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我の名は新人! 新時代の先駆者!!

1新人:2006/10/07(土) 00:29:56
我の名は新人。
「しんじん」ではない、「あらひと」でもない。産まれたばかり、夢と希望に満ちた俺は「にいと」と名付けられた。
 
これまで特に問題なく生きてきた。ただ少し格闘ゲームを中心にゲームセンターが好きだっただけだった。
しかし、気付いて見れば俺は高校3年で受験を控えていたにもかかわらず、学校へ行かずゲーセンに通う毎日を送っていた。そして、そのころになってNEETという単語が多く上がるようになってきた。
学校にもろくに行かず、ゲームセンターに入り浸る日々。皆は俺の事を「新人」ではなく「NEET」とよぶようになった、俺にはそうにしか取れなかったし、向こうも悪意をこめて言っていたんだろう。
 
中学時代の友人にNEETいわれ続けて、俺はある日ついに彼に手を上げてしまった。
ゲームばかりやっていた俺の腕力はたいした物ではなかったが、それでも人を一人病院に送る事はたやすかった。その気になれば素手で人を殺められる、ゲームに夢中になっている間に俺はそんな歳になっていたのだ。
そのことは俺の思っていた上に大きな事になり、次の日には学校に呼び出された。
 
校外での問題、出席日数不足、単位不認定、教師の口から延々と俺の事が話される。そして最後に「退学処分とする」と冷たく切り捨てられた。
俺は学生でなくなった。働く意欲なんてない、ゲームばかりやっていた俺に大学受験をする頭などない、金は親からもらえばいい、ゲームセンターさえあればいい。俺は退学を受けた後、一人高らかに笑った。
 
家に帰れば母親と父親が俺を叱ってきた。居心地が悪い、ここも学校と同じか・・・
当然の事なのだろうが気に食わなかった、俺は力任せに二人を投げ飛ばし、数発蹴りを入れて家をあとにした。
 
むかうさきは決まっている。
「ゲームセンター」
 
 
我の名は新人。
希望に満ち溢れた無垢だった俺に「常に新しい時代を生きる人になるように」と願いを込められ命名された。
そして親たちの望みは叶った。俺は流行の最先端、近い未来の課題、そしていつかの主導者であるNEETになった。
新時代の先駆者である俺、その俺「新人」はNEETとなった。先駆者の俺がそうなって、満足しているのだから、これからは俺らNEETが世界の常識となるのだ。
 
新人類NEETとなる事ができて笑いが止まらない。
寝たいときに寝て、起きたい時に起きて、行きたい時にゲーセンに行く、金は馬鹿まじめに働く親からせびる、それでも出さなければ拳をふるって搾り取るだけ。
なんてすばらしいんだ!コレからの時代の中心はなんだ、NEETだ。利用されるのがいやならNEETになればいい、そうすればすべてを手に入れられるさ・・・
 
 
ククク・・・
俺は今日も、閉店間際のゲームセンターで独りギルティの筐体に50円玉を入れながら、この板を覗く・・・

528名無しさん:2013/07/24(水) 22:29:24

「・・・作家だよ」
俺は白状した。
愚かだった頃の夢。作家になること。
「素敵な夢です。正直、惚れ直しました」
「やめてくれ、恥ずかしい。餓鬼の戯言だよ」
何が書きたい、だとかそういうことは一切決めていない。
別に放送作家だろうが、シナリオライターだろうが、何だってよかったのだと思う。ただ自分の世界を世の中にアウトプットしたかった。
「作家になるための勉強をしていたのですか?」
「いや、漠然と、いい大学に行きたいなと考えていた。出席日数も少なかったし素行が良くなかったから、俺は勉強するしかなかった」
高校受験のように放棄せず、いい大学に入ることを目指して勉強していた。その先に夢を見据えながら。
作家になるための勉強、ではなく、作家になるために勉強をしていた。
「大学に行かなくとも、独学でなれるのでは?」
「ニートの方が楽だろ?ってのは冗談として、作家って職業は意外と学歴主義なんだよ。低学歴作家なんてのは殆どいない。低学歴は大抵地頭も悪いし、少なからずそういう目に見られちまうからな」
多くの本には作家紹介の欄がある。
小説家なんていう偏屈な人間は、そこで自己主張をしようとする。その際に一番手っ取り早いのが学歴自慢だ。出版経歴のない作家の場合は特に輝かしい学歴を書いている事が多い。
俺はそのために勉強をしていた。少なくともいい大学に入っておいて損はない。それこそ今のように未来を失うことは無かったと思う。
「世知辛い業界ですね」
「積み重ねてきた人間にとってはそうでもないんだろうけどな。兎も角、既に過去の夢だ。もう追ってすらない」
文香は残念そうな顔をして「勿体ないです」と言ってくる。
俺が返事をしないでいたら、彼女もそれ以上この話を掘り下げようとはしなかった。
 
  
校門の前に不審な男女二人。
恐らくそんな知らせを生徒から受けたのだろう。校門から二人の教師が此方へと歩み寄ってきた。

529名無しさん:2013/07/24(水) 22:30:04

どんなめぐり合わせか、その一方は俺に退学を告げた嘗ての担任教師だった。
もう一人は、確か体育教師。生徒指導の担当者で、こういった校外の不穏分子対応にも頻繁に駆り出されていた記憶がある。
「ウチの生徒に何か用でも?」
恰幅の良い体育教師が凄みを効かせてくる。脅かす気が満々なところを見るに、あまり好意的に接する気は無いようだ。
一年と少しの歳月が過ぎれば、受け持ち以外の生徒の顔など忘れてしまうらしい。彼は俺の事などまるで覚えていない様子だった。
「知っている生徒など殆どいません。なので用は無いですね」
俺の声を聞き、担任だった教師は顔色を変えた。流石に気付いたらしい。
「お前は・・・新人か?」
忘れようもないだろう。自分が退学を言い渡した生徒だ。
彼の対応もまた好意的であるとは言い難かった。身構え、顔を強張らせている。そんな拒絶に近い対応を取られて尚、覚えてもらえているという事実が嬉しくもあった。
「そうです。覚えていてもらえて嬉しいですよ」
「何の用だ?俺に復讐でもしに来たのか・・・?」
嘗ての担任は、若干怯えているようでもあった。俺がそんな事をする人間に見られていたという一点を只々残念に思う。
俺はこの男に恨みなどない。退学を言い渡したのは彼だが決定したのはまた別の人間だろう。当時の俺でもそのくらいは理解していた。担任は嫌な役を任されただけだ。そもそも、退学のことを恨む気などないが。
「いえいえ、俺はただ懐かしみに来ただけですよ。出身者が学校を眺めるのもいけないことなのですか?」
卒業できていないので、厳密に言えば出身者ではなく脱落者なのだが。
俺は嘗ての担任に話し掛けた心算だったが、体育教師が首を突っ込んでくる。これだから脳筋教師は嫌いだ。
「生徒が不振がって迷惑してんだよ。さっさと去らねえと警察よぶぞ」
「もう少し、先生と昔話がしたい気分だったのですが、仕方ありませんね。俺達は消えます」
失礼しました、と軽く一礼。文香も倣って頭を下げた。
体育教師は満足げな表情をしていた。その顔にやたらと腹が立ち、俺は逃げるように背を向ける。
「今は何をしているんだ?」
担任だった教師が呼び止めるような形で尋ねてくる。
最近は、と言うニュアンスの“今”だろう。俺は敢えて読み違え、“今”していることを答える。
「シュウ活です」
俺の言葉を聞いた担任は安堵したような顔をした。
「そうか、大変だとおもうが、頑張れよ!」
教師から激励の言葉を貰う。もう回る箇所など幾らもないが、それでも言われた通りに頑張ろうと思った。
終活、今を終わらせるための活動を。
 
「最後に一つだけ、よろしいですか?」
俺は一応この男にも聞いておこうと思った。
「何だ?」
「あの後の正光寺がどうなったか、ご存知ですか?」
嘗ての担任と言う立場でどこまで知っているのだろうか。純粋な疑問だった。
教師がゆっくりと口を開く。
「あいつは自主退学をしたよ。その後はひきこもりになったって話だ」
嘘は吐いていないように思える。教師が知っているの事などその程度。特に有力な情報は得られなかった。
「そうですか。きっと先生が今のあいつを見たら驚きますよ?」
「どういう意味だ?」
「それはご自分で確かめて頂きたい。何とかあいつを捕まえてください」
体育教師が不機嫌そうにずっと此方を睨んでいる。
これ以上は不快感が増すだけだと判断し、再び会釈をして今度こそ学校を離れた。文香も倣ってついてくる。

530名無しさん:2013/07/24(水) 22:30:26

俺達は再び電車に乗っていた。
「次は何処へ向かうのですか?」
隣に座る文香が問う。彼女はどこか楽しそうだ。
思えばこのように色々な場所を巡るデートらしいデートをしたことが無かった。
「俺が江嵜と再会した場所」
「なんだか複雑な気分なのです」
文香の気持ちは分からないでもない。
俺だって、彼女に『ここは私が処女を捨てた場所です』などと案内されては萎えてしまう。
だが、何でも知りたいと言った以上、とことん付き合ってもらう。遠慮などしない。もとより俺達はそういう関係だ。
 
終点まで電車に揺られて目的地へと至った。江嵜との再会の瞬間を懐かしもうとするも、時間帯の違いからか雰囲気が出ない。
俺はこの場所で、江嵜に呼び止められた。思い出の駅構内。
「寂れた駅ですね」
「言ってやるなよ。確かにろくなもんじゃねぇが」
改札を抜けて、自販機の前で暫く立ち止まった後、駅の外へと出る。
無断駐輪の自転車が乱雑に並ぶ駅前。そこで俺はポケットから煙草を取り出した。あの時と同じく。
「そういえば文香は煙草吸わないのか?」
「吸いません。私は高校生ですから」
言っていることは正しいのだが、文香が言うとどうもしっくりこない。
「お前が言うと滑稽だな」
拳銃を持ち歩いている奴が『あぶないからカッターをもって歩くな』と言っているようなものだ。それは滑稽でしかない。
何となく文香には煙草が似合うと思う。アレはろくでなしに例外なく似合う嗜好品だ。少なくとも、江嵜よりは様になるに違いない。
「江嵜さんは吸うのですか?」
「ああ、あんな可愛い顔してな。意外だろ?」
「煙草が吸える娘の方が好きですか?」
「まぁその方が気楽だってのはある。だからといって無理に吸う必要はないぞ。ろくなもんじゃないからな」
文香は俺が吸う姿を眺めるばかりで、吸おうとはしなかった。
臭いや煙が苦手なのかもしれない。今回も含め、何度か目の前で吸ってしまって申し訳ないなと思った。この反省を活かすことはもうないのだろうが。
 
その一本を吸い終えて、最後に駅前から見えるラブホテルを軽く眺めた。
もうこの場所に未練はない。

531名無しさん:2013/07/24(水) 22:31:28

次は地元の駅に戻り、ゲームセンターへと向かった。
俺がニートになって長い時間を過ごした場所。仲間もいたし、することもあった。正光寺とも此処で再会してしまった。
あらゆる意味で思い出深い場所だ。

入り口を開けると、騒音が一気に漏れ出す。
淀んだ空気、煙草の匂い、小汚い内装。その全てが俺にとっての“帰るべき場所”を演出していた。
 
一応、メダルゲームコーナーに目をやる。
そこに正光寺の姿は無い。金髪の不良はいたが、別人だった。
最近はこの場所で彼を見かけることはなくなった。俺を陥れるための手筈を進めているのだろうか。
 
俺達はメダルゲームコーナーを抜けて、ビデオゲームが設置された区画へと向かう。
ゲームセンターの中でもそこは一際熱気が漂っている。人対人の真剣勝負が行える数少ない場所だ。

今日も多くのゲームがプレイされていた。
気が早いもので、早くもギルティの新作稼働告知がされている。稼働予定は十二月。まだ二か月も先の話。俺がプレイすることはないだろう。
正直、それが心残りでならない。俺もバッドランズや前エグゼというものを使ってみたかった。せめてロケテストに行っておけばよかったなと小さな後悔をする。
俺が未練がましくアクセントコアの告知を眺めていると、文香が話し掛けてくる。
「これ新人さんがよくやっているゲームですよね」
「そうだ。新作が出るらしい。やりたかったな」
「やればいいと思います。私はゲームをしている新人さんも嫌いではないです」
「機会があったらやるさ」
そう言いながら、稼働中のスラッシュにクレジットを入れる。
テスタメントを選択し噛み締めるようにディガーループを行った。新作ではこの手のくだらないコンボが無いことを祈る。恐らく俺には関係のない事なのだが。
 
