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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
1472
:
SAKURA
:2013/04/29(月) 20:30:52 ID:BEUD3XFA
トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
先日からの?素敵な〜〜〜書籍との出会い〜〜〜☆
その中からの“投稿”をと…(微笑) 今日は…・…【NANCY】が、キーボードの打ち込み!!
>>1364
〜〜から
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>>1453
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>>1467
>>1468
>>1469
投稿の続きです…。
■ 臨死―――
―――|―― ばらばらの人生 第七章 ――――― 【 第 五十二 回 】
LIFE OUT OF SYNC
人生の復習はまだ続いていきました。クラブマラケシュの大成功で、また新しいクラブを作り
たいという欲望に火がつきました。一九七六年の夏の残りの日々は、毎晩マラケシュの前に人々
の長い列ができました。その間、私はニュ−ヨ−クシティやパ−ムビ−チ、フロリダなどで新し
いクラブの場所を探していました。
ジニ−の関係は、オ−プンナイトまでに、もうすでにだめになっていました。マラケシュを
開く前に、私たちは結婚や家族を作ることについて話し合いました。ジニ−は子供を望んでいま
したが、私はそのような重大責任を負いたいと思ったことは一度もありませんでした。子供を育
てるという概念は受け入れ難かったのです。ナイトクラブビジネスをやるということ自体、大き
なパ−ティを主催するようなものです。子供は邪魔でしかありません。ジニ−と私は、ビジネス
パ−トナ−としてそのままやっていくことにしましたが、二人の関係はそこで終ったのです。
ハンプトンズで最もホットなクラブを所有していることは、ブロンド美人たちのデ−トするた
めの切符を手に入れたようなものでした。私は完全にナイトクラブビジネスに集中していて、そ
の成功の足を引っ張るような恋愛は御免でした。相変わらず深酒をしていましたが、自分の新
しいビジネスの未来に情熱をかけていました。ともかく、自分の飲酒を「コントロ−ル」できて
いました。
一九七八年の春、私はウエストパ−ムビ−チにマラケシュの二号店を開く場所を見つけました。
そこはすでにいかがわしいナイトクラブが営業をしていたのですが、広い床面積と高い天井は、
第二のマラケシュを創るのに十分だと判断しました。次の冬のシ−ズンが始まる前にデザインし
建設にとりかかるために、早速スペ−スを借りる交渉を始めました。夏にハンプトンズに帰り、
秋のパ−ムビ−チのクラブ建設に向けてプランを練りました。
そのとき、ハンプトンズのマラケシュは三度目の夏を迎えていました。成功は衰えることを知
りませんでした。一九七八年、ビルボ−ド誌主催の「ディスコフォ−ラム」に出席したとき、私
はタイムズスクエアにあるナイトクラブ用の用地を取り扱っている不動産業者に出会いました。
ボンドストアが撤退したあとの有名なランドマ−クのビルで、タイムズスクエアに位置していま
した。そのビルのてっぺんにはタバコキャラメルの広告がありました。頭の大きなラクダが、タ
イムズスクエアに本物の煙の輪を吐き出していました。一九三○年代、四○年代ともに、そこは
しけたナイトクラブだったらしく、私は壁の書きつけを読んでおくべきでした。
つづく
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