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連投規制で書けなくなった人あつまれー ★7
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前スレ
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12252/1399568484/
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余談だがアルチュセールとかはラカンと懇意だったりしたんだよな
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じぶんではった
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うをむかつく
はっといて
>>591
ちょっと何言ってるのかわかんないです
人間主体と論理で描く矛盾は関係している
なぜなら論理は人間主体が作るのだから
人間主体と論理だけではなく方程式も公文式も関係している
なぜなら論理も方程式も公文式も人間主体が作るのだから
おk?
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あ、むかつくってのはれんとーきせーね
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どうでもいいが星矢ブラゲをやってるのだが
オリジナル(アニメ版?)ストーリーを忠実に再現していたりして
おそらくアニメで実際に言ったセリフをゲーム内でキャラが言ったりするのだが
それでな
こう、ミスティってシルバー聖闘士がいて、「私は美しい」とか言うキャラなんだが
それに対して星矢が
「一つ教えてやろう、男のからだに傷一つないのは自慢にならん!」
ってセリフを言うのだね
これって去勢っつうかΦ(Φは去勢じゃないという小笠原理論で揺れているので)なんじゃねえかなあ、とか思ったり
Φってのはシニフィエは−φであって「切断されたペニス」であり「傷跡」なんだよなあ、と
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じぶんではった
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れんとーきせー解除長くなってね
超越論って単語が問題なんだよな
超越論って形而上学と同じ意味だよな
構造の外にあるものが、「超越した何か」「形而上の何か」か、精神分析が扱っている精神疾患などと言った形而下のものか、という違いがあると
ここで勝手に補注しておきたい
ラカンの「構造からこぼれ落ちたもの」は「超越的な何か」「形而上の何か」ではないんだよな
それは症状として表れるもので、つまり形而下学からのアプローチであるのが精神分析
>>612
>ようするに、シンボル形式の類いを成り立たしめるのが「価値」という考え方が非常に嫌なんじゃないか、
>と思うものだ。
>ニーチェに関しても、「存在を価値とすることで、ニーチェは形而上学に逆行した」
これ重要だなあ
このニーチェの「存在を価値とすること」というのは「仮象であることをわかって仮象を生きること」「力への意志」
という意味だと解釈していいのだろうか
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連続投稿規制の期間があまりにも長いのでしばらく引退。
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雑談スレの続き
記憶の言う「物自体」も自我理想的な何かだと思うのよな
自我理想とは誤解をおそれずあくまで平たく言えば(なので正確ではないが)、自分が憧れている他人なんかそうなんだな
人ってのは自分が憧れている誰かに「役に立ちたい」と思うものだろう
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>>959
いや、物自体を特別視してはいない。存在の根幹が存在すると信じているだけだ。
もし、存在しないなら、唯心論や独我論が正しいことになるが、それは支持しない。
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>>960
物自体とは存在するのでもないし存在しないのでもない
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わたしは、記憶の「物自体は存在する」とする立場も支持しないし、「物自体は存在しない」という立場も支持しない
○○でもないし、○○じゃないのでもない、という考え方は仏教の「八不」という概念で言われてることなんだな
なのでわたしは「存在するのでもないし存在しないのでもない」という意味で「不存在」という単語を用いたりする
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>>961
それは仏教だ。カント哲学ではない。
カント支持者は、存在の根幹として物自体が存在すると信じている。
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>>963
わたしはカント支持者だがそう考えておるよ
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記憶というカント支持者の一人が「存在の根幹として物自体が存在する」と信じているわけだな
それはそれでいいよ
わたしというカント支持者はそうじゃないってだけ
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>>964
流派がちがうな。記憶派ではない。
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うむ、>>965ということでよいよw
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記憶という個人と、わたしという個人の、「物自体」の解釈が違うだけだ
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>>967
物自体が存在しないというのがカント哲学になるのかな?
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つかカントの物自体といのはある種の独我論なんだがな
「物自体は認識できない」とはそういうことだ
人は自分が認識できるものしか認識できない、というのが独我論
物自体という概念が独我論と相反するという考え方が物自体を理解できてないと思うよ
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>>969
君は何を言っているんだ
わたし個人は、「物自体」という概念について、「存在するものでもないし存在しないものでもない」と解釈している
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>>970
いや、それはおかしい。
ちなみに、例として阿頼耶識をあげるが、
認識できない世界の存在も独我論では阿頼耶識という感覚によって認識し存在することになる。
それなら、仏教だが、
おれの読んだ純粋理性批判には、そのようには書いてなかった。中山元訳だ。
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>>972
阿頼耶識って仏教の概念だろう
何言ってるんだ君は
仏教において認識できない世界は存在するものでもないし存在しないものでもないわけだから、
「存在しないのではない」という部分の話なんじゃね
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わたしの読んだ純粋理性批判には「独我論は支持しない」とは書いてなかったと思うが
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まず記憶は自分の頭を整理してくれ
仏教の話
独我論の話
物自体の話
わたしはこれらの話は同じ話だと考えてるんだな
空即是色であり、一切は空であるというのが独我論で、「認識できない物自体」とは空の外部を意味しており、涅槃みたいな意味だと
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カント「純粋理性批判」1巻92ページには、
053 物自体は認識できない
(前略)人間の感性が思い描く像に真の意味で対応するのは物自体であるが、
これは空間という形式によってはまったく認識されず、認識されえないものである。
とあり、感性が思い描く像に真の意味で対応するものだとしている。
これは独我論を意味しない。
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別に記憶の考え方とカントの考え方が異なってもいいものであろうに(なぜなら記憶とカントは別人だから)、
なぜ記憶は自分の考え方をカントの考え方だと主張したがるのかね
これが記憶がカントを自我理想にしているってことだと思うんだよね
よって、記憶の自我理想としてのカントの言う「物自体」は本来の意味とは異なっていると
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>>976
その「感性」が何かによるな
認識されはしないが、人間は物自体と死の欲動によって関係しあっているとはわたしは思う
記憶の「感性」は物自体と対応してないと思うよ
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「想像したこと」も「認識」に含むか含まないかという話になるのか
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ん? おれはカント支持者といっているが、カントがとはいっていない。
それと、おれの自我理想だというのはミニハンの妄想である。
それぞれの思う物自体観があっていいといっておきながら、結局、おれの物自体の意味が本来と異なっているとするのは、
いかがなものか?