暫くプレイしていたが知り合いが来ることはなかった。
最後に彼らと対戦をしておきたかったのだが、噛みあわなかったものは仕方がない。
俺は自キャラを一撃準備状態にして席を立った。
「もういいのですか?」
「ああ、満足だ。次行くぞ」
文香は数十分待たされた後であっても、文句の一つも言わず俺についてきてくれた。
彼女の顔が少し嬉しそうに見えるのは次に行く場所を予想しているからなのかもしれない。そして、もしそうだとすれば期待を裏切らない結果になる。
 
 
俺達は隣のビルの階段を上り、806号室の空家へと向かった。

532名無しさん:2013/07/24(水) 22:31:57

知ってから間もない場所ではあるが、ここにも随分と思い出がある。
正光寺を信じ込んでしまった場所であり、初めて薬物を使用した場所であり、文香と身体を重ねた場所であり、そして彼女と結ばれた場所でもある。
この場所では特に濃い時間を過ごした。文香もそんな日々を懐かしんでいるのか、部屋の様々な場所を入念に眺めていた。
 
もしこの場所に来なかったら、ここまで正光寺に踊らされることはなかったのだろう。
それでも総合的に考えると、あの時の選択を後悔していない。何より文香に出会えたことを俺は幸せに思っている。ニートになった時点で、端から未来などないのだから。
 
暫く部屋の中を見回していると、文香が口を開いた。
「新人さん」
突然の呼び掛けも彼女からだと耳触りが良い。
「なんだ?」
答えながら振り向く。
彼女は感情を殺したように無表情だった。
「愛しています」
それは、何かを決め込んだような、意志の強い告白。
充実していた“今”の終わり際には相応しい。
「嬉しいが、それはちょっと早いんじゃないか?」
「まだ行く場所があるのですか?」
文香は意外そうだった。
無理もない。彼女は未だ、あの屋上を知らないのだから。
俺と江嵜、そして正光寺も知っている。俺に似て狭く汚いあの場所を。
「俺が区切りを付けるに相応しい場所がある」
それは死に場所を求めるような心理なのだと思う。
予想される末路は、小川の、いや正光寺の身代わり羊として警察に捕まるというもの。それは死に比べればいくらか軽い。
だが、至上の今が終わってしまう事に変わりはない。それはニートにとって、実質的な死だ。
 
あの屋上は、最後の場所として文句なしのロケーションだと言えるだろう。
最後の最後であの場所に文香を招き入れることができるのだから、何一つ文句がない。
 
 
 
俺達は最後の場所、この806号室のあるビルから少し離れた所にあるテナントビルの屋上へと向かった。
恐怖か武者震いかも分からない手の震えは、文香に握ってもらう事で何とか抑えられた。感謝を伝えると、お互い様だと言われてします。彼女もまた自分の中で区切りを付ける心算なのかもしれない。

533名無しさん:2013/07/24(水) 22:32:27

中学時代に通っていた塾をエレベーターで通過し、俺達はテナントビルの最上階へと至った。
エレベーター前にある扉から外の非常階段に出て、目前にある柵の鍵を解錠する。横から内側に向けて手を伸ばすと解錠できてしまうのは相変わらずだ。
外は雨が降り続いている。雨量もそれほど多くなく、いちいち傘を差すのも面倒などで、俺達はその場に傘を放置した。
「この場所は、俺と江嵜が中学時代によく来ていた場所だ。言ってしまえばサボり用のスペースだな」
「二人だけの秘密基地ですね。憧れます。そして嫉妬します」
「正光寺を信じきった俺は、あいつをここに招いた。この場所で薬物に関する詳しい話を聞いた。この場所は俺の過去が詰まったような場所だ」
そして、この屋上は俺自身に似ている。
こうして文香を招いたことで、文香も確かに俺の重大な過去になる。初めての恋人。苦く青臭いが、いい思い出だ。
「私も立ち入って宜しいのですか?」
「あぁ、お前が入らないと、終わるに終われないからな」
解錠した柵を押し開け、非常階段から屋上へと昇る。
高所故に風が強く、堆積した汚れが雨に濡れて足元が滑りやすい。安全柵のない屋上では、下手をすれば転げ落ちてしまいそうだ。
文香の手を確りと握り、二人で開かれた屋上に踏み込んだ。
 
そこには先客が居た。
一人の小柄な少女。その栗色の髪は雨に塗れ、艶っぽく纏まっている。
「もう、これ以上私に見せつけないでよ」
江嵜だ。
彼女は全身を雨でずぶ濡れにしながら、一人屋上に突っ立っていた。
良く見れば目が腫れている。雨に打たれてずぶ濡れの所為で、今も泣いているのかどうかは分からない。
 
「そんな心算はなかったんだがな」
そう言いながら、江嵜に歩み寄る。
彼女は拒みも求めもしない。ただ此方を見詰めて立ち尽くしている。
「何をしにきたの?」
「終わらせる前に色々な場所を回っててな。ここが最後だ。そして俺はここで終わる」
「自殺でもする気?」
「飛び降りたりはしないが、まぁ近いものがあるな」
俺と文香と江嵜、三人で狭い屋上の中心に集まる。
文香の化粧は雨で崩れてしまっていた。何度も見ているが、すっぴんの彼女はやはり可愛げが足りない。江嵜と見比べるとその差は歴然だ。
「江嵜、俺は今から正光寺に電話をする。恐らく、何らかの形でケリが付くことになると思う」
江嵜の存在は予想外の事象だ。
本来いない筈の、招かれざる客。俺は彼女を巻き込むまいと拒絶した。
此処にいては、俺の決着に彼女も関わってしまう恐れがある。
「だから立ち去れって?」
「物分りが良くて助かるよ」
そう言う彼女が素直に立ち去ってくれたならば、それほど好ましい状況はなかった。
最後にもう一度会っておくことができて喜ばしく思えるくらいだ。だが、現実はそう上手く回らない。
「文香ちゃんは立ち会うんでしょ?」
江嵜は文香に対して問うているようだった。
無言で頷く文香。肯定的な彼女の反応を受けて、江嵜が言う。
「なら私も見届ける」
「駄目だ、消えろ」
「文香ちゃんは部外者でしょ。彼女が立ち会えて、私に立ち会えない理由なんてない」
強い口調の江嵜。
だが、それでも関わらせるわけにはいかなかった。彼女は日の当たる場所で真っ当に生きられる人種だ。俺達みたいなのと関わる必要はない。
「文香は俺の恋人だ。最後を見届けると言ってくれた」
「なら私は過去の関係者って立場で見届けさせてよ。新人君だって、正光寺君だって、この場所だって、全部私に関係してるんだから」
彼女には折れる気配が見られない。
きっと殴っても蹴っても、この場に残ろうとするだろう。暴力で制するなら殺すしかない。だがそれでは本末転倒だ。

534名無しさん:2013/07/24(水) 22:33:39

仕方がない。俺は最後の手段を取ることにする。

ポケットから錠剤を取り出し、江嵜に向けて差し出した。
「何これ」
江嵜は不機嫌そうな顔で聞いてくる。
「ドラッグだ。依存性が高いが、使うとぶっ飛べる」
Motiveではないケミカルの一錠。
母親の部屋から回収して持ち出した、依存性と副作用が極めて高い部類の薬物。こんな場所で使用すれば激しい幻覚に惑わされて地上に転落する恐れもある。
「どういう心算?いけない薬でしょ?」
「これを飲む覚悟もない奴が、俺の決着に立ち入るな」
これを使用する以上に、悪い状態になる恐れだってある。
正光寺の事だ、何を仕掛けてくるか分からない。そうなれば江嵜の身の安全など保障できようもない。
「私に犯罪者になれっていうの?」
「ああ。そのくらいの覚悟もなく、入ってくるな。お前は、真っ当に生きられるんだから」
厳密に言えば、このドラッグも未だ法規制が追い付いていない。
だが、効力からいって時間の問題だろう。異常な幻覚作用と依存性、身体へのダメージ。どれをとっても規制されているドラッグと比べて遜色ない代物だ。
「私にだって、覚悟くらい・・・」
江嵜は錠剤に震えた手を伸ばす。何度も、それを手に取ろうとする。
だが、結局それには至らない。彼女の中の良心、所謂“箍”がそれを妨害する。
やはり江嵜は、俺達に関わるべきではない人間だった。
確りと自制の利く、真っ当な人間。この場所の関係者の中で、江嵜だけは唯一まともな人間性を持っている。

俺はこれ以上待っても意味がないと判断した。
彼女に差し出した錠剤をさげて、再びポケットに仕舞う。江嵜が俺の挙動を制止することはなかった。
「消えろ」
最後に冷たく声を掛ける。
それ以上、江嵜は何も言わなかった。ただ俯いてゆっくりと去ってゆく。
昔から変わらず頭が良い女だと思った。どれだけ踏み込んでいても、彼女は必要なところで確りとブレーキを踏める。
雨音の中、江嵜が階段を下る音が小さく聞こえてくる。
やがて建物内へ入る扉が閉ざされる。その音を確認するまで、俺達は何もせずに彼女を見送った。
 
 
本番はここからだ。
俺は携帯電話を取り出して、大きく息を吸った。

535名無しさん:2013/07/24(水) 22:34:20

携帯電話を操作して正光寺の連絡先を探す。
小川健一の名前で登録されている電話番号、メールアドレス。その中から電話番号を選択して、表示された番号に電話を掛ける。

文香が励ますような視線で俺を見守ってくれている。
 
トゥルルルと無機質な電子音が鳴る。
緊張、不安、恐怖。数度繰り返しただけの電子音が厭に長く感じられた。
 
『おう、新人か』
電話に出たのは、小川だった。
正光寺は未だに小川を演じている。凄みの利いた声も、それが正光寺の物だと思うと迫力に欠ける。
「もう無理するなよ、正光寺」
本当の彼に話し掛けるのは、随分と久しい。それこそ高校で暴力沙汰を起こしたあの日以来のことだ。
正光寺は驚かない。極めて冷静に対応する。僅かに生じた変化と言えば、カチカチと音が聞こえ始めた事くらい。
『案外、早かったな』
「前にお前が言ってただろ。髪を黒くして、ピアスを外してってやつだ。あれでピンと来た」
実際は江嵜に聞いて知ったのだが、それを答えてしまうと彼女を巻き込むことになる。
『そうか、あの時は分かってねぇと思ってたが、すっとぼけるのは上手いんだな。苛められてる時も、何もねぇよみたいな顔してやがったし』
頭に血を上らせてしまえばドツボ。俺は彼の挑発を無視する。
正光寺は狡猾さで俺よりも勝っている。下手を打てば、そこに付け込まれてしまう。石橋を叩いて渡る慎重さが必要だ。
「お前も悪目立ちだけは得意みたいだな。なんだよ、金髪カチューシャ鼻ピアスにスウェットって、今時そんなやつ田舎に言ったっていないぞ」
『景気付けのまじないみてぇなもんだ。それより今、何処にいやがんだよ。周りが五月蝿くて声が聞えねえ』
「お前こそ何処にいるんだよ。声が聞えにくいなら出向いてやるぞ。何ならまた病院送りにしてやってもいい」
度重なる俺の挑発にも、彼は乗ってこない。
小川らしさの残る粗暴な言動や外見でありながら、中身は狡猾な正光寺なのだ。そう簡単に出し抜ける相手ではない。
『俺は関東には居ねえよ。今は仮宿でカツ丼食ってる。お前はどうせあの町にいるんだろ?』
「旅行かよ、いい気なもんだな。田舎不良見てお勉強でもする気か?」
『雨が五月蝿くて聞き取りにくいんだよ、さっさと屋内に入れ』
正光寺はしつこく言ってきた。だが、それはしたくない。
今更この場所から離れる心算はなかった。
「俺はこの場所でお前に向き合おうと決めた。動く気はねえよ」
『そうか』
そんな言葉の後、暫く不自然な間があった。
電話の向こうで何やらがさがさと動く音がする。
『俺が静かな場所に移動した。勝者の余裕ってやつだな』
「何が勝者だ。病院送りのひきこもり君」
『元ひきこもりの掌で転がされていた気分はどうだ?』
「最悪だな。死にたい気分だ」

