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(  ゚¥゚)わが赴くは獣の群れのようです

1 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:12:22 ID:4QLUhYnU0
1
 
 準惑星ケレスにほど近い宇宙コロニーで入港手続きを終えて一息つく。

 偽造パスポートはうまく動作し、俺の今の名は宇津谷 毒男となっている。
 そう、宇津谷 毒男だ。自分の名前を間違えないようにしないといけない。
 以前、自分の名前に反応できなかった時、スパイ疑惑をかけられて厄介な目にあったからな。

 俺は誇りある辺境の戦士である。VIP帝国やアフィ商業教団たちの勢力争いなどに興味はない。
 ただただ科学の信奉者であればそれでいい。
 だが、どうにも帝国や教団の狂信者たちはそうでもないらしい。

 俺たち辺境の民にとって神は科学である。

 故に高度な科学技術を擁するクシナイアンは信仰の対象であることは間違いないが、彼らの技術は所詮技術でしかない。
 技術の産物とはすなわち、設計された意図がある。
 クシナイアンが休むために作ったものであれば、それは休むために使われるべきだ。それでこそ、その道具は本領を発揮できる。
 VIPやアフィの連中のようにそれらから動力源を取り出し、その動力源を活かしきれない兵器に転用など、するべきではない。

 だが、奴らはクシナイアンの宇宙タワーに群がり、その遺物の価値もわからずに、奪い合うことで頭がいっぱいな連中だ。
 俺の乗る宇宙艇がクシナイアン製で、それが自分たちの勢力ではない人間が持っているとバレれば、必ず取り上げるためのでっち上げが起こるだろう。

 それを避けるための偽造パスであった。科学を信奉する辺境の民であればこの程度のハッキングは朝飯前だ。
 クシナイアンの宇宙艇を持っていても不自然でないよう、宇津谷 毒男は帝国の貴族ということになっている。
 避けられるトラブルは避けるに越したことはないだろう。

2 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:13:04 ID:4QLUhYnU0
2
 
(  ゚¥゚)「おっと……」

 そんなことを考えながら、書類作成のために生体LANを繋ごうと首筋にコネクタを当て、差し込みそこねてケーブルを落とす。
 無重力に慣れた身体が引力のある動きにうまく適応できていない。ぼやけた頭を叩いて回転させながら、首を回してスヌースの缶を探した。
 どうにも分解冷凍睡眠明け特有の微睡みが俺の思考を鈍らせているようだ。

 船に取り付けられたロック式の戸棚を開け、スヌースを見つけると1ポーション出して上唇と歯茎の間に挟み込む。
 ニコチンが口から全身に周り、多少目が冴える。眠気はあるが、寝るには早いのだ。
 今はグリニッジ標準時で16時だ。点検業者もまだ開いているだろう。これからケレスに向かうにあたって、艇検を申し込む必要がある。

 俺の宇宙艇はクシナイアン文明の遺物である。一人旅なのだから当然だ。
 未だ現代の技術力では、時空間跳躍が可能な個人艇の完成は果たされていない。

 もちろん、個人用の例に漏れず常温核融合炉が搭載されている。個人艇に載せられるような小型動力はこれしかないからだ
 常温核融合炉は点検の必要性が薄く、不安定な対消滅エンジンと違い危険性は低い。
 だが、最近は文明の遺物も産出量が減った。それが情勢を変え、安全規定が厳しくなったのだ。

 教団たちの手で新造された大型宇宙艇には不安定な対消滅エンジンが使用されているため、来訪者は必ず指定された宇宙コロニーで点検を済ます決まりがある。
 ケレスは帝国の勢力圏だが、奴らはまだ対消滅エンジンの再発見に成功していない。
 今は戦争相手からエンジンを買っているらしい。
 
 ここからケレスまで高速航行をすれば8時間ほどの距離であるが、戦時の今は入国審査に恐らく手間取る。
 今日はこのコロニーで一泊することになるだろう。

3 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:13:37 ID:4QLUhYnU0
3
 
||‘‐‘||レ「オペレーター? 入国審査の電子書類は一応、生体記憶媒体で持ち歩いた方がいいのでは?」

(  ゚¥゚)「問題ない。身分は生体コードで認証できる。仮にバレれば書類など見せる暇などなく即アウトだろう」

||‘‐‘||レ「そうですか。オペレーター? 石橋を叩いて渡るってコトワザ、ご存じないですか?」

(  ゚¥゚)「お前は叩き壊しそうだな」

||‘‐‘||レ「AIには手もないのに不思議ですね」

 船のAI「カウガール」がスピーカーを通して俺に声を掛ける。
 現代のAIに自我はないらしいが、俺の船「ブルーバッファロー号」はクシナイアン製だ。自我を持ち、当然喋る。
 AIは船の管理以外にも任務のアシストや生活の支援など、様々な雑務を行ってくれる。が、一言多いのが難点だ。

 宇宙艇検査の書類に電子署名を載せて、業者に送信する。映話でのやり取りはなしだ。
 わざわざ何かの証拠になりそうな顔を見せる必要はない。

 一応、カウガールに任せれば顔をリアルタイムで変えてくれるだろうが、多少のラグから偽装がバレる危険を孕む。
 コロニー内のやり取りで、ましてクシナイアンの船が映像ラグを出せば不審だろう。

(  ゚¥゚)「おい、出るぞ。艇検業者へ行ってくる」

||‘‐‘||レ「オペレーター、帰りの予定は?」

(  ゚¥゚)「予定が確定できたら端末から一報入れる。そうだな1時間で連絡がなければ臨戦態勢に入ってくれ」

||‘‐‘||レ「また強引な出港ですか? やめてくださいよ、綺麗な肌に傷ついちゃう」

(  ゚¥゚)「AIには肌がないのに不思議だな」

||‘‐‘||レ「オペレーター? 上手いこと言ったと思ってます?」

4 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:14:10 ID:4QLUhYnU0
4 
 
 
 
 ・かの名状しがたき獣を地の果てまで追い詰め殺すべし。

 ・武芸を尊び常に修行を重ね、自らを誇れる武人であるべし。

 ・偉大なる科学を賞賛し、科学的であることを誇るべし。
 
 
 
                 ――トロヤ群辺境民の掟
 
 
 
 
 
 
(  ゚¥゚)わが赴くは獣の群れのようです

5 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:14:43 ID:4QLUhYnU0
5
用語解説

『スヌース』

 不織布に袋詰された噛みタバコの一種。
 刻んだタバコ葉を袋に詰め、それを下唇と歯の間に差し込んで口腔でニコチンを摂取する喫煙方法。
 単に噛みタバコと呼ぶと、噛みタバコ用の袋詰されていない刻んだ葉を指す。

 スナッフ(嗅ぎたばこ)や噛みタバコなど無煙タバコは、大気が貴重な宇宙空間での標準的な嗜好品である。
 無重力の宇宙艇では、タバコ葉が舞わないスヌースの愛好家が主流。
 遠心力による擬似重力がある宇宙コロニー・コロニーではスナッフ・噛みタバコ愛好家が多い。

 現在、代表的な産地であった火星は対消滅事故を理由に産出量が激減し、ニコチンと風味をハーブに吹きつけた合成タバコが主流。

『トロヤ群』

 惑星の公転軌道上の、太陽から見てその惑星に対して60度前方と60度後方に存在する小惑星群のこと。
 全ての惑星に存在する小惑星群だが、単にトロヤ群と呼んだ場合、群を抜いて多くのトロヤ群を持つ木星のトロヤ群を指す。
 木星と軌道を共有する2つの小惑星群で、L4とL5の2つがあるが辺境の民のコロニーはL5に存在する。

 トロヤ群は小惑星が狭い範囲に密集しており、小惑星を事前に観測することが非常に難しい。
 現在主流の時空間跳躍航法はその特性により、移動時における周囲の確認が不可能である。
 つまり、前もって障害物がないこと確認したあと、目をつむって走りだす状態に近い。
 よって、木星のトロヤ群は空間転移航行禁止区域に指定されている。

 そのため、辺境の民を自称する民族が、どの宙域にコロニーを構えるかはあまり知られていない。

6 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:15:44 ID:4QLUhYnU0
6
 
 予定では8時間でケレスにたどり着くつもりだった。しかし、予想外の足止めを食らうことになる。

(  ゚¥゚)「は? 艇検できない?」

¥・∀・¥「申し訳ありません。現在中央動力炉が検査中でして、艇検のような大規模電力消費が軒並み停止しているんです」

(  ゚¥゚)「検査はいつ終わる?」

¥・∀・¥「なにぶん、教団からの爆撃を受けましたからね。正確なことは言えませんが、前例から予測するに一週間ほどかと」

 現在、太陽系の支配権を巡って、二大勢力、VIP帝国とアフィ商業教団は戦争を行っている。
 我ら辺境の民にとって最大の関心は『獣』の討伐であり、人間同士が争うことなどどうだっていい。
 しかし、彼らの争いは時に辺境の民の足を引っ張ることがある。

 パスポートを偽造しなければならなくなったのもその一つであり、そして、今回の件もその一つだろう。
 主に、宇宙コロニーや戦艦など大型施設に使われる対消滅エンジンは、原理上、大型かつ複雑になる。
 そして、同時に大爆発を起こす危険を孕む。その破壊力は、太古の戦争に使われたという原爆でいえば数億発分に匹敵した。

 故にコロニーの機能を停止させたければ、このエンジンを狙って攻撃すればいい。
 大爆発を起こされても困るが、安全装置がまず間違いなく働く。
 そして、その安全装置が働いて緊急停止した場合、その復旧には時間が非常にかかるのだ。

(  ゚¥゚)「アフィの金の亡者どもめ、全く厄介なことを」

¥-∀-¥「……こればかりは私どもでは何もいたせません。ご容赦を」

 その態度に一瞬こみ上げた言葉を飲み干す。
 彼ら民間企業にここで何を言っても、時間とカロリーの無駄だろう。
 とはいえ、ここで1周間も待ちを食らうのは非常に問題だ。

