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日蓮聖人の本尊観

1管理者:2002/07/30(火) 19:07

「オフ会 開催案内」スレッドにおいて、議論が沸騰しています。内容的に、仮に、「日蓮聖人の本尊観」と名前を付けて、別スレッドとして立ち上げます。提案趣旨は以下の通りです。


82 名前: いちりん 投稿日: 2002/07/29(月) 11:08

すばらしいやりとりが続いているので、学ばせてもらっています。
ただ、こちらのスレッドが「オフ会の開催」についてのものなので、あとから過去ログを読むときに、勿体ないなあと思いました。

63のドプチェクさんの発言あたりから、こういう流れになっているようですが、
63以降、別スレッドにしたほうが、やりとりがしやすいかなあと思います。

たとえば、『法華経』にみられる久遠仏と菩薩道みたいなテーマとか。


95 名前: ドプチェク 投稿日: 2002/07/30(火) 16:10

それと、82でいちりんさんがおっしゃっていますように、いつのまにかこちらのスレッドの主旨から外れてしまいましたので、別のスレッドに移るとか、新たに立てるとかした方がよいのではないのでしょうか。
何だか私の発言から、徐々にこうなってしまったみたいですね(〜.〜;)。
大変勝手な事を申しまして、すいません。

79無徳:2002/08/04(日) 03:02
(続き) 
 
 吉本隆明の影響ではありますが、私は仏教の説く内実を『心的現象論』と
して理解しています。もし人間の心的世界に影響を与える外的要因としての
自然や物質的な関わりを導入するとしたら、それは疎外論としての位相にお
いて可能となるであろうと考えています。

 それは、人間が意識なるものを獲得した根本原因を自然からの疎外として
理解すると分かり易いからです。人間は自然から採集する果実や動物を食し
て生を営んでいる頃、つまりは人間自身が自然そのものとして存在し、未だ
自然を対象として認識する必要性さえなかった頃と言い換えても良いと思い
ます。(考えてみれば未だ人間とは言えない状態とも言えましょうか?)

 ところが人間が次第に数を増し共同体を形成する頃になると、自然と同化
しているだけですまなくなり、共同体の中での人間同士の意志の疎通や一つ
の共同体が他の共同体と情報を交換せざるを得ない状況が生まれると、加速
度的に人間は自然からの疎外体として存在せざるを得なくなります。

 そのことは人間が意志の疎通や情報のやりとりの手段として言語を獲得す
ることになり、ますます自然からの疎外体となっていかざるを得ず。そのこ
とが更に人間が複雑な意識を獲得する要因となり、それと共に不安や恐れを
も感じざるを得なくなってしまったと考えられます

そして、その不安や恐れがやがて宗教を必要とする程に増幅して、ますま
す人間は自然からの疎外を深めてしまったとさえ言えると思います。しかし
人間はやがてその疎外の打ち消しとしての宗教を模索し始めます。

 その疎外の打ち消しとしての宗教として仏教は大きな意味を持っているの
ではないかと私は考えています。『久遠』や『無始』(人間が自然からの疎外
体となっていない頃)なる概念やまた『悟り』や『成仏』(疎外の打ち消し)
更には『凡夫』(人間が自然からの疎外体となっていない状態)や『仏』(疎
外の打ち消し完了の状態)と言った概念も人間にとって自然からの疎外の打
ち消しと言った位相で捉え直すことも可能であろうと思います。

 皆さんの論議の位相とはかけ離れたものとなってしまいましたが、仏教の
指し示す一面と捉えていただければ幸いです。   無徳

80犀角独歩:2002/08/04(日) 04:00

77 ドブチェクさん:

参考になりました。また、思い当たることも何点かありました。
なるほど。少し私の見方は石山よりの穿った見方であったかも知れません。
創価学会の友人から「松戸さんは宗門に言寄せて、創価学会と池田先生をこすってるんだよ」と囁かれたことがありました。しかし、その時は石山教学部関係者が、松戸氏に眉をひそめていたのを目の当たりにしたあとのことで、「そんなものかな。だって東洋学術研究所だろ」と思ったのです。しかし、ドブチェクさんの書き込みを拝見し、少し視点が変わりました。有り難うございました。

81犀角独歩:2002/08/04(日) 04:04

> 76

自己レスですが、

> 川蝉さんのご説明も、もちろん、否定するものではありませんが…

という、この書き方、どうも言表から見ると、川蝉さんを軽視しているように、あとから読み直して感じました。けっして、そのような意味ではありません。

しかし、万が一、不快なところがございましたら、陳謝いたします。

82犀角独歩:2002/08/04(日) 04:16

無徳さん:

面白いですね、今回の書き込み。
久遠と永遠が同義ですか。この場合、無始とはどうでしょうか。同じになるのでしょうか。

私はどうしても始覚、有限に拘るのです。無始にしてしまうと、たとえば地涌を初発心の弟子にしたときまで無始の中にとけ込んでしまうなどの不都合が生じることになるからです。

インド人の劫などという長遠の時間感覚は、しかし、心的現象としてとらえるより、もっと現実的であったのではないのかと、私には思えます。というのは、彼らの生活・人生がカーストという身分制度に束縛されていたからです。これは心的現象と言うより、身体的現象としてとらえられていたのではないのか、と感じます。

しかし、聖人をはじめとする日本人のほうは、吉本氏のいうような心的現象として、久遠などをとらえていたのではないだろうか、と私には思えます。

ただ、これは中村元師のインド人と日本人の思惟の比較研究を意識したものではないので、いささか当てずっぽうの発言なのですが。

実は始覚・本覚などと言った問題も、提示された久遠その他のとらえ方のギャップも一因をなしているように思えます。

なお、それとは別に生仏を“疎外”をもって見ていく視点、何か無徳さんのこころの一面を見るようで興味が惹かれました。

83いちりん:2002/08/04(日) 14:45
特定の「本尊」などというものが、必要なんでしょうか。

あるいは、「間違った本尊」とか、「正しい本尊」というものが、あるのかないのか。

日蓮さんは、伊豆流罪のときに海中から出現した釈迦仏を拝んでいたわけですよね。
そうして、佐渡以降は、自らが書き表した文字曼荼羅を本尊として拝んでいたのでしょう。

天台や最澄などは、特定の仏像などということは、なかったことでしょう。
いわば修行のあり方によって、本尊は、ばらばらと。(まあ、念持仏というのはあったでしょうが)

龍樹や世親が本尊を拝んでいたのかどうか。まあ、釈迦仏を拝んでいたかもしれません。

そもそも、ブッダは、本尊などというものに対して、拝んでいたのかどうか。
当時は、仏像や曼陀羅など、あるはずもなく、ブッダがなにか特定の対象に向かって拝んでいたなどとは、考えられませんよね。原始仏典には、○○を拝めなどということばはありませんし。

84顕正居士:2002/08/04(日) 15:14
本因妙思想

現時点さんの引く望月師の本因妙思想の批評であるが、本覚思想と本因妙思想
を対比する観点が未だ構想されなかったのでしょう。本覚思想はすでに明治に
島地大等が日本仏教のクライマックスと述べたが、人口への膾炙は田村芳朗の
以後であり、本因妙思想は富士宗学要集発刊以前には資料が少なかったから。

「全体、この本因妙の思想はよく考えて見るのに、本因妙ということだけでは
ほとんど意義がない。何のために一生懸命で言うのかわからない」

わたしは本覚思想を日蓮的にアレンジしたのが本因妙思想であるとおもう。
本覚思想は如来蔵とか仏性という仏の素(もと)が衆生にあって、大乗経には
荒唐無稽なおとぎ話が多いが、それは比喩として衆生の心にある本覚の仏を
示すのだと考える。中国人や日本人はインド人のように輪廻転生を信じない
から、三阿僧祗劫の成仏でなく、即身成仏かせいぜい来世成仏(極楽往生)を
いう必要がある。菩薩の位に52もあるのはおとぎ話である、6つくらいでいい。
と示した天台大師が観行即であるから、それ以上は架空、理即か名字即かの
問題になる。名字即は菩提心をはじめて発(おこ)す意味である。中古天台の
理即成仏に対して名字成仏を唱える本覚思想が本因妙思想といえ、教義の内容
はほぼ変わらないけれど、日蓮が名字成仏を体現した人であったと日蓮宗徒は
考えるのである。

*名字即は菩提心をはじめて発(おこ)す意味であるから、御義口伝にいうよう
に、日蓮に相対すれば、妙名を唱えるのみの弟子檀那は理即である。

85犀角独歩:2002/08/04(日) 16:01
> 83

この点は、私も全く同感です。

さらに天台以降のことについて、書いてみます。

以前にも記したのですが、初期天台資料を調べてみると、直ちに気付くのですが、「本尊」という言葉は一度も出てこないのです。

私は、これには多少なりとも驚かされました。

たぶん本尊とは儒家の概念であろうと想像しています。
そして、ここで並行するのが神座(いはい)ではないのかという想像も立つわけです。
神座の神は神様というより、たましいと読むほうが、より意味は取れるのだと思います。神座はたましいのよりしろですから、有る意味、祠とか、社、ご神体なんかとも同様の意義を持つのではないでしょうか。

つまり、たましい(志、精神=より精錬されたたましい=心=意)が宿る神座が、もっと具体的に尊敬する対象などと、刻まれたものが、本尊の原型ではなかったのでしょうか。
神(たましい)は、日本仏教では「法」に包摂されていった。
この尊敬する対象とたましい(法)が分化して人法本尊に転訛していったのではないのかという想像もつきます。

いわば聖人が言う本尊というのは、こんな時代背景、儒・外・内、さらに神(日本古来の信仰)が集合する日本型仏教の、熟爛期で、では「本尊とは何か、天台・法華宗に確たる本尊を据えるとしたら何か」を考えていったのが日蓮ではなかったのかと、私は想像するわけです。

また、その本尊観は、たとえば天台の止観を述べるように、あるいは法華経について語るように、と既定の事実を論じるものではなく、日蓮の試論であり、実体験のなかで考え続けられ、その“進行形”のなかで、日蓮は、その生涯を終えたのではないのか、と私には思えるわけです。

簡単に言えば、日蓮は本尊観を完成しないで終えたと言うことです。
それが現在に至るまで日蓮門下全般が既定化された本尊観を持たないことからも窺えます。

この未完成の本尊論の進行形を引き継ぎ、教学的に整理発展させようと最初に取り組んだのが、実は興師とその門下であったのではないでしょうか。

そして、そのきっかけは、聖人所持の一体像を失ったことに機縁があるようにも思えます。この機縁に基づくために、興師直下の重須の檀林教学は、容易く曼荼羅正意に向かったのではないでしょうか。

これはしかし、聖人の結論したことでもなく、また天台、さらにシャキャムニに由来することでもなかったのであろうと思います。

私は、個人的には聖人は、曼荼羅と仏像の両立論者であったと思っています。また、この二つは、元より、役割が別であったのではないかとも思うわけです。仏像は釈尊を形に刻み恭敬尊敬するため、曼荼羅は日蓮己心の「釈尊の心」を弟子檀那に観せるため…、うまく言葉では表せないのですが、そんな相違があるように思えます。

その二つは択一されるものではないと思えます。仏像は曼荼羅と図示するところを包摂するし、反対に曼荼羅も仏像と表現される釈尊が包摂されるという関係にあるように思うからです。

86犀角独歩:2002/08/05(月) 00:44

顕正居士さん:

> 本覚思想を日蓮的にアレンジしたのが本因妙思想

この簡潔な一言、私などは「そうではないのかな?」と思いながら、口に出す勇気はありませんでした。やはり、そのように考えてよいのかと安堵したような気持ちになりました。

87ワラシナ:2002/08/05(月) 23:14
独歩さんへ
no76
>内薫自悟は説明として、わかるのですが、どうも、私はこれをもってくると逆になってしまう気がするわけです。
というのは過去に遡っていって、ついに一番最初に突き当たると言うことでは始めが有ることになり、無始の説明原理にならないと思えるからです。

との事ですが、私もそう考えました。日蓮宗祖もそのお考えであったと思います。
だから内薫自悟仏説は採用されなかった。
それでは、本尊抄ではどういうなぞ解きが行われているのだろうか、と次に考えました。
そして、日蓮本佛論がそのなぞ解きの解法だと考えるに至りました。

私も田村論文を勉強して二三度読んだのですが、宗祖の示されたお考えがわかりませんでした。

ところで、本当に田村先生は、宗学研究の王道をいくような研鑚態度なんですね。三大部の解読を徹底的に
丁寧にやる、その結果がそのままで、「印佛研」「宗教研究」などに立派な論文発表になっている。

88犀角独歩:2002/08/06(火) 00:07

87 ワラシナさん:

ワラシナさんからレスがいただけるなんて、涙が出るほど、嬉しく思います。
私をネットの重要性を教えてくださった大恩人です。感謝しています。

そうですか。ワラシナさんも内薫自悟について、そのようにお考えになっていらっしゃいましたか。

お示しの田村師のこと、少しお示しいただけませんか。私も大いに啓発を受けた碩学の一人ですが、ワラシナさんの慧眼から、どのようにお考えになっているのか、私のみならず、皆さんの参考にもなると思います。

ぜひ、お願いいたします。

89川蝉:2002/08/06(火) 09:06
犀角独歩さんへ。

天台大師は「法華文句巻第一上」に
「久遠に菩薩の道を行ぜし時、先仏の法華経を宣揚したまいし」
とありますから、久成釈尊も先仏の教えを受けて菩薩道を行じ成道したと説明しています。
数え切れない数々の先仏から久遠本仏釈尊へ、法華経の証悟が次から次にと伝えられてきた、と云う思想です。
寿量本仏は三身相即の仏とは云いながら、報身は有始としているのです。
そこで、妙楽大師が、
「問う。無窮に堕することを恐れて唯だ釈迦を論ぜり。今は諸仏展転して教えを禀くることを論ぜんと欲す。終に一仏、初めに在って教無きこと有って、無教を本と為さば、何ぞ無窮有らんや。もし有窮を許さば無因の過に堕せん。」(釈序品)
(先仏のまたその先仏と限りが無くなるので、釈迦仏の教導のみ論じている。諸仏展転と云うことであると、最初の仏の時には、先仏の教えが無かったことになろう。
最初の仏が有るとすれば、無窮でなくなるが、その場合、教えに基づいて修行したと云う因行がないので無因と過と云う非難が生じてくる)
と問題を提示して
「最初、無教の時の仏は内薫自悟するのである」
と答えているのですね。
報身有始仏とすると先仏が想定され、そうすると、内薫自悟の最初仏を想定される事にもなりますね。

