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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
137
:
神の子さん
:2012/07/11(水) 11:37:35 ID:vxm3Yqkc
>>128
初心者さま
アウトサイダーが言っている「ほとんどの人が、「奴隷状態」におかれている」
というのは、これは、意識の問題だとおもうのですが、これは、どのような背景があるのでしょうか。
・その「奴隷状態」からの解放の手段であるのが、
「宇宙的起源への回帰」を至上の価値、とすることだと。
それが、「死の欲動」となってあらわれてくる・・そういうことでしょうか。
「死の欲動」とはなんでしょう?
前に言っていた、利休が、究極の「わびざび」の境地を求めて、切腹したことも、
その死の欲動のひとつなのでしょうか、。
「アウトサイダー」の、時に破壊的な生活や、メランコリーに陥るような生き方や思考性のことですか?
そして、ウィルソンは、「左脳革命」を唱えることで、「死の欲動」さえも、救済することを試みている、のですか・・
では、初心者さまは、「左脳革命」といわれるものに、救いを見出している、ということでしょうか。
この辺は、アクエリアンさまは、ウィルソン信望者であられ、お詳しそうですね。
>生長の家が、実現された救済は、奴隷状態を居心地のよいものへと変えただけであるような気がいたします。
生長の家の救済が、この状態だとお感じになるのですね。
・・失礼かも知れませんが、初心者さまは、おそらく、しみじみとした、
信仰のよろこびから、遠い生活をされていたのではないかと、お察しいたします。
救済は、ただの、生活改善、ではありません。
深く、味わい深い信仰の境地もあるかと思っております。
おそらく自身に、なにか、少しであっても、この境地に覚えがなければ、
生長の家にあらわれるどんな体験談をきいても、共感し、心に寄り添うことは出来ないものと思われます。
真理を知ることで、むしろ批判的になったり、自分の考えと違うものを排斥するような気持ちをもつとしたら、おそらく、この信仰の境地に身に覚えのないことからできるのだな・・とわたしはかんじております。わたしも、批判精神がたくましいので、こういうときは、自分の心が、かたく貧しい状態になっているのを自覚しています。
・・そのときには、自分の信仰の原点を思い出すと、心が広く、深くなる感覚を取り戻すのです。
>たとえば、身体症状が奇跡的に治癒したときに、ふつうはこれをもって善である
と考えるはずです。ここで立ち止まって、この出来事ははたして本当に善であるの
かということを考え抜いたあげくに、それでもそれが善であると認めることを
承認できれば、それは善であるといってよいものと考えます。
たしかに、霊的な力などを使って、無条件に病気が治りました、というようなことを、
わたしも、善の状態だとは思いません。
それが、あるべき状態としてふさわしいときに、身体の治癒も起こるはずだと思います。
それが、宇宙の法則に適う、善の実現ということだとおもいます。
そのことは、生長の家の神癒ということでも、充分あらわれていることがあります。
>雅春先生の教えに問題があると
いうのではなく、生長の家の方々の現状を見るにつけ、つくづくそう思わせられる
ということです。
いかに快適な奴隷生活を実現するか。生長の家では、このことだけが考えられて
きたとおもわざるを得ない、というのが経験的に得られた結論です。生長の家に
たいする批判は、こうしたことへの批判でもあり、ただたんに、救済が反証不能な
形で真理へと結びつけられていることへの批判ではないということです。
では、初心者さまが仰りたいのは、雅春先生の教えに、問題がある、ということではないのですね。
「生長の家の現状」、初心者さまが問題にされておられるのは、このことなのですね。
救済とは、救済を必要としなくなる状態だ、と初心者さまは書いておられました。
この救済は、どのような形になるのでしょうか。
138
:
さくら
:2012/07/11(水) 11:39:03 ID:vxm3Yqkc
上の、
>>137
文は、
ひらがな、さくらで、ございました。
139
:
さくら
:2012/07/11(水) 11:39:53 ID:vxm3Yqkc
>>130
スターダストさま
>科学者に罪があるのではなく、唯物論を信じてしまった人間に罪がある
のです。
わかりました。では、物質の世界の法則を原罪といった前言を、撤回する、ということですね。
>どのような罪かというと。例えば現在は、パソコンや携帯電話
などで意志の疎通が行われています。しかし、唯物論以前の世界(霊界)
では、その人を考えるだけで、その人が目の前に現れるのです。新幹線
も車もいらなかったのです。また、暑いときのために、科学者によって
クーラーが発明されました。しかし、『神様涼しくしてください。』と神
に祈るだけで涼しくなったのです。だから、霊の世界では科学はいらな
いし、唯物論的な考えは役に立たないのです。
しかし、人間は自然を動かし難い真理と考えたため唯物論の世界が展開
したのです。しかし、唯物論的な法則が支配している現在でも、神の祈
りは通じるのです。
そういうわけで、『人間神の子』を信じ、人間神の子を自覚し、『神想観』
などを行うと、今でも時として唯物論の法則を超越したような現象が起
きるのです。これが『実相顕現』です。
・・スターダストさまの真の祈りは、霊の世界の奇跡的な現象が現れることで、物質の法則を越えて、それを起こすことなのでしょうか。
それが、スターダストさまの「実相顕現」だと考えておられるのですか?
そして、その祈りを実現できないのが、物質の法則を信じている人間の罪であるとおかんがえなのですか。
・・お答えのお手間は、気になさらなくて、大丈夫です。
引用されているご文章で、スターダストさまが、意図されたいことは伝わっております。
スターダストさまの言葉の中で、・・ちょっと、受け取れるニュアンスがちがっているので、やりとりに、食い違いが出るものと感じております。
スターダストさまの言いたいことは、引用のご文章で、伝わっておりますので、あまり、お気になさらないでくださいますように・・。
ありがとうございました。
140
:
初心者
:2012/07/11(水) 14:02:38 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
スターダスト様は、以前「人間神の子は不変の真理である」と発言なされました。
これに関連して、いくつか質問させていただきます。
雅春先生は、「実相世界には神の子としての人間がいる」と、たしかこのように
説いておられたと記憶しています。もしそうであれば、わたしはこれを、「実相世界
には変身した神がいる」とこのように言い換えたいとおもいます。実相世界といえ
ども、それは神が変身した姿です。神がかりにそのような姿に形を変えておられる
ということです。
「人間神の子」が永遠不変の真理であるというのは、神は永遠に変身をつづけ、
人間の姿で居つづけられるということなのでしょうか。このことをもって、
「不変の真理」と言っておられるのでしょうか。
それと、実相世界が永遠不滅というのは、神が永遠に実相世界への変身をつづけ
られることへの信頼を語ったものなのでしょうか。
これとはべつに、実相世界を「流出」ととらえる考え方があるかと存じます。覆水
盆に帰らずで、ひとたび流出したものは元にはもどれないと、このように考える
こともできます。ただし、どこへ流出したのか、これが問題になります。
あとは「排出」という考え方もありますが、これは無明縁起説につながります。
実相世界の起源が、変身、流出、排出でないとすれば、あとはどのように考える
ことができますでしょうか。起源なしの不生不滅。これでしょうか。
以上、いくつか質問いたしましたが、さくらちゃんの問いかけにお答えになられた
あとでお答えいただければ、ありがたく存じます。
ちなみに、本物の宇宙論では、実相世界がやがていつかは完成されることも
考えますが、これは神がつくられるのではなく、自動生成という意味での
「オートポイエーシス」のようなものだろうと考えます。
141
:
初心者
:2012/07/11(水) 14:08:36 ID:TfQ0e6RA
140の投稿で、「本物の宇宙論では、実相世界がやがていつかは完成されることも
考えます」と書きましたが、「本物の宇宙論では、実相世界らしき世界がやがていつ
かは完成されることも考えます」に訂正いたします。
142
:
初心者
:2012/07/11(水) 15:04:40 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>アウトサイダーが言っている「ほとんどの人が、「奴隷状態」におかれている」
というのは、これは、意識の問題だとおもうのですが、これは、どのような背景があるのでしょうか。
これは大きな問題ですね。背景にあるのは「死の恐怖」です。死にたくないがゆえ
に奴隷状態に甘んずる。人類の歴史とは、死の恐怖ゆえに奴隷状態に甘んじて
きた歴史であるともいえます。
戦(いくさ)に負けるなどして奴隷状態やそれに近い状況に置かれた人々は、命を
守るのと引き換えに厳しい労働を強いられることになりましたね。強制的ともいえ
る労働のなかで、作業の効率を考えた人々は、さまざまな工夫を重ねることになり
ます。厳しい労働から少しでも解放されるために、あるいは支配階級へのアピール
のために、知恵をしぼる必要にもせまられます。
智恵をしぼりつづけたことで、奴隷状態にあった人々の知恵は飛躍的に向上したと
考えられます。その知恵はやがて、支配階級の武力に対抗できるほどまでに進化し
ます。その「進化した知恵」が結実したものこそが、現代人の心性のいちぶとも
なっている理性や知性なのですね。現代人を含めた、近代や中世の人類の意識
は、奴隷状態に置かれた人々の努力の結晶であるということがいえそうです。
奴隷状態に置かれた人々が最優先に考えることは「いかに生き延びるか」という
ことです。さまほど申しました人類の歴史とは、いかに生き延びるかということに
知恵を振り絞ってきた歴史でもあるということがいえるはずです。
このために、現代人の心性においても、「いかに生き延びるか」ということが最優先
の課題になっています。現代人の意識を支える理性や知性は奴隷状態の延長線上
にあるわけですから、自由を得たとされる現代にいたっても、奴隷時代の発想や
意識状態から抜け出すことはできなくなっているということなのです。
アウトサイダーは、このことに気づいています。なりふりかまわず生き延びようと
する心性は自己欺瞞の奴隷意識にほかならず、それは自己本来の宇宙的起源へ
と回帰する方向とは逆向きであると考えています。
143
:
スターダスト
:2012/07/11(水) 15:22:25 ID:uuNh/pjs
>>136
:初心者:2012/07/11(水) 09:32:29 ID:TfQ0e6R
>>生長の家では「念のレンズ」との言葉が使われておりますが、「具体的
>>な声明」は、これをどのように説明しているのでしょう。「念のレンズ
>>のゆがみ」といった表現が見られるとおもいますが、「具体的な声明」
>>は「ゆがみ」はどのようして生じると説明しているのでしょうか。
前にも述べましたように、この世界は映しの世界です。
だから、この世界が映る基の世界がなければなりません。その世界を『実
相世界』といいます。つまり神の世界です。神の世界が直接、そのまま
映れば、『病気事故災害戦争飢餓』などの不幸は存在しないのです。
しかし、この世界は夢の世界ですから、実相世界がそのまま夢となるこ
とはなく、人間の性質つまり『人間の欲望』という『レンズを通して』
この世界が形成されるため、そのレンズのゆがみによって、いろいろな
苦しみのある世界になっているという意味です。
144
:
初心者
:2012/07/11(水) 16:29:57 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
>前にも述べましたように、この世界は映しの世界です。
だから、この世界が映る基の世界がなければなりません。その世界を『実
相世界』といいます。つまり神の世界です。神の世界が直接、そのまま
映れば、『病気事故災害戦争飢餓』などの不幸は存在しないのです。
しかし、この世界は夢の世界ですから、実相世界がそのまま夢となるこ
とはなく、人間の性質つまり『人間の欲望』という『レンズを通して』
この世界が形成されるため、そのレンズのゆがみによって、いろいろな
苦しみのある世界になっているという意味です。
これが、スターダスト様のいわれる「具体的な声明」ということですね。
わかりました。
ところで、プラトンのイデア論は、この世界はイデア界の秩序が反映した
ものであると考えるようです。イデア論では、内側の世界にイデア界が
あって、この内なるイデア界の秩序が外の世界に反映さていると考えるはず
ですが、生長の家の考え方もこれとおなじであると考えてよろしいのでしょうか。
それとも、これとは逆に、外の世界に完全なる秩序があって、これが内なる
世界に取り込まれるさいに、念のレンズによるゆがみが生じるということ
なのでしょうか。
あまりにも初歩的な問いかけですが、以前から疑問におもっていたことです。
145
:
スターダスト
:2012/07/11(水) 17:14:33 ID:uuNh/pjs
>>139
:さくら:2012/07/11(水) 11:39:53 ID:vxm3Yqkc
>>・・スターダストさまの真の祈りは、霊の世界の奇跡的な現象が現れ
>>ることで、物質の法則を越えて、それを起こすことなのでしょうか。
>>それが、スターダストさまの「実相顕現」だと考えておられるのですか?
