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つぶやきすれっど2

2353しゅんかん:2006/12/18(月) 19:47:26
再挑戦者さん、お久しぶりです。
少しは落ち着かれましたか?

ここよりつぶやき。
私の家族{(認知症の母)姉二人、兄一人}は私以外、全てS会員です。
私、以外の親兄弟が無くなった時の葬儀様式の未来像。
{私は今のところ宗教をしておりません!ひょっとすると私の葬儀様式も?
あら!恐ろしや}
私は宗教に学がありませんから家庭内宗教戦争には至らない(願望)とは
思っています。(姉兄に相手にされなし、私自身、反論が出来ない)
ですが法華経を読誦し僧侶不在の葬儀は経験がないので違和感が有りますね。
自我が不安定になります。
何でも有って感じですね。
真さに人間です、人間の成せる技ですね。

2354再挑戦者:2006/12/21(木) 18:45:08
 しゅんかんサン、ご機嫌のほど、御麗しゅうございます、、。
  人生、、人の間の生活には、、トホホ、、が多いような昨今でございます、、。
 小生も、寄る年波には負けます、。 昨日も今日も、、、、自分の「死」、、にかんして思う時間が多くなりました、、。       決して、自らが希望して、望んでの”生”ではないが、一概に親をを攻めることはには抵抗を感じました、、。
 思うに「、、頼みもしないのに、生みやがって、、!!」と反抗したりもしましたが、、今は「、、頼みもしないの、、”虫(昆虫)、、牛・ブタ・鶏などの被肉食家畜動物”」にも生誕可能は否定は出来ませんようです、、??     しかるに、現生の我らの死亡率は999.999%のようです、、。   今後、自分なりの「、、生、、死、、」、をどのように捕らえ、マットウするのかは、、??? です、、。  各自の現生の、一応の死後は、一体どんな世界に追誕してドンナ動・植物にに連続・生誕、、するのでしょうか、、?? 心配でもあります、、。 愚考でした。

2355しゅんかん:2006/12/23(土) 00:17:27
人生は人が創生したようですね。(私は肯定派です、仏法で言う末法は?)
人が作った世ですがこの世は人に住み難いようです。
(なんだか漱石の草枕の文頭のようですが)
此れも人は現実を現実と見ることが出来ず現実と密着していないからでは
ないでしょうか。
人が言うところの高等動物(よりホモサピエンスに近い)と定義しているもの程ど
現実から乖離していて、人が言うところの下等動物と定義されているもの程ど現実と
密着している様に思われます。下等動物と定義されている彼らは(彼らと会話をした
事が無いが)本能のまま生きている様に思われるからです。
人には自我と言う物が存在します(人の驕り昂ぶりにより)
より人から見て下等と言われている動物の程、本能のまま生きている様に思われます。
本能と現実は密着していると思われます。
人は未熟児として生まれ(此処で言う未熟児とは一般に言われる未熟児ではなく
全ての人をとらえています)本能が壊れているのだと考えられます。
下等動物な程、生を受けて直ぐ地球上の環境に適応出来るが、人は人生の先輩の
手助けなしには、多く見積もっても一週間と生きられないのではないでしょうか。

2356再挑戦者:2006/12/23(土) 20:00:49
 しゅんかん様。
 誠に示唆に溢れる御指摘はとても勉強になりました。
 先々のことは99%ほど意味・不明の一愚者ではあります、、。 ただ、「法華経・如来寿量品第十六の中で、、」、、「、、諸善男子 如来見衆生 楽於小法 徳薄苦垢重者 為是人説 我少出家、、、」、の聖文からも伺えるますのは、、ヒトは「難儀な苦労はしたくない、、少しでも楽をしたい」、という本音が存在のようでしょうか、?
 その一点から、・、各方面の利害関係者らが、ウブな、?、、信者を、? 獲得しようと画策・欲望のダマシの入り口に、、??、、なるようでしょうか、、? 無防備の我々などは、レベルの低い、マヤカシの「、、小法、」、にさえいとも簡単に執着してもその意識すらも不感症の症候群にドップリでは御座います、でしょうか、、? 難儀な、、世の中ではございまするが、、?? 愚考で失礼、。

2357ワラシナ:2006/12/29(金) 10:10:57
「思い出すア先生指導」


0、ア先生の指導で忘れられないのは、1993年国連ボランティアだった中田厚志さんがカンボジアで殉死された事に触れた時のものだ。

1、「ボランティアなんかやっても無駄」といったア先生がはなからカンボジアを見下していた事は、その教義解説書に明らかであった。そこには御自身の小乗仏教観から東南アジア諸国の国民性を一様に「、、その無気力」などと精神的廃疾者のように決め付けた上で「それらは小乗仏教の害毒を如実に示すものである」などと書いてあったからだ。
 
 だが、見た感じで言う。新宿周辺のパチンコ屋で早朝から行列待ちしていた人々のかなりが賭け事熱中体質のやる気満々の東南アジア系と言われていてとても無気力には見えなかったのである。
 反対に、その新宿駅を西に六箇所ほどずらした駅あたりで線路に飛び込む邦人がいたりして大変お気の毒なのであるが、うわさでは株で失敗してしまった人が多い、と聞いた事がある。これなどもしア先生の言う通りなら「大乗仏教の害毒を如実に示すもの」と言えようか(!?)。

2、ところで、国連から明石さんが行ってそこそこの使命を全うされたのだったが、ア先生は根底が見下しているから否定的にしか見ていないのも明らかだった。和平が実現したことを素直に喜ばなかった。自分が期待する見通しの正しさを実証する為に内戦の再発を期待しているかのようだった。
 その本音を意地悪く推量すると、「カンボジアに平和なんか生意気、早すぎだ、もっと殺し合っててくんなきゃこっちは困るんだ、何故かと言えば、もっと殺し合いが続いてくれれば言えた筈のお好きなセリフ「いずれ日本もあーなる」が言えなくなってしまった悔しさ」から来ている気持ち、、に見えた。

「第一、立正安国抜きの平和が実現してもらっては正宗信者の立つ瀬がない」とでも思っているようなそれにも見えた。確かに東洋の民の平和と幸福の実現を願わないわけではないけれども日蓮正宗信仰抜きのそれが実現されてしまっては(繰り返すが日蓮正宗信仰流布の暁にこそ真の平和が招来されると標榜している我々信者の)立つ瀬がない、との思い込みからきているのも明らかだった。
 
この思い込みの強さを見せ付けられると、信者にとっては信者以外の世界の平和と繁栄は忌むべき対象らしく、輝かしくも奇蹟的に招来されるべき立正安国実現のその日に至る迄は、世界は一層の不幸と悲惨で覆われるべき、とでも願っているかのように見えた。

3、確かに、多くの真面目な信者は世界の惨さに対して素直な同悲苦感情から布教による救済を志しているのだが、素直な同悲苦感情におぼれるだけではなく、このような或る懲罰感情めいたもの(一凶的罰論?)も同時に働いていると思うのである。
 きっとその感情が強度になって、世界中が日蓮正宗信仰(むしろ顕正会信仰と言うべきか?)流布の国々になる迄は、世界では暗黒と悲惨だけがふさわしく思われてくるのであろう。決して偶然の不幸発生を認めず、万事に信仰中心の因果付けをしなければ気がすまない心理になってくるのであろう。

4、だが、上で触れたア先生のように自ら依拠する信仰基準から他人の幸福にけちをつけたがる心情は自分にもあるし、これをもってア先生をどうこう言うつもりはない。

「悲惨ですねええ、だがこれらはいまだ序分、みててごらんなさい、いずれ、日本も、あーなるとわたくしは思っております。」式のア先生指導が苦々しく思い出されただけなのだ。、、同時に、今も題目三唱の二回唱えをやってるのかなああ、と言う事も。(h18/12/29)

2358再挑戦者:2006/12/30(土) 21:38:29
 ワラシナさん、、。
 示唆に富むご意見と思います。  ヒトが沈黙することは、結局は、何回でも誤り、失敗を繰り返すと遠因になるようです。
 今、IT時代、一人一人が自由に発言==言いたい事を遠慮もせずに「言える」、、アリガタさを実感します。
  今、格差の拡大が心配です。 時に、貧しい子供や大人も世界中に増加しています。 
  貧しい方に「、食べ物、衣服などの提供、、??」、は本当の援助?では無いようです。
 「ヒトは勉強を通じて、人生を切り開いて行く」ようです。 その為、途上国に50学校もの寄贈した方もいます(日経12月28日夕刊)。 レノンの奥方のオノ・ヨーコ氏です。
 与えるどころか「貰う、、欲しい、、」、ばかりの御方と比較しましてもドヒャッ、と感じます一件、かと思います。 愚思でした。

2359パンナコッタ:2007/01/05(金) 15:20:42
”正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此れをもてなす人は
月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、
徳もまさり人にもあいせられ候なり”

以前、彰往考来さんが過去スレで幻日について紹介して下さりましたが、この正月にも
結構見られたようですね。
 http://www.gifu-np.co.jp/photonews/?p=07010501
 http://www.topics.or.jp/News/news2007010304.html
 http://www.shinmai.co.jp/news/20070101/KT061231FTI090003000022.htm

2360犀角独歩:2007/01/05(金) 17:18:36

『立正安国論』の「仁王経云…其国土中有七可畏難…日月失度時節返逆或赤日出黒日出二三四五日出或日蝕無光或日輪一重二三四五重輪現為一難也…」辺りを引いて、浅井さんが、はしゃぎそうでいやですね、せっかく、きれいな自然現象なのに。

2361しゅんかん:2007/01/10(水) 22:56:58
は宗教学、私宗門学はまずもって理解を致しておりません(難し過ぎます^^;)
が、家庭の事情及び指摘見解上。石山並びにS会に再接触を(主に石山。学会はメディアのみ)
致しております。(学会二世ですが活動だ一切経験無しで、約30数年一切接触無し)
此処、数ヶ月こちらにお世話になって確信に至った事は、石山は他の日蓮宗とやはり違うな、
と言うことです。何時頃?何処から?誰が?何を?は多く議論されていますね。
大変欺瞞に満ち溢れている事でしょう。(今般の情報社会の賜物によるものかもしれませんが)
ですが、上古より石山も他門と接触をもた無ければならなかったはずです。
どうしてすぐばれるような嘘を言い始めたのでしょう。
何故このようなつじつまの合わない、事を起こすに至ったのでしょうか?精師、寛師ともあろう御人が?
私は此処に引っかかります。
地球上における(資本主義国家が指すところの)危険因子。
国家(自治体、団体)における危険因子。
家族内における危険因子。これらはこの存在が在る事によりそれら国家及び個が維持出来ているの
だと言う学説がありますね、バランスがとれているのだと。{俺ら(善良団体、人)だって何時も何時も
良い子ちゃんでいたくはない、爆発もしたい。(これは無意識の領域のことです)}
彼ら危険因子がわれわれの鬱積している物(欲求不満)を開放していてくれているのだと。
彼らを生み出したのは彼らを批判しているところの者だと。
必要悪なのだ、彼らが居なければ成り立たないのだと言う論理です。

2362しゅんかん:2007/01/10(水) 23:06:23
訂正

誤、は宗教学、私宗門学
正、私は宗教学、宗門学

誤、指摘見解上
正、私的見解上

2363顕正居士:2007/01/11(木) 05:06:07
大石寺のカルト化は直接的には大石日応からです。明治の終わり頃ですね。
「すぐばれるような嘘」は、相手が要法寺や北山で、すぐばれる嘘仲間だからです。
つまり今と同んなじなんです。
国会図書館のデジタルアーカイブにその頃の基本資料があります。
独学徒さんのサイトから行けますよ。

2364再挑戦者:2007/01/11(木) 21:19:08
 横から失礼致します。
 ウッム、と感じましたが、奥行きの深い御提言と思います。
 要法寺、北山様の件につきましても示唆が深いようです、。
 小生の独断をお許し戴ければ、、、。
  日蓮さま在世の時に、京都界隈に御信者がどのくらいおられたのでしょうか、、?、、。
 と、申しますのは、真筆本尊の現存在の数ですが、京都周辺の日蓮宗寺院関連が多いようです。
  信者の数と供養者数に比例されての「下付」を日蓮さまは実行されたでしょう、。 ならば、富士山周辺〜千葉周辺などの信者への真筆下付が中心でしたでしょうか、?
 それらの下付された方方がお亡くなりなりました後は、?  
 それなりの関連の重い方向の寺院に返納された、でしょうか、?
 その後は、京都方面に数十回も意見具申したと??讃えられています方もいますようです、。
 現今、大阪の堺=妙国寺さまが真筆さまを非公開ながら「 売り、、」、に出されて、身延本部がアワテ・フタメイタ噂も御座いました、。 話半分に致しましても、、寺院の経営に苦慮・苦闘が押し寄せれば、キレイ事ばかりでは座して餓死しか無いようです、。
 宗教と言えど、これを支える誰かさんが存在せねば経営不振になるのは道理でしょう、。 メシの種に???、、かが存在は??しませんでしたでしょうか、? 愚問でした、。

2365再挑戦者:2007/01/15(月) 18:06:56
、、、、、懸念を捨てられないのは???  何か?? を思いたいですが、、。
 保田の真筆本尊さまが、北山様から、何らかの策略、、??で 回りまわって、、千葉のド田舎に到達とは、、????
 是に類推いたしますと、、旧信者からの返却真筆本尊は、、どのような経過を辿ったのでしょうか? ? 
 マサカのマサカ、、??  日目様の「天奉」と言う、数十回の京都詣でが、、俄然、、疑問視が、、??  有るかも、?

2366再挑戦者:2007/01/15(月) 19:39:10
、、、うそ仲間の中心は、、???  どこの、、??  どなた様、、でしょうか、、???

2367再挑戦者:2007/01/22(月) 19:17:34
 悲しい 、、 厳しい 、、 はかない 、、 当時 の醜い 欲望 、 と継続 ??  の シガラミ 、、
などが、、 存在 したので 、、 しょうか ,、、、??

2368しゅんかん:2007/01/27(土) 17:50:09
〇富士宗学要集、堀日亨編纂を手にしたく現在の発行元である聖教新聞社に問い合わせました所
絶版で現在の在庫のみの供給に成りますとの事で(聖教新聞社版4.5.7.8.9巻)を入手しました。
ここで?と思った事なのですが、この様に歯抜けで無くなるものか?1.2.3.6.10巻に
(勿論、単巻売りなのでありえるのですが)
記されている内容は如何ほどの物なのか?私が手にした全5巻は上記巻よりも見劣りするので在庫
があったのかと思っていたのです。こちらの掲示板で情報を頂き現在の未入手は3巻のみとなりました。
そこで1.2.3.6.10巻は本当に出荷されて在庫無しとなったのでしょうか?
1.2.6.10は古書で学会版です(10は実家にあり、他はネット古書店で入手)
まだこの書を実際に読んではおりません(他のメディアから得た情報です)が、
出版社の故意によるものとは考えられないでしょうか?私の感じた事を以下に記します。

●1巻、2巻本尊写は貫主のみの的な文面
●6巻、仙代問答の方便品読不読
以上なんですが1.2.3.6.10巻は出版社にとって不都合とは私の考えすぎで
しょうか?(3.10巻は未確認です)私の考えすぎですかね。
説得力不足も否めません、独り言です。すいませんでした。

2369れん:2007/01/27(土) 19:13:11
しゅんかんさん、取り敢えずは、別に現在の出版元には意図はないと思いますよ。
私も、かつて学会に所属していたとき、(平成10年ごろに)富士宗学要集を購入しましたが、当時すでに売れきれ(在庫切れ)があって、聖教新聞社版で購入出来たのは2・3・4・5・6・7・8・10巻で、あとは東陽堂書店あたりで出るのを気長に待って、欠巻を補いました。

2370独学徒:2007/01/28(日) 02:15:10

しゅんかんさん、はじめまして。
当方HPをご覧いただいていますこと、厚く御礼申し上げます。
ありがとう御座います。
どうぞ談議所の方にもお越し下さいませ。

富士宗学要集の絶版に関しては、私もれんさん同様で、特に深い意味は無いと思っています。

残すところ3巻のみとの事ですが、古い昭和30年代の富士宗学要集刊行会編のものでよければ、余分にありますので差し上げます。
箱なしで、鉛筆・赤鉛筆での書き込みなどもあり、状態は良くありませんが、読むには差し支えないと思います。
よろしければメールにてご連絡下さい。
http://fujikyougaku.fc2web.com/renraku.html

ともに冨士教学の再点検をできれば幸です。

2371しゅんかん:2007/01/28(日) 15:44:13
れんさん、独学徒さん、有難うございます。
浅学者の愚考でした。

2372しゅんかん:2007/01/28(日) 16:03:30
独学徒さん、お気遣い有難うございます。
まだ購入に要した期間が約二ヶ月ほどです、もう数ヶ月頑張ってみます。
それでも無理な時はご連絡いたします、その折にはよろしくお願い致します。

2373犀角独歩:2007/01/28(日) 16:10:57

れんさんの仰るとおり、意図はないでしょうが、しかし、富要の内容は、それはたしかに創価学会にとって、都合のいいものなど、何もありませんよね。大石寺とそこの本尊、坊さんがいちばん正しいという内容ですから。

松岡さん辺りは、日寛で完成する一切が日亨氏によって公開されたから、万人に開かれたと言った調子ですが、結局のところ、石山の相伝というのは以上のような性質のものです。他人の財産目録をいくら眺めても、金持ちになりません。石山の相伝を分で読んだからといっても、それは他宗の話です。創価学会とは何の関係もありません。単に勝手に石山・日寛本尊と教義を使っているだけです。

やるわけはありませんが、石山が牧口さんの『価値論』とか、戸田さんの『生命論』を勝手に出版して、正統はこちらにありと言うのと、何ら異なりません。やるのは勝手ですが、意味をなしません。石山本尊と教義と坊さんと何の関係もない創価学会が、そこの本尊と教義を使うことは結局他家の財宝を数えるのことならないでしょう。

日寛以降の本尊と教義は、「戒壇本尊」と、唯授一人の絶対性を強調することがすべてです。この戒壇の本尊とも、唯授一人とも何の関係もない創価学会にとって、これを説明する富要の記述はしかし、まったく不都合でしょう。
不都合というより、富要は「不要」でしょう。
よって、増刷、再版の必要なし、消えるに任せるという、『折伏教典』『創価学会入門』『人間革命』などと同様の扱いになるのでしょう。

日寛の記述が石山の絶対性を鼓舞している部分を捨て去って、都合のいいところだけ切り張りし、それを学問の世界でやるとすれば、まさに語るに落ちる愚挙というほかありません。
『創価学会の神話』と言ったところです。
いきおい「不要」からはみ出ました。

2374独学徒:2007/01/28(日) 21:55:05

しゅんかんさん、

>もう数ヶ月頑張ってみます。

わかりました。
先にご案内したとおりの状態ですので、きれいなものが入手できるならその方がいいと思います。
もしもの時は、どうぞご連絡下さいませ。

2375再挑戦者:2007/01/29(月) 19:43:03
 横から失礼ですが、、。
 諸賢様の御検察には御憧憬のいたりで御座います、。
 今、 残念、、、かつ 遺憾 に思いますのは、夏季の二点です。
 1: 日蓮真筆本尊の釈提桓因大王を帝釈などと間違うような方もも居ました。
 2: 戒壇を特に開秘を許すともったいぶっての、登山を企画・運営した中心者もいます、、。
 、、、このような方が、 はたして 999% 以上の確率 でもって マトモ  まとも MATOMO な方 と言える ので しょうか、、。 トホホ、、。

2376ラキ:2007/01/31(水) 02:42:50
妙観講の樋田昌志さんのHPにて「犀角独歩 氏の邪難を粉砕す」と言うページがありました。

http://toyoda.tv/saikaku.hasyaku.htm

「TOPページ」
http://toyoda.tv/

2377犀角独歩:2007/01/31(水) 08:34:14

らきさん

読みました。ぜんぜん、破折になっていないですね(笑)
まあ、何を言うのも勝手ですが、肝心の図形鑑別部分については、何も言えずじまいになっていますね。
「本門戒壇の大御本尊は本物だ」と拳を振り上げた手前、いつまでの模造品を本物だと言い続けなければならないのはかわいそうですね。
贋作を掴ませるというのはこういうことです。

近代、日禅授与を原本にして造った模造品を、「日蓮大聖人が」と言っても始まらないでしょう(笑)

なお、細井さんの言動については、ちょうど、昨日から書いていたところでした。ブログにアップしました。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/?blog_id=469468

浅井さんもそうですが、他人の前では威勢がいいんですが、何故かわたしには直接、何も言ってきません。
大石寺彫刻本尊については、日教研の発表の折、大石寺からも数人が来、その中で高橋粛道さんも聞いてくださり、何ら反論もなかった。その後、特に何も書いていないようなので、大石寺としては、これを認めたと、わたしは判断しています。

妙観講は、その大石寺の一在家団体に過ぎず、樋田さんというのは、そこの一部員…、この人、妙観講ですか? ともかく、信者の一人に過ぎません。わたしに文句があるのであれば、自分の指導教師の許可を取って、大石寺の代理人として、彫刻本尊と大石寺蔵の日禅授与漫荼羅の写真をもってくればいいだけのことです。
いずれにしても、一信者がどうこう段階はとっくに過ぎています。
大石寺が公式見解として、「本門戒壇の大御本尊」の原本の真偽考証、さらに彫刻造立課程、さらに!、大石寺持仏堂本尊の贋作であった点に関して、弁明をする段階です。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50865483.html

信者として、信じたい気持ちがあり、自分の信じているものを養護したい気持ちはわかりますが、気の毒というほかありません。
なお、ブログでも引用しましたが、細井さんは以下のようにいっています。引用の方は、この細井さんの教えに違反していますね。

「本書(板本尊偽作論)が既に公明なる求道心から出発したものではなく、全くの感情的な悪意によるものであるからである。かかる悪言は修羅界の徒の致すところであって、真摯(しんし)なる仏教者の口にすべからざるところであるからである。
 凡そ宗門間の論争は飽迄(あくまで)清浄なる道念に立脚して教義の邪正を決し、仏教界の進展に寄与せしむるものでなくてはならない」(P2)

2378犀角独歩:2007/01/31(水) 08:53:52

ついでにブログにアップしなかった細井さんの言を挙げれば

「一宗をかけての邪正の論議決定の時であるならば明確に教えるのは意義がある、その時までは言はないことにする」(悪書「板本尊偽作論」を粉砕す P13)

ちなみに、この本が出たのは昭和31年、前年に小樽問答がありました。
本来、大石寺が日蓮宗と法論をするはずだったのに、創価学会に肩代わりさせ逃げてしまった翌年のことです。
これまた、威勢はいいですが、こんなこと言える立場か、というところです。

しかし、ここに「一宗をかける」と言っているのですから、自分たちの日蓮・日興両方の板本尊が贋作であることが白日の下に晒されたいま、‘教えて’くれるなら、教えてもらいたいものですね。

在家信者に肩代わりさせて逃げてしまうか、何も言わず、嵐が去るのを待つかどちらかでしょうか。いずれにしても、大石寺の公式見解を聞く段階です。

2379犀角独歩:2007/01/31(水) 12:09:02

ラキさんのために、ちょっと書いておきましょうか。

> 既に完膚なきまでに破折され尽くされている

既にブログで考証したとおり、細井さんの言うところは破折になっていませんし、「尽くされて」もいません。

> 此の説を見ると現存御真筆と称する百二十三幅によっている。此れ以外に御本尊がなければ此の説に一分の理がある。しかし若し他に何幅もあるとすれば其の御本尊が果して如何なる御書体であらせられるか、若し一幅でも此れに反するものがあれば、なり立たない説である。

これは一応、文面としては理屈は通りますが、ここまで言うのであれば、具体的に、どの大漫荼羅、どのようになっているのか挙げなければ反証とはならないですね。この義務を細井さんは怠っています。まあ、できなかったのでしょう。

> 然るに山中氏は石山関係の御本尊は全く含まれていないと言っている。

しかし、山口範道師の『日蓮正宗史の基礎的研究』のなかで、82、111、116は大石寺所蔵だと証しているわけです。

> 弘安二年の十月に於て両様の御本尊が存在しても不思議ではない。

これは机上の空論でしょう。その実際の例を挙げなければ、論証とは言えません。不思議でないのなら、実際の例を挙げればよいだけのことです。

> 御書体の変遷は厳格に日時を区切って御変え遊ばされたのではない事が明白である。

これはある程度言えます。

> 畢畢(つまり)或る時期に於ては斯様な書体が多いということは言い得るが、絶対的なものとは言えないのである。

これについては、山中師は123の実際の大漫荼羅を挙げて説明しているわけです。方や、細井氏は、単に想像でものを言っているに過ぎないわけです。これはお話になりません。反証になっていません。口だけなら何とでも言えます。

石山の遣り方はいつもそうで、図で示されても、想像憶測を言い、それが絶対であるかのように語ることで成り立っています。悔し紛れの言い訳に過ぎません。

> さて此れで安永君の第一節の説

ここで、挙げる安永氏の説は確かに、あまり参考になりません。
細井氏が反論したくなるのは当然でしょう。

> 御歴代上人が唯授一人・血脈相承によって御相伝され、御書写されるのは、御本尊の物理的・表層的な御相貌ではなく、戒壇の大御本尊様の”御内証”である。

得意の「内証」が出ましたね(笑)
そもそも内証というのはどうやって写すのでしょうか。
それを写すと書いてある内容が変わってしまい、それでも書写だというのはどういうことだというのが、こちらの質問です。この答えになっていないわけです。

> 御法主上人御一人の御所作に依られるのであり、犀角氏などの御相伝を全く知り得ない謗法者が云々できる領域ではないのである。

出ました。「謗法」のレッテル張り。口の悪い人ですね(笑)

まあ、わたしが「御法主上人」の相伝を知らないのは事実です。
しかし、反対に聞きますが、では、これを書いている当人は、その相伝の内容を知っているのでしょうか。知りもせず、書いているのでしょうか。
知っているのであれば、意味がありますが、知らなければ何とも言えないでしょう。

> 10月12日に大御本尊を御図顕あらせられた

そうですね。この日に細井さんは日蓮が日興と共同で本尊を建立したというわけです。それなのに、日興は、日蓮の許にいなかった。どうしてでしょうか。

> 妄弁者、犀角氏は、歪んだ自らの心を省みて、大いに恥じ入るべきであろう。

こういう汚い言葉を使う前に細井氏の『悪書「板本尊偽作論」を粉砕す』の冒頭の言葉を読みましょう。

それから、何より、図形でこちらは論証しているのですから、図形を持って反証しましょうというところです。

詳しくは、一信者が代表できるわけもないですから、わたしは大石寺の公式発表を望みます。

2380犀角独歩:2007/01/31(水) 12:21:35

補足です。

> 「熱原で法難が起こり、法華衆3人が首を斬られた。その事件に時を感ぜられた大聖人は、出世の本懐たる大御本尊を顕わされた」と書くのは、ごく普通のことであろう。
また第4世日道上人の『御伝土代』も、その趣旨で書かれたものに他ならない。

何で、『御伝土代』の原文を挙げないのでしょうか。
原文を出すと、困るのでしょうか。

「熱原の法華宗二人は頚を切れ畢、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばす」

‘畢’とは「動詞「おわる」の連用形に完了の助動詞「ぬ」の付いた「おわりぬ」の転〕多く動詞の連用形に付いて、動作の完了したことを表す。…し終わった。…してしまった」という意味です。

熱原の法華宗二人は頚を切られてしまった。その時(頚を切られたとき)、大聖人は感ずるところがあって、「(細井さんの言葉を使えば)日興上人と共に御本尊を建立」したという文章です。

また、「三人」と書いてきたのに、ここでは「二人」となっていることも原文を出すとわかってしまいますね。

文章のとおりでしょう。頚を切られたから感じ入って本尊と遊ばしたということです。

2381犀角独歩:2007/01/31(水) 12:59:23

これも書いておきましょうか。

『熱原法難史』に

「先師がかつて直ちに『聖人御難事鈔』の余は二十七年、この文を以って戒壇本尊(板本尊)顕彰(アラワス)の依文(タヨルブン)とされたようだが直接の文使はないようである」(P72)

堀日亨氏の文章です。
『聖人御難事』と戒壇本尊は関係ないと言っています。
こういうふうに、「歴代上人」が言っているのに、あんなふうに解釈してしまっていいんでしょうか。

あ、図形から見て日禅授与漫荼羅を原本とする臨模・作為した模造品ですから、こんな文章考証は不要なんですが、ラキさん、向こうの言い分に心が動いているようなんで、書いておかないと、反論できないと誤解されては困りますから(笑