カツ丼を食いながら笑っている、憎たらしい正光寺の姿が浮かぶ。

腹立たしかったが、今回は完全に負けていた。
高校時代と違って一発逆転も難しいかもしれない。

536名無しさん:2013/07/24(水) 22:34:41

そうなれば気になるのは、正光寺がどのように決着をつけてくる心算なのかだ。あの時の仕返しとばかりに俺を暴行するのだろうか、それとも警察に売る気なのだろうか。

『まぁ天国と地獄を味わって貰えて幸いだ。Heaven or Hellだっけか、お前が好きだったゲームのアレ』
「下調べは完璧ってわけか。お前、その偽名も分かって使っていただろ」
『引きこもりの暇を舐めるなよ。小粋な演出ってやつだ』
「相変わらずむかつく野郎だな」
『まぁお前の暴言や、あの時の暴力、全部許してやるよ。俺は寛大だからな』
正光寺はそんなことを言ってきた。
許す。そんな言葉がこいつの口から出るわけがない。少なくとも、通常ならばありえない。
嫌な予感がする。
「お、お前、俺をどうする気だ?」
震える声で尋ねた。
正光寺は笑っている。不気味で、甲高い、独特な引き笑い。
そして彼はゆっくりと言う。

 
『まぁ、死んでもらう感じだな』
 
 
それは予想しうる限り、最悪の結果だった。

537名無しさん:2013/07/24(水) 22:35:48


正直、楽観的に考えていたことは否定できない。
もう疾うに捨てていた筈の常識で、結末を想像してしまっていた。根拠も何もなく、それどころか正光寺の性質を知っていながら、俺は甘い考えで決着に臨んでいた。

『まぁ、死んでもらう感じだな』

普通に考えればそこまでしない。
だが、俺達は普通ではない。それに相手は正光寺だ。ただでさえ限度を知らなかった上に、未来を放棄した男。
何らおかしなことはない。
 
俺はされるべくして、死を宣告された。
今更問うまでもない。彼の言うそれは喩えでも何でもない。本当の死。生命の終わり。
 
「死んでもらうって、そこまでするのかよ・・・」
電話機に話し掛ける俺を見て、文香が不安そうな顔をした。
自分の携帯電話を弄って、頻りに何かの操作をしている。彼女は手が震えていて、まともに指を動かせていなかった。
俺も同じだ。突然に表れた死への恐怖から、今まで以上に電話を持つ手が震える。

正光寺は笑いを抑えて再び話し出す。
『いや、流石の俺も申し訳なく思うわけよー。だから、今までの事は許してやるって言ってんだよ。寛容だろ?』
嬉しそうな正光寺。
俺はとんでもないモノに手を上げてしまったのかもしれない。過去の行いを後悔する。
「見逃してはくれないのか・・・?頼む」
『惨めくせぇなあ、おい。でも事情が事情なもんで、それができないんだわ。だから大人しく死んでくれ』
「事情って何だよ・・・」
『そうだなぁ、俺の代わりに死んでくれるんだ、そのくらい知る権利はあるだろう。教えてやるよ。今一人か?』
周囲に誰かがいるかどうか。正光寺が尋ねてきた。
聞かれてはまずい内容なのか、彼なりの心遣いなのか、分からない。
俺は返事に詰まってしまった。隠すべきか、隠さぬべきか、そんな迷いがあった。
『居るんだな。バレバレだよ。おおかた文香だろ?それとも江嵜さんか?』
迷った隙を付かれ、察されてしまった。
正光寺はこういう所で俺よりも頭が切れる。少しの油断で付け入られてしまう。
俺の身辺情報も、下調べと、俺自身からの報告で殆ど分かりきっていることだろう。偽証は不可能だった。
「文香だ」
『一人で電話も寄越せねえのかよお前は。女々しい奴だな。とりあえず文香を帰らせろ』
「何故だ?」
『お前と俺と、文香の為だよ』
文香の為、そう言われると俺は信じてしまいそうになる。それが例え正光寺の言葉であっても。
「わかった」
そう言って、携帯電話を通話状態にしたまま文香に話し掛ける。

5381:2013/07/24(水) 22:39:09
 
区切りをつけて上手く投稿できませんでした・・・。今日はここまで。
誰も見ていないこの場所で、意外と最後まで書ききることができそうな予感。

こうして油断が出ると書かなくなるのが悪い癖ではありますが。
やはり好き放題書けるのは楽しい!

5391:2013/07/24(水) 22:39:48
 
スラッシュはもうやりたくないなぁ。

540名無しさん:2013/07/27(土) 11:09:03

「文香、帰ってくれ」
彼女は首を横に振った。
「頼む。お前の為だ」
それでも彼女は動かない。
震えた声で、返事を寄越す。
「小川さん、もとい正光寺さんですよね?電話、代わってください」
「帰ってくれ・・・頼むよ」
弱々しく、文香に促した。
彼女は態度を豹変させ、腹の底から大声を上げた。
「代われよ!」
それはまるで怯えた自身を奮い立たせるようであった。
威圧的な空気に飲まれ、俺は文香に電話機を渡してしまう。
 
彼女は電話を取るや否や、正光寺と話し始める。
「小川さんですよね?」
電話の向こうで彼が何と言っているのかは分からない。
見守る立場だと不安ばかりが募ってゆく。文香はこんな状態で俺を見守っていたのだろうか。

「関係ないです」
「断ります」
「構いません。新人さんと一緒ならば本望なのです」
「私、あなたの事は嫌いですから」
「それも嫌です。私の所為で新人さんに迷惑を掛けたくありません」
「分かりました。それでよいならば構いません。有難う御座います」
電話で正光寺は何を話しているのか。
分からない。聞こえない恐怖から、最悪の仮定をして、また怯える。毅然とした語勢でいられる文香には素直に感心する。

一通りの遣り取りを終えたらしい文香が携帯電話を返してきた。
未だ通話状態のそれを手に取り、再び耳元に当てる。
「もしもし」
『まったく、ひでえ女だな。一緒にいるお前の気が知れねえよ』
「文香が帰りそうにない」
『今の電話でよく分かった。いいよそのままで。命知らずのクソ女には構ってられねぇ』
正光寺は面倒そうに言いながら、暫く間をおいた。

そして語り出す。
俺が彼に手を上げたあの日から、振り返るように。

541名無しさん:2013/07/27(土) 11:09:34

『お前に反抗された日。あそこから俺の人生は明確に狂った。
それまで散々にお前を苛めていた俺だ。元々クラスからも浮いちまってたし、そんなやつが苛めてたやつにボコられて病院送りになんかなったもんだから、もうクラスどころか学校中の笑いものよ。
クラスの連中の豹変ぶりと言ったらなかったぜ。皆からいじめられてた頃のお前と俺が入れ替わった感じだ。つーかそれ以上。
こいついじめてたやつに泣かされたらしいぜ、だとか、喧嘩超弱いらしい、だとか言われて理不尽な暴力も受けた。
あいつ等は、正光寺は弱いから絶対に勝てる、って頭で暴行しやがる。そういうのが一番きつい。
結局、俺は学校に行かなくなって、逃げるように学校を辞めた』

正光寺の声には怒りや恨みが込められている。
これら全ての憎しみを俺の死で清算しようとしているのかもしれない。

俺からすれば迷惑極まりない話だ。
だが正光寺にとっては違う。彼の世界では彼が中心であり、彼自身が納得するのであればそれは正しい方法なのだ。
正光寺は俺の人生を文字通り終わらせることで天秤を釣り合わせようとしている。

「やりかえしてやろうとは思わなかったのか・・・?」

彼は明確な夢や目標など持っていなかった。最後は自分で退学を選んだような男だ、失う物などなかったと思う。
暴力を加えてくる周囲の人間を殴り返せば、きっとここまで話は広がらなかった。少なくとも、俺が必要以上の罰を受ける必要などなかったはずだ。

『それができれば良かったのかもな。だが、勝てる気がしなかった。噛みついたところで、剥き出しにした牙を砕かれて苦しみが増すだけに思えた。だから俺は耐えることを選んで、そして折れた。
だが、牙を剥かなかったことを後悔しちゃいない。
不良共とつるんでて気付いたが、喧嘩なんてもんは気概の勝負だ。格闘技経験でもない限り、十中八九、箍の外れた人間が勝つ。圧倒されて理性がはたらいている時点で俺に勝ち目なんかなかった』

彼はここでも箍という言葉を使った。
或いは、これこそが正光寺を薬に奔らせた最大の要因なのかもしれない。
正光寺は、尤も俺にとっては小川だったのだが、俺に対して箍を外せとしつこく迫った。こうして俺を嵌める意図があったにせよ、あの時彼は煮え切らない俺に過去の自分を重ねていたことだろう。

やはり正光寺は俺とそう変わらない。身体的にも精神的にも、経緯も、不服ながらよく似ている。
改めてそう感じると、俺の震えや恐れは止んだ。


「そのまま引きこもりになったんだろ?どっからDQNに転身したんだよ」

『引きこもりっつーか、まぁ言っちまえばそうなんだが、人と触れ合うのが怖くなった。経験から、自己防衛の意識が先行して人との関わりに箍が掛かっちまうようになった。まぁ今思えば、典型的な引きこもりだわな。
毎日毎日、部屋で寝転がってパソコンと携帯でネット三昧。そん時に、こうなったのも新人の所為だな、なんて思いながらお前が好きだった物のサイトなり動画なりを見るようになった。
勘違いされると心外なんだが、俺はお前と仲良くしたかったわけじゃねえぞ。原因になったお前が憎くて、この感情が外に出る切っ掛けになるんじゃねぇかと思って見てただけだ』

「気持ち悪い奴だな、正光寺。そんなことをしているから、お前は怒りを向ける矛先を間違えるんだ。関係ない恨みつらみまで押し付けられる俺の身にもなってみろよ」

『お前の言うとおりだ。だが、誰にぶつければいいか分からない細かな怒りを一か所に集約するってのは、俺からすれば面倒がねえし、分かりやすい』

正光寺は分かっていた。憎しみの矛先を間違えている、そんな自覚があった。
俺に似た人間なのだから、俺でも及ぶような思考に至らないわけがない。当然に気付く。客観的に見て、自分が間違っているという事に。

542名無しさん:2013/07/27(土) 11:10:00

だが、気付いたところで、その感情を適切な対象に正しく分配することなどしない。

それはあまりに面倒で、意味のない行為だ。
小分けにして与えられた1×100の恨みに対して、それを各方面に1ずつ返すのでは精神的な釣り合いが取れない。当然のことだ。連日の集団暴行で入院させられた復讐をしようとして、個々に小さく危害を加えて満足できるはずもない。
一個体の瞬間的な苦痛が、自分の受けたそれと等しくなるようにする。それが最も、自分で納得ができる復讐や憂さ晴らしの形なのだ。

俺と似た正光寺が、そんな無意味な方法を取るわけがない。
される方の身になれば堪ったものではないが、正光寺の選択は何処までも正しく、そして理解できるものだ。

俺だって、その選択をしたのだから。

俺が高校を退学させられる切っ掛けとなった暴力沙汰。
あれは積年の恨みと、その他無関係なフラストレーションを、全て正光寺に対して発散したものだ。自分の中で一気に清算しきった気分になれた。
面倒な清算方法を取るのであれば、立場を逆転し、同じ期間、些細な嫌がらせを続ける必要がある。そんな事では恨みなど晴らせようもない。他のストレスも別で発散しなければいけなくなる。

効率を重視して負の感情を集約することは、否定しようもない合理的手段なのだ。
 
 
だからと言って、はいそうですか、と自らの死を快く受け入れる事などできない。
例えニートに未来がなくとも、人は本能的に死を恐れ、それに抗おうとする。頭で理解していても死という現実を享受できない。

「気持ちは分かる。だが、お前の合理主義の為に死ぬってのは納得できないな。指を千切るなり、目を潰すなり、色々とあるんじゃないのか?」
『なら俺の合理主義の為じゃなく、人助けだと思って死んでくれ。融通が利かせられない状況なんだよ』
「その状況とやらを説明しろよ」
『だから今順を追って説明してやってんだろうが。死ぬ前くらい大人しく聞け。不服でならねぇが、お前は俺に似た人間だ。そんなお前だから最後くらいは全てを知った上で死んでほしい』

正光寺は優しい声で死ねと言う。まるで今の俺達の間に友愛があるかのような、そんな噓くさい口振り。

今の発言だけではない。この電話の最中、正光寺は少々“優しすぎる”気がした。
何でも教えようとする。俺の挑発に乗らないだけでなく、受け入れる。柔らかく接する。俺の願いを聞き入れる。まるで正光寺らしくない。
死んでもらうと口にしながら、彼はまるで殺意を持っていないように思える。

始めの方で、彼は『勝者の余裕だ』と言っていた。
果たして、理由はそれだけなのだろうか。とてもそうは思えない。
まるで俺に話を聞いてもらいたいかのようだ。だとしたら、その理由はどこにあると言うのだろう。
罪悪感、或いは死なすという極限に至って本当に友好的な感情が芽生えたのかもしれない。だとすると何ともやりにくい。正光寺には最後までクソ野郎でいてほしかった。

