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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
1439
:
SAKURA
:2013/04/03(水) 21:19:56 ID:BEUD3XFA
トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
先日からの?素敵な〜〜〜書籍との出会い〜〜〜☆
その中からの“投稿”をと…(微笑) 今日は…・…【NANCY】が、キーボードの打ち込み!!
>>1364
〜〜から
>>1379
>>1384
>>1385
>>1386
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>>1410
>>1411
>>1414
>>1420
>>1421
>>1424
>>1425
>>1426
>>1428
>>1429
投稿の続きです…。
■ 臨死―――
―――|―― 人生のおさらい 第七章 ――――― 【 第 三六 回 】
MY LIFE REVIEW その⑧
>>1414
>>1420
>>1421
>>1424
>>1425
>>1426
>>1428
>>1429
投稿の続きです・・・。
❤ 人生のこの場面を見直しながら、若いころにずっと悩み苦しんできた抑圧した罪悪感を初め
て受け入れたのがこのときだったと納得しました。カトリック教徒は罪の意識を感じるように教え
られます。そうしなければならない理由が分からなくてもです。
夏になると一人の女の子が近所に引っ越ししてきました。私は彼女を手に入れたいと思いました。
私の人生において、彼女との関係が最初の「機能不全」の恋愛でした。いいところを見せようとし
て、キャンディショップに連れていきました。祖母は留守でしたがお金が必要だったので、私は祖
母の財布から五ドルを抜き取りました。それがお金を使って女の子の気を引こうとした最初の体験
です。この行動パターンがその後大人になってからも繰り返し続いていくことになりました。お金
や物で女性の気持を買おうとしたり、コントロ−ルしようとしたりし続けたのです。
人生のおさらいは続きます。ずっとこの間私は祖母と暮らし、父親は聖ガブリエル修道院のすぐ
北、ワイオミング通りの下宿屋のような所に住んでいました。私たちの間に一切会話はありません
でしたが、父の姿はよくワイオミング通りの居酒屋の窓枠で見かけました。昼休み、ほとんど毎日
と言っていいほど、キャンディショップから友達と学校に戻る途中、その居酒屋の前を通ったので
す。だいたい父はお決まりの場所に座っていました。いつでも彼からは私に対するよそよそしさが
感じられました。もちろん、私が誰かは知っているのです。でも、まるで私のことが見分けがつか
ないかのように見えました。父はいつもバ−カウンタ−の一番奥、背中を通りに面した窓に向けて
座っていました。たまに、身体を回して窓の外を見ているときもありました。特に、酒場のドアを
開けて誰かが入ってくると、そちらに顔を向けるのです。それは、彼をまっとうな人生に連れ戻し
てくれる誰かが入ってくるのを、いつまでも待ち続けているかのようでした。
一度ある夜、どんな所に住んでいるのか知りたくて、ワイオミング通りのそばの部屋まで父の
あとをつけて行ったことがありました。路地から父親がよろめきながら階段をのぼり、部屋に入
っていくのを見ていました。翌日、また下宿屋まで行って、父が居酒屋へ出かけていくのを待ち
ました。いつものバ−のスツ−ルによじ登るのを見届けたあと、大急ぎで路地を通りぬけ、父親
が昨夜入っていった部屋の鍵のかかっていないドアを開けました。そこは、窓がたった一つしか
ない暗くて薄汚れた部屋でした。心臓がドキドキして、汗がぶわっと噴き出してきました。くも
った窓ガラスから見下ろすと、居酒屋のバ−に座っている父が見えました。古いタンスの引き出
しを開けてみると、中には父の洋服が詰まっていました。ナイトテ−ブルの引き出しには、鍵や
コインが入っていましたが、私が探していたものはそこにはありませんでした。いつでも学校で
カ−ドを書くとき、例えばクリスマスやバレンタインのときなどには、必ず父にもカ−ドを書い
て送っていたのです。住所は、ワイオミング通りの居酒屋にしておきました。送ったカ−ドが部
屋に置いてあるかと思ったのですが期待外れでした。父の人生の中に、少しでも私の場所がある
のだと思いたかったのです。カ−ドがないと分かったとき、私は階段を駆け下り、路地をぬけて
祖母の家まで走って帰りました。自分の部屋への階段を駆け上がって、自分のベットに息を切ら
して倒れ込みました。おなかの奥が差しこむように痛み続けていました。その痛みはそれ以来、
長い間居座り続けることになったのです。
つづく
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