妙楽大師の後輩と云う道暹が、「文句輔正記」に、
「釈尊は先仏の教を禀けざるに非ず。今日の化を受るは且く釈尊に窮まれり、其の観解を増して実利を獲る為に何の過あらん」
と輔釈しているとのことです。
おおよその意味は
「釈尊が先仏の教化を受けようが、今日、釈尊の教化を受ける我々には関係ない。我々の修行成就の為には、無窮か有窮かの問題は関係ない」
と云う意味でしょう。娑婆世界の衆生との釈尊の教縁を重視して今日の教導主は釈尊であると云う意向が見えますね。

犀角独歩さんが、「久遠釈尊の先仏が居ると思う」並びに「私は聖人が久遠釈尊を取り定められるのは有縁という基準によるからではないのかと考えています」
と云う見解は、先仏有りとする天台大師と教縁を重視する道暹との見解に似ていると思いました。

>つまり五百塵点の成道は有限であるけれど、今度はその仏を三身
>というところから見れば法身の要素が加わるから無始と見ていく
>ことになるのではないのかということです。

「法身の要素が加わるから」と云う概念が掴めないので、的はずれな感想かも知れませんが「金光明経文句」の
「報身とは、修行の所感なり、法華に云はく、久しく業を修して得る所なりと、涅槃に云はく、大般涅槃は道を修して得る故にと、如如の智、如如の境を照らし、菩提の智慧法性と相応し相冥す、相応とは、函蓋相応するが如く、相冥とは、水乳相冥するが如きなり、法身は身に非ず不身に非ず、智すでに応冥す、亦、身に非ず不身に非ず、強いて此の智を名づけて報身となすなり。
法寿常に非ず、無常に非ず、智すでに応冥す、亦非常非無常なり、強いて常を名づけて寿と為すなり、法すでに量に非ず、無量に非ず、智すでに応冥す、また量に非ず、無量に非ず、強いて無量を名づけて量と為すなり」(孫引き)
と云う説明と同じ事を言われているのかなと思いました。

しかし、「五百塵点の成道は有限」と云うことは、報身に初めありと云う事ですし、やはり五百塵点前の先仏が居たという立場ですと、根本仏と云う概念が希薄になると思うのです。(続く)

90川蝉:2002/08/06(火) 09:07
犀角独歩さんへ。(続きです)
まえにも申しましたが、「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古佛」を私どもの学系では
「我等が己心の釈尊は、五百塵点、乃至所顕の三身にして、無始の古仏なり。」
と訓みます。
そして、宗祖は、五百塵点劫は有限の実数ではなく、無始を喩えたものと理解していると、解釈しています。
無始を喩えたものと判じる理由は、
「法華前後の諸大乗経に一字一句もなく、法身の無始無終はとけども応身、報身の顕本はとかれず」(開目抄・198頁)
と有ります。
法身は文字通りの無始性の真理(身)です。寿量品は法身だけでなく応身、報身も無始であると顕本したものであると云う意味と受け取ります。報応無始実在顕本説であると受け取ります。
五百塵点劫を無始を喩えたものとしなければ、宗祖のこの言葉は出てこないと見るのです。

また「九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備りて、真の十界互具、百界千如、一念三千なるべし。」(開目抄・197頁)の「九界も無始の仏界」の言葉も出てこないと思います。
また、
「法華取要抄」に
「教主釈尊は既に五百塵点劫より已来妙覚果満の仏なり。大日如来、阿弥陀如来、薬師如来等の尽十方の諸仏は、我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月万水に浮ぶとは是なり。華厳経の十方台上の毘盧遮那、大日経、金剛頂経の両界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり。例せば世の王の両臣の如し。此の多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり。」(333頁)
とあります。五百塵点劫が無始を喩えているから、尽十方の諸仏を所従とする根本仏であり、過古仏の多宝仏も所従と言い得るのでしょう。
無始無終の仏ですから、最初成仏の内薫自悟仏だと想定しなくとも良いわけです。

三身は「入楞伽経」「金光明最勝王経」「仏地経」「勝マン経」に言葉は相違があるけれど三身を分別しているとの事です。
それらの経が法華経成立以前か同時期の経で有れば、法華経成文化した人達も三身分別の意識があったと推定できますね。

「法華文句・巻第九下」に
「此の品(寿量品)に三仏の名(法報応)無し、なんぞ此の釈を作すや」との問いを設け
「名は標せずと雖も、而もその義を具す。文に云はく『如に非ず異に非ず、三界の三界を見るが如くに非ず』と、此れ偏如非ずして円如を顕す、即ち法身如来の義なり。
又、云はく『如来は実の如く三界の相を知見したまう』と、即ち是れ如如の智の如如の境に称う一切種智の知なり、見は即ち仏眼なり、此は是れ報身如来の義なり。
また、云はく『或いは已身已事を示し、或いは他身他事を示す』と、此れ即ち応身如来の義なり」
と、三身の義は寿量品にあると論じています。

「法華文句記・釈薬王品」にも、
「具に分別功徳品の中、直ちに此の土を観ずるに四土具足するが如し。故に此の仏身即三身なり」
と述べています。
釈尊所居の娑婆世界は四土が具足している。法身は寂光土、報身は実報土、同居穢土は応身と配当されるから、故に釈尊は三身仏であると云う意味です。
此も三身の義は法華経にもあると云う見解ですね。
宗学では天台大師の「三身の義は寿量品にある」と云う見解を採用しています。

91いちりん:2002/08/06(火) 10:01

田村芳朗先生の著作は、すばらしいですよね。
たんなる学者の論文じゃなくて、わたしには、生きている、響いてくるものがあります。
『法華経』(中公新書)と『日蓮』(NHKブックス)は、お薦め。
あと、難しいけど、『天台本覚論』(岩波書店の日本思想体系)のなかの「天台本覚思想概説」とか。

92犀角独歩:2002/08/07(水) 12:53

川蝉さん:

いつもながら丁重なご教示をいただきまして、有り難うございます。
お陰様で法華経(原典)、天台、妙楽、そして日蓮の相違点が、やや理解できました。

> 犀角独歩…「久遠釈尊の先仏が居ると思う」・に「私は聖人が久遠釈尊を取り定められるのは有縁という基準による…」…先仏有りとする天台大師と教縁を重視する道暹との見解に似ている…

そうでしたか。意図するところではありませんでした。

> 「法身の要素が加わるから」と云う概念が掴めないので、的はずれな感想かも知れませんが「金光明経文句」の「報身とは、修行の所感なり…強いて無量を名づけて量と為すなり」(孫引き)と云う説明と同じ事を言われているのかなと思いました。

報身者修行之所感也。法華云。久修業所得。涅槃云。大般涅槃修道得故。如如智照如如境。菩提智慧與法性相應相冥。相應者如函蓋相應也。相冥者如水乳相冥也。法身非身非不身。智既應冥亦非身非不身。彊名此智爲報身也。法壽非常非無常。智既應冥亦非常非無常。彊名常爲壽也。法既非量非無量。智既應冥亦非量非無量。彊名無量爲量也。

の箇所ですね。報身とは修行の所感である、菩提の智恵を蓋として、法性の函(はこ)に相応する、味わいのある言葉であると思います。「彊名無量爲量」が内薫自悟にも相通じると思います。

ここは川蝉さんとの違い法華経創作者は三身論を意識していなかったという私見です。久遠仏思想で法華経は構成され、その後の法華経信奉者が三身で解釈し直したという思いがあります。それを「法身の要素が加わる」と記しました。しかし、これは上述の文の如き四門観別してそう考えるというステップを踏むなどという定型的ステップを真面目に踏んだ考えではありません。

> 宗祖は、五百塵点劫は有限の実数ではなく、無始を喩えたものと理解していると、解釈しています。

この宗祖に係る無始のご説明は至当なものであると拝読しました。『一代五時鶏図』にも「久成の三身─応身・報身・法身─無始無終」ということが示されてあります。
やはり、この点を蓮祖の独自性、つまりは法華経創作者、天台との差と見なければいけないのであろうと整理がつきました。もちろん、川蝉さんのお立場ではそれが法華経に説かれるところと判断されることになるのでしょうか。

>三身は「入楞伽経」「金光明最勝王経」「仏地経」「勝マン経」…それらの経が法華経成立以前か同時期の経で有れば、法華経成文化した人達も三身分別の意識があったと推定できますね。

この点はどうでしょうか。私は慎重です。

> 「法華文句・巻第九下」…三身の義は寿量品にあると論じています。

雖不標名而具其義。文云。非如非異非如三界見於三界。此非偏如顯於圓如。即法身如來義也。又云。如來如實知見三界之相。即是如如智稱如如境。一切種智知見即佛眼。此是報身如來義也。又云。或示己身己事。或示他身他事。此即應身如來義也。

この辺を読んでいると、「ははん、三身は法華経にはなかったのだ。天台は苦労して、寿量佛を三身に解釈しているな」と思うわけです。

もっとも宗学で、この点、あるいは引用される記の文の如く、法華経に三身を見ないと成り立ちませんものね。

余談ですが、引用される文句では、ここの三身を「三佛」と言っています。
私は三佛というと過去佛・現在佛・未来佛と即座に思ってしまうので、一身(一佛)に収斂される場合、佛は過去に滅せず、未来も生じないので、なるほど、三佛は三身と読まないと成り立たないのだろうと思いました。

私は三身解釈が、どうも好きになれないので、天台・妙楽は三身にかくも拘らなければならないのか不思議に思ったりします。

天台の三身論に比し、聖人はもっと直感的に久遠五百塵点成道・教主釈尊が全面に出るので、私には馴染みやすいと思えます。もっとも、その久遠釈尊を先の『一代五時鶏図』の如く、無始無終の三身に配する聖人であるのも事実ですが。

聖人から妙楽・天台と時間に逆行しながら法華経に至ると、宗学はすんなり入りますが、法華経から天台・妙楽・日蓮と時系列で読むと、どうも三身解釈その他教学は、すんなり来ません。私は、やはり法華経根本、解釈は二次的というのが性に合うようです。

93ドプチェク:2002/08/07(水) 23:14
犀角独歩さん

教学力が欠如していて、仏教の何たるかがわかっていない私なのですけれども、しかしながら、松戸氏の提言には少なからず影響を受けたと思っています。わからないなりにでも、一時期はかなり松戸説寄りの考えになっていましたが、しかし、前述致しましたように、偽書絡みの問題等で、「?」と思うようになりました。

それでも、私個人が氏の著書により大きく見方が変って行った、その最たるものは、教義的な解釈に関してよりか、むしろ、宗祖日蓮聖人に対する捉え方という面においての事なのでございます。
釈迦本仏論・日蓮本仏論・凡夫本仏論に関係なくして、聖人を宗祖としてのみならず、一人の血の通った生身の人間として見て行けるようになったといったところなのです。

私は学会を通してしか、宗祖に関する事を教えてもらえませんでしたので、正宗寺院や法華講・顕正会・正信会等では、どうであるのか存じません。ただ、学会の指導や書籍に記されている宗祖についてのお話に接している限り、はっきり申しますと、少なくとも私自身の中では、日蓮聖人の“顔”がまったく見えて来なかったのでした。何か宗祖という人物は、人間ではなく、顔を持たない蝋人形か彫像のような冷たいイメージであるとか、あるいは、機械かロボットのようでもあったり、もしくは、キリスト教やイスラム教で説く全知全能の神のような遥か遠く手の届かない存在であるとか、まるで実態の掴めぬそれ・・・

無論、私自身の不勉強ゆえの無知とも関係していた事は否めません。また、昔の私は、誰かに言われたのかどうかわかりませんけれど、日蓮関係の書籍ではあっても、学会や正宗関係以外のものはご法度であるといったような考えを、いつのまにか抱いていたのです(もしかすると学会員の中には、「信心がおかしくなる」とか何とか言って、そういう偏狭な考えでいる人間が、実際に存在するのかもしれませんが)。
しかし、5年前、学会や正宗における現実の有様に対して、かなりの疑問を抱くようになっていた私は、それまで決して目を通そうとなどしなかった、一般の日蓮関係の書籍に接するようになったのでした。そうして行くうち、たまたま書店で松戸氏の書籍にも遭遇したわけです。

一般の書籍や松戸氏の著書を学会系の書籍と対比しての、私の個人的な感想を述べさせていただきますなら、先ず何よりも、前者の方が後者のそれより、宗祖の人間性にスポットを当てているものが圧倒的に多かったという事。
どうも、学会系の書籍に接している限り、宗祖をあまりにも神格化してしまっていて、人間としての側面にほとんど触れられていないといったところが、正直な感想なのです。何かにつけ、宗祖を完全無欠な存在として捉えている為、まるでSFにでも登場するヒーローのようなイメージが湧き起ってしまい、更にそれだけならまだしも、ともすれば血も涙もない人間にさえ思えて来る事が多々ございましたね。当時の国家権力であった鎌倉幕府に立ち向って、他宗を攻撃し、数々の迫害にも屈しないで勇猛果敢に闘ったという、そんな剛毅で過激な宗祖のイメージが先行するばかりで、その内面に厳然と存在していた筈である、一人の人間としての様々な葛藤・苦悩・怒り・悲しみ・慈愛・憐憫の情などといったものが、ほとんど感じられなかったのです。そこにあるものは、どこか冷たくて、あまりにも無味乾燥で非人間的という、私が長年に渡り感じて来た学会の現実を象徴しているかのようなそれでしたね。
対する一般の書籍や松戸氏の著書においては、むしろ、宗祖を血の通った一人の人間として捉える事が多く、それらに接するようになって、私の中の日蓮像はかなり大きく変貌して行った、それだけは間違いないと確信しています。

