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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

1管理者:2002/03/08(金) 16:52

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/gohonbutu.htm


スレッドテーマのご提案がありましたので、立ち上げます。

古来、日蓮大聖人様が御本仏である、というのは、大石寺、富士門流の根幹教義です。この教義について、幅広く、根源的な議論が展開される事を期待して、このスレッドを立ち上げます。

52独歩:2002/05/03(金) 22:57

○「本仏」の意味の変遷

(1)本仏とは寿量品の釈尊

法華経のなかに「本仏」という語彙は見出せません。
「本仏」という成句は、初期天台資料に既に見られます。

天台『法華文句』(9壽量品16)
如來者。十方三世諸佛二佛三佛本佛迹佛之通號也。
如來とは 十方三世の諸佛二佛三佛本佛迹佛の通號なり。

などと言い、その名を挙げますが、実際のところ、詳しい説明がなされているわけではありません。その解説はむしろ妙楽に拠ります。

妙楽『玄義釋籤』(15釋名蓮華)
開迹顯本即識本佛之所從生。
開迹顯本は 即ち 本佛之所從の生を識す。

つまり、本仏は迹仏に対する語であって、五百塵点成道の“釈尊”を意味するものでした。すなわち、伽耶・始成正覚の仏(迹仏)・寿量品三合論で顕わされる久遠成道釈尊(本仏)を言うわけです。つまり、迹を開いて本を顕わしたわけです。
本仏の意味は以上でした。ですから、純粋な用法に従えば、釈尊以外に当てはめるべき語でないことは、あまりにも明らかです。

実は日蓮聖人に、この語の使用はほとんど見られません。真蹟のみで追えば、

『大学殿事』弘安元年(1278)五七歳
日蓮が云はく、迹仏は長者の位、本仏は法王の位か

のみです。

(2)本仏と一念三千・自受用

「本仏」語に潤沢な意味を冠せられるようになるのは、やはり、中古天台本覚思想の、それも伝教に仮託された『秘密荘厳論』の「一念三千即自受用身」と、展開される凡夫本仏論によってです。

ここでネックになってくるのは一念三千と自受用身でしょう。日蓮本仏論に馴染んでいる人にとって、本仏・一念三千・自受用身は一つにまとめられる当然の原理のように考えられがちですが、実はこの“常識”が“操作”されたものであることに気付く必要があります。

実は天台・法華三大部には「一念三千」語の使用は見出せません。これを使うのは妙楽です。

妙楽『玄義釋籤』(4釋名三法妙)
止觀中不思議境一念三千非思量分別之所能解。是故立此不思議名。
止觀の中の不思議境一念三千は思量分別之所 能く解するに非ず。是の故に此の不思議の名を立てる。

また、「自受用」の使用も法華三大部には見られません。これまた、妙楽によります。

妙楽『玄義釋籤』(12釋名三法妙)
應身即水月者。諸水非一故。報身爲天月者。自受用報非多故也。
應身即水月とは 諸水は一に非ざる故。報身を天月と爲すとは 自受用報(身)は多に非ざる故なり。

以上のことから、つまり、天台には本仏観はあったけれど、少なくとも、語彙の用法としては一念三千も、自受用身もなかったわけです。そして、一念三千・自受用身は妙楽が展開したものであったということです。

53独歩:2002/05/03(金) 22:58

―52からつづく―

(3)次々に主語を奪う

さて、先に挙げた一念三千即自受用身から、さらに「出尊形仏」という一語をもって人法一箇というまったく新説を展開します。これは言わば連想ゲームであって、一念三千は自受用身で一つ、自受用身は尊い形を出た仏、すなわち人間、だから、人法一箇というわけです。まったく勝手な論理展開と言うしかありませんが、早坂鳳城師の指摘するところに拠れば恵心流口伝法門には天台本仏論があるといいます。すなわち、上述の連想ゲームで言いたいことは、天台と説かれた一念三千は一箇であるということです。すなわち、これが天台本仏論です。

日蓮本仏論者であれば、真上の記載を読み、「?」と思われることでしょう。つまり、上の説明は天台本仏を論ずるものではなくて、日蓮本仏を論じる基本理論であるからです。まったくそのとおりなのであって、つまり、寛師は上述の中古天台の解釈をすっかり“いただいて”天台を日蓮に置き換えて日蓮本仏論としたのに過ぎなかったのです。ただ、寛師の場合は、さらに一念三千を南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と言えば曼荼羅、曼荼羅と言えば、ただ弘安二年大曼荼羅(戒壇之本尊)とおまけをつけて、人法一箇とするわけです。

整理すれば、「本仏」は天台に見られます。この場合の用法は本門仏の意であって、久遠釈尊を意味します。日蓮聖人自体の用法はこの意味に限られています。
中古天台本覚思想において、まず天台本仏論が台頭し、それを真似て日蓮本仏論が形成されて行ったわけです。

重要な点は本仏は元々久遠釈尊を指し、そう言っていた天台を今度は本仏と言い、その釈尊・天台に従っていた日蓮を本仏というに至るという点です。
このようなことが正しい考え方であるとは、私には思えません。

54独歩:2002/05/04(土) 09:02

―53からつづく―

私は51に考証の5つの段階 (1)法華経原文ではなにが説かれているのか(2)天台はそれをどう解釈したのか(3)中古天台本覚思想ではどう変化したのか(4)聖人はどう受用されたのか(5)滅後の弟子はどう解釈したのか としたのですが、並びは以下のほうがよかったと思いました。それを用いて本仏義を整理すれば

(1)法華経原文ではなにが説かれているのか

法華経には「本仏」という語彙は見出せない。しかし、久遠寿量が仏の本当の姿であることが示されている(久遠五百塵点劫成道釈尊)

(2)天台はそれをどう解釈したのか

迹門で、十界、互具(百界)十如(千如)実相、本門で三妙合論(本因・菩薩道、本果・成仏、本国土・娑婆世界)によって三千成就、久遠寿量仏を闡明にし、本仏を説明した(ただし、一念三千は妙楽の説)

(3)聖人はどう受用されたのか

本覚思想との接点はあったろうが晩年に向かうほど、純天台志向を高めていかれた。恵心流口伝法門との接点は見出せない。本仏の真蹟上の出典は一ヵ所のみ、本仏は天台に同ずるのであり、本尊として本門教主釈尊を立てられた。

唱題立行を創案し、修行の肝要とした点で天台とは異なる。

(4)中古天台本覚思想ではどう変化したのか

妙楽によって固定化された一念三千を、自受用身と一体であるとし、さらに出尊形仏であるとし、無作三身は名字凡夫という凡夫本仏論を展開。口伝において天台本仏論を至極とした。

(5)滅後の弟子はどう解釈したのか

天台本仏を、今度は日蓮本仏とした。

55独歩:2002/05/04(土) 11:28

【54の補足と訂正】

元)(5)滅後の弟子はどう解釈したのか
補)(5)石山の滅後の弟子はどう解釈したのか

56独歩:2002/05/04(土) 14:02

○長遠永異故用比之

という一節は実に気になります。先に一般的な読み方を記したのですが、ちょっと、考えているところを、ここを備忘録として記させてください。

まず「長遠永異」の長・永は通常であれば対句に読めます。“長”は丈などの長短がながい様、それに対して、“永”は時間がながく遠いこと。いずれも“ながい”ことを意味して使われていますが、同じ字の重複を避けるために長・永が使い分けられているように見えます。(同じ意味をいくつ感じで表現できるかでその人の素養が計られる習いがあったわけです)

長遠は前文から如来の寿命が長遠であることが本門の正意であると知れます。永異(ようい)は永く異なる意で天台文献では多く散見できる熟語です。(初期天台61文献中78)
ここの文意は、さらに前段から諸経(権経)とその正意である如来寿長遠が永く異なっているという意味であろうと存じます。

以上を前提とするとき、

「故用比之」の“用”が気になります。そのために私は訓読で、あえて用比と残してきました。もちいる、はたらくと読むことが一般化されていますが、果たしてこれでよいのか? そのような疑問が私にはあるわけです。

ここの文脈は明らかに、権経:実経=迹門(用)・本門(体)となっているわけです。
つまり、長遠(実経)永異(権経)となっているわけです。
となると、故のあとの「用比之」の“用”は体用の用と読むほうが自然ではないのかと思えるわけです。つまり、「用を之に比す」。すなわち、権経と永く異なるので、(本門実相体の)用と之(権経)を比べるという意味ではないのかと思うわけです。

そして、続く段では、諸経(権)に対すれば実は本迹束ねて比べられるから、同辺に論ずる。けれど、さらに精しく言えば、長寿は、ただ体の用を証じるばかりで、実相の体を未だにまのあたりに証じてはないということとつながると思えるわけです。

ややこしいことを書いていますが、要するに「用比之」は「用を之に比す」ではないのかというのが言いたいところです。

57川蝉:2002/05/06(月) 09:42
独歩さんさんが53番に、

>重要な点は本仏は元々久遠釈尊を指し、そう言っていた天台を今
>度は本仏と言い、その釈尊・天台に従っていた日蓮を本仏という
>に至るという点です。
>このようなことが正しい考え方であるとは、私には思えません。

と云われていましたが、その通りのようですね。
「摩訶止観見聞添註」を見ると、
「粟田口心賀の義に云はく、玄義文句は在世の教味を假りて、一代の教相を判ず。故に法華の能釈なり。
止観は是れ大師の己心所行の法門にして、更に在世の教味を借らず。何ぞ法華の能釈と云うべきや。

況や身・土・説・機に就いて之を別つなり。則ち法華能説の教主は釈尊応身仏果、所居の土は同居霊山、所被の機縁は一代声聞植迂回道の類、色心二重移転を正機と為す、所説の法門は本迹二段の妙法なり。
止観能説の教主は自受用報身如来、所居の土は皆常寂光妙土、所説の法門は天真独朗の法体、本迹未分の内証、所被の機は直入円頓にして、本迹未分の頓機なり。
身・土・説・機、既に格別なり。いずくんぞ能釈ならんや。

止に云はく(一の一の二十五左)此の止観は天台智者、己心中所行の法門を説きたまう。と、己心中所行とは依経立行法に非らざるなり、法華の能釈に非ること験かなり。
此の旨を著さば、玄義文句には法華の言を安く。止観は摩訶と題して法華と書かず。
また玄義文句は法華の文を引く。或いは云はく此の経に云はく、或いは経に云はくと云う。止観は法華と云はくと、此の経を引かざるなり。此の如き等は、寧ろ己心所行止観は能釈にあらざる事を顕すに非らずや。」(佛教全書・摩訶止観見聞添註18頁)

「止観序(一の一の五右)に智者、大随等と云う。弘決(一の一の五右)に之を受けて云はく、智者の二字は即ち是れ教主、と。智者の二字、仏徳と全同なり、即ち此を以て三身中自受用身と為し、止観教主と云うなり。」
(佛教全書・摩訶止観見聞添註22頁)
等と論じています。

上掲の文のおおよその意味は、

「玄義・文句は法華経の解釈書であるが、止観は大師の己心所行の法門であって、法華経等の教説に基づいたものではない。故に法華経の解釈書ではない。
法華経と止観とは、
説き主(法華は応身釈尊・止観は自受用報身如来)、
説かれた場所(法華は同居の霊山・止観は常寂光妙土)、
説かれた法門(法華は本迹二段の法華経・止観は天真独朗の法体、       本迹未分の内証)、
聴衆の機根(法華は色心二重移転を正機・止観は本迹未分の頓機)  <色心二重移転を正機とは、種・熟と調熟された機根の意か。   川蝉注>
が異なっている。ゆえに止観は法華の解説書ではない。