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記憶の「感性」は、カントという自我理想としての認識と対応しているのであって、その一部として「物自体」を理解しているゆえ、
それは物自体ではない
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>>980
>カントがとはいっていない。
言ってるじゃんwww
>>976とかは「カントがそう言ってる」ってことだろ
お前何言ってるんだよ
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>>980
>それぞれの思う物自体観があっていいといっておきながら、結局、おれの物自体の意味が本来と異なっているとするのは、
>いかがなものか?
なんで?
「物自体の意味が本来と異なっている」「記憶の思う物自体観」があっていいと思うよ
それは記憶の自我理想の産物としてあるとわたしは解釈(妄想でよいが)しているわけで
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>>981
カントがどんな人物か知らないし、おれの知るカントは純粋理性批判の著者であるカントであるから、
なぜ、自我理想と決めつけるのか?
おれの自我理想は世界の支配者だと思うのだけど。
カントの一部としてではなく、純粋理性批判の一部として理解しているであるな。
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>>983
ミニハンの想像する記憶の物自体観は、物自体と記憶の感性に対応していない。
ただし、ミニハンの想像する記憶の物自体観は、ミニハンの感性と物自体と対応している。
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>おれの知るカント
自我理想とは「おれがこう認識している他人」であるよwww
だから自我理想とは認識の中の世界であり、形而内の話だと言っている
>おれの自我理想は世界の支配者だと思うのだけど
別にそれでもいいよw
自我理想は特定の誰かである必要はないからな
その人のそういう認識の仕方すなわち精神のあり方だから
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>>985
「誰かの感性」という話ではないよ
死の欲動は誰にでもある
死の欲動による感性は誰にでもありうる
しかし、人は死の欲動ではない感性がある
記憶の自我理想という感性によって理解されている物自体はカントの言うそれは異なるとわたしは考えている
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物自体とは何かについて検証し意見をすり合わせるのであるならよいが、
ミニハンの妄想する記憶の物自体についての話に付き合うというのは、
ちょっと気分を切り替える必要があるので、そういうつもりならそういってくれ。
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で、わたしが考えるように、記憶が自分の考える「物自体」がカントの考える「物自体」と異なっているのを認められないのだろ
それがカントを自我理想としているあるいはカントと鏡像関係にある(カントと同一化している)ということだと思うんだよなー
鏡像関係の一つのあり方が自我理想ね
自我理想以外の鏡像関係のあり方もある
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物自体の話ではなく、自我理想の話に変えていいかな?
自我理想とは誰の提唱したどういう概念なのかいってくれ。
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>ミニハンの妄想する記憶の物自体についての話に付き合うというのは、
わたしの気持ち理解できたか
わたしはいつも「記憶が妄想するミニハンの話に付き合わされて」いる
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>>990
元はフロイト
ただしフロイトは自我理想と理想自我という二つの単語を曖昧に使っているんだな
これを厳密に区別したのがラカン
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おれはカントより残忍な思想をもっていると思うし、
カントより慈愛に満ちた政策提言をしていると思う。
カントは最も自分の思想と近い哲学者ではあるが、おれの理想ではない。
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>物自体とは何かについて検証し
そもそも認識できないのだから検証もできないだろ
>意見をすり合わせるのであるならよいが、
なぜ「意見をすり合わせる」必要があるのだ?
認識できないものならそも意見がすり合うもすり合わないもないだろう
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>>993
>カントは最も自分の思想と近い哲学者ではあるが
それが記憶の精神において「自分とカントが鏡像関係にある」ということだよ
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>>994
0は存在しないし認識できないが、意見をすり合わせ検証することはできる。
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ああそうそう、物自体は0ではないよw
「無」や「0」とはそういう概念(つまり認識のうちの一つのあり方)でしかない
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>>997
次スレ立てれる?
ヒッグス粒子が宇宙にひしめき合っているらしいが、
無が存在し、0が存在すると信じる人たちがいる。実際に便利な概念だ。
物自体は認識できないが、物自体という概念を認識することはできる。便利な概念だ。
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>>998
いやだれでも立てれられると思うがw
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たてた
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