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つぶやきすれっど2

2646顕正居士:2009/11/29(日) 00:56:00
本尊問答抄の仏(人)本尊否定は古来、難問になっています。
これは一つに「本尊」語を広狭に使用するためと考えます。
大日経の「本尊者、梵音娑也地提嚩多、若但云提嚩多、直所尊之義也」が本尊の定義とされます。
satyadevatāとはtrue deityで修行者にとってのまことの神、まことの偶像という意味です。

開目抄に「一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂主、師、親これなり」とあるのを「根本尊敬」、
略して「本尊」とするのは同語意義であるというべきで、本尊問答抄では密教由来の狭義に使用
されていると考えます。釈迦仏に対するならやはり南無釈迦牟尼仏でなければ変であり、
南無妙法蓮華経と唱える以上、対象は何か妙法蓮華経でなければなりません。
仏本尊を教相の本尊、曼荼羅を観心の本尊と呼ぶ人、あるいはそれを反対に呼ぶ人がおられますが、
これは本門に教相と観心ありとし、混乱を招きます。宗教に教主があるのは当然であって、
浄土では教主は釈迦仏、救主は阿弥陀仏です。教主は狭義の本尊ではないと考えればよいのです。

>「衆生本具の本覚」は〜
最初実成は妙覚を迹とし、初住を本とする、すなわち迹高本下であるということです。更に初住以前の
顕本を述べますから、結局、本とは理即仏の意味になるわけです。六即の教義は当然、そうでないと
成り立ちません。
>『諸法実相鈔』
書誌的に問題があるが、思想内容は原始天台からも直ちに出ることで、鎌倉期成立でも疑問なしと
いうことです。注(×釈)本覚讃はおそらく日蓮と同時代かやや後です(日蓮の本覚讃引用が定着した
ものと少し異なる)。


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