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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

802鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/16(火) 23:03:31 ID:1d4drIFg0
例え悟りのための伝統であっても囚われればそれが障害になるのじゃ。
煩悩になるとも言えるのじゃ。
法統のために欲や怒りや愚かさが起こるからのう。
法にも囚われず、法統にも囚われないようにするのじゃ。

803避難民のマジレスさん:2019/04/17(水) 07:42:51 ID:LC3de7YgO
>>801
『I AM THAT 私は在る』
【97 マインドと世界はひとつ】(つづき)

 質問者 自己を正しく知ることで、どのような証明を私は得るのでしょうか?
 マハラジ
 証明の必要はない。
 その体験は唯一無二の、まぎれもない明白なものだ。
 障害がある地点まで取り除かれたとき、悟りはあなたに突然開かれるだろう。
 それは極度に張りつめた縄が、ぷっつり切れるようなものだ。
 縄を縒(よ)ることがあなたの仕事だ。
 縄の切れる瞬間はかならずやってくる。
 それを遅らせることはできても、妨げることはできないのだ。
 質問者 私はあなたが因果関係を否定されたことに混乱させられています。
     それはつまり、世界がありのままであることは、誰の責任でもない
     ということでしょうか?
 マハラジ
 責任という概念は、あなたのマインドのなかにある。
 あなたは起こることすべてに対して何か、あるいは誰かが完全な責任を取ら
 なければならないと考えている。
 多様な宇宙と単独の原因との間には、ある矛盾がある。
 二つのうちのどちらかが偽りに違いない。
 あるいはどちらともだ。
 私が見るかぎりでは、それはすべて白昼夢だ。
 概念のなかに実在はない。
 事実は、宇宙もその原因も、あなたなしで存在のなかに現れることはできな
 かっただろうということだ。
 質問者 私には自分が創造物なのか、それとも宇宙の創造主なのかを見てと
     ることができません。
 マハラジ
 「私は在る」が変わらぬ事実だ。
 一方、「私は創造された」はひとつの観念だ。
 神も宇宙もあなたのもとへやってきて、彼らがあなたを創造したと伝えはし
 なかった。
 因果関係の概念に取りつかれたマインドが創造を発明し、そして「創造者は
 誰なのか?」と不思議がるのだ。
 マインド自体が創造者だ。
 これさえもまた完全な真実ではない。
 なぜなら創造されたものと創造者はひとつだからだ。
 マインドと世界はひとつだ。
 あなたが世界として考えているものは、あなた自身のマインドなのだという
 ことを理解しなさい。
 質問者 世界はマインドの外にあるのでしょうか、それともその彼方にある
     のでしょうか?
 マハラジ
 すべての時間と空間はマインドのなかにある。
 どこにマインドを超えた世界を位置づけるというだろうか?
 マインドには多くのレベルがあり、それぞれがそれ自身の解釈を投影する。
 それでも、すべてはマインドのなかにあり、マインドによって創造されたも
 のなのだ。
 質問者 罪に対するあなたの態度はどのようなものでしょうか? あなたは
     罪人を、内面または外面の法則を破った誰かをどう見ますか? あ
     なたは彼に変わってほしいと願うでしょうか、あるいは、ただ彼を
     哀れむだけでしょうか? または、罪を犯したゆえに無視するので
     しょうか?
 マハラジ
 私はどのような罪も罪人も知らない。
 あなたの区別や評価が私を拘束することもない。
 誰もがその人の本性にしたがってふるまうのだ。
 それはどうすることもできないことであり、遺憾(いかん)に思う必要もな
 いのだ。
 質問者 他者が苦しむでしょう。
 マハラジ
 生命は生命を食べることによって生きている。
 自然のなかでは、その過程は強制的なものだ。
 社会においては、それは任意のものだ。
 犠牲なしに生命はありえない。
 罪人は犠牲になることを拒む、そして死を招く。
 それはただ、あるがままであり、非難や哀れみの理由にはならないのだ。
 質問者 もちろん、ある人が罪に深く染まっているのを見るとき、あなたは
     少なくとも哀れみを感じることでしょう。
 マハラジ
 そうだ。
 私はその人を私だと感じ、彼の罪は私の罪だと感じるのだ。
 質問者 そのとおりです。そして、それからどうするのでしょう?
 マハラジ
 私が彼とひとつになることによって、彼も私とひとつになる。
 それは意識的な過程ではない。
 まったくひとりでに起こるのだ。
 私たちのどちらも、どうすることもできない。
 起こらなければならない変化が、とにかく起こるのだ。
 今ここで自己がひとつであることを知るだけで充分だ。
 自己のマインドのなかを熱心に、秩序立てて調査することがヨーガなのだ。
 質問者 罪によってつくり出された運命の連鎖についてはどう見られますか?
 マハラジ
 罪の母である無知が溶け去ったとき、運命である、再び罪を犯そうとする脅
 迫的欲求もまたやむのだ。
 質問者 そこには報復があるはずです。
 マハラジ
 無知が終焉(しゅうえん)するとともに、すべては終わりを告げる。
 そのとき、ものごとはあるがままに見られ、そしてそれは善なのだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

804鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/17(水) 22:59:12 ID:1d4drIFg0
西洋では罪とか罰の観念が宗教的に結び付けられているからそれを重視するのじゃ。
それもまた観念のみなのじゃ。
罪があれば罰するものがいる。
罰するものが神とか創造主というのじゃ。
それは親の観念が拡大されたものにすぎないのじゃ。

805避難民のマジレスさん:2019/04/18(木) 07:36:36 ID:LC3de7YgO
>>803
『I AM THAT 私は在る』
【97 マインドと世界はひとつ】(つづき)

 質問者 もし法を破る者、罪人があなたの前に現れ、あなたの恩寵を請うと
 したら、あなたはどう反応するでしょうか?
 マハラジ
 彼は彼の望む者を得るだろう。
 質問者 非常に悪い人でもあなたの恩寵を得るのでしょうか?
 マハラジ
 私は誰も悪い人を知らない。
 私はただ私自身を知っているだけだ。
 私はいかなる聖者も罪人も知らない。
 ただ生きる存在を見るだけだ。
 私は恩寵を施したりはしない。
 私には与えるものは何もないし、拒むものもない。
 あなたたちは等しい量をすでにもっているのだ。
 ただあなたの豊かさに気づきなさい。
 そしてそれらを充分利用するがいい。
 私からの恩寵を必要だと想像するかぎり、あなたは私の家の戸口でそれを乞
 うことになるのだ。
 私があなたから恩寵を乞うことはけっしてない。
 私たちは分離してなどいない。
 実在は共有のものだ。
 質問者 ある母親があなたに悲痛な話をもってやってきます。彼女のひとり
 息子が麻薬とセックスに溺(おぼ)れ、状況はより一層悪化するば
 かりです。彼女はあなたの恩寵を求めています。あなたはどう対処
 されますか?
 マハラジ
 おそらく私は、彼女にすべては良くなるだろうと私自身が伝えているのを聞
 くことだろう。
 質問者 ただそれだけですか?
 マハラジ
 それだけだ。
 それ以上何をあなたは期待するというのだろうか?
 質問者 しかし、彼女の息子は変わるのでしょうか?
 マハラジ
 変わるかもしれない、変わらないかもしれない。
 質問者 あなたのまわりに集まった人びとや、あなたを何年も知ってきた人
 びとは、あなたが「それはすべて良くなるだろう」と言ったとき、
 つねにあなたの言ったようになるのだと、皆口をそろえて話してい
 ます。
 マハラジ
 あなたは同様に、母親の想いが子供を救ったのだと言えるだろう。
 なぜなら、すべてに無数の原因があるからだ。
 質問者 自分自身のために何ひとつ望まない人は全能だと聞きました。宇宙
 全体は彼の思いどおりだというのです。
 マハラジ
 もしあなたがそう信じるならば、それにしたがって行動するがいい。
 個人的な欲望をすべて放棄しなさい。
 そして蓄えられた力を、世界を変えるために使うがいい。
 質問者 すべての仏陀たちやリシ(見者)たちは、世界を変えることに成功
 しませんでした。
 マハラジ
 世界は変わることに身をゆだねはしない。
 それはその本性からして苦痛に満ち、はかないものなのだ。
 それをあるがままに見るがいい。
 そしてあなた自身からすべての欲望と恐れをぬぐい去りなさい。
 世界があなたを捕らえ、縛りつけなくなったとき、それは美と喜びの住処
 (すみか)となる。
 世界のなかで幸福となれるのは、あなたがそれから自由になったときだけだ。
 質問者 何が正しく何が間違いなのでしょうか?
 マハラジ
 一般的には、苦しみを生じさせることが間違いで、苦しみを取り除くことが
 正しい。
 身体とマインドには限界があり、それゆえ傷つきやすい。
 それらが保護を必要とすることが恐れを生みだすのだ。
 それらと自己同一化するかぎり、あなたが苦しむのは避けられない。
 あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。
 あなたに言おう。
 これが幸福の秘密なのだ。
 あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、自己の真の本
 性に関するあなたの無知によるものなのだ。
 自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと知ることが
 智慧(ちえ)なのだ。
 質問者 存在と欲望、どちらが先に現れるのでしょうか?
 マハラジ
 意識のなかに存在が立ち現れるとともに、あなたが何であるか、また何に成
 るべきかという観念も立ち現れる。
 これが欲望と行動を生み、何かに成るという過程がはじまるのだ。
 成ることには、明らかにはじまりも終わりもない。
 なぜなら、それは毎瞬毎瞬、新たにはじまるからだ。
 創造と欲望が停止したとき、成ることはやみ、あれやこれとして在ることは
 純粋な存在へと溶け去る。
 それは表現することのできない、ただ体験することだけが可能なものだ。
 世界があなたにとって、それほどにも圧倒的に現実のものとして現れるのは、
 あなたがそれについてつねに考えているからだ。
 それについて考えるのをやめてみなさい。
 そうすれば、それは霧のなかに消えていくだろう。
 忘れる必要はない。
 欲望と恐れが終焉したとき、束縛もまた終わりを告げるだろう。
 私たちが人格や気性と呼ぶ、好き嫌いのパターンに感情的に巻きこまれるこ
 と、それが束縛をつくり出すのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

806鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/18(木) 22:00:05 ID:1d4drIFg0
自分があるという観念から、孤独や恐れが起こり、それを逃避するために欲も起こるのじゃ。
この反応が続いている限り、心を詳細に観ることはできないのじゃ。
心にある孤独や恐れを観ないように逃避し続けているのであるからのう。
逃避を止めて真摯に心を観る決意が出来たときに悟りの道も始まるのじゃ。

807避難民のマジレスさん:2019/04/18(木) 23:06:51 ID:LC3de7YgO
>>805
『I AM THAT 私は在る』
【97 マインドと世界はひとつ】(つづき)

 質問者 欲望も恐れもなければ、どのような行動の動機があるというのでし
     ょうか?
 マハラジ
 何もない。
 あなたが生命の愛、正義、美を充分な動機と考えないかぎりは。
 欲望と恐れからの自由を恐れてはならない。
 それはあなたの知っているすべてとはまったく違った、より一層強烈で興味
 深い人生を生きることを可能にさせる。
 まさしく、すべてを失うことによって、あなたはすべてを得るのだ。
 質問者 あなたの霊的系統をリシ・ダッタートレーヤからたどっていくとす
     れば、あなたとあなたの先師たちは皆、リシの化身だと信じてよい
     のでしょうか?
 マハラジ
 何であれあなたの好きなように信じるがいい。
 そして、もしあなたの信じるところにしたがって行動するならば、その結果
 を得ることだろう。
 しかし、私にとってそれは何の重要性もない。
 私は私だ。
 そして、私にとってはこれで充分なのだ。
 私にはいかに高名な人物と出会っても、自己同一化したいという欲望はない。
 また、神話を実在のものと見なすべき必要も感じない。
 私が唯一興味を持つのは無知と、無知からの解放だけだ。
 厳密な意味においてのグルの役割とは、弟子のマインドとハートのなかの無
 知を追い払うことだ。
 ひとたび弟子が理解したなら、決意を固めるのは彼にかかっている。
 誰もほかの者のために行為することはできないのだ。
 そして、もし彼が正しく行為をしなかったなら、それは彼がまだ理解をして
 いなかったという意味にすぎない。
 そしてグルの仕事はまだ終わっていないということなのだ。
 質問者 いくつかの絶望的な場合もありうるのでしょうか?
 マハラジ
 絶望的な人はひとりもいない。
 障害は乗り越えられるものだ。
 生が修繕しなければ、死が終焉させるだろう。
 しかしグルに失敗はありえない。
 質問者 何があなたに確信を与えるのでしょうか?
 マハラジ
 師と弟子の内なる実在はひとつであり、マインドの救済と解放というひとつ
 の目的に向かってともに働いている。
 それに失敗はありえないのだ。
 彼らの行く手を遮る大きな岩そのものから、彼らは橋を築きあげる。
 意識は存在の全体ではないのだ。
 そこには弟子がより協調的な別のレベルも存在し、グルはすべてのレベルに
 精通している。
 そして、彼のエネルギーと忍耐は無尽蔵なのだ。
 質問者 あなたは、私が夢を見つづけていて、今が目覚めるべき好機なのだ
     と言いつづけています。しかし、私の夢のなかに現れ、私のもとに
     やってきながら、どうしてマハラジは私を目覚めさせることに成功
     してこなかったのでしょうか? あなたはそれを思い出させ、目覚
     めへと駆りたててきました。しかし夢は続くばかりです。
 マハラジ
 それはつまり、あなたは夢を見ているということを、本当に理解してはいな
 かったからだ。
 実在と非実在を混同すること――これが束縛の本質だ。
 あなたの現状では、ただ「私は在る」だけが実在に帰するものだ。
 「何として」、あるいは「どのように私は在る」は、運命、あるいは偶然か
 ら押しつけられた幻想なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

808避難民のマジレスさん:2019/04/18(木) 23:09:08 ID:LC3de7YgO
>>807

> 意識は存在の全体ではないのだ。
 そこには弟子がより協調的な別のレベルも存在し、グルはすべてのレベルに
 精通している。

これはどういう意味でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

809鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/19(金) 22:09:07 ID:1d4drIFg0
↑それは個人的な意識なのじゃ。
個人のマインドのレベルが全てではないというのじゃ。
師匠に反発しているような弟子も潜在意識では悟りを得たいと思って学んでいるのじゃ。
潜在意識のレベルでは弟子も協調しているのじゃ。
師匠はそのような潜在意識の全てのレベルについて知っているのじゃ。

810避難民のマジレスさん:2019/04/20(土) 00:58:39 ID:LC3de7YgO
>>809
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

811避難民のマジレスさん:2019/04/20(土) 01:07:44 ID:LC3de7YgO
いま、クリシュナムルティの準備に取りかかってるのでありますが、
直訳調の文章が、手強いでります。
けど、それだから良いのかも知れぬと思うのであります。
必死に理解しようとしないと、ワケわかんなくすぐになるのであります。
読むだけで瞑想効果があるのやもしれぬと思ったりするくまである。
(´・(ェ)・`)つ