>>そして、その祈りを実現できないのが、物質の法則を信じている人間
>>の罪であるとおかんがえなのですか。
『実相顕現』とは、実相の世界がそのまま歪むことなく、現象界に現れ
ることです。たとえば、実相世界には病気はありません。病気は心のレ
ンズの歪みを通したので、現れた現象です。
そこで、『生命の実相』を読む『甘露の法雨』を信じる。『神の子』の自
覚、『神想観』などによって、この世に唯物論を超越して実相を顕現す
る。その時、病気のみでなく、あらゆる不幸が消滅するのです。
人間は自然発生説という唯物論を信じる以前は、『すべての現象は神が
行っている。』『すべての現象は人間の祈り(願い)によって、神から与
えられている。』これが存在の法則だったのです。今の世であっても、
この法則が正しい法則でです。
**********************************************
『まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、
疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけ
でなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ。』と言っても、
そのとおりになります。あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何で
も与えられます。』
(新約聖書)
**********************************************
これは、イエスキリストの言葉であり『真理』なのです。
イエスキリストのいうように『信仰を持ち、疑わなければ』誰にでもで
きるというのです。
『あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。』
これが真の法則なのです。
したがって、不幸から逃れるだけでなく、イエスキリストのように奇跡
を起こすことができるのです。
**********************************************
『六千人が満腹する量のパンを空中から取り出す』
『一喝で嵐を静める』
『水の上を歩く』
『一喝でイチジクの木を枯らす』
『生まれつき盲目の人の目を開かせる』
『中風の人治す』
『死者を甦らせる』
**********************************************
これらはイエスキリストが行った奇跡ですが。
我々人間にもこれらの奇跡は起こせる。ということです。
ただし、『信じて疑わなければ』です。
『世の中は自然現象で物理的にできているので、絶対にこんなことは起
きない。』この考えが『祈り(願い)』となってしまっているので、それ
が神によって叶えられているのです。
146
:
スターダスト
:2012/07/11(水) 18:10:02 ID:uuNh/pjs
>>140
:初心者:2012/07/11(水) 14:02:38 ID:TfQ0e6RA
>>「人間神の子」が永遠不変の真理であるというのは、神は永遠に変身
>>をつづけ、人間の姿で居つづけられるということなのでしょうか。こ
>>のことをもって、「不変の真理」と言っておられるのでしょうか。
神ははじめから実相世界にいるのです。
また、神の子も実相世界にいるのです。
人間が変身して神の子になったのではなく、神の子が変身して人間にな
ったのです。
極端にいうと神の子が実相世界で眠ってしまい、人間の世界の夢を見て
いると考えるとわかりやすいと思います。
では人間の世界の夢が覚めたら、実相世界で目を覚ますのかといえば、
そうではありません。欲望がある限りまち、例えば人間として生まれて
しまうのです。これが輪廻転生です。
例えば人間が天界に生まれようと、霊界や幽界に生まれようと、人間の
本体は神の子であり、実相世界にいるのです。
147
:
スターダスト
:2012/07/11(水) 18:24:19 ID:uuNh/pjs
>>144
:初心者:2012/07/11(水) 16:29:57 ID:TfQ0e6RA
>>ところで、プラトンのイデア論は、この世界はイデア界の秩序が反映
>>したものであると考えるようです。イデア論では、内側の世界にイデ
>>ア界があって、この内なるイデア界の秩序が外の世界に反映さている
>>と考えるはずですが、生長の家の考え方もこれとおなじであると考え
>>てよろしいのでしょうか。
このプラトンの生長の家の考え方は同じだと思います。
148
:
初心者
:2012/07/11(水) 18:47:39 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
つまり、「人間神の子は不変の真理」とは、神が変身をおやめになることは
ないということですね。
149
:
スターダスト
:2012/07/11(水) 19:12:10 ID:uuNh/pjs
>>148
:初心者:2012/07/11(水) 18:47:39 ID:TfQ0e6RA
>>つまり、「人間神の子は不変の真理」とは、神が変身をおやめになるこ
>>とはないということですね。
その通りですが。神は変身しません。はじめから神です。ただ宇宙を造っている方です。もし、神が居なくなったらすべての宇宙は消滅します。
もし、自分が夢の世界にいるときに、夢を見ているベッドの中の自分が
死んだらどうなりますか?夢の世界は一瞬にして消えて無くなります。
これと同じ理屈です。
『つまり、神こそ唯一の生命なのです。』
150
:
初心者
:2012/07/11(水) 19:55:42 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
われらがジジェクは、ドイツ観念論の再活性化を目論んでいながら、ドイツ観念論は
自然状態から文化的状態への移行にあまりにもとらわれ過ぎていることに言及す
る。ジジェクによれば、デカルトが何をしたかというと、それは文化的状態への
ひきこもりの宣言であったらしい。この宣言に呼応して、ドイツ観念論は「ひきこも
り」の問題を取り上げた。その取り上げ方が尋常ではないと、ジジェクは見ている
ようだ。
そんなジジェクにとっての文化的状態とは、「気づかないふりをすること」である
らしい。隣人が何かをしでかしたとしても「気づかないふりすること」が、文化的
状態を生きる人々が守るべき態度だってことを、ジジェクがどこかで言っていた。
気づかないふりをすること。これがジジェクによれば、文化的状態を生きる人間の
処世術ってことだ。これが本当だとすれば、明らかに奴隷的な生き方だ。誇り高き
支配層であれば、何か気にくわないことがあれば、それは「捨ておけぬ」とばかり
に、即座に、そしてそれはときに命がけの注文をつけるだろう。奴隷状態に置かれ
ている人々にそのような真似はできない。生き延びたければ、相手が誰であれ、
見て見ぬふりをするしかない。
ジジェクが「気づかないふりをすること」と定義する文化的状態は、あきらかに
奴隷意識によってつくられたものだ。しかも問題は、現代人でさえもが、たがい
に気づかぬふりをしあっていると、ジジェクは見ているということだ。
人々がこぞって気づかないふりをしはじめた問題にとりつかれたのがドイツ観念論
だ。フィヒテやヘーゲルは、まやかしの文化的状態からの離脱を図り、長びく奴隷
意識によってすっかり覆いくらまされてしまった宇宙的起源への回帰を模索しはじ
めた。それは、哲学というには、異常なまでに霊的な取り組みであったのだ。
さらに、ドイツロマン派の詩人たちが、ドイツ観念論に呼応するかのように、奴隷状態
に置かれたみじめな現実を離れようと、宇宙に直接つながっているはずの内的
世界を、美しくも厭世的に語りはじめたのだ(コリン・ウィルソンはこのことを問題に
している)。そんな彼らは、誰もがアウトサイダーであったのだ。
20世紀の思想家にアウトサイダーを見いだすとすれば、それはジュルジュ・バタイ
ユをおいてほかにはいないだろう。バタイユは、現代の経済構造や消費構造が、
人々から「真の生きるよろこびを奪っている」と考えている。なぜかといえば、現代
の経済構造や消費構造は、奴隷状態に置かれた人々のそれを模倣したものである
からだ。
とにかく働くこと、蓄えること、このことが奨励される。これに反する生き方、それ
はたとえば、働きもせず、蓄えもせず、享楽を追い求める生き方は、あってはなら
ぬものとして排除の対象となる。
働きもせず享楽を追い求める生き方は支配階級のそれだ。奴隷状態に置かれた
人々にとって、それは『呪われた部分』でしかない。バタイユは、人生の真のよろこ
びは、この『呪われた部分』にこそあると考える。
生き延びるために、見て見ぬふりをし、遮二無二に働き、老後の蓄えばかりを気に
して真の享楽を追おうともしない現代人の生き方は、アウトサイダーであるバタイ
ユから見れば、真の自己を覆い隠し、自分で自分をあざむきつづけることしか知ら
ぬ奴隷状態に置かれた人々のそれなのだ。
過酷な奴隷状態に置かれた人々であれば、人生によろこびを求めるのはあきらめ
なければならないともいえる。その必要はないにもかかわらず、労働と生産と
老後の備えのために、実現可能な享楽を排除し、バタイユのいう「人生の真のよろ
こび(それはつまり、自分の命でさえも使いきること)」を味わえずにいる多くの
現代人は、現代のアウトサイダーが考えているように、たしかに自己欺瞞の奴隷
状態に置かれた人々、ということがいえるだろう。
バタイユの『呪われた部分』は、つい最近、ある人物に紹介されて、はじめて知った。
151
:
初心者
:2012/07/12(木) 10:16:00 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>・その「奴隷状態」からの解放の手段であるのが、
「宇宙的起源への回帰」を至上の価値、とすることだと。
それが、「死の欲動」となってあらわれてくる・・そういうことでしょうか。
「死の欲動」とはなんでしょう?
宇宙的起源への回帰が奴隷状態からの解放の手段と見なされることもあれば、
逆に、奴隷状態から離脱することが、自己本来の宇宙的起源に回帰するきっかけ
になることもある。
回帰が先か、解放が先か、どうなのでしょう。もしその人にとって、宇宙的起源が
自明のものであれば、回帰を実現することで解放へつなげようとするだろうし、
自明でなければ、死の欲動に身をまかせた解放の実現を契機として、結果的に
回帰に結びつくこともあるってことだ。
死の欲動とは、「自分は生きているのか死んでいるのか」の問いかけだろうと
おもうけど、これはつまり、奴隷状態にいる自分ははたして生きているといえる
のかの問いかけといえるかもしれない。
死の欲動については、いろんな考え方があるとおもうけど、それは「こんなん
じゃとても生きているとはいえない」と、たいていの人が無意識的にでも考えて
いるってことを暗示している気がする。
152
:
初心者
:2012/07/12(木) 10:18:44 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>前に言っていた、利休が、究極の「わびざび」の境地を求めて、切腹したことも、
その死の欲動のひとつなのでしょうか、。
「アウトサイダー」の、時に破壊的な生活や、メランコリーに陥るような生き方や思考性のことですか?
