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日蓮聖人の本尊観
127
:
犀角独歩
:2002/11/06(水) 09:29
三学無縁さん:
> 随身仏は、海中感得などではなく、ご自身で彫られたもの
このお考えには大いに賛同します。
私も以前、『大聖人のお墓(ご遺骨)はどこにある?』の76で、以下のように記しました。
○随身仏は海中出現か
…聖人ご所持の随身仏は現在、石山では弘長伊東配流の砌に漁の網にかかった海中出現の仏像を船守弥三郎が病気平癒の御礼に献上したものであるとされています。
しかし、五人所破抄には
先師所持の釈尊は忝くも弘長配流の昔し之を刻み
また、法花観心本尊抄見聞には
聖人海の定木を以て一躰の仏を造り
さらに享師は、この説を注釈して、
先師日蓮の御奉持になつていた釈迦牟尼の立像仏は・勿体なくも弘長元年伊東御流罪の時に彫刻…
と記されているわけです。これらの資料の実否は、どうにも考証は未詳ですが、しかし、重須の所破抄の記述は殊のほか、興味が惹かれます。
果たして、聖人が刻まれたのか、あるいは刻ませたのか、海中出現より信憑性を感じるわけです。ある日蓮宗御僧にお尋ねしたところ、僧侶は自ら像を刻み、守本尊とする習慣は古来からあるとのことでした。となると、聖人は曼荼羅を図するのみならず、仏像を彫刻されたことになります。これは石山にとっては、まことに都合の悪い話でしょう。
なお、付随的に、目を引いたのは「海の定木」という一節です。定木は、通常、定規のことですが、海の定規では、意味をなさない気がします。この点をご承知の方がいらっしゃったら、ご教示ください。
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