10/13(月) 22:03:44
なんだ、心の触れ合いのことかな。
心に生きているってことなのかな。
心が透明になると、接点が、裂け目が無いと言うか、ひとつだ。
自分がおきてくると分断される。
自分と言うか、心が虚空で頭が動くとだめだ。
心がこもっている接点が、それだけであると、クリアになる。
心に分析を持ち込まないというのか。

現在、このあたりです。

212慧空:2014/10/13(月) 22:11:51
きりんさんへ
きりんさんの仰りたいことよく分かりますよ。
>心に分析を持ち込まないというのか。
この一文だけでも、直ぐに分かります。

ただ、この観照意識になることが大事なんじゃなく、
この観照意識になった状態で、「私」をしっかり捉えていることが大事なんです。
それは、「私」の意識なんだとしっかりと自覚できていることが大事なんです。

きりんさんも、その辺は大丈夫ですよね^^

213麒麟:2014/10/13(月) 22:23:06
僕の観照意識の認識が、つまり、観察者を立てていたということです。
自己を観察する意識のことを観照意識としていましたが、これが落ちると明け渡しが起こります。
しかし、今度はハートが大空と宇宙と統一的に感知され、至福になる。
この感知されたハートが、自己の不在によってなりたっているのです。
その自己の不在の中に、認知されている、知られる、知るものがいる。
これは例えば、音などがなる、そこに触れると、これをあとで認知するものが居る。
この認知するものが、この大空というか、ハートの現在を後追いで認知している。
と、おもって、この認知者が落ちなければならないと思いました。
しかしながら、この認知者は思考ではなく心で生きている。
つまり、心が触れ合っている点では対象も自己も同一であると言うことです。
心が篭ってくると言うのは、今まで、虚空に踊りこんでいた宇宙が、これは、受身でしたが、ここに自己が立つ。
自己と言うか、心が触れる。
出会うということなのではないかと思ったのです。

214慧空:2014/10/13(月) 22:31:48
うーーん、分かるような、いまひとつ分からないような微妙な感じです。
すみません。
でも、きりんさんが、ハートと観照意識を捉えておられることはよく分かります。

引き続き、ハートの自覚ワークをやって頂きたいと思います。

215麒麟:2014/10/13(月) 23:12:04
心で生きている。
これあって、これありが、心の接点で、そこに自分が入る。
投入されきっているという方向かなと思うのですが。。。
分かりにくくてごめんなさい。
引き続き、ハートの自覚、していこうと思います。

216慧空:2014/10/14(火) 00:21:50
きりんさんへ
なんだか寝られなくて、まだ起きていました。

>心で生きている。
>投入されきっているという方向

自覚を使って大悟へ至るときの感覚とはちょっと違うのです。
心で生きるのではなく、「私」という自我をしっかりと持って頂きたいのです。
ニュアンス的に表現が難しいですが、ハートに意識を向けるのではなく、
ハートの中心にある「私」に意識を向けて集中して頂きたいのです。

ですから、ハートに「私」を投入するという感覚とも違うのです。
「私」はどこにも投入したりしないのです。
「私」はハートの中心にしっかりと維持した状態で(ハートの中心に「私」という考えを積極的につくりながら)、
「私」に意識を集中して頂きたいのです。

217佐藤:2014/10/14(火) 20:11:54
>引き続き、ハートの自覚、していこうと思います。

私の場合は、ハートに顔があると思うと自覚しやすかったです。
あと、ハートを神聖なものとか思わない方が良くて、ハートを壊すぐらいの勢いで良いと思います。

218慧空:2014/10/14(火) 21:20:34
麒麟さんへ

>僕の観照意識の認識が、つまり、観察者を立てていたということです。
>自己を観察する意識のことを観照意識としていましたが、これが落ちると明け渡しが起こります。

この文章からピーンと来たことがあるんです。
麒麟さんは、何か方法や技法等を使われて、真我の外縁に触れる悟りである真我の第一段階の覚醒を
得られたのではないですか?
お手すきのときで結構ですので、麒麟さんが真我の第一段階の覚醒を得られたときのことや、
それに至るまでの経緯などについて、教えていただけないでしょうか?
ここに来られる方で、麒麟さんの体験談が参考になる方がたくさんおられるんじゃないかと思うのです。
よろしくお願いいたします。m(_ _)m

219麒麟:2014/10/15(水) 06:07:44
おはようございます。
全経緯を書いていきたいと思います。
僕の体験では、以下のことがあって、今に至ります。

①聖なる予言
②自己啓発セミナー
③読書
④自己観察
⑤グループワーク
⑥宇宙と体の同一性
⑦見性
⑧自己喪失
⑨宇宙と自己との一体化
⑩ハートの覚醒
⑪知る者への気づき
⑫ある人との出会い
⑬不二の境地
⑭大悟?(これはまだですw)

個人的なことですし、長くなりそうなので、必要なければ、省きますね。

220麒麟:2014/10/15(水) 06:39:16
①まず『聖なる予言』本を借りたのが、きっかけです。
自己探求のはじまるときのきっかけですね。
精妙なエネルギーが高まると偶然の一致の流れが起こるという内容です。

②この偶然の一致?から、自己啓発セミナーに参加することになりました。
ここで感情の解放を体験します。
今、与えられた役割を全力で、集中して、限界以上になりきることです。

③体験が一時的だったので悩み、様々な本を読むようになりました。
主に精神世界の本ですね。
こういった分野の知識は、ここでかなり豊富になりました。

④その読書体験の中で感銘を受けた自己観察を始めました。
これで観照意識を発見しました。
日常生活の中で常に『私』を覚えているということです。

⑤更に体験を深めるためにグループワークに加わりました。
ここで身体感覚への注意の不在を知ります。
していたことは徹底的にリラックスすることが、自己観察に加わったことです。

⑥それらの実践の中である日、歩いているとき、自分が居るから宇宙が有ると気づく。
体と意識の境界線が大きく広がる体験。
このときは、特に、何もしていませんが、自己の観察とリラックスですかね。

⑦日常生活が、とんでもなく不幸になり、感情的苦痛が凄くなります。
この時に、自己の注意が観照意識に移りました。
体が熱くなり、異様な精神状態で、自己観察等々はしていました。

⑧そのころに、集中して、自己を放棄していると、真っ暗な世界へ。
世界がなくなったけど自分が居るのは分かる体験。
これは一瞬でしたが、とにかく、自分が絶望状態で、放棄しました。

⑨真っ暗な世界から復活して、観照意識を、現世界の宇宙と合わせました。
観照意識がなくなって大空が自分になった体験をしました。
このときは、意識を、現在にもってこようという努力をしました。

⑩この合一の中で、とんでもない至福がやってきます。
何の不安も無い、心が、満ち足りている不動の感覚がやってきました。
この時は、神への明け渡しをしていました。

⑪知る者がいることに気がつきました。
これは、鐘の音がなるのを聞いて、その音が首筋の後ろくらいで、触れる。
この音が、居ないと思っていた自分を、つまり知るものを知らせました。

えーっと、一旦区切ります。
どの箇所も詳しく書くこともできますが、個人的なので興味がある箇所は、あるのかどうか。
また教えてください。

221麒麟:2014/10/15(水) 06:59:48
⑫ある人との出会いで、知る者は、思いであると気がつきました。
ここは複雑ですが、後追いの認識が、知る者の苦であると知りました。
この時は、何もしていません。

⑬今までやってきたことが、何もかも、認識の世界だと知り、本当の確証へ。
見るもの見られるものが不二であるという心にあるという気づきです。
このときは、優しく世界に接するということをしました。

⑭何もかも捨て去ることと、ハートの自覚を実践中です。
大悟はしていないと思います!

分かりにくくてすいませんorz

222佐藤:2014/10/15(水) 07:41:10
とても興味深かったです。
そうなんですよね。
次から次へと終わったと思ったら、まだあるのか。。。という感じなんですよね。

ハートの覚醒においては、
?がポイントかなと思いました。
やはり自己放棄で暗闇が見えてくるんだと思いました。

かく言う私も明け渡しを勝手にイメージして、暗闇に死ぬ練習をしていました。
絶望しきるほどまでに捨てると起こるんですよね。。不思議だなと思いました。

223佐藤:2014/10/15(水) 07:41:45
?は8です。

224佐藤:2014/10/15(水) 07:51:53
>⑭何もかも捨て去ることと、ハートの自覚を実践中です。

私の場合、ものすごく勘違いしていたので書かせて下さい。

すでにご存知かもしれませんが。。

ただ捨てるのではなく、自我を集めて捨てるという感覚の方が良いかと思います。
より空に広がるために空の中で捨てるではなくて、自我を思いっきり集めて捨てるという方向です。
空を含めた今の境地(愛、一つ、やわらかい等)は、ハートの自覚に邪魔になるため、
発見した時点で自覚をして手放された方が良いです。

225佐藤:2014/10/15(水) 08:52:32
>⑦日常生活が、とんでもなく不幸になり、感情的苦痛が凄くなります。この時に、自己の注意が観照意識に移りました。

も興味深く、やはりと思いました。
やはり今の状況に満足いかなくなって苦しむと、次に進むのだなと思いました。

22612321:2014/10/15(水) 09:43:32
こんにちは
http://wz.my/5dc

http://wz.my/5db
http://wz.my/5e5
http://wz.my/5dd

227麒麟:2014/10/15(水) 10:26:31
佐藤さん、ありがとうございます。
もう、お分かりだとは思いますが、書いておかないといけないので、すいません。
僕が今、思うのは、これらの体験はすべて、思い込みだと言うことです。
なぜ段階があるのかというと、意識の状態が違うだけなのです。
その時々の思いが、リアルに触れた時に、様々な解釈を、反映を見ているのです。
だから、何度でも、このような、ことは起こるだろうと思われます。
しかし、事実は、思いが、作り上げている。
その思いとリアルな現実の間を行ったり来たりしていた。
そこには、様々な水晶の反映はありましたが、これは、後追いの認識だったのです。
このように書くのも、今の、思いであるわけです。
どのようにも、体験を思いに変換してしまうので、これを、手放さなければならない。
ものすごくシンプルなことなのだと、今は、考えています。
ですから、方法とか、このような体験とかは、人様々で、しかも役に立たないとも思うのです。
それでも共通項があるということは、何らかの、段階があるのかもしれませんが・・・・・・。
この過程は、完全に、僕の当時の思い込みが、リアルに触れた時に、後追いで、追加されたものなのです。
空に関心を持っていれば空を見るでしょう。
書いておいてから、ごめんなさい。
進化とか、段階とか、修行とか、特別性とか、そういったものを今は否定しているのです。

228ユウ:2014/10/15(水) 11:06:52
麒麟さん、はじめまして。

ほっこりした気持ちになり、ぼーっとしています。
ありがとうございます。

229佐藤:2014/10/15(水) 11:17:17
ありがとうございます

キリンさん自身の理解された内容を全て手放された方が良いと思います。理解された内容そのものが握りしめているという事になるんです。

外れていたらごめんなさいなのですが、何かしらの過去の体験からかもしれないですが、リアル、リアルな現実を握りしめているかなと思ったりしました。

230ユウ:2014/10/15(水) 19:52:57
佐藤さん、こんばんは。

いろいろ悩みはありますが、私は前に進んでいるつもりです。
佐藤さんの優しさに、感謝しております。

231佐藤:2014/10/15(水) 20:10:39

ユウさん

私、何か優しいこと言ったか覚えていないのですが、
良かったです、進まれているようで。。

意外に書き込まれますね。
言いにくかったら、慧空さんに直接メールしてしまうとか笑

232慧空:2014/10/15(水) 21:00:48
>>220 >>221 麒麟さんへ
体験談のご協力、本当にありがとうございます。

皆さん、麒麟さんの上の体験談の中でどの部分が詳しく聞きたいか、どうぞ麒麟さんに質問してくださいね。
なかなか聞けない貴重な体験が随所に詰まっているんじゃなかと思います。

私個人としては、
・まず(4)の、どういう経過で観賞意識を捉えられたのかをさらに詳しく教えて頂きたいです。
 比較的簡単に捉えられましたか? それとも難しかったですか? どういうところが難しかったですか?
・次にやはり、(8)から(10)にかけての部分です。
 特に、「集中して自己を放棄していると」と書いておられる部分です。
 ここは特に詳しく教えて頂きたいです。
・さらには、(11)で、いったん捨てた自己を再び取り戻されたようですが、
 多くの場合、明け渡しでいったん自己を捨てると自己(自我、主体性)を喪失しっぱなしで、
 そこで延々と迷ってしまう方が多いのだと思いますが、
 麒麟さんの場合はどうしてそんなに簡単に(すみません、笑)、自己を取り戻されたのかが不思議です。
 明け渡しをされる前に、自己をしっかりと捉えておられたからでしょうかね?
 (12)で書かれているように、「苦しみ」が自己の回復を助けたということでしょうかね?
 この点、ご自身ではどうお考えですか?

取りあえず、私的に詳しく教えて頂きたい部分を書かせていただきました。
ご面倒でしょうが、引き続き、何とぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m

233慧空:2014/10/15(水) 21:15:46
ユウさんへ
どんどん書き込みして頂けると嬉しいです。
何か気になっていることなどがありましたら、遠慮なく仰ってくださいね。

234麒麟:2014/10/16(木) 05:59:09
④観照意識への気づきは、自己観察の過程でありました。
この当時の実践は、自分を覚えているということだけです。
具体的には自分の体を、その、動作や姿勢を意識していることです。
例えば、今、パソコンを打ちながら画面を見て指を動かしている自分自身に気がついている状態がこれです。
興ざめしますね、笑
この興覚めが、自分との距離を作り、自分を観察する主体を認識させるのです。
あたかも対象物を見るかのように、自分を見ているわけですね。
今までは、何をするにも、している自分は意識されていないわけで、対象だけに注意が向けられている。
この対象に自己を覚えていることを、加えるというわけです。
短期間で簡単に、観照意識に気がつくと思います。
最初は非常に嫌な感じがして熱中が覚めてしまいますが、その覚めているのが肝でしょう。

235麒麟:2014/10/16(木) 06:18:05
⑧⑨⑩の至福に連なる体験は、⑦の観照者への転移が大きいです。
⑦のこの体験は観照者の位置に自分がいる体験です。
つまり現実世界が遠のき、非常に安心する観照地点に自分自身がいたのです。
望遠鏡を覗き込むようにして世界がありますが、世界には自分は居ないのです。
スクリーンというよりも、丸い眼の中に、世界があると感じました。
今まで自分が存在していたはずの世界に自分がおらず、それを見ている目のこちら側に自分が居るのです。
明らかにハッキリと驚いてしまいます。
この、状態で、非常に表現が難しいですが、なにもかも意識せずに、非常に集中して、忘れたのです。
世界を放棄して消え入ったのですね。
ですから、もう、世界、消えてしまいました。
自分が世界に居なくなる体験が最初にあって、そのあとで、その絶望世界を放棄したのです。
この集中の仕方は、言葉にするのが難しいです。
世界の向こうへ、未知へと行こうとする意識状態というほうが近いかもしれません。

236麒麟:2014/10/16(木) 06:52:17
真っ暗の体験は一瞬だけでしたが、自分が宇宙に、とてつもなく巨大な空間を感じました。
この体験が異様でしたが、これは、絶対に、知っている人がいるという確信がありました。
それで、ある人に、アドバイスを受けると、それは理解力に気がついた状態だと言われました。
そうして慎重に世界に帰ってきなさい。
世界に帰るには、その、自分の居る位置から、眼を、現在世界のワンネスに合わせると言われました。
体と宇宙の同一性には以前に気がついていましたので、世界の臨界点と、その目を、慎重に融合させたのです。
そのとき! この世界のすべては、自分が創っていると分かりました。
数日間、おかしい状態があって、見えるものは全部、自分のように感じました。
とにかく、親密で、至福で、楽しくなってしまうのです。
この状態はずっとではなかったです。
一時的に、そうなっただけで、自己を永続的に喪失したとは感じません。
この自己と、分かる自己は全然違うので、この自己の側は普通のままです。
⑦の地点で、もう、これは、非常に不味い状態だという直感がありました。
そうして⑧⑨⑩となる間は、これは、もう、どうしてもという切迫感のようなものがありました。

237麒麟:2014/10/16(木) 07:48:54
このあと⑪に至るまでに、自我の肥大化ということに気づきます。
この⑩までの体験は、すべて自己の世界で起こっていることですね。
しかし、これは、おもしろくもなんともないということに直ぐに気がつきます。
普通の自分で居るほうが、至福よりも、自然で、楽しいのです。
他者が存在している世界のほうが、とてつもなく有意義であると、気がつきます。
それで、この普通の自己が、現実世界の中で消えるのは、どういうことか興味がわきました。
すると仏教が、このことに詳しいことが判明しました。

238麒麟:2014/10/16(木) 07:49:57
無我の境地ですね。
風があれば風だけであり、空を見れば空だけという状態です。
で、この、ことをしている時に、現実により、リンクすることに気がついたのです。
明け渡しの状態は、対象世界が消えるのですが、こちらは、より対象世界にアクセスしているのです。
出会いがある世界、触れ合いが有る世界です。
そういった中で鐘の音の体験をしましたが、これは、自己の、知る者、つまり、様々な体験をしていた自己です。
この音を聞いた時に、自分はいないと初めて、気がつきました。

239麒麟:2014/10/16(木) 07:51:17
これは、⑩の体験と比べたら、あっけない「あっ」と気がつくような瞬間です。
何も凄いことなく、ただ、そこに触れたのです。
それで、自我が大騒ぎして、とてつもなく苦しくなってしまいました。
ですから、この苦しみがあって、どうしても、真理を知りたくなり、また、ある人にアドバイスを受けました。
すると、今まで体験してきた、様々なことが、すべて、思いであったことに気がついたのです。
未知に触れた瞬間と、思いの世界を行ったり来たりしていただけなのです。
それで、この、未知に触れるのは、心であり、心は不ニであると気がつきました。

240麒麟:2014/10/16(木) 07:53:10
不ニの心は常に、未知に触れているのですが、それを、後追いで、認識して、思いがそれを、反映させるのです。
まるで水晶玉に反映するかのように、心に、何もかもあったのです。
それで、遂に、方向性が明確になりました。
もう、迷いも何も無く、ただ、この、現実に、最初から未知にいたのだと知ったのです。
自我ですら、未知だったのです。
そうして特別なことなど無く、誰もが同じだと知ったのです。
「思い」だけが、人、様々に違い、誰もが心を生きているだけだと分かったのです。
ですから、このような体験談は、何の役にも立ちません。
そう「思う心」がすべて反映されてしまうのですから、未知は未知のままにしておかなければならない。
ここで、掴もうとする思いを手放すというお釈迦様の言葉の、凄さに始めて気がついたわけです。

241佐藤:2014/10/16(木) 08:04:45
ハートの自覚を続けられますと、
認識対象である不ニの心が消えてしまいます。。

242佐藤:2014/10/16(木) 08:07:30
>普通の自分で居るほうが、至福よりも、自然で、楽しいのです。
他者が存在している世界のほうが、とてつもなく有意義であると、気がつきます。
それで、この普通の自己が、現実世界の中で消えるのは、どういうことか興味がわきました。
すると仏教が、このことに詳しいことが判明しました。

自覚に戻られたという、素晴らしい記載だなと思いました。

243佐藤:2014/10/16(木) 08:13:47
>認識対象である不ニの心が消えてしまいます。。

訂正します。。

>そう「思う心」がすべて反映されてしまうのですから、未知は未知のままにしておかなければならない。
ここで、掴もうとする思いを手放すというお釈迦様の言葉の、凄さに始めて気がついたわけです。

すでに不二の心を手放されているんですね。。
すいませんでした。。

244麒麟:2014/10/16(木) 08:18:58
個人的なことを長々とすいません。
結局、すべて僕の「思い込み」です。
そんなものは頭の中にしか無かったのです。
あるのは、この、目の前にある現実だけです。
この現実は、思いも含めて、すべて「あるがまま」です。
誰にとっても、まったく同じです。
そのことに気がつかずに、特別なものを追い求めた自分を深く反省します。
特別な悟りなんか、ないんです。
この、目の前に有る、現実だけが、事実で、それは、もう既に起こっている。
誰一人として、差別はないのです。
個人差はまったくない。
みんなが、もう、すでに、完璧な存在で、忘れているだけなのです。

245佐藤:2014/10/16(木) 08:34:32
>結局、すべて僕の「思い込み」です。

いえ、そんな風に思っておりません。汗
キリンさんの歩まれた道は、私とものすごく近くて、
やっぱりそう通るんだとほとんど納得できるものでした。

>この現実は、思いも含めて、すべて「あるがまま」です。
誰にとっても、まったく同じです。
そのことに気がつかずに、特別なものを追い求めた自分を深く反省します。
特別な悟りなんか、ないんです。
この、目の前に有る、現実だけが、事実で、それは、もう既に起こっている。
誰一人として、差別はないのです。
個人差はまったくない。
みんなが、もう、すでに、完璧な存在で、忘れているだけなのです。

この辺りの話を知っていても知らなくても、あんまり大悟と関係ないんです。。
むしろ「あるがままに」迷う可能性を秘めています。
この話を話す私に自覚する方が、大悟に近づく道になります。

246佐藤:2014/10/16(木) 08:38:00
思い出したのですが、

ハートの自覚に集中する前段階で、

精神世界の知識やそれに付随する感覚が邪魔になるので手放しました。

247めがね:2014/10/16(木) 12:37:08
経過報告です、皆さんが同じにならないと思いますので私の体験です。

観照意識という離れた場所から思考を見ている事を実感してから2日ほどですが、
何日もかけてじわーと外側の世界を観察仕方が変わってくるのを実感します。
体感した直ぐ変化するではないんですね!観念がありました。
昨日買い物をしていてフワフワした感じがしていて平衡感覚が普通でないのに似ているのですがそうではなく、
前後に物が近くなったり離れたりしているような時間帯が何分か有りましたそして、その後に
昨日は家族の話やTVの内容などで「良い・悪い」「すごい、すごくない」「共感できる、共感できない」
など何処から何処までが良い事?悪い事???なんて1日中やってました、以前の様にそう思えないから
気になって仕方がないのだと思います。自動でワークが出来てしまいます。
頭で理解したから変わってきたのではなく、このような内容は以前から読んだことが有ったので
知っていた(浅く知っていた)のですが自然となるもんなんだと改めて面白い仕組みだと楽しんでいます。
いくら話しても伝わらないわけですね(笑)で今日になって普通に観照意識になって外側を観察して
自然と他の人との話などでも肯定したり、受け止められる自分になっちゃいました。
大悟、解脱したら働けなくなるかも?!の不安もどこにもなくなっちゃいました。

1ヶ月ほど前から食事をする時間が無駄に感じてきて、朝昼食べず夜のみの食事に
なっています。3回食べないと健康に悪いとゆう観念かもしれません。体重は4キロほど
減りそこで止まっています。

248慧空:2014/10/16(木) 20:43:26
麒麟さんへ
ご協力、大変感謝いたします。

とてもとても興味深く読ませていただきました。
とくに、麒麟さんは明け渡しをされる前に、自己(自我)を既に捉えておられた訳で、
明け渡しの直前、その瞬間、そして直後の過程で、その捉えている自己がどのように移り変わったのか、
また、麒麟さんの意識と自己との関係がどのような変遷を経たのかについては、まだまだ興味は尽きません。
でも、そのあたりより詳細かつ具体的に表現して頂くのは難しそうな感じですね。

それで、ちょっと別の角度から質問させて頂きたいと思います。

>>235
>この、状態で、非常に表現が難しいですが、なにもかも意識せずに、非常に集中して、忘れたのです。
>世界を放棄して消え入ったのですね。
>自分が世界に居なくなる体験が最初にあって、そのあとで、その絶望世界を放棄したのです。
>この集中の仕方は、言葉にするのが難しいです。
>世界の向こうへ、未知へと行こうとする意識状態というほうが近いかもしれません。

と書いておられますが、この意識の集中と、世界の放棄は、自然に起こってくる展開として、
つまり麒麟さんにはそのような意図がない状態で自然にその集中と放棄が起こったのですか?
それとも、麒麟さんが積極的に意図してそうされたのですか?
また、意図してそうされた場合、集中と放棄というその意識の使い方は、誰かに教えてもらったのですか、
それともご自身でその意識の使い方を選ばれたのですか?

恐れ入りますが、もうあと少しお付き合い頂けますようお願いいたします。

249慧空:2014/10/16(木) 20:49:48
>>247めがねさんへ

>自動でワークが出来てしまいます。

めがねさんは、観照意識を捉えられて合一されているんだと思います。
ここまで来られると、自覚がオートマチックになり、感情や思考に巻き込まれなくなります。
素晴らしいです。(*^_^*)

250慧空:2014/10/16(木) 21:03:28
>>245
佐藤さんの辿られた経緯、特に明け渡しの周辺の話も聞きたいです(^^)/

251麒麟:2014/10/17(金) 06:50:40
明け渡しの直前、自己は世界の外に居ました。
その瞬間には、自己は、これは、表現が難しいですが、何ともいえない場所に居ました。
でも居たのは間違いないです。
直後には普通の世界に戻っていました。
明け渡しと、世界との合一体験は、僕の中では別の体験です。

意識と自己との関係については、
明け渡しの直前は、意識は水晶のような世界と、暗闇を認識していました。
自己は、この暗闇の側に出ていて、世界は、水晶の中にありました。
明け渡しの瞬間は、自己は、認識者としての位置に居たと思います。
いることは間違いありません。
意識の状態は、凄まじい拡大です。
宇宙がちっぽけに感じられるくらいに、広大な空間に意識が有るのです。
恐怖は全くありませんでしたが、普段の自分なら、間違いなく気絶しただろうと思います。
明け渡し直後は、まるで映像が映るかのように、普通の世界にいました。
普段の自分です。
意識は、世界を捉えていました。

ただ、この体験は、ほんとうに一瞬のことだったのです。

252麒麟:2014/10/17(金) 07:23:22
意識の集中と世界の放棄に関してですが、これは完全に自分が意図したものです。
自然に起こったことでは、ありませんでした。
しかし、当時の自分は、絶望の状態で、これを考慮に入れると自然と言えるかもしれません。
まったくの虚無というくらいに絶望状況です。
今は、この掲示板で、僕の話を聞いてくれている人がいるのが奇蹟としか思えません。
当時は、まったく、理解が、噛み合わない世界には完全に絶望していたのです。
その集中と放棄の仕方は、誰かに教わったわけではありません。
誰でも、その状態になれると思いますが、自分を忘れるという表現が近いでしょうか。
完全に諦めて降伏したような心境になったときのことです。
集中して放棄すると、いうのは、この、世界から消えてしまうことなのです。
未知に向かって意識を、飛ばしてしまうような感じです。
小さな頃から、このような、感覚は自然にあったと思いますし、誰もが有ると思います。
ただ、恐怖心が沸いて、ある点で、戻ってしまうのです。
まず、世界が消えて、そのあとで、自分が消える恐怖心がわく。
しかし、その当時は、絶望していたので、この絶望が、未知に、触れる機会を作ったのだと思います。

253佐藤:2014/10/17(金) 07:32:59
>佐藤さんの辿られた経緯、特に明け渡しの周辺の話も聞きたいです(^^)/

私の場合は、ものすごく小粒で、
本当にそれ?って感じなのですが、書きたいと思います。笑

大まかにわけて実践は以下の二つを繰り返していました。

太陽瞑想
太陽を見ながら瞑想して明け渡して、太陽と一致してサマディーになる。

暗闇瞑想
暗闇に明け渡して、気絶する。

ある日の散歩中に、ごく一瞬、空と地面が同じものだという事に気づきました。
サマディーを繰り返していたら、ちょびっとワンネスを感じたという感じです。

254佐藤:2014/10/17(金) 07:42:12
見性については、アジズとの対話―魂の覚醒を求めて
という本を繰り返し読んでいて、
何の実践だったかは忘れましたが、
(おそらく本の内容がどういう事なのか延々と考え実験していました。)
駅の階段のぼっている時に、観照意識になりました。

255めがね:2014/10/17(金) 12:05:33
慧空さん

いつもありがとうございます。(^ー^* )フフ♪

256麒麟:2014/10/17(金) 13:46:46
>>251
>>252
はすべて、僕の個人的な「思い」です、笑
沸いては消えていく一瞬の、未知との遭遇の、思い込みバージョンですねw
しつこくてすいません。
そんなものは、なかったのです。
特別なことは、なにもなくて、ただ、最初から、そこにいるだけです。
誰もが全員、差別無く、ここにあるだけです。
体験とか、印象とか、そういったところには答えは無く。
逆に、理解を妨げる執着になってしまうので、これは、役に立たない。
と、今は「思い」ます、苦笑

257慧空:2014/10/17(金) 21:24:27
>>251 >>252
麒麟さんへ
重ね重ねご協力、感謝いたします。

>意識の集中と世界の放棄に関してですが、これは完全に自分が意図したものです。
>自然に起こったことでは、ありませんでした。
>しかし、当時の自分は、絶望の状態で、これを考慮に入れると自然と言えるかもしれません。

なるほど、この微妙な感じ、なんとなく分かりますよ。(^^)
私の場合も、明け渡し体験の直前、自分の意識が変容し始めるのに伴って、
すべてを受け入れるという方向に自分の意識を自然と持って行きましたから。
誰に教わるでもなく、自然とそうやったというか、そうなりましたから。

>その集中と放棄の仕方は、誰かに教わったわけではありません。
>誰でも、その状態になれると思いますが、自分を忘れるという表現が近いでしょうか。
>完全に諦めて降伏したような心境になったときのことです。
>集中して放棄すると、いうのは、この、世界から消えてしまうことなのです。
>未知に向かって意識を、飛ばしてしまうような感じです。

このあたりも、なんとなく分かります。

>小さな頃から、このような、感覚は自然にあったと思いますし、誰もが有ると思います。

そうですね、私も小さな頃からそういう感覚があったように思います。

>ただ、恐怖心が沸いて、ある点で、戻ってしまうのです。

これもとてもよく分かります。
私は三十代初めのころ、明け渡しの手前で尻込みして引き返したことがありましたから。(^^)

また、麒麟差仰る通り、絶望や大きな苦しみが明け渡しのきっかけになるケースは多いのでしょうね。

麒麟さんの明け渡しをめるぐ体験はそのプロセスが明確なので、私にとってとても参考になりました。
ここに来られる方の中にも、麒麟さんの体験談がヒントになる方がきっとおられると私はほぼ確信しています。
情報は発信者がいれば、必ずと言っていいほど受け手がいますから。
貴重な体験談を聞かせて頂き、本当にありがとうございました。

258慧空:2014/10/17(金) 21:29:48
>>253 >>254
佐藤さん、ご協力ありがとうございます。
でも、もうちょっと詳しく書いてくださいな^^

>太陽瞑想
>太陽を見ながら瞑想して明け渡して、太陽と一致してサマディーになる。

>暗闇瞑想
>暗闇に明け渡して、気絶する。

これらのワークのやり方をもうちょっと説明してくださいな^^

>見性については、アジズとの対話―魂の覚醒を求めて
>という本を繰り返し読んでいて、
>何の実践だったかは忘れましたが、

それと、そのアジズのやり方についても、もし思い出されたら、ここにご紹介くださいな。
誰もレスを書きませんが、興味を感じている方はたくさんおられると思いますよー^^

259佐藤:2014/10/18(土) 14:55:52
>それと、そのアジズのやり方についても、もし思い出されたら、ここにご紹介くださいな。

誰があなたの目を通して私を見ているのか?
あなたの目の後ろにある人は誰か?
ー意識です
その意識を感じるかな?
ーそう思うけど
どう感じる?
ーえーっと
意識とはたんに概念だ。でも誰が本当に見ているのか?
ー私はそれを表現する事ができません。マインドを使わねばならないから。
オーケー。でもそれを感じるかな?私を見ている誰かを。それは単にマインドではなく、その中にたしかに誰かがいる。
ー・・・
それを感じるためには、注意を後ろ側に持っていかねばならない。
それは頭の内側の体験だから。
後ろにいかねばならない。
あなたの頭蓋骨の後ろを見ていると想像してごらん。
どのように観ている人を観るか。
それがポイントだ。
あなたはたくさんの物を観る。でも観る人を観る事ができるかな?

(続く)


こんな感じです。
後は書籍を買い求め下さい。笑

260佐藤:2014/10/18(土) 15:14:24
>太陽瞑想
>太陽を見ながら瞑想して明け渡して、太陽と一致してサマディーになる。

kanさんの本だったかに朝日の太陽見ると良いよと書いてあったので、
やってみると太陽の光線エネルギーが身体に入ってくるのが分かって充足感が出る事が分かりました。
(日光浴で気持ちがよいの延長ですね。笑)
それを続けていくと、太陽に身体から意識から全て明け渡す感じになり、
身体中に電気が走ってサマディーが起こるようになりました。

>暗闇瞑想
>暗闇に明け渡して、気絶する。

瞑想時によく分からない暗闇が現れるようになって、
そこにズドンと意識を手放すような感じで気絶してました。

意識をひたすら手放す事に専念していたようです。
これ以上は思い出そうとしても無理な感じで、長文も書けないので、突っ込まないで下さいね。笑

261慧空:2014/10/18(土) 19:42:21
>>259
佐藤さん、ご協力ありがとうございます。(^^)
おお、アジズさん(私は初めて知った方です)、いいですねえ−。
これは観照意識を捉えるのにとてもいいかも知れませんね。
もちろん、自覚をやっているといずれ、自然と観見意識を捉え、それと合一するようになるのですが。

ただ、観照意識を捉えることに意識が行きすぎると、自我の主体性(考えに対する主導権)に関する自覚が弱くなることがあるんですよね。
そこが難しいところですね。
観照意識と主体性の両方があって自我を捉える悟りが一応完成しますから。
その点、自覚は自動的にその両方が捉えられるという利点がありますね。
でもしかし、アジズさんも素晴らしいと思いました。(^^)

262佐藤:2014/10/18(土) 19:51:17
>その点、自覚は自動的にその両方が捉えられるという利点がありますね。

そうだったんですね
自覚最強ですね
早い段階で出会ってれば良かったです(u_u)

>自我の主体性(考えに対する主導権)に関する自覚が弱くなる

まさにそうです。私は主体性はずっと無かったです。

263慧空:2014/10/18(土) 19:51:43
>>260
佐藤さん、貴重な情報をありがとうございます。

>それを続けていくと、太陽に身体から意識から全て明け渡す感じになり、
>身体中に電気が走ってサマディーが起こるようになりました。

へー、それでサマディーが起こるんですねえ。
準備が出来てる人は、そんなことが起こったりするんですね。
正直なろころ、普通の人はならないだろうなあと、思いました。(^^)

>瞑想時によく分からない暗闇が現れるようになって、
>そこにズドンと意識を手放すような感じで気絶してました。

これは、涅槃(完全な無我)に落ちることを言っておられるのでしょうね。
「そこにズドンと意識を手放すような感じ」というのは、私にもよく分かります。
私も昨年暮れから年明けにかけてのころ、起こってきた考え(又は私)を捉えて、その捉えた考え(又は私)を
ぽいっと放り投げるようにして、涅槃に落ちていましたから。

佐藤さん、ありがとうございました。

264慧空:2014/10/18(土) 19:55:34
>>262 佐藤さん、こんばんは^^

実は、見性(自我を捉える悟り)で重要なのは、観照意識を捉えることよりも、
自我の主体性を捉えることなんですよ。
多くの瞑想者は、この点を見落としているんですね。
だから迷ってしまうんですね。

265めがね:2014/10/19(日) 11:52:45
解っちゃいました!誰かとシェア。
流れてくる思考、考えて連鎖してくる思考
何処から何処が自分で何処が自分じゃないか考えてて、
何処から何処がすごくて、何処から何処が悪いのか、
今問題だと思える事柄も一日後に考えたら良かった事になっていたり・・・
考えてたら。
何処から来る考えもどの考えもどうでもいい基準(記憶)の上で成り立ててたから
全ての思考は意味も価値もないく全てどうでもいい事、その考えを
選んでもいいし、選ばなくてもいい。
自由だった!!!

(毎日が心の最善の勉強の場、全ての出来事は自分の責任であるとゆう考え方で考えてました。)


慧空さんの時計を想像すると小っちゃな不安が出て来て時間を確認しようと
身体を動かしたくなって動かしてみちゃった自分が居た。これ面白いですね(^-^)
自分で選んでるんだけど選ばされてると思っちゃいますね。

266めがね:2014/10/19(日) 12:24:30
上記補足
結局、思考しているのは自分なんだけど、そこは同でも良かったとゆう結論
なので、自分の思考だけじゃなく誰の思考(他人になに言われようが)もどうでもいい事。

連鎖してくる思考の間に時計の話と同じで小っちゃな不安小っちゃな怒りが
居る

267佐藤:2014/10/19(日) 12:27:55
>自我の主体性を捉えることなんですよ。
>だから迷ってしまうんですね。

そう思います!
ぶれやすくなりますよね。

268佐藤:2014/10/19(日) 12:31:02
めがねさん>

とても調子が良さそうで、何よりです。^_^

269ユウ:2014/10/19(日) 12:49:59
こんにちは

みなさん、前に前に進まれている様ですね。

私はまだまだいろんな事が大切で、手放せずにいます。
でもこの悩んでいる時間も、私には必要なのかなぁとあきらめています。
私には、何をするにも時間がかかるみたいです。

270めがね:2014/10/19(日) 14:26:41
佐藤さん
ありがとうございます。(^^)外側の皆さんのおかげです。

271めがね:2014/10/19(日) 14:44:36
ゆうさん
こんにちは、

◎悩んでいる時間も、私には必要なのかなぁとあきらめています。

諦めないでください、悩んでいる時間は何に必要かとゆうと
「なんでこんな事に苦しみ続けないといけないのか」と
自分自身で思いを起こすことのためにあるだけです。

◎私には、何をするにも時間がかかるみたいです。

あなたが悪いわけではありません、ただ行動する方向がずれているだけですよ


道途中の私でも何か役に立てるのでしたら、
なんでも書いてください。偉そうな感じで伝わっているようでしたら
申し訳ないです。

272めがね:2014/10/19(日) 14:58:09
あなたが悪いわけではありません、ただ行動する方向がずれているだけですよ

補足させてください。
偉い方の話、素晴らしい本を読むよりも、実戦で感情が無くなった実感は
何よりも素晴らしい気づきになり、続けようと思う力になります。
↑想像でものを言ってごめんなさい。

273ユウ:2014/10/19(日) 18:52:09
めがねさん、こんばんは

>ただ行動する方向がずれているだけですよ。

そうかもしれませんね。でも今の時間も大切にしたいと思います。
お心遣い、ありがとうございます。

274めがね:2014/10/19(日) 19:24:27
ゆうさん
やっぱり余計なこと言っちゃったみたいですね
本人にしかわかりませんよね。
申し訳ありませんでした。m(_ _;)m

277めがね:2014/11/01(土) 11:07:46
慧空さんのハートの位置についての質問ですが
チャクラについて全く知らなかったので調べたところ
私がピリピリ・チクチクする場所は第3チャクラと第4チャクラ(たまに)
の位置に当たります。このチャクラとは関係はないのでしょうか?!
佐藤さんは鳩尾に有ったとお聞きしたので第三かなと思うのですが
どうなんでしょうか。

278めがね:2014/11/01(土) 11:53:58
それと頭頂部と尾てい骨(ナーディの位置です)、第6チャクラ、ピリピリ・チクチクします。
普通は感じないのでしょうか?!

279佐藤:2014/11/01(土) 12:13:12
>佐藤さんは鳩尾に有ったとお聞きしたので第三かなと思うのですが

すいません。みぞおちの場所を少し勘違いしていました。^_^;
それでも私の場合は、みぞおちよりちょびっと上です。ドキドキの方が分かりやすい気がしました。
今は入れなくなってしまって、あいまいで申し訳ないのですが。。

280めがね:2014/11/01(土) 12:19:43
佐藤さんありがとうございます。(^^)
あっわかります、触ると骨のある部分で凹んでいる所か
少し上にいった部分のことだと理解しています。

チャクラやナーディは感じますか?!

281佐藤:2014/11/01(土) 12:25:12

ハートの自覚は、かなり熱を入れてやるので、前かがみになって第三と第四の差が無くなって、両方含まれてるかもしれないです^_^;

ぐいーんと入れれば良いのかなと思ってます笑

282佐藤:2014/11/01(土) 12:31:13
>少し上にいった部分のことだと理解しています。

そうですそうです!^_^

>チャクラやナーディは感じますか?!

静止して意識を向けると色々感じます^_^
感じてる自分に自覚するとバッサリ切り落とされます。

283めがね:2014/11/01(土) 12:32:36
チャクラとは違うとゆうことですね。
感覚的な表現、解り易くて助かります(^^)

284めがね:2014/11/01(土) 12:42:52
◎静止して意識を向けると色々感じます^_^

感じるんですね!安心しました(^^)
ハートの位置とたまに感じる第4チャクラ(ハートの位置から4cmぐらい上にある)が
ハートの位置が動いているのかと思っていました。
別々のモノだったんですねキット、これで集中出来ます(。`Д´。)

285佐藤:2014/11/01(土) 12:56:01
>これで集中出来ます(。`Д´。)

惑わせてしまってごめんなさい^_^;
ハートの自覚頑張ってください!

286めがね:2014/11/01(土) 13:02:20
いやいや違うんです、私の知識が少なくて
ハートの自覚やっていて
第四チャクラの反応があると、迷いが出てたので、
佐藤さんのせいではなく、佐藤さんのお蔭でで真っ直ぐ進めます(^^)

287佐藤:2014/11/01(土) 13:14:25
いずれにしろ、集中できる環境ができて良かったです
疑問あれば何なりと笑

288めがね:2014/11/01(土) 13:17:12
ありがとうございます、助かります(^○^)

289慧空:2014/11/01(土) 20:11:17
ハートにある自我のコアの位置は、上で佐藤さんが仰った通りですが、
余談なんですが、
実は私は、ハートとハートチャクラの区別がよく分かっていません。
ハートとハートチャクラは別もので、場所も違うのかも知れないのですね。
知らなかった。(^o^)
ひょっとすると、私はハートの感覚が強かったため、ハートチャクラについては殆ど実感がないまま、
ここまで来てしまったのかも知れません。
特に、第三チャクラに関してはまったくと言っていいほど実感したことがないです。

290佐藤:2014/11/01(土) 21:00:16
私も3は分からないです。。

291慧空:2014/11/01(土) 21:04:17
佐藤さん、こんばんは^^

佐藤さんも、3は分からないのですか^^
ハートとハートチャクラって別ものなのですか?
何か知っておられますか?

292みどり:2014/11/01(土) 21:19:38
私、3あります。

私は、ハートとハートチャクラ一緒だと思います。

293佐藤:2014/11/01(土) 21:26:37
1-7で、3だけが分からないです笑
今日まで2が3だと思ってました
1、2、3は下丹田にまとめていました

ハート=ハートチャクラだと思うのですが、真我の第一覚醒とハートチャクラが開く違いを知ってる方おられますでしょうか?

294慧空:2014/11/01(土) 21:29:13
みどりさんは、3の実感がおありなのですね。

ハートとハートチャクラは同じだとお考えなのですね。
あまり自信はないですが、私も同じなんじゃないかなーとは思っているのですけどねー。
自信がないのです(^o^)
みどりさんは、同じだという絶対の確信がおありですか?

295みどり:2014/11/01(土) 21:32:23
>>294前は、確信があったんですが、今は、そうだろうな位です。

296慧空:2014/11/01(土) 21:32:26
>>293
佐藤さんも、ハートとハートチャクラが同じとお考えなのですね。
どうやら、同じということで合っているのでしょうね。

>1、2、3は下丹田にまとめていました

私も同じような感じです。
下丹田(2)はしっかりと実感があるのですが、3は全く実感がなく、
1についても殆ど実感がありません。

297慧空:2014/11/01(土) 21:34:49
>>295
お返事ありがとうございます。
私も7はまだ実感があるのですが、いまはハートについては実感がまったくないので、
よく分からないのです。

298みどり:2014/11/01(土) 22:28:55
突然ですが、涙すること少なくなりましたか?

299慧空:2014/11/02(日) 08:19:49
みどりさんへ
涙すること、少なくなったようにも思いますが、依然として涙してます。
大きな災害や事件があっても、冷静というようよりむしろ冷淡な視線でそれを見ている私がいる一方、
ふっと反応が起こり、涙したりもします。
自分でもよく分からない状況です。

300みどり:2014/11/02(日) 09:06:01
慧空さん、おはようございます。

私は、喜怒哀楽のひとつひとつが激しくなり、そのうち涙腺崩壊の時期があり、泣きながら、ただの反応だから気にしないで、私は、大丈夫だから心配しないでって言ってました。

自分でも驚くほどの号泣でした。

今はだいぶ泣かなくなりました。

どうも、人の思いにふれた時自分も涙したりしますが、何にもないのに泣きたいと思い泣く時もあります。
私も泣く視点が変わってきて、私は、感情無いんじゃないかと思う程です。

301佐藤:2014/11/02(日) 14:21:13
私は泣くというより涙ぐむことが以前より多くなりました。
ハートからダイレクトに来て、勝手に涙ぐむ感じです。そして気づいて、すぐ冷めます。。

302みどり:2014/11/02(日) 15:18:11
佐藤さんは、涙腺崩壊はなかったんですね。

涙するのも、目頭が熱くなったり、胸が苦しくなったり、琴線にふれたり、知らぬ間に涙流れたり、いろいろですね。

303名無しさん:2014/11/02(日) 19:29:36
http://blog.goo.ne.jp/kuujigen/e/06111b64c31e94f43fba97fae4f65471

304めがね:2014/11/02(日) 19:33:53
上は私が貼り付けました
これはどう思われますか?