812避難民のマジレスさん:2019/04/20(土) 08:24:47 ID:LC3de7YgO
>>807
『I AM THAT 私は在る』
【97 マインドと世界はひとつ】(つづき)

 質問者 夢はいつはじまったのでしょうか?
 マハラジ
 それにははじまりがないように見える。
 しかし、事実はたった今だ。
 一瞬一瞬、あなたはそれを再生しているのだ。
 しかし、あなたは見ない。
 なぜなら、あなたはその夢が続いてほしいからだ。
 いかなる代価を支払ってでも、真剣にその夢が終わってほしいと一心に願う
 日がやってくるだろう。
 その代価とは、無執着と冷静さ、その夢自体への興味を失うことだ。
 質問者 何と私は絶望的なのでしょう。存在の夢が続くかぎりは、それが続
     いてほしいと思いますし、私がそれの続くことを望むかぎり、それ
     は続いていくでしょう。
 マハラジ
 それが続くように望むことは、避けられないわけではない。
 あなた自身の状態を明瞭に見なさい。
 あなたの明晰性そのものがあなたを解放させるだろう。
 質問者 私があなたとともにいるかぎりは、あなたの言うことはみなとても
     明らかなのですが、あなたから離れたとたん、私は落ち着きを失い、
     不安を抱えてうろつきまわるのです。
 マハラジ
 私から離れる必要はない、少なくともマインドのなかでだけは。
 だが、あなたのマインドは世界の幸福を追求しているのだ!
 質問者 世界は困難に満ちています。私のマインドがそれでいっぱいなのも
     不思議はありません。
 マハラジ
 世界にかつて困難のなかったときがあっただろうか?
 あなたが個人としてあること自体、他者への暴力に依存しているのだ。
 あなたの身体自体が、死と死者に満ちた戦場なのだ。
 存在していくこと自体が暴力を含むことを暗示するのだ。
 質問者 ひとつの身体としてあることでは、そのとおりです。ひとりの人間
     としての存在では断固違います。なぜなら、人類にとって非暴力は
     生命の法則であり、暴力の死だからです。
 マハラジ
 自然のなかに非暴力というものはない。
 質問者 神と自然は人類ではありませんし、人道にかなう必要もありません。
     私の関心は人間だけです。人間的であるためには慈悲深くあること
     は絶対的なことです。
 マハラジ
 防御すべき自我を抱えているかぎり、暴力的にならざるをえないことが、あ
 なたには理解できるだろうか?
 質問者 理解できます。真に人間としてあるかぎり、私は無私にならなけれ
     ばなりません。私が利己的であるかぎり、私は人間以下、ただ人間
     のように見えるだけです。
 マハラジ
 それでは、私たちは皆人間以下であって、ほんのわずかの人だけが人間だと
 いうことだ。
 わずかであろうと、多かろうと、私たちを人間的にするのは「明晰性」と
 「慈愛」だ。
 人間以下、人間のように見える者たちは、タマス(受動性)とラジャス(活
 動性)に支配され、人間はサットヴァ(純粋性)によって支配されている。
 明晰性と慈愛は、マインドと行為に影響を与えるサットヴァなのだ。
 だが、実在はサットヴァさえも超えている。
 私があなたを知って以来、あなたはつねに世界の救済を追求しているようだ。
 どれほどの助けをあなたはしたのだろうか?
 質問者 まったくだめです。世界も私も変わっていません。しかし、世界は
     苦しんでいます。そして私もそれとともに苦しむのです。苦しみに
     対して闘うことは自然な反応です。文明と文化、哲学や宗教は、ほ
     かでもない苦しみに対する抵抗なのです。悪と悪の終焉、それこそ
     あなたが挺身していることではないでしょうか? あなたはそれを
     無知と呼ぶかもしれませんが、それは同じことです。
 マハラジ
 言葉が重要なのではなく、あなたが今どのような状態にあるかも重要ではな
 い。
 名前と形は絶え間なく変化していく。
 あなた自身が、変化の絶えないマインドの不変の観照者であることを知りな
 さい。
 それで充分だ。

(´・(ェ)・`)
(おわり)

813鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/20(土) 22:51:20 ID:1d4drIFg0
名前とイメージによる観念は絶え間なく変化しているものじゃ。
それに囚われれば、いつまでも迷ったままなのじゃ。
囚われなければ自己の本性に目覚めるのじゃ。
記憶から起こる観念ではなく、実在する今ここにある実感に目覚めるのじゃ。

814避難民のマジレスさん:2019/04/20(土) 23:39:55 ID:LC3de7YgO
>>812
1『I AM THAT 私は在る』
【98 自己同一化からの自由】

 マハラジ
 あなたは床に座っても大丈夫かね?
 クッションは必要ないかね?
 何か尋ねたいことはないだろうか?
 尋ねる必要があるというわけではない。
 静かにしているだけでもいいのだ。
 在るためには、ただ在ることが重要だ。
 何を尋ねる必要も、する必要もない。
 そのような、一見怠惰な時間の過ごし方はインドでは高く評価されているの
 だ。
 つまりしばらくの間、あなたは「つぎは何か?」という考えに取りつかれる
 ことから解放されるのだ。
 あなたが急がず不安から自由なとき、マインドは静かになり、沈黙のなかで
 ふだん認識するには微妙で繊細すぎるほどの何かが聞こえてくるかもしれな
 い。
 マインドは見るために開いていて静かでなければならない。
 私たちがここで試みていることは、何が実在なのかを理解するために、マイ
 ンドを正しい状態にもたらすことなのだ。
 質問者 どのようにして心配を断ち切ればいいのでしょうか?
 マハラジ
 心配について心配する必要はない。
 ただ在りなさい。
 静かにしようとしなくてもいいのだ。
 「静かに在る」ということを成し遂げるべき仕事にしてはいけない。
 「静かに在る」ことについて落ち着きを失ってはいけない。
 「幸福である」ことについて惨めになってはいけない。
 ただ、あなたが在るということに気づいていなさい。
 そして気づきつづけなさい。
 「はい。私は気づいています。つぎは何でしょうか?」と言ってはならない。
 「私は在る」のなかに「つぎ」はない。
 それは時間を超えた状態なのだ。
 質問者 それが時間を超えた状態なら、いずれにせよ、それは自らを明らか
     にするでしょう。
 マハラジ
 あなたは永遠に、あなたであるものだ。
 だがそれを知り、それにしたがって行為しないかぎり、あなたにとって何の
 役に立つだろう?
 あなたの乞食(こつじき)の鉢は純金でできているかもしれない。
 それでも、それを知らないかぎりあなたは貧者なのだ。
 あなたは自分の内なる価値を知り、信頼し、欲望と恐れを日々捨て去ってい
 くことで、それを表現していかなければならないのだ。
 質問者 もし私が私自身を知れば、欲望や恐れはなくなるのでしょうか?
 マハラジ
 新たな視野にもかかわらず、しばらく間は既知なる過去への切望と未知なる
 未来への恐れという精神的習慣が続くことだろう。
 それらがただのマインドにすぎないと知ったとき、あなたはそれらを超えて
 いくことができる。
 あなた自身に関してあらゆる類の観念を持っているかぎり、あなたはあなた
 自身をそれらの観念を通して知るのだ。
 あなたをあるがままに知るには、すべての観念を捨て去らなければならない。
 純粋な水の味を想像することはできない。
 すべての味を放棄することによってのみ、それを発見することができるのだ。
 現在の生き方に興味を持っているかぎり、あなたはそれを放棄しないだろう。
 なじみのあることにしがみついているかぎり、発見は訪れないだろう。
 人生の計り知れない悲しみを完全に自覚し、それに対して抵抗するときにの
 み、出口は見いだされるのだ。
 質問者 今こそ私には、インドの永遠なる生命の秘密がこの存在の次元にあ
     ると理解できます。インドはつねにその保管者であったのです。
 マハラジ
 それは開かれた秘密であり、そこにはつねにそれを分かちあう用意のある人
 びとがいたのだ。
 教師は数多くいるが、恐れのない弟子はまれだ。
 質問者 私には学ぶ用意があります。
 マハラジ
 言葉を学ぶだけでは充分ではない。
 あなたは理論を知っているかもしれない。
 だが非個人として、存在の無条件の中心、愛と至福としてのあなた自身によ
 る実際の体験なしには、単なる言語上の知識は不毛なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

815鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/21(日) 22:53:42 ID:1d4drIFg0
自分は人間であるとか、自分とはこのようなものであるとかの観念がある限り人はそれを自分として捉えるのじゃ。
観念としてのみ自分を認識しているのじゃ。
それらの観念を全て捨て去ったときに真の実在が知れるのじゃ。
難しいことではあるがのう。

816避難民のマジレスさん:2019/04/21(日) 23:08:17 ID:LC3de7YgO
>>814
『I AM THAT 私は在る』
【98 自己同一化からの自由】(つづき)

 質問者 それでは、どうすればいいのでしょうか?
 マハラジ
 在ることを試みなさい。
 ただ在りなさい。
 重要な言葉は「試みること」だ。
 一日のなかで、充分な時間を静かに座ることに当てなさい。
 ただ人格と、その耽溺(たんでき)や妄想を超えていくように試みなさい。
 どのようにするかを尋ねてはならない。
 それは説明できないのだ。
 ただ、成功するまで試みなさい。
 もっとも重要なことは誠実さ、真剣さだ。
 あなたはあなただと思いこんでいる個人として在ることに、本当にうんざり
 していなければならないのだ。
 そしてこのひと束の記憶と習慣との無用な自己同一化から自由となる緊急の
 必要性を見なさい。
 この無用な自己同一化に対する揺るぎない抵抗が成功の秘密なのだ。
 結局、人生のあらゆる瞬間においてあなたはあるがままのあなたなのだ。
 だが、けっしてそれを意識したことがなかった。
 おそらく眠りから目覚める瞬間を除いては。
 あなたに必要なことは存在に気づくことだけなのだ。
 言葉としての表明ではなく、ひとつの常在の事実として。
 本来のあなたである気づきが、あるがままのあなたへと目を開かせるだろう。
 それはとてもシンプルなことだ。
 最初にあなた自身との絶え間ない接触を確立しなさい。
 すべての祝福は自己覚醒のなかへと注がれる。
 観察の中心として在ることからはじめなさい。
 あなたの認識範囲を熟考し、そして行為における愛の中心へと成長していき
 なさい。
 「私は在る」はまったく自然に、努力の跡もなく偉大な樹へと生長する小さ
 な種子なのだ。
 質問者 私は自分のなかに多くの悪があることがわかります。それを変える
     べきではないでしょうか?
 マハラジ
 悪とは不注意の影なのだ。自己覚醒の光のなかで悪は枯れ果て、落ちていく
 だろう。
 他者への依存はすべて不毛なことだ。
 なぜなら、他者が与えるものは、他者によって取り去られるからだ。
 初めからあなた自身のものだけが、最後まであなた自身のものとして残るの
 だ。
 内なる導き手だけを受け入れなさい。
 そしてすべての記憶を捨て去りなさい。
 なぜなら、それらはあなたを惑わせるからだ。
 たとえ、あなたがまったく方法や手段について無知であったとしても、静か
 にしていなさい。
 そして内側を見なさい。
 導きはかならずやってくる。
 つぎの一歩がどうあるべきかを知らないまま、取り残されることはけっして
 ないだろう。
 問題は、あなたがそれを避けるかも知れないことだ。
 グルは、彼の体験と成功からあなたに勇気を与えるためにそこにいる。
 だが、あなた自身の気づきと努力を通して発見したことだけが、あなたにと
 って永久に役立つだろう。
 何であれあなたが知覚するものは、あなたのものではないということを覚え
 ていなさい。
 外側から来るものには何の価値もないのだ。
 あなた自身の感覚と理解だけが有意義であり、ものごとを明らかにするのだ。
 聞いたり読んだりした言葉はマインドのなかにイメージをつくり出すだけだ。
 だが、あなたは精神的イメージではない。
 あなたはイメージの背後とその彼方にある行為と知覚を可能にする力なのだ。
 質問者 どうやら、あなたは私にエゴイズムといっていいほど利己主義にな
     れと助言しているようです。私はほかの人びとに興味をもつことさ
     え許されないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの他者への興味が利己的、自己中心的、自分思考なのだ。
 あなたは個人としての他者に興味があるのではない。
 ただ彼らがあなた自身のイメージを豊かに高めるかぎり興味をもつのだ。
 そして究極的な利己主義とは、自己の身体の保護、維持、そして繁殖だけを
 気にすることだ。
 身体ということで、私はあなたの名前と形に関するすべて――あなたの家族、
 部族、国、人種などを意味している。
 自己の名前と形に執着することは利己主義なのだ。
 自分が身体でもマインドでもないと知っている人は、利己的ではありえない。
 なぜなら、彼は利己的になるための何ものももってはいないからだ。
 あるいは、彼は出会うすべての人のために、等しく「利己的」であるとも言
 えるだろう。
 すべての人の幸福が彼自身のものなのだ。
 「私は世界だ。世界は私自身だ」という感覚はまったく自然になり、ひとた
 びそれが確立されたら、けっして利己的であることはない。
 利己的であることとは、部分が全体に対して欲望し、獲得し、蓄積すること
 を意味しているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

817鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/22(月) 23:48:40 ID:1d4drIFg0
エゴイズムとは他人を自分の思うとおりにしたいという欲求の原因となるものじゃ。
他人との関わり合いには、それが常に出てしまうものじゃ。
自分の心を観ることこそ真のエゴイズムの放棄なのじゃ。
自分が無いことを気付けば他人もまた無いと知るのじゃ。

818避難民のマジレスさん:2019/04/23(火) 00:17:08 ID:LC3de7YgO
>>816
『I AM THAT 私は在る』
【98 自己同一化からの自由】(つづき)