(天台)智者の二字は教主という意味である。故に己心所行の法門を説いた天台大師の事を自受用身と為し、止観教主と云うのである。」

との趣旨の文です。
止観は法華経に依って立てた行法(法門)ではなく天台大師己心所行の法門であるから、大師は止観の教主であり、自受用身なのであると云う主張のようですね。

創価学会・佛教哲学大辞典を見ると、
「釈尊は色相荘厳の仏身であり、・・所説の本迹二門は迹中に説く理上の法相」(343頁中段)

「インド応誕の釈尊は久遠元初の自受用身に対すれば応仏昇進の自受用身」(同343頁上段)

「日蓮大聖人は・・久遠元初の自受用身の再誕であられ、・・(対象は)末法の独一本門の直機」(同280頁下段)
等と有って、
釈尊は応仏昇進、日蓮大聖人は久遠元初の自受用身の再誕。
釈尊の所説は本迹二門の法華経、日蓮大聖人所説は独一本門。
釈尊の教化対象は種熟を経て調熟された脱益の機、日蓮大聖人教化の対象は末法の独一本門の直機。
と云う違いが有るとしていることが分かります。

日蓮大聖人は、釈迦が説かなかった妙法五字を説いた故に本仏であると云う論理と、「摩訶止観見聞」に見える、止観は法華経に依っていないと云う立場や、法華経には依らずに己心所行の法門を説いた天台を自受用身と見る論理と極めて酷似していますね。

「止観は法華より勝れている」と云う思想や「観心の釈の時には本迹を捨てる」と云う思想は、宗祖が「立正観抄」において厳しく否定されています。(立正観抄は身延三世日進の写本があるので、確実な御書といえるでしょう)

58独歩:2002/05/06(月) 12:48

川蝉さん:

『摩訶止観見聞添註』、止観勝法華劣、天台勝釈迦劣、さらに天台を自受用という典型的な資料を挙げてくださりまして、有り難うございました。

しかし、実に魅惑的です(笑)

現代も昔も、解釈だけで学んでしまうと原文も解釈どおりの意味が書いてあると思ったり、また実際に読んでも、そのような解釈どおりの意味で読んでしまう習慣が身についてしまうものですね。怖いことだと思います。

法華経を信じていると言いながら、実は信じているのは“解釈”のほうであるという主客逆転が起こるのでしょうね。

このトリックに気がつける飛躍的に理解力は開かれるのですが、それぞれ自派の解釈にしがみついてしまう悲しさがあります。

それにしても整理された川蝉さんの学識には改めて敬服いたすものです。

60犀角独歩:2003/01/29(水) 13:41

最近また、日蓮本仏論が議論のなかで見え隠れしておりますので、この点に一言だけ、申し上げます。

私は現行いわれる本仏論は本仏論と言うより、原初仏論であろうかと思います。

岩本師は以下のような非常に興味深い分析をしています。

「『法華経の立場』 大乗仏教に至って原始仏教の無神論的性格は破棄され、ブッダが神格化され、、歴史上のブッダの個性は消滅していったのであり、その完成された形に於いて、世界は「独立して存在する」(スヴァヤム=ブー)本源的な仏であるアーディ=ブッダ(原初仏)から現出するとされた。われわれの『法華経』は嚮に述べたように、大乗仏教の新しい倫理を説き、また仏をスヴァヤム=ブー Svayambhu (自然に生じた者)として讃歎しながらも、未だシャーキャ=ムニ(釈迦牟尼仏)が第一の地位を占めており、しかも幾千万億の仏や求法者(菩薩)たちに取囲まれているのであって、ここでは歴史的なブッダの姿は未だ完全に消滅していないことが知られる。また、その哲学説に於いても、ブッダが説いた縁起説を超克して、「空」の思想によって包摂しようとしているが、なお未だ一元的な観念論に到達していないのである」(『法華経・上』岩波文庫 P371)

以上の岩本師の言で法華経が到達しえなかった一元的観念論(観念論という表現の適不をいまは論及しませんが)における大乗仏教が構築した仏はまさに「原初仏」であったのであろうと思われます。

石山に添って記せば、有師における日蓮本尊論は凡夫、未断惑を、師・本尊とする類の日蓮崇拝であったのが、寛師に至っては釈尊再誕日蓮となります。この二つの日蓮崇拝の在り方は明らかに異なります。また、これらと伝眼師の言とされる「日蓮本仏」とはまた趣を異にしています。しかしそれでも劣を簡んで勝を立てる勝劣相対に基づく、仏の選定であるのでしょう。つまり、これは真偽未決の『本尊問答抄』「本尊とは勝れたるを用ふべし」という勝劣論の延長にあるのでしょう。

つまり、、通じて富士周辺で論じられた本仏観はいわゆる相対論なのであって、迹仏を簡び本仏、迹門仏を簡び本(門)仏、垂迹仏を簡び本(地)仏、権仏を簡び本仏という相対観で本仏を選んでいます。

ところが学会が生命論を言い出し、その影響を受けた石山教学はその相対観として本仏論から一歩進み、むしろ、原初仏思想になっている点を看過すべきではないと私は考えます。このような仏観はしかし、法華経というより、それ以降の大乗仏教の要素が加味されているのであろうと思います。

妙法蓮華経を宇宙真理と見做し、それを無始已来体現するという類の仏観は、本仏というより、原初仏というほうが相応しいと思えます。

なお、原初は当初(そのかみ)より、さらに原初的であると私は思います。
『三世諸仏総勘文教相廃立』に

釈迦如来五百塵点劫の当初(そのかみ)、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき

という「当初」より、真跡遺文にただの一度も表れない「元初」に「原初」は近いのでしょう。総勘文抄では即座開悟の有限をいうのに対して、日蓮を「無始無終の仏」とする学会・影響下の石山教学は超越的であり、ここでは相対観は既になく、一元的な原初仏となっています。

原初仏は、元初仏と換言が可能なのかも知れません。いずれにしても、現在の日蓮本仏はすでに寛師の本仏論とは違うものになっている点は一考を要することを指摘しておきたいと思います。

61今里祐二:2003/01/30(木) 04:02

富士門流の教義とは日蓮大聖人の「言」に拠って成り立っているのか?

『聖人御難事』にはこのようにあります。
『仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其中の大難申す計りなし。先先に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各各かつしろしめせり。』

『出世の本懐』がどのような事柄を指すのかという議論はさておいて、弘安二年十月頃、大聖人様は、釈尊が法華経を説いたことに匹敵するような、大聖人様御自身が心の底から満足できるような何事かをされた、という事は疑い様の無い事実だと思います。

僕は、富士門流の教義とは、この大聖人様の『出世の本懐』を拠り所にして成り立っている教義だと考えますが、いかがなものでしょうか?

御書を文底読みしたり、例え真筆であっても信仰に対して益が無いと判断されるものは削除するという態度に、そのことが如実に表れていると思います。

有師・寛師・そして現代と、大聖人様の仏としての格付けはドンドン上がっていき、解釈という意味での変遷(進歩?)はありますが、『出世の本懐』を拠り所としている点については変節は無い様に思います。

浅学ゆえ、上記のような考え方で良いのかどうか解りません。どなたか御教示下さい。

62アネモネ:2003/01/30(木) 13:04
今里さん

こんにちは。お久しぶりです。
私はご教示は出来ませんが、少し疑問に思うところがありましたので、レスいたします。

>『出世の本懐』がどのような事柄を指すのかという議論はさておいて、

とのことですが、

>富士門流の教義とは、この大聖人様の『出世の本懐』を拠り所にして成り立っている教義だと考えますが

という以上、大聖人様がご自身の『出世の本懐』を何と考えておられたかは、非常に大事な問題だと思います。そこを厳密に捉えなければ、拠り所にして立つことはできないと思われます。

そこで、私からまず今里さんに質問させて頂きたいのですが、
『聖人御難事』は、弘安二年十月一日に御執筆されているわけですが、ここでは「余は二十七年なり」と記されて、日蓮聖人はこの時点で既に出世の本懐を遂げられているものとして書かれているように私には読めるのですが、今里さんはそのへんはどのように読んでいらっしゃるのでしょうか。
さらに、戒壇の板曼荼羅の日付は十月十二日ということで、この書を書かれた日付よりも後のことになり、辻褄が合わなくなると思うのです。私の読みが間違っていないとするならば、今里さんは、日蓮聖人の出世の本懐は何になると考えていらっしゃるのでしょうか。

この御書には出世の本懐を示す「大難」ということが説かれているかと思うのですが、私は、日蓮聖人にとっての大難は、やはり龍の口の法難から佐渡流罪にかけてのことだと思われるところです。とすると日蓮聖人は、ご自分の出世の本懐を龍の口の法難から佐渡流罪にかけての大難と考えられていたのではないかと、それこそ浅学ながらそう思うのですが…。どうでしょう。
もちろん日蓮聖人は熱原の法難に際しては、自分の難として、つまり同苦の心で向き合われたこと拝察されます。しかしこの熱原の大難を受けている中心的存在は、やはり熱原の信徒たちと捉えるのが自然なのではないかと感じます。
それこそ間違っているならば、ご指摘頂きたいと思います。

63アネモネ:2003/01/30(木) 14:40
>62
私の書き込み、少し不十分ですね。
「余は二十七年なり」という年数を立宗の年から計算すると、龍の口の法難から佐渡流罪の年は合わないですね。
やはり、熱原の法難のこの年になるのでしょうか。
失礼いたしました。私もご教示を、お待ちします。

64今里祐二:2003/01/31(金) 03:00
アネモネさん

>大聖人様がご自身の『出世の本懐』を何と考えておられたかは、非常に大事な問題だと思います。

アネモネさんの仰るとおり、非常に大事な問題だと思います。
しかし、現存する史料では確認できないため、いろいろな議論が際限なく続けられていくのでしょうね。

>辻褄が合わなくなると思うのです。

僕も少し辻褄が合わないかな…、という気もしますが、在家信徒の身分では調査のしようも無いので、この点については、御法主上人の御指南に従えば良いと考えています。

※この点とは、『出世の本懐』=『戒壇の大御本尊』という事です。

65犀角独歩:2003/01/31(金) 08:58

「本懐」については、過去2年間で200回にも及ぶ議論がありました。
にもかかわらず、相変わらず、板漫荼羅が本懐である等ということが取り沙汰されるとは思いませんでした。
皆さん、過去ログをご参考ください。