わびさびの根底にはバサラ的な生き方がありそうだ。バサラ的な生き方とは、何
があろうと気づかぬふりをして保身に汲々とするのではなく、それが財産であれ、
才能であれ、持てるものはすべて散じ尽し、使いきろうとする生き方だ。切腹を命じ
られたら、その場で命を使い尽くすのがバサラ的快楽といえるのかもしれない。
自己憐憫や厭世観にひたることで「破壊的な生活」や「メランコリー」を実現して
しまうアウトサイダーはバサラではない。バサラは金剛童子の武器であり、既存の
価値観や秩序は、バサラによって徹底的に破壊される。バサラを生きる人とは、
破壊のなかにあっても、思うがままに、生きたいように生きようとする人たちをいう。
バサラは、バカバカしいこと、それをやって何になるというようなことを好んで
なそうとする。生きる目的は、持てるものをすべて使いきることなのだから、たとえ
どんなにバカバカしいことで、世間から「物狂い」と後ろ指をさされるようなことで
も、それが「蕩尽」につながるのであれば、平気でそれをやりとげようとする。
奴隷状態にある人々がなしたがるのは、保身に役立つことばかりだ。奴隷状態に
ある人々のご利益とは、病気が治り、経済が立ち直り、人間関係がよりスムーズに
運ばれるようになるといったような、小市民的な願い事の実現なのだ。信仰の
ご利益によって、バカバカしいことや「それをやって何の役に立つ」というような、
それこそがもしかしたら、自己のあるべき宇宙的起源につながるやもしれぬ
バサラ的快楽を実現したがるものなど、ただのひとりとして出てこない。
ひょっとして、あの「百万運動」は、うまくやれば生長の家におけるバサラになり得
た可能性がある。何かの役に立てようとしたことが間違いなのだ。マネーであれ、
ロマンであれ、理想であれ、持てるものを徹底的に散じ尽し味わい尽くす。あの
運動でなすべきことはこれだったのだ。
153
:
初心者
:2012/07/12(木) 10:20:50 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>そして、ウィルソンは、「左脳革命」を唱えることで、「死の欲動」さえも、救済することを試みている、のですか・・
では、初心者さまは、「左脳革命」といわれるものに、救いを見出している、ということでしょうか。
これが問題なのだよ。バサラはどう見ても左脳の働きとしか考えられない。バサラ
の背景には下克上がある。南北朝時代から戦国時代へとつづく下克上の風潮の
なかで、バサラ的気分が、武士だけでなく一般庶民のあいだにも広がっていったのだ。
狂え、使い尽くせ。合理性をたっとぶ左脳にはおよそ似つかわしくない指令が、
バサラにあっては左脳から出されると、あたしは考えている。なぜなのだろう。
あたしの予想はこうだ。下剋上という、誰にもわかりやすい革命心理が、左脳の
革命を実現したということだ。そう、下克上にわきたつ時代の風潮にあって、左脳
は、つかの間ではあっても奴隷状態から解放されたのだ。その結果が、武士から
庶民にいたるまで、全員参加の狂乱のバサラであったのだ。
ウィルソンの左脳革命がどんなものかは、あたしにもまだわからない。救済につな
がるとも、つながらないとも、どちらともいえない。ただひとつはっきりとわかるの
は、ウィルソンが実現しようとしているのが小市民的救済の実現であるとすれば、
ウィルソンの左脳革命はバサラを超えられないってことだ。
154
:
初心者
:2012/07/12(木) 12:22:02 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
あたしは、宇宙はオートポイエーシスだとおもっているの。よくわかんないんだ
けど、オートポイエーシスというのは、自と他の境界を示せて、自分で自分を維持
できて、しかも自分自身に言及できるってシロモノらしい。でもその最大の特徴は
外部からの入力も、外部への出力もない、ってことなの。
だからさ、宇宙はまったくのオートポイエーシスなのよ。だけど、宇宙をオートポイ
エーシスと言ってしまうと、宗教用語では、これは無明縁起ということになる。
「なんだよ、ただの無明縁起説じゃん」ってことになる。宗教的意識は単語でできて
るとあたしはおもう。
155
:
初心者
:2012/07/12(木) 13:25:35 ID:TfQ0e6RA
オートポイエーシスの続き
ずいぶん前に、自分のブログでオートポイエーシスを取り上げたことがあったの
ね。まずは、オートポイエーシスとは何かってことを、自分で理解できた範囲で
説明して、オートポイエーシスは閉鎖系だから外部からは隔離されているって
書いたの。
そしたら、オートポイエーシスの研究者という人がコメントを残してくれて、「オート
ポイエーシスは外部からは隔離されていない」って注意してくれたの。
オートポイエーシスには「カップリング」と呼ばれる現象があることは知っていた
ので、研究者のコメントは理解できた。オートポイエーシスはたしかに閉鎖系なんだ
けど、カップリングと呼ばれる現象で、外部からの影響は受けるのよね。
それでさっき、「宇宙はオートポイエーシスだ」といってしまったんだけど、宇宙は
たしかに外部からの影響は受けているのよね。こちらでも書いたことがあるけど、
Dブレーンは1枚とはかぎらない。ほかのDブレーンの影響を受けることは、十分に
考えられる。
その影響のひとつが「暗黒エネルギー」だとおもうの。Dブレーンは複数枚あって、
たがいに影響しあっているはず。そうなると、Dブレーンのあいだで情報のやりとり
があるのかってことが問題になってくる。やりとりがあるとすれば、宇宙は閉鎖系
ではなくなって、オートポイエーシスとはいえなくなってくる。情報のやりとりが
なければ、宇宙は閉鎖系だといえるわけだし、その影響は「カップリング」で説明できる。
暗黒エネルギーがなぜ「暗黒」かといえば、それがちょくせつには観測できない
エネルギーだからなの。観測できないってことは、あちらからの情報はぜんぜん
入ってきてないってこと。「これ」という情報がなんにも入ってこないから、影響は
受けても観測はできずにいると考えられるのよね。
これでわかったでしょ。暗黒エネルギーは、情報のやりとりなしで影響だけを及ぼし
あうとされる「カップリング」で説明できる。いつぞやは、トキ様が、宇宙の秘密は
「神のみぞ知る」っておっしゃっておられたけど、「カップリング」と呼ばれる現象で
ちゃんと説明できてしまうの。
宇宙はやっぱりオートポイエーシスなのよ。だけどさ、こんなことを言ってるのは、
あたしの知るかぎりではあたしだけなの。専門的には問題大ありってとこでしょうね。
なんにしても、宇宙がオートポイエーシスだなんて考えても、誰もワクワクしないの
かな?保身にしか興味はないってことなのかな?
156
:
初心者
:2012/07/12(木) 20:52:28 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>・・失礼かも知れませんが、初心者さまは、おそらく、しみじみとした、
信仰のよろこびから、遠い生活をされていたのではないかと、お察しいたします。
救済は、ただの、生活改善、ではありません。
深く、味わい深い信仰の境地もあるかと思っております。
おそらく自身に、なにか、少しであっても、この境地に覚えがなければ、
生長の家にあらわれるどんな体験談をきいても、共感し、心に寄り添うことは出来ないものと思われます。
あのね、だからさ、さくらちゃん、生長の家に「しみじみとした、信仰のよろこび」や
「深く、味わい深い信仰の境地」はなかったってことが、今やこのような形で露呈さ
れてきてるの。わかるでしょ。
「しみじみとした、信仰のよろこび」や「深く、味わい深い信仰の境地」にひたってた
人たちが、本流を名乗り、あのように悪しざまに人の悪口を書きなぐるというよう
な真似などできるはずがないでしょ。
木のよしあしは成れる実を見よ、っていうけど、成れる実を見るかぎり、「よき実は
どこにもなかった」っていうしかないじゃない。あたしになかったとしても、それは
当然なのよ。だって、どこにもないんだから。
>真理を知ることで、むしろ批判的になったり、自分の考えと違うものを排斥するような気持ちをもつとしたら、おそらく、この信仰の境地に身に覚えのないことからできるのだな・・とわたしはかんじております。わたしも、批判精神がたくましいので、こういうときは、自分の心が、かたく貧しい状態になっているのを自覚しています。
・・そのときには、自分の信仰の原点を思い出すと、心が広く、深くなる感覚を取り戻すのです。
つれないことはおっしゃらないで、「これだ!」と思える真理を、「しっぽり」と
語っていきましょうよ。批判するなら真理を語れ!これでいきましょうよ。
「しっぽり」やってれば、信仰の境地なんてあとからついてくるわよ。
157
:
初心者
:2012/07/12(木) 20:56:12 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>では、初心者さまが仰りたいのは、雅春先生の教えに、問題がある、ということではないのですね。
「生長の家の現状」、初心者さまが問題にされておられるのは、このことなのですね。
語り口がどなたかに似てません?
問題があるとすれば、それは奴隷意識という枠組みのなかでしか雅春先生の教え
が理解されてこなかった、ということですね。「実相独在」という壮大なヴィジョン
が打ち立てられていながら、小市民的な欲望の充足に終始していたのはどういう
ことだ、って話ですね。
壮大なヴィジョンに見合った何ができるのかって話です。万教帰一、人類光明化、
日本国実相顕現とさまざまなことが言われてきながら、何が実現できたの
かって話です。実現できるのが『生命の實相』を護ることだけでよいのかって
話です。
>救済とは、救済を必要としなくなる状態だ、と初心者さまは書いておられました。
この救済は、どのような形になるのでしょうか。
個人的な経験でいえば、真理を味わい尽くすってことですね。真理の味わいは
救済に勝るとわかれば、真理に救済を求めようとはおもわなくなるのでは?
わかるまでは、紆余曲折があって楽ではないですけどね。
158
:
さくら
:2012/07/12(木) 22:21:53 ID:vxm3Yqkc
初心者さま
こんにちは。生長の家のアウトサイダー、初心者神の子さま
精力的な書き込みに、他をどん引き・・あ、いえ、圧倒されておられますね、笑。
こちら、金剛不壊の完全円満神の子、さくらです。
(・・現象的には、体力ダウンのさくらですが、実相を直視してください、笑。)
・・ということで、完全円満のさくらでも、きょうは、たくさん返事できません、、
初心者さま、ちょっと、話が逸れることでありますし、
厳密な科学的などの話ではないのですが、
自分なりの理解の話ですが、「法則」というのは、二つの側面があると、
とらえています。
一つは、自然界の法則、
それから、もう一つは、愛の法則、というようなことです。
わたしの中では、人間が生きる上で、どちらの法則も疎かには出来ないのではないものだと思っているのです。
この世の物理的法則もまた、神の作られた法則の一側面であり、その法則に正しく則ってこそ、この世で生きるものは、リアルな表現の世界を満喫する恩恵を与えてもらっているのだととおもいます。
愛の法則といったのは、これは、祈りや神癒の観点から、結果的に、物質の法則を越えて、
人間に、奇跡的な側面を見せることがあるからです。
愛からの行いによって、たしかに物理的法則を超越して人に働きかけ、いわいる「奇跡」を起こすことが出来、救いがあらわれる、
人間には、愛という高い精神性でもまた、この世で学ぶ自由が与えられていますね。
たとえ結果がどうであったとしても、人のためにおこした愛の心は、
理論や理屈を越えた、味わいの深い世界がありますし、
そのことこそ、宗教の本質の部分であるともいえるのではないでしょうか。
(ただ、水の上を歩くとか、たんに霊的な奇跡を起こすような、物理的法則を越えるということをもって、これを、実相が顕れたということではないと、わたしは思っていますが、。)
やっぱり・・わたしにはどちらも、軽視し合うことができないとおもうのです。
奇蹟が、どんな理論で説明可能だとしても、
人が愛の心で、誰かの無事や幸福を心から祈り、そして、結果があらわれたとき、
ともによろこび一体となる心を、否定できるでしょうか。
愛の心がなければ、どんな正しい理論だとしても、
心に届かないし、結局、人や世の中を変えることなんて、できないのではないですか。
ですから、宗教こそ、このことを疎かに考えてほしくないのですね。
わたしは、宗教的な愛からの行動が、組織団体の理論になると、軽視されることになるのかな、と感じました。
それは、たとえりっぱな大義名分を掲げない、つたないものであったとしても、
純粋な信仰の良心による行動の発露を、見失ってはいけないのではないかな、と。
まず、自分の思うような世界が実現することからの運動、よりも、
隣人の悲しみや喜びを考えられるということを、大切に思いたい、というきもちです。
・・こんなこと、初心者さまは、ひょくも承知だと思っておりますが、
これは、いままで、生長の家にいるときにも、ときどき、りっぱに話される真理が、心を離れて、遠いところで話されていることを感じることがあったので。
何のための真理なのだろう、と、考えてしまうことがあるのです。
妥協を許さない真理の探究の、初心者さまの姿勢は、とても尊敬しています。
ただそのことによって、人の愛による行いを、軽視して頂きたくはないとかんじましたので。
失礼いたしました。
159
:
さくら
:2012/07/12(木) 22:48:29 ID:vxm3Yqkc
初心者さま
>文化的状態とは、「気づかないふりをすること」である
・・そういえば、このことは、今回の原発の問題でも、実感したことでした。
今の生活の快適さを享受している、その背景にあるものに「気づかないふり」をしていたのではないかな、とわたし自身は考えさせられました、
「原発は絶対に安全である」、と言われれば、快適な生活を手放したくなかったり、
何かあるまでは、その仕組みやどんなリスクがあるのかも考えようともしていなかったですから、。
たいてい問題の背後には、この「気づかないふり」というのは、おおきい鴨知れないですね。
(生長の家の問題だって、結局そういうことが大きいのではないでしょうか。)
いかに、いまの経済構造や消費構造に、じぶんたちの意識が支配されていることがあるのは、よくわかります。
その「社会の構造」に支配されている意識の状態を、バタイユは「奴隷状態」に模したものと、言ったのですね。
>バタイユは、人生の真のよろこびは、この『呪われた部分』にこそあると考える。
「真のよろこび」、とは、どう考えるかですね・・
「呪われた部分」という表現と、「宇宙回帰への願望」、ということをさすのでしょうか。
たしかに、こうした「社会的な奴隷状態」に反して、自己の内部から突き上げる欲求に突き進んでいくことは、ある喜びがあるのだとおもいます。
社会的な重圧にしばられない、自身の感性のままに個性を発揮して追い求める、ということ願望は、多かれ少なかれ、あるかもしれません。
「真のよろこび」、といえば、前にも掲示板に書いた話なんですが、
オスカーワイルドの、改心の話があります。
オスカーワイルドも、耽美主義的な芸術観で、実生活でも放蕩快楽の限りを尽くして、その美を味わい尽くすことこそ、まさに人生の喜びとしていたのですが、
獄中で、何気ないちいさな深切を人に与えることで、自己に宿るキリストの愛の精神こそが、美の究極であるとして、キリストの愛の精神に目覚めていきます。
ずっと、この話が心に残っているのは、
この気持ちが、わたしにもたしょう分かるからです。
人間に罪がない、ということが分からないほどに、人間の究極の美が、愛にあるなんて、じぶんには分からなかったですから。
でも、このことが実感できると、他のことは色あせてしまうほど、
真のよろこびとするに、ふさわしいものであると思っています。
愛の行いによって、人間の精神の、究極の真善美の、真の喜びを見出すことができると、
わたしはおもっていますが。
宗教が世の中を変えるとしたら、その観点の軽視はあり得ないのではないですか。
わたしは、宗教がどんな立派な大義名分も、一見どんなただしい理屈理論も、
この観点がかけている実際の運動や団体の実態があれば、信用できないとかんじてます。
>問題があるとすれば、それは奴隷意識という枠組みのなかでしか雅春先生の教え
が理解されてこなかった、ということですね。「実相独在」という壮大なヴィジョン
が打ち立てられていながら、小市民的な欲望の充足に終始していたのはどういう
ことだ、って話ですね。
壮大なヴィジョンに見合った何ができるのかって話です。万教帰一、人類光明化、
日本国実相顕現とさまざまなことが言われてきながら、何が実現できたの
かって話です。実現できるのが『生命の實相』を護ることだけでよいのかって
話です。
これは、そうかもしれませんね・・
生長の家で、実現性というのは、どういうことなのかは、あまり、じっくりと、語られてはしない域がしてます。
宗教としてなにができるのか、他の宗教との相互協力や理解は、どう実現するのか
生長の家の、「日本国実相顕現」の運動が、
結局政治運動や憲法改正になるというのは、どう云う目的の運動なのかも、考え直してほしいとはかんじています。
160
:
さくら訂正、恥
:2012/07/12(木) 22:51:15 ID:vxm3Yqkc
おおきい鴨→おおきいかも。
161
:
さくら訂正
:2012/07/12(木) 22:53:39 ID:vxm3Yqkc
域がしてます→い気がしてます。
162
:
さくら訂正
:2012/07/12(木) 23:16:02 ID:vxm3Yqkc
初心者さま
ほんと、まったく関係ない話ですが、
いわゆる、人情、と、信仰的な愛って、
端的に、どのような違いがあると表現できますか?
