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日蓮聖人の本尊観

140犀角独歩:2002/11/07(木) 10:57

私は日蓮上行論を、消極的に考えていますから、日蓮自体は、将来、聖僧、聖天子となって、上行等の聖人が現れることを前提に論を立てていると見るほうです。

ですから、この時に立てるべき仏像・戒壇は自分が論じることではないという立場を取っていたのではないのか、あるいは万が一、国主帰依があれば、その人こそ、四菩薩の一人であり、となれば、自分が上行であることも証明されるといった階梯を踏んだ思慮をされていたように思います。

いずれにしても仏像・同等伽藍の建立は聖天子に係ることなので、日蓮は法門までという襟度を守ったのであろうと思います。

それが後代、漫荼羅正意論と読み間違えられていったのであろうと想像しています。


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