69今里祐二:2003/01/31(金) 14:07
日淳上人の御指南です。

『大聖人の三大秘法は本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目とでありますが、此れをつづめますと本門の本尊の一大秘法になります。戒壇も題目も御本尊によって起ってくるからでありまして乃ち御本尊に具つてをるところであります。しかしてまた三大秘法を開きますと六大秘法になりまして本門の御本尊は法と人とになり、戒壇は事と義となり題目は信と行とになるのであります。三大秘法を開合致しますとかようになるのでありますが、三秘のところを至極とするのであります。此の三秘の関係はまことに重要なことで、此れを誤ると大聖人の御法門を正しく拝することはできないのであります。世間では大聖人の教は題目にあらせられると思つて題目を主として御本尊を忽かせにする者が多いのであります。多いどころではなく皆左様に考えてをりますが、此れがために大聖人の教をはき違えるのであります。元来かような考へは南無妙法蓮華経は法であるとのみ考へるからでありまして宇宙に遍満する妙法の理が題目であるとするからであります。此れは大変な誤りで南無妙法蓮華経は仏身であります。即ち法報応三身具足の当体であらせられ報身中に具し玉ふのであります。妙法の理は天地の間にありましてもそれは理性であります。実際には仏の御智慧にのみ厳然として具はり玉ふのであります。その仏は十方法界に唯御一人在ますだけであります。そうしてその仏が衆生を正しく御導き下さるのであります。世間で日蓮大聖人の宗旨であると自称してをる一般の宗門では御本尊の首題の下に自分の名を記して授与してをりますが、飛んでもない大非法であります。恐らく此れは南無妙法蓮華経と唱ふるものは法華経の行者であると考へて大聖人と同じ思ひをするからでありませう。凡そ法門に於ては総別の二義があるのでありまして此れを忘れると地獄ヘ堕ちることになります。日蓮大聖人は「総別の二義を違えば成仏思ひもよらず」と仰せられてありますが、此れは行人の最も心ををくべきところであります。法華経の行者は大聖人唯御一人だけで末法の仏も大聖人であります。総じて申せば妙法を信受するほどのものは行者といえますが別して逆縁の衆生でありまして順逆の分別は行功によるところであって畢竟唯御一人の仏に対しては凡夫であります。かえすがえすも此のところが肝要であります。かようでありますから仏の所有なされる妙法即仏身たるところが根本でありまして、その御本尊を信受し奉る上の修行が題目になるのであります。すでに仏身地であらせられる大聖人の建立し玉ふ大曼荼羅を信受し持ち奉ることが肝要でありまして、此れ以外は皆偏見であり邪道であります。』(日淳上人全集『日蓮大聖人の教義』)

70犀角独歩:2003/01/31(金) 14:12

↑こんなの石山人を通過していれば、誰しも知っている話。
 その批正を考えてるわけですね。

71犀角独歩:2003/01/31(金) 14:26

> …南無妙法蓮華経と唱ふるものは法華経の行者であると考へて…

淳師は、こんなこと言い切っていいのかね。
私は真跡だと思わないけれど、『諸法実相抄』に

 いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとを(通)り、日
蓮が一門とな(成)りとをし給ふべし。日蓮と同意ならば地涌の菩
薩たらんか。地涌の菩薩にさだ(定)まりなば釈尊久遠の弟子たる
事あに疑はんや。経に云はく「我久遠より来(このかた)是等の衆
を教化す」とは是なり。末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は
男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき
題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人
百人と次第に唱へつた(伝)ふるなり。未来も又しかるべし。是あ
に地涌の義に非ずや。

と、あります。

72仲村 英彰:2003/03/22(土) 18:18
略 貴HPはスッゲーです、、。 その辺の「ナマクサ坊主ども」がみたならば、ビックリ・ヒョウタン島に到着でしょうか、、??
 ワシは、30年間「池田独裁の洗脳」にだまされ「正信会に数年在籍」したが、双方の「ニセ本尊」に見事に「一杯喰わされ」たくやしさから「宗教はもうコリゴリ」と分かった。
 先年のNHKドラマ”時宗”で「日蓮」の「ド根性」に感銘した。 店頭で立ち読みした「日蓮入門」(筑摩新書)の119ページの「真筆本尊=三島妙法華寺」の写真にはドッキリ、。
 始めて「ホンマモノの本尊」を見た。そして「観心の本尊抄=いかなる本尊を心に思い浮かべて”心で観る”か??」について、の解釈には驚愕した、。
 「ホンマモン」を求めて「三島の妙法華寺」を訪問した。 が「窃盗団被害で”新規募集停止中”」と相手にもされなかった、、。 寂しい、。 大阪市:仲村 拝。

73問答迷人:2003/03/23(日) 20:03

仲村英彰さん

はじめまして。書き込み有り難うございます。すこし、ご質問させていただいて宜しいでしょうか?

>双方の「ニセ本尊」

とは、具体的にはどの本尊とどの本尊を指しておられるのでしょうか。

>「観心の本尊抄=いかなる本尊を心に思い浮かべて”心で観る”か??」について、の解釈には驚愕した、。

「日蓮入門」(筑摩新書)に書かれていることなんでしょうか。仲村さんが驚愕された内容をご披露戴けませんでしょうか?「観心本尊」についてどのように述べられているのでしょう。

74仲村 英彰:2003/03/26(水) 22:52
前略 どうも。 ニセ本尊=日蓮真筆以外のもの、でしょうか、、。真筆本尊を始めて「御拝見したときは、コレがホンマモノ」かとビックリしたものです、。それまでが「似せたニセモノ」だと「一目瞭然」に判明したからです、。 すくなくても予字や他字を含まないモノでしょう、、。
 観心=心に思い浮かべて「心で観る」事の可能な限りとは=ワシにも良くわかりません、、が、、。
 日蓮サンは「後生の民への本尊とは??」には「少なからず不親切」かとぞんじます、、。 早々、。

75みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/03/27(木) 00:33
観心は、「心で観る」ではなくて、「心を観る」だと思いますが。

76仲村 英彰:2003/03/28(金) 19:45
みかんさん: ご指摘ドウモ、、。 漢文の素養不足でした、、。 「英文のガワノオニ」の範疇でしょうか、、。?
 日蓮サンが主張したかったのは「本尊の核心をのべるので、その核心をとらえよ、、」と言うことかと存じます、。
 因みに「開目抄=諸人よホンマモンの仏法に”目をバッチリ開けて見よ”」ということを言いたかった、と存じまするが、、??
 しかしながら、諸人は「サッパリほとんど理解も不可のよう」でした、、。 誰が「理解不足」をたすけたのでしょうか、、??
 日蓮はバッチリ「断言」しておるのに「不伝」とは、これは誰かが荷担か?? ホンマに「難儀」デンナー、。 早々。

77その辺の寅五郎:2003/03/31(月) 21:49
はじめまして、 いろいろとご参考になります。時に、ネットの http://www.lbis.jp/gohonzon/を偶然に知り検索したところ「日蓮真筆本尊=120数体」の御写真付きで公開中です(仰天)。  文永〜弘安のあいだの「筆跡の御変化」はございますが、必ず「日付か宛名か、その双方かが存在」しておるのは仰天でした、。やはり「ホンモノ」は「ソンジョそこらのニセモノ」とは「天地雲泥の差」を実感しました次第です、。 ただ「ホンモノ所持の寺院に”日蓮の御精神”が今でも、いかほど存在中」かは「全く不明」ですが、。今まで、ニセモノばかり「拝まされてきた方々」には、御関心大かと存じまするが、。 そこで、短絡的に申せば「日付けや宛名」もない「その辺のニセモノ」よりも「これらHPより真筆を印刷し拡大コピーして額縁に入れての内得信仰の方が、よほど現実的」かと、、??」ぞんずるが、、。 自分だけなら「著作権侵害」には不該当かと、。 ただ「真筆所持の寺院は不収入なので御不満が残るでしょうか、。

78アンタッチャブル:2003/04/15(火) 23:30
日蓮正宗が、法論で顕本法華宗に負けおったくせに、また事実をねじ曲げて喧嘩を売ろうとしてまんがな。
詳細は http//www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/
あんさん方も、少し客観的な物事を考え方を持ちんしゃったら、どうやろか。

79アンタッチャブル:2003/04/15(火) 23:33
あかん。http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/ やった。

80求道者5963:2003/04/23(水) 22:02
ご参考になります、、。 本当に「日蓮サマ」の教えは「難儀」でございますナー、、。
 「速やかに、成就する”仏の境涯”の為に、、」という=法華経如来寿量品16」の「肝心のカナメ」はいずこへ行きしなさったのでございましょうか、、??
 「未だに”どういう本尊サマ”に合いたいして、どういう”修行”を貫徹すれば”真の成仏”なるものを体感、体得=体現を可能、、??」なものでしょうか、、、???
 どなたか、お教え下さいませ、、、??

81求道者5963:2003/04/23(水) 22:03
ご参考になります、、。 本当に「日蓮サマ」の教えは「難儀」でございますナー、、。
 「速やかに、成就する”仏の境涯”の為に、、」という=法華経如来寿量品16」の「肝心のカナメ」はいずこへ行きしなさったのでございましょうか、、??
 「未だに”どういう本尊サマ”に合いたいして、どういう”修行”を貫徹すれば”真の成仏”なるものを体感、体得=体現を可能、、??」なものでしょうか、、、???
 どなたか、お教え下さいませ、、、??

82みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/04/24(木) 00:46
>>[buenos1939@ybb.ne.jp]さん。

ハンドルを統一していただけませんか。多重ハンドルは好ましくありません。

83愚鈍凡夫:2003/04/29(火) 13:02
皆様初めまして。時々この掲示板で勉強させて頂いています。
創価学会不活動家をやっていた愚鈍凡夫です。
本仏とは衆生に仏種を下種する仏のことだと思いますが、この仏種とは、
「若人不信。毀謗此経。則断一切。世間仏種。(若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん)」(「妙法蓮華經譬喩品第三」)
とあることから、法華経のことと理解してます。
この法華経を日蓮聖人は、
「法華経は即ち釈迦牟尼仏なり法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り此の経を信ずる者の前には滅後為りと雖も仏の在世なり」(「守護国家論」)
と記されています。そして、
「一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだひろまらず一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」(「報恩抄」)
とあります。
従って、本尊を「本門の教主釈尊」、行法を「法華経の題目」としたことで、出世の本懐は満たされていると考えていいのではないでしょうか。
もしよければ、どなたか御教示下されば幸いです。

84無明者:2003/04/29(火) 18:04
、、、::、、御同感いたします、、、。。サスガ、、、深い「かなりの教学力と深い洞察の御方かと存じまする、、」 。 御免。

85ガンコ:2003/04/29(火) 18:17

愚鈍凡夫さん、はじめまして。わたくしガンコ(=あほう凡夫)と申します。

あなたは名前に反してなかなかの使い手ですね。わたくし、論旨明解なる文章にあこがれてまして、あなたの文章を好ましく感じました。

さて、内容ですが・・・

>本仏とは衆生に仏種を下種する仏のことだと思います

これは大変わかりやすい。当然、学会員でしたら大聖人を下種の本仏と教わることと思いますが、いまは学会を卒業されたのみならず「日蓮本仏論」をも卒業されちゃったようですね。

>この仏種とは・・・法華経のこと
>法華経は即ち釈迦牟尼仏なり

わたくしなんかは短絡的に人法体一を思い浮かべてしまうんですけど、いまのあなたはどうなんですか?