305佐藤:2014/11/02(日) 20:05:54
304>
大乗系かなと思いました。

306佐藤:2014/11/02(日) 20:09:45
崩壊ですか。。
それも凄いですね(°_°)

意図的に出来ませんが、涙ぐむのは苦しいよりは好きな感じです。

307慧空:2014/11/02(日) 20:35:20
>>304
基本的にこの手のコメントは控えさせて頂こうとは思っているのですが、
今回なぜかコメントしてみようかと思いました。

この方は、解脱の悟りを得た方でもなく、大悟された方でもないのです。
天界の悟りを得れた方であり、その観点から語っておられるのです。

例えば、
>私のブラフマーチャクラは、私と友人で透視したところ消えていて、かろうじて細い線で根源と繋がっている。
というフレーズにも見られるように「根源」という言葉が出てきます。
解脱の悟りを得た人から「根源」等の言葉が出てくるはずがないのです。

また、大悟についても、大悟した人が自分の悟りについて口を開くときは、
必ず、「見るものは見られるもの」とかそれに類する言葉が出てくるのです。
この方にはその言葉もありませんので、大悟も無いのです。

この方の語り口調も、全体として天界の悟りを得た方のものなのです。
なぜなら、語られる言葉に、天界の悟りを得た方が手放せずに掴んだままとなっているいくつかの典型的な言葉(考え)が入っているからです。

308めがね:2014/11/02(日) 20:54:26
いや〜勉強になります。
ありがとうございました(-_-)

309めがね:2014/11/02(日) 21:06:31
大悟、解脱
なった方には解る、当たり前で筋が通っています。

310佐藤:2014/11/02(日) 21:16:58
>今回なぜかコメントしてみようかと思いました。

ここは決定的に違いますからね。。自覚実践では出てこない感じですし、正直にバッサリの方が良いと思いました。

311佐藤:2014/11/02(日) 21:30:00
>307

私は龍樹に似てるなあと思いました。

312慧空:2014/11/02(日) 21:33:13
>>310

実はコメントすることによる影響等をいろいろ考えて、かなり躊躇したんです。
でもどういう訳か書いてしまいました。

313慧空:2014/11/02(日) 21:35:39
>>311

佐藤さん、また盛り上げようとしているでしょ(^_^;)

314慧空:2014/11/02(日) 21:41:16
>>311

でも今日は思っていることを少しはき出してしまいますかね(^o^)

佐藤さんの仰る通り、私もそう思います。
龍樹も、おそらくというかほぼ間違い無く、解脱でも無く、大悟でもなく、
天界悟りを得た方だったでしょうから。
天界層の中のかなり上の方で、大悟の少し手前付近の方だったのだろうと思っています。

315佐藤:2014/11/02(日) 21:55:15
これは影響あると思いますが、
隠したり偽っても仕方ないですし。。

龍樹によって、釈尊が示した悟りの逆戻りするような教えが広まってしまいましたからね。。
禅による実践が大悟を実現出来ているだけ奇跡だと思ってます。

キリストやマハルシでさえも大悟ではない可能性があるんですよね。

バッサリデーですね^_^;

316慧空:2014/11/02(日) 22:04:30
>龍樹によって、釈尊が示した悟りの逆戻りするような教えが広まってしまいましたからね。。

確かにその側面はありますが、
でもそうなる流れの原因は、もっともっと前からあったのだろうと思っています。
原始仏典を読めば分かるように、ノイズや出鱈目なことが余りに多いですから。
私は、お釈迦さまが死去された後のほんの数十年の間に、お釈迦さまの教えが急速に劣化し、
途絶えていったのだろうと思っています。

317めがね:2014/11/04(火) 13:08:52
>>266
以前、時間を考えると小っちゃい不安が出て来て時計を見る行動を
起こしていると書いたのですが今日幸せについて考えていたら考えを
手放し苦が無くなる事だよなと納得しているのだけど、自覚がオートで
出来る自分に喜びがが出て来て、それを自覚すると消え去りました
そして、ちょっと前に店のテーブルを拭いている時、行動は幸せに
なりたいから小っちゃい不安で行動を起こしているのに気付きました。
で、どうしようって感じですけど(笑
気付いたってことは手放したんだろうと思うのですが・・・
幸せ求めても苦何もしなくても苦(爆笑)

318ユウ:2014/11/04(火) 14:15:04
めがねさん、こんにちは

>幸せ求めても苦何もしなくても苦
とっても共感しました。

319めがね:2014/11/04(火) 15:14:50
ユウさんありがとうございます(^^)
気づいた時一人で可笑しくて笑ってました。
行動してもいいし、行動しなくてもいいどっちでもいい
ちっちゃな不安から行動し、行動しなければ生きにくくなる!

320めがね:2014/11/04(火) 15:22:25
やりすぎずやらなさすぎず、ちょうどいいのがいいバランスなんだ
きっと!

321ユウ:2014/11/04(火) 15:50:27
めがねさん、私も同じ気持ちです。
あせっても自分の気持ちが付いていかないんですよねぇ。
ほんと、ぼちぼち進みます。笑

322めがね:2014/11/04(火) 16:31:05
そうですよね、解ります解ります!私は悟るのを目標にしたり人と比べると
焦る(ブレーキかけてると思ってて)ので自覚を無理せず続けることを目標と
してます、で気付きが来ると喜んで妻や子供達に一方的に話します。笑

323hiroya:2014/11/04(火) 21:14:50
まだ悟りの階梯(1)も経験してないですが質問させて下さい。

悟りの段階ですべては自分の自我が作っていると気づくみたいですが
どこまでなのでしょうか?
例えばこの掲示板やこれまでの覚者(ブッダ)等も自分の考えなのでしょうか?

あと解脱の悟りを得たあと子育てはどうしているのでしょうか?
あれはダメだとか、こうしたほうがいいだとか、自分の思った通りにしていいのでしょうか?

よろしくお願いします。

324慧空:2014/11/04(火) 22:05:38
>>323 hiroyaさんへ

まずは自覚をしてみて頂きたいと思います。
すべてはそれからです。
自覚も知らないのに、知識だけが増えてもしようがありません。

あれこれと考えている自分自身に意識を向けてみてください。

325めがね:2014/11/04(火) 22:31:37
Hiroyaさん
はじめまして、
よろしくお願いします(^^)
一緒に頑張りましょう!

326めがね:2014/11/04(火) 23:18:00
◎まだ悟りの階梯(1)も経験してないですが質問させて下さい。

今まではどんな感じで自覚してみえたのですか?もしくは自覚ははじめててすか?その辺りを詳しく伝えてみたらどうでしょう(^^)

327トマト:2014/11/05(水) 09:00:31
 あなたが認めている?
バグワンラジニーシについて、クリシュナムルティも、上座部仏教の
スマナサーラ長老も天才的な詐欺師と言っています。

一方で、バグワンはクリシュナムルティを覚醒者として高く評価しています!なぜ、そのようなことが生じるのですか?

328慧空:2014/11/05(水) 09:11:13
>>327 トマトさんへ
ラジニーシさんのことですが、少しコメントしますね。
彼がどの程度の悟りを得ていたのかは、実は私にはよく分からないのです。
彼は、自分が実際に体験したことだけでなく、頭で見聞きして知った悟りの知識をたくさん喋っていて、
どこまでが本当に彼が体験したことなのかがとても分かりにくいのです。
そのため、私は彼がどの段階の悟りを得ていたのかよく分からないのです。
一つ断言できることは、彼は解脱の悟りは得ていないということは断言できます。
彼が解脱の悟りに関して話す内容がとても稚拙なため、それは容易に判別できるのです。
ただ彼は頭での理解だと思いますが、悟りの階梯についてとてもよく知っていたようです。

クリシュナムルティさんについては、殆ど文献を読んだことがないので、私はよく知りません。

スマナサーラさんについては、まだ存命であり、コメントを控えたいと思います。

329慧空:2014/11/05(水) 09:15:40
>なぜ、そのようなことが生じるのですか?

この点については、私もよく分かりません。

330hiroya:2014/11/05(水) 09:16:03
>>324
質問ばかりしてすみません。
自分は悟りを目指すのかどうか迷ってます。
自覚やってみます。

>>326
めがねさん、はじめまして。
自覚は慧空さんのブログで知りました。二ヶ月ほど前です。
一日中自覚はなかなか出来ず、気が付いたら自我と一体になってしまう程度です。

331慧空:2014/11/05(水) 09:21:18
>>330
hiroyaさん、おはようございます。
すみませんだなんて、いいんですよ、ここには何を書いてもいいんですから。(^^)
自覚、ぜひやってみて頂きたいと思います。
自覚それ自体は、日常生活や普通の人生と共存できますから、何も心配はいらないですよ。(^^)

332めがね:2014/11/05(水) 10:33:22
hiroyaさん
こんにちは、これは私個人の考えなので適当に読んでください。怒りっぽい人が年をとってあの人丸くなったなとゆう話を聞くと思うのですがこれは何年も十何年もかけて同じ様な事柄でイライラして本人も知らないうちに考えを手放してイライラしなくなったんだと思うんです。これをあえて自分から今日はどんな事でイライラしたかなと思い出す時間を作り納得できるまで思い出す事を繰り返すこれで何年もかけなくても早く考えを手放すことができる、自分で出来ると実感できると思います。
コツコツ頑張りましょう(^^)

333ユウ:2014/11/05(水) 12:55:58
めがねさん、こんにちは

私も同じ思いです。
何度も繰り返すイライラに振り回されて疲れるんですよねぇ。
「もうこれはいいや。」と思える様に自分と向き合っているんだと思います。

33421さい:2014/11/05(水) 16:02:23
食べ物についてなのですが完全菜食主義者になったほうがいいとか砂糖をとらないほうがいいとかありますか?
私はジュースを飲み過ぎてしまう傾向があって今は砂糖を完全に禁止してますけど意味はあるんですかね?

335めがね:2014/11/05(水) 16:11:59
私も気にしてた時があったので気持ちわかりますよ(^^)私は肉とお酒ですが普通に食べて毎晩飲んでますが見性しました。砂糖はどうでしょうかね*すい空さん甘いの好きだって言ってみえたと思いますよ!ご意見まちましょう。

33621さい:2014/11/05(水) 16:23:19
めがねさん ありがとうございます(^^)

私は一時期完全菜食主義者になっていた時期がありまして食べ物は気にしてしまうのです、、

337まきりん:2014/11/05(水) 19:15:17
>323 'hiroya さん

はじまして、

私は、子育て中の主婦です。

私は、観念に気付いて、手放すようになってから、
こうであってほしいという拘りがなくなってきて、
子育てはラクになってきています^ ^

hiroya さんは自覚ワークにも取り組んでらっしゃるのですね。
自我を捉えられていらっしゃるのなら、進んでいかれると思います。

私も、ハートのワークと、手放しの修行中です。

よろしくお願いします(^o^)/

338慧空:2014/11/05(水) 20:02:05
>>334 21歳さん

悟りを深めていくということは、握りしめている考えを手放していくことなんです。
握りしめている考えとは、執着であり、囚われなんです。
囚われとは典型的には、こうするべきだとか、こうした方がいいとか、これはダメだという拘束的な考えや否定的な考えなんです。

つまり、悟りを深めていくと、囚われが減り、自由になっていくんです。
ところが、いざ悟りを深めて本当に自由度が拡大してくると、その自由を活用しようとする意欲(単純に言えば欲ですね)も薄くなってしまうんです。
手に入れた自由は宝の持ち腐れという訳です。(^o^)

ですから、もうお分かりだと思いますが、基本的に、悟りの道を進む上で、これはダメだとか、こうした方がいいということは一切無いんです。
「基本的に」と書きましたのは、出家した修行僧のようにわざわざ厳しい戒律の中に身を置いて、それによる不自由さ等を利用して修行をされる方もおられるので、そう書きました。
何でもやりたいことをやってください。
食べたいものを食べてください。
そして、それを選択する自分、やっている自分、体験している自分にしっかりと意識を向け、自覚して頂きたいと思います。

やりたいことを無理に我慢していると、結果として遠回りになる場合が多いのではないかと思います。
特に、21歳さんはまだお若いのですから、無理に我慢されることなく、むしろやりたいことを思いっきりやって頂きたいと思います。
悔いが無いほどしっかりと経験できたら、それは悟りの道を進んでいることと等価です。

33921さい:2014/11/05(水) 20:50:17
慧空さん 適切なアドバイスありがとうございます(^^)

肉食は動物がかわいそうというのも執着のひとつなのですね 何年もその考えを手放せずにいました

やりたいことをやりながら自覚することにします(^^)

34021さい:2014/11/07(金) 00:38:47
不幸大歓迎と唱えたら気持ちが楽になりました。

肉体的苦痛も掴まなくなることが出来るのでしょうか。

34121さい:2014/11/07(金) 00:41:32
湧き出る苦痛を快感に変えることができたような感覚があります。

342慧空:2014/11/07(金) 07:56:02
>>340 >>341

>肉体的苦痛も掴まなくなることが出来るのでしょうか。

「苦」には、二つの種類があります。
普通に起こってくる苦と、握りしめた考え(執着)との関連で起こってくる苦です。
握りしめた考えとの関連で起こってくる苦については、殆どの場合、その苦の根っ子になっている考えである執着を手放せば解放されます。
一方、普通に起こってくる苦とは、肉体的な苦痛や病苦等に代表される普通の苦です。
この苦については、何人も逃れられないのです。
受け止めるしかないのです。

>湧き出る苦痛を快感に変える

これは、自我が無理ヤリやっていることだと思います。
余りやっても意味はありません。
それよりも、苦痛を感じている自分自身と真っ直ぐに向き合い、それを自覚してください。
そしてできることなら、その苦痛を真っ向から受け止める、あるいは苦痛にどっぷりと浸りきる覚悟を持ってください。
それができれば、どんな苦しみも受け止め、乗り越えることができます。
私(慧空)自身も、そうやって苦しみを受け止めてきました。

343めがね:2014/11/07(金) 11:06:09
質問お願いします。
ほとんど自分で思考していないとおもうのですが、違いますか?!
自分から考えようとすることはほとんどないと思うのですが、
間違っていますか?

344めがね:2014/11/07(金) 11:51:18
自分から「明日の休みは何したい?」と考えを作ることはできるけど
自分で考えてたと思い込んでいるから休みに近づくと
「明日の休みは何しよう?」と思考が流れてくる。
そんな意味で書いたのですが

345めがね:2014/11/07(金) 11:55:52
思考は道具ですよね、自分じゃない
身体も自分じゃない道具ですよね。
自分は観察して道具の思考から選んで体を動かすのが私ですか?!

346慧空:2014/11/07(金) 12:41:35
めがねさんへ

連鎖的に起こってくる思考を含めた考えそのものが私という存在である、ということを理解するためには、
大悟(真我の第二段階の覚醒、6次元)の悟りを得て、しかも、私という自我をある程度捉えている必要があるんです。
この二つの要件が揃って初めて理解できるのです。

上で苦には二種類の苦があると書きましたが、苦も考えなのです。
つまり、考えには二つの種類があります。
この点に関しては、以前、ブログにも書きましたので、そちらもご覧下さい。
これです(http://blog.goo.ne.jp/suiku2013/e/dc6d08f905c373c50f1fa4f0531626dc)。
要点をかいつまんで説明しますと、
考えにはただ起こってきてそれを受け取るだけのものと(つまり受動的な考えです)、
それに関連する考えを積極的に起こさせたり、掴ませるような衝動を伴う考え(積極的な関与を伴う考え)、
の二つの種類があるのです。
ちなみに、考えに二つの種類があるということをハッキリと理解するためには、
大悟ではまだ及ばず、解脱の悟りを得て、その視点から私に起こってくる考えを洞察する必要があります。

347めがね:2014/11/07(金) 13:46:56
彗空さん
いつもありがとうございます。(^^)
◎連鎖的に起こってくる思考を含めた考えそのものが私という存在である

この「私」は私なんですか?自分じゃないと思ったのですが・・・

もしくは私の悟り位置では理解できないことだけど
書き込んだ考えは有っているとゆうことですか?
私には理解しづらくて教えてください。

348麒麟:2014/11/07(金) 18:55:03
私とは独立してあるのではなくて、考えがあるのは、その対象があって、例えば明日はどうしよう等、考えが浮かんでくる。
これは私がしようとするからあるのではなく、私に起こっている事象なのだ。
これだけでなく、意識に属する、心、耳、鼻、口、眼、また触覚による作用が、あるが、これら、すべてがしようとする前に、もう、即座にそうある。
記憶が、そこに継続しているという思いを表している。

349麒麟:2014/11/07(金) 19:02:48
分析しようという跡追いかけしか、自我にはできないので、私が覚りには行けないという矛盾がある。
しかし、大抵、覚りに行こうとしているのは自我であるので、賢い人ほど遠回りすることになる。
分析する、あれこれが、もう降参して何もしていないでいたら、既に、あるがままの純粋な無我にいる。

350麒麟:2014/11/07(金) 19:41:12
これが覚りだと言葉に固定した時点で、もう覚りに遠ざかっている。
だから世にいる覚者たちの言葉は、すべて、ほんとうではあるけれども、すべてズレている。
自我は混乱して、泥沼にはまって、あちこち訪ねあるくけれども、最終的に、問うこと自体が、わたしであるとなり、わからないことが覚りに違いないと気がついてくる。
未知に生きているのは、いつもであるが、自我は最後の最後の最後まで、自分の執着点をつくる。
曰く、大いなる自己なり、真我、また、観照者、宇宙自己なり、また解脱者やら大悟者なり、すべて対象化して、そこに接点を作って依存するのです。
高次存在とか、まあ、精神世界は、ぜんぶ、このような『超越的自己への憧れと執着』なのです。
しかし、無我は、認識が残らないことです。
状態に依存できない苦しみが必ずやってきて、これを越えていく。
わたしがいないという問題には、凄まじい抵抗が、必ずあるはずで、この抵抗が忘れられたら、既に、誰もが覚りに行く必要もなく、ここで、完璧な、そうでしかありえない人間だと大笑いして終了でしょう。
と、また、僕の屁理屈がでてしまいました…。

351慧空:2014/11/07(金) 19:59:41
>>347 めがねさんへ

大悟(6次元)に至る前の段階ですと、私という自我と、考えとの間に分離感があり、
それらは別個のものとして認識されるのです。
大悟に至ると、自我と考えの合一が始まるので、考えそのものが私という自我であるという認識が生じます。
ですから、めがねさんにとって、自我と考えとは別のもので、考えはツールだという認識をされるのはもっともなことなのです。

しかし、そこで安住されることなく、私という自我は何なのか、考えとは何なのかを、
めがねさんなりに追求して頂きたいと思います。
その追求心がめがねさんを更なる悟りの深みに導いてくれるはずです。

352慧空:2014/11/07(金) 20:09:00
>>348 麒麟さんへ

念のため書かせて頂きますね。
「無我」が終着点ではないんです。
無我の理解や感覚は、瞑想等により一次的に得られることがありますが、それはあくあでも一次的なものなのです。
無我で定住できる覚者などどこにもいません。
なぜなら、無我は自我(エゴ)がその意思(執着と言ってもいいです)により、求めてやることですから。
仮に、自分は常に無我にいると言っている覚者がいたら、その覚者は大きな誤解と迷いの中にいます。
自分の自我を見失っているのです。
私という存在がある限り、自我(エゴ)は決して無くならないのです。

悟りの終着点を敢えて表現するとしたら、それは私が言っているように、
一切の考えを掴まなくなることなのです。

とは言え、ここに来られる方々も、実際のところは、こうして私が話すことより、
上で麒麟さんが話されることの方が受け入れやすく、真実みを感じられるのだと思います。(^^)

353めがね:2014/11/07(金) 20:25:08
彗空さん

解り易く教えていただいて
いつもありがとうございます。m(-_-)m

354麒麟:2014/11/07(金) 20:55:44
>>352
いえいえ、僕は、単に、そういう理屈が好きなだけです。無我に常時いるというと特別な状態のようですが、無我にいるのは、縁によってある人間にとって普通のことだと思うんです。
ですから、わざわざ自分はいつも無我にいるなんておっしゃる方は、怪しいと思いますが、実際に僕には分からないんです。
大悟したわけではありませんので、単に個人的な思いですね。
でも考えを掴まなくなるというお話と矛盾はしないと自分では感じます。
僕の違和感は、自我が掴めないものを、自我を通して達成するという、そこだけです。なにか、まだまだダメなんでしょう…

355慧空:2014/11/07(金) 21:10:39
麒麟さん、
また私のお節介心がうずいてしまいましたので、ちょっと書かせていただきますね。

>自我が掴めないものを、自我を通して達成する
>なにか、まだまだダメなんでしょう

この言葉のニュアンスからすると、麒麟さんはご自身に対して何か不足感を感じておられるように思います。
私の誤解かも知れませんが。
方向性としてはむしろ逆なのです。
足りないものを補うのではなく、持っているもの(握りしめているもの)に気づいて、それを手放していくんです。
足りないものは何一つ無いんです。
ご自分に目を向けてられて、足りないものを探そうしている自分自身に気づいて頂きたいと思います。
ああでもない、こうでもないと模索している自分自身に気づいて頂きたいと思います。

356まきりん:2014/11/08(土) 00:00:01
麒麟さん

実は、麒麟さんに感謝してるんです。

慧空さんのおっしゃる通り、麒麟さんのお話しは、凄く魅力的で、麒麟さんの世界に浸っていたくなりました。
私が自我を捉える前や、もしくは自我を捉えていたとしても見性する前に、麒麟さんの文章を読んでいたら、麒麟さんが感じておられる世界を私も感じてみたいと思ったに違いありません。

でも、私の自我が、なぜか麒麟さんの素敵な世界に抵抗していたのです。
麒麟さんのお陰で、自我をより捉えることができ、自我を軸とした視点で観れるようになりました。

麒麟さんは、大悟にご興味はないのですか?
一緒に目指しましょうよ〜^ ^

357名無しさん:2014/11/09(日) 02:50:05
悟り、無理だよね、

358めがね:2014/11/09(日) 07:44:33
彗空さん

観照意識に酔っていたようです。どこまでも私という存在なのに
観照している私を強化していたとおもいます。
観照している者も私という存在だと、
グルグルと、どこまで行っても私という存在できりがないと気づきました。
私を傷つけるものは私の中にいる私という存在のみ、思考があり感情があり私だと思っているもの

1日中安心した気持ちで内側を観察する自覚する事だと気づきました(^^)
ありがとうございます。m(-_-)m

359めがね:2014/11/09(日) 09:08:12
自覚するのは肯定できないこと

360慧空:2014/11/09(日) 11:28:13
めがねさん、おはようございます。

>1日中安心した気持ちで内側を観察する

「安心した気持ち」でなくてもいいんですよ。
怒っていても、悲しんでいても、恐れていても、苦しんでいても、
自分に意識が向けられていれば、どんな気持ちでもいいんです。

361めがね:2014/11/09(日) 12:14:39
彗空さん
ありがとうございます。(^^)

362めがね:2014/11/10(月) 09:50:57
考えて知らないものは解らんですね
自我の性質が解ってきます。
自覚をして→気付きが来て→その考えに気づいた→
知った喜びに浸りでもまだ解った(解っただけと思っていない自分)
だけなので自覚しながら出来ていない(気づきの考えより)自分に
落ち込み・・・

今までの2年と3か月この繰り返しだった(笑)

36321歳:2014/11/10(月) 11:40:58
>>342

慧空さん せっかく的確なアドバイスをもらったのにこちらのスレでは返信が遅れてしまいごめんなさいm(._.)m

ここ数日、湧き出る苦痛を私が起こしていると自覚していたところそれらに感情を与えなくなってただ見るという状態になっているのですがそれに伴いニュートラルな状態になったというかけっこう無気力状態になるのですがこれはある程度は仕方ないのでしょうか?
あと、私は潔癖なところがあって前に人の唾が顔にかかったことを突発的に思い出し今でも気分が悪くなるのですがこれは肉体に付随した感覚なのでしょうか?他の苦痛のように掴まなくなることが出来るのでしょうか?

364慧空:2014/11/10(月) 12:44:12
>>362 めがねさん

>自覚をして→気付きが来て→その考えに気づいた→
>知った喜びに浸りでもまだ解った(解っただけと思っていない自分)
>だけなので自覚しながら出来ていない(気づきの考えより)自分に
>落ち込み・・・
>今までの2年と3か月この繰り返しだった(笑)

めがねさんのその繰り返しと感じる感覚、とてもよく分かります。
私も、自覚をやっていても、同じ考えに囚われている自分に何度も気づいたり、
同じような小さな気づきや理解が何度も訪れたりして、
あれ〜、この自覚や自分の囚われに関連した展開は何度目なんだろう、とよく思ったりしていました。
それで、自分の自覚が同じところをグルグル回っているだけなんじゃないかと心配したりもしてました。(^o^)

自覚が無い場合は(一般の多くの方々の姿がまさにそれですが)、何度も同じ過ちを繰り返すし、
何度も同じような囚われにはまり込み、延々と同じところで回り続けます。
でも、それなりに自覚ができてさえいれば、同じところで何度もグルグルと回るということは決してありません。
同じ展開にように見えても、実は螺旋ループのように着実に歩みが進んでいます。

大丈夫ですよ。(^^)

365慧空:2014/11/10(月) 13:09:46
>>363 21歳さん

ごめんなさいだなんて、そんなこと気にしないでくださいな。(^^)
少なくとも私はまったく気にしてませんから。

>ここ数日、湧き出る苦痛を私が起こしていると自覚していたところそれらに感情を与えなくなってただ見るという状態になっているのですがそれに伴いニュートラルな状態になったというかけっこう無気力状態になるのですがこれはある程度は仕方ないのでしょうか?

21歳さんのそのニュートラルな感じも、それに関連してどうしても無気力になってしまう感じも、なんとなく分かります。
21歳さんの場合、いまのところは、そのような状態におられるのがむしろ自然なのかも知れないと思います(なんとなくですが)。
ですから、仕方がないと観念されるがよろしいのかも知れませんね。
焦らず、ご自分のいまの状況を真っ直ぐに受け止めてられることをお勧めします。

また、無気力だと、日常生活を送る上で障害となることが多々あるだろうとは思いますが、
無気力が悪い訳ではないんです。
私たちはどうしても、キラキラと輝くような活動的な姿に憧れてしまいがちですが、
実はそこに深い深い囚われや迷いの原因が潜んでいます。
その辺りも含めて、ご自分の内面を見つめて自覚して頂きたいと思います。

>あと、私は潔癖なところがあって前に人の唾が顔にかかったことを突発的に思い出し今でも気分が悪くなるのですがこれは肉体に付随した感覚なのでしょうか?他の苦痛のように掴まなくなることが出来るのでしょうか?

どのような考えが、その人の掴んでいる考え(執着、囚われ)と関連したものかは、
人によって結構異なっているのだろうと思っています。
私(慧空)自身も、潔癖なところがあり、何気ない日常の中で不快感が起こってくるときがありますし、
私は他の人のエゴに強く反応するところがあり、その人のエゴを感じるととても不快に思ってしまうこともあります。
ですが、私は何も考えを掴んではいないのです。
このように、この辺りは微妙であり、人それぞれなんです。

ですので、21歳さんの上の感覚が執着や囚われと関係しているか否かは、もう少し詳しくそのあたりのことについてお話しを伺うか、
あるいは、ご自分で自覚を通じて観ていくしかないと思います。

ご自分で観て行かれる際の少しヒントを少し書きますと、
執着や囚われは、これはダメだとか、こうあるべきだ等の否定的、又は拘束的な考えとして握りしめられていることが多いです。
例えば、汚いものはダメだとか、人のもの(唾液も含めて)は汚いとか、病気になると大変だとか、
病気にならないようにしないといけないとか、
そういう考えが握りしめられている可能性はあると思います。

また何かあれば、遠慮なくどうぞです(^^)

366めがね:2014/11/10(月) 13:10:46
彗空さん
◎実は螺旋ループのように着実に歩みが進んでいます。

やさしいお言葉ありがとうございます(^^)(喜んでいる私を自覚してます)
そうなんですよね、その通りですね!

367佐藤:2014/11/10(月) 13:47:10
>例えば、汚いものはダメだとか、人のもの(唾液も含めて)は汚いと

潔癖な場合は、自分の身体をまじまじと見たり、webで体内の写真を見るといいかもですよ。自分の身体の中は汚物や唾液、血などがいっぱいで、生で潔癖とは程遠く汚ないといえますから。笑

石垣は牛が有名みたいで、島で牧場近くを通ると糞の臭いがすごくて、そのたびに車の窓閉めてました。^_^;

368めがね:2014/11/10(月) 16:11:56
佐藤さん
わたしは蛾とゴキブリの動画を見て受け入れました(^^)
好きな人がいるんですよね!「手乗り蛾」とか

369めがね:2014/11/10(月) 16:14:21
糞の臭いも好きな人いるんでしょうね
人の足の匂いも好きな人いますし

370佐藤:2014/11/10(月) 16:40:12
1度、嫌悪が走る状況を自覚状態で体験するのはよいかもという意味で書いたつもりです。^_^;

371めがね:2014/11/10(月) 17:01:57
何か違っていたみたいですね・・・
私独特の受け入れ方だったのかもしれません(^^)

372めがね:2014/11/10(月) 17:11:06
私は我やゴキブリに嫌悪感が有ったので
動画で受け入れました、匂いで嫌悪感を感じる方もいると思って
反対の方もいるよねと例えの話でしたm(*- -*)mスイマセーン

373佐藤:2014/11/10(月) 17:15:30
そんな事ないと思いますよ。
正解なんてないですから。笑
手放せれば何でもokだと思います。

374まきりん:2014/11/10(月) 18:01:28
めがねさん

お気持ち分かります〜
私は、虫嫌いで、受け入れようと頑張ってますが、なかなか難しいです(*_*)
私の場合、始めて自我を捉えることができたのが、「虫が嫌い」と思っている自分に自覚した時なんですけどね^^;

375めがね:2014/11/10(月) 18:53:05
まきりんさん

私は独特なのかもしれません、好きにはなれないですが「ぎゃ〜」ってほどじゃないなと
退治できるようになりました。家族には重宝がられますよ!
そんなに難しくないですよ、眼鏡の販売にも利用するのですが
感じつくすんです、無理やりです。マゾになったつもりで嫌いな動画を見続けるんですよ(^^)
言葉にすると「慣れる」です
言葉は違いますが受け入れた事と同じだと思っているんです。伝わりますか。
似合わない眼鏡はもちろんあるんですが時代によってサイズ感が変わってくるんです
違うと受け入れられない方が8〜9割いるんです、それを心理学の単語を使用して
説明しながら15分位で実感してもらい買っていただきます。固定観念を壊すになるんです。

376慧空:2014/11/10(月) 20:18:57
>>370

>1度、嫌悪が走る状況を自覚状態で体験するのはよいかも

私もこれはやってみる価値があると思いました。
何か気づきや変化が起こるかも知れないと思います。

377めがね:2014/11/10(月) 21:43:15
私は感覚としての痛み、身体を一定以上の速さで動かす時に起こる心の乱れ。
これ以外の考えは手放せると考えています。簡単には道具としての身体が自動で感じる苦以外は受け入れると思っています。
外側の現実にはどんなことが起こってもそれはただの現象で感情は付いてこないと思っています。

他の方を惑わしたしまう違う考え方のためこれを最後に失礼いたします。
今まで大変お世話になりました。彗空さんの分析力と文才の素晴らしいさ感謝致します(o^^o)
私と会話してくださいました皆様ありがとう御座いました(o^^o)

378まきりん:2014/11/10(月) 21:53:49
めがねさん

>感じつくすんです、無理やりです。マゾになったつもりで嫌いな動画を見続けるんですよ(^^)
言葉にすると「慣れる」です

ありがとうございます。
ゴキブリは殺虫剤では殺せるんですが、その後の処理に苦戦します^^;
映像観る勇気ないので^^;
想像しながら感じ尽くしてみます。

>違うと受け入れられない方が8〜9割いるんです、それを心理学の単語を使用して
説明しながら15分位で実感してもらい買っていただきます。固定観念を壊すになるんです。


心理学的なこともご存知なんですね。
それにしても、既存のものに執着する人が、8〜9割もいるんですね。
私の固定観念も壊してもらいたいです^ ^

379まきりん:2014/11/10(月) 21:55:55
え*

めがねさん、もうこの掲示板に来ないのですか?

380まきりん:2014/11/10(月) 21:58:47
上記、「え」の次に、はてなマークが表示されません でした。

381慧空:2014/11/10(月) 22:01:52
>>377 めがねさん

>他の方を惑わしたしまう違う考え方のためこれを最後に失礼いたします。

そんなこと仰らずに、そのままのめがねさんで、思ったことをなんでもここに書いて頂きたいと思います。
引き続き書き込みしてくださるのを待ってまーす(^^)/

382まきりん:2014/11/10(月) 23:14:26
めがねさん

気が向いたら、また書き込みしてくださーい(^o^)/

383めがね:2014/11/11(火) 05:44:15
了解です、いつもの様に書き込みます(^^)

384ユウ:2014/11/11(火) 05:57:22
めがねさん、おはようございます

>これを最後に失礼いたします。
急にどうしたのかと、びっくりしていたんです。
時々書き込ませていただきますので、お話してください。笑

385佐藤:2014/11/11(火) 06:09:39
文字のやり取りで批判、中傷などされてるかなとかで不安など起こるときがあるかもしれないですが、引っかかるという事で自分自身の手放す対象がはっきりするとも言えますし、ダルマは自分自身ですから気になさらないで良いと思いますよ^_^;
議論の勝ち負けへのこだわりは、漫の執着ですから。。

あと、私自身、慧空さんとの文字のやり取りで文字以上に色々動いている感じがしますから、書き込まれる事でボロが出て(笑)、色々手放しも起こってくるのではないかと思っています。

386めがね:2014/11/11(火) 06:38:08
皆さん早起きですね(o^^o)
やってきた事があまりにも違うようにかんじたことと、彗空さんの迷惑になるかなとおもったんです。新しい方達も増えてきてますし
ちなみにマイナスの感情が出たからではなく、やるべき事はやはり自覚しかないと、とてもすっきりしています。(^^)
気遣いをさせてしまいごめんなさい~_~;
確かに書き込む事でスッキリしますね、ここ数日がその通りで昨日スッキリしたところでした。

387めがね:2014/11/11(火) 06:44:42
あともう一つ私のやりたい事は
生きやすく苦を少なくする事で
チョット皆さんとずれてるのかもしれないと思ったんです。冷静に

388ユウ:2014/11/11(火) 06:49:36
めがねさん、私と同じじゃないですか。
もっとお話しましょう。笑

389めがね:2014/11/11(火) 07:03:47
ユウさん
えっ一緒ですか*
ユウさんもズレてるんですか(笑)

390ユウ:2014/11/11(火) 07:06:10
ずれているかも…笑

391めがね:2014/11/11(火) 07:35:25
マキリンさん
◎映像観る勇気ないので^^;
想像しながら感じ尽くしてみます。

それではダメなんです(^^)
ゴキブリの画像には感情はないので
無理矢理見るんです、何度何度も(o^^o)ドンドン、体を壊すまではやめてくださいね!

392まきりん:2014/11/11(火) 08:10:22
めがねさん

戻ってきくれたんですね〜
よかった^ ^

映像観なきゃダメなんですね。
トライしてみます。

393慧空:2014/11/11(火) 08:54:17
>>386 めがねさん

迷惑だなんて、とんでもないです。
沢山書いてくださるほど、楽しいし、嬉しいんです。(*^_^*)
遠慮なさらず、書きまくって頂きたいと思います。

それに、めがねさんの仰る、感じ尽くすことによって手放しが起きるというのも、
とても理にかなっていると思いますよ。

394佐藤:2014/11/11(火) 09:19:23
私も 昨日、何となくあまり書き込まないだろうと思ってたのですが、書き込んでますので笑 書き込もうと思っても書き込まないかもしれないですし笑

395ユウ:2014/11/11(火) 09:31:03
佐藤さん、おはようございます。 

>何となくあまり書き込まないだろうと思ってた
何か心境の変化ですか?石垣島の影響?笑

396佐藤:2014/11/11(火) 11:05:22
>何か心境の変化ですか?

いえ、元々言いたいことは特に無いのですが、さらに無くなちゃったなと思ったのですが、皆さんの書き込みを読むと、書き込んでる私がいます。^_^;

>石垣島の影響?笑

はい、おそらくそうです。
何も無く人もいないのでオススメですよ。

397ユウ:2014/11/11(火) 12:07:55
>さらに無くなちゃったなと思った
お世話好きの佐藤さんをも、そんな気にさせる石垣島は恐るべしですね。笑

398まきりん:2014/11/11(火) 14:49:51
佐藤さん

解脱の悟りの後に、何か残りましたか?

399佐藤:2014/11/11(火) 15:54:57
>解脱の悟りの後に、何か残りましたか?

何かというのは、例えばどういった事でしょうか?

400佐藤:2014/11/11(火) 16:01:16
>お世話好きの佐藤

鋭いですね!^_^;

401まきりん:2014/11/11(火) 16:41:37
佐藤さん

慧空さんは、「苦」が残ったと仰っているので。
二元からは逃れられないですし、肉体があるから何か残ると思うのです。
佐藤さんには、たとえば、「安らぎ」が残ったとか、そういうかんじ
はありますか?

402まきりん:2014/11/11(火) 17:28:25
>お世話好きの佐藤さん

私も、佐藤さんのサポートが無ければ、無明が晴れることはなかったです。

403まきりん:2014/11/11(火) 17:37:44
麒麟さんにも、同じように感謝してるんですけど、伝わったかな〜^^;
「後から、〜と認識している」ということを教えて頂いたのも、すごく助けになりました。

404佐藤:2014/11/11(火) 17:38:50
大悟の時に比べて、
かなり普通になりました。
でも、どこか前とは違いますが、それも思い込みの可能性もあります。

これ以上は自分でも分からないので勘弁してください。^_^;

正直いいますと、八方塞がりになって気づきが起こって終わったという理解が起きれば、それで良いんですよ。笑

それに色々と余計な真理めいたものがついたり、何か禅定めいたものがついたりすると、この人終わってないんだと思うわけです。^_^;

そういう意味では、捨てるものなくなって八方塞がりになるために自覚してるといっても良いと思います。

405慧空:2014/11/11(火) 20:01:55
>>402 まきりんさん

どうしようかと思ったのですが、指摘させて頂きますね。
まきりんさんはまだ、無明は晴れてませんよ。
無明が晴れるとは、解脱の悟りを得ることと同じなんです。

406まきりん:2014/11/11(火) 21:53:27
佐藤さん

ありがとうございます。

>大悟の時に比べて、
かなり普通になりました。

そうなのですね。

>それに色々と余計な真理めいたものがついたり、何か禅定めいたものがついたりすると、この人終わってないんだと思うわけです。^_^;

これは、分かります。
もうスピ系のブログを見て回ることはなくなりました。
お坊さんの説法も聴きたくありません。

この聴きたくない気持を自覚してハートに集中してみます。

>捨てるものなくなって八方塞がりになるために自覚してる

捨てるものがなくなると八方塞がりになるんですか?

正直、そうなるのは嫌だなと思いました。
それも手放さないとですね。

質問させて頂いて、よかったです。ありがとうございます。

407まきりん:2014/11/11(火) 22:11:01
慧空さん

ご指摘してくださって、ありがとうございます。

全ての考えを手放さないと、無明が晴れたことにならないんですね。

二元から出られないことが体感できたことで、なぜ?という疑問が出なくなったので、この体感が終着点だと思ってしまい、あとは、思考を手放していけば、解脱の悟りになるのだと思っていました。

「私とそれ以外」= 私

もう、これが分かっただけで、
私としては、上等です。

四半世紀の間、迷い続けていましたから。

今まで毎日のようにスピ系のブログ巡りしていましたが、これからはその時間をハートに集中させていこうと思います。

408慧空:2014/11/11(火) 22:18:08
まきりんさん

>これからはその時間をハートに集中させていこうと思います。

素晴らしいです。(^^)

409佐藤:2014/11/12(水) 07:24:32
「私とそれ以外」= 私
が二元から出られない
を示しているのでしょうか?

ちょっと分からなかったものですから^_^;

41021さい:2014/11/12(水) 07:42:06
皆さんのアドバイスのお陰で掴めてきました。いつも感謝ですかお認識を変えるだけでこんなに変わるんですね。

41121さい:2014/11/12(水) 07:57:20
顔文字を出そうとしたところ「かお」になってしまいました(^_^;)

2つ質問させてもらいます

ハートを意識する自覚が掴めてきたのですが横になりながらやると気づいたら寝ちゃってます。
慧空さんは1日に数時間ハートを意識しておられた時は椅子に座りながらやられていたのでしょうか?また、ハートに意識向けることだけに集中された状態で数時間されてたのですか?(歩きながらや何かを見ながらでもやれるなぁと感じたので)
あと、自分は指を交互に組んで胸に乗せてるんですが皆さんは手の形はどんな感じでやってますか?

もう一つの質問はこの掲示板に貼られていたEOさんの記事をチラッと読んでみたのですが解脱者の佐藤さんや慧空さんは暗闇にずっと幽閉されても思考せず狂わずいれるんですか? なんか変な質問ですみません(^_^;)笑

412慧空:2014/11/12(水) 09:06:46
21さいさん

一つ目のご質問について。
私は主に椅子に座った状態でハートの自覚を1日数時間やっていました。
夜、自宅でやるときは床の上に座った状態でやることもありました。
ハートの自覚ワークをやるときは、ハートに意識を集中することだけをやっていました。
ハートの自覚ワークをやらないときは、普通の自覚をやっていました。
普通の自覚というのは、ハートとかを意識せずにただ私に意識をむけておき、
私に起こってきた考えを自覚することです。
私の場合、手は両手を重ねた状態でハートの中心に当てていました。
佐藤さんは、両手の指先をハートのコアを刺すような形で胸に当てておられたようです。

二つ目のご質問について。
あのEOさんの暗闇に関する記述は、正直なところ、どういう体験のことを言っているのかよく分からないのです。
私は、ひょっとすると大悟者が死後にいくとされる梵天界のことを言っているのかもとは思っているのですが、
私自身は暗闇の体験も無いし、過去に梵天界に行っていた記憶などもないので、よく分からないです。
ただこういうことは言えると思います。
もし仮に途方も無い程の長期間、暗闇の中に幽閉されることになったら、それに耐えられる存在はいないのです。
そこでの苦しみはいろいろあるでしょうが、何よりも一番の苦しみは退屈なのです。

413佐藤:2014/11/12(水) 09:09:52
>暗闇にずっと幽閉されても思考せず狂わずいれるんですか?

麒麟さんもおしゃってたかと思いますが、暗闇(未知)への恐怖みたいなのは明け渡しが起きる前にありました。

えぃやっと落ちると、至福が起きるかもしれませんね。

414慧空:2014/11/12(水) 09:14:17
ああ、なるほど−。
真我の第一段階の覚醒前にも、そのような暗闇の体験があったりするのですね。
面白いです。
佐藤さんの書き込みを見て、それっぽい感じがしてきました。
私の上の梵天界の話しは見当違いのようですね。

415佐藤:2014/11/12(水) 09:14:59
>途方も無い程の長期間、暗闇の中に幽閉される

バーナデットロバーツもですよね
EOがネタをパクったのかもですね^_^;

416佐藤:2014/11/12(水) 09:16:57
ロバーツの暗闇がどの段階だったか忘れてしまいましたが、本も最近でたので読まれて見るのもよいかもしれません。

417慧空:2014/11/12(水) 09:18:16
>EOがネタをパクったのかもですね^_^;

ウケました。(^o^)
こんなことを言うとEOさんには申し訳ないですが、その可能性はあると思います。
EOさんは他の人の体験を自分の体験であるかのように話すところがありますから。

41821さい:2014/11/12(水) 09:25:20
慧空さん、佐藤さん おはようございますand回答ありがとうございます(^.^)

前に丹田式呼吸について調べていたところ男性は左手を下に〜とかあったんで気になってしまいます。
ちなみに慧空さんはどちらの手を上にしていましたか?佐藤さんは手は重ねない状態でということですかね?

ある程度自分なりのアプローチの形が出来つつある感じなので慧空さんのブログを参考に今日は頑張ります (エッセイにも励まされます)

なるほどです、、でも解脱したらまた分離が起こって生まれたりはまずしないですか?

419佐藤:2014/11/12(水) 09:33:13
決して批判しているわけではないですので。。^_^;
EOの恐怖心を煽ろうとする所や発心を駆り立てる所は一つの役割を担ってるなとは思います。

>EOさんは他の人の体験を自分の体験であるかのように話すところがありますから。

私は、Oshoの暗いバージョンと捉えてます笑

42021さい:2014/11/12(水) 09:36:14
二人が揃っておられる間にまた変な質問させてもらいます笑

解脱後の生活は解脱前の生活と比べどんな感じなんですか? 必要最低限の自我を使って趣味を遊んだりする感じなんですか?

悟りの道を歩まれる上であらゆる考えを手放してしまったら自分が事件を起こしてしまうんじゃないかとかそういう不安はありましたか?

自分はこれからの人生、就職はどうしようとかあらゆる考えを手放していったら自分がどうなるのかとかそんなことよくかんがえてしまいます(^_^;)

42121さい:2014/11/12(水) 09:45:48
聞き忘れました(^_^;)過去にもチャクラなどの話が出てましたが椅子に座っているときは背筋を伸ばしたりしたほうがいいのでしょうか?

自覚していく上でそれそのものがそうなのではなくその考えを私が起こしていると思うと前みたいに趣味なども頑張れなくなるのは仕方ないんですかね?