163
:
初心者
:2012/07/13(金) 09:04:13 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
なんか、さくらちゃんと「愛」の話ができるなんて、なんとなく「おつ」な感じだね。
でもさ、バサラ、わびさびはどうなんのさ。コリン・ウィルソンはバサラを超えら
れるか、なんて話は無理にしても、バタイユだってまだまだ中途半端なんだし。
ところで、人情と信仰的な愛はどうちがうんだって話だけど、これはようするに、
アストラル体がいかに安定しているかって問題なのだ。アストラル体とエーテル体
がいかに結びついているかって問題なのだ。
164
:
さくら
:2012/07/13(金) 09:19:29 ID:vxm3Yqkc
おはようございます、初心者さま
きのうからの、ちえねつ?が冷めやらぬ、完全円満なさくらです。
…ということで相変わらず、あたまがまわりません、、
初心者さまも、愛について語れる、乙なおじさまだったのですね…、笑。
ところで、バサラといえば、宗教的愛も、バサラに通じるものがあると、
感じるところがありませんか?
初心者さまにとって、バサラの実現とはなんですか?
アストラル体の安定とはどんな状態ですか?
165
:
初心者
:2012/07/13(金) 09:19:30 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
信仰で病気が治ったからといって、「これは真理だ」と言っちゃダメ。
こんなこと言ってたんじゃ、体験がエーテル体に結びつかない。
病気が治った、ありがたい。自分とおなじように苦しんでいる人たち
を助けたいとおもったときに、アストラル体とエーテル体が結びついて、
ただの人情だったものが信仰的な愛へと変っていくのだよ。
166
:
トキ
:2012/07/13(金) 09:27:17 ID:D0kMJKeY
>>165
確かにそうですね。
167
:
初心者
:2012/07/13(金) 09:37:17 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>初心者さまにとって、バサラの実現とはなんですか?
バサラとは、思いっきりばかげたことをなすことだな。奴隷根性ではできない
ことをなすことだな。後世に残るほどのばかげたことをなすことだな。
森にオフィスをつくる。これはバサラだな。後世に残るバサラだな。生長の家は
これまで、後世に残るようなものは何も残していない。奴隷根性では何も残せな
いってことだ。
168
:
さくら
:2012/07/13(金) 09:44:05 ID:vxm3Yqkc
>>165
>>166
たしかにそうですね。
バサラの精神が昇華、洗練されたものが、芸術や宗教的精神に、
高められるということが、あるとおもうのですが。
宗教的愛の根底は、、初心者さまがいうような、「奴隷意識」や、小市民的願望を
越えたものですから。
…宗教組織的な対応は、自分を守ることでいっぱいだったりしますから、
その体質はわたしは、苦手です。
169
:
さくら
:2012/07/13(金) 09:45:29 ID:vxm3Yqkc
うーん、森のオフィスがバサラ…!
170
:
志恩
:2012/07/13(金) 10:37:21 ID:.QY5jUA6
初心者様曰く『森のオフィスが.バサラ!! 後世に残るバサラ (=雅宣総裁先生が、生長の家として後世に残すもの)』
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ということですので、
【バサラ(婆娑羅)】の意味を調べてみました。
”南北朝内乱期にみられる顕著な風潮で、
華美な服装で飾り立てた伊達(だて)な風体。
はでで勝手気ままな 遠慮のない 常識はずれの ふるまい。 また、そのようす を表す。”””
http://100.yahoo.co.jp/detail/
婆娑羅/
171
:
初心者
:2012/07/13(金) 10:54:41 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
バサラとは奴隷状態からの解放だ。和歌の「花実相応」とは宇宙的起源への
回帰だ。このふたつが結びいて生まれたのがわびさびの精神なのだ。
172
:
志恩
:2012/07/13(金) 10:58:01 ID:.QY5jUA6
《バサラ》については,もう少し調べてみますと
『遠慮なく 暴れさしてもらいますぜ!』という意味も 込められていました。
173
:
志恩
:2012/07/13(金) 11:04:28 ID:.QY5jUA6
一般的な普通の国語辞典の解釈と、初心者様の、脳内辞書の解釈とは、ちがうのですか。
「戦国BASARA」も、知られているようですが。
あれは、おもいきり暴れるのです。
174
:
信徒
:2012/07/13(金) 11:07:46 ID:4XyYSDw.
総裁へ 総裁を支持される信者の皆様へ
「天地一切のものと和解したときに神は現れる。」
はたして「観世音菩薩讃歌」をお書きに成られたとき、
総裁先生は天地一切のものと和解されていらっしゃったでしょうか?
「まず汝の兄弟と和せよ。」です。
「まず」と神は仰ってます。
自然を讃えるのはそれができてからです。
兄弟と和解されていない方のご文章には「神」は現れずそこにいらっしゃいません。
これは総裁に対する批判でも侮辱でも悪口でもなんでもありません。
「真理」です。
どうか神の声に耳を傾けてください。
名前: 信徒代表
本当におっしゃる通りです。
天地一切の者と和解せよ、天地一切の者との和解が成立したとき
そこに神が現われる・・・
というのですからね、
今の生長の家教団には神は現われていないという証拠です ! !
175
:
うのはな
:2012/07/13(金) 15:34:21 ID:gTn97m6I
『生命の實相』著作権帰属裁判の本質
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2664
176
:
初心者
:2012/07/13(金) 15:44:27 ID:TfQ0e6RA
神があらわれているとかいないとか、しかもそれが「真理」であるかどうかと
いうことを、軽々しく口にしてよいものなのでしょうか。
アインシュタインの「神はサイコロを振らない」との発言にたいして、ニールス・ボー
アは、「なにをなすべきかを神に指図するな」と応じました。こうしたから神があら
われるというのは、神への指図であるのかもしれませんね。
神の名によって物事の正邪をきめようとすることが、いかに大きな問題を引き起こ
すかは、歴史が証明するところであると考えます。神にかんしての発言は慎重であ
るべきかと考えます。
177
:
さくら
:2012/07/13(金) 16:18:57 ID:iQUTZPUE
本流掲示板では、初心者さまが雅宣総裁などの噂があったりしてますが、それはともかく、生長の家が批判されるような書き込みをしているのに、単語には反応するようですが、誰も、内容で反論しない人がいるところをみると、初心者さまが仰ってることには、ここをみている生長の家では意義なし、ということでしょうか。
…生長の家の信徒は、みなかしこいですから、人間知は、相手にしないのですね、きっと、笑。
初心者さまは、「真の生長の家」ってどんなことを指しているとおもいますか?
…因みに、わたしはこの言葉は、はじめてききましたが。
生長の家でやるべきことは、ほんとに、
「バサラ」の実現だと初心者さまはおもうのですか?
宗教組織って、なにをするところですか?
178
:
スターダスト
:2012/07/13(金) 17:17:38 ID:uuNh/pjs
>>176
:初心者:2012/07/13(金) 15:44:27 ID:TfQ0e6RA
>>神があらわれているとかいないとか、しかもそれが「真理」であるか
>>どうかということを、軽々しく口にしてよいものなのでしょうか。
まず、神の本質を知ることです。
神が誰だか分からない中は、神を語る資格もなく、真理を語る資格もな
いのです。
前にも言いましたが、神が居なければ宇宙は存在できないのです。
なぜなら、この宇宙は神のことば(神の催眠術)で造られた『神の夢の
世界』だからです。
先ほども言いましたが、夢の中の宇宙は夢を見ている『本物の自分の心』
が造っているのです。もし、夢を見ている本物の自分が死んだら、夢の
世界だけが単独で存在することはできません。
>>アインシュタインの「神はサイコロを振らない」との発言にたいして、
>>ニールス・ボーアは、「なにをなすべきかを神に指図するな」と応じま
>>した。こうしたから神があらわれるというのは、神への指図であるの
>>かもしれませんね。
アインシュタインやニールス・ボーアなどいくら有名な科学者でも、こ
の世界を実在の世界だと思い込んで、夢の研究をしても何の意味もあり
ません。有名だから正しいという考え方がおかしいのです。
>>神の名によって物事の正邪をきめようとすることが、いかに大きな問
>>題を引き起こすかは、歴史が証明するところであると考えます。神に
>>かんしての発言は慎重であるべきかと考えます。
神の名によって善悪を考えないから、色々な不幸が起きるのです。
早急に大きな問題を起こしているのは、自然発生的な考え・唯物論的な
考えであることに目覚めなければならないのです。
これは天理教の教祖の言葉です。『学者・金持ち後回し。』
つまり、真理が理解できない者は『学者と金持ち』だと言っているので
す。
179
:
初心者
:2012/07/13(金) 17:46:07 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>初心者さまは、「真の生長の家」ってどんなことを指しているとおもいますか?
…因みに、わたしはこの言葉は、はじめてききましたが。
わたしも、これまでいろいろな方と接してきましたが、「真の生長の家」といった
人はいませんね。「真の生長の家」があるとすれば、それ以外は「真の生長の家
にはあらず」となって、排除の対象とはなっても、オルグの対象にはなりません
からね。少なくとも、組織活動においては、「真の生長の家」という発想はあり得な
かったとおもいます。
生長の家はカルト化しつつあるのでしょうか。好悪の情にしたがい、自分たちだけ
を「真なる宗教」として他を排斥しようとするは、カルトの発想のはずですからね。
かつての生長の家にはあり得なかった発想ですね。
180
:
初心者
:2012/07/13(金) 17:53:08 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
どうかこれからも、神の名で善悪を判断しつづけてください。
アインシュタインとボーアの議論は理解しておられないようですね。
これは「有名だから正しい」とか、そういう問題ではありません。
181
:
さくら
:2012/07/13(金) 18:38:55 ID:iQUTZPUE
生長の家は、実際に、なにを、実現するところだとお考えですか?
本に書いてあることではなく、実際の具体的なあり方を、
教えてくださいませんか?
182
:
さくら
:2012/07/13(金) 18:42:29 ID:iQUTZPUE
初心者さまは、生長の家の実現の実態とは、
奴隷意識の抜ききれない小市民的願望の実現と書かれました。
183
:
スターダスト
:2012/07/13(金) 18:46:44 ID:uuNh/pjs
>>180
:初心者:2012/07/13(金) 17:53:08 ID:TfQ0e6RA
>>どうかこれからも、神の名で善悪を判断しつづけてください。
>>アインシュタインとボーアの議論は理解しておられないようですね。
>>これは「有名だから正しい」とか、そういう問題ではありません。
今から37年ほど前に、アインシュタインの特殊相対性原理と素粒子の世
界の書物がブームになったことがあります。当時は猪俣なんとかという
物理学者が執筆していました。大体20冊ほど読んだと思います。
だから、ボーアについてもその本に載っていましたので覚えています。
また、霧箱とか泡箱で素粒子の性質を調べていると言うことも覚えてい
ます。しかし、そんなことを覚えても何の得にもならないと考えたので、
今ではすっかり忘れてしまいました。
しかし、アインシュタインの特殊相対性原理は宗教の真理と科学の中間
のような説なので、今でも大体覚えています。
当時は一生懸命読みましたが、今考えると、若いときは馬鹿馬鹿しい本
を喜んで読んだ物だと思っています。ちょうど子供の頃読んだ桃太郎の
本が今では、つまらないストーリーだと思うのと同じです。
184
:
SAKURA
:2012/07/13(金) 19:03:45 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
■ ■ 【SAKURA の 独り言!!】
【初心様】に対して何も「総裁??」と思った事はありませんモノ???