 我ら辺境の民には、『獣』を殺す義務があるのだ。

7 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:16:21 ID:4QLUhYnU0
7 
 
 その『獣』がケレスの研究所にサンプルとして確保されたと聞いた。
 VIPは名状しがたき忌々しい『獣』を戦争の道具に使うつもりらしい。
 それだけは防がなくてはならない。あの『獣』はクシナイアン文明すら手に負えなかった。手を出してはいけないのだ。

 奴らは生命と同化しその生命を無尽蔵に歪に増やす。魂という不可侵の領域を冒涜する、悪しき存在だ。
 ならば、我ら辺境の民はそれを滅ぼすため、研究所へと潜入するのみである。
 科学の聖人達はそれを望んでいる。

 我ら辺境の民は、かつてクシナイアン文明を滅ぼし、文化を終わらせた怨敵『獣』を殺すために存在する。
 文明崩壊前、我らの祖先は科学者と戦士から選ばれた。クシナイアンに『獣』の討伐の研究を命じられ隔離された者達だ。
 『獣』を滅ぼすために代々実力を磨き2000年。クシナイアンは滅んでいたが、それでも我らは使命を忘れていなかった。

 クシナイアンの人工生命技術は失われ『獣』は確かに弱体化した。
 しかし、金星やエリスは未だ『獣』から取り返すことができていない。
 だというのに、帝国人は『獣』の恐ろしさを忘れたのだろう。

 一週間の遅れは致命的だ。『獣』は一週間あればケレス世界を滅ぼしかねない。
 そうなればもはや駆除は非常に困難を極めるだろう。
 俺は辺境の民としては半人前だ。惑星全域を覆う『獣』の駆除は難しい。

(  ゚¥゚)(一週間は厳しい。最悪他の惑星に輸送される可能性がある)

(  ゚¥゚)(だが、今すぐ出るとなると幾つか手があるが、中央制御塔への侵入が絡む)

(  ゚¥゚)(しかし、中央制御塔への工作はリスクが高い……)

 考えるのはまず、この宇宙コロニーを制御する中央コンピュータに侵入しデータを改ざんすることだ。
 データの改ざんは容易い。だが、そこにアクセスできるのはコロニー中心部にある制御塔だけだ。
 制御塔は守備が堅い。いくら辺境の民であっても危険が伴う。できれば避けたいところだ。

 クシナイアン文明の遺産であり、時空間跳躍航法の管理を行う時空管制塔。
 ここへのアクセス権を持つのもこの中央制御塔であり、ここを制圧されると最悪惑星全体の航行にも支障をきたす。
 そのため、ここの守りは非常に堅くせざるを得ないのだ。

8 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:17:46 ID:4QLUhYnU0
8
 
 もちろん、辺境の民は必要であれば、犠牲を払ってでも武力を行使することに躊躇をしない。武は行使してこそ本懐を果たす。
 だが、宇宙コロニーで辺境の民が戦闘行動を行えば最悪、『獣』を別の惑星に輸送される恐れがある。
 最低でも『獣』を駆除するまでバレない必要があるだろう。如何に屈強な辺境の民と言えど、これはギャンブルだ。

 俺は、いや、辺境の民はギャンブルは好かない。
 なぜならば、偉大なる科学の信徒、聖アインシュタインはこう言った。

「神様はサイコロを振らない」

 故に我ら辺境の民もまた、サイコロを振らない。つまり、賭け事を嫌う。
 ギャンブル、リスクは極力避けるべきだ。可能な限り、万全を喫し確実に屠る。それが辺境人であった。
 しかし、帝国が『獣』をサンプルとして捕らえたという情報を手に入れてから既に2日経過している。

(  ゚¥゚)(これも偉大なる数学の始祖、聖ピタゴラスからの試練か……)

 そんなことを無想しながら、点検業者を後にしてコロニーの白い廊下を歩く。

 廊下は商業通りとなっており、夜にさしかかる時分、仕事帰りだろうたくさんの人で賑わってる。
 しかし、その脇道を見ればダウンタウンからあぶれた子供がポツリポツリと当て所なく座り込んでいるのが対照的だ。
 子供たちの中には、春を売る年端の行かない少女の姿もある。平均的なVIP帝国コロニーの光景だ。

 俺がそんな少女に哀れみの視線を送っていると、小さな衝撃が腰に当たった。

(=゚д゚) 「ぼーっとしてんなよオッサン! 気ぃつけな!!」

 貧民街の出身だろう。粗末な衣服に身を包んだ子供が腰にぶつかり声を荒げた。
 次の瞬間、立ち去ろうとする子供の手首を掴み、強引に捻り上げる。

(=゚д゚) 「お、おう! なにしやがる!」

(  ゚¥゚)「……」

9 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:18:16 ID:4QLUhYnU0
9
 
(=゚д゚) 「なんだ? ぶつかった腹いせか? てめえからぶつかったんじゃねえか! てめえが謝れよ!」

(  ゚¥゚)「……ポケットの中のものを出せ」

(=゚д゚) 「なんだと!? こんなガキ相手に腹いせで強盗かよオッサ――ぐえっ」

 躊躇なく、やかましいガキの腹を膝で蹴りあげる。ガキは奇妙な嗚咽を出して、胃の内容物を吐瀉した。
 周囲を通り過ぎる人々が、チラリとこちらを見てからサッと目を逸らした。
 このVIP帝国で貧民のガキを助ける酔狂な輩はいないのだ。

(= д ) 「げほっがはっ」

(  ゚¥゚)「もう一度しか言わん。ポケットの中のものを出せ」

(= д ) 「わ、悪かったよ。許してくれ。幼い弟がいるんだ。この金がないと――ギャッ!!」

 再度脇腹を蹴り上げる。手首を離せば、ガキはそのまま脇腹を抑えて蹲った。
 俺は興味も失せて、そのままガキを置いて歩き出す。
 誇り高き辺境の民が、貧民街のガキに舐められたのだ。二発の蹴りで済まされただけ安いだろう。

(憲ФωФ)「おやあ?」

 しかし、歩き去ろうとした所で前方に厄介な奴がきた。
 猫のような目と口を忌々しく歪めながら、三人。頬に憲の刺青のある同じ顔が歩み寄る。

 VIPの憲兵だ。それも複数。思わず舌打ちをする。奴らは金にがめつい。
 今の俺の身分はVIPの貴族になっている。それはつまり児童虐待の現場は憲兵にとって、賄賂をせびる絶好の機会である。
 しかも、今俺の手元には元手がない。

(憲ФωФ)「これはどういうことかね? そこの児童を蹴り飛ばしたように見えたが?」

10 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:19:02 ID:4QLUhYnU0
10

 同じ顔のクローン憲兵たちが三人。VIP帝国はクローン技術で支配権を広げた国だ。
 奴らの兵隊達は初期の帝国にいた一人の英雄を元に改造されて作られる。
 だが、結局のところ性格は環境によって作られる。元になった人間のような英雄的振る舞いに期待はできないだろう。

 俺は武を尊ぶ辺境の民だが、まだ半人前の身である。
 才はなく、武の道も半ば。同期の連中と戦えば、下から数えた方が早い実力だ。
 故に、出来る限りの暴力沙汰は避けて通りたい。だが、逮捕されれば『獣』を逃がす。

(憲ФωФ)「生体認証コードを確認させて頂いてもよろしいですかな?」

 手首にある生体認証コードは、犯罪防止のため離れていても読み取れるのは常識だろう。
 つまりこれは、確認されたくなければ賄賂を渡せ、そうすれば穏便に済ませてやる。そんな符丁である。
 だがあいにく今は先立つもの物もなく、捕まれば確実に一週間などでは済まない。

 憲兵がニヤつきをなんとか堪えているような、そんな虫の好かない顔を浮かべ歩み寄る。
 手を伸ばせば届く距離、奴らの持つ銃ではなく、俺の間合いへと移る好機。
 できるか? いや、やらねばならない。でなければ、獣を殺すにも支障が出る。

 無意識に、手が腰の刀に伸びる。
 それを見止めた憲兵がその手を無造作に掴んだ。
 同時、反射的にその手首を小手抜きで振り払い、回し蹴りで顎を打つ。

(  ゚¥゚)(しまったな。無意識にやってしまった)

 考えながらも、銃を抜こうとしたもう一人へ肘を叩き込み。
 次いで残った最後の男の鼻っ柱へ左の正拳突きを放った。
 咄嗟に抜刀せず素手で対応したが、流石、前線に出ていない憲兵、生ぬるい。訓練もロクにされていないようだ。

 しかし、ただの貴族に素手で潰されたなど、憲兵は恥ずかしくて公表できないだろう。
 思わぬ傷害沙汰になったが、これは上手いこと穏便に済みそうである。
 だが、それでも万が一がある。一旦、賄賂を渡せる程度の金を取るために船に戻る必要はあるだろう。

11 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:19:38 ID:4QLUhYnU0
11

 ――瞬間、殺気。

(  ゚¥゚)「む?」

(=゚д゚) 「危ない!」

 背を向けたまま頭蓋骨で弾丸を逸らそうと身構えた次の瞬間、先ほどの少年に突き飛ばされる。
 少し前に自分の頭があった場所を、暴徒鎮圧用のニードル弾が通り抜けた。
 余計なお世話だ。しかし、命を助けようとしたその姿勢は見直そう。

 倒れたまま銃を放った憲兵のその手を、拳銃ごと踏み潰す。手の甲から折れた骨が飛び出し、血が爆ぜ飛んだ。
 骨が砕ける音が響いて、それから遅れて周囲の人々から悲鳴が上がる。
 血で濡れた靴の裏を地面にこすりつけながら、恩人たる少年を抱え人混みに飛び込んだ。