 質問者 人は多くの所有物、遺産相続、結婚、あるいは単に幸運から裕福で
     あるかもしれません。
 マハラジ
 もしあなたがそれにしがみつかなければ、それらは取り去られてしまうだろ
 う。
 質問者 現在の状態においてあなたはほかの人を個人として愛することがで
     きますか?
 マハラジ
 私がほかの人だ。
 ほかの人が私なのだ。
 名前と形において私たちは異なっている。
 だが、そこに分離はない。
 存在の根本において、私たちはひとつなのだ。
 質問者 人びとの間に愛があるときはいつでもそうなのではありませんか?
 マハラジ
 そうだ。
 だが、彼らはそれを意識してはいない。
 彼らは魅力を感じるが、その理由を知らないのだ。
 質問者 どうして愛は選択するのでしょうか?
 マハラジ
 愛は選択しない。
 欲望が選択するのだ。
 愛のなかに他者はいない。
 利己主義の中心がもはやないとき、すべての快楽への欲望と苦痛への恐れは
 やむ。
 人はもはや幸福であることに興味を持たなくなる。
 幸福を超えたところに、純粋で強烈な、無尽蔵のエネルギー、永久に枯渇す
 ることのない源から与えることの歓喜があるのだ。
 質問者 私は善と悪の問題をまず解決するべきではないでしょうか?
 マハラジ
 人びとは快いことを善とみなし、苦しいことを悪と見なすのだ。
 質問者 ええ、私たち普通の人びとにとってはそのとおりです。しかし、あ
     なたが統合されたレベルから見たときはどうでしょう? あなたに
     とっては何が善で何が悪なのでしょうか?
 マハラジ
 苦しみを増長することが悪であり、それを取り除くことは善だ。
 質問者 では、苦しみそのものは善ではないと言われるのですね? 苦しみ
     を正しく、高尚なものとして考えている宗教がありますが。
 マハラジ
 カルマ、あるいは運命は有益な法則の表現だ。
 普遍的なものは均衡、調和、統一に向かう傾向がある。
 あらゆる瞬間において、何であれ起こっていることは最善のためのものだ。
 それは苦しいもの、あるいは醜いもの、苦渋に満ち、無意味なものかもしれ
 ない。
 それでも、過去と未来のことを考えれば、それは破滅的な状況からの出口と
 して最善のものなのだ。
 質問者 人が沈黙の観照者であり、また普遍的エネルギーでもあると聞かさ
     れることは、言うまでもなく喜ばしいことです。しかし、どうやっ
     て言語上の表明から直接の知識へと超えていけばいいのでしょうか?
     聞くことは知ることではありません。
 マハラジ
 あなたが何かを直接知る前に、言葉を通してではなく知る者を知らなければ
 ならないのだ。
 今まで、あなたはマインドを知る者と見なしてきた。
 だが、そうではないのだ。
 マインドはイメージと観念をあなたに詰め込んできた。
 それは記憶に傷跡を残すのだ。
 あなたは覚えていることを知識だと思いこんできた。
 真の知識とはつねに新鮮で、新しく、予期できないものだ。
 それはあなたの内面から沸き上がってくるのだ。
 あなたがあなたで在るものを知るとき、あなたはまたあなたが知るものでも
 在る。
 知ることと在ることの間にへだたりはないのだ。
 質問者 私にはマインドによってマインドを調べることができるだけです。
 マハラジ
 もちろん、マインドを知るためにマインドを使うがいい。
 それは完全に正当であり、またマインドを超えていくには最善の準備でもあ
 る。
 在ること、知ること、そして楽しむことはあなた自身のものだ。
 まず、あなた自身の存在を認識しなさい。
 それはやさしいことだ。
 なぜなら「私は在る」という感覚はつねにあなたとともにあるからだ。
 それから、知られるものから離れた、知る者としてのあなた自身と出会いな
 さい。
 ひとたび純粋な存在としてのあなたを知れば、自由の歓喜はあなたのものだ。
 質問者 これはどのヨーガなのでしょうか?
 マハラジ
 なぜ気にするのか?
 あなたをここへ来させたのは、あなたの知る身体とマインドの人生が満たさ
 れないものだからだ。
 あなたはコントロールを通して、また理想に合わせてそれを屈服させようと
 するかもしれない。
 あるいはすべての自己同一の結び目を断ち切り、身体とマインドを、あなた
 とは何の関わりもなく起こる何かとして見るかもしれない。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

819鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/23(火) 21:57:13 ID:1d4drIFg0
悟った者には自他の区別は無いのじゃ。
それは悟っていない者にも真実なのじゃ。
ただそれを認識できないだけなのじゃ。
記憶による観念の分別を厭離すれば出来るようになるのじゃ。

820避難民のマジレスさん:2019/04/23(火) 23:19:56 ID:LC3de7YgO
>>819
>記憶による観念の分別を厭離すれば出来るようになる

それが出来ても悟ったことにはならず、更にその先に意識を滅してしまうと、
無為の為でありますか?

(´・(ェ)・`)つ

821避難民のマジレスさん:2019/04/24(水) 00:01:01 ID:LC3de7YgO
>>818
ごめんなさい。
この部分のコピペを間違えてしまいました。
>>818
を全文差し替えます。
(´・(ェ)・`)つ

822避難民のマジレスさん:2019/04/24(水) 00:11:14 ID:LC3de7YgO
>>818
『I AM THAT 私は在る』
【98 自己同一化からの自由】(つづき)

 質問者 人は多くの所有物、遺産相続、結婚、あるいは単に幸運から裕福で
     あるかもしれません。
 マハラジ
 もしあなたがそれにしがみつかなければ、それらは取り去られてしまうだろ
 う。
 質問者 現在の状態においてあなたはほかの人を個人として愛することがで
     きますか?
 マハラジ
 私がほかの人だ。
 ほかの人が私なのだ。
 名前と形において私たちは異なっている。
 だが、そこに分離はない。
 存在の根本において、私たちはひとつなのだ。
 質問者 人びとの間に愛があるときはいつでもそうなのではありませんか?
 マハラジ
 そうだ。
 だが、彼らはそれを意識してはいない。
 彼らは魅力を感じるが、その理由を知らないのだ。
 質問者 どうして愛は選択するのでしょうか?
 マハラジ
 愛は選択しない。
 欲望が選択するのだ。
 愛のなかに他者はいない。
 利己主義の中心がもはやないとき、すべての快楽への欲望と苦痛への恐れは
 やむ。
 人はもはや幸福であることに興味を持たなくなる。
 幸福を超えたところに、純粋で強烈な、無尽蔵のエネルギー、永久に枯渇す
 ることのない源から与えることの歓喜があるのだ。
 質問者 私は善と悪の問題をまず解決するべきではないでしょうか?
 マハラジ
 人びとは快いことを善とみなし、苦しいことを悪と見なすのだ。
 質問者 ええ、私たち普通の人びとにとってはそのとおりです。しかし、あ
     なたが統合されたレベルから見たときはどうでしょう? あなたに
     とっては何が善で何が悪なのでしょうか?
 マハラジ
 苦しみを増長することが悪であり、それを取り除くことは善だ。
 質問者 では、苦しみそのものは善ではないと言われるのですね? 苦しみ
     を正しく、高尚なものとして考えている宗教がありますが。
 マハラジ
 カルマ、あるいは運命は有益な法則の表現だ。
 普遍的なものは均衡、調和、統一に向かう傾向がある。
 あらゆる瞬間において、何であれ起こっていることは最善のためのものだ。
 それは苦しいもの、あるいは醜いもの、苦渋に満ち、無意味なものかもしれ
 ない。
 それでも、過去と未来のことを考えれば、それは破滅的な状況からの出口と
 して最善のものなのだ。


 質問者 人は自分自身の罪だけのために苦しむのでしょうか?
 マハラジ
 人は自分自身が何であると考えるかにしたがって苦しむ。
 あなたが人類とひとつであると感じるならば、あなたは人類とともに苦しむ
 のだ。
 質問者 では、宇宙とひとつだと主張しているあなたにとって、時間的にも
     空間的にも苦しみはかぎりないものなのです!
 マハラジ
 在ることとは苦しむことなのだ。
 自己同一化の輪が狭いほど、欲望と恐れによって生じた苦しみはより激しい
 ものとなるのだ。
 質問者 キリスト教は苦しみを、浄化し気高くするものとして受け入れてい
     ます。一方、ヒンドゥー教はそれを毛嫌いしているようです。
 マハラジ
 キリスト教は言葉を構成するひとつの方式であり、ヒンドゥー教はまた別の
 方式なのだ。
 実在は言葉の背後に、そしてその彼方にある。
 それは伝達不可能でありながら直接体験され、マインドに爆発的影響を及ぼ
 すものなのだ。
 他に何も望むものがないとき、実在は容易に手に入る。
 非実在は想像によって創造され、欲望によって永続されるのだ。
 質問者 必要とされ、善である苦しみというものはないのでしょうか?
 マハラジ
 偶然に、あるいは不意に起こる苦痛は一時的であり、避けることができない。
 たとえ最善を考慮した上であっても、意図的に加えられた苦痛は、無意味で
 あり残酷なものだ。
 質問者 あなたなら犯罪を罰することはないのでしょうか?
 マハラジ
 罰は合法化された犯罪でしかない。
 報復よりも防止をもとに築かれた社会では、犯罪は非常にまれなのだ。
 不健全なマインドと身体によって起こったようないくつかの例外は、医学的
 に扱われることだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

823鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/24(水) 22:43:44 ID:1d4drIFg0
>>820 それが出来れば、悟りは訪れるじゃろう。
 それから無為が起こるじゃろう。
 
 社会的な刑罰は社会を守るためのものでしかないのじゃ。
 罰を加える事で民衆を脅して社会の秩序を保っているのじゃ。
 それ故にその罰もまた犯罪でしかないのじゃ。
 犯罪の報復に犯罪を実行しているだけなのじゃ。

824避難民のマジレスさん:2019/04/24(水) 23:05:38 ID:LC3de7YgO
>>823
鬼和尚、ありがとうであります。
無為の為は、悟り後の世界なのでありますね。
それをイメージして、気負わず、目の前にあることを、出来る限りたんたんとやることにより、いろいろと道が開けるであります。
(´・(ェ)・`)つ

825避難民のマジレスさん:2019/04/24(水) 23:16:09 ID:LC3de7YgO
>>822
『I AM THAT 私は在る』
【98 自己同一化からの自由】(つづき)

 質問者 どうやら、あなたは宗教を無用だと考えているようですね。
 マハラジ
 宗教とは何だろうか?
 空に浮かぶひとつの雲だ。
 私は無数の言葉で織りなされた雲のなかにではなく、空のなかに住んでいる。
 無用な言葉を取り去りなさい。
 すると何が残るだろうか?
 真理が残る。
 私の家は不変なるもののなかにある。
 それは対極同士がつねに調和され、統合された状態にある。
 人びとはそのような状態の実際の体験や、その障害について、そしてひとた
 び知覚されればそれを意識内に確立する技について学ぶためにここへやって
 くるのだ。
 そうすることによって、生きることと理解との間に衝突が起こらないように。
 その状態自体はマインドを超えており、習う必要はない。
 マインドは障害に焦点を合わせることができるだけだ。
 障害を障害として見ることは効果のあることだ。
 なぜなら、マインドがマインドに働きかけているからだ。
 ことの起源からはじめなさい。
 「あなたは在る」という事実に注意を払いなさい。
 「私はいない」と言えるときはないのだ。
 あなたに言えることは、「私は覚えていない」ということだけだ。
 記憶がいかに頼りにならないものか、あなたも知っているだろう。
 些細な個人的関心事に没頭して、あなたはあなたが何なのかを忘れてしまっ
 たのだ。
 既知なるものを消し去ることで、失われた記憶を取り戻すように試みなさい。
 何が起こるのかをあなたに伝えることはできない。
 またそれは望ましいことではない。
 期待が幻想を生みだすからだ。
 内なる探求においては、予期せぬことが起こることは不可避だ。
 発見は、かならずすべての想像を超えたものなのだ。
 生まれたばかりの子どもに、誕生した後の人生を知ることができないような
 ものだ。
 なぜなら、マインドのなかにそれを形づくるための確かな画像が何もないか
 らだ。
 同じようにマインドは、「これではない、あれでもない」という否定の言語
 による以外に、非実在の言語をもって実在について考えることは不可能なの
 だ。
 非実在を実在と受け入れることが障害であり、偽りを偽りとして見て、それ
 を放棄することが実在を存在のなかにもたらすのだ。
 明晰(めいせき)性とかぎりない愛、完全に恐れのない状態。
 今、これらは単なる言葉、色彩のないただの輪郭(りんかく)、こうありう
 るというヒントでしかない。
 あなたは手術の結果、目の見えるようになることを期待している盲目の人の
 ようなものだ。
 もしあなたが手術を避けさえしなければ!
 私が在る状態では、言葉はまったく重要なものではない。
 また、そこには言葉への耽溺などない。
 ただ、事実だけが重要なのだ。
 質問者 言葉なくして宗教はありえません。
 マハラジ
 記録された宗教は単なる無用な言葉の山にすぎない。
 宗教はその真実の顔を行為のなかで、沈黙の行為のなかで示すのだ。
 人が何を信じているかを知るには、彼の行為を見守るがいい。
 大半の人びとにとっては、身体とマインドに仕えることが彼らの宗教なのだ。
 彼らは宗教的理念をもっているかもしれない。
 だが、それにしたがって行為することはない。
 彼らはその理念をもてあそぶかもしれない。
 そして、しばしば非常にその理念を好んでいるかもしれない。
 それでも、それにしたがって行為することはないだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

826避難民のマジレスさん:2019/04/24(水) 23:19:55 ID:LC3de7YgO
>>825
> 宗教とは何だろうか?
 空に浮かぶひとつの雲だ。
 私は無数の言葉で織りなされた雲のなかにではなく、空のなかに住んでいる。
 無用な言葉を取り去りなさい。
 すると何が残るだろうか?
 真理が残る。

マハラジの宗教についての言葉とOSHOのそれは、全然違う言葉で語りながら同じことを言ってるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

827鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/25(木) 22:24:47 ID:1d4drIFg0
>>824 そうじゃ、完全に無為の為ができるのは悟った後なのじゃ。
 ただひたすらに精進あるのみなのじゃ。

>>826 そうじゃ、真の宗教とは人を悟りに導くものじゃ。
 それ以外の信仰は宗教とは真の意味では呼べないものじゃ。
 神の奴隷になるというのは宗教ではなく観念への執着なのじゃ。
 観念への執着を取り去るものが真の宗教なのじゃ。

828避難民のマジレスさん:2019/04/25(木) 23:29:10 ID:LC3de7YgO
>>825
『I AM THAT 私は在る』
【98 自己同一化からの自由】(つづき)