2382ラキ:2007/01/31(水) 14:30:44
独歩さん。
解説ありがとうございます。

>ラキさん、向こうの言い分に心が動いているようなんで、書いておかないと、反論できないと誤解されては困りますから(笑

いやいや、心など動いてないですよ(笑)
板本尊が仮に本物であっても、「魂を墨に染め流し書きあらわして」て、文で、観心の魂の墨の部分が削られてないわけですから、魂の篭った本尊にならないと思ってます。
宗祖自身が彫刻でもしたなら別だと思いますが、隅に魂(心)をこめている大事な部分がないのですしね。
せめて、墨の部分だけ残す、浮き彫りならまだ、心が動いたかもしれませんが?(笑)


>何で、『御伝土代』の原文を挙げないのでしょうか。
原文を出すと、困るのでしょうか。
「熱原の法華宗二人は頚を切れ畢、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばす」

これは、ビックリです。
二人と三人では違いますね。
原文をだしたら、確かにおかしいとなってしまうから、調べる手段がない人には、効果的なごまかし方法だと思います。

2383しゅんかん:2007/01/31(水) 21:53:30
御内証と云う語が多くの処で引用されますが、以前からこの語義が解りません。
今回、論に上がりました樋田さんの説を読ませて頂き、(以前よりの考えも含め)
私なりに解釈したところを記させて下さい。

辞典に拠りますと
御内証= 仏語。自己の心の内で真理を悟ること。内面的な悟り。
表向きにせず、内々にしておくこと。外部には隠しておくこと。
また、そういう意向。内密。ないしょ。

>御歴代上人が唯授一人・血脈相承によって御相伝され、御書写されるのは、
御本尊の物理的・表層的な御相貌ではなく、戒壇の大御本尊様の”御内証”である。

1、貫主のみが「ないしょ」を操れる。
2、歴代貫主より内々に、一器の水・・・如く告げられこれは「ないしょ」ですよと。
3、下付曼荼羅は板曼荼羅の「ないしょ」である。
4、内証=上記の如く。内密、ないしょ、であるからとやかく云われる筋合の物ではない。
元より「ないしょ」と云っていると云われかねない都合の良い語である。

1=石山がそのように云っておられるので間違いはないですよね。
2=唯授一人・血脈相承・一器の水・・・ここまでして、「ないしょ」にせねばならない物って
仏教を実践する宗派に必要なのでしょうか。
3=内証は内密。ないしょ。外部には隠しておく事。ですからこれより連想されますのは、
非常に(大切Or恥)だから第三者(私、貫主)には知られない様に隠しておこう。

〇今回、樋田さんの説を読ませて頂いた感想をまとめますと。
>・・・戒壇の大御本尊様の”御内証”である。

〇下付曼荼羅=板曼荼羅の内なる物であって、本来外部に知られたくないものである。
叉、別の表現をすれば、大切で「ないしょ」にしていたい板曼荼羅の部分を顕したのが下付曼荼羅であるが、
捻くれた考え方の御仁は恥の部分を顕したと思われるかもしれません。
ですが、これも貫主さまの人徳の致すところにより顕していただいたのでしょう。
どっちにしろ、板曼荼羅より凄いと云うのが下付曼荼羅である。

2384しゅんかん:2007/01/31(水) 22:00:35
誤=(私、貫主)
正=(私、貫主以外には)

2385佐賀県民:2007/01/31(水) 22:45:57
島田洋七さんの「佐賀のがばいばあちゃん」という作品が大変高い評価を受けています。
とても素敵なお話なのですが、佐賀県民として一言・・・。
洋七さんは「すごいばあちゃん」という意味で「がばいばあちゃん」と表現してありますが、
佐賀弁で「がばい」は「すごい」ではありません。「すごく」です。

2386犀角独歩:2007/02/01(木) 14:12:23

2383 しゅんかんさん

なるほど、「内証」は「ないしょ」ですか。

内証は外相に対する言葉ですが、本尊書写に関してこの語が引用されるのはたぶん、日顕さんぐらいだと思います。
ただし、樋田さんは、引用の日顕さんの言葉を誤読しています。

樋田さんによると「御書写されるのは、御本尊の物理的・表層的な御相貌ではなく、戒壇の大御本尊様の”御内証”である」

日顕さんは、こんなことは言っていません。

「本門戒壇の大御本尊の御内証を拝してお写し申し上げ奉る」

ここで日顕さんは「本尊の御内証を拝」すると言っていますが、それを写したと言っているわけではないのです。石山で言う戒壇本尊は人即法の本尊である、つまり人に即せば日蓮である。しかし、日蓮というのは上行菩薩再誕という外用の姿である。内証の寿量品、深秘相伝から久遠元初自受用報身如来(南無妙法蓮華経仏)であると拝して、そのうえで本尊を書き写していると言うのが、文意でしょう。外に書かれたところが南無妙法蓮華経なら、内に証されたところも南無妙法蓮華経です。その内証を写したら違うものになるはずはありません
誤読されたのでは、日顕さんも迷惑でしょうね。

しゅんかんさんが仰るように、内証を写したのが書写漫荼羅だとしたら、「戒壇本尊」は外用を写したと言うことになる。では、「板曼荼羅より凄いと云うのが下付曼荼羅」という突っ込みにもなるわけです。

だいたい、わたしがサイトで記した趣旨すら、樋田さんは採れていない。

しゅんかんさんのご投稿を例に挙げさせていただければ、「母も私も家に有るご本尊さんは、本門戒壇の大御本尊の通りに当時の法主が書写したものだと思っていました」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/2851

このような考えは、他の方もしばしば語るところです。
出入り禁止になった方ですが、「蓮祖の曼荼羅と相貌が違うのならば、偽曼荼羅です」と発言した現役学会員がいました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015575530/429
また、「

かなり多くの方々が、このように誤解しているわけです。
「そんなのは学会員が勝手に思っていることだ」という話をしたいわけではないのです。このような、誤解が多々散見できますから、故に「創価学会を含む大石寺系集団の信徒は、各家庭に下付される印刷漫荼羅本尊は板漫荼羅と相貌が一緒であると信じ込まされているようであるが、実際には違っている」とことわって、その真相を記したわけです。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html

2387犀角独歩:2007/02/01(木) 14:13:05

― 2386からつづく ―

それにしても、この樋田さんの発言は、北山の本間師との遣り取りで読み、顕正会員との遣り取りの録画見ました。弁も立つし、論理的に考えることもできる。それなのに、わたしへの批判は、まず、人格攻撃をし「謗法者の脳内は随分と固着」などと記すわけです。

このような文章は、わたしを貶しているつもりでも書いた人間の品性を悪く印象づける以上の意味はありません。細井さんの「既に公明なる求道心から出発したものではなく、全くの感情的な悪意によるものであるからである。かかる悪言は修羅界の徒の致すところであって、真摯(しんし)なる仏教者の口にすべからざるところである」に当たるでしょう。

ついで、答えられないところはすべてカットしているわけです。このような遣り方はカットした部分はすべて認めた・回答不能であることを意味することになります。だいたい、どなたからか、わたしのサイトの掲載文につき回答を求めれ、それに答えるのに答えられないところはカットしてしまった。これはつまり、回答不能、敗北ですね。

さらに細井さんの『悪書「板本尊偽作論」を粉砕す』を挙げていますが、この本自体、ブログで検証したとおり、まったく穴だらけで回答になっていません。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50871189.html
つまり、「日蓮正宗は絶対」という信仰上の罠にはまっているために、このような文章を検証することをしない思考停止状態に陥っています。

あれだけ弁舌が立つのであれば、模造品のためにその能力を使うのではなく、真実を語るために、その能力がよいのにと、その才能を惜しむものです。いまからでも遅くありません。懺悔するところに罪障は消えるというのが日蓮の教えですからね。

2388犀角独歩:2007/02/01(木) 15:54:53

【2386の訂正】

誤)内証は外相に対する言葉
正)内証は外用に対する言葉

2389しゅんかん:2007/02/01(木) 18:47:31
独歩さん、御ご教示有難うございます。

>「本尊の御内証を拝し」・・・
〇この部分が良く判りません。何時の頃から内証と云う物を語られるようになったのか存じませんが。
髷を結っている時代にも使用されていたとすれば多くの信徒は理解出来なかったのでは無いでしょうか。
内証=「ないしょ」とはせず(少し揶揄し過ぎたかも知れません)
内証=(仏語。自己の心の内で真理を悟ること。内面的な悟り。)を採用しますと、

>・・・大御本尊の御内証を拝し・・・
〇内証の意を当てはめますと
1.大御本尊の(自己の心の内で真理を悟ったOr内面的な悟りを得た)を拝し・・・は×
2.大御本尊を拝した処(自己の心の内で真理を悟ったOr内面的な悟りを得た)
と成りませんでしょうか?(この説も少し揶揄してますね)
石山は何時の頃からか自説がどうも辻褄が合わないなと自覚した、それを内証と云う
掴み所の無い物を持って来て多様しているのではないですかね?
どの様に突っ込まれても元より「内証と云ってるでしょ」と。
私自身が心の中でその様に悟り、感じ取ったのだと。
ただ、この様な稚拙な表現方法は御法主上人猊下ともあろうお方は述べられませんので、
内証と云っているのではないかと推察されますが。

2390しゅんかん:2007/02/01(木) 18:56:14
2389の続き

私はどうもこの名称にアレルギーが有りこの板を一度も拝見していませんでしたが
{クリックすると入ってしまいました(´`)}

>他五老方が書写したものも、現在の顕師の書写したものもすべて蓮祖漫荼羅ということになるでしょう。

 あたりまえです。

〇ならばこのお方は仏具店等で身延派等が奉安する宗定本尊を祀られれば
良いのではないですかね、寛師曼荼羅は無い・・・など説明も要しないと思いますが。

>それを否定することは蓮祖漫荼羅を否定することになります。

不思議な人ですね、何故くどとあたりまえの事を声高に述べているのですか?

〇「>あなたがお感じになられないことは、ご自由ですよ」と、この様に一個人の権利を
認める様な事をおっしゃられていて於いて、「くどくどあたりまえ・・・」などと議論をして
下さっている、他者を愚弄する様な文を記すのはこの方自身の品位を下げる者ではなく、
この方の属している団体も同等と取られる事を理解されていないのでしょうね。
そもそも他者あっての議論ですから、相手を尊重すると云うものが根底にあって欲しい物です。
出入り禁止で、古いレスですし云ってもこの方には無駄ですか。すいませんでした。

2391再挑戦者:2007/02/01(木) 21:07:19
 横から疑問です。
 問題になる核心になるのは、、??、、でしょうか、、?
 時代、、時代、の各人、が「、、書写、、」、するには、信者かた、と、身内寺内かたへの担保、?、かと、おもいます、。
 後世の批判に耐えうるような「、書写、」、を、すべきでしょう、!!
 それが不可なら、、マトモニに書写も出来ないようなオチコボレ僧侶、?、と、言えるかも、??

2392犀角独歩:2007/02/02(金) 07:06:26

2389 しゅんかんさん

> 何時の頃から内証と云う物を語られるようになったのか

天台の段階で、既にこの用法は見られます。
ただ、現代のような神秘的な用法ではなく、もっとシンプルです。
たとえば『止観弘決』では「經從外用故云明説 今從内證故名爲知」、我流でよく批正を受けますが、読み下せば、「経は外用に従う故に明らかに説くと云い、いま内証に従う故に名づけて知と為す」
いわば、外用とは外の向いた在り方で経をここに例を採り、それに対して、内証は心のなかで智慧で考え立証していった結果ほどの相対用法です。

日蓮の場合も、この筋に則っているようですが、経典の文字に表れる範囲と、心の中で思惟し立証した経典に相違を起きます。「内証の寿量品」といった用法です。経典の文字面で表れるところ(外用)より、さらに心中立証されるところ(内証)という分別論です。文上・文底、教相・観心といった対概念と一脈通じる用法です。

これが日蓮滅後に創られていく相伝文の段階で神秘化されていきます。
しかし、詮ずる所、本迹、一念三千、自受用身ということを証していきます。

ですから、用法の歴史から云えば、法華系では、1500年以上前から使われている言葉です。

>> 大御本尊の御内証を拝し
> この様な稚拙な表現方法は御法主上人猊下ともあろうお方は述べられませんので、内証と云っているのではないかと推察されますが。

しばらくわたしは日顕さんの仕事をやっていた経験があり、この人の説法を、たぶん、一般の信者さんのなかではいちばん聞いているほうだと思います。開観両抄のほぼ全編の説法を聞いています。その他、消息文も同じほどの時間聞いています。そんな経験から言いますが、実に明晰で記憶力もあり、頭に入っている経・釈・御書を縦横無尽に解し、立て板に水のように話す、非常に有能な弁者でした。まあ、それだけの才能ですから、本尊鑑識の目も確かで、「戒壇本尊」が日禅授与漫荼羅を原本にしていることを見抜けたのでしょう。神秘的な側面も有しますが、教学部長の時代から、ものの考え方は合理的な人でしたね。

彫刻された板の内証というと、何だか神秘的な話に聞こえますが、日顕さんは、そんな煙に巻くような誤魔化し論法はしないでしょう。
言っていることは、要は日寛の人即法という教理的な立場から、板彫刻に人本尊として生身の日蓮と拝し、その御意を内証という意味でしょう。証されるところは自受用報身如来の内証で、すなわち一念三千ということではないですか。『御義口伝』、日寛の教学で、伝・伝教の『秘密荘厳論』(日蓮の時代には成立していなかったと思います)を依拠とするわけですが、つまり、「一念三千即自受用身自受用身者出尊形仏矣。出尊形仏者無作三身云事也」です。(尊形(三十二相八十種好)を出たということは凡夫の姿ですから、ここで日寛は示同凡夫・日蓮を言うわけです。こちらは外用ですね)

2393犀角独歩:2007/02/02(金) 07:06:55

― 2392からつづく ―

この筋を拝して、本尊を写していると言っているのでしょう。
血脈相承という側面から言えば、「法水相承」というわけですから、外用・上行/再誕日蓮、内証・自受用身の「内証相承」も言っていいところですが、該当の説法では、そこまでは言っていません。襟度があります。

> 石山は何時の頃からか自説がどうも辻褄が合わないなと自覚した、それを内証と云う掴み所の無い物を持って来て多様している

この側面は確かにあります。先に記したように、創価学会という在家集団では、印刷本尊を有り難がって受け、これをいちばん根本の「戒壇本尊」を書写したものだから有り難いと信じてきたわけです。ところが、その書かれている内容が違っていた。書写というのは、略があり、また、意義、用途に従って、その書かれる内容が変わるというのは、これは石山ばかりではなく、日蓮門下一般の常識です。ところが、こんなことを知らない信者会員には通用しない。

そこで、引用された日顕さんの言は内証を写したとは言っていませんが、意味もわからない人々は、「内証を写したから同じにならない」などと筋の通らないことを言い出すし、苦しい言い訳に使ったと言うことでしょうね。

余談ながら、わたしがかつて日顕さんの仕事をしていた感覚で言えば「本門戒壇の大御本尊」を‘物理的’と表現しただけで、これはNGですよ。坊さんに怒鳴られたでしょう。生きておわす(生身)の日蓮大聖人と拝する信仰です。たぶん、石山の坊さんや、法華講員に「戒壇本尊の物理的な面」といったら「そんな信心のない、不敬な表現をするものではない」と窘められるでしょう。こんな説明では、日顕さんを弁明していることにはならないわけです。もっと、日顕さんの説法を知悉したほうがよい。まあ、しかし、日顕さん、その寺務を統括する内事部、さらに「日蓮正宗」出版発行の許可を出す教学部から、なんら許可を取らず、勝手に文章を書き、勝手に出版してきた書物なんかが、日蓮正宗の考えだと思うから、こんな軽はずみな石山のアナウンス、日顕さんとも違うことを言い出すことになるのでしょう。

… どうでしょうか、藤川さん。現役法華講員として、以上のわたしの説明に評論してください …

まあ、以上はかつて、法華講であった頃、宗務院内事部『大日蓮』編集室、並びに教学部から仕事を請け負っていた頃の、かつて自分に言わせると、そうなるというところです。

しかしながら、日蓮本仏を典型にする石山教学と、彫刻本尊が後世の捏造であったことで、それまで数十年に亘って、身命を捧げた研鑽と石山での仕事が泡沫に帰したことには、いまでも断腸の思いがあります。言辞に尽くせません。残念でした。しかし、事実を受け容れ、前に進むしかありません。

2394犀角独歩:2007/02/02(金) 07:12:59

【2392の訂正】

誤)天台の段階
正)天台学の段階

2395ラキ:2007/02/04(日) 02:19:33
節分ですね。
豆まきに落花生はどうしても馴染めません。
衛生上そして、豆まき後の掃除を考えての事だと思いますが、大豆の方が風情があって良いのにと思った1日でした。
御在世当時は節分に豆をまく習慣がなかったらしいとはじめて知りました。

落花生て古くから日本に来ていたんですね。

「本土へは宝永3(1706)年中国より伝播したが、栽培には至らなかったとされている。
しかし、江戸時代には「ナンキンマメ」の名称が残っており、すでに栽培されていたのではないかとも考えられるが、明らかではない。
一般に栽培されるようになったのは明治に入ってからである。」

参考「落花生の郷」から落花生の歴史。
http://www.nbn-jp.com/yachimata/histry.htm

2396南京豆:2007/02/04(日) 06:38:25

節分に欠かせない豆撒(ま)きといえば、煎(い)った大豆で、年齢の数だけ食べるのがわが家のしきたりだが、雪国では落花生を撒くというのを、本紙暮らし面の記事で初めて知った▼なんでも「殻つき落花生なら外に撒いて雪で濡(ぬ)れても食べられる」という北海道の開拓農家の知恵が、東北や上越地方に広がったらしい。関取の豆撒きで知られる千葉県の成田山新勝寺でも、撒く豆は大豆八百六十キロに落花生四百キロを加える。落花生が千葉県の特産品だからだそうな

(2007/2/3) 東京新聞 筆洗 から

2397独学徒:2007/02/06(火) 15:01:02

またしても法難?か、

「弥四郎国重」関連を投稿していた、『冨士教学研究会談議所』がなぜか表示されなくなっています。

???、何故でしょう?

2398独学徒:2007/02/06(火) 15:39:28

ひとまず別種の掲示板にて、談議所機能を移すことを検討します。

http://xbbs.knacks.biz/dangisyo

『弥四郎国重』関連より、上記掲示板にて再アップしました。

2399天蓋真鏡:2007/02/06(火) 16:32:58
既得権益と言う権力の魔性が起こさせる悪か? 日蓮が信じた信じさせたい仏法がシンプルイズベストであるので良かった。三国四師から来ていますけど。信仰の形から言えば、漫荼羅本意論で良いのではと思い考えます。

2400独学徒:2007/02/06(火) 19:36:27

お騒がせしました。
談議所の方が無事復旧したようです。
今後ともよろしくお願いいたします。

http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/index.html

2401しゅんかん:2007/02/10(土) 23:10:59
静岡・女子高生ひき逃げ事件の日系ブラジル人。
彼の家の部屋と思われますが、彼が語っている後ろの壁面に
小さく神棚状でしたが十戒曼荼羅がはっきり確認できましたね。
厭ですね、現地で携わっていた報道関係の方の配慮が欲しかったです。

2402しゅんかん:2007/02/11(日) 00:47:05
訂正

誤−十戒曼荼羅
正−十界曼荼羅

2403ラキ:2007/02/14(水) 00:51:02
風塵社HPにて、独歩さんの反証に対して反証した文書がUPされてましたよ。

「犀角独歩と称する妄乱を憐れむ。(笑)」
http://otarunounga.hp.infoseek.co.jp/

2404犀角独歩:2007/02/14(水) 05:54:28

では、また、書きますか(笑)

2405偶ロム偶ログ(別HN御免):2007/02/16(金) 13:56:12
>2404
独歩さん、煩わしいだけですよ。
反論とかする必要のないレベルだと思います。
言いたいだけ言わせておけば良いのです。
悪口雑言であなたを誹謗中傷する様をみて嫌悪しない人は少ないでしょう。
先方は日蓮正宗法華講の信徒とのことですが、どうせ自称です。
「逆誉め殺し」のパターンで、日蓮正宗を毀謗している自覚も無い相手です、自爆するに任せましょう。
日蓮正宗僧侶からの反論であれば相手にしても良いでしょうが、時間の無駄遣いは無意味ですよ。
独歩さんへの有効な反論はただ一つ、日蓮正宗のしかるべき僧侶が、鮮明な写真を公開することだけでしょう。
あ、写真といっても歴代の板ですから複数となるでしょうがね。

それにしても日正寺だかの僧侶は「指導」教師ではないのですかねえ。
たしか日蓮正宗の宗制宗規には、日蓮正宗の名誉を毀損したものは厳重処分の対象とする旨、規定があったはずですのにねえ。

それから、ラキさん、>2403は、私には煽りのように感じられます。
掲示板に書き込まず、独歩さんに直接メールして教えてさしあげれば済むことではないですか。
もっとも、私ならば、独歩さんを煩らわせたくはないので、そんなことはしませんが。

2406きゃからばあ:2007/02/17(土) 10:34:48

法太郎氏のサイトを見て感じることは

>札幌市の法華講員から問い合わせがあった。本門戒壇大御本尊に対する偽作論に対して意見が欲しいとのことである。
>この程度の低劣な痴論を直ぐに見破ることが出来ないのであれば、うかつな教学態度でありやめたほうが良いのではないたろうか、ということである。

とあるように同じ仲間の法華講員を完全に見下している点である。
この慢心が信仰者として、もはや失格である。
おそらく質問したこの法華講員は指導教師(僧侶)に問題の答えを聞けなかったか、その質問さえできない状況だったのだろう。
もちろん指導教師がきちんと答えていれば、このようなことはなかっただろう。
一日も早く大御本尊の疑難に対して、本山がきちんと、本物であることを立証すべきである。
花押以下の脇書きだけでも写真公開すべきです。
また裏に記されているといわれる「閻浮提云云」を明確にしてほしい。

それともうひとつ。
法太郎氏のように法華講員の中で教学を好み、それを武器にして他を攻撃する人々は、尊ばれているようだが、本当は僧侶達から邪魔にされている。それはなぜか?
僧侶達は御供養が好きなだけで、教学は嫌いなんです。
教学の質問をしてくる人も嫌いだし、教学のできる人も嫌いなんです。
さらに大御本尊の疑難は、本音は僧侶達自身が本山に聞きたいけど、聞けないんです。
つまり現状のままでは真偽の判定はできないのです。
ぜひ大石寺の重宝類を大石寺の総代方々のお力で明確にしてほしいじゃありませんか。

だいぶ話が逸れました。m(_ _)m

2407きゃからばあ:2007/02/17(土) 10:38:01

私自身は教学好きな人は大好きです。
もちろん法太郎氏だって…。
一緒に真剣に話し合ってみたい。

2408きゃからばあ:2007/02/17(土) 10:40:14

訂正

ここは「氏」じゃなくて「さん」でした。m(_ _)m

2409ひきこもり:2007/03/08(木) 20:47:20
私は人付き合いが苦手で、人間嫌いなのです。子供の時から家の中
で玩具で一人で遊ぶか、絵本や漫画を読んでいました。一人っ子な
ので大事に育てられました。幼稚園には在籍していましたが、祖父
母の家にいることが多く、欠席することがほとんどでした。

創価学会に入会したのは、中学3年の14歳の時です。学生部の時
には会合に時々出ましたが、家の中で勉強していることがほとんど
でした。

今悩んでいるのは、座談会に出ず、学会活動をしていないことに関
してのことです。一人で拝んでいても、幸福になれるのならば、家
からほとんど出なくてもいいのですが。

パスカルの『パンセ』には、人の不幸の原因は部屋の中で休んでい
られないことであると書いてあります。個人主義者として、人と接
触せずに、ネットで対話して折伏するのではいけないのでしょうか。

2410れん:2007/03/12(月) 11:53:35
富士門祖白蓮日興師・重須談所二代三位日順師の古写本が北山本門寺に現存する文永十年八月三日付けの宗祖遺文の南部六郎三郎殿御返事に「但仏滅後二千余年三朝之間数万寺々有之、雖然本門教主寺塔、地涌千界菩薩別所授与妙法蓮華経五字未弘通之。有経文無国土。時機未至故歟」「所残本門教主・妙法五字、流布一閻浮提無疑歟」とあります。ここに述べられた本門教主・寺塔・妙法五字が後の法華取要抄や報恩抄で説かれる本門三法門の原型であると愚考してます。観心本尊抄を書かれてから四か月程で、三法門の原型が示されるのは注目されるところです。特に南部六郎三郎殿御返事に「本門教主の寺塔」(この“寺塔”に戒壇は含まれるでしょう。寧ろ寺塔の象徴として戒壇が示されるのかもしれません)とあるところから、日興並びにその門下が建立を念願した“本門寺”構想の一つの源流と言えるのかもしれません。

2411犀角独歩:2007/03/16(金) 14:48:03

れんさん

興味深い資料のご呈示、有り難うございます。

わたしは、『本尊抄』述作の段階で、日蓮は三法門に考えが至っておらず、本尊と五字で戒壇義を存していなかったと考えてきました。

しかし、この点について、果たしてそうなのだろうかと反芻しています。
観心本尊という名目は、そもそも教相に対して観心から論じているのであって、その心を観る話題で、現実の国家に建てる戒壇は埒外であるわけです。

本尊抄は、まず教相面から本尊を考え、これを五百塵点成道釈尊とします。ついで、さらに己心達観を通じて「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏」といい、この観心面からすれば「経云 我本行菩薩道所成寿命今猶未尽復倍上数等云云 我等己心菩薩等也 地涌千界菩薩己心釈尊眷属也」といいます。

さらに「妙楽大師云 当知身土一念三千 故成道時称此本理一身一念遍於法界等云云…今本時娑婆世界離三災出四劫常住浄土。仏既過去不滅未来不生。所化以同体。此即己心三千具足三種世間也」

常住の浄土であると言い切ったうえに、では、戒壇建立など考える必要があるのかという疑問は成り立ちます。

以上の点を考えるうえで、先に問答さんとは議論をしましたが、わたしどもが習ってきた教学というのは、教相観心において混乱があるのではないのかと、わたしは整理しました。

つまり、久遠五百塵点成道釈尊とは教相の本尊であり、そこで上行等所伝される妙法蓮華経五字、そして、建てるべき戒壇という三法門は導かれます。
しかし、さらに観心の本尊と進めば、それは娑婆即浄土の国土世間・所化同体の一念三千、つまり、妙法蓮華経が観心本尊であるという教学場の整理を、日蓮は存しているのではないのかということです。

故に、そして三法門から建つ戒壇院(堂)安置本尊は妙法五字の漫荼羅ではなく、一尊四士となる。しかし観心本尊からすれば、法華経の題目こそ本尊である。では、ここに勝劣があるかといえば、それはなく、教観の異なりなのではないかということです。

教相観心本尊の混乱が、教義理解の妨げとなっていると考える昨今です。

2412れん:2007/03/17(土) 20:19:56
犀角独歩さん
愚文に対する重厚なるコメント痛み入ります。
観心本尊抄の流通段に「上宮、四天王寺…阿弥陀他方」「聖武天王、東大寺…花厳経の教主」「伝教大師…東方の鵝王」と示して、地涌千界が本門の一尊四士を建立する事が述べられておりますから、内意としては既に観心本尊抄の時点で地涌千界が建立する寺塔とその寺に安置する一尊四士(本門本尊)が示されていると言えるのかもしれません。
私があの三法妙図から得る感触では本門(教相)の本尊は久遠実成釈尊、観心本尊はその久遠実成釈尊の心法妙の直体とされる法華経の題目で、飛躍していえば本門本尊は色法で観心本尊は本門本尊(久遠実成釈尊)の心法であり、色心(教観)二にして不二という関係ではないかと思います。仏法妙・衆生法妙具足の心法妙(題目)を受持することにより、凡夫の己心にも久遠実成釈尊とその本眷属を感見できるのでは…というがの愚見です。
あまり整理してないので大雑把な愚見で申し訳ありませんが、今日の教相観心本尊の混乱が日蓮聖人のこの部分の教義の理解の妨げになっているというのは、まさに犀角独歩さんの仰る通りと存じます。