ましては「総裁雅宣先生の文章タッチ」は、まだ『その文章の中に“知識の宝庫”が…』
此処の掲示板の皆様の【 流 行 語 】よくつかわれています“言葉”
――>【頭のいい文章 】――>誰に対してですかと???
どう見ましても「文章形態」は〜〜〜〜全く!「現総裁雅宣先生」違う様にも思えますが??
■更に“投稿文章内容”果たして?「現総裁雅宣先生…」が取り上げられます項目・内容詳細…
異なると判断しております…。例えば…前回“討論されていました『ひも論理…?』…
正直申しまして「具体論」・「詳細事項」が〜〜〜腑に落ちない点が〜〜〜?
『 哲 学 的 な 発 想 』も、また異なるようにお見受け致します…。
ここで“勘違い?”なさらないように〜〜〜と“投稿”させて頂きました次第ですが。
再合掌
185
:
スターダスト
:2012/07/13(金) 19:04:46 ID:uuNh/pjs
>>180
:初心者:2012/07/13(金) 17:53:08 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様
>>どうかこれからも、神の名で善悪を判断しつづけてください。
多分、唯物論者から見たら、本当の善悪は知らないと思います。
**********************************************
『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証し
てはならない。父と母を敬え。あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』
(新約聖書)
**********************************************
これが、神の善です。
『殺す。姦淫する。盗む。嘘をつく。親不孝をする。隣人を憎む。』
これが、神の悪です。
この神の悪を犯すことによって『病気事故災害戦争飢餓』が起きている
のです。
この真理は唯物論からは絶対に導き出されることはありません。
なぜなら、一切の不幸は唯物論から発しているからです。
186
:
初心者
:2012/07/13(金) 19:15:23 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>生長の家でやるべきことは、ほんとに、
「バサラ」の実現だと初心者さまはおもうのですか?
宗教組織って、なにをするところですか?
奴隷意識の枠組みで教えを理解したところで、小市民的な願望の充足に
終始するしかありませんね。コリン・ウィルソンに洞察はあったようですが、
生長の家の方々に果たしてその洞察はあるのでしょうか。それがまずは
問題ですね。
187
:
初心者
:2012/07/13(金) 19:16:37 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
生長の家では、和解によって神があらわれると説かれているようですね。
たとえば、雅春先生の書かれたご文章には神があらわれていると考えられて
いるようです。ふつうの人々においても、調和において神があらわれるとも。
これは夢のなかにも神があらわれるということなのでしょうか。
188
:
初心者
:2012/07/13(金) 19:24:29 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
アインシュタインとボーアの議論ということでいえば、科学論争を問題にしている
のではなく、「神に指図するな」といったボーアの発言を問題にしております。
この発言じたい、有名人の発言であるかどうかは問題ではないということを
申し上げております。
ところで、「馬鹿馬鹿しい本を喜んで読んだ」といっておられますが、光速度
不変の法則について、夢のなかであのような現象があらわれることの馬鹿馬鹿
しさについて、なにか有意義なご教示をいただけますでしょうか。
189
:
初心者
:2012/07/13(金) 19:39:12 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
わたしは、相対性理論にかんしては、中学生のときにブルーバックスを読んだ
だけで、以来まったく勉強しておりません。むろんそれが馬鹿馬鹿しいという
ことも理解できておりません。自信満々に馬鹿馬鹿しいと豪語しておられるから
には、それなりの理解はなさっておられるものと、ふつうは考えます。このよう
に考えてよろしいのですね。
190
:
スターダスト
:2012/07/13(金) 20:04:29 ID:uuNh/pjs
>>188
:初心者:2012/07/13(金) 19:24:29 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様
>>アインシュタインとボーアの議論ということでいえば、科学論争を問
>>題にしているのではなく、「神に指図するな」といったボーアの発言を
>>問題にしております。この発言じたい、有名人の発言であるかどうか
>>は問題ではないということを申し上げております。
だったら、隣の中学生が『神なんかいない』といっていると言った方が
話が早いのではないですか?何もボーアやアインシュタインを引き合いに出すことはありませんね。
>>ところで、「馬鹿馬鹿しい本を喜んで読んだ」といっておられますが、
>>光速度不変の法則について、夢のなかであのような現象があらわれる
>>ことの馬鹿馬鹿しさについて、なにか有意義なご教示をいただけます
>>でしょうか。
夢のストーリーは自分の心の欲望が造ったので、有意義なものは夢の造
られる原理のみであって、夢の中にはありません。
例えば、私は昔、土を掘っていたら、硬貨がざくざくと出てきた夢を見
たことがあります。そのとき、この硬貨は誰が埋めたとか、その硬貨の
造られた年代を測定してもそれが何の役に立ちますか?
また、その硬貨を埋めた人間が現れても現れなくても、ただの夢の中の
現象であって、何の意味もないのです。
191
:
初心者
:2012/07/13(金) 20:06:14 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
となりの中学生が何をいっていたか、残念ながら存じておりません。
192
:
スターダスト
:2012/07/13(金) 20:08:50 ID:uuNh/pjs
>>189
:初心者:2012/07/13(金) 19:39:12 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様
>>わたしは、相対性理論にかんしては、中学生のときにブルーバックス
>>を読んだだけで、以来まったく勉強しておりません。むろんそれが馬
>>鹿馬鹿しいということも理解できておりません。自信満々に馬鹿馬鹿
>>しいと豪語しておられるからには、それなりの理解はなさっておられ
るものと、ふつうは考えます。このように考えてよろしいのですね。
だから、相対性理論は宗教と科学の中間のような説なので、今でも大体
は覚えていると言ったはずです。
193
:
初心者
:2012/07/13(金) 20:09:55 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
たとえ夢のなかの出来事であっても、その馬鹿馬鹿しさについては
語れるものです。
194
:
初心者
:2012/07/13(金) 20:12:36 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
夢の世界ではなく実相世界についておたずねいたします。
実相世界には光に相当するものがあるのでしょうか。
あるとすれば、それはどのような性質なのでしょう。
夢の世界では、「同時」という概念は存在しないようですが、実相世界には、
夢の世界で言う「同時」という概念に近いものはあるのでしょうか。
夢の世界には、時間空間という形式があるようですが、実相世界に
おいては、それはどのようなものであると考えられるのでしょうか。
195
:
初心者
:2012/07/13(金) 20:23:23 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
夢の世界の馬鹿馬鹿しさについても語っていただきましょうか。
夢の世界がいかに馬鹿馬鹿しいかということを語るのも、対機説法
としては必要でしょう。光速度不変の法則がどれほどまでに馬鹿馬鹿しい
ことなのか、ぜひとも語っていただきたいものです。
196
:
さくら
:2012/07/13(金) 20:48:49 ID:vxm3Yqkc
初心者さま
上に復興Gさまの生命の実相一部の抜粋にも、
生長の家の救済に関しての、お答えが書かれています。
よろしければ、誌友会にもご参加してくださいね、笑。
197
:
初心者
:2012/07/13(金) 21:17:35 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
「上に」ってなに?わからんもんね。
ところで、夢の世界に神や実相があらわれるとは、どういうことなんだ。
それも夢ってことなのか。
199
:
スターダスト
:2012/07/13(金) 21:30:12 ID:uuNh/pjs
>>195
:初心者:2012/07/13(金) 20:23:23 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様
>>夢の世界の馬鹿馬鹿しさについても語っていただきましょうか。
>>夢の世界がいかに馬鹿馬鹿しいかということを語るのも、対機説法
>>としては必要でしょう。光速度不変の法則がどれほどまでに馬鹿馬鹿
>>しいことなのか、ぜひとも語っていただきたいものです。
科学をいくら勉強しても運命が好転することもなく、病気が治るわけで
もありません。それだけではなく、人間は死ぬと(この世から目覚める
と)霊界でめを覚まします。霊界についてはスエデンボルグに聞くとい
いです。
**********************************************
■他生に初めて入ってくる際は、個々のものの記憶は、そこから派生し
てくる誇りと共に、苦痛を与える。
誰でもその者が身体の生命の中で得た自然的な気質を他生へ携えて行き、
かくて広般な記憶をもっていてそのことを誇り、そのことを見せびらか
そうと願っている者らはその記憶をもって行くのである。このようにふ
くれ上がったこの記憶は外にくっついている、いわば、固いたこのよう
なものであって、時の経過につれて柔らかくされなくてはならないので
ある。しかし、その間それは、恰も頭の皮膚がむしり取られているかの
ように、頭に苦痛を引き起こすのである。
**********************************************
他生とは死後の世界つまり霊界のことです。
霊界つまり目覚めた世界では科学などは何の役にも立たず、返って障害になると言うことです。
このことについては、すでに何度も述べていますよ。
200
:
初心者
:2012/07/13(金) 21:45:04 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
ですから、科学の馬鹿馬鹿しさについて語っていただきたいと、このように
いっておるのです。光速度不変の法則について、それがいかに馬鹿馬鹿しい
かということを具体的に語っていただくことには非常な興味があります。
具体的に語らずに、ただ馬鹿馬鹿しいといわれて、いったい誰が納得いたします
でしょう。
ところでシュタイナーによれば、今生で物理学者であったものは、来世では、
物理学の才能はほとんどゼロの人間として生まれてくるそうです。せっかく
輪廻転生しても、おなじような経験では意味ガないということなのでしょう。
知識はあの世に持っていけない。これはたしかなようです。
201
:
SAKURA
:2012/07/13(金) 21:46:29 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26
>>27
>>48
>>117
投稿の続きです…。
■第四章 偶発性の諸異常現象 ―――――
近代心霊研究は、言うまでもなく実験室内における、極度に厳密な科学的実験の上に
基礎を置くものです。しかし近代心霊研究の先駆となった、数多くの偶発的異常現象が、
その数、種類において、想像以上に東西各地にさかんに出現しつつあったことを忘れて
はなりません。この数十年来、日本人は物質文明の輸入に追い立てられ、ひたすら馬車馬の
ように物質世界の軌道を駆け続けてきて、それらの問題をふり返ってみたことも
ありませんでした。が、いつまでもそんなまねばかりしてはいられません。
私は、それらの中で、顕箸なものだけでも、ひととおり教えあげておきたいと思います。
<つづく> No.1
202
:
SAKURA
:2012/07/13(金) 21:48:28 ID:V.pKl3yA
<つづく> No.2
>>201
続き投稿です…。
―――――― 悪夢 ――――――
偶発的心霊事実の中でも、最も普通なのは、悪夢でありましょう。悪夢とは、つまり
立派につじつまの合った夢、いわゆる正夢です。近年精神分析学者をはじめとし、夢に
ついて研究をした人たちは、なかなか多いのですが、霊媒師をヌキにしては、まだ充分
夢を解決したとは言われないようです。
悪夢の中で、最も普通に起るのは、人の死の前後に起こる予兆的悪夢です。これは、
大ていの家庭で一つや二つは心当たりのある事柄ですから、とりたててその事例を
挙げるまでもないでしょう。「心霊と人生」誌上にあげた心霊資料の中にも、この種の
正夢の記録はすでに百以上あります。故フラマリオンの『ランコンヌ−』の中にも、
七十六ほど予兆的悪夢の実例がのせてあります。その他にも、数えあげればきりが
ありません。
時には、予兆的悪夢の中に国家の重大問題に関するものもあります。私自身が直接
当人の口からきかされた話ですので、特に忘れられないのは、日本海海戦の際に、
故秋山真之海軍中将のみた悪夢です。中将は当時まだ中佐で、東郷大将の幕僚の一人
でしたが、五月二十四日の明け方、連日の軍務に疲れ切った身体を士官室の安楽いすに
横たえて、うとうとしていますと、突然閉じた眼の中に、対馬東水道の全景が現れ、
そこにはバルチック艦隊がやや不規則な二縦隊を作り、北にむかって進んでいるのでした。
「ふむ、敵はあんな隊形で東水道へやってくるのだナ。よし、味方はこの手でむかえ撃とう。」
そう考えた瞬間、夢はたちまち消えうせました。それまでにも中将は、霊夢の形式で
戦略上の示唆に接した経験があるので、心の中でかたく、この霊夢を信じました。
果たせるかな、あの記念すべき五月二十七日の大海戦の日、対馬東水道でバルチック
艦隊と遭遇してみると、その地点、隊形などが、三日前の霊夢と全く相違がないのでした。
米国心霊家ハドソン・タットルがあげている実例の中にも、大変興味深いのがあります。
ある女性は、生来の盲人でしたが、ただ夢の中では、きわめて明瞭に人物や物体を認める
ことができるのでした。彼女の死後、その遺体を解剖しましたが、その視神経は全然破壊
されていたといいます。
音楽家の中には、夢の中で作曲した実例が相当あります。ド・リイフドというオランダ人は、
夢の中で「ヘヴン」「ゼ・ソング・オブ・ブラインド」の二小曲を作りました。
サリヴァンの生涯にも同じ様なことが起りました。『ゼ・ロスト・コルド』という名曲が
それで、惜しいかな、その一部分が彼の記憶から消えたため、永久に未完成で残っています。
フランスの有名な数学者ボアンカレにも、おもしろい事実があります。彼は
すべての方程式を解くべき一般法則を発見しようとして連日あらん限り知能を絞って
いました。ある夜もその問題を散々考えた後、眠りにつきましたが、翌朝目を覚ますと、
数枚の紙にその問題の完全な解式が書かれてあったといいます。
文学者の中にも夢の中にも夢の中の創作の実例は少なくないです。
たとえば、イギリスの文蒙コールリッジの名作『クリスタベル』『クブラ・カン』の二篇などは
熱睡中に書かれたものだと言われてます。
次は――――幽霊および幽霊屋敷――― です〜〜〜。
<つづく>
■■【夢判断】でしょう〜〜〜か???