 質問者 言葉は意思伝達のために必要とされます。
 マハラジ
 確かに、情報の伝達のためには必要だ。
 だが、人びとの間の真の伝達は言語によるものではない。
 関係性を確立し維持していくには、直接行動によって表された感情豊かな気
 づきが要求されるからだ。
 あなたが何を言うかではなく、何をするかが重要なのだ。
 言葉はマインドによって作られ、マインドのレベルにおいてのみ意味を持つ。
 あなたには「パン」という言葉を食べることも、それによって生きることも
 できない。
 それは単に概念を伝えるだけなのだ。
 それは実際に食べることによって意味を獲得する。
 それと同じ感覚で私はあなたに「普通の状態とは言語上のものではない」と
 言っているのだ。
 それは賢明なる愛が行為のなかで表現されたものだとも言えよう。
 だが、あなたがその豊かさと美を自ら体験しないかぎり、言葉では言い表せ
 ないのだ。
 言葉にはそれ自体のかぎられた有益性がある。
 だが、言葉に制限を与えてこなかったことが、私たちを崩壊の淵へと追いや
 ったのだ。
 私たちの高尚な考えは、不名誉な行為によって絶妙に相殺されてきた。
 私たちは神、真理、愛について語る。
 だが、直接の体験の代わりに定義を蓄えてきた。
 行為を広め、そして深めていく代わりに、定義づけに忙しかったのだ。
 そして定義できることを、私たちは知っていると想像してきたのだ。
 質問者 どのようにして言葉を通さずに体験を伝えることができるのでしょ
     う?
 マハラジ
 体験は言葉で伝えることができない。
 それは行為とともに表されるのだ。
 体験のなかに強烈に在る人は、確信と勇気をまわりに放っている。
 ほかの人たちも行為し、行為から生まれた体験を得ていくのだ。
 言語上の教えは、マインドがマインド自体とその蓄積してきたものを取り除
 き、空にするのを助けるのだ。
 一切の外的なものに価値がなくなり、ハートにそのすべてを放棄する用意が
 あるとき、ひとつの霊的な成熟のレベルに到達されたのだ。
 そのときこそ実在はチャンスを得、それをしっかりとつかむ。
 もし遅れがあるとしたら、マインドが見ること、あるいは捨て去ることを望 
 まないことが原因なのだ。
 質問者 私たちはそれほどまでに孤独なのでしょうか?
 マハラジ
 いいや、そうではない。
 もっている者たちは与えることができる。
 そして、そのような与える者たちは多くいる。
 世界自体が、誠実な犠牲的行為によって支えられている最高の贈り物なのだ。
 だが賢明で、謙虚な、受け取るにふさわしい人たちはまれだ。
 「求めよ。さらば与えられん」は永遠の法則なのだ。
 あなたはとても多くの言葉を学び、とても多くの言葉を話してきた。
 あなたはすべてを知っている。
 だが、あなた自身を知らないのだ。
 なぜなら、自己が言葉を通して知られることはないからだ。
 ただ直接の洞察だけが自己を露(あら)わにする。
 内側を見なさい。
 内側を探求するのだ。
 質問者 言葉を放棄するのは本当に難しいことです。私たちの精神的人生は、
     ひとつの絶え間ない言葉の流れなのです。
 マハラジ
 それはやさしいとか難しいという問題ではない。
 あなたに選択権はない。
 試みるか、試みないか。
 それはあなたにかかっているのだ。
 質問者 私は何度も試み、そして失敗してきたのです。
 マハラジ
 もう一度、試みなさい。
 あなたが試み続けるなら、何かが起こるだろう。
 試みなければ、あなたは立ち往生するだけだ。
 あなたはすべての正しい言葉を知り、聖典を引用し、討論において優秀であ
 るかもしれない。
 しかしそれでも、ただの薄っぺらな人間のままだ。
 あるいはあなたは目立たない、謙虚な、取るに足りない人かもしれない。
 それでも愛に満ちた優しさと、深い知恵に輝いているかもしれないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

829避難民のマジレスさん:2019/04/25(木) 23:40:01 ID:LC3de7YgO
>>828
ここで、マハラジが語ってることは、尼僧の千代能な経験の仕方しか、悟り用はないと言うことでありますね。
観念を厭離することでありますね。

そして、いつになく厳しいニサルガさんであります。
>それはやさしいとか難しいという問題ではない。
 あなたに選択権はない。
 試みるか、試みないか。
 それはあなたにかかっているのだ。

(´・(ェ)・`)つ

830鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/26(金) 21:59:04 ID:1d4drIFg0
↑そのようなものじゃ。
 知識や言葉では何も起こらないのじゃ。
 ただひたすらに実践を日々積み重ねるのじゃ。
 その果てに悟りも訪れるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

831避難民のマジレスさん:2019/04/26(金) 23:24:50 ID:LC3de7YgO
>>828
『I AM THAT 私は在る』
【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】

 質問者 私は修練のために、さまざまなヨーガを探索しながら転々と旅をし
     てきました。そして、いまだにどれが私にとって最適なのか決断の
     付かないままでいるのです。何か的確な助言をいただければ幸いで
     す。現在、このすべての探求の結果として、私は真実を見いだそう
     という考えに疲れてしまいました。私にとって、それは無用な、困
     難なものと見えるのです。人生はあるがままに楽しむべきものであ
     って、それを改善することはまったく無駄に見えます。
 マハラジ
 その満足のなかにとどまりたいのならば、そうすればいい。
 だが、あなたにできるだろうか?
 青春、活力、金銭――それらはすべて、あなたが予期したよりも足早に過ぎ
 去っていくだろう。
 そして、それまで避けてきた悲しみがあなたにつきまとうだろう。
 もしあなたが苦しみを超えたければ、自らそれを出迎えに行き、抱きしめな
 ければならないのだ。
 あなたの習慣や耽溺を捨て去り、シン
プルで目覚めた人生を生きなさい。
 生きるものを傷つけてはならない。
 それがヨーガの根本なのだ。
 実在を見いだすには、日々の最もささいな行為においてさえ、あなたは真実
 でなければならない。
 真理の探究においては、いかなる欺瞞も許されないのだ。
 あなたは人生が楽しむべきものだと知ったと言う。
 今はそうかもしれない。
 だが、それを楽しむのは誰なのか知っているだろうか?
 質問者 実を言えば、私は楽しむ者も楽しまれるものも知りません。私の知
     っているのは楽しみだけです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 しかし、楽しみとはマインドの状態だ――それは来ては去っていくものだ。
 そのはかなさそのものが、それを知覚可能にする。
 変化しないものを意識することはできない。
 意識とはすべて、変化の意識なのだ。
 だが、変化を知覚すること自体が、そこに普遍の背景のあることを余儀なく
 しているのではないだろうか?
 質問者 いいえ、そうではありません。以前の状態の記憶と現在の状態であ
     る現実との比較が、変化の体験を与えるのです。
 マハラジ
 記憶されたことと実際に起こっていることの間には、一瞬一瞬において観察
 することのできる基本的な相違がある。
 現実が思い出されるといった瞬間はありえないのだ。
 その二つの間には、単に強烈さだけではない異なった性質がある。
 現実とは紛れもないものだ。
 意志による努力や想像では、その二つを入れ換えることはできない。
 さて、何が現実の状態にこの特別な質を与えるのだろうか?
 質問者 現実は真正です。一方、記憶されたことには多分の不確実性がある
     のです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 だが、なぜだろうか?
 ほんの一瞬前、記憶されたことは現実であったし、一瞬のうちに現実は記憶
 となるだろう。
 何が現実を独特のものにするのだろうか?
 明らかに、それはあなたの存在の感覚だ。
 記憶と期待の中には観察されている精神的状態という明かな感覚がある。
 一方、現実の中には根元的な現在の存在、そして気づきがそこにあるのだ。
 質問者 ええ、理解できます。現実と記憶されたことの間に違いをもたらす
     のは気づきなのです。人は過去や未来のことを考えますが、人は今
     に存在しているのです。
 マハラジ
 あなたがどこへ行こうと、今、ここという感覚はつねにあなたとともにある
 のだ。
 それはつまり、あなたは時間と空間に依存していないということだ。
 時間と空間はあなたのなかにあり、あなたがそれらのなかにあるのではない。
 時間と空間に限定された身体との自己同一化が、あなたに有限の感覚を与え
 るのだ。
 実際には、あなたは無限で永遠なのだ。
 質問者 この無限で永遠の自己を、どのようにして知るのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが知りたがっている自己、それは何か二番目の自己のようなものだろ
 うか?
 もちろん、そこにはひとつの自己があるだけだ。
 そしてあなたがその自己なのだ。
 あなたである自己、それが唯一存在する自己だ。
 あなた自身に関する誤った観念を取り除き、放棄しなさい。
 するとすべての荘厳さとともに、それはそこにある。
 自己知識を妨げるのはあなたのマインドだけなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

832避難民のマジレスさん:2019/04/27(土) 18:41:24 ID:LC3de7YgO
予定変更の告知、(´・(ェ)・`)つ
>>792殿が マハルシの対話録 を取り上げてくださるとのことでありますので、
くまはパパジ「真理のみ」を掲載しようと思うであります。

その方が、同じ流れの理解を深めることができるような気がするでありますから。

833鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/27(土) 22:58:29 ID:1d4drIFg0
↑どんどんやるとよいのじゃ。

自分に関する知識こそ人が学ぶべきものじゃ。
自ら観察して気付いた自己知識が真に役立つものじゃ。
親とか教育とか友人とか社会に植えつけられた誤まった観念は取り除かねばならんのじゃ。
そうでなければ苦しむだけなのじゃ。

834避難民のマジレスさん:2019/04/27(土) 23:39:05 ID:LC3de7YgO
>>831
『I AM THAT 私は在る』
【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】(つづき)

 質問者 どうやってマインドを追い払うのでしょうか? そしていったい人
     間のレベルで、マインドなしの人生が可能なのでしょうか?
 マハラジ
 マインドというようなものはないのだ。
 そこには観念があって、それらのなかのいくつかは間違ったものなのだ。
 誤った観念を放棄しなさい。
 なぜならそれらは偽りであり、あなた自身に関するあなたの見解を妨げるか
 らだ。
 質問者 どの観念が誤りで、どの観念が正しいのでしょうか?
 マハラジ
 普通、自己主張が誤りであり、自己否定が正しいのだ。
 質問者 すべてを否定することによって生きていることはできません。
 マハラジ
 ただ否定によってのみ、人は生きることができるのだ。
 自己主張は束縛だ。
 疑うことと否定することがなくてはならない。
 それは反抗の本質だ。
 そして反抗することなしに解放はありえないのだ。
 そこに探求すべき第二の、あるいは高次の自己というものはない。
 あなたが最高位の自己なのだ。
 ただ、あなた自身に関する偽りの観念を捨て去りなさい。
 あなたは身体、そしてその欲望と恐れではなく、またマインドとその幻想的
 な観念でもなく、社会があなたに演じるように強要した個人としての役柄で
 もないと、信念と理性があなたに告げているのだ。
 偽物を捨て去りなさい。
 そうすれば真実はそれ自体で現れるだろう。
 あなたはあなた自身を知りたいと言う。
 あなたがあなた自身なのだ。
 あなたはあなた以外の何者にもなれない。
 知ることと在ることは別々だろうか?
 あなたがマインドをもって知ることは何であれマインドのものであって、あ
 なたではない。
 あなた自身についてあなたに言えることは「私は在る。私は気づいている。
 私はそれを愛する」だ。
 質問者 私は生きることが苦痛に満ちた状態だと知っています。
 マハラジ
 あなたに生きることはできない。
 なぜなら、あなたは生命そのものだからだ。
 あなたが苦しむのではない。
 あなたがあなた自身だと思いこんでいる個人が苦しむのだ。
 気づきのなかでそれを消し去りなさい。
 それは記憶と習慣の束でしかないのだ。
 偽りに対する気づきからあなたの真の本性に対する気づきに至る間には深い
 淵がある。
 ひとたびあなたが純粋な気づきの技を習得すれば、それはたやすく越せるだ
 ろう。
 質問者 私の知っていることは、私自身を知らないということだけです。
 マハラジ
 自己を知らないということをどうして知るのだろう
 あなたの直接の洞察が、何よりもあなた自身を知っていると告げているのだ。
 なぜなら、ものの存在を体験するあなたがそこにいないかぎり、何も存在す
 ることはできないからだ。
 あなたは自己を描写できないために、自己を知らないと想像しているのだ。
 あなたはつねに、「私は在るということを知っている」と言うことができる。
 そして「私はいない」という表明を偽りとして退けることだろう。
 だが、何であれ描写できるものはあなた自身ではありえない。
 そしてあなたであるものを描写することはできないのだ。
 あなたは自己定義や自己描写を試みることなしに、あなた自身で在ることに
 よってだけ、自己を知ることができるのだ。
 あなたが知覚可能、想像可能なものは何ひとつあなたではありえず、何であ
 れ、意識の領域に現れるものは自己ではないとひとたび理解したなら、より
 深い自己実現への唯一の方法として、すべての自己同一化を断ち切ることだ
 ろう。
 否定することによって、文字どおりあなたは、まさにロケットのように進歩
 するのだ。
 あなたが身体のなかにもマインドのなかにも存在せず、しかもその両方に気
 づいていると知ることは、すでに自己知識なのだ。
 質問者 もし私が身体でもマインドでもないのなら、どうやってそれらに気
     づくのでしょうか? どうやって私自身にとってまったく異質な何
     かを知覚することができるのでしょうか?
 マハラジ
 「何も私ではない」が第一段階だ。
 「すべてが私だ」がつぎの段階だ。
 そのどちらも「そこに世界が存在する」という観念にかかっている。
 この観念もまた放棄されたとき、あなたはあるがままの非二元性のあなたと
 して残る。
 今ここで、あなたはそれなのだ。
 だが、あなたの視野は自己に関する偽りの観念によって妨げられているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

835避難民のマジレスさん:2019/04/28(日) 01:05:45 ID:jfWCoXjM0
>>832
いいですね!
パパジと鬼和尚のコラボも楽しみです(-人ー)

836鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/28(日) 23:28:28 ID:1d4drIFg0
観念を放棄するというの難しいことじゃ。
そうしようとすればそれが観念になるからのう。
観念を放棄するという観念に囚われてしまうのじゃ。
ただ観察により、誤まった観念を厭離すればなくなっていくのじゃ。

837避難民のマジレスさん:2019/04/29(月) 00:28:11 ID:LC3de7YgO
>>834
『I AM THAT 私は在る』
【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】より(つづき)

 質問者 なるほど、私は在る、私は在った、私は在るだろう、ということは
     認めましょう。少なくとも誕生から死に至るまでは、今ここにおけ
     る私の存在は疑う余地もありません。しかし、それだけでは充分で
     ないと思うのです。私の人生は、内面と外面との調和から生まれた
     喜びを欠いているのです。もし私ひとりしか存在せず、世界が単な
     る投影にすぎないのならどうして不調和はあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが不調和をつくり出しておいて、それから不平を言うのだ。
 欲望をもち恐れるとき、そして感情と自己同一化するとき、あなたは不幸と
 束縛を生みだす。
 あなたが愛と智慧とともに創造し、そして創造したものに執着しないとき、
 結果は調和と平和となるのだ。
 だが、マインドの状態がいかなるものであれ、それはどのようにあなたに影
 響を及ぼすのだろう?
 マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、あるいは
 不幸にするのだ。
 マインドへの隷属に反抗しなさい。
 あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。
 そして執着と反感への鎖を断ち切るのだ。
 あなたがすでに自由であること、そして自由とは苦しい努力によって遠い未
 来に獲得される何かではなく、永久にあなた自身のものとして使われるため
 にそこにあることが明らかになるまでは、自由という目的を心に保ちなさい。
 解放とは獲得ではなく勇気の問題だ。
 あなたがすでに自由であると信じ、それにしたがって行為する勇気だ。
 質問者 もし私が好き勝手にするなら、私は苦しむことでしょう。
 マハラジ
 それにもかかわらずあなたは自由なのだ。
 あなたの行為の結果はあなたの住む社会とその慣習に依存するのだ。
 質問者 私は無謀になるかもしれません。
 マハラジ
 勇気とともに智慧と慈愛、そして行為における能力も現れるだろう。
 あなたは何を為すべきかを知るだろう。
 そして何であれ、あなたがすることは皆にとって良いこととなるだろう。
 質問者 私自身のなかにはさまざまな相の自分がいて、争いあっています。
     私の中に平和がないのです。どこに自由と勇気が、智慧と慈愛があ
     るのでしょうか? 私の行動は、私が住む深淵をより深めるばかり
     なのです。
 マハラジ
 それはあなたがあなた自身を何か、あるいは誰かだと見なしているからだ。
 やめなさい。
 見なさい。
 調べなさい。
 正しい質問を尋ね、正しい結論を得なさい。
 そしてそれにしたがって行為する勇気を持ち、何が起こるか見てみなさい。
 はじめの段階では、頭の上に屋根が落ちてくるかもしれない。
 だが、すぐに混乱は晴れ、平和と喜びが現れるだろう。
 あなたはあなた自身に関して非常に多くのことを知っている。
 だが、その知っている人をあなたは知らないのだ。
 知られるものを知る者であるあなたとは誰かを見いだしなさい。
 たゆむことなく内面を見守りなさい。
 知覚されたものは知覚者ではありえない、と覚えておくことを覚えておきな
 さい。
 あなたが何を見ようと、聞こうと、考えようと、覚えようと――起こること
 があなたなのではない。
 あなたはそれが起こる当人なのだ。
 「私は在る」という感覚のなかに深く潜っていきなさい。
 そうすれば、かならず知覚の中心が、世界を照らす光のように普遍的である
 ことを発見することだろう。
 宇宙のなかで起こることはすべて、沈黙の観照者であるあなたに起こる。
 その反対に、何であれ為されたことは、普遍的で無尽蔵のエネルギーである
 あなたによって為されるのだ。
 質問者 人が沈黙の観照者であり、また普遍的エネルギーでもあると聞かさ
     れることは、言うまでもなく喜ばしいことです。しかし、どうやっ
     て言語上の表明から直接の知識へと超えていけばいいのでしょうか?
     聞くことは知ることではありません。
 マハラジ
 あなたが何かを直接知る前に、言葉を通してではなく知る者を知らなければ
 ならないのだ。
 今まで、あなたはマインドを知る者と見なしてきた。
 だが、そうではないのだ。
 マインドはイメージと観念をあなたに詰め込んできた。
 それは記憶に傷跡を残すのだ。
 あなたは覚えていることを知識だと思いこんできた。
 真の知識とはつねに新鮮で、新しく、予期できないものだ。
 それはあなたの内面から沸き上がってくるのだ。
 あなたがあなたで在るものを知るとき、あなたはまたあなたが知るものでも
 在る。
 知ることと在ることの間にへだたりはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

838鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/29(月) 22:15:59 ID:1d4drIFg0
悟っていない者は自分という者を観念によって認識しているのじゃ。
本当に知ってはいないのじゃ。
そこには今ここにあるものという認識が欠けているのじゃ。
常に過去の記憶から自分を想起して、それを自分と認識しているのじゃ。
悟りを得て今ここにある意識に到達したならば、今知ることとあることは同じことになるのじゃ。

839避難民のマジレスさん:2019/04/29(月) 23:17:36 ID:LC3de7YgO
>>837
『I AM THAT 私は在る』
【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】より(つづき)

 質問者 私にはマインドによってマインドを調べることができるだけです。
 マハラジ
 もちろん、マインドを知るためにマインドを使うがいい。
 それは完全に正当であり、またマインドを超えていくには最善の準備でもあ
 る。
 在ること、知ること、そして楽しむことはあなた自身のものだ。
 まず、あなた自身の存在を認識しなさい。
 それはやさしいことだ。
 なぜなら「私は在る」という感覚はつねにあなたとともにあるからだ。
 それから、知られるものから離れた、知る者としてのあなた自身と出会いな
 さい。
 ひとたび純粋な存在としてのあなたを知れば、自由の歓喜はあなたのものだ。
 質問者 これはどのヨーガなのでしょうか?
 マハラジ
 なぜ気にするのか?
 あなたをここへ来させたのは、あなたの知る身体とマインドの人生が満たさ
 れないものだからだ。
 あなたはコントロールを通して、また理想に合わせてそれを屈服させようと
 するかもしれない。
 あるいはすべての自己同一の結び目を断ち切り、身体とマインドを、あなた
 とは何の関わりもなく起こる何かとして見るかもしれない。
 質問者 コントロールと戒律の道をラージャ・ヨーガ、無執着の道をジニャ
     ーナ・ヨーガと呼び、偶像礼拝をバクティ・ヨーガと呼んでいいの
     でしょうか?
 マハラジ
 もしそれに満足ならば、あなたの好きにするがいい。
 言葉は差し示すが、説明はしない。
 私が教える道は、理解を通して至る太古からのシンプルな解放の道だ。
 あなたのマインドを理解しなさい。
 そうすればマインドはあなたをつかんでいる手をぱっと放すだろう。
 マインドとは誤解するものだ。
 誤解がその本性そのものなのだ。
 正しい理解が唯一の治療法だ。
 あなたがそれをどう呼ぼうとも。
 理解の道はもっとも原初の、そして最新の治療法なのだ。
 なぜなら、それはマインドをあるがままに扱うからだ。
 何をしようとあなたが変わることはないだろう。
 なぜなら、あなたには変わる必要がないからだ。
 あなたは身体やマインドを変えるかもしれない。
 だが、それはつねにあなたではなく、何か外側が変わったのだ。
 いったいどうして変わることを気にするのか?
 身体もマインドも、また意識さえもあなた自身ではないと、きっぱりと自覚
 しなさい。
 そして意識も無意識も超えたあなたの真の本性のなかにひとり在りなさい。
 明確な理解を除いては、いかなる努力もあなたをそこへ連れていかないだろ
 う。
 あなたの誤解を明らかにし、それを捨て去りなさい。
 ただそれだけだ。
 そこには探したり、見いだしたりするものは何もない。
 なぜなら、何も失われてはいないからだ。
 リラックスしなさい。
 そして「私は在る」を見守りなさい。
 実在はその背後にあるのだ。
 静かにしなさい。
 沈黙しなさい。
 それは現れるだろう。
 あるいはむしろ、それがあなたをそのなかへと連れていくだろう。
 質問者 私は身体とマインドから自由になるべきではないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたにはできない。
 なぜなら、その考え自体があなたを身体とマインドに拘束させるからだ。
 ただ理解し、無視すればいい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

840鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/30(火) 22:42:41 ID:1d4drIFg0
知識が導くのは自らの実践する方法までなのじゃ。
知識によって方法を得たならば、後は自分で実践し続けるしかないのじゃ。
道に迷い自らの心がわからなければ観察して自らの道をも作り上げるのじゃ。
そのようにして進んでいくのじゃ。

841避難民のマジレスさん:2019/04/30(火) 22:58:26 ID:LC3de7YgO
>>839
『I AM THAT 私は在る』
【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】より(つづき

 質問者 私には無視することができません。私は統合されていないのです。
 マハラジ
 あなたが完全に統合され、思考と行動が完全に協調されていると想像してみ
 たところで、それがどのようにあなたを助けるというのだろうか?
 それがあなたは身体とマインドだという誤解を解くことはないだろう。
 身体とマインドを「あなたではないもの」として正しく見なさい。
 ただそれだけだ。
 質問者 あなたは私に忘れるために覚えておきなさいと言われるのですか?
 マハラジ
 そうだ。
 それはそう見える。
 だが絶望的ではない。
 あなたにはできる。
 ただ誠実にはじめなさい。
 あなたの盲目の手探りは前途にあふれている。
 あなたの探求そのものが発見なのだ。
 失敗はありえない。
 質問者 統合されていないために、私たちは苦しむのです。
 マハラジ
 私たちの思考と行為が欲望と恐れに誘発されているかぎり、苦しみは続くだ
 ろう。
 その不毛さと危険性を見なさい。
 そうすれば、混沌は鎮まるだろう。
 あなた自身を改善しようと試みてはならない。
 ただすべての変化が無駄であることを見るのだ。
 変化するものは変化しつづける。
 その間、不変なるものは待ちつづけているのだ。
 変化するものが不変なるものへとあなたを連れていくと、期待してはならな
 い。
 それはけっして起こらない。
 変化という観念自体が偽りとし見られ、放棄されたときにのみ、不変なるも
 のがおのずと現れるのだ。
 質問者 私がどこへ行こうと、実在を見ることができるようになる前に、私
     は深く変わらなければならないと言われてきました。この意図的な、
     自ら強要した変化がヨーガと呼ばれるものなのです。
 マハラジ
 すべての変化はただマインドに影響を与えるだけだ。
 あなたであるもので在るには、マインドを超え、自己の存在のなかへと行か
 なければならない。
 マインドが何なのかということは重要でない。
 もしあなたがマインドを永遠に捨て去るならばだが。
 これもまた、真我の実現なしには不可能だ。
 質問者 マインドを放棄することと真我の実現、どちらが先に来るのでしょ
     うか?
 マハラジ
 真我の実現がかならず先に来る。
 マインドはマインドによってそれ自体を超えることはできないのだ。
 それは爆発しなければならない。
 質問者 爆発の前に探求はないのでしょうか?
 マハラジ
 爆発力は実在からやってくるのだ。
 だが、あなたはマインドをそのときに備えておくように充分教えられている。
 次の機会がやってくるまで恐れはつねにそれを遅らせることができる。
 質問者 私はチャンスがいつもあるものだと思っていました。
 マハラジ
 論理的にはそのとおりだ。
 実際は、真我実現のためにすべての必要要因が揃った状況が生じなければな
 らないのだ。
 このことで落胆することはない。
 「私は在る」という事実にとどまることが、別のチャンスをすぐにつくり出
 すだろう。
 なぜなら、態度が好機を引き寄せるからだ。
 あなたの知っていることはすべて間接的な知識だ。
 ただ、「私は在る」だけが直接の、そして証明を必要としないものなのだ。
 それとともにとどまりなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

842避難民のマジレスさん:2019/05/01(水) 18:12:22 ID:LC3de7YgO
  ∧_∧
 (´・(ェ)・)
 (っ=O と)
 ̄ ̄ヽ二フ ̄ ̄ ̄ ̄\
生ビールと、くま日高や史上初のしょうが焼き定食発注せり。

843避難民のマジレスさん:2019/05/01(水) 18:16:00 ID:LC3de7YgO
>>842
誤爆したであります。
くまの勤労奉仕場は新祭日も出勤日なのである。、
(´・(ェ)・`)つ

844鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/01(水) 21:56:04 ID:1d4drIFg0
↑ご苦労さんなのじゃ。

アートマンの実現があってからマインドの放棄が起こるとマハラジは言うのじゃ。
実際に悟りを得なければマインドを放棄すると言う事は出来ないものじゃ。
マインドとは思考とか分別なのじゃ。
それらを捨てようと思うことが既にマインドの働きであるからのう。
悟りを得る以外に放棄することは出来ないのじゃ。

845避難民のマジレスさん:2019/05/01(水) 22:13:26 ID:LC3de7YgO
>>841
『I AM THAT 私は在る』
【100 理解は解放へ導く】

 質問者 世界中の多くの国々で、調査官が犠牲者たちから告白を
 聞きだし、必要ならば人格さえも変えようとする目的で
 ある種の策略に従事しています。身体的、また倫理的剥
 奪(はくだつ)と説き伏せによって古い人格は崩れ去り、
 代わりに新たな人格が確立されるのです。取り調べを受
 ける人は、何度も何度も彼が国家の敵であり、祖国に対
 する反逆者だと言われるのを聞かされます。そして彼の
 なかで何かが崩れ去り、彼は国事犯、裏切り者であり、
 卑劣でもっとも残虐な罰を受けるに値すると完全に確信
 しはじめる日がやってくるのです。このプロセスは洗脳
 として知られています。
 宗教的、またヨーガ的な修練が洗脳と非常に似通ってい
 ることが、私に衝撃を与えました。同様の身体的、精神
 的剥奪、独房監禁、強烈な罪の感覚、絶望、そして罪の
 償いと回心を通しての逃避への欲望、自己の新たなイメ
 ージの受け入れ、そしてそのイメージの非人格化、同じ
 信条の復唱――「神は善なり。グルは知りたもう。信仰
 がわれらを救いたもう」。いわゆるヨーガ的、あるいは
 宗教的な修練においても同じ機構が作用しています。マ
 インドはほかのすべての概念を除き、ある特定の概念に
 集中させられます。そして集中は厳しい規律と苦しい禁
 欲によって強く強要されます。人生と幸福という高い代
 償が支払われ、それゆえに得たものは大いなる重要性を
 もつのです。これが顕(あらわ)なもの、あるいは秘め
 られたもの、宗教的あるいは政治的、倫理的あるいは社
 会的に、あらかじめ仕組まれた転向であり、一見真正に
 見え、永続するかもしれませんが、そこには人工的な感
 覚があるのです。
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 多くの苦しい状況を通り抜けて、マインドは正常な状態を失い、
 固定されてしまう。
 それは危険な状態に陥り、それが何をしようとより強い束縛には
 まってしまうのだ。
 質問者 それでは、なぜサーダナ(修練)が指導されるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 あなたが途方もない努力をしないかぎり、努力はあなたをどこへ
 も連れていかないと得心することはないだろう。
 自我はあまりにもうぬぼれが強いため、完全に落胆させられるま
 ではあきらめることがないからだ。
 単なる言葉の上の確信では充分ではない。
 厳しい事実だけが自己イメージの絶対的な不毛を示すことができ
 るのだ。
 質問者 洗脳者は私を狂気へと駆りたてます。グルは私を正気へ
     と駆りたてるのです。駆りたてることは同じですが、動
     機と目的は完全に異なるものです。おそらく、その類似
     性は単に言葉上のものなのでしょう。
 マハラジ
 苦しみを招くこと、あるいは強要することは、それ自体暴力を含
 んでいる。
 そして暴力の果実に甘さはありえないのだ。
 人生には苦しみを避けることのできない状況がある。
 そしてあなたはそれを乗り越えていかなければならないのだ。
 あなたが意図的に、あるいは無関心から生み出した状況もある。
 あなたはそれらから、ひとつの教訓を学ばなければならない。
 そうすることで、ふたたび繰り返すことのないように。
 質問者 どうやら苦痛を克服するためには、私たちは苦しまなけ
     ればならないようです。
 マハラジ
 苦痛は耐えなければならない。
 苦痛を克服するということはないし、訓練も必要ない。
 訓練とは未来のためのものだ。
 型にはまった態度を築きあげていくことは、恐れの象徴なのだ。
 質問者 ひとたびいかにして苦痛に直面するかを知れば、私はそ
     れから自由になり、恐れず、それゆえ幸福になるのです。
     これが囚人に起こることです。彼は刑罰を正当で適切な
     ものとして受け入れ、牢獄の権威者や国家と和平を結ぶ
     のです。すべての宗教は、ほかでもない受容と明け渡し
     を唱導します。私たちは罪を認め、世界中にあるすべて
     の悪の責任を感じ、私たちがその唯一の原因であると感
     じることを奨励されるのです。私の問題とは、洗脳とサ
     ーダナの間に大した違いが見えないということなのです。
     サーダナの場合は身体的に抑制されませんが、強制的な
     暗示の要素は双方にあります。
 マハラジ
 すでにあなたの言ったとおり、類似性は表面的なものだ。
 何度も繰り返して言うまでもない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

846避難民のマジレスさん:2019/05/01(水) 22:35:10 ID:LC3de7YgO
>>844
悟れば、思考や分別 を我がものとしてではなく操れる。
我がものとしての思考や分別を放棄されるということでありますかね。

