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日蓮聖人の本尊観
94
:
犀角独歩
:2002/08/08(木) 06:19
ドブチェクさん:
> 宗祖の人間としての側面にも光を当てて行かなければ、何か大切なものが見失われてしまうのではないのか
まったく同感です。
私は、日蓮は凡夫、行いとしての菩薩という感じでとらえています。聖人であると思っています。
凡夫といっても常人にない精神力、その反面、涙もろく、戒に反する飲酒(おんじゅ)も嗜む大胆さ、権威を畏れない剛胆さなど、魅力溢れる存在であると思っています。
「常人にない」というのはけっして超人化したりするのではなく、あの極寒の佐渡で、食にも事欠く中で開観両抄を著すなど、やはり、すごいなあと思いますね。
誰であったか忘れましたが、かなり書の達つ方が、本尊抄の真筆を見て、あの長文で書損もなく、なにより字の調子に最後まで乱れがないのを見、驚嘆している文章を読んだことがあります。日蓮信者でも何でもない方であったと記憶しています。
日蓮を本仏にまで祭り上げたり、唯一絶対を鼓舞するのは、日蓮に対する信仰と言うより、日蓮の権威を上げれば上げるほど、自分たちの権威も上がるという作為に眼が行き、どうもこれらの考えは教義云々を別にしても納得できません。
そんなことから、ドブチェクさんの聖人観の変遷はわかる気がします。
まあ、そんななかで松戸さんの著述がドブチェクさんの精神史の変遷に果たした役割もわかるところはありますよ。
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