 相手が憲兵だからと気を抜きすぎたようだ。こういった点でも俺は半人前なのだ。
 未だ武の道を極めるには遠い。未熟の代償は、周囲の人間を伝って、騒ぎという形で広まっていく。
 人混みの中で発砲を許したのは不味い。いくら無関心な民衆といえど、流れ弾という形で自らに被害が及ぶとなれば話は別だ。
 拡大する騒ぎよりも速く、人混みを抜けるしか手段はなかった。

 少し走って貧民街の奥地へと入り込むと一息ついて、少年へと顔を向ける。

(  ゚¥゚)「何故助けた?」

(=゚д゚) 「……憲兵は嫌いだからな」

12 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:20:54 ID:4QLUhYnU0
12
 
(  ゚¥゚)「ふん」

 彼にどんな事情があるかはわからない。だが、助けてもらった以上、恩は恩である。
 俺は確かに辺境の民である。『獣』を滅ぼす使命を帯びてここにいる。
 だが、俺は辺境の民である前に侠者だ。受けた恩は必ず返すのは、侠者の努めだろう。

(  ゚¥゚)「だが、受けた恩は返す。貴様が望むことをしよう」

(=゚д゚) 「おい、人のこと蹴り飛ばしていう言葉かそれ?」

(  ゚¥゚)「そこは貴様の自責だ」

 滑りこんだのは、大通りから離れた得体の知れないすえた臭いがたちこめる路地だった。
 足元には元がなんだったかもわからない、グズグズと黒くヌメった何かがそこらに飛び散っている。
 人工太陽ともに光る帝国の監視から逃れるために、明るいはずの天は布で覆い隠されていた。

(=゚д゚) 「なあ、オッサン強いんだろ?」

(  ゚¥゚)「さあな。辺境人としてはまだまだ半人前だ」

(=゚д゚) 「ヘンキョウ? ま、憲兵を三人も素手で殴り飛ばしちゃうんだから十分だ。なあ、俺の用心棒してくれよ」

 黒い何かを足の裏で潰し、そこでようやく自分が貧民街に辿り着いていたことに気がついた。
 貧民街は大通りから最も離れた地域にある。このスペースコロニーの掃き溜めだ。

 薄汚れた路地の壁一面にまるで蜂の巣のように穴が開いている。
 その一つ一つに備え付けられた棺桶のような粗末な簡易ベッドが彼らの住居だ。
 いや、そのベッドすら上等な部類であり、廊下には所狭しと耐熱シートでテントが張られ、そこには年端もいかない少年が蹲っている。

13 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:21:24 ID:4QLUhYnU0
13
 
 移民船の住居区だった物を改造したらしい一角だ。
 無重力の移民船と違い、コロニーには引力があるため壁には簡易で統一性のないハシゴを無理やり取り付けてあった。
 『獣』による文明崩壊後、混乱期の宇宙艇は四角いパーツの寄せ集めでできていたという。この区画はその時代のシロモノだ。
 各パーツは固有の機能を持ちどのパーツとも接続できる。『獣』が発生した場合、区画ごと放棄するための工夫である。

 近くには何日も風呂を浴びていないだろう、薄汚れたヒゲ面の男達が安酒を舐めながらジロジロと不躾に視線を送ってくる。
 俺のような上等な服を着た人間が、高価な武具を持って歩く姿が珍しいのだろうか?
 睨みつければ、触らぬ神に祟りなしと男達は視線を逸らした。

 コロニーは人口密度が非常に高い。このような者達が集うのは道理だった。
 離陸に利用が高額な軌道エレベーターを利用しなければならない惑星と違い、コロニーは簡易な移住が可能で土地が安いのだ。
 また、惑星と違い、メンテナンスを必要とするコロニーは、戦争の攻撃を受けやすいもののまだ仕事がある。
 必然的に支配階級は惑星に住居を構え、彼らのような貧民たちはコロニーに集っていた。
 
 不意に、少年が右手を差し出す。油と血と傷に塗れたうす汚く、皮の厚い手のひら。
 苦労と悔しさが見事に投影されているような、そんな手だった。
 俺は意図がわからずその目を見つめると、彼は自己紹介を始める。

(=゚д゚) 「俺はトラ、トラギコだ」

 握手。古い習慣だと訊く。この宙域ではそんなしきたりが残っているのだろう。
 辺境の民に家名はない。それはトロヤ辺境の特殊な環境ゆえに起きたが、それは置いておこう。
 ただ、それでは問題もあるため、外宇宙ではニセノ姓を名乗るしきたりとなっていた。

 その手を握る。握った少年の手は歳の割に硬く力強く、そして歳相応に小さく熱い。

14 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:21:56 ID:4QLUhYnU0
14
 
 感覚センサーが伝えるそれらを感じながら、一瞬、偽名を出そうかと悩んだが、命の恩人である彼には本名で名乗る。



(  ゚¥゚)「俺はニセノ。ニセノ・マサノリ」



(=^д^) 「ああ、よろしく頼むぜ、ニセノ先生!」



 屈託なく笑う少年を見て、我ながららしくないことをしていると自覚し軽く頭を掻いた。

15 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:22:33 ID:4QLUhYnU0
15
 
用語解説

『常温核融合炉』

 室温で、水素原子の核融合反応が起きるとされる現象。 1989年に成功したと発表されるも、その後追証での再現性は低かった。
 その後、クシナイアンの手により、安定した常温核融合反応を引き起こす条件が判明。小・中型宇宙艇の基本エンジンとなる。
 出力自体は高くないが、維持コストが低く、また無補給千年単位での持久力を持ち。単純な設計のため小型化が容易。
 そのため、現時点で個人用の搭乗用小型宇宙艇に使える唯一のエンジンでもある。

 現在はクシナイアン文明とともに開発技術が失われており、個人宇宙艇はクシナイアン製しか存在しない。


『対消滅エンジン』

 電荷が通常とは逆の性質を持つ原子で構成された反物質を利用するエンジンのこと。
 反物質は物質と接触すると対消滅という核融合を上回る爆発的なエネルギー反応を起こす。それを利用したエンジンである。
 出力が非常に高い反面、大気と接触しても爆発してしまう反物質の扱いが困難であり、生産後すぐに燃料として使用しなければならない。

 よって、エンジン内部に反物質製造機を組み込む必要があり、安全装置と合わせるとエンジンが非常に大掛かりになる。
 主にコロニーや宇宙コロニー。大型軍事艦などの施設に発電装置として組み込まれている。
 また、反物質製造機は爆弾として使われることもある。

 資源の少ない現代に於いては主力の発電機関であり、一度はクシナイアンと共に失われた。
 現在はアフィ商業教団がその技術を再発見、技術を独占している。

16 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:30:14 ID:4QLUhYnU0
16
 
||‘‐‘||レ「わたくし、ロボット三原則がなかったらオペレーターをぶん殴っていますよ」

(  ゚¥゚)「三原則に感謝だな。あとお前にマニピュレーターを付けなかった設計技師にも」

||‘‐‘||レ「オペレーター? まさかそこで一生用心棒するつもりではないですよね?」

(  ゚¥゚)「そんな訳がない。だが、恩は恩。返さぬは一生の恥だ」

||‘‐‘||レ「今、緊急任務中だとわかって言ってます? それとも――ああ失敬。これ以上は三原則に抵触するので言えません」

(  ゚¥゚)「それだけで十分罵倒じゃないか? 人間に精神的危害を加えてる。三原則監視機を修理に出さないとな」

||‘‐‘||レ「ウィットに富んでいると仰って下さい。ロボット虐待で訴えますよ?」

 トラギコから少し離れた場所で端末を出すとカウガールに戻りが遅いことを告げた。
 理由を話せばすぐにこの小言である。だが、どうせ1週間は足止めだ。ここで用心棒くらい、時間つぶしにちょうどいい。
 それに腕は振るわないと鈍る。辺境の民は自己鍛錬を怠らないが、鍛錬だけでは実戦の感覚は取り戻せない。

(  ゚¥゚)「だから、このままでいい。俺が用心棒をするのは一週間。その間に恩を返しきる」

||‘‐‘||レ「一週間で返せる命って、オペレーターの命は随分と軽いですね」

(  ゚¥゚)「やかましい」

 叩きつけるように映話を切断する。
 もし伝えきれていない用件があるならば、文章でまとめて送ってくるだろう。
 だが、それよりも問題はトラギコの方だ。

<゚Д゚=>「お兄ちゃん、こいつ誰?」

(=゚д゚)「おい、こいつじゃないぞ。ニセノ先生だ」

17 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:30:44 ID:4QLUhYnU0
17
 
<゚Д゚=>「よろしくお願いします」

 トラギコに彼の弟、ギコタイガーを紹介され彼にも握手を返す。
 そこから彼らの話を訊く。用心棒と言い出すからには、きっと何かの理由があるのだろう。
 すると、彼ら二人は目配せをしてから、語り始めた。

(  ゚¥゚)「しかし、わざわざ用心棒を欲するとは、お前ら何かやったのか?」

<゚Д゚=>「やったんじゃねえよ! 向こうが卑怯な手を使ってくるんだ」

(=゚д゚)「そうだ。帝国兵士達が奴隷商人どもを使って……」

<゚Д゚=>「実は――」

 その内容はどこでも聞くような話だ。要約すればこの貧民窟を政府が潰そうとしている。ただそれだけだ。
 貧民窟は政府にとって税も旨くなく、場所を不必要に占拠される点で不利益である。
 コロニーの拡張には限界が複数あるが、その内の一つに遠心力を使うことが挙げられる。

 遠心力を使うということは、中心から離れるほど構造上の強度が必要になる。
 また、旧式の宇宙艇を改造しただけの区画は、当然、新型が開発されるに従い、接続性が低下することも挙げられる。
 コロニー拡張のため、政府の立ち退き要求と住民の対立が起こるのはよくある話だった。