教義的な事が大事であるのは当然ですが、それと同時に、宗祖の人間としての側面にも光を当てて行かなければ、何か大切なものが見失われてしまうのではないのか?と、私は思っているのです。そうして行かないと、私が現実に目にして来た学会のようになってしまうのではないのか?と・・・

長々と独り勝手な事ばかりを述べさせていただきまして、すいませんでした。

94犀角独歩:2002/08/08(木) 06:19

ドブチェクさん:

> 宗祖の人間としての側面にも光を当てて行かなければ、何か大切なものが見失われてしまうのではないのか

まったく同感です。
私は、日蓮は凡夫、行いとしての菩薩という感じでとらえています。聖人であると思っています。

凡夫といっても常人にない精神力、その反面、涙もろく、戒に反する飲酒(おんじゅ)も嗜む大胆さ、権威を畏れない剛胆さなど、魅力溢れる存在であると思っています。

「常人にない」というのはけっして超人化したりするのではなく、あの極寒の佐渡で、食にも事欠く中で開観両抄を著すなど、やはり、すごいなあと思いますね。

誰であったか忘れましたが、かなり書の達つ方が、本尊抄の真筆を見て、あの長文で書損もなく、なにより字の調子に最後まで乱れがないのを見、驚嘆している文章を読んだことがあります。日蓮信者でも何でもない方であったと記憶しています。

日蓮を本仏にまで祭り上げたり、唯一絶対を鼓舞するのは、日蓮に対する信仰と言うより、日蓮の権威を上げれば上げるほど、自分たちの権威も上がるという作為に眼が行き、どうもこれらの考えは教義云々を別にしても納得できません。

そんなことから、ドブチェクさんの聖人観の変遷はわかる気がします。
まあ、そんななかで松戸さんの著述がドブチェクさんの精神史の変遷に果たした役割もわかるところはありますよ。

95いちりん:2002/08/08(木) 21:47
>日蓮を本仏にまで祭り上げたり、唯一絶対を鼓舞するのは、日蓮に対する信仰と言うより、日蓮の権威を上げれば上げるほど、自分たちの権威も上がるという作為に眼が行き、どうもこれらの考えは教義云々を別にしても納得できません。

まったく同感です。
「自分たちの権威付け」のために、つまり「自分たちの都合」のために、日蓮さんを本仏というキング・オブ・キングスにしてしまったのだと思います。
そされは、日蓮さんを慕うという気持は、二の次であったかもしれませんです。

ただ、悲しいかな大乗仏教が、お釈迦さまを神格化して、お釈迦さまの人間的な要素を排除してスーパースター・ブッダに仕立て上げてきたわけで、これも自分たちの都合で、権威付けで行ってきたのかもしれませんですね。

そうして、もしや日蓮さんの心のなかにも、久遠の本仏という偉大な存在をうち立てて、それに連なる自らの位置づけを権威づけようとした可能性もなくもないかなあと、思ったりします。

96いちりん:2002/08/08(木) 21:55
 お釈迦さまという方は、誰の権威も借りずに、自分の言葉で語ったろうと思いますね。

やれ過去仏がこうであった、やれ聖典にはこう書かれてある、やれ偉大な先人がこういっている。故に、わたしは正しいのだ、正統なのだ、、みたいなことは、言う必要がなかった。正しさなど証明する必要もなかった。

だって、ほんとうに自らが悟って、わかってしまったから、自分以外の人がこんなこと言ってたよ、あんなこと言ってたよ、なあんて言いたくもなかったことでしょう。

お釈迦さまは、なんの外のものからの引用も必要なく、自分の内側から、自分の体験から、自分のつかんだものを、自分の言葉で、語ったことでしょう。。

真理をほんとうに体現してしまえば、自分を証明する必要もなく、ただただ、自らをあらわしていけば、それがそのまま真理の言葉となる。そう思いますね。

わかってない人ほど、つかんでない人ほど、自分を証明しようとしてしまう。そして、「偉大な」先人、「偉大な」聖典を引用して、その「偉大な」存在につらなる自分を主張しようとすると、思ってもみたり。。

97求道:2002/08/09(金) 23:38
五百塵点劫というのは、果徳に因行を具足するの意。菩薩行(因行)に記別(果徳)が与えられるのは、因行に果徳を具足するの意。そういう基本的な法華哲学を理解していないと不毛な議論の繰り返しになり、他の人に誤解を与えますよ。

98犀角独歩:2002/08/10(土) 00:08

求道さん:

仏教哲学ってなんですか。
そんなものないでしょう。

99犀角独歩:2002/08/10(土) 00:13

あっと、間違えました。法華哲学でしたね。
で、それって何ですか?

100求道:2002/08/11(日) 09:55
> そんなものないでしょう。で、それって何ですか?

表面上に囚われる人は、皆こういう言い方になります。そういった人は、自分の
見たもの知ったものにも囚われます。それが人の愚かなところであり、カルト系
に填る信仰者の多くもそうです。これも阿含部にあるような譬え話ですね。

101ワラシナ:2002/08/11(日) 12:50
no94 独歩さん

>本尊抄の真筆を見て、あの長文で書損もなく、なにより字の調子に最後まで乱れがないのを見、驚嘆、、、。

茂田井氏の「本尊抄を読む第一」では、上のほかに「開目抄の冗長さに比べた文体の特徴として、無駄な文が一つも無い」思考の緊密さを特徴に挙げていました。

102犀角独歩:2002/08/11(日) 13:24

101 ワラシナさん:

なるほど。
それにしても、何気なく茂田井師の名を挙げる辺り、ワラシナさんの造詣の深さを感じます。

103犀角独歩:2002/08/11(日) 13:26

100 求道さん:

何を言っているのか理解できません。

104ワラシナ:2002/08/12(月) 22:29
「現象仏と内面仏の二重内面」1

0、目的と意図
こういうタイトルで今考えている「日蓮本佛論の構造(草稿50枚、完成すれば500枚)」の荒っぽい紹介をして、これからも大石寺信心を細々と続けていきたい人の為に日蓮本佛論の持つ「柔軟な論理、控えめな誇らかさ」を示すことが役に立つと思ったから。

0−1、約二年前頃、寿量品の教主釈尊の顕本の持つ「一回こっきりの掛替えのなさ、希少性」と「最初から仏だった師匠としての先仏が無数に居るという本因妙解釈」とは矛盾すると思いその解消策に取り組んだが謎解きができなかった。なぜ疑問に感じたかといえば、師匠の教化をうけて修行していたなら、沢山居るというその一番古い師匠が最初の寿量品の教主釈尊になってしまえばいいんだ、なぜ遠慮するのか、と考えたからだ。矛盾に気が付いたとこまでは進歩だったが、だが宗祖が本尊抄でそこのところをどうけりをつけているかが全く解らなかった。それが、最近やっとわかった。それがタイトルに示されているアイデアで、宗祖は教主釈尊の佛身の三身性質を内面本質(報身内面佛)と外面本質(応身、現象佛)の二つの違った性質が一身で合体している者として捉えている、と感じたのである。さらに内面本質を二重(因行面、果徳面)に分け、塔中釈尊=現象佛(果徳面)と上行菩薩=現象菩薩(因行面)とが、この内面佛を共有したもの、としているのである。
「己心釈尊、無始古佛」とはその名前「己心」語が示しているようにこの内面佛の因行面に該当するものと考えられるのであった。

0−2、まだまだ考察途上で間違えているところが多いと思っているから、本気になさらぬよう期待いたします。また当然なぜどうしてなんだと追及されてもまともな答えが出来ないでしょう。

1、「最初で最後の唯一の現象的顕本仏」の「唯一性」を強調したところに宗祖の本尊抄が強調した釈尊観の特徴があると考える。そしてこの現象仏が必ずしも時系列上の極限過去としての「無始」語の意味での「無始古仏」語の意味と直接的同一ではないと思われるのである。
此処が微妙な処なので「乃至」語の役割を虚心に受け取る必要がある。

2、「統一」といった時、「何が何を統一したのか」が大事である。先ず私は「宗祖の寿量品の教主釈尊観を「最初で最後の唯一の現象的顕本仏」と解す。この「現象的顕本仏」語に宗祖の三身説解釈の特徴が見られる。
先ず、現象仏(=五百塵点成道仏)をその外面本質(応身)として、「顕本」の「本」を解す。そして、次には、その自身の外面性現象仏性に保持されている内面本質(報身)を特別に「本」として取り出す。此処で言った「本」は、「本から有った常住性質のものとしての」の意味である。このように意識して「本」を外面性応身と内面性報身の二種に分けて理解しているのが本尊抄である、と考える。

3、そして、現象仏としての外面性の方面は、とりあえず済んだ事として、内面仏としての智徳の輝き、精神仏の方面を特に強調したのが顕本後の「教主釈尊」語の意味である。
統一仏の統一とは何が何を統一したのかといえば無数の諸仏を現象仏として理解して、寿量品の教主釈尊までも現象仏としてみれば彼らグループと一緒に扱われてしまう現象仏性質たるを示した上で、それら彼ら無数諸仏全ての心の奥底に眠っていた「内面仏の方面を引っ張り出してそれによって外的本質が包み込まれてしまう事を示した事、この内面仏(報身)が開示される(顕本)という形で実現された統一の事を、普通、理顕本、報身顕本と言っている」と理解するからである。
内面仏(報身)の価値を強調したのが寿量品の教主釈尊観の真骨頂、と解するのである。

4、従って、寿量品顕本仏発生以前にどれ程無数の現象仏が先在していようとも、教主釈尊を内面仏と外面仏の異質な二方面の組み合わせで理解するやり方だから、寿量品説法というどちらかといえば後の方になってから内面仏の教主釈尊が登場してきて、内面本質の上での統一を果たしたとしても矛盾がない。
経典記述の史的順序性(=教相、現象仏の後の上行誕生の順序)を守りながら問題の本質を内面化解釈(=観心釈)の領域に移しているのが本尊抄、と考えるからである。(2へ続く)

105ワラシナ:2002/08/12(月) 22:32
「現象仏と内面仏の二重内面」2

5、こう考える事の利点の一つは、「本因妙無仏時代にいかに発心修行が成立し得るのか」という問題がうまく処理されてくる事がある。
円教菩薩修行者の内面に内面仏が宿る瞬間を仏との出会い発心修行に匹敵させる、そして胸中の内面仏を自身の師匠に扱い、自身はそれに仕える立場、僧位に置く、そうすれば内面仏と言う人、その内面仏の所持する法を師匠にした師弟関係が成立する。それが玄義でいう「本仏に成立している別体三宝」の他に成り立っているもう一方の「本僧に成立する一体三宝」になると思う。

6、更に宗祖の工夫は内面仏の内面を因行面=主観性、果徳面=客観性の二重性で独立させたことにあった。その根拠として「因行果徳の二法」の「法」を類通三法妙三軌説と考えるからである。
この考えの応用範囲は広くて此処では論じきれない。
(h14・8・4)

106犀角独歩:2002/08/15(木) 19:17

問答名人さん:

ご無沙汰です。もしお暇がございましたら、レスをいただければ有り難く思います。

もう一点。執行師は『本尊口伝相承書の研究』で、その内容は、二の本尊聞書は朗門山師『本尊五大口伝』と全同。三の本尊相伝は身延学師が雄師に伝えた『本尊相伝』と全同であり、かつ朗門の相伝書は三度相伝に拠った三位順師の『心底抄』に拠って成立したというわけで、さらに底本が源師による点は疑わしいとも言います。

昨日、ちょっと本尊三度相伝を読み直したのですが、あの書の信憑性を如何ばかりとお考えになりますか。

また、この書の冒頭に載る一、本尊口伝では法界即日蓮思想は、ここに見られないと思えるわけです。しかし、二度、本尊聞書では明らかに法界即日蓮思想は見られながら、三度、本尊相伝では、その点が未詳となっています。つまり、この三つは別々の相伝を一つに束ねたものと見ることはできないのでしょうか。如何お考えになりますか。

さらに一度の図を見ると経文・釈文は載っていないこと、ここに日蓮在御判が含まれない点に注意がひかれるのです。また、私は戒壇之曼荼羅の不動・愛染の形が写真で見る限り、愛染の頭は“−”となっているのに、不動は“・”になっているように見えます。これは写真の解像度にも関係した見間違いかも知れません。いちおう、これを前提にして、本尊口伝の図を見ると不動・愛染の頭は共に“−”となっています。しかし、頭が“−”となっているのは弘安2年6月までで、それ以降は“・”となってきます。つまり、頭が“−”となっていて、「二千二百三十余年」という曼荼羅は現存しないと思えるわけです。

“−”、三十余年、「有供養者…」の3条件が整う真筆曼荼羅というのはあるのでしょうか。

107問答迷人:2002/08/17(土) 22:21

犀角独歩さん

ご無沙汰致しております。お盆も忙しくしておりまして、申しわけ有りません。 本尊三度相伝についてのご意見、大変興味深く拝読いたしました。独歩さんの問題提起に関して、到底、即答出来るものではありません。少し考えてみますので、お時間をください。

なお、逆質問で恐縮ですが、関連して、一点ご質問させてください。三度、本尊相伝では、「大聖人」の表現がなされています。他スレッドでの御議論とも関連しますが、上代には使われなかった表現と考えても良いのでしょうか。例外的に、富士一跡門徒存知の事に、

『然れば駿河の国・富士山は広博の地なり。一には扶桑国なり。二には四神相応の勝地なり。尤も本門寺と王城と一所なるべき由・且つは往古の佳例なり。且つは日蓮大聖人の本願の所なり。』(富士宗学要集第一巻 57頁)