2413犀角独歩:2007/03/18(日) 08:57:55

れんさん

ご返信、有り難うございます。

> 本門本尊は色法…観心本尊は本門本尊(久遠実成釈尊)の心法…色心(教観)二…不二…関係

三法妙という配立に関しては、わたし自身は消極的ですが、しかし、ここで整理される点は理があると思います。

ただ、本尊抄の段階では、題目に関しても、色法面を論じているようにわたしは思うのです。

釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足 我等受持此五字自然譲与彼因果功徳

此本門肝心於南無妙法蓮華経五字仏猶文殊薬王等不付属之

但彼脱此種也。彼一品二半此但題目五字也

召地涌千界大菩薩寿量品肝心以妙法蓮華経五字令授与閻浮衆生也

如是現十神力地涌菩薩嘱累妙法五字

此十神力以妙法蓮華経五字授与上行安立行浄行無辺行等四大菩薩

但論理具事行南無妙法蓮華経五字 並本門本尊未広行之
此時地涌菩薩始出現世但以妙法蓮華経五字令服幼稚

不識一念三千者 仏起大慈悲 五字内裹此珠令懸末代幼稚頚

以上の記述は、心法における五字ではなく、明らかに文字で書かれた(色法の)妙法蓮華經の五文字を意味していると思われます。

つまり、本尊抄で査定されるところは、寿量仏像と文字として妙法蓮華經ではないでしょうか。

もちろん、本門本尊=寿量仏像(一尊四士)、観心本尊=妙法蓮華經五字で、後者は「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏…当知身土一念三千 故成道時称此本理一身一念遍於法界等」というわけですから、仰るとおり、教相の五百塵点成道の釈尊の心中と読むことはできようかと存じます。
その段階に至るとき、れんさんの整理は至当であろうかと存じます。

それにしても、富士門下において、等閑にされる教観相待につき、議論ができたことを嬉しく存じます。

2414パンナコッタ:2007/03/25(日) 12:22:27
能登地方で被害に遭われた方、
お見舞い申し上げます。

2415ラキ:2007/03/31(土) 21:51:58
「悪書板本尊論を粉砕する」を読みましたが、良く解らなかったが本音です。
この本自体が”悪書”だから、あまり見せたがらないのかと感じております。
また、「国立戒壇論の誤りについて」「本門事の戒壇の本義」などは、読んでみたいから貸し出しを願い出ても、宗門の人は誰も貸してくれません。
これも、悪書?だから、見せたがらないのかなぁ〜と感じた日でした。

2416ラキ:2007/03/31(土) 22:40:07
2chの正宗スレッドを見ていましたら、不思議な教団を見つけました。
「富士山本門寺」
http://www3.ocn.ne.jp/~isak/index.html

「正統大石寺」の部分で、「弥四郎国重は日目聖人の従兄で新田小野寺弥四郎国重の事です、」と、
記載されてましたが、大石寺系て不思議な教団を産む要因とかがあるのかと感じました。

それにしても最近は「七仏通誡偈」
諸悪莫作(しょあくまくさ)衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)自浄其意(じじょうごい)是諸仏教(ぜしょぶっきょう)
「諸々の悪を為すことなく、もろもろの善を行い、自ら心を浄くせよ、是が諸仏の教えなり。」
この言葉が一番理解しやすくて、マイブームと言うか、お気に入りの言葉になってます。

2418犀角独歩:2007/06/03(日) 08:39:45

> http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014181212/117

青蓮さん(はじめまして)と、同じく、かつて、わたしも北山の日興正墓に参じたことがあります。香花灯明すら、何年も上げていない有様で、この一事を見て、北山門下というのは、口先だけの日興崇拝だと思った次第です。
目の前にある派祖の墓を放りだし、自分たちの住まいばかり、せっせと綺麗にし、日興正当もないものだと思ったものです。

もっとも、実質的開祖・日目の正墓すらない石山は、もはや、問題外と言うことになりますか。

2419再挑戦者:2007/06/04(月) 22:47:02
、、毎度の失礼です、、、ゴメンします、、。。
 さて、、先般、ニセ・ササニキ犯罪が報道されました。  その発端は、某中華料理店が発した情報のようです、、「、、これでは、マトモなチャー飯がデケンよよ、、」、、一体、米の会社はドナイなトン、、ジャ、、!!という、一問題の提起から、七名もの詐欺・容疑で逮捕者がでました、。
 気位が高い調理人方の、、「、、真骨頂、、」、、でございました、、。
 さて、宗教界、、方、では、、ドナイ、、でしょう、、???
 「、、ニセ・日蓮ブランドがマカリ通っても、、長年の間、、当該者らは、ナぜか無言、、でした、、??
 むしろ、儲けの手段に逆の利用をたくらんだ、シタタカナ、、???、、方方、、も、、居られました、、??ようでしょうか、、??
 何も知らない、、小生、、一族、、、郎党、、「トホホ、、」、、で御座います、。ツブヤキでした、、。

2420再挑戦者:2007/06/04(月) 23:03:58
  、、小生は、「、、悔しさ、、99999999.99999%、、」、、の毎日ですが、、これほどの「、大問題、?、、」を、、無視〜〜〜軽視〜〜〜、、するような方方も、、御存在、、のようでしょうか、?? クッソー、、!!!!

2421再挑戦者:2007/06/04(月) 23:20:59
、、ドナイしたら、、「、、本当の”、成仏、”とやら、、」、、が、、保障、されるん、、でしょうか、、??
 経文にも、仏の境涯に到達したならば、、「、、いろいろな状況でも、999%もの確かな、、”分別、”、が可能だし、庶民へのお笑いも提供可能、、」、、と経文にはございます、、。 でも、疑問ばかりでございます、、。

2422青蓮:2007/06/05(火) 06:40:52
私も遅ればせながら独歩さんのブログを(携帯からなので写真等が一部読み込めませんでしたが)読ませて頂きました。

独歩さんはブログの中で半生を棒に振ったなどと謙遜されていましたが、とんでもない。先駆者です。

およそ犯罪など事件が起こり裁判となった時などに必ず問題となる事は、何時、何処で、誰が、何をしたかであって、その証拠が明らかとならなければ誰も納得はしませんし信用に足るものではない。この道理がそのまま10月12日の問題にも当てはまると思います。

釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候いけるぞと何処かで聞いた事がありますが石山にはこの教えの如き振る舞いを忘れずに真摯に対応して戴きたいものですね。

2423ラキ:2007/06/05(火) 09:12:40
石山が佐渡塚原跡に記念石碑を建てました。

表には「日蓮大聖人佐渡御流摘」「塚原跡」「日蓮正宗総本山大石寺六十八世日如 花押」

裏には「維時 平成十九年五月十六日」「立正安国論正義顕揚七百五十年記念局 建之」

顕正会でも塚原跡に記念碑を建てると過去に発言があったのですが、どうするのかな?・・・
隣接地に建てるのか?独自に塚原跡を調査して、宗門の場所は違うとか言い張るのか?見ものですね。

2424犀角独歩:2007/06/06(水) 00:39:41

青蓮さん、ご高覧、感謝申し上げます。

2425凡愚:2007/06/15(金) 15:56:43
突然、失礼いたします。先に本尊の名や曼茶羅についての考察が述べられていた
今月の御講は「日女御前御返事」の一節だった。帰って全文を拝すると御本尊についてのお手紙である。もとよりここにお集まりの皆様には百も承知の御文なのでしょうが。

聖人は

日女御前御返事  御本尊供養の御為に鵞目五貫・白米一駄・菓子其の数送り給び候ひ畢んぬ。 抑 此の御本尊は在世五十年の中には八年、八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕はれ給ふなり。さて滅後には正法・像法・末法の中には、正像二千年にはいまだ本門の本尊と申す名だにもなし。何に況や顕はれ給はんをや。又顕はすべき人なし。天台・妙楽・伝教等は内には鑑み給へども、故こそあるらめ、言には出だし給はず。彼の顔淵が聞きし事、意にはさとるといへども、言に顕はしていはざるが如し。然るに仏滅後二千年過ぎて、末法の始めの五百年に出現せさせ給ふべき由、経文赫々たり、明々たり。天台・妙楽等の解釈分明なり。 爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん。竜樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕はし給はざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕はし奉るなり。是れ全く日蓮が自作にあらず。多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏のすりかたぎ(摺形木)たる本尊なり。略

一人ももれず、此の御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。是れを本尊とは申すなり。

 此の御本尊全く余所に求むる事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり。是れを九識心王真如の都とは申すなり。十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり。之れに依りて曼陀羅とは申すなり。曼陀羅と云ふは天竺の名なり。此には輪円具足とも功徳聚とも名づくるなり。此の御本尊も只信心の二字にをさまれり。「以信得入」とは是れなり。

南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり。信心の厚薄によるべきなり。 仏法の根本は信を以て源とす。されば止観の四に云く「仏法は海の如し、唯信のみ能く入る」

日蓮が弟子檀那の肝要、是れより外に求むる事なかれ。神力品に云へり。委しくは又々申すべく候。穴賢穴賢。  八月二十三日  日蓮花押  日女御前御返事

2426偶ロム偶ログ:2007/06/15(金) 18:55:00
日女御前御返事 ですか
真筆とはいうものの、断片5ケ寺に5紙の現存ですね。
石山にはありません。
写本は本満寺本より已前にはありません。
本文のどの部分が真筆なのか興味があります。

2427問答迷人:2007/06/15(金) 19:25:55

凡愚 さん
偶ロム偶ログ さん

整理させていただきます。

凡愚さんが引用されたのは、弘安二年八月二十三日される書で、これには、真蹟も時代写しも有りません。
偶ロム偶ログ さんが、「断片5ケ寺に5紙の現存」とされるのは、弘安元年六月二十五日の書です。
同じく、日如御前御返事ですが、別物です。

2428問答迷人:2007/06/15(金) 19:27:34

訂正

×日如御前
○日女御前

失礼しました。

2429偶ロム偶ログ:2007/06/15(金) 19:42:35
しっつれいいたしました、たはは。
行学院日朝師の写本が初出のほうでしたね。
すみませんでした、書名だけで検索したためのおーまちがいでした。
ご面倒おかけしました。陳謝申し上げます。
行学院日朝師の写本が底本となって版本に収録された遺文ですが、以前どこかで民部向師の金綱集がネタではないかというのがあったような。
宗全を持っていないので確認はできていませんが……。

2430凡愚:2007/06/15(金) 22:50:34
ご回答ありがとうございます。

日朝師写本からでしたか。(といっても日朝師がどんなお方か知らないのですが)

この写本の中の文言句々に聖人の常の仰せと違う部分があるのでしょうか?

常の仰せと合致するもの、また違う部分についてご教示いただけませんか。

2431問答迷人:2007/06/16(土) 10:51:44

凡愚さん

>この写本の中の文言句々に聖人の常の仰せと違う部分があるのでしょうか?

真蹟が無いので、後世、誰かが何らかの目的で製作されたものである可能性を否定できません。それで、この書に書かれていることが、蓮祖のお考えであるとは、直ちには採用出来ないということです。

2432凡愚:2007/06/18(月) 22:09:06

でかけておりまして遅くなりました。ありがとうございます。

このサイトでは写本と言われるものについては検討外であり、幸いにして残っている真蹟の範疇での対話でありましたか。失礼いたしました。

そうすると真蹟から波及するところの、凡人の伸張させた考察?なども写本と似たり寄ったりの部分もありますね。

御書に掲載されているものは信頼できるものと思っておりましたが、それぞれに○△×
をつけておかねばなりません。

貴重な真蹟を残された僧俗には感謝申し上げ、写本をされた方々はご苦労様でしたというところでしょうか。
無くなった真蹟も多くあるでしょうに何が書かれてあったのでしょうね。
もったいないことです。

しかし私は「日女御前御返事」の内容を信じることにいたします。

つぶやきでした。

2433再挑戦者:2007/06/23(土) 21:15:06
 お日柄もそこそこのようです、、。 
 一言を発声させてくださいませ。
 当該スレッド”蓮祖の、、、曼荼羅、、の真偽について”に関連します、。
 No.237さんのお言葉「、、戦後最大の宗教犯罪、、糾弾してきました、」、。
 過去ログをご拝見しまして、重く受け止めたく存じます。
 独歩さんは、顕氏の汚さを御指摘では御座いまする、、。 しかし、小生の凡愚の低脳頭から考察させてもらいますと、それ以前から”それなりの体質のような、何か、?”、が存在、、?、のようでしょうか、?
  疑義の人は故日達さん(含む、日寛、)でしょうか、? 「日蓮真筆本尊から、いたく乖離したような、書写(讃文不当添加〜仏滅後の年代の誤記〜略式の帝釈の誤記、、)もマトモに不可の方が存在、したようでしょうか、?
  マトモな書写不可能なのは、そのモデル・規範が存在しない、、?? 当時、当該寺には”日蓮さまの真筆本尊様が御不在のようでしょうか、? こんな団体や法人には、マユに”ツバをつけて、、”、、再考もありでしょうか、? 愚言でした、、。トホホ、、。

2434再挑戦者:2007/06/25(月) 20:06:30
 モウ一言ゴメンします。
 昨今の不祥事には驚愕します、。 何かが作用していますようでしょうか、。
 問題の主因は、いずこに、??
 http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20070623AS1K2300223062007.html

2435犀角独歩:2007/06/26(火) 18:23:12

2433 再挑戦者さん

> それ以前から”それなりの体質

それはそうだと思います。だいたい、日蓮の抜けた歯にくっついている肉が生きて成長しているなどといってきた団体です。それはそれは昔からの体質ではないでしょうか。

2436青蓮:2007/06/28(木) 12:55:46
いやはや、私の思っていたことは、今この平成の時代に、いざ鎌倉〜!などと言って誰が素晴らしい政治的見解だと思う人がいるだろうかというレベルの話しですよ。歴史的な事柄についてはまるでドのつく素人ですのでいつも興味深く学ばせて頂いている次第です。
m(__)m

2437しゅんかん:2007/06/29(金) 14:36:44
時の法主に依る言で方向転換される、どうして「以来今日まで、日蓮大聖人の仏法は、
唯授一人(ゆいじゅいちにん)の血脈相承(けちみゃくそうじょう)によって、一器の水を一器に瀉(うつ)
すように法灯連綿として、現法主・第68世日如上人(にちにょしょうにん)に受け継がれている。
などと云えるのでしょう。

2438再挑戦者:2007/07/01(日) 19:02:05
,,ゴメンします、。
 諸賢様の過去の御賢察には、ご同慶の至りでゴワス、、。
 混乱の極まるような、一寸の先は、全く不透明、、と言う、カオスの中では、見下されて来た我ら庶民はタダ、、オドオド、、して良いのでしょうか、?
 、、ところで、、先般の「偽装ミンチ事件、」では、工場長でさえ「、社長は、我らの意見など、聞き入れない雲の上の人”だった、」、と言っていました。
 「、、雲の上の人、、とは、一体、、全体、、どんな御方、、???」、。 是に似たようなお方は、ここ、かしこに存在されたようでしょうか、?
 「雲の上の方」、==「、絶対的な命令・世論操作の中心者、??」、、かも知れマシエーン、、。 騙された方が、バカのようでしょうか、? トホホ、、!!

2439しゅんかん:2007/07/03(火) 00:03:44
先日、法華講のお方より、参院選では在るお人を宜しくお願い致します、とご依頼がありました。
そのお人は祖父か曽祖父が石山末寺の御住職であられたそうで、野党より立候補されるそうです。
宗門・学会が分裂してしまえば全てが異なる、其れは自己の意思に拠る処で無いのが引っかかる今日この頃です。

2440再挑戦者:2007/07/06(金) 22:44:13
 ゴメンします、、。本夏はラニーニャ?とかの因で猛暑・厳暑の予測がございました。 4.5畳のボロ・アパートにすむ小生は、今年こそ「念願のクーラーを購入」しようと、大家に諾否を聞いたところ、配線の電線が昔のままで細い、電流容量?が足りないので漏電火災防止のため、ダメ、と言われました、(涙)。 また、近く建て替え予定なので不満なら退去されたし、との冷たい言でした。
 中・高高年単身者への、姥捨て山のような、弱者へのイジメ〜排除〜儲け主義の悪漢どもの自己主張ばかりは良く通るようでしょうか、(クッソー)。
 先日は、近所の飲み仲間がパート出勤の8時35分頃玄関出口にて倒れましたが、15〜20分?が経過したのか? 救急員の心臓マッサージでも蘇生しませんでした、(トホホ)。 警察の調べで、天涯孤独、事件性無しとのことで、市役所から来た方が白い袋に入れられ、斎場、無縁墓地埋葬まで、一応立会いました(涙)。 これは「人間らしい死に方?」でしょうか?「こんな人生の最期では、あまりにも情けない、??」、。
 「死を考察しつつ生を考える、?ことは?」、何かは不明です。 でもそこそこの「道筋くらい、?」、は知りたく真筆本尊(1〜123)のコピーを順次取替えて、緊急避難的に拝んではいます(それ以外は何やら、やらせぽっくって、ニセっぽくて怖くて、、)。 アホのサエズリ・愚考でした、。

2441孤独な迷子:2007/07/07(土) 01:27:27
地球は温暖化しているのに、人間(社会)は寒冷化ですね。
孤独死・・・ニュースで時々聞きますが、身近に感じてしまいました。
なんか寂しい世の中になったものですね。

2442犀角独歩:2007/07/07(土) 08:08:40

再挑戦者さん

ご友人のご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。

貧道というのは、ある面、修行のようだとわたしは思います。
少なくとも日蓮にはそのような考えがあったでしょう。
真蹟を残しませんが、『四菩薩造立鈔』に

「日蓮は世間には日本第一の貧者なれども、以仏法論ずれば一閻浮提第一の富者也。是時の然らしむる故也と思へば喜び身にあまり、感涙難押、教主釈尊の御恩報じ奉り難し。恐くは付法蔵の人々も日蓮には果報は劣らせ給たり。天台智者大師・伝教大師等も及給べからず。最四菩薩を建立すべき時也云云。」

なにより『開目抄』に

「般泥亀経云 善男子過去曽作無量諸罪種種悪業。是諸罪報О或被軽易或形状醜陋 衣服不足 飲食麁疎求財不利生貧賎家邪見家或遭王難及余種々人間苦報。現世軽受斯由護法功徳力故等[云云]。此の経文日蓮が身に宛も符契のごとし。狐疑氷とけぬ。千万難由なし。一一の句我が身にあわせん。或被軽易等[云云]。法華経云 軽賎憎嫉等[云云]。二十余年が間の軽慢せらる。或形状醜陋。
又云 衣服不足。予身也。飲食麁疎。予身也。求財不利。予身也。生貧賎家。予身也。或遭王難等。此経文人疑べしや。法華経云 数々見擯出。此経文云種々等[云云]。斯由護法功徳力故等者摩訶止観第五云 散善微弱 不能令動。今修止観健病不虧動生死輪等[云云]。又云 三障四魔紛然競起等[云云]。」

また『撰時抄』に

「法華経の行者は貧道なるゆへに国こぞつてこれをいやしみ候はん時、不軽菩薩のごとく、賢愛論師がごとく、申つをら(強)ば身命に及べし。此が第一の大事なるべしとみへて候」

「法華経の行者は貧道」とは、名言の極みと存じます。

御筆漫荼羅の写真を拝まれているとのこと、これはたしか顕正居士さんがご紹介くださった日蓮を信奉する外国の人々の流行「Download-Honzon」といったことと一脈通じますね。

わたしは個人的に漫荼羅正意から導かれる漫荼羅本尊観は日蓮の考えとは違っていると考えています。日蓮が漫荼羅を書いたのは、一念三千を裹む妙法蓮華経の五字を授与するためであったと思うからです。一念三千とはつまり仏因・仏果ですから、その授受は成仏のためでしょう。日蓮は弟子に漫荼羅の書法を教えたかどうか、どうやら教えなかったようにも思えますし、教えたのかも知れません。それはともかく、しかし、妙法五文字の授与という儀式制は継承されたでしょう。久遠本仏所有・妙法蓮華経―上行所伝―日蓮所伝―継承方式漫荼羅図示【授与】

漫荼羅を本尊として拝むかどうかというより、“日蓮から妙法五文字を書き与える儀式を継承した者が、自分のために書き与えてくれた妙法五文字であること”に、実は重点があるのではないでしょうか。

2443しゅんかん:2007/07/11(水) 18:15:26
〉2240
再挑戦者さん
ええ、その様ですね今夏は猛暑、酷暑の予想ですね。間々外れもしますからそう落ち込まれますな。

大家さんの漏電は少し的外れと思いますよ。
漏電の恐れはクーラーに関係なく危険なのでそれなりの対策が必要と思われます。
〔電気配線は古い家屋との事でしたので、全体が1.6mmだと踏まえて印させてもらいます〕
昨今、省エネが喧しく云われてます。
一例ですが、6畳タイプで消費電力は(75〜650W)です。これが駄目なら、炊飯器や電気ポット(700〜905W)も駄目だし、オーブントースターなんてあんなに小さいのに(1000〜1300W)もあります、これらは咎めないのでしょ、消費電力のもっと多い電気ストーブだって。
簡便に設置出来る窓型(ウィンドクーラー)も在りますよ、これは配管の穴も開けず、ドレン水も処理してくれて又、価格も安いですよ。大家さんにもう一度お願いをされてみてはどうですか?
では、お体ご慈愛下さいませ。

※問題発生時のクレームは、一切受け付けませんので悪しからずm(__)m

2444再挑戦者:2007/07/11(水) 21:12:38
、、独歩さん、しゅんかんさん、、。 諸賢様の暖かい、御心情溢れる御提言には、、ただ、、ただ、、ナミダ、、なみだ、、涙、、でゴワス、、。
 謝謝、、!! Muchas Gracias,! Muito Obrigado,!  セニョレス、、ドクトーレス、!! 諸賢に陳謝、、。

2445偶ロム偶ログ:2007/07/15(日) 02:32:42
過日、大林宣彦監督の「転校生 さよなら あなた」を観てきました。
1981年の「転校生」を大林監督自身がリメイクした作品です。
しかし、このようなリメイクの仕方があったとは、まったく思ってもみませんでした。
私は81年版もリアルタイムで観ており、当時、ノスタルジックなほろ苦さを覚えました。
今回のリメイク版は、81年版の「再映画化」ではありませんでした。
私としては、今年度の邦画ベスト1、大林監督作品としても最高の作品であろうと思います。
掲示板の主旨には、直接には関連しませんが、ぜひ、ご覧になることをお勧めします。
つぶやきでした。

2446犀角独歩:2007/07/20(金) 00:03:08

たぶん、日蓮門下であれば、誰しもが思っているでしょう。

「よりによって『立正安国論』が上奏された7月16日の、それも、日蓮聖人が佐渡からお戻りになって漂着された柏崎で、こんな悲惨な地震が起こるとは…」

とある日蓮宗僧侶が言われた「まったく、顕正会が新潟に会館を建ててから、あの地では、ろくなことはない」

偶然か、必然かはともかく、翌日に、柏崎と連絡が取れたところ、既に日蓮宗僧侶によるボランティアが到着し、活動を開始しているとのことでした。被災された方にはお見舞い申し上げると共に、救済活動をされている方々には、深く敬意を表するものです。

2447犀角独歩:2007/08/05(日) 21:45:38

以下のような相談?を受けるところがあるようですが、ここでは石山法華講の脱会相談を受けているのでしょうか。
学会、顕正会脱会から脱会させ、石山に勧誘するなんてことがあれば、問題にしなければなりません。

創価学会員・顕正会員対象脱会希望者の相談館
http://8830.teacup.com/tsurutaro5/bbs

2448問答迷人:2007/08/05(日) 22:21:56

早速覗いてみましたら、次のように書かれていました。

『日蓮正宗で正しい信仰をされたい方は、どうぞここの掲示板に遠慮なくご投稿ください。私たち法華講員が、あなたを全面的にサポートし、あなたを無事に正しい妙法へとお導きいたします。
 さ、私たちと一緒に、大石寺の本門戒壇の大御本尊様のところへまいりましょう。 』

この書き込みの通りだとすると、法華講員が主宰する、日蓮正宗への勧誘サイトですね。

まだ、こんなことをやっているんですね。もう法華講は下火だと思っていましたが、そうでもないのでしょうか・・・???

2449再挑戦者:2007/08/05(日) 22:23:39
 、、失礼いたします、、。
 
 アノ手、コノ手の策略・策謀が開始されたようですしょうか、。
 石山様では、時流の混乱に生じて、迷った方方の取り込みを思考したかも知れません、? 
 本来の教導、?(、教主釈尊の説いた”成仏”への継続は、?)、を思考するのではなく、明日の飯を確保のため、?、、としか思えない思考でしょうか、?
 その最たる一件が、「、庶民無視・軽視の自・公の結末が、?」、今回の選挙結果かも、? 
  庶民は、一見はバカのようですが、深層は、侮れませんようですか、。
 今は、IT時代の始まりですが、今後は、老若男女がパソコンを自由に操作が可能な時代に突入です。
 今までの「ダマシの技術は、」、小生のツブヤキでは、間もなく、通用しないでしょう!、?(朝日新聞 8/5 社説より)

2450犀角独歩:2007/08/06(月) 07:17:32

問答さん、有り難うございます。

被害者が引っかからないように、注意していかなければいけないと思いました。

2451犀角独歩:2007/08/07(火) 13:57:40

> http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1039933512/2447

先の紹介したいまどきこんな掲示板という印象を懐かざるを得ない石山勧誘を意図した脱会相談のサイトですが、ここでは創価学会印刷「本尊」を「ニセ本尊」と書いてあるのですね。

何を以て「ニセ」というのか、その議論は分かれるでしょうが、だいたい自分たちは、彫刻を本物であると謀っておいて、よく言うものだと思いました、もっとも創価学会も他宗の本尊に、何ゆえ執着しているのかもよくわかりませんが。

石山では、本尊所者に関することは「御法主上人猊下」の権能にかかることだから在家は許より、僧侶も考えること自体が謗法だというわけです。便利な詭弁です。この報道管制と思考操作によって、単なる模造品を日蓮作とし・日興作としてきました。そして、歯にくっついた肉が生きているとまで言ってきたわけです。

「本尊」の写真を撮るのも謗法、見るのも謗法、自分たち以外は何でも謗法という論法で、他を斥け、自己正当化を図るところに、真実もなければ、正義もないことは自明です。こんな相談所に迷い込んでしまえば、元の木阿弥、詐欺に引っかかったものが無免許の自称弁護士に相談に行ってしまうようなものです。

宗教問題にかかる各支援団体にも連絡をし、被害の拡大を防いでまいろうと思います。

2452偶ロム偶ログ:2007/08/08(水) 13:31:39
460000ゲットしました。
もうこんなにアクセスされたのですね。
これからもみなさんの論議を学ばせていただきます。
問答さん、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。

2453管理者:2007/08/08(水) 22:11:17

偶ロム偶ログさん

>460000ゲットしました。

何か、管理者の想定外の数字です。

以前の議論は、460000から眺めると、的外れの議論も有りますね。
しかし、何ら修正する必要の無い適切な議論も有ります。
460000レスは、それぞれご参加の皆様が刻んでくださった貴重な一コマ一コマです。
発展や矛盾を当然孕んでいますが、この掲示板のレスの総体が冨士門流信徒の為の極めて貴重な議論となっていると考えています。
批判の精神を忘れずにこれまでの議論を読み返してくださるなら、460000レスが宝の山である事をご理解戴ける物と思っております。
然る後、現在の当掲示板の議論にご参加賜りますれば、管理者の願う所、望む所であります。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。

2454犀角独歩:2007/08/09(木) 11:32:05

460000ですか。感慨無量です。

気が付けば、前言・後言、異見とする試行錯誤を繰り返してきました。
7年間に亘り、これだけ多くの稔りある議論ができたことは、ひとえに適切な管理をなさる労により、わたしども安心してなせたことでした。

茲に慎んで、深く御礼申し上げると共に、そのご尽力に深く敬意を表します。

2455再挑戦者:2007/08/09(木) 23:54:02
、、ドーモですが、
今時、無関心方の啓蒙・覚醒などに重大な役目を担って居られる貴HPには「有難うの」一言を忘れておりました、ゴメン、なさい、。

2456スイカペンギン:2007/09/06(木) 03:31:37
法華戦隊ミョウレンジャー
http://www.eonet.ne.jp/~myoh-ranger/
カルト教団を倒し、カルトとから家族を守る法華戦隊なんて子供にも
理解出来るかも!!

