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つぶやきすれっど2

2393犀角独歩:2007/02/02(金) 07:06:55

― 2392からつづく ―

この筋を拝して、本尊を写していると言っているのでしょう。
血脈相承という側面から言えば、「法水相承」というわけですから、外用・上行/再誕日蓮、内証・自受用身の「内証相承」も言っていいところですが、該当の説法では、そこまでは言っていません。襟度があります。

> 石山は何時の頃からか自説がどうも辻褄が合わないなと自覚した、それを内証と云う掴み所の無い物を持って来て多様している

この側面は確かにあります。先に記したように、創価学会という在家集団では、印刷本尊を有り難がって受け、これをいちばん根本の「戒壇本尊」を書写したものだから有り難いと信じてきたわけです。ところが、その書かれている内容が違っていた。書写というのは、略があり、また、意義、用途に従って、その書かれる内容が変わるというのは、これは石山ばかりではなく、日蓮門下一般の常識です。ところが、こんなことを知らない信者会員には通用しない。

そこで、引用された日顕さんの言は内証を写したとは言っていませんが、意味もわからない人々は、「内証を写したから同じにならない」などと筋の通らないことを言い出すし、苦しい言い訳に使ったと言うことでしょうね。

余談ながら、わたしがかつて日顕さんの仕事をしていた感覚で言えば「本門戒壇の大御本尊」を‘物理的’と表現しただけで、これはNGですよ。坊さんに怒鳴られたでしょう。生きておわす(生身)の日蓮大聖人と拝する信仰です。たぶん、石山の坊さんや、法華講員に「戒壇本尊の物理的な面」といったら「そんな信心のない、不敬な表現をするものではない」と窘められるでしょう。こんな説明では、日顕さんを弁明していることにはならないわけです。もっと、日顕さんの説法を知悉したほうがよい。まあ、しかし、日顕さん、その寺務を統括する内事部、さらに「日蓮正宗」出版発行の許可を出す教学部から、なんら許可を取らず、勝手に文章を書き、勝手に出版してきた書物なんかが、日蓮正宗の考えだと思うから、こんな軽はずみな石山のアナウンス、日顕さんとも違うことを言い出すことになるのでしょう。

… どうでしょうか、藤川さん。現役法華講員として、以上のわたしの説明に評論してください …

まあ、以上はかつて、法華講であった頃、宗務院内事部『大日蓮』編集室、並びに教学部から仕事を請け負っていた頃の、かつて自分に言わせると、そうなるというところです。

しかしながら、日蓮本仏を典型にする石山教学と、彫刻本尊が後世の捏造であったことで、それまで数十年に亘って、身命を捧げた研鑽と石山での仕事が泡沫に帰したことには、いまでも断腸の思いがあります。言辞に尽くせません。残念でした。しかし、事実を受け容れ、前に進むしかありません。


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