「分かった。きいてやるよ」

俺はそう言って、雨の降りしきる薄汚れた屋上に座り込む。
ズボンが汚れた。だからなんだという感覚だった。どうせ、もう履くことなどない。

首の後ろから文香の腕が回される。彼女は座って電話をする俺を抱きしめるような体勢になり、俺の耳元にある携帯電話に耳を当てた。
無機質な機器を間に挟み、耳合わせをしているような状態。背中に当てられた柔らかな胸部から、すぐ真横にある顔から、回された手から、文香を感じる。

543名無しさん:2013/07/27(土) 11:10:24

正光寺は再び語り始める。通話用スピーカーの裏側に耳を当てている文香に聞えているかは分からない。
 
『一日中ネットを見て、クソみてえな日常を過ごしていた。細かい刺激はあったにはあったが基本的にくだらない毎日だった。
そこで偶然、ある書き込みを目にした。アングラ系のサイトやSNSなんかによく書き込まれてる薬物売買に関するマルチポスト宣伝の一つだ。
普通は読みすらしねえんだろうが、ニートは暇だ。何となく読んで、興味本位でそこに書かれていたリンクを踏んだ。当然繋がらない、または釣りか何かだとおもったんだがな、これが不用心な事に繋がっちまったんだよ。販売用サイトに。
あんなに沢山の薬物があるとはしらなかったから、商品一覧を眺めているだけで面白かった』

「それで買って使ったってわけか。俺が言えたことじゃないが、意志弱すぎだろ」
『買うまでには色々と悩みもした。ニートは金が無いからな。普通買えねぇんだよ、薬物なんか』
「じゃあどうしたんだよ」
『力尽くで奪うことにした。好奇心と金への欲で、それ以外の事を考えられなくなった。薬は高く売れる。それが魅力だった』

正光寺もニート。そして彼はあまり親から金を吸い上げることができなかったのだろう。

いつか必ず訪れる金銭的不満や危機感、それが彼の場合はすぐにおとずれたらしい。
ニートを味わうと誰もが今の楽さに嵌りこんでしまう。そして落ち着かなくなる。未来が無いことや金銭面、一人で過ごす時間は常に圧迫感を覚えるほどだ。
だから、それを解消しようと金を求める。それを得る手段を欲する。あくまでニートという立場を捨てず、強欲に他者から奪おうとするのだ。
 
正光寺にとって宣伝の書き込みとそれに対する発想は転機だったのだとだろう。
俺がこいつを小川と呼んで信じ込んでいたあの時のように。
 
『ドラッグっつーと、正直怖ぇイメージがあった。暴力団だとか半グレだとか。
だからそういう感じの見た目した奴が来るのかと思ったんだよ。だが、実際に会ってみるとバイヤーは細っこいガキだった。
宣伝方法から取り引き、受け渡しの手段まで随分と雑だなぁと思ってはいたが、流石にガキが来るとは考えてもいなかったわ。
しかも、不用心も極まってて、大袋にいっぱいの商品を取引場所に持ってきやがった。何故必要分だけもってこないいのか聞いたら、それだと商売にアドリブが利かなくなる、とか言ってたな』

恐らく、急に購入量を増やしたがる客への対応を重視していたのだろう。
「細かな利益にまで貪欲なんだろ」
俺も取引の際には、多少の予備を持っていく。流石に大袋いっぱいの量を持ち歩く事などないが。

『その小さな意地汚さが大損害の原因になったんだから割に合わないだろうな』
「それがお前の持っていた薬物の在庫ってわけか。幾らでも仕入れられるのかと思ってたが、一纏りきりだったのか」
『だからとりあえずは手元のモンを何とか高く捌こうと頑張ったわけよ。それで機会を見てヤク中の紹介でバイヤー見つけて、そいつからも奪おうとか考えてた』
「最早仕事だな。お前ニート向いてないよ」
そうは言ったものの“今を生きる”という意味に於いてはこの上なく適しているとも思う。
きまった仕事をせず、悪逆非道の犯罪三昧。完全に未来を放棄している。或いはそっちの業界では将来有望なエリートなのかもしれない。
『だが、運はなかったらしい。俺がボコボコにして薬を奪ったガキがヤクザの直営薬局だった。当たり前だよな、ただのガキがあんな大量に仕入れられるわけがない。金に目が眩んでたが、俺はもう少し冷静になるべきだった』
電話口で聞く正光寺の声は、振り返って悔いるというよりも、寧ろ、むかっ腹を立てているようですらあった。

544名無しさん:2013/07/27(土) 11:10:53

その怒りを向ける先は、俺。
全てをひっくるめて、俺に死を与えようとしている。

与えるという言葉は適切ではないのかもしれない。

流石の俺でも、ここまで要素が揃えば分かる。
「つまりお前は、俺にその責任を擦り付けて逃げようってわけだな」
当初の予想通りだ。俺は正光寺の身代わり羊にされる。
読み違えていた箇所は一点。追手が警察ではなく、ヤクザだったという事。

死んでもらうという表現も納得できる。
彼は一度として殺すという表現を用いなかった。そして、口調にも明確な殺意は見られない。
当然だ。正光寺は手を下さない。俺が、彼の罪を被って殺されるだけなのだから。

『まぁそういうことだな。俺は犯行時、髪も黒く、おろしていたし、ピアスも開けていない、お前によく似た姿だったよ』
「顔を見れば流石に別人だと気付くだろう?」
俺がそう言うと、スピーカーから彼の不快な引き笑いが聞えてくる。
『怪しいところだな。気絶するまでぶん殴ってやったから、その前の記憶しかガキには残ってない。それによ、』
「それに、なんだよ」
『追っ手は警察じゃねえんだぞ。グレーがクロであるか確かめるような連中じゃない、あいつらにとってグレーは黒だ』
「何処かで聞いたようなセリフだな」
『だが、これが現実だ。目撃した人物に似た人間が盗難された薬物を所持している。これだけあれば、奴らはお前が犯人だと“納得”する。その方が、手間が無い』

矛先が正しいかどうか。
そんなことは関係が無い。

主観的に納得して、ケジメが付けられるのであれば、そこに正当性は必要ない。
今回の正光寺と同じだ。

理解できてしまう。
俺もまた、同じ考えをもっているから。
 
「確かに手間が無いな・・・」
『ようは何処かに納得できる矛先さえ向けられればいいんだよ。一番楽で、手っ取り早い場所にな』

ヤクザ相手に、弁明などできようもない。それこそ無意味で愚かな行為だ。

545名無しさん:2013/07/27(土) 11:11:32

いよいよもって、俺は最後の逃げ道を使わざるを得ないようだ。
今死ぬよりは遥かにマシな選択。それでいて、可能であれば避けたかった手段。

自首。

追手のヤクザに捕まる前に、警察に捕まる。
無論、それだけで安全が確定する訳ではない。上手く立ち回って“釈放されないようにする”必要がある。一時的にでも外に出されることは重大な危険を伴う。

これは分が悪い賭けだ。
拘留場所が明らかになる以上、釈放されてしまえばほぼその時点でヤクザの追手に捕まってしまう。その為に向こうから警察に対し何らかの働きかけをする可能性すらある。
それに、逃げ遂せる場合と異なり、確実なデメリットを被ることになる。当然だ。失敗が死で、成功が直実刑なのだから。
これはルーレットを回す対価に“今”を支払うような行為に他ならない。

今しかない存在にとって、その対価は死に等しい。
だが、俺は悩んでいる。それどころか、腹は殆ど決まっている。分の悪い賭けに膨大なコストを投じようとしているのだ。
俺にとって、その対価は死よりも軽いことになる。

俺は醒めていた。
確実だが一瞬の今よりも、あるかもしれない未来が欲しい。
 
極限に至って、俺は漸く常人に追いついた。
もうくだらない言い訳で、生きることを諦めたくない。心からそう思えている。

「俺が死ねばコトは収まるのかもしれないけど、やっぱ無理だわ。俺は抗う」
電話口でそういうと、正光寺から笑い声が返された。そして続く『そろそろか・・・』という呟き。
何の事だと問うと、再び不快な引き笑い。
その声はまるで嘲笑うようで、それでいて心の底から喜ぶようで、実に狂気じみていた。

『俺は少し嘘を吐いていたんだが、まぁそれくらいは許してくれるよな?』
「嘘が無くても許すわけねえだろクソ野郎」
正光寺は俺を小馬鹿にするように『すまねぇ』と繰り返す。

そして、告げる。

『本当は、お前は今日そこで死ぬんだよ』

もう彼は優しさを演出しない。
素の状態、クソ野郎の正光寺として言ってきた。

「なら逃げるまでだな」
『もう遅い。ビルの下を見てみろ。お迎えが来てるぜ』
俺が立ち上がるより早く、抱きついていた文香が俺の背から離れた。
彼女は西側から下を眺めに行った。反対側にも通りがあるので、俺は東側から眺める事にする。

546名無しさん:2013/07/27(土) 11:12:00

見下ろすと東側の通りにはパトカーが停まっていた。

雨音が五月蝿く、電話に集中していた為、まったく気付かなかった。
それは俺にとって、願ってもいない助け舟だ。文香と一通りの場所を巡り、もう未練などない。早い内に捕まっておきたかった。
「何の真似だ。情けか?パトカーだなんて」
思わずそう尋ねる声も跳ねる。
情けだろうが、憐みだろうが、罪滅ぼしだろうが、何でもよかった。これで安全に捕まることができそうだ。

『は?何言ってんだお前。とうとう壊れたか?』

電話口からそんな声が聞こえるのと同時に、文香が歩み寄って報告する。

「新人さん、追手のヤクザ屋さんのものらしき車が今停まりました・・・」
 
俺は混乱した。
ヤクザがいて、警察がいて、殺される俺は捕まりたいと考えている。
状況を整理しても、頭が回りきらない。

未だに雨は降り続いていて、遠くでは雷まで鳴りはじめていた。

547名無しさん:2013/07/27(土) 11:12:22

 
 
俺と文香は雨の降る屋上にいる。
共にバケツの水を被ったようにびしょ濡れになりながら、文香は焦った顔で此方を見据え、俺は正光寺と電話をしている。

正光寺に『ビルの下を見てみろ』という指示を出され、俺は東側、文香は西側をそれぞれ見に行った。
俺が確認したのはパトカーで、文香は追っ手のヤクザが来たと言っている。電話の向こうの正光寺も、今一つ状況が飲み込めていないらしい。
 
状況を冷静に分析する。
正光寺の反応をみるに、彼が意図していたのは西側の出来事、ヤクザの到着なのだろう。そこに、無関係とも思えない警官が噛みあった。それが現状なのだと思う。
最悪、連れ去られそうになっても、大声を出せば警官が助けてくれるかもしれない。
 
「こっち側にはパトカーが停まってる」
文香に話し掛けた心算だったが、携帯電話を持ったままだった為、正光寺まで反応をしてくる。
『は?何言ってんだよ、俺がさっき連絡を入れたのはヤクザの方で、』
戸惑いを隠しきれない様子の正光寺。
彼の言葉で、漸く不自然な優しさの意図が分かった。
真意は、電話を切らせず、その場に止めるためだった。序盤のやり取りで俺の居場所を確認して“俺の顧客”を騙りヤクザに通報を入れたのだろう。
途中に挟まった不自然な間は、俺の居場所を知らせるためにメールを打っていたのだと思う。

引っ掛かりが解消されたところで、正光寺に聞く事など一つを除いて何もない。
最後に、無駄だと分かっていながら、その一つだけ問うてみることにする。

「俺はあの屋上にいるわけだが、お前は何処にいるんだ?」
 
当然ながら、答えなど返ってこない。
正光寺は黙っていた。
言うわけがない。もう彼にはそんな余裕がない。
それどころか、もし俺が逮捕拘留されてしまえば、ヤクザは新犯人である彼に目標を変える可能性すらある。報復の対象など納得さえできれば誰でもいいのだから。
「まぁ答えられないだろうな。だが、これだけは覚えておけ。今回の事は、いつか必ず清算させる」
正光寺はうんともすんとも言わずに電話を切った。

548名無しさん:2013/07/27(土) 11:13:28
 
 
さて、問題はここからだ。
 
非常階段とエレベーターが一つずつの雑居ビル。ヤクザと出くわすことなく警察に保護を求める、もとい捕まる。これが先ず最低条件だ。
確実な手段を考えている時間などない。ヤクザはきっとすぐに上がってくる。

西側に向かって駐車場を見下ろす。
乱雑に停車された黒塗りのセダンは2台。そして不審なワゴン車も1台。ご苦労なことで、かなり大所帯でいらっしゃったようだ。
対して警察車両はパトカーが二台。いざとなれば数で勝るヤクザによって強引に拉致される恐れがある。この場で銃殺されることだってあるかもしれない。
安全に確保されるには、圧倒的に警察側の人数が足りなかった。今から通報するのではもう遅いだろう。