『お正月の2日』皆様も御存じでしょうか??
此の日…『正夢??』とか言いますが〜〜〜〜〜これも【夢判断…】と捉えて良いのでしょうか?
【夢…】も、潜在意識に繋がっていますから、掘り下げていきますと〜〜〜ルンルン〜〜〜♫
【霊界】にはいっているのです〜〜〜ョネ!!この頃の私は
【夢…】を見ませんが??【夢 判 断】は多少はあるのです〜〜〜ョネ!!
なるべく「ボディティブ思考」になりますと【悪夢も良い夢判断…】になれる〜〜〜カモ?
私の後ろにいる【守護霊は表裏一体!!】なのですから〜〜
いつも〜いつも〜後ろの『百太郎の伝言…メッセ−ジ』かしら〜〜〜ン??
再合掌
203
:
さくら
:2012/07/14(土) 01:09:34 ID:iQUTZPUE
初心者さま
…わたしは、初心者さまのおかげで、雅春先生の教えがいかにすばらしいか、再認識できて、感謝していますよ。
今まで、生長の家の現状にがっかりして、
なぜか、こうして、初心者さまに話しかけて頂いたおかげで、雅春先生のお悟りの素晴らしさを再認識できた気がします、
初心者さまこそ、ほんとに生長の家がお好きなのだとおもいますよ、
これほど、生長の家について考え、そして真理について深く追求しようとしてる方なのですから…。
…「真の生長の家」「偽物の生長の家」というような考えには、わたしは、どうしてもなれません。
たとえば、違う宗教を信じていたり、考えが違っていたとしても、この地上に生きるものはみんな同じように学びの最中だと思いますし、必ずすべてが神の愛の中の出来事だと、信じます。
どこからでも、学びはあるはずですし、
生長の家は、万教帰一の広大の慈門ですから、ほんらい、全てを包んで余りある、愛の教えだと信じてます。
わたしも、現状にとらわれすぎず、学びの実践を大切にしようとおもいます。
真理を人や物事を見る価値判断の基準にせず、
…大切に祈りを込められると思う時にこそ、ことばを人に届けていこうと、おもいます。
こんな無知なさくらにいつも、お話くださって、ありがとうございます。
初心者さまの学びをこころから祈ります。
204
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 06:14:48 ID:uuNh/pjs
>>200
:初心者:2012/07/13(金) 21:45:04 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様
>>ですから、科学の馬鹿馬鹿しさについて語っていただきたいと、この
>>ようにいっておるのです。光速度不変の法則について、それがいかに
>>馬鹿馬鹿しいかということを具体的に語っていただくことには非常な
>>興味があります。具体的に語らずに、ただ馬鹿馬鹿しいといわれて、
>>いったい誰が納得いたしますでしょう。
だから、
>>199
で言っているでしょう。
科学をいくら勉強しても運命が好転することもなく、病気が治るわけで
もありません。霊界では世界では科学などは何の役にも立たず、返って
障害になると言うことです。
夢のストーリーは自分の心の欲望が造ったので、有意義なものは夢の造
られる原理(真理)のみであって、夢の中を研究しても有意義なものは
ありません。
例えば、私は昔、土を掘っていたら、硬貨がざくざくと出てきた夢を見
たことがあります。そのとき、『この硬貨は誰が埋めたとか、その硬貨
の造られた年代を測定しても』それが何の意味がありますか?馬鹿馬鹿
しいとは思いませんか?
確かに私も30年ぐらい前にシュタイナーの『神智学』は読みましたよ。
たしか、アストラル体とかエーテル体とかに分かれた五〜六冊組の本だ
ったと記憶しています。しかし、何か超能力的なことばかりで、あまり
有意義でなく、印象がないのでほとんど忘れてしまいました。
どちらかというと、20年間も霊界と行き来したスエデンボルグの霊界日
記に興味があります。全部で九冊になっています。初心者さんや生長の
家の信徒に読んでもらいたい本のひとつです。
205
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 06:30:23 ID:uuNh/pjs
>>204
のつづきです。
**********************************************
彼らの中の一人は地上の事柄に非常に学問があって、人々から尊重され
ていた。その彼の信仰が私に伝えられた。それは、私が霊的な方法で認
めるところでは、全く皆無である。といったものであった。なぜなら信
仰は地的な科学により全く窒息しており、それで彼は死後の生命を、霊
たちの存在を、ましてや天界を信じはしなかった。かくて彼の信仰は科
学の中に埋められてしまっていた。
私は彼らと生活上の科学の必要について論じた。すなわち、ただ必要な
ものは真の信仰に属したもので在るということであって、他のものは助
けになるものの、単に粗末なものに過ぎない、一切のものがそれに依存
しなくてはならないわけではない、と。
さらに私はいかような種類の生命が彼らを待っているかを彼らに話すこ
とを許された、すなわち、彼らは先ず、他生に入って間もない霊魂たち
を喜んで迎える善良な霊たちの交わりの中へ迎えられはするが、その信
仰の転倒した秩序のために彼らとは一致することができない時は、彼ら
からおのづから分離してしまうのである。
彼らは再び他の霊たちの交わりの中へ迎えられるが、彼らと一致してい
ないときは、彼らからもまた斥けられてしまう。その後で善良でない霊
たちと交わるが、これらの者からも斥けられる時は処罰と刑罰を加えら
れる。その後彼らは置き去りにされ、かくて彼らは家から家へ歩いて行
き、迎えられることができる所を求め、ついには食物と暖とを乞い求め
るようになる。
彼らはそのようにして迎えられ、身体の生命の中に在った時のように、
他の者より卓越して、さらに尊敬されたい、と願うと、その時は、他の
者たちの財産を求めるなら、それを持ち去ってしまわないわけにはいか
なくなる。こうした者らは身体の生命の中で罰しられるからには、彼ら
は今や更に厳しく罰しられて、放逐されてしまう。
その後彼らは破れた着物を着て独りになってぶらつき回って、乞食とな
り、そのことが彼らの誇りが、または他の者らよりも遙かに卓越しよう
とする思いが捨て去られるまでも、または他の者の財産を取り去ってし
まおうとする欲望がなくなってしまうまでも続くのである。
このようにして彼らはついには剥奪され、彼らと一致しているような霊
らの交わりの中へ入れられるのである。このことは時として非常に長い
年月を要するのである。・・・・数百年、数千年も要する、と言われて
いる・・・・なぜなら剥奪には長い時がかかる者がいるからである。
(スエデンボルグの霊界日記)
**********************************************
霊界で必要なものは、信仰(真理)のみが支配する世界なのです。
シュタイナーの言うように才能ゼロとして生まれるばかりでなく、地上
の科学をもって死んだ者は霊界では地獄によって精算されることになる
のです。
206
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 07:41:27 ID:uuNh/pjs
生長の家の言うように『この現象世界は無い』のです。
空間も無く、時間も無いのです。だだ、心から外へは一歩も出ていない
のです。無い現象を研究しているのが科学者です。
アインシュタインの説が宗教と科学の中間のような考え方だと言ったの
は次の論理からです。
光は直進します。しかし、空間は重力によって歪みます。
したがって、例えば高速ロケットがあるとして、真っ直ぐ上に進んだと
ます。どんどん進むと、地球の下に到着します。
この距離が宇宙の直径です。
ここでもう少し、自分を中心に考えてみます。真っ直ぐ上方を見ること
が出来れば、自分の足の裏が見えます。今度は、正面を見ます。すると
自分の背中が見えます。こうして、東西南北をぐるりと見渡したとき、
宇宙は自分の身体の皮膚に包まれていることになります。
宗教では宇宙は自分の中にある。という真理と一致します。
次に、昔は天動説を真剣に考えていました。地球が停止していて、宇宙
が自分を回っていると信じていたわけです。バカですねえ。今では、す
べてのクリスチャンは地動説を信じています。
しかし、アインシュタインはもし、地球が自転していると証明するなら、
宇宙の静止している場所を特定しなければなりません。
ただ、地球が自転していると言うだけでは証明にならないのです。
宇宙には静止している場所はありません。
そこでアインシュタインは相対性理論を提唱したのです。
宇宙で停止している場所は観測者です。
だから地球は回転していないのです。また、太陽が観測者を回っている
のです。このようにアインシュタインの説をとれば、天動説が正しいこ
とになるのです。
夢の中では太陽は東から昇り西に沈みます。
これが宗教的な考え方です。
だからアインシュタインの相対性理論は科学と宗教の中間のような学説
だと言っているのです。
207
:
初心者
:2012/07/14(土) 08:03:17 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>こんな無知なさくらにいつも、お話くださって、ありがとうございます。
初心者さまの学びをこころから祈ります。
えええー、どーゆーこと?意味わからん。ちゃんと説明して。
208
:
初心者
:2012/07/14(土) 08:15:08 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
スターダスト様は、どこからどこまでが夢で、どこからが夢でないといって
おられるのでしょう。
科学者が見ているのが夢であれば、宗教家が見ているのも夢であります。
神も実相も神の子も、すべてが夢であります。生長の家も雅春先生も夢で
あります。
スターダスト様は、夢のなかで本を読まされ、インターネットという夢の世界
で、夢で見た本の内容を引用するという夢を見させられているだけなのです。
神が存在すると考えておられるようですが、それは神が存在するという夢な
のです。科学者が夢の世界を研究しているのではありません。夢の世界を研究
する科学者の夢を見させられているのです。
209
:
さくら
:2012/07/14(土) 09:08:35 ID:iQUTZPUE
初心者さま
科学や物理の証明ならともかく…
宗教において、真の生長の家と言われたり、どちらが正しい、邪説だという証明には、
…わたしは、しょうじき、こころが動きません。
真理を知って、なにをするか、そのことです…。
いくら生命の實相を知っても、他を虚説ということや、
それでなにか「真の生長の家」といわれることが「復活」したとしても、本流などの姿をみてきて、
これからの生長の家がなにをするかにも、いまは信頼がおけません。
210
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 09:32:54 ID:uuNh/pjs
>>208
:初心者:2012/07/14(土) 08:15:08 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様は、どこからどこまでが夢で、どこからが夢でないと
>>いっておられるのでしょう。
>>科学者が見ているのが夢であれば、宗教家が見ているのも夢であります。
>>神も実相も神の子も、すべてが夢であります。生長の家も雅春先生も夢であります。
それは違います。
何度も言いますが、『実相世界』『神』は夢ではなく、現実世界です。
そこで、神がこの世界という夢を見ているのです。
>>スターダスト様は、夢のなかで本を読まされ、インターネットという
>>夢の世界で、夢で見た本の内容を引用するという夢を見させられてい
