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日蓮聖人の本尊観

126三学無縁:2002/11/05(火) 19:36
問答迷人さん

>三学無縁さんは、日蓮聖人は曼陀羅を「仏像の代わり」として授与した、というお考えでしょうか。

難しいところですが、仏像も「久遠実成の教主釈尊の代わり」だったのではないか、と思っています。
つまり、「久遠実成の教主釈尊の代わり」であれば、極言すれば、絵像・木像・絵曼荼羅・文字曼荼羅など、いずれでもかまわなかったが、日蓮さんが「弟子たちのため」に選択したのは文字曼荼羅だった、と思うものです。
また、当時の環境下においては、仏像の彫刻よりも簡便であったのが文字曼荼羅の書顕だったことを考えますと、他に選択肢もなかったのではないかと思います。
生身の文殊菩薩を見、不動愛染を感見した日蓮さんですから、「久遠実成の教主釈尊」の姿もイメージとして持っておられたかもしれません。
そうなると、そのイメージを仏師に説明し彫刻させるか、ご自身で彫刻されるか、ということになります。
しかし、時間的な問題や、金銭的な問題などから考えてもそういったことは不可能でしょう。
おそらく、日蓮さんが所持していた随身仏は、海中感得などではなく、ご自身で彫られたものではなかったのかと、創造をたくましくしています。
いずれにしましても、「モノ」であるかぎり、それは日蓮意中り本尊そのものではありません。
なお、本尊を「根本尊敬」とするのは弟子の立場としては当然ですが、日蓮さんは、「本有尊形」の意を用いられていたのではないかとも考えたりしています。


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