どうするか。
考えながら再びパトカーのいる東側を見下ろす。
丁度、サイレンの音が聞こえてきて、新たなパトカーや警察車両がやってきたところだった。よく見れば既に停車中の台数も三台に増えている。

何が起こっているのか分からない。
少なくとも事態は好転しているのだろうと安堵する。 
 
 
 
カチャリ。
雨音に交じって突然聞えてきた鉄の音。すぐ下の階で、非常ドアが開けられた。

誰かが来た。

文香が寄ってくる。
「新人さん」
「ああ、来たな」
誰だかは分からない。だが確実に何者かが向かってきている。
カツカツと階段を踏んで、足音は徐々に近づいてきている。緊張の所為からか、それは雨音の中でも鮮明に聞こえた。
 
警察か。ヤクザか。
どちらにせよ俺の今は終わってしまうことになる。
最後に今を味わおうと、俺は文香にキスをした。もうすることはできないであろう、最期の接吻。

5491:2013/07/27(土) 11:19:45

あと二週間もするとギルティギアの完全新作のロケテストが開始されますね。
3D、ゲームスピードの変更等、不安要素を挙げればキリがないのですが、その分だけ期待も大きいです。

ただ、それにしても時期が早い。
どのくらいの時間を掛けて調整し本稼動になるのかは分かりませんが、そう遠くないでしょうね。
2014年くらいにロケテストが始まるのかなぁと考えていましたが、その頃には本稼動が始まるかもしれません。
 
近作は個人的にかなり楽しんでのめり込む事ができたので、予想外に早い新作情報に残念な気持ちも大きいというのが本音です。

5501:2013/07/27(土) 11:23:19
 
Xrdの登場キャラ情報更新に期待しています。

551名無しさん:2013/08/01(木) 00:13:57

ゆっくりと近づいてきた人物は、やがて姿を露わにする。

肩丈に鋏の入れられた茶髪、小柄な身体。
階段を上ってきたのは江嵜だった。
「ごめんなさい・・・、ごめんなさい・・・、ごめんなさい・・・」
江嵜はそう繰り返しながら歩み寄ってくる。
「結局、帰らなかったのか・・・」
怒ったところで、もう遅い。既に危険に巻き込まれてしまっている。
俺がうまく逃げ遂せたところで、文香が、もしかしたら江嵜も、ヤクザに何らかの報復や尋問を受けることになるだろう。
「ごめんなさい・・・。私、やっぱり耐えられない・・・」
俯きながら話す江嵜。下に集まった黒塗りの車を目の当たりにして、残ったことを後悔しているのだろうか。
彼女としても、事態がここまで深刻だとは思っていなかったのかもしれない。

安易な気持ちで物事に首を突っ込むからこうなる、とは言えない。
俺も同じだ。正光寺の甘い話に騙されてしまった。安易な気持ちで至上の今などという幻影を追い、そしてドツボ。彼の掌の上で踊らされ、こうして嵌められている。
 
「残ったのは江嵜の責任だ。悪いが俺は責任を持てない」
不甲斐ない。そう思いながら江嵜に関する責任を放棄する。
上手く立ち回ることができたとしても、俺が優先して守りたいのは江嵜ではなく文香だ。心中密かに同情を圧し殺した。
泣き崩れるかと思ったが、江嵜の様子に変化は見られなかった。彼女は相変わらず俯いたまま、ごめんなさいと繰り返すばかり。
そして、続けてその言葉の意味を白状する。
「新人君を文香ちゃんに取られるのが耐えられない。だから警察を呼んじゃった。捕まえてもらおうと思って。ごめんなさい」
江嵜は警察を呼んだと言った。
俺の後ろでは、今も新しいサイレンが聞こえている。続々と警察車両が集まっているようだ。
「下のあれは江嵜が呼んだのか?」
パトカーが溜まった東側を指差して問うと、江嵜はこくりと頷いた。

「江嵜、ナイスだ」
そうとしか言いようがない。
江嵜の迅速な対応に救われた。彼女の嫉妬が危機的な状況と噛みあった。
恐らく屋上を去った直後に通報したのだろう。それ故、手遅れにならなかった。
江嵜はごめんなさいなどと呟いていたが、謝罪の言葉など必要ない。寧ろ、彼女の行動は感謝されて然るべきだ。
状況が飲み込めていないらしい江嵜は間の抜けた顔をしている。宛ら、鳩が豆鉄砲をくらったようだ。もしかしたら西側の光景、ヤクザの追っ手の存在に気付いていないのかもしれない。
「俺は正光寺に嵌められてヤクザに追い込まれていた。だが、江嵜のおかげで助かりそうだよ。上手いこと警察に身柄を押さえてもらえそうだ」
俺の説明で江嵜は漸く状況を理解できたらしく、複雑な表情を浮かべていた。
「結果オーライ、なのかな?でも、知らないで通報してたから一応謝る、ごめんなさい」
「謝る必要なんかないさ、俺は感謝してる」
警察に捕まることができれば最低条件はクリアとなる。偶然だとしても、江嵜には重大な手助けをしてもらった。

552名無しさん:2013/08/01(木) 00:15:19

西側にある駐車場にもパトカーが到着したらしい。サイレンの音を聞いて下を覗くと、西側では黒服の男と警察官が揉み合いになっていた。
俺達は三人並んでそんな光景を眺めている。
事態が収拾に向かったら、エレベーターを降りて警察に確保してもらおう。そんなことを考えていると、文香が口を開く。
「それにしても、江嵜お姉さんはどのようにしてこんなにも大量の警察官を呼んだのですか?」
それは江嵜に対する質問だった。
俺も同じく気になっていた内容だ。普通に薬物使用や売買の通報を受けても、これほどの人数が動員されることなどないだろう。
薬物使用や所持は拘留期間の短さ故に、確実に現場や物を押さえられる場合にしか動かないと聞く。では、何故これだけの人数が動いたのだろうか。
江嵜は「正直、文香ちゃんとは話したくもないけど、」と子供じみた前置きをして語る。どちらが年下だか分かったものではない。
「最初は薬物持ってる人がいますって言ったけど担当部署がなんだとかで、すぐには来てもらえないみたいだったの。だから、変な人がビルに侵入してるって言って通報した。次に、暴漢に襲われそうだって通報。これは嘘だったけど、本当になったみたいだね」
この場合、暴漢というよりは暴力団なのだが。そう大きくは変わらないだろう。
「なるほど」
文香は感心しているようで、どこか悔しそうでもある。
先程、彼女も携帯電話を取り出して何かをしていた。もしかしたら同じように警察を呼ぼうとしていたのかもしれない。だとすれば、手際が良かった江嵜に対して劣等感を覚えているのだろう。
そんな文香の表情を知ってのことか、江嵜は話を続ける。
「他にも、飛び降り自殺します、だとか、今から薬物使いますって予告だとか、もう必死になって電話を掛けた。後半は怪しまれてたみたいだけど、一応通報があったら現場に人を送らなければいけないらしく、それで偶然に暴力団でしょ。続々と増援が集まってる感じじゃないかな」
偶然にも、彼女の通報は其々が噛みあっていて、信憑性が生まれていた。
彼女は暴力団から入手した薬物を所持、そして使用している。何らかのトラブルが切っ掛けで自宅に彼らが押し掛け、逃れるために投身自殺を考えている。
要約するとこのようになる。順序がカットアップされているところも薬物使用者風だ。
受けた通報を管理している担当者はきっとこう考えたことだろう。

偶然が、運が、江嵜の行動が、すべてが噛み合って首の皮一枚繋がった。
安堵しながら一息つくと東側が突如として騒がしくなる。

停車中のパトカーからサイレンが鳴りだした。

気になって東側を見下ろす。
パトカーが次々に発車している。それらのパトカーの向かう先には、ランプもサイレンもつけずに蛇行するパトカーが一台。
明らかに強奪されたらしいその車両は、赤信号も交通標識も全て無視し、まるで警察を挑発するようにビルの周りをぐるりと回っていた。

すっかり雨量も少なくなり下の光景が良く見えた。
少なくとも、車の運転席から顔を出した人間の髪色くらいならば、問題なく確認できる。

奪還されたと思われるパトカーから挑発的に顔をだしている男は金髪。
前髪はカチューシャで上げていて、俺と同じくらいの背格好だろう。

ああ、間違いない。

パトカーで蛇行と周回を繰り返しているのは正光寺だった。

553名無しさん:2013/08/01(木) 00:17:30



クソ野郎。何が関東にいないだ。
正光寺は関東どころか都内、それも結局この街に残っていた。

恐らくは警察の介入を見て、ヤクザによる俺の処分が行われるか不安になったのだろう。
だからこうして暴れて、警察を妨害しようとする。注意を引きつけてヤクザを助ける。正光寺からすれば自分の命が掛かっているのだから当然の行動だ。
「最後まで余計な事しやがって」
警察車両が駆けつける気配もない。台数はこれで頭打ちだろう。
これ以上待っても正光寺に釣られて台数が減ってしまう恐れがある。
「正光寺さん」
「正光寺君」
横で見ていた文香と江嵜も彼の存在を確認したらしい。
もうあまり時間がない。動くならば今。早いところ警官に捕まらなければ。
どうやら彼女たちも考えていたことは同じらしく、此方を向いて軽く頷いた。
「急いだ方が良さそうですね」
「ああ、そうだな」
「新人君、出所したら迎えに行くからね」
「気持ちだけは有り難いが、江嵜には俺の事を忘れて、正しく生きてほしい」
二人と軽く言葉を交わす。
最後に、江嵜には悪いが、文香とキスをした。唇同士が軽く触れる程度の軽い接吻。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
いつぞやの夜中を思い出すような、行ってらっしゃいのキス。
今回は送り出す側ではなく、送られる立場になってしまった。
おかえりなさいのキスはあるのだろうか。そんなことを考えると、涙が溢れ出そうになる。恐らく、それが行われることはない。

そもそも全てが上手くいく可能性は低い。
成し遂げたとして、出所までにどのくらいの年月がかかると言うのだろう。

時間が経てば人は変わる。俺や正光寺、江嵜は大きく変わった。
年単位でなくとも、この数ヵ月の間だけで俺は変わったと思う。江嵜だってそうだ。前までの彼女なら、きっと今頃この場所にはいない筈だ。
 
服役を終えて、その時までのヤクザのケジメが何らかの形でついていたとして、文香の気持ちが変わらないとも限らない。
寧ろ、変わっていて当然だ。そのままでいる事を押し付けられようもない。

だからきっと、おかえりなさいのキスはない。
 
このまま残っていても、危険が増すどころか、情けない姿を曝すだけだ。
恥を無駄に上塗りする必要もない。

「江嵜、文香、うまく生きろよ」
俺は覚悟を決めて、警官に捕まりにいく事にした。


「そうだな、このガキの分まで手前らは生きると良い」

突如として俺達の会話に割って入った野太い声。
聞えた方向を見ると、階段の前に黒のスーツを着込んだ恰幅の良い男が二人並んでいた。片方の手には異様に大きなバッグが提げられている。

554名無しさん:2013/08/01(木) 00:18:02

「刑事、には見えないな・・・」
ドラマではあるまいし、陽も照っていない日にサングラスを常用している刑事などいない。
「まぁ、その敵みたいなもんだな」
男のうち一人はそう言って、笑いながらゆっくりと歩み寄ってきた。もう一人は階段を塞ぐように仁王立ちをしている。
警察との揉み合いをすり抜けたヤクザだとみてまず間違いないだろう。
「俺の話を聞いてはくれませんか?」
最後の抵抗。
無駄だと分かっていながらも、一応語りかける。
「聞いてやるよ。車の中でな」
「俺は薬を奪ってません。奪った奴、正光寺に嵌められただけなんです」
「車で聞くって言ってんだろ!いいから大人しくついてこい、ガキ!」
男に恫喝される。
恐ろしい。正光寺やゲームセンターの不良とはわけが違う。本物の迫力、威圧感。
本能的な恐怖から逃げの体勢を取ってしまう。

だが、逃げ場などない。
この場所は柵も壁もない屋上。

江嵜は放心状態となっており、文香は自分の携帯電話とビルの下の様子を頻りに確認している。
ヤクザの男は無抵抗な二人を襲わなかった。気にも留めていない。
目的さえ達成できればそれでいい。余計なことはしない。暴力組織らしからぬスマートな方法。
 