>>るだけなのです。
もちろんそうです。
ただ、科学者や唯物論者はこの世界を実在する世界だと確信して、研究
に没頭するので、夢が覚めた世界では、その唯物論が頭にこびりついて
いるので、それを剥奪されるまで何百年も苦しむよ。といっているので
すよ。この世界が『物質や現象は心の映像である』という真理を知って
いる生長の家の信徒は、心に唯物論が無いため剥奪されることはない。
といっているのです。
>>神が存在すると考えておられるようですが、それは神が存在するとい
>>う夢なのです。科学者が夢の世界を研究しているのではありません。
>>夢の世界を研究する科学者の夢を見させられているのです。
そうではなく『この世界が神の夢』なのであって、神だけが実在すると
いうのです。だから、この世界に神が居るわけではないのです。
前に何度も言いましたが、神がいなければ夢の世界だけが単体で存在す
ることは出来ないのです。
211
:
初心者
:2012/07/14(土) 09:43:08 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
ジジェクがいうように、真理とは共生を学ぶべき堪えがたい真理であるのかも
しれません。自分にとって心地よいものだけを真理と考える人は、快不快の原則に
したがって、心地のよい言説ばかりを集めて、不快な言説を遠ざけようとします。
そうやって集めた言説によって真理は成り立っていると考えます。
そのような人に、「共生を学ぶべき堪えがたい真理」の発想はありません。心地の
よい言説に囲まれたその人は、その心地よさゆえに、そうした言説のみをもって
絶対的真理と見なすようになり、そうすることで不快な言説をさらに遠ざけること
に成功します。ようするに、それを読んだりなしたりすることでドーパミンが出るか
どうか、これが真理かどうかの判断基準であるということです。
212
:
初心者
:2012/07/14(土) 09:47:34 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
すべて夢ですよ。スターダスト様は、夢のなかで、「これは夢ではない」といって
おられるのですよ。夢のなかで、科学者が見ているとされる夢とは別の夢を見て
おられるのですよ。それが別の夢であるがゆえに、「これは夢ではない」と感じ
られるのです。
213
:
初心者
:2012/07/14(土) 09:53:31 ID:TfQ0e6RA
光速度不変の法則は、夢が夢でありつづけるための必須の法則なのですよ。
光を追い越してしまうと、人は夢を見ることができなくなります。そのために、光は
つねに先回りして、夢の映像をつくりつづけているのですよ。これがバカバカしい
ことなのかどうか、わたしにはわかりませんけどね。
214
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 10:04:05 ID:uuNh/pjs
>>212
:初心者:2012/07/14(土) 09:47:34 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様
>>すべて夢ですよ。スターダスト様は、夢のなかで、「これは夢ではない」
>>といっておられるのですよ。夢のなかで、科学者が見ているとされる
>>夢とは別の夢を見ておられるのですよ。それが別の夢であるがゆえに、
>>「これは夢ではない」と感じられるのです。
意味がよく分かりませんが、『スターダストはこれは夢ではないとは言
っていませんよ。』スターダストを含め、この世にいる人はすべて夢を
見ている人ですよ。
だから、先ほどから言っているのですよ。
夢の世界は単体で存在できないのですよ。
たとえば、初心者さんが夢を見ています。
ベッドの中の夢でない実在の初心者さんがいなくては、夢の世界は出来
ないでしょう。
また、ベッドの中の実在の初心者さんが目を覚ませば、一瞬にして夢の
世界は消えて無くなりますよね。
この実在の初心者さんのことを『神』とい名で呼び、この実在の世界を
『実相の世界』という名で呼んでいるのです。
だから、神がいなければ、一瞬にして宇宙は消え去ると言っているのです。
215
:
初心者
:2012/07/14(土) 10:15:58 ID:TfQ0e6RA
ですから、実相世界も夢なのですよ。
216
:
初心者
:2012/07/14(土) 10:22:07 ID:TfQ0e6RA
神も実相世界も夢でしょう。夢のなかで、神や実相世界が実在する夢を
見ているのです。
217
:
初心者
:2012/07/14(土) 10:25:27 ID:TfQ0e6RA
夢見手はたぶんひとりだけです。その夢見手が誰なのか、夢のなかでいくら
考えても、どんな夢を見させられても、永遠にわかることはないでしょう。
218
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 10:35:10 ID:uuNh/pjs
>>215
:初心者:2012/07/14(土) 10:15:58 ID:TfQ0e6RA
>>ですから、実相世界も夢なのですよ。
だから、夢は単体では存在できないといっているのですよ。
地球も霊界も天界も夢ですが、その一番上の世界を実相世界と言ってい
るのです。もし、実相世界が夢であったら、もう一つ上の世界が存在す
ることになるのです。
219
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 10:39:28 ID:uuNh/pjs
>>217
:初心者:2012/07/14(土) 10:25:27 ID:TfQ0e6RA
>>夢見手はたぶんひとりだけです。その夢見手が誰なのか、夢のなかで
>>いくら考えても、どんな夢を見させられても、永遠にわかることはな
>>いでしょう。
そうです。初心者さんから見れば夢見手は初心者さんひとりです。
だから、初心者さんを『神の子』というのです。
実相世界で夢を見ているのは神の子だからです。
周りに色々な人々がいますが、すべて初心者さんの心から出た映像です。
220
:
初心者
:2012/07/14(土) 10:41:51 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
>もし、実相世界が夢であったら、もう一つ上の世界が存在す
ることになるのです。
ですから、夢見手はひとり、と申しております。ただしはその夢見手は、
スターダスト様がいっておられる「神」や「実相世界」とは無関係という
ことです。
221
:
初心者
:2012/07/14(土) 10:46:15 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
わたしのいっている意味がわかっておられないようですね。スターダスト様が
いっておられる「もうひとつ上の世界」こそが夢見手であるということです。
その夢見手は、スターダスト様がいっておられる、神とも、実相世界とも、生長の家
とも無関係、ということです。
222
:
アクエリアン
:2012/07/14(土) 11:10:56 ID:0rrCWYas
スターダストさんと
初心者さんのやりとり、非常に興味深く読ませてもらっています。
スターダストさんの言葉
〉だから、神がいなければ、一瞬にして 宇宙は消え去ると言っているのです。
これは、まったくそのとおりだと思うのですが、
私の昔からの、根本の疑問、では、「何故」神は、この宇宙を作ったのか、これがわからないのですね。
それでいろいろ読んでいるのですが、まあ、この探求は、ずっと続いていくでしょう。
「絶対無」というのか、そもそも、存在がなくても、何も問題がないのではないか、これは昔からの変わらない私の探求のテーマなのです。笑い
夢の議論も非常に面白いです。
なかなか、こんな根本の議論は、ふだんやりませんからね。
223
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 11:54:05 ID:uuNh/pjs
>>222
:アクエリアン:2012/07/14(土) 11:10:56 ID:0rrCWYas
>>私の昔からの、根本の疑問、では、「何故」神は、この宇宙を作ったの
>>か、これがわからないのですね。
>>それでいろいろ読んでいるのですが、まあ、この探求は、ずっと続い
>>ていくでしょう。
>>「絶対無」というのか、そもそも、存在がなくても、何も問題がない
>>のではないか、これは昔からの変わらない私の探求のテーマなのです。
確かに、『絶対無』でもいいですよね。
これはスターダストの個人的な意見ですが。
神は生命である。
神は愛である。
神は智慧である。
これらが神の条件になっていますが。
人間に生命はないから神が生命であり、
人間に愛がないから神が愛であり、
人間に知恵がないから神が智慧である。
そこで、仮に人間に生命があったら。
人間に愛があったら。
人間に知恵があったら。
神は生命を必要とせず、
神は愛を必要とせず、
神は智慧を必要としなくなって『絶対無』になるのではないかと思います。
また、同時に人間も『絶対無』になって消え去るように思います。
世界にはたとえ僅かでも悪がなければ存在できないように思うのです。
つまり電池のプラスマイナスのような仕組みではないかと。
224
:
初心者
:2012/07/14(土) 11:57:48 ID:TfQ0e6RA
アクエリアン様
神はなぜこの世界をおつくりになられたのか。わたしは、非常に拙いものでは
ありますが、ひとつの仮説を立てております。こちらでも以前、役行者様との
あいだでそれをテーマとしたやりとりがありましたが、神は自分の姿をお知りに
なりたかったというのが世界創造の理由だと、そのときのやとりで述べたことが
あります。
神がゆいいつの存在であるとすれば、それは無に等しいということですら、神に
はとうぜんのことに「自分」という概念すらないということになります(自他とは
相対的な概念ですから)。そんな神が、あるときそのことにちょっとした違和感を
お持ちになった。そのときの「違和感」こそが世界創造の原因になったと考えて
おります。
その「違和感」とは、神が自分の姿をお知りになりたいとする衝動でもあったので
すが、神といえども自分の姿をご存じではないので、たやすくその似姿をつくりだ
すことはできません。そこでその衝動は、無限の数ともいえる宇宙をつくり出す
大インフレーションとして現象化することになります。神は、無限の数ともいえる
宇宙が独自の生成発展を遂げていく過程を観察されながら、自分の姿にもっとも
近いとおもえる宇宙の出現を期待しておられるのではないかと考えます。
大インフレーションは、おそらく一元論では説明がつきません。はじめに、神と神を
とりまく無があった。とりあえずはこのように考えることにしております。
わたしが主張しております本物の宇宙はこうした仮説にもとづいたものであります
が、大インフレーションの仕組みはきわめて複雑なものと想像されます。たとえば
チベット仏教には、キルコルと呼ばれる曼荼羅の思想があるようですが、複雑きわ
まりないキルコルの仕組みは、本物の宇宙の生成発展の仕組みを解くカギになる
やもしれぬとか、シュタイナーの思想はどう結びつくのかとか、宇宙はオートポイエ
ーシスではないのかとか、さまざまなことを夢想しつつ、永遠にかなわないであろ
う、世界創造の仕組みの解明を楽しんでいるといったところであります。
225
:
さくら
:2012/07/14(土) 12:42:24 ID:iQUTZPUE
初心者さまのほんものの宇宙の探求は、
生命システムを探求する南方熊楠の考えにつうじますね、
生命のオートポイエーシス的な働きと、曼荼羅の思想の融合…など、
ほんもののうちゅうの正体とは、、おおきな生命システムなのですか?