422まきりん:2014/11/12(水) 11:10:19
佐藤さん、

コメント読んでくださり、ありがとうございます(笑)

>「私とそれ以外」= 私
が二元から出られない
を示しているのでしょうか

「私とそれ以外」= 私
これが合ってるのか、
私も分かりませんよ〜^^;

違うなら、教えてくださーい(^o^)/

私が二元から出られないと感じたのは、
初めて私と認識した時(ハッとした私という意識が生まれた時)
その時、同時に私以外も在るということです。

私と認識したら、私以外も在る訳で、私以外のものを認識するには、
私がいなければいけない。
例えば、何もないと感じているのは、私ですし、私がいなくなったら、もう何も認識できないから、私が消えた後のことは分からないということです。

423慧空:2014/11/12(水) 11:16:46
21さいさん

ハートの自覚のときの手の重ね方はどうでもいいと思います。
背筋の状態もどうでもいいです。
手の位置や姿勢への拘りがあるのでしたら、まずそういう拘りを捨て去った方がいいです。

悟りの道を歩んでいくとき、それによる自分や自分の日常生活の変化等に対して、何らかの不安を感じる方は多いのだろうと思います。
私自身も、日常生活が破綻してしまうのではないか等の不安が少しありました。
でも、大きな不安や抵抗が募ってくるうちは、前には進めないようになっています。
本当に前に進むときは、仮に少々の不安があっても、そんなこと気にならなくなるほど、
悟りに対する求道心というか、発心が湧き起こってくるものなのです。

424佐藤:2014/11/12(水) 11:35:21
>私が二元から出られないと感じたのは、
初めて私と認識した時(ハッとした私という意識が生まれた時)
その時、同時に私以外も在るということです。

バババと起きてそのような理解になるのだと思うのですが、初めて私と認識した時(ハッとした私という意識が生まれた時)の部分をもう少し細かくみるとよいかもしれません。

>その時、同時に私以外も在るということです。

ここはいらないかなと思いました。
私以外はどうでも良いです。
自覚対象は、私だけです。

425佐藤:2014/11/12(水) 11:44:10
>悟りに対する求道心というか、発心が湧き起こってくるものなのです。

各個人の問題ですから、私もその方の発心次第かなと思います^_^;

426まきりん:2014/11/12(水) 12:01:08
佐藤さん

>初めて私と認識した時(ハッとした私という意識が生まれた時)の部分をもう少し細かくみるとよいかもしれません。

ありがとうございます。
イメージしてみます。

>私以外はどうでも良いです。
自覚対象は、私だけです。

私だけを観るようにします。

私以外とは思考ですし、
私と思ったのも思考。
私という思考は何?
分かりません。
分からなくて、叫びたいです^^;

42721さい:2014/11/12(水) 12:01:46
今日もありがとうございます(^.^)

やっていきます

428佐藤:2014/11/12(水) 18:24:16
>分からなくて、叫びたいです^^;

この辺りの発心といいますか、苦を頼りにハートの自覚してみてください。

429まきりん:2014/11/12(水) 19:07:29
佐藤さん

了解しました。
ありがとうございます。

430まきりん:2014/11/13(木) 11:59:57
初めて「わたし」と認識した時、「わたし」が分からなくて、
考え始めたような気がします。

「わたし(自我)」は、自分が分からなくて、発狂してたのかな〜と思います。

今、私の自我は、怒り狂っているので。

431麒麟:2014/11/13(木) 19:24:30
まきりんさん、皆様、こんばんはです。
この手の話題で感謝していただいたのは初めてで、びっくりしています。
大悟を目指すのは今は一休みですが、時期が来たら、気になるのかも…。

432麒麟:2014/11/13(木) 19:29:21
>>430
自我を見つめる私が自我の正体です。
観察している自分ですね。そのあとで、いいとか悪いと始まります。
実際に、怒ったり喜んだり自然にあって人間なのですが、それを改造しようとするのが、彼(彼女)ですね。

433麒麟:2014/11/13(木) 19:34:45
問題点はどのように、自我のいいとか悪いとかの活動を逃れていくのか。静めていくのか。
この何とかしようとしている自分自身が、何ともならない。
生まれたときから心に生きて生かされて、見られて、感じられて、それ以上、どこにも生きようがないと、それだけが今の、僕の理屈というか、思いになってます。

434慧空:2014/11/13(木) 20:07:43
麒麟さん、こんばんは。

>生まれたときから心に生きて生かされて、見られて、感じられて、それ以上、どこにも生きようがない

そうなんですよね。

どうにもならないと思ってどうにかしようとするのを諦めようとしても、それはそれで簡単ではないですし。
結局、あれこれと迷う自我に付き合わされることになってしまう。
それをそのまま放っておけば、いつまで経ってもそのままなんだということが改めて分かってくる。
それで、また仕方なく、自我の迷いをどうにかしようと模索を始める。

私自身も、こういうことを繰り返していました。
いま思うと、私はそのような手探りの試行錯誤の行程が苦しかったのですが、それをどことなく楽しんでいたんだと思いました。

435ひとやすみ:2014/11/13(木) 21:58:52
すい空さん、こんばんは( ・ε・)

『それをどことなく楽しんでいた』

それすごくわかります。自我とは別のドキドキワクワク成り行きを見守りつつゲームを楽しんでいるかのような視点があるような感覚

436慧空:2014/11/13(木) 22:10:27
ひとやすみさん、こんばんは。

そうなんです。
何事も常に多面性があって、苦しいばかりだと思っていても、
実はその陰にそれを楽しんでいる自分もいたりします。

ゲームが終わって楽しみというか、やり甲斐が無くなってしまった私ですが、
じゃあ、もう一度ゲームをやりますか?と問われると、もう勘弁と答えます。(^o^)

437ひとやすみ:2014/11/13(木) 22:24:06
私はどうだろう?『あぁ、なんだかこのゲーム飽きちゃたな〜』て思ったら自然に手放しされてしまうような気もします

438慧空:2014/11/13(木) 22:29:48
「飽きる」は、深い悟りに至る流れの一つのようです。

私自身も、もう本当に飽き飽きしてますから。(^o^)

439ひとやすみ:2014/11/13(木) 22:30:32
訂正 もうひとつの視点はドキドキワクワクはしてないかも。ニヤニヤ、或いはニコニコ見守るような感じかな

440ひとやすみ:2014/11/13(木) 22:35:07
そうなんですね。すい空さんはほんとに飽き飽きしたってなんか伝わってきます(;´∀`)

441ひとやすみ:2014/11/13(木) 22:43:28
そうだ。やっぱり私は相当に飽きてるんだな、と思います。だからできるだけ『生きること』に視点を向けさせて自我に刺激を与えるような生き方をしてきたのかもですね。

442慧空:2014/11/13(木) 23:05:31
>だからできるだけ『生きること』に視点を向けさせて自我に刺激を与えるような生き方をしてきたのかもですね。

それ、私にもあります。
二十歳のころに、すべてのことが無意味に感じられて、無気力になって生きていたくない、死にたいと思ったのですが、
自分には、自殺は簡単ではないと分かり、
その後は、どうせ生きていくしかないんだったら、できるだけ「生きてる」という実感が得られる生き方をしよう、
また、悔いの残らない生き方をしようと思っていきてきました。

443ひとやすみ:2014/11/13(木) 23:11:35
すい空さんはきっと『生ききった』んだと思います。

444まきりん:2014/11/14(金) 01:20:19
麒麟さん

川の流れのような美しい文章ですね。
朗読してもらいたいです^ ^

大悟についてなんですが、
目指すのは、やめました(笑)
大悟するのは、素晴らしいことだと勝手に思い込んでいました^^;

もちろん、大悟を目的に、ハートに集中するのもいいんだと思います。
自我がそうしたいだけですから。

いずれにしても、自我が導いてくれると思います。
そういう意味では、生かされていることと同じだと思います。

445佐藤:2014/11/14(金) 07:54:36
ご無沙汰しております
お元気でしょうか?
私は早速、都会モードに戻りました。^_^;

>そうだ。やっぱり私は相当に飽きてるんだな、と思います。だからできるだけ『生きること』に視点を向けさせて自我に刺激を与えるような生き方をしてきたのかもですね。

こないだお話した時もそれを言っておられましたよね。^_^
ひとやすみさん流の自覚だと思いました。

446ひとやすみ:2014/11/14(金) 09:44:40
佐藤さん、おはよございます♪
そうですね、そんなお話しもしましたね。私はメソッド的なものをあまりやったことがなくてできればやりたいことをやりながら自然に『それ』に至れれば、と思ってるのんびり派なのだと思います( ̄∇ ̄*)ゞ

それはそうと石垣島でお会いできてうれしかったです(^-^)/

私はまだまだこういう穏やかなエネルギーの人との出会いも楽しいので自我の次元にまだ飽ききってはないのでしょうがそれも良しですねv(^-^)v

447佐藤:2014/11/14(金) 18:56:05
>私はまだまだこういう穏やかなエネルギーの人との出会いも楽しいので自我の次元にまだ飽ききってはないのでしょうがそれも良しですねv(^-^)v

はい、石垣島は、本当に穏やかでした(^○^)
私というのは、環境に左右されるものなんだなと思いましたね笑

448佐藤:2014/11/14(金) 19:05:05
>それはそうと石垣島でお会いできてうれしかったです(^-^)/

私もお会いできて嬉しかったです。
縁ですね。(^○^)

あと余計なお世話ですが、石垣島でも北部に住まれても良いと思いました。街灯もなく、あんなに不便で人がいないの始めてでしたが、とても良かったです。

449ひとやすみ:2014/11/14(金) 19:49:07
そうですそうです。石垣島に住むなら北部が断然いいみたいです。南部はそれなりに都会ですからね

あ、それと人=環境と言ってもいいかな、とも思います(^-^)/

45021さい:2014/11/15(土) 06:48:40
何がなんだがわからなくなってきました・・・

解脱を目指しているのですがおそらく見性も真我第一段階の覚醒もしてません

単純にハートのコアを激しく激しく集中して意識していれば続けているうちに何か変化が訪れるのでしょうか

451慧空:2014/11/15(土) 09:39:01
21さいさん、おはようございます。

>何がなんだがわからなくなってきました・・・

分からなくて当然ですから、それでいいんですよ。
分かったと言う人は、間違いなく勘違いしてますし、危ういです。

>単純にハートのコアを激しく激しく集中して意識していれば続けているうちに何か変化が訪れるのでしょうか

21さいさんは、ハートにある私という感覚の中心は捉えられていますか?
それが捉えられているのでしたら、見性はもうしているはずですが、どうでしょう。
ただ問題なのは、ハートやその中心を実感することではないんです。
あくまでも、ハートにある私という感覚の中心を実感できているかということが問題なのです。

また、こんなことも言えます。
ハートにある私という感覚の中心を実感できるようになるためには、
その前提として、ハートがある程度開いている必要があるんです。
ハートがそれなりに開いてないと、ハートにある私を実感することはできないんです。

そして、こんなことも言えます。
ハートがある程度開いている人は、真我の第一段階の覚醒に近づいている人なのです。
ハートが開いているか否かは、ハートを実感できるかどうかや、ハートが共鳴するという感覚があるか等により、
割と簡単に確かめることができます。

ハートにある私という感覚の中心を捉えられているのでしたら、
ハートのコアに意識を集中していくことにより、真我の第一段階の覚醒に導かれると思います。
そして、さらにそれを続けられることにより、大悟に至ることができます。
大悟後は、ハートの自覚は使えないので、普通の自覚を使って解脱の悟りを目指すことになります。

45221さい:2014/11/15(土) 10:26:59
慧空さん おはようございます。今日もありがとうございます。

ちょっとわからないですね(^_^;)

ハートの実感と共鳴感覚について詳しく教えてください

すみません、、、

453慧空:2014/11/15(土) 11:49:02
21さいさん

厳しいようですが、21さいさんは、ハートがまだ開いておられない可能性が高いのではないかと思います。
ハートの感覚はあまり説明する必要はないんです。
ハートが開いてくれば、自ずと分かるものなのです。

21さいさんは、まだハートが開いておられないようなので、普通の自覚をやってください。

45421さい:2014/11/15(土) 12:26:12
慧空さん ありがとうございます

普通の自覚と平行してハートを意識しているんですが続けていけばいいのでしょうか?

そういえば最近自覚を知る前よりはみぞうちのあたりに何か感じます(感覚としては呼吸法で百会から吸ったり吐いたりしてる時の感覚がみぞうちに来てる感じです)

続けていけばハートの共鳴感覚がわかるようになってくるのでしょうか

また変化があったら書き込みさせていただきます。

今日もありがとうございました(^.^)

455佐藤:2014/11/15(土) 12:51:00
21さいさん>

普通の瞑想もされては如何でしょうか?
思いつきで申し訳ないですが^_^;

456慧空:2014/11/15(土) 12:52:59
21さいさん

>普通の自覚と平行してハートを意識しているんですが続けていけばいいのでしょうか?

はい、並行してやられても大丈夫だと思いますよ。

>そういえば最近自覚を知る前よりはみぞうちのあたりに何か感じます(感覚としては呼吸法で百会から吸ったり吐いたりしてる時の感覚がみぞうちに来てる感じです)

その感覚がハートに関係しているものなのかどうか、私にはよく分かりません。
ハートの中心の位置は、多くの方の場合、みぞおちの少し上だろうと思います。

まずは、普通の自覚が上手にできるようになることだと思います。
それまでは、あまりハートのことは気にされない方がいいのかも知れません。
がんばってください。

45721さい:2014/11/15(土) 13:18:56
佐藤さん

そういえば瞑想は今年からやり出して最初は全然出来なかったんですが8月か9月ごろに自分なりのアプローチ(禅問答のような感じで入っていくもの)を見つけてやっていたところ録音した声を逆再生した音みたいなのが聞こえてきて自分がエレベーターで上下されるような感覚を体験をして以来やってないですね

その瞑想でいいのでしょうか?

慧空さん

とりあえず平行して進めてみることにします。

苦しいですがなんとか続けてみたいです。

ありがとうございます。

458佐藤:2014/11/15(土) 13:45:35
もうやられてらっしゃるのですね
それであれば、ご自分の気に入った感じでやられたら良いと思います
瞑想された事が無かったりと思ったものですから^_^;

459麒麟:2014/11/15(土) 20:39:57
僕もハートで混乱したのでアドバイスになれば。
ラマナマハルシに興味があったころ、丁度、世界がトンネルの向こうにあると、自我が気づいた時です。
自覚、瞑想等は、続けていましたが、自分が落ちていなかった。

460慧空:2014/11/15(土) 20:47:07
>>459 麒麟さん、こんばんは。

また私の好奇心をそそられました。(^^)
お手数ですが、もう少し詳しく説明してくださいな。
もう少し詳しく説明してほしいと思っている人は、きっと沢山おられると思いますよ。(^^)

461麒麟:2014/11/15(土) 20:48:49
自分の立場、つまり眺めている自分が捨てられる必要があるのです。
ハートは直接的なので、これをやっている自分が落ちる必要があります。
座禅を僕も毎日一時間くらいは続けましたが、何かに掴まろとしていました。
そういった、あれこれ、つまり到達しようとする自己が落ちるときに、理解する己、つまり、ちえの中で、出会いがあります。
真我です。
見るものは見られるもの、それは素晴らしい感動と共に現れくる。
しかし、それでも、迷いは続きました。
握りしめ、分析している己自身を知ることで、段々と手放しの重要性が分かってくると思います。
放てばみてり、ですね。

462慧空:2014/11/15(土) 21:05:05
早速ありがとうございます。
すみませんが、少しお付き合いくださいな。

>ハートは直接的なので、これをやっている自分が落ちる必要があります。

「ハートは直接的」というところをもう少し説明してくださいませんか。
また、ハートが直接的だと、なぜ自分が落ちる必要があるのでしょうか。この点ももう少し説明して頂けるとありがたいです。

463麒麟:2014/11/15(土) 21:52:30
ハートは直接的というのは、目の前にある世界が、または頭や五感にある世界が向かい合って、ひとつのハートであるということです。なにもしなくても、そのままの自身が直接的にハートにいるわけです。
表現を変えれば、なにかする前に、到達する前に、元々あるのが、ハート、僕はこころの方がしっくりきますが、こころがある。
この心の有り様に、気がつくには、自身の観察、また努力、動こうとする性質が、静まることだと思いますが、、、
手段にして、静めてしまおうと自己が介入すると不可能でした。
まあ、僕はの話ですので、絶対そうだとは言えませんが、

464慧空:2014/11/15(土) 22:09:22
麒麟さん、どうもありがとうございます。
お陰で、私自身は麒麟さんが仰ることを大分理解できたように思います。

>表現を変えれば、なにかする前に、到達する前に、元々あるのが、ハート、僕はこころの方がしっくりきますが、こころがある。

私はこの言葉から「空」を連想しました。
麒麟さんは、「空」を理解しておられるんだと思いました。

46521さい:2014/11/16(日) 08:11:19
麒麟さんありがとうございます。

自覚は「私が」っていうフレーズで混乱してしまっている状況です。

466めがね:2014/11/16(日) 10:47:10
今の自分へのお題は
「何も求めず、逆らわず」これがしっくりきます。

ハートの共鳴やハートの核は解っていると思いますが、
そこを感じても私という感情は感じられません。

46721さい:2014/11/16(日) 16:14:53
掲示板のほうは今日で書き込み辞めさせていただきます。

心から皆さんアドバイスありがとうございましたm(._.)m

468慧空:2014/11/16(日) 19:30:47
21さいさん、また気が向いたら書いてくださいな。
待ってます。(^^)

469iphone6plus case:2014/11/16(日) 20:26:36
iphone6plus case
ケース
http://www.aao.org/careers/iphone6sale.html

470めがね:2014/11/16(日) 21:28:14
21さいさん
もうですか?どこからもうか分かりませんが(^^)
知る事は最大の喜びだと思います、気付きがきたら是非頑張った証に書き込みに来てきださいね(o^^o)

471まきりん:2014/11/17(月) 10:26:15
21さいさん

外の世界に意識を向けれたら、そうした方がいいと思いまーす*\(^o^)/*

本格的に内観するのは、20年くらい経ってからでも遅くないですよ〜 ^ ^
外を体験して違和感を感じたら、たまに内観してみるぐらいで、いいと思いまーす^ ^

そしたら、幸せも感じられるかもしれませんから☆

解脱の悟りは、きっと、そうせざる得ない状況にならないと、出来ないな〜と私は思うようになりました。
その状況も自ら選択している訳ですしね。

気が向いたら、また書き込みしにきてくださーい*\(^o^)/*

472まきりん:2014/11/17(月) 10:42:42
慧空さん

念のため確認させてください。

慧空さんが、「霊界があると分かる」
と仰っていましたが、

霊界や天界の存在については、
慧空さんの思考ですよね?

私も、霊界といわれているところはあるような気がしています。
あまり交流のなかった父方の祖父母が、見守ってくれているような気がしますので。
また、肉体のない意識体のようなものも私がいる同じ空間にいるような気はします。

しかし、私の自我が、「霊界」や「天界」に反応して、「そんなものはない」と怒ってるんです。
つまり、私の自我が、「霊界」「天界」も考えに過ぎないと主張しています。
私の自我は、ひとつひとつ、幻想であることを主張して、それで合ってることを認めてあげることで、自らの思い込みを手放していくようです。

473慧空:2014/11/17(月) 21:14:47
>>472 まきりんさん

霊界や天界のことはあまり気にされない方がいいかも知れませんよ。
それらのことを全く知らないまま、最後の解脱の悟りまで行かれる人はいるんだろうと思います。
そういう私自身も殆ど知らないまま最後まで到達してしまいました。

でもいい機会かも知れないので、霊界や天界のことについて私の理解というか、実感していることを少し書きますね。

まず、ハッキリとさせておきたい点は、すべてのことは考えであるということです。
この点は決して揺るがないのです。
ですから、霊界や天界も考えなのです。

しかしです。
ここがひとつ重要な点なのですが、考えであるという点では、私の肉体を含めたこの現実世界も考えなのです。
考えであるという点では、霊界も天界も現実世界も同等であり、変わりはないのです。
違いがあるとすると、いま現時点の私という自我の本拠地が現実世界であるということだけです。

生きてるうちは、私という自我の本拠地がこの現実世界であるという点については、納得しやすいと思います。
問題は、死んだらどうなるかというところだと思います。
要するに、霊界や天界等の死後の世界は存在するのかということです。

この点に関する私の理解というか実感として感じていることを書きますと、
霊界や天界等の死後の世界は、この現実世界と殆ど同じようなリアリティを持って存在しています、ということになります。

私は、過去世の記憶もありませんし、霊界や天界に対する実体験もありません。
ただ、一昨年暮れの明け渡し体験の直後から、どうやらこの現実世界と同じようにして霊界や天界がありそうだという理解というか感覚が生じるようにはなっていました。
でも、その感覚はとても曖昧なもので、確信的なものではなかったため、私は霊界や天界のことについて疑っているようなところもかなりありました。

その疑いは、二つの体験的理解により消えていき、どうやら霊界や天界等の死後の世界を含めた、輪廻というものがあるんだいう確信に変わっていきました。
その体験的理解の一つ目は、大悟した後に何度も経験した涅槃(完全な無我であり、気絶状態です)に落ちる体験に伴うものです。
具体的にどういう体験かと言いますと、大悟した状態、つまり「見るものは見られるもの」になり、自我である主体と、その対象である考え(客体)とが統合した状態で、
しかも、自我としっかりと捉えた状態で涅槃に落ちると、涅槃から自我に帰ってきた瞬間とその直後に、
私という自我である意識の連鎖現象とても鮮明に体験することができるのです。
つまり、私という存在がパッ、パッ、パッっと連鎖的に起こってくる考え(意識)そのものであるということが如実に体験できるのです。
私は、この体験により、私という存在の本質は意識の連鎖であり、この肉体の体験は、その連鎖の中で一時的に現れてくる考え(現象)に過ぎないのだと理解しました。
この意識の連鎖を止めないことには、仮に肉体が滅んでも、連鎖する考えの中身(現象)が変わるだけで、私という自我tの意識はそのまま続いていくんだということを理解したんです。
それで、霊界や天界等の死後の世界を含めた輪廻についても理解しました。

もう一つの体験的理解は、解脱の悟りを得た後のものです。
どういうものかと言いますと、私のブログにも書きましたが、解脱の悟りを得て確か4、5ヶ月ほどしたころに、自我の意識(正解には観照意識)が目覚めた状態のまま眠りに入っていくという体験を暫くの間、毎日のように体験したんです。
もう少し分かりやすく書きますと、意識が半分か何分の一の割合で目覚めた状態のまま眠りに入っていくんです。
すると、眠りに入るのに伴って、見えている世界(風景)が、この現実世界の風景(目をつむってますから普通に暗闇です)から眠りの世界の風景にスッと変わるのです。

私はこの体験から、現実世界と夢の世界の間に本質的な違いは何もないこと、
そして、夢の世界が死後の世界と殆ど違いがないこと、
また、眠りに落ちていくときの感覚は、死んでいくときの感覚と殆ど違いがないこと、を直感的かつ確信的に理解しました。

そういう訳で、私は、死後の世界は考えでありますが、この現実世界と同じように存在していると言うことにしているんです。

474慧空:2014/11/17(月) 21:16:48
上の文章、せっかくだからブログにも載せてしまおうと思います。(^^)

475まきりん:2014/11/18(火) 01:49:45
慧空さん

詳しく教えて頂きまして、ありがとうございます。

>霊界や天界のことはあまり気にされない方がいいかも知れませんよ。

霊界や天界について、興味はないのですが、
なぜか自我が反応して、怒っていました。
反応しなくなるまで、自我を観ていこうと思います。
私の場合、そうすることが、自我の思い込みを溶かすことになるのかなと思っています。

>ここがひとつ重要な点なのですが、考えであるという点では、私の肉体を含めたこの現実世界も考えなのです。
考えであるという点では、霊界も天界も現実世界も同等であり、変わりはないのです。

>霊界や天界等の死後の世界は、この現実世界と殆ど同じようなリアリティを持って存在しています、ということになります。

>そういう訳で、私は、死後の世界は考えでありますが、この現実世界と同じように存在していると言うことにしているんです。

「全てが考えであり幻想である」のに、誰かが何かに対して存在していると主張すると、私の自我は怒りを覚えるようです。
でも、慧空さんは、「全てが考えであり幻想である」ことが前提て仰っていることが、私の自我に伝わりましたので、自我がおとなしくなってきました(笑)

>つまり、私という存在がパッ、パッ、パッっと連鎖的に起こってくる考え(意識)そのものであるということが如実に体験できるのです。
私は、この体験により、私という存在の本質は意識の連鎖であり、この肉体の体験は、その連鎖の中で一時的に現れてくる考え(現象)に過ぎないのだと理解しました。

私は今世で、慧空さんが体感されたように体験して、解脱の悟りに至ることができるのか、私の自我にその意図があるのか分かりませんが、私の自我が、慧空さんの体験を通て、自我の成り立ちと消滅に至るまでの方法を私の自我が観せていることに、静かな喜びと驚きを感じています。
正直、びっくらこいてます(笑)

ありがとうございます。

476みどり:2014/11/18(火) 02:19:38
>>473慧空さんが眠りに入っていくのとは、反対に私の場合は眠りからさめる時にそうなります。目がパチパチと体は起きて目をつむったまま、夢の続きをみようとするんだけど、意識しすぎて、目を開けちゃいます。寝てるのと起きてる間くらいの少しだけ。
私は頻繁には、みませんけど。
あと、夢の中で感触があるのが2回くらいかな。

477まきりん:2014/11/18(火) 02:25:25
現実世界と死後の世界の関係性についても、慧空さんの体験を通して詳しく説明してくださり、ありがとうございます。
凄く分かりやすいです。

これについても、今後、私も慧空さんが体験したように体験して理解を深めていくのか、その体験をすることはないのか分かりませんが、
ひとつ確実に分かっていることは、
私が、同じような体験をしても、他人に上手く説明できないということです(爆)

それに、私の自我の消滅にあたり、必ずしも体験の必要のないものは、割愛されたり、他人の体験談を聴いて修了としているような気がしています。

478慧空:2014/11/18(火) 09:05:41
まきりんさん、おはようございます。
夜遅くまで起きておられるのですね。

>ひとつ確実に分かっていることは、
>私が、同じような体験をしても、他人に上手く説明できないということです(爆)

そんなことないと思いますよ。
私は表現したいとか、伝えたいという執着が強いだけです。(^^)
まきりんさんも、そのような執着が強く残るようなら、表現できると思いますよ。

>それに、私の自我の消滅にあたり、必ずしも体験の必要のないものは、割愛されたり、他人の体験談を聴いて修了としているような気がしています。

そうですね、具体的な体験の内容やそこから得る理解や感覚は、人それぞれだと思います。
大切なのは、自分の握りしめている考えに気がついて、それを手放していくことだけです。
この部分はみんな共通しています。

479慧空:2014/11/18(火) 09:10:01
>>476 みどりさん

自我が薄くなって観照意識がしっかりしてくると、そのような夢の中で自我が目覚めているという現象が起きてくるようです。

480めがね:2014/11/22(土) 11:17:37
彗空さん

私の体験談(見性後から大悟まで)(2)

の記事ありがとうございます。(^^)私の今そのままです。
この掲示板に書き込んでいる事を読んでいただいていると気付かれている
部分もあると思いますが最近は「迷惑をかける」に色んな角度で気付いています。
ちょっと違う部分に気付いたので質問させてください。
◎私は明け渡し以後、殆ど仕事が出来なくなっていたのですが、
これは彗空さん個人的なことなんですよね、佐藤さんと違うように感じるのでどう思われますか?!

固定観念が取れると仕事をしてもいいし、しなくてもいい、どっちでもいい。
選ぶと思うのですがその選択肢が仕事をできていた方なのに選択肢の幅が狭まる方だったからなのでしょうか
そして、さらに仕事が出来なくなりましたとあるのですがそれは選択したとゆうことですか?
お願いします。m(-_-)m

481めがね:2014/11/22(土) 11:34:44
私に場合は1年ほど前に「めんどくさい」の固定観念を外してから
軽やかに行動が出来るようになって、最近は無駄にやりすぎていたと
気付いた部分をぼけーっとする時間に変わっています。
でも仕事は普通にできています。(^^)

482慧空:2014/11/22(土) 12:22:20
めがねさん、

ご質問の件にお答えしますね。
深い悟りを得た人の日常がどうなるのかは、人それぞれなんだと思います。
行動等の選択肢の幅についてですが、大悟や解脱の悟りを得た人の場合、選択肢の幅はとても狭いのです。
特に、解脱の悟りを得た人の場合では選択肢の幅は本人が感じている以上に狭まっているのではないかと思ったりしています。
選択肢の幅が狭いということは、自我がどうあがこうが、結果としては起こってくる展開に身を委ねるしかないということです。
つまり、解脱の悟りやそれに近い悟りを得た人は、概ね残りカルマが起こす展開の流れに沿ってしか生きられないということです。
残りカルマの内容は人それぞれですから、解脱した人の残りの人生も人それぞれなのです。

佐藤さんの場合は、まだ仕事を続けるという残りカルマがあるのだと思います。
これに対し、私の場合は、いまのところ、どうやら仕事に関するカルマは残っていないように感じています。
これから先、意外な展開が起きてくる可能性もあるとは思っていますが、いまはそう感じています。

私(慧空)は、明け渡しの直後から殆ど仕事ができなくなっていたので、どうしてなのかと思われるかも知れません。
自分でもよくは分からないのですが、おそらく、明け渡しが起こったときに既に、仕事に関するカルマが殆ど残っていなかったのだろうと思っています。
私の明け渡しは、自分でも意外なほど深かったようで、いろいろな考えの手放しが一度に起きたようなのです。
そのため、私は明け渡しの前後で人格まで大きく変わってしまいました。

483めがね:2014/11/22(土) 14:14:46
彗空さん
いつも解り易く教えていただきありがとうございます。<(_ _*)>

選択肢が減って残りカルマが起こす展開の流れに沿ってしか
生きられないんですね、彗空さんにはそれが早い段階で仕事に対して
起こってきたとゆうことですね、解りました。ありがとうございます。

484ユウ:2014/11/22(土) 15:01:13
めがねさん、こんにちは。

>ぼけーっとする時間に変わっています。
私もちょっと時間があると”何かしないと時間がもったいない”と、
変に焦って動いていたように思います。
今はのんびりする時間を楽しめるようになってきました。(^^)

485佐藤:2014/11/22(土) 16:10:47
>佐藤さんの場合は、まだ仕事を続けるという残りカルマがあるのだと思います。

何度も仕事は手放ししましたけど、展開として続いています。

ただ、どうでもいい 仕方ない状態になってきているので、常識から外れた行動が多いし、頑張れないです。

会議は出ないし、席にはいないし、仕事も1日3個が限度、残業は多くて1日30分、食堂で数時間ボーッとする事も多いです。冷静に考えると上記の状態でも仕事の成果や評価(アウトプット)は以前と変わらないことに気がつき始めてます。おそらく人間関係は悪化してますが、会話も面倒くさいので楽だったりします^_^;



>今はのんびりする時間を楽しめるようになってきました。(^^)

何か変わってこられたんですね(^○^)

486佐藤:2014/11/22(土) 16:17:31
まとめると、社会でちゃんと生きるのを手放すのはオススメです。(^○^)

487ユウ:2014/11/22(土) 16:59:31
佐藤さん

私の中ではかなりの変化だと思っています。
主人にはその変化が伝わっているか分かりませんが。笑
”価値観は人それぞれ”と歩み寄るようにしています。

488めがね:2014/11/22(土) 17:44:11
佐藤さん
◎会議は出ないし、席にはいないし、食堂で数時間ボーッとする事も多いです。

この状態でクビにならないのに驚きましたw( ̄Д ̄;)wワオッ!!

ユウさん
いい感じに変わってきてるんですね(^∇^)

489みどり:2014/11/22(土) 18:00:39
>>482慧空さん、
私は、選択肢がないと思います。

490慧空:2014/11/22(土) 19:48:05
みどりさん、
選択肢がないことがポイントじゃなくて、
一切の考えを掴まなくなったかどうかがポイントなんです。

491みどり:2014/11/22(土) 20:02:00
ああ、そーですか。

492佐藤:2014/11/22(土) 21:33:03
>私の中ではかなりの変化だと思っています。

私も大分お変わりになったと感じます。(^○^)

>この状態でクビにならないのに驚きましたw( ̄Д ̄;)wワオッ!!

アウトプット出してれば意外と大丈夫なんです^_^;

493ユウ:2014/11/22(土) 21:56:20
佐藤さん

>私も大分お変わりになったと感じます。
佐藤さんには変化が分かるんですね。私の気持ちが随分軽くなってます。(^○^)

494めがね:2014/11/22(土) 22:04:32
佐藤さん
真面目な話、原因と結果の関係は成り立たないのでしょうか?!
頑張ったから眼鏡が売れると思っていましたが今はそこまでは思いません。しかし売れると思っていたら売れるのでしょうか?

495佐藤:2014/11/23(日) 06:27:29
>真面目な話、原因と結果の関係は成り立たないのでしょうか?!

うーん そういった事は面倒くさいので考えたくても考えられないですね。。^_^; フローでお任せしょちゃう事が多いです。

>頑張ったから眼鏡が売れると思っていましたが今はそこまでは思いません。しかし売れると思っていたら売れるのでしょうか?

どちらも未来の事なので確証はないと思います。(^○^)
ただ、天界の悟りのような感じですが、純粋な気持ち(ハート系?)で接すると客はコロっとなってしまうのではないでしょうか?

496めがね:2014/11/23(日) 07:18:49
おはようございます(^^)
そうですか、何か気づかれてるのかなと、チョッピリ期待しちゃいました!今はお客さんのを楽しませよう役に立てたらイイなとゆう気持ちで自分が楽しんでいるのが一番かなとやっています、横道ズレました(^^;;
ありがとうございました(^○^)

497ユウ:2014/11/23(日) 07:21:01
佐藤さん、おはようございます。

>面倒くさいので考えたくても考えられない
私にはどこかで聞いたような、誰かに言われたようなセリフです。苦笑

佐藤さんの現状が見えてきました。(^^)

498佐藤:2014/11/23(日) 08:24:53
>今はお客さんのを楽しませよう役に立てたらイイなとゆう気持ちで自分が楽しんでいるのが一番かなとやっています

それが理想だと思います(^○^)

499佐藤:2014/11/23(日) 15:40:42
>”価値観は人それぞれ”と歩み寄るようにしています。

今更ですが、とても良い考えだと思いました。

500ユウ:2014/11/23(日) 15:58:40
佐藤さん

でもこの思いに行き着くまでには、相当イライラしたんですよ…。
イライラしているのに疲れてしまって…。苦渋の選択です。^_^;

501佐藤:2014/11/23(日) 16:01:09
>苦渋の選択です。^_^;

素晴らしい! ^_^

502(21・ω・さい):2014/12/03(水) 11:03:58
慧空さんの過去記事を見ていて気になったのですが生まれ変わりはニーチェの永劫回帰的なことがおこってまた今の自分になる感じなんですかね?
死後の世界では想ったことが何でも直ぐに実現した。そこで肩を叩かれて現実世界にまた生まれた。と言っている人がたくさんいますけどそれが各々に必要な時間を過ごす場所的な感じなんでしょうかね

503慧空:2014/12/03(水) 13:32:29
21さいさん
ニーチェの永劫回帰については、それがどういうものなのか、私はよく知らないのです。

死後の世界が具体的にどんな世界なのかということも、私は知らないのです。
私に分かるのは、死後の世界がこの現実世界と同じようなリアリティで存在しているのだろうということだけです。

504(21・ω・さい):2014/12/03(水) 15:31:07
わざわざ変な質問に答えていただいてありがとうございますm(._.)m

505いぬのたまご:2014/12/04(木) 17:40:45
まとまったお金が欲しい人はこちらへ

http://www.fc-business.net/qgesw/

506佐藤:2014/12/19(金) 19:55:41
みどりさんの「理想を追い求めたけど、裏切られ続ける」というのは結構気にいっております。

507みどり:2014/12/19(金) 20:41:22
佐藤さん、こんばんは。

私には、裏切られるという観念は、ありません。

理想もどっかいっちゃいました。

508佐藤:2014/12/19(金) 20:48:42
チェックされてたんですね。

どこかに行かれたのかなと思ってました。

509みどり:2014/12/19(金) 20:53:06
おとなしいですが、

見てます。(*^^*)

510佐藤正:2014/12/28(日) 00:05:07
 売れようと思っても売れませんよ!

 売れようと感じたら売れますから。

511ベリアル:2014/12/30(火) 19:54:51
 理想を追い続けて、本当にどこかに行ったの?

自己の特別性を求めていない?

512新田:2014/12/31(水) 10:05:13
なるほどただ思考でイメージしても、五感が伴わないと現実化しないということですね!

 佐藤正さん、ありがとうございます。

513空我:2015/01/02(金) 21:29:54
 深いですな。佐藤さん密教でブロック解放ですか?

思考に片寄りすぎず五感を使う。小欲から大欲に向かう空海の道ですか。松永先生の下で修行されたそうですね。

514なか:2015/01/02(金) 21:50:31
 空海は因縁解脱を修法するそうですが?実際に埼玉に凄い密教僧侶がいて難病も治しています。
まず問題と感じるこだわりを解消してから、悟りに向かうのが密教ですか?

515佐藤正:2015/01/02(金) 22:44:19
 そうです。言葉で表現できないものを意、印、真言で感じますから。

516リアル:2015/01/04(日) 22:44:46
 密教でブロック解放ですか?

517佐藤正:2015/01/05(月) 00:10:14
 考えず、体験して感じてください。

518コン:2015/01/09(金) 16:13:41
 肉体がある以上ご飯たべなきゃならないし、住宅費もかかる!
生活の物理的な心配は仙人にならなるか、経済的に余裕がないと。
悟りだけで救われます?

519慧空:2015/01/09(金) 20:55:45
>>518

>悟りだけで救われます?

私にはもう救いなんてどうでもいいのですが、少し書かせていただきますね。

解脱の悟り至り、何も考えを握らなくなると、悟りだけで救われます。
何も考えを握らなくなると、自我が限りなく薄くなるので、自我の意志行使も範囲も極端に狭まります。
そうなれば、基本的に残りカルマが起こす展開に従うだけになります。
自分や自分の周りがどうなろうと、流れに任せるままです。
どんな悲惨なことが起きようと、どこでどう野垂れ死のうとなるようになれです。
そこには、将来に対する心配なんて欠片もありません。
解脱の悟りに至った人の中には、至った当初はジタバタとあがく人もいるかも知れませんが、
そのうち、どうしようもないことを理解し、流れに任せるようになるのだと思います。
私はもう、流れに任せてしまっています。
また、何も考えを握りませんから(もう握ることもできないのです)、何が起ころうと、すべてのことはサラサラと流れさっていきます。
どんな苦しみも、痛みも、流れ去っていくのです。
何も引き摺りませんから、後悔も反省もありません。
ただただ、残りカルマを消費し、消えていくだけなのです。

520:2015/01/12(月) 04:02:51
慧空さん、皆様はじめまして

カルマとは映し出された出来事そのもので
悟りとはその出来事に方向無く不可分に全てが溶け込んだ状態と
捉えました。

お聞きしたいのですが何故、カルマが生じるのかまたそれに終わりが来るのかは
あずかり知らぬもの・・・知る理由の無いものということでしょうか?
何かが生じていることがカルマなのでしょうか?

今書いていてふと浮かんだのは
何故生じたかは分からないが終わりが来るものがカルマといわれるもの
という言葉でした。

521慧空:2015/01/12(月) 21:27:48
宗さん

>悟りとはその出来事に方向無く不可分に全てが溶け込んだ状態と

解脱の悟りのことをそのように捉えられたのでしたら、それは違うのです。
大悟や天界の悟り(小悟)なら、何らかの言葉や概念を使って理解したり、捉えることも可能なのですが、
解脱の悟りについては、そうはいかないのです。
敢えて表現すると、何も考えを掴まなくなることです。
何も考えを掴まなくなることですから、考えを使って表現することができないのです。

それに、「悟りとはその出来事に方向無く不可分に全てが溶け込んだ状態」という表現だと、
解脱の悟りを得なくとても、天界の悟りを得た方の中にも、これに近い心境になっておられる方はおられるだろうと思います。
ですから、状態で悟りの深さを判別することもなかなか困難なのです。

>お聞きしたいのですが何故、カルマが生じるのかまたそれに終わりが来るのかは
>あずかり知らぬもの・・・知る理由の無いものということでしょうか?
>何かが生じていることがカルマなのでしょうか?

念のため申し上げておきますと、カルマも考えであり、私という存在を理解するための方便に過ぎないということです。
「カルマ」という何か絶対的な実体がある訳ではないのです。
カルマという考えを使って私という存在を解釈すると、理解しやすい側面があるというだけのことなのです。

カルマに関する私の解釈(理解)はこうです。
私という存在は、断続的かつ連鎖的に起こってくる考え(意識)であり、
カルマとは、その私という存在(意識)を誘起させる種である。
また、少し違った角度からの解釈だとこうなります。
カルマとは、私という自我が握り締めた考え(執着)である。

私という存在は、既に形成されたカルマ(種)によって連鎖的に引き起こされて考えなのです。
そして、古いカルマを消費しながら、誘起された考えによって新たな執着(カルマ)をつくり出しているのです。
私という存在は、延々と続く自転車操業の繰り返しなのです。

おそらく、私という存在(意識)の最初は、私という意識とその種である最初のカルマが同時に生成されたのです。
その最初の意識(考え)やカルマがどんなものであったのか、正直なところ、私にもよく分からないのですが、
ひょっとしたら、「あっ!」という感じの軽い衝撃を伴った何らかの気づきのようなものだったんじゃないかと思っています。
どうしてなのか自分でもよく分からないのですが、何となく、そんな気がするんです。

しかしまあ、これだけは断言できます。
なぜ私という存在が生じたのかについては、誰であっても絶対に分からないことです。
それと、私という存在が終わった後どうなるかについても誰も分からないことです。
私が生じる前のことや、私が終わった後のことについて、誰かの話を聞くことは不可能ですから。

私になんとなく分かるのは、私という存在には、どうやら始まりと終わりがあるようだということくらいです。
それと、私という存在が終わったときは、一切の考えが起こってこない涅槃に入るのだろうなと何となく思うことくらいです。

522:2015/01/13(火) 00:51:53
慧空さん

丁寧なご返信ありがとうございます。
大悟、天界の悟り(小悟)、解脱の悟り等の言葉による
悟りの段階表現が実感として馴染んでおりませんので
正しく受け取れているかはわかりませんが
この状態なき状態、状況を言語化、文字化していくのは
とても困難というかぴったりしたものが出てこないものです。
画面に書き出された言葉に反応する何かを感じそれがどこに
響き収まっていくのかを楽しみたいと思います。
ぴったりする言葉を探し出すというのは私を探し出すより困難かもしれません。

カルマに関しましてはビッグバン的とでも2つに分かれたものの
際限の無い組み合わせとでも言えましょうか、
陰陽だったり膨張と収縮だったりある種の宇宙論的に理解できます。
このビッグバン以前や瞬間を表現することは私には出来そうもないのですが
又誰かがうまいこと言ってくれる事で多くの人にイメージしやすいもの
になっていくのでしょうね。
それが科学という言葉だったりアスリートのパフォーマンスだったり
猫のあくびだったりするのかもしれません。
どこにでもあって常に生じ滅されてある瞬間にふと見出す掬い上げる。

HPも見させていただきますね。

523麒麟:2015/01/15(木) 00:39:36
慧空さん、みなさん、お久しぶりです。
ここでひとつ新しい方向に転換できて来ました。
僕の握っていた縁起、法、の一体の中にあるという不ニの考えへの囚われが少しだけ解ける方向性が見えました。
同時に徹底的に考えを手放していくということだという理解も芽生えてきました。
自覚(禅定、瞑想)等々が、悟るためにあるのではない。
自覚がすべてで、悟りはオマケみたいなものだったんだなあと。
それを悟りが訪れた時に掴んでしまったので、苦から救われないでいた。
煩悩と現実の狭間で、縁起の中で、どのように在るか日々、瞬間に問われている。
手放し、手放し。
これしかやることがないということで、やっと決まってきたようです。
努力する前にある、自然なるそこは、みんな平等ですが、そこに帰着する努力は必要でした。
そこに至れないけれども、至ろうとする、その行いが救うのだろう。
ですから理解を掴むのではなく、悟ってしまうのでもなく、ただ手放しなのでしょうね。
生きている限りは、ずっとでしょう。

524慧空:2015/01/15(木) 07:46:26
麒麟さん、お久しぶりです。

>自覚がすべてで、悟りはオマケみたいなものだったんだなあと。

おお、いいですねー。
そうなんです、悟りも過ぎ去っていくものなんです。(^^)

525ひろみ:2015/01/15(木) 12:52:11
 最近Kanさんという仙人におあいしました。いわゆる肉体の拘束から解脱した悟りも存在するようですが?

526慧空:2015/01/15(木) 13:26:48
ひろみさん

>肉体の拘束から解脱した悟り

解脱には複数の捉え方があります。
確かにそのような解脱もあるようでして、私もそのような話しを聞いたことがあります。
しかし、その解脱は、お釈迦さまが言った解脱とは違うのです。
お釈迦さまが言った解脱は、一切の考えが消失することなのです。

仙道の方々について厳しいことを言いますと、彼らはまだ深い迷い中なのです。
彼らはまだ、良い悪い等の多くの二元的な考えを掴んでいるのです。
多くの場合、彼らにその自覚はないのでしょうが。

527海と波:2015/01/15(木) 18:51:39
tkさんという方が、
0系と1系の解脱があるって言ってましたね。
うまい事言うなあと感心しました。

528海と波:2015/01/15(木) 18:55:19
はじめまして

を忘れてました。

私もkanさん興味あります。
如何でしたか?

