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日蓮聖人の本尊観
85
:
犀角独歩
:2002/08/04(日) 16:01
> 83
この点は、私も全く同感です。
さらに天台以降のことについて、書いてみます。
以前にも記したのですが、初期天台資料を調べてみると、直ちに気付くのですが、「本尊」という言葉は一度も出てこないのです。
私は、これには多少なりとも驚かされました。
たぶん本尊とは儒家の概念であろうと想像しています。
そして、ここで並行するのが神座(いはい)ではないのかという想像も立つわけです。
神座の神は神様というより、たましいと読むほうが、より意味は取れるのだと思います。神座はたましいのよりしろですから、有る意味、祠とか、社、ご神体なんかとも同様の意義を持つのではないでしょうか。
つまり、たましい(志、精神=より精錬されたたましい=心=意)が宿る神座が、もっと具体的に尊敬する対象などと、刻まれたものが、本尊の原型ではなかったのでしょうか。
神(たましい)は、日本仏教では「法」に包摂されていった。
この尊敬する対象とたましい(法)が分化して人法本尊に転訛していったのではないのかという想像もつきます。
いわば聖人が言う本尊というのは、こんな時代背景、儒・外・内、さらに神(日本古来の信仰)が集合する日本型仏教の、熟爛期で、では「本尊とは何か、天台・法華宗に確たる本尊を据えるとしたら何か」を考えていったのが日蓮ではなかったのかと、私は想像するわけです。
また、その本尊観は、たとえば天台の止観を述べるように、あるいは法華経について語るように、と既定の事実を論じるものではなく、日蓮の試論であり、実体験のなかで考え続けられ、その“進行形”のなかで、日蓮は、その生涯を終えたのではないのか、と私には思えるわけです。
簡単に言えば、日蓮は本尊観を完成しないで終えたと言うことです。
それが現在に至るまで日蓮門下全般が既定化された本尊観を持たないことからも窺えます。
この未完成の本尊論の進行形を引き継ぎ、教学的に整理発展させようと最初に取り組んだのが、実は興師とその門下であったのではないでしょうか。
そして、そのきっかけは、聖人所持の一体像を失ったことに機縁があるようにも思えます。この機縁に基づくために、興師直下の重須の檀林教学は、容易く曼荼羅正意に向かったのではないでしょうか。
これはしかし、聖人の結論したことでもなく、また天台、さらにシャキャムニに由来することでもなかったのであろうと思います。
私は、個人的には聖人は、曼荼羅と仏像の両立論者であったと思っています。また、この二つは、元より、役割が別であったのではないかとも思うわけです。仏像は釈尊を形に刻み恭敬尊敬するため、曼荼羅は日蓮己心の「釈尊の心」を弟子檀那に観せるため…、うまく言葉では表せないのですが、そんな相違があるように思えます。
その二つは択一されるものではないと思えます。仏像は曼荼羅と図示するところを包摂するし、反対に曼荼羅も仏像と表現される釈尊が包摂されるという関係にあるように思うからです。
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