>出世の本懐は満たされていると考えていいのではないでしょうか。

ヘンな話ですが、わたくしはまたも短絡的に出世の本懐というと仏様の御振舞いを想像してしまうんです。

あなたは謙遜で愚鈍凡夫と仰せなのでしょう。わたくしは正真正銘のあほう凡夫ですから、どうかこちらこそご教示ねがいたく存じます。

86愚鈍凡夫:2003/04/29(火) 20:21
無明者さん、恥ずかしいです。
ガンコさん、新参者が生意気言って済みません。
先の「守護国家論」の文証は、
「自我得仏来。所経諸劫数。無量百千万。億載阿僧祇。常説法教化。無数億衆生。令入於仏道。爾来無量劫。為度衆生故。方便現涅槃。而実不滅度。常住此説法。(我仏を得てより来、経たる所の諸の劫数、無量百千万億載阿僧祇なり。常に法を説いて、無数億の衆生を教化して、仏道に入らしむ。爾しより来無量劫なり。衆生を度せんが為の故に、方便して涅槃を現ず。而も実には滅度せず。常に此に住して法を説く)」(「法華経如来壽量品第十六」)
此の文証を依文としていると思うのです。
法華経の法味は未だ尽きずという意味と捉えています。
小生、『人法一箇』という仏法用語が最後まで馴染めませんでした(よく、それじゃアインシュタインと相対性理論は而二不二の関係にあるのかと、屁理屈をこねて学会幹部を困らせていました)。
仏法は、釈迦牟尼の悟達した内容を説いたものであるでしょうが、釈迦牟尼自身と一体不二の関係にあるとは思えなかったのです。
正直言って今は、「本門の教主釈尊」が仏像なのか、仏画なのか、それとも十界勧請の曼陀羅を指すのか、分かりません。
出世の本懐の件は、
「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(「聖人御難事」)
とあるものですから、仏陀のみに許される用語とは思っていません。人師論師に使用しても差し支えないと思っています。
現時点ではこのように思っています。

87ガンコ:2003/04/29(火) 21:17
ご教示ありがとうございます。

わたくしが出世の本懐で想像したことは、ご指摘の御書ともうひとつ、崇峻天皇御書でした。あまりにも有名ですが、「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候ひけるぞ」と。

聖人御難事で大聖人御自身が出世の本懐をおおせらる段において、釈尊の例に止まらず天台伝教を加えたまうは仏にあらずといえども仏にじゅんずる者とお考えなのであろう、顕仏未来記の「三国四師」との御表現からもそんな風に考えるわけです。
また、「余は二十七年なり」を強調するためには例示を多く遊ばしたほうが効果的とも思えます。

わたくしが言ってるんじゃ説得力ありませんけどね。

88愚鈍凡夫:2003/04/29(火) 22:52
ガンコさん。言葉が足りなかったようで済みません。
小生は、「出世の本懐」を、この世で果たさんと決意した使命と捉えています(我見ですが)。
そこで、釈迦牟尼を想う時、
「我本誓願立。欲令一切衆。如我等無異。如我昔所願。今者已満足。(我本誓願を立てて、一切の衆をして、我が如く等しくして異ることなからしめんと欲しき。我が昔の所願の如き、今者已に満足しぬ)」(「妙法蓮華經方便品第二」)
この文証の「如我等無異」がいつも思い浮かぶのです。
日蓮聖人も同じ想いであったと思います(天台大師・伝教大師も同じ想いであったと推察します)。
日蓮聖人が「仏の振る舞ひ」ではなく、「人の振る舞ひ」と表現されているのは、このような理由からだと思います。
時機相応の成道の法を説いた人師論師ですから、「聖人御難事」の文証と「崇峻天皇御書」の文証とは、角度を変えて論じたものと思っています。
言葉が足りなくて申し訳ないです。

89ガンコ:2003/04/30(水) 00:24
>言葉が足りなかったようで済みません
>言葉が足りなくて申し訳ないです

いえいえ、とんでもございません。わたくしのほうがよっぽど舌足らずですもの。

90ガンコ:2003/05/02(金) 18:32

愚鈍凡夫さん。

しつこいようですが、今一度ご教示ねがいます。

あなたは報恩抄の御文を引用せられて、出世の本懐は満たされているとおっしゃいました。
・・・すると、年代的には建治二年を本懐成就の年とお考えなのでしょうか?

聖人御難事の仰せからすれば、弘安二年は動かし難いと思うのですが・・・

もし「本門の教主釈尊を本尊とすべし」を依文とするならば、すでに開目抄・本尊抄等にその意味内容は説示せられています。しかるに「一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」と仰せられるのは、大聖人は御本尊の説明を遊ばしたけれども、いまだ(本尊抄御述作の時点では)一閻浮提第一の本尊は顕して居られないということでありましょう。
ゆえに報恩抄においても、御本尊の説明だけ遊ばして、実際には一閻浮提第一に相当する本尊はいまだ顕されて居られない、と思うのです。
よって出世の本懐は、この時点ではいまだ満たされていないのではなでしょうか?

出世の本懐にこだわって申すならば、やはり弘安二年以外にはありえない、という意見です。

91愚鈍凡夫:2003/05/02(金) 21:02
「聖人御難事」の文証を再度引用しますと、
「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(「聖人御難事」)
これは文面から言って、それぞれ「九横の大難」、「南三北七」、「南都六宗」を指していますね。大難に遭ってこそ「出世の本懐」は遂げられるとの御教示と拝します。そして、御自身は立宗宣言以来27年間、大難の中に身を置いてきたとの仰せだと思います。
そこで、
>出世の本懐の件は、
>仏陀のみに許される用語とは思っていません。人師論師に使用しても差し支えないと思っています。
との意味で引用しました(愚鈍ですので説明が下手です。悪しからず)。

「此の時、地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」(「観心本尊抄」『昭和定本』平成三年増補改訂版)
学会版は故意に読替えをしているので、日蓮宗版から引用します。ガンコさんが引用されているのはこの文証ですね。
ガンコさんは、蓮祖は1279(弘安2)年10月12日に「出世の本懐」を遂げられた。といいたいわけですね。例の疑惑の「戒壇之本尊」をもって「出世の本懐」としたいわけですね・・・・・。
「本門の教主釈尊」を本尊としたのですから、「一閻浮提第一の本尊」であることは間違いないのじゃありませんか。
ただ、曼陀羅にこだわりますと、本尊抄述作以降の曼陀羅といいますと、1273(文永10)年7月8日の「佐渡始顕本尊」となりますが、「報恩抄」が1276(建治2)年ですから3年前ですね。
しかし、前にも記しましたが小生には、それが仏像(仏像群?)なのか、仏画なのか、十界勧請の曼陀羅なのかわかりません。よければ御教示下さい。
>小生は、「出世の本懐」を、この世で果たさんと決意した使命と捉えています(我見ですが)。
という考えなので、蓮祖の場合も何れかの時点ではなく、人生という線の中で考えています。

これで答えになっているでしょうか。

92愚鈍凡夫:2003/05/02(金) 21:13
>しかし、前にも記しましたが小生には、それが仏像(仏像群?)なのか、仏画なのか、十界勧請の曼陀羅なのかわかりません。よければ御教示下さい。

とは、「本門の本尊」がという意味です。
悪しからず。

93ガンコ:2003/05/03(土) 19:08

どうもどうも、大変お返事が遅くなりました。

あなたは早打ちでいらっしゃるし、おまけに昭和定本をお使いになられるなんて、もはや、わたくしがお相手じゃ不足かと思いますが、よろしくお付き合い願います。

わかりやすい言い方をすれば、弘安二年は到達点なのか、それとも通過点なのか、ということだと思うのです。
すでに先読みなさっていらっしゃいますが、仰せのとおり、わたくしは大曼荼羅信仰者であり、ことに弘安二年十月十二日の御本尊を本懐中の本懐と教育されてきたのでした。
ですから、当然そこに帰結するような論の運びをするにちがいない、と皆さん見ていらっしゃるだろうことは承知しています。
しかし、そんなに欲張るつもりはないのです。

今わたくしが興味を持っていることは、聖人御難事の「二十七年」が到達点を意味するのか、たんなる通過点なのかということです。
これはそれぞれの言語感覚によってちがって読めてしまうものなのかもしれませんが、わたくしには到達点を仰せられたものと読めます。
もちろん、“たとえおまえが素直にそう読めたとしても、それは洗脳されているからだ”と言いたい方もいらっしゃるにちがいありません。
ただ、逆のことも言えるのではないかと思うのです。
「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、・・・」
つまり、素直に読んでしまうと条々事に符合してしまうから、これでは他門流は面白くないでしょうから・・・なんて書いていると喧嘩売ってるように思われそうですが、これがわたくしの正直な考えです。

>蓮祖の場合も何れかの時点ではなく、人生という線の中で考えています。

おそらくこれが世間一般の妥当な評価方法なのだと思います。たとえばここにベストセラー作家がいるとして、よく聞くセリフですが「私はこれを書くために生まれてきた」なんて言ったりします。しかし作家の正当な評価というのは、おおむね没後に定まるわけです。つまり、研究者が作家の全作品を詳細に検討していってから定まるのです。
つまり、作家本人がいくら作品を自画自賛しても本当の評価は時間が経ってみないとわからないという面があると思います。
であれば、日蓮大聖人の御一代を俯瞰して、出世の本懐は満たされている、と拝する方法もあることでしょう。

>「本門の教主釈尊」を本尊としたのですから、「一閻浮提第一の本尊」であることは間違いないのじゃありませんか。

ええ、そうですね。いわばここが本宗にとってはネックになっているところかと思います。
わたくしにいい考えがあるわけではありませんが、おっしゃるとおりに本門の教主釈尊が一閻浮提第一の本尊だとして、それは建立されたのかどうかです。
大聖人の時代には建立されなかったとすると、おそらく永遠に顕れないでしょう。
つまり、仏像も仏画も不可能であろうと思うのです。
消去法でいけば御文字の御本尊しかありえないのではないか、と考えています。

94愚鈍凡夫:2003/05/03(土) 20:29
ガンコさんどうも。こちらこそ宜しくお願いします。

小生、喧嘩を売るつもりでこのスレッドに書込をしたわけではありません。
「本門の教主釈尊」とは目に見える形にした時、どのようなものなのか、それがわからないから、皆様のお知恵を拝借したくて書込をしたのです。
そして、問われたから小生なりの意見を述べただけで、ガンコさんと問答をしているつもりもありません。

小生は、1279(弘安2)年という年を特別視していません(『熱原の法難』という、信徒に直接大難が降りかかったという意味では特別なのでしょうが)。

「一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相傳す。本門寺に懸け奉るべし」(「日興跡條條事」)
まず、この「日興跡條條事」の真偽問題があります。そして、「弘安二年の大御本尊」とは本当に「戒壇之本尊」を指すのかという問題があります。
小生は、「戒壇之本尊」を後世の偽作と信じていますので、上記の疑問点は何れもNOです。
それと、小生が問題にしているのは、物理的に可能不可能の問題ではなく、蓮祖のお考えはどうだったのかと言うことです。

気分を害されたのであれば、お許し下さい。

95ガンコ:2003/05/03(土) 22:29

>気分を害されたのであれば、お許し下さい。

いえいえ、ぜんぜん大丈夫です。どんどん言っちゃってください。

>「日興跡條條事」の真偽問題

これについてはわたくし、まったく存じ上げません。なんでも結構ですから、教えてください。
まだまだ未熟者ですから、知らないことがいっぱいあるのです。

96愚鈍凡夫:2003/05/04(日) 01:00
「日興跡條條事」偽作問題の本質は、「二箇相承」偽作説と深く関わっています。「二箇相承」が偽作の疑い濃厚である故に、「日興跡條條事」も偽作であるということです。

「日興跡條條事」
http://nakanihon.net/nb/gorekidai.html
上のアドレスからダウンロードできます。

よく考えたら偽作説については、ここの
「(続) 大石寺の歴史」を参照なされてはどうでしょうか。

あと、日蓮宗新聞から
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/paper/1996/9602pr.htm
これも参考になると思います。
いかがでしょうか。

97愚鈍凡夫:2003/05/04(日) 10:15
ガンコさんへ。
96の続きです。
スレッドタイトルから話のテーマが随分ずれてますよ(小生も人のことは言えませんが)。