震えて声も出なくなった俺を庇うように、文香が俺とヤクザの間に割って入る。
「車に乗せてどうする気ですか?」
ヤクザは文香を睨みつけて言う。
「手前には関係ねえんだよ。出しゃばると殺すぞ」
その言葉は重い。日常的に使われるコロスとは違う単語にすら思える。
何か見えない部分に絶対的な裏付けがあるような、恐ろしい言葉。俺はその言葉のイメージに気圧されて、反抗する気など起きなかった。
だがそれでも文香は引こうとしない。折れそうに細い足を震わせながら、食い下がる。
「連れて行ったとしても、下があの状況です。あなた方が警察に捕まりますよ?」
「やり方があるんだよ。何なら先に手前で試してやってもいいんだぜ」
「警察の前で叫びます」
「それができねえからこそ、俺達の仕事が成立すんだよ。手前このガキの女か?そんなに死にたきゃ一緒の穴に埋めてやってもいいんだぜ」
このままでは不味い。ヤクザの男は本気でそうしそうな雰囲気だった。
文香まであらぬ罪で死ぬ必要はない。
俺は最後の力を振り絞って声を出す。
「そいつは関係ないので見逃してやってください」
弱々しく震えた俺の声を聞いてヤクザの男は笑い出した。なんだその声、と馬鹿にしてくる。
構わない。いくら馬鹿にされても構わないから、文香と江嵜を巻き込んでほしくない。

人間は極限で他人を庇う事などないと思っていた。
だが、自分がどうあれ死んでしまう状況に陥ると、最後の最後で良心がはたらくらしい。今それを実感できている。

最後くらい、どんなに惨めで弱々しくても、文香の彼氏らしいことをしたかった。

555名無しさん:2013/08/01(木) 00:18:57
何とか立ち上がり、大人しくヤクザに従おうとする。
「行きましょう」
「最初からそうしろよな」
俺が言うとヤクザは階段の方向に向きなおした。こういう場合は俺から目を離さないのがセオリーだが、逃げ場のない屋上ではその必要もないのだろう。

男が俺に背を向けた直後、文香が小声で話し掛けてくる。
「…私を信じて、ポケットの薬を今すぐ飲んでください。ありったけ全て。早く…」
辺りの様子を確認しながら、彼女はそんな指示出した。

その意図は分からない。だが、信用できた。窮地だから、文香だから、疑う気にはならなかった。
 

先程、江嵜に手渡そうとした錠剤。
通常使用量の三倍はあろうかと言う量のそれを、俺は一気に飲み込んだ。

これだけの量の脱法ドラッグだ。副作用で死ぬ恐れだってある。
だが、そんなリスクなど気にならない。どう足掻いても死ぬのならば、文香の指示で死ぬ方が幸せだと思えた。

556名無しさん:2013/08/01(木) 00:19:33
 
 
 
 
直ぐに視界が歪み始める。
記憶に働きかける作用の薬だ。俺が本当に欲しているものに、精神的に再び巡り会える。
フラッシュバックした記憶はそれぞれ独立せずに混濁した一つの幻覚となってリフレインする。
 
目の前に升目の付いた紙。それによって一度視界が遮られる。
それは原稿用紙だった。小脇にはペンや資料など。
俺は小説を書いていた。いつだったか、下らない物語を余った作文用紙に書いていた。
自分が過ごしている世界の中に、もう一つ小さな世界を作れる感覚が堪らなかった。極端に言えば神にでもなったような気分を味わうことができた。だからその行為に没頭した。
小説家になりたいというよりも、俺は物語を紡ぎだすのが好きだっただけなのかもしれない。
 
白地の用紙に黒の文字。そんなものばかり眺めていると目が痛くなった。
休憩にしようと脇を見ると、そこには文香の姿があった。お疲れ様、などと言いながら珈琲を入れてくれる。
夜食も用意されていた。手渡されたのはコンビニのサンドイッチ。食べる前から口にマヨネーズの味が広がった。
 
俺と、文香と、原稿用紙。そんな世界に客人がやってくる。
江嵜とギルティ勢と、そして正光寺だ。俺の両親の姿もあった。
大人数で集まって、パーティでもしているかのように騒ぐ。誰かが「まるで結婚式みたいだね」などと言うものだから俺は顔が熱くなった。
 
『愛してます。だから、信じてください』
 
文香の声がはっきりと声が聞こえてきた。幻聴ではない、本当の声。
繰り返される記憶と、それによって創られた幻覚に溺れる中、その声だけは明瞭だった。
だから、返事ができる。

「勿論さ」

相手が文香だから、疑う気になどならなかった。

腹部に凄まじい愛を受けてまやかしの世界が歪む。
崩れそうな幻覚の世界で、俺は存在するはずの床から転落した。
頭を叩きつけられた痛みは、きっとこれまでに文香によって与えられたどんな愛よりも大きかった。
 
有難う文香。
 
 
 
そこで幻覚は途絶えた。

557名無しさん:2013/08/01(木) 00:21:23
 
 
 
 
 
 
 
 
 
俺の今は、終わった。

5581:2013/08/01(木) 00:25:01

読んでいる人がいるかはわかりませんが、一応。
これで終わりではないです。エピローグ的に畳んでいきます。なので次かその次に纏めて書き込むのが最後の更新になるはずです。
 
スレ立てから7年。なんとか終わらせることができそうです、というか終わります。

5591:2013/08/01(木) 00:32:14

長田さんという方を出さずに終わってしまいます。
万が一、提案した方が見ていましたらごめんなさい。
 
自分が書きたいように書きすぎた感があります。

5601:2013/08/01(木) 00:34:04
 
Xrdのロケテスト、関東に住んでいらっしゃる方は行かれるのでしょうか?
行くかどうか悩みます。

561名無しさん:2013/08/05(月) 23:57:49
エピローグ


「2110番、時間だ」
めり張りのきいた男声が聞こえてくる。
始めは五月蝿く感じていたが、冷静に聞いてみれば耳障りではない。明朗で聞きやすい声。
ありがちな話だが、いざ別れの日が来ると嫌いだった何かが急に恋しくなるものだ。今の俺は正しくそんな気分だった。
よもや刑務官との別れを寂しく感じるなど、最初は思いもしなかった。

俺にとって番号で呼ばれる日も、今日が最後になる。
不満に思っている人間は多いようだが、俺は案外、番号呼びが嫌いではなかった。
名前にコンプレックスがあったというのも理由の一つだろう。尤も、与えられた番号が2110番なものだから、あまり変わりばえはしなかったが。

窮屈な独居房には未だに慣れない。
此処にはあまり長いこと入っていなかったので、当然と言えば当然の話なのだが。
 
 
俺は本日を以て、六年半に及ぶ懲役刑を終える。
言い渡された刑は懲役七年。満期までは未だ少し期間が残っているが、長く真面目に服役していた為、減刑の恩赦を受ける事ができた。
二年ほど前に仮釈放の話も持ちかけられたが、保護観察有の仮釈放と言うのも落ち着かないので断った。今回はそれが無い、僅かではあるが純粋な減刑。努力が評価され素直に嬉しく思った。
 
自分で思っていたよりも俺がした違法行為は重罪だった。
覚醒剤や麻薬所持で捕まる芸能人はすぐに刑務所から出てくる。そんなことをニュースの情報などで漠然と知っていたものだから、俺も二年前後、或いは初犯と言うこともあり一年そこいらで出所できるものと考えていた。
だが、現実は違った。下されたのは懲役七年の実刑判決。
使用や所持に比べて営利目的での販売はそれだけの重罪だったらしい。判決の重さもさることながら、外部の人間との面会や手紙のやり取りを著しく制限された。
18で捕まった筈の俺も、気付けば24を超えている。もういい大人だ。
外の世界については後輩囚人の話やテレビ等で多少は知っている。それだけに、早く出たいという気持ちはあった。それが今日漸く叶う。

刑務所での生活は俺を大きく変えた。これまで働く事を放棄していた俺が、途端に強制労働をさせらたのだから無理もない。
作業労働を通じて働くことの喜びを知ることができた。世界にとって、社会にとって、俺と言う歯車が回っている感覚。ニートの頃に感じていたような疎外感が一気に払拭された。
出来る事ならば、この労働の対価も自分以外の誰かの為になるのならと、そんな似合わない事まで考えるようになった。
 
 
「2110番、気分はどうだ?」
独房を出た俺に刑務官が尋ねてくる。
「恐らく、嬉しいのだとは思います。正直、まだ実感がありません」
きっと刑務官は刑期を終える囚人全員に同じ質問をしているのだろう。
その時、他の受刑者は何と答えるのだろうか。折角なので訊いてみる事にした。
「普通はもう二度とここには戻りたくないと言うな。本来、刑務所とはそうあるべきだ」
彼は無表情で答える。それもそうか、と納得した。

連れられて独居房のある建物を出て、手続きの為に看守棟へと向かう。
途中、懐かしい建物が目に入った。俺が刑期の殆どを過ごした雑居房棟。
釈放される直前まで寝食していた、思い入れの深い場所。同室だった仲間は元気だろうか。作業に不満のある者、再犯を宣言していた者、俺は多くの人間とあの場所で出会った。きっともう、会う事もないのだろう。
どんな場所に居ても、人が変化する限り出会いと別れはあるのだなとしみじみ思った。
 
簡単な手続きを終えると、刑務官から二つのずた袋を手渡された。 
一つは入所時に持っていた荷物や着替え。そしてもう一つは、入所してから得た物だと言う。
入所してから特に物品を得た記憶が無い。内容を尋ねると、服役中の作業に対する心付けと手紙や差し入れの類なのだと教えられた。麻薬の営利目的販売などの罪で捕まった人間には部外者からの手紙を届けることができず、こうして出所時に纏めて渡されるらしい。
俺はそれらの袋を受け取った後、所長と担当刑務官の有り難い言葉に後押しされ、刑務所を出た。

562名無しさん:2013/08/05(月) 23:58:57

 
塀の外に出てもあまり実感がない。
刑務所は天国や地獄などではなく、結局ここと同じ現実世界の一部だ。出ただけで大きな変化を感じる理由もない。敢えて一つの感動を挙げるとするならば、見飽きた景色以外の光景を目にできている事くらいだ。

特に迎えの人間がいるわけでもなし。この場所に立っていてもただ虚しさばかりが残る。
俺は手渡された小金と逮捕時に所持していた金を使って、地元だった場所へと戻ることにした。


先ず向かった場所は実家。
両親には出所日が伝わっていた筈だった。だが迎えに顔すら出さない。勘当されているのだろうが最後に一言謝りたかった。
呼び鈴を鳴らして出てきたのは母親。
俺の姿を見るなり、扉を開けたまま家の中へと戻っていった。
事前に通報を入れたので、母も服役に行っていた筈だ。本来ならば犯さなかったであろう罪を俺の所為で犯してしまった。
母からの対応にショックなど受けない。俺はそうされて当然の罪を犯したのだから。寧ろ、約七年ぶりで俺だと分かってくれたことが嬉しかった。
戸を閉めて立ち去ろうとすると丁度母が戻ってくる。
「お父さんと話して決めました。もうあなたは大人です。これからは一人で生きてください」
母はそう言って手提げ袋を渡してきた。
「母さん。御免なさい」
深く頭を下げる。許してもらう心算などなかったが、反応も無く扉を閉められてしまうと流石に堪えた。
涙が出そうだ。
そんな悲しい気分になって手提げ袋の中身を見ると、身分証や必要書類の他に封筒が入っていた。その中に入っていたのは預金通帳と印鑑、そして約二十五年前の日付が書かれたメッセージカード。それは俺が産まれた日だった。

---------------------------------------------------------------------------
生まれたばかりのあなたを眺めながらこのメッセージを書いています.
将来あなたは何を目指して、どんな大人になるのでしょう。
あなたの夢を応援するために二十年間の貯金をすることにしました。
二十歳ではまだ夢も決まっていないかもしれません。ですが、もし決まった時にはお金が必要になるものです。
将来に向けて頑張るあなたが、あなたの為にこのお金を使ってください。

成人おめでとう。新人。    ママより
---------------------------------------------------------------------------

通帳には母親の薬物使用を通報したその月まで、毎月三万円ずつの入金記録があった。
ニートになった後も、暴力をふるった後も、金をせびるようになってからも、変わらず律義に振り込みが為されている。積もり積った貯金は七百万円近くの膨大な額となっていた。
文面を見るに、恐らくは俺が成人を迎える誕生日にでも渡す心算だったのだろう。その頃俺は獄中に在った。母親だってそうだったかもしれない。
俺にこの金を得る資格などない。だが、帰る場所すら失ってしまった身分では、突き返す事などできなかった。意地汚くその大金を懐に仕舞いこみ、ひとり路上で後悔の涙を流す。
父さん、母さん、御免なさい。

