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つぶやきすれっど2
2638
:
犀角独歩
:2009/11/28(土) 19:20:36
れんさん
早々のご返信ありがとうございます。
「素人」など、とんでもない。
こちらのスレはつぶやきで、議論禁止ですが、少しだけ。
観心とは、心を観るということですね。
しかし、「末代の衆生」はしかし、こうした観念観法に堪えない。よって、題目の受持というのが至極ではないですか。
『観心本尊抄』に「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也」というのであって、観心本尊とは「釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏」にほかなりません。
しかし、題目については、「召地涌千界大菩薩寿量品肝心以妙法蓮華経五字令授与閻浮衆生也」「此時地涌菩薩始出現世但以妙法蓮華経五字令服幼稚」というわけですから、題目において、観心する要素はないと考えますが、この点は、如何ですか。
また、本門本尊の本門とは迹門本尊を簡ぶ対句ですね。
迹門本尊とは方便品諸法実相百界千如に限って説いている釈尊ではないですか。
となれば、本門本尊とは久遠開顕し一念三千を説き尽くす寿量品の仏となりませんか。どうして、それがいきなり題目の五字と言うことになってしまうのか、これでは、本門と本尊をことわる理由が見当たりません。第一、迹門といえ、妙法蓮華経であることに異なりはないからです。
こうして考えるとき題目本尊とは、本門本尊ということはできないのではないかというのが、わたしの疑問です。
となれば、残るところは教相本尊かはたまた何かというのが、先に申し上げた疑問点です。
ここは議論の場ではないので、ここまでといたします。
けれど、ご賢察があれば、是非とも拝聴いたしたくお願い申し上げます。
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