日興の著作と真偽論
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaishu_004.html

二箇相承偽書説に就いて
http://www.win.ne.jp/~sid10831/nika.htm

この2つも参考になると思います。

98ガンコ:2003/05/04(日) 11:13

どうもです。

戒壇本尊・二箇相承の問題は大雑把には承知していますが、ご紹介いただいた資料を参考にあらためて学ばせていただきます。

日興跡條條事が確実なものであれば、逆にたどっていけば上の証明になるのではないか? 単純な発想ですけど。
ところが日興跡條條事すら偽書であったならば、もうどうなっちゃうんでしょうね、大石寺なんて、いいところひとつもないじゃないの、まったく。

といったところです。

99川蝉:2003/05/04(日) 12:12
ガンコさん・愚鈍凡夫 さん横から失礼します。

竜口法難から佐渡流罪の前後の時期は、文永九年四月の「富木殿御返事」に
「日蓮臨終一分も疑ひなく、刎頭の時は殊に喜悦あるべく候。大賊に値ふて大毒を宝珠に易ふと思ふべき歟。」(学会版962頁・昭定619頁)
とあるように、いつ命を取られてもおかしくない状態でした。
そこで「三沢抄」に
「而に去る文永八年九月十二日の夜、たつ(龍)の口にて頸をはね(刎)られんとせし時よりのち(後)ふびんなり、我につきたりし者どもに、まこと(真)の事をいわ(言)ざりけるとをも(思)て、さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり。此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず」(学会版1489頁)
とあるように、存生の中に弟子達に真実の法門を披瀝しておかなければと考えられたのですね。
「此疑は此書の肝心、一期の大事なれば、所所にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし。」(開目抄203頁)

「観心の法門少少を注して太田殿、教信御房等に奉る。此の事は日蓮当身の大事也。之を秘せよ、」(観心本尊抄送状255頁)
とある開目抄と本尊抄を著し、大曼荼羅本尊図顕されて、真の法門を披露されたのです。
「三沢抄」に云うところの真の法門とは、
「此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず」
にあることより、「報恩抄」に
「末法のために仏留め置き給ふ。迦葉、阿難等、馬鳴、龍樹等、天台、伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。求めて云く、其形貌如何。答へて云く、一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦、多宝、(塔)外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし。二には本門の戒壇。三には日本乃至漢土、月支、一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし。」
とある本門の本尊、戒壇、題目であることが分かります。
本尊図顕を出世の本懐とすれば、佐渡流罪中に於いて、本懐を遂げられたことになりますね。
いつ命を取られるか分からない状況に置かれていた宗祖が弘安二年まで本門の本尊(真の本尊)を図顕をしなかった筈などありませんでしょうね。
「聖人御難事」の文は、「如説修行抄」にある
「我等が本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年、今日蓮は二十余年の間権理を破す。其間の大難数を知らず。」(504頁)
との文と同じ意趣を書かれたもので、
愚鈍凡夫 さんが91で、「御自身は立宗宣言以来27年間、大難の中に身を置いてきたとの仰せだと思います」
と解釈されているとおりと思います。
あるいは、もし本懐の成就について語っている文意とすれば、
弘安元年三月「諸人御返事」に
「 三月十九日の和風並に飛鳥、同じく二十一日戌の時到来す。日蓮一生の間の祈請並に諸願、忽ちに成就せしむるか。将又五五百歳の仏記宛かも符契の如し。所詮真言、禅宗等の謗法の諸人等を召合せ、是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那となり。」
(昭定1479頁)
とあるように、宗祖は公場対決を「一生の間の祈請並に諸願」としていたと云えます。
天台大師は出家の31年後の585年に、陳の後主に招かれ法門を講じ、宮中太極殿で諸僧の難問に応え、また、伝教大師は得度出家より22年後の802年(延暦21年)に、和気弘世に招ぜられ高雄山において諸宗の高僧に天台三大部を講じ、桓武天皇の信を得ました。
「天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出家の本懐を遂げたまう」とは、両大師の公場対決を指していると解釈できます。
すると「余は二十七年なり」とは、「開宗の日よりすでに27年を過ぎ、数々の法難を受けているが、まだ諸宗の高僧達と公場対決を果たしていない」と云う意味の文と解釈すべきと思います。
「弘安二年に出世の本懐である板本尊を造った」と云う解釈は恣意的解釈と云う事になりますね。

100愚鈍凡夫:2003/05/04(日) 13:39
川蝉さん始めまして。
御教示有り難うございます。

お手数ですが、2つほど、確認させてください。
「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(「聖人御難事」)
との文証の、「仏は四十余年」は『九横の大難』を指すが、「天台大師は三十余年伝教大師は二十余年」は、
>両大師の公場対決を指していると解釈できます。
そして、「余は二十七年なり」は、
>「開宗の日よりすでに27年を過ぎ、数々の法難を受けているが、まだ諸宗の高僧達と公場対決を果たしていない」と云う意味の文と解釈すべきと思います。
ということで、意味が違うと言うことですか。

それから、
曼陀羅が「本門の本尊」だとすると、それは何れかの曼陀羅を指して、「本門の本尊」とすると言うことですか(例えば戒壇之本尊とか)、それとも御筆の曼陀羅全てを「本門の本尊」とするということですか。
だとすると、
「今日眼女は今生の祈りのやうなれども教主釈尊をつくりまいらせ給い候へば後生も疑なし」(「日眼女造立釈迦仏供養事」)
「されば画像木像の仏の開眼供養は法華経天台宗にかぎるべし、其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり、三種の世間と申すは一には衆生世間二には五陰世間三には国土世間なり、前の二は且らく之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり、草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」(「四条金吾釈迦仏供養事」)
これらの文証との整合性はどうなるのでしょうか。
2つのはずが、3つになってしまいました。
御教示下されば幸いです。

101川蝉:2003/05/04(日) 15:08
愚鈍凡夫 さん、早速読んで頂き有り難うございます。

>ということで、意味が違うと言うことですか。

《 愚鈍凡夫 さんが91で、「御自身は立宗宣言以来27年間、大難の中に身を置いてきたとの仰せだと思います」と解釈されているとおりと思います。》
とコメントしているように、意味が違っているとコメントしたわけではありません。
正宗のように本懐は何時かについての文証に「聖人値難事」を用いるので、それにそって、「聖人値難事」の文を解釈すればと云う観点から書いたのです。
「仏は四十余年」の意味は、、「釈尊が四十余年の間諸経を説いた後に、出世の本懐である法華経を説いたが、それまでの間、九横の大難にあわれた」との意味であろうと、私は解釈しています。

>それとも御筆の曼陀羅全てを「本門の本尊」とするということです
>か。

そうです。

>これらの文証との整合性はどうなるのでしょうか。

木像形式で、本門の教主釈尊を表したのが一尊四士像と理解していますので、曼荼羅本尊と一尊四士像と矛盾するものでないと理解しています。

102愚鈍凡夫:2003/05/04(日) 19:05
ガンコさん。
仏法素浪人の小生には、コメントしかねます。
創価や正宗に帰ることはまずないと思いますので。
悪しからず。

川蝉さん有り難うございます。
お話を整理しますと、
釈迦牟尼仏の場合は、「九横の大難」に遭われた年月の意味。天台大師・伝教大師の場合は、「公場対決」を果たしてきた年月の意味。日蓮聖人の場合は、大難に遭ってきた年数を指すが、「まだ諸宗の高僧達と公場対決を果たしていない」
という意味と解釈できると言うことですか。

日蓮聖人御筆の曼陀羅は全て「本門の本尊」であり、
曼陀羅と一尊四士像は表現の仕方の違いであり、共に「本門の本尊」と解釈してもよい。ということでしょうか。
「日眼女造立釈迦仏供養事・1279(弘安2)年」、「四条金吾釈迦仏供養事・1276(建治2)年」を拝しますと、釈迦仏の一体仏だと思うのですが、それでも一尊四士像と解釈すると言うことですか。
再三済みません。愚鈍凡夫です宜しくお願いします。

103ガンコ:2003/05/04(日) 20:07

(し、しまった、眠れる獅子に手を付けてしもうた)

川蝉さんの理路整然たるご所論に敬意を表するものです。

>「弘安二年に出世の本懐である板本尊を造った」と云う解釈は恣意的解釈

ええ、ですから上のほうで申し上げたんですよ、そこまで欲張るつもりはないと。常識的な思考力があれば、聖人御難事が戒壇本尊の証明にはならないことはだれだってわかるものです。
「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり。」
ここではっきりしていることは、釈尊・天台・伝教は出世の本懐を遂げた、と大聖人は御考えでいらっしゃることです。では、御自身はどうなのか? このことをわたくしは申し上げているのです。
わかりやすく言えば、「出世の本懐を遂げ給ふ」が「余は二十七年なり」に係るかどうかという読み方の問題です。わたくしには“余は二十七年にして出世の本懐を成就せり”との仰せに読めるのです。
たしかにご引用の如説修行抄の御文は同じおもむきかと思います。ただし、決定的に相違するのは出世の本懐を仰せられるか否かです。むしろ次文の「仏の九横の大難に及ぶか及ばざるかは知らず、恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値ひ給ひし事なし・・・」に注目し、さらに御難事抄の後文「仏の大難には及ぶか勝れたるか其れは知らず。竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし・・・」を拝するならば、天台・伝教をも退ける大聖人の御確信からして、本懐成就の御宣言を遊ばしたとして、なんら不自然はないと思うのです。まさか、“天台・伝教は出世の本懐を遂げたけど、余はまだである” なんて仰せられるとは思えないです。

諸人御返事の後半は「・・・我が弟子等、出家は主上・上皇の師と為り、在家は左右の臣下に列ならん。将又一閻浮提皆此の法門を仰がん。幸甚幸甚。」とありました。正直に申し上げますと、わたくしはこの御書をよく存じ上げませんでした。いま拝しますと、まるで広宣流布は未来のことであると密示せられているように思えます。川蝉さんは本懐成就の文意としてお挙げになられたわけですが、すると大聖人は御一代の間に出世の本懐を遂げ給わなかったということでしょうか?