563名無しさん:2013/08/06(火) 00:00:05
俺には過去しかない。
数年ぶりに戻った外には“今”がない。人への連絡手段もないし、身分もない。

捕まったあの日のように、過去を振り返る。

通っていた都立高校は廃校になっていた。
空き地になったその場所を、随分と急に無くなったものだと眺めていると、横に並んでくる人間がいた。何処かで見覚えのある青年。名前もクラスも覚えていないが、同級生だった人間なのだと思う。
「母校が無くなってしまうのは悲しいものですね」
そう話し掛けてみた。
両親に捨てられ、過去の人間との繋がりすら失った俺は交流に飢えていたのだと思う。だからこうして人を求める。一、二言話せるだけでよかった。きっと、それだけで救われた気分になる筈だ。
相手の男は此方を見て、好意的に微笑みかけてくる。
「久しぶりです。そうですね、感情的な話をするならば、やはり悲しいというのが本音です」
彼もまた、俺の事を覚えていたらしい。どの程度だかは分からない。名前やクラスも知っているかもしれないし、漠然と顔や暴力事件だけを覚えているのかもしれない。
 高校生活など遠い昔の話。もうかれこれ八年近く前のことなど詳しく覚えていようもないが、この男とは在学中に交流が無かった気がする。実質的な初対面だが、母校が同じと言う共通点だけで身近に感じられた。
「俺は七年ぶりにこの街に戻ってきたもので、廃校には驚きました」
「そうでしたか。最近は廃校になる都立高校が多いですから、仕方がないのでしょう」
 以降、言葉も交わさず、二人並んで空き地を眺めていた。
 どちらからともなく、そろそろ、などと独り言のように呟いて、俺達は別れた。もうこの場所には来ることもないだろう。
 
 母校の廃校以上に衝撃を受けたのは、通っていたゲームセンターの閉店だ。
 元々ゲームセンターだった場所はカラオケ店に居抜されていた。街で唯一ビデオゲームが流行っているゲームセンターだったので、残念だ。
 ここにいた仲間は何処へ行ったのだろう。そもそも、仮にゲームセンターがあったとして、嘗ての仲間がゲームをやっている保障など何処にもなかった。
比較的若手だった俺ですらもう25歳になる。流石にゲームを辞めていてもおかしくない年齢だ。
 
 ゲームセンターだった場所の隣、あの806号室のあるビルへと昇る。
 疚しいことなどする心算もないので、階段ではなくエレベーターで上がった。
八階に着くと、丁度エレベーターに乗ろうとしていた一人の女性と擦違う。不審に思われては堪らないので軽く会釈。相手も笑顔でそれに応じ、何事もなくエレベーターに乗り込み、扉を閉めた。
嘗ては空き部屋だらけだったこのフロアも、半分くらい入居者がいる状態となっている。
806号室にも人が住んでいるようで表札には近衛と書かれていた。心中複雑だったが、全て終わった過去だと割り切って、806号室の前で踵を返す。
ここも今では俺の場所じゃない。


この街に、この世界に、俺の居場所などあるのだろうかと思い始めた。
やがて辿り着いたのは、中学時代に通っていた学習塾のあるビル。

当時あった塾など残っていない。
エレベーターに乗って最上階で降り、外の非常階段へと出る。あんな事件があったからか。施錠は厳重なものとなっていた。
だが、横から手を伸ばして解錠できるのは相変わらず。それでなくとも手すりの脇から侵入できそうだった。
難なく施錠を突破して、形式的に侵入対策が為された屋上へと上がる。
この場所だけは、何も変わらなかった。
相変わらず安全策が為されておらず、視界を遮るものは何もない。初めて知っている場所に帰ってきた気分になった。

屋上の隅に立ち、煙草を咥えながらあの時の事を思い出す。
俺が正光寺に嵌められてヤクザに追い詰められた日。そして俺が逮捕された後の話。

564名無しさん:2013/08/06(火) 00:01:08
まるで昨日の事のように覚えている。娑婆で過ごした最後の期間なのだから無理もない。

俺はあの日、文香に言われるがまま脱法ドラッグを飲んだ。
走馬灯のようにフラッシュバックする記憶と幻覚に溺れる中で、俺は文香の腹を殴られた。フェンスも何もない、云わば箍の外れたような屋上の、それも端でそんなことをされたものだから、俺の身体は大きくバランスを崩してそのまま落下した。
地上に叩きつけられれば即死は免れない。だが、俺は頭を痛めた程度で済んだ。俺が落ちたのは地面ではなく、すぐそこまできていた消防車のリフト上だった。江嵜が飛び降り自殺の予告をいれた為、その救助用に来ていたのだろう。
あの時文香が頻りに周囲や下の様子を窺っていたのは、きっとタイミングを計っていたのだと思う。一歩間違えば、俺は死んでいた。俺自身が納得していたとはいえ、普通は人を殺しかねないような選択などできない。迷わず俺を突き落とした文香は極限に於いて精神的に卓越した状態にあった。
薬物を使用させた理由は、俺の恐怖を和らげて抵抗を防ぐ為だと思っていた。実際に文香がどこまで計算していたのかは定かではないが、薬物を使用して転落したことで、俺は警察に身柄を拘束された。当初の計画通りに捕まってヤクザから逃れることに成功したのだ。
警察署に着く頃、俺は完全に意識を取り戻していた。
微量ながら所持していたドラッグ類の中に覚醒剤も含まれていた為、一時帰宅の自由もなく、すぐに調書が始まった。その場では洗いざらい罪を告白した。刑罰が重くなれば、外に出ることなく刑を受けられると思ったからだ。
そこで薬物の営利目的売買という行為の違法性が嬉しい誤算となり、初犯ながら一度の自由も与えられぬまま実刑判決が下された。服役期間の長さだけは当初こそ若干ながら不服ではあったものの、当然の報いだと自らを納得させた。

  
あの事件の後、俺は外との交流を厳しく制限された。
だからヤクザの動向も知らないし、正光寺がどうなったのかも、文香や江嵜が今どこで何をしているのか分からない。
 塀の中で過ごした約七年間で世界から置いてけぼりを喰らった感覚だ。
 ふと、出所前に手紙の類をまとめて受け取った事を思い出す。折角なので目を通そうと考え、俺は煙草を咥えたまま袋から一枚ずつ手紙を取り出していく。

 
 手紙は受信順毎にソートされているようだった。
 
江嵜からの物がその大部分を占めている。彼女からの手紙には、待っている、だとか、好き、だとかそんなことばかり書かれていた。
俺が欲しいのは正光寺や文香に関する報告なのだが、恐らくその手の話題は送ったところで検閲に引っかかるのだろう。何も出所時に渡す手紙まで検閲しなくても良いと思うのだが。この国の仕組みはいい加減なものが多い。
 俺は未だに文香を愛している。だから江嵜の気持ちには応えられない。それでも外で想ってくれている人がいたという証であるこれらの手紙は見ていて温かい気持ちになった。
 当初は月に二、三通届いていた江嵜からの手紙も徐々に頻度が減ってゆき、最終的に二年もすると他人行儀な挨拶だけの手紙となり、それを最後に途絶えてしまっていた。仕方がない。時間が経てば人は変わる。いつまでも俺に縋っているのは彼女の為にならないし好判断だと言える。これが彼女自身にとって最良の選択になると理解していながらも、唯一の帰るべき場所を失ってしまったような物悲しさに苛まれる。
 他に届いていたのは親からの手紙のみ。その内容も勘当を言い渡すものと、御尤もな説教だけだった。
 
 正直、文香からの手紙が一枚も無かったのはショックだった。
 彼女の事だから、送った際に内容が検閲に引っかかり面倒になったのかもしれない。そうだとしても、その一通で送るのを止めてしまったという現実が悲しかった。
 獄中で俺は文香と再び会える日の事ばかりを考えて過ごしていた。唯の一度も彼女への愛が薄れたことなどない。
 だが、彼女は違ったらしい。そもそも彼女は真っ当な恋愛経験が少ないだけで、男性経験は豊富なビッチだった。当分娑婆に出てこないような男に見切りをつけるのも極自然なことなのかもしれない。
 
 読まなければ良かった。
 手紙を見てしまった事で完全に全てを失ったような感覚に陥ってしまった。

565名無しさん:2013/08/06(火) 00:02:11

 江嵜からの手紙には彼女の住所が書かれている。
 彼女に会いに行ってみようと思った。恋愛だとかセックスだとか、その類の邪な気持ちは一切無い。
 ただ俺を、新人を知っている人間と会いたい一心だった。
 
 最初に知り合ってから十年以上が経過して、初めて彼女の家がこの建物の近くだと知った。
 歩いて数分で目的の住所に辿り着く。小奇麗な江嵜らしい一軒家。
 呼び鈴を鳴らす。親御さんが出たらどうしようなどと不安になった。やがてインターフォン越しに声が聞こえてくる。
「はい、江嵜ですが」
年紀の入った女声。江嵜の母親なのだろうか。
 不審人物だと思われないように自己紹介をする。
「娘さんの中学時代の同級生なのですが、彼女はいらっしゃいませんか?」
 尋ねると、彼女は思い出したように口調を変えた。
「あなたが新人さんですか?」
「はい」
 あまり好意的ではない声音だったが、偽る理由もない。俺は肯定した。
「娘からあなたが来た時にと伝言を授かっています」
「そうですか。インターフォン越しで良いので聞かせていただけますか?」
「新人さんの事は愛していました。でも、私は心から尊敬できる男性と出会い結婚を決めました。だから御免なさい。さようなら」
 “伝言”する声は泣き出しそうなもので、俺はこれ以上この場所に居てはいけないのだろうと思った。
 
江嵜はもう俺の帰るべき場所じゃない。。


もう、俺の帰る場所など何処にもない。


俺はニートになって、至上の今を求めた。
未来や将来、そういったものはタブーな存在。ニートには今しかなく、先など無い。

確かにその通りだった。
 ただ今の楽ばかり求めて努力をせず、何も積み重ねない。そんな生き方をしていた人間には未来まで資産を引き継ぐことなどできない。自由であったり、金であったり、人間関係や思い出、そういったあらゆるものを維持することができない。
 当たり前の事だ。今ばかりに拘って将来を放棄した人間は、未来に向かって変化を続けるそれら全てに置き去りにされる。
 
 俺があれだけ大事にしていた今は六年半前に終わった。
 そして、今。俺には何もない。
未来を見据えて動こうとしなかった俺は何一つとして引き継げなかった。
手元の金だって、普通に生きていても得られたはずのものだった。寧ろ、真っ当に受け取っていればもっと真面な使い方だってできたのかもしれない。

俺はニートになった事を完全に後悔している。
今を堪能していた時間の何十倍もの期間、この後悔をし続けなければならない。
 割に合わないとは正にこの事だ。少し考えれば分かるような現実にすら俺は気付いていなかった。
  
 過去の俺が目の前にいたならば教えてやりたい。殴ってでも改心させてやりたい。
 そんな無意味な後悔で、今度は現在ですらなく、過去ばかりを見たい気分になる。
だが、現実はそれを許さない。何もかもを失った俺は、前を向かなければ文字通り死ぬ。くだらない後悔で後ろを向いたまま、二十代半ばで惨めに生涯を終えてしまう事になる。それだけは嫌だった。

566名無しさん:2013/08/06(火) 00:02:54

  
 俺は文字通り人生をリセットすることにした。
 誰も俺を知らない、何もないところから、親からの手切れ金と出所時の心付け、それと手荷物だけを元に人生の再出発をした。
 保証人なしでは碌に部屋も借りられず、住所と携帯電話がないと仕事も見つからない。
採用面接はアルバイトを含めて悉く落とされてしまう。五十回近く面接で落とされ続けたが、幸いにも小さな警備会社の準社員として採用され、同時に社宅も利用できることとなった。
仕事は忙しく、給料も碌に出ない。
それでも住所があり、携帯電話が使えて、月々の収入があり、飯が食えるという当たり前にありつくことができた喜びは大きかった。
 
 
 暫くして試用期間が終わり、社員数も増えてくると、金銭的にも時間的にもそこそこ余裕が生まれた。
 同世代で真面目に生きてきた人間に比べればクソのような生活環境なのだろうが、個人的に満足できるレベルにまで身辺が落ち着いた。積み重ねのない前科者としては申し分ない成り上がりだと言える。
 
 
珍しく定時で仕事を終えたある日。
俺は近くのゲームセンターへ行く事にした。求職中も、就職直後も、なかなか足を運ぶ機会のなかったゲームセンター。久々に見るその空間は様変わりしていた。
ビデオゲーム筐体の画面はブラウン管から液晶になり、全体的に小奇麗な印象を受ける。