2457富士川一郎:2007/09/06(木) 11:54:14
昔昔、悪名高き顕正会ただ1回の体育文化祭にて、オーレンジャーショーが行われ、敵は信濃町の悪の組織であり、武器が題目などと言う馬鹿げたものでした。
確かビデオにもなったと思いますが、どなたか持ってませんかね。

確か、最後に敵が「信濃町に引き上げだ」と逃げていくシーンがあったと思いますが。

2458大縫 薫:2007/09/06(木) 22:00:14
富士川さん、それは面白い!!
船隊シリーズは、子供だけじゃなく大人も楽しめるのでカルト問題に興味を引き付ける
格好の材料になるかも!
そのビデオ是非見て見たいです。
法華戦隊なんて笑いのツボにハマル

2460犀角独歩:2007/09/15(土) 10:20:30

偽造、捏造、模造を暴く、真実糾明を皆さんと行ってきたのが、こちらの掲示板での議論でした。

昨日、電車に乗ったら中吊り広告で

「週刊文春の広告で大きく「スクープ 服部幸應(料理番組のドン)の『家柄』は偽装だった! 本名は『染谷』、450年続く『服部流割烹家元』も大嘘だった」

とあり、吃驚しました。ありもしない団体名を詐称していたということでしょうか。

まあ、よく見かける話ではありますね。

2461富士川一郎:2007/09/15(土) 17:31:42
>>2460

しかし、この程度の事は調べればすぐに分かりそうなのですが、意外と発覚しにくいんですね。
もっともテレビ局が故意に隠している事もありますが。。。
細木某(姐さん)は最も激しい家柄、経歴詐称をしているんですがね。
服部さんについても、人気があるんで、局もかくしていたように思えますがね。

2462富士川一郎:2007/09/15(土) 17:33:37
>>ありもしない団体名

正式名称 宗教法人顕正会
自称  「冨士大石寺顕正会」

正式名称 宗教法人太平教団
自称  「本門正宗」

2463犀角独歩:2007/09/15(土) 17:44:18

顕正会がいつから「冨士大石寺」を自称するようになったのかは、過日の研究発表で明確に、その証拠が出ていて興味深かったですね。

この自称というやつですが、「日蓮正宗」というブランドは、なかなか魅力的ということなんでしょうか。

日蓮宗でも、同様のやり口はあるんでしょうね。
また、その他でもありでしょうか。

2466犀角独歩:2007/09/16(日) 06:44:21

横から失礼します。

アスランさんのクレームの趣旨はわかりますが、アスランご自身も第三者です。ご本人から直接聞いたとのことですが、では、そのことを証するものはなにもありません。こういっては、なんですが、閲覧している側からすれば、その両者ともウラを取れないという点では同等の程度であると存じます。

ここは、アスランさんのクレームが明示されているわけですから、削除しないで、両投稿とも残しておくほうが閲覧側としてはわかりやすいかと存じます。

ご一考ください。

2467アスラン:2007/09/16(日) 08:52:36
犀角独歩様

お話の件、ごもっともだと承りました。
確かに私もこのネット上の立場においてはご指摘の通り第三者となります。
私も友人の名前が予期もせぬ場所から出て来ましたので、彼の名誉の為にと思い、先走りました。
これ以上の追求は致しません。
申し訳ありませんでした。


管理人様

せっかく取り上げて頂いたにも関わらず、ご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした。
私も個人的に本人に報告致しましたので、抗議があるのならば本人からして頂くよう進言致します。
お手数をお掛けしてしまいました。

2468犀角独歩:2007/09/16(日) 09:13:00

アスランさん、どうぞ「さん」付けでお願いいたします。

ご理解いただけて有り難く存じます。
わたしも会ったことのない人物が、あたかも会ったことのあるように書かれていると連絡を受けることがあります。こうした場合、やはり悩みます、「会ったことなどないではないか」と抗議するほうがよいのか・しないほうがよいのか。

会ったことがない場合、当然、そこに立ち会った方はいないわけです。となると、この手の話は「二人きりで会った」という虚言にならざるを得ません。こうなると、当の本人であっても、‘会っていない’ことを証明できないことになります。「ない」ことを「ない」と証明するのは、あることを証明するより骨が折れます。これはなかなか困りものです。

なにせ、わたしは読んでもいない、それも未公開の書籍を盗用したという不名誉な疑惑を最近かけられたばかりでした。これには異議を記したのですが、しかし、結局、数と口コミは、わたしの真実をもみ消すかも知れません。

また、以上のように「名誉」という言葉を記しましたが、これまた、最近、「自分の人権と名誉を自分で守る」と言ったことにまで、ケチをつけられたこともあります。

ですから、こちらの掲示板のように挙証義務に基づいて、しっかりとした議論ができる場が希有なのだと、改めて思う次第です。

2473管理者:2007/09/19(水) 15:53:55

波木井坊竜尊@日蓮宗葵講さん

当掲示板の書き込みの基本原則は「意見交換、相互理解の場との主旨から、話合いを重んじてください。」となっています。

貴殿の2469のレスは、この掲示板の基本原則に反していると管理者は判断致しました。よって、当該書き込みを削除すると共に、以後の当掲示板へのご参加をお断りいたします。

なお、問題となった発言以外の書き込みにも、様々な問題点が存すると考えますが、以後のご参加をお断りする事により、削除するまでもない考えますので、削除せずにこのままと致します。

なお、この管理者の措置にご意見がありましたら、引き続き承りたいと思います。

2474犀角独歩:2007/09/22(土) 10:26:55

ごく個人的なつぶやきですが、Livedoor の無料ブログを使っていますが、表示トップ記事には勝手に広告がつくようになりました。これは書き込まれている内容をコンピュータが判断し、自動で適当な広告を選んで貼り付けてくるようです。

わたしの書いている内容がそうだからでしょうが、やたら、創価学会系か、寺院の広告がくっついてきて辟易しています、まあ、無料ですから、文句も言えませんが。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/

あと、犀角独歩、「犀の角のように」という題名を付けたブログやら、ページが、やたらと増加。内容も、仏教であったりします。
いわば、犀角独歩、犀の角現象とでもいう様相を呈しています。

これによってわたしのHP、ブログなどのヒット率が低下しています。
巧妙な嫌がらせの類かと思っています。

2475顕正居士:2007/09/30(日) 14:11:37
SecondLifeの中にあった外国のSGI会員とおぼしき方の公開祭壇。
曼荼羅は厨子の中。希望者には見せてくれるそうである。

ttp://www.geocities.jp/xianzhengjp/altar.jpg
ジオシティの画像には直リンクはできないのでコピーして頭にhを補って下さい。

*SecondLife MMOの一種であるが、すべてユーザーが作ったもので出来ている

2476顕正居士:2007/09/30(日) 17:09:23
これもSecondlifeの中のPrivate Temple。
「六十七歳 日顕」とある。こちらは日蓮正宗の方だろうか。
ここにも曼荼羅があり、以前は公開していたようである。

ttp://www.geocities.jp/xianzhengjp/temple.jpg

2477青蓮:2007/11/04(日) 14:57:39
石山教学は出世の本懐というキーワードに病的にこだわり過ぎている感がある。出世は世に出る事で本懐は本来の目的という意味でありましょうが宗祖におかれては本門の法華経の弘通、或は三大秘法を世に弘める、簡潔に言っても難しく言っても本尊流布する事でしょう。要約すれば、つまりは本尊をしたためて是を受持し世に弘通して行く事であると阿仏房へのお手紙等には明確に金言として残されている。いつの本尊がプレミア物みたいな次元の低い話しではない。実際には弘安2年に本尊も戒檀も題目も日本の全土に流布されたわけではないが、宗祖の出世の本懐を遂げたとのお手紙はこれで必ず広宣流布が出来るという確信からの御金言であると私は感じます。

PS:いつも書き込みを読ませて頂いています。私のような無学の者には大変勉強になります。

2478青蓮:2007/11/17(土) 22:00:17
絵に買いた餅は味も食感も匂いもわからない。

きっと、もしも餅を知らない人に餅を説明し理解させる為にはとてつもない理屈の山を築いても足りない程になるのでしょうね。

ところが餅(三大秘法)がここにあるという事になれば話しは早い。簡単だ。餅を食べてみれば判る。長々と説明で時間を費やすより食べたほうが美味しいし幸せになれる。きっとそれが日蓮仏法なのでしょうね。

2479犀角独歩:2007/11/17(土) 22:41:34

では、お尋ねしますが、食べておいしい日蓮仏法の味とはどんなものでしょうか。
また、各人が、「これこそ、おいしい日蓮仏法だ」と思う味は、本当に日蓮のレシピだという証拠はどこにあるのでしょうか。
結局は、的外れの自己満足ではないでしょうか。
そもそも、日蓮は三大秘法などとは言っていません。

2480管理者:2007/11/18(日) 06:44:11

犀角独歩さん

当スレッドの趣旨はご承知の通り、「何となく、普段からフツフツと感じている事を、ここに書き込んでみて下さい。
このスレッドは、独り言、ボヤキですから、会話、議論の応酬は避けましょう!」となっています。ここでの議論は、スレッドの趣旨になじみません。よろしくお願いいたします。

青蓮さん、

犀角独歩さんに申し上げたとおり、ここは議論する場所ではありません。今回の書き込みは、激しい議論の的となる様な内容であり、当スレッドになじまないと思います。当掲示板の議論に一石を投じられる場合は、該当スレッドに書き込んでください。よろしくお願いいたします。

2481犀角独歩:2007/11/18(日) 09:10:55

管理者さん、趣旨は理解し、従います。

が、当スレッドは、応酬、議論を逃れて、言いたい放題を書ける欠点を有しています。いままでも、そのような悪用はあとを絶たなかったわけです。
そのようにならないよう、管理を重々、お願い申し上げます。

今回の問題にしても、「一念三千とはなにか」というスレッドを立てることを提案しておきながら、その議論には全く参加せず、その内容に抵触し、かつ、各投稿を抵触する内容を「つぶやき」として書くことで、応酬を逃れた、一方的な批判となっています。このようなことが許されるのであれば、議論そのものを挫くことになりませんか。実に不快なことです。重ね重ねよろしくお願い申し上げます。

2482管理者:2007/11/18(日) 11:15:58

犀角独歩さん

>「一念三千とはなにか」というスレッドを立てることを提案しておきながら

スレッド提案は「春風」さん、このスレッドの書き込みは、「青蓮」さん。別の方だと思いますが・・・


>管理を重々、お願い申し上げます。

はい。厳格に管理してまいります。よろしくお願いいたします。

2483犀角独歩:2007/11/18(日) 20:37:01

まずは、春風さんには、早計勘違いをいたし、大変ご無礼を申し上げました。茲に謹んでお詫び申し上げます。

また、管理者さんには、ご批正を賜りましたこと、深く御礼申し上げます。
今後とも、ご指導・ご鞭撻の程、お願い申し上げます。

2484犀角独歩:2007/11/26(月) 19:53:12

松本師から電話を頂戴した。
「法華経に“祈祷”なんかない。法華六大部にない」
かつて、そんな検索はしたことがなかった。
早速してみると、本当にない。

六大部で“祈”で検索してヒットしたのは、以下のみ。
法華経は、やはり、祈祷の経典ではなかった。


摩訶止觀.TXK(8795):7知次位8,T46'No1911,98a,28
樹崩倒。摧折我人衆惡傾殄。是名懺悔。勸
請者。名爲祈求。聲聞自度直懺己罪。菩薩
愍衆故行道故須勸請。我今知罪尚不得


止觀弘決.TXK(4747):2-2修大行,T46'No1912,193c,14
今文但是顯機顯應。亦冥亦顯機顯應。請又
三義。延請爲身業。祈請爲口業。願請即意
業。又五體是身業。四偈是口業。繋念是意業。

止觀弘決.TXK(4749):2-2修大行,T46'No1912,193c,16
業。又五體是身業。四偈是口業。繋念是意業。
又延是請人。祈是請法。願總人法。機既
開三應亦應爾。三業亦應各有二句機應

文句記_.TXK(14030):8法師品10,T34'No1719,307a,27
倶無力。初約觀中初總明觀。言雖通諸意
且在圓。依通觀下歴教明觀。祈體理同故
略三藏。法華論等者。水如佛性。取之不同

2485天蓋真鏡:2008/01/10(木) 01:39:21
謹賀新年、 去年の内に池上本門寺行けなかったので 2008年中には行きたい。

2486大観:2008/01/11(金) 02:26:45
http://www.rakuten.co.jp/garou/890674/890840/917011/#830947

2487犀角独歩:2008/01/11(金) 21:25:31
>2486

どうでもいいですが、「妙法蓮華教大曼荼羅御本尊」ではなく、「妙法蓮華‘経’大曼荼羅御本尊」ではないでしょうか。
こんな間違いをするようではしようがないですね(笑)

2488カワガミ:2008/01/14(月) 20:05:53
頭ん中が走馬灯ジョターイの私は頭破七分?
いやいや三十路超えのアレだからだな。
若くないわな。みんなそうだよ、うん。うん。

2489カワガミ:2008/01/17(木) 13:38:33
祟教魔光を破ってくる。

2490偶ロム偶ログ:2008/01/22(火) 04:16:40
つぶやきです。

○正宗系で二百年以上の歴史をもつ寺院では、信心が4世代以上続いていて、ようやく信徒としてみとめられる。
○形木本尊は仮本尊であり、仮信徒のものである。
○裏書のない形木本尊は仮本尊未満である。
○家庭の仏壇に安置し礼拝する本尊は墨書紙幅の本尊である。
○家庭の仏壇に安置する墨書紙幅の本尊は当主を被授与者とする。
○当主死去の場合は再感得後は家宝として、礼拝してはならない。
○当主死去後は次期当主宛の墨書紙幅本尊を安置する。
○脇書もしくは裏書のない墨書紙幅の本尊は仮本尊である。
○板本尊には、賞与のものと供養堂(位牌堂)のものの二通りしかない。
○賞与の板本尊は匣に収めておくもので礼拝するものではない。
○供養堂(位牌堂)の板本尊は破損しない限り永代一体のものである。
○供養堂(位牌堂)に紙幅本尊を安置することは永代の義に反する。
○寺の本堂の本尊は住職一代限りの紙幅が本当である。

ずいぶん昔に、亡くなった老僧方から聞いた話のメモ書きからです。
今の石山の僧侶でこんなことを知っているのはほとんどいないのではないでしょうか。


>>2484
独歩さん、松本さんは「法華経に祈祷はない」と。
鎌倉時代に祈祷の無い宗教は禅系だけでしょうね。
日蓮さんは禅僧ではなかったのですから、当然、法華経にはない祈祷をしていたのでしょうね。
ところで法華経に「南無妙法蓮華経」「智識相承」はあったでしょうか?


僧侶のなかに、講義をして金銭を取る人がいるらしい。
僧侶の講義は、基本的には学衆にするもので、学衆を育てるのは僧侶の勤め。
寺に上がった学衆は、金銭を払うどころか、衣食住はもちろん小遣いまで僧侶に面倒をみてもらうもの。
寺子屋でさえ金を取ったなどという話はない。
明治維新以後、妻帯、有髪、洋装、冠り物をする「僧侶」と名乗る職業人が出現したが、、、。
「僧」とは曾て人であった者、つまり今は「人でなし」。
「出家」とは、家を出る=家出・外出ではなく、「出・世間」。
お布施を喜捨していただくのは可としても、金銭の要求・請求は商人のやること。
「智識」とは智慧と見識をいう。
智慧も見識も相承などできるものではなく、天稟のみ。
人の知らないことを知っているのは「物知り」といい、智者・智人とは違う。
理とはことわり、それを覆い隠すことを屈という。
屈とは高い山に庇をかけることの意でもある。(辞書なんぞ探しても出てはこない)


優・良・可・不可、不快は不可、愉快は可、では良・優とは?

2491犀角独歩:2008/01/22(火) 16:05:49

こちらは「つぶやき」なので、2490を拝読して、「なるほど」とつぶやきのみにしておきます。

2492偶ロム偶ログ:2008/01/27(日) 05:53:19
ないのなら作って見せよう板本尊

三ホトトギスのような句はできなかった・・・

2493問答迷人:2008/01/27(日) 09:17:52

偶ロム偶ログさんに倣って、三句です。


偽ならば いつかはばれる 板本尊

偽なれば ばらしてしまえ 板本尊

偽物と ばれてしまった 板本尊

2494犀角独歩:2008/01/27(日) 09:27:49

お二人ともうまいですね(笑)

2495偶ロム偶ログ:2008/01/27(日) 23:09:47
偽だから いくつも作れる 板本尊

ばれたなら たくさん作って ごまかそう

偽だから 花押を入れても だいじょうぶ

偽だから 金箔入れて 虚仮威し

2496犀角独歩:2008/02/07(木) 18:52:16

本日は2月7日、日興の示寂から675年の祥月命日。
それと共に、戒壇本尊を偽物と記した『河邊メモ』から、ちょうど30年目に当たるわけですね。感慨深い1日といえるでしょうか。
それにしても、日興の祥月命日に戒壇本尊の偽物云々がメモされたというのは、皮肉という感想を懐きます。それにしても、興師会の当日、帝国ホテルで話し合っていたとは、なんともはやという印象も懐きます。

2497問答迷人:2008/02/15(金) 17:51:35

ここ数年、こんな気持ちで、こんな事を考えて過ごして来ました。


日蓮を 信ずるならば 真跡だ 宗派都合は 宗祖欺く

大石寺 富士門流で 最悪だ ウソ塗り固め 信徒欺く

学会も ウソに気づいて 大慌て 破門されても 本音は安堵

2498アスラン:2008/02/15(金) 19:48:34
金儲け主義、坊主丸儲けだと創価時代は声高らかに良く口にしてきました。しかし良く良く冷静になった近頃は、もしそんな連中の集まりだったとしたら…創価など切れる訳が無いだろうと自然に思う。上手く池田をちょろまかし、適当に持ち上げ、バカな幹部辺りに少々握らせておけば何とでも道はあったはず。財務で借金を作るのは自分も含め山ほど見てきた。しかし内拝料や講費に追われている人は見た事がない。あれは偽物これは偽物呼ばわりした所で、では他宗教は?墓檀家、葬式坊主、法要坊主。宗教法人をいい事に未だに荒稼ぎを続けている宗派の本尊の真偽など、それこそ問題だと思う昨今。

2499大縫 薫:2008/02/20(水) 23:31:59
今日、所用があり信濃町に行ったが駅横の学会系仏具店を覗いて見ましたが
仏具と全然関係ない、俗に学会グッツと言われるものが売れていて、店内で
はシナノ企画が作成したビデオが流れていて、荘厳さが全く感じ無いどころ
か異様な雰囲気になっていたのが印象に残りました。
余談ですが・・・・・
額入れには、八葉蓮華が入っていて飛ぶように売れてました。

2500偶ロム偶ログ:2008/02/21(木) 00:33:04
僧侶に限らず宗教で生活している所謂聖職者のほとんどは、意図的なのか無知な
のか、信仰と宗教(若しくは教団)を混同して信徒に君臨している。
もちろんこれは新宗教についても同様だと思う。
教団専従者、彼らは信徒にたかっていることすら自覚していないのでは。
信徒に必要なのは宗教や教団や教学などではなく信仰だと思う。

2501問答迷人:2008/02/21(木) 21:55:48

創価学会時代
幸せに なれると言われ 拝んだが 活動迫られ 己失う 

法華講時代
清流と 信じた僕が 馬鹿だった 富士の濁流 全て飲み込む

現在心境
偽物と 気付いてからは 聖人の 教え求めて 晴れ晴れと

2502犀角独歩:2008/02/21(木) 21:55:56

ここは富士門流信徒の掲示板ということで、富士=日興ということになるのでしょうね。ですから、判断の基準が日興の在り方になっています。

しかし、わたしは日興よりも日蓮です。
では、日蓮が拝んでいた本尊とは何か。その答えは、実は日興が書いた文書にありますね。

一、御所持仏教の事
  御遺言に云はく
  仏は釈迦立像 墓所の傍に立て置くべし云云。
  経は私集最要文注法華経と名づく 同じ墓所の寺に篭め置き、
  六人香花当番の時之を被見すべし。自余の聖教は沙汰の限りに非ず云云。
日興筆『御遷化記録』の一節です。
「仏は釈迦立像」、日蓮が、生前、拝んでいたのは何でしょうか。漫荼羅ですか。漫荼羅なんか、拝んでいませんよね。釈迦仏像です。
では「仏は釈迦立像 墓所の傍に立て置くべし」というのを、寂然門下は墓に捨て置けと解釈した。果たして、そうでしょうか。生涯、自分が拝んできた釈迦像を、死して墓に入っても傍らに置いてくれと日蓮は言ったのです。どれほど、この仏像を日蓮は大切に思っていたのか。一節に、この釈迦像は、伊東流罪の折、日蓮自ら流木をもらい彫ったという伝承があります。流罪地で、仏像もない場所で、釈迦仏を求め、自ら刻んで、そして、拝み続けた仏像。そこにはどれほどの思いが籠もっていたのでしょうか。
わたしが同じ境遇であれば、墓場まで持っていきたいと思いますね。
実際、日蓮はそう遺言した。では、日蓮が「本尊」といったのは漫荼羅でしょうか、仏像でしょうか。そもそも、日蓮が拝んだ仏像は真蹟に明確です。一方、では、日蓮が拝んだ漫荼羅なんかあるのでしょうか。ありませんね。

わたしは日興門流というより、日蓮門流として、この事実に着目してきたわけです。

2503犀角独歩:2008/02/21(木) 21:57:44

【2502の訂正】

誤)寂然門下は墓に捨て置けと解釈した。
正)石山門下は墓に捨て置けと解釈した。

2504パンナコッタ:2008/02/22(金) 16:26:52
議論が活発化するのはいいのですが、信仰感情から板のルールを逸脱してカキコ禁止になるのは
よろしくありませんね。
また、引用文献も蓮祖遺文としては明確でない物を自明としているのは、まさに
素朴な疑問で自分が引用した
"自明なものに変換し、人々をそのようにふるまわせる社会的装置である"
そのものですね。

せっかくなので、この宗教の法則のリンクを張りたいところなのですが既に落ちているため
過疎っている"信仰は役に立つか"に、九つupさせていただきます。
大変長文になって申し訳ないのですが、教団信仰を見つめ直す時に役立ちますので
管理人さん含め諸氏、順番がずれた事はご容赦ください。

2505問答迷人:2008/02/23(土) 22:51:56

御書全集と言うのは、本当に問題を孕んでいる。創価学会版にしろ、大石寺版にしろ、御書全集に収められたものは、全て日蓮聖人の御金言、と勘違いしてしまう。

目次を見れば判るのに。真跡、時代写本が何処に有るか、明示して無いものは、信心の糧にはなっても、議論の根拠にはならないことは、明らかなのに。

編纂した堀上人もワザワザ、「真跡かどうか定かで無い物も、信心の糧になるものは収めた」(取意)と述べられている。

真跡でも、継ぎ接ぎのものも有り、何処まで信じてよいか、迷う物もある。時代写本の無いものは、到底議論の根拠には出来ない。

これは、犀角独歩さんが、そのように先鞭を付けられ、当掲示板では、それが議論の暗黙の大前提になっているので、初めてこの掲示板に来られた方は面食らうかもしれないけれど、言われてみれば道理だと、納得して頂けると考えている。

これはルールとして明文化すべきなのかもしれない、と思う昨今である。

2507鳥辺野:2008/02/25(月) 01:52:31
犀角独歩さん
>わたしは日興門流というより、日蓮門流として、この事実に着目してきたわけです

(少し的外れな事かもしれませんが)そういえば、石山系の人はやたらと、「日蓮大聖人の仏法」等という言葉を使いたがりますね。私もかつては使っていたと思います。おそらく無意識に、です。しかし今使うとすれば、「釈迦仏法の中の日蓮教義」となるでしょうね。そういった意味で、この意見に賛同いたします。

2508鳥辺野:2008/02/26(火) 18:17:10
問答迷人さん
>御書全集と言うのは、本当に問題を孕んでいる。創価学会版にしろ、大石寺版にしろ、御書全集に収められたものは、全て日蓮聖人の御金言、と勘違いしてしまう。

しかも、正宗、学会系は、自分たちの「御書全集」の誤謬を棚に上げて、「身延派の御書は偽書が混じっている」「謬義だ」等と、堂々と書籍や機関紙で語るわけです。本当に恥ずかしい事ですよね。

2509犀角独歩:2008/02/26(火) 20:33:13

鳥辺野さん

ご賛同有り難うございます。

わたしの思惟のなかでは、「大聖人直結」などかけらもありません。
単に、日興の考えは日蓮と違う。日蓮の考えは何かというときに日興は考慮しない、それだけのことです。

2510鳥辺野:2008/02/26(火) 20:49:55
犀角独歩さん
>日蓮の考えは何かというときに日興は考慮しない
 
おっしゃるとおりですね。また特に、石山において歴代貫主、学会においては池田さんの考えが即蓮祖の言葉であるかのような発言をしたがりますね。そもそもこれが「法主本佛論」とか、「池田本佛論」と互いに罵倒しあうきっかけになるのでしょうね。

2511偶ロム偶ログ:2008/03/02(日) 20:59:04
富士門の掲示板を、沖縄でロムしている人は、どのくらいいるのでしょうか。捨てハンでもいいので、教えてほしいなぁと。何人かおられるようだったら、3日〜5日の間のいずれかの日に二時間くらいお会いできるかもしれません。急な話しで、ダメならまたの機会を待つことにします。

2513天蓋真鏡:2008/03/05(水) 21:57:37
言い方悪いかもしれませんが、漫荼羅は法華経の付録でしょうか

2515犀角独歩:2008/03/09(日) 13:50:20

日蓮のもの・日蓮にあらざるものという分立は、極めて重要な作業で、わたしがこれを意識したのは、石山で言い古された言葉を使えば「祖道の恢復」、そのためには祖である日蓮の実像の掌握が必要であり、その日蓮のものの道を恢復しようとすることなのだが、こうした作業をする人々の十中八九が、その手前で引っかかって、そのしがらみから、日蓮のものと日蓮のものにあらざるものの分立を躊躇い、答えを先送りにして、自分の信仰を…わたしからみれば、それが新興団体であれ、伝統教団であれ、それらのご都合に振り回されているだけなのだが…固執してしまう。

日蓮における最後のゴール(日蓮という祖の道)まで、まずは歩んでみないかと、再び問いかけたい。

…ただし、その先には釈迦牟尼仏陀という祖のゴールもあり、さらにその先もあるのがこの道なのだが、まあ、そこは丸い地球の地平線の先が見えないように、日蓮のゴールまで歩まないと先は、けして見えないから…

2516天蓋真鏡:2008/03/11(火) 18:45:26
日蓮仏法と言うなら 日蓮本仏派と間違われるので好ましくないでしょうか

2517マターリ:2008/03/20(木) 12:30:27
約14億円で落札された大日如来の仏像は、欠けた所も無く金箔もかなり
残っていて、国宝級の美術品だと思いました。
大日如来といえば密教の本尊ですが、そういえば両手で印を結んでいて
神秘性・呪術性を漂わせていました。

日蓮が祈祷修法面で参考にしたのは、密教・修験道ですが、密教の修行
中、大日如来像を拝んでいた可能性もあるのでは、と思ってテレビを
見ていました。

2518偶ロム偶ログ:2008/03/21(金) 03:02:45
この数日チベットの問題が気掛かりでしょうがない。
ここにはリンクは記さないが、チベットの人たちの衝撃的な写真もネットで
公開されている。
いまの私にできることは祈ることだけです。

2519犀角独歩:2008/03/21(金) 18:00:24

わたしもチベットに関しては、祈ることしかできません。

それにしても、何が中国チベット自治区ですか。チベットはチベットですよね。
世界情勢など、およそ関係のない浮世離れした石山や、顕正会は問題外にせよ、日本政府・公明党も、創価学会も、なんでこの問題には触れないでしょうか。

2520顕正居士:2008/03/21(金) 20:12:20
「目撃」邦人学生、生々しく語るチベット暴動
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080316-OYT1T00576.htm

中国はチベットに莫大な投資を続けており、西蔵自治区のGDP成長はこの7年間年率12%以上
だそうです。今回の暴動は経済発展に伴う貧富の差の拡大が原因だと思います。発展の恩恵が
下層に及ぶのには時間がかかります。場合によってはより高い教育を受けた次の世代からです。
したがってこの時期には共産革命などを目指す揺れ戻しが起こり、政府は原則強権をもって対処
しなければなりません。あらゆる問題はチベットが豊かになることによってのみ解決されるのです
から亡命政府の高度自治要求がチベット経済発展第一を前提の政策に進歩することを望みます。

2521一字三礼:2008/03/21(金) 22:01:43

チベットという国は、もともと高度に発達した経済社会とは無縁の土地柄だったのではないでしょうか。
そこに、観光収入でのアガリを当て込んだ中央政府と自治区が、鉄道を通して、商業的環境を整備していったのでしょう。

小規模な農業と放牧で成り立っていた社会に、自国を征服した異民族政府から、急速な経済発展と都市化と人が襲いかかってきたのだとしたら、それが悲劇の始まりだったとは考えられないでしょうか。
「経済が発展することで豊かになる」という経済理論の図式が、チベットという独自の伝統と文化をもつ国家を安定させることに繋がるか、私には疑問です。

2522顕正居士:2008/03/21(金) 23:46:37
チベット報道は一方的な宣伝が多い。次はその類いとは全然ちがうインドの記事の翻訳です。

チベットの未来  http://cruel.org/economist/tibet.html

チベットの歴史が後ろへ巻き戻る可能性はないでしょう。

2523しゅんかん:2008/03/21(金) 23:58:55
資本主義→社会主義→共産主義と熟成発展して行く。

よく述べられるところで共産主義国家は一度も樹立されたことは無い。
(社会主義国家も同じ様に捉えているんですが)
中国が社会主義国家であるのか、はたまた在ったのかどうかはさておき、共産主義化を図って
いないのは自明ですね。
以前よりチベット紛争は宗教問題ではなさそうですね、政治的背景がその原因でしょうか?