529慧空:2015/01/15(木) 19:27:57
海と波さん、はじめまして

海と波さんは、tkさんをご存知なんですね。
私もtkさんのその0系と1系の話しをネットで読んだことがあります。
ただし、お釈迦さまの解脱はtkさんの言う0系の解脱に対応しているのでしょうが、
彼の0系の解脱の理解にはノイズや誤解が入っていて、お釈迦さまの解脱との間には大分乖離があったように思っています。
彼の言う0系の解脱は、まだ1系の解脱の範疇なのです。

530海と波:2015/01/15(木) 19:56:20
>彼の0系の解脱の理解

ごめんなさい。
ふっておいて何ですが、
内容を忘れてしまいました。



>お釈迦さま

思わず、お釈迦さんでも良い気がいたしました。

531慧空:2015/01/15(木) 20:35:36
海と波さん

私もあまりいい加減なことは言えないと思って、tkさんのその話しをどこで読んだのかと思い、
ネットを少し探してみたのですが、見つかりませんでした。
上の私の発言は、いい加減かも知れません、保留にしてくださいな。(^o^)
ただ、ひとつ、tkさんの言葉としてハッキリと覚えていることがありまして、
彼は、「在る」と言っていたのです。
お釈迦さんの解脱を知っているなら、「在る」という言葉は出て来るはずがないのです。

>思わず、お釈迦さんでも良い気がいたしました。

そうですね、実は私も、これまでの流れで「お釈迦さま」と書いてきましたが、
ずっと違和感を感じていました。
もうやめます。
お釈迦さんと呼ぶことにします。(^^)

532まる:2015/01/15(木) 20:56:21
 麒麟さん、ありがとうございます。合掌

533慧空:2015/01/16(金) 22:06:44
そうだ、麒麟さん、

ハートの自覚ワーク(http://blog.goo.ne.jp/suiku2013/e/b5888c51eaefbd59be3e089dc6885f3a
をやってみてくださいな。

534NOA:2015/01/18(日) 21:56:42
ゾクチェンの悟りについて

 あまり、情報が流れていませんが、ゾクチェンは、自己解脱の道
と言われており、4段階の悟りがあるそうです。これについて、
ご意見を伺えればと思います。4段階とは、

1、自己の本性の悟り
2、存在の本性の悟り
3、1と2が同一であるという悟り
4、虹の体の悟り(髪の毛と爪を残して消え去る)

と言われています。慧空さんが書かれている4段階にも
似ているようにも見えます。手法としては、自己の
本性に留まり続けることだけが、基本的な手法とされて
いますので、それも、自覚に近いのかな?と思っています。

質問は、以下です。

・4段階目の悟りは、輪廻からの解脱するといういことで
すが、ここで、なぜか、違和感のある虹の体を得てどの世界
にも、自由に現れることができるようになるとの表現が出て
きます。これは、最終的な解脱と解釈できる可能性はあるので
しょうか?

・ゾクチェンの基本手法は、自己の本性に留まり続けることと
言われていますが、チベット密教と関わりが深いためか、自己の
本性の悟りが現れ易くするために、マントラや観想、エネルギー
ワークが用意されています。これは、補助として機能しそうで
しょうか?

抽象的で分かりにくい質問となりますが、よろしく、お願いします。

535慧空:2015/01/18(日) 23:55:54
NOAさん

面白い情報を提供くださり、ありがとうございます。
ただ、初めに申し上げておきますと、私は解脱に向けて縦に進んで行く悟りのルートについては、
それなりに知っているつもりなのですが、密教や仙道等の斜めというか、横方向に展開していく
ルートについては殆ど知らないのです。
ゾクチェンのことも、全く知らないのです。

それでも、面白く、興味はありますので(情報をもっと教えてもらいたい程です、笑)、
私の分かることや、知っていることを書かせていただきますね。

ゾクチェンのことはまったく知らないのですが、上で書かれている四段階は、
おそらく間違い無く、仙道の段階と同じだろうと思います(たぶん、密教も同じだろうと思います)。
要するに、彼らが目指すのは、肉体解脱なのです。
これは、お釈迦さんが言った解脱とはまったく別ものなのです。
肉体解脱をすると、何万年というスケールで存在し続けるそうですが、間違い無く寿命は来るのです。
寿命がくると、どういうルートを経るのかは分かりませんが、結局のところ、またこの現実世界に生まれてくるのです。

>1、自己の本性の悟り
>2、存在の本性の悟り
>3、1と2が同一であるという悟り
>4、虹の体の悟り(髪の毛と爪を残して消え去る)

1は、自覚でしょうね。
でも、2が何なのかよく分かりません(ひょっとすると真我なのか?)。
2が分からないので、3もよく分かりません。
4についてもよくは分からないのですが、これについては少し聞いた話があります。
知り合いの知り合いの師匠が仙人だったそうで、その仙人は肉体解脱したんだそうです。
その知り合いは、確か、師匠が肉体解脱するところを間近で見たととのことでした。

>・4段階目の悟りは、輪廻からの解脱するといういことで
すが、ここで、なぜか、違和感のある虹の体を得てどの世界
にも、自由に現れることができるようになるとの表現が出て
きます。これは、最終的な解脱と解釈できる可能性はあるので
しょうか?

このご質問については、上で書いた通りでして、お釈迦さんの言う解脱とは全く別もので、
輪廻からの解脱には到底至らないと思います。
なぜなら、存在がしっかりと継続している訳ですから。

>・ゾクチェンの基本手法は、自己の本性に留まり続けることと
言われていますが、チベット密教と関わりが深いためか、自己の
本性の悟りが現れ易くするために、マントラや観想、エネルギー
ワークが用意されています。これは、補助として機能しそうで
しょうか?

解脱に向かうルートの場合は、握り締めた考えを手放していき、それに伴って自我も薄くなっていき、
自我が極限まで薄くなると解脱の悟りとなるのですが、
この道(仙道?)の場合、おそらく、私という自我の厚みをある一定のレベルで維持しつつ、
意識の集中や調整を進めていくのだろうと思います。
でも、私にはその程度のことしか分かりません。
マントラや観想、エネルギーワークがどう作用するのかも分かりません。

ただ、私という存在を続けることに対して、そうとう強い執着を感じますので、
相当深い迷いの中にあることは間違いないと思います。
何しろ、そこには、肉体や肉体の死を超越して存在し続けたいという相当に強い意志(執着)がありますから。

余りお力になれませんで、すみません。
また他に何かありましたら、遠慮なくコメント頂きたいと思います。
面白い情報も大歓迎です。(^^)

536NOA:2015/01/19(月) 21:44:36
早速のコメントありがとうございます。

自分自身、小さなころから、死による意識の消滅を思うと、
死ぬほど?恐怖を感じることがあります。あまりの恐怖と
絶望感のため、夜中に、叫ばざるを得ないこともありました。

そういう意味で、自分は、普通よりもはるかに深い自我への
執着があるんだなと思います。なんなんでしょうね?これは。

537慧空:2015/01/19(月) 22:04:44
NOAさん

おそらく、この現実世界にいる人の大半の人は、死が恐いのだろうと思います。
それが普通なんだと思います。

私自身のことを言いますと、私は悟る前から死がそれほど恐くはなかったのです。
死に憧れ、自殺願望もありましたし(笑)。
試しにやってみようとしたこともありますが、やっぱり恐くて出来ませんでした(笑)。
明け渡しを経験した後は、死ぬことに対する恐怖は全くと言っていいほど無くなりました。
存在が消滅することに対する恐怖も全くないです。
むしろ、いま直ぐにでも消滅したいくらいです(笑)。

このように、私は、おそらく生まれながらのところがあるのだろうとは思いますが、
死ぬことや、存在が消滅することに対する恐怖がもともと薄かったのです。
ひょっとすると、このような消滅することに対する恐怖心の薄さは、
今世で私が解脱の悟りを得るようになったことと何か関係があるのかも知れないと思っています。

538めがね:2015/01/20(火) 22:15:10
最近ハートの核が気になって気になって、
朝起きるとハートに違和感が強くてほぼ1日中ハートが気になります。
徐々に進んで行くもんなんですね

539慧空:2015/01/20(火) 22:20:38
ああ、めがねさん、お久しぶりです(^^)/

>最近ハートの核が気になって気になって、
>朝起きるとハートに違和感が強くてほぼ1日中ハートが気になります。

なるほど、いいですねー^^
私も最初、ハートを意識し始めたときはそんな感じでした。
自然というか、無性にハートに意識がいくようになり、
それが段々と強く激しくハートに意識がいくようになっていき、
最後は、燃えるような勢いでハートに意識を集中するようになりました。

540めがね:2015/01/20(火) 23:02:44
お久しぶりです(^^)
こんな感じだったんですね、
ありがとうございます!
今もハートの核が気になって、外側の現象には感情はないといつも思います。変な感じです(^^)

541ベルゼバブの息子:2015/01/30(金) 09:02:18
自称大悟者って、やはり多いですね(笑)

 捕らわれを見せないように、両論並記の表現しても、なぜ解るんですか?

 解脱者だからですか?

542慧空:2015/01/30(金) 11:18:35
>ベルゼバブの息子

なぜ分かるのかは、おそらく、私自身が何も考えを握りしめてないからです。
何か考えを握りしめている人の言葉や文章を読むと、その人が考えを握りしめていることや、
場合によっては、どういう考えを握りしめているのかが分かるのです(正確には、分かるときがあるというべきでしょうか、笑)。

また、考えを握るのは自我(エゴ)がやることですから、言葉や文章の雰囲気からエゴの雰囲気を感じるのです。
コリコリとしたしこりのようなものや、慢の雰囲気を感じるのです。

543慧空:2015/01/30(金) 11:19:39
すみません、お名前に「さん」を付けるのを忘れてしまいました。

544めがね:2015/02/05(木) 13:19:03
慧空さん皆さん
http://youpouch.com/2013/11/18/142880/

ご存知かもしれませんが皆さんも上記の文章ではなく動画をご覧ください。
この結果を信じるならば見ている物が見ていない時とは同じ物では無い事が
証明されているようです。

見ている物や風景のカラーですが
眼鏡屋的には目の奥にある網膜に色を感知する「錐体細胞」
長波長(赤)、中波長(緑)、短波長(青)の3種類があり
例えば長波長(赤)、中波長(緑)、を均等に刺激するエネルギーが
眼に入ってきてその刺激が大脳へ運ばれ「黄色」と認識します。
黄色を直接感知しているわけではなく脳の中で作っているんです。
この事からも見たままの色が有るかどうか解らなくなりますね。

有るとは断言できないとは思っていますが
なかなか・・・(^^)

545めがね:2015/02/05(木) 13:28:10
そうそう、ブラウン管TVだった頃は3色のカラーの光の組み合わせを
みて、同じように黄色だと錯覚していたんですよね。

546めがね:2015/02/05(木) 13:54:42
今の私の疑問は本当に目の前に有るように見える空間は
本当にあるのかって、たまに考えてます。普通の人から見たらいかれてますね(^^)

547慧空:2015/02/05(木) 14:50:00
めがねさん、こんにちは。

上の動画、観ました。
上の動画で言っていることは、
まずは、一つ目の現象として、一つの電子銃から電子が一個ずつ、左右に並んだ二つのスリットがあるスリット板に向けて放たれたとき、
電子は1個ずつ打ち出されているはずなのに、スリット板の先のスクリーには、多数の干渉縞ができると言っていて。
次に二つ目の現象として、今度は、その様子を観察者が観察しながら、同じ実験を行うと、同じ条件で実験を行っているのにかかわらず、
スクリーンには、多数の干渉縞が生じず、二本の縦縞ができるだけだったと言っているのだと思います。
つまり、この動画をつくった人は、人が観ているときと、見てないときとで、電子銃から放たれた電子の振る舞いが変化していると言いたいようです。

実は、私はこの分野のことは結構知っているのです。
結論から言いまして、上の動画で示された実験は、実験の精度や条件の調節の仕方が甘いのです。
動画の中の1回目の実験の結果(スクリーンに多数の干渉縞が出来る)は、それはそれで正しいのですが、
二回目の実験のやり方が本質的に間違っているのと、その実験結果の解釈の仕方も間違っているのです。

どういうことかと言いますと、
電子は粒子性と波動性の両方の性質を持っているのですが、どちらかと言うと、もともと波動性よりも粒子性の特性が強く、
波動性についてはとても繊細で崩れやすいのです。
その一方、二回目の実験で、電子銃から放たれた電子の軌跡(つまり、電子が左右どちらのスリットを通ったのか)が分かる程度に、
それを観測しようとすると、重さの軽い電子によってはとっても強力な光を当てて、その光の反射等の状態からその電子の軌跡を観測することになります。
すると、電子の軌跡を観測するために電子に当てた観測用の光の影響により、電子の波動性が壊れてしまうのです。
その結果、電子の粒子的な特性が優位となり、二本の干渉縞しか生じなくなってしまうのです。

つまり、二つ目の実験で、スクリーンに多数の干渉縞が生じなかったのは、
実験中に、観察者が観測を行ったことそれ自体の影響ではなく、飛行中の電子に当てた観測用の光の影響なのです。
だから、二つ目の実験で、そのような干渉縞が生じなかったのは当たり前なのです。
電子の場合、その質量が軽いので、その飛行中の波動性を崩さずに、その振る舞いを観測することは、おそらく不可能だろうと思います。
これは、電子に限らず、他の微細な光の粒である光子にも言えることで、波動性を崩さずに、その粒子の飛行中の振る舞いを観測するのは、そもそものところ、不可能なのです。

548慧空:2015/02/05(木) 15:00:40
>今の私の疑問は本当に目の前に有るように見える空間は
本当にあるのかって、たまに考えてます。

私は、高校生くらいのころからそういうことをよく考えていました。(^o^)
本当にあるのか無いのか、どっちなのでしょうね。

高校生のときに出した結論は、目の前の空間はあるのだろうけど、本当にそれがあると証明するのは不可能だというものでした。
現在の私の結論は、基本、それは分からないというものですが、
どうやら、空間はあるように見えているだけで、本当はあるのではなく、空間があるという意識が起こっているだけなのだろうと思っています。

549めがね:2015/02/05(木) 16:01:20
慧空さん
こんにちは(^^)

凄いです、547での文章、頭が下がります。
解説までしていただいてむちゃくちゃ詳しいですね♪
教えてくださってありがとうございます。

>>私は、高校生くらいのころからそういうことをよく考えていました

時期が早すぎです(笑)でも考える方がいることだけでも嬉しいです。


>>空間があるという意識が起こっているだけなのだろうと思っています。

私は空間はなく最近の3D-VRゴーグルの様な感じなのかな〜って思ってました。

550慧空:2015/02/05(木) 19:26:59
めがねさん

凄くないです。
大学の専門が物理だったんです。
それだけのことです。

>私は空間はなく最近の3D-VRゴーグルの様な感じなのかな〜って思ってました。

なるほどです^^

551麒麟:2015/02/06(金) 05:13:29
おはようございます。
ハートの自覚、少しだけやってみましたが今はやる気がでないです。
恐怖心と安心感が同居するような不思議な感覚になりますね。
世界認識については、よく分からないのですが、僕は現実世界は存在していると思います。
リアルに!
認識能力ということでは、意識精度が向上すると見えなかったものが見えたり、聞こえなかった音が聞こえたりしますが、これは、明らかに自分が作ったものではないです。
世界の側から、仏教的に言えば法の方からある。
人間の識別能力には限りがあるので、それ以上のことはわからないのかもしれません。
しかし興味深いです。
こういったテーマは、悟りとは別にして気になりますね。
夢の世界や現実世界が首ねっこの後ろから派生しているような感覚がすることがあります。
大悟はまだありません、笑

552慧空:2015/02/06(金) 08:05:27
麒麟さん、おはようございます。

>ハートの自覚、少しだけやってみましたが今はやる気がでないです。

了解しました。

>恐怖心と安心感が同居するような不思議な感覚になりますね。

その恐怖心、安心感は違うのです。
ハートの中心に強烈に集中せざるを得ない衝動があるだけなんです。
それに、そうならないと、ハートを超えていくことができないのです。

>夢の世界や現実世界が首ねっこの後ろから派生しているような感覚がすることがあります。

この感覚は、私は分かるような分からないような感じですが(あまり分からないかな、笑)、
同じようなことを仰る方は複数おられるようですね。
ちょっと興味深いところです。

ただ、私の場合、私という存在(自我)も含めて、この世界そのものが、連鎖的に起こってくる意識そのものだということが、
本当に附に落ちてるんです。
もちろん、そうだという根拠なんてありませんから、断言はしませんけど(笑)。
解脱の悟りは、そう言った理解の先にあるんです。

553s:2015/02/17(火) 13:35:34
lという方が、大悟者で超能力がないものは話にならないと言っているが?

554めがね:2015/02/20(金) 17:50:02
慧空さん
ブログで書かれている
>>外側で起こる現象についてはほぼそれらを受け入れているため、平穏に観ているのですが、自分の内面から起こる感情や思考については、まだ受け入れが不完全で、自己否定したり、観て観ぬふりをしたり、どこかモヤモヤとしている人が多いのです。

これまさしく私です。先日おっしゃっていただいて気付きました。
観賞意識を体感したのに「ハートのワーク」しかやっていなかったです。
それに外側と内側の話、とても分かりやすいです(^^)
「私」とゆう自我が考えを作っているんだと小さな考えの方よりに気付いていこうと思います。
また、間違っていたら教えてください。ありがとうございます(^▽^)/

555慧空:2015/02/20(金) 19:02:54
めがねさん
ブログの記事の件、結構面白いでしょ(^^)
あれは自分としても、ここ最近のヒットなんですよ(^^)

>「私」とゆう自我が考えを作っているんだ

はい、これをやってくださいね(^^)

556めがね:2015/02/24(火) 22:51:51
すい

557めがね:2015/02/24(火) 22:58:49
慧空さん
こんばんは、(^^)
ハートの核がズキズキする事が多くなってきました、イッタって思う時が多いです。
それだけです。(^○^)

558めがね:2015/02/24(火) 22:59:22
慧空さん
こんばんは、(^^)
ハートの核がズキズキする事が多くなってきました、イッタって思う時が多いです。
それだけです。(^○^)

559慧空:2015/02/25(水) 10:42:30
めがねさん
自覚もやってくだいね。

「ハートの核がズキズキする事が多くなってきた」、「イッタって思う時が多い」と
思っている自分を自覚してくださいね。

560めがね:2015/02/25(水) 16:51:31
慧空さん
痛みに対しても自覚するんですね
やってなかったです、ありがとうございます(^^;;
では寒いとか暑いとかも自覚するんですね!頑張ります。
自覚を一日中してると無口になりなす。

561慧空:2015/02/25(水) 18:37:02
めがねさん
はい、痛みも含めて、ありとあらゆる考えについて出来るだけ全部、
24時間、起きてるときはずっと自覚します。
人と何かを話しているときも、できるだけ話していることを自覚します。
本当に24時間ずっとやれば、一、二週間で明らかな違いが出てくると思います。
これは本当ですよ。

562めがね:2015/02/25(水) 19:54:27
慧空さん
やってみます( ̄^ ̄)ゞ
もちろん信じてますので何か変化が出てきたら報告します(^^)

563慧空:2015/02/25(水) 20:21:09
めがねさん
念のためですが、信じるのは「自覚」ですよね。
間違っても、私(慧空)のことなんか信じないでくださいね。(^o^)

564めがね:2015/02/25(水) 22:29:44
慧空さん
ややこやしいですね(^^;;
確かに信じてる自分がいましたね
なかなかツッコミどころ満載な自分がいます(自覚)
いや〜助かりますと思ってる自分がいます(^^)

565ユウ:2015/02/26(木) 09:12:19
めがねさん、おはようございます。
私は自覚が日課になってます。
時に涙してスッキリしてます。(^^)

566めがね:2015/02/26(木) 10:08:56
ユウさん
おはようございます(^^)
いい感じなんですね♪羨ましい〜
私は自覚初心者になった気分ですよ。
お互いに頑張りましょう!
(これも全て私という自我の考えです笑)

567いずみ:2015/03/03(火) 20:27:28
 思考の量が少なくなるとは、執着が少なくなることですか?

568慧空:2015/03/03(火) 20:48:26
いずみさん
正確に書きますね。
思考には、二つの種類があります。
一つ目は、ただ起こってきている思考です。
二つ目は、自我が握り締めた考え(囚われ、執着)により引き起こされる思考です。
一つ目の思考は、ただ起こってきているものですから、基本的にはそれほど減りません。
ただし、実際に深い悟りに入っていくと自然と減っていくのではないかと思っています。
二つ目の思考は、囚われにより引き起こされるものですから、囚われが減ればそれに伴って減っていきますし、
囚われがまったく無くなれば、二つ目の思考もまったく生じなくなります。

569いずみ:2015/03/03(火) 21:43:34
ありがとうございます。雑念は1ですか?

570慧空:2015/03/03(火) 21:55:28
いずみさん
雑念にもいろいろあるでしょうね。
でも、その雑念が悶々とするようなものや、苦しさを伴うものである場合は、
上の二つ目に属するものでしょうね。
それ以外は、一つ目に属するものが多いのかもしれませんね。

571慧空:2015/03/03(火) 21:58:35
あと、恐れを伴う雑念も二つ目に属するものでしょうね。
また、こうしないといけないとか、こうしなきゃ等の何かを解決しようとする衝動が伴う雑念も、
二つ目に属するものでしょうね。

そう考えると、雑念の大半は二つ目に属するものかも知れませんね。

572いずみ:2015/03/04(水) 08:42:49
 恐れは、肉体的な生存危機を除くとインナーチャイルドの劣等感に基づいたものがほとんどですか?

573慧空:2015/03/04(水) 09:39:44
いずみさん
雑念についてですが、私(慧空)自身はどうか見てみたんですが、
私にも雑念のようなどうでもいい思考が結構ありますね(笑)。
どうやら、雑念にも、ただ起こってきてるだけの考えも結構含まれているようです。

恐れは、囚われの対象には必ず附属しているいます。
劣等感だけではないですよ。
握り締めた考えである囚われ(あるいは執着)があると、
その対象を手に入れたいとか、手に入れなきゃいけないとか、手放したくない等の強い衝動が起こります。
そうした衝動には、必ず恐れが伴っているのです。
手に入れられないで終わってしまうことや、失ってしまうことに対する強い恐れがあんです。
インナーチャイルドについては、よく知りません。
たまに内面にインナーチャイルドがいる方がおられるようですが、インナーチャイルドも自我がつくりだしている考えですから、
あまりそれに重きをおくことなく、私がつくりだしている考えなんだと自覚し、できるだけ放っておかれるのがいいと思いますよ。

574めがね:2015/03/04(水) 21:02:10
慧空さん
お蔭で私という自我をしっかりと捉えられているようになってきたと思います。
思わず声に出た事も直後にこんな考えをしてるんだと自覚しています、今まで私だと思っていたのは
今まで生きてきた経験で出来た記憶のフィルターを通して出た考えだったなと実感しています。まだ大きな気づきは来ていないので
知識だけかもしれませんが自分は意識で自我の仕組みを利用して生活に色を付けているのを感じ始めています。
これが関係しているかわかりませんが昨日からハートの核に意識をを向けると
共鳴しているかの様に何十分も長く感じ続ける事が出来るようになっていました。
昨年の10月ごろの見性した頃にはハートの核は感じれなかったですが
12月頃には時々痛くなってこれがハートの核かと解りました
もしかしてもっと自我が薄くなっていくとハートの核は1日中感じたままになるのでしょうか?

575慧空:2015/03/04(水) 22:02:45
めがねさん

>今まで私だと思っていたのは
>今まで生きてきた経験で出来た記憶のフィルターを通して出た考えだったなと実感しています

そうなんです。
私という自己同一性に関する感覚や認識は、記憶によるものなのです。

>自分は意識で自我の仕組みを利用して生活に色を付けているのを感じ始めています

その実感も、おそらくそれで合っているのではないかと思います。

>もしかしてもっと自我が薄くなっていくとハートの核は1日中感じたままになるのでしょうか?

ハートのコアを一日中実感したままになるかどうかは人によるのだろうと思います。
私自身も、一日中実感していた訳ではありませんでしたし(笑)。
ただこういうことはできます。
ハートのコアにしょっと意識を向けると、いつでも直ぐにコアを実感することはできました。

その要領で自覚を続けて頂きたいと思います。

576無学:2015/03/06(金) 15:15:06
パラレルワールドがなぜ存在しないのですか詳しく教えてください

577慧空:2015/03/06(金) 16:54:32
無学さん
私たちは、本当にいろいろと思考を働かせ空想をします。
この現実世界でさえ、考えであり、幻であるというのにです。

パラレルワールドが空想の産物であることを説明する方法はいくつかのやり方があるとは思いますが、
私としては、私という意識の視点が一つしかないから、世界は並行に複数あるのではなく、ひとつしかないのだという説明を採用したいと思います。
意識の視点は、各瞬間ごとに、必ず一つであり、一点なのです。
その一点の視点から見え、感じる景色が世界なのです。
視点が一つなのだから、世界も一つなのです。
一つの視点を中心として一つの世界が、時間方向に変化流転しているのです。

また、こんなことも言えます。
この目でしっかりと見ているこの現実世界でさえ、それが本当に有るんだということを確かめる手段も、証明する手段も無いのです。
まあ、もともとこの世界も私という意識そのものであり、幻なのですから、有ることの証明なんてそもそも不可能なのですが(笑)。
目に見えているこの現実世界さえそのような有様なのに、見えもしない、パラレルワールドなんてどうやったら、それが有ると証明することができるというのでしょう。

578無学:2015/03/07(土) 11:15:14
 覚悟がないと一般的に?言われる不幸イコール苦を避けて楽に悟ろうとしますよね。
本来は幻想でも!世間的?には幸せと言われる状況で悟れないのは、葛藤がより集中を深めるため

579慧空:2015/03/07(土) 19:08:10
無学さん
幸せな人は悟り、特に深い悟りとのご縁が少ないというのは、おそらく、統計的な観点から事実なのだろうと思います。
本当に、ご縁が少ないかどうかは、ちゃんと統計をとった訳ではないので、断言できませんが(笑)。
注意が必要なのは、ご縁が少なそうだけど、無い訳ではないという点です。

幸せな人が深い悟りに到達し難いというのが事実なら、それは何故なのかという点が気になる訳です。
それはなぜか。
私にもハッキリとしたことは分からないのですが、おそらく、
幸せなときより、苦しいときの方が、意識が内面に向きやすいからだと思います。
おそらく、ここが一番のポイントなのだろうと思っています。

580chyuu:2015/03/08(日) 09:59:58
初めまして。質問させてください。(初心者的な質問で済みません)
「悟り」とは自由を得る手段だと思っていました。
自由か不自由かなんて、2元の囚われなのだと思いますが、私は自由になりたいのです。
自分自身から自由になりたい、無意識のうちに自分自身を縛っている、自分を規定しているものから自由になりたい。
(自分にとっては「恐れを克服したい」とも言い換えられるものなのですが)
「自覚」は、こんな私にも役に立つものでしょうか?

581慧空:2015/03/08(日) 10:12:00
chyuuさん、初めまして。

>自分自身から自由になりたい、無意識のうちに自分自身を縛っている、自分を規定しているものから自由になりたい。
>(自分にとっては「恐れを克服したい」とも言い換えられるものなのですが)

この言葉から察しますに、
chyuuさんはもう既に、何らかの形で自覚をちゃっとやっておられますよ。
おそらく、chyuuさんはとりたてて自覚を意識したり、学ぼうとされなくても、
ご自身で思うように生きていかれたら大丈夫だと思います。

自覚とはまさに、
>自分自身から自由になりたい、無意識のうちに自分自身を縛っている、自分を規定しているものから自由になりたい。
>(自分にとっては「恐れを克服したい」とも言い換えられるものなのですが)
そのようにして、自由になっていくものなのです。

もし自覚に興味がおありでしたら、
私のブログ記事(http://blog.goo.ne.jp/suiku2013/e/b46f53e9aba8cee84f1abc9507a3ecbb)を参考にやってみてください。
おそらく、chyuuさんならあまり抵抗を感じることなく、すんなりと始められるのではないかと思いますよ。

582chyuu:2015/03/08(日) 11:30:21
慧空さま
有難うございます。

ブログを拝見させていただいているうちに、「自分を変えたい」といったような
自分の願望自体が的外れなのではないかと、考えるようになっておりました。

自覚はすでにブログの記事を参考に始めています。
ただ、自覚をやっていますと、思考が少なくなり、集中が増し、
このまま続けていけば何かに達するかもしれないという思いもあるのですが、
反面、少しエナルギーがダウンし鬱っぽくなる感じ、思考を必要とする日常的なことに手がつかなくなる、
といったことが起きてきます。
締切や、このまま放っておくとまずいことになるようなことに手が付けにくくなる、
思考が少なくなった裏で、かえって、破壊的な方向に進もうとしている自分も感じます。
カタルシスを望んでいるのかもしれません。
要は、いつもの辟易とするような自分のパターンやこだわりが強化されてくるようにも感じられるのです。
今は、もう少し日常生活とのバランスを取るべきかなと考えてもいるのですが、どの様に考えたらよいでしょうか?

583慧空:2015/03/08(日) 13:06:09
chyuuさん
思わず鳥肌が立つような、chyuuさんの切実さが伝わってきました。
やっぱり、既に自覚をされていたのですね。
何となく分かりました。

>自覚をやっていますと、思考が少なくなり、集中が増し、
>反面、少しエナルギーがダウンし鬱っぽくなる感じ、思考を必要とする日常的なことに手がつかなくなる、
>といったことが起きてきます。
>締切や、このまま放っておくとまずいことになるようなことに手が付けにくくなる、
>思考が少なくなった裏で、かえって、破壊的な方向に進もうとしている自分も感じます。
>カタルシスを望んでいるのかもしれません。

このchyuuさんの言っておられることは、痛いほどよく分かります。
なぜなら、私自身も、自覚をやればやるほど、自覚以外の他の日常のことに対するやる気や気力が無くなっていったのです。
もともと明け渡しの直後から仕事が殆ど手につかなくなってはいたのですが、自覚をやり始めてから、
急速に仕事が出来なくなっていきました。
仕事だけじゃなく、家庭も崩壊寸前のところまでいきました(家庭についてはいまでもそれなりの危機は続いてますが、笑)。

私も、これはまずいんじゃないかと戸惑うところもあったのですが、
何分、悟りの道を突き進む衝動の方が圧倒的に強くて、その衝動に突き動かされるがままの状態でした。
私には、選択肢はありませんでした。
仕事や家庭が壊れようと、何がおころうと、突き進むしかなかったのです。

この点、chyuuさんの場合はどんな感じなのでしょうか?
悟りの道を突き進むその衝動がそれほど強い訳ではなく、ある程度調整ができる感じなのでしょうか?
もし調節が可能なのでしたら、どうしいのかという自分の心の声をしっかりと聞いて、
その声に合わせて調節や選択をされたらいいと思いますよ。

>自分の願望自体が的外れなのではないかと、考えるようになっておりました。

これは、そうなのです。
願望が起こるということは、その根っ子に、その願望に関連した囚われがあるということですから。
願望を追いかけているうちは、いくら追っても切りがないんです。
でも、いざ願望を捨てようとしても、それは簡単ではないです。
むしろ、願望を追うという行為を納得するまでやり尽くす方が結果的に近道だったりもします。

この点も踏まえられて、自分がどうしたいのかを見極められることをお勧めします。
でも、その見極めも簡単ではないのですが。
本当に、「私」ってやつは大変な相手です。

584慧空:2015/03/08(日) 13:07:22
それと、「慧空さま」ではなく、「慧空さん」でお願いします。
「さま」はイヤなんです。
すみません。

585chyuu:2015/03/08(日) 15:49:50
慧空さん

>もし調節が可能なのでしたら、どうしいのかという自分の心の声をしっかりと聞いて、
>その声に合わせて調節や選択をされたらいいと思いますよ。

有難うございます。
まだ私は中途半端な感じで、実はただ、わざと切実がっているだけなのかもしれません。
調節や選択をしようと思えば、多分できるような気もします。
何かに決着がつかなければ次に進めない、とつい考えてしまう自分の悪い癖が出ているようです。
いっそのこと「自覚」など、投げ捨ててしまった方が、悟りに近づけるような気さえします。
いろいろ試行錯誤して、何かありましたら結果をご報告しますね。

586慧空:2015/03/08(日) 16:34:11
chyuuさん
はい、ご連絡まってます。

587法泉:2015/03/10(火) 13:58:10
失恋のハートの痛みを、見つめ続けていたら少しずつ核が小さくなってきました!

588慧空:2015/03/10(火) 15:57:22
法泉さん
せっかく頑張っておられるところ恐縮ですが、
コアが少しずつ小さくなってきたと仰るのは、おそらく法泉さんの誤解だと思いますよ。
コアは段々小さくなったりするようなことはないのです。
消失する直前まで殆どそのままなのです。
そして、消失するときになって忽然と消えるのです。

コアを見つめるのもいいですが、まずは普通の自覚をやっていただきたいと思います。

589夢想:2015/03/14(土) 12:42:38
 STさんの言うとおり解脱の悟りには意味ないように感じる。

590夢想:2015/03/14(土) 12:49:12
 大乗の悟りとはあえて解脱の悟りを後回しにして、衆生済度を行うこと。

591名無しさん:2015/03/14(土) 13:10:47
ただ自己にのみ解脱の悟りは意味があるもの。他者に意味があるのが大乗の悟りですから。

592慧空:2015/03/14(土) 15:12:59
夢想さんは、どうしてここに来られるのですか?
こんな無名でちっぽけな私(慧空)の言う戯言など、放っておけよろしいのに。
夢想さんは、夢想さんの道を自信を持って歩んで頂きたいと思います。

593小雪:2015/03/15(日) 11:49:13
慧空さんへ 自覚の経過報告?です。

先日 自分が自分の世界(在る?感知の範囲)の中心で自分が移動しているのでなく次の瞬間にパッと
現れているのと、全てが私の中から現れている?のを垣間見ました。私を包む空間の全て私で、私を含む全ての
協会線はなく、自我なしでは自分を分離できないことが理解できまた。
垣間見ただけなので確信ではないのですが....

ここからは質問です。
自分に愛を送ていると胸に拳位のホールが感じられ そこに集中して自分を感じているのですが、
飲み込まれてしまいます。
最初は抵抗するのですが 溢れるエネルギー?愛?にやられて、身体の感覚もなくなりホールだけが在る
状態になてしまい降伏してしまいます。「どうぞ私を好きなだけお使いください」と涙が止まりませんでした。
ガンガジの言う自分を捧げてしまうでしょうか。
自覚を進めていけば恍惚に持っていかれることは なくなりますか?意識の持ち方があるのでしょうか?

慧空さんに出逢えてなければ、私は恍惚感に浸りながら生きてたでしょう...笑
ハートに集中するワークは少しお休みしています。

594小雪:2015/03/15(日) 11:52:14
誤字すいません。

協会線→ 境界線のまちがいでした。

595名無しさん:2015/03/15(日) 15:18:57
自覚スレに書き込みな!小雪さん!

596小雪:2015/03/15(日) 18:23:47
御指摘 ありがとございます。

今後気を付けますm(_ _)m

597名無しさん:2015/03/15(日) 19:05:42
小雪さんそれでいいと思うよ。あなたは生き生きと生きる権利があって
生まれてきたのだから。これからどんどん幸せになっていく。

598慧空:2015/03/15(日) 19:08:31
小雪さん

>自分が自分の世界(在る?感知の範囲)の中心で自分が移動しているのでなく次の瞬間にパッと
現れているのと、全てが私の中から現れている?のを垣間見ました。

その感じなんとなく伝わってきます。
集中力がとても高まっておられるんだと思います。
そうやって、私という存在の本質深くを垣間見ていくようになります。

>自分に愛を送ていると胸に拳位のホールが感じられ そこに集中して自分を感じているのですが、
>飲み込まれてしまいます。
>最初は抵抗するのですが 溢れるエネルギー?愛?にやられて、身体の感覚もなくなりホールだけが在る
>状態になてしまい降伏してしまいます。「どうぞ私を好きなだけお使いください」と涙が止まりませんでした。

ハートに意識を集中するハートの自覚ワークをやっておられるのでしょうか。
その愛が溢れ出す感覚もとてもよく分かりますよ^^
私(慧空)自身も、いつもじゃないですが、時折そういう状態になり、涙をだらだら流しながら、ハートの自覚ワークをやっていました。
このワークは、本来の狙いは、ハートは出来るだけ働かさないで静かにさせた状態で、ハートのただただ集中して意識を向けるだけのワークなのですが、
愛や感謝が溢れ出してしまうときがどうしてもあるんです。
そういうときは、その感覚を素直に味わわれたらいいと思いますよ。
私もそうしてました(特にハートの自覚ワークを始めた最初のころはよくそうなっていたように思います、定かではありませんが)。
そのハートから愛が溢れ出す状態に囚われてしまわないようにさえすれば、大丈夫だと思います。
おそらくですが、一区切り、ハートの愛を感じ尽くされたら、自然とハートが大人しくなり、
冷静にハートに集中できるようになるのではないかと思いますよ。
焦らずに、やって頂きたいと思います。

ちなみに、上の名無しさんのコメントは気にしなくてもいいですよ。
この掲示板はどこに何を書いても大丈夫です。

599名無しさん:2015/03/15(日) 19:10:41
キャンパスに絵を描くのと同じ。人生なんて。
人生、世はプログラミングされているとあきらめるより、
ノートやらキャンパスに絵をかいていけばいい。それでいい。
それも道ですよ。

600名無しさん:2015/03/15(日) 19:16:47
自覚ワークは丁度いいところでやめな。
慧空さんはいいチャンスを与えてくれているけど
彼のようになったら、普通はだめだ。幸せになれない。
丁度いいころあいで。それがあなたの悟りだ。

601慧空:2015/03/15(日) 19:28:02
>>600

>それがあなたの悟りだ。

それは本人が決めることですよ。
決してあなたではない。
それに、悟りは多くの割合で成り行き次第です。
そう思うようにはいきません。

602名無しさん:2015/03/15(日) 19:32:51
そう、悟りなんて誰が決めてもいい。大悟と謳うあなたが
わたしとてつもなく悲しい。
あなたは自身の説く悟りを多くレクチャーするが、
そもそもあなたは他を認めないという意固地なあなたの性質を
大悟とやらに反映させている。それはあなた自身だ。あなたそのもの。
決して悟りではない。悟らないものがあなたを見れば、なんらかの
欠陥を抱えて生きているものだ。あなたに限らずね。

603名無しさん:2015/03/15(日) 19:40:59
そうした、自分よがりを他に押し付ける、認めさせるという性質が
あなたの悟りに多分に含まれている、それは家族も、自身も、
鬱病まがいに陥らせる、すべてへの諦めの道程に、欺瞞をおおくはらんでいる。

途中でもいいだろ。あなたの悟りは他に役に立たない、途中の悟りでも。
あなたは人生を40代で諦め、道半ばに人生が折れたのだから。そういうあなたへの
解脱だ。

604慧空:2015/03/15(日) 19:43:52
STさん、今日はあなたのお相手をする気はありません。
でも、なんだかんだと仰りながら、この掲示板のことが結構お好きのようですね。(^^)

605名無しさん:2015/03/15(日) 19:48:47
あなたが破綻しつつあるのが見えるからです。
あなたの言う解脱「大悟」とやらを、諦めるものが増えている。
それは、前提に不幸と病的があるからですよ。だから私は
普通にしろ、普通にしていろ。と言う。人生をわかっているように
説きながら、人生を見失っているからですよ。

瞑想?頭がぼんやりで動けない?まったく働けない?
それは大悟の後遺症か?ならそんなもの誰も求めるな。4

606名無しさん:2015/03/15(日) 19:53:52
4はタイプミス他意はない。新しいPCにテンキがーついたから。

607小雪:2015/03/15(日) 21:07:43
ありがとございます。

一区切りつくまで焦らず続けていきます。

自分を受け入れ愛をおくっていると胸がキュンとなったので、そこに集中してみました。
入り方が目的が違うのですね、動かさずですね。
自覚をメインにハートのワークも少しづつ進めていきたいです。

自我が騒がないと、日常はとても静かなんですね^_^

608トキ:2015/03/15(日) 21:23:43
 STさんの言うことは、現実逃避の中途半端なスピリチュアル病者を作らない菩提心では?

609慧空:2015/03/15(日) 21:28:42
小雪さん

>自覚をメインにハートのワークも少しづつ進めていきたいです。

はい、それが一番のお勧めです。
やはりなんと言っても、普通の自覚がメインであり、基本なのです。
自覚は、自我の力を使ってやるものですから、大悟に至ると自我が薄くなり、自我の力も弱くなりますので、
自覚が思うように上手くできなくなります。
ですから、その前に、徹底的に自覚をやっておくのがいいんです。
また、強い自覚力を身につけておく必要もあります。

>自我が騒がないと、日常はとても静かなんですね^_^

そうですね。
でも次第にそれが普通になります。

610新田:2015/03/15(日) 21:35:18
斎藤一人さんの天のこと2を見てください。解脱できるに、しない菩薩道、人に役立つ在家の悟りとは何かが語られています。
本当に感動しました。ゆきりんちゃんには、是非YouTubeでこの話を聞いてほしいな!

611慧空:2015/03/15(日) 22:00:15
おそらく、小雪さんは既に、斎藤一人さんやSTさんの先を歩んでおられるのですよ。

612名無しさん:2015/03/15(日) 22:56:58
慧空さん

ボロクソ言うのは理由がある。そのうち自身から気がつきが
始まればよいと思う。自分で気がつくのがやはり、あなたらしいから。

613ひろみ:2015/03/16(月) 12:39:03
 天のこと2を聞きました。
解脱について深い話でしたよ!

 あの話を聞いてください。そして個々が判断されたらいいかもしれませんね。

614リアル:2015/03/16(月) 16:16:13
 聞きました。斎藤一人さんって「薬屋の成り上がりが、道徳に毛が生えた宗教の真似ごとしてる」と誤解してました。
 確かに人に役立つのが菩薩の悟りで解脱ではないことが、わかります !STさんが、言おうとしていることは、こういうことなのかな?

615慧空:2015/03/16(月) 18:17:41
STさん
ここの常連さんはみなさん、上の新田さんも、名無しさんも、ひろみさんも、リアルさんも、
STさんだと分かってますよ。(^o^)

616ルキフェル:2015/03/16(月) 20:57:43
 「人を明るくしない悟りが何になる」は、いい得て妙です!

 解脱の悟りは、人に役立たなくとも地球の波動を上げるのに、役立つてるのでは?

次元が違ってるんでしょう!

617avadhuta:2015/03/16(月) 20:58:17
ここには書きづらいという人のために

2chの心と宗教板ですが

【自覚】について
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1426311217/

618慧空:2015/03/16(月) 21:24:18
avadhutaさん
2chにスレッドを立てられましたね?(^o^)
念のために言っておきますと、私はゲートさんから自覚を教えてもらいましたが、
いまはもう弟子ではありません。

619avadhuta:2015/03/16(月) 22:32:59
ああ、そうなんですね、それは失礼しました

620慧空:2015/03/16(月) 22:40:43
大丈夫ですよ。
それより、掲示板、いろいろ書き込みがあるといいですね。
でも、自覚はマイナーですからねー。
私でよければ、公平な立場で、知っていることをお教えしますよ。
ゲートさんやキャンドルライトのことで、何が知りたいことがお有りですか?

621avadhuta:2015/03/16(月) 23:09:39
余計なことをしてしまたみたいで申し訳ありません
こちらは建設的な意見の交換の場に、2chは思いの丈を書き込む場に
なればいいかなという思いもあったのですが

そうですね、キャンドルライトや明人さんのところの生徒さんの中には、
「自覚」が続けられなくてやめていく人もそれなりにいらっしゃるのではないですか?
シンプルだからこそかえって続けることが困難というか…
この方法は人を選びますね、誰でもが継続していけるものではないと思います

622レイ:2015/03/17(火) 01:17:23
 YouTube見ました。STさんの言ってることルキフェルさんの言ってること一理あるのでは?

623慧空:2015/03/17(火) 07:34:51
avadhutaさん
大丈夫ですよ。
そうですね、私は余り2chは行かないのですが、面白そうだと思っています。

続かないでやめる人が多いのは、自覚や悟りに限ったことではないですよ。
そもそもがそういうものなんだと思っています。
私は、何かを極める道と、悟りの道は同じようなところがあるんだと思っています。
極める対象が、何かという違いがあるだけで。
私はなぜか、たまたま悟りを極めたということなんだと思います。

ただ、何かを極める道と悟りを極める道は、決定的に違う点が一つあるんです。
何かを極める道には終わりが無いですが、悟りの道は終わりがあるんです。
否応なくそれ以上進めないし、どうしようもなくなるポイントがあるんです。
これは、とても良いことだと思っています。
なぜなら、そのポイントに到達したとき、何とも言えない到達感が得られますから。

624悟らせ屋:2015/03/17(火) 22:37:46
 悟りとは何かあれこれ語っている人は、悟っていません。by明神

625avadhuta:2015/03/17(火) 23:22:33
>>623
ありがとうございます。
それなりの素養と集中力がないと自覚を続けていくのは難しそうですね。
一部の人たちは自覚で簡単に悟れる、みたいなこと言ってますが
キャンドルライトで印可を貰った人の中にも、ホントにこの人悟ってんのかな、
という人もチラホラいますし、よくわかりませんね。

とにかく、誰でも自覚ができるとは限らない、
こういうやり方が合わない人もいる、ということでしょう。

あと、624の悟らせ屋さん、騙りなのかもしれませんが、
あなたも悟りについて思わせぶりにあれこれ語ってますよね。

626慧空:2015/03/18(水) 07:05:52
avadhutaさん

>キャンドルライトで印可を貰った人の中にも、ホントにこの人悟ってんのかな、
>という人もチラホラいますし、よくわかりませんね。

それはその通りなのですが、avadhutaさんは内部事情をよくご存知なのですね。

>とにかく、誰でも自覚ができるとは限らない、
>こういうやり方が合わない人もいる、ということでしょう。

これもその通りだと思いますよ。
誰でも悟れるというのもウソです。

624の悟らせ屋さんは、おそらくSTさんですよ。(^^)

627竹槍:2015/03/22(日) 08:49:26
悟りの件についてですが、いろんなブログを読むと
やはり、方法論がないと言っている人が多いですね。
波動共鳴法というのが、効率的に悟りに導ける方法だと主張する人もいます。
とはいえ、あくまで誰かの力を借りなければならないようですが・・・。

628慧空:2015/03/22(日) 08:59:43
竹槍さん
方法論は昔からあるんですよ。
例えば、ビパッサナです。
波動共鳴は、準備ができている人にはそういう方法もあるようですが、
準備が出来てない人には殆ど使えないだろうと思います。
囚われを手放すのは、本人にしか出来ないのです。

629:2015/04/17(金) 09:08:33
 波動共鳴はラーマクリシュナのように祈りに身を委ねることですか?