(=゚д゚)「帝国兵士が貧民窟の住民を叩き出すと見聞が悪い」

(  ゚¥゚)「それ以上に、出て行った住民をどうするか、が問題だな」

(=゚д゚)「ああ、だから兵士ではない奴らが誘拐して、奴隷商人に売りつけているらしいんだ」

18 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:31:27 ID:4QLUhYnU0
18
 
 帝国兵士は例外なく、英雄のクローン人間だ。彼らは一様に同じ顔をしているため、誰が見ても即座にVIP兵士だとわかる。
 市民の支持率に響くため、印象の悪いことは全て、兵士ではなく委託業者が行うのが習わしだ。
 私たちは何もやっていません。ただ、悪いことをしている人達に気づくのが遅れました。そういう体である。

 当然、国民たちは気がついている。だが、それを指摘する者はいない。指摘すれば投獄。暗黙のルール。
 権力者のために貧民が犠牲になるディストピア。何時の世もそれは変わらない。
 変わるのはそれを隠す表面的な言い訳の形だけだ。そして、今の世はそれがわかりやすい。ただそれだけのこと。

(=゚д゚)「貧民窟の人間全員を排除しようってわけじゃない。高く売れる女子供をまず奴隷にしようってワケ」

(  ゚¥゚)「そして、それを恐れた奴らが逃げ出すのを待つ。貧民退去の常套手段だな」

(=゚д゚)「数が減れば他の貧民窟に押し込めることができるしな」

<゚Д゚=>「しょうがねえよ。それに退去させたい理由もわかる」

 子どもたちは決して馬鹿ではない。むしろ、高齢者のほうが頑なだ。
 故に、退去が正しいということも理解はしているのだ。それをしなくてはコロニーの維持が困難になることも。
 だがそのための犠牲者となれ、と言われればそれには抵抗するだろう。その程度に賢い。

(=゚д゚)「俺たちはエリスのコロニーに移動するつもりだ。このままじゃ殺される」

(  ゚¥゚)「準惑星のエリスか。最近、商業教団からの攻撃で貧民窟が半壊したと聞くな」

<゚Д゚=>「うん。そこでどうなってるかわからないけど、貧民が減って比較的マシな状況らしいからね」

19 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:32:02 ID:4QLUhYnU0
19
 
(=゚д゚)「エリスは同じ帝国の勢力圏で戸籍がない俺らでもパスポートは不要だ」

 なるほど道理は得た。
 つまり、彼らが輸送船に乗るための賃金を稼ぐまで、貧民減らしを画策する奴隷商人から身を守ってほしいらしい。
 だが、そこで俺の問題だ。俺はできれば一週間。その間に恩を返しきりたい。

(  ゚¥゚)「となれば、あとは輸送船へ乗る賃金だが、いくら掛かる?」

 本来ならば、もっと早くにコロニーを出たい気持ちはある。一週間も本当は待てない。
 だが、現状を鑑みてそれを諦めるとしても、もって出港許可が取れる一週間が限度だ。
 ならば俺は、彼らを一週間以内に助ける方法を考え無くてはならない。

 だが、問題は金だろう。
 現在、惑星間移動は時空間跳躍航法と呼ばれる技術で成立している。
 この航法は「分解冷凍睡眠」が必要だ。分解冷凍睡眠、冷凍睡眠と銘打つが人間をデータ化し、再構築する技法である。

 現在の時空間跳躍航法は、亜光速航行技術とタイムリープ技術を組み合わせた技法だ。
 そして、タイムリープは発動した瞬間へ未来から移動する技術と言える。
 決してファンタジー映画や小説のように、様々な時代を飛び交う技術ではないのだ。

 では、亜光速移動する技術とタイムリープを組み合わせた結果。どうなるか?
 光速に近い速さで10秒進んだ後、10秒前に戻るワームホールが発動し、出発直後の時間へ10秒進んだ位置で戻る。
 これを繰り返すことで0秒で数千光年を進むことができるようになったのだ。

 これが時空間跳躍航法、通称・ワープ航法である。

20 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:33:39 ID:4QLUhYnU0
20
 
 問題は、外から見れば一瞬の移動であっても、内部は光年分きっちり時間が過ぎることだ。
 それを解決するため、人間を分子レベルでデータ化し分解。その後に組み立てる技法を利用することになった。

 どういうことかといえば、つまり、密航することができないのだ。もし、黙って侵入すればまず急加速のGで死ぬ。
 仮に強烈なGを生き延びたとしても、内部は数百年間タイムリープを繰り返す。間違いなく寿命が尽きるだろう。
 密航ができない。ならば正規の手段で人民輸送船に乗るしかない。

 だが、彼らは貧民であり子供だ。金を稼ぐどころか、その日を生きるのが精一杯だろう。
 当然ながら、仮に金を貯められるとしても、相当な時間が予想される。

(=゚д゚)「最低の貨物船に相乗りして8万クレジット。2ヶ月あればなんとか……」

 二ヶ月。論外だ。待てない。
 ケレスで捕らえられたという『獣』も、いずれは帝国の研究衛星・月へ輸送されてしまう。
 そうなれば、いくら辺境の民といえど手を出すのは困難だ。

 8万クレジットくらい端金である。だが、僅かな金銭を渡して命の恩を返したというのも戦士の名折れだ。
 とはいえ、一週間用心棒に徹しただけで見捨てるのは、俺の命は一週間より軽いと言っているようなものだ。
 僅かな逡巡。あれしかないか。本来任務と関係ない暴力は避けたい所だが、仕方がない。

 俺に武の才はなく、武の道も未だ半ば。その武力は辺境の民としては三流もいいところの半人前である。
 だが、それでも俺は武人であり、辺境の民である。
 辺境の民は、女子供さえ、辺境外の人間を遥かに上回る暴力を持つ。

 なぜならば、我々は一人ひとりが『獣』を殺すために鍛え上げられた刃であるからだ。

(  ゚¥゚)「おい、トラギコ。貴様は己の弟のために命を張る覚悟はあるか?」

21 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:34:11 ID:4QLUhYnU0
21
 用語解説
 
『ロボット工学三原則』

 SF作家アイザック・アシモフのSF小説において、ロボットが従うべきとして示された原則。ロボット三原則とも言われる。

 第1条、人間に危害を加えない。
 第2条、第1条を守る限り、人間の命令に服従する。
 第3条、第1条、2条を守る限り、自己が損壊することを防ぐ。

 この3つの条件は道具の三原則ともいわれ、道具が必要とされる性質である。
 例えば、ハサミは極力人間が怪我しないように設計され、思った通りに動かせ、通常の使用範囲で壊れないことが求められる。
 現在クシナイアン製のAIにはこの原則が組み込まれ、自力で違反することが物理的に不可能である。

 なお、軍事用AIに関しては、敵勢力を人間としてみなさないことで危害を加える事が可能となっている。


『分解冷凍睡眠』

 時空間跳躍航法は一種の限定的なタイムトラベルを利用した超光速航法である。
 この航法を簡潔に説明すると、100光年の距離をアルクビエレ・ドライブ改による亜光速で120年かけて移動する。
 ただし、10分に1回。10分前に戻る簡易タイムスリップを行い、これを120年間繰り返す。

 これにより、艇の内部から見れば120年と10分経過するが、外からは10分で100光年の距離を移動することが可能となる。
 外部から見た場合、一斉に何万個もの宇宙艇が一列に並んで出現し、10分かけて隣の宇宙艇目掛けて進むことになる。
 その後、隣の宇宙艇が出現した場所に到達すると先端部分の1隻を残して残りは消滅する。ように見える。

 この航法は、内部の経過時間が最大のネックである。
 実際には亜光速によるウラシマ効果によりもっと短いが、それでも体感数十年かかる。
 また、仮にこの年月に耐えたとしても、亜光速まで加速を続けるには、長時間かけるか急激なGに耐える必要がある。

 この問題を解決するため、搭乗者を分子レベルでデータ化し分解。到着後に再構成する手法が発明された。
 分子とデータならば年月と急加速によるGの双方に耐えることができる。
 しかし、分解して再構成というものは一般に受け入れがたく、直感的に理解しやすく受け入れやすい冷凍睡眠を名乗っている。
 分解した分子は一旦冷凍するため、あながち間違った名称というわけでもない。

 ただし、この分解冷凍睡眠は、同時に跳躍中、操縦者がいないということになる。
 そのため、航法開始前に目標地点への障害物がないことを確認しなければならない。
 この確認には量子テレポーテーション通信を利用した時空管制塔へのアクセスを必要とする。

22 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:34:45 ID:4QLUhYnU0
22
 
 俺、田中ポセイドンはどうにもならない人生を送ってきたと自覚している。
 貧民の生まれであり、たくさんの年の近い子どもたちが死んでいく中、何とか食い扶持を稼いで生きてきた。
 母親は娼婦だった。俺は誰とも知らぬ客から産まれた子供だ。

 (;゜3゜)(マジっかよ!)

 覚えている限りで一番古い記憶は、母親が前後に揺れる客と重なりあう姿。
 お腹が空いたと泣きそうになりながら、それをこらえて終わるのを待っていた。
 そんな俺の母親は11の時に性病で死んだ。貧民窟の出身であればよくある話だ。

 だから、それからの俺は必死に生きた。人から盗み奪って騙し殺して生きてきた。
 そうでなければ、俺はとっくの昔に母親の後を追っていただろう。
 そのうち俺はこの辺りでは名の知れたワルガキになり、やがてギャング団の一員になるのは必然だった。

 この仕事も、本当は気が進まないが、それをしなくては死ぬのは俺だ。

 下っ端の俺はいつか捨て駒として死ぬ。その前に自分が有能であることを示し、上に登らなくてはならない。
 ギャングの考えることなんて、いつだって同じだ。
 そのために年端の行かぬ子供を拉致し、どこかへ監禁する。これが今の俺の仕事だ。

 自分と同じような境遇の子供を捕まえて売り払うことに嫌悪がないわけじゃないが、仕方がないと割り切っている。
 いつか、報いを受ける日が来るのかもしれない。そう思ったことは何度もあった。

23 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:35:18 ID:4QLUhYnU0
23
 
 ――だが、それがこんなにも凄惨な報いだとは、夢にも思わなかった。

 ( 3 )「痛え……痛えよぉ!」

 襲撃に対し蹲る俺を差し置いて、仲間たちが銃で応戦する。
 だが、目の前の悪鬼にはかすりもしない。
 あれは、なんだ? 一体、夢でも見ているのか? それとも俺の悪行を神が裁きにきたのか?