という用例がみられますが、如何お考えになられますでしょうか。

108犀角独歩:2002/08/17(土) 22:33

> 107 問答名人さん:

“大聖人”という固有名詞のこと、さすがするどい突っ込みをいただきました。
そうでしたね。御本尊三度相伝に既に見られ、重須檀所派でも用いられていたのですね。そういえば、このことは以前、考えたことがありました。

まず御本尊三度相伝は順師、そして朗門に通じるものでした。富士一跡門徒存知事はもちろん重須檀所派ですね。そうすると、この起源は順師(に仮託した重須檀所派)であるということになりますね。

ご指摘有り難うございます。

…ということです、五月雨さん。

109いちりん:2002/08/17(土) 23:33
大聖人に、なおかつ「さま」をつけて、「大聖人さま」と。
御法主上人猊下というのも、すごいですが。。。

たとえば、ガンジーは、ガンジーですね。
ガンジー大聖人さまというと、やはり気持ちが悪い。

マザーテレサも、マザーテレサ。
これが、マザーテレサ、大聖人さまとなると、とても気持ちが悪い。

というか、そういう感性を大切にしたいです。

110いちりん:2002/08/17(土) 23:43
つまり、自分が信仰し、尊敬する存在に対して、○○大聖人さまといって、何もうたがうことはない。しかして、他の宗祖は、道元、親鸞、空海……と、平気で呼び捨てにしている。

それでいて、自分の信仰する宗祖が、日蓮と呼び捨てにすると、怒ったりする。

まあ、わたしは、並列的に、みんな日蓮さん、空海さんと、さん付けにしています。
天台とか、聖徳太子とか、龍樹とかいうのは、そのままですけど。あまりに有名な人は、さんづけは、へんですから。

でも、このあたり、難しいですね。
まあ、道元禅師、親鸞聖人、日蓮上人、法然上人、というところでしょうか。一般的には。
そして、空海、最澄。あるいは、伝教大師、弘法大師。
それで、良寛さん、一休さん、というところ。
なかなか、このあたり、むつかしい。

111犀角独歩:2002/08/17(土) 23:53

石山は尊称が好きですね。

私が法華講にいたとき「補任式を終えた教師は御尊師、在勤の僧侶は尊師と呼ぶように」なんて指導をされていました。

そのあとにオウム真理教の地下鉄サリン事件が起き、麻原彰晃を「尊師」と呼んでいたことを知り、笑うに笑えない気分になったものです。いまでもカルト問題に敏感な人であれば、(御)尊師=麻原彰晃=オウム真理教(アレフ)は連想的に思い出されるところ。

私の個人的な反省。在勤僧侶に「御尊師さま」と言ったら「尊師は尊称だから、されに敬称を重ねるのはおかしいと20代の僧侶に注意されたものでした(笑)
創価学会のときは「池田会長先生」なんて言っていました。なんでしょうね、御尊師さまやら、会長先生っていうのは(笑)

法華講員同士、創価学会員同士でも役職名で呼び合ったりするのが一般的ですね。あれは一般の人から見るとかなり気持ち悪いようです。

日蓮のことも「大聖人様」と呼ばないといけないような変な堅苦しいところがありますね。石山では、霑師は自分のことを「大石寺住職」と書いていたりするのに、いまでは「御法主上人猊下」、能化は「御尊能化」と呼ばないと罰当たりみたいなところがあります。学会では池田さんのことは「池田先生」、顕正会では浅井さんのことを「浅井先生」、まことに敬称が大好きですね、石山系グループはいずこも。まあ、権威的である証左なのであろうと思います。

でも、こういうのは縁もゆかりもない人から見ると、これだけでも奇妙な団体、カルト団体と映じるようです。つまり、最初に思い出すのはナチズムということ。広宣流布が、考えるだにも恐ろしい暗黒支配と映る所以はここら辺にありそうですね。

112問答迷人:2002/08/18(日) 15:42

犀角独歩さん

またまた、逆にご質問します。

105の >三度相伝に拠った三位順師の『心底抄』

という点についてですが、三度相伝の第三、本尊相伝は、そのまま読むと、三位順師の『心底抄』の文を一部分そのまま引用して、相伝と称しているにすぎないのではないか、と読めます。(富士宗学要集第二巻『心底抄』31頁2行目から32頁15行目まで)

三度相伝が先に存在し、それを、三位順師が『心底抄』に引用したとされているのは、どういう根拠なのでしょうか。

113犀角独歩:2002/08/18(日) 16:51

112 問答名人さん:

> 三度相伝が先に存在…三位順師が『心底抄』に引用

これは私の文がまずかったかも知れません。

>> 朗門の相伝書は三度相伝に拠った三位順師の『心底抄』に拠って成立した

と記したのは、朗門の相伝書は三度相伝に拠り、三度相伝は三位順師の『心底抄』に拠って成立したというつもりで書いていました。

ですから、心底抄が先であると思います。また、心底抄が順師に拠るというより、仮託、つまり、順師作としたのではないかという意味です。もちろん、三度相伝が作者は誰であるかは別として、成立の順番は、心底抄が先であると思います。

順番としては (1)心底抄 (2)興門相伝 (3)朗門相伝の順番であるという意味です。

なお、心底抄と三度相伝では該当の箇所が以下のように移動があります。

心底)末法弘通の大御本尊
三度)末法弘通の大導師を歎ず御本尊

つまり、三度相伝では「大導師」の語を入れています。この点は執行師も指摘していました。ここに漫荼羅正意に、さらに本尊即大道師(日蓮聖人)という、より人法一体本尊義に近しい思想が転訛していることが窺われます。その意味からも三度相伝のほうが教学史的に見てもあとであろうと思えます。

ただ、該当の箇所の前に初度・二度もあります。故にそれぞれ別に成立したのではないのかと記したわけです。ですから、部分的には三度相伝のほうに、心底抄より先行する部分はあるかも知れないと想像しています。

114問答迷人:2002/08/18(日) 20:42

犀角独歩さん

106
>昨日、ちょっと本尊三度相伝を読み直したのですが、あの書の信憑性を如何ばかりとお考えになりますか。

今、「心底抄」を基準にしてみます。三度相伝の第三、本尊相伝は、

>三度相伝では「大導師」の語を入れています。この点は執行師も指摘していました。ここに漫荼羅正意に、さらに本尊即大道師(日蓮聖人)という、より人法一体本尊義に近しい思想が転訛していることが窺われます。その意味からも三度相伝のほうが教学史的に見てもあとであろうと思えます。

との、執行師、及び独歩さんのご指摘から、「心底抄」より後世の成立と考えられます。また、第二の、本尊聞書は、さらに時代を下った成立とされる「法界即日蓮思想」が見られますから、成立年代は、第三→第二の順でしょう。問題は、第一の本尊口伝ですが、ここでは、曼陀羅の意味づけについて、

「此の本尊大漫荼羅とは霊山一会の儀式を書き顕はす処なり」

と有るのみで、人法一体本尊義や、法界即日蓮思想が全く見られませんから、三文書の中では一番古い成立であると思われます。本尊三度相伝は、結局、第一→第三→第二の順に、別々に成立した三つの口伝を一つに合わせたものと考えるのが妥当であると思います。

115問答迷人:2002/08/18(日) 20:48

補足です。

第一の本尊口伝の成立年代、不動・愛染の形、及び、“−”、三十余年、「有供養者…」の3条件が整う真筆曼荼羅、等の問題提起に付きましては、今しばらく時間を頂戴したいと存じます。

116犀角独歩:2002/08/19(月) 08:08

115 問答名人さん:

楽しみにお待ちします。

117犀角独歩:2002/08/19(月) 23:43

問答名人さん:

> 「此の本尊大漫荼羅とは霊山一会の儀式を書き顕はす処なり」

私は、この一節に着目しています。ここに「霊山一会の儀式を書き顕はす」とあります。しかし、富士門一般では「御本尊様は虚空会の儀式を図示したものだ」と言いますね。

この点は、どのようにお考えになられますか。

118問答迷人:2002/08/27(火) 17:32

犀角独歩さん 逆にご質問です。

>富士門一般では「御本尊様は虚空会の儀式を図示したものだ」と言いますね

真跡は勿論、平成版御書全集の全体を探しても、『御本尊様は虚空会の儀式を図示したものだ』という箇所は見当たりませんでした。

『霊山一会の儀式を書き顕はす』という箇所は、真跡には見当たらず、御義口伝下の寿量品の、あの有名な

『第十四 時我及衆僧 倶出霊鷲山の事 御義口伝に云はく、霊山一会儼然未散(げんねんみさん)の文なり。時とは感応(かんのう)末法の時なり、我とは釈尊、及とは菩薩、聖衆を衆僧と説かれたり。倶とは十界なり、霊鷲山(りょうじゅせん)とは寂光土なり。時に我も及も衆僧も倶に霊鷲山に出づるなり。秘すべし秘すべし。仍って事の一念三千の明文なり。御本尊は此の文を顕はし出だし玉ふなり。』

という箇所しか行き当たりませんでした。不思議です。表現は違っても、虚空会とか、霊山一会を表したのが曼陀羅である、と言うような御書を他に御存知ないでしょうか。

119Libra:2002/08/27(火) 19:07
 Libraです。ご無沙汰しております。

 こちらの掲示板をチェックするのをずっと怠っておりましたので、もうすっ
かり浦島太郎状態です。もうここには復帰できないかも(涙)。

 本日、久しぶりにここを訪れて、このスレッドをざーっと流し読みしていた
のですが、興味深い議論がなされていたのですね。今度、改めてじっくりと拝
読させて頂きたいと思いました。あと、松戸先生の話題が出ていたのに気づき
ましたので、以下を参考資料として提示させて頂きます。

  日蓮における釈尊観と霊山浄土観の諸相(松戸行雄)
  http://www.be.wakwak.com/~libra/119.html

  本仏と真仏(Libra)
  http://www.be.wakwak.com/~libra/z022.html

 私の書いたものなどは全くの問題外でしょうが、松戸先生のご論文について
の批判的なコメントをいただければ幸いです(ここだと、かなり有益なご意見
を拝聴できるのではないかと期待しています)。私自身、松戸先生のお考えを
まだ十分に理解していませんので、みなさまのご意見を参考にさせていただこ
うと思っています。

 議論の邪魔をして申し訳ありませんでした。

120犀角独歩:2002/08/27(火) 19:22

Libraさん:

お久しぶり!!
元気でしたか。復帰大歓迎ですよ。

> 119

私の松戸師嫌いを知っての挑発的な書き込み(笑)
Libraさんの論考と併せてゆっくり読ませていただきます。

121犀角独歩:2002/08/27(火) 19:57

LibraさんへPart2:

いま松戸さんの文章、ざっと目を通しました。
のっけから、

> 久遠仏は十界互具・凡夫即仏の原理を顕わす象徴的表現と観ていた

などと思いっきり書かれてあり、やはり私は「おいおい」と言いたくなりました。
凡夫即仏ならば、釈尊は凡夫なのでしょうか。それとも、法華経を説いたとする釈迦と日蓮という仏は同じ仏でも仏が違うと言うことなのでしょうか。Libraさんには悪いが学会臭いと思った次第。

まあ、確かに本覚論から言えば、そうかもしれませんが、この点は批正されるべき点であって、受け入れるべき点ではないはずです。なぜならば、天台釈と相容れないからです。

> 十界互具・一念三千の原理からは、釈迦も衆生も同じ九界即仏界・仏界即九界の存在構造を持っているはず

原理とか存在とか、こういう表現も学会臭いですね。十界互具・一念三千は原理ではないし、九界即仏界・仏界即九界も存在構造なんか持ってはいないでしょう。石田次男さんがもっとも嫌った学会教学でしたね。

どうして、こういう一々の言葉の使い方が、大先生でありながら、不適切なんでしょうかね。

十界互具・一念三千も、九界即仏界・仏界即九界も禅定止観における観念観法であって、原理でも存在でもありません。

こんな飛躍したところから始めるのではなく、丁寧に止観の原文を引き、天台はどう説いたか、妙楽はどうそれを解釈したか、本覚論ではどう変化したか、日蓮はどう展開したか、さらに恵心流口伝法門の影響ではどうなったかという一々の整理するべき点が欠落しています。これじゃまるで、天台が凡夫即仏を説いたような印象になってしまいます。

霊山浄土観に行く前に頭が痛くなりました(笑)

122犀角独歩:2002/08/27(火) 20:08

LibraさんへPart3:

Libraさんの文章を読ませていただく前にちょっと先に質問。

本仏ということは、まさか本物の仏なんて冗談みたいなことに基づいちゃいませんよね。
寛師等からすれば、本仏は(1)迹(門)仏に対する本(門)仏、さらに本種迹脱の意を帯びて下種仏=本仏とするのが石山教学ですね。

根本仏などとする学会教学とはLibraさんは一線を画すほうでしたか、それと根本仏論者、どちらでしたか。

123Libra:2002/08/27(火) 21:30
>>120-122 独歩さん

 お久しぶりです。しばらく仏教から離れて、カール・ポパーの哲学などを集
中的に勉強していました。それで、以下のようなものを書いたり、それに関連
する議論をしたりしていました。

  対話主義と可謬主義(Libra)
  http://www.be.wakwak.com/~libra/z023.html

  創価学会応援隊・会議室2での発言
  http://www.be.wakwak.com/~libra/kaigishitu2.html

> 復帰大歓迎ですよ。

 ここは議論のレベルがかなり高くて、過去ログを読むのも大変です。はたし
て復帰できるかどうか(汗)。

> 私の松戸師嫌いを知っての挑発的な書き込み(笑)

 そ、そういうんじゃないですよー(涙)。独歩さんから貴重なコメントを頂
けるんじゃないかと期待してはいましたが、挑発とかそういうんじゃないです。
正直言いまして、私自身、松戸先生の議論には十分に理解できないでいる部分
がありますので、いろんな方の批判的なご意見をお伺いできればと思っていま
す。

