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悟り全般に関すること

905名無しさん:2015/06/17(水) 19:58:20
一なるもの、という考え方はべつに独創的じゃないわ。
でも、それなら自分は何と一つなのか、と問いかける人はあまりいない。
問いかけた人も、大部分は神という答えを出すのだけれど、
そこで「この宇宙は聖なるものによっていまあるかたちで創られた」
と想定してしまう。
この想定は間違っているし、そう考えてしまうと、
ブッダのように心を完成させた賢者でさえ、
恒久的な意味で神に到達できなくなります。

そう、二元性の波動をつくり出す心とは一つになれるでしょう。
その心はすべての次元を超越した無という場にあっては、
完全に時空とかたちのシステムの外にある。
これが非二元性の論理的で妥当な帰結なのだけれど、
それでもまだ神ではない。
それどころか行き止まりの袋小路よ。
あるいは始まりの終わりと言うほうがあたっているかな。

仏教は世界で最も心理学的に洗練された宗教だけれど、
それゆえに神という問題を扱えない。
だから、あなたがたがブッダと呼ぶ身体のなかにブッダがあったとき、
彼は神の問題を取り上げなかった。
わたしたちが非二元論と純粋な非二元論を区別する理由もそこにあるの。

ブッダが「わたしは悟った」と言ったのは、
自分は幻影に参加しているのではなく、
自分がすべての幻影をつくり出していると気づいた、
という意味だったのよ。

でも、そこからもう一歩進んで、すべての幻影をつくり出している心が
それ自身と完全に対立して神の側につかなければ。

もちろんブッダは優れた段階に到達した人だからそこに気づいて、
すぐにJ(イエス・キリスト)と同じ悟りに進んだわ。
でも、それは世界に知られていない生涯での出来事。

       『神の使者』(ゲイリー・R・レナード 河出書房新社)より


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