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日蓮聖人の本尊観
124
:
三学無縁
:2002/11/05(火) 18:18
「戒壇の大御本尊様の偽作説について」スレッドの111で、
>1.日蓮さんは曼荼羅を持たずに池上まできた。
>2.道中の勤行は一体仏に向かっておこなった。
ということを述べました。
日蓮さんは、多数の弟子たちに曼荼羅を書き与えていますし、日興門流は曼荼羅正意説のままに曼荼羅を本尊として授与して、これまできました。
しかしながら、日蓮さん自身は池上鶴林のときにも曼荼羅を所持していなかったようです。
つまり、日蓮さんは自分では随身仏に向かって読経唱題していた。
ただし、弟子たちには仏像の代わりに文字曼荼羅を授与し、それに向かって読経唱題させていた。
そうすると、やはり日蓮さんの考えていた本尊は、久遠実成の教主釈尊であり、その荘厳の形式としては仏像安置を理想としていたが、当時の諸事情から「久遠実成の教主釈尊」の意を文字曼荼羅として表現し、それをもって本尊の代わりとして授与していた、ということになりますね。
日蓮さんにとっては、大切なのは「久遠実成の教主釈尊」じたいであって、絵像・木像・絵曼荼羅・文字曼荼羅など、表現の形式は、それほど問題ではなかったということなのかもしれません。
また、文字曼荼羅は、信徒用であるから「日蓮花押」の署名をなしたが、それは今で言う「コピーライト」マークのようなものであったかもしれませんね。
いずれにしても、亡くなるまで随身仏を所持されていたのですから、日蓮さんが曼荼羅正意であったと断言することは難しいですね。
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