 悪鬼が弓を引く。仲間が一人死ぬ。

 仲間。ああ、仲間か。本心ではそんなことこれっぽっちも思っていなかったのに。
 だが、そんな奴らでも死ぬのは多少の悲しさを覚える。
 いや、違うな。それは違う。そんなこと考えていたわけじゃあない。

 右の肺を撃たれ、息も絶え絶えになりながら生きている俺は、俺は、次に死ぬのが俺なんじゃないかと恐怖しているだけだ。
 こんな場面でも自己中心的なのだ。俺は。
 ああ、いつか。いつかでよかった。自分の子供を俺のように不自由することなく、育つ子供を見たかった。

 悪鬼が迫る。
 破壊が歩み寄る。暴力の嵐が迫る。怪物が人々を蹂躙する。
 飛来する矢が、右の視界を、黒く、閉じた。

24 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:35:51 ID:4QLUhYnU0
24
 
 背中に隠した機構弓と矢を抜き去り、弦に矢尻を掛ける。
 いつでも矢を射かける姿勢を取りながら、コロニーの高い天井付近の壁を歩きながら、トラギコを追う。
 「ヤモリ」と呼ばれる太古の生物から着想を得たという、ファンデルワールス力を利用した特殊な靴を利用しての芸当だ。

 踏ん張りの効きにくい壁面で矢を射掛けるのは多少骨が折れるが、辺境の民には造作ない。
 辺境の民は地に足がつけば安定するのだ。否、極論どんな状況でも矢を射掛けることが出来なければ、辺境の民を名乗れない。
 任務の最中に、構えを取れないことはすなわち、死である。

 トラギコが路地を進んでいく。
 人気のない、小道。人攫いが最も狙いやすい好機。
 不審な人影が、少年の後ろから忍び寄る。それを見て、俺はニヤリと笑った。

(  ゚¥゚)

 人類の滅亡を防ぐため、獣を絶滅させる技術と武力を得るため、クシナイアンは一部の人間を辺境のコロニーに隔離した。
 『獣』は相手が強いほどにその強さを増す。
 故に何の対策もなく、絶大な力を持つクシナイアンは、力を持つが故に滅ぼされた。

 だが、隔離された我々は発見されることなく、数千年の間『獣』への憎悪を膨らませ続けた。
 そこで我々が行ったのは優生学と戦闘技術の研究だ。
 生誕した辺境の民は「研究者」と「戦士」に分けられ、戦士は成人を迎えると同時に任務達成能力を評価される。

 子どもたちは様々なテストと常日頃の経過。それらを厳密に審査され、成人の儀式まで競い合うのだ。

25 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:36:25 ID:4QLUhYnU0
25
 
 『獣』を殺す武力。スパイ任務を達成する隠密技能。時に防衛施設を無力化するハッキング技術など。
 それらを総合的に満たした上位二十名のみが精子を残し、残りの民は性別関係なくiPS細胞技術により卵子を作って次世代を作る。
 この成人の儀を終えた民は『獣』を討伐する任務に付くのである。

(  ゚¥゚)(とは言え、任務はここ数十年前にやっと解禁され、それ以前はただただ戦闘の研究に明け暮れていたらしいがな)

 こうして隔離から数千年の間に、我々辺境の民は『獣』を屠るに十分な実力を有した。

 元々、隔離された人間はとある兵器に適性を持った数万人に一人の選ばれた人間だけだった。
 故に辺境の民は全員がその兵器に適性を持つ。それだけでも脅威だ。
 我らは親を知らぬ。試験管に生まれ、武と技を磨いて育ち、『獣』を殺す刃となった。それが辺境の民だ。

 俺は辺境の民としては弱い。
 同期の連中と戦えば下から数えた方が早いくらい、武の才も並以下の人間だ。
 だが、それでも辺境の民である。その矜持は持っている。

 だからこそ、たかが携帯火器で武装しただけの素人集団など、赤子の手を捻る程度にたやすく壊滅できるだろう。

 つまり、奴隷商人組織の壊滅。これで2ヶ月くらいの時間稼ぎはできると踏んだ。
 奴隷制度が認められるVIP帝国だが、流石に貧民といえど人攫いは重罪だ。
 ただ、貧民の叫びが憲兵に届くことがなく、潤沢な賄賂を渡す人攫いは見て見ぬふりをするというだけ。

(  ゚¥゚)「犯罪者集団など壊滅させても問題なかろう」

 その理屈はつまり、組織壊滅による時間稼ぎをされても、帝国側は手出しがしにくいということだ。

26 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:36:58 ID:4QLUhYnU0
26
 
 トラギコを攫い袋に詰めた男を、壁伝いに走りながら追う。追う。
 コロニーの天井は高い。おおよそ25mほど。仮に落下したとしても辺境の民にとっては着地できる高さだ。
 肘や肩、手のひらにも特殊粘着テープを使い、俺は壁を音もなく走り抜ける。

 コロニーにも車道や自動歩道はあるが、男はそれらを使わないようだ。
 理由は憶測だが、子供を入れた麻袋を人目のつく大通りに出したくないためだろう。
 車を使われても追いつけるが、用途もわからぬ配管の群れを時にぶら下がり、時に足場にして地表を走る男を追うのは容易い。

(  ゚¥゚)(見つけたっ!)

 そうして、男はコロニーの奥深く、商業通りにほど近い部屋へと入っていく。
 コロニーは全域が廊下と壁。壁の内部に複雑な部屋がある構造だ。だが、部屋の構造は画一的でどれも同じ。
 とはいえ、この辺りは違法改築が進み、部屋の構造などアテにはならない可能性は高い。

(  ゚¥゚)(ここまでくればもはや十分!)

 現時点、既に命の恩人を危険な状態に晒している。これ以上は待てない。
 俺は天井から飛び降りながら、番えた矢を引き、部屋へと消えようとする男の背中へと射かけた。
 必中は当然。男が担ぐ麻袋に命中させることもなく、直撃する。

 着地は型の通り、足から落ち、膝、肘へと衝撃を分散。最後に倒立して足を回し、衝撃を完全に殺す。
 墜落しては元も子もないため、着地姿勢は必要だが、今はその時間すら惜しい。
 泡を食って拳銃を取り出す男。視界に映る数人の中で一番反応が早かった。故に次の餌食となる。

(  ゚¥゚)(一人くらい、歯ごたえがあればいいが……)

 矢を放ちながら、前方に飛び込み。相手にわざと囲まれる。
 「撃つな!!」と誰かが叫んだ。同士討ちを恐れて、ギャングどもは自由に射撃がままならない。
 ナイフを抜き放つ。短剣は至近距離では最も効率のよい兵器の一つだ。

 一振りごと血が舞い上がり、蹴りを放てば骨の折れる音が響く。
 悲鳴と喧騒。それに呼び寄せられて現れる次の敵。弱い。脆い。魂のステージが違い過ぎる。
 流れ作業に等しい殺戮の時間が過ぎていく。

27 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:37:57 ID:4QLUhYnU0
27
 
 過半数を殺しながら、部屋中を全て回って気がついた。
 この部屋は出入り口が一つしかない。これは行幸。つまり、逃げた奴はいないのだ。
 残った数名から情報が得られるならば、逃がしても良かった。だが、全員を捕らえられたのならば、色々と面倒が省ける。

 その上で、数名の殺さずに残した上役そうな連中を尋問し、この組織の上を探る。

 奴隷商人は単独では成立しえない。
 こいつらは実行犯ではあるが、それを輸送する奴らや売る奴ら、様々な人間が関わってくる。
 それを聞き出し、場所を探り潰す。繰り返して殲滅する頃には丸一日経過していた。

(=゚д゚)「先生すげえな!!」

(  ゚¥゚)「いや、囮を買って出たお前の勇気も讃えられるべきものだ」

(=゚д゚)「んなわけねえだろ! 何十人も相手して無傷で全滅なんて! もう人間じゃねえって!」

 帰り道。トラギコは興奮しながら俺の周りを飛び跳ねていた。
 組織は一つ潰した。しかしながら、まだ複数の組織が関わっている可能性もある。
 ここまでくれば情報屋からそれら組織の構図を得る方が早い。その探りはすでに『獣』の情報と共に頼んである。

 貧民窟へと辿り着き、トラギコの住むテントを開けた。妙に静かだ。
 何かが妙だ。いや、テントの中が静かなのはおかしいことではない。
 俺たちは丸一日駆けずり回っていた。弟のギコタイガーも待ちぼうけて寝ている可能性は高い。

 だが、そうだ。一瞬遅れて気がつく。妙に静かすぎるのだ。この辺りにはたくさんの貧民がいる。
 そして、テントで暮らすのは孤児が圧倒的に多い。大人たちは自分のベットを確保しているものだ。
 マズい。マズい! テントの中はもぬけの殻。否、周囲の子供たちがかなり少ない。

(; ゚¥゚)「やられた!」

 奴隷商人は強硬手段に出た。この辺りの子供たちをまとめて攫った。恐らく深夜に!
 自分の軽率な判断と、用心棒という役目を果たせなかったことに痛烈な後悔を抱きながら、俺は呆然とするトラギコへと問いかけた。

