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悟り全般に関すること

100慧空:2014/10/08(水) 20:31:11
>>87キリンさんへ
確かに、ビパッサナも禅定も停止、すなわち無を目指す点では共通しています。
しかし、両者のその意味合いは大きく異なるのです。

ビパッサナの主たる目標は、普通に活動している動的状態の私の意識を
、その動的な状態のまま、ある一点に定めて静止させていくことなのです。
悟りを知らない方の意識が定まらず、とてもふらふらと揺れ動いています。
そのふらふらと揺れ動く度合いが小さくなり、迷いが小さくなっていくにつれ、
悟りが深くなっていきます。
そしてその究極の状態として、その動的な意識がある一点に定まった状態が、
最終的な悟りである解脱の悟りに対応しています。
つまり、ビパッサナは悟りを得て深めていくことを直接的な目的としているとともに、
私の意識に対してもそのように作用します。

これに対して、禅定は、私の意識の働きを抑制して停止させることをその狙いとしています。
しかし、この禅定は、それをいくら体験しても、多くの場合、悟りは得られず、
悟りとは全くと言っていいほど関係が無いのです。
その証拠に、殆どの禅定体験の場合で、禅定から通常の意識状態に戻ると、
何の意識次元の変化もなく、ものと意識レベルに戻ってしまいます。
実際に私は、31、2歳のころに瞑想をやっていたころから、
数え切れないくらい涅槃(意識も感覚も無い完全な無我であり、気絶状態です)に落ちた経験がありますが、
何の悟りも得られませんでした。


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