630慧空:2015/04/17(金) 23:34:10
修さん
ラーマクリシュナがどういう感じだったのかは知らないのです。
それと、上で波動共鳴についてしったかぶりして言及していますが、
実はそれについてもよくは知らないのです。

ただ何となくですが、悟った人には、うまく表現できませんが何か特有の雰囲気というか、
エネルギーというか波動というか、そういう何かがあるように思います。
それは、その人の近くに居るととてもよく感じますし、おそらく、ネットを通じたやり取りや、
書籍の文章からでも何らかの形で伝わるように思います。
それで、そのようなエネルギーに触れたとき、その影響により、これまた表現するのは難しいですが、
共鳴するような感じで、意識の状態等が微妙に変わってしまうんです。
例えば、マスターゲートさんの近くにいると、思考が抑制され、頭がボワーンとなったり、
人によってはとても眠くなったりするようです(私の場合は、思考が抑制され、頭ばボワーンとなってました、笑)。
そのような影響や意識の変化は、悟りを誘発しやすくする可能性があるのだろうと思っています。

631:2015/04/22(水) 23:12:10
 わざわざお返事ありがとうございます。講演会楽しみです。

632慧空:2015/04/23(木) 09:33:19
えっ、修さん私の講話セッションに参加してくださるんですか?^^
ありがとうございます^^

633孤独な羊:2015/04/23(木) 16:11:22
初めまして、掲示板参加の皆様。
僕は生きる意味を見失った孤独な羊と名乗らせていただきます。
生きる意味を見出すために、もし問題なければ、こちらでお知恵を拝借できますでしょうか?
よろしく、お願い致します

いま僕が生きるために取り組んでる中で、以下の二つの内観後の自前の考えに戸惑っております。
・目標も目的もなく全てが正しくなるとき、生きるために頼れるものは信仰しか残らないと考えること。
・正しくあろうとする中で、正しくあろうことは維持出来ないと考えること。
これは補足ですが、悟りという真の信仰は、すべてを天に委ねてしまうことにあると考えてきました。
真の信仰は、求めるものが自由に求めるのであり、信仰を広げる行為さえも正しいとは言えなくなるものだとの考えに至っています。
おそらく悟りの境地は、情愛に流されることもないものです。
僕には罪をつくらずに生きる方法など、この世には残されていないとしか考えられません。
真の悟りは、こうした中の何が間違えていて、どのように生きる方法にあるものか、わからなくなりました。
ご意見を賜れれば大変に幸甚でございます。
お力添えいただけますよう、重ねて、よろしくお願い申し上げます。

634孤独な羊:2015/04/23(木) 19:05:35
次に思うことがあり、補足させて貰いに来ました。
独自に考えてきた悟りには情愛に流される考えはありませんが、悟りは善であり、善としては残ると考えております。
いま八方塞がったような僕にあるのですが『人助けする努力を死ぬ気で行うこと』これを死期が来るまで只管目指すというだけ
でいいのかもしれないとの考えは浮かぶことがあります。しかし、それにも縁はつくられれませんし才能やknowhowもなくて満足できるものにはなりえないのです。因果関係と理由は勿論ありますが、何れ現実に、人助けする余裕なんか、あらゆる面で全くない立場です。これでは悟りからは離れてしまいますでしょう。
授かってる命に生きる理由がないとするのも、根本を覆す論理にあると考えます。
それでも生きる理由は、考えられません。
こんな僕に、なにか知恵を授かれますでしょうか?
よろしくお願い致します。

635慧空:2015/04/23(木) 19:24:21
孤独な羊さんへ

孤独な羊さんは、とても純粋な方なんだと思います。
その純粋な眼差しで、多くのことがらを斬り捨て、そして自分自身も切り捨ててしまおうとしておられるように見えます。
また、その純粋さで、自分自身をがんじがらめに縛り付け、身動きが取れなくなってしまっているようにも見えます。
さぞ大変でしょうし、苦しんでおられることだろうと思います。

そのようなあなたに、どういう言葉をお伝えすればいいのか、ちょっと躊躇しております。
しかし、私はどこまでも覚めた目で自分のことを見続けた自覚の道を進んだものですので、
その観点からお伝えした方がいいように思います。

という訳で、孤独な羊さんの文章を読ませて頂いて思ったことを少し書かせていただきます。

続きます。

636慧空:2015/04/23(木) 19:34:32
孤独な羊さんへ、続きです。

まどろっこしいのは苦手なので、端的に結論から申し上げますと、
そもそものところ、もとから、生きる意味なんてものは無いのです。
意味が無いと生きていけませか?
意味が無いと生きていけないと言って死を選ぶ人もいるのかもしれません。
そういう人は、さっさと死んだらいいです。
いま直ぐ、死ねと言いたいくらいです。(^o^)

でも現実には、そう簡単に死ねるものではありません。
「簡単には死ねない」、この事実を受け止めざるをないのです。
死ねないのなら、死がやってくるまでは生きるしかないということになります。
死にたい、死にたいと思っていても、生きていくしかないのです。

生きていくしかないことが本当に分かったのなら、腹を括って、生きよう、
生きることに取り組んでみようとなるはずです。

そしたら、どう生きようかというふうに考え方がガラッと変わってきます。

まずは、このあたりを、自分の内面を見つめながら、しっかりと確かめてみて頂きたいと思います。

それでも死にたくなるようなら、死んでしまってください。(^o^)

637慧空:2015/04/23(木) 19:43:33
孤独な羊さんへ、さらに続きです。

孤独な羊さんは、その純粋さゆえに、清らかさ、正しさ、善、慈愛等の考えに囚われておられるようです。
おそらく、孤独な羊さんは明晰な方なのではないかと思います。
その明晰な眼差しで、清らかさや正しさ等の考えについて、それが本当に真理なのか、絶対的なものなのか、
しっかりと追求してみてください。
また、悟りについてもそれが善なものであるかのような考えに囚われておられるようですが、
それについても、本当にそうなのか、追求してみていただきたいと思います。

その明晰さをもってすれば、善悪等の概念について、そこに何の絶対性はなく、私たちが勝手に考えている相対的な概念であり、
幻想であるということが分かられるはずだと思います。
もう一踏ん張りです。
頑張って、その明晰な眼差しで、妄想や幻想の霧を吹き払ってください。

638慧空:2015/04/23(木) 19:58:27
孤独な羊さんへ、さらに続きです。

孤独な羊さんは、信仰心を持っておられるのでしょうか?
何か特定の神を信じておられるのでしょうか?
もし本当に信じておられるのでしたら、私の言葉は孤独な羊さんの心には届かないのかもしれません。

しかし、乗りかかった舟ですから、さらに続けますね。

神を含めて、何か絶対的な存在があるかのように思い込んでいる方がおられますが、
それは幻想なのです。
この現実世界(物質世界)が幻想であるのと同じように、神もまた幻想なのです。
すべては、「私」という自我の認識であり、考えなのです。
そして、その「私」もまた、考えであり、幻なのです。

どういう仕組みで、このような世界(幻想)が繰り広げられているかは分かりませんが、
考えが考えを呼ぶとでもいいましょうか、私を含むこの世界は、連鎖的に連なる考え(幻)の連鎖なのです。

すべてが幻であり、絶対的なものなどどこにも無いのです。
絶対的なものがないというのに、何を信じるというのでしょう。
そもそものところ、信じられるものなど何もないのです。
真実も無いのですが、敢えて真実というなら、信じられるもの、頼れるものはどこにもない、これが唯一の真実です。

それを知るようになると、空しくなる方がおられるのかもしれません。
空しくて生きていけないと言うのなら、死んだらいいです。

死ねる人は死んだらいい。

でも、多くの人は、そう簡単には死ねないのです。
どんなに空しくても、死ねないのです。
生きていくしかないのです。
生きていくことに向き合うしかないのです。

639慧空:2015/04/23(木) 20:04:34
孤独な羊さんへ、もう一言です。

苦しいでしょうが、
その苦しみから逃げないで頂きたいと思います。
逃げずに、苦しんでいる自分、もがいている自分としっかりと向き合ってください。
徹底的に向き合っているうちに、おそらく、何かそれなりの手応えが得られるはずだと思います。

そこで何が得られるかは、人それぞれだと思います。
ある人は残りの人生を生きていく上での生きるヒントかもしれません。
ある人は、悟りや悟りのヒントかもしれません。

逃げずに、徹底的に向き合って頂きたいと思います。

さらに、疑問な気になられることがおありでしたら、お書き下さい。
私の考えでよろしければ、乗りかかった舟ですから、また書かせていただきます。

640孤独な羊:2015/04/24(金) 15:22:22
慧空様

ご指摘されるような信心があります。完全な無という考え方は、僕には無理です。
ですので、今後の質問は控えさせていただくことに致しました。
ご親切にご意見を頂けたことの感謝は忘れません。
本当に、ありがとうございました。

孤独な羊

641孤独な羊:2015/04/24(金) 19:53:34
愛しき慧空様

前文を投稿させていただいた後、何か後ろ髪をひかれる感じが残りましたもので、もう少し参加させていただけますでしょうか。
ご多忙でなければ差支えなければ、お付き合いくださいますと嬉しいです。

例えば

Iamnot慧空
慧空は悟れていない

と書きますと、慧空様は、どのように動かれますか?
ここで感情的に否定されるようでしたら悟れていないだろうと憶測できてしまうのですが、覚者たる立場の人とは、どういう理由で、どのように振舞われるのかということは気になってきてしまいました。

642慧空:2015/04/24(金) 20:09:20
孤独な羊さん

>Iamnot慧空
>慧空は悟れていない

私はそういう言葉を投げかけられても、特になにも思わないのです。
最終的な悟りを得る前なら、何らかの反応があったのかもしれません。
でもいまは、自分でも不思議なほど何も起こらないのです。

それと、正直なところ、私は最終的な悟りに至ったと、これまでの流れからいまでも一応はそう言っていますが、
正直なところ、自分のいまの意識の状態がどういうものなのか、本当に最終的なものなのか、よく分からないのです。(^o^)
ですから、「慧空は悟れてない」と言われると、そうかもしれないなあ、という感じも無いこともないのです。
何しろ、よく分からないのですから。(^o^)

また、こんなことも言えます。
自分の悟りがどうなのかも含めて、すべてがどうでもよくなってしまっているところがあるんです。
これ以上、追求するつもりもないし、どうでもいいんです。
ただなんとなく、もうこれ以上追求しようにも、無理だろうなあ、誰がやっても無理だろうなあ、という漠然とした、確信のようなものはあるんです。
なぜなら、もう一切の取っかかりが有りませんから、取っかかりがないので、どうしようもないのです。

こんな感じです。

643慧空:2015/04/24(金) 20:12:50
あのう、「慧空様」ではなく、「慧空さん」でお願いします。
様は嫌なのです。

644孤独な羊:2015/04/25(土) 01:02:15

慧空さん
わかりました。自由な心を手に入れられた。ご苦労から解放されているのですね。
お幸せということで何よりです。
人生を苦と捉える今の僕とは立場も考えも違いますので、慧空さんに理屈並べるのは諦めることにしました。
なにかお礼の言葉も綴りたい気分ですが、余計な言葉になると思いますので慎みます。
ありがとうございました。

645慧空:2015/04/25(土) 06:33:48
孤独な羊さん

「人生を苦と捉える」と仰るその観点は、本質(と言ってもこれも考えですが)を捉えておられるかもしれません。

私にはもう囚われがありませんから、多くの方がその囚われにより経験される苦しみはもうありません。
しかし、私(慧空)は、存在そのものが苦であることを知っていますし、
現に、いまのその苦と共に存在を続けています。
「一切皆苦」、存在そのものが苦である、逃げ場は何処にも無い、それが私の最終的な悟りであったと言ってもいいくらいです。
それに気がついたとき、延々と衝動的に苦から逃れよう、苦を何とかしようと衝動的に逃げ回り、彷徨っていた自らの姿に気づくことができました。
そして、それに気づいたとき、苦から逃れようとする衝動が嘘だったかのようにピタリと止まりました。

孤独な羊さんに、何か伝わればと思います。
孤独な羊さんは、澄んだ瞳を持っておられるんだと思います。
その瞳でよく観て頂きたいと思います。

646孤独な羊:2015/04/25(土) 11:10:19
ありがとうございます。色々と伝わってます。
ですか歯痒いのは、そもそも10割体験+αで漸く至れるような悟りの境地を言葉で表現するのは無理があることです。
そもそも個人の人生経験なんて小数点以下の割合の境遇でしか体験してないものですから。
常に新たな体験が待ち伏せしてる意識で接していきませんと、どうしても不十分にはなりやすくて致し方ありません。
というわけで僕には断片的にしか捉えきれない慧空さんの境地を、どのように捉えるのかという問題もあり難しさを感じたりしています。
僕が悟りについて真摯に語り合おうとすれば、こういった前置きだけで話が終わってしまうかもしれません。
笑いたくなるほど無能不器用で申し訳ない限りですが、少し意見させてもらいたいことがあります。
よろしくお願い致します。

647孤独な羊:2015/04/25(土) 11:13:56
死を決意したとき、刹那的に感じ取れる安堵感というようなものがありますよね?
諦めの境地といいますか?慧空さんの話には苦との向き合い方について、それに似た印象と同時に、実際は違ったことを伝えてくれてるという印象も受けています。
未熟な僕では中々話が進められないのですけど、現実を幻想と表現する様は空の感覚を仰っているはずです。
「一切皆苦」は仏教用語ですから、慧空さんも信仰があるのではないでしょうか?
僕は、悟りと言う仏教思想に大まかに3通りの経典が残されてきたと見ています。
般若心経と阿弥陀経と法華経です。
これに楯と鉾と叡智が分散しているイメージを持っています。
文献を細かく調べ上げてもないので生意気ですが、集約した道を示すような経典が何かありましたでしょうか?
ご存知でしたら改めてご意見を伺いたいです。

648慧空:2015/04/25(土) 13:29:19
孤独な羊さん
輪廻があるのかどうかは私にはよく分からないのですが、
あると考えた方が筋が通りやすく、理解もしやすいことがらが多いです。
その観点からすると、現世の体験にどれ程の比重があるのかという点
につきましては、孤独な羊さんが仰るように、その比重は小数点以下なのかもしれません。

しかし、いまそんなことを言ったところでどうしようもないんです。
大切なのは、いま自分がどうしたいのか、なのです。
終わってしまった過去や過去世のことを考えても仕方がないんです。
この人生で、悔いが残らないよう、やれるだけのことはやるしかないんです。

続きます。

649慧空:2015/04/25(土) 13:47:08
>死を決意したとき、刹那的に感じ取れる安堵感というようなものがありますよね?

私は、二十歳前のころ、試しに首に包丁を当ててみたことは2回ほどありますが、
試しにやってやろうとしてみたという程度、死の決意はありませんでした。
ですから、私は死を決意したことはありませんので、それについてはよく分かりません。

ですが、そこで孤独な羊さんが仰ろうとしていることは、何となく分かります。
確かに、死の決意には、諦めや降参、そして安堵感や恍惚感(至福感)の色合いがあるのだろうと思います。
そして、それは悟りで言うところの、明け渡しにも通じる部分があるのだろうと思います。
おそらく、そうやって死を決意した瞬間やその直ぐ後に、明け渡しの悟りが起こることもあるのだろうと思います。

しかし、厳しい言い方をしますと、そのような死を求めることは、一部の例外を除いて逃げなんです。
逃げからは、悟りの道には入れないのです。
仮に入っても、一歩踏み込んだところで止まってしまいます。
なぜなら、逃げているということは、恐れ(執着、これをカルマと言ってもいいです)が未だたくさん残っているということですから。

逃げや降参、諦めでは、ダメなんです。
受け入れていく、もっと言えば逃げずに取り苦で行くという前向きな姿勢じゃないとダメなんです。
そのような姿勢でないと、恐れ(執着、カルマ)が残ってしまうのです。
もちろん、恐れも執着もカルマも、伝えるためや、理解のための方便として言っているだけです。
そのよな実体的なものがある訳ではありません。

ですから私は、逃げるな、向き合え、取り組めと言っております。
受け入れろとも言いますが、あくまでもそういう前向きなスタンスから言っています。

続きます。

650慧空:2015/04/25(土) 13:56:13
すべて考えであり、幻であるというのは、仰る通り、「空」のことを言っています。
この空も、すべては苦であるという「一切皆苦」も、仰る通り、仏教用語です。
でも、私は仏教徒ではありませんし、経典類も殆ど読んだことがありません。
「空」や「一切皆苦」は、便利な言葉なので、使わせてもらっているだけです。

ですから、私は仏に対する信仰心は全くありません。
仏教のことをよく知らない私がこんなことを言うと反発する方がおられるでしょうが、
そもそものところ、仏教は無神論です。
少なくとも初期のころは、信仰なんてものは入ってなかったのです。
初期仏教の特性をある程度残している上座部の系列では、信仰の色合いはかなり薄いはずです。

続きます。

651慧空:2015/04/25(土) 14:08:10
という訳でして、私は経典類は殆ど知らないのです。
ですから、私に経典類のことを聞かれてもお答えできません。

経典類を読まれるより、自分の内面を見つめて頂きたいと思います。
外に求めず、自らを拠り所としなさい、というあの言葉は、あれはまさしく釈迦の言葉だろうと思います。

経典なんかに頼らないください。
経典を読めば悟れるのでしょうか?
それに、経典に書いてあることが正しいという保証がどこにあるのでしょうか。
(現在の経典には正確に伝わっている釈迦の言葉は殆ど残ってないそうですよ、ホントに、笑)

取りあえずは、これでお返事とさせていただきますが、
気になられることがありましたら、遠慮なくお書きください。

652孤独な羊:2015/04/25(土) 17:54:38
いつもながらご丁寧で、大変ありがとうございました。
論点は沢山ありますが、先ず合点いきませでしたことは、636で仰っていただいた内容です。
関して今回の649の内容でつながり安心させていただいております。
しかしながら636で言われていた>いま直ぐ、死ねと言いたいくらいです。(^o^)等については、あまりというか納得は出来ない言葉なのですが・・
少し飛躍します。現実の自殺率の高さは御承知の通りで、僕の関わった自死被害は率的に統計より高い発生率にありました。
周囲だけで6人の被害です。
共通して言えるのはいずれの6名ともに穏やかで人に好かれる傾向にある人情味溢れる人達だったことです。
勿論、あくまでも僕の周辺ではそのようにあったということです。
そしてそれを運命的な問題として片付けてしまうのではなく、何かできないかと考えることに宿命的な意味を持っているように感じさせられています。
決して囚われるという意味ではありません。
こうしたことに憤慨して努める姿勢等は見失ってはならないと痛感しています。またそれが苦に向き合う正しい姿勢ではないかと考えたりしています。
いまの時代は多くの人が感ずかれるような、新しい時代は到来していると感じています。
慧空さんにとっては、一見どうでもいいことと言われる話かもしれません。
ですが、自覚を浸透させるために活動されている慧空さんですなので、そこでまた質問なのです。
自覚とは、人に積極的に関わる必要もなくなる自覚にありますか?(つまり自分を変えるという価値観には、相手に対して働き掛ける必要があ
りません。相手に対して働き掛けるよりも自らが動くわけですが、なぜ人に説こうとするのか?確か善なんてないようなこと仰っていましたが、そこに善があるからとは回答されないでしょうか?)
僕には、この辺りが何となく辻褄が合わいにくくなるのです。
あと気になった言葉は「明け渡しの悟り」という言葉が気になっています。
それがあるとすれば、僕には、それが訪れてしまっている可能性も否めません。
それと仏教が無神論か否か正式なことは知りませんけど、阿弥陀経というのは無神論ではないと考えています。
経典につきましては、僕の方が慧空さんより詳しくないかと。
慧空さんが仰るように、無神論有神論輪廻転生に関して考えることは、生きることの最終的な意味をなさないと思っています。

653慧空:2015/04/25(土) 21:22:21
孤独な羊さん

孤独な羊さんは、真摯な方ですね。
またちゃんとしておられる。
私の方がよっぽどちゃらんぽらんで、いい加減です。申し訳ないくらいです。
私は結構いいかげんなところがあるのと、短気でめんどくさがりなんです。
いい加減でめんどくさがりが、どうしてこんなことをやているのかと思われるかもしれませんが、
自分でもよく分からないのです。

本当は、最初に自殺についてもう少し言わせていただきたいことがあったのですが、
展開的に、どうして私がこういうことをやっているのかを先に書きたいと思います。

私には、良い悪い等の通常の価値基準はありませんから、良いことをやりたいとか、
それをやることで周りから評価されたいとか、そういう考えはもうないんです。
自分でもどうしてやっているのかはよく分からないところもあるのです。
一つの答えとしては、単純にやりたいからやっているという感じが近いと思います。
あるいは、他の答えとしては、身体がそのように動くからやっているという感じも少し近いです。
私の場合、仮にやりたいと思っても、どういう訳か身体が動かないことが多いのです。
例えば、仕事をすることや、みなさんが普通にやっていることについて、
私はもう身体が動かずにやれなくなっていることが結構多いです。
でも、悟りを伝えることに関しては、まだ結構熱心にやれてしまうのです。
これは自分でもとても不思議なことだと思っています。

孤独な羊さんは、悟りや、悟りを伝えることは、良いこと、つまり善だとお考えなのかもしれません。
しかし、その考えには根拠がありません。
何度も申し上げているように、善悪等の基準は、普遍的なものではなく、
私たちエゴを持った存在たちが、勝手につくりあげ、思い込みにすぎません。

善悪の基準として何か普遍的なものがあるのか、
また、あれは善でこれは悪だと、だれが判断し、そう考えているのか、
しっかりと考えてみて頂きたいと思います。

続きます。

654慧空:2015/04/25(土) 21:34:30
次に、自殺に関連したことをもう少し書きます。

私は短気だし、口も悪いので、直ぐに「死ね!」と言ってしまいます。(^_^;)
普段の生活でも、しょっちゅう言っています。(^_^;)
これは死ぬまで直らないかもしれません。

本当は、死んでほしくなんかありません。
自殺なんかもっての他です。
生きてほしいんです。
生きること、存在することに、向き合ってほしいと思っています。
でも、余りにも逃げ腰の人が多いし、言っても分からないし、
もう勝手にしろ、と思ってしまい、死ね等と言ってしまいます。

輪廻があるのかどうかは分かりませんが、仮にあるとして、
自殺では、何も解決しないのです。
自殺は究極の逃げです。
何も解決しませんから、また同じことの繰り返しです。

解決していくためには、逃げるのではなく、腹を括って、受けて立っていくしかないんです。
何を受けて立つのかと言うと、それは、苦難やそれに伴う恐れや苦しみ、
そして存在の根本にうごめいている根本の苦です。
それらを解決していくためには、逃げていてはダメなんです。
覚悟を決めて、受けて立っていくしかないんです。

端的に言うと、あらゆる苦難や恐れ、苦しみに対して、それを本当に受けて立つ覚悟ができたなら、
おそらく、その人のカルマは急速に解消していき、自ずと最終的な悟りに至るのだろうと思います。
これは、私(慧空)の歩んだ道でもあります。

655慧空:2015/04/25(土) 21:48:30
孤独な羊さんが、明け渡しを経験しておられる可能性はあるのだろうと思います。
判別は簡単ではなく、また確かなものではないのですが、もし気になられるのでしたら、
いくつかの質問にお答え頂ければ、ある程度のことは判別可能ですよ。

但し、明け渡しは小悟ですから、まだまだ先がありますので、それを得たからどうこうなるというものではありません。
囚われないで、先を進んで頂きたいと思っています。

輪廻と無神論有神論の点についてですが。
輪廻については、それがあるのかないのかを考えても実りは薄い場合が多いだろうと思います。
しかし、神や仏等の絶対的な存在があるのかないのかについては、徹底的に考え、追求されるといいと思います。
これについては、突き詰めればそれなりの結論が出ますから。

神の存在性について追求する際、哲学や論理学等の合理的(客観的)な考え方は、実はとても有効です。
合理的な思考力、洞察力は、悟りを深めていくときの智慧に意外なほど繋がっています。
深い悟りで得られる智慧は、究極的な合理性を有する直感的な視線なのです。

取りあえず、これにてお答えとさせていただきます。
また何か気になられることがありましたら、遠慮なくお書きください。

656孤独な羊:2015/04/26(日) 15:09:33
慧空さんご自身の意思とは関係なく体が勝手に動くような感覚にあり、「やりたいからやっているという感じが近い」と思われてるそうですが、ここに「やりたい」という欲望が残っていると仰っていますよね。
この欲望が何ものであるかは解明不能または不明ということでよろしいでしょうか?
前文でお訊ねしたかったことですが、ここから覗かせるのが善ではないでしょうか?といった質問のつもりでした。申し訳ありません。
ですから関しては意見はないかと思いますけど、もし何かわかることがあれば教えていただきたく思っています。
それから自死の件ですが、究極の逃げとして片付けられる問題ではないと思うのです。
仮定の話はお好きではなさそうですけど、僕のコミュニケーション能力が乏しいためタラレバ論で書かせてください。
例えばですが独房のような場所で自由意思が奪われたうえ、飲み食い、トイレ、病原菌から、あらゆる手段で拷問にあわせられる環境を想定していただけますか。そこに「死にたくなったら自由に銃を取って構わない」と天使のような声で銃を申しつけられ渡されます。ここで死に至るまで一切の泣き言を言わず銃に手を掛けず、無間地獄のような拷問に耐え続ける自信があるでしょうか?覚者は相当のことが出来なければならないというような話に近いように感じ取れました。僕には無理なことです。
否定的な意見ばかりですが悪意はありません。うまく伝えることもできませんけど、お許しください。
それと、いつも労ってくださるのですが、余計な気遣いは僕もないほうがいいです。
自分でそう思われるような節も配慮もできてませんし、感じてないことですから。ただ今回も嫌われなくてよかったなという安心感はちゃっかり受け取ってましたけど。
僕は上手く表現できず労い文も書きませんが、慧空さんの寄り添ってくださる寛容さにはいつも感服しているんです。
多忙な時や気が向かないときは、返信なしでもスルーでも全然大丈夫ですから。
今後は気遣いなしで、お願い致します。
僕の質問も、これで最後になるかもしれません。
ありがとうございました。

657慧空:2015/04/26(日) 16:41:22
孤独な羊さん
私はもう、善人でも悪人でもないんです。
確かに見かけは、悪人よりも善人の方の分類に属するんだと思います。
しかし、私がやっている行為がたまたま善行と呼べる部類の行動に属しているだけなんです。
私は、勝手に身体が動いてしまうようなところがありますから、身体の動きに任せていれば、
悪行だってやります。
現に、私はカッとなったら、息子の頭を足で蹴飛ばしたりもしています。(^o^)
ひょっとすると、人を殺してしまうようなこともあるのかもしれません。
そのときは、そうなるだけです。

善悪は典型的な囚われの一つなのですが、この囚われが残っているうちは、
まだ強い二元の囚われの中にどっぷりと浸かっています。
小悟を過ぎ大悟まで至るようになると、人によっては、善悪を含む二元の迷いから、
それなりの割合で抜け出していきます。

善悪を語っているうちには、まだまだなのです。
何か善悪の絶対的な基準があるのかについて、よく考えてみて頂きたいと思います。

続きます。

658慧空:2015/04/26(日) 16:53:54
仮定の話は、私は嫌いです。
たらればの考えは、いくらやっても殆ど意味がありません。
ですから、牢獄中での極限状態についても、実際にそれをリアルタイムで体験しているのでなければ、考えても無意味です。

泣き言はいくら言ってもいいんですよ。
私自身も泣き言や、悪態はいろいろ言ったりやったりしてきました。(^o^)
苦しいときは、ジタバタともがき苦しむものです。
それはそれでいいんです。
ジタバタと悪あがきをしながらも、どこかでその困難な状況や苦しみに向き合っていればいいんです。
そして、何らかの納得が得られるまで、逃げ出さ出したり、放り出したりしなければいいんです。
逃げ出したり、放り出したりすると、多くの場合、また同じようなことの繰り返しになります。
しかし、多くの人はそれが出来ないんです。
みんな逃げ腰で、表面的な判断で、楽な方、楽な方への安易に行動します。
それではダメなんです。

取りあえず、これでお答えとさせていただきます。
気が向かれたら、いつでも書き込みしてください。
大歓迎です。

659st:2015/05/03(日) 18:22:45
ああ、慧空

私はあなたをとんでもないカルト野郎だと思う。
あなたは自身が陥った欠落を言葉巧みに教えているに過ぎない。
あなたは涅槃に入るが、代償が大きすぎる。
あなたはトラップにかかっていると思う。自覚ワーク?そんな
ブラックなものに囚われているあんたはやはり新興宗教者だ。

660st:2015/05/03(日) 18:26:38
それに、あなたが私と名指ししたコメは名無し以外
すべて私のコメントではない。
あなたは何も見えていないんですよ。節穴です。

あなた涅槃に入る。それだけが真実です。

661慧空:2015/05/03(日) 18:29:48
stさん、こんにちは。
こりゃまた言いたい放題ですねぇ。(^o^)
まあ、ブラックだろうが、新興宗教だろうが、
なんと言われようといいんですが。(^o^)

特にお返しする言葉はありません。
どうぞお好きなように仰ってくださいな。

662慧空:2015/05/03(日) 18:32:10
>それに、あなたが私と名指ししたコメは名無し以外
>すべて私のコメントではない。

そうだったのですか。
それは大変失礼いたしました。
すみませんでした。

仰る通り、私の目は節穴です。

663慧空:2015/05/03(日) 18:35:44
>あなた涅槃に入る。それだけが真実です。

う〜〜ん、これについてはどうかと思いますよ。
涅槃がどういうものなのかよく分かりませんし、
これが真実だと言えるものもないですから。

664st:2015/05/03(日) 18:38:17
教祖になろうとするな。
あんたの教えは穴だらけだ。

言いたいことはそれだけ。
後は自覚して自身で考えろ。
あと、コメ読んでると子供への虐待癖があるな?
それだけは絶対やめろ。

665st:2015/05/03(日) 18:41:12
あなたが思っている涅槃に入るんですよ。
他のものが入る涅槃ではない。

666慧空:2015/05/03(日) 18:45:09
>教祖になろうとするな。

私が教祖になろうしているように見えますか?
そう見えると言われたら、返事のしようがないですが。(^o^)

>あんたの教えは穴だらけだ。

stさんにはそう見えるのですね。

>あと、コメ読んでると子供への虐待癖があるな?
それだけは絶対やめろ。

どういう行為を虐待というかは主観によるところでしょうね。
それに、仮にそれが虐待だとしても、どうしてやめろ必要があるのですか?
私の行為を虐待として捉え、そして絶対やめろと仰る、その考えは誰の考えですか?

667慧空:2015/05/03(日) 18:47:19
>>665

私にはもう、これが涅槃だというような考えがないんです。
涅槃がどういうものか、少し分かったような気になっていた時期も確かにありましたが、
いまはもう本当に分からなくなっているんです。

668st:2015/05/03(日) 18:50:46
そう、あなたが言う二元論だ。子供を虐待するのは間違っている。
ごく当たり前の捕われだ。
あなたは大悟に至ったいう感慨で、子供を行楽に連れて行くこともやめ、頭を
衝動に忠実に蹴り倒す。

これが虐待でなければなんなのだ?

669慧空:2015/05/03(日) 18:57:37
>あなたは大悟に至ったいう感慨で、子供を行楽に連れて行くこともやめ、頭を
衝動に忠実に蹴り倒す。

ちょっと偏った思い込みをされているようです。
頭を蹴っ飛ばしたりもしますが、子供の遊びにつきあったりもしていて、
ある程度はいろいろやってるんですよ。
いまさっきだって、子供を回転寿司に連れてってきましたし。

670st:2015/05/03(日) 19:02:18
あとは私とあなたのやりとりを他者がどう思うかに任せます。
埒が明かない。

671慧空:2015/05/03(日) 19:16:05
>埒が明かない。

はい、まさにそうですね。

ただちょっと、このやり取りを読まれる方に対して少し補足しますね。

そもそものところ、やっちゃいけないことや、こうあるべき等の否定的または制限的な縛りはないんです。
そういう否定的な考えや制限的な考えが、私たちを縛っている囚われなんです。

やりたいように、思うように行動すればいいんです。
しかし、多くの方はそれができない。
これがダメ、あれがダメ、こうあるべき、これが真実であれは誤りだ、などと自分や周りを縛り付け、
窮屈に生きています。

そういうことなんです。

672st:2015/05/03(日) 19:20:39
それが屁理屈とういう。

だからあなたはあなただけの涅槃に入る。
他のものと違う絶対的な消滅。

私があなたに見た「涅槃」そのものです。
他のものが入る涅槃と違う。

673慧空:2015/05/03(日) 19:32:43
>それが屁理屈とういう。

多くの方はそう思うでしょうね。(^o^)
屁理屈にしか聞こえないんです。
私としては、本当のことを言っているのに。(^o^)

でも、それでいいんです。
普通の人は、常識や分別を大切にして生きたらいいんです。

私はある意味、既に人間ではありません。
人間には常識的な分別があります(どうやら神と呼ばれる存在にもそれはあるようです)。
しかし、私にはもうそれが無い。

674ケロケロ菩薩:2015/05/14(木) 12:41:21
慧空殿、解っていながらすぐ議論に付き合うんだから〜(^.^)
Stさんも苦しいんでしょうね、何かに投影しないと身が持ちませんよね。私も投影しまくりの悪役作りまくりです。
偉そうなこと申しましたm(__)m
((笑))

675慧空:2015/05/14(木) 13:33:11
ケロケロ菩薩さん、こんにちは。
私の場合、ヒマなのもありまして、
どんな舟でも来た舟には取りあえず乗っかるようにしてます。(^o^)
私はどんな舟でも、振り落とされたり、悪酔いしたりしませんから。(^o^)

676名無しさん:2015/06/07(日) 05:54:04
>ただ、何かを極める道と悟りを極める道は、決定的に違う点が一つあるんです。
>何かを極める道には終わりが無いですが、悟りの道は終わりがあるんです。

これはよくわからない。この部分がかなり特殊ですね。たとえばエベレストの頂点
に立つことみたいな意味ですかね。それ以上高いところはないですから、そこで
終わりですね。でもそれは人が歩いて登れる一番高いところを目指しているから
それが終わりだということであって、目標を設定してそこに到達したというだけですね。
 別の目標はいくらでも立てられる。だから終わりなんてない。
つまり悟りという目標を立てたら最後、その目標に到達したら目標を立てること
すら終わりになってしまう。
「人(目標を立てる)として終わる」ということですよね。
 おいおい、ちょっと待て!! 苦しみは解決したいんだが、苦しむ人そのものは
残しておかないとヤバいよね。それは解決ではなくて切除だよ。それは困る。

677慧空:2015/06/07(日) 07:30:45
>>676

>おいおい、ちょっと待て!! 苦しみは解決したいんだが、苦しむ人そのものは
残しておかないとヤバいよね。それは解決ではなくて切除だよ。それは困る。

大丈夫ですよ。
苦しむ人は最後まで決してなくなりません。
最後の最後まで否でも堪能できますよ。(^o^)

678思路:2015/06/07(日) 09:06:56
それを聞いて安心しました。 で苦しみの何が解決したの? つまり
苦しみがよりリアルになるので、いままでぼやーっと苦しんでいたのが、チクチク
と激しく苦しむようになるとかですか?
 ある種の苦しみは消えてしまうけども、別の根源的苦しみはより強度を増して
くる。自分なんかは鈍感で能天気なので、もしかしてたぶんありえないとは思う
けれども、もしかして悟りを開いたら今より100倍苦しくなるかもしれないね。
 苦しくはなるけど面白くなるみたいな感じですかね。たとえばマラソンが楽しい
みたいな感覚と同じとか。

679慧空:2015/06/07(日) 09:59:56
思路さん

苦しみについては、私のブログの次の記事をお読みください。
それで、何か気になられることがあれば、またご質問ください。
http://blog.goo.ne.jp/suiku2013/e/789f46846244da521004dea8949513b1

ちなみに、悟りを深めるにつれ、楽しさや楽しみを追求することは減っていきますよ。
楽しいというより、つまらないという感覚の方が勝っていきます。
なぜなら、どうしようもなく飽きてしまって、飽き飽きしているからこそ、最終的な悟りに到達するという側面がありますから。

680思路:2015/06/07(日) 10:38:58
そうなんですか? 自由になるので天真爛漫で愉快になるんじゃないのですか?
解放というのはそういう風になるのだと思っていました。だから芸術性とかが
豊かになる。和尚とか下手だけど面白い絵をかいてましたよね。

681慧空:2015/06/07(日) 11:47:24
自由、天真爛漫、愉快は小悟階層の典型的な特徴です。
浅い悟りです。
ラジニーシさんも小悟の方です。

682思路:2015/06/07(日) 19:10:25
ということは小悟の方が絶対に面白いですね。なるべく小悟レベルにとどまろうとは思わなかった
のですか? それとも必然的に大悟がやってくるのでしょうか?

683慧空:2015/06/07(日) 19:59:42
どの悟り階層がいいかは、人それぞれだと思います。
私は中途半端は嫌いなので、徹底的にやりました。
そうしたら、いつの間にか悟りの道がそこで行き止まりになっていました。

悟りが必然かどうかは、人それぞれだと思います。
私の場合は、運命的なものも感じたりしてはいますが、本当のところはどうなのかはよく分かりません。

684思路:2015/06/08(月) 06:56:39
大悟というのは脳の破壊と関係あるのではないでしょうか? こういうたとえが正しいか
どうか解りませんが、苦しみというのはある臓器に関係しているのだと思います。その臓器を
苦しい臓とよぶとすると、苦しい臓はそれほど重要な役割をしているわけではないので
盲腸と同じように切除しても殆ど問題ない。その切除方法が瞑想なのではないでしょうか?
 メスを使わないので切除というのは想像しにくい人もいるかもしれませんが、使わない
臓器は簡単に消滅していきます。寝たままだと1週間もすれば筋肉が衰えて立ち上がること
すらできなくなります。苦しい臓に関わる思考を止めると、苦しい臓は萎えてしまう。
 あとはハレ晴れの世界になります。
ただそれをさらに徹底的にやってしまうと、ハレハレも通り越して、物静かになってしまう。
 
 義母が脳梗塞で倒れました。以前は普通の物静かな人でしたが、脳梗塞以後は凄く陽気に
なりました。半身不随ですし、痴呆も少し入っていますが、陽気なので皆から喜ばれています。
入院期間が終わって、施設に移らなければならないのですが、面接も一発で受かりました。
ボケていても陽気で面白いので、施設も大喜びです。梗塞ももう少し当たり所が悪いというか
場所が違うと、喧しく説教を始めるタイプもいるらしいです。院長が往診に来ても説教をする。
こういうのになると、施設も嫌がって引き取り手が少なくなります。

685思路:2015/06/08(月) 07:14:23
脳梗塞で悟る例としては、脳科学者のジルボルトテイラーが有名ですね。
彼女の場合は左脳をやられて天国を垣間見たようです。左脳がやられると
陽気になり、右脳をやられると論理的で口うるさくなるようです。右脳をやられた
大学教授の話も聞いていたので、義母が倒れた時は直ぐにそのことが頭に浮かびました。

 義母の場合は左脳ではなくて右脳でした。
「ヤバイ。左脳だったらなー」と思ったのですが、右脳がいかれても陽気になるケースは
あるようです。脳は不思議ですね。
クリシュナムルティなんかも壊れ方が独特で、彼の場合は脳腫瘍で脳梗塞とは違いましたが
非常に面白いですね。クリシュナムルティは大好きです。

686慧空:2015/06/08(月) 09:03:59
>大悟というのは脳の破壊と関係あるのではないでしょうか?

思路さんは、私という意識と身体の関係について、思い込みや誤解があるようです。
私という意識は、脳や身体の機能の上に成り立っているとお考えなのかもしれませんが、
そう結論されるのは早計かもしれません。
私にはもう、こうだとか、これに間違い無い等の確信や断言はないのでハッキリとしたことは申し上げられませんが、
おそらく、意識と肉体との関係は逆なのです。
肉体の上に意識が成り立っているのではなく、意識が、あたかも肉体が実体としてあるかのような認識を起こしているのです。

ですから、脳の働きと悟りとは、そりゃあ、何らの関係はあるでしょうが、
その関係は本質的なものではありません。
むしろ、どうでもいいことです。
本質的なことは、私という意識そのものや、その動きの中にすべて含まれています。

それと、大悟(見るものは見られるもの)と最終的な悟り(解脱)との関係について、少しコメントしますね。
大悟と最終的な悟りとの間には、まだ大きなギャップがあります。
クリシュナムルティは、見るものは見られるものを知っている大悟者のようですが(私は彼のことは殆ど知りません)、
最終的な悟りに至った方ではありません。

687思路:2015/06/08(月) 10:10:35
>思路さんは、私という意識と身体の関係について、思い込みや誤解があるようです。
>私という意識は、脳や身体の機能の上に成り立っているとお考えなのかもしれませんが、
>そう結論されるのは早計かもしれません。
>肉体の上に意識が成り立っているのではなく、意識が、あたかも肉体が実体としてあるか
>のような認識を起こしているのです。

そうですね。厳密なところはともかくとして、たとえば肉体的な修行を通じて意識が変わる
とか、意識の修行を通じて肉体が変わるとかというようなことは多く体験されているのでは
ないでしょうか?
 肉体と意識には密接な関係があって、一方から一方へ作用を及ぼすことができます。
だからどちらがより本質的かというと、その人の性質によるように思います。
自覚はマハルシの「私はだれか」と同じ手法ではないでしょうか? この系統が好きな
人とボディーワーク系がよく合う人と別れるような気がします。
 分け方としては、ハート派と頭脳派とボティ派のような分け方もあるかもしれないですね。
自分はホディ派ですかねー。痛い目にあって初めて解る。W

688慧空:2015/06/08(月) 10:21:30
> 分け方としては、ハート派と頭脳派とボティ派のような分け方もあるかもしれないですね。
自分はホディ派ですかねー。痛い目にあって初めて解る。W

確かに、浅い悟り階層ではそのように複数のルートがあり得るのかもしれません。
ですが、ボディーワークを使って至れるのは、小悟が限界です。
なぜなら、小悟階層に至ると、ある意味、肉体の死を超越してしまいますから、
肉体から意識への影響が基本的に切れてしまうのです。

また、ハートのワークを使って至れるのは、大悟が限界です。
なぜなら、大悟に至るとハートそのものが消失しますから、
そもそものところ、ハートは使いようが無いのです。

689慧空:2015/06/08(月) 10:33:07
肉体と小悟(明け渡し)との関係について少し補足しますね。

明け渡しとは受け入れですが、その受け入れによりどういう囚われを手放したか等により、
明け渡しの内容や深さにはいろいろ違いがあります。
しかし、典型的な明け渡しには、肉体の死の受け入れも含まれています。
ですから、典型的な明け渡しを経験して小悟に至ると、肉体や肉体の死に対する恐れや囚われが
かなりの割合で消失してしまうのです。
もちろんそれでも、肉体を維持するための最小限のものは残ることが多いですが。

そういう訳で、小悟階層に至ると、私という意識が、肉体やエネルギーのことに対して、
本質的な影響を受けるようなことは無くなってしまうのです。

690思路:2015/06/08(月) 10:53:10
>肉体から意識への影響が基本的に切れてしまうのです。
>また、ハートのワークを使って至れるのは、大悟が限界です。
>なぜなら、大悟に至るとハートそのものが消失しますから、
>そもそものところ、ハートは使いようが無いのです。

なるほど。解るような気がします。
しかしハートが無くなるのですか? でも慧空さんは随分優しい感じがしますが
それはハートとは違うのですか?

たしかに思い当たることはいろいろあります。宗教の入り口は愛だとか慈悲だとか
甘い蜜がたんと積まれていますが、いざ中に入るといろいろきわどいこと
を突き付けられます。
 「成長したくないのですか?あなたは本当にそれでいいのですか?」
みたいな感じで無理難題が山と積まれます。あの甘い香りはどこに行ったのだ?
これはキリスト教でも仏教でも新興宗教でもカルト宗教でも同じで、うだうだ
言いながら入信はしないで、周辺をうろついている時が一番楽しい。W
ちやほやされて、親切にされる。一旦入信しようものなら、ボロボロに使い倒される。
まあそれが修行だから仕方ない。W

691慧空:2015/06/08(月) 11:15:48
私にはもうハートはありません。
私のことを優しいと言ってくださる方がおられるのは確かですが、
私は優しくはありません。
優しそうに見えるこきもありますが、人でなしのように見えるときもあります。
私はそのときどきによって、くるくると変わります。

ところで、思路さんは、何を求めておられるのですか?
思路さんの一番大切なことや、一番大切にしたいと思うことは何ですか?
ご自分の内面をしっかりと見つめられて、ご自分の本心と向き合ってみてください。
自分が何を求めているのか。
一番大切と思うことは何なのか。
まずはそれをしっかりと捉えて頂きたいと思います。

そして、それが分かったら、そのことに全力を尽くして頂きたいと思います。
時間は貴重です。

692思路:2015/06/08(月) 12:42:15
残虐にもなるのでしょうか?
あなたがというよりも、イエスやブッダ、そしてその精神を引き継いだもの達も
同様でしょうか?