> Libraさんの論考と併せてゆっくり読ませていただきます。

 独歩さんから見れば、私の書いたものなどは問題外だと思います。

> 凡夫即仏ならば、釈尊は凡夫なのでしょうか。

 松戸先生は「凡夫とは人間である」という立場で言われているみたいです。
 
  本仏と真仏、註4
  http://www.be.wakwak.com/~libra/z022.html#4

> Libraさんには悪いが学会臭いと思った次第。

 「学会臭い」というのはおっしゃる通りなのでしょうね。独歩さんなら偽書
として扱われるであろう文献も援用されていますし。

> 本仏ということは、まさか本物の仏なんて冗談みたいなことに基づいちゃい
> ませんよね。

 私の考えなどは、独歩さんのレベルから見れば、まさに「冗談みたいなもの」
なんじゃないかと思います。いや、冗談ぬきで(笑)。

> 根本仏などとする学会教学とはLibraさんは一線を画すほうでしたか、それ
> と根本仏論者、どちらでしたか。

 独歩さんがいわれる「根本仏」という言葉の意味を正確に理解している自信
が全くないのですが、一応、私は、寿量品の五百塵点劫は有始だと考えていま
して(宗祖も「教主釈尊」には「初発心」があると言われています)、宗祖は、
久遠実成の釈尊を《最初に成仏した仏(根本仏?)》と考えておられたのでは
ないかと思っています。ただし、まだここでの議論をきちんと拝見していませ
んので、私のような考えはすでに反駁されてしまっているのかもしれません。
あと、以前、独歩さんからもご教示頂いたように、「教主釈尊」と「無始の古
仏」との関係については、私はまだよく理解していないと思います。

  犀角独歩さんとの対話(Libra・犀角独歩)
  http://www.be.wakwak.com/~libra/z021.html

124三学無縁:2002/11/05(火) 18:18
「戒壇の大御本尊様の偽作説について」スレッドの111で、

>1.日蓮さんは曼荼羅を持たずに池上まできた。
>2.道中の勤行は一体仏に向かっておこなった。

ということを述べました。
日蓮さんは、多数の弟子たちに曼荼羅を書き与えていますし、日興門流は曼荼羅正意説のままに曼荼羅を本尊として授与して、これまできました。
しかしながら、日蓮さん自身は池上鶴林のときにも曼荼羅を所持していなかったようです。
つまり、日蓮さんは自分では随身仏に向かって読経唱題していた。
ただし、弟子たちには仏像の代わりに文字曼荼羅を授与し、それに向かって読経唱題させていた。
そうすると、やはり日蓮さんの考えていた本尊は、久遠実成の教主釈尊であり、その荘厳の形式としては仏像安置を理想としていたが、当時の諸事情から「久遠実成の教主釈尊」の意を文字曼荼羅として表現し、それをもって本尊の代わりとして授与していた、ということになりますね。
日蓮さんにとっては、大切なのは「久遠実成の教主釈尊」じたいであって、絵像・木像・絵曼荼羅・文字曼荼羅など、表現の形式は、それほど問題ではなかったということなのかもしれません。
また、文字曼荼羅は、信徒用であるから「日蓮花押」の署名をなしたが、それは今で言う「コピーライト」マークのようなものであったかもしれませんね。
いずれにしても、亡くなるまで随身仏を所持されていたのですから、日蓮さんが曼荼羅正意であったと断言することは難しいですね。

125問答迷人:2002/11/05(火) 19:12

三学無縁さん

お考えを確認したいのでが、

>やはり日蓮さんの考えていた本尊は、久遠実成の教主釈尊であり、その荘厳の形式としては仏像安置を理想としていたが、当時の諸事情から「久遠実成の教主釈尊」の意を文字曼荼羅として表現し、それをもって本尊の代わりとして授与していた、ということになりますね。

ということは、三学無縁さんは、日蓮聖人は曼陀羅を「仏像の代わり」として授与した、というお考えでしょうか。

126三学無縁:2002/11/05(火) 19:36
問答迷人さん

>三学無縁さんは、日蓮聖人は曼陀羅を「仏像の代わり」として授与した、というお考えでしょうか。

難しいところですが、仏像も「久遠実成の教主釈尊の代わり」だったのではないか、と思っています。
つまり、「久遠実成の教主釈尊の代わり」であれば、極言すれば、絵像・木像・絵曼荼羅・文字曼荼羅など、いずれでもかまわなかったが、日蓮さんが「弟子たちのため」に選択したのは文字曼荼羅だった、と思うものです。
また、当時の環境下においては、仏像の彫刻よりも簡便であったのが文字曼荼羅の書顕だったことを考えますと、他に選択肢もなかったのではないかと思います。
生身の文殊菩薩を見、不動愛染を感見した日蓮さんですから、「久遠実成の教主釈尊」の姿もイメージとして持っておられたかもしれません。
そうなると、そのイメージを仏師に説明し彫刻させるか、ご自身で彫刻されるか、ということになります。
しかし、時間的な問題や、金銭的な問題などから考えてもそういったことは不可能でしょう。
おそらく、日蓮さんが所持していた随身仏は、海中感得などではなく、ご自身で彫られたものではなかったのかと、創造をたくましくしています。
いずれにしましても、「モノ」であるかぎり、それは日蓮意中り本尊そのものではありません。
なお、本尊を「根本尊敬」とするのは弟子の立場としては当然ですが、日蓮さんは、「本有尊形」の意を用いられていたのではないかとも考えたりしています。

127犀角独歩:2002/11/06(水) 09:29

三学無縁さん:

> 随身仏は、海中感得などではなく、ご自身で彫られたもの

このお考えには大いに賛同します。
私も以前、『大聖人のお墓(ご遺骨)はどこにある?』の76で、以下のように記しました。

○随身仏は海中出現か

…聖人ご所持の随身仏は現在、石山では弘長伊東配流の砌に漁の網にかかった海中出現の仏像を船守弥三郎が病気平癒の御礼に献上したものであるとされています。

しかし、五人所破抄には

先師所持の釈尊は忝くも弘長配流の昔し之を刻み

また、法花観心本尊抄見聞には

聖人海の定木を以て一躰の仏を造り

さらに享師は、この説を注釈して、

先師日蓮の御奉持になつていた釈迦牟尼の立像仏は・勿体なくも弘長元年伊東御流罪の時に彫刻…

と記されているわけです。これらの資料の実否は、どうにも考証は未詳ですが、しかし、重須の所破抄の記述は殊のほか、興味が惹かれます。

果たして、聖人が刻まれたのか、あるいは刻ませたのか、海中出現より信憑性を感じるわけです。ある日蓮宗御僧にお尋ねしたところ、僧侶は自ら像を刻み、守本尊とする習慣は古来からあるとのことでした。となると、聖人は曼荼羅を図するのみならず、仏像を彫刻されたことになります。これは石山にとっては、まことに都合の悪い話でしょう。

なお、付随的に、目を引いたのは「海の定木」という一節です。定木は、通常、定規のことですが、海の定規では、意味をなさない気がします。この点をご承知の方がいらっしゃったら、ご教示ください。

130お暇庵:2002/11/06(水) 11:38
横レス失礼致します。
仏像問題については私はまったく、菊水さま、独歩さまに異論は御座いません。
大聖人御在世の問題については確たる資料(どのような仏像であったか朗師が
海中に落として行方不明とされています)が無いので何とも言えないのですが
各文書によれば立像であったことが伺われます。さてそこで螺髪立像となれば
これは修行中を表す義であって、悟脱したならば座像となるわけでしょう(こ
れは各宗その意義に異論はないと思います)大聖人が立像を護持されていたと
ころはここのところも勘定にいれないと論議にならないかと思います。

131犀角独歩:2002/11/06(水) 12:05

> 130

そう。聖人所持は立像であったと言います。
であればこそ、本尊抄に

寿量の仏有(ましま)さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか

と記されたのでしょう。立像の釈迦はご自身で刻まれ持っておられた。しかし、出現すべき仏像は、たぶん、お暇庵さんが言うよう座像ということになるのであろうと私は考えています。

132顕正居士:2002/11/06(水) 13:04
随身仏(立像釈尊)

は今は本禅寺におられます。なぜ立っておられるかに宗学上の解釈を付する
なら、「嘱累品第二十二」冒頭の「爾時釈迦牟尼仏 従法座起」の姿であり
ましょう。山川智応居士が何かの本にそう書いておられました。始成の釈尊
ではないという意味です。

随身仏写真
http://www.hokkeshu.com/rekisi/3_dentyuu/dentyuumondou.htm

日順雑集の「定木」は草書の読み誤りでなければ、「真っ直ぐの木」の意味
でしょう。「定規」は長さをはかる道具でもあるが、「定木」は真っ直ぐの
線を引く道具であるから。

133犀角独歩:2002/11/06(水) 13:20

顕正居士さん:

> 爾時釈迦牟尼仏 従法座起

ここに根拠を求めるものなのですか。
131に記しましたことは少し考え直してみます。

> 定木…真っ直ぐの木

有り難うございます。
たいへんに参考になりました。

134犀角独歩:2002/11/06(水) 14:21

上記に関連して「一躰の仏」について、少しだけ補足します。

この記述は『日順雑集』のうち、『法花観心本尊抄見聞』にあります

「聖人海の定木を以て一躰の仏を造り佐渡の国へも御所持・御臨終の時には墓側に置けと云云、小乗の頭陀釈迦の仏・瓔珞の衣を脱ぎ垢衣を着玉ひ鹿苑に来遊教化の御弟子無きは一人頭陀し玉ふ事なり、設ひ鹿苑教化の後も一人修行し玉ふ時は頭陀の釈迦なり」

お暇庵さんが「修行中を表す義」と記されたことは、この点と一致します。
不思議なことに修行像である点は富士で言われながら、海中出現船守寄進説に石山では落ち着いてしまっています。

私は131で、本尊抄と関連して記したことは、かなり冒険でした。
上述の文はその前に

「聖人は造仏の為の出世には無し本尊を顕んが為なり、然れば正像の時は多く釈尊を造れども本尊をは未だ顕さず然れば如来滅後未曽有大漫荼羅と云云」

とあるからです。ここでは漫荼羅本尊正意論から、修行一体仏像と対比しています。
しかし、この説明は先にも挙げた「寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の“仏像”出現せしむべきか」の仏像の二文字を、文字通り仏像読むべきであると考える私にとって納得のいく説明ではありませんでした。故に未来出現仏像は修行仏ではなくて久遠成道釈尊なのであろうと考えたわけでした。

135匿名で失礼:2002/11/06(水) 18:20
130のお暇庵さんの発言に

>螺髪立像となればこれは修行中を表す義

とありました。
しかしながら、不軽菩薩の礼拝行を考えると、立像でもよいと思うのですが。
日蓮系の教団は、日蓮を上行再誕と主張しますが、ご遺文では「日蓮承継不軽跡」などと述べています。
立像を不軽菩薩の礼拝行の姿ととらえれば、不自然ではないと思います。

136トゴシ:2002/11/06(水) 20:25
>立像を不軽菩薩の礼拝行の姿

なんで。だったら、釈迦像ではなく不軽像じゃなきゃ不自然でしょ。

137顕正居士:2002/11/07(木) 07:55
犀角独歩さん

随身仏が立像の釈尊であることに特別の意義があったのかはわかりませんし。
日順雑集の、釈尊弘教の最初のお姿という意見もわるくはないとおもいます。
しかし弘教の最初のお姿は日蓮聖人のことではあるが、それがなぜ釈尊の姿
になるのか。および聖人が随身仏とされた釈尊が始成の釈尊であるのは変で
ないかと考えます。ところで智応居士の解釈は随身仏は久成の釈尊であるが、
聖人のみのご本尊とし、やはり漫荼羅正意に帰着させるものです。ただし、
漫荼羅は戒壇の図であって、戒壇建立の際には漫荼羅を立体で表現する、も
三位日順と同じです。

138お暇庵:2002/11/07(木) 09:54
顕正さん、おはようございます。なるほど山川さんはかく述べておられるのですね。
私は曼陀羅正意とする立場なのですが、仏像勧請については少し考えたことがあり
まして図顕の本尊を戒壇建立時の仏像配置の設計図とは富士門でも三位日順師や
尊門系でも言われるところですが、各門の解釈は健治、文永、弘安のいずれを正と
して建立するものなのでしょうか?また、相貌の弘安期までの十方分身諸仏となれ
ば東西南北すべてを勧請とするモノでしょうか?中尊の図顕の仕方の問題もありま
すし、結構馬鹿でかい建物が必要となりますね。順師も晩年は像立の意思があった
かどうか不明ですが、宗祖が像立の気持があれば本尊図を表すことなく仏像を建て
れば良かったことと思うのです。資金面や檀那衆の問題もあったことと何方かが書
いていましたが、そうであってもどうもすっきりしない事は確かです。

139犀角独歩:2002/11/07(木) 10:46

> 137

ご教示有り難うございます。
伝・順師説に私は拘泥するものではありませんので、ご教示の点、もっともであると思った次第です。この点、再考してみようと思います。

140犀角独歩:2002/11/07(木) 10:57

私は日蓮上行論を、消極的に考えていますから、日蓮自体は、将来、聖僧、聖天子となって、上行等の聖人が現れることを前提に論を立てていると見るほうです。

ですから、この時に立てるべき仏像・戒壇は自分が論じることではないという立場を取っていたのではないのか、あるいは万が一、国主帰依があれば、その人こそ、四菩薩の一人であり、となれば、自分が上行であることも証明されるといった階梯を踏んだ思慮をされていたように思います。

