- 1 :( ´・ω・`) :2025/11/10(月) 18:53:48
- 過去ログ
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334〜364
- 8 :( ´・ω・`) :2025/11/15(土) 08:48:55
- 名無しさんは雑談(連投規制)スレッドに来た時、ご自身のテーマである「怒り」の話を切り出したよね。
その話を本来したかったのではないのかな。
> 332 名無しさん[] 2025/11/03(月) 07:46:35 ID: > > 「怒り」というのは私にとってもテーマのひとつでして、怒りの対象が亡くなったあとでも、まだ怒っている自分に気がついたりします。 > まぁ、ここらは各々で探求していくしかないんでしょうね。
「各々で探求」と書いているから、あまり突っ込んだ話になっても戸惑うかもしれないし、ただそれがテーマになっていることを書きたいだけだったのかもしれないけれど。
で私はズレた返答をしているし、自分の話を始めてしまっているので、あんまり受け止められてないよね。 まあ名無しさんは共感とか同情されるとかはあまり好きではなさそうだけれど。 そのあと話は、私の表現へのツッコミとか、一般論の方にずれていく。
- 9 :( ´・ω・`) :2025/11/15(土) 08:57:06
- > 345 ( ´・ω・`)[sage] 2025/11/06(木) 17:18:54 ID:
> > >>337 > >>339 > 名無しさんこんばんは。 > その本は本屋さんで何度か見かけて中をパラパラしてみたのですが、自分自身のトラウマが蘇りそうだったので、とりあえず買うのはやめてました。 > その連想でそっちに行くのはよく考えて下さったんだなと思います。 > あんまり引きずられないよう、お大事に。 > ウルフルズはいいものです(楽しいので) > > ちょっと想起的なので心理関係の話は私はしばらく黙ってみてようと思います。 > 私からがっついておいてすみません。 > > 「性暴力」と「性犯罪」の相いれなさというか定義の重なりながら弾かれる難しさについては、個人のトラウマの語りであるのか、法律や裁判という社会での解決であるのかという場によって変わると思うのですよね。 > なので私はだいたい、いつも、トラウマとは私的なものである、と唱えております。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 10 :( ´・ω・`) :2025/11/15(土) 09:08:59
- > 346 名無しさん[] 2025/11/06(木) 19:25:14 ID:
> > >>345 > こんばんは。 > 語れないことで苦しむ場合はあるでしょうね。ただ、自分が語る言葉によって自らが傷つく場合があるので、そちらも気になります。ご自愛ください。 > > 分類・名付けという知的作業は必要でしょうが、名付けた途端に、個々の差異が無視されてしまう。しかし名付けなければ物が言えない。 > 私はぐっと抽象的に、「強いられたことによって傷ついたもの」を想定しています。そして「人になにかを強いるのは悪だ」と。「罪」の語がなぜか組み込まれていないのですが。 > > 「トラウマとは私的なものである」 > > この言い方だと、本来、社会が背負うべきものを、個人が肩代わりしているケースが想定されるので首肯しにくいです(社会の無責任を追認してしまう)。 > 他者の認定や判定に搦めとられないという宣言ならば、「私のトラウマは私のものである」という言い方はいかがでしょうか。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 11 : ( ´・ω・`) :2025/11/16(日) 16:06:39
- 一般論とするのは乱暴かな。
PTSDの本を読み始めたのはたぶん2000年くらいからだと思います。1996年にはものすごく足りないながら、学校の講義で地下鉄サリンか阪神大震災かどちらか選んで、グループで取材しなさいという課題が出て、新聞記事でPTSDについて調べました。 性被害について治療法を調べようとするともれなくついてくるのが戦争や災害のトラウマを背負っている人たちの体験談だった。
避け難い大きな力に家族や親族や知り合いが連れて行かれて(時には根こそぎ)恨む相手もいない。
きちんとした手を打たなかった国や行政がこの場合公になるでしょうか。
闘う相手がいる時に、トラウマを私的なものだと言われても勝手が違う、と思いますよね。
> 私はぐっと抽象的に、「強いられたことによって傷ついたもの」を想定しています。そして「人になにかを強いるのは悪だ」と。「罪」の語がなぜか組み込まれていないのですが。
私は、自分のトラウマについて語る時は個別具体的に語らないと危ないなと思っていて今のスタイルを取っています。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 12 : ( ´・ω・`) :2025/11/16(日) 18:14:50
- >>11
『哲学』って抽象的なイメージがあるかもしれないけれど、夢まぼろしや夢想家という意味ではなくて、もっと言葉に厳密なのが哲学の実際であるようです。 (そういう意味では本当の意味での抽象化をしている)
私がそれを知ったのは二階堂奥歯さんの本を読んで以降でした。 私が高校の頃図書館で読んだ哲学書はなんだかとても浮世離れしていて、読んでいるとどこかに浮き上がっていって戻れなくなりそうでした。 死なないために哲学を読むのはやめようと思いました。
(私が死なないためにやらなかったもの、タバコ、バイク、哲学)
だけど、奥歯さんの本を読んでから触れてみた哲学の本は、言葉によって足場を作り、言葉によって次の場所へと移り、またそこで新しく定義をしていく、刷新していくものでした。
そういう意味での哲学に、名無しさんは向いているのではないかと思います。 (私は記憶力の点と性格が雑なのでかなり向いていません)
- 13 : ( ´・ω・`) :2025/11/21(金) 22:16:30
- 名無しさん呆れてしまったかな?
まあ私も元気かというとあんまり元気でもないのでゆっくり待とう。
- 14 :( ´・ω・`) :2025/11/23(日) 17:19:19
- 昨日こういう本を見かけて、目次を読んだ。
『「殺された側」から「殺した側」へ、こころを伝えるということ』藤井 誠二(光文社新書 1387)
恐らくだが修復的司法についての実際が書かれていると思う。
『当事者は嘘をつく』の小松原さんが著作の中で怒りを感じていた小西聖子さんは、もう何十年も前から犯罪被害者について調査して書いている。加害者の当時の更生の難しさについても調査されていた。 その上での言葉だと小松原さんはどれくらい分かっているのか、と思う。 きっかけとして単に流していいような人ではないと思う。
一方で、きっかけとして研究に奮起できたのは、悪いことではないとも思う。
私自身は修復的司法を望む人間ではないが(加害者の考えを知りたいと思わないため)、『弟を殺した彼と、僕。』原田正治(ポプラ社2004)を昔読んで、加害者に死刑を望まず対話しようとする遺族がいることは理解している。
私自身が書名がひっかかってなんとか飲み下そうとしているが、ここら辺の話題は目次を見るだけでも動悸がしてくる。 昔は解離しきっていて読めたもんだがね。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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