693思路:2015/06/08(月) 12:55:44
>ところで、思路さんは、何を求めておられるのですか?
>思路さんの一番大切なことや、一番大切にしたいと思うことは何ですか?

何が大切かは一概にいえないです。一番優先順位が高いことを今やっているのだと
思います。
 風呂に入る時は、とりあえずそれが今の最優先事項なのでしょう。
「そんなことをしている場合じゃないだろ」と言われれば仕方なしに1か月くらいは
風呂なしでも我慢しますが、でもどこかでやっぱり風呂に入ります。

694思路:2015/06/08(月) 13:23:38
>一番大切と思うことは何なのか。
>まずはそれをしっかりと捉えて頂きたいと思います。

何が一番大切なのでしょうか?
悟りですか?
 よくわからないのですが、悟りも面白そうです。ですがピアノレッスンや筋トレと
同じようなものだろうとおもっています。自分の場合悟りも筋トレもうまく行きません。
かなりお金をかけてトライしてますが、グワーーーンと成功した実感がありません。
ちょっと前進したかなくらいです。そんなに目標は高くなくて小悟ていどで十分です。
 坐禅の接心に参加して三昧がわかるようになったときは
 「ス、凄い。これで悟れる!!!」と思ったものですが、そこから先が全くダメです。
三昧ってわかりますか? すこし坐禅をしていると気持ちよくなります。
慣れてくると別に坐禅をしなくてもその状態に入れます。変性意識状態っていうんですかね。
 一年くらいやってもダメなので「これは違うな」と解りました。

695慧空:2015/06/08(月) 14:52:20
>残虐にもなるのでしょうか?

そうですね、残虐に見えるようなことも、私は平気でやることもあると思います。
いまのところは、息子の頭を足で蹴るくらいのところで収まっていて、かわいいものですが。(^o^)

>あなたがというよりも、イエスやブッダ、そしてその精神を引き継いだもの達も
同様でしょうか?

イエスやブッダなど他の人のことは知りません。
ですが、最終的な悟りを得た人なら、何の拘りもありませんから、
それこそ何をするか分からないところはあると思います。

>何が大切かは一概にいえないです。一番優先順位が高いことを今やっているのだと
思います。

はい、それは一つの正解です。

696慧空:2015/06/08(月) 14:57:07
>何が一番大切なのでしょうか?
>悟りですか?

それは、思路さんご自身のことですから、私に聞かれても分かるはずがありません。
ご自分の本心を見つめてください。

三昧は何となく分かります。
経験はしたことは無いと思いますが。
座禅をやられるのでしたら、ぜひ私のブログに書いてあります、自覚をやってみてください。
http://blog.goo.ne.jp/suiku2013/e/b46f53e9aba8cee84f1abc9507a3ecbb

697思路:2015/06/08(月) 15:49:48
>それこそ何をするか分からないところはあると思います。

残虐なことも違法なこともするということでしょうか?
なぜそんなことをする必要があるのでしょうか?

オーム真理教の暴走はなぜ起こったのでしょう? 宗教の暴走自体はよくあることで
数々の教団がたくさん事件を起こしています。そんなに珍しいとではないとおもいま
すし、オームの場合もそれらの一つに過ぎませんが、やはり死人が多かったので結果的
には非常に大きな影響を与えた事件になりました。
悟りを開くということは危険なことなのでしょうね。
 その意味では堕落したと言われる葬式仏教の坊主の方が害がなくて安全ではありますね。

 たとえば共産主義などはある意味非常に理想的で人間的美しさに溢れていて、殆ど聖なる
システムと言っていいくらい完璧に見えますが、実態は全く逆で残酷で出鱈目ですね。
きれいごとを並べても全く機能していない。
聖なるシステムは大いに悪用される可能性が高い。坊主を見るとその実腐ったのが多い。
これは一般的感覚ではないでしょうか?

698思路:2015/06/08(月) 15:53:44
>座禅をやられるのでしたら、ぜひ私のブログに書いてあります、自覚をやってみてください。

ザッと読んだだけですが、よくまとまっていていい方法ですね。

699慧空:2015/06/08(月) 16:13:22
>残虐なことも違法なこともするということでしょうか?
>なぜそんなことをする必要があるのでしょうか?

ですから、最終的な悟りに至るということは、そういうことなのです。
残悪を含めた一切の囚われが無くなりますから。
良い悪いの判断は、その基準を誰がそう決めてやっていることなのでしょう?
「私」という自我が、自己の握り締めた固定観念や社会通念等の囚われに基づいて、
やっていることなのです。
善悪等の判断は、すべて妄想なのです。
善悪なんてものは本来無いんです。
ただこと(現象)が起こっているだけです。
それを、私という自我が各自好き勝手な判断基準で、善悪等に色分けしてるだけなんです。

オームは、単なる盲信による暴走です。
悟りとは何の関係もありません。
浅原を含め、あの組織の中で、何らかの悟りを得ている人はいなかったのだろうと思います。

社会現象は、物語のようにそれなりの仕組みや、起承転結等のストーリー性もあって面白いですね。

700思路:2015/06/08(月) 19:27:13
素粒子のレベルまで覚醒すれば、残虐もへったくれもないでしょう。そこには人間は
存在しない。しかし人間といういわば妄想レベルでの話です。覚者と言えども人間です。
それもまた妄想の塊です。

「それもまた過ぎ去る」という言葉をご存じでしょうか?
言い換えれば
「それもまた妄想」なのです。
そして過ぎ去るものや妄想の始まるところとして「今」があります。
自覚とは今を捉えることでしょう。それは根源的「今」だし、同時に根源的な
「私」のことです。
 しかし根源的私とは素粒子の集合体でしょうか? そうではなく人です。これは
前提です。
インドの聖者などは、言葉に窮して「私は既に死んでいる」などというものがいます。
しかしそれは違う。勝手に死んでもらっては困ります。W

701慧空:2015/06/08(月) 19:38:36
>自覚とは今を捉えることでしょう。それは根源的「今」だし、同時に根源的な
「私」のことです。

自覚とは、第一にまずは、「私」に意識を向けることです。
第二に、「私」を捉え、「私」に起きてくる考えを捉えることです。

>しかし根源的私とは素粒子の集合体でしょうか? そうではなく人です。これは
前提です。

「私」とは、考えです。
人と言うと、それにはさまざまな規定や固定概念等の囚われがまとまりついています。
「私」は、人などという狭い概念や存在ではありません。
「私」は、考えそのものであり、意識そのものです。
そして、幻です。

702名無しさん:2015/06/09(火) 06:15:58
「考え」は人ではない。それは当然「私」ではない。
狭くても窮屈でも人であることの制約を外してはいけないでしょう。それを外すなら
人以上ではなくて人以下です。

もしそれを完全聖者と呼ぶなら、完全聖者の内で考えだけが単独で暴走する。
それは完全聖者にとっては暴走ではなくて正常です。人には意味が
解らないので暴走に見えるだけです。人は人を前提にしています。
完全聖者も人の延長にあるもの、つまり並みの人以上の偉大な人だと思っています。
だから意味が分からない。
 オームは単なる盲信による暴走でしょうか? そうではなくて完全聖者の計画的
行動です。信者がそれに従っただけです。

宗教学者の島田裕巳にしろ中沢新一にしろ一級の知識人ですが麻原を高くかっていた
節があります。麻原は悟りを開いていたと思います。悟りは善悪とか知性とは関係
ありません。麻原は聖人特有のオーラを持っていたのでしょう。
そうでなければ島田や中沢が簡単に認めたりはしない筈です。

オーラや超能力は聖人の証拠にはならないということです。悟りも同様です。
完全聖者は完全化することで人を逸脱したキチガイなのです。

703慧空:2015/06/09(火) 07:03:13
麻原やオームのことはどうでもいいです。
私には興味がありません。

>完全聖者は完全化することで人を逸脱したキチガイなのです。

これは当たっているところがあると思います。
私はもう人ではありませんから。(^o^)

704孤独な羊:2015/06/09(火) 18:23:55
ご無沙汰してます。以前書き込みした孤独な羊です。
その後の経過で善悪について及んだ考えがあります。まず善悪の有無で言えば、勿論あるわけです。
善悪基準がないなんて野性的本能で生きる動物と何ら変わらないじゃないですか。
悟ったような人なら必ず善を身につけます。
なぜなら善を行うことが最上の快楽であることを理解するからなのです。
実行を伴う環境にないから苦しいのではないでしょうか。

705慧空:2015/06/09(火) 18:45:05
孤独な羊さん、こんにちは。

ではそう仰るなら、ちょっと追求させていただきますよ。

「善悪の基準はある」と仰るその根拠をここに示して、あるいは述べて頂きたいです。
善悪の概念が、私という自我が考えている考え(幻)でないという根拠をここに示してください。
あなたが、これは確かな根拠だ、証拠だと思われることをここに示してください。

お話しはそれからお伺いいたしましょう。

706孤独な羊:2015/06/09(火) 19:24:01
根拠は良心です。

707慧空:2015/06/09(火) 19:36:04
良心は根拠になりませんよ。
言葉を言い換えているだけに近いです。
まあいいでしょう。
では、さらに追求させていただきます。

良心が絶対的なものとして「ある」という根拠を示してください。

708孤独な羊:2015/06/09(火) 19:40:47
良心があるかないかですか?それは自分でしかわからないのではないでしょうか?
人を殺して平気というのであれば邪心ですよ。人を殺して罪悪感があれば、それが良心の働きではないでしょうか。

709慧空:2015/06/09(火) 19:49:25
>良心があるかないかですか?それは自分でしかわからないのではないでしょうか?

それはその通りです。
良心という囚われの集合体がある人にとっては、確かになんらかのそのような葛藤なり、感触があるでしょう。
私も以前はありました。
いまは無いです。

私は、もし仮に人を殺してしまったとしても平気でしょうね。
間違い無いと思います。
それを邪心と呼ぶ人はいるでしょう。
それはその人に、これは邪心だという囚われがあるということです。
私にはそんな囚われも無いですから、例え人を殺しても何ともないです。
へっちゃらです。(^o^)

710慧空:2015/06/09(火) 19:50:22
そうだ、まだ私の追求は終わってませんよ。

善悪の基準や、良心が、絶対的なものとしてあるという根拠を示してくださいな。

711慧空:2015/06/09(火) 20:03:24
やり方を変えて、私の方から少し攻め込んでみましょうかね。

善悪の基準や、良心について、これらは何か普遍的な基準やものがあるというより、
人によってかなりまちまちで、もの凄い場合だと、人によっては真逆になっているようなことがありませんか?
例えば、Aさんの良いと思ってCさんにしたことも、Bさんから見たら本心からあれは悪いことだと思ってしまうケースがあると思うのです。

これは善悪に限らず、私たちの周りにあるあらゆる基準や社会通念について言えることです。
人によりバラバラで、もの凄いケースだと、真逆の判断を下すことがあります。

善悪や良心なんて、そんなあやふやなものだということです。
そうやって、善悪や良心について追求していくと、私という自我が好き勝手に考えている考えであり、囚われに過ぎないということが分かってきます。
これは、本当です。

712孤独な羊:2015/06/09(火) 20:28:23
そうですね。だから私達は翻弄されてしまうのでしょう。。邪心によって。
宗教で扱われる道理は、、良心から生じています。
現代人は型から習おうとして木を見て森を見れなくなっているのではないでしょうか。
苦しみ体験と自省を繰り返すことによって漸く目覚める理解のできることなのかもです。
そのために生きていると言って過言ではないかと思いますね。

713慧空:2015/06/09(火) 20:36:10
>そうですね。だから私達は翻弄されてしまうのでしょう。。邪心によって。

良心、邪心を羊さんがどのように考えておられるのか分かりかねますが、
正反対のものとして捉えておられるのなら、自分に都合のいい方、つまり良心の方だけ取り上げようとしてもダメですよ。
良心があれば、必ず対になって邪心もあります。
良心的に見える人の内面には、必ず邪心が秘められています。
必ずです。

邪心だけが、人を翻弄するのではないんです。
良心も、ベクトルの向きが違うだけ、同じように人を翻弄してるんです。

714孤独な羊:2015/06/09(火) 20:40:58
そうすると仏陀の悟りなどもないことになります。宗教もですよね?
戒律がありますから。戒律は何を意味するかに還りませんか?
私は今日はこれで、失礼いたします。

715慧空:2015/06/09(火) 21:59:20
>そうすると仏陀の悟りなどもないことになります。宗教もですよね?

そうです。
無いと言えば、すべては考えであり、妄想ですから、無いですね。

>戒律がありますから。戒律は何を意味するかに還りませんか?

戒律がなぜつくられたのかは、私には分かりません。
おそらく、何か縛りが無いと生きられない幼い人たちがいたのでしょう。

716慧空:2015/06/09(火) 22:31:16
上の>>713の中の文章について、少し補足というか、修正しますね。

>良心的に見える人の内面には、必ず邪心が秘められています。

これはちょっと的確性に欠けます。
より的確には、良心に対する執着があり、自分は良心に従って生きている、
あるいは、良心的な人間だと思っている人の内面には、必ずその同じ分量と強さの邪心が秘められている、ということです。

717孤独な羊:2015/06/09(火) 23:23:22
ちょっと寄らせてもらいました。対話を続ける前に質問です。
人を殺して平気なら生きてて楽しくもない。
自分が、それでいいというなら、それでいいじゃないですか。
何を求めてるのですか?
だから、あなたは自分に嘘をついているのです。
そして、そんなことばかり口にしていると善人でありたい人は誰も関わらなくなりますよ。
たとえば私は盲目なスティービーワンダーの描くような世界観が好きなんです。
人を殺して平気という言葉を改めない限り、もう関わらないでしょう。
わかりますか?
自覚もなく人に危害を加えても平気というのであれば専門家に掛かってください。

718思路:2015/06/10(水) 05:06:11
>それはその人に、これは邪心だという囚われがあるということです。
>私にはそんな囚われも無いですから、例え人を殺しても何ともないです。
>へっちゃらです。(^o^)

それは囚われがないということではなくて、人として破綻しているのです。
破綻の原因は悟りです。悟りが特別なものという思い込みがあるから破綻
に気が付かない。
 コカインを飲んで作った音楽には、彼らにしかわからない強い共感があります。
仏典も同じで、多くは普通の人には意味不明なゴミのような文章なのに悟りを
得た人にとっては彼等にしかわからない共感があります。いわばラリッた文章
なのです。殆どはゴミですが、中には普通の人にも響くものがあります。
 ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジはラリッていても宗教的天才
なので美しい言葉で世界を語ることができる。

 悟りは切除です。金玉を切るのと同じで不具者になることです。ブラブラして
いたものを切ったらスッキリする部分もあるけど、大抵は副作用が生じます。
電子レンジのだす電波に反応したり、自然におこる電界現象にも反応してエネルギー
を感じたりします。だから地震の予知ができたりする。そういう便利な部分もある。

719孤独な羊:2015/06/10(水) 05:13:24
慧空さん、おはようございます。
前文ではあなた様の掲示板を来訪しているにも関わらず、無礼な言い方の内容に仕上がってしまいました。
大変に申し訳ありませんでした。
ご縁が許されましたら、また楽しく語り合うことができればと思っています。

720思路:2015/06/10(水) 05:31:32
悟りは「ラリッている」状態ということは理解しておかなくてはなりません。
仏教では修行で悟りを得た後10年間は表に出さない。ラリッた状態を調整するためです。
この間仏典の勉強を詰め込んで、自在に説教をできる話術の達人になります。同時に
精神的には普通に戻るのです。嘗てはこういうことが行われていた。
 
 悟りを開いただけで自在に説教できる話術の達人になろうとしても無理です。これは
また別の技術です。
悟りを開くと、非常に敏感になります。ですから、僅かな表情などから人が思っている
ことや生い立ちなどが理解できるようになる。なので話術を身につければよいアドバイザー
になる可能性もあります。また逆にその能力を利用して高額なセミナーをしたりと
お金儲けに走る人もいます。
 いづれにせよ、次は利用技術を身に着ける修行が必要になります。

721慧空:2015/06/10(水) 06:49:11
孤独な羊さん、思路さん

善悪は妄想だというこの私の言葉は、普通の人には届きません。
それでいいんです。
普通の人は、それぞれが考える善悪の範疇で、まだまだ精一杯生きる必要があります。

私は、普通の人に向けて語っている訳ではありません。
善悪の妄想から覚め始めた人に向けてだけ、語っています。
もっと言えば、解脱に向けて歩み始めた人に向けてだけ語っています。

ですから、私の言葉に違和感や嫌悪感を感じる人がいて当然だし、
批判や攻撃を受けることがあっても、当然だと思っています。
私や私の言動に対し、何を言って頂いても結構です。
私は何とも思わないです。

722思路:2015/06/10(水) 07:46:09
病院に行くと「胃を半分きった」とか「俺は腎臓と肺の半分を取った」とか病気自慢
に花が咲きます。大手術はカッコイイのです。小悟とか大悟はそれと同じです。
大悟はカッコイイ。しかし損傷が大きくイカレかたも半端でないの苦しいはずです。
 
 折角大手術をしたのだからそれを有効に使った方がいい。
有効にということは不用意な発言は控えた方がいいということです。聖者には
それなりの需要がある。
ラマナなどもしつこい質問にまれにはブチ切れていました。ですが聖者としての役割を
チャンとこなしました。和尚やクリシュナムルティは脇が甘くてスキャンダルが
表に出てしまいました。そうなると格がワンランク下がります。

723慧空:2015/06/10(水) 08:06:50
>不用意な発言は控えた方がいいということです

何のために?
何を狙ってわざわざそういうことをする必要がると言うのですか?

私はこうやって、ここで好き勝手に語っているだけで十分です。
自分でも意外なほど、伝わるべき人にはちゃんと伝わっています。

また、私は口も悪いですが、素行もそれほど良くはありません。
息子の頭を平気で蹴り飛ばすくらいですから。(^o^)

私は、わざわざ私のところにやってくる人に対しても、「あっちへ行け、もう来るな」とか、
「お前はどうしようもないから、そのまま死ね」なども平気で言います。

私は、それでいいのだと思っています。
むしろ、それくらいでちょうどいいのです。
依存は排し、また準備の不十分な人を遠ざけるには、それくらいでちょうどいいんです。(^o^)

724思路:2015/06/10(水) 09:43:28
>何のために?
>何を狙ってわざわざそういうことをする必要がると言うのですか?

いまのあなたには解らないでしょうが、病的な状態だからだということです。

>自分でも意外なほど、伝わるべき人にはちゃんと伝わっています。

そうやって集まってくるのは雑魚だけです。あなたの師をどうおもいますか?
集まっているのは雑魚でしょ。

言葉や姿勢をただせば、それなりのレベルの取り巻きが集まります。聖者は不具者です。
サポーターつまり檀家や取り巻きが必要なのです。その時初めて悟りが生きてきます。

725たこりん:2015/06/10(水) 09:54:01
慧空さんはある意味正常だと思います。
世の中綺麗事に酔いしれている人多いです。
自分の気持ちにフタしてる人多い。
悟り関係のことはよく分かりませんが、善悪なんて人が勝手に作ったものである事は、なんとなくみんな気付いていると思われます。

726思路:2015/06/10(水) 10:19:36
>あるいは、良心的な人間だと思っている人の内面には、必ずその同じ分量と強さの邪心が秘められている、ということです。

底抜けに明るい天真爛漫さというのに出会ったことはないですか?
邪心など無縁の天使のように無垢の人もいます。

727慧空:2015/06/10(水) 11:22:04
思路さん

病的で大いに結構です。
不具者、いいですねぇ〜。
病的、上等、キチガイ、大いに結構です。(^o^)

雑魚ねぇ・・・、あなたの目にはそう見えるのですね。
そう見えるのならしょうがないですねぇ。
私としても言うことないです。
雑魚で結構です。(^o^)

私は誰の世話にもなりたくありません。
社会の中で生きていけないのなら、社会を捨てるだけですし、
自分の力で生きていけなくなったら、死んでいくだけです。

728慧空:2015/06/10(水) 11:24:53
>底抜けに明るい天真爛漫さというのに出会ったことはないですか?
>邪心など無縁の天使のように無垢の人もいます。

あなたは余り賢くないですね。
どこに目を付けているのですか。
本当に無垢で天真爛漫なら、そりゃあ、善悪も無いですし、良心なんて欠片もないですよ。
その人の振る舞いは、相当めちゃくちゃなものになるでしょうね。(^o^)

あなたは、自分の都合のいいところしか目に入っていないのです。

729慧空:2015/06/10(水) 11:28:56
たこりんさん

たこりんさんは、私の言っていることがそれなりにお分かになるようですね。

>悟り関係のことはよく分かりませんが、善悪なんて人が勝手に作ったものである事は、なんとなくみんな気付いていると思われます。

善悪の囚われは、そんなに甘いものではないですよ。
良心の呵責は、本人の気が付かない心の奥深くで起こっていることもあります。

730名無しさん:2015/06/10(水) 12:51:15
悟りは善意識の結集なのです
必ず殺してはならない殺させてはならないものです
そこを勘違いされては邪心にやられてしまう
また歩みを始めることになるのです

731孤独な羊:2015/06/10(水) 12:53:09
最初から悟りを開きたくて開く人は殆どいない
だからお釈迦様は最初から志があり最初から輝く良心のある特別な人物だった

732孤独な羊:2015/06/10(水) 12:56:28
どんな痛みにも耐え切れる人などいないのです
だから悟れるのでしょう

733孤独な羊:2015/06/10(水) 13:03:21
早い段階で信仰と戒律に落ち着く人ほど優位であることは確かと思います。
良心(真実)の理解に対する差異によって行動が生じるため善悪基準がないと仰る方がでてくるのではないでしょうか。

734慧空:2015/06/10(水) 13:11:26
ダメだこりゃ〜(^o^)

>悟りは善意識の結集

ため息が出ます。
あなたは悟りや、悟った人に対して、とてつもない妄想をつくっておられるようです。

過去から現在まで、修行者や出家者に、深い悟りに至った人が殆どいないのはなぜなのか、ということも、
あなたに語っても意味はないようですね。

この掲示板はお好きなように何を書いて頂いても結構ですから、
どうぞお好きなことを思う存分書かれたらいいです。

735孤独な羊:2015/06/10(水) 14:56:19
わかりました。出直し致します。
ありがとうございました。

736慧空:2015/06/10(水) 15:38:32
孤独な羊さん、自覚をやってみてください。
あなたにとって大切なことは、あなたのまわりにすべて揃っているはずです。
自覚を共として、日常を生きて頂きたいと思います。

737孤独な羊:2015/06/10(水) 17:19:34
慧空さん、そうですか。では是非お尋ねしたい。
>修行者や出家者に、深い悟りに至った人が殆どいないのはなぜなのか
如何なお考えで、根拠はどこにあるでしょうか?

738孤独な羊:2015/06/10(水) 17:30:36
体調不良で時間がありますので、先に自論を展開しておきます。
確かに偏った信仰に執着してしまっても理解したとは限らないでしょう。
私が先に言った信仰のメリットは何処にあるかについてですが、処罰といいますか苦が起きたとき対する反省の度合いが小さくて済むこと、猶予と機会が許されるメリットが少なくてもあるものとして考えています。
ですが逸早く言葉の真意を理解できれば、苦の経験による障害は最小化することができる。
その最善の道が信仰の教えの中にあるとした理由からです。

739孤独な羊:2015/06/10(水) 17:33:39
すいません、少し文章が変です。猶予と機会が許されるメリットなどと書いてますが、説明しにくいのもあるので此処は無視で結構です。

740慧空:2015/06/10(水) 17:37:13
>修行者や出家者に、深い悟りに至った人が殆どいないのはなぜなのか

私の考える最大の理由については、今日のブログ記事に書いた通りです。
多くの人の場合、その人にとって最も大切なことは日常の中にあるからです。
だから、日常を離れたところで悟りの成就は難しいのです。

もう一つの大きな理由は、依存です。
典型的なものは、その修行組織の教えやマスターに対する依存や、組織そのものに対する依存です。
依存は、悟りの成就にとってとても大きな障害となります。

741慧空:2015/06/10(水) 17:38:51
ですから、何かを信仰する等の心持ちでは、悟りの成就にはほど遠いのです。
信仰するとは、何かを信じることであり、依存することに他なりません。

742孤独な羊:2015/06/10(水) 17:49:07
なぜ、戒律があるのかわからないと仰ってましたね。
解釈は沢山あるはずですが、知りませんので自説です。
例えば良心(真実)に従って生きれば、本人にとって最善の人生になることは恐らく間違いないことと思うのですが。一般的には。
現実は周囲との比較により決定した心に従った選択を行う生き方が一般的となる見方でいます。
良心(真実)の理解度で行動に差異が生じて、そうした環境に適応していくと善悪基準がないとかという話がでてくるのが最近の傾向ではないかと考えられるのです。
でも良心を理解していないとき、良心を無視すれば結果的に過ちを犯したりすることになるのです。自説は。
過ちを犯した後に処罰(苦)を受けれたとき、過ちに気付ければ自省へ至ることができます。
この処罰(苦)を受けない条件にあると邪心を恐れなくなり、甘い囁きのある楽な方向へ誘導されていくのが人類の性というか特徴としてます。
過去に処罰(苦)経験があり且つ自省に至る人の何割かは知りませんが、再発を恐れたり理解を求めて信仰へ導かれるのです。
処罰(苦)経験を受けないですむ手段を取り続けるため、宗教等の戒律に従った生き方を目指す場合があるわけです。
これが戒律の制定ではないでしょうか。
とか考えることで整合性を見出してます。

743慧空:2015/06/10(水) 17:53:52
戒律についてせっかく解説いただきましたが、
私は戒律に対してまったく興味がありません。
すみません。

744孤独な羊:2015/06/10(水) 17:57:09
そうでしたか、わかりました。
ブログ拝見させてもらいます。

745孤独な羊:2015/06/10(水) 18:04:57
今日のブログ記事は拝見させてもらいました。私も大筋は変わりません。
そうですね精一杯が正しいですが、何を精一杯やるかという話の違いですかね?
いまのところは。
ありがとうございました。

746名無しさん:2015/06/10(水) 23:05:15
あー!はがゆい!!…!!
羊さん!!
違うんだってばー!!!
今の自分の殻に気付きそれが破らないと

747はがゆいのよ〜その良心〜♪:2015/06/10(水) 23:10:24
あー!はがゆい!!…!!
羊さん!!
違うんだってばー!!!
今の自分の殻に気付きそれが破られないとすいくうさんの話は腑に落ちないですよー!
…って感じ〜♪

748孤独な羊:2015/06/11(木) 00:42:26
はがゆいのさん、多数派意見が勝っても、それが必ず正しいとはかぎりませんよ。
留まれば苦しいのは承知ですし、易々とわかってもらえるとも思ってません。
自論を書き出させていただいたまでです。
この世界が無秩序だったら、どうなると思います?散々の結末を迎えて漸く秩序が形成されますね。
それ同様では結果的にダメなんだということです。世の矛盾はロジックで、すべて結ばれる。完璧なものです。
すべて平等で完璧に出来ているには出来ているのですが、好き放題すればよいということでもない。
この辺りが知れ渡ってしまえば人生の意味もなくなります。
正直言うと、私もこれ以上は理論に関わりたくない。そう思っています。
ただ理論は完成してるのですよ。耳に届かないだけで。
命の尊さだけは最低限学んでください。
自省に当たって、いい例がふと浮かんでしまいましたので一つだけ記させてください。
愛する人と死別の時、悲しみに焦点があたってばかりになりぎみですが、真意は残された人の学びのために旅立つケースは少なくないかと思います。
皆さんは御存じでしょうが、死別を悲しみとしてしか捉えられないために弔いの機会が多く与えられてしまいました。
自省ができなかったためです。一期一会の心境で接することができなかったことは大きく影響していました。
くれぐれも、そのようなことで悔やむことがないようにお気を付け下さい。
だらだらと綴りましたので出来栄えはわかりませんが、私は はがゆいのよさん の言われる「破るから」の意味は承知しています。お言葉に甘えて、この投稿で意見を終了の予定です。
では、またの縁がありましたら、軽いフィーリングで皆様と接することができるのを楽しみに、お別れしましょう。
あー!はがゆい!!…!!あー!はがゆい!!…!!:はがゆいのよ〜その。。(^○^) 南無 。。。
ありがとうございました。

749思路:2015/06/11(木) 04:04:41
悟りっていうのは、執着はかなりなくなる。だから殺人くらいじゃ心は痛まない。
でも執着が全部なくなるわけじゃない。
なぜならプライドが傷つくような場合はカチンとくる。高名な聖者でもブチ切れることは
よくある。並みの聖者なら石ころに躓いても怒り出すことはある。

 それに執着がなくなっても幸福なわけじゃない。執着がなくなると喜びもなくなる。
無邪気さや天真爛漫さもなくなる。

>あなたは余り賢くないですね。
>どこに目を付けているのですか。
>本当に無垢で天真爛漫なら、そりゃあ、善悪も無いですし、良心なんて欠片もないですよ。
>その人の振る舞いは、相当めちゃくちゃなものになるでしょうね。(^o^)
>あなたは、自分の都合のいいところしか目に入っていないのです。

天真爛漫さが解るような人は頭が悪くて、行動は滅茶苦茶で不快なものに感じる。という
ことらしい。

悟りたいと思うのはなぜなのだろう? 何が魅了するんだろうね。

750思路:2015/06/11(木) 04:41:46
「偽物の悟りと本物の悟りがあって、本物の悟りは凄いのだ。」
「そいつの悟りは偽物だ」「そいつの悟りは低級だ」
そういう意見もあるが、本当にそうだろうか? 

ラマナ > クリシュナムルティ > 和尚 > 彗空 > 麻原
みたいな序列を考えるのだろうか?

いや大悟者ということだから
ラマナ = 彗空 >クリシュナムルティ > 和尚 > 麻原
ということだろうか?

なにが序列を決定しているのだろう。

麻原ってのは悟りが何をいみするかを理解するうえでは検証しておく必要があると思う。
「彼は悟っていない」というのはたやすい。それに関わりたくないというのも解る。
しかし、事件以前にはマスメディアも宗教学者も高名な聖者ですらも彼をそこそこの
宗教者と認めていたのだ。
 一流のメディアですら彼を大々的に取り上げていた。

それに彼はまだ生きている。詐病といわれているが裁判官の前でマスターベーションを
したり、ウンコをしたり、まさに何でもありだ。枠なんて何もない。

>今の自分の殻に気付きそれが破られないとすいくうさんの話は腑に落ちないですよー!

麻原は殻がない見本だと思うがどうだろう?

751思路:2015/06/11(木) 04:55:12
>今の自分の殻に気付きそれが破られないとすいくうさんの話は腑に落ちないですよー!
>…って感じ〜♪

最初は「こいつらキチガイ?」と思っていても関わって馴染んでくると、何でもかんでも
腑に落ちるようになる。
 層化でもヤマギシでもエホバでも天理でもオームでも同じ。ある程度馴染んでくると
不思議な共感が生まれる。悪口を言うやつは許せない…って感じ〜♪

752名無しさん:2015/06/11(木) 06:26:22
羊さん…私は朝原嫌いですしすいくうさんの言う全てに共感してませんわ
日常は良心に従って生活してます
自覚が進めば腑に落ちるのはそうですがね…だから何?って感じ〜♪


よい1日を♪

753慧空:2015/06/11(木) 07:01:36
>>750

>なにが序列を決定しているのだろう。

序列というといやらしい感じが出ますね。
序列というよりも段階というか、階層があるんですよ。
階層を決定するのは、私という自我が握り締めた囚われの量です。
非常にシンプルです。
囚われの量が少なくなるほど、悟りの階層が進みます。

でも、こんな説明をしてもご理解いただけないでしょうが、一応やってみました。

麻原に囚われ(枠)が無いというのは、大きな誤解です。
いまは、単なる狂人になっている可能性もありますが、あの一連の事件を起こしたときは、囚われの中にいたんです。

それはとても明らかことなのですが、どうして明らかか分かりますか?

彼が社会やその仕組みに対して積極的に関与しようとしたからです。
つまり彼には、社会をどうこうしようとする強い意図があった訳です。
その意図の根もとには、さまざまな二元の囚われがあるはずです。

分かりますか?

すべては考えであり、幻だという理解があれば、社会をどうこうしようなんて意図が出てくるはずがないのです。
すべては考えであるという理解に至らずとも、すべてはニュートラルであるという理解がある場合でも、
社会をどうこうしようなどと意図は出て来ないのです。
だって、社会は常にニュートラルであり、ある意味常に完璧な訳ですから。

分かりますか?

754思路:2015/06/11(木) 09:22:58
麻原は捕まってパトカーに乗せられたとき、ウンコを巻き散らかして抵抗したらしい。
そんなことができる人は悟りを開いた人でも少ないと思う。
さすがに最終解脱者だと思う。囚われがない。

修行によって殻を破った。最終解脱した。
ところが、そこで別の囚われができたんだよね。政治的欲望とかだね。

そもそも「殻を破りたい」「解脱したい」と思う人は「殻を作りやすい」体質のひとだよ。
蟻んこはほっておいたらドンドン巣をつくる。それと同じで殻を作りやすい人は
こまめにブログを書き進めるし、ほっておいてら殻をドンドン作り上げる。だから
常に殻を脱出するとか破るとか解脱とかを意識していないといけない。

 でももともと殻を作らないタイプの人もいる。法律をまもらないのはへっちゃら。
ポリの金玉を蹴り上げて豚箱に入れられて初めて、「殻って大事だなー」「法律
をまもるって大事だなー」と反省する。
そういう人は殻を作る練習をしないといけない。

755思路:2015/06/11(木) 09:24:58
セミナーなどで洗脳にかかった人は自分の立ち位置がよくわからない。
それは「見えなくなる」からではなくて「よく見えすぎる」ことによります。

悟りは集中により視野を狭めて解像度を上げる方法なので、よく見えるようになるけど
視野が非常に狭くなります。
顕微鏡の解像度をドンドンあげていくようなものだから、ある段階からは全く別のもの
が見えます。違った景色に遭遇するので
 「これは悟りだ」「これが本質だ」
と勘違いします。ですがそれは単に景色が変わるだけです。
求道者や研究者は集中力はあるけれども狭視野な人が多い。

洗脳を解くには相対化が必要と言われます。いろんな宗教を渡り歩くと
どれもこれも矛盾が見えてきて、洗脳されているのが解るようになります。
これは瞑想などの手法とは逆で集中ではなくて俯瞰です。俯瞰力があると
洗脳にはかかりにくい。悟りの見え方とは違う見え方になります。

756思路:2015/06/11(木) 09:36:45
>日常は良心に従って生活してます

良心は悟りをみつめてもわからない。

でも猫をみるとよくわかります。子猫がなぜ可愛いか?
いたづらをするし世話がやけますが、無邪気さがなんとも可愛い。
つまり人には無邪気さとか喜びが必要なのです。なので多少のいたづらは
目をつぶります。
1)可愛い、無邪気だ、愛すべきだ
2)目をつぶる、許す、大目に見る
こういうのが矛盾なく共存するのです。

同じ構図が良心にもあります。
つまりそんなに突き詰めて、「良心てなんだ」「お前はクジラをくっても
良心があるのか?」
と闇雲に責めるものでもない。まあそこそこ、ぼちぼちって感じでいい。
そういうところは良心的に考える。

757慧空:2015/06/11(木) 09:52:33
>麻原は捕まってパトカーに乗せられたとき、ウンコを巻き散らかして抵抗したらしい。
>そんなことができる人は悟りを開いた人でも少ないと思う。
>さすがに最終解脱者だと思う。囚われがない。

こりゃあ、どうにもならんわ。(^o^)
この場所は自由に使って頂いて結構ですから、存分にお書きください。

758慧空:2015/06/11(木) 09:59:57
私の勘違いなのだろうとは思うのですが、
ひょっとして、あなた、多重人格症ですか?
前々からなんかそういう雰囲気を感じるんですよねー。
多重人格症の人とまだ直接会ったことがないので、よく分からないところが多いのですが。

759思路:2015/06/11(木) 10:13:57
俳優です。

760慧空:2015/06/11(木) 10:23:25
>俳優です。

ウケました。(^o^)
お返事ありがとうございました。

761孤独な羊:2015/06/11(木) 19:03:13
こんばんは
多少の理解を示していただけそうな気配に誘われて再訪問しちゃいましたwww
真実がある限り嫌いといいながら嫌いでもないですからw
真実探求が生きる目的にある限り、人には真実の探求をやめることなどできないのです
楽しい楽しいみたいな快楽的な話なんて、結局まやかしになるなんてわかりきったことなんですよ
この機会なので断っておきますが有言実行でないと、信用できないという洗脳学に陥っていませんか?
囚われがないと言いながら、ついつい心理を利用したマニュアルに従った頭が働いている
そういうのも洗脳ではないでしょうかね
ここでの私の行動を正当化すればですね、みなさま他人と関わらない意識だと自認されてるわけです
場に応じた私は平気で有言不行も行わせてもらいますよという因果です
去るときも挨拶もしませんので、ご理解ください
これで最後になるかもしれませんし、わかりませんw
それにしてもウンコを巻き散らかして抵抗するとは、如何に野生化が浸透しているかを象徴するような話です
動物や昆虫、自然界の生き物が法則に従って取る手段ですから

762孤独な羊:2015/06/11(木) 19:12:20
みなさん人生は知れば知るほど険しい世界ですよね
それで知らぬが仏とかあるがままとか知らない方がいいこともあるとかなる
求めれば与えられるみたいな話もあります
山頂に近づくほど道が険しくなるのは自然の道理だからでしょうか?
人生は挫折を繰り返しながら進む道が必ず用意されるわけです
最終解脱として楽して生きれる道理なんてないと思います

763慧空:2015/06/11(木) 19:35:33
羊さん

ところであなたは、何を求めておられるのですか?
何をどうしたいと思っておられるのですか?

また、どうしてここに来られるのですか?

764孤独な羊:2015/06/11(木) 19:46:53
私が求めるのは幸せです
戻ったのは因果があるからです

765孤独な羊:2015/06/11(木) 19:48:02
理解が近づくにつれ、人が黙道?へ辿りつくのはなぜでしょうか
そして黙道を辿る理由に二つの相対的な理由があるのだと思いますよ
学ばなくてすむ道も学ぶ道にも終わりなんかありませんよ
結果的に笑顔に少しでも多く出会いのであれば、良識により常識を築くほかないのではでしょうか
サイコパスになってしまったら、良識がなければ笑えません
サイコパス対策は良識で保護するしかないのです
因果は結局一般人に還元される
だから良識が必要となり、良識によりサイコパスをつくりあげない環境を構築するのが人類にとって幸せで楽な道なのです
我々日本人は多くを欲しがらず、原始的な生き方ほど精神性を見出せる機会が多くなります
それは事実ではないでしょうか
無の境地にも切っても切り離せない道理があるわけです
この辺りまでは書き出したい欲求はありました

766慧空:2015/06/11(木) 23:10:05
羊さん
余り書いても仕方がないと思って書かないようにしている部分なのですが、
少し書いてみますね。

羊さんの良心等に対する理解は、確かに当たっている部分はあるんです。
解脱の悟りかそれに近いくらいのかなり深い悟りに到達した観点からすると、
一切は考えであり幻であるということが腑に落ちますので、良心も囚われであり、
幻であるということになります。
この部分は、羊さんは良心はあると仰るでしょうが、そうではないんです。
そのまで到達しないと分からないのです。

悟りを知らない普通の人や、浅い悟りに留まっている人にとっては、
良心はしっかりとあるものなのです。
良心に反することをすると、呵責が生じ、苦しみが生じます。
まさに、あるのです。

ただし、普遍的な良心というものがあるのかというと、それはどうやら違うようです。
多くの人に共通する部分はあるでしょうが、何割かの部分は人によって大きく異なっています。
良心が無いという人は、自我の発達が未熟な人を除いていません。
みんな何らかの良心を持って生きており、良心に反することをすると、例え本人の表層意識でそれに気づかなくても、
意識の深い部分では、しっかりと呵責や苦しみが起こっています。

どこから話をすればいいのか、ちょっと考えますね。
良心の話は根が深いので、話し出すと切りがなくなります。

続きます。

767慧空:2015/06/11(木) 23:19:59
良心の話をする前に、輪廻転生とカルマの関係について少し話しておく必要があります。

どうして、輪廻転生が生じるのか。
それは、何か考え(囚われ)を掴み続けているので、その掴んだ考えがカルマ(種)となって、
私という意識の連鎖を延々と発生させているからなのです。

この掴んだ考え(囚われ)の内容として、輪廻転生を主導する大きな要素になっているのが、
「悔い」なのです。
輪廻転生を生じさせているカルマ(囚われ)のうちの最も大きな要素は、「悔い」なんです。

悔いには、様々なものがその対象となります。
人生でやり残したと思うことも悔いになります。
選択を間違ったと思うことも悔いになります。
良心の呵責は、そのような悔いの一例なのです。

つまり、良心という囚われがある人が、良心に反することをすると、
良心の呵責が悔いとして生じ、それが輪廻転生を生じさせる大きな要素(カルマ)となるという訳です。

続きます。

768慧空:2015/06/11(木) 23:22:47
ですから、良心や善悪という囚われが無くなってしまった人、
つまりそれなりの深い悟りに至った人の場合は、良心という囚われが無いですから、
何をやろうと、良心にいう考えとの関連においては、輪廻転生を発生させるようなカルマを生じさせないという訳です。

さあ、次に何をどう説明しようかなと。
続きます。

769慧空:2015/06/11(木) 23:34:07
次は、悟りの道を歩むときの、良心や善悪との対峙の仕方について書きますね。

良心(囚われですが)がある人にとって、自分の良心はとても大切なものな訳です。
これは、良心がある人なら誰しもそうであり、とってもとっても大切なものな訳です。

良心はとっても大切なものである訳ですから、その人なりに可能な限り精一杯大切にする必要がある訳です。
大切に精一杯向きあう行程が延々と続く訳です。
もしかしたら、何回も何回も生まれ代わりながら、その行程が続きます。
そして、そうやって精一杯向き合い尽くしたとき、何らかの形で良心という囚われを手放すときが来ます。

それが、良心を手放し、深い悟りに至るときです。
どういう形で良心の手放しが生じるのかは、人それぞれだと思います。

続きます。

770慧空:2015/06/11(木) 23:36:01
さらに何か書こうとしたのですが、
大体のことはもう書いてしまったようですね。

取りあえずは、この程度で止めておきます。

771孤独な羊:2015/06/12(金) 01:15:50
なるほどです。丁寧に聞かせていただいて感謝しています。
ただ、きりがありませんので^^;
また様子見て、気が向いたらお尋ねします。

772思路:2015/06/12(金) 04:06:43
1)普遍的良心はない。 良心は囚われである。
2)普遍的悟りはない。 悟りは囚われである。

1は仮定です。しかし1が正しいなら2は正しい。
単純明快です。

良心ってなんですか? 良心というのは喜びと関係しています。
相手が喜ぶことをしてあげる人は良心的です。相手の喜びがわからないと良心的では
無いのです。
犬は尻尾を振って喜びます。そこで猫がしっぽを振っているので喜んでいるかという
と実は違う。猫がしっぽを振る時はイライラしているときです。
猫は気難しいのでよく観察してあげないと良心的対応はできないのです。

 自分を観察しても良心は解りません。猫を観察することで初めて良心がわかります。
隣人を観察してこそ良心が解るようになります。悟りからは良心は解りません。

773思路:2015/06/12(金) 04:07:27
深い悟りと浅い悟り、どっちが悟っているのでしょうか?

深い方がいいに決まってる。深い方が偉いに決まってる。本当にそうでしょうか?
たとえば非常に清廉潔癖な裁判官がいます。どんな罪も見過ごさない。厳密に
法を適用します。盗んだらその手を切り落とす。よこしまな想像をしたらその頭を
切り落とす。こんな裁判官では困ります。そこそこええ加減でないと命がいくつあっても
たりない。
 ブッダもええ加減だったので修行仲間からは非難されました。
「おまえはええ加減過ぎる。もっとまじめに修行しろ」と。
そこでブッダは答えます。
「やり過ぎは禁物です。中庸が肝腎です。」

774慧空:2015/06/12(金) 07:03:43
>そこでブッダは答えます。
>「やり過ぎは禁物です。中庸が肝腎です。」

それがどうかしましたか?
お釈迦さんが何を言おうが、私には知ったこっちゃありません。

それに、そのお釈迦さんの言葉ですが、彼が本当にそのようなことを言ったと思いますか?
彼はそんなことは言ってないかもしれない。
文献に残っていることなど、どこまで信用できるのか怪しいものです。

775名無しさん:2015/06/12(金) 10:44:59
悟り中毒というのか、なんというか・・・。

自覚系の人達もそうですが、ノンデュアリティ(アドヴァイタ)の人達から感じられる共通の違和感、息苦しさ、
これはやはり「神の不在」によるものなんでしょう。

自覚に興味はありましたが、私はACIMに専念したいと思います。

776思路:2015/06/12(金) 11:01:42
演劇のトレーニングに野口体操というのがあります。これをパクって名前を変えて
ゆる体操というが少し前に流行りました。
自覚というのはラマナのパクリですが、それをすこし解りやすくダイジェスト化
しています。
 効果が同じならオリジナルがどれでも関係ない。こっちの方が解りやすいと
安易な方へ流れてしまいがちですが、実際にはオリジナルの方が何倍も力強い。

 パクさん、リさんはパクリはへっちゃら。その国ではパクリは日常茶飯事です。町には
パクッたものが堂々と溢れています。質は悪いが安いので輸入して販売しようとすると
犯罪になります。大手100均ショップは工業所有権裁判でてんてこ舞い。
パクッた癖に「これは俺のウリジナルだ。お前のは程度が低い」と喚きたてる。
 民度の低さはさておいて、そいつらの片棒を担ぐなんてのは、知らないで麻薬の
運び屋をやっているようなものです。
 某大手出版社は、麻原を担ぎ上げて大々的に空中浮遊の写真をばらまいて
小銭を稼いでいましたが、事件発覚で手痛い損害を被りました。

777思路:2015/06/12(金) 11:20:40
ACIM、立派なテキストがあるからと言って、中身が立派かどうか?