わたくしは戒壇の大御本尊が偽作だったらどうしよう、などとこの先の身の振り方を考え考え御法門を学んでいるものです。
いまだ法門に暗いものですから、川蝉さんがいずれの門流に属してらっしゃるか見当がつきませんが、前々よりご活躍のほどを拝見しておりました。

104五月雨:2003/05/04(日) 20:46

横レス失礼します。

>わたくしは戒壇の大御本尊が偽作だったらどうしよう、などとこの先の身の振り方を考え考え御法門を学んでいるものです。

ガンコさんに質問させて頂きますけれど、ガンコさんはこの掲示板の過去ログを読まれたことはないのでしょうか。これから先、いろんなご質問をされることもいいと思いますけれど、問答さんと独歩さんその他大勢の方が時間をかけて議論されたことを読まれずにご質問されることは少し残念な思いも致します。
読まれた上でご質問されるともっと奥深いことが判るように思うのですが。
私自身聞きまくった人間ですので、偉そうなことは言えないのはよく自覚しております。でも過去ログをプリントアウトしてかなりの時間をかけて読みました。

ガンコさんが過去ログを読みきった上でのご質問でしたら私の誤解です、すみません。

105川蝉:2003/05/05(月) 10:08
102 : 愚鈍凡夫 さんへ。
「聖人御難事」の文は
「所で本師釈尊は四十余年を経て後八箇年に本懐の法華経を説きたまひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年で各々出世の本懐を宣説していられるが、それまでの間には釈尊は九横の大難あり、天台には南三北七の敵対あり、伝教には南都六宗の反対あり、其の法の為の大難は申し尽くせないほどであったことは、しばしば繰り返せし通りである。今日蓮の法華弘通は二十七年であるが、其の間の大難は各々方が承知していらるる通りである」(ピタカ刊・日蓮聖人遺文全集講義第二十三巻・89頁。日本仏書刊行会の御遺文講義第十一巻・41頁も同じ解釈です)
と云う解釈が、日蓮宗における解釈です。私もその通り受け取っています。

>日蓮聖人の場合は、大難に遭ってきた年数を指すが、「まだ諸宗の高>僧達と公場対決を果たしていない」
>という意味と解釈できると言うことですか。

宗祖が公場対決を望んでいたことは確かなので、宗祖の内意を穿って云えば、「まだ諸宗の高>僧達と公場対決を果たしていない」と云う想いが含まれていると考えても良いでしょうと云うことです。

>日蓮聖人御筆の曼陀羅は全て「本門の本尊」であり、
>曼陀羅と一尊四士像は表現の仕方の違いであり、共に「本門の本尊」>と解釈してもよい。ということでしょうか。

そうです。

>「日眼女造立釈迦仏供養事・1279(弘安2)年」、「四条金吾釈迦仏供養
>事・1276(建治2)年」を拝しますと、釈迦仏の一体仏だと思うのです
>が、それでも一尊四士像と解釈すると言うことですか。

ご指摘のように、両書とも釈迦仏の一体仏でしょうね。
宗祖は一体像の随身仏を本門の教主釈尊と拝しておられた筈です。当然、四条金吾殿も日眼女も宗祖と同じく一体像であっても本門の教主釈尊として拝していたはずですね。
形式上から云えば四士像を脇士として添える必要がありますが、実質上は一尊四士像と同じと云うことになると思います。ですから形式上は不備であっても、両書にある釈迦仏の一体仏は一尊四士像に例して考えて良いと思うのです。
そこで「これらの文証との整合性如何?」に対して「木像形式で、本門の教主釈尊を表したのが一尊四士像と理解していますので、曼荼羅本尊と一尊四士像と矛盾するものでないと理解しています。」とコメントしたのでした。

106愚鈍凡夫:2003/05/05(月) 11:54
川蝉さん、どうもです。
丁寧なお答え、有り難うございます。

随身仏とは、
「御本尊一躰釈迦立像」(「御遺物配分事」)
のことですね(小生、「御遺物配分事」全文を拝したことはありませんが)。

3つの質問に丁寧にお答え頂き、有り難うございました。
教学研鑽の糧にさせて頂きます。
また、質問させて頂くこともあると思いますが、これにこりずに宜しくお願いします。

107川蝉:2003/05/05(月) 12:07
103 :ガンコさんへ。
>わたくしには“余は二十七年にして出世の本懐を成就せり”との
>仰せに読めるのです。

宗祖は佐渡に於いて開目抄・本尊抄を著し、大曼荼羅を図顕し法門を開示したので、佐渡流罪中に、出世の本懐を遂げられたとすべきである。そこで、弘通開始より二十七年後に至って、初めて本懐を遂げたと云うことは言い得ない。
ゆえに、「余は二十七年なり」を「弘通開始より二十七年後の弘安二年に本懐を遂げた」と云うように解釈出来ないこと。
宗祖は本門の法門を開示することが大目的であるとともに、もう一つ公場対決が大きな願いであった。そこで、公場対決をもう一つの本懐と考えた場合、弘通開始より二十七年後の弘安二年の現在でも、公場対決が実現していない。ゆえに、やはり、「余は二十七年なり」を「弘通開始より二十七年後の弘安二年に本懐を遂げた」と云うように解釈出来ないこと。
の二点を述べたのでした。
ゆえに、「出世の本懐を遂げ給ふ」が「余は二十七年なり」に係ると見ないのです。私は愚鈍凡夫 さんへのコメントに紹介した日蓮聖人遺文全集講義第二十三巻のように解釈するのです。

>すると大聖人は御一代の間に出世の本懐を遂げ給わなかったとい
>うことでしょうか?

本門の法門の開示宣説という第一義的本懐は佐渡在島中に遂げられましたが、もう一つの大目的の公場対決は成就しなかったことは事実ですね。

>わたくしは戒壇の大御本尊が偽作だったらどうしよう、などとこ
>の先の身の振り方を考え考え御法門を学んでいるものです。

別に偽作でも曼荼羅御本尊ですから御本尊になり得ると思います。板本尊が唯一絶対の御本尊だから板本尊を信仰の対象としなければ駄目だと云う主張が駄目だと思うわけです。
自分の所属している教団の教義の誤りを指摘されることは、まじめな人ほどつらく苦しい事ですね。徐々に正確に、宗祖の教えを学んで、正しいと思う事を受け入れて行くより仕方ないでしょうね。その結果、所属の教団の教えと異なる思想を持つようになって、教団としっくりいかないように強く感じてきたら、無理なく身の振り方を決めることも出来ると思います。

108ガンコ:2003/05/05(月) 13:45

川蝉さん、どうもです。

わたくし頑迷なものですから、まだまだ得心がいかないのですけど、いろいろ考え方があるんだなあ、ということはわかりました。

しかし、
>別に偽作でも曼荼羅御本尊ですから御本尊になり得ると思います。

というのは一般的な意見なのでしょうか?
極端な話、どこかの新興宗教団体が模写、あるいはもっといえば教祖が勝手に書いちゃうってのはどうなんでしょうか?
大聖人の曼荼羅のおすがたに似ていればいい?

変な質問でごめんなさいです。

109ガンコ:2003/05/05(月) 14:02

五月雨さん、ご忠告ありがとうございます。

あてずっぽうな数字を言えば、75パーセントくらいは読んでると思うんですが、なにしろ膨大ですから・・・本にしたら何冊ぶんになるでしょうか、ともかくものすごい量ですよね。
だから、読んだとは言えないかもしれません。ただ目を通したという程度のことになると思います。
諸先輩の議論を無駄にしないよう、今一度よく読ませていただきます。

それにしても五月雨さんの仰せを拝見していると、言外に「戒壇の本尊なんて偽作に決まってじゃないの」とおっしゃっているように聞こえます。
気のせいなんでしょうけど。

110川蝉:2003/05/05(月) 15:42
108:ガンコさんへ。

「>別に偽作でも曼荼羅御本尊ですから御本尊になり得ると思います。というのは一般的な意見なのでしょうか?」
との質問ですが、

宗祖の曼荼羅御本尊に則った形式のものなら、浅くとも正しく宗祖の教えを把握し信行している人が開眼すれば、信行の対象となるでしょうね。

そこで、日蓮宗では、宗祖の曼荼羅御本尊に則って、先師が書いた曼荼羅でも本尊とし、印刷が発達した近代からは宗祖の曼荼羅を印刷したものを信徒はお祀りしています。現在では宗祖の曼荼羅のレプリカをお祀りしている信徒もます。

板本尊も浅くとも正しく宗祖の教えを把握し信行している人が開眼すれば、信行の対象となり得ると云うことです。
また、ガンコさんは現在、顕正会の本尊をお祀りしている事と推測します。で、無理に御本尊をかたづけると気に病む事になるでしょうから、ガンコさんが徐々に学習して正しい本尊観を持つようになれば、本仏釈尊は影現してくれると思うので、急いで無理に本尊を変える必要もないだろうと云う考えで「偽作でも曼荼羅御本尊ですから御本尊になり得ると思います。」とコメントしたわけです。

>極端な話、どこかの新興宗教団体が模写、あるいはもっといえば
>教祖が勝手に書いちゃうってのはどうなんでしょうか?
>大聖人の曼荼羅のおすがたに似ていればいい?

宗祖の曼荼羅のレプリカや印刷したものが得られるのですから何も、変な人が書写したものを開眼して祀る必要などないでしょう。ですからこの質問は戯論ですね。
原則的に云えば、浅くとも正しく宗祖の教えを把握し信行している人に開眼してもらい、拝む人も浅くとも正しく宗祖の教えを信行していることが望ましいと思います。

111ガンコ:2003/05/05(月) 16:38

あ、どうもです。

>ガンコさんは現在、顕正会の本尊をお祀りしている事と推測します

正確な数字はわからないですけど、顕正会員の大半は御本尊をいただいておりません。
“遥拝勤行”と申しまして、冨士大石寺に向かって朝晩勤行しています。

日蓮宗でこのような形態のところはございますか?

それと、愚鈍凡夫さんが木像形式との整合性について質問されていましたけど、わたくしのほうから関連質問をさせていただきます。
木像形式と曼荼羅御本尊の合祀(?)はどのように考えますか? わたくしには屋上屋を架すに思えるんですが、日蓮宗ではこのような奉安形式があるのでしょうか?

113愚鈍凡夫:2003/05/05(月) 20:02
横から割り込み失礼します。

四条金吾宅では御守以外に、大曼荼羅の授与もあったようですから、人本尊(釈迦仏木像)と法本尊(大曼陀羅)の合祀であったんじゃないでしょうか。

114川蝉:2003/05/06(火) 08:58
111:ガンコさんへ。

>日蓮宗でこのような形態のところはございますか?

御宝前にての信行の外に、信徒さんの中には、題目三唱などして身延山の祖廟を遙拝する人も居かもしれません。

愚鈍凡夫さんの「整合性があるのか?」との質問は、「釈尊像を本尊としている文があるが、大曼荼羅を本尊とすることとはと両立するのか?」と云う意味の質問であったと思います。ガンコさんは「整合性がある」を「合祀してよい」と云う意味に受け取っての質問ですか?。

合祀の必要性はないですね。
一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことがありません。ガンコさんは見たことが有るのですか。

115ガンコ:2003/05/06(火) 11:34

川蝉さん、愚鈍凡夫さん。

>一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことがありません。ガンコさんは見たことが有るのですか

わたくしは生まれて以来、お寺にはほとんど行ったことがないんです。ましてや顕正会員になってからはなおさらです。
ですから、よく存じませんが、テレビだとかでたまに見ると、どこの宗派かわかりませんが、やたらとゴチャゴチャいろんなもの祀ってあったりして、叱られるかもしれませんが、キモチワル〜という印象をもっていたものですから、いままでの議論を踏まえるならば、法義的にも合祀はおかしかろうと思って確認させていただいた次第です。

すると四条ファミリーのぼあいはどうなんでしょうか?
お守り御本尊を何幅かいただいているようですし、釈迦像を二体でしょうか、造立してますし、なんだか変な気がします。
まさか全部一緒くたにしていたとは思えないので、わたくしの考えですが、四条殿はいくつも領地を持っていただろうから、別宅なり離れなりにそれぞれ安置していた、としたほうがすっきりするのですが(わたくしとしては)。
だって、釈迦像と釈迦像の二仏並座じゃおかしいですよね。

116ジャージルーカス:2003/05/06(火) 13:21
ちなみに、僕の近所の日蓮宗(旧池上系)のお寺は、十界曼陀羅の両脇に釈迦多宝、四菩薩を祀ってます。
また、その系統のお寺では一尊四士像の背後に曼陀羅を安置してます。

117愚鈍凡夫:2003/05/06(火) 18:58
道を歩いていて、いきなり地雷を踏んだような気持ちですが。

「本門の本尊」に関する川蝉さんへの質問は、画像・木像造立について書かれた真蹟遺文が存在するので、画像・木像・曼荼羅の整合性はどうなるのかと思って質問させていただきました。小生が例に出した遺文の共通点は木像造立なので、概ね、川蝉さんが指摘されている通りです。

