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つぶやきすれっど2
2644
:
顕正居士
:2009/11/28(土) 23:28:32
>>2642
この文です。本因初住の文底に久遠名字の妙法を秘沈するという教義の源です。
『初住之前。豎無所指横有體用。即指體豈非本耶』-玄義
(初住の前は、豎に指す所無けれども横に體用有り、即ち體を指す、豈に本に非ず耶)
若云初住之前豎無所指。以體爲本以用爲迹。此本迹倶下句也。若準此意。一切諸佛皆悉顯本。
(若し初住の前は豎に指す所無しと云ふは、體を以て本と爲し、用を以て迹と爲す。
此れ本迹倶に下しの句也。若し此意に準ぜば、一切諸佛皆悉く顯本す)-釈籤
天台智邈は最初実成に顕本有りや否やの問いに、必ずしも皆顕本しないという説もあるが、
今一意を示すに、最初実成の際は初住を本と顕す、初住の前は時間的に指す本はないが、
体を本と指すのであると。荊渓湛然はゆえに一切諸仏皆悉く顯本すと注します。
なぜならば「如三世諸仏 説法之儀式 我今亦如是 説無分別法」(方便品)と三世諸仏同道、
最初実成の際にも権実の法を説いたはずだから、顕本はあらねばならないからです。
したがって 衆生本有の理を指して一仏乗と説きたまふ-釈本覚讃
されば釈迦多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ-諸法実相抄
(書誌的に日蓮の真書ではない可能性があるが、思想内容は後代を待たない)
と衆生の体としての法身(本覚)、具体的には十界皆成を顕すのが発迹顕本であるから、
「不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり、此れは法華経の教主を本尊とす、法華経の
正意にはあらず」(本尊問答抄)と晩年に日蓮はいわゆる仏本尊を否定したと考えられます。
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