- 1 :元文学青年の俺 :2025/09/04(木) 11:12:21
- 5チャンネル文学板の「元文学青年の俺が俗物を徹底的に馬鹿にするスレ」
がどういうわけか急に長文の書き込みを拒否し出したので、こちらを「避難所」 として使わせていただくことにした。
5チャンネル文学板への書き込みが失敗した場合に、このスレに書き込む ことにする。
書き込む内容は、特にスレのタイトルにこだわることはなく、広く気ままに あれこれを書きつけてゆく予定。自分の雑談用のスレと言っていい。
- 230 :元文学青年の俺 :2026/01/09(金) 13:07:16
- それにしても、食べ物は言葉で表現すると、実にうまそうに感じられる。
不思議である。 やはり言葉にはこくがあるということなのだろうか。
- 231 :元文学青年の俺 :2026/01/10(土) 13:45:44
- ちなみに、食べ物を扱った詩歌の中で自分の好きなのは以下の芭蕉の句。
--------------------------------------------------
梅若菜鞠子の宿のとろゝ汁
(うめ わかな まりこのしゅくの とろろじる)
--------------------------------------------------
とろろ汁を詠んで随一の句である。
もっとも、ほかにとろろ汁を詠んだ句は知らないけれど(笑)。
読んでよだれが出そうな感じである。
- 232 :元文学青年の俺 :2026/01/10(土) 13:47:11
- とにかく、この句は昔からいい句だなと思っていて、それで満足し、詳細に
ついては知らなかった。 今、蔵書にある山本健吉著『芭蕉全発句』(講談社学術文庫)で調べてみたら、 以下のように解説があった。
-------------------------------------------------- 元禄四年正月、大津乙州邸で、商用で江戸へ下る乙州のための送別の席での 歌仙の発句。 (中略) 句意は、これからあなたが下って行く東海道の道中には、初春のこととて梅も あり、若菜もあろう。あの鞠子の宿には名物のとろろ汁もあって、あなたを 楽しませてくれるであろう、というほどの意。旅立ちをことほぐ意味を籠めて、 道中の目や口を楽しませる初春の景物を並べ立て、言い立てているのである。 早春の東海道の景趣が眼に見えるようである。 (以下略) (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 233 :元文学青年の俺 :2026/01/10(土) 13:48:08
- なるほど。そういった背景があったのか。
鞠子の宿がととろ汁を名物としていたのも初めて知った。
しかし、すでに述べたように、文学は意味が詳細、確実にわからなくても 感動できるのである。
- 234 :元文学青年の俺 :2026/01/12(月) 13:49:27
- 別のスレで印象に残ったセリフがあった。
もったいないので、こちらにコピーしておきます。
-------------------------------------------------- 918: ( ´・ω・`):2026/01/10(土) 19:42:09 言葉だけは何があっても懐に入れていける。 --------------------------------------------------
- 235 :元文学青年の俺 :2026/01/12(月) 13:50:44
- ちなみに、このセリフを
言葉はどこにでも懐に入れていける。
と変えてみると、なにやらランボーの詩なんかに出てきそうである。
- 236 :元文学青年の俺 :2026/01/12(月) 13:52:33
- >>227~229の西村賢太氏の話題に付け足し。
西村賢太氏はタクシーで移動中、体調不良になり、病院に乗り付けられ、 ほどなく亡くなったと聞いている。 その最後の間際にはたして少しは意識があったのかどうか。
>>202で、小林一茶の心境を推察して、 「俺は芭蕉を師と仰ぎ、芭蕉のたどったその道を自分も一心不乱に歩んできた。 俺の一生に悔いはない」との思いがあったのではないかと述べた。
一方、西村賢太氏は、藤澤清造を師と仰ぎ、頻繁にその菩提寺の墓に詣でていた ことが日記でわかる。 そうすると、死の間際に、一茶と似たような、「俺は藤澤清造を師と仰いで、 それと同じ私小説の道を一心不乱に歩んできた。俺の一生はそれほど悪いもの ではなかった」という思いが浮かんだかもしれない。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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