四条家に関する資料を持っていないので、どのように安置していたのか分かりません。
ガンコさんの説のように、1276(建治2)年の釈迦像と1279(弘安2)年の釈迦像とは当然、安置場所が違うと思います。年数からいって作り替えたとは思えませんので。
大曼陀羅を授与されたのは、確か日眼女が厄よけの御守本尊を授与された1279(弘安2)年ではなかったでしょうか。
よく考えてみれば人本尊と法本尊の合祀は軽率な発言でした済みません。
ただ、Gohonzon Galleriesで富士山久遠常在院本門寺の万年救護本尊レプリカの前に日蓮聖人像(写真の解説では日蓮大聖人像)を安置している写真を見ました(万年救護本尊のページにあります)。

話を戻すと、大曼荼羅を安置したからといって、今まで拝んでいた木像を粗末に扱うわけはないでしょうし・・・・・、
四条家に別荘があったかどうか知りませんが、もし別荘に安置していたとしたら給仕の問題が気になります(使用人も信徒だったとすれば別ですが)。
この辺の問題になると、何処まで行っても仮定の問題になってしまいますね・・・・・。
要は、四条家の方々が御本尊をどう捉えていたかですが。
ただ一つ四条家の方々は、釈尊像も、大曼荼羅も、共に「本門の本尊」と拝していたことは確かなようですね。
やはり、画像・木像・曼荼羅の間に矛盾はないのかも知れません。

ガンコさんが見たものとは違うかも知れませんが、身延山久遠寺の大本堂内陣須弥壇の写真を見たことがあります(端までは写っていませんが)。全体の座配が宝塔曼荼羅と同じですね。
曼荼羅と一塔両尊四士像が共に「本門の本尊」とすれば、確かに矛盾はないですね。

これが文京区駒込長元寺所蔵、日眼女授与の御守本尊です。
http://www.lbis.jp/gohonzon/072.htm

逆に、ガンコさんに問います。
「木絵二像開眼之事・1264(文永元)年」、「観心本尊抄・1273(文永10)年」、「四条金吾釈迦仏供養事・1276(建治2)」、「日眼女造立釈迦仏供養事・1279(弘安2)年」
と、画像・木像に言及している真蹟遺文がありますが、ガンコさんの信奉する「戒壇之本尊」との整合性をどう考えますか。

118愚鈍凡夫:2003/05/06(火) 19:03
ジャージルーカスさん有り難うございます。

119豊穣:2003/05/06(火) 21:51
一尊四士は日蓮ではなく、日興の考えでしょう。
それを無視して考えるから上述のような議論になるのでしょう。
日蓮と日興は違う。日光の考えを日蓮の考えのようにして、議論を展開するのは無理がありますね。
人本尊、法本尊も日蓮が言っているはずないですよ(爆笑)

120豊穣:2003/05/06(火) 21:55
>一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことがありません
嘘でしょう。そんなのざらにありますよ。なんでこんな嘘っぱち書くんですか。

121愚鈍凡夫:2003/05/06(火) 22:19
豊穣さん心の赴くまま笑ってください。
豊穣さんにとっては初歩的な教学なのかも知れませんが、以下の文証を御教示願えませんでしょうか。

「然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり」(「観心本尊抄」)

「末法のために仏留め置き給う迦葉阿難等馬鳴竜樹等天台伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだひろまらず一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり(「報恩抄」)

豊穣さんは「本門の本尊」とは、やはり曼陀羅本尊のこととお考えでしょうか。
小生、こういう書込を望んでいました。小生の疑問にお答え下さい。
ここの過去レスについては、紹介された文証などは資料として、時々ですが保存させて頂いています。

123問答迷人:2003/05/07(水) 08:19

横レス失礼します。

>「本門の本尊」とは、やはり曼陀羅本尊のこととお考えでしょうか。

観心本尊抄には、「曼陀羅」という語は一カ所も使われていません。本門の本尊の表現の仕方として、木像と絵像があり、ここで木像とは、一般的な仏像としての釈尊像を指し、絵像とは、曼陀羅を指していると思います。
日蓮聖人は、観心本尊抄を拝する限りでは、どちらも視野に入れて居られたと思います。

125川蝉:2003/05/07(水) 11:54
120 : 豊穣 さんへ。

>嘘でしょう。そんなのざらにありますよ。なんでこんな嘘っぱち
>書くんですか。

別に嘘をつく必要のないし、嘘をついているのではありませんよ。私の見てきたお寺さんの数はたかが知れていますが、一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことが無いのです。

私のコメントに書いおいたように「一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛ける必要性は無い」と言うのが私の立場です。ちなみに、本山池上の一尊四士像や身延山本堂の一塔両尊四士像の背後には曼荼羅が掛かっていません。

若し背後に掛けていても、前中央に一尊四士像や一塔両尊四士像があれば、参拝者は前中央に在る一尊四士像ないし一塔両尊四士像を本尊として拝するだろうから、背後に大曼荼羅を掛けてあっても、特別に差し障りがあると思わないので、かまわないと考えています。で、「背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことが無い」と言う嘘をつく理由など無いのです。
それでも私を「嘘つき」と言いますか?

>一尊四士は日蓮ではなく、日興の考えでしょう。

「一尊四士」と言う熟語は御遺文に無いですが、一尊四士の義は教示されていますね。
問答迷人さんが
「日蓮聖人は、観心本尊抄を拝する限りでは、どちらも視野に入れて居られたと思います。」
と言われている通りですね。
「啓蒙19巻73〜74紙」に有るように、本尊抄の「地涌千界出現本門釈尊為脇士」(学会版では254頁)を
「地涌千界(垂迹)が出現して、地涌を本門釈尊の脇士と為す」
と言う意味と理解していますので、ここに一尊四士の義があると認識しています。
また真蹟は無いですが「四菩薩造立抄」に
「本門久成の教主釈尊を造り奉り、脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕候き」(学会版987頁)
と、一尊四士の義があります。
「四菩薩造立抄」は真蹟が無いので真偽について議論があるものの、「日祐目録」の「本尊造立事」がそれに当たると言う見方もあり、中山法華経寺には、鎌倉時代作の一尊四士が在ることなど考慮すれば真蹟扱いしてよいだろうと思います。

126問答迷人:2003/05/07(水) 11:54

123の補足です。

観心本尊抄に「爾りと雖も木画の二像に於ては、外典内典共に之を許して本尊と為す、其の義に於ては天台一家より出でたれども、草木の上に色心の因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり。」とあり、草木の上に色心の因果を置くが故に、木画の像を本尊に恃み奉ることに益がある、との御指南と拝せます。本尊抄では、木像と画(絵)像の本尊の優劣は論じて居られないと拝せます。

127問答迷人:2003/05/07(水) 12:11

豊穣さん 初めまして

119
>一尊四士は日蓮ではなく、日興の考えでしょう。

法華行者値難事(文永一一年一月一四日 五三歳)「追って申す。竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申(の)べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず此に口伝有り。天台・伝教は之を宣(の)べて本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字と、之を残したまふ。」

ここに、「本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字」として、一尊四士の義が明確であると思います。如何お考えになられますでしょうか。

128豊穣:2003/05/07(水) 14:35
あんまり書くと独歩さんに、ぼくが誰か特定されちゃうんで、手短に。
愚鈍凡夫さんが引いた報恩抄は、本門本尊釈尊で、あとは脇士でしょうね。
法華経題目が本当であれば、あとから日蓮は考えを変更したことになりますね。
ご質問はいつの時点をさしているかで違いがあるんじゃないでしょうか。
川蝉さん。ぼくはこんなお寺は何件か見ていますよ。
もう少し歩いてみたらどうでしょうか(笑)
実際に見たから、何でそんな嘘を書くんだろうか?と思うのは当たり前でしょう。
おまけで書かれている解説はlぜんぜん興味ありません(笑)
問答迷人さん。日蓮は終生、随身一体仏でしたよね。
しかし、日興は一尊四士を主張して、それを自分の考えであるといった。それを盗んで、あとから帰伏したの日澄だと言っていますよ。
一尊四士が日興の考えと言ったのは、この日興の言葉に準じて記しました。
これって、日興が嘘を言っているんですか。富士門の常識じゃないでしょうかね。
なお、127で引かれる文で、なんで一尊四士なんですか。そのほかに戒壇と題目五字がついているじゃないですか。
引かれる文章をそのまま像にすれば、背後に文字としての五字(一塔か、首題)、場所としての戒壇も併せ作らなければないのであって、一尊四士とは違うものになりませんか。
川蝉さんが言うような後ろには題目五字がないんだよが、一尊四士ならば、なおさらのことですよね。
だから、ちっとも明確じゃないと思いますよ。
それとも日蓮は四菩薩作って、祀ってたんですか???
ああ、もう書きませんよ。独歩さんにつかまりたくないですから(汗)
ぼくが誰かを追っかけないでくださいね、独歩さん。
見てますよね、見るぐらいはここをネ(爆)
バイバイ!!

129ガンコ:2003/05/07(水) 15:21

大変な質問を受けてしまいました。

しかも「内容が低下している」との感想もよせられていることですし、とてもわたくしの手に負える問題ではございません。といって逃げるわけにもまいりませんし、はなはだ困ったものでございます。
さて、ご質問の主旨は、妙法五字の大曼荼羅と仏像造立の整合性、もっとぶっちゃけて申せば、大曼荼羅信仰の立場の者として仏像造立を認めるのかどうか、ということかと存じます。
本宗においては造像を禁止しておりますが、ではなぜに大聖人は諸御書において造像を仰せられ給ふのか? この積極的説明ということがなされていないから、いつまでも同じ問題を繰り返しているわけでして、ひとえに御宗門の、あるいは各組織の、上層部の責任であろうと思うわけでございます。
人法体一の上から申しましても造像を認めることは、まさしく日蓮本仏論をも瓦解せしめる重大事でありながら、なぜに積極的に取り組まないのか? すでに教義の修正は困難とみて諦めてしまっているのか? あるいはいざという時のために秘策を温存しているのか? わたくしには皆目見当のつかないところでございます。

「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。」(報恩抄)

下種仏法の広大深遠なるスケールを仰せられたもの、とわたくし達は拝するわけですが、であればその下種の御本仏が「本門の教主釈尊を本尊とすべし」と仰せられるわけだからそうしなければならない、また、諸御書において造像を御認め遊ばすことも御本仏の金言であれば造像を否定することもできない、つまり“御本仏”を逆手にとって反論されても、はなはだ困ったことになるのでございます。

「予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加ふべし。」(三大秘法稟承事)

これも戒壇建立という大事の御指南を門家の遺弟等のために留め置かれたと拝するわけですが、かくも用意周到・懇切丁寧の御本仏様であれば、不必要な御書を遊ばすわけなどなく、造像の御書もまた門家の遺弟等のために留め置かれたと拝さなくてはならない、ということになるのでございます。

ことは本門の本尊にかかわる問題ですから、積極的な意味づけ・理由づけがなされねばならないとするのが当然でありますが、にわか勉強のわたくしには荷が重うございます。よって諸先輩のお出ましを願うものでございます。(なーかなか居ないんだな、これが)

蛇足ですが、大聖人は永久機関のような仕掛けを遊ばしたのではと思うことがあります。いわば“教門の難信難解”のようなあんばいで、なかなか結論が出ないようになっているんじゃないかと。それが「万年の外未来までもながるべし」の仕掛けなのかなあと。

答えになっていなくてごめんなさいです。反論覚悟でもうちょっとマシなのを書いてますので、今しばらく時間をくださいませ。

130問答迷人:2003/05/07(水) 15:50

豊穣さん

>しかし、日興は一尊四士を主張して、それを自分の考えであるといった。

日興が義、と仰った訳ですが、日蓮聖人の義ではない、とまでは仰っておられない。ところが、119では、「一尊四士は日蓮ではなく、日興の考え」と言われたので、日蓮聖人が一尊四士を述べておられる文を引用した訳です。


>なお、127で引かれる文で、なんで一尊四士なんですか。そのほかに戒壇と題目五字がついているじゃないですか。

この文は、いわゆる『三つの秘法』を述べられている文です。今問題にされているのは、本門の本尊ですから、その部分を抜き出せば「本尊と四菩薩」が『三つの秘法』に於ける『本門の本尊』に該当するのは、明らかです。つまり、この文での「本尊」とは、『一尊』。「四菩薩」が『四士』であり、『本門の本尊』は「一尊四士」と仰せになっておられる訳です。

>ああ、もう書きませんよ。独歩さんにつかまりたくないですから(汗)

独歩さんに誰か特定されるとお困りになるご事情がお有りのようで、ご同情申し上げます。独歩さんに喧嘩でも売ったことがお有りなんでしょうか?