(´・(ェ)・`)つ

847避難民のマジレスさん:2019/05/02(木) 06:55:45 ID:LC3de7YgO
パパジ「真理のみ」の掲載準備をしているのでありますが、
仏教で言うところの、三法への帰依を説いてるのでありましょうが、
パパジの本にに感じるコマーシャル臭が、マハラジには全くなく、先に読んでよかったと思うであります。
(´・(ェ)・`)つ

848避難民のマジレスさん:2019/05/02(木) 13:48:55 ID:jfWCoXjM0
こちら対話録にはあまりでてきませんが、マハラジの流派も帰依はかなり重要視していたようですよ
瞑想ばかりしている人に、「もっとプージャ(礼拝の儀式)をしなさい」といっていた話も読んだ記憶があります
マハラジ自身も、もう必要ないけれど、師匠に生前いわれたのでやめることなく1日数回していたそうです

849鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/02(木) 22:08:33 ID:1d4drIFg0
>>846 そうじゃ、無我の思考や分別ができるのじゃ。
 自分のものではないから、エゴによる介入や贔屓目がなく、智慧として働くのじゃ。
 思考や分別も本来は智慧として働くものであるが、自我があれば迷いと苦の原因となってしまうのじゃ。
 無我になれば自分のものとしてではなく、智慧として発揮されるのじゃ。

850避難民のマジレスさん:2019/05/02(木) 23:00:37 ID:LC3de7YgO
>>848
そうでたりますか。
そう言えば、信仰をもたないくまも、職場の近くの小さな神社で毎朝、何も願わず、作法通りに手を合わせたり、寺に行けば般若心経を唱えたりしてるのは、その事により、その時だけでも、心が洗われるような
気がするからであります。
あまり、気にしなくてよいのでありますね。
>>849
鬼和尚、いつも、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

851避難民のマジレスさん:2019/05/02(木) 23:13:15 ID:LC3de7YgO
>>845
『I AM THAT 私は在る』
【100 理解は解放へ導く】

 質問者 類似性は表面的なものではありません。人間は複雑な存
     在であり、同時に原告と被告、判事、刑務所長、死刑執
     行人になることができるのです。「自発的な」サーダナ
     に、それほどの自発性はありません。人は理解とコント
     ロールの範囲を超えた力に動かされているのです。苦痛
     に満ちた長い努力による以外、私には身体の代謝作用ほ
     ど心理的代謝作用を変えることはできません。それがヨ
     ーガなのです。私が尋ねたいことは、「マハラジはヨー
     ガが暴力を含んでいるという私の見方に同意されるでし
     ょうか?」ということです。
 マハラジ
 あなたが示しているヨーガが暴力を意味していることには同意す
 るが、私はいかなる形の暴力も唱道したことはない。
 私の道は完全に非暴力のものだ。
 私は言葉どおり正確に非暴力を意味している。
 それがどのようなものであるか自分自身で試してみるがいい。
 私はただ、それが非暴力だと言うだけだ。
 質問者 私は言葉を誤用しているわけではありません。あるグル
     が残りの人生を、一日、十六時間瞑想するよう求めると
     すれば、私には自分への極端な暴力なしにそれをするこ
     とはできません。そのようなグルは正しいのでしょうか、
     間違っているのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがそうしたいと感じないかぎり、誰もあなたに一日、十六
 時間瞑想するよう強要してはいない。
 それは、「あなた自身とともに在りなさい。ほかのものごとのな
 かに自分を見失ってはならない」と言っているだけなのだ。
 教師は待つだろう。
 だが、マインドは性急なのだ。
 暴力的なのは教師ではなくマインドだ。
 そしてマインドはそれ自身の暴力を恐れているのだ。
 マインドに属するものは相対的であり、それを絶対的と見なすこ
 とは誤りだ。
 質問者 もし私が受容的なままでいれば、何の変化も起こらない
     でしょう。もし活動的になれば、私は暴力的になるでし
     ょう。無益でも暴力的でもないどのようなことを私はす
     ればいいのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、無益でも暴力的でもない道がある。
 しかも、最高に効果的なものだ。
 ただあるがままのあなた自身を見なさい。
 あるがままのあなた自身を受け入れなさい。
 そして、あなたであるもののなかへと、どこまでも深く入っていきなさい。
 暴力や非暴力は、あなたの他者に対する態度を表している。
 自己と自己自身との関係性は暴力でも非暴力でもない。
 それはそれ自身に気づいているか気づいていないかのどちらかだ。
 もしそれがそれ自身を知っているなら、それが為(な)すすべては正しいだ
ろう。
 もしそれがそれ自身を知らないなら、それが為すすべては誤りだろう。
 質問者 「私はあるがままの私を知っている」とはどういう意味
     でしょうか?
 マハラジ
 マインドが現れる以前に、私は在る。
 「私は在る」はマインドの中にあるひとつの想念ではない。
 マインドが私に起こるのであって、私がマインドに起こるのではない。
 そして時間と空間がマインドのなかに存在するため、私は時間と空間を超え
、永遠で不変なるものなのだ。
 質問者 あなたは真面目なのですか? 本気であなたがいつでも、
     どこにでも存在すると言われるのですか?
 マハラジ
 そうだ。
 あなたにとって動くことの自由が明白であるように、私にとってそれは明白
なことだ。
 樹が猿に「あなたがどこへでも動くことができるというのは本当なのですか
?」と尋ねているところを想像するがいい。
 そして猿は言うだろう。
 「そうだとも」と。
 質問者 あなたは因果関係からも自由なのでしょうか? あなた
     は奇跡を起こせますか?
 マハラジ
 世界そのものがひとつの奇跡なのだ。
 私は奇跡を超えている。
 私は絶対的に正常だ。
 私にとってはすべて、起こるべきことが起こるのだ。
 私は創造過程を妨げない。
 大いなる奇跡がつねに起こっているときに、小さな奇跡が私にとってどのよ
うな意味があるというのだろう?
 何であれあなたが見ているものは、つねにあなた自身の存在を見ているのだ。
 あなた自身のなかへどこまでも深く入っていきなさい。
 内側を探しなさい。
 自己発見には暴力も非暴力もない。
 偽りを破壊することは暴力ではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

852鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/03(金) 22:22:23 ID:1d4drIFg0
>>850 どういたしまして、またおいでなさい。

世間の者の言う奇跡とは観念の中にあるものじゃ。
観念の操作なのじゃ。
手品師が上手くやってのける手品と同じなのじゃ。
観念を超えたものではないのじゃ。
観念を超えた存在としてあることがマハラジの言う真の奇跡なのじゃ。

853避難民のマジレスさん:2019/05/03(金) 23:12:23 ID:LC3de7YgO
>>851
『I AM THAT 私は在る』
【100 理解は解放へ導く】(つづき)

 質問者 類似性は表面的なものではありません。人間は複雑な存
     在であり、同時に原告と被告、判事、刑務所長、死刑執
     行人になることができるのです。「自発的な」サーダナ
     に、それほどの自発性はありません。人は理解とコント
     ロールの範囲を超えた力に動かされているのです。苦痛
     に満ちた長い努力による以外、私には身体の代謝作用ほ
     ど心理的代謝作用を変えることはできません。それがヨ
     ーガなのです。私が尋ねたいことは、「マハラジはヨー
     ガが暴力を含んでいるという私の見方に同意されるでし
     ょうか?」ということです。
 マハラジ
 あなたが示しているヨーガが暴力を意味していることには同意す
 るが、私はいかなる形の暴力も唱道したことはない。
 私の道は完全に非暴力のものだ。
 私は言葉どおり正確に非暴力を意味している。
 それがどのようなものであるか自分自身で試してみるがいい。
 私はただ、それが非暴力だと言うだけだ。
 質問者 私は言葉を誤用しているわけではありません。あるグル
     が残りの人生を、一日、十六時間瞑想するよう求めると
     すれば、私には自分への極端な暴力なしにそれをするこ
     とはできません。そのようなグルは正しいのでしょうか、
     間違っているのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがそうしたいと感じないかぎり、誰もあなたに一日、十六
 時間瞑想するよう強要してはいない。
 それは、「あなた自身とともに在りなさい。ほかのものごとのな
 かに自分を見失ってはならない」と言っているだけなのだ。
 教師は待つだろう。
 だが、マインドは性急なのだ。
 暴力的なのは教師ではなくマインドだ。
 そしてマインドはそれ自身の暴力を恐れているのだ。
 マインドに属するものは相対的であり、それを絶対的と見なすこ
 とは誤りだ。
 質問者 もし私が受容的なままでいれば、何の変化も起こらない
     でしょう。もし活動的になれば、私は暴力的になるでし
     ょう。無益でも暴力的でもないどのようなことを私はす
     ればいいのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、無益でも暴力的でもない道がある。
 しかも、最高に効果的なものだ。
 ただあるがままのあなた自身を見なさい。
 あるがままのあなた自身を受け入れなさい。
 そして、あなたであるもののなかへと、どこまでも深く入ってい
 きなさい。
 暴力や非暴力は、あなたの他者に対する態度を表している。
 自己と自己自身との関係性は暴力でも非暴力でもない。
 それはそれ自身に気づいているか気づいていないかのどちらかだ。
 もしそれがそれ自身を知っているなら、それが為(な)すすべて
 は正しいだろう。
 もしそれがそれ自身を知らないなら、それが為すすべては誤りだ
 ろう。
 質問者 「私はあるがままの私を知っている」とはどういう意味
     でしょうか?
 マハラジ
 マインドが現れる以前に、私は在る。
 「私は在る」はマインドの中にあるひとつの想念ではない。
 マインドが私に起こるのであって、私がマインドに起こるのでは
 ない。
 そして時間と空間がマインドのなかに存在するため、私は時間と
 空間を超え、永遠で不変なるものなのだ。
 質問者 あなたは真面目なのですか? 本気であなたがいつでも、
     どこにでも存在すると言われるのですか?
 マハラジ
 そうだ。
 あなたにとって動くことの自由が明白であるように、私にとって
 それは明白なことだ。
 樹が猿に「あなたがどこへでも動くことができるというのは本当
 なのですか?」と尋ねているところを想像するがいい。
 そして猿は言うだろう。
 「そうだとも」と。
 質問者 あなたは因果関係からも自由なのでしょうか? あなた
     は奇跡を起こせますか?
 マハラジ
 世界そのものがひとつの奇跡なのだ。
 私は奇跡を超えている。
 私は絶対的に正常だ。
 私にとってはすべて、起こるべきことが起こるのだ。
 私は創造過程を妨げない。
 大いなる奇跡がつねに起こっているときに、小さな奇跡が私にと
 ってどのような意味があるというのだろう?
 何であれあなたが見ているものは、つねにあなた自身の存在を見
 ているのだ。
 あなた自身のなかへどこまでも深く入っていきなさい。
 内側を探しなさい。
 自己発見には暴力も非暴力もない。
 偽りを破壊することは暴力ではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

854鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/04(土) 22:35:43 ID:1d4drIFg0
お釈迦様も神通力で説法すれ゛は善いという者に、そのようなことは幻術師がもっとうまくやってのけるからいかんのじゃ、と言っているのじゃ。
長年修行して空が飛べるとか言っても幻術師が直ぐにもっとうまくやってしまうから無意味なのじゃ。
更に空を飛んでも死には無力なのじゃ。
真の奇跡である不死の境地を目指すが善いのじゃ。

855避難民のマジレスさん:2019/05/04(土) 23:21:40 ID:LC3de7YgO
>>853
『I AM THAT 私は在る』
【100 理解は解放へ導く】(つづき)

 質問者 私が自己探求を実践するとき、あるいはそれが何らかの
     形で私に利益をもたらすだろうと考えながら内側へと入
     っていくとき、私はいまだにあるがままの私から逃げだ
     しているのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 真の探求はつねに何かのなかへであって、何かから外へではない。
 私がいかにして何かを得るか、あるいは避けるかを探求するとき
 は、本当に探求しているとは言えない。
 何かを知るためには、完全にそれを受け入れなければならないの
 だ。
 質問者 そうです。神を知るには神を受け入れなければなりませ
     ん。何と恐ろしいことでしょう!
 マハラジ
 神を受け入れる前に、あなたはあなた自身を受け入れなければな
 らない。
 それはもっと恐ろしいことでさえある。
 自己受容の第一段階はまったく喜ばしいものとは言えない。
 なぜなら、人は楽しい光景を見るわけではないからだ。
 先へ進んでいくには、すべての勇気が必要とされる。
 助けとなるのは沈黙だ。
 完全な沈黙のなかで、あなた自身を見守りなさい。
 あなた自身を描写してはならない。
 あなただと思いこんでいるあなたを見てみなさい。
 そして、あなたはあなたが見ているものではないことを覚えてお
 きなさい。
 「これは私ではない。私は誰か?」が自己探求の動きなのだ。
 解放へのほかの手段というものはない。
 すべての手段は延期を意味するのだ。
 あなたではないものを断固として拒絶しなさい。
 真の自己が荘厳なる無のなかに現れるまで。
 それは、「何ものでもないもの」なのだ。
 質問者 世界は急速に、危機的な変化を通り抜けています。私た
     ちはそれをアメリカのなかで大いなる明晰性(めいせき
     せい)をもって見ることができます。それらはほかの国
     々で起こっているのですが。一方では、犯罪の増加が見
     られ、他方では、真正な神聖さが現れています。共同体
     が形成され、それらのいくつかは非常に高いレベルの統
     合と禁欲生活を送っています。炎がその燃料を使い尽く
     すように、あたかも悪はそれ自体の成功によってそれ自
     体を破壊しているかのようです。一方、善は生命のよう
     にそれ自身を永続させるのです。
 マハラジ
 出来事を善と悪に区別するかぎり、あなたは正しいだろう。
 事実は、善は悪となり、悪はそれ自身を満たすことによって善と
 なるのだ。
 質問者 愛についてはどうでしょう?
 マハラジ
 それが好ましくない欲望へと変わるとき、破壊的になるのだ。
 質問者 好ましくない欲望とは何でしょうか?
 マハラジ
 記憶すること、想像すること、期待することだ。
 それは感覚的で、言語的なのだ。
 耽溺(だんでき)のひとつの形態だ。
 質問者 ブラフマチャーリア、禁欲はヨーガに必要不可欠なもの
     でしょうか?
 マハラジ
 抑制と抑圧の人生はヨーガではない。
 マインドは欲望から解き放たれ、リラックスしていなければなら
 ないのだ。
 それは記憶の一形態である決定から来るのではなく、理解から現
 れる。
 理解するマインドは欲望と恐れから自由なのだ。
 質問者 どうやって私自身を理解させることができるのでしょう
     か?
 マハラジ
 瞑想によって。
 つまり注意を払うことによってだ。
 あなたの問題に完全に気づいていなさい。
 それをすべての角度から見つめなさい。
 それがあなたの人生にどう影響を与えるのか見守りなさい。
 そして、放っておくがいい。
 それ以上あなたにできることはないのだ。
 質問者 それは私を解放するのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはあなたが理解したものから自由なのだ。
 外側での自由の表現が現れるには時間がかかるかもしれない。
 だが、それはすでにそこにある。
 完成を期待してはならない。
 顕現のなかに完成というものはないのだ。
 小さな衝突はまぬがれない。
 問題が完全に解決されることはない。
 だが、あなたはそれが作用しないレベルへと身を引くことができ
 るのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