いずれにしても仏像・同等伽藍の建立は聖天子に係ることなので、日蓮は法門までという襟度を守ったのであろうと思います。

それが後代、漫荼羅正意論と読み間違えられていったのであろうと想像しています。

141問答迷人:2002/11/07(木) 11:04

独歩さん

>それが後代、漫荼羅正意論と読み間違えられていったのであろうと想像しています

卓見ですね。判断付かずにいたことが、鮮明になりました。ありがとうございます。

142顕正居士:2002/11/07(木) 12:14
お暇庵さん。はじめまして。
>建治、文永、弘安のいずれを正として建立するものなのでしょうか?
智応居士は曼荼羅に傍正があるという考えは否定します。ただし十方分身が
勧請されなくなるのは戒壇の図であるから、と述べておりました。曼荼羅の
立体化について詳しいことを云った方は特に知りません。智応居士の本尊論、
戒壇論は次の著書に詳しいです。

本門本尊論 浄妙全集刊行会 昭48、日蓮聖人の実現の宗教 天業民報社 昭4

犀角独歩さん。
>日蓮は法門までという襟度を守ったのであろうと思います。
日蓮聖人自身には後世のような事壇思想はなかった可能性があります。しかし
久成釈尊の造像はなんらか公的な事柄であるとされ、これが事壇思想と結合し
漫荼羅正意論が発達した可能性があります。

143犀角独歩:2002/11/07(木) 15:58

141 問答名人さん:

恐縮です。

144犀角独歩:2002/11/07(木) 15:59

顕正居士さん:

> 事壇思想と結合し漫荼羅正意論が発達した

となると、この場合の漫荼羅正意論は、もちろん、現石山義とは別のものであるのでしょうが、久成釈尊造像を前提とした正意論であるということでしょうか。

また、漫荼羅正意論は造像不要を言えば、論として成立しなくなることも意味しましょうか。

ご教示いただければ有り難く存じます。

145顕正居士:2002/11/07(木) 16:51
>この場合の漫荼羅正意論は、もちろん、現石山義とは別のものであるので
>しょうが、久成釈尊造像を前提とした正意論であるということでしょうか。

「日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は
一二人書き奉り候えども、未だ木像は誰も造り奉らず候」

「御子孫の御中に作らせ給う人出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候
いしを安置候べし。いかに聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主の木像をば
、最前には破し給うべきと」

これらの文は、一尊四士であればよいが、という以上の意味に思えるのです。

『原殿御返事』
http://nakanihon.net/nb/haradono.htm

>また、漫荼羅正意論は造像不要を言えば、論として成立しなくなることも
>意味しましょうか。

興師、順師においてはそうであったのでないでしょうか。

146犀角独歩:2002/11/07(木) 16:58

> 145 顕正居士さん:

自分の考えを補強できました。
有り難うございました。

147ワラシナ:2003/01/04(土) 21:56
現象仏と内面仏の二重内面(3)「自己同一性の二種」1

*謹賀新年
0−<目的1>

前回、法華経本門仏身の内面を「客観的主観性」と規定したが、「主観性」がどうして二種に(客観的主観性と主観的主観性)分けられるのかの理由には触れなかった。この二種類は、そのまま種脱相対の二種、文上文底の二種顕本、につらなる範疇と予想されるのであるが、今回「主観性の二種」が「自己同一性の二種」に等しい事に気がついたのでこの角度から「主観性の二種」論について新説明をしてみるのが目的である。特に主観的主観性を「自閉的固有領域」と捉え直してみた。

0−<目的2>
正宗信徒としてやり続けていくためにどうしても必要になる教学上の謎解きが二つA、Bある。
その一つAは、上行菩薩顕本論の合理性の是非問題。二つ目Bは、御文字御本尊様の中の釈迦牟尼佛は中尊七文字に比べてなぜ異様なほど小さく書かれてあるのか、その合理性を宗祖釈尊論の観点から説明しきること。

上の二つの課題に対して特にAについて考えた一応の結果を示す事。

1-0、<初めに>
人は誰でも落ち込んだ時、自分一人しかいない「自閉的固有領域」の中で身勝手な自己肯定をして自分を慰め鼓舞する。
「俺は俺さ」「あたしはあたしよ」と。この「一人称的自己同一性表現」を許しているのが「自分一人しかいない自閉的固有領域」と考えられる。

1ー1 これはかなり強力なパワーをもっている。「かなり強力な」と限定を加えたのは、人間の自己意識の中にはこれと同程度に強力な別な領域が対等にあるからであって、それは、この自己同一性を破壊するような「自分は自分以外の何者でもあり得る筈」という「原始偶然衝動の領域」と言える、と考えられるからである。

1―2、例えば、話は脱線するが、先ごろSATさんが、攻撃誘発の因子として同一視を挙げられた事に関係していると思うのだが、埴谷雄高の哲学的私小説のテーマが「AはAである、とする自同律に対する不快感の追求」とはよく言われる事であった。ところで不快感情の強度が極限に高まったものは、「怒り、憤り」であって、この時人の怒りは「お前は何故お前のままなんだ、俺は俺のままなんだ!何故お前は俺になろうとしないんだああ!!馬鹿野郎!」という無茶な哲学的テーマを相手に絶叫している風なところがあって興味深い。この絶叫感情の巣を「自分というものを持たない、何にでもなり得る原始偶然衝動の領域」と考えたわけである。であるから、この場合の憤りの合理性は、その存在の仕方自身に向けられていて、、自分自身も含めたそれがそれとして当然のようにえばってそこに存在していること(当然性)自体が癪に障ってならない、と理解されるのである。

148ワラシナ:2003/01/04(土) 21:57
現象仏と内面仏の二重内面(3)「自己同一性の二種」2

2−0、さて、ここで自己同一性領域がなぜ、主観性の二種に平行していると言えるのかと言えば、特に「自閉的自己同一性=主観的主観性」の働き様を見ればわかる。まず人は、無原則的にこれに寄りすがろうとする。この時、善悪の二面の反動が影響として出てくる。
「善」を言えば、既にその効果から触れたように「慰撫、安心感情の獲得」
「悪」をいえば、自閉的即ち、他者関係性の無視からくる当然の反動として精神疾患症、異常心理、犯罪心理の温床の提供、である。「俺は俺」の自己同一性主張の持つ悪しき面を考えてみれば納得する。

2−1、従って、上の悪作用に規制をかけて思慮深く生きる為に「オレはオレなの」という「自閉的自己同一性領域」を変形して、「オレという自我の直接性を「A男」という名前・間接性に包み込んで「客観的(社会的)主観性」に直したのが、「オレはA男なの」という表現、と考えられるのである。
だから、「客観的(社会的)主観性」とは、「他人向けの自閉的自己同一性領域」と考えられる。これは、「自閉的自己同一性領域」が
元々が「自分向けのだけの自己同一性領域」だったから、その否定形ともいえる。だから、次の表現は「主観的主観性」>「客観的主観性」>「主観的主観性]へと言い換えに等しい、と思う。

「オレはA男だ。」「A男はオレだ。」「あたしはB子よ。」「B子はあたしよ。」

2−2、さて、ここで、次の例をだして「自閉的自己同一性領域=主観的主観性」を想定することの合理性をもう少し確かめたい。

それは、ごく親しい知人からかかってきた電話に出てくる次のようなせりふである。
「あ。た。し。あたしよ。あたしっつってんじゃ」「オレだよ。オレ。オレっつってんじゃ」

自我表現が完全に自閉的主観性から直接的に押し出されてしまっていて他人向けに言い換えられていないから、これでは、誰の「あたし(主観)」だかわからない。そこで全く自分向けの「あたしの反復」をあきらめて他人向けのわたしたる「B子」という名前でわたしを間接化(客観的社会的)した次の言い換え、
「あ、た、し。(わからないの?ばか!)B子よ!!」を「主観的主観性の客観的主観性への変形」と理解したのである。

(2−1、余談、この事と時枝誠記、北原保雄などの文法学者が日本語表現の全てが客体的表現(詞)と主体的表現(辞)との結合でできていると説いている事とは深い関わりがあると思われる。)

149ワラシナ:2003/01/04(土) 21:58
現象仏と内面仏の二重内面(3)「自己同一性の二種」3

3−0、実は以上で、それとなく法華経本門寿量品の釈尊内面の二重性の意義説明をしてしまった積もりでいるのである。

3−1、経典中の寿量品の釈尊の内面性格は、上に挙げたような一種の「B子!」的な「客観的主観性」にあって、釈尊自身のもう一つの権利である「わたし、わたし、おれだよ」と言い張れる「主観的主観性」領域の合理性は経典中には隠されてしまっている事を、なのである。

3−1−1、ここで今言った「B子!的な客観的主観性」についてもっとふさわしい例を出せば、、、。
B子自身が「わたしはこう思うの」とは言わずに「B子はこう思うの」という例、
それと同じで、「お母さんはこう思うの」と言っている本人が自分を、「お母さん」なる、一種の家族と言う関係性社会の位置名で自らを客観化して呼んでいる例、でなどある。

更に、「お父さんはお父さんだ」と其のお父さんが自分を指して「おとうさん」と言う場合も、教師が自分を「先生は」と呼ぶ例、などである。
又、文中で「わたしはこう思う」と書くより「筆者はこう思う」と書いた方が断然カッコいいのも、‘わたし’語のもつ自我の直接性の露骨さ、ダサさが、「筆者」と言う客観性という美しい衣装を纏った言葉によって間接化され文中の舞台に登場してくるからである。
また遺文中の宗祖が凛々しく見えるのもご自分の事を「オレはねえ」「わたしはねえ」みたいには決して書かず、「日蓮」という外部向けの名前で語っている事にもよっている、と思うのである。

3−2、さて、富士教学で寿量品釈尊を「他受用即自受用身」語で表現する時は、釈尊外面に対しての、というより釈尊内面の主体面(報身)を担っている「釈尊自身にとっての‘わたし’」が二重性格を持っている点を指摘しているのである。そして、釈尊の場合今言った内面の二重性の内、その客体面(荘厳応身として出力させる働き=客観的主観性)だけが表面に現われていて、「自閉的、独我論的、主観的主観性の‘露骨なわたし’」が裏面に回って隠されている、微妙な性質を捕らえている言葉なのである。

3−3、そして、絶対見逃されてはならない事は、「表面に現われている客観的主観性という目に見えない筈の内面性」がどうしてそれとして外側から解ったのか、という問題である。なぜ、どうしてという、ここらあたりの教理機構の丁寧な説明は、(どちらかというとぶっきらぼうな)日寛上人の御教示を眼光紙背に徹して思索し得た故福重照平師の頭脳に依るところが大きいのである。(少なくとも私にとっては)

答えは、文中に出ている。目に見えないはずの「荘厳応身として出力させる働き」客観的主体性(他受用的自受用身という報身)の内面存在は、外側から見られ得るものとして、出力させられて出現している荘厳応身如来という外面存在と一対一の対応物だったからである。

従って、「他受用的自受用身」と捉えた時の「他」とは、「所化側の九界衆生の為」と解される。「他人向けにすぐ分かるような客観的‘わたし’(主観性)」であれば、自他の比較の上から言って、自受用報身という主観性を共有していることは共通しているから「与えて言えば自受用身」なんだけれども「奪って言えば他受用身」などと言われるのである。

さて、だから、在世寿量品釈尊内面本質が、客観的主観性なら、在世所化側の九界衆生、特に本門法身の菩薩衆の内面本質も客観的主観性を共有していると考えられるのである。

3−4、更に、関連して、故福重照平師が、「在世寿量品釈尊の報身顕本は応身顕本に隠されて見えない」と言った訳、或いは、「日蓮正宗要義」に「釈尊の寿量品に報身顕本があってもそれは応身色相荘厳の相に含み説かれている」と説明されている訳も、元々が内面主体(報身)の外面客体化が「応身」になる、と言う外部的関係と、内面主体の作用内においても、その内面主体にとって理法身が客体対象側に置かれる=内面客体化に当たってしまって、両者は同じ客観同士になって、内部客体の存在は外部客体にかぶせられてしまう関係になっている、だから外側からは(文字表現的には)確認できない、と言うこと言っているのである。(と自分は解した。)

ここに重大な事が浮かび上がってきている。言うなら、外面客体たる荘厳応身如来の内面主体の有り様の表現は特別にしなくてもよい、省いても可である、その内面主体の特徴たる「客観的主観性」は外面客体たる応身の荘厳相にそっくり対応していると見られるからである。

150ワラシナ:2003/01/04(土) 22:00
現象仏と内面仏の二重内面(3)「自己同一性の二種」4

4−0、上行顕本論

ところで上の(3)によれば、釈尊の寿量品顕本とは、自己の内面性が,客観的主観性たることを明かしたことと解される。ならば、冒頭の「自己同一性領域」との関係がどうなっているかが気になってくる。
ところが、哲学者、九鬼周造の「偶然性の問題」によれば、「自己同一なものが必然性」であるから、「永遠性」「本有常住」「顕本」などは一括して必然性問題に帰着する。であるから、この角度から、富士教学でもっとも難解な上行顕本論の合理性を探ってみたのである。

4−1、そのためには冒頭の「自閉的固有領域=主観的主観性」に寄りすがって、現在の不安を解消しようとする際のやり方をもっと注意深く観察する必要がある。単に「俺は俺さ」「あたしはあたしさ」だけでは自己同一の形式が見えるだけで、表現者の真意ではなかろう。実際には、「オレはオレだ」のオレ「だ」の断定辞の後部には「オレでよかった筈だ」のように、自己内面が持つ歴史的時間相の尾ひれを付けて意識しているのであった。このような時制的、時間様相の一つに自己が自己たることの必然性や偶然性が出ている。

4−2、そこのところをよくよく観察した結果、これに二種類有る、というのが私の観察なのである。もちろんこの場合の二種類とは偶然性ではなく「自己が自己たること(自己同一)の必然性」に限っての観察である。

まず、「現在」に抱かれる不安をよくよく見つめれば、自己が現在に現象してはいないように見える。自分の居場所が、およそありえないような静止的な過去、静止的未来に固定されてしまっている。だから、上を「およそ有り得ないような」といった事に対比させて、経験世界で現実化する範囲での必然性の本質を九鬼周造にならって、ここでは「不断に成り続けている持続性、成就性の持つ、なになに、している」現在進行形的性質」と規定してみる。