28 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:38:31 ID:4QLUhYnU0
28
 用語解説

『軌道エレベーター』

 クシナイアン以前から現在まで主流となる宙域射出装置。エレベーターと名がつくが、イメージ的にはカタパルトが近い。
 大気圏外まで伸びた巨大な剥き出しのエレベーターに、宇宙艇を固定し射出する装置である。
  これにより、従来のジェット噴射法と比較して大幅な燃料節約を果たし、小型艇での大気圏外移動を可能とした。

 クシナイアン製と現代製が存在するが、クシナイアン製は非常に高度な射出機能を誇る。
 現在、現代製は地球の大気圏外距離で射出まで約9時間掛かるのに対し、クシナイアン製は1時間24分で到達する。
 そのため、クシナイアン製軌道エレベーターは殆どの惑星で支配階級が独占しており、利用料金が高額に設定されている。

 なお、中型艇まで対応しているが、巨大な戦艦などは積載できないため、戦艦は宙域待機が基本である。
 その場合、戦艦と惑星を行き来するために小型艇や中型艇を利用するのが基本。
 現在、ケレスには現代製の軌道エレベーターが4基存在する。


『時空管制塔』

 太陽系全体の時空間跳躍航法を制御するクシナイアン文明の遺産。太陽系のあちこちに点在する。
 現在は、二大勢力を含めた全ての政治組織がこの遺産への不可侵条約を締結している。

 現在の時間跳躍には、非常に融通が利かない欠点を有する。
 例えばこの跳躍に使用するワームホールの入り口は、発生から消滅まで0.13秒以下であり、過去と言っても出口を作った瞬間までしか戻れない。
 さらに、次のワームホールを作るためのエネルギーは過去に戻ることを利用して取得する。

 宇宙艇視点では、今作った出口に出れる入口は指定時刻ジャストにほんの一瞬発生し、それを逃すと次のタイムスリップができないことになる。
 分解冷凍睡眠による搭乗者の不在を含めれば、一瞬で数光年の距離を移動できるが、途中予定外の行動ができない航法となってしまう。
 更にはタイムスリップに失敗すると何もない宙域にガス欠を起こして取り残される事態が懸念される。

 この対策として、自動制御の時空管制塔がクシナイアン文明の時代より設置されている。
 距離を無視して瞬時に信号をやり取りする量子テレポーテーション通信施設を備え、時空間跳躍に関する情報を全てに対して共有している。
 この管制塔にアクセスすることで、安全を確認することが可能となっている。
 その上で到着連絡がない場合、宙域に取り残されたと断定し、他の船に救難信号・難破状況を送る機能も有する。

 ただし、管制塔に連絡せず跳躍を行うとその跳躍を共有することができず、安全確認したにも関わらず事故を起こすことになる。
 非アクセス航行が太陽系国際法により殺人以上の重罪となっているのはそのため。

29 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:39:04 ID:4QLUhYnU0
29
 
(  ゚¥゚)「結局。こうなるか……」

 俺は時空管制塔へのアクセス権を持つ、中央制御塔の近くに来ていた。
 時空管制塔へのアクセスは、量子テレポーテーション通信を用いる。距離を無視した超光速通信法だ。
 だが、この通信は性質上、一定ルートの周回など、どの時間にどの座標にいるかがハッキリする必要がある。

 この通信は簡単にいえば、レーザー光をお互いに飛ばし合っている状態がイメージに近いだろう。
 お互いの小さな受信機をこのレーザーで照らし続けなければ通信が成立しない。
 この時相手が予測できない動きをすると、どうしても受信機から外れてしまうのだ。

 クシナイアン文明の遺産である宇宙艇はこの縛りがない。どこどう動くかを管制塔に伝える事ができるのだ。
 だが、現代の通信機は通信容量が低い。また、量産もできない。故に現代製の船はコロニーに通信を委ねている。
 つまり、この中央制御塔の機能を奪えば、必然的に誘拐されたギコタイガーを乗せた宇宙艇は出発ができないのだ。

 奴隷商人も馬鹿ではない。痕跡を消すため、誘拐した奴隷は他惑星の宙域で競りに掛けるはずだ。
 恐らく帝国最大の商業コロニー地球第三リレーと見ているが、他にも候補は多い。このコロニーを出られたら足取りを追うのは困難だ。
 急がなければ、コロニーを出発される。今しかチャンスはない。

||‘‐‘||レ「オペレーター。再三繰り返しますが、任務をお忘れなきようお願いしますね?」

(  ゚¥゚)「中央制御塔は元から攻略予定だっただろう?」

||‘‐‘||レ「もしかして、オペレーター。痴呆と言う奴ですか? 却下した理由も忘れました?」

(  ゚¥゚)「リスクが高い。問題は軌道エレベーターを封鎖されることだな」

||‘‐‘||レ「ええ、軌道エレベーターを封鎖されれば惑星から離脱できなくなりますからね」

30 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:39:38 ID:4QLUhYnU0
30
 
 現在、惑星の重力を振り切り、大気圏外へ離脱するには軌道エレベーターと呼ばれる施設を利用する。
 軌道エレベーターとは、原理的にはエレベーターと全く同じだが、高さはその惑星の大気圏外まで伸びている施設。
 エレベーターと銘打つが、実際には宇宙艇を大気圏まで持ち上げる巨大なレールだ。

 太古の昔、人類はジェット噴射で大気圏を離脱していたらしいが、そのエネルギー量は亜光速加速の倍に匹敵する。
 軌道エレベーターにより宇宙艇は搭載するエネルギーをかなり小さくできるようになったのだ。
 逆に言えば、現在の宇宙艇に単独大気圏離脱能力はない。つまり、軌道エレベーターを封鎖されれば大気圏外へと移動できなくなる。

 ケレスには現代製の軌道エレベーターが4基ある。どれもVIP帝国の権力下にある。
 つまり、もし、ケレス内で指名手配を掛けられた場合、俺はケレスから出ることができなくなってしまう。
 それだけならば、他の辺境の民により救出してもらえばいい。最悪、ケレスに永住することすら覚悟している。

 だが、問題は『獣』を逃がした時に追えないことだ。これだけは決して看過できない。
 『獣』は存在することすら許されぬ人類の敵。『獣』に対する憎悪と憤怒は辺境の民ならば誰もが持っている。
 俺の感情だけの話ではない。逃がせばきっとVIPが研究を行うだろう。その先に待つのは『獣』の脱走だ。

(  ゚¥゚)「獣を逃さなければいい。先ほど情報屋から幾つかの情報を得た」

||‘‐‘||レ「ターゲットの情報が入ったとは聞いてませんが……」

(  ゚¥゚)「いや、軍事宇宙艇が数日間このコロニーに停泊しているとの情報だ」

||‘‐‘||レ「なるほど。できれば次から情報共有とやらをしっかりしていただきたいですね」

 カウガールの憎まれ口を受け流し、制御塔の監視を見つめる。
 時空間跳躍により瞬間的な移動が可能な現代で、わざわざ維持費の高い大型宇宙艇の連続停泊を行う理由とは何か?
 それは恐らく待っているのだ。『獣』を輸送するために。

 とすれば『獣』の輸送は、このコロニーを経由する可能性が高い。
 よって、制御塔の量子テレポーテーション通信機を破壊すれば、『獣』をこのコロニーで足止めできることになる。
 となれば話は別だ。これは博打でもなんでもない。この行動は科学的帰結である。

31 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:40:09 ID:4QLUhYnU0
31
 
 制御塔を護衛するのは帝国兵士だ。憲兵のようなボンクラどもではなく、十分な戦闘経験があるだろう。
 仮に守衛どもが腐っていようとも、通信機の破壊までに必ず精鋭部隊が当てられる。
 いや、慢心はよくない。今は守衛達にも全力を賭すべき、精鋭部隊と同程度だと断定する。

 帝国の兵士は全てが精鋭である。奴らは産まれながらに百戦錬磨の技術を持って産まれる。
 帝国兵士は全てが有名な一人の兵士、世界で最も優秀とされたその兵士の遺伝子を改良し、製造されたクローン人間だ。
 顔が皆同じなのは、その一人の兵士と同じ顔であるためだ。だから、認識困難を防ぐため、彼らは頬に部隊を示す刺青を入れる。

 産まれながらの百戦錬磨の熟練兵士。その秘訣は動物の本能にある。
 地球の海に棲むというイルカは、産まれながらに超音波の言語を身につけて産まれるらしい。
 また、猫は産まれながらに着地方法を知っている。それら本能を応用したのだ。

 これら技能は、単に記憶と呼んだ時に連想されるエピソード記憶とは違う方法にて脳に記憶される。
 つまり、産まれた直後の生物も、本能という形で技能の記憶を持っているのだ。
 でなければ、呼吸の技能を持たない生物は即座に死んでしまうだろう。

 帝国は生誕時技能を研究し、遺伝子を操作することで、生まれつき技能を身につけた人間を誕生させる技法が発明した。

 この技能の植え付けと優秀な人間の肉体により、クローン兵士は、超人的な実力を有する。
 兵士に必要な技能と精神、肉体全てを持つエキスパートなのである。

 クローニング技法の発達によりローコスト化も進み、VIP帝国は量と質両面で太陽系の支配を進めてきた。
 つまり、帝国の兵士は全てが精鋭。手練の集団なのである。

(  ゚¥゚)(そう、たかが、産まれた時からの熟練兵士。それだけだ)

 彼らが産まれた時からの熟練兵士ならば、辺境の民は産まれる前からの兵器である。

32 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:40:44 ID:4QLUhYnU0
32
 
 俺は外套を払いのけ、背中に掛けてあった愛弓と一本の矢を取り出した。
 辺境の民はあらゆる武芸に精通する。故に、銃も扱うことができる。否、むしろ得意な部類である。
 そもそも辺境の民に、苦手な部類の兵器は存在しないが……

