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つぶやきすれっど2
2392
:
犀角独歩
:2007/02/02(金) 07:06:26
2389 しゅんかんさん
> 何時の頃から内証と云う物を語られるようになったのか
天台の段階で、既にこの用法は見られます。
ただ、現代のような神秘的な用法ではなく、もっとシンプルです。
たとえば『止観弘決』では「經從外用故云明説 今從内證故名爲知」、我流でよく批正を受けますが、読み下せば、「経は外用に従う故に明らかに説くと云い、いま内証に従う故に名づけて知と為す」
いわば、外用とは外の向いた在り方で経をここに例を採り、それに対して、内証は心のなかで智慧で考え立証していった結果ほどの相対用法です。
日蓮の場合も、この筋に則っているようですが、経典の文字に表れる範囲と、心の中で思惟し立証した経典に相違を起きます。「内証の寿量品」といった用法です。経典の文字面で表れるところ(外用)より、さらに心中立証されるところ(内証)という分別論です。文上・文底、教相・観心といった対概念と一脈通じる用法です。
これが日蓮滅後に創られていく相伝文の段階で神秘化されていきます。
しかし、詮ずる所、本迹、一念三千、自受用身ということを証していきます。
ですから、用法の歴史から云えば、法華系では、1500年以上前から使われている言葉です。
>> 大御本尊の御内証を拝し
> この様な稚拙な表現方法は御法主上人猊下ともあろうお方は述べられませんので、内証と云っているのではないかと推察されますが。
しばらくわたしは日顕さんの仕事をやっていた経験があり、この人の説法を、たぶん、一般の信者さんのなかではいちばん聞いているほうだと思います。開観両抄のほぼ全編の説法を聞いています。その他、消息文も同じほどの時間聞いています。そんな経験から言いますが、実に明晰で記憶力もあり、頭に入っている経・釈・御書を縦横無尽に解し、立て板に水のように話す、非常に有能な弁者でした。まあ、それだけの才能ですから、本尊鑑識の目も確かで、「戒壇本尊」が日禅授与漫荼羅を原本にしていることを見抜けたのでしょう。神秘的な側面も有しますが、教学部長の時代から、ものの考え方は合理的な人でしたね。
彫刻された板の内証というと、何だか神秘的な話に聞こえますが、日顕さんは、そんな煙に巻くような誤魔化し論法はしないでしょう。
言っていることは、要は日寛の人即法という教理的な立場から、板彫刻に人本尊として生身の日蓮と拝し、その御意を内証という意味でしょう。証されるところは自受用報身如来の内証で、すなわち一念三千ということではないですか。『御義口伝』、日寛の教学で、伝・伝教の『秘密荘厳論』(日蓮の時代には成立していなかったと思います)を依拠とするわけですが、つまり、「一念三千即自受用身自受用身者出尊形仏矣。出尊形仏者無作三身云事也」です。(尊形(三十二相八十種好)を出たということは凡夫の姿ですから、ここで日寛は示同凡夫・日蓮を言うわけです。こちらは外用ですね)
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