大和民族が琉球民族・アイヌ民族を席巻しました、米軍人の戦時下に見られるような
非人道的な犯罪が沖縄で頻繁に発生しておりますが私達、ヤマトンチュー(大和人)は何をしたでしょう?
沖縄の方達から見れば私達、ヤマトンチューの態度はまさしく対岸の火事と映っている事でしょう。

遠交近攻は往古より続いている訳ですが、詰まるところ異なる文化を強要したが為に生んだ
悲劇と愚考致します。

2524パンナコッタ:2008/03/22(土) 14:54:39
岩山ばかりのイメージがある西蔵は、クロム・銅・水晶をはじめとして、
コバルト・鉛・亜鉛・金・銀・ダイヤ、そしてザブイェ塩湖のリチウムは世界最大級とか。
またガス田や油田の掘削ニュースも最近ちらほらとありましたが
西蔵への投資の裏には、それを補って余りある天然資源の豊富さであり、
経済成長を続ける中国政府が、諸外国から非難を受けつつも固執する
大きな要因となっているのでしょう。

又、いまさら多田等観や河口慧海の居た時代へ戻れ というような主張の類は、
やはりナンセンスでしょうね。

2525顕正居士:2008/03/22(土) 18:07:38
今日に至るチベット情勢の概略が述べられています。

多民族国家 中国(6/6) 王柯
http://www3.ocn.ne.jp/~kenro/history/china_ethnicity/6.html

なぜ莫大な投資によって豊かになったラサで暴動が起こるのか?

“一国二制度”−チベット問題解決の鍵 徐明旭
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~TIBET/cnd20.htm

2526犀角独歩:2008/03/23(日) 02:42:59

少し論点がずれていると思うのです。
仮に中国の経済的な背景が肯定され、歴史が不可逆的であるにせよ、では、マシンガンを使って、打ち殺していいのかとは別の問題ではないでしょうか。

2527天蓋真鏡:2008/03/23(日) 12:20:22
中華人民共和国の共産主義とは何だったのか? 資本主義への扉を開けた時から共産党の支配は終わっていたのかもしれません。 中国が超大国になった時日本はどの様な国家であるでしょうか

2528マターリ:2008/03/23(日) 16:58:20
日中戦争のころ共産党軍は、国民党軍と第二次国共合作をしていました。
しかし共産党軍は専らソ連とのパイプ役に徹し、謀略によって日本軍と
国民党軍を戦わせていました。上海事変・南京事件など、大きな戦いで
日本軍は、国民党軍を相手にしました。その間、共産党軍は非戦闘地域
で精力を拡大。そして太平洋戦争終結後、国共内戦となりました。
このように、日本軍は、共産党軍と戦っていないのです。

それなのに、台湾政府が親日で、中国共産党が反日というのも不思議な
話です。

現在の中国は、共産主義を脱し、資本主義社会になったように見えますが、
共産主義思想は根強いと思います。中国共産党の謀略体質は、今も消えて
いないでしょう。

チベット問題は、政治・経済・宗教などの問題が、複雑に交錯しているよう
ですが、案外、宗教問題が大きいと思います。中国政府は、儒教教育に力を
入れており、10年間で1万校以上の儒教学校が設立されそうです。
ダライ・ラマのチベット仏教は、共産党にとって、やっかいな物に映ってい
るのではないでしょうか?

2529みれい:2008/03/24(月) 11:12:55
おひさしぶりです。
流れを切って申し訳ないですが、こういったものをみつけましてつぶやきたく。
ここの掲示板でしたら名前でご存じの方もいらっしゃると思います。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/shorikai/sub188.html
現代に限らず、昔々から炭酸水の泡のようにさまざまな宗教団体が発生し、また消えていったのだろうと想像しています。

また一昨日は顕正会員さんとお話しして、ハンセン病と法華経に関しての質問をさせていただいた際には、差別も当然であるかのような発言を受けて(でも本人はきちんと調べていないし調べる気もない)、問題の深刻さを味わってきた次第です。

2530顕正居士:2008/03/24(月) 18:16:21
中国の現体制は依然社会主義であると考えられます。

資本の公有や計画経済はスターリン時代のソ連の特殊な社会体制であって社会主義に何ら
必然の要素ではありません。資本の公有とは事実上党幹部の私有でありますがそうではなく
人民の所有でなくてはならない。中国の現体制はこの当然の公理に戻って来ただけでしょう。
およそ経済の発達に第一に必要な社会要素は私有財産の保証であってこれが薄弱であれば
他の要素である交通通信の進歩、科学的合理的思考、民主的諸制度もまた存在できません。
社会主義とは競争に伴う弊害と独占に伴う弊害に対して政府が一定の調整を行い得るという
思想であってその意味で今日存在する諸国家はすべて社会主義の体制を採用しています。

註 競争に伴う弊害と独占に伴う弊害 いずれは市場が解決するが、たいへん時間がかかる。
今日では政府の介入が必ず失敗するわけではないと考えられている。ただし失敗は常に多い。

2531とおりすがり:2008/03/26(水) 13:57:30
2529のジャンプは、中杉弘氏の関係。正理研究会で石田次男とからみ、その後、催眠術、博士号販売、宗教法人ブローカー、平和神軍、
むすこはラーメン屋。といった経歴

2532パンナコッタ:2008/03/26(水) 19:53:34
高島易断総本部に業務停止命令とのこと。
 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2008032600575

この手の悪徳商法は多々ありますが、宗教法人に停止命令が下ったのは初との事。

2533犀角独歩:2008/03/27(木) 02:27:08

みれいさん

> 顕正会員…ハンセン病と法華経…差別も当然…発言

こうした点が顕正会が反社会的存在として糾弾される所以ですね。
差別の砦となっている顕正会は、この人権感覚が発達した現代社会において、やがて自滅していく存在なのでしょう。それが現証というものです。

2534天蓋真鏡:2008/03/28(金) 16:41:57
マターリさん、顕正居士さん、ありがとうございます。良い意味での個人主義が醸成されないと完全な自由競争社会社は無理かもしれません。儒教と言えば仁義礼智信でしたか?伊達政宗の教訓がありました。

2535しゅんかん:2008/04/07(月) 13:48:27
先程、親類の告別式でした。
歩行が困難な母の介添えをしていて、数珠を見エッ!母は施設に入所してもう何年もなります、学会員の姉兄が手渡したんでしょうね。
数取りに青・黄・赤、信仰をしていないのにどうもしっくりしない自分がいます。

2536偶ロム偶ログ:2008/04/19(土) 13:24:16
富士川さんの仏教掲示板がユーザーつごうで閉鎖されていた。
ほとんど動いてはいなかったけれど、なにかあったのだろうか。

2537顕正居士:2008/04/21(月) 09:09:56
昨日はこんな記事

旧オウムを離脱した上祐史浩氏、独占インタビュー
http://www.ohmynews.co.jp/news/20070506/10799
http://www.ohmynews.co.jp/news/20070506/10820

や日蓮、創価学会関連掲示板の過去ログ保存サイトなどを眺めて過ごしていました。
わたしがインーネットにはじめて接続したのがサリン事件の年でした。
そのせいで宗教、カルトの話題に多くの人が関心があり、「宗教のるつぼ」という
掲示板が日本では最も栄えていました。折りしも創価学会が破門予定になっており
宗創論争は中でも投稿の多いテーマでした。ネット接続者は今の100分の1もいない頃、
だいたい礼儀正しく議論していました。
その後、宗創論争の掲示板は数多く立てられ、その代わり教団の主張のぶつけあいや
単なる荒らしあいの場所に転落して行きやがて消滅しました。唯一生存しているのが
問答迷人さんの掲示板です。21世紀に入ると創価学会2、3世の方のサイトや掲示板が
増え、2-3年前まで活発でした。
おおよそ正しい日蓮教義とは→正しい仏教教義とは→正しい思想・哲学とはの順に
思考が進み最終的に日蓮やカルト教団に対して無関心になり、いわゆるマインド・
コントロールが解けるようです。今は完全に一段落しましたから長年のウォッチャー
からは寂しいのですが、無関心になるのこそが快癒であることはたしかでしょう。

2538偶ロム偶ログ:2008/05/11(日) 03:19:09
ったく。
自分のサイトで何事かを書くのはいい、masturbationレベルであっても。
しかし、そのmasturbationレベルをサイトで公表する行為は、公衆の面前での
露出行為と異ならないものだ。
が、これはまだ、自宅の窓から露出しているようなものだから、その家を避け
て通ればいいだけのことである。
自宅での露出でやめておけばいいものを、見られて味を占め、他所にまで出か
けて露出したものを見せようとするのは勘弁してほしいものである。
しかも、見せるだけでなく、交わろうというのだから閉口する。
それも言いっ放し、つまりは相手など関係なく見境なく放出するわけである。
自分がどれほどアブであるかの自覚すらないのだから・・・。
そうして、富士門流信徒の掲示板への出入り禁止になった者もいる。
顕正会に限らず、創価学会や法華講にもそのような悪癖を持つものはいる。
もちろん彼らは例外なく出入り禁止になっている。
念彼観音力悉怨嫉退散

2539天蓋真鏡:2008/05/14(水) 00:07:11
仏滅後→薬王・天台以後→末法〜地涌〜妙法蓮華・一念三千因果倶時、 鎌倉時代の僧・日蓮も経典を学ぶ内齟齬を来す所もあるので自分の時代の纏め方を考えていたのでは無いかと想います。 識字率の低い時代には 唱題だけでも良い方向に変わって行く事を信じていたのでは?

2540偶ロム偶ログ:2008/05/28(水) 14:38:19
正信掲示板
http://otd4.jbbs.livedoor.jp/401307/bbs_plain?base=21674&range=1
において、法陰亭妙俊という御仁が、したり気に戯れ言を吐いている。
どうやら元石山僧らしく正信会にでも所属しているのか。

久々に、僧侶という族に対して不快感と怒りを覚えた。
尊大であることは、石山系僧侶の必要絶対条件のようである。
吐き気をもよおしてくる。

2541再挑戦者:2008/06/06(金) 20:51:21
 2533>らい病と法華経、、。
  ドーモ、お久しぶりです、、。
 生命の流転〜〜〜変転〜〜の含みを容認していたような日蓮でさえ、「、、黒らい
、白らい、、」に関する言々が、教主釈尊殿の残文(法華経)を証拠としていたようです。
 今でも難病のライ病です。 一筋縄では、、、イカン、、でしょうか、、??

2542偶ロム偶ログ:2008/06/07(土) 23:52:08
500100ゲットしました・・・。
500000はゲットできなかった・・・。←かなり、くやしいっす(苦笑)。
だれがゲットしたのだろう?

2543てんてん:2008/06/12(木) 12:12:48
牧口常三郎関係のサイト(長らく更新が滞っておりますが…)の
管理人 てんてんと申します。

先日、三一書房の関係者とおぼしきかたより、竹中労の『聞書庶民列伝』が
今月末から7月の第一週にようやく発刊されるとの書き込みがありました。

ttp://www.san-ichi.co.jp/

以前、偶ロム偶ログさんに書き込みいただきまして、
すでにご存知かもしれませんが、ひと言お知らせまでと思い
こちらをお借りしました。

不適切でしたら削除していただいてけっこうです。

2544富士川一郎:2008/06/12(木) 13:32:01
500900ゲットしました・・・。

2545偶ロム偶ログ:2008/06/13(金) 15:09:28
>>2543
てんてんさん、ありがとうございます。
知らなかったので、助かりますです。

2546マハー:2008/06/21(土) 09:27:26
久々に寄らせてもらいます。

幻冬舎新書の「日本の10大新宗教」島田裕己を読んでの感想をつぶやき。

真如苑を日本の3大新宗教に数えたことに驚き。
学会関係の記事は短いながらも前書「創価学会」より相当踏み込んだ内容が目立った。吃驚した。
寺門興隆の記事はあまり好きじゃなかったのだが・・・
それはともかく、「よく取材したな。」との印象であった。

2547富士川一郎:2008/06/23(月) 11:35:32
>>2546
>>真如苑を日本の3大新宗教に数えたことに驚き。

それは当然でしょう。ある時期に誠に失礼な言葉ですが
「貧乏人は創価学会に、金持ちは真如苑に」
と言われてましたからね。
実際に真如苑にはかなりの高額所得者が入信したそうですが。

2548顕正居士:2008/06/23(月) 13:03:33
真如苑の公称信徒数は85万人ですが、これは実数です。
信徒は磁気カードを持っており、総合道場応現院という主要施設を年2回以上訪れた人数だそうです。
したがって通常の公称信徒数200万人以上に優に相当しますので、立正佼成会と同程度か以上ですね。

2550マハー:2008/06/28(土) 14:54:13
>>2548
御返事ありがとう。
信者数が頭打ちになってくると、信者の管理が非常に重要になってくると思います。
特に檀家制度を採らない新宗教は尚更でしょう。この点にハイテクシステムの導入は合理的であり真如苑は抜きんでているかと思います。
今後各団体とも指紋管理程度までは進んで行くでしょう。

特に真如苑の場合の磁気カードは、信徒数の把握よりも個人ごとのカルテを作り、ホットリーディングをより素早くする為に利用出来るので
費用対効果が充分狙えます。

2551天蓋真鏡:2008/06/29(日) 20:26:23
超改革案・貢献度を計る僧侶(個人の発言権は同じ):向学多少→僧位、 檀家(個人の成道成仏の権利名誉は同じ):寄付金多少→檀位(戒名)、 学問:座禅・唱題・真言

2552天蓋真鏡:2008/08/12(火) 07:20:29
[正法四大菩薩or末法地涌菩薩][一念三千因果倶時or因行果徳継仏][南無妙法蓮華経or九識心王真如][釈尊or日蓮]南無妙法蓮華経と九識心王真如はイコール=なのか?

2553彰往考来:2008/08/12(火) 16:04:10

管理人さんへ、

ここはつぶやきなので議論はしませんが、2551-2552の如き意味不明の投稿はおかしいと思います。
もし個人の防忘録であるなら自分のPCか日記に行うべきです。すくなくともインターネットで全世界に発信すべき内容ではありません。
私は、書き込みルールの
無意味な多重投稿・反復投稿を禁止します。同じ文章の連続投稿、或いは、文章は同一でなくとも内容的に同じことを繰り返し投稿された場合は削除致します。なお、根拠を示せないとか、すでに論理が破綻しているとかにもかかわらず、臆面もなく投稿し続けられた場合は、無意味な多重投稿・反復投稿とみなし、削除致します。
に抵触し、削除すべきで、繰り返すなら出入り差し止め処分も考えるべきと思いますが、いかがでしょうか?

彰往考来

2554管理者:2008/08/12(火) 16:26:46

彰往考来さん

このルールは議論の中身を視野に置いての書き込みルールだと考えています。

まぁ、この「つぶやきスレッド」は、本来議論禁止スレッドですから、これらの書き込みルールは適用除外的な扱いで今日まで来ました。

ですから、意味不明でも、ご本人に取っては意味のある事であれば、書き込んではいけないとまでは言えないかと思います。

もし、このルールを適用すべきであるという事であれば「禁止事項は、議論禁止のスレッドにも適用されます」という一文を追加した上で、実施した方が判り易いのではないでしょうか。

彰往考来さんから、改めて禁止事項の一部訂正提案を賜りますれば、ご参加の皆様にお計り致します。よろしくお願い致します。

2555彰往考来:2008/08/12(火) 16:43:49

管理人さんへ

「禁止事項は、議論禁止のスレッドにも適用されます」という一文を禁止事項へ追加提案をします。

つぶやくすれっどは独り言、ボヤキの書き込み用で議論は禁止ですが、スレッドである以上、他人に読まれるのを前提にしていると思います。したがって、投稿者本人しか解らない単語の羅列のような意味不明の投稿は削除すべきと考えます。

なお、一文を追加してから削除を実施するのであれば、今までのスレッドには適用されないと理解します。
ご参加の皆様が従来どおりでよいということであれば、そのご意見に従いますが、くそ暑い最中に意味不明のイライラする投稿は避けていただくよう要望します。

彰往考来

2556天蓋真鏡:2008/08/13(水) 00:53:08
彰往考来さん、管理者さん、富士門流の掲示板に関係無く意味不明で何の足しにもならないなら、削除してもらって結構です。論議確認と情報交換などに変えた方が良いかと思います。自分はめちゃくちゃ難儀な質問又は意味不明な書き込みをしているとはおもいません。同じ語句でもカテゴライズの仕分けで質問の内容等訴える中身は違うものでしょう。

2557偶ロム偶ログ:2008/08/13(水) 01:11:23
まぁ、かなり理解しづらいことは確かですが、荒らしや煽りではないですし、
削除はしなくても良いのではないでしょうか。

天蓋さん自身の中にあるいろいろな思いが、整理されないままに噴出しているのではありませんか?

以前から比べると、それでも「、、、」などが激減してずいぶんと文章に近づいておられるようですから、ここは天蓋さんにもう少し分かり易い文章を書くよう心がけていただければと思います。

文章にしづらければ、No.をふって箇条書きでも良いのではありませんか?

2558彰往考来:2008/08/13(水) 10:33:39

天蓋真鏡さん

私は貴殿の投稿は貴殿自身が「富士門流の掲示板に関係無く意味不明で何の足しにもならない」とおっしゃっているのと同意見です。意味不明で何の足しにもならないと思っています。しかしそれだけでは、削除だ!出入り差し止めだ!と騒ぐことではありません。私の理解力が低いためかもしれませんし、ここは私の掲示板ではないからです。ここで私が求めているのは理解できる文章です。内容を問うているのではありません。貴殿は「めちゃくちゃ難儀な質問又は意味不明な書き込みをしているとはおもいません」と述べていますが、私にとっては意味不明の書き込みなのです。貴殿が意味不明な書き込みではないと思っている以上、そこから先に進みようがありませんがとりあえず意味不明の書き込みを例示します。

天蓋真鏡さんの投稿2556でいう「論議確認」とは何なのでしょうか? ここはつぶやきスレッドですから「議論」はだめですが、「論議」ならよいという意味ですか? そもそも「論議確認」とはどういう意味でしょうか?私には「論議確認」の意味が全く理解できません。「論議」とは広辞苑によれば「問答によって理非を明らかにすること。互いに意見を述べて論じ合うこと」とあります。「論議(互いに意見を述べて論じ合うこと)」を「確認(たしかにそうだと認めること)」するのなら議論禁止のスレッドに投稿すべきではありません。議論しようにも議論が禁止されているスレッドで垂れ流しのように投稿されています。これではアンフェアーです。だからフェアーな扱いを管理人さんに求めたのです。決して自分の気に入らないものを強制的に排除するのが目的ではありません。

書き込みのルールによれば、この掲示板の主旨は以下のとおりです。
1.富士門流信徒同士の意見交流の場
2.各所属団体の活動に疑問を持つ方々の心情の吐露の場
3.現状の各団体には所属していないが、信心を捨ていない人達の場
4.富士門流の改革を外部から支えてくれる人達の場
5.純粋に富士門流の信心を知りたい非信徒の質問の場
6.富士門流の聖職者との意見交流の場
この方向性に即した上で、お話が盛り上がってくることを期待して掲示板を設置いたしております。

天蓋真鏡さんの投稿趣旨は2番目なのですか? それなら心情の吐露が他人に理解できる文章でなければならないと思いますが余計なお世話ですか?余計なお世話なら貴殿の投稿は捨て置くことにします。以後、余計なお世話はいたしません。

2559天蓋真鏡:2008/08/13(水) 12:43:42
彰往考来さん、自分の言葉足らずでイライラさせてすみません。自分の書き込みで何か引っ掛かり物事の見方考え方のヴァリエーションが増えればと思っていたのですが、早々に容易くいきませんでした。自分から見ると否定と肯定が極端な結論で終わってしまいそうで。議論確認は議論の質疑応答のレスの事で、つぶやきスレッドは教義論争以外の情報交換の場みたいなので情報交換と括った看板にすれば良いのでは無いかと思った訳です。自分は④⑤⑥の立場を標傍したいなと思っています。

2560彰往考来:2008/08/13(水) 16:39:08

天蓋真鏡さん

どうも私には貴殿の2559の投稿がよくわかりませんね。ここは議論の場ではありませんから私の感想を述べます。議論の場でない以上、貴殿が答える必要はありません。

>自分の書き込みで何か引っ掛かり物事の見方考え方のヴァリエーションが増えれば
私には全く意味不明です。誰が引っかかるのですか?あなたですか読者ですか?何がひっかかるのですか?引っかかって誰の物の見方が増えるのですか?増えてどうなるのですか? Variation(変化、変異)を理解されていますか?

貴殿は信仰の世界で何故variationが必要なのですか?という質問に答えられないはずです。私は信仰の世界でvariationが必ずしも必要とは思っていません。

>つぶやきスレッドは教義論争以外の情報交換の場
そうでしょうか。それでは情報交換の場でありながらなぜ議論が禁止されているのでしょうか。情報交換であるなら応報があたりまえです。つぶやきスレッドは情報交換の場ではありません。(管理人さん、そうですよね?)
情報交換の場がご必要であれば相応のスレッドを立ち上げられてはいかがですか?ただ貴殿の投稿は情報を供与しているのか求めているのかさえ不明なのです。それでは情報など得られませんし、貴殿の発信する情報モドキを必要とされる奇特な方がおられるかどうかわかりませんね。

>自分は④⑤⑥の立場を標傍したい
というのは、前の文章には丸数字(④〜⑥)がありませんが、内容から判断して
4.富士門流の改革を外部から支えてくれる人達の場
5.純粋に富士門流の信心を知りたい非信徒の質問の場
6.富士門流の聖職者との意見交流の場
でしょうが、あなたは富士門流の改革を外部から支えているのですか?それでは意味不明の投稿など有難迷惑というものです。
純粋に富士門流の信心を知りたい非信徒の質問というのであれば、単語の羅列などそもそも人に物を尋ねる際の礼儀を失しています。
聖職者との意見交流であるならなおさら礼儀が必要ではありませんか?
そもそも質問や意見交流なら議論が禁止されているスレッドへの投稿は自己矛盾しています。

要するに貴殿のロジックはすべて破綻しているのです。貴殿がどういう目的で投稿されているのかさっぱりわからないというのが私の感想です。

2561管理者:2008/08/13(水) 17:27:39

彰往考来さん

天蓋真鏡さん

>つぶやきスレッドは情報交換の場ではありません。

そうですね、このスレッドは、本来、息抜きの為の、休憩室として想定されています。独り言専用スペースですから、ここで情報交換を期待する事はかなり困難ではないでしょうか。なにしろ、ここは応酬禁止、議論禁止ですから。

2562マターリ:2008/08/13(水) 18:34:14
天蓋真鏡さんのカキコは、数学の方程式のように簡潔にまとまっている
のだと思います。しかし簡潔過ぎて、他人が理解し辛いので、説明書き
が必要と考えます。説明書きをすると、本文の5倍〜10倍くらいの、長い
文章になるのではないでしょうか?

昔は、難解な文章を書く人が、文章の達人と思われていました。難しく
て、凡人には訳のわからない文章ほど、高級と思われていました。

しかし現代では、平明達意の文章が、良い文章と考えられています。
つまり、簡単で、しかも他人に意味が通じる文章です。

こたつに入って、おばあさんに話してみて、意味が通じるような文章が
求められていると思います。

こちらの掲示板に当てはめますと、どんな仏教初心者が見ても、簡単に
理解できるような、やさしくていねいな書き方が、必要なのでしょう。

2563天蓋真鏡:2008/08/13(水) 20:31:00
ヴァーリエションが増えると言うのは、自分が信仰するに当たって理解するために必要な理屈・説明で、只見た儘感じた儘で理屈など要らないなら他人の言う事書く事からは目を背ければ良いだけの事。天蓋真鏡の書き込みは完全無視すれば宜しいのでは無いでしょうか。自分はロジックをごねる程の質量が無いので此のレス立てに書いただけの事なので無理に返事を求めてません。結局「自分で調べて自分で考えて自分で行わなければ理解できない」のが信仰信心の質量ならば、釈迦や日蓮の行いの真似をして得られた事が自分の真実であり教義でしょう。シンプルに結論を得たいなら他人に質問する必要もないのでは無いでしょうか。

2564天蓋真鏡:2008/08/15(金) 15:00:42
漫荼羅掛軸を御先祖様に説明するのか[中央首題・自分の一念三千因果倶時を尊形する経典、泥中キレイに花を咲かせる蓮][十界互具・10の世界要素を秘めている、どんな形で表現するかは各々個人差][三国四師・釈尊天台伝教日蓮][四天王・東西南北][二明王・愛染自分の病魔を折伏して健康管理、不動自分を五大明王で摂受して人生充実]云々

2565犀角独歩:2008/08/16(土) 18:52:10

ただいま、「管理者からのお願い」で、天蓋真鏡さんのつぶやきに関しては、検討中。
2564は、ややフライングと感じますね。

2566彰往考来:2008/08/17(日) 09:45:02

ここはつぶやきなので、以下ブツブツ。

天蓋真鏡さんの投稿をみていますと、まるで私の出来の悪い部下の仕事をみているようなのです。唯我独尊というか天動説(世の中は自分中心に動いている)というか極楽トンボというか。出来の悪い部下は自分が正しいと思っているのでよけい始末が悪いです。
仕事がら(技術開発のマネージャーをしています)部下がわけのわからない報告書を持ってきた場合、真赤に添削したり、時間をかけて指導したりすることがあります。それがその者に対する教育であり放っておいたら将来大変なことになるからと思うからです。しかし回りの人の大方の意見は、放っておくというものです。曰く、忙しいのでアイツにかまっているヒマはない。曰く、言っても聞かない。曰く、自分には関係ない。等々。
確かに真赤に添削したり、時間をかけて指導したりすることは負荷が多く大変です。でもそれをしないといけない。心を鬼にしてもしないといけない。でないと出来の悪い部下に足を引張られ会社の発展はないし、事業の継続もおぼつかなくなってしまう。そういう想いです。
だから私は理解できない文章は排除します。もちろん内容が濃く難解で自分の知識でもって理解できないものは排除しませんしできません。排除する(やり直しを命じる)のは小学校の日本語からやり直しなさい!もう一度足し算から勉強し直しなさい!中学校の英語のレベルですよ!という程度のものです。

天蓋真鏡さんの2564の投稿は2565で犀角独歩さんがご指摘されているように、まさに今管理人さんのところで検討していただいている最中であり、常識的には1週間程度のこの期間中は投稿を見合わせるべきでその意味ではフライングといえます。現時点でこのような内容を投稿してはいけないというルールはありませんが、私には、「誰に何をいわれても俺は訳のわからない投稿を継続するゾという天蓋真鏡さんの意志表示」にしか見えません。

天蓋真鏡さんの投稿が理解できないのは単語の意味付けがデタラメだからです。例示するなら、天蓋真鏡さんは2563で「自分はロジックをごねる程の質量が無い」と述べています。質量(mass)とは「物体が有する固有の量」という定義です。よって「自分はロジックをごねる程の質量が無い」というのは日本語になっておらず意味不明です。但し、前後関係から類推するに天蓋真鏡さんは「自分はロジックをごねる程の技量が無い」、「自分はロジックをごねる程の能力が無い」というような使い方で質量という単語を使っていると思われます。しかし質量には技量とか能力とかという意味はありません。もし、ここの文章を天蓋真鏡さん流に単語の羅列をしたらどうなるでしょうか?
「ロジック、ごねる、質量、無」
どうでしょうか?意味が通じますか? 単語の意味付けがデタラメだと到底理解することができず、この人は何をいいたいのかさっぱりわからないので余計な労力を要し結果としてイライラするのです。

2567一読者:2008/11/15(土) 23:46:53
犀角独歩さんの戒壇本尊は偽物だということが、このコーナーで理解でき、大石寺信仰から少しずつ離れていく自分があります。まだmだ知りたいことはたくさんありますが、罰だとか謗法だとかいう言葉の呪縛から時はなれていくことができることに、喜びを感じます。ありがとうございます。とはいえ、では歴史の真実は何かを知りたいと思います。ぜひ、戒壇本尊が偽物だという書籍を一般書店でも手に入り、多くの方に知っていただくようにしていただきたいのです。島田教授の最新刊に犀角独歩さんの研究が掲載されていたので、そのように思います。難しい教学のことはわかりませんが、あまりに盲信している方が多く、私の親族もすべてそうなのです。目覚めてほしいのです。どこに書いてよいか分からないのでここにしました。

2568犀角独歩:2008/11/16(日) 07:47:59

一読者さん

はじめまして。ご高覧有り難うございます。

2569偶ロム偶ログ:2008/12/31(水) 03:45:02
あの、山●●友サンが29日夕方、自宅で倒れ亡くなったとのこと。

享年72歳。

長年にわたっての創価学会批判を評価する人たちもいるようだが、私の見方は
全く異なる。

彼とそのお仲間たちの「創価学会批判」のおかげで、創価学会に対するまとも
な研究や批判が壊滅状態に陥ったと、私は思っている。

彼らは生活のために「創価学会批判」という名目の営業活動を続けていただけ

である。

山●●友サンたちのおかげで、創価学会批判は30年は遅れたと思う。

だから冥福は祈る気にはならない。

幸いなことにようやくここ数年は島田裕巳さんがまともな「創価学会論」を書
いているので、マスコミやジャーナリズムも多少は風向きが変わり始めたよう
な気もする。

2570たけぞう:2008/12/31(水) 17:41:18
亡くなりましたか。
彼の人生はなんだっだのだろう。
私も学生部時代、彼とほぼ同期で一緒に活動してきました。
もちろん、原島氏も一緒です。
学生部時代から、彼は卑屈というか卑怯というか、嫌な性格でした。
でも当時の学会は、東大とか京大の学生を特別扱いし、たいした経験もないのに幹部にしたり。
そんな中で弁護士第一号。
池田名誉会長がさかんにチヤホヤしていました。
チヤホヤされ、甘い汁を吸い、今度は批判者として生きていく。
コツコツと真面目な信仰出来なかったですかね。
信心第一、唱題第一、易しそうで難しいことなんですね。

2571いちりん:2008/12/31(水) 18:29:14
そうですか。山友さん、亡くなりましたか。
原島さんも、たしか今年、亡くなったんですよね。

ま、彼らの批判によって生々しい創価学会の実態、池田さんの実像が、伺えたようにも思います。

池田さんと学会に対する深い思い入れがあったがゆえに、かえって憎悪も怨念も強いものがありましたよね。
人生のほとんどを学会に使った生き方でしたからねーー。
その人生はなんだったんだろうと。
つらかったろうし、憎かったろうし、やぶれかぶれにもなったろうし。

いちど正信会の大会で、佐原まで出かけていって、いちばん前でお二人のことを観察させてもらったことがありました。
原島さんは、なにか肩の力が入っておりました。山友さんは、まあ余裕でにこやかでありました。

2572幻論乙坊:2009/01/01(木) 19:41:21
諸賢
破顔一笑
明けましておめでとう御座います。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

本年よりHMをしゅんかん→幻論乙坊に変更致しました。

2573再挑戦者:2009/01/01(木) 20:51:31

 2570 > 、、チヤホヤされ、甘い汁を吸い、、、。>
 
 その甘い汁の存在 自体も 末端のわれらは、知りませんでしたゼ !!!
 その内部の、秘密にしたい情報を秘匿したい団体、?さえも、、知り得ません、でした、。

 その、カギとも言える扉の、パンドラの、蓋を、開けてくれた、? という、現実的な効果 ? だけは、 マジに評価、したいですナ、。 
 
  S会 関連者には 肯定不可能な厳しい案件、だろうが、?

