したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

日蓮聖人の本尊観

79無徳:2002/08/04(日) 03:02
(続き) 
 
 吉本隆明の影響ではありますが、私は仏教の説く内実を『心的現象論』と
して理解しています。もし人間の心的世界に影響を与える外的要因としての
自然や物質的な関わりを導入するとしたら、それは疎外論としての位相にお
いて可能となるであろうと考えています。

 それは、人間が意識なるものを獲得した根本原因を自然からの疎外として
理解すると分かり易いからです。人間は自然から採集する果実や動物を食し
て生を営んでいる頃、つまりは人間自身が自然そのものとして存在し、未だ
自然を対象として認識する必要性さえなかった頃と言い換えても良いと思い
ます。(考えてみれば未だ人間とは言えない状態とも言えましょうか?)

 ところが人間が次第に数を増し共同体を形成する頃になると、自然と同化
しているだけですまなくなり、共同体の中での人間同士の意志の疎通や一つ
の共同体が他の共同体と情報を交換せざるを得ない状況が生まれると、加速
度的に人間は自然からの疎外体として存在せざるを得なくなります。

 そのことは人間が意志の疎通や情報のやりとりの手段として言語を獲得す
ることになり、ますます自然からの疎外体となっていかざるを得ず。そのこ
とが更に人間が複雑な意識を獲得する要因となり、それと共に不安や恐れを
も感じざるを得なくなってしまったと考えられます

そして、その不安や恐れがやがて宗教を必要とする程に増幅して、ますま
す人間は自然からの疎外を深めてしまったとさえ言えると思います。しかし
人間はやがてその疎外の打ち消しとしての宗教を模索し始めます。

 その疎外の打ち消しとしての宗教として仏教は大きな意味を持っているの
ではないかと私は考えています。『久遠』や『無始』(人間が自然からの疎外
体となっていない頃)なる概念やまた『悟り』や『成仏』(疎外の打ち消し)
更には『凡夫』(人間が自然からの疎外体となっていない状態)や『仏』(疎
外の打ち消し完了の状態)と言った概念も人間にとって自然からの疎外の打
ち消しと言った位相で捉え直すことも可能であろうと思います。

 皆さんの論議の位相とはかけ離れたものとなってしまいましたが、仏教の
指し示す一面と捉えていただければ幸いです。   無徳


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板