[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
つぶやきすれっど2
2627
:
問答迷人
:2009/11/25(水) 07:03:18
幻明影偲さん こんにちは
>曼陀羅でなければいけないなどとは空海ですら言ってなかった
日蓮聖人は皆様が良くご存知の通り、観心本尊抄において、次のようにお示しです。
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。}
「今、末法の初め、小を以て大を打ち、権を以て実を破し、東西共に之を失し、天地顛倒せり。迹化の四依は隠れて現前せず。諸天、其の国を棄て之を守護せず。此の時、地涌の菩薩、始めて世に出現し、但、妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」
「天晴れぬれば地明らかなり。法華を識る者は世法を得べきか。一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたもう。四大菩薩の此の人を守護したまはんこと大公・周公の成王を摂扶し四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者也」
誠に不思議な事ですが、全て「五字」と説かれ、紙に書かれた文字としての「妙法蓮華経の五字」を「受持する・服す・懸ける」事を説かれています。
「妙法蓮華経の五字」が書かれている曼陀羅こそ、まさに観心本尊抄の論旨の通りの物であり、本尊として仏壇に懸け信仰すべきものであると僕は考えています。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板