2574偶ロム偶ログ:2009/01/03(土) 05:49:38
まぁ、いちりんさんや再挑戦者さんの言い分にも一分の理はあります。

しかし、彼らが本当に学会時代の自らの言動の非を反省懺悔していたかどうか。

彼らの池田サン批判は彼らが学会にいた時の話題が主でしたが、その時に、実質
池田礼賛と神格化を進めていたのは彼らでした。

除名後もアンフェアな批判(?)もどきを繰り返し、結果として学会を利する
ようなていたらくのケースが目に付きました。

パンドラの箱なんぞは、昭和42年に元学会員植村左内氏(故人)によって、とうに
こじ開けられていたのです。

仮に彼らによって箱が開けられたとしても、それで学会になんらかのダメージ
なり反省なりがあったといえるのか。

彼らが除名されても勢力の実質的バロメータといえる議員数や得票数は増加して
います。

ガセネタによる批判の弊害は創価学会を政権与党にし、創価学会を研究する学者は
ほとんどいなくなってしまいました。

つまり反効果だけが残ったのです。

2575一読者:2009/01/04(日) 11:29:59
私はとある寺院(正信会でしたが)で原島さんとお会いしお話したことがあります。私はご家族を大切にしていますか?と言ったことがあります。そのとき涙をためて、つらいことです。と答えられ、あぁ幹部だった方も人間らしいところがあるなと感じたものでした。このころは正信会寺院を回り、講演したりしていた時期ですね。どこか哀れでした。結局は宗創紛争に巻き込まれた被害者でもあったのだと思います。山友さんもそうかもしれません。組織の下の方の人間には分からない世界があったのでしょう。ただ、お二人のお蔭で脱会した方もあったわけで、私などはそれから本当にこの宗派は正しいのだろうかと考えるようになったのも事実です。その意味では感謝しています。複雑な事情や細かい人間性は分かりません。ただ少なくともなくなられた方には、慈悲心で合掌かなと思います。さきほど創価の方でしょうか、あいかわらず口汚くお二人を罵るブログを見て感じました。本当にこの宗派には寛容というか慈悲心がなさ過ぎますね。ちょっと、つぶやいてみました。

2576再挑戦者:2009/01/04(日) 18:56:51

 2574、、>> 池田 礼賛と 神格化をすすめたのは彼等でした、。、、、ガセネタによる、、つまり反対効果だけ、、>>

 なかなか、、きついご意見 でしょうか ?
  
 「最も チヤホヤされての特別な本佛のようなヤラセ的な仕掛けが奏功して、 最も 甘い ? 汁を ? 思う存分に 吸い始めた、? 目の前の 暴君化した、 親分に対して、腰が引けた大勢多数がいた、、。
 
 その視点に、??? ・ マーク を 投影 されたのが 彼等 では無かったか  ?? (「池田大作の品格」、「「創価・公明@2chj掲示板)

2577再挑戦者:2009/01/04(日) 20:16:30
2574 、、 S会への思い入れ には 理解 するが、 エエカゲン 化けの皮は とっくに ? ですぞ !
 
 一信者を、、蹂躙するのは ? か ?

2578偶ロム偶ログ:2009/01/05(月) 09:37:20
つぶやきです。

名指しであればきちんとお答えもするのですが、レスナンバーでの意見ですので(笑)

>S会への思い入れ

そんなものは30年以上前に捨てています。

>理解 するが

無用・迷惑なことですし、理解してないですよね、言葉だけ(笑)

>化けの皮は とっくに

意味不明かつ石山創価圈特有のレッテル貼りはつまらんですよ。

自己満足の文体もいーかげんにやめないと本当に誰からも相手にされなくなりますよ。

あ〜あ、正月からつまらんですなぁ。

2579一読者:2009/01/05(月) 16:00:40
再挑戦者さんは何を主張したいのでしょうか。賛成にしろ反対にしろなんにしろ、意味の読み取れない文章をこうして出してくるのは、みなさんに失礼かと思います。自己満足の壁の落書きではないのですから。偶ロム偶ログさんではありませんが、年の初めの文ではありませんね。

2580再挑戦者:2009/01/05(月) 19:07:23

 それは それは ご迷惑をおかけしまして ドーモ です 、。

 なにぶん 「 本当に 有るか ? ダマシか ?不明 ? の 成仏?」 とやらに ぞっこんにほれ込んでおる バカ ウマ、シカ、 ドアホ、?の一員 でござる 。
 それゆえ お気に触る、? が あれば 私の 無学のいたすところ 故 「 深心から 陳謝を 致したく 存知 申し あげまする、」 、!! 敬具。

2581顕正居士:2009/02/06(金) 00:51:46
宗教というものを現世や来世の自己の利益を期待して信仰するのであれば、
これほど人倫に反したものはありません。ちょっとよい詩を見つけました。

「むしろ地獄に」

弥陀の敵(かたき)ぞ放逸ぞ/進めば極楽に入らう/一歩の後は地獄の火の/燃え立つを知らじか
名号の旗の下(もと)に/立ちたる僧は罵る/親とて、主君とて/信心なきは仏敵ぞ/宗門の外護(げご)の役/
命ひとつ奉れと/攻めよする勢ひは/さながら猛火(みゃうか)の焔なり

三葵(みつあほひ)の旗はなえたり/金扇光うせて動めく/あはや主の元康/この原に消えたまはむ
思へば、主君、後世、忠義/忍びがたきわが心/尽未来まで苦を受くるとも/この様を見るは憂し

いざ来れと総角(あげまき)を/引かへして大音に/われは無間に落ちなむ/心がはりし土屋と名(なの)る
五騎三騎のつはもの/悪業と声かけて/槍あはせはたはたと/穂長の薄(すすき)ひらめく
土屋は斃れたり/敵にしてまた友垣なる/数の勇者も斃れたり/闇は静(しづか)にすべて掩ひぬ。

-山崎紫紅 『大日蓮華』

*土屋重治 一揆側に加わっていたが、家康公が危険に晒されているのを見て、「もう地獄に落ちても構わない」
といって、家康公を助け死んだという。

2582たけぞう:2009/02/06(金) 15:06:36
hageさん
宮本さん
いちりんさん

このスレッドで日蓮仏法の信仰を語りませんか。

私は、かねがね創価学会教学での日蓮本仏論に疑問を持ってました。
開目抄の、詮ずるところ天も捨て給え云々を本仏の境涯と解釈し、開目抄後段の日蓮聖人が過去に自分が法華経の行者を批判したところには言及しないのです。
ですから、学会教学ですと、法華経の行者日蓮という偉大なる凡夫が伝わってこないのです。
そうこうしているうちに、久遠元初を検索すると、本因妙抄と百六箇抄しかヒットしない。
更に、いかにも偽書という内容の産湯相承書が本因妙抄に重用視されている。
こんなことを試行錯誤しているうちに、一連の御書が偽作ではないかと思い始め、更に日蓮本仏論の要である日寛上人の六巻抄まで疑問視し始めました。
そんなことを友人の創価学会人に話しても、興味を示さないので一人で悶々と御書を読んでいました。

そんな時にこの掲示板に出会ったのです。
そして、過去ログも読み、なるほど、なるほどでした。
しかし、投稿している皆さんの教学のレベルが高いので読む専門で投稿はいたしませんでした。
ですが、最近になって思うに、創価学会や大石寺の批判はしますが、肝心の信仰のことは全く触れないのです。
信仰について、投稿出来る掲示板はないかと、いろいろ探しましたがないのです。
私は、日蓮仏法の研究者ではありません。己が信仰の糧になるため教学を学んでいます。
そんなわけで、信仰について、細かく言えば既成の教団教学を捨てて日蓮聖人は何を言いたかったのかを語り合いたいのです。
皆さんもそれぞれ別の教団に属しています。
しかし、この掲示板に投稿するということは、何か教団では満たされないものをお持ちだと考えます。
そんなわけで、満たされない何かを問題にしてもいいし、教学の研鑽でもいい、フリーな対話をいたしませんか

2583たけぞう:2009/02/06(金) 15:23:37
hageさん

早速のご回答ありがとうごいます。
日蓮聖人正宗関係とは明らかに違いますね。
正宗関係は、日蓮本仏論ですし、弘安2年の大御本尊を戒壇本尊としてますから。
でもこの掲示板では、上記の二つとも否定しています。
そうなると、どこが違うのだろう。
素朴な質問ですが、身延派と八品派との違いはなんでしょうか。

それから、hageさんは代々の八品派ですか。
曼荼羅御本尊を御安置しているのですか。
御看経って、御経を読み唱題することですか。やはり、方便品と寿量品ですか。
御講というのがありますか。

2584たけぞう:2009/02/06(金) 15:40:17
宮本さんへ

何度か対話しましたが、一見普通な真面目な学会人とお見受けします。
なんで、こんな魑魅魍魎な掲示板に参加しているのですか。
それに、オフ会は創価学会批判だし。
私の場合は、学会内部で日寛上人批判などしても、誰も話し相手になってくれないからです。
まして、日蓮非本仏論なんて、誰も相手してくれません。

2585たけぞう:2009/02/06(金) 15:48:47
いちりんさんへ

初めまして、たけぞうです。
確か、正宗でしたよね。
私も、入信当初は法華講でした。
でも、お寺の先生が会合嫌いなせいか、座談会は講頭さんの自宅でやっていました。
そんなわけで、御僧侶とお話をしたことがないのです。
法華講でもいろいろな本を読みましたが、完璧に日蓮本仏論講ガチガチで引っ越しのさい、全て捨てました。
いちりんさんが、この掲示板を読んでいる理由はなんですか、教えてください。

2586偶ロム偶ログ:2009/02/06(金) 16:02:44
たけぞうさん

>>こんな魑魅魍魎な掲示板

質問1.あなたが「魑魅魍魎」とおっしゃる根拠を明示していただけませんか。

>>オフ会は創価学会批判だし

質問2.あなたはすべてのオフ会に参加されましたか。

質問3.オフ会が学会批判だという根拠を明示して下さい。

批判と誹謗中傷は全く異なるものです。

批判に対してはきちんと反論するなり意見を述べれば良いだけのことです。

また、これまでオフ会でのテーマは、学会よりも日蓮正宗・顕正会・本尊問題の方がはるかに多いのですよ。

質問4.上記2584の書き込みは、これまでこちらに書き込まれた方たちへの誹謗中傷になると思われませんか。

以上にお答えいただければと思います。

2587たけぞう:2009/02/06(金) 16:15:22
宮本さんへ

>今日の朝10時、二人の壮年部と共に、勤行しました。
>一人の方は、39才で独身、障害者2級(精神病)で、生活保護、妹さんは36才で筋ジストロフィーで寝たきりです。
> 入信してまだ数年、大変です。では、また。

偉いですね。
私も、こうした活動はしたいのです。
個人指導というのが、滅茶苦茶好きなんです。
座談会に出て、他人の話を聞くのは苦手です。

そんなわけで、宮本さんのやっているような活動をしたいと、地区部長に相談しましたが、なしのつぶて、それで担当に入っている副区長にも相談しましたが、やはり駄目でした。
地区部長にもブロック長にも、別々に一席設けて、酒を飲みましたが、なんだか話しがのらずそのまま。
5年前までは、普通の住宅街でしたので、結構活動もさかんで、飲み会も盛り上がっていました。
団地っていうのは、一種独特なものがあります。
まずは、学会人が尋ねてきても家に入らず、玄関先というのが常識で、どうぞどうぞと言っても家の中に入ってもらえません。
もちろん、若き男女青年部はいません。
その代わり、変な話しですが、組織内で怨嫉というのが全くありません。
婦人部も淡々として、妻も喜んでいます。
妻は、副本部長なので、以前のブロックでは毎晩11時帰宅でした。
それから、電話連絡で12時。
引っ越しと同時に、夜妻が居ないと、私が自殺する恐れがあるので、妻は夜の会合は参加しないことにしました。
やっと、我が家も平和が戻りました。
妻は、大学在学中に私と婚約。卒業して3ヶ月で結婚。
ですから、女子部の経験なく学生部からいきなり婦人部。
若いから、すぐに地区担、そして支部婦人部長です。
婦人部の過激な昼夜の活動を30年間やってきたのですから、頭が下がります。
それに、怨嫉だらけの支部ですから、役職の下の人に人気のある妻は随分と睨まれていました。
今は、午前の唱題会、午後は韓流ドラマの世界です。

2588hage:2009/02/06(金) 16:27:14
たけぞうさん、こんにちは。

八品派は、室町時代の日隆聖人の流れを汲んでいる宗派で隆門ともいうそうです。
過去には富士派と壇林(僧侶の学問所)を共にしたり、交流はあったそうです。
冨士教学研究会−投稿論文集−の中の記事にも「富士門と隆門との接触が盛んであった」とあります。
http://xbbs.knacks.biz/dangisyo
「日蓮本仏論」は日隆聖人の「法華天台両宗勝劣抄」(四帖抄)が元になっているという話も聞きます。
(八品派では日蓮本佛諭は否定していますが)
私は違うのですが、本門佛立宗はご存知ないでしょうか?

2589犀角独歩:2009/02/06(金) 16:32:30

たけぞうさん

本日まで、管理者さんから依頼されて、代理管理を行っている犀角独歩です。

こちらのスレッドは冒頭にありますとおり、

「普段からフツフツと感じている事を、ここに書き込んでみて下さい。
このスレッドは、独り言、ボヤキですから、会話、議論の応酬は避けましょう!」

という趣旨で立っています。

2582以降の書き込みは、その趣旨に反している判断できます。
つきましては、こちらでの議論は、ご遠慮ください。

なお、投稿内容につき、偶ロム偶ログさんがご指摘なさったような不適切と思える箇所もありますが、この点は、明日以降、管理人さんがご判断なさることと存じます。

以上、注意を申し上げ、警告とさせていただきます。

引き続きこのスレッドの趣旨に反した投稿をなさった場合は、遺憾ながら、削除させていただきます。ただし、削除投稿は保存し、明日以降の管理にさんのご判断に委ねることといたします。

2590犀角独歩:2009/02/06(金) 16:42:06

hageさん

投稿が前後しましたが、2589に記した趣旨の遵守をお願いいたします。

2591hage:2009/02/06(金) 16:50:47
犀角独歩さん

趣旨に反した書き込み、申し訳ありません。
問題がありましたら、削除していただければ幸いです。

2592たけぞう:2009/02/06(金) 16:58:16
偶ロム偶ログ さんへ

>質問1.あなたが「魑魅魍魎」とおっしゃる根拠を明示していただけませんか。
現役の学会人が堂々と、学会批判を出来る掲示板はありません。
本音で喋れる掲示板ですので、それが言論の自由があるというタテマエで無いという学会の組織からみると、魑魅魍魎。

 376 名前:たけぞう 投稿日: 2009/01/21(水) 21:06:38
   >hageさん
   >ここは富士門流になっていますが、
   最初は富士門流のプライドで入りますが、パンドラの蓋を開けて魑魅魍魎。
   迷って迷って、最後には富士門流でなくなったりして。
   私、戸籍上は創価学会かろうじて守ってます。
 377 名前:管理者 投稿日: 2009/01/21(水) 21:23:04
   たけぞうさん
   >魑魅魍魎
   どこかの会の会長さんが、当掲示板にご参加の方を名指しでそう批判したそうですね。
   彼らから見れば、ここは魑魅魍魎の巣窟かな(笑)。
   掲示板管理者は、さしづめ、巣窟の仕掛け人かな(笑)。
魑魅魍魎は、ただのご愛敬です。

>質問2.あなたはすべてのオフ会に参加されましたか。
最近なので参加してません。

>質問3.オフ会が学会批判だという根拠を明示して下さい。
「今回は、創価学会・顕正会・日蓮正宗について考えます。(もちろん「批判的に」です)」
この文章を読んで判断しました。

>質問4.上記2584の書き込みは、これまでこちらに書き込まれた方たちへの誹謗中傷になると思われませんか。
思いません。
日蓮非本仏論を堂々と論議出来るようになったのもこの掲示板のお陰です。
それは、何度も書いております。
また、学会内部でいう御本尊と曼荼羅の違いを教えてくれたのも掲示板のお陰です。
このことは、昨年12月31日犀角独歩さんへ感謝の文をのせてありますのでご覧ください。
ただ、そこまではいいのですが、日蓮非本仏論となると、種脱相対はどうなるのか、教観相対はどうなるのかという疑問が生じてきます。
それを現在思索中です。そして自分の信仰とどうつなげていくのかが検討内容です。
今まで、閲覧してきましたが、信仰態度や折伏業の悩みについては討論されておりません。
批判した先に自分たちの信仰の在り方、折伏の在り方そんなものを考えてみたいのです。
創価学会批判よりは、私にとって創価か学会の活性化の方が問題です。
現状は、婦人部だけで成り立っている創価学会、このままでいいのか。
慈悲の仏法を信じているのに、何ら社会的活動をしていない創価学会。
池田氏の一言でなんでも決まっていく創価学会、せめて人事は選挙制度導入して民主化できないものだろうか。
等々、考えますが、現実は池田氏生存中は無理なようなので、ポスト池田に期待してます。

2593たけぞう:2009/02/06(金) 17:02:45
犀角独歩さんへ

スレッドの意味をよく理解せず文章をだらだらと書いたことお詫びします。

2594犀角独歩:2009/02/06(金) 17:14:13

たけぞうさん
偶ロム偶ログさん

本来であれば、すでに2589で注意をいたしておりますので、2592のご投稿は控えていただくことが筋であったろうと思えます。
しかし、それ以前の、偶ロム偶ログさんの2586のご質問にお応えになった形ですので酌量の余地はあろうかと存じます。

ある面、偶ロム偶ログさんのご質問も当スレッドには反しますが、それは、それ以前のたけぞうさんの投稿に難じる性質上、いたしかたのない側面を有していました。

本来であれば、両投稿を削除すべきところですが、あくまで、代理管理という立場ですので、このままとします。

しかし、先に申し上げましたとおり、こちらは「つぶやき」スレッドですので、いったん、この議論は打ち切っていただくようお願い申し上げます。

2595宮本:2009/02/06(金) 17:18:35
たけぞうさんへ
>こんな魑魅魍魎な掲示板に参加しているのですか
ここは、魑魅魍魎では、おそらくないと思います。
 一例ですが、たしか「河辺メモ」の内容ですが、
(所謂、大御本尊が偽作では、ないかといゆ意見は)犀角独歩さんの
方が早く言っておられたと記憶しています。
(記憶違いでしたらごめんなさい)
ですから、「河辺メモ」の件は、早くから知っていました。
とらえかたが、学会の公式見解とは、違いますが。
 また、学会の知識だけだと、教学力等が、向上しないと思います。
と言ゆうより、それ以前の問題がある場合があるような気がします。
(四箇格言、五重相対論も、現代の現実とマッチしていません)
内部の者同士の教学では、解からないと思います。
>オフ会は創価学会批判
これは、当たり前のことかと思います。
批判される部分があるのだと思います。
(完全、完璧、100%良い宗教組織
があるのかもいれませんが)
で、民主主義ですからね。

2596犀角独歩:2009/02/06(金) 17:21:12

宮本さん

2589にたけぞうさんに申し上げたとおりです。
こちらで議論を継続することはおやめくだささい。
注意いたし警告といたします。

2597宮本:2009/02/06(金) 17:43:28
犀角独歩さんへ
 了解しました。すみません。送信した時、犀角独歩さんの書き込み
 前から、書いていたもので、前後してしまいました。

2598マターリ:2009/02/07(土) 11:21:56
素朴な疑問スレッド3721で、法難で亡くなった弟子に関する御書が、極め
て少ない件について質問させていただきました。しかし、答をいただけず
残念でした。

日蓮は厳しい反面、とても優しい面があると聞いていました。その優しい
面を、ずっと探していましたが、私は御書から感ずることができませんで
した。

本当に優しいのなら、法難で亡くなった弟子に対して、書いた文字のうえに
涙が落ちるような、心優しい文が多くあるのではないかと思っていました。

2599大縫 薫:2009/02/16(月) 11:53:09
 扶桑根源代流沙門の某師は當家沙門訓戒に
「布施なき経は讀むべからず 布施なき法は説くべからず 
 財施應分の法施無きは罪業無限累積と知るべし」という口伝が門下に残って
 いるそうですが、経典か遺文にも同様の事が示されているのでしょうか?
 お分かりの方がいましたらご教示願います。

2600顕正居士:2009/02/17(火) 15:58:06
松本師のことですか。誰が言いはじめたことかわかりませんが、宗派問わずそういうことを
言う坊さんはいるようです。読経がサービス業の一種になれば、価格破壊を避けるために
そういう考え方も出るのでしょう。
仏典の布施という言葉には儀礼の執行に対して坊さんに支払う対価の意味はありません
から、経典にも遺文にも根拠はあり得ないです。

2601犀角独歩:2009/02/17(火) 16:01:44

布施とは、菩薩が積んだ功累ねた徳を衆生に布き施すことでしょう。
菩薩戒を持す側が強要するようになっては、もはや終わりですね。

2603大縫 薫:2009/02/17(火) 20:36:02
顕正居士さん
そうです、松本先生です。
やはりその様な根拠は無いですか・・・

独歩さんが言われるとおりだと自分も思います。
尚當家沙門訓戒は活字化されています。

2604大縫 薫:2009/02/18(水) 14:24:32
法華宗本門流の寺院で冥加料を明示したHPを見つけました。
布施については、寺の雑務、草むしり等をもって身の供養で布施に代えさせて
もらうことも出来るそうです。

妙信寺公式HP
http://www.myoushinji.com/info/info.htm

2605hage:2009/02/18(水) 21:36:50
七布施を検索すると

眼施・・・たたかい目差しを布施する事
和顔悦色施・・・和らいだ顔、喜びの顔色の布施
名言辞施・・・言葉による布施、穏やかな話し方の布施
身施・・・身体に寄る布施、つまり労働奉仕
心施・・・思いやりのこころを布施する事
床座施・・・満員電車などで座席を譲る事
房舎施・・・人を気持ちよく宿泊させてあげること

以上の七つの「施」をもって、無財の七布施と言う。

とあります。

お坊さんが、御法門を信者さんに対して説かれるのを法施とも言いますよね。

2606犀角独歩:2009/07/26(日) 14:03:58

問答さん

告知力のある貴掲示板の場を貸してください。

すでにblog、GREE、mixiでは告知しましたが、あろうことか、わたしが盗用をしたというデマが流されているのです。

まったく冗談じゃない。名誉毀損も甚だしい。浅井さんの「魑魅魍魎」「創価学会崩れ」「大謗法者」という悪口雑言よりたちが悪い話です。
以下、上述へのわたしの抗議を添付させていただきます。

***

あきれ果てた言いがかり、わたしが盗用?

まったく驚くこととはあるもので、金原明彦さんの周辺では、わたしが盗用したのだと言いふらしているのだという。

なにを言っているのやら。
わたしが、大石寺の所謂「本門戒壇の大御本尊」が弘安3年5月8日の日禅授与本尊を原本として臨模作為された作品であるとは、2005年9月9日の段階からインターネットで発表したとおりである。こうした下らない言いがかりをつけられないために発表した当初からカウンターをつけておいた。金原さんの出版は2007年8月20日である。

何故わたしは、所謂「本門戒壇の大御本尊」の真偽を論じるのか
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html"

『現代宗教研究』第39号所載
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/pdf/syoho39.pdf

大石寺から離脱して、創価学会から給料をもらっている佐藤伴道さんという還俗者や、西山茂さんあたりが、それに乗っかっていると言うが、本当であろうか。本化ネット、福神でもそんなことをいっているのか? もし、そうであれば、こうした人びとの良識も含めて抗議したい。

わたしが、こうした結論に達していく経緯は、富士門流掲示板における管理人・問答迷人さんをはじめ多くの方々との公開議論に基づいている。同掲示板を時系列で閲覧してもらえばすぐにわかることである。

だいたい、金原明彦さんなどや、その周辺の人びとは、今に至るまで、誰一人会ったこともない。聞くところに拠ると、わたしがネットに書き出す以前に創価学会本部に金原さんが、こうした文書を出し、その文書をわたしが盗用したなどと言う。

だいたい、わたしは創価学会を脱会しているのであって、今に至るまで創価学会とのパイプなど存在しない。創価学会本部に出した文書など、どうやって、わたしが手にできるというのか。それよりも、ネットで公開したものものや、先行出版物を、そのまま採用することのほうがはるかに簡単ではないか。

わたしが出した書籍の目次立て、説明順序とまったく同様の内容で書かれた本が、拙書のあとに出たとしたら、盗用はどちらかは自明だろう。創価学会のやり方は、どうしていつもこうして卑劣なのだろう。それに乗っかる人びとも、人びとである。

2607管理者:2009/07/26(日) 14:45:31

犀角独歩さん

吃驚しました。有り得ない事です。

>富士門流信徒の掲示板を時系列で閲覧してもらえばすぐにわかることである。

その通りですね。この掲示板の日付は改竄は不可能ですね。今もこの掲示板は活きている訳ですから。

富士門流信徒の掲示板の管理者として、以下の通り、犀角独歩さんの論考が成立してアップされたのが2005年9月9日であることを証言しておきます。

当、富士門流信徒の掲示板の2005年9月9日の犀角独歩さんの書き込みです。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/1333

2608空即是進化:2009/09/10(木) 22:28:53
 富士門流としては、ほぼ話題も出尽くした状況でしょうか。
 真理は“無我・無常”ということを、かの池田先生もかなり早い時期に気づいていた
のではないでしょうか。ホントの信者ならああいう行動はとれなかったと思う。
 御本尊が張りぼてのおもちゃに等しいと知ってしまったら、知的満足感は得られても
何にもうれしくない。
 信じて希望を持った人々に真実を話しても、だれも喜ばない。後は今ある組織を活用
し、行けるトコまで行ってみよう。それが自分の使命だ。なんてね。

 創価学会の存在意義は、現代社会の中でトータルはプラスだとあらためて思います。
それがすべて幻想だとしても。

2609hage:2009/09/11(金) 07:36:53
本当の御本尊は、心の中に写った「南無妙法蓮華経」ではないのでしょうか?