 本来、辺境の民が弓を使うのは潜入任務のためである。音もなく敵を穿つこの兵器は、潜入任務でこそ輝く。
 だが駄目だ。今回は守りが堅い。物資も内部のエレベーターで運ばれるため、出入り口は人以外出入りしない。
 発見されることなく潜入することは不可能。正面突破以外ありえない。

 これが惑星の基地であればまた違っただろう。
 だが、広さに制約の強いコロニーという建物の中の建物である以上、潜入任務は不可能だ。

(  ゚¥゚)「行くぞカウガール」

 ――エネルギー供給、出力限定30%

 ――対人戦闘モードへ移行します。

 脳内に響く音声とも文字とも付かない。カウガールと同じ声。
 俺の体内に内蔵した、強化内骨格のシステムボイスだ。
 同時、俺は検問の意味もある正面玄関まで駆け抜け、ガラスをぶち破って内部へと進入する。

(強ФωФ)「し、侵入者? 馬鹿かこいつ? 正面から来たぞ!!」

 即座に警報が鳴り響く。
 現れるのは、無数の帝国兵士。誰もがパワードスーツを着用している。

(  ゚¥゚)「こい。貴様らの銃弾は聖アインシュタインの加護が全て弾くだろう」

33 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:41:19 ID:4QLUhYnU0
33
 
 パワードスーツを着た帝国兵士が殺到する。目標地点へのルートは頭に叩き込んでいる。あとは突破するだけだ。
 俺が一人だからと数で蹂躙するため、有効な射撃ポイントを目指しているらしい。だが、その考えは甘い。
 こちらの矢は百五十本。制御塔に詰める兵数は確か二百人前後。弾は十分。あとは殺すだけだ。

||‘‐‘||レ「オペレーター? 相手は多いですけど、計算できていますか?」

(  ゚¥゚)「いくら俺が半人前だからといって、相手はVIP兵だぞ? 低出力の対人モードで十分だ」

 腰の刀は俺が最も得意とする武器だが、これは対『獣』を本分とする。
 人と戦うのであれば、こちらの方が都合がいいからだ。リーチは戦場に於いて最も凶悪な利点となる。
 辺境の民はその場面に適した武器を使えるよう、様々な武を極めるのだ。

 矢を中指と親指で挟み込み、弦を引いて狙いを定める。
 この剛弓はパワードスーツなど、機械の補助なしに引けない程度に重い。
 だが、その程度ではやはり、たかが弓矢でパワードスーツの複合装甲は射抜けない。

||‘‐‘||レ「いえ、矢の話です。多少は残さないと、あとから『獣』が出たら辛いですよ?」

(  ゚¥゚)「矢は150。相手は200。引き算もできなくなったか?」

 だが、しかしこの弓は仕掛け弓である。内部にギアと特殊素材を内蔵し、矢を放つ直前、その重さは数倍に膨れ上がる。
 数トンレベルの腕力を必要とする剛弓は、対物長銃には及ばないものの軽装甲相手には十分な破壊力を秘めていた。
 装甲の分厚い胸部や形状的に矢を受け流す側頭部以外は確実に貫通する威力がある。

 威力は十分。ならば、問題は何一つ存在しない。

34 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:42:00 ID:4QLUhYnU0
34
 
 俺は通路を駈け抜けながら、まずは最初に到達した敵に矢を射かけた。
 
(  ゚¥゚)キリリリリ……

 矢を放つ。同時、VIPの強化歩行兵の頸部が血煙と共に爆ぜた。
 直後にバックステップを踏んで銃弾を回避。その間に二本目、三本目の矢を射る。
 最低でも一射一殺以上。矢が足りない以上、無駄な攻撃は避けねばならない。

(強ФωФ)「ぐふっ」

 全弾命中。殺気から弾道を見切って危険なものを躱す。細かなかすり傷ができるが無視。
 立ち止まればキルゾーンを設定されるだろう。その前に、屈むような姿勢から横に飛び、姿勢を正すと同時に二射。
 次々放たれる鏃。時にそれは装甲の薄い肘を貫通し、後ろの兵士を巻き込んで突き刺さる。
 故に一射一殺"以上”。可能ならば二殺三殺を積極的に狙っていく。

(  ゚¥゚)「矢の数など、足りるに決まっている」

||‘‐‘||レ「失礼。引き算もできなくなったか不安でした」

(強ФωФ)「弓じゃこれは対応できねえだろ!!」

 その時、横の通路から斧を持ったVIP兵が接近していた。
 それを横目に確認すると、番えようとした矢を持ち直しながら、その荒削りに過ぎる無駄の多い一撃を躱す。

(  ゚¥゚)「貴様、馬鹿か?」

 鏃付近を持ち直した矢はパワードスーツの膝に挟まり、関節の動きを阻害する。
 関節の異物挟み込みと、それに伴う転倒はパワードスーツにおける、近距離戦闘の弱点だ。

35 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:42:30 ID:4QLUhYnU0
35
 
 転倒した兵士を押しのけるようにもう一人が接近。またもや斧を振りかぶる。
 だが、それは予想済み。眼球へ弓の端、弦を留めるあたりを押し込み、攻撃を押しとどめた。
 相手が慌てて距離を取ろうと後ろに跳ねるが、その動きと同時、俺は相手へと飛び込みながら二の矢を構え終えていた。

(強ФωФ)「ギャッ!!」

(  ゚¥゚)「近距離は弓にとっても有利だ。的を外さない上、威力も上がる。それくらい武人ならば知っておけ」

||‘‐‘||レ「オペレーター。多分聞こえてませんよ」

 至近距離ならばこの剛弓は正面装甲も貫く。当然、その背後にいる相手を巻き込み、まとめて心臓と肝臓を射抜く。
 距離減衰を避けられる接近戦は、むしろ弓で戦うならば大歓迎である。そんなこともわからないのか?
 他に接近を試みていた二人もまとめて壁に縫い止め、そのまま障害物に身を隠す。

 発砲音だけが虚しく響き、殺気を隠さぬ弾丸は俺に当たることはない。もちろん、油断は禁物であるが……
 辺境の民は誰もが殺気を読み取る。故に、殺気を隠さぬ兵士など、数が多いだけでは辺境の民は倒せない。

 ――こうして、一方的な狩りの時間が過ぎていく。

( ノAヽ)「威力の高すぎる弓とそれを引く腕力。間違いなく強化内骨格! 辺境の民か!?」

 50人ほど殺した頃、後方に到着したらしい指揮官の男が吠えた。VIP帝国の兵士は誰もがクローンだが、指揮官だけは別だ。
 単に兵士をクローン人間にしてしまうと、軍需という大きな業界がなくなってしまう。
 特に指揮官のようなエリートは、優秀な人間を活かすため、また権力者の威厳を増すためにその席が必要だ。

 だが、だからこそ、指揮官は指揮に関することだけを学んだエリートだ。
 この場で最も警戒すべき相手、隙あらば矢を向けているが、流石に彼らはそれをわかって遮蔽物を確保している。
 今は一秒たりとも時間が惜しい。無視して階段を駆け上る。

36 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:43:02 ID:4QLUhYnU0
36
 
(  ゚¥゚)(だが……俺たち辺境の民を象徴する強化内骨格に気づいたのは、流石に上層部は辺境の民を知っているのか)

 強化内骨格は辺境の民の象徴である。我々は強化内骨格への改造手術を産まれた直後に行う。
 強化内骨格とはつまり、機械と人間の融合だ。

( `ー´)「辺境の民相手に一般兵士なんざ、束になっても敵わないんじゃねーの?」

( ノAヽ)「……しょうがない。アレを出すノーネ!」

(;`ー´)「おいおい、アレか? 流石に上に許可無く現場裁量なんざ、マズいんじゃねーの?」

( ノAヽ)「ここの突破を許す方がマズいノーネ!」

 パワードスーツは節足動物のように身体を機械で包み込む、ある観点から言えば強化外骨格と言える。
 人間の全身を支える骨格と装甲力を増強し、おまけとして機動力を付与する装置。それが強化外骨格だ。
 所詮中にいる人間は生身であるため、耐久性の関係で出力に限界が生まれてしまう。

 強化内骨格は全身義体。人間の身体のパーツを機械と置き換える技術とも似ている。
 だが、それには感覚器官の鈍化やラグという致命的な欠陥が、作業員はともかく兵士に向かない要因となっていた。
 機械のパーツではどうしても人間の神経に直結した感覚器官には敵わないのだ。

 例えば聴覚を機械化すれば、精度だけで言えば人間を超えるセンサーの取り付けも可能である。
 だが、このセンサーは機械である。当然、センサーの電子情報を聴覚神経信号に翻訳する必要がある。
 この翻訳作業は物理的に0秒にはならない。レイテンシー問題と呼ばれるそれは、現代まで解決していない。

 そこで産まれたのが強化内骨格。つまり、ナノマシンを注入し全身の骨格や筋肉を機械に改造する技術だ。
 これにより神経や感覚器官などはそのまま、出力と耐久性だけを引き上げることに成功した。
 だが、これにはナノマシンや強化内骨格の適性を持つ人間が極めて珍しく、適合者は数万人に一人という問題があった。

 クシナイアンは強化内骨格の研究のために数百年を費やし、数例の成功者を出したが、技術は凍結されていた。
 『獣』による滅亡の直前、この眠っていた技術は我ら辺境の民に託された。
 そして、我ら辺境の民は偉大なる科学者達の祝福により、全員が強化内骨格の適合者なのだ。

37 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:43:47 ID:4QLUhYnU0
37
 
 階段を駆け上り、7階に到達した。量子テレポーテーション通信機があるのは9階の制御室だ。
 ついでに、そこで俺の船のデータを書き換え、艇検済にしてしまえば、問題は全て解決する。
 だがそこで、爆音が響き制御塔が揺れる。何事かと警戒度を上げれば、カウガールがそれに答えた。

||‘‐‘||レ「オペレーター。8階の階段が何らかの封鎖を受けたようです」

(  ゚¥゚)「封鎖? 電磁フェンスでも展開したか? それなら容易に……」

||‘‐‘||レ「いえ、それは流石に通信越しには判断できません。外から見るに物理的に階段が破壊されました」

(  ゚¥゚)チッ

||‘‐‘||レ「7階の通路を通過し反対側の階段で9階を目指して下さい」

(  ゚¥゚)「もう向かっている」

||‘‐‘||レ「オペレーター? もちろん、最大限の警戒を――」

 通路を見ればVIP兵が6人。全員がスクラムを組んで強化複層合金製の盾と二液式ライフルをこちらに向けている。
 階段を封鎖したのは、ここで正面から潰すためだろう。
 なんと、甘い。その程度の防具で身を守っているつもりなのか?

