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つぶやきすれっど2

2425凡愚:2007/06/15(金) 15:56:43
突然、失礼いたします。先に本尊の名や曼茶羅についての考察が述べられていた
今月の御講は「日女御前御返事」の一節だった。帰って全文を拝すると御本尊についてのお手紙である。もとよりここにお集まりの皆様には百も承知の御文なのでしょうが。

聖人は

日女御前御返事  御本尊供養の御為に鵞目五貫・白米一駄・菓子其の数送り給び候ひ畢んぬ。 抑 此の御本尊は在世五十年の中には八年、八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕はれ給ふなり。さて滅後には正法・像法・末法の中には、正像二千年にはいまだ本門の本尊と申す名だにもなし。何に況や顕はれ給はんをや。又顕はすべき人なし。天台・妙楽・伝教等は内には鑑み給へども、故こそあるらめ、言には出だし給はず。彼の顔淵が聞きし事、意にはさとるといへども、言に顕はしていはざるが如し。然るに仏滅後二千年過ぎて、末法の始めの五百年に出現せさせ給ふべき由、経文赫々たり、明々たり。天台・妙楽等の解釈分明なり。 爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん。竜樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕はし給はざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕はし奉るなり。是れ全く日蓮が自作にあらず。多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏のすりかたぎ(摺形木)たる本尊なり。略

一人ももれず、此の御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。是れを本尊とは申すなり。

 此の御本尊全く余所に求むる事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり。是れを九識心王真如の都とは申すなり。十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり。之れに依りて曼陀羅とは申すなり。曼陀羅と云ふは天竺の名なり。此には輪円具足とも功徳聚とも名づくるなり。此の御本尊も只信心の二字にをさまれり。「以信得入」とは是れなり。

南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり。信心の厚薄によるべきなり。 仏法の根本は信を以て源とす。されば止観の四に云く「仏法は海の如し、唯信のみ能く入る」

日蓮が弟子檀那の肝要、是れより外に求むる事なかれ。神力品に云へり。委しくは又々申すべく候。穴賢穴賢。  八月二十三日  日蓮花押  日女御前御返事


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