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つぶやきすれっど2
2357
:
ワラシナ
:2006/12/29(金) 10:10:57
「思い出すア先生指導」
0、ア先生の指導で忘れられないのは、1993年国連ボランティアだった中田厚志さんがカンボジアで殉死された事に触れた時のものだ。
1、「ボランティアなんかやっても無駄」といったア先生がはなからカンボジアを見下していた事は、その教義解説書に明らかであった。そこには御自身の小乗仏教観から東南アジア諸国の国民性を一様に「、、その無気力」などと精神的廃疾者のように決め付けた上で「それらは小乗仏教の害毒を如実に示すものである」などと書いてあったからだ。
だが、見た感じで言う。新宿周辺のパチンコ屋で早朝から行列待ちしていた人々のかなりが賭け事熱中体質のやる気満々の東南アジア系と言われていてとても無気力には見えなかったのである。
反対に、その新宿駅を西に六箇所ほどずらした駅あたりで線路に飛び込む邦人がいたりして大変お気の毒なのであるが、うわさでは株で失敗してしまった人が多い、と聞いた事がある。これなどもしア先生の言う通りなら「大乗仏教の害毒を如実に示すもの」と言えようか(!?)。
2、ところで、国連から明石さんが行ってそこそこの使命を全うされたのだったが、ア先生は根底が見下しているから否定的にしか見ていないのも明らかだった。和平が実現したことを素直に喜ばなかった。自分が期待する見通しの正しさを実証する為に内戦の再発を期待しているかのようだった。
その本音を意地悪く推量すると、「カンボジアに平和なんか生意気、早すぎだ、もっと殺し合っててくんなきゃこっちは困るんだ、何故かと言えば、もっと殺し合いが続いてくれれば言えた筈のお好きなセリフ「いずれ日本もあーなる」が言えなくなってしまった悔しさ」から来ている気持ち、、に見えた。
「第一、立正安国抜きの平和が実現してもらっては正宗信者の立つ瀬がない」とでも思っているようなそれにも見えた。確かに東洋の民の平和と幸福の実現を願わないわけではないけれども日蓮正宗信仰抜きのそれが実現されてしまっては(繰り返すが日蓮正宗信仰流布の暁にこそ真の平和が招来されると標榜している我々信者の)立つ瀬がない、との思い込みからきているのも明らかだった。
この思い込みの強さを見せ付けられると、信者にとっては信者以外の世界の平和と繁栄は忌むべき対象らしく、輝かしくも奇蹟的に招来されるべき立正安国実現のその日に至る迄は、世界は一層の不幸と悲惨で覆われるべき、とでも願っているかのように見えた。
3、確かに、多くの真面目な信者は世界の惨さに対して素直な同悲苦感情から布教による救済を志しているのだが、素直な同悲苦感情におぼれるだけではなく、このような或る懲罰感情めいたもの(一凶的罰論?)も同時に働いていると思うのである。
きっとその感情が強度になって、世界中が日蓮正宗信仰(むしろ顕正会信仰と言うべきか?)流布の国々になる迄は、世界では暗黒と悲惨だけがふさわしく思われてくるのであろう。決して偶然の不幸発生を認めず、万事に信仰中心の因果付けをしなければ気がすまない心理になってくるのであろう。
4、だが、上で触れたア先生のように自ら依拠する信仰基準から他人の幸福にけちをつけたがる心情は自分にもあるし、これをもってア先生をどうこう言うつもりはない。
「悲惨ですねええ、だがこれらはいまだ序分、みててごらんなさい、いずれ、日本も、あーなるとわたくしは思っております。」式のア先生指導が苦々しく思い出されただけなのだ。、、同時に、今も題目三唱の二回唱えをやってるのかなああ、と言う事も。(h18/12/29)
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