4−3、この観点から、冒頭の「自閉的固有領域」がどう利用されているかを見て、まず第一に気がつくのが「俺は俺さ」が、「自分だけに用意された自分勝手性の基盤」としてである。「いつどこで何をどうしていようが自分の勝手だ」という確信態度の基盤を提供しているのである。言うならば、これは、自己同一性基盤を、すなわち自己を「不在、未在」側に置いて、未在の自己が、未来から不断の到来進行性の現象として、現在居るもの」として捉えられていて、「未在型の今の永遠性(必然)」の捉え方をしていると考えられるのである。

現在の不安を未来から不断の到来という必然性によりかかって解消している態度と解されるのである。
この場合に働く必然性は次に引く「過去既在型の今の永遠性」とは、若干違って可能的自己が生まれる際に「相対的偶然性」を帯びてくる。 それは過去になる時の必然性と未来がやってくる時の必然性を比べてみれば、「過去という」拘束と「それが無い」無拘束という条件の違いがあるからである。

151ワラシナ:2003/01/04(土) 22:02
現象仏と内面仏の二重内面(3)「自己同一性の二種」5

4−4−1、若干堅苦しくなるが、整理してみると、「経験世界の時間様相の必然性に二種有り」とは、九鬼の著書には書いてないので、九鬼の思索を忠実に辿っていった私の思考なので間違ってるかもしれない。それによれば、「二種有る」訳は、「成り続けている事」「進行している事」を方向性の違いから区別したもので、「今」の不断持続性という現象(永遠性)には、

一つは、未来の、未在(無)から、新規未曾有の現在の(有)が不断に現象し続けていると見る「未来客観的今の永遠性」で、簡単に言えば未来が現在に成り続けていると見るものである。(この場合には現在が未在領域に置かれる)「永久の新しさに包まれ続けている一瞬」とも言える。

今一つは、現(有)が過去既在(無)に消滅し続けているとみる「過去客観的既在的今の永遠性」(この場合には現在が過去既在領域に置かれる)「永久(とわ)の、極限の古びに侵食され続けている一瞬」とも言える。

の二つの違いである。

4−4−2、両者は似たようなものかもしれないが、主語と客語が違う。未来、未在が主語でそれが、現在に持っていかれ続けている様、と現在が主語で過去に持っていかれ続けている様を区別しなければならない、時が自分に交わる時の自分の居場所のあり方が若干違うように感じたからである。

4−4−3、で詰まり「現在今」という元々が任意主観性(偶然という時の本質が主観性にある)がそれとして現象する為には、過去か未来のかどちらかの客観と合体して、その内面主体を客体性質に転換して不断持続性の現象として現す、それしか方法がない、関係を示しているのである。何れにしてもここで大事なことは、「現在」は元々が任意な主観性領域であるが、自己内面内部で「成り続けている現象」として自覚された時、過去側か未来側かの客観領域に配置される、ということである。

4−4−4、ところで、そのような「二種必然性の現在常住論」という上の考えは、元々の九鬼の結論「偶然性の時間本質の特徴は現在にあり」とどう関係しているのかが気になってくる。それは、九鬼の偶然性定義が必然性否定形であることで言えてくる。九鬼によれば、必然性とは「有が無に成ったり、無が有に成ったりする、二元が一元に帰着される思惟」でその否定形「有が無に直面したまま、無が有に直面したまま、二元対立に帰着される思惟」が偶然性となる。(と自分流に理解している。)

152ワラシナ:2003/01/04(土) 22:03
現象仏と内面仏の二重内面(3)「自己同一性の二種」6

4−4−5、
であるから、経験的必然性の否定形「不断持続性の否定」が経験的偶然の本質となる。九鬼はそれを「邂逅(思いがけなく出会うこと。めぐりあい。)」といい、それを心理感情に翻訳して「驚嘆」と言った。それは、「持続性の突如的破綻、崩壊、離脱の反動感情」と言いかえられると思う。こういう形の偶然性は、現在でしか経験され得ず、現在の時間性の内のその一瞬性だけが強く自覚されるのが特徴となってくるから「突如的」と言う。
この偶然瞬間では、未来が現在に成らず、現在も過去に成らないので、時が止まり、時間が消滅したように感じられる筈で、「時の裂け目との邂逅」とも言え、一種の宗教的奇跡感情を帯びてくるように思う。

4−4−6
さて、ここまで来ると、九鬼説を発展させて「二種必然性定義」の側から、経験的偶然事「邂逅」の反動感情「驚嘆」も二種分けしたい誘惑に駆られてしまう。

不意にみまわれる<死との邂逅>などを「離脱性消滅驚嘆」として、「過去既在型必然性の否定形」に当て、不意にみまわれる<生との邂逅>などを「誕生驚嘆」として「未在型必然性の否定形」に当てる、と言う様な構想である。

4−4−7、この根拠として、例えば、宗祖の「観心本尊抄」の四十五字法体段「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり」中の「、を離れ、を出で」の「離出性」という悟達獲得の一瞬間では、一会の大衆にとってそれは「離脱性消滅驚嘆」に等しかった筈だと考えられるからである。それまで所化大衆はそれぞれが既存の元品の無明煩悩の持続性に生きていて、釈尊顕本の瞬間は、一種の邂逅偶然性の一瞬でもあって、その悪い持続性が突如的破綻し、それは同時に既在型永遠性を獲得した瞬間でもあったと解されるからである。

4−4−8、さて、この型の場合の偶然が、経験世界で事実的に起きる「邂逅」なら、客観的に捉えられるていることになるが、命題概念的同一律でその本質が定義される定言的必然性が、冒頭から問題にしている「俺は俺であるべきもの」という自己同一的必然性だったわけである。

ところが、「今までもこれからも何をどうしてどうなろうが自分の勝手だ」という任意無規定的自己は、自己同一的必然性の否定形たる「定言的偶然性」を存立基盤にしている、と言えるのである。九鬼はこの「定言的偶然性」の特徴を「孤立性」「例外性」としたが、これが当を得たものである事が分かる。

何故なら、自分と言う歴史を不要とし、時間も不要とする、一切の関係性の埒外にいて自己そのものを無常化していると言えるからである。この時の内面主体は全くの主観性で出来ていると考えられる。何故なら、自己の客体化を拒否していると思えるからである。(若干話題からはずれてしまったが、、。)

153ワラシナ:2003/01/04(土) 22:05
現象仏と内面仏の二重内面(3)「自己同一性の二種」7

5−0−1、上行顕本論のまとめ

さて、ここまでくれば、在世寿量品釈尊の報身顕本が、「過去既在型、過去客観的「今」の永遠性」を現したものといい得る。永劫過去の時間経過量はそのこと自体にあまり意味はなく、現在というものの捉え方の元になっている内面主体の客観的性格(=客観的主観性)を示す為の手段の意味に重きがある、と思う。

5−0−2、だがその様な事が言えるためにはまず「観心本尊抄」解釈が示されねばならない筈だが、それを省いたのは、「本尊抄」の肝心の四十五字法体段「今本時の娑婆世界は、、常住の浄土」の本質を「過去既在型、過去客観的「今」の永遠性」と言ってしまったからそれで済んだ積もりになっていたためである。「今本時」語の「今」を「成り続けが開始された最初の、成ったものとしての今」として「経験世界」の必然性の内の一つ過去客観型永遠性の獲得」と捉えたのである。

5−1、そして、現在常住性=今の永遠性の捉え方の方向性が釈尊とは逆な(元々過去を持たない未来向き)特性を自己の自己たることの内面本質(主観的主観性)としてそれを現したのが、上行菩薩(宗祖)の報身顕本と想定されるのである。

5−2、最初、在世鎌倉期までの御化導では、宗祖は在世寿量品釈尊の報身顕本の証明役として出現した在世上行菩薩の再誕のお立場で振る舞われた。法華経は釈尊の内面主体、魂を表現された経典だから、この立場では、釈尊帰一主義のお振る舞いなのである。ところが、釈尊内面は「単純な客観仏」ではなく「客観的主観性」の二重性格であった。在世上行菩薩は釈尊本因妙時代からその必然性の方向が釈尊と同じ向き「客観的主観性」を現している。ところが、竜口御法難で「御首刎ねられ」た。その際その事を「迹を払って」という「迹」が、ここで再三言った「客観的主観性」に当たると考えるものである。

そして、「魂魄佐渡に至りて」の「魂魄」語が、、「主観的主観性」に当たるもの、と考えるものである。この時からは、元々持っていた宗祖の内面主体が輝き出して、「未在的、新規未曾有の不断到来性の「今」の永遠性」として「現在」を捉えていると拝察されるのである。この瞬間は、過去という束縛を元々持たない、これから歴史が造られる「はじめ」であるから「元初」と言うに等しい。また相対的偶然性を帯びてくる。

常に過去向きの釈尊と常に未来向きの上行菩薩で両者居場所が違うように見えても、確かに現実の場所を選んで現象する時には、外面客体=応身相を違えて出現するから、違う場所かもしれないが、しかし、各自の内面主体(わたし報身)は共有されている。だが、その部分というか重心としているところが違っている、と言える。

154ワラシナ:2003/01/04(土) 22:06
現象仏と内面仏の二重内面(3)「自己同一性の二種」8(最終)

5−3、上行菩薩が釈尊に対等なのがおかしいと思う道理も分かるが、だが、上で荒っぽく展開された釈尊上行内面一体論は、決して釈尊の権威を傷つけたものとは思われないのである。
言うところは、本佛釈尊の本佛の座席が一人掛けでなく二人がけの椅子でできている、という主張に過ぎない。従来は、一人がけの本佛椅子に一人お座りになっておられた本佛釈尊のところへ日蓮宗祖が押しかけて釈尊を蹴飛ばしてご自分がお座りになってしまった、釈尊蹴飛ばし論が宗祖本佛義のように理解される事が多かったのである。

5−4、「二人がけの本佛椅子」にどちらか一方が絶えず座っている関係のようなものと理解するものである。そしてこの二人の出現現象だけを証拠事実的に掲げて釈尊論を展開しているのが「観心本尊抄」と思う。


5−5、このように「二人がけ椅子」に喩えられるように釈尊内面(報身)を二重に複数化した事で真の釈尊の普遍化解釈が可能になった利点の価値を強調しているのである。本仏釈尊ひとりで何が不足かといえば、複数化する事で対十界衆生全てに対しての釈尊普遍性の獲得が可能になるからである。

5−5、地球上全人類が白色人種であったすれば、人種を包含する上位概念としての人類は意義を失う。現実には、皮膚の色様々な人種が複数いるから、人類なる「類的普遍性」の価値が出たのである。そこで釈尊内面が二重化している事は「釈尊自身にとっての‘わたし’」が釈尊以外の上行内面にも共有されている事に等しいから「釈尊のわたし」に「類的普遍性」がある事になる。そして、それは、下位概念たる釈尊種族と上行菩薩種族という「二つの釈尊種族」に分類され、両者は共に釈尊類として其の「類的普遍性」が共有される関係になってくるからである。また共有されるからこそ末法の衆生も在世の釈尊や十界衆生と間接的な関係で結ばれる事ができるのである。(この間接的と言うところが大事)「本佛釈尊の顕本によってその慈悲が十界全てに及ぶ」と言われる時、上のように拡大解釈してわたしは解している。

6−1、最後に若干の反省点
上の考えだけでは信仰論の裏付けとしては不十分と思う。取りあえず「自己同一性」問題と釈尊論の関係交渉に気づいた事の嬉しさからその点だけを取り上げたのである。余計なことも一杯書いたが勝手に省略した部分も多い。これは自分の為の謎解きだからそうなってしまう。
また、諸般の事情からあわただしくせかれたような文体になってしまった事はお詫びするものである。
(h15/1/4)

155ワラシナ:2003/01/04(土) 22:43
現象仏と内面仏の二重内面(3)「自己同一性の二種」9(語句訂正)

4−4−3、「過去か未来のか」の「のか」を「かの」に訂正。
4−4−5、「奇跡」を「奇蹟」に訂正。

156犀角独歩:2003/01/04(土) 22:53

久方にワラシナさんのまとまった文章を拝読し、年頭に少し知的欲求が満たされたような気分になりました。

福重照平師は、いまでは石山でも異轍の如く扱われますが、たしかに、あの『日蓮本佛論』を面白いものでした。いまの時代にその正統な継承者はワラシナさんであると感じます。

全体の流れとして、寛師の本佛義から自在な視点を置き、さらに九鬼周三をもって論じられると、近代石山義をモチーフにし、哲学諸般を掌中にしたエッセイと言うより、耽美的な日記を拝見しているようで、ワラシナさんのお声が聞こえるようでした。

勝手な愚見というか感想を述べさせていただきました。有り難うございました。

159むむむ:2003/01/05(日) 08:33
ずっと過去ログを遡ってみなさんのお話し読んでて、ふと。はっきりいってただの思い付きです。
蓮祖の考えていた、本仏・久遠釈尊て、(久遠の)成道以前の菩薩時代の釈尊だったんじゃないかなー。その例えが不軽だったりして。すみません、バカなもんで。

160むむむ:2003/01/05(日) 08:43
思い付きついで
どなたかが人間としての日蓮像とおっしゃってたけど。
蓮祖のイメージしてた久遠釈尊も、人間としての釈尊だったんじゃないかな?
完成された伝説仏じゃなくて、泣きもすれば笑いもする血の通った久遠仏。
ゴータマさんだってそうだよね。
ダイバダッタの事口汚く罵倒してるし。