同じ物を見ても、人によって見えかたは違ってしまいますし、
人間の目で見た世界が本当なのか、幻なのか誰にも解らないんでしょうね。
人間は意識の中でしかこの世界を知ることができないですからね。

2610hage:2009/09/11(金) 07:37:01
本当の御本尊は、心の中に写った「南無妙法蓮華経」ではないのでしょうか?

同じ物を見ても、人によって見えかたは違ってしまいますし、
人間の目で見た世界が本当なのか、幻なのか誰にも解らないんでしょうね。
人間は意識の中でしかこの世界を知ることができないですからね。

2611れん:2009/09/16(水) 21:11:03
確かに、富士門流の話題は、出尽くした感がありますね。

門派教学抜きで法華経の成立史なんかやるのも面白ろそうですね。

今、福神研究所の公開講座で、松山俊太郎先生の法華経講義が行われていますが、何れ本に纏められるものと思いますので、出版されたら、それを叩き台として、議論しても良さそうに思います。

2612天蓋真鏡:2009/10/29(木) 11:37:59
過去時代・釈尊本六・日蓮大聖人牧口常三郎日興日寛戸田城聖池田大作、未来時代・釈尊新六・完全自由正義追求原因論結果論平和友愛

2613天蓋真鏡:2009/10/29(木) 11:50:08
ポスト池田 「名誉会長と言う席次は無い」 公明党解散・老若男女を問わない福祉政策プランを世に問う、 コミュニティーを育てる創価大学中心・思想哲学主義主張を学問する

2614北斗★彡:2009/10/30(金) 09:55:48
皆様こんにちは(^-^*)/

質問スレではないのですが、一つ、この言い分を破折して頂ける方いませんか?

「題目は仏説」

あるコミュにて、質問者が「日蓮のお題目云々」と言っていたところ、日蓮信者らしき方が「題目は仏説」と主張していたので、「違うのでは?」と言ったところ最終的に私は「親鸞会員のコミュ荒らし」に認定されました(笑)もちろん、そういった事実はありません。まぁ、阿弥陀如来像は好きですけど(笑)

因みに、仏教辞典で「題目」調べました。

「法華経の表題である妙法蓮華経ないしそれに帰依する意の南無妙法蓮華経のこと」

とあります。

まぁ、信者得意の拡大解釈すれば「仏説」になるのでしょうが、それを法華経に興味を持ち出した方に説明するのは、問題があると感じた次第です。

で、ある研究者さんの見解をレスしたら見事スルーで、最終的に私は「親鸞会員のコミュ荒らし」に認定された訳です(笑)

ま、日蓮門下の信者はどれも「同じ」なのかな〜。

そうであって欲しくないけど、石山系以外のこういった信者を見るのは2人目です。

2616問答迷人:2009/10/31(土) 21:36:22

北斗さん こんにちは

ご無沙汰しております。

「題目は仏説」ですか。日蓮聖人は勿論、法華経の文文句句は悉く仏の説かれたものであると説かれていますから、日蓮聖人は題目を仏説とされています。

但し、仏教の経典は仏様の説法を有りの儘に記録したものとは言えませんね。なぜなら、お経が文字経典として記録されたのは、ずっと後世のことですから。

そうした経過を含めて、仏の説法を記録したものとされている経典を「仏説」と呼ぶのなら、「題目は仏説」という議論は成り立ちますね。

しかし、経典が仏の説法をそのまま記録したものではない、という観点に立てば、経典は仏説とはいえない、という事になると思います。

日蓮聖人の場合は、真跡遺文が残っていますから、遺文の真偽判定が決定的な意味を持ちますが、経典については、真跡が全く存在しないのですから、真偽判定自体が決定的な意味をなさないと考えています。

2617阿佛棒:2009/11/01(日) 17:37:26
何が悩みかといえば文字化けにつきますよ、どうして化けるんだろうw
末法だからに違いないっ!

2618北斗:2009/11/13(金) 16:14:32
問答迷人さん

お久しぶりです(^-^*)/

お元気なんでしょうか?

最近、お見かけしないので心配しておりました。

さて

>「題目は仏説」ですか。日蓮聖人は勿論、法華経の文文句句は悉く仏の説かれたものであると説かれていますから、日蓮聖人は題目を仏説とされています。
但し、仏教の経典は仏様の説法を有りの儘に記録したものとは言えませんね。なぜなら、お経が文字経典として記録されたのは、ずっと後世のことですから。
そうした経過を含めて、仏の説法を記録したものとされている経典を「仏説」と呼ぶのなら、「題目は仏説」という議論は成り立ちますね。


確かにそうですね。



>しかし、経典が仏の説法をそのまま記録したものではない、という観点に立てば、経典は仏説とはいえない、という事になると思います。
日蓮聖人の場合は、真跡遺文が残っていますから、遺文の真偽判定が決定的な意味を持ちますが、経典については、真跡が全く存在しないのですから、真偽判定自体が決定的な意味をなさないと考えています。


実は、私はこちらの方の立場から「題目は仏説」論に反論したのですが、日蓮宗の盲信者には通用せず、更に「FB〇」さんから頂いたご意見にも噛み付く始末でした。
早坂鳳城さんの論文も提示したのですが、ダメでした(笑)


日蓮教学ってのは、盲信者増やしやすいんでしょうかね〜?

念仏も似たようなもんかも知れませんが(笑)

2619問答迷人:2009/11/13(金) 21:57:28

北斗さん

>私はこちらの方の立場から「題目は仏説」論に反論したのですが、日蓮宗の盲信者には通用せず、

日蓮聖人自身が、「妙法蓮華経の五字」が、法華経の神力品に於いて久遠の釈尊から上行等の地湧の菩薩に付属された正体であると述べられていますので、日蓮信徒は、日蓮聖人の教えられた通りに信じるのが当然といえば当然であろうかと思います。日蓮の研究者なら、又違うんでしょうがね。

まぁ、『現代仏教学的には「題目は仏説」と言うのは乱暴だ』と指摘されれば、良かったのかも知れませんね。


>最近、お見かけしないので心配しておりました。

ご心配をお掛けして申し訳有りません。しばらくグリー、ミクシィ休んでおります。ご容赦下さい。

2620北斗:2009/11/14(土) 01:46:22
問答迷人さん


>日蓮聖人自身が、「妙法蓮華経の五字」が、法華経の神力品に於いて久遠の釈尊から上行等の地湧の菩薩に付属された正体であると述べられていますので、日蓮信徒は、日蓮聖人の教えられた通りに信じるのが当然といえば当然であろうかと思います。


>まぁ、『現代仏教学的には「題目は仏説」と言うのは乱暴だ』と指摘されれば、良かったのかも知れませんね。


まさに、ご指摘の通りなんですが相手の盲信ぶりに「カチーン」ときたものでちょっと冷静に反論できなかった部分もありました(笑)


やはり、独歩さんの仰せの通り「問答名人」さんですね。

流石ですm(_ _)m


>GREEやmixiはお休み…


いやぁ、お元気なら全然いいんです。
病気で長期入院とかしてるのでは?
と、心配だったんですよ。


また、こちらにちょくちょく来て「超初心者質問」すると思いますが、よろしくお願いしますm(_ _)m

2621北斗:2009/11/23(月) 06:16:22
一つ、つぶやきを…

石山一派だけでなく、一部日蓮宗信者でもそうなのですが、他宗の人に「文証だ」と説明する上で何故「真偽未決」御書を平気で使うのでしょうね。

そして、それを指摘すると「日蓮聖人の考えを狭くする」だの「他宗信者には、この程度の御書で十分」とか言う人までいます。

相手に、失礼と言うか「真偽未決」じゃあ「文証」(本来の使い方ではないけど)にならないのではないでしょうか?

まぁ、一言「真筆ではないですが」とか「真筆が残っていないけど〇〇の写本があります」とか言うならまだしも…。


そういった方々を傍から見ると「日蓮門下は、上から目線だね」とか「法華経が1番との教えだから、そうなんだ」と映るんですよね。「法華経行者だから偉い」みたいな態度がミエミエって言うか。


なんなんでしょうね。

2622れん:2009/11/23(月) 11:42:58
北斗さん

上から目線というのは、ある意味致命的ですね。

蓮祖ご自身は、自らを「名字の凡夫」(顕仏未来記・真蹟身延曾存)と定位し、最晩年には「一切衆生の同一苦は悉く是れ日蓮一人の苦と申すべし」と宣言され「末法には…不軽菩薩の利益此れなり、各々我が弟子等はげませ給へ」(諫暁八幡抄・真蹟大石寺蔵)と門家に遺言されました。

北斗さんに相対した方々の様に、他者に対し、上から目線で接する輩は、蓮祖を讃すると雖も、還て蓮祖の心を死す人々と言えるでしょうね。

2623北斗:2009/11/23(月) 21:58:04
れんさん


>他者に対し、上から目線で接する輩は、蓮祖を讃すると雖も、還て蓮祖の心を死す人々と言えるでしょうね。


信者でない私ですら、そう思うのに、日蓮門下が「上から目線」してたんじゃあハッキリ言えば「日蓮門下終了」と言いたくなりますよ。


驕りが凄いあるんでしょう。「仏教最高の経典を信じ、理解している」というのが日蓮門下には。

私のように「学者目線」で尚且つ「信者ではない」人間が、各教団の法華経解釈に質問やら批判するのが気に入らないんでしょうね。きっと。

2624れん:2009/11/24(火) 01:22:28
北斗さん

北斗さんが接した大石寺の信者や日蓮宗の信者では、さぞかし北斗さんからのご質問は荷が重いものだったと思います。

現代仏教学の上からの最新の法華経の研究としては、インド学者・幻想文学研究家の松山俊太郎氏が、福神研究所の公開講座で「法華経講義」を現在されております。氏は純粋な文学者・インド学者であり、北斗さんと同じく全くの非信仰者の立場の方ですが、だからこそ、松山氏の、インド学・文学研究の上からの鋭くかつ忌憚の無い法華経の研究・講義は“目から鱗”です。 

何れ、松山俊太郎氏の法華経講義は、著作として纏められる予定とのことですので、刊行されましたら、是非、購読をお薦め致します。

2625北斗:2009/11/24(火) 02:35:41
れんさん


>松山俊太郎氏が、福神研究所の公開講座で「法華経講義」を現在されております。


そのようですね。私は、犀角独歩さんのホームページ「犀の角のように独り歩め」で独歩さんの解説見てました。

出来る事なら、是非参加してみたいです。


>何れ、松山俊太郎氏の法華経講義は、著作として纏められる予定とのことですので、刊行されましたら、是非、購読をお薦め致します。



是非、購読したいです。

ちなみに「蓮と法華経――その精神と形成史を語る」が欲しくて探しているのですが、私の住む地方最大の書店でもないんですよ(泣)

まぁ、古い本ですからないのは仕方ないんですが…。

2626幻明影偲:2009/11/25(水) 00:11:35
近頃思う所があるのですが、本尊と曼陀羅について愚考致しておりますが私は今の所曼陀羅を外して仏壇の中に祖父の遺骨と写真を入れ、題目を唱えています。本来、曼陀羅でなければいけないなどとは空海ですら言ってなかったと思いますが、御覧の皆様方の御意見賜れれば幸いと存じます。

2627問答迷人:2009/11/25(水) 07:03:18

幻明影偲さん こんにちは

>曼陀羅でなければいけないなどとは空海ですら言ってなかった

日蓮聖人は皆様が良くご存知の通り、観心本尊抄において、次のようにお示しです。

「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。}

「今、末法の初め、小を以て大を打ち、権を以て実を破し、東西共に之を失し、天地顛倒せり。迹化の四依は隠れて現前せず。諸天、其の国を棄て之を守護せず。此の時、地涌の菩薩、始めて世に出現し、但、妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」

「天晴れぬれば地明らかなり。法華を識る者は世法を得べきか。一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたもう。四大菩薩の此の人を守護したまはんこと大公・周公の成王を摂扶し四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者也」

誠に不思議な事ですが、全て「五字」と説かれ、紙に書かれた文字としての「妙法蓮華経の五字」を「受持する・服す・懸ける」事を説かれています。

「妙法蓮華経の五字」が書かれている曼陀羅こそ、まさに観心本尊抄の論旨の通りの物であり、本尊として仏壇に懸け信仰すべきものであると僕は考えています。

2628幻明影偲:2009/11/25(水) 11:27:11
問答迷人 さん 御無沙汰しております。

先頃、こちらのサイトhttp://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/mmdl/6.4kukai.htm
◇空海は日本に居たころ「虚空蔵求聞持法(こくぞうぐもんじほう)」により、今でいう右大脳半球の脳力開発を行っていたのです。ですから超人的な集中力でもって難解なサンスクリット語やパーリ語をマスターし、身につけた速読法で大量の経典類も短期間に読破できたのでしょう。
とあり、
◇空海が遣唐使船で中国に渡り、短期間に密教の極意を修得して日本に持ち帰ったものは、大量の仏教典・仏具それに曼荼羅です。今でも京都東寺に伝わる胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅の両部曼荼羅は目に見える情報として、私達に大きなヒントを与えてくれます。
とあります。
ですので所詮曼荼羅は物体、物質でありながらも題目そのものに何か人間そのものを変える不思議な力があるのではないかという
観点で見ています。
ですので、私見、個人的展開になりますが実践的な科学的な要素がもっと世に
現れてきてもいい時代なのかと愚考致すところでございます。

2629問答迷人:2009/11/25(水) 12:56:55

幻明影偲さん

>題目そのものに何か人間そのものを変える不思議な力があるのではないか

日蓮聖人は極めつけの現実主義者だと僕は考えています。神秘的なものを、神秘的なままで終わらせずに、必ず具体化しなくては気がすまない、そんな方だと考えています。

その意味で、「題目」「唱題」に籠められた神秘的な中身が有るとしても、それは全て具体化されている、と考えています。つまりは「文字曼陀羅」です。

当初はお題目を唱えるだけであったものが、佐渡以降は曼陀羅を掛けて拝し、曼陀羅を信じてお題目を唱える、という形に変化しました。つまりは、お題目を唱えるという中身が曼陀羅として具体化されたのだと僕は考えています。

2630幻明影偲:2009/11/25(水) 14:43:42
問答迷人さん

仰る通りと思います。
某方の話を以前お聴きした時の事ですが聖人は曼陀羅や釈迦仏像にも題目を唱えていなかったという話が私の耳奥に残っており未だ捨て切れずに居る次第です。某方の話ですと、曼陀羅は法華宗の証明でしか過ぎず、説法する際に曼陀羅を広げ説法をされたと拝聴した事を記憶しております。
ですので、我が家には現在曼陀羅本尊はございませんが祖父の写真に向かい題目を唱え、勤行(五座、三座)を致しております。
しかし不思議に心は晴れやかになるものです。
但し、文字曼陀羅を限定と致しますと現行では別体三宝式(御影像)もどうかと思う所もございますし、また妙蓮寺にあった別体三宝式(絵の掛け軸)もどうかと愚考致す所存です。
真蹟か不明ですが、[題目を以て本尊とすべし]最近ここに尽きるのかと未熟者ながら感ずる所でこざいます。

2631阿佛棒:2009/11/28(土) 10:25:20
法華曼荼羅というものは法華経における虚空会を文字によって図示したもので
これは当然掛けて拝むものだと思いますよ。
日蓮以前にも法華絵曼荼羅というものもありこれも拝む対象として描かれたようですし
本尊うんぬんより仏具として必須アイテムと申せましょう。

真言において各種祈願時に両界曼荼羅を掛けるに同じ

心に曼荼羅を描くほどイメージが出来ているなら要らないかと思いますが、雰囲気的には必要じゃあないでしょうか。

2632犀角独歩:2009/11/28(土) 10:59:24
以下、つぶやき。

漫荼羅が虚空会を表したというのは、日蓮宗や、創価学会の教学であって、日興門家では、違いますね。

『本尊三度相伝』に「今此の本尊大漫荼羅とは霊山一会の儀式を書き顕はす処なり」とあるからです。

また、現存する漫荼羅で折り痕が残っているものがあり、これは、つまり折り畳んで、保存されていたことを意味するというのが中尾堯先生のお話です。いまのお守りのように折り畳んで袋に入れて、懐中していたとのことです。

また、裏に木目の跡が残るものがあり、これらは板に貼られていたためであろうとのことでした。板に貼っていたのか、あるいは、板壁に貼っていたのか、その点はわかりませんが、いまのように厨子や、仏壇に納めるようになるのは、後代のことでしょう。
日蓮にその起源を見ることはできないでしょうね。

2633れん:2009/11/28(土) 17:59:30
昨日、神奈川県立歴史博物館の日蓮聖人展に行って参りまして、大幅のものから一紙の小幅の御真蹟の大漫荼羅御本尊を、間近に拝して参りました。

何時の頃から、大漫荼羅御本尊が現在の様に表装される様になったのか、まだまだ専門の研究者による検討が必要であるとは存じます。日興門流系の史料で言えば興師が聖人御真蹟漫荼羅御本尊の内、数幅に「懸本門寺…」と添書されており、この「懸」が、現在の様に表装して「懸」けるのか、中尾氏が明らかにしたように、表装して懸るのとは別の形で「懸」けるのか、新しく検討してみますと、興師当時の有様すら、実はよく分かんなくなっていますね。

日蓮聖人御自身の“御本尊”につきましては、この界隈に限らず、様々な議論・見解が角逐しておりますが、日蓮聖人晩年の本尊問答抄(真蹟は不現存ながら、筆者不明ながら興師の“弘安五年 月 日”の加筆を有する富久成寺蔵の写本・富士岩本実相寺蔵の正応の日源師写本・年記不明の北山本門寺蔵の興師の写本が現存、富木常忍氏=日常師の本尊聖教目録にも本尊問答抄が見えるので、写本遺文の中では日蓮聖人真撰として信頼出来ると言えると思われる)の意からは、少なくとも、“末代悪世の凡夫”は“法華経の題目を以テ本尊とすへし”というのが日蓮聖人の意図ではないかと愚考しております。

2634犀角独歩:2009/11/28(土) 18:05:46

れんさん

わたしも昨日、櫻川さんのおかげで行ってまいりました。お会いできず、残念でした。
その帰りに、ちょうど、ご呈示の点も雑談をしたのですが、この本尊という言葉について、日蓮は、単独に「本尊」というもあり、「本門本尊」というもありながら、「教相本尊」は、出てまいりませんね。
『本尊抄』で言われる本尊は「本門本尊」に違いありませんが、では、題目本尊は、教相・観心、さて、いずれとお考えですか。

2635犀角独歩:2009/11/28(土) 18:54:38

◎三つの法門

┌本門本尊
├戒壇
└題目五字

もし本尊=題目ならば、以上の三分類は破棄されることになりますね。

┌本門本尊=題目五字
└戒壇

つまり、三大秘法ということと題目本尊の併立は、片方の教義を潰えることになるとわたしは考えます。

この点について、せいぜい反論として帰ってきたのは、

本門本尊=題目五字=戒壇

です。ならば、なおさらのこと、三大秘法は成り立ちません。

なお、題目=本尊で、かつ四大天王が書かれているから戒壇の意義も有すのが漫荼羅本尊であるというのであれば、少なくとも、こうした包摂を意図する日蓮の真蹟遺文を挙げる必要があるとわたしは考えます。

2636犀角独歩:2009/11/28(土) 19:01:30

さらに追記。コマの無駄遣い恐縮です。

また、もし 本門本尊=題目五字=戒壇 で漫荼羅に戒壇を意義を有するというのであれば、なにも日蓮の弟子たちは戒壇建立に普請する必要などなかったことにならないかというのが、わたしの疑問です。

となれば、そこで成り立つ式は

┌本門本尊=題目五字
└戒壇

で、これを三つの法門(三大秘法)とは言うことはできないことになります。

なお、事理戒壇、事義戒壇は、後世の解釈であり、日蓮のあずかり知らないことなので、日蓮の素意を考えるうえでは、対象になりません。

2637れん:2009/11/28(土) 19:04:07
犀角独歩さん


素人の私にとっては、とっても難しい御質問です(泣)

私は難しいことは解りませんが、初期日興門流の宗義書を検するに、“日尊上人仰云”には日代師の義として「題目ハ心法妙ノ直体也」とあり、“日大直兼問答”には日尊師の義として「題目ノ五字ハ観心ノ心法妙ノ直體也」とあり、薩摩阿闍梨日睿師の“類集記”にも「心法妙ヲ受持スル時、仏法妙衆生妙自然ニ具足ス」とも、「末法今ノ時者心仏衆生三合シテ九法妙ナル妙法蓮華経ト名此五字ヲヤスヤスト可唱時節也」ともありますから、此れ等、初期日興門流の伝承から類推しますと、“題目本尊”は教相・観心のいずれかと質問されますと“観心”のかたであるのではないかと類推申し上げる次第です。

2638犀角独歩:2009/11/28(土) 19:20:36

れんさん

早々のご返信ありがとうございます。
「素人」など、とんでもない。

こちらのスレはつぶやきで、議論禁止ですが、少しだけ。

観心とは、心を観るということですね。
しかし、「末代の衆生」はしかし、こうした観念観法に堪えない。よって、題目の受持というのが至極ではないですか。

『観心本尊抄』に「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也」というのであって、観心本尊とは「釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏」にほかなりません。

しかし、題目については、「召地涌千界大菩薩寿量品肝心以妙法蓮華経五字令授与閻浮衆生也」「此時地涌菩薩始出現世但以妙法蓮華経五字令服幼稚」というわけですから、題目において、観心する要素はないと考えますが、この点は、如何ですか。

また、本門本尊の本門とは迹門本尊を簡ぶ対句ですね。
迹門本尊とは方便品諸法実相百界千如に限って説いている釈尊ではないですか。
となれば、本門本尊とは久遠開顕し一念三千を説き尽くす寿量品の仏となりませんか。どうして、それがいきなり題目の五字と言うことになってしまうのか、これでは、本門と本尊をことわる理由が見当たりません。第一、迹門といえ、妙法蓮華経であることに異なりはないからです。

こうして考えるとき題目本尊とは、本門本尊ということはできないのではないかというのが、わたしの疑問です。

となれば、残るところは教相本尊かはたまた何かというのが、先に申し上げた疑問点です。

ここは議論の場ではないので、ここまでといたします。
けれど、ご賢察があれば、是非とも拝聴いたしたくお願い申し上げます。

2639れん:2009/11/28(土) 19:39:17
犀角独歩さん

残念ですが、在家かつ素人の私には、今回の犀角独歩さんのご質問に答えられる程の知識も技量もないので、残念乍らご希望に沿うことは出来ませんが、私も、分からないなりに、犀角独歩さんの疑問とされる点につきまして、折に触れて考えてまいる所存です。

2640顕正居士:2009/11/28(土) 21:36:36
発迹顕本とは?(玄義卷七)

今日發迹顯本。亦指最初爲本。未來發迹本顯迹。亦指最初爲本。
三世乃殊。毘慮遮那一本不異。如百千枝葉同趣一根。
(今日の發迹顯本も亦最初を指して本と爲す、未來の發迹顯本も亦最初を指して本と爲す。
三世乃ち殊なれども毘慮遮那一本異ならず、百千枝葉同じく一根に趣くが如し)
……
問三世諸佛皆顯本者。最初實成若爲顯本。答不必皆顯本。今作有義者。
最初妙覺指初住爲本。若初住被加作妙覺。亦指初住爲本。初住之前。
豎無所指横有體用。即指體豈非本耶。
(問ふ、三世諸佛に皆顯本あらば、最初實成も若しは顯本すと爲んや。
答ふ、必ずしも皆顯本せず、今有る義を作さば、最初妙覺は初住を指して本と爲す、
若し初住に被加し妙覺を作すは、亦初住を指して本と爲す、初住の前は、豎に指す所無けれども
横に體用有り、即ち體を指す、豈に本に非ず耶)

三世諸仏は必ず法華経を説いて本を顕す。すなわち本とは毘慮遮那の一仏のことである。
しからば最初実成の際にも顕本するのか?同じではない、最初実成の場合は初住を本と指す、
初住の前は体を本と指すのであると。つまり発迹顕本の本とは衆生本具の本覚のことである。
したがって本門には教相というものはない、第三教相はそのまま観心であるといえます。

2641犀角独歩:2009/11/28(土) 21:56:18

れんさん

こういってはなんですが、れんさんほどの方に「在家かつ素人」であり、語る資格なしなどといわせる宗派があれば、わたしはそんな寺と坊さんは論外だと思いますね。

戦前から、本尊集にせよ、遺文集にせよ、人力をしてきたのは在家なのであって、坊さんが一体何をしたというのかという思いがあります。

信者を卑屈するようにしか見えない宗派は、もはや滅びればよいと思います。

もっとも、それがれんさんの謙虚な姿勢であれば、その限りではありませんが、しかし、在家と素人が語ることができないのであれば、当の「出家」がここに出てきて、よろしく教導するようにすることが肝心ではないでしょうか。

まあ、布施と恭敬もないところに出てきて、堂々と論陣を張る日蓮のような僧侶は、現代にいるわけはないとは思いますが。

2642犀角独歩:2009/11/28(土) 21:58:10
顕正居士さん

ありがとうございます。

「衆生本具の本覚」を示す、具体的な釈文とはなんでしょうか。
ご教示いただければ有り難く存じます。

2643れん:2009/11/28(土) 22:40:33
一応、横レスにて失礼します。

犀角独歩さん

過分な評価を賜り、恐縮致します。

しかしながら、謙遜ではなく、卑下でもなく私は人間と致しましても、まだまだ門前の小人です。

過分なお言葉を賜り恐縮申し上げるばかりですが、こちらの方々を見渡しましても、犀角独歩さんをはじめ皆さんが、それぞれ積み重ねて来られた人生・ご経験・御学問には、まだまだ全然遠く及びませんし、皆さんのお姿を拝しても、私はまだまだ半人前足らずで、これから残りの人生をかけて、人として命ある限り全てにおいて学び続けて行かなければならないと決意を新たにしているところです。

これは、謙遜とか、自分を卑下するとかというレベルのことでは決してなく、自戒を込めての私自身の人生に対する“姿勢”ですから、この点、ご理解賜れれば幸甚です。

2644顕正居士:2009/11/28(土) 23:28:32
>>2642 この文です。本因初住の文底に久遠名字の妙法を秘沈するという教義の源です。

『初住之前。豎無所指横有體用。即指體豈非本耶』-玄義
(初住の前は、豎に指す所無けれども横に體用有り、即ち體を指す、豈に本に非ず耶)

若云初住之前豎無所指。以體爲本以用爲迹。此本迹倶下句也。若準此意。一切諸佛皆悉顯本。
(若し初住の前は豎に指す所無しと云ふは、體を以て本と爲し、用を以て迹と爲す。
此れ本迹倶に下しの句也。若し此意に準ぜば、一切諸佛皆悉く顯本す)-釈籤

天台智邈は最初実成に顕本有りや否やの問いに、必ずしも皆顕本しないという説もあるが、
今一意を示すに、最初実成の際は初住を本と顕す、初住の前は時間的に指す本はないが、
体を本と指すのであると。荊渓湛然はゆえに一切諸仏皆悉く顯本すと注します。
なぜならば「如三世諸仏 説法之儀式 我今亦如是 説無分別法」(方便品)と三世諸仏同道、
最初実成の際にも権実の法を説いたはずだから、顕本はあらねばならないからです。

したがって 衆生本有の理を指して一仏乗と説きたまふ-釈本覚讃

されば釈迦多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ-諸法実相抄
(書誌的に日蓮の真書ではない可能性があるが、思想内容は後代を待たない)

と衆生の体としての法身(本覚)、具体的には十界皆成を顕すのが発迹顕本であるから、
「不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり、此れは法華経の教主を本尊とす、法華経の
正意にはあらず」(本尊問答抄)と晩年に日蓮はいわゆる仏本尊を否定したと考えられます。

