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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

128初心者:2012/07/10(火) 12:54:55 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

>宗教的に言えば、雅春先生が実際生活に及ぼしてきた真善美の実現、救いの実現を善だとすることも、初心者さまは、反証不可能として否定されますでしょうか。

真善美とは何かということですね。とくに、救済を善であると考えることに問題が
あるのかということですが、これは、コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」とも密に
かかわってくる問題でもあると考えます。今回、ウィルソンを取り上げたのも、じつ
はこのあたりの問題を突き詰めてみたいと考えたがゆえなのです。

コリン・ウィルソンは、『フランケンシュタインの城』で、アウトサイダーを「周囲の社会
から自分は切り離されているのだと感じ、ほとんどの人間は自己欺瞞の奴隷となっ
ていると考えている人、それが『アウトサイダー』である」と、このように定義して
います。

さすがにウィルソンです。たった2行の定義ですべてを語っています。ウィルソンの
試みを「左脳革命」と名づけるなら、ウィルソンは、たった2行の定義を示すことで、
左脳革命が、アウトサイダーが実現しようとする「自己欺瞞の奴隷状態からの
解放」よりもすぐれた価値を実現しようとしているということを、暗示的に示し、
語っているということがいえるのですね。

「死の欲動」は、みずからが置かれている奴隷状態からみずからを救いだすため
に、アウトサイダーが用いることのできる最終の手段と関係があります。アウトサイ
ダーにとって、みずからを奴隷状態から解放し、自己の本来あるべき宇宙的起源へ
と回帰することは至上の価値なのです。その価値の実現のために、アウトサイダー
は、自己の奴隷性を否定するという手段に訴えます。絶えまなくつづく自己否定へ
の傾斜が、「死の欲動」となってあらわれるものと考えます。

ウィルソンは、左脳革命が、アウトサイダーが希求する宇宙的起源への回帰よりも
すぐれた価値を実現できると考え、それを示そうとしているはずです。そうする
ことが、「死の欲動」にとりつかれたアウトサイダーの救済につながるとも考えて
いるはずです。

ウィルソンが問われているのは、宇宙的起源への回帰にまさる価値を実現するもの
として、どれほどの革命的思想をかかげることができるのかということであると
考えます。

わたしが雅春先生の教えを批判するわけも、以上のこととつながっています。
雅春先生の教えによって実現された救済は、人々を奴隷状態から解放して
きたといえるでしょうか。むしろ実現された救済は、奴隷状態を居心地のよいもの
へと変えただけであるような気がいたします。雅春先生の教えに問題があると
いうのではなく、生長の家の方々の現状を見るにつけ、つくづくそう思わせられる
ということです。

いかに快適な奴隷生活を実現するか。生長の家では、このことだけが考えられて
きたとおもわざるを得ない、というのが経験的に得られた結論です。生長の家に
たいする批判は、こうしたことへの批判でもあり、ただたんに、救済が反証不能な
形で真理へと結びつけられていることへの批判ではないということです。

>初心者さまが、「善」と考えるのは、どのような状態なのでしょうか。

たとえば、身体症状が奇跡的に治癒したときに、ふつうはこれをもって善である
と考えるはずです。ここで立ち止まって、この出来事ははたして本当に善であるの
かということを考え抜いたあげくに、それでもそれが善であると認めることを
承認できれば、それは善であるといってよいものと考えます。


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