161むむむ:2003/01/05(日) 09:05
法華成立史って謎解きっぽくてワクワクしますねー。
でも嘱累を最後に持ってくるバージョンだと間に入る薬王品とかダラニ品とかが、何か変ですよね。
実は妙法華の順番が正しくて一度嘱累品で終わったんじゃないかなー?
で、あとから残りの六品付け足す時に経典の体裁つくる為(お経は嘱累で終わるというお約束)に多宝がまだいたりいなかったりしちゃったんじゃないかなー?
あ、そうだ「薩曇分陀利経」って宝塔・ダイバ品だけのバージョンあるそうですね?
聞如是で始まって、「薩曇分陀利の無央数のゲを説き終わった」という始まりだそうです

162むむむ:2003/01/05(日) 09:07
書き方がバカ丸だしでゴメンね。
でも、ここの人達なら知ってると思って。

163犀角独歩:2003/01/05(日) 09:12

むむむさん:

はじめまして。

> 159〜162

私は概ね、投稿の内容に賛同です。

164むむむ:2003/01/05(日) 09:22
「久遠釈迦菩薩の師」
難しいですよね。法華のような気もするけど。
でもそれまで、過去世で師弟が逆転する話しがあったりしたから案外その時は地涌が師だったりして。
人類みんな仏様って考えたら本仏も無数にいてもいいような…。
あと師なしで悟るって内薫なんとかだっけ?師がいてもいなくても悟りって基本的にはそうなんじゃないの?仏教って?
また、バカな事書いちゃった。
ゴメンね。

165犀角独歩:2003/01/05(日) 10:06

法華経を虚心坦懐に読む限り、釈尊を仏に成させたのは菩薩道です。また、この経典には無数(むしゅ)の仏が記述されているのも事実でしょうね。

むむむさんは、ご自身で「バカ」などと徳を隠していますが、なかなか深い見識をお持ちですね。「能ある鷹は爪を隠す」というところでしょうか。

166むむむ:2003/01/06(月) 02:06
受け売りなんだけど、薩曇分陀利の中で薩曇分陀利の無数のゲってことは、このゲは別経典で、化城を除く序(方便だったかな?)から法師で出来た経典の事じゃないかっていう説があるんだけど。序(方便)から法師では漢約では法華になってるけど、原典では「アグラダルマ(最上の法)」ってなってて、元々別のお経を当時の法華教徒が意味が通じそうだと合体させて、名前を正しい教え白蓮にしたんじゃないか?なんか深い味のあるタイトルにしたんじゃないかって説。だから訳だけ見ると羅什のって問題あるけど作品のテーマとか?(書き切れないから続く

167むむむ続き:2003/01/06(月) 02:28
読んだ人がどう感じるかに重点をおいたんじゃないかな?バージョンによっては「地踊」になってるって話を聞いたら、ますます図に乗って勝手な解釈したけど。経の中のここぞ!という時の奇跡は実はインド人のお約束で昔、お経を聞いてメチャ感動した人にはホントに(というかノリで)大地が震動して花がたくさん降ってきたんじゃないかな?って「踊るマハラジャ」って映画見て思った。ゲは実はメロディが有って。法華って実は大乗経のエンターテイメント超大作?だから日蓮さんの書も案外朗読にミソあったりして。また調子こいておバカな話ししました。

168むむむ:2003/01/06(月) 02:39
実は試しにマハラジャのテーマで序品の散文だけど最初のところ無理やりうたったら結構はまった。羅什ってリズムとか音感とかを意識して訳したんじゃないかな?
もひとつ「如来所演経典」如来が演(の)ぶる所の経典。如来が演ずる所の経典なんてわざと読んだりして勝手に戯曲でもあったのかな?とか、モーソーして、じゃ地涌のシーンは観客全員参加の総立ち?(シャッ化他方の檀上お役者スーパースター菩薩に対して無名の菩薩大集団なんてね。
映画演劇大好き人間の空想おとぎ話しでした。
チャンチャン。

169犀角独歩:2003/01/06(月) 21:02

うん。むむむさんが示すところ、言えてますね。
日本人が経典を読み出すと、途端にリズム、音楽、ドラマ性、そして、光が消えてしまいます。

170天蓋真鏡:2006/12/19(火) 10:53:05
[天台密教から法華一乗へ]【顕事】題目本尊【密事】一尊四士

171そううそ:2007/02/23(金) 22:19:20
こんばんは。はじめまして。「そううそ」といいます。
元創価学会員ですがこちらで質問しても良いでしょうか?

現代の研究において、日蓮の真筆遺文あるいは(真筆が存在した)曾存の遺文から
日蓮の本尊観はどのようなものなのでしょうか?

皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
お答え頂く際に皆さんの基になるお考えが分かりませんので、ご面倒でも
”私は日蓮正宗の人間ですが、正宗のここには賛成してここには反対です。”
こんなかんじで書いて頂けると幸いです。

元学会員でしたので以前は下記のような学会教学を信じて無謬であると信じていました。

http://www.sokaspirit.com/content-ja/matsuoka/chapter01.html
 学会の池田大作名誉会長が長期にわたって行った教学対談の中に「日蓮大聖人は虚空会の儀式を借りて、御自身の内証の悟りを御本尊に示してくださった」i「大聖人は、御自身の己心に根源の妙法を観じとり、御自身の生命のコスモス(宇宙)を虚空会を用いて御図顕された。それが、十界具足の曼荼羅本尊です」
(中略)
個々人が曼荼羅本尊への信を通じて本仏の内証を直接継承する、という意味での「信心の血脈」が最重要事となるわけである。

 こうした理論には今では否定的です。
創価学会の信仰に功徳はあるか? 一念三千、法華経、文底、題目、本尊 の議論
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/02c65be0a900979851c506574dab380a

>>124-126の問答迷人さんと三学無縁さんの考えに私も賛成します。

●虚空会、霊山会の違い

○虚空会、霊山会はどう違うのでしょうか?


>>118
>平成版御書全集の全体を探しても、『御本尊様は虚空会の儀式を図示したものだ』という箇所は見当たりません

sokanetで「虚空会」を検索すると5つ出てきますが、御義口伝、御講聞書は除いて他も全て偽書なのでしょうか?
(真筆が存在した)曾存の遺文でもないということでしょうか?
ネットにあったエクセルの表で個人見解?において真筆度が低かったですが。。。。。

下山御消息(359ページ)
 十方の諸仏は各各の国国を捨てて霊山・虚空会に詣で給い宝樹下に坐して

釈迦一代五時継図(639ページ)
 二処三会の儀式 二に虚空会 宝塔品より神力品に至る十一品

諸法実相抄(1360ページ)
 過去をも是を以て推するに虚空会にもやありつらん

172そううそ:2007/02/24(土) 01:03:07
>○虚空会、霊山会はどう違うのでしょうか?

これは取り下げます。検索したら出てきました。
折伏の際には「虚空会」しか使っていませんでしたね。
どこかで二処三会は学会の書籍で読んだはずですが、
これを折伏で口に出した事はないですね。

173パンナコッタ:2007/02/24(土) 01:24:11
そううそさん、はじめまして。ブログの方拝見させていただいています。

詳しくはのちとしまして、かいつまんで
霊山会については、本尊三度相伝の
「今此の本尊大漫荼羅とは霊山一会の儀式を書き顕はす処なり、末法広宣流布の時分に於いて
本化弘通の妙法蓮華経を受持せん輩は霊山一会の儀式を直に拝見し奉る者なり」
の事でしょう。
また、下山抄は真筆断片未存部分、一代は未決文、諸法は未決文で偽書が有力視されていますね。

174犀角独歩:2007/02/24(土) 09:53:34

パンナコッタさんのご投稿楽しみです。
「虚空会の儀式」については、以下の如き、先行議論があります。

03/03/21:顕本法華宗の見解
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1039933512/578

03/08/07:顕正会員の見解
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015573970/390

03/11/05〜07:Libraさんとの会話
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015573638/154-156

05/01/18:彰往考来さんとの会話
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1084417030/432-437

05/07/23〜08/02:乾闥婆さんとの会話
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/83-108

06/07/14〜08/19:主に『人間革命』の記述に掛かる常連さんとの会話
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1067405428/175-228


パンナコッタさんが引用されたとおり、石山では古来から、本尊図示は霊山の儀式ということになっています。

また、中世においては『御義口伝』に

「第十四 時我及衆僧倶出霊鷲山事 御義口伝云霊山一会儼然未散文也。時者感応末法時也。我者釈尊及者菩薩聖衆衆僧説タリ。倶者十界也。霊鷲山者寂光土也。時我及衆僧倶出霊鷲山也。可秘可秘。本門事一念三千明文也。御本尊此文顕出玉フ也。サレバ倶者不変真如理也。出者随縁真如智也。倶者一念也。出者三千也云云。又云時者本時娑婆世界時也。下十界宛然曼陀羅顕文也。其故時者末法第五時時也。我者釈尊及菩薩衆僧二乗倶者六道也。出者霊山浄土利出也。霊山者御本尊也」

と「霊山とは御本尊」とあります。

創価学会における「虚空会の儀式」の定型化は、もちろん、『人間革命』移行のことでしょうが、では、戸田さんは何の影響を受けて、このようなことを言い出しかと類推すれば、上古以来の籍山教学ではなく、たぶんは他派の日蓮教学解釈の影響に拠ったのでしょう。それは顕本法華宗であったり、また国立戒壇論の如きは国柱会にも拠ったのでしょう。ついで、顕正会も、同様の影響を受けていたことが窺われます。

175犀角独歩:2007/02/24(土) 11:39:02

【174の訂正】

誤)『人間革命』移行
正)『人間革命』以降

誤)籍山教学
正)石山教学

176パンナコッタ:2007/02/25(日) 01:11:37
有益な過去のやり取りを独歩さんが紹介して下さったので、この点は特に自分が
言うことはないですし、そちらをご覧になって下さい。
また、釈迦一代は未決としましたが、後代かなり人の手が加わったものと考えられます。

さて、独歩さんに期待されても困りますが、蓮祖の本尊観という事で真蹟遺文中を見てみると
"本尊"の記述は15編を数えますが、そのうちの諫暁八幡抄の
『我が弟子等の内、謗法の余慶有る者の思ひていわく、此の御房は八幡をかたきとすと云云。
これいまだ道理有りて法の成就せぬには、本尊をせむるという事を存知せざる者の思ひなり』
『此れを対治すべき氏神八幡大菩薩、彼等の大科を治せざるゆへに、日蓮、氏の神を諫暁するは道理に背くべしや。
尼倶律陀長者が樹神をいさむるに異ならず。蘇悉地経に云く「本尊を治罰すること鬼魅を治するが如し」等云云。
文の心は経文のごとく所願を成ぜんがために、数年が間、法を修行するに成就せざれば、本尊を或はしばり、
或は打ちなんどせよととかれて候。相応和尚の不動明王をしばりけるは此の経文を見たりけるか。此れは他事にはにるべからず』
    
この辺を見てみると、八幡の諫暁を本尊治罰と等閑視して正当性を主張していますね。
現在でも縛り地蔵は各地にありますし、選挙の片目ダルマも脅迫行為で成就させる形の一つでしょう。
しかし、富士系の信者が功徳が出ないからと言って"御本尊様"を縛ったりするでしょうか?
(半狂乱で唱題する人や、棄教して敵意を持って破壊行為をする人はいるでしょうけど)此処の所は、
唯一の礼拝対照として"本尊"を見る富士系信者と、蓮祖自身の温度差のある部分でしょう。

現存しない紙幅や遺文は結構あるので不明な点が多いとしか言いようがないのですが、
日眼女釈迦仏供養事や四条金吾釈迦仏供養事の存在は、当時の信徒のスタイルを伝えているものでしょう。
蓮祖自身が漫茶羅正意を信徒に押しつけたのではない証ですし、画一的ではなく人によっては
釈迦仏を建立出来る富のある人もいるけど、そうではなく唯題目だけを唱えている人もいる。
そんな人には法華経二十八品の要として、主題が"本尊にもなりうる漫茶羅"という位置づけだったのかもしれませんね。

177犀角独歩:2007/02/25(日) 09:47:27

パンナコッタさん、おはようございます。

実に興味深いご投稿と拝しました。

まず前題の補足、「虚空会の儀式」について。
富要で見る限り、この用法は、ほとんどありませんね。
ただ、『百五十箇条』に「昔虚空会の時は釈迦を本尊として脇士に上行無辺行の四菩薩・迹化他方あり是脱益の導師なり」と、まあ、類型といえば、そう見えなくもない一文はあります。
一方、日蓮門下通論では、この考えは一般的のようですね。『日蓮宗事典』には「日蓮聖人はこの妙法を虚空会説法の儀式に則り、曼荼羅に顕現された」(「虚空会」の項)。まとめれば、以下の如くです。

┌日蓮門下通論 虚空会の儀式
└富士門下相伝 霊山会の儀式

ところが『人間革命』以降、創価学会は、日蓮宗通論を採ったということでした。
個人的には日蓮の意向は、富士相伝に結構したほうが近似値であると考えています。

さて、次。『諫暁八幡抄』における本尊のご考察。これはたいへんに参考になりました。日蓮の当時、本尊治罰という風習があったのでしょうね。同抄における本尊とは、八幡大菩薩像ではないでしょうか。

よく、故事で、海中とか、山中から御像が発見される物語があり、わたしは不思議に思っていたのです。今回、この謎が解けました。要は、祈念して効験がなかった尊像は治罰する、時には棄て去ることが一般に行われていた前提があるために、海や山から、その棄てられた仏像が発見される物語となったのでしょうね。時系列として、後者は、本尊治罰という風習が廃れたあとの発見であれば、合点もいきます。

178犀角独歩:2007/02/25(日) 10:03:36

余談。今回、パンナコッタさんが引用された『諫暁八幡抄』には、以下の一節があります。

「八幡大菩薩は本地月氏の不妄語の法華経を、迹に日本国にして正直の二字となして賢人の頂にやどらむと云云。若爾者此大菩薩は宝殿をやきて天にのぼり給とも、法華経の行者日本国に有ならば其所に栖給べし」

法華経の行者の許に、神は栖んでいるというのです。
それを神去法門といって、天を拝むことは、本抄の意に合わないことだと改めて思いました。


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