 流石の剛弓と言えど、確かにあの盾を貫通することはできないだろう。
 だが、狙う場所はいくらでもある。盾の隙間、覗き窓、銃を覗かせるその腕。
 盾自体も、タイミングよく相手の進行に合わせてぶち当てれば、バランスを崩すことさえできる。

 壁を蹴り、フェイントを掛けながら、まずは一射。

 そう思った矢先。甘かったのが自分だと知る。猛烈な殺気は正面だけではなく、真上から迫ってきたのだ。
 瞬間、天井が炸裂し、俺は下の階へと廊下をぶち抜いて叩きつけられる。
 瓦礫と共に、圧倒的な暴力に跳ね飛ばされながら、俺は自らの未熟を恥じた。

38 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:44:24 ID:4QLUhYnU0
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用語解説

『技術記憶の埋め込み』

 記憶はエピソード記憶。意味記憶。手続き記憶。など複数の種類に分類される。
 これら記憶は、それぞれの種類により、脳への記憶方法や場所が異なることがわかっている。

 例として、主に思い出に当たるエピソード記憶は海馬に保存される。
 つまり、海馬に損傷を負った人間は、手続き記憶であるピアノの演奏を習得することは可能である。
 だが、何故どうやって習得したのか、その過程に当たる思い出は一切思い出せず、ただピアノの演奏技術だけが残る。

 更に、あらゆる生物は本能的に幾つかの手続き記憶を、生まれつき所持していることがわかっている。
 例えば、イルカは超音波にて簡単なコミュニケーションを行うが、生まれた直後からこの超音波語を話す事が可能だ。
 他にも猫の着地など、生きるのに必要な技術を経験せずとも本能と呼ばれる形で「記憶」していることが判明している。

 これを利用し、特定の技術を生まれつき本能に刻む技術が開発された。
 生まれつき兵士として必要な技能を持つ兵士の誕生である。これにより訓練期間を大幅に短縮することが可能となった。
 クシナイアン時代はこれら技術は倫理に反するため開発されなかったが、現在はVIP帝国が発明し独占している。


『強化内骨格』

 強化外骨格(パワードスーツ)の欠点として、最終的には装着する人間自身の強度が性能限界を決めていた。
 また義体による全身改造手術は脳や神経との接続ラグにより、人体を超える感覚器官を得ることが難しい問題を抱えていた。
 それら問題を解決するために編み出されたのが、強化内骨格である。

 ナノマシンにより全身の神経を残しつつ、骨格・筋肉などを複雑な義体と換装する。人間と機械の融合といえよう。
 これにより全身の神経を最大限まで活用。状況次第で機械化により補助することが可能。
 損傷は常にナノマシンにより修復し、骨にも筋肉の働きを付与することで見た目に反した高出力を得た。

 最大の欠点として、神経と機械の相性があり、数万人に一人とされる適性がなければこの手術を受けることができない。
 そのため、長年様々なアプローチが試みられるもクシナイアン時代には研究段階で頓挫し過去の遺物となっていた。

 辺境の民はこの適性を全員が持つ点で特異であり、全人口が適性を持つことで技術を実現。
 これは、最初からこの適性を持つ者だけで始まり、外部からの混血を許さなかった民族だからこそ可能となった。
 故に辺境の民だけが、現代までこの技術を残している。

39 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:44:57 ID:4QLUhYnU0
39
 
 我ら辺境の民がVIP兵を相手に何故圧倒的に戦えるのか?
 それは積み上げた武の差であり、圧倒的な装備の差、強化内骨格とパワードスーツの違いである。
 本来、これらは『獣』と戦うための代物だ。こうまでしなくては勝てない相手が『獣』だ。

 天井からの暴力に、跳ね飛ばされたのは俺が半人前の証拠である。
 一人前の辺境人であれば、暴力そのものを回避することはできずとも、それを防御し、時に流すことができるだろう。
 だから俺は半人前なのだ。雑魚を相手に調子に乗ろうと、ここぞという時にこそ実力は露呈する。

 半人前の代償は左腕だった。恐らく骨材が一部砕けた。肘から先の感覚がない。
 額が裂けてドロリと血が垂れてくる不快な感覚の中、両の目は俺を弾き飛ばした敵を探す。
 そこにいるのは、見慣れたVIP兵の顔ではなかった。悪寒が、武者震いが身体を震わせる。

 腰の刀――我が愛刀であり、辺境の民が外界に出る時の標準装備でもある「獣喰」を引き抜く。
 額の血が流れ出し、首を傾いで片目にかかるのを防ぎながら、頬が釣り上がるのを感じる。
 笑み。原始的な威嚇の表情。相手を認識する前に、顔の筋肉が無意識に笑顔を作っていた。

 そこにいたのは異形の姿。同じ形の首が2つ。腕が6つ。肘には歯が生え、膝には口と鼻が絶叫する。
 背中には腕とは別の触手が生え、先端には眼球と耳がつく。
 一人の人物のパーツと言うパーツを無数に作り、それらを無理やりシャッフルしたような生命体。

 ――『獣』だ。『獣』がそこにいた。

 何たる行幸! 何たる運命! 聖・ノイマンは我らのために運命を用意していたのだ!!
 俺は、俺たち辺境の民は獣を食い殺すためだけに存在する!
 故に! 辺境の民は運命に惹かれて『獣』と出会うのだ! これは必定である!

 つまり、科学の偉人達は今が『獣』と戦うべきであると告げている。
 それこそ俺たち辺境の民への試練であり、俺たちが正しいことの証明である。
 でなければ、何故ここで『獣』と出会うことができるというのだ!?

40 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:45:42 ID:4QLUhYnU0
40
 
(  -¥゚)(聖・アインシュタインよ。俺の勝利を、俺が『獣』を食い殺すことを信じていてください……)

 俺は片眼をつむり、アインシュタインに祈りを捧げる。加護や助けは決して請わない。
 慈悲深きアインシュタインに加護を請えば、きっと力を与えてくれるだろう。
 だがしかし、それで勝利しては成長は見込めない。俺は俺の武を持って『獣』を制す。

 脳内でカウガールと同じ声が響く。文章とも声とも思考ともつかない、脳に接続した強化内骨格システムボイスだ。
 同時に、自分自身の中身が急激に切り替わっていく、全身が本来の自分を取り戻すような奇妙な感覚。
 自分の頬が釣り上がっている。まるで獲物を前にした太古の猛獣がするように、舌で乾いた唇を湿らせる。

 ――エネルギー供給、出力限定解除48%……69%……86%……

 ――消化器系へのエネルギー供給を切断……完了

 ――心臓、肺、肝臓、筋肉、骨格システムへのエネルギー供給を拡大……完了

 ――――警告:熱許容危険域に達します。放熱管開放を推奨します。

 ――放熱管開放……警告:全身から蒸気煙を排出します。視界低下に警戒してください。

 ――――警告:左第三肋骨および左腓骨に損傷を確認。治療を優先しますか?……NO

 ――エネルギーシステム:オールグリーン……戦闘モードへ移行が可能です。

 ――――警告:出力強制状態は内臓負荷のため30分が限度です。危険域5分前にアラートを鳴らします。


 ――READY? ……Yes


 ――強化内骨格、出力100%。戦闘モードを稼働します。


(  ゚¥゚)「往くぞ『獣』。俺の武で足りるか、その試練! 受けさせて貰おう!」

41 ◆d7bMXbKy6Q:2016/04/03(日) 04:46:12 ID:4QLUhYnU0
41
 
 急激に跳ね上がった体温を排熱するため、全身から蒸気を吹き出し視界が白く曇る。
 歯を食いしばり、痛みに耐える。痛みは強化内骨格を通じて消せるがしない。鈍すれば、他の異常に気づけなくなる。
 額の血が止まらない。腕だけでなく、背面にも動かすたびに感じては行けない類の激痛が走る。

(   ¥ )(だが、それがなんだ! 『獣』は滅ぼす! 辺境の民はそれ以外の答えは持ち合わせていない!)

 全身の不調を押して、応急装置から左腕の骨だけ固定をする。
 感覚はない。だが、弱々しいものの指はまだ動く。動く、それだけで行幸だ。
 それはすなわち、左腕を使ってまだ戦えるのだ。

 右手一本で構えた獣喰は、特殊合金の刀身とカーボンナノブレードの刃先を、鈍く光らせる。

 笑顔を浮かべたまま、相手を凝視する。
 相手はぶち抜いた大穴を覗くように、階上から俺を見下ろしている。
 その姿はぐるぐると変化を続け、次第に目の数が2つに、鼻と口は1つに、顔が1つにまとまっていく

( "ゞ)「馴染んだか」

 それが言葉を発した。それは人の声をしている。脂汗がじわりと湧いた。
 本来『獣』は同化と複製と融合を繰り返す怪物だ。
 
 同化、つまり、生物の情報を吸収し、その記憶から生物の複製を作り出す。
 クローンと違うのは、その思想が生物の複製に影響する点だ。


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