最近ローザンヌのバレエコンクールをみましたが、ここ10年で随分レベルが上がっている。
特にコンテンポラリー部門がレベルアップしています。のびのび自由で大胆です。
嘗て見たときは「ウワッ、臭さー。まるで宝塚」と思ったものです。

10年経つとかなり磨きがかかります。
いかがわしい悟りビジネスで、「臭っさー」と即判別できたものでものでも10年持ちこたえ
ると、外見からは解り難い。いかがわしいなりに技術力がアップします。手口が巧妙なので
ちょっとやそっとでは尻尾を出しません。
 だから騙されて当然です。騙されても財布の紐だけしっかりと閉めていれば、そんなに
害にはなりません。
修行には戒律が必要です。戒律を守ることで修行がはかどります。
1)修行に使うお金は、月に500円まで。
2)腹八分目で野菜を中心においしく食べる。
3)月に8日は休む。
戒律を決めたら、命がけでそれを守り抜きます。

778思路:2015/06/12(金) 11:37:04
 ところで台本を読む場合にはストーリをイメージするというのが非常に大事です。
しかし簡単にはイメージが湧かない時があります。そういう時はしつこくしつこく
読みます。そうすると作者の意図が段々と解るようになります。イメージもドンドン
湧きあがり動きもついてきて役の人物が憑依します。

 聖書を読むというのは台本の読み方に似ています。サラッと読むとほとんど何も
降りてこない。1ページを何時間もかけて繰り返し繰り返し読んでいるとついには
神が下りてくる。神の臨在。これは至福の時です。
 これには二つの秘密があります。憑依と神への委ねです。憑依とは他人に
心を乗っ取らせることです。これを繰り返していると段々と自我が薄れてきます。
それにつれて拘りや執着がなくなり自己コントロールが自由にできるようになります。

俳優の場合は憑依というレベルにならないと演じることができませんが、自我を無くす
修行というのであれば、小説を読んで感情移入するだけでもずいぶん効果があります。
文章的には稚拙な仏典や聖書を読んでもイメージが湧かないはずです。日本には第一級
の小説があふれています。それを読めば自然に作中人物に引き込まれます。これは
自我を無くす最良のトレーニングになります。しかも面白い。

779名無しさん:2015/06/12(金) 12:51:33
思路さん、ACIMに何か問題があるとお思いですか?
具体的にご指摘頂けるとありがたいです。

780慧空:2015/06/12(金) 13:14:21
>「神の不在」

はい、ここには神はおりませんし。
そんなものは、不要です。
もし出て来たら、たたき落として、踏みつぶしてやります。(^o^)

ちょっと言い過ぎですね。
話だけはちゃんと話をあげるつもりです。(^o^)

781慧空:2015/06/12(金) 13:15:23
話だけはちゃんと話をあげるつもりです。→訂正 話だけはちゃんと聞いてあげるつもりです。(^o^)

782名無しさん:2015/06/12(金) 14:05:01
慧空さん

ACIMでいう神は、この世界の創造には一切関与していないので、
叩き落としたり、踏み潰すことは不可能でしょうね。

783孤独な羊:2015/06/12(金) 14:43:44
慧空さん、こんにちは
興味が抑えきれず来てしまいました^^意識に浸透してない経験の不足を自認させられます
本題ですが、その悟りが何にも動揺することなく平穏であり続けられるものなら、それを否定するつもりはありません
でも自身の嗜好が意識にあり続ける限り、そんな域には到達できないはずです
その点で、本当は言われなくても自己矛盾を感じていますよね?
そうでなければ嗜好や喜怒哀楽の苦から逃れる安楽にあって、どうして嗜好や喜怒哀楽に動いて意味があるのでしょうか?

784孤独な羊:2015/06/12(金) 14:51:55
世にある意識レベルでの信仰の自由(生きる道の選択)は、例え法で規制しようと何があろうとも個人レベルで選択する権利を侵す手段はありません
普遍の原理原則なのです
ここに囚われ続けていれば、そこに安楽はありえませんよね?

785思路:2015/06/12(金) 14:52:39
>779 
奇跡って書いてあるので「胡散くせー。ボッタくりのセミナーか」と思いましたが、
そうでもないのかな?
ぱらぱらとみただけですが、おもしろそ。面白いかも。と思いました。

思路から孔門十哲の子路を思い浮かべた人は良識豊かな人です。思路障害を思い浮かべた
人は心理学好きです。「おもろ」と読んだ人は解脱の人です。
あなたには印可を差し上げます。発行手数料500円

宗教ごっこは気楽にやるべきです。和尚(ラジネシ)は側近に
「やれやれ、聖人のふりをするのはつかれるわい」と漏らしたそうです。
最近は暴露本も含めて和尚の本が全くでまわってない。以前は図書館にもたくさんあった。
本やにもズラッと並べてありましたが、最近は全くない。
和尚は宗教ゴッコで楽しんだ第一級の人ですね。色々と悪さをして問題も引き起こしました
が、インド的明るさと無邪気さがあった。

 これに比べて統一教会は残酷でジメジメして気持ち悪い。いまも残党が名前を変えて
暗躍しています。 スティーブンハッサンのマインドコントロールの恐怖というのを読むと
手口の全貌がわかります。

 印可だとか、ツボだとか、払子だとか、秘密のマントラだとか、お守りだとか
どうせ役にもたたんものばかりですが500円以内ならいいんではないでしょうか?

786思路:2015/06/12(金) 15:29:23
どこが苦しいの?
1)セックス
2)ハート
3)頭

1)が難しい。2とか3とか答える人でも実は1だったりする。
ブッダも大変だったんだよ。弟子が女をつれこんだり、猿と交尾したり、弟子どうしで
交わったりとそのたびに戒律を厳しくして、
「違反したら、やめてもらうからね」
と破門した。

我が家もこれで一大事。
猫が発情しました。夜中に「ぐぎゃーーーーーーー」と鳴きはじめる。赤ん坊をあやすように
抱っこしてお守りすること1週間。やっとおさまりました。もうくたくた。

787思路:2015/06/12(金) 15:30:11
猫ですが、一時的に預かるだけのつもりが、持ち主が取りに来ない。もう我が家の住人に
なっています。動物を家の中で飼うなんて冗談じゃない。でも保険所にもっていけば
殺処分されるから、それは抵抗がある。
 もし私が最終解脱していれば、即時に破門で保険所行きです。破門されなくてよかったね。
 
 猫は全然いうことを聞かない。高いところに座ってこちらを見下ろします。気が向いたら
餌をねだります。しかも7のペットフッドと高価なカツオしか食いません。
 これは突然我が家に神が降りてきたのと同じです。招き猫ですから貧乏神じゃないだろう
とは思っています。

ブッダでも救いようがなくて破門したのですから、この苦しみは解決不可能。諦めてください。

788慧空:2015/06/12(金) 15:42:51
>>782

そうなんですか、そりゃあ残念ですね。
私は一度でいいから、話しがしてみたいと思って、
神だけでなくサタンもさんざん呼んでるのですが、ちっとも来やしません。

789慧空:2015/06/12(金) 15:51:52
羊さん

>でも自身の嗜好が意識にあり続ける限り、そんな域には到達できないはずです

嗜好は最後まで残ります。
薄くなることはあっても、決して無くなるものではありません。
悟り切ってしまうと平穏は平穏ですが、私という存在そのものが苦である訳ですから、
基本的に常に苦しい訳なんですよ。
基本的に苦しいのだけど、時々、その苦を忘れるという感じです。

最終的な悟りとは、私という存在そのものである苦にどっぷりと浸りきってしまう訳なのです。
すると、その苦は根本的な苦であるので、どんな苦が起ころうと、苦のレベルは同じな訳です。
どんな苦も耐えられるという訳です。
だって、常に根本の苦に浸りきっている訳ですから。(^o^)

最終的な悟りは、一切皆苦、つまりすべてが苦であるという理解が伴っていますから、
何をどう選択しようと、どれも同じような苦である訳です。
そうすると、何かをどうこうしようとする衝動が停止してしまう訳なんです。
外側で起こってくることはもちろん、自分の内面で起こってくる感情や思考も、
いわば、垂れ流しな訳です。(^o^)

私はそのような垂れ流しそのものになってしまっているんです。(^o^)

790慧空:2015/06/12(金) 16:04:34
羊さん

>普遍の原理原則なのです

だから、普遍の原理原則なんて無いんですよ。
どうしてもそう仰りたいのなら、それが妄想でなくて、絶対そうだという証拠をここに提示してくださいな。
この現実世界や、目の前のパソコンについて、それが本当に実体としてそこにあるということが証明不可能であるように、
この世界に、絶対とか、普遍とか、そういうものは無いんです。
すべて、あなたの妄想です。

>ここに囚われ続けていれば、そこに安楽はありえませんよね?

ですから、安楽というのも、幻想な訳です。
しかも、安楽は非常に不安的なものです。
苦の方がよほど安定しやすいものです。

みな、そもそもどこにも無い安息や幸福を求めることで彷徨い迷います。
それはどうしてなのか、苦しいからなのです。
つまり、幸福よりも、苦の方がより一次的な要素であるのです。

しかしまあ、いくらここで、私がそんなことを言っても、伝われないのかもしれないのですがねー。

でもなぜか、私はここで延々と苦を説いてる訳です。

791孤独な羊:2015/06/12(金) 16:07:38
一切皆苦^^ですね
実践としまして、苦との対峙姿勢が問われるわけですから
関わるなと言って済んでしまえばいいのですが、現実は役目を持たされてしまっている
余計なものを、できるだけ減らしていくとなると、やはり戒律を守りながら真意を理解することに尽きるのだと思います

792孤独な羊:2015/06/12(金) 16:17:20
私の言った「信仰の自由(意識レベル道の選択)」普遍の原理原則が、どこにあるかについてご質問ですね?
人生を選択する意識が自分の働きでないとすると、それは洗脳されてる状態と同じではないでしょうか。
恐らく洗脳なら洗脳で解けますね
この段階だと無に戻らないと駄目かもしれません
まあ、そんな気がしてますね

793孤独な羊:2015/06/12(金) 16:19:17
ごめんなさい、質問の意図から少し外れました。
洗脳状態も含めて、普遍の原理原則ということです。

794孤独な羊:2015/06/12(金) 16:27:47
この世が幻想といわれるは、現実が幻想と捉えるべきではないでしょう
取る行動や取れる行動が幻想的という意味ではないでしょうか?
ようするに目覚めてないという意味合いが濃いように思います

795慧空:2015/06/12(金) 16:29:26
>人生を選択する意識が自分の働きでない

ああなるほど、そこについて言っておられたのですか。
それなら、私もある程度は分かりますよ。
だって、自分の手を動かしているのは、私自身であり、私の自我の意志ですから。

ただ、それを原理というと、大げさすぎて、囚われとなりかねません。
自分が自分の手を動かしている、その感覚は普通の当たりませのものです。

例えば、自分が自分の手を絶対に自分の意志で動かしていると言えるのかというと、
それは、私には分からないと言います。
だって、自分の意志で自分の手を動かしているように思うし、そういう感覚はあるけど、
それが自分の妄想でないと言える証拠がどこにもないからです。

分かりますか?
この世界のことがらは、何一つ、確証が得られるものは無いんです。
それは、つまり、夕べ夢の中で見た景色や、いま頭の中で浮かんでいる妄想と、
目の前の現実や、自分が自分の手を動かしている感覚とが、すべて、根拠の無いという点で同等であるということです。

796慧空:2015/06/12(金) 16:30:48
>目覚めてない

もうええわ。
もう知らん。
勝手にせえ。(^o^)

797孤独な羊:2015/06/12(金) 16:32:40
苦から読み取る要素が省みることになると前進があるわけですよね
だから仏教なんかでは感謝ができるという理屈でしょう
違います?

798孤独な羊:2015/06/12(金) 16:35:47
分かりますか?ついていけます大丈夫です^^
797の続きですが、省みた結果が良心に結びつく、そして感謝に至る道というのが通例と思います。

799慧空:2015/06/12(金) 16:35:59
根本の苦に気づく方法は、徹底的に自分に意識を向けて、自分を見る手法しかありません。
頭でいくら考えても、無理です。

羊さんも、自覚をやってみてくださいな。

800慧空:2015/06/12(金) 16:37:21
>感謝に至る道

そこは、小悟階層の浅いところです。
私はそこについて言っているのではありません。

801名無しさん:2015/06/12(金) 17:19:32
>>785
思路さん、承知しました。
奇跡にしろ神にしろ、俗な意味での定義付けとはかけ離れていると思います。

慧空さんの云われる一切皆苦は、あくまで本当は存在していないこの世界という枠組みの中の話なんでしょうかね。
その外(そと)というか、それはいくら概念をはずしていっても、
そこに至るはずもなく、幻影の中の事象、つまり、神とは無関係ということで・・・。

ニルヴァーナの「その先」があったからブッダももう一度戻って来ざるを得なかったんでしょうね。

802思路:2015/06/12(金) 18:08:34
幸せってのはなーに?
幸せ要件の一つに充実感があると思う。毎日が充実していたら幸せ。
だから実りのある仕事をすることだよね。そうすると充実感がある。
朝1時間走る。すると気分爽快で充実感がある。
充実感というのは体感だから、体を動かして何かをすると即感じることができる。
人の為に役に立つことをしているとやはり充実感が生まれる。これは幸せになる。
まして一言感謝されると最高に幸せになる。
褒められると最高に気持ちがいい。

不幸ってのは逆ですね。貶される。よかれと思ってやったのに感謝されない。内容を批判される。
馬鹿にされる。

>しかも、安楽は非常に不安的なものです。
>苦の方がよほど安定しやすいものです。

不幸の真っただ中にあっても、一人だけ賛成してくれる。理解を示してくれる。そういう人が
いると、不幸はかなりというか殆ど軽減されます。そういう仏様みたいな人が一人くらいは
どこにでもいますから、馬鹿をやっていても総じて不幸というよりは幸福になる確率の方が
遥かに高い。
 なので幸福になるってのはそんなに難しくない。人は簡単に幸福になれる。

 簡単なことをさも難しいことのように見せかけて高く売り込む。これが悟りビジネスの手口です。
さくらを準備してちょっとおだてて「幸福の絶頂」みたいにして、

「あなたはあんなに悩んでいたのに、いまはこんなに幸福でしょ。
我々のメッソードは素晴らしいのです。だからぜひ幸せを広めてください。
つきましては免許として100万円いただきます。」

あれれ、みたいな感じで、少し違和感があるんですが、そこは幸福の絶頂なのでへっちゃらですね。

803思路:2015/06/12(金) 18:16:35
一切皆苦 
一切皆楽
どっちですか? 人はほっといてもだいたい幸せです。
私も時には不幸になりますが、ちょっとおだてられるとすぐに幸福になります。

804慧空:2015/06/12(金) 18:22:19
思路さん、私の言うことなど聞く気なんてないでしょうに。(^o^)
さあ、どっちなんでしょうね。

思路さんは、どっちだと思われますか?

805思路:2015/06/12(金) 18:45:30
彗空さん。
 うつくしい女性に股間を触られるといまでも勃起するでしょ。心も同じです。触りどころ
があってそこを触られると制御不能で幸せになります。有頂天てんてんです。
これはいかんともしがたい。人間の性です。そこをくすぐられると誰であろうと例外なし
に幸福になるようになっています。

806慧空:2015/06/12(金) 19:13:10
>うつくしい女性に股間を触られるといまでも勃起するでしょ。心も同じです。触りどころ
があってそこを触られると制御不能で幸せになります。

確かにそういう面はあるかもしません。
しかし、そのような心の動きも煩わしいものなのですよ。
どんな心の動きでも、反応や動きそのものが煩わしい。
この感覚は、お分かりいだけないでしょうね。

807孤独な羊:2015/06/12(金) 22:31:39
時間が空きましたけど、慧空さん
”人を殺してもへっちゃら”発言のこと、これが気になって仕方がない
その悟りとサイコパス的な自由意識とで何か違います?

808孤独な羊:2015/06/12(金) 22:47:29
小悟とか大悟とか概念は解りかねますけど、私の言ったことが小悟とすると、その小悟は簡単に終わったりしないのです
人間は、いと小さき者なのだと同時に理解しますよね
ここで傲慢になれますか?
なぜ小悟から大悟へなるかというと、歯車としてある自分を理解するところから始まるのでしょう
私に言わせれば傲慢的な意識こそ、浅くて罪作りな小悟になりますけどぉ

809慧空:2015/06/12(金) 23:04:09
羊さん

>その悟りとサイコパス的な自由意識とで何か違います?

私の悟りは、根っ子のところから本当に何の囚われも無いんです。
ですから、私が例えどんなめちゃくちゃな行動をしようとも、反省もなければ、悔いや後悔も残りません。
まさにへっちゃらな訳です。

サイコパス的な自由意識というものがどういうものなのか、分かりなねるというか、
なんとなくしか分からないのですが、一応書いてみますね。

サイコパス的な自由意識というものはどうやらあるようです。
例えば、ちょっと前にあった土浦の連続殺人事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%B5%A6%E9%80%A3%E7%B6%9A%E6%AE%BA%E5%82%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6
の犯人は、確か、自分は神とか、あるいは、神をも超えた存在だなどといい、
人を殺しても何も問題無い、もっと殺したかったなどと言っていたようですね。
あの犯人は、おそらく、そういう異常な自由意識の持ち主なのだろうと思います。

端的に言えば、やはり、彼らの意識は障害か又は病的な欠陥がある訳なのです。
自我意識のとても表層的な部分が過剰に拡大してしまったような状態なのだろうと思います。
表層部分が優位になってますので、とても衝動的かつ感情的に行動する訳です。

しかし、彼らの本心は別なのです。
過剰に拡大した表層部分の活動(衝動)があまりに激しいので、その奥にある本心が完全に隠れてしまっていて、
本人もそれに気づけないし、まったく自覚も無い状態なのです。
つまり、凶悪な彼らにも、その本心には、しっかりと本人が握り締めた囚われである良心がある訳なのです。

だから、凶悪犯罪を犯した彼らには、例えその自覚はなくても、心の奥底の本心では、
とても激しい良心の呵責やそれによる苦しみが起こっているのです。

これに対し、私(慧空)には、本心から(根っ子から)、良心も含めた囚われがありませんから、
例えどんなめちゃくちゃな行動をしても、サイコパスの人たちのように、本心との乖離や相反が起こらないのです。

ここが違うところです。

810慧空:2015/06/12(金) 23:09:38
>私に言わせれば傲慢的な意識こそ、浅くて罪作りな小悟になりますけどぉ

ですから、その「傲慢的な」というその判断こそが、囚われなんですよ。
誰が、「これは放漫的だ」と考えているのですか?
あなたでしょ?
あなたが好き勝手に、これは放漫だと考えてるだけなんじゃないですか。

私は、そこに気づいてくださいと言っているんです。

今晩はもう寝ます。
また明日です。(^^)/

811名無しさん:2015/06/12(金) 23:52:12
マスターゲート氏がホンモノかどうかは別として、
慧空さんは彼と袂を分かつのが早すぎたんじゃないんでしょうかね?
だから本来だったら師が修正してくれるはずの、
躓きのポイントみたいなものに引っかかっておかしな方向に行ってしまった、
失礼な言い方で申し訳ありませんが。

ただ自覚に関するブログを書かれているもう一人の方も、
なんか妙なんですよね、自覚ということそのものの持つ限界というか
欠陥のようなものがあるのかもしれないですね。

まあ、とにかく、キャンドルライト101の系譜に連なる人たちとは
当面は距離を置いたほうがよさそうです。

812孤独な羊:2015/06/13(土) 00:58:12
真実を言葉にすれば反感をかい理解されないことが、たくさんありますよ
なぜなら真実を追求することが人生に他ならないからといえるのではないでしょうか
それ故の一切苦であり、楽から真実を探ることは大変に難しいことだと教わりました
ありがとうございました
おやすみなさい

813孤独な羊:2015/06/13(土) 01:01:13
キャッシュ読み込みで更新されてなくて・・ ^^;
おやすみなさい

814慧空:2015/06/13(土) 06:07:04
>>811
何をどう思うと、どうしようと、あなたの勝手です。
ご自由にどうぞ。(^^)/

815慧空:2015/06/13(土) 06:10:58
羊さん

>なぜなら真実を追求することが人生に他ならないからといえるのではないでしょうか

人生をどう捉えるかは、人それぞれでしょうね。
真実についてもそうです。
私なんかは、真実などどこにも無いと思っていますし。(^o^)

>楽から真実を探ることは大変に難しいことだと教わりました

どの程度それを理解されているのかは分かりかねますが、
まさにその通りなのです。

816思路:2015/06/13(土) 10:12:05
>それ故の一切苦であり、楽から真実を探ることは大変に難しいことだと教わりました

言葉だけからは解り難い。しかし食事をともにするとか日常をともにするとよくわかる。

聖者とともにツレションをしたことがある。
もちろん普段親しいわけではない。偶然便器が隣になっただけだ。こちらとしては少し
居心地悪い。緊張する。
 しかし、あろうことか、その方は小便をしながらこちらに何の遠慮もなしに
ぷーぷーと大きな屁をする。唖然とする自分に向かって、ちんちんをブルブル振りながら
2,3のつまらない世間話をして出て行った。
その話を友達にしたら、
「そんなの非常識。呆れる」ということだった。
 ちなみに自分の場合もうっかりプーとやることはよくある。多少なりとも聖者の素質が
あるのかもしれない。

817思路:2015/06/13(土) 10:12:59
ある犯罪心理学者の見積もりではサイコパスはニューヨークで10万人くらい、北米では
200万人くらいいるらしい。
ニューヨーク850万人の10万人ということは、85人に一人の割合だから、小学校の2クラス
に一人くらいだろうか? 確かにそんなのは学年に一人や二人はいると思い当たる。
職業的には経営者、弁護士、外科医など結構ハイレベルな職業に偏りがある。小学校の同級
でそんな職業に就いたのは5人もいない。ということはかなりの確率でハイレベルの職業には
サイコパスがいるということになる。
ちなみに多い職業の10位以内に聖職者も入っている。

818思路:2015/06/13(土) 10:17:33
>マスターゲート氏がホンモノかどうかは別として、
>慧空さんは彼と袂を分かつのが早すぎたんじゃないんでしょうかね?

何が本物かなんてことは安易には言えない。早すぎたのか、遅すぎたのかそれも
解らない。

こういう時は確率を使ってみる。

A:韓国から歴史を通じて一度でも覚醒した人は出ているのか? 0%
B:私は悟ったという人の悟りの真実度            0.1%
C:確度 =AxB =0%

819思路:2015/06/13(土) 12:42:05
>私なんかは、真実などどこにも無いと思っていますし。(^o^)

真実などどこにもない。それをいうならまさに「悟りなどどこにもない」ということだ。

真実などどこにもない。あるのは景色だ。眼を見開いて眼前に広がる鮮やかな景色をみる。
それは真実への遭遇というよりはリアリティ(迫真性)だ。
昨日窓辺に座っていた猫。今日悟りを開いてみる同じ猫はまるで輝きが違う。
覚醒とは自己がまるごと抜け落ちることであり、崩壊である。崩壊の過程で断片化した
自己が狂気と化す。「崩壊」を防ぐべく矮小化した自己は必至に自己に固執する。
「私は偉大だ。」

820孤独な羊:2015/06/13(土) 16:11:53
真実があるかないか、変な話です
論点も違うのでしょうが・・
真実ない派は生かされる謙虚な気持ちが持てなくて、真実があると思えないというとこでしょうかね
理解できないものだからないとする逃避手段であって、理解できないからこそあることが立証できるわけです
生きてる理由がないなら、あなたは一体なにをしてる?ってことになる
真実がないとする思考については、そのようにしか理解できませんでしょう
わからないことがわかるということは、それは真実です
真実がないとする真実は具体的にどういう見解であって、ならば生きてる理由は何なのか聞いてみたいのですが
どなたかご存知でしょうか?

821孤独な羊:2015/06/13(土) 17:16:46
どのようにして生まれてきて、どのようにして生きていてということまで語れなければ、真実がないとの立証ができないのです
わからないことに対しては常に真実がついてまわるということです

822佐藤:2015/06/13(土) 17:28:56
止まらない感じで、かなり忙しそうですね

823慧空:2015/06/13(土) 18:28:53
>>819

>真実などどこにもない。それをいうならまさに「悟りなどどこにもない」ということだ。

はい、その通りですよ。
すべて考えであり、幻だと、いつも言ってるでしょ。

注意すべきは、この「すべては考え」というのも、もちろん考えである訳なんです。
つまり、「すべては考え」という言葉は、それも考えだと知りつつ、敢えて絞り出している精一杯の言葉なんです。

824慧空:2015/06/13(土) 18:30:55
ああ、佐藤さん、こんちは。
特に忙しくはないですよ。
もともとヒマで困っているところなので、ちょうどいい感じです。
気が向かないときは、スルーですし、気楽なものです。

佐藤さんも一緒にやりませんか?

825慧空:2015/06/13(土) 18:36:03
羊さん

>わからないことに対しては常に真実がついてまわるということです

何を仰ってるのかさっぱり分かりません。
論理構成もおかしいですよ。
論理展開に飛躍もありますし。

真実がどこにも無いということは、悟り以前の話しです。
論理学的な追求で結論が出ます。
正確には、真実であると立証できることがらはどこにも存在しないということは、
論理学的な追求から容易に結論を下せます。

826思路:2015/06/13(土) 18:46:47
1+2=3

827思路:2015/06/13(土) 19:00:12
抽象概念が理解できないと真理は見えない。真理ってのは抽象概念だから。
突然「自己喪失」がおこって、抽象概念が理解できなくなると、その瞬間にリアリティ
を感じるだけになる。
それは完全なる今だし、今しかない。時間という抽象概念は理解できなくなる。
だから左脳のある部分にドリルで穴をあけるとそういう状態になるはず。

828慧空:2015/06/13(土) 19:33:32
思路さん

簡単な話しです。
例えば、目の前にリンゴがあったとします。
そのリンゴが本当にそこにあるのかどうかは分からない訳なんです。
「ある」ということを立証することができないのです。
あるという証拠がどこにもないのです。

真理もリンゴと同じです。
仮に真理っぽいものがあるように見えたとしても、それがあるとは立証できないのです。

829佐藤:2015/06/13(土) 19:50:52
>ああ、佐藤さん、こんちは。
特に忙しくはないですよ。


思路さん、羊さんに向けた言葉でした。
大変そうに動き回ってるなあと思いまして。

830孤独な羊:2015/06/13(土) 19:55:44
共通概念としてリンゴであるものがあるわけです
そういう五感を備えていますよね
この共通概念として実在する五感が幻想的だとか幻想と表現することは可能なのでしょう
仰ってることは確かに同じリンゴに対して異なる図を個別で描いている可能性は否定できません
ですが共通概念における差異の一致は証明できています
共通概念における差異の部分について確証が得られる事実があるわけですから、それを証明すれば真実の立証ということになりますか?

831慧空:2015/06/13(土) 19:57:02
>思路さん、羊さんに向けた言葉でした。
>大変そうに動き回ってるなあと思いまして。

なるほど、了解です。

832孤独な羊:2015/06/13(土) 19:59:50
点としての実在は証明できるが、線とした証明ができない
この線のことを真実だと申し上げるわけですな

833慧空:2015/06/13(土) 20:00:11
>共通概念における差異の部分について確証が得られる事実があるわけですから、それを証明すれば真実の立証ということになりますか?

どこに確証があるのですか?(^o^)
とても簡単なことなのですが、実は難しいことなのですね。

だとすると、優秀な論議学者は意外なほど悟りに近いのかもしれないなぁ。(^o^)
ご縁があれば、それなりの論理学者と話しがしてみたいもんだなぁ。

834慧空:2015/06/13(土) 20:04:29
>点としての実在は証明できるが、線とした証明ができない
>この線のことを真実だと申し上げるわけですな

???
線だけでなく、点も含めて、一切のことがらに実在性は無いといった方がいいのでしょうね。
だって、実在なんて証明不可能ですし、根拠もどこにも無い訳ですから。
実に簡単なことなのですがねぇ。

835孤独な羊:2015/06/13(土) 20:17:17
共通概念にある差異が正確か否かは、確証が持てますよ
それさえ疑うというのであれば、もはや話も終わりでしょう
たとえば、ものをたべるという行為を意識しながら、それを存在していない真実と信じるなら、その世界で生きるしかありませんのでしょ
それは私や一般の人が生きる世界とは異なる世界です
私は、そこに興味も抱かないし関心もない
なので議論しても、食い違うわけです
孤独なのは私より、そちらかもしれませんね

836孤独な羊:2015/06/13(土) 20:23:16
孤独な世界で生きるなら、人と関わる必要があるのですか?
そこに関心があり喜ぶ人間にはよくても、そうでない人間には交流できませんよ
お別れかな?

837慧空:2015/06/13(土) 20:28:37
>共通概念にある差異が正確か否かは、確証が持てますよ
>それさえ疑うというのであれば、もはや話も終わりでしょう

ですから、囚われを持っている人と、囚われを持っていない人との間で、そもそも話しが噛み合うはずがないのです。
それを承知の上で、私はこうして、囚われを手放すことを説き続けている訳です。
話しが噛み合わないなんて、当たり前です。(^o^)

838名無しさん:2015/06/13(土) 21:08:02
十分囚われているように見えますけどね、傍から見てると。
もう一人の自覚を広めようとされている悟らせ屋さんもあなたに対してはかなり辛辣なご意見をお持ちのようですが、
第三者から見ると、お二方とも「囚われを手放すことを説き続けることへの囚われ」をお持ちでいらっしゃいますね。
悟らせ屋さんは文章にいつも読者への恫喝が含まれている分、いっそう深刻ではあるのですが。

839慧空:2015/06/13(土) 21:23:39
明人さんに対する批判は、書きたければここに好きなだけ書いてくださいな。
しかし、私はその相手はしません。

>「囚われを手放すことを説き続けることへの囚われ」

あなたは、それなりの分析力を持っておられるようですね。
あなたが私を批判したり、攻撃できる明確なポイントは、ここしかないのです。
ここしかない。

どうしてそこしか批判ポイントが無いのか、
また、本当に他の部分にはひ批判ポイントは無いのか、
もう一度、徹底的に分析されるといいと思います。

840慧空:2015/06/13(土) 21:34:00
補足です。

いきなり急にやってみてくださいと言っても難しいでしょうが、
自分の内面を観察されて、感情や思考がどういうプロセスで発生しているのかをよくよく観察されるといいと思いますよ。
そうると直ぐにでなくとも、いずれ、囚われに気づいてそれを手放してくださいと言っている理由が分かるはずです。

841思路:2015/06/14(日) 05:05:02
>どうしてそこしか批判ポイントが無いのか、

要は煽いでるのに「どうして飛翔できないの?」ってこと
たとえば山下清は幼くして悟りを開いて、あちこち損傷はあったけれども切り絵の
世界で飛翔してみせた。それがすごいのよ。
 サバンの子供達は、他がだめになるぶん一点に能力が集中してその部分については驚異的
な能力を発揮する。
 あなたは彼等とは比較にならないほどゴッソリと脳みそを削った、つまり自我を全部
取り除いたわけで、無茶苦茶軽量化できたはずです。そんなに軽量化できてなほなぜ飛翔
しないの?ってこと。
 和尚は飛翔してみせた。ラマナも飛翔してみせた。クリシュナムルティも飛翔して見せた。
であなたはどうなの?ってことじゃないかな。
羊君たちがいっているのは「飛んでみせて」みたいなこと。

前も言ったけど、後天的に脳みそを削ったような場合にはそれは無理なのだよ。10年間の
修行が必要。悟りを開いた人は自ら隠遁して、、、とかあるけど、そうではなくて世間には
出せなかった。寺で匿って10年間ちゃんと指導したり面倒みたりする人がいた。そういう
悟りシステムがあって初めて開花したのよ。

素質は十分、あとは修行。それを一人でやるのはなかなか大変だろうなと思う。でも不可能
じゃない。

842慧空:2015/06/14(日) 07:57:18
飛翔については、多くの場合、自我(エゴ)がそれをやっています。
飛翔したいという欲がそれを実現させてます。

現に、歴史を見ても、よく飛んだ聖者は殆どの方がまだ厚い自我を残した小悟の方です。
大悟まで到達した方は殆どいない。

クリシュナムルティは大悟者かもしれないが、彼は愛や幸福を掴んだままであり、それを手放せなかった。
それ故、彼は大悟者でありながら、あたかも小悟者のような雰囲気をまとった。

また、こんな側面もあります。
悟りが浅いほど、自分の都合のいい善だの愛だの幸福だのの二元の囚われを多く握っていて、その意識も民衆に近いのです。
だから、民衆にも広く受け入れられ、持ち上げられる。
覚者の側にも飛びたいという欲がありますから、その欲と合致し、聖者へと飛翔します。

これが聖者が生まれる典型的なメカニズムです。

843思路:2015/06/14(日) 09:13:10
聖者のメカニズム 悟りの階梯

1)小悟  (変人)
2)大悟  (パア)
3)最終解脱(クルクルパー)
4)安静  6か月
5)訓練1 3年
6)訓練2 3年
7)訓練3 3年 (正常)

7つの階梯を経て、正常に戻る。安静期間を含めてリハビリ期間の方が長い。
ただ歩留りがあって、インドなどでは非常に歩留りが悪い。兎に角キチガイを量産して
そのうちほんのわずかが聖人になる。のこりは最終解脱者(クルクルパー)のまま
サドーとしてうろついている。

844孤独な羊:2015/06/14(日) 09:56:11
それほど確信されるなら完全無欠な無のような大悟もあるかな?とも思えてきました
だとすれば涅槃に起てば終わり
魂の終焉を迎えられる予定だったりするかもですね
少なくとも私は、まったく望みません
しかし慧空さん、一切苦と言ってました
完全無欠な無のような大悟にある状態なら、そんな表現をします?
苦という状態を感じながら、囚われがないのに苦のために生きてますかね
とても理解できませんけど

845慧空:2015/06/14(日) 10:22:22
思路さん

訓練ってなんですか、それ。(^o^)
何をどう訓練しろと仰るのか。(^o^)
訓練とは、まだ何かをどうにかする必要があるという囚われが残っていますよ。
訓練なんてあり得ないのです。

まあ、こんなこといくら口で言っても伝わるはずはないのですがね。(^o^)

羊さん

>完全無欠な無のような大悟にある状態なら、そんな表現をします?

その「完全無欠の無のような大悟」という考えが、あなたが勝手につくっている妄想なんすってば。(^o^)

私が言っているのは根本の苦ですから、この苦は簡単には感じられないんですよ。
殆どの囚われを落としてしまわないと、感じられないんです。
理解できないで当然です。

846名無しさん:2015/06/14(日) 10:46:36
で、その根本の苦というのか存在の苦というのか、どうでもいいんですが、
慧空さんはどうしたいのですか? それを大勢の人にわかってもらいたい?
他者にもそういう状況になってほしいわけですか?
マスターゲートは言うに及ばず、仏陀もキリストもシャンカラもラマナ・マハルシも
ニサルガダッタ・マハラジもクリシュナムルティも自分は凌駕して、
ついに究極の境地に到達したのだ、ということを訴えたいのでしょうか?
それを我々が認めれば気が済むのですか?

847慧空:2015/06/14(日) 10:56:17
>慧空さんはどうしたいのですか?

自分の囚われに気づいてくださいと言いたいだけなんです。
囚われに気づくのは、自分自身に意識を向けることが有効ですよと言いたいだけなんです。
それだけです。

私が他の覚者を否定するのは、彼らがまだ多くの囚われを持っている方だからです。
そこじゃないですよと言っているだけです。

私は持ち上げられるつもりもないですし、持ち上げられるのは大嫌いです。
認められたくもないです。
本当に私のことを分かってくれる人がいるなら、その人は私のことを決して持ち上げたりしません。

848慧空:2015/06/14(日) 11:07:03
どうしたいのかについてですが、
上で書いたように、悟りについては、こうやってここで好き勝手に悟りのヒントを伝えているだけで満足なんです。
スカイプで話しをしたり、小さな講話会を開いたりもしますが、小さな活動でいいんです。
小さな活動でいいと言うのは、持ち上げられるのが嫌いなのもありますが、
私の伝えたいことは、小さな集まりの方が伝わりやすいということが第一にあります。

それに、私の言うことが分かるようになる人は、おそらく、極めて少数の方だけなんだろうとも思っています。
ですから、その少数の方だけに伝わればそれで十分なんです。

悟りに関して私のやりたいことは、そんな感じです。

しかし、私には悟りに関することよりももっとやりたいことがあります。
それは、区切りのいいところまではできれば、家族(特に障害を持った長男)に寄り添っていたいと思っています。
その区切りがどこなのか、長男が二十歳になるころなのかどうなのか、よく分かりませんが、
そう思っています。

私が敢えて社会の中で生きようとしているのは、あるいは大げさに言えばまだ命を繋いでいるのは、
家族(特に長男)に対する愛着心です。

849孤独な羊:2015/06/14(日) 11:44:28
慧空さん
悟りのヒントを伝えてる満足とか愛とか、だから、そうなるじゃないですか
それらを善といい良心の働きからなるものでしょう
素直に認めたらいいのに^^;
我を張るのはやめて楽にいきましょうよ
それで気楽になれて気持ちいい

850慧空:2015/06/14(日) 12:05:22
>悟りのヒントを伝えてる満足とか愛とか、だから、そうなるじゃないですか
>それらを善といい良心の働きからなるものでしょう

ダメだこりゃ。(^o^)
ため息出てきた。

私はやりたいことをやっているだけなんです。
ただそれだけなんです。
だから、息子の頭も平気で蹴っ飛ばします。
愚か者にも容赦は無いです。
今すぐ死ね、と思っています。

やりたいことをやっているだけなのですが、
どういう訳か、私の場合、いまのところ、世間的に無難な行動で収まっています。
むしろ、周りの人は、私のことをいい人だと思ってくれます。
有り難いような迷惑なような微妙な感じですが、そういうことです。
私の場合は、どういう訳か、私が好き勝手にやる言動と、世間的な良識との整合性がいいのです。

これは、私の残りカルマの特性がたまたまそうだったのだろうと思っています。
たまさまの結果です。

経典類の記載は余り当てにはならないので、そのつもりで聞いて頂きたいのですが(私もそうしてます)、
お釈迦さんのもとにいは阿羅漢には、結構いろんなタイプの人がいたようです。
普通の世間感覚からすると、こんなタチの悪い人が阿羅漢なんて信じられんというような人もいたそうです。
また、そのようなタチの悪い阿羅漢には、何の因果か、夜道で暴漢に襲われて殴り殺された人もいたそうです。

私はこの話しは、話し半分で聴きながらも、あり得ることだと思っています。
沢山の阿羅漢がいたら、そのの中には希ではあるでしょうが、人を殺す阿羅漢もいるのではないかと思っています。
なぜなら、阿羅漢の中には、ほぼ100%衝動のまま生きているものがいるだろうと思うからです。
腹の底からイラっとくれば、そのまま相手を殺してしまうことは十分にあるのだろうと思っています。

阿羅漢なんて、そういう類の人たちなのです。

851名無しさん:2015/06/14(日) 13:13:45
慧空さん

なるほど、わかりました。
ちょっと言葉が過ぎました、失礼をお許してください。

結局、悟りと言っても百人百様でしかないのかもしれません。
同時代人だったニサルガダッタとクリシュナムルティが
お互いを覚醒者とは認めなかった、というエピソードもあるようです。

それとまったく余計なお世話なんですが、
やっぱりブログをまとめて本を出されたほうがいいですよ。
ナチュラルスピリット社だったら間違いなく本にしてくれると思いますし、
ナチュスピ社のほうで講話会等も企画してくれますよ。
それで仮に大勢の人たちが集まったとしても、本当に伝わるのはごく少数の人たちですよ。
その人たちに伝わればいいんでしょうし、
残りの人たちは慧空さんの収入面を支えてくれる人たちと割り切ってしまえばいいんじゃないですか?
その人たちも好きでお話を聞きに来たりセッション受けたりしてるわけですしね。
慧空さんの生活面をサポートすることで間接的ながらその人たちのためにもなるんですよ。

852慧空:2015/06/14(日) 14:02:18
私には、悟りのヒントを伝えたいという欲求がありますから、
その欲求と関連してそれなりの注目を集めたいという欲求もあります。
しかしその一方で、注目を集めたくないという欲求もあります。

また、私は自分で言うのもなんですが、意外に賢いところがあるようで、
注目を集めるとろくなことがないということも知っています。

それに、私の伝えようとすることは、余り大きな声で言うようなものではありません。
控えめに言う程度でいいんです。
何しろ、私は愛も良心も否定し、神さえもたたき落として踏みつけろと言う訳ですから。

本は出さない方がいいのかもしれないと思っています。
その代わりに、できればそのうち、PDFにまとめて、誰でもダウンロードできるよう、
何処かにアップしようと思っています(ブログにはそのリンクを貼り付けて)。

853孤独な羊:2015/06/14(日) 15:08:20
>今すぐ死ね、と思っています
これ私に対して思ってるわけですか?
私は殺されるのは御免です。私のやりたいことは、そこにありませんから。
迷惑なら迷惑だと言ってくれればひきます。

854慧空:2015/06/14(日) 15:29:51
>これ私に対して思ってるわけですか?

そんなはずないじゃないですか。
私の殺気や殺意を感じますか?(^o^)
誰かに対して死ねと思うことは確かにありますが、羊さんに対してはそう思ったことはないですよ。
むしろ、どことなく親近感を感じてるくらいですよ。

それにこの掲示板やブログのコメント欄は、最初っからいろんな人が来ることが前提になってますから、
そう簡単に切れたりしません。
こうしたやり取りができること自体、ヒマをもてあましている私には有り難いことだと思っています。

855孤独な羊:2015/06/14(日) 15:34:59
ああ、よかった
安心しましたけど、慧空さんの気に触れたら覚悟しなければいけない?
ここに来るのも命がけなら、嫌ですね

856孤独な羊:2015/06/14(日) 15:36:40
それとも何でも命がけでないとダメですか?

857慧空:2015/06/14(日) 15:45:26
>安心しましたけど、慧空さんの気に触れたら覚悟しなければいけない?

スピや心霊系の方々は、人の念や悪霊等を恐がりすぎです。
念や悪霊などに、恐れるほどの力はありませんよ。
恐れるから、影響を受けているような気になってしまうし、その影響を自らがつくり出してしまうんです。

へっちゃらだと思えば、へっちゃらなんです。
私なんか、飛んでくる念があるのなら、来てみろといつも待っているし、
悪霊の類がいるのなら、ちょっと顔を見せてみろと思っているのですが、
一向に来やしません。(^o^)

858慧空:2015/06/14(日) 15:46:35
但し、私はサタンに対してもそうですが、神に対しても強い破壊衝動がありますので、
彼らがやってきたら、彼らに対し、何をするか分からないかもしれません。(^o^)

859孤独な羊:2015/06/14(日) 18:38:04
しかしジャイアン風な悟りですね
慧空さんも長男が成人するまでは生きると宣言しましたよ
私だって他の人だって、それぞれ理由があって殺されたらたまりません
死期を選べるとは考えませんが、リスクは避けなければ命が幾ついることだか(^^;
悟りの段階には、人同士がかかわると様々なリスクがあるので黙るという手段もあるわけでしょうけど
ところで、彼らって誰のことでしょうか?
差支えなければ

860孤独な羊:2015/06/14(日) 18:39:16
彼ら、わかりました
すみません
読みが浅くて

861孤独な羊:2015/06/14(日) 18:43:16
だから建前ばかりの世界で暮らしづらくなる
慧空さんも人の笑顔にであえるほど嬉しいですよね

862慧空:2015/06/14(日) 18:49:20
>しかしジャイアン風な悟りですね

はい、無敵ですから。(^o^)
私は喋りたいタイプなので、どうしても黙るのは苦手です。
たぶん、黙るタイプの方は悟りを説いたりしない人が多いのだろうと思いますよ。

>慧空さんも人の笑顔にであえるほど嬉しいですよね

それはそうですが、それでさえもどこか煩わしいのです。
困ったものです。

863慧空:2015/06/14(日) 18:50:41
ちなみに、無敵という意味は、殺されないという意味ではありませんよ。
殺されても、何があってもへっちゃらという意味です。(^o^)

864孤独な羊:2015/06/14(日) 21:20:13
返信速いですね。まあ、なんとなくわかりそうな感じはあります。
でも、それ楽しいですかぁ?