856避難民のマジレスさん:2019/05/04(土) 23:43:38 ID:LC3de7YgO
>>855
> 質問者 愛についてはどうでしょう?
 マハラジ
 それが好ましくない欲望へと変わるとき、破壊的になるのだ。
 質問者 好ましくない欲望とは何でしょうか?
 マハラジ
 記憶すること、想像すること、期待することだ。
 それは感覚的で、言語的なのだ。
 耽溺(だんでき)のひとつの形態だ。

←マハラジが説く、好ましい愛とは、記憶、想像、期待、と無縁で、感覚的でも言語的でもないものとは、
全てを受け入れる、ただ一つの意識のことでありましょうか?、

> 質問者 それ(=瞑想)は私を解放するのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはあなたが理解したものから自由なのだ。
 外側での自由の表現が現れるには時間がかかるかもしれない。
 だが、それはすでにそこにある。
 完成を期待してはならない。
 顕現のなかに完成というものはないのだ。
 小さな衝突はまぬがれない。
 問題が完全に解決されることはない。
 だが、あなたはそれが作用しないレベルへと身を引くことができ
 るのだ。

←観察瞑想により、理解を深め、それを放置して、作用しないレヘルへと身を引けと言うことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

857鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/05(日) 22:55:07 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃろう。
 そこに至れば自他を一つに見る真の愛が在るのじゃ。
 この世の愛は執着に変るからいかんのじゃ。

 そうじゃ、観察して完全に理解できる気付きが起こればそれから自由になるのじゃ。
 自己同一化がなくなり、作用がなくなるのじゃ。
 観察が完全であれば厭離が自然に起こり、自ら身を引くことを意識しなくともできるのじゃ。

858避難民のマジレスさん:2019/05/05(日) 23:59:06 ID:LC3de7YgO
おわびと告知(´・(ェ)・`)つ
昨年1月9日から続けて参りました、マハラジ講読会、あと一章を残すところとなりました。

実はたいへん残念なのでありますが、本日掲載する部分までで、終了とせざるを得なくなりました。

あと5〜6回分くらいのページ数でありますので、残念であります。

と、言うわけで、>>848殿、急なことで申し訳ありませんが、
引き続き、マハラシの対話録の講読会にバトンタッチ、お願いできるでありましょうか?

>>857
鬼和尚、いつもありがとうであります。
この度は中途半端で申し訳ありません。

859避難民のマジレスさん:2019/05/06(月) 00:05:58 ID:LC3de7YgO
>>856
『I AM THAT 私は在る』
【101 ジニャーニは理解も把握もしない】
 質問者 ジニャーニ(賢者)は何かを為(な)す必要があるとき、どのよう
     に行うのでしょうか? 彼は計画を立て、詳細にわたって決定し、
     それを実行するのでしょうか?
 マハラジ
 ジニャーニは状況を完全に理解し、即座に何が為されるべきかを知る。
 それだけだ。
 残りはひとりでに起こる。
 しかも、たいていは無意識のうちに起こるのだ。
 ジニャーニとすべての存在との同一性は本当に完全なものであり、彼が宇宙
 に応えるように、宇宙も彼に応える。
 ひとたび状況が認識されれば、出来事は適切な対応のなかで動いていくとい
 うことに彼は絶大な確信を持っているのだ。
 普通の人は個人的利害に関心を持ち、危険とチャンスを計算している。
 一方、ジニャーニは超然として、すべては起こるべくして起こると確信して
 いる。
 そして何が起こるかは、さして重要なことではないのだ。
 なぜなら、最終的に均衡と調和が戻ってくることは不可避だからだ。
 ものごとの核心には平和があるのだ。
 質問者 私は人格が幻想であり、アイデンティティを失うことなく油断なく
     冷静にあることが、私たちにとっての実在との接触点であることを
     理解しました。どうか教えていただけますか、今、この時点であな
     たは個人なのでしょうか、それとも自己覚醒したアイデンティティ
     なのでしょうか?
 マハラジ
 私はその両方だ。
 だが真の自己は、個人によって与えられた、何が私ではないかという表現に
 よる以外描写することはできないのだ。
 個人に関してあなたが言えることはみな自己ではない。
 そしてあなたはあるがままの、そうありえたであろう、そうあるべき自己に
 関して何も言うことはできないのだ。
 すべての属性は個人的なものであり、実在はすべての属性を越えているから
 だ。
 質問者 あなたはときどき自己で、ときどき個人なのでしょうか?
 マハラジ
 どうしてそう在ることができよう?
 個人とは、ほかの人たちにとってそう現れる私なのだ。
 私自身にとって、私は意識の無限な広がりであり、そのなかで無数の個人が
 果てしない連鎖のなかで現れては消えていくのだ。
 質問者 あなたにとってはまったくの実体のない個人が、私たちにとっては
     現実に見えるのはどうしてでしょうか?
 マハラジ
 自己、すべての存在の根源、意識と歓喜であるあなたは、何であれあなたが
 知覚するものに実在性を与えるのだ。
 この実在性を与えることはつねに今のなかにおいて起こり、ほかのどのとき
 にも起こることはない。
 なぜなら過去と未来はマインドのなかにしか存在しないからだ。
 「在ること」は今だけに適用するのだ。
 質問者 永遠性も無限なのではないでしょうか?
 マハラジ
 時間が無限なのだ。
 そこに限界はあるが、永遠は今という一瞬のなかにある。
 私たちがそれを見失うのは、私たちのマインドがつねに過去と未来の間を行
 き来しているからだ。
 マインドが今に焦点を当てるために止まることはないだろう。
 もし興味が起これば、それは比較的簡単にできるのだ。
(´・(ェ)・`)
(みかん)

860避難民のマジレスさん:2019/05/06(月) 15:39:45 ID:jfWCoXjM0
>>858
了解です!くまさんもお疲れさまでした(-人ー)
OSHOとパパジの講読会も、引き続き楽しみにしてますね。

861避難民のマジレスさん:2019/05/06(月) 16:50:31 ID:LC3de7YgO
>>860
よろしくお願いします。
(´・(ェ)・`)つ

862鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/06(月) 21:51:41 ID:1d4drIFg0
>>858 ご苦労さんなのじゃ。

悟りを得れば全ての状況で身体の智慧が無意識に起きて実行するのじゃ。
そこに計らいは無いのじゃ。
本人にも寸前まで何をするのか分からないのじゃ。
全ての状況に同じ答えは無いから、智慧もまた無尽に働くのじゃ。

863避難民のマジレスさん:2019/05/07(火) 11:04:35 ID:jfWCoXjM0
1935年5月15日

対話1

遊行僧(サンニャーシー)が疑いを解くために尋ねた。
「どうすればこの世のすべてが神であるということを悟れるでしょうか?」

マハルシ

もしあなたが叡知の目で観れば、世界が神であることを見いだすでしょう。
至高の霊性(ブラフマン)を知らずして、どうしてすべてに遍在する神を見いだすことができるでしょうか?

864避難民のマジレスさん:2019/05/07(火) 12:10:49 ID:LC3de7YgO
>>863
ありがとうございます。よろしくお願いします。
(´・(∀)・`)つ

865鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/07(火) 22:46:49 ID:1d4drIFg0
ブラフマンは全てにあるのじゃ。
それを見なければ群小の観念である神に囚われるのじゃ。
インドにもいろろいな神がいるのじゃ。
川の神とか猿の神とか牛の神とか世界を作った神とかそれを夢見ている神とかなのじゃ。
それらに囚われれば観念に囚われたことになるのじゃ。
今ここにある全てである意識に気付けばブラフマンを見たことになるのじゃ。

866避難民のマジレスさん:2019/05/08(水) 13:03:47 ID:jfWCoXjM0
対話2

ある人が知覚の本性について尋ねた。

マハルシ

あなたがどの状態にあろうと、知覚はその状態の性質を帯びるものです。
目覚めの状態(ジャーグラト)では、粗大な身体が粗大な名前や形を知覚し、夢見の状態(スワプナ)では、精神的身体が多様な名前と形をともなった精神的創造物を知覚します。
そして夢のない深い睡眠状態(スシュプティ)では、身体との同一化は失われるため、知覚はなくなります。
同様に、ブラフマンと自己同一化した超越状態においては、人は全体と調和の内にあるため、彼の真我から分離したものは何もないのです。

867鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/08(水) 22:54:17 ID:1d4drIFg0
知覚は刺激を受け取る性質から鏡のように今の状態に染まるのじゃ。
赤い紙を目の前に置けば全て赤く見えるようにのう。
自分の意志によらずただありのままに刺激を受け容れるだけなのじゃ。
自分ではなく自分のものでさえもないものじゃ。
自己同一化により、自分の知覚と認識するだけなのじゃ。

868避難民のマジレスさん:2019/05/09(木) 14:50:13 ID:jfWCoXjM0
対話3


幸福の本性について質問があった。

マハルシ

もし外的な原因や自分の所有するものが幸福の原因だと考えるなら、所有するものが増えれば幸福も大きくなり、所有するものが減るにしたがって幸福も少なくなると結論づけることは理にかなっていると言えるでしょう。
そうすると、もし所有するものがなければ、幸福はありえないはずです。
実際の体験ではどうでしょうか?
それはこの考えと一致しているでしょうか?

深い眠りの中で、人は自分の身体も含めて何も所有していません。
それにもかかわらず、不幸であるどころかまったく幸せなのです。
誰もがぐっすりと眠ることを望んでいます。
つまり幸福は本来人に備わったものであり、外的な原因によるものではないということです。
人に生来備わった純粋な幸福の扉を開くためには、真我を実現しなければならないのです。

869鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/09(木) 23:06:50 ID:1d4drIFg0
外的な環境で幸福になるならば誰も幸福にはなれないのじゃ。
それは直ぐに変化してしまう性質であるからのう。
いずれは死によって永遠に捨てなければならないものじゃ。
心の中にこそ真の幸福はあるのじゃ。
それは死によっても無くなる事が無い永遠の幸福なのじゃ。

870避難民のマジレスさん:2019/05/10(金) 01:49:57 ID:LC3de7YgO

>>868
>深い眠りの中で、人は自分の身体も含めて何も所有していません。
それにもかかわらず、不幸であるどころかまったく幸せなのです。
誰もがぐっすりと眠ることを望んでいます。
つまり幸福は本来人に備わったものであり、外的な原因によるものではない

←言われてみればあたりまえの様でもありますが、くまにとっては、
幸福は本来人に備わったものであると言うことについての、たいへん新鮮な言説であります。
(´・(ェ)・`)つ

871避難民のマジレスさん:2019/05/10(金) 12:02:31 ID:jfWCoXjM0
対話4

教養ある青年がマハルシに尋ねた。

「生物学者はハートが左側にあると言っているのに、どうしてあなたは右側にあると言われるのでしょうか?」

マハルシ

そのとおりです。
身体的器官であるハートは左側にあり、それが否定されたわけではありません。
しかし私の言うハートは身体的なものではなく、それは右側にしかありえないものなのです。
それは私の体験に由来するため、他から証拠を求める必要もありません。

それでも、マラヤラム語版のアーユルヴェーダの書と『シーター・ウパニシャド』の中に確証を得ることができるでしょう。

そう語ると、マハルシは後者からマントラを引用し、前者から韻文の一部を読み上げた。


マラヤラム語版のアーユルヴェーダの書
…『アシュターンガ・フリヤダム』のこと

『シーター・ウパニシャド』
…『アタルヴァ・ヴェーダ』に含まれる32の『ウパニシャド』の1つ。
『ラーマーヤナ』に登場する女神シーターが行為、願望、知識の3つの力を秘める神聖な存在として描写されている。

872避難民のマジレスさん:2019/05/10(金) 19:44:49 ID:LC3de7YgO
>>871
経絡とかツボみたいなものでありましょうかね?
(´・(ェ)・`)つ

873鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/10(金) 23:12:39 ID:1d4drIFg0
>>870 そうじゃ、眠りによって人は苦から一時的に逃れて安らぐのじゃ。
 幸福が心によることの証拠なのじゃ。

>>872 マハリシのチャクラじゃな。
 それは流派によって違い、人によっても違うのじゃ。
 アートマンは胸の中にあるというのじゃ。
 各自でそれを突き止めるしかないのじゃ。

874避難民のマジレスさん:2019/05/11(土) 11:25:47 ID:jfWCoXjM0
対話5

エンジニアのM・フリードマン氏が恩寵についての所見を述べた。

「海に飛び込んだ塩人形は、たとえ防水服を着ていても生き残れないでしょう」

マハルシは嬉しそうに微笑んで、それはいい喩えだと褒めると、「身体が防水服なのです」と言葉を添えた。

875避難民のマジレスさん:2019/05/11(土) 11:59:30 ID:LC3de7YgO
>>874
恩寵=真理
海=ただ一つの意識。(社会ではないでありましょう。)
塩人形=自我、個我

で、ありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ

876鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/11(土) 23:33:13 ID:1d4drIFg0
↑そのようなものじゃ。
身体があれば自分という観念から逃れるのは容易ではないのじゃ。
しかし、実際には身体もまた意識の中にあり、外のものではないのじゅ。
いずれは海に同化していくのは必然なのじゃ。

877避難民のマジレスさん:2019/05/12(日) 11:52:12 ID:jfWCoXjM0

対話6

心が散漫にならないようにする方法について、サンニャーシーが質問した。

マハルシ

あなたは自分の真我を忘れて、外側の物事に目を向けます。
真我をとらえ続けているなら、外側の世界を見ることはないでしょう。

878避難民のマジレスさん:2019/05/12(日) 12:24:02 ID:LC3de7YgO
>>877
うむ。
散漫になっていると、気づいてればよいのでありますかね?

真我は無いものでありますから、その無いものが胸の辺りあると仮定して、そこに集中すればよいのでありますね。
そうすると、自我は無いものであるといつかは気付けるわけでありますね。
で、その事に気づけたのは誰かという最後に残る疑問の答えが、ただ一つの意識であるわけでありますね。

「無」とか「空」と言うよりも、「ただ一つの意識」「アートマン」「ブラフマン」とか言った方が目標がわかりやすいでありますね。

(´・(ェ)・`)つ

879鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/12(日) 22:57:48 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、気付けばよいのじゃ。
 それがアートマンの法なのじゃ。
 それには否定することでしか辿りつけないのじゃ。
 言葉は役に立たないから実践するしかないのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。

880避難民のマジレスさん:2019/05/13(月) 13:06:59 ID:jfWCoXjM0

対話7

『ダクシナームールティ・ストートラム』の最終節にあるように、「全知全能(イーシュヴァラトヴァ)を達成するとともに、超自然能力を達成することはできるか」という質問にマハルシが答えた。

「まず全知全能を達成しなさい。
それから、他の質問が起こるかどうか見てみなさい」

881避難民のマジレスさん:2019/05/13(月) 18:41:05 ID:LC3de7YgO
>>880
うむ。
きっとマハリシは全能のパラドクスを承知の上で、それをも含む「ただ一つの意識」「アートマン」「ブラフマン」の追求を促してるのでありましょうか。
で、超自然能力、を肯定してると理解すべきでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

882鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/13(月) 22:50:21 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃろう。
全知全能で既に全ての超自然能力を得ているのじゃ。
ただ力が欲しいだけの者の質問なのじゃ。
それも競争に勝ちたいからなのじゃ。
競争に勝つ力に囚われた者なのじゃ。

883避難民のマジレスさん:2019/05/14(火) 11:10:41 ID:jfWCoXjM0

対話8

質問者

自分で選んだ聖なるマントラを繰り返し唱えても、恩恵を受けることはできるのでしょうか?

