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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
1424
:
SAKURA
:2013/03/25(月) 20:38:54 ID:BEUD3XFA
トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
先日からの?素敵な〜〜〜書籍との出会い〜〜〜☆
その中からの“投稿”をと…(微笑) 今日は…・…【NANCY】が、キーボードの打ち込み!!
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投稿の続きです…。
■ 臨死―――
―――|―― 人生のおさらい 第七章 ――――― 【第 三一 回】
MY LIFE REVIEW その④
>>1414
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投稿の続きです・・・。
その場面が終わるとき、私がいつも父のバスケットの古いアルバムを引きずり出しては、あの
優勝したシ−ズンと、その後に続いた運命の試合を想像していたことを思い出していました。い
つも写真の中の父親の横に立って、彼のコ−チをじっと見ている自分を思い描きました。実際、
なんとかして父親の脳の中に入り込む道を見つけようとさえしていました。脳の中に入れさえす
れば、どうにかして欠陥を発見して治し、過去にさかのぼってすべてを変えることができるので
はないかと思っているかのように。父親が抱えている痛みが一体どんなものか、私はいつも知り
たいと思っていました。その痛みは私自身にも、最もつらいものでした。なぜならその痛みがい
つも私と父親との間に横たわり、二人を隔てていたからです。それから何年もたって、私自身が
同じ痛みを学ぶことになったのですが。
人生のおさらいは続いていきました。私は五歳に戻っていました。五月の戦没者記念日、私は
聖ガブリエル墓地にいくところでした。第一次、第二次世界大戦、そして朝鮮戦争の復員軍人た
ちは、まずクロッシンの居酒屋に集まってから墓地に行くのが習わしになっていました。かって
の軍人たち、父やその友人が輪になって二一発の礼砲の準備をしている様子を、幼い私は下から
見上げていました。彼らは軍の帽子とサッシュを身につけ、スーツとネクタイで礼装していまし
た。皆赤い顔をして、腹の底から笑っています。銀の携帯用の酒瓶が手から手へと渡って行く様
子を、私はじっと眺めていました。父は酒瓶を受け取り、ぐうっと一口飲むと次へと手渡しまし
た。シルバ―の瓶が太陽の光をピカッと反射し、私は思わず目をつぶりました。男の世界では、
この酒瓶の回し飲みは、教会の聖杯儀式と同様に大変重要なものに見えました。
一人ラッパ手が吹く永別のラッパに合わせて、彼らは儀式が行われる芝生まで行進していき
ます。男たちがライフルを高く掲げ、礼砲を順に打つ間、我々小さな子供たちは地面につっぷし
て、薬葵から身を守っていました。
式が終わり墓地を離れたあと、私たちは休日の残りの時間を楽しむために、もう一度クロッシ
ンの酒場に繰り込みます。私の周りを取り囲んでいる戦場のヒ−ロ−たちや軍人たちを見上げな
がら、私は彼らみたいになれたらと思っていました。そのうち、父が私をひょいと抱き上げると、
バ−カウンタ−の背の高い椅子に座らせました。
つづく
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