865孤独な羊:2015/06/14(日) 21:32:03
なるほど、それだけ充実してるってことですか
なら羨ましい環境ですね
本当にそうなら、理屈じゃ無理と思いますよ
経験者しか、わからないのでしょうね
私の許可がおりるのは現世では無理そうだな
身と口と心とバランスが悪すぎる
学ぶことばっかりです
(^^)

866孤独な羊:2015/06/14(日) 21:50:53
ちなみにですが自論での無敵になる条件は、まず良心の理解により従った動作が完璧にこなせること
次に生かされる理由を把握することで寛容であり、動じることがない
方法論としては、これしかないと考えてますけどね

867慧空:2015/06/14(日) 22:20:03
>なるほど、それだけ充実してるってことですか
>なら羨ましい環境ですね

決してうらやましがられるような環境でもコンディションでもないですよ。
それほど楽しくもないです。
お相手頂いててこんなことを言うのは心苦しいのですが、
私にとっていろんなことは時間つぶしのような感じになってきているところがあります。
つまり、お迎えがまだ来ないので、それまでのヒマ潰しという感じです。(^o^)

>私の許可がおりるのは現世では無理そうだな
>身と口と心とバランスが悪すぎる

だから、それも羊さんの妄想だって言ってるでしょ。
誰がそう考えているのですか?
羊さん自身は、どうしたいと思っているのですか?

自分はどうしたいのか、ここが最も本質的なところです。
後のことはどうでもいいんです。
本心にさえ従っていれば、決して悔いも無いし、後悔もありません。

868慧空:2015/06/14(日) 22:21:09
>ちなみにですが自論での無敵になる条件は、まず良心の理解により従った動作が完璧にこなせること
>次に生かされる理由を把握することで寛容であり、動じることがない

これも羊さんの妄想ですね。
そんなことより、羊さん自身がどうしたいのかを見つめてください。

869孤独な羊:2015/06/14(日) 22:23:02
そうですか、妄想ですかね?
また機会がありましたら、お相手してください
ありがとうございました

870思路:2015/06/15(月) 04:38:20
>何をどう訓練しろと仰るのか。(^o^)
>訓練とは、まだ何かをどうにかする必要があるという囚われが残っていますよ。

純粋意識の体験は論理的には表現できない。だからたとえば芸術家のような特別の
表現力が必要なの。山下清が切り絵で世界を表現したように、表現方法を持たなければ
単なる馬鹿でしかない。

愛は妄想だし共感は妄想だが、共感がなくてはコミニケーションは成り立たない。
なぜ妄想なくしてコミニケーションが成り立つと考えるの?
判断とは真実の選択だろ。真実がないのになぜ判断できる?
「あいつは小物だ。あいつは小悟だ。」こういうのは判断だろ。
こんな簡単なことが分からないほど論理的には破たんしてるんだよ。

「それは妄想だ。それは殻だから捨てろ」こういう言う乱暴な言葉でも悟りに導くことは
できる。悟りは単に破壊するだけだから、手荒なことをしても到達はできる。
そして「それ」を体験する。まばゆいばかりの神々しい世界。
でも「それ」を表現するのにまたもや「それは妄想だ。囚われてます」と到達した時と
同じような言葉を繰り返しても絶対に表現できない。

871慧空:2015/06/15(月) 05:56:41
>純粋意識の体験は論理的には表現できない。

思路さんは、純粋意識の体験をご存知なのですか?
仮にそれをご存知だとしても、その純粋意識とやらも、考えであり、妄想なのですけどね。
純粋意識の体験よりももっと先の行程があるんです。

>「あいつは小物だ。あいつは小悟だ。」こういうのは判断だろ。

もちろん、私の判断ですよ。
それがどうかしましたか?

>そして「それ」を体験する。まばゆいばかりの神々しい世界。

思路さんは、「それ」に囚われてしまっているようですね。
人それぞれですから、お好きなようにどうぞ。

872名無しさん:2015/06/15(月) 06:09:06
一切は考えであり、幻です。
一切のものは、あるような無いような微妙なものです。

しかし、何かを指して「ある」と思っている人にとっては、それは「ある」のです。
「ある」という考えを握り締めている訳です。
そういう人には、それを考えだと気づき、手放す行程があります。

この現実世界をあると思っている人は、現実世界が考えであるということに気づく行程があり、
「それ」や「純粋意識」をあると思っている人は、それが考えであるということに気づく行程があります。
そのように、自分が何かこれは絶対だと思っていることがあれば、必ずそれが考えだと気づく行程がある訳なんです。

873慧空:2015/06/15(月) 06:42:04
あれ、どうして名前が消えたのだろう。
上の名無しは、慧空です。

874思路:2015/06/15(月) 07:18:44
 悟りが困難なのは断食と同じでリハビリの方。
断食で体を痛めつけて正しく回復すると以前よりも健康体になることがある。
断食は想像するほど難しくない。食を絶つことの恐怖さえ克服すれば食欲はなくなり全く
苦しくもなんともない。ところが回復過程で失敗する。猛烈な食欲に襲われて
食いすぎてしまう。
もともと若く美しい体を持ったもの達が、何を勘違いしたのか断食に取りつかれて体を
損なっていく。

875思路:2015/06/15(月) 07:29:44
頂点を極めたアスリートでも、そこでガッタッと壊れてしまう人もいるし、解説員など
チャンとした道へ進んでいく人もいる。
彼らも脳みそも体も削って頂点を目指す。だから終わった時には身も心もガタガタ。
そこから着地していく。
為末とか見ると非常にいい着地をしていると思う。

概ね登山は下山が難しい。失敗はエベレストのグリーンブーツのように道標となる。
麻原は下山の道標。

876思路:2015/06/15(月) 08:49:36
枝豆はある程度育ったところで上部をバッサリ切り取ると行き場を失った栄養は
大量の実をつける。
この刈取りこそ悟りの手法だ。
脳の切除という欠点は最大の利点になりうる。
なぜ脳を損傷してまで悟りを求めるのかというとそこに尽きる。
 悟りは刈り取った状態に過ぎない。実がなるにはしばしの時間がかかる。

877慧空:2015/06/15(月) 09:32:54
同じようなやり取りの繰り返しですが、
私はこれしか能がないのでやりますね。

>チャンとした道へ進んでいく人もいる

>実がなるにはしばしの時間がかかる

チャンとしてるか、してないか。
実がなったか、なってないか。

どちらも二元の囚われです。
誰がそう判断しているのですか?
どういう基準でそう判断し、区別しているのですか?
その基準や判断にどのような根拠があるのでしょうか?

878慧空:2015/06/15(月) 09:34:12
思路さんも、こんなところで私の相手なんかしてないで、
ご自分にとって何が一番大切なのかを見つめてください。
そして、その大切なことに取り組んでください。

879慧空:2015/06/15(月) 09:38:42
思路さん、ひょっとすると、ご自分には実がなっていないとご自分を責めてさげすんだりしておられませんか?
自分では気が付かないうちに、自分をさげすんでる可能性があります。
二元の囚われを持っている方は、必ずと言っていいほど、
自分と他者を比較し、優越感を持ったり、劣等感を持ったりしています。

自分をさげすんでないか、確認してみてください。
自分を認めて受け入れて頂きたいと思います。

880孤独な羊:2015/06/15(月) 12:06:59
おはようございま〜す(*^_^*)
思路さん、私は、あなた様の話がよくわかります。たぶん。
大悟といいますか最終的な解脱は、山頂(涅槃<小悟>)まで登り、再び人里へ戻った場所で得られる境地にある。
涅槃で培った囚われのない自意識を集団意識の中で生かせるとき、漸く大悟(最終的な解脱)を得たといえる。
それが出来なければ、再び涅槃へ行って、また戻る。繰り返しです。
集団意識の規律に頑なに従わない姿勢なら、仙人のような山籠もり(現代だと引篭もり)して生きるようなのが障りがないかもし
れませんね。

881慧空:2015/06/15(月) 12:48:12
>おはようございま〜す(*^_^*)

なんかしらじらしいなぁ〜
ウソくさいな〜

882孤独な羊:2015/06/15(月) 16:29:40
慧空さん、別の切り口で苦との対峙方法から展開していきますと、結局のところ苦の解消方法としては単純な話で二種類しかないわけです、
一つが苦を苦としない方法、もう一方は苦を生じさせない方法です
苦を生みだすか生みださないかの違いですね
道理として適うのが後者しかない見解が私にはあるのですよ

883孤独な羊:2015/06/15(月) 16:31:43
もう少し噛み砕くと、罪悪感からは逃れきれないという見解です

884慧空:2015/06/15(月) 16:59:55
>苦の解消方法

ですから、苦を解消しようとするから迷いが続くのですってば。
苦はあたり前のようにいつも普通にあるでしょ、ということを私は繰り返し言っているんです。

885慧空:2015/06/15(月) 17:10:00
>罪悪感からは逃れきれない

罪悪感は、善悪の囚われにより誘発されるものですから、
これについては、その囚われを手放すと無くなりますよ。
現に、私がそうです。

886孤独な羊:2015/06/15(月) 18:31:07
う〜んとですね、自説は以下みたいな感じです。
人を成長させるのが苦であるので、一切皆苦。そして苦は精神的な意味で罪悪感と言える。
罪悪感(良心の働き)を憶えなければ反省(改心)出来ないので、ついつい知らぬ間に業は膨らんでいくのです。
そこに俗に言われ悪い業に対しては苦として還る業の法則が活かされてるのでしょう。
業の法則は、人生の道理に適うので信頼できます。
業の法則により応じた苦が、罪悪感(反省の動機)が得られるまで還ってくる理屈です。
で良心は個別に段階的にあるので、常識的な枠とか比較してるようでは浅はかということになりますね。
信じるか信じないかはアナタ次第。

887慧空:2015/06/15(月) 18:36:05
ダメだこりゃ(^o^)
話しにならん。

888慧空:2015/06/15(月) 19:36:25
羊さんは、頭でいろいろ考えすぎなんです。
頭で理解しようとしても無理なんです。
考えれば考えるほど、意識が外向きになり、外側を彷徨います。

そうやって延々と思考をめぐらせるのではなく、
一度立ち止まって、その思考をめぐらせている自分自身に意識を向けて頂きたいと思います。

889孤独な羊:2015/06/15(月) 20:38:37
いやいや頭で理解するように業が働いたからです
私は、しぶといほうでしたよ
思考なんて無縁だったんです
対極的な歩みの中で、このようになってるだけです
いいですよ、別に
わかってもらえなくて、そういうものですから

890思路:2015/06/15(月) 21:34:26
生身の人間である以上は罪悪感からは逃れられない。
たとえば、あなたの頭を叩いたら痛いでしょ。そうすると罪悪感が発生する。何故かというと
ミラーニューロンが働いて、他人の頭をたたくと同じように痛いだろうと反応する。これが
罪悪感になる。

 手に電極を付けて残酷な映像を見せてその反応をみるというような心理学的実験をやって
みればすぐわかる。

891思路:2015/06/15(月) 21:40:51
瞑想の実践を積んだ高僧での実験もあるから、「絶対に俺は大丈夫」と思うのは
錯覚。
 俺は悟りを開いたので錯覚しないと思うのは錯覚。
実験シートでテストすれば普通にバリバリに錯覚するとおもうよ。人間だもの。

892慧空:2015/06/15(月) 21:50:27
>瞑想の実践を積んだ高僧

だから、そういうのが一番怪しいと言ってるでしょに。
どこの高僧だか知りませんが、その坊さんはおそらく大悟(見るものは見られるもの)にも到達してないでしょう。

893孤独な羊:2015/06/16(火) 14:10:57
「苦しみを楽しみへ変えられる」
そういう悟りへ到達できてなければ、大悟とは言えないはずです
集大成の大悟だというのであれば、人生は充実して輝かしいものでなければ本物ではないでしょう
なので慧空さんも大悟とか最終解脱のような境地にはないと思うんです
きっと信じられませんよね?

894孤独な羊:2015/06/16(火) 14:23:51
題材は揃ってる
けど甘んじて到達できない
慧空さん、どのくらい苦しんで悲しんできました
これ結構、重要じゃないですか
どん底に行くのは嫌なものですが、地獄の底から湧く意識は悟りには大切です
ただ地獄に呑まれたら悟りどころか悪魔になってしまう
そういう危うさについて、ないかお考えありますか?

895孤独な羊:2015/06/16(火) 16:48:02
魂と心が統一されなければ、体もついていかない
充実感なんか得られるわけないのですよ
あなたの人生が充実して輝かしいものであれば、私は地に頭を擦りつけても教えを授かります

896慧空:2015/06/16(火) 18:33:21
>集大成の大悟だというのであれば、人生は充実して輝かしいものでなければ本物ではないでしょう

そういうのが思い込みであり、囚われだと私は言っているですよ。
さすがに同じやり取りの繰り返しばかり、嫌になってきました。

897孤独な羊:2015/06/16(火) 21:43:42
慧空さん、やっぱりそうなりますよねぇ〜
感謝してます

898思路:2015/06/17(水) 05:01:03
>さすがに同じやり取りの繰り返しばかり、嫌になってきました。

「それは囚われだ」「それは小悟だ。まだ先がある」を封印したらやり取りは
変わると思うよ。凡人にとっては大悟とかあんまり関係ないんだよな。
最初だけは
「ホッーーー。大悟ですか。凄いですね」
「ホッーーー。肝臓を全部切っちゃったんですか? 凄いですね。!!!」
って思うよ。でもそれは最初だけだろ。同じことを繰り返していたら「ふーん」
としか言いようがなくなる。
要は大悟を興味深く語れるかどうかだよ。別にそれが小悟でも歯痛でもいいんじゃない?

じゃあさー。ゾーンってどうよ。ゾーンとかフローを体験したことある?
大悟するとゾーンだらけというかいつもゾーン状態? てことはないよな。

899思路:2015/06/17(水) 05:38:12
>私のクラウンチャクラも、今日はねじれるような感じで激しく反応しています。

気が感じれると、気のコントロールができる。
猫とかネズミを気合で落とすのはかなり難しいらしいが、鶏はわりと簡単にできる
らしい。中村天風は鶏を気合で静めて、メガネをかける芸をよくやっていたらしい。

900慧空:2015/06/17(水) 06:18:00
だから言ってるじゃないですか。
悟りの道を進むということは、囚われに気づいてそれを手放していくことだって。
最後まで、それだけなんです。
だからそれしかいいようがないのです。

大悟も解脱も、そんなに魅力的なものではなく、いいものでもありません。
わざわざそれを目指すようなものでもないです。
しかしいずれ、どうしようもなく強い衝動が起こってくる。
その衝動が大悟や解脱に連れていってくれます。
衝動は舟です。
舟無しには、どうにもならないところです。

気をコントロールしたい人はやったらいいですが、
いくらやっても切りがないです。
猫を落として何になるというのでしょう。
そういうことです。

901思路:2015/06/17(水) 07:33:44
それじゃあ、同じことの繰り返しで嫌になるのも仕方ない。

902思路:2015/06/17(水) 07:36:13
>猫を落として何になるというのでしょう。

それが面白いのなんのって。W
兎に角一度やってみてください。体験しないとわからない。

903思路:2015/06/17(水) 07:38:26
特殊な気のコントロールだろうけど野生のライオンとかワニを瞬時に手なずける
ような人もいる。
動物園に行ってゴリラに手話の指導をしてみるとかどう? そういう芸ができると
直ぐに人気者になる。
なにか得意な部分はあるとおもうけど、やはり練習しないとだめだな。
ヤラセで空中浮遊をして見せたり、マジックで手から粉だしたりするよりは遥かにまし。

904思路:2015/06/17(水) 07:43:56
俺は俳優だからわかるけど、あいつら大悟とか言ってるけどサクラ使って
ヤラセをやってるだけ。W
 バイトだから細部は言えないが、飛んで見せたり、苦しんで見せたり。W
そんなんで客寄せしてもそのうちボロがでる。
 暗示にかかりやすい人って絶対にいるから、あとはそういう人を使って広める。
俳優にバイト料はらうより安上がりだからね。

905名無しさん:2015/06/17(水) 19:58:20
一なるもの、という考え方はべつに独創的じゃないわ。
でも、それなら自分は何と一つなのか、と問いかける人はあまりいない。
問いかけた人も、大部分は神という答えを出すのだけれど、
そこで「この宇宙は聖なるものによっていまあるかたちで創られた」
と想定してしまう。
この想定は間違っているし、そう考えてしまうと、
ブッダのように心を完成させた賢者でさえ、
恒久的な意味で神に到達できなくなります。

そう、二元性の波動をつくり出す心とは一つになれるでしょう。
その心はすべての次元を超越した無という場にあっては、
完全に時空とかたちのシステムの外にある。
これが非二元性の論理的で妥当な帰結なのだけれど、
それでもまだ神ではない。
それどころか行き止まりの袋小路よ。
あるいは始まりの終わりと言うほうがあたっているかな。

仏教は世界で最も心理学的に洗練された宗教だけれど、
それゆえに神という問題を扱えない。
だから、あなたがたがブッダと呼ぶ身体のなかにブッダがあったとき、
彼は神の問題を取り上げなかった。
わたしたちが非二元論と純粋な非二元論を区別する理由もそこにあるの。

ブッダが「わたしは悟った」と言ったのは、
自分は幻影に参加しているのではなく、
自分がすべての幻影をつくり出していると気づいた、
という意味だったのよ。

でも、そこからもう一歩進んで、すべての幻影をつくり出している心が
それ自身と完全に対立して神の側につかなければ。

もちろんブッダは優れた段階に到達した人だからそこに気づいて、
すぐにJ(イエス・キリスト)と同じ悟りに進んだわ。
でも、それは世界に知られていない生涯での出来事。

       『神の使者』(ゲイリー・R・レナード 河出書房新社)より

906慧空:2015/06/17(水) 21:48:45
どうも疲れてて、思路さんと名無しさんのコメントにレスを書く元気がありません。

907思路:2015/06/18(木) 02:22:28
おつかれさん。
エネルギーを感じて、地震が起こりそうなときは騒いでください。高台へ避難します。

908思路:2015/06/18(木) 02:58:07
>905
ハイレベルな考察だというのは解るが意味は今一つ解らん。

>そこで「この宇宙は聖なるものによっていまあるかたちで創られた」と想定する

これがなぜ間違いなのかその理由がいまいち理解できん。

「神ではない一なるもの」=非二元論
「神」 =純粋な非二元論

で更にその先へいくと
>それ自身と完全に対立して神の側につかなければ。

純粋な非2元論は2元論に行きつくのか?
「神」 =純粋な非二元論 --->「神、自分」

909孤独な羊:2015/06/18(木) 16:00:55
二元論で一般的な見解をすると生が物質的に恵まれているため、死には物質的な恵みがない
地球が観測されることにより生じる不自由であるなら、死後には観測されないままに生じる自由がある
善悪がない無だという人達は、こういう世界に行くかもしれない
そして無も天国も地獄も、きっとありますよ
実体二元論は正しく、一元論も正しい
でも一元論に生きる見解なんて、すべての消滅のような話だろうし程遠過ぎるのじゃないですかね

910思路:2015/06/18(木) 18:00:36
3回読んだら概ね意味が分かった。

>そして無も天国も地獄も、きっとありますよ
>実体二元論は正しく、一元論も正しい

まさにそうなんだよな。無難で正しい結論。
でもそういう事を考えている今、緊迫感というか切実感のようなものがあるのだろうか?
無い。全然ない。極論すると単なる言葉遊びになる。ところが死(涅槃)は確実にやってくる。
思考の軽さ、軽薄さと現実的な死の重みがバランスしない。死が重いということすら
実感がない。だから思考は正しいが軽いのだと思う。ピッチャーでいうと澤村みたいに
「速いのに玉が軽い」みたいな感じだな。

上村直巳はなぜ危険を冒して山に登るのかと聴かれて、死と隣り合わせた時に生きている
ことを実感するというような意味のことを言っていた。 日本は安全で平和だから言葉の
世界だけになっている。やはり言葉の世界だけではリアリティが生まれない。

大悟しても大悟遊びの大悟。迫真の大悟じゃない。安全で平凡な大悟なんだよな。実際には
もっとリアリティがあるはずなんだよな。

911名無しさん:2015/06/18(木) 18:20:40
完全に対立して…という日本語訳に問題があるのかもしれませんが、
ACIMは「今我々が認識していると思っている世界は本当は存在していない」という立場なので、
心が世界という幻影を想像した、というその心そのものも幻影なんだという…。

なので『神の使者』の上記抜粋部分でのパーサという登場人物の女性の言葉、
「行き止まりの袋小路」というのが自覚系の人たちの陥ってる状況を表してるんじゃないかなと。
この世界は幻想でそれはわたしが創り出している、そこで終わってしまえば、
確かに一切皆苦でしかなくなるでしょうね。

でもそれはあくまで卵の殻の内側での話でしかないかもしれない。
卵の殻は卵それ自体によってどうやったら割ることができますか?
有精卵なら、雛が孵って内側からくちばしで突くことで殻は割れますが、
我々が閉じ込められている、この牢獄世界の殻、牢獄の鉄格子はそういうわけにはいきません。
どれだけ自覚を繰り返して概念から離れてみても、それは所詮牢獄の鉄格子の内側のお話ではないですか?

普通の人は自分が牢獄の中の囚人だとは思っていません。
牢獄の中であるにも関わらず、努力と運次第では自分の夢を実現し人生を謳歌できると思い込んでいる。
しかし、ここが牢獄に過ぎないことを「悟った」人にとってはまさに一切皆苦でしょう。
もしも「悟った後も」牢獄の中で人生を送るつもりなら。

まあ、私は悟ってるどころかただの出来損ないのでくの坊ですから何も偉そうなことは言えませんが。

912孤独な羊:2015/06/18(木) 18:21:20
孤独を悟った沈黙の世界で出会うとき、互いを理解し合える
至福に包まれる
まさに真に望むところは、そこなんだという気がします

913思路:2015/06/18(木) 19:16:17
>912
 実際にはそうはならない。駄弁をろうして、喧嘩して、笑って、、、、そうして理解が
生まれる。駄弁は沈黙の構成要素。

猫は家の中では餌を与える人を理解しているが、いったん外に出ると、それが誰なのか
さっぱりわからないらしい。近づくと怖がって逃げていく。
猫の世界は家(住処)とリンクしている。一旦住居を離れるとリセットされるようだ。
 人の脳はもっと広い住処を住処としている。しかしここを離れるとリセットされる。
人の存在とは住処のことであり、駄弁とけんかと笑いの喧騒がその構成要素なのだ。
だから天国に行ってもそこからやり直し。という気がする。W

914慧空:2015/06/18(木) 19:40:38
>>911

あれ、ACIMの人。
あなた、ここはやっぱりダメだと言って去っていかれたんじゃないのですか?^^
それとも、ACIMの人は複数来られてるのかな?^^

ともあれ、ACIMの人とは本質的なギャップがありますので、いくらこられてもあなたがたには得られるものはないですよ。
また、あなたがたがここで何を仰ろうと、私がそれに影響を受けることもありませんし。

どうでやり取りが噛み合わないのなら、何か別の世間ばなしでもやりますか?

ところで、ACIMって、何かそういう組織があるのですか?
だとしたら、メンバーはどのくらいの数なんですか?
また、そこで悟っていると言われている人はどのくらいの数いるのですか?

915思路:2015/06/18(木) 19:45:13
>しかし、ここが牢獄に過ぎないことを「悟った」人にとってはまさに一切皆苦でしょう。
>もしも「悟った後も」牢獄の中で人生を送るつもりなら。

リアルに牢獄に入ると、食事の時間とか僅かの運動の時間とかが本当に待ち遠しい。しかしそれでも
そこに慣れてしまう。
 刑期を終えてシャバに出た時は、それはそれは筆舌に尽くしがたいほどの解放感を味わう。
「これで何でもできる。自由を得たのだ」と。しかしそれも一週間もすると慣れてしまう。
この世の牢獄から解放されたとしても、すぐに慣れる。
どこまで行ってもリセットされる。
悟ってもリセット。

916名無しさん:2015/06/18(木) 20:30:45
>>914
もしご不快かつご迷惑なようでしたら以降の書き込みはやめてもいいのですが、
あなたは誰がどんなことを書き込んでも構わないとお書きになっていませんでしたか?
私の勘違いでしたかね?

ACIMというのは書名の略で、あなたの出身母体であるキャンドルライト101のような疑似宗教組織ではありませんよ。
ACIMは完全な独習用プログラムであり、組織化し得ないのです。
そして別に私はACIMの実践者というわけでもありません。
思い当たる節があったので、あの本のあの箇所をここに転載したのみです。
私自身は、あなたはあの本に書かれている、袋小路にはまり込んでいる状態だと思います。
しかし別にあなたに何か影響を与えたいなどという大それたことは考えていませんし、
私がそんなことをする必要性などまったくありません。

一言で悟りだとか覚醒だとか言っても(特にそれが自己申告のものであればあるほど)、
実にいびつなサンプルがネツト上にはたくさん転がっているのだな、
というのが今の私の正直な気持ちです。

しかし、もしあなたが本当に悟りの本当の最終地点にいるのなら、
仏陀もキリストもシャンカラもラマナ・マハルシも、
すべてあなたは超えてしまった人類の歴史始まって以来の大覚醒者なのでしょうね。

素晴らしいことだと思います。

917孤独な羊:2015/06/18(木) 20:51:14
囚われを失くした悟りの先に、たぶん沈黙によって示される道はありますよ
それを理解したら沈黙するでしょうけどw
恐らく0=+1-1という図式程度までしか多くは語られません
0から1を生じさせる理解などできないからなのでしょう

名無しさん>もしも「悟った後も」牢獄の中で人生を送るつもりなら。
思路さん> 悟ってもリセット。

ともに、言い回しが違っても同じ意味ですね。

918慧空:2015/06/18(木) 22:34:12
>>916
お返事ありがとうございます。

そうです、この掲示板は何を書いて頂いても大丈夫です。
それはそうなんです。

ACIMについて説明頂き、ありがとうございました。
なるほど、何か組織があるという訳ではないんですね。

>私自身は、あなたはあの本に書かれている、袋小路にはまり込んでいる状態だと思います。

そう思われる方は多いだろうと思いますし、無理もないとも思っています。
それに、そうではないんだと口で説明しても、なかなか分かってもられるとも思えませんし。
悟りに関する立場の異なるもの同士の対話は、基本的に困難なものなのだろうと思っています。

>一言で悟りだとか覚醒だとか言っても(特にそれが自己申告のものであればあるほど)、
>実にいびつなサンプルがネツト上にはたくさん転がっているのだな、

この点についても、多くの方にはそう見えるのだろうと思います。
しかし、実はそうでもなくて、悟りには階梯がありますので、その階梯の段階ごとに、
その各段階にいる人の話す内容は、共通性があり、簡単に類型化(判別)もできるんです。
と言っても、これが分かるようになるには、最後まで到達するしかないのですが。

>仏陀もキリストもシャンカラもラマナ・マハルシも

イエスさんは、いろいろ影響が出るとやっかいなので、具体的な言及は控えたいと思いますが、
お釈迦さんは、最終的な悟りに至った方なのかもしれないと思っています。

919孤独な羊:2015/06/19(金) 17:37:12
悟りを無の意識におく人は、ありのままの自分の姿を現世に映し出すことができる
幾ら善悪に囚われない自由な身になったといっても、取る行動には善や悪の要素があって感情は消滅しないでしょう
もし感情もないというなら、喜怒哀楽も痛みも感じないことになり、そんなバナナことはありえないのです
先へ行くには、ありのままの自分が、善なのか悪なのか見極める必要があると思うのだけども
いってること変ですかな?
※掲示板のヘンな使い方をしてますwご免なさい。ありがとう。

920孤独な羊:2015/06/19(金) 17:47:52

善も悪も秩序もない
でも釈尊は中道を説き
戒律を制定した
悟りを無とする人が
どうして悟りへ導くのであろうか
どうして態々、自由に好き勝手な無秩序の中に生きることを伝えるのか
そして、それでも生きている原動力は何なのか
なにもわかってないか
ぜんぶわかっているのか
摩訶不思議におもう

921佐藤:2015/06/19(金) 18:41:16
多分、そういう事どうでも良くなると思いますよ。

考え続けても良いですけど。。

922慧空:2015/06/19(金) 18:42:10
>いってること変ですかな?

いえ、変でないですよ。
それにもし変でも、別にいいじゃないですか。
思ったことを何でも書いてくださいな。

>でも釈尊は中道を説き
>戒律を制定した

釈迦は対機説法を基本としたようですので、相手によって話す内容をかなり変えていたようです。
釈迦が本当に中道を説いたかどうかは、私は怪しい部分もあると思っていますが、
もし説いたとしたら、それは最終的な悟りへのアプローチとしではなく、悟りの行程の中間段階かその付近に
いる人に向けた説法だったのだろうと思っています。

戒律は、何かの縛りがないと修行すらもおぼつかない人のために設けられたものだろうと思います。

>なにもわかってないか
>ぜんぶわかっているのか
>摩訶不思議におもう

これについては、何も分かっていないという方が近いのだろうと思いますよ。
私は釈迦ではないので、よくは分かりませんが。

923慧空:2015/06/19(金) 18:43:09
ああ、佐藤さん、こんちは。(^^)/

924佐藤:2015/06/19(金) 18:55:39
でも 真剣に考える事は、素晴らしいというか 羨ましくもあります。

925佐藤:2015/06/19(金) 18:57:34
こんばんわ 初の第2スレになりそうですね^_^

みなさま、どこいっちゃったかな。。

926慧空:2015/06/19(金) 19:03:07
そうですね、950を超えて来たタイミングで第2スレを立てようと思っています。

927孤独な羊:2015/06/19(金) 20:04:43
確かに釈尊の教えは、宗派を越えて散りばめられてるように感じています
で、その説法は見事に繋がるようですね
本当に知ったかぶりで恐縮なんですが、空とか無を結びにしてしまうと起承転結が失われてしまいます
個人的には920で書いた答えも、きちんと釈尊の教えの中には散りばめられてると信じています
経験しないとわからない愚者なので、要所要所しか知らず詳しくは触れられませんけどね・・

928名無しさん:2015/06/20(土) 13:20:05
ホンモノの白は多少くすんで見える

真っ白には別の色素が紛れ込んでいる

929名無しさん:2015/06/20(土) 13:22:59
私は悟った、なんてことがあるのですか?

悟りを体験した私が残ってるじゃん

930めがね:2015/06/20(土) 15:24:26
悟ったとは、思考と感情は幻だと気付く事で
私が無くなることではないですよ。

思考と感情に翻弄させている方々と比べれば悟ったとゆう
違いはあります。

931めがね:2015/06/20(土) 15:29:28
しかし、思考と感情に翻弄されているのに
されていないと思っているのも普通の方々なので
悟りの話は届かないことが多いでしょうね。

932思路:2015/06/20(土) 18:38:56
文章を書いているときは翻弄されなくても、実際の会話では翻弄されるでしょ。
思考のスピードや展開の仕方が違うのでそれに付いていけない。訓練すると
ちょとやそっとでは翻弄されなくなるけども、それでもよりパワーの強い音に晒され
ればそれに引きずられる。腕を取られてブンブン振り回されたら、なすがままになる。
それと同じで、思考も感情も物理現象だからよりパワーの強いものに出会えば
翻弄される。
 リズムを感じて歌を歌っているときに紛らわしいテンポの歌が聞こえて来たら
それにつられて歌えなくなる。思考もそれと同じで、紛らわしい思考で混乱させられる
と簡単に翻弄される。それが洗脳の手口。

 どんなに訓練を積んだ人(たとえば悟った人)でも、脳内の一部に
ピンポイントで磁場を与えて思考を混乱させれば、簡単に混乱する。
それは単純に目隠ししたら見えないのと同じです。悟りにはなにも特殊なことはない。
普通の知覚と同じです。

933思路:2015/06/20(土) 18:54:21
相対する思考や感情に翻弄されないためには、よりすばやく思考するか、より鈍感になる
かのどちらかです。
 ある意味徹底的に鈍感になるのが悟り。そもそもそういう思考回路を潰してしまえば
翻弄する要因に反応しなくなる。

 悟り(破壊)によって知恵が生まれてくるのは、余剰が生まれてくるからです。
本来は翻弄に備えていた控えの脳が余ってくる。そこで思考力に余力が生まれる。
だから元々知的レベルが低くて脳を十分に使い切っていない人が悟っても、知恵は
生まれてこない。控えの脳が余って余裕ができても、そこはもともと使っていない
から知恵にはならない。

934めがね:2015/06/20(土) 19:07:59
思路さん
面白いですね♪
おっしゃりたいことは良くわかります。
私の場合は車の運転の時などイライラの感情が出ることが多く
色んなパターンで出てきてましたし、自覚して外していくのですが
深くまで取れていないと感情には捕らわれない(と思っていた)のですが
体が避けたくないとゆう反応をしていたり(攻撃したい)
と今は車でイライラすることはほぼないですが、悟りの段階を超えると
大きく感覚が変化して行きます。
また、例えば私が相手を怒らせると2〜3秒ほど重たい負のエネルギーの様なものを
感じますよ、この事は思路さんがおっしゃるように混乱と言ってもいいと思います。

935めがね:2015/06/20(土) 19:17:35
思考と感情が流れてくるのですが
以前は自分で考えていることで私自身だと思っちゃっていました
なので翻弄されてしまうのですが
思考と感情は幻だと気付きだし、自覚を続けるとどんどん思考や感情が流れてこなくなりますよ

936めがね:2015/06/20(土) 19:27:41
なので、スピードは関係が無くなります。

937思路:2015/06/20(土) 20:16:45
たぶんそういう方法で一つづつ外していけば、ある時点で雪崩的に外れる。
そういう臨界ポイントのようなところが段階を踏んで何か所かあるんでしょう。
それが小悟だとか大悟だとか言われている。

イライラだとかは自然界で生き残るためには戦闘態勢に入るための必要な機能な
わけだが、近代化した社会で暮らす場合には無くしてもそれほど問題ない。


>なので、スピードは関係が無くなります。

思考と感情は幻ではなくて、思考と感情です。幻という比喩は感情コントロール
目的の場合には適切だけれど万能ではない。
感情コントロールに成功すると無駄な思考や感情は生まれなくなる。しかし
思考や感情は無駄なものばかりじゃない。

判断が高速化すると、即座に解るということが起こるけれども、判断内容が
複雑化してくればやはりスピードが関係してくる。
100個の条件を判断して決定するには時間がかかるのが容易に解ります。

938思路:2015/06/20(土) 20:23:45
修行をつめば無用な感情や思考には翻弄されなくなる。しかしまさに有用な
無視できない思考には簡単に翻弄される。

939思路:2015/06/20(土) 20:36:05
>悟りを体験した私が残ってるじゃん

悟りは「万能な何か」、「究極の何か」ではなくて、「苦悩の解決」これが一つの目標?

しかし苦悩を本当に知ってる人がどれだけいるのだろう。苦悩に出会うためによほど
努力した人か、運命的に苦悩に出会った人だけだろう。凡人は本当の苦悩なんてしらない。
そんなものを知る必要もないではないか?

 「苦悩を完全に解決した。決着した」というような人はそもそも苦悩に出会っていない
のではないだろうか?
 ちょっとした腹痛ていどで、ありふれた苦痛に過ぎない。そんなものは簡単に解決できる。
それを悟りと勘違いしている可能性が高い。W

940めがね:2015/06/20(土) 21:09:45
>>感情コントロールに成功すると無駄な思考や感情は生まれなくなる。しかし
思考や感情は無駄なものばかりじゃない。

たしかに無駄なものばかりではないですよね
それを選択できます。
感情もなくならないものがあります。ここは何処から何処と上手にいえませんが
とらわれる時間は短くなりますよ。

941孤独な羊:2015/06/21(日) 00:26:50
翻弄から逃れるため、あるいは話なんか通じない縁を通じて・・
悟りが近づいているなら、黙々と静かな道を歩みだす
騒々しい人達が仏陀のように悟ってるなんて到底信じ難いことでありまして
更に、批判や中傷誹謗に喰いついてくるものなら、そんなの疑う余地なく悟ってるわけがない
人間は、悟りたくて悟りたくないw
現代人が悟るには、可也の地獄の火が不可欠なほど難しくなっているからでしょう
悟りには、それほどの厳しい何かがある
現代人が認めたくないだけ

942孤独な羊:2015/06/21(日) 00:28:16
見事な道理で疑問なんかないのが悟りだという気がします
悟りがシンプルで論理的に語られないのは、語る必要がない理由によるもの
ただ、それだけが語られない理由でしょう

943思路:2015/06/21(日) 06:45:45
我々は身体に宿っており、身体に束縛されている。身体には自然的身体と
社会的身体がある。自然的身体の苦痛の解決は医学による。痛みを治癒し他に方法が
なければ切除する。最終的には死によって解決する。
社会的身体の苦痛を解決する試みが悟りだ。苦悩を見つめ理解することで取り除く、他に
方法がなければ隠遁する。社会的身体は不可視であり不死、不壊である。したがって
苦悩の最終的解決方法はない。
自然的身体にあっては快感が一つの機能であるように苦痛は必然的機能だ。
同様に社会的身体にあって苦悩は祝祭が一つの機能であるように必然的機能なのだ。

944めがね:2015/06/21(日) 10:17:47
私は初めから悟りたかったわけではなかったんです。
ただなんで生きてるんだろうと病んでいた時期がありまして
幸せて何だろうと考え続け、おっ!非日常なことをすると幸せの感情が来るぞと気付き
それを色々やってみました。そしてその非日常を普通の日常にしてみると
あれだけ幸せを感じた事なのにどんどん幸せを感じなくなってもうやりたくなくなってしまいました。
私はこんな幸せを追っていたんだとハッと気づいたんです。
その頃自転車通勤をしていてすれ違う人たちが避けようとしないことに
イライラする日々を過ごしていました3年ほど前だとおもいます。
ほぼ毎日ライラして仕事場につき、掃除をしながらも感情に捕らわれたまま
イライラしていました。そんな日が何日か続きつづきそのうちに自転車に乗った他の人を
攻撃する気持ちよりもこんなにくだらないことでイライラして仕事に支障がでたりで
バカらしいと視点が変わったんです。その次の日から何故か他の自転車を前もって避けている自分に気付いたんです。
それも感情に捕らわれず、負けた(笑)とも思わづです。
私は何をしたんだろうとどうして感情に捕らわれなくなったのか
解らなかったんです。だけれども感情は自分じゃないと気付いた時でした。
生きることに飽きてきた私にワクワクする人間の感情の仕組みに少し気付いた瞬間でした
結果として悟りになっていくのですが
人生を楽しむ方法はいろいろあると思いますので悟りがすごいと言っているわけではなくて
普通のことにワクワクできなくなって捕らわれの感情を外すのが苦しいのに
ワクワクして楽しくてやめられなくなったのが始まりです。
いわば趣味になったと言えると思います。

945めがね:2015/06/21(日) 10:42:00
全ての人とは言いませんが
結果的に楽しむことに飽きて幸せを感じることが少なくなっていくと
沢山ある苦しいことだけが残って苦しみあがき
悟りとゆう方向へ進むんだとおもいます。

946めがね:2015/06/21(日) 11:06:57
同じ事で腹が立ったり、モヤモヤしたり、同じ事を考え続けたり
やめたくても辞めれなかったり、これらの苦しいと感じる事に
翻弄されてしまうのが嫌で外してしていった「結果」、
感情に捕らわれなくなったり、その時間が短くなったりとなっただけなので
苦しいが1番の目的で結果が感情の2番なんです。
2番を求めているわけではないとゆうと伝わるでしょうか?!

947思路:2015/06/21(日) 14:59:28
そうだと思いますよ。悟りの抽象的な側面はそんなに関心を引く問題じゃなくて、むしろ
普段生きていくうえで生かせる悟りの方がいい。「外す」ということであれば、それが外れた
時の感動の方が面白い。そういう事をやってるうちにある時とてつもない境地に入ったり
する。それがまた面白い。
 卑近の出来事を丁寧に見つめなおすということはブッダの教えにも近いと思う。
ブッダやその周辺で起こった奇跡、つまり他を寄せ付けない圧倒的美しさは、気の遠くなる
ような高みではあるけれども、それが一歩一歩の歩みで我々にも可能だということを教えた
に過ぎない。
それは決して万能の神になることではない。

最終解脱者だとかいったところで何の芸も根拠もしめせなければ面白くもなんともない。

948梵々:2015/06/21(日) 15:25:04
>最終解脱者だとかいったところで何の芸も根拠もしめせなければ面白くもなんともない。

意識レベルが違うのだよ。
地べたでグダグダ人のことを言う人と はるか高い位置で見下ろしている人では。
あなたの放った矢は 決して慧空さんにダーメージを与えられませぬ。
その矢はやがて地べたに落ちてくる。かすりもせずに

949めがね:2015/06/21(日) 16:26:49
思路さん
>>悟りの抽象的な側面はそんなに関心を引く問題じゃなくて、むしろ
普段生きていくうえで生かせる悟りの方がいい。「外す」ということであれば、それが外れた
時の感動の方が面白い。そういう事をやってるうちにある時とてつもない境地に入ったり
する。それがまた面白い。

そうなんです、そんな仕組みを楽しんでるんです。
伝わったようで良かった(^^)昨日今日とお付き合いいただきありがとうございました!

950思路:2015/06/21(日) 22:08:18
少しづつ外していくことで悟りに近づくように、少しづつ加えていくことで人格が形成
されます。しかし誤まった教育、特にそれが人生の初期段階から行われた場合は致命的
な精神的奇形を生み出します。「反日」という教育は有機水銀のように作用して単に反日
を刷り込むだけに留まらない精神的奇形を生み出しています。それが最も顕著に表れるのが
宗教界ではないでしょうか? 
 通常は犯罪者は顔を見れば解ります。その国をリードするような知識人も顔を見れば
解ります。しかしかの国ではその直感が働かない。優秀な大学を卒業した温厚そうな知識人
でありながら、統一教会をはじめとする中小様々な愚劣なカルト集団を形成しています。

951孤独な羊:2015/06/22(月) 06:02:36
なるほどです
何処にいて、何をしていても楽しむ智恵がある
それが悟りであるということでしょう
めがねさんと思路さんは、悟りの次のステップに進まれてるような感じですね
私の場合、命の危うい状況がある
真に悟ってしまえば、どうにかなることは理解できます
それでも、これを手放すところから入るというのは、手順的には中々厄介なことですよ

952思路:2015/06/22(月) 13:30:27
天才脳は大抵は自閉症の傾向があります。悟りは人為的に天才脳を作り出す方法です。
そのことによって発現する天才に目を向けると同時に欠落にも目を向ける方がいい。
いいことばかりじゃないということです。

逆も真であって命の危うさは必ずしも悪いことばかりじゃない。

953思路:2015/06/22(月) 13:31:23
純粋培養をすると人格が変になります。中高一貫校のように整った環境でスクスクと
育つと賢い子が多いけれども、なにか馬力に欠ける。公立中を出て高校から入ってきた子
は勉強は遅れているけど馬力がある。そういう子がグングン伸びて大学受験になると
いいところに入っていく。
純粋培養は効果的のようで実は単調になる。

単調という点では椅子に座って白壁をずっと見ていると、1週間くらいで脳機能が
落ちてきます。おなじようなことを瞑想修行ではやることがあります。
1か月もそんな修行をすると脳が変化してまともな会話すらできなくなることが
あります。修行を終えてしばらくするともとにもどりますが、明らかに脳機能が
低下するのが解ります。

たとえば足が弱って病院でテレビばかり見ているとボケます。テレビから情報が
入ってきているようでも、匂いや風のそよぎのような情報はありません。白壁を眺めて
いるほど極端でなくても、情報量は圧倒的に少なくなるのでボケてきます。
パソコンでも同じです。小さな窓に過ぎません。真の意味で情報装置ではないのです。

聖なる書が本当に聖なる書かというと、そうでもないのです。これもまた白壁です。
小さな窓が開いているだけです。づっと白壁を見ていればボケます。

954孤独な羊:2015/06/22(月) 14:38:22
思路さんは、色々ご存知だなぁ
純粋気質というものか、わかりませんけど、私の社会観は子供のころから基本的なところで変わりません
生活に困るような家庭環境でもなかったので、右左見て無難かなと思える場所に生きてきたつもりだったんですけど
見事に失敗しましたよw
開き直りや楽天家は後に弊害あっても、その時は幸せですから、甘えて溺れました
皮肉なもので成人してから、そういう気質が持て囃される時代になりつつありますけど、まだまだでしょうね
結局、楽に生きることを前提にするならマイノリティーよりもマジョリティーが大切で、幾ら悟ろうとマジョリティーは強力です
現代の悟りは、仙人のような暮らしと信仰の依存くらいでしか適し難いかもしれません
末法思想とは見事な予測です

955思路:2015/06/22(月) 20:04:57
悟りでは「捨てる、外す」がキーワードになる。確かに拘りを外した時の解放感と
いうのはなんともいえない。しかし解放感は長続きしない。持続性があまりない。

これに比べて情熱とか充実感とか達成感からくるものはおよそ習慣化しない。なので
長続きする。たとえば来年カナダを旅行を計画してそのために英語を勉強しようと
決めたら毎日の勉強が楽しくなる。これがもし社会の役に立つような崇高な目的の
ためであれば充実感はさらに何倍も強い。これは「捨てる、外す」じゃなくて
積み重ねだ。一歩一歩の努力の積み重ねが充実感をもたらす。これが本当の意味での
楽しさだ。

悟りの解放感、快楽は一時的なものだ。天国は垣間見るものであって永続しない。
楽天的幸せも悟りと同じで、永続しない。情熱こそが永続的楽しさを生み出す。

956孤独な羊:2015/06/23(火) 13:02:35
思路さん、全くその通りと思います
思路さんにとって、崇高な目的とは何でしょうか?
是非、お聞きしたい

957慧空:2015/06/23(火) 20:39:54
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 このスレッドは打ち止めです。
 
 これ以降の書き込みは、下記のスレッドに書いてください。
 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12486/1435059408/

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

958名無しさん:2015/08/15(土) 06:56:33
アファメーション
https://youtu.be/5Xx4y6oIv6c


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