真先に探すのはギルティギア。
結局、捕まったあの日から一度もゲームセンターには行っていない。
アクセントコアの稼働を間近に控えていた当時から七年の歳月が経過している。それこそギルティギアにXが四つ付いていてもおかしくはないだろう。
 心を躍らせながらビデオゲームコーナーを歩くと、すぐにギルティギアの筐体を見つけた。
 
 ギルティギアイグゼクスアクセントコアプラスアール。
 
 随分と大仰な名前の割には、アクセントコアにRがプラスされただけと言う代わり映えのなさ。
 俺の中には残念に思う気持ち以上の安堵があった。なんだ、まだ俺の知っている世界があるじゃないか。
 
 デモ画面を眺めていると、見慣れないランキング画面が表示される。
 最近のゲームはカードに個人情報を登録して全国ランキングを反映しているのかと感心した。純粋な進化を遂げているGGXXAC+Rに感動を覚える。
 俺は何の気なく、ランキング画面を眺めていた。知っている有名プレイヤーの名前もちらほらと見られ、この界隈の変化の無さを実感する。
 
「え?」
 
 画面を見ていて、思わずひとり声が出た。それだけ衝撃的な表示が為されたのだ。
 何もジャスティスとクリフの参戦に驚いたわけではない。
 ランキングの中に表示された、とある名前に俺は目を奪われた。心臓が大きく音をあげて鼓動する。落ち着いていられなくなるような感動、期待、高揚。
 
文香@Motive
 
 そんな文字が目に入ってきたのだ。
 おおよそ他人とは思えないプレイヤー名。俺が長らく焦れ続けた最愛のクソ女。文香。
 あまりの衝撃にいてもたってもいられなくなる。俺はすぐにプレイヤー情報を登録するカードについて調べた。
 カードには対戦戦績情報の他に、ホームゲーセンやプレイ時間などを表示できるらしい。
 俺も早速カードを作り、ポータルサイトにアクセスする。真先に選んだ項目はプレイヤー検索。文香@Motiveのプレイヤー情報を携帯画面に表示する。
 対戦成績や試合数もかなりのものだったが、それよりも俺はホームゲーセンとプレイ時間に興味があった。場所は偶然にもこのゲームセンター。よくプレイする時間帯は夜らしい。
 動悸が止まらない。今日も彼女は現れるのだろうか。
 俺はカードネームを登録して、ゲームを繰り返しプレイする。閉店までだって居てやろうという気分だった。彼女に会えるならば睡眠時間など幾らでも削れる。

567名無しさん:2013/08/06(火) 00:03:21

最初のプレイから二時間ほど経過する。
携帯電話で基本的な今作のコンボや立ち回りを覚えながらプレイしていると、そこそこ動けるまでになった。使用キャラは相変わらずテスタメント。強かったらしいアクセントコアテスタメントを使用できなかったのが残念でならない。
一通りのコンボや起き攻めのレシピを覚えて反復練習をしていると乱入者が訪れた。
 したらばの情報曰くGG_PLAYERかノーカードや弱いらしいので、それらであることを期待しながら相手のカード読み込みを待つ。
 やがて、画面にマッチングが表示された。
 
 文香@Motive  VS  新人@Motive
 
 プレイヤーネーム『文香@Motive』だった。
 手が震える。これは本当に文香なのだろうか。対戦が終わったら確認しに行こうと考えた。
 カードの読み込みが終わると、キャラセレクト画面で相手のカーソルが動かなくなる。俺が殆どプレイしていないから適当なキャラでハンデを付ける気なのだろうか。
 セレクト猶予のカウントが切れそうになった頃、俺は肩を叩かれた。
 振り向くとそこには一人の女。ショートカットの黒髪にパーマを当てた、眼鏡が知的な痩身の美人。
「文香、なのか・・・?」
 思わず尋ねる。様々な感情や気持ちが混濁し、何も考えられなくなる。
 そんな中で何とか捻り出した俺の問に、見違えるほど美人になった彼女は泣きだしそうな顔でこくりと頷いた。
 
 
 
 文香は全てを語ってくれた。
 
 先ず正光寺の事。彼は現在も行方不明なのだそうだ。
彼は文香と取り巻きの不良による証言によってヤクザに追われる身となったらしい。矛先はなるべく楽な方へ向けるのが効率的だから、きっと俺よりも正光寺を狙う方が楽だと判断したのだろう。証言もあるのだから筋も通る。
 正光寺宅のポストに彼のものと思われる小指と薬指が投函される事件があり、この辺りではニュースになったそうだ。
 彼はきっとヤクザに捕まった。狡猾な正光寺の事だ、上手く立ち回って、指の二本で手を打ったに違いない。何にせよ、きっと彼はもう表社会に戻ってくることはないのだろう。
 気の毒には思わない。だが、俺を嵌めた事に関する恨みも消えていた。
 今会えれば、今度こそ俺達は友達になれたのかもしれない。無論、正光寺がどう思っているかなど分からないが。
 
 次に文香の事。彼女自身、脱法ドラッグを所持していたこともあって、一度身柄を拘束されたらしい。
当時は未だMotiveの所持と使用に違法性が無かったため、別件で強引に保護観察処分とされていたのだという。
 俺と行動を共にしていたが客の斡旋などについては立証されず、罪を問われることが無かったようだ。俺にとってそれが気掛かりだったので安心した。
 何故手紙をだしてくれなかったのかと訊ねたところ、保護観察中は犯罪者である俺へのコンタクトが難しく、刑務所の名前すら調べられなかったのだという。寂しかったと本音を漏らすと『情けなくて可愛いです』などと言って頭を撫でられてしまう。馬鹿にされているように思えたが、不思議と悪い気分ではなかった。
 
恥を晒すならばまとめて晒してしまおうと考え、俺が捕まっている間の恋愛やセックス事情を彼女に問うた。
訊いておきながら怖くなる。冷や汗を掻く俺を眺めながら、彼女は焦らした末に悪戯な笑顔で答えた。
『ずっと、新人さんを待っていましたよ』
 嘘か真かも分からないそんな言葉一つで、俺は六年半想い続けた事が報われたような気分になった。

568名無しさん:2013/08/06(火) 00:04:33

  
 俺は社宅を出て、親に貰った資金を使い文香と同棲を始めた。
 街の外れにある、家賃の安い、古びたボロアパート。そこが俺達の城だ。
 
 1Kの風呂付き。
 一人暮らしを対象にしたような物件だったが、文香と過ごすと窮屈な感じはしなかった。寧ろ、お互いの距離が近く、安心感がある。
 夜は一つのシングルベッドで身を寄せ合って眠る。セックスの際は狭さを感じずにはいられないが、普通に寄り添って眠る分には不便が無かった。
 
 休みの日には二人でギルティギアをプレイするために出掛けたり、家でのんびり過ごしたりしている。
 文香は俺が出所した時に出会い易くする為にギルティギアを始めたらしい。それがどっぷり嵌ったらしく、今では俺が教わる側になってしまった。
 
 今日は出掛けずに家で過ごす休日。
 こういう暇な時間を使い、俺は簡単な物語を書くようになった。
 夢として小説家を目指しているわけではない、といえば嘘になるが、何よりも読みたいと言ってくれる読者の為に書くことにしている。
 俺の拙い文章のファン一号こそ彼女、文香だ。
「偶には目を休めてくださいね」
 彼女はそう言って珈琲を淹れてくれる。
「ああ、そうだな。休憩にするか」
 俺は狭い部屋に置かれたテーブルで文香と向かい合う。
 其々に珈琲とお茶請けのお菓子を用意して、少々早めの三時のおやつと洒落込むことにした。
「そう言えば、」
 俺はふとあの日の事を思いだす。
 ヤクザに追われたあの日。正光寺との電話や、逮捕、様々な場所を巡ったことばかり覚えていて忘れていたが、気になることがあったのだった。
 文香は当時に比べて少しだけ上手くなった笑顔で応じる。
「なんでしょう?」
「俺が捕まった日、母さんの部屋に入る前の事を覚えているか?」
 もう遥か昔になる。特に文香にとっては覚えている方が不自然なくらい前の事だ。
 案の定、記憶が曖昧なようで「あまり覚えておりません」などと言ってくる。
 俺達は各所を回るより前、一緒にシャワーを浴びた。風呂上りに文香が髪を乾かす最中、何かを言っていたのを覚えている。ドライヤーの音で聞えず、適当に微笑み返してしまったあの台詞が、今になって気になった。
「文香、ドライヤーしながら何か言ってただろ。あれ、なんて言ってたんだ」
 彼女はふふっと笑う。
「聞こえていなかったのですか?」
「ああ。それがずっと気になってて」
 ほんの些細な事。もしかしたら聞くまでもないような内容なのかもしれな¥い。
 眠いですね、だとか、今日は涼しいですね、だとか。そんなことのような気もする。
 文香は少し照れくさそうにこめかみを掻き、近付いて耳打ちするように言った。

「全部片付いたら一緒に暮らしたい、と言ったのです」

 艶っぽい声の後、温く淫らな吐息。次いで耳朶を舐めあげられる。
 与えられたくすぐったい感覚に、俺はすっかりその気になってしまった。その場で彼女を押し倒そうとする。
文香は『生意気ですよ、新人さんのクセに』と言った。俺は逆にマウントを取られてしまう。
制圧され、支配している感覚が堪らない。俺を見下す文香の妖艶な姿が魅力的だ。その旨を伝えると、彼女は蔑んだような、それでいて愛おしむような表情をする。
「手の施しようもないダメ人間ですね」
「言ってくれるなぁ、クソ女」
 昼間から、セックスの名を借りた暴力と支配のシーソーゲームを繰り返す。
 休憩という当初の目的はどこへやら、狭いボロ屋の一室で俺達は何度も行為を繰り返した。

 金銭的な余裕は少なく、暇だって多くない。親も友人も、思い出すらも無くしてしまった。
 それでも帰るべき場所があり、其処には愛しい人がいる。

そんな当たり前の日常が、物凄く贅沢で充実したものに感じられた。

この日々こそ、未来に引き継いでいきたい資産だ。
  
 
    ----おわり!----

5691:2013/08/06(火) 00:10:53
 
以上でこのお話は終わりになります。

最後に出しそこなった人物紹介を、


新人 ・・・主人公。暴力沙汰で退学になったことを切っ掛けにニートとなったギルオタ。
小川 ・・・金髪オールバック、鼻ピアスの不良。薬物を大量に所持、販売している。
江嵜 ・・・新人と面識のある美少女。中学時代に塾が同じだった。
文香 ・・・支配と暴力と薬物に魅了された売女。作中で最も若く、不登校だが女子高生。
正光寺 ・・・新人を苛めて暴力沙汰を起こさせた元凶。背格好から能力まで新人に似ている。

 
スレ立てから七年、なんとかお話を完結させるに至りました。
なんというか、表現しがたい感覚。序盤を読み返して、酷いものだな、と変な笑いが出たり、うれしいような不満があるような。

ニートに対する憧れがあっても、多くの人間がそれを選択しないのはデメリットの大きさを理解しているからなのだと思います。
貯金があろうが、多くの人間は積み重ねを怠ることを恐れます。どんな些細でクソのような積み重ねや未来であっても、なかなか放棄する踏ん切りがつかないのでしょうね。
 
積み重ねて何らかの結果が生まれると、嬉しいものです。
こんな駄文であっても一応終止符を打つことができると、大満足なのですから。

5701:2013/08/06(火) 00:13:07
 
やったあああああああああああああああああああああああああ
終わったあああああああああああああああああああああああああああああ
 
誰も見てなくてもうれしいいいいいいいいいいいいいいいい


終わらせてあげることが書き出した物語への最大の恩返しなんて言っていた知り合いがいますが、なんとかそうしてやることができました!
あとはイグザードでギルティギアに人が戻ってきてくれたらいいなあ

5711:2013/08/06(火) 00:16:06
 
ガタガタきている設定と序盤の酷すぎる文章を修正して、しっかりした話に纏め上げてみようと思います。
何らかの形で公開できたらいいな、
 
 
ってことで以下はその修正版の公開か自分の落書き帳に使います!

5721:2013/08/18(日) 17:32:51
Xrdロケテ行ってきましたが、勢いが今週のP4ロケテに負けてたなあ。

573名無しさん:2013/08/19(月) 23:01:43
ぷうてすと

574名無しさん:2013/12/23(月) 03:12:45
にいにい

575名無しさん:2014/01/13(月) 12:19:01
めちゃくちゃ懐かしいw
完結してたのかww
お疲れ様でした。

576名無しさん:2014/03/15(土) 14:43:54
Xrd記念あげ

577名無しさん:2014/03/15(土) 14:44:05
Xrd記念あげ


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