226
:
初心者
:2012/07/14(土) 13:13:03 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
宇宙システムと生命システムには相似の関係があるのかもしれませんね。
それが 単純でないだけに、宇宙にしろ、生命にしろ、その探究には持続性が
あって、飽きずに楽しめるというものです。熊楠が現代に生まれていたと
すれば、現代風の宇宙システムの探究にも、多少の関心を持ってもらえた
かもしれませんね。
227
:
アクエリアン
:2012/07/14(土) 13:25:25 ID:5QLoZKNI
スターダスト様
レスありがとうございます。
〉そこで、仮に人間に生命があったら。 人間に愛があったら。 人間に知恵があったら。
神は生命を必要とせず、 神は愛を必要とせず、 神は智慧を必要としなくなって『絶対 無』になるのではないかと思います。 また、同時に人間も『絶対無』になっ て消え去るように思います。
世界にはたとえ僅かでも悪がなければ 存在できないように思うのです。 つまり電池のプラスマイナスのような 仕組みではないかと。
ーーーーーー
このご意見、共鳴できる部分が、かなりあります。
ある人の本に、
この全宇宙の有情の全生命が解脱したら、一瞬にして、全宇宙は消え失せるのだ、と書いていて、なるほどと思ったものです。
絶対無という、考えに、スターダストさんが、そういう考えもあってもいいのではと書いてくれて、私の問題意識もそんなにおかしいことではないと知ってちょっと安心しているところです。
228
:
アクエリアン
:2012/07/14(土) 13:42:47 ID:P46naudc
初心者様
レスありがとうございます。
〉神がゆいいつの存在であるとすれば、 それは無に等しいということですら、 神に はとうぜんのことに「自分」という概 念すらないということになります(自 他とは 相対的な概念ですから)。そんな神 が、あるときそのことにちょっとした 違和感を お持ちになった。そのときの「違和 感」こそが世界創造の原因になったと 考えて おります。
その「違和感」とは、神が自分の姿を お知りになりたいとする衝動でもあっ たので すが、神といえども自分の姿をご存じ ではないので、たやすくその似姿をつ くりだ すことはできません。そこでその衝動 は、無限の数ともいえる宇宙をつくり
ーーーーー
229
:
アクエリアン
:2012/07/14(土) 13:52:39 ID:3vWBqT4M
初心者様
レスありがとうございます。
〉神がゆいいつの存在であるとすれば、 それは無に等しいということですら、 神に はとうぜんのことに「自分」という概 念すらないということになります(自 他とは 相対的な概念ですから)。そんな神 が、あるときそのことにちょっとした 違和感を お持ちになった。そのときの「違和 感」こそが世界創造の原因になったと 考えて おります。
その「違和感」とは、神が自分の姿を お知りになりたいとする衝動でもあっ たので すが、神といえども自分の姿をご存じ ではないので、たやすくその似姿をつ くりだ すことはできません。そこでその衝動 は、無限の数ともいえる宇宙をつくり
ーーーーー
この考え方は、非常に、インド哲学的ですね。
この世界を、神のリーラ、遊戯、遊び心の展開として捉える考え方、面白いです。
230
:
初心者
:2012/07/14(土) 15:33:22 ID:TfQ0e6RA
アクエリアン様
そうですか。インド哲学的ですか。それにたいするイメージはあるものの、インド
哲学には知識らしい知識を持ってはいません。それについて語ることもできま
せん。ですが、高嶺の花に恋い焦がれるとでもいうべき憧れはありますね。
それとは知らず、インド哲学的な何事かを語り得たとすれば、たとえそれがどんな
に稚拙であろうとも、自己満足程度の満足感は得られるというものです。ただ宇宙
誕生のいきさつは、「遊び」というよりも「神の狂気」ととらえるべきではないかと
考えます。
やにわに生じた「ちょっとした違和感」は、神にとっての純然たる異物であったはず
です。それは、神のなかにありながら、神ならざる異物であったはずです。「ちょっと
した違和感」は、「排出」という形で神の外部に放出されます。これにより、神ならざ
るものが、神の内部より排出されます。
それは大インフレーションとなって現象化します。「絶対無」という言葉が出てきま
したが、自己も非自己もない「絶対無」の状態にあった神は、非自己が現象化した
ことで、無から有の状態へと引きだされます。それは、神ご自身が無から有へと
引きだされた瞬間であったという意味でも、無限の数の非自己を誕生させたと
いう意味でも、何もあってはならないところに、あってはならないものを生じさせ
たという意味でも、その出来事は、神にとっての狂気の沙汰であったと考えます。
しかもこの狂気によって、神は存在に入ることができたともいえます。
スターダスト様やアクエリアン様が語っておられますように、非自己は自己へと
回帰すべきものであるのかもしれません。なんにしても、あることないこと様々に
想像いたしますので、道をはずれたときにはご指導いただけますように。
231
:
アクエリアン
:2012/07/14(土) 19:07:10 ID:2fq82x1o
初心者様
宇宙誕生のいきさつを、神の狂気と捉えるということですが、やはり、インド哲学的に思えます。
マーヤーという考え方に似ているのはないかと思えるのですね。
世界大百科事典の解説
〈幻影〉を意味する語でイン ド哲学の術語の一つ。早くも 《リグ・ベーダ》において用 いられ,おもに〈神の驚異 的・神秘的創造力〉を意味し た。この用法はウパニシャッ ドに継承されているが,〈宇 宙的幻影〉の意味にも用いら れている。
ーーーーー
神の違和感、神の中の異物の排出としての宇宙の誕生、そして、展開。
これは、結局、この世界は、神の違和感、を原因としているのだから、どうしても、人間の目からは、不調和極まりない世界に映るのだ、という、はなはだ悲観的な哲学になりますね。
初心者さんの思想を間違って捉えているかもしれませんが、その場合は、ご容赦を。
そして、この世界という存在は、神の狂気の沙汰であり、非自己なのだから、本来、あってはならないものなのだから、あるべき位置に戻してやることこそ、人間の仕事ではないのか。
こういう考え方、興味深いです。
233
:
SAKURA
:2012/07/15(日) 05:20:34 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
おはようございます…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26
>>27
>>48
>>117
>>201
>>202
投稿の続きです…。
■第四章 偶発性の諸異常現象 ―――――
――――――幽霊および幽霊屋敷―――――
霊夢についてはこの辺で切りあげ、今度は偶発的心霊事実中の大関ともいうべき、
幽霊および幽霊屋敷について述べます。
一部の人は、幽霊ときいて単なる冷笑をもって迎えるかも知れませんが、それは
あまりにも軽率です。英国心霊協会が組織されたのは一八八二年(明治十五年)ですが、
同会で着手した最初の事業の一つは、実に幽霊に関する調査で、約三万件にのぼる報告を
集めて比較研究の結果、委員長のシジウイック博士は統計的にこう断定しました。
「ある人の死と、その幽霊との間には、何らかの関係があり、これを単なる偶然と考える
ことはできない。私はこれを、実証された事実と認めます」。これは冷静着実な学会の
報告で、一々正確な証拠資料で裏書きされていますから、これを独断的に否定してしまう
ことはできません。真に研究的良心のある人なら、事実の否定よりは、むしろ事実に
対する学術的解釈に進むことがあるいは正当なのではないでしょうか。
幽霊屋敷の記録も、なかなか豊富で、日本にも西洋にも、その実例はたくさんあります。
なかには、平凡でボンヤリした幽霊が、単に出没するだけのものもありますが、なかには、
騒々しく、石が降ったり、家具が飛んだりするのもあります。西洋では此の現象を、
「騷々しい幽霊(ポルタ−ガイスト)」などと呼んでいます。
近頃は次第に、この種の現象は減ってきていますが、大正十三年の九月から同十一月にかけ、
四十八日間、一種の怪奇現象がひきつづいて南満州の南国嶺駅付近に起こったことがありました。
南国嶺駅から西北に約六キロ程行ったところに両井屯字茶葉溝という小さな部落があり、
そこに揚培蓮という農夫が住んでいました。怪現象はその家で起こったのです。
最初五日間は、ただ窓をたたくような騒音が聞こえただけでしたが、六日目の午後
三時頃、突然こぶし大の石が落ちてきたのをきっかけに、一昼夜に十数回から五、六十回
ずつ、こぶし大から頭大の石が降ってきました。時には、石に混じって自分の家には
埋蔵していない栗やトウモロコシが降ることもありました。旧十一月一日には、室内に
置いてあった古着の袋から、突然発火し、幸いそれは消しとめましたが、庭のすみに
積んであった枯草は、全部自然発火して燃えてしまいました。
ある時食卓がひっくり返ったり、またある時は食卓がひっくり返ったり、またある時は、
三人の男女の幽霊が家の人の眼の前に現われたりしました。南関嶺の駐在巡査、大須賀与助、
大連本署の川辺警部補、その他が幾度も出張して調査しましたが、そういう時にも、大石はいぜん
として彼らの足元に落下し、どうしても石の出所が不明だったというのです。
詳細は「南関嶺の怪現象」と題した記事(「心霊と人生」昭和元年二月号)にあります。
他にも、この種の怪現象はたくさんあります。あのメソジスト派の創立者、ジョン・ウェスレ−が
幽霊屋敷に住んでいたなどは、有名な話です。
<つづく>
PS:トキ様へ
私どもは「幽霊…」と申しますとどうしても?怪奇現象をつい連想してしまいます…。
実は〜〜〜今振り返りますと〜〜〜私も【怪奇現象…】体験していま〜〜〜す。
後日【独り言…】にて“投稿”させて頂きます…。
尚!此の【書物…抜粋投稿】は、当時「雅春先生」がこの心霊研究会に出入りをなされ、
かなりの影響を受けられたものと思います…。
最後に…書籍の【題名…】を、記載させて頂きますが〜〜〜?
トキ様は?此の「怪奇現象?幽霊…」に関しまして、何か体験がございますでしょうか???
再合掌
234
:
さくら
:2012/07/15(日) 07:15:20 ID:m9pb1kx2
>>226
初心者さま
初心者さまのうちゅう観は、ホログラムやDブレーンで、
説明されていたので、わたしにはすごく物理的で無機的で感覚的に遠いかんじがしていました。
宇宙が、オートポイエーシス的なシステムで、キルコルの曼荼羅に本質を観るような世界観があると思われるのですね?
熊楠は粘菌の生態のなかに、宇宙の秘密を観るのですが、それは、粘菌の顕れか美しい姿を見せるほどに、その内部は死の過程を辿っている、つまり、「神」が奥へ奥へとと隠れて行く過程を観ていたようなのです。
逆に、粘菌が生命の原形に近いアメーバのような姿でいる時に、つまり、無に近づくほど、霊的な命の本質、「神」に近くなることも、とらえた感じです。
西洋的生命観では無に近づけば、それはただ単に死を意味するだけなんですが、熊楠は、さらにその奥にある生命の霊的な本質をみて、もっと奥深い生命システムをうちたてていたんですね。
これは、東洋的な、日本人的な精神のあらわれた生命観なのかもしれませんね、
わたしが親和を感じる有機的な宇宙観と、通じるものがあり、うれしいです。
235
:
初心者
:2012/07/15(日) 11:34:58 ID:TfQ0e6RA
アクエリアン様
>神の違和感、神の中の異物の排出としての宇宙の誕生、そして、展開。
これは、結局、この世界は、神の違和感、を原因としているのだから、どうしても、人間の目からは、不調和極まりない世界に映るのだ、という、はなはだ悲観的な哲学になりますね。
初心者さんの思想を間違って捉えているかもしれませんが、その場合は、ご容赦を。
生長の家は、すべてを知る全知全能の神が、神ご自身を表現するために、実相世界
と呼ばれる世界を創造なされたと考えますね。神は全知全能であるから、非自己と
の比較なくして自己が自己であることを知り、非自己を鏡とせずとも自己の姿を
神は知りうる、とする立場に生長の家は立っているということが、以上のことから
わかります。
わたしは、こうした立場をとる生長の家に異議を唱えます。非自己なくしてなぜ
自己という観念が生じるのか。非自己との比較なくして、神はなぜ自己の姿を知る
ことができるのか。こうした問いかけにたいして、「それは神が全知全能だから」と
しか答えようとしない生長の家に異議を唱えます。
「全知全能」と答えつつも、生長の家が、神の全知全能を証明したというわけでは
ありません。全知全能とはどういうものかを説明したというわけでもありません。
「神の全知全能」を錦の御旗のごとくかかげることでやっとこさ成り立っている、
生長の家の天地創造説を受け入れるのは、わたしにとってたやすくはないという
ことです。
「神の全知全能」という考え方にたいして、神は自己を認識しうるが、非自己という
鏡がなければ、神は神ご自身の姿を知ることはできないとする考え方があります。
こうした考え方にもとづけば、神は神ご自身の姿をお知りになりたいがために、
鏡となるべき非自己を創造されたとする立場に立つことができます。
わたしもこうした立場に近いものを持ってはおりますが、神がどのようにして、比較
対照すべき非自己もなしに自己を自己として認識なされたのかとの問いに答える
のは困難です。しかも、「神が自己の姿を知りたいと欲せられた」とする発想じたい
あまりに人間的でありすぎるのも難点です。
このようなことをつらつらと考えておりますと、こちらで語られておりますよう
な、人間にはとうてい理解がおよばぬ「絶対無」が神にはお似合いなのだとする
発想に、どうしても傾きがちになります。「ちょっとした違和感の排出」。こうした
発想で、ちょっとだけ斜めから見た世界創造のいきさつを、どうしても語りたく
なってしまいます。
236
:
初心者
:2012/07/15(日) 12:44:04 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
Dブレーンやホログラムによって語られる本物の宇宙は、夢も希望もある青春の
まっただなかにおられる女子青年からすれば、いかにも無機的と感じられるので
しょうね。ですけども、本物の宇宙にしたところで、「全体」からみれば、そのごく
一部を語っているにずきないということがいえるはずです。
昨日あたりから、自己と非自己ということをいっておりますが、非自己が本来の
自己にもどろうとすることを、生長の家では「実相があらわれる」と表現して
いるのですね(非自己といっても、その実体は神でありますので、自己が非自己
の姿として仮にあらわれているということです)。
したがって、本物の宇宙についても、それを非自己が自己へともどる過程として
語ることで、そのぬぐいがたき無機質性をおおいかくす必要が出てまいりますが、
そのための奥の手のひとつとして期待されるのが、チベット仏教のキルコル曼荼羅
なのですよ。
キルコルの思想では、たとえば慈悲の心が、天上界から本物の宇宙へと降臨する
までの有機的なつらなりが、立体的な模式図によっても示されているようです。
慈悲の心ひとつとってみても、キルコル的には複雑な仕組みが隠されていそうで
すけども、こうした複雑性を本物の宇宙ふうにひと言でまとめれば、慈悲の心は、
非自己を自己へともどそうとする力として本物の宇宙に降臨してくる、ということ
できまりのようです。
愛とは何か。これは人類永遠の問いであるともいえますが、これを慈悲にならう
なら、愛とは、本物の宇宙に降臨しつつある、非自己を自己へともどそうとする
衝動である、ともいえそうです。ですから、いっけん無機質とも見える本物の宇宙
は、非自己を自己へともどそうとする慈悲の心や愛の心で満ちあふれているとも
いえるのです。キルコルが本物の宇宙に組み込まれることで、愛と慈悲の降臨が
約束されるのです。おわかりいただけましたでしょうか。
話は続きます。
真理を追究するという立場からすれば、愛の衝動を、非自己を自己へともどそうと
するプロセスに還元して究明することがひとつのカギになるはずです。雅春先生
は、こうしたプロセスを語ろうとされたのではありませんね。雅春先生は、じっさい
に愛の行動によって、非自己を自己へともどそうとなされたのですね。
ならば、わたしが雅春先生に抵抗するのはなぜかといえば、愛の行動によって実相
が完全にあらわれきり、それによって非自己が自己へと回帰すれば、それでゲーム
セットだからです。現象世界をこよなく愛するわたしとしては、ゲームはおわらせ
たくない。よって、「愛の行動」にも「実相顕現」にも徹底抗戦するという新手の
ロールゲームを演じ続けるしかないのです。
こう見えてもわたくし、現象世界への愛という有機的な思いをかかえ込みながら、
生長の家というゲームセット画策集団に反旗をひるがえしておるのです。
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