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悟り全般に関すること

473慧空:2014/11/17(月) 21:14:47
>>472 まきりんさん

霊界や天界のことはあまり気にされない方がいいかも知れませんよ。
それらのことを全く知らないまま、最後の解脱の悟りまで行かれる人はいるんだろうと思います。
そういう私自身も殆ど知らないまま最後まで到達してしまいました。

でもいい機会かも知れないので、霊界や天界のことについて私の理解というか、実感していることを少し書きますね。

まず、ハッキリとさせておきたい点は、すべてのことは考えであるということです。
この点は決して揺るがないのです。
ですから、霊界や天界も考えなのです。

しかしです。
ここがひとつ重要な点なのですが、考えであるという点では、私の肉体を含めたこの現実世界も考えなのです。
考えであるという点では、霊界も天界も現実世界も同等であり、変わりはないのです。
違いがあるとすると、いま現時点の私という自我の本拠地が現実世界であるということだけです。

生きてるうちは、私という自我の本拠地がこの現実世界であるという点については、納得しやすいと思います。
問題は、死んだらどうなるかというところだと思います。
要するに、霊界や天界等の死後の世界は存在するのかということです。

この点に関する私の理解というか実感として感じていることを書きますと、
霊界や天界等の死後の世界は、この現実世界と殆ど同じようなリアリティを持って存在しています、ということになります。

私は、過去世の記憶もありませんし、霊界や天界に対する実体験もありません。
ただ、一昨年暮れの明け渡し体験の直後から、どうやらこの現実世界と同じようにして霊界や天界がありそうだという理解というか感覚が生じるようにはなっていました。
でも、その感覚はとても曖昧なもので、確信的なものではなかったため、私は霊界や天界のことについて疑っているようなところもかなりありました。

その疑いは、二つの体験的理解により消えていき、どうやら霊界や天界等の死後の世界を含めた、輪廻というものがあるんだいう確信に変わっていきました。
その体験的理解の一つ目は、大悟した後に何度も経験した涅槃(完全な無我であり、気絶状態です)に落ちる体験に伴うものです。
具体的にどういう体験かと言いますと、大悟した状態、つまり「見るものは見られるもの」になり、自我である主体と、その対象である考え(客体)とが統合した状態で、
しかも、自我としっかりと捉えた状態で涅槃に落ちると、涅槃から自我に帰ってきた瞬間とその直後に、
私という自我である意識の連鎖現象とても鮮明に体験することができるのです。
つまり、私という存在がパッ、パッ、パッっと連鎖的に起こってくる考え(意識)そのものであるということが如実に体験できるのです。
私は、この体験により、私という存在の本質は意識の連鎖であり、この肉体の体験は、その連鎖の中で一時的に現れてくる考え(現象)に過ぎないのだと理解しました。
この意識の連鎖を止めないことには、仮に肉体が滅んでも、連鎖する考えの中身(現象)が変わるだけで、私という自我tの意識はそのまま続いていくんだということを理解したんです。
それで、霊界や天界等の死後の世界を含めた輪廻についても理解しました。

もう一つの体験的理解は、解脱の悟りを得た後のものです。
どういうものかと言いますと、私のブログにも書きましたが、解脱の悟りを得て確か4、5ヶ月ほどしたころに、自我の意識(正解には観照意識)が目覚めた状態のまま眠りに入っていくという体験を暫くの間、毎日のように体験したんです。
もう少し分かりやすく書きますと、意識が半分か何分の一の割合で目覚めた状態のまま眠りに入っていくんです。
すると、眠りに入るのに伴って、見えている世界(風景)が、この現実世界の風景(目をつむってますから普通に暗闇です)から眠りの世界の風景にスッと変わるのです。

私はこの体験から、現実世界と夢の世界の間に本質的な違いは何もないこと、
そして、夢の世界が死後の世界と殆ど違いがないこと、
また、眠りに落ちていくときの感覚は、死んでいくときの感覚と殆ど違いがないこと、を直感的かつ確信的に理解しました。

そういう訳で、私は、死後の世界は考えでありますが、この現実世界と同じように存在していると言うことにしているんです。


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