2645犀角独歩:2009/11/28(土) 23:54:42

顕正居士さん

ありがとうございます。

「衆生本具の本覚」は衆生(生)に関して、わたしは本有・本覚を示す釈文を問いました。しかしながら、引用は「一切諸佛皆悉顯本」と仏に関する引用となっておりますね。

『釈本覚讃』を初期天台の釈文とすることができるのでしょうか。また、『諸法実相鈔』を手放しに日蓮遺文とする根拠が希薄であると思えます。

よって、「衆生の体としての法身(本覚)」と所断することを日蓮の教説の確たるご説明になっているように思えないのです。

さらに日蓮が晩年、仏像本尊を否定したのならば、何故、持仏を安置し続けたのか、また、弘安2年『日眼女釈迦仏供養事』に「三界主教主釈尊一体三寸木像造立檀那日眼女」と愛でているわけですから、とても、晩年、日蓮が仏本尊を否定していたとは思えません。

また、仮に、仏本尊否定をし、かつ御説のように迹門本尊・教相本尊が、釈から成り立たないと言うことに従えば、日蓮は釈迦仏像を棄てたということになり、ならば、三つの法門(三大秘法)という教義も棄て、本門本尊=釈迦仏も棄てたということになりますが、そのような意味でしょうか。

となれば、その後、弟子分は、何故、戒壇建立に腐心し続けたのでしょうか。

2646顕正居士:2009/11/29(日) 00:56:00
本尊問答抄の仏(人)本尊否定は古来、難問になっています。
これは一つに「本尊」語を広狭に使用するためと考えます。
大日経の「本尊者、梵音娑也地提嚩多、若但云提嚩多、直所尊之義也」が本尊の定義とされます。
satyadevatāとはtrue deityで修行者にとってのまことの神、まことの偶像という意味です。

開目抄に「一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂主、師、親これなり」とあるのを「根本尊敬」、
略して「本尊」とするのは同語意義であるというべきで、本尊問答抄では密教由来の狭義に使用
されていると考えます。釈迦仏に対するならやはり南無釈迦牟尼仏でなければ変であり、
南無妙法蓮華経と唱える以上、対象は何か妙法蓮華経でなければなりません。
仏本尊を教相の本尊、曼荼羅を観心の本尊と呼ぶ人、あるいはそれを反対に呼ぶ人がおられますが、
これは本門に教相と観心ありとし、混乱を招きます。宗教に教主があるのは当然であって、
浄土では教主は釈迦仏、救主は阿弥陀仏です。教主は狭義の本尊ではないと考えればよいのです。

>「衆生本具の本覚」は〜
最初実成は妙覚を迹とし、初住を本とする、すなわち迹高本下であるということです。更に初住以前の
顕本を述べますから、結局、本とは理即仏の意味になるわけです。六即の教義は当然、そうでないと
成り立ちません。
>『諸法実相鈔』
書誌的に問題があるが、思想内容は原始天台からも直ちに出ることで、鎌倉期成立でも疑問なしと
いうことです。注(×釈)本覚讃はおそらく日蓮と同時代かやや後です(日蓮の本覚讃引用が定着した
ものと少し異なる)。

2647犀角独歩:2009/11/29(日) 03:20:30

顕正居士さん

重ねてありがとうございます。

「初住之前。豎無所指横有體用。即指體豈非本耶」-玄義
「若云初住之前豎無所指。以體爲本以用爲迹。此本迹倶下句也。若準此意。一切諸佛皆悉顯本。」釈籤

「この文が本因初住の文底に久遠名字の妙法を秘沈」ということですが、日寛がこの文を採っていうところを仰っているのでしょうか。この点が合点がいきません。

先の玄義の文は「問三世諸佛皆顯本者。最初實成若爲顯本。」の答えの部分ですね。すなわち「答不必皆顯本。今作有義者。最初妙覺指初住爲本。若初住被加作妙覺。亦指初住爲本。初住之前。竪無所指横有體用。即指體豈非本耶。…」

手許に訓読がないので、間違っていたらご指摘いただきたいのですが、この問答は、以下の如くです。

問:三世の諸仏が皆顕本するのに、最初実に成仏を顕本とするのか。
答:みな、必ずしも顕本としない。…最初の妙覚は初住をさして本とする。もし、初住に妙覚をなすを加えられれば、また、初住を指して本となす。初住の前、タテに指すところがなければ、横に体と用がある。すなわち、体をさす、本ではないか。

ここに、本因、文底、秘沈の語彙は、そうした論の展開にもなっていません。

また、引用の釈籤の前文は「若初住位被加作妙覺佛。亦指初住以爲實本。準淨名疏應作四句。謂本下迹高。本迹倶下。初住唯得此之兩句。夫論迹者約有本説。本爲法身迹爲八相。初住之前無法身本。」

初住位に妙覚仏となるを加えれば、初住をさして、実本となす。淨名疏に準じまさに四句となす。いわく、本は下(ひく)く、迹は高い。初住はただこの両句を得る。それ、迹を論じるとは約あり、本を説く。本を法身となし、迹を八相となす。初住の前は法身本はない。

どうして、この解釈が、「本因初住の文底に久遠名字の妙法を秘沈」したことになるのでしょうか。
天台妙楽共に初住を論じても、本因を語らず、そもそも初住は位であり、そこの文の底はなく、久遠名字は釈尊の因行の位でしょうから、妙法ではなく、秘し沈めるものもなく、そのようなことは論じていないと読めます。

また、「本覚」語の使用は、日蓮真蹟では『八宗違目』に「本覚心」という用法で一カ所のみ。当然の事ながら、天台・妙楽、法華六大部にこの使用はありません。ならば、この釈文をもって「本覚」の根拠とする謂われはないのではないでしょうか。つまり、本迹・体用を論じるばかりとあろうかと存じます。

こうした点から考えるとき『諸法実相鈔』の記述は大いに怪しむべきものであると考えられます。

次の2646は「切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂主、師、親これなり」という文を挙げられ、「南無」妙法蓮華経であるから、題目五字が本尊であるという論の運びであろうかと存じます。

しかし、日蓮は「釈迦仏は我等が為には主也・師也・親也」(主師親御書:真蹟なし)というのであって、この三徳を有するのは釈迦仏であるといいます。となれば、先の『開目抄』の冒頭を挙げて、題目五字本尊の根拠とするよりは、釈迦仏本尊とするほうが至当ではないでしょうか。

2648顕正居士:2009/11/29(日) 04:50:41
訓は>>2640に示しました。
「答不必皆顯本。今作有義者」は「答ふ、必ずしも皆顯本せず(との説あり、然れども)、今有る義を作さば」の意。
「被加」とは加上する意味なので、初住より八相成道することを指していると思われます。

「本覚」は華厳系の用語なので中国天台では用いられません。密教と合伝した日本天台で主要な術語になります。
中国天台での同義の語はいろいろあり得ますが、「理即仏」はその一つです。
日本天台は理即成仏を基本としますが、一般に実相からいい、対して第三教相から本覚をいうのが日蓮宗です。
ただしこれも後代に日本天台で出た思想がもとにあって、日蓮宗に輸入されたのだろうと考えます。

玄義七では三世諸仏に皆分身があるのかという議論がされています。答えはありですが、これはつまりどの仏の
側からも他仏が分身になる意味と考えられます(一つそこまで徹底してはいないのですが)。だから初住に達した
時、毘慮遮那法身に契合し「我成仏已来 甚大久遠」の自覚が生じる、つまり「長寿は只是れ証体の用」です。
これを第三教相から最初実成→初住→入住以前→久遠初発心と本へ遡るのが日寛宗学の特色で、玄義の議論
を発展させたものといえます。「法身、五道に流転するを衆生と名づく」(不増不減経)、毘慮遮那法身とは衆生の
ことになります。

2649犀角独歩:2009/11/29(日) 09:38:36

顕正居士さん

愚昧なわたしに台学のご講義を下さり、まことにありがとうございます。

ここ「つぶやき」すれは議論禁止なのですが、いきおい、れんさんから、顕正居士さんとやややり取りとなっています。

やや整理いたしますと、2633でれんさんが「末代悪世の凡夫”は“法華経の題目を以テ本尊とすへし”」と日蓮は後期、題目本尊となった点を挙げられました。
同様に2644で、顕正居士さんは「晩年に日蓮はいわゆる仏本尊を否定した」と見解を示されました。

ここに日蓮の本覚観の話が入りました。この点は、また、少しご質問させいていただきたい点はありますが、そもそも、2633以降の流れで、わたしが記してきたのは、2635のとおりで、もし題目本尊とするのであれば、所謂三つの法門(三大秘法)は成り立たなくなる、よって、日蓮は三つの法門を棄て、題目本尊へと傾斜したのか。となれば、なぜ、弟子達は、それでも戒壇建立に腐心したのだろうか、戒壇に拘ったという史実からすれば、日蓮は終生、三つの法門を棄ていなかったのではないか。となれば、釈迦仏本尊を棄ててはいなかったのではないかということです。

また、日道の時代頃から、漫荼羅正意論が喧しくなった(執行「教学史」)というのは、他の五老門家との対立を意味することで、つまり、釈迦仏本尊が生きていたからにほかなりません。

そうした点から考えて、日蓮の生前に既に釈迦仏本尊から漫荼羅本尊に移行していたとは考えづらいのではないかという問題提議です。

そもそも、釈迦仏像か・漫荼羅かという二者択一が見え隠れしますが、併用という選択しもあるのであって、それを単に題目=漫荼羅本尊になっていたとする根拠は、はなはだ希薄であるというのが、わたしの考えです。

2650犀角独歩:2009/11/29(日) 13:46:13

つぶやきです。

学会の籠絡作戦の派遣部隊。
まずは、会員、次に学術筋に関わる会員、続いて、学会僧や、創価大の学者。
虫払といった古文書、漫荼羅、重宝類が展示される法要に傍らで参加。
大石寺と、他日興門下寺院僧の同座。さらに学会員、学会僧、創価大の学者が同座。

わたしのように、そんな法要に参加しない人間からすれば、機会極まりない光景ですが、法要に参列し慣れると、いつしか鈍感になっていきます。

学会の出入りするところに謀略があり、金が動く。金が動けば、籠絡される。

そんなことは、興門寺院で、幾度と無く繰り返され、かつての統合があり、それが反古になって、また…。歴史は繰り返されるということでしょう。

2651幻明影偲:2009/11/29(日) 20:56:27
つぶやき。

昨日、某方へ富士宗学要集10巻を誕生日プレゼントとしてお贈りさせて戴いた。あまりこのような事を聞くのは忍びなかったが、(ウイルスはありませんでしたか)と聞いてみた。
そしたら、(ありません)との答えだった。

一先ず悪意のない事なので、安心して眠れようです。

2652幻明影偲:2009/11/30(月) 06:02:51
おはようございます。

何故、保田妙本寺に学会僧が来たり、または懦山寺に研究者或いは学会関連の部類が執着するのかはわかりませんが、一勉強する側にとっては関係のない、また行く必要がない、という方々が居られるのでしたら正に失言ではないでしょうか。
真面目に研究に取り組まれる方々も大勢いらっしゃいますし、ここでは保田妙本寺の話になっていますが、私は個人的に納得が行きませんので独自に調査をし、資料関連も保田へ届ける事とします。

2653阿佛棒:2009/12/02(水) 18:29:25
どうして日蓮は絵曼荼羅にせず文字曼荼羅にしたのだろうか?絵が下手だったからではないか。
もし日蓮が今曼荼羅を描いたら外国の神様入れるだろうか、八分衆は削られてしまうのではないか
仕分け反対

PC画面に曼荼羅を写せば仏壇いらないじゃん!巨大プロジェクタで大曼荼羅拝みたいです
あ、そうだ、携帯に御本尊画像入れておけばお守り本尊ももってかなくていいや!
大体無くすと困るし。しかしモニタにはエロ画像も映るまさに一念三千

などと暴言妄言を吐いてみました

2654再挑戦者:2009/12/02(水) 22:24:32
  
 2653様  ナカナカ、、面白い 御提言 でしょうか、?

 ただ、、人は 感じやすいし、、すぐ感応しやすい、のも現実でしょう、、。
 だからコソ、、 対 「ニセ本尊? 」への 害毒をも 考慮 すべきでしょう、か、?
 当然、、ニセ者らが、、ワンサカ、?、押し寄せるでしょう、、が、、?
 その、、真偽の 見極め、、こそ、、が、、?? でしょうか、、??

 その ポイントは、、???でしょうか、、??

2655天蓋真鏡:2009/12/04(金) 11:29:05
絵とか彫像は千差万別 文字なら手間暇かけ過ぎ無く描けますし学問出来ます

2656天蓋真鏡:2009/12/04(金) 11:58:57
本仏(釈尊)-三大秘法(本尊=戒壇=題目)-戒壇堂宇

2657阿佛棒:2009/12/04(金) 17:26:13
ホーボーとか邪宗の害毒とか佛罰とか
そんなものは無いと思います

日蓮は怒るかも知れないけど、そんなことで人を恐がらせたりするのは
もう止めるべきだと思う。法華経のそういうとこは良くないと思う。

善を勧め悪を止めるためには違うやり方があるんじゃないだろうか。

2658再挑戦者:2009/12/06(日) 19:07:25
 2657様
  
  何を、、?トボケタ、、ことを、、申すのでしょう、? もう、すでに実行された歴史上の事実に対して
  「、、タラ、、レバ、、」を、、申していますのが、、? でしょうか、、?

 (「G2」、「有害カルト情報」、『宗教被害者情報」、「FORUM 21]、「脱会委員会」、「国民新聞」、「政治人気ブログ」、、)

2659阿佛棒:2009/12/10(木) 17:43:30
スターリン毛沢東ポルポトなど大虐殺者が天寿を全うして
ブッシュ親子に佛罰無し

悪行に悪の報いありというがコレは一体どういうことでしょう

思えば世界で富を収奪し悪行の限りを尽くした欧米は未だに栄華を誇ります
そもそも悪行悪果、善行善果というのは本当なのか

末法だからというのではなっとくいかないきょうこのごろ

2660再挑戦者:2009/12/11(金) 19:32:22
、、、。
 長い目で  見ましょう、、。   悪因は、 悪果、、善因は、、??

 今、、これが、、問題、、でしょうか、、?

2661天蓋真鏡:2009/12/12(土) 03:51:13
長い永い前世のルーツ?

2662再挑戦者:2009/12/12(土) 18:41:34
2652様

 本当でしょうか、、?  もし事実ならば、、??
  S会の やからは、石山を 見限り、、!! 次の ターゲットは I先生の支持の元
、ヨリマシナ、、団体としての 探りあい でしょうか、、??
 保田がS会になびけば???

 当然ながら、、日代が 受継ぐべきの曼陀羅を ナゼ、、安房が強奪、出来たのかが、、? 、日郷ユカリの安房へ ? ? かが 、本格的に ネット上
で闘争が開始 されましょう、ゾ、、!!!
 (「G2」、「FORUM 21」、『有害カルト情報」、「宗教被害者情報」、「国民新聞」、、)。

2663阿佛棒:2009/12/12(土) 19:09:22
聖☆おにいさんを読んでるとあーこれ日本の教祖でやったらどうなんだろうとか思う

日蓮と法然とか同居できないだろうなあ

ちくしょう今日も駅前で念仏ディスりやがってー
そうです念仏者は地獄におつるべき

どうしたってケンカになりそうだ

2664幻明影偲:2009/12/13(日) 01:13:03
つぶやきです。

某方の発言に納得が行かずにおりますので、私は私の証拠こ提示してその詳細を資料として「提出]するのみですよ。
ですので、個人的見解、個人的主張など既に無論でしょう。
保田には今まで跳んでもない輩が出現しております。
今現在も(笑)
その近状報告をするまでですよ。
真面目に信仰している方々もおりますし、保田の主張や信者さんの主張などもあるでしょうから
私は純粋に、信仰を真剣に捉えている方々を擁護したいと考えています。
謀略、侵略とかは関係ないと私自身思っています。
因みに創価学会は私の敵ですから、そういう輩がいれば攻撃対象ですよ。
ここでは研究されている方々の集まりの掲示板ですからこれ以上も、これ以下もありません。
ただ、私は保田を守りたい、それだけです。

2665天蓋真鏡:2009/12/13(日) 14:45:14
三大秘法と書くのは 基本中の基本で護持する事が難儀だからの表記で紛らわしくて済みません

2666幻明影偲:2009/12/13(日) 15:32:01
管理人様

【書き込みの基本原則】

1.意見交換、相互理解の場との主旨から、話合いを重んじてください。  
 ①差し支えない限り、自己紹介スレッドで自己紹介をしてください。また、相手に対する敬称は『〇〇さん』で統一して戴きたいと存じます。
 ②感情的表現を避け、できるだけ冷静に話し合ってください。 
 ③掲示板参加者に対する、一方的な個人攻撃は慎んでください。

2.富士門流の発展に寄与する論議をお願いいたします。
 ①富士門教義についての矛盾点の追求を、ダブー視しないでください。
 ②各々の所属組織のあり方についての議論をお互いに避けないでください。
 ③但し、特定の組織をターゲットにした、しかも、一方的な攻撃宣伝は慎んでください。

※ここに該当する書き込みが最近、目立つような気がしてなりませんので御裁定の程、宜しく御願い致します。

2667管理者:2009/12/13(日) 15:57:19

幻明影偲さん

>ここに該当する書き込みが最近、目立つ

なるべくなら管理者が介入しなくて済むなら介入しない、という方向で、禁止事項以外は出来るだけ管理を柔軟に、との方針でおります。これは介入すべきではないか、という書込みに気づかれましたら、管理者までメールを頂戴致したく存じます。伏して宜しくお願い申し上げます。

fujimonkeijibankanrisha@yahoo.co.jp

2668幻明影偲:2009/12/13(日) 17:19:15
管理者様

早速のご回答有難うございます。
当方で誤解されてしまう表現での投稿をしてしまいましたのでここに訂正とお詫び申し上げます。

>②感情的表現を避け、できるだけ冷静に話し合ってください。

上記点につきましての事でございます。
再三にわたり、誤解を招く表現を謹んでお詫び申し上げます。

幻明影偲 拝

2669管理者:2009/12/13(日) 18:33:22

幻明影偲さん

>②感情的表現を避け、できるだけ冷静に話し合ってください。

了解いたしました。その都度、出来るだけリアルタイムでメールして頂ければ、検討させていただきます。宜しくお願い致します。

2670再挑戦者:2009/12/13(日) 18:50:27
2664 幻明 さん、、。
  保田を守りたい、、?・
 これは、、 貴方らのトップらが 決めるのです ネ、?
  所有権、、が日代に 存在する、、文献は 多数 存在します、、。!!
 是を、覆すならば、、説明責任が 存在、、です、、。 マー、、真筆の本尊の 管理に? 無頓着、?なる 日興さんも
いったい、何を? 管理を、? でしょう、?
 ここに曼陀羅を 軽視する、、源流が、?  全く、、?! トホホ、、デス、バイ、、。(「宗教被害者情報」、「G2]、
「FORUM 21]、「国民新聞」、「有害カルト情報」、「脱会委員会」、「政治人気ブログ」、、)

2671幻明影偲:2009/12/13(日) 19:28:13
再挑戦者さん

再挑戦者さんが私に対してトップだとか、何だとか意味がわかりません。
私は、手前で挙げた通り保田を守りたいと申し上げたまでです。

何か差し障りましたら、お詫び申し上げますが少なからず、再挑戦者さんに対する語ではありませんよ。
ここで質問です。
再挑戦者さんが挙げているトップとは誰を指しているのでしょうか。
私の認識では保田には一名しかおりませんが、他にもトップと称する方が居られるのでしたら、畏まらずに仰って戴けましたら幸甚です。

2672資料販売所:2009/12/15(火) 23:44:45
あるものでしたら、50万円から販売しますよ。

2673れん:2009/12/16(水) 11:55:20
横レス失礼します。

再挑戦者さん

日代師に所有権がある云々は全くの誤りですね。

根拠とされる八通遺状は石山の条条事と同列の偽書、代門は、日代師以降、日尊門流出身の日眼師が西山に入山して勝劣義に改める以前は一致派であったことは越後本成寺の日陣門流の記録に残っています。現在の西山は漫荼羅正意ですが、門祖日代師は広布時造像論者です。ですから現在の西山の漫荼羅正意の相伝は、直接的には、室町期の京都住本寺からの輸入と安房妙本寺教義からの摂取ですね。

安房妙本寺開山日郷師は御生前に文永十一年の大本尊の御図顕讃文を書写され、それを御弟子の日睿師に授与されていることから、同大本尊は日郷師が御所持されていたことは明らかですが、同時代の日代師は重須の御影像と重須坊職は我に有りと申し状で主張しておりますが、日代師が日郷師に対して、大本尊の所有権を主張した史実はありません。よって、文永十一年の大本尊は日郷師が正当な所有者であったことは、同時代の南北朝時代には異論はなく、後の時代の西山の勝手な主張を真に受けるのはどうかと思いますね。

2674れん:2009/12/16(水) 18:51:48
一応、典拠を記し置きます。
日代師・葦名阿闍梨御房御返事「仏像造立の事は本門寺建立の時なり、未だ勅裁無し、国主御帰依の時三ケ大事一度に成就せしめ給ふべきの由御本意なり、御本尊図は其がためなり」(正本・西山本門寺蔵)
越後本成寺日現師・五人所破抄斥
「彼の日代は初めは興師の付弟たりと雖も本迹一致の法義を信ぜらる」(日宗全七巻)
越後本成寺門流智門日求師・心鏡浮義
「日代は重須本門寺を追い出され、西山の草庵に竄居せしむ。西山本門寺を名乗り近代まで一致の立義なり。大法律師改めて勝劣に帰し、造仏読誦を為さず」(法華宗全書・教義篇・六巻)参考、石山日有・下野阿闍梨聞書「仰せに云く、西山方の僧大宝律師来つて云く、日尊門徒なり…」
西山門流文献の諸門徒規定並法門立派記「法華本門弘通得意・大法律師日眼之談」 


日郷師書写・万年救護大本尊讃文「康永三年太才甲申卯月十六日、之を模す」(正本宮崎定善寺蔵)

2675犀角独歩:2009/12/17(木) 01:15:22

れんさん

たいへんに参考になりました。

偶然ですが、本日の、わたしのブログ「日蓮墨筆を読む」は不動愛染感見記の巡りです。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51667304.html

この図について記す上古の文献は、どのようなものがございますか。

ご教示いただければ、有り難く存じます。

2676れん:2009/12/17(木) 07:28:56
犀角独歩さん

不動愛染感見記ですが、継承する安房妙本寺においては「日月之御形像」と伝称されてきております。

日月之御形像について触れた文献については、私の記憶では、京都要法寺日辰師の祖師伝の釈日目伝に、日月之御形像を挙げたあと、「右一紙日興、日目に付属し玉ふ、今房州妙本寺に在り」というのが、初見だと思います。これについては江戸時代中期以降の一致派系の文献以前には、異説はないので、日辰師以前の上古の文献にはない様ですが、日月之御形像は問題なく蓮興目郷…と安房妙本寺において継承されてきたものであると思います。

安房妙本寺第十五世日侃師が記録された御相伝の目録(千葉県の歴史資料編中世3 277ページ)には、当時、妙本寺に継承していた宗祖御筆御本尊七鋪(大石寺日精の書状には「八幅」とあるが、この残りの一鋪は、南条時光授与の御本尊と考えられる。日濃事件でこれらの宗祖御筆御本尊が流出し、文永十一年の通称・万年救護大本尊と控字之御本尊〈この控字之御本尊の一幅は、現代の鑑定により御真筆ではなく写本であることがわかっております〉の以外は妙本寺に御帰りになれなかった)の次に日月之御形像が挙げられており、安房妙本寺においては、日月之御形像は御本尊に次ぐ重宝として継承して来ております。




以上、悪文ながら、ご参考になれば幸甚です。

2677犀角独歩:2009/12/17(木) 08:19:44

れんさん

早々のご教示、深く御礼申し上げます。

こうした一連の文献考証の結果を見聞すると郷師正統継承といった思いが彷彿といたしますね。

たいへんに参考なりました。有り難うございます。

2678偶ロム偶ログ:2009/12/18(金) 03:03:47
つぶやきです。

どうも多重ハンドルのヒトが煩わしいですねぇ。

2679阿佛棒:2009/12/25(金) 11:32:11
メリークリスマスw

初期キリスト教と仏教の関係と
大乗仏教とキリスト教の影響についてどこかで読んだけど忘れたw

2680再挑戦者:2009/12/25(金) 20:54:29
2673、、れんさん

 八通遺状が マサカの、、偽書  ??  

 日興の一番の弟子 日代が、、曼陀羅を軽視する、? 造像論者、、??

 小生には、、疑義、、疑問、、が  倍増、、中、、 です バイ、、!

 難儀で ゴワス、、ナー、、。 いったい、、何を、、拝めば、、良いのでしょう、、??
 日蓮さんは、「、、末代の幼稚の者ドモ のために、 本門の文底に秘かに
沈められたる、、ところの、、本門の題目を体言!==成仏!、、可能なるは、??」

 この一点、、?? は、、!!   「、、スバラシイ、、成仏、、??」、、!!

2681れん:2010/01/09(土) 11:43:39
再挑戦者さん

日興師の直筆史料としては日目師を「一中一弟子也」と示されておりますので、確実な史料から見える日興師の一番弟子は、やはり日目師であろうと考えます。何を拝めば云々と仰いますが、日興師は「この法門は師弟子をただして仏になり候、師弟子だにも違い候へば同じ法華をたもち候へども無間地獄におち候なり」と示されており、宗祖以来の法燈を御相続されている御僧侶との師弟相対の信心により成仏が叶うというのが、本旨であると仰せです。少なくとも、興門においては、一人よがりの信心ではなく、宗祖以来の法燈を相続をされている御僧侶との師弟相対の信心がなければ、如何に同じように“法華”を持つとも成仏は叶わないのでありますから、創価や顕正などは勿論のこと論外の存在でありますね。

よくよく思慮されて御帰依する御僧侶をえらまれることをお薦めいたします。

2682再挑戦者:2010/01/17(日) 20:43:03

 、、、どーも、、です、、。
  常在しての 御給仕、、が売り の 日興サン にしても、、この体たらく、?

 、、日蓮が 心血を そそいで 現した、、曼陀羅 様を 側近の 日興サン が ナゼ、、
 何故に、、一信者への 領収書的 ? なる 低度の 誤認識 ?? しか ないようでしょうか、、?

 さて、、 周りの 僧侶方 らに 御解答は、、可能でしょうか ?
 信者らを メシ、、のタネ、、にしてきた、?? 方には、 無理 でしょうか、、??

2683再挑戦者:2010/01/29(金) 20:38:09
、、、れんさん。
  
 ワシの 実感、、だが、、 日蓮が 生死の ドマンナカの 生きるか死ぬか、、 
 ママ成らぬ 難儀なる時で 御座った、佐渡の、 記録には、、?
 
 日興が 佐渡に 同行していたならば、、「観心本尊抄」が 佐渡にて 富木殿に 当てられた ことを
 目撃して いたでしょうか、?
 当時は 日蓮 、、本人は 余命は、? 覚悟の ? 遺言 ?
? で、、したか、??
 そこに 居なかった 、、から こそ、、 「曼陀羅への正意、?、」、
などが 軽視〜誤認識、、へと 流れた ようでしょうか、、??
  もっとも  それが、、 かえって  奏功した一面も ありましょう、?

  もし、、日蓮が 「、、コレゾ、、わが、、イノチの 本尊 で御座るぜ、、」、、
 と 公言 したならば、、??  

 つぶす ターゲットが 定まれば 、、外敵らは ?
 そうです、、  一気に 総攻撃に 走ったでしょう、、? つぶされて ? いたでしょうか、?

  その 恐れを 極力 避けて  後世に 、、曼陀羅様 の 真髄を 伝えたい、、??

 という 「一念、、、」が 、「、、、墨に流して、、、信じ させ給え、、」、、

 考えれば、、クビの 皮の 一枚、、差 で、、?  伝承 されたのか、も、?

 全く、、シンドイ、、です、、ナ、、。

2684阿佛棒:2010/02/01(月) 05:34:52
なんでもすぐ地獄に落ちるっていうのは富士門の悪い癖だから直したほうがいいと思ったw

もちろんミーツゥね私も気を付けよう

>創価顕正などは勿論のこと論外
創価顕正にも師はあり弟子もある

妻帯する僧侶など僧といえるものか

2685再挑戦者:2010/04/30(金) 00:44:07
 阿仏棒 君

 僧侶が(聖職者、、?) 何ゆえに 妻帯 厳禁を強調しますか、、? 
 代、代にて 思想・真髄を伝えるのは、わがの子供が、もっとも 信用可能、と、思索するのは当然なり。
 マシテヤ キリステ御免、、の物騒なる時代だった、。 一概に、軽軽には即断は ?!でしょうか、?


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