マハルシ

できません。
マントラは師から伝授されなければならず、またその人はそれにふさわしいだけの力量を持っていなければなりません。

ある王と大臣の物語があります。
ある日、王が大臣の邸宅を訪れました。
そこで王は大臣が聖なるマントラの復唱に従事している最中だと告げられました。
王は彼を待ち、大臣が挨拶に来たとき、それがどのようなマントラなのかと尋ねたところ、それは最も神聖なマントラ、ガーヤトリーですと大臣は答えました。
王はそれを伝授してくれるようにと頼んだのですが、大臣は自分にはその力がないことを告白したのです。
そのため、王は仕方なく他の者からそのマントラを学び、後に大臣に会ったとき、それが正しいものかどうか聞いてもらおうと、ガーヤトリーを唱えてみせました。

大臣は

「マントラ自体は正しいものですが、王がそれを口にするのはふさわしくありません」

と伝えました。

その説明を王に強いられたとき、大臣は傍らに控えていた従者に、

「王をとりおさえろ」

と命じました。

しかし従者は命令にしたがいませんでした。
大臣は何度も同じ命令を繰り返しましたが、やはり従者はしたがわなかったのです。

王は激怒して、その従者に

「大臣をとりおさえろ」

と命じました。

すると、従者は即座に命令にしたがったのでした。

大臣は笑って、

「これが王への説明なのです」

と言いました。

「いったいどうして?」

と王は尋ね返しました。

「命令は同じであり、命令された人もまた同じです。
しかし命令する者の権威が違っていたのです。
私が命じたとき、その効力はまったくありませんでしたが、あなたが命令されたとき、即座に効力を発しました。
マントラについても同じことなのです」

884避難民のマジレスさん:2019/05/14(火) 19:19:47 ID:LC3de7YgO
>>883
うむ。日本の財界人や元芸能人でマントラ販売で商売してる人もいるでありますね。
ビートルズの師匠とかも。
なんかくまは、そう言うのは受け入れられないであります。
(´・(ェ)・`)つ

885鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/14(火) 22:52:15 ID:1d4drIFg0
マントラは基本的に神への呼びかけなのじゃ。
信仰する神へのマントラであり、師匠が弟子に授けることで信じて続けることができるのじゃ。
師匠も弟子の信仰態度などを見て決めるのじゃ。
強い信仰の無い者には無意味なのじゃ。

886避難民のマジレスさん:2019/05/15(水) 12:31:17 ID:jfWCoXjM0

対話9

質問者

なぜ聖典は賢者が子供のようだと述べているのでしょうか?

マハルシ

子供と賢者はある意味で似ています。
出来事は、それが起こっている間だけ子供の興味を引きますが、終わってしまえば子供はそれについて考えたりしません。
ですから、出来事が子供に何の印象も残さず、精神的影響を与えなかったことは明らかです。
それは賢者(ジニャーニ)にとっても同じなのです。

ジニャーニ…真我実現した人。賢者。ジュニャーニ。ギャーニ。

887避難民のマジレスさん:2019/05/15(水) 19:01:49 ID:LC3de7YgO
>>886
真我実現した人と賢者は別なのでありますか?
(´・(ェ)・`)つ

888鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/15(水) 23:06:24 ID:1d4drIFg0
悟っていなくとも多く学んで賢くなることはできるのじゃ。
正しい知識によって自らの愚かさを知れば賢者なのじゃ。
お釈迦様も自分を愚かだと知る者は賢者であると説いているのじゃ。
多く学んで゜知識を捨てて臨機応変になれば子供と同じなのじゃ。

889避難民のマジレスさん:2019/05/16(木) 12:38:21 ID:jfWCoXjM0

対話10

質問者

どうすれば『実在についての四十頌補遺』(ウラドゥ・ナールパドゥ・アヌバンダン)第九節にもとづくマハルシの教えにしたがって真我を実現できるでしょうか?
困難なのは心を制御することなのです。

  ハートの蓮華の中には、不変の純粋意識が真我として存在している。

  自我が取り除かれたとき、この真我の意識は個の魂に解放を与える。

               『実在についての四十頌補遺』第9節  

マハルシ

心の制御は呼吸の制御によって為されます。
他の方法を頼らずともその修練だけをすれば、心は制御されるでしょう。

さもなければ、卓越した霊性の力を持った人の臨在のもとに在ることで、心は自然と制御されます。
これが賢者との交際(サットサンガ)の偉大さです。

890鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/16(木) 22:55:06 ID:1d4drIFg0
呼吸法をして呼吸を止めるのはクンバカというのじゃ。
呼吸が自然に止まれば心も止まるのじゃ。
サマーディに入っている時は呼吸も止まっているのじゃ。
観察してみるとよいのじゃ。

891避難民のマジレスさん:2019/05/16(木) 23:17:11 ID:LC3de7YgO
>>890
うむ。
くまサマディ経験はないでありますが、呼吸が1分間に2〜3回くらいまでなったことはあるであります。
第三者に機械計測されたわけではなく、自分で数えたわけでありますから、そんなに瞑想が深まっていなかったことは明らかでありますが、
心が鎮まると、呼吸数が減るのは確認できたであります。
(´・(ェ)・`)つ

892避難民のマジレスさん:2019/05/17(金) 12:56:20 ID:jfWCoXjM0

対話11

質問者

運命(カルマ)が終焉するときは来るのでしょうか?

マハルシ

カルマはそれ自体のうちに、それ自体の破滅の種子を孕んでいるのです。

893鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/17(金) 22:20:15 ID:1d4drIFg0
>>891 そうじゃ、どんどん試してみると善いのじゃ。
 それがヨーガなのじゃ。

カルマとは報いを説明するためにできた観念に過ぎないのじゃ。
それが本当にあるわけではないのじゃ。
観念であるから消えていくしかないのじゃ。
囚われてはいかんのじゃ。

894避難民のマジレスさん:2019/05/18(土) 12:40:38 ID:jfWCoXjM0

対話12

ある人がマハルシに、「何かお言葉をいただけますか?」と頼んだ。
何について知りたいのかと尋ねられ、彼は、「自分は何も知らないので、マハルシから何かを聞きたいのです」と答えた。

マハルシ

あなたは自分が何も知らないことを知っています。
その知識を見いだしなさい。
それが解放(ムクティ)なのです。

895避難民のマジレスさん:2019/05/18(土) 18:30:14 ID:LC3de7YgO
>>894
ちょぴっとづつ知った気になることが、有害なのでありましょう。戒めねばなりますまい。
(´・(ェ)・`)つ

896鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/19(日) 22:45:54 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、自分が愚かであることを知ったのが賢者なのじゃ。
人の知識の限界が世界であるから、制限された知識で傲慢に陥れば世界も狭いままなのじゃ。
何も知らないと知れば世界も広がるのじゃ。
悟りに赴くこともできるのじゃ。

897避難民のマジレスさん:2019/05/20(月) 13:47:35 ID:jfWCoXjM0
1935年1月6日

対話13

イギリスのM・A・ピゴット婦人が、『秘められたインド』を読んでマハルシのもとを訪れた。
弟子の一人が通訳を務めた。
ホールの中は子供連れの女性を含めた大勢の訪問者でざわめいていたが、ようやく沈黙が訪れた。

それまで無限の空間を見つめていたマハルシが、突然静かな声で「サル!」と言ったのが聞こえた。
扉の近くには小さな赤ん坊がいた(母親は扉の反対側にいて気づいていなかった)。
そこには後ろ足で立ちながらその赤ん坊を傷つけないように、そっと両手で抱いている大きなサルの姿が見えた。
彼らはマハルシの臨在の中で安らぎ、仲良くしていたのだ。
サルはマハルシの声を聞くやいなや、さっと飛びのいて消え去った。
この出来事は婦人に強烈な印象を与えたのだった。

898避難民のマジレスさん:2019/05/20(月) 13:53:17 ID:jfWCoXjM0
1935年1月7日

M・A・ピゴット婦人が尋ねた。

「真我実現には師が必要でしょうか?」

マハルシ

真我実現は教えや講話や瞑想よりも、師の恩寵によるものです。
前者が二義的な助けにしかならないのに対して、師の恩寵は最も重要で本質的な要因です。

質問者

真我実現を妨げる障害は何でしょうか?

マハルシ

心の潜在的傾向(ヴァーサナー)です。

質問者

どうすれば心の潜在的傾向を克服できるでしょうか?

マハルシ

真我を実現することによってです。

質問者

それでは堂々巡りです。

マハルシ

そのような問題を引き起こし、障害をつくり出しておいてから、明らかな矛盾に困惑して苦しむのは自我なのです。
誰がそれを尋ねているのか、その尋ねている人を見いだしなさい。
そうすれば真我は見つかるでしょう。

899避難民のマジレスさん:2019/05/20(月) 14:00:15 ID:jfWCoXjM0
質問者

真我実現の助けとなるものは何でしょうか?

マハルシ

聖典の教えや真我を実現した賢者の教えです。

質問者

そのような教えは、討論や講話や瞑想などによるものでもいいのでしょうか?

マハルシ

かまいませんが、それらは二義的な助けにしかなりません。
最も重要なのは師の恩寵なのです。

質問者

師の恩寵を得るには、どれほどの時間がかかるのでしょうか?

マハルシ

なぜそれを知りたいのですか?

質問者

希望を与えてくれるからです。

マハルシ

そのような希望でさえ障害なのです。
真我は常に存在し、真我なしには何も存在しません。
真我として在りなさい。
そうすれば欲望や疑いは消え去るでしょう。
真我は眠り、夢見、目覚めという存在状態観照者です。
それらの状態は自我に属しますが、真我は自我さえ超越しています。
眠りの状態の中でも、あなたは存在していなかったでしょうか?
眠っている間、あなたは自分が眠っていることや世界に気づいていないことを知っていましたか?
あなたが眠りの体験を自覚のない状態だったと描写するのも、目覚めの状態においてだけです。
それゆえ、眠りの状態の意識は目覚めの状態の意識と同じものなのです。
もしこの目覚めの状態の意識が何であるかを知っているなら、あなたは三つのすべての状態を観照する意識を知ることになります。
そのような意識は、眠りにおける意識を探求することで見いだすことができるのです。

質問者

その場合、私は眠ってしまうでしょう。

マハルシ

それでもかまいません!

質問者

それは空白状態なのです。

マハルシ

誰にとってその空白状態が現れるのですか?見いだしなさい。
いつであれ、あなた自身の存在を否定することはできないはずです。
真我は常にそこに在り、すべての状態において存在しているからです。

質問者

あたかも眠りの中にとどまりながら、しかも同時に気づいているべきなのでしょうか?

マハルシ

そのとおりです。
気づいていることが目覚めの状態です。
それゆえ、それは眠りの状態ではなく、眠りのない眠りなのです。
想念の起こるままにまかせていたら、あなたは自分を見失い、果てしなく迷路をさ迷うだけでしょう。

質問者

だとすれば、私は想念の起こる源を探求することに戻るべきなのでしょうか?

マハルシ

まさにそのとおりです。
そうすれば想念は消え去り、ただ真我だけが残るでしょう。
実際、真我には内側も外側も存在しません。
そのような観念も自我による投影でしかないのです。
真我は純粋で絶対なるものだからです。

900避難民のマジレスさん:2019/05/20(月) 14:05:03 ID:jfWCoXjM0

質問者

知的になら理解はできますが、知性は実現の助けとなるのでしょうか?

マハルシ

ある段階までなら助けとなります。
たとえそうだとしても、真我が知性を超越していることは理解しておきなさい。
知性は真我に達する前に消え去らなければならないからです。

質問者

私が真我を実現すれば他者の助けになるでしょうか?

マハルシ

もちろんです。
それは可能なかぎり最高の助けとなります。
しかしそこに助けられるべき他者は存在しないのです。
なぜなら、金細工師がさまざまな宝飾品の中の金を見積もるとき、ただ金だけを見ているように、真我を実現した人はただ真我だけを見ているからです。
自己を身体と同一視するときにのみ、名前と形は存在します。
しかしあなたが身体を超越したとき、身体意識とともに「他者」も消え去るのです。

質問者

それは植物や樹木などについても同じことが言えるのでしょうか?

マハルシ

それらが真我を離れて存在するでしょうか?見いだしなさい。
あなたはあなたが植物を見ていると考えています。
その考えは真我から投影されたものなのです。
その想念がどこから現れたのか見いだしなさい。
そうすれば、想念はもはや現れず、ただ真我だけが残るでしょう。

901避難民のマジレスさん:2019/05/20(月) 14:09:15 ID:jfWCoXjM0

質問者

理論的には理解できるのですが、それでも想念は依然としてそこにあるのです。

マハルシ

そうです。それは映画のようなものです。
スクリーン上には光があり、その上を去来する影が、何かのドラマが演じられているような印象を観客に与えるのです。
もし同じ映画の中で、観客もまたドラマの一部としてスクリーン上に見られたとしたら、見る者と見られるものがともにスクリーンの上にあることになります。
それをあなた自身に当てはめてみなさい。
あなたはそのスクリーンです。
真我が自我をつくり出します。
そして自我は想念を自己増殖させ、それが今あなたの尋ねたような樹木や植物などのある世界として映し出されるのです。
実際には、それらはすべて真我以外の何ものでもありません。
もしあなたが真我を見るなら、いつでも、どこでも、すべてが真我であることがわかるでしょう。
ただ真我だけが存在するのです。

質問者

そのとおりです。
それでも私はいまだに理論的にしか理解できないのです。
しかしあなたの答えはシンプルで、美しく、得心のいくものです。

マハルシ

「私は真我を実現していない」という考えさえ一つの障害です。
事実は、真我だけが存在するのです。


『秘められたインド』…ポール・ブラントン著。日本ヴェーダーンタ協会発行。
マハルシの初期の西洋人帰依者ポール・ブラントンが、インド各地で出会った多くの聖者との体験を記録した本。
最終章はマハルシに捧げられており、この書により多くの西洋人が彼のもとを訪れた。

ヴァーサナー…心の潜在的傾向、性癖を意味する。
無数の過去世で起こった行為の印象(サンスカーラ)が蓄積されたものが、現世では無意識内に種子として潜在しており、状況に応じて衝動、感情、欲望、恐れなどとして現れる。
仏教では燻習(くんじゅう)、習気(じっけ)、種子(しゅうじ)などと呼ばれる。


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