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つぶやきすれっど2

2373犀角独歩:2007/01/28(日) 16:10:57

れんさんの仰るとおり、意図はないでしょうが、しかし、富要の内容は、それはたしかに創価学会にとって、都合のいいものなど、何もありませんよね。大石寺とそこの本尊、坊さんがいちばん正しいという内容ですから。

松岡さん辺りは、日寛で完成する一切が日亨氏によって公開されたから、万人に開かれたと言った調子ですが、結局のところ、石山の相伝というのは以上のような性質のものです。他人の財産目録をいくら眺めても、金持ちになりません。石山の相伝を分で読んだからといっても、それは他宗の話です。創価学会とは何の関係もありません。単に勝手に石山・日寛本尊と教義を使っているだけです。

やるわけはありませんが、石山が牧口さんの『価値論』とか、戸田さんの『生命論』を勝手に出版して、正統はこちらにありと言うのと、何ら異なりません。やるのは勝手ですが、意味をなしません。石山本尊と教義と坊さんと何の関係もない創価学会が、そこの本尊と教義を使うことは結局他家の財宝を数えるのことならないでしょう。

日寛以降の本尊と教義は、「戒壇本尊」と、唯授一人の絶対性を強調することがすべてです。この戒壇の本尊とも、唯授一人とも何の関係もない創価学会にとって、これを説明する富要の記述はしかし、まったく不都合でしょう。
不都合というより、富要は「不要」でしょう。
よって、増刷、再版の必要なし、消えるに任せるという、『折伏教典』『創価学会入門』『人間革命』などと同様の扱いになるのでしょう。

日寛の記述が石山の絶対性を鼓舞している部分を捨て去って、都合のいいところだけ切り張りし、それを学問の世界でやるとすれば、まさに語るに落ちる愚挙というほかありません。
『創価学会の神話』と言ったところです。
いきおい「不要」からはみ出ました。


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