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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
1456
:
SAKURA
:2013/04/14(日) 22:13:31 ID:jMd4EeKM
トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
先日からの?素敵な〜〜〜書籍との出会い〜〜〜☆
その中からの“投稿”をと…(微笑) 今日は…・…【NANCY】が、キーボードの打ち込み!!
>>1364
〜〜から
>>1379
>>1384
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>>1439
>>1440
>>1441
>>1442
>>1443
>>1446
>>1453
投稿の続きです…。
■ 臨死―――
―――|―― ばらばらの人生 第七章 ――――― 【 第 四七 回 】
LIFE OUT OF SYNC
コヤ―二スクワチ:狂気に満ちた人生、苦しい人生、ぼろぼろの人生、バランスがくずれた人生。
そんな人生は、別の生き方を招き入れる!
ホビ族の言葉
過去をおさらいする旅が続く間、私はまだ意識の視覚的次元の中にいました。
父が死んだあとは、私たちをつなぐたった一つの絆とともに私は独りぼっちで取り残されまし
た。絆とは、父から「相続」した酒癖です。自分がアルコール中毒であることは分かっていまし
た。気づいていましたし、受け入れていました。私が飲みはじめたのは一九六四年のことです。
父を埋葬した一九七四年には、私のアルコール歴も一〇年になろうとしていました。
父の「病」を相続することに何の問題ありませんでした。むしろ歓迎したほどです。私はお酒
をエンジョイしていました。アルコールは最良の友であり、飲み続けてはいけない理由などまっ
たく見つかりませんでした。酒が飲めることは自分への贈り物だと思っていたわけで、呪いなど
ではありませんでした。確かに自分は父と同じアル中だと認めていましたが、私の場合、まだ
コントロールしうる範囲内でした。酒は父の思い出と私とを永遠につないでくれるものでした。
アル中だと喜んで認めているし、自分は十分に大人で責任感もあるのだから、酒を飲んでも構わ
ないのだと判断したわけです。アル中だからこそ、酒との付き合い方が分かっているのだと。父
親と違い、私はアルコールをコントロールすることができる。父親の人生は酒で破壊されたけれ
ど、自分の人生は壊されないと思っていました。私は何のしっぺ返しも受けずに、ずっとお酒を
飲み続けるに違いない、飲酒はいつも人生の一部であり、それなしでは生きてはいけないのだと
信じていました。
父親の死後、私の人生は居心地の良い習慣の中にすっぽりと埋没していきました。不動産は
順調に拡大し、ビジネスそのものがひとりで勝手に大きくなっていくといった感じでした。数年
間、私はオフイスのそばのパブでより多くの時間を過ごすようになっていました。昼食をとりに
いったあと、そのまま午後ずっとそこで過ごすこともまれではありませんでした。
バーのコーナーの椅子が私の専用の場所でした。そこから外の通りが見えます。パブのドアが
開くたび、私は自動車にそちらを向いて誰が入って来たのかをチェックします。座っている場所
の隣には電話帳があり、オフイスと連絡をとり合うことが可能でした。正直言って、自宅にいる
よりも、ずっとバーにいた方が居心地が良いのです。このパブの空間が自分の家のリビングルー
ムのように感じられました。ここから電話を使ってちゃんと不動産の仕事もできました。自己コ
ントロールは完璧でした。
つづく
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