131川蝉:2003/05/07(水) 16:20
127 問答迷人 さんへ。

>ここに、「本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字」
>として、一尊四士の義が明確であると思います。如何お考えにな
>られますでしょうか。

「本門の本尊と四菩薩」については、
本尊抄の
「釈尊の脇士上行等の四菩薩」
「本門寿量品の本尊竝びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せず」との文。
報恩抄の
「本門の教主釈尊を本尊乃至竝びに上行等の四菩薩脇士となるべし」
との文に例して、四菩薩は上の本尊に付して読むべきで、啓蒙にも「本尊の中に四菩薩あれども惣別竝挙したもう意なるべきか」(啓蒙27の22左)とあるように、「四菩薩を脇士とする本尊」と解釈すべきである。
と一般的に解釈されています。

問答迷人さんの云われるとおり「一尊四士の義が明確である」ですね。

128 : 豊穣 さんが
>引かれる文章をそのまま像にすれば、背後に文字としての五字
>(一塔か、首題)、場所としての戒壇も併せ作らなければないの
>であって、一尊四士とは違うものになりませんか。

とコメントしていますが、
法華行者値難事の、この文では、本尊が一尊四士で、それを奉安する所が戒壇で(もちろん理・事の戒壇の別は有ります)、妙行が南無妙法蓮華経の五字と云う配当になっている文意が理解できないようですね。

132問答迷人:2003/05/07(水) 16:46

ガンコさん 初めまして(でしたでしょうか)

いつも、掲示板に御参加戴き、誠に有り難うございます。

>三大秘法稟承事

この書は、古来偽書の疑いがあり、真偽未決書です。文献にこの書が引用されるのは比較的新しく、鎌倉、室町期の文献には見られないものです。内容的にも色々問題点が多く、この掲示板でも、過去、議論されてきています。御書全集に載せられていると、日蓮聖人の真書だと思いがちですが、真跡の存在しない御書は、批判の眼を以て読まれるべきであろうと思います。一言申し上げました。

133ガンコ:2003/05/07(水) 17:22
これは、どうもです。
三大秘法抄の問題は承知しているつもりですが、文意は読んでのとおりです。つまり、大聖人を本仏と仰ぐのであれば、都合が悪いからといってその御書から目をそむけるわけにはいかない道理を申し上げたかったのでした。とくにわたくしの所属しているところでは、そういう傾向があるものですから、いつまでも通用しないだろうと、自戒をこめたのです。

ちょっと、愚鈍凡夫さん宛てに書いていたのですが、問答名人さんにもご意見をうかがいたいと思います。

「然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ざれば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり。」(本尊抄)

最近、記号に凝っているんですが、

 一念三千の仏種>有情の成仏>木画二像の本尊
 能生>所生(能説)>仏像仏画(所説)

つまり、大聖人の御文字御本尊は一念三千の仏種であり、いわゆる諸仏能生の根源ということでよろしいのではありませんか。

「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。」(本尊抄)
「今は既に末法に入って、在世の結縁の者は漸々に衰微して、権実の二機皆悉く尽きぬ。彼の不軽菩薩、末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり。而るに今時の学者、時・機に迷惑して或は小乗を弘通し、或は権大乗を授与し、或は一乗を演説すれども、題目の五字を以って下種と為すべきの由来を知らざるか。」(曾谷入道殿許御書)
「種・熟・脱の法門、法華経の肝心なり。三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり。」(秋元御書)

問答名人さんのご意見を前々より拝見してまして思うことは、必ず絵像ないし画像を曼荼羅に配当するけどなんでやろ? ということでした。わたくしは上に挙げるところの御書よりして、とても木画二像のいずれかにあてはまるものではない、むしろ一念三千の仏種に相当するのではないか? と考えるのです。してみると、

「問うて云はく、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし。」(本尊問答抄)

ここで仰せの法華経の題目とは、たんなる法華経の題名ではなく、妙法五字の大曼荼羅を示すものと考えてよろしいのではありませんか。

134愚鈍凡夫:2003/05/07(水) 19:26
問答迷人さん、始めまして。
知らぬ間に、すごい論戦になってますね(種蒔いたんはお前じゃって言われそうですが)。

絹本着色法華経絵曼陀羅図
http://www.hokkeshu.com/kakujiin/toukai/600.htm

ここのページに絵曼陀羅の写真があります。
他に、「蒙古退治旗曼陀羅図」というのがあるのではないでしょうか(本の写真で見ました。イラストかも知れません)。
こういった形は日蓮聖人のお考えにはなかったと思われますか。

川蝉さんに御教示頂く際に引用しました、「四条金吾釈迦仏供養事」の文証が気にかかるのです。話が前後しますが、今は本尊の優劣を問題にしているのではありません。

もし、日蓮聖人に絵曼陀羅(画像)のお考えがなかったとしたら、この文証はどのように理解すべきでしょうか。

「草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり」

可能性として「本門の本尊」の表現法に画像、仏像、曼陀羅の3通りあるように思えるのです。解釈が間違っているでしょうか。

曼陀羅の件、
「このまんだら(曼陀羅)を身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく子ををやのあいするがごとくいをの水をたのむがごとく草木のあめをねがうごとくとりの木をたのむがごとく一切の仏神等のあつまりまほり昼夜にかげのごとくまほらせ給う法にて候、よくよく御信用あるべし」(「妙心尼御前御返事」御書全集 P1477)

昭和定本では2巻に同じ名前で、内容が違う遺文がありますが、御書全集では大石寺に写本があるようです。偽書の可能性はかなり高いのでしょうか。
話を戻すようで済みません。

135問答迷人:2003/05/07(水) 19:51
ガンコさん

三大秘法抄の件、了解です。

>「然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ざれば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり。」(本尊抄)

「一念三千の仏種に非ざれば」とは、この文の少し手前に「新訳の訳者等漢土に来入するの日、天台の一念三千の法門を見聞して、或は自らの所持の経々に添加し、或は天竺より受持するの由之を称す。」とある通り、後世の訳者が天台の一念三千の法門を盗み入れて訳した様な経典の一念三千ではなく、本来の、法華経の一念三千でなければ、という意味ですね。

日蓮聖人の文字曼陀羅には、法華経の題目たる妙法蓮華経の五字が認められていますから、一念三千の仏種だと言えますね。ですから、それが諸仏能生の根源ということでよろしいと思います。ただ、それがどうかしましたか。記号の意味は全然理解できませんが。

>木画二像のいずれかにあてはまるものではない、むしろ一念三千の仏種に相当するのではないか?

本来、曼陀羅が絵像で有ることは、真言の曼陀羅を見れば判ることですね。尊形を梵字で表す曼陀羅は、顕正居士さんがご紹介下さったとおりで、実際に真言に有るわけです。日蓮聖人は梵字を漢字に置き換えられた点が独創的で有るわけですが、曼陀羅で
有ることにはなにも変わらないと思いますが、如何でしょうか。

136愚鈍凡夫:2003/05/07(水) 20:43
ガンコさん。質問に答えてくれて有り難うございます。

ガンコさんが挙げられている文証は、末法における本尊について言及されている文証ですね。同時にこの本尊の信受によって成道するとの仰せだと思います。
確かに、諸仏成道の根源の法という意味では「一念三千の仏種」ですね。
ただ、「諸仏成道の根源の法」を書写したのが日蓮聖人御筆の本尊だと思うのです。
信受という意味では、木絵二像の本尊も同じように功徳を積むことになるのではないですか。川蝉さんのおかげで少しずつですが、そう思えるようになってきました。
だから、同一理による本尊に格差はなく、結局信受の問題になるということではないですか。

137問答迷人:2003/05/07(水) 21:08

ガンコさん

追加です。今度は僕から質問させていただきます。

>ここで仰せの法華経の題目とは、たんなる法華経の題名ではなく、妙法五字の大曼荼羅を示すものと考えてよろしいのではありませんか。

何を根拠にして、そう考えられるのでしょうか。法華経の題目とは、文字通り、妙法蓮華経の五字以外に考える余地はないと思います。まぁ、百歩譲って、妙法五字の大曼荼羅と解釈したとしても、その大曼陀羅の所詮は、妙法蓮華経の五字に他ならない訳ですから、結局、一緒のことだと思います。

138問答迷人:2003/05/07(水) 21:11

川蝉さん

>法華行者値難事の、この文では、本尊が一尊四士で、それを奉安する所が戒壇で(もちろん理・事の戒壇の別は有ります)、妙行が南無妙法蓮華経の五字と云う配当になっている文意が理解できないようですね。

仰るとおりだと存じます。分かり易くご解説戴き、有り難うございます。今後とも宜しくお願い申しあげます。

139問答迷人:2003/05/07(水) 21:26

愚鈍凡夫さん

初めまして。いつも、書き込み有り難うございます。

>可能性として「本門の本尊」の表現法に画像、仏像、曼陀羅の3通りあるように思えるのです。解釈が間違っているでしょうか。

聖人は、観心本尊抄において、木画の二像、とは仰っていますが、曼陀羅とは一言も仰っていらっしゃいません。あくまでも、聖人のお考えは、木画の二像であり、その二通りの分類からすれば、木を用いて彫刻するのが木像であり、紙を使って描くのが画像という分類になると思います。やはり、聖人のお考えは、二通りであろうと思います。

なお、妙心尼御前御返事については、日興上人の写本が大石寺に有り内容的にも、問題となるような点が見当たらないと思われますので、ほとんど偽書の可能性はないと考えて差し支えない物と思います。

140川蝉:2003/05/08(木) 12:03
134 愚鈍凡夫 さんへ。

「妙心尼御前御返事」(御書全集 P1477)は
昭和定本では2巻1105頁に掲載されています。
注記に大石寺に興師の写本があるとありますので真蹟同様に扱われています。

>可能性として「本門の本尊」の表現法に画像、仏像、曼陀羅の3通り
>あるように思えるのです。解釈が間違っているでしょうか。

画像は宗祖在世中に在ったか否かは別として、本尊にしえると考えます。絵で表すか彫刻像で表すか文字で表すかの形式の違いだけですから。

今回の大日蓮展にも鎌倉時代作の静岡妙法華寺の「十界勧請大曼荼羅」や京都本法寺の「宝塔絵曼荼羅」それから南北朝時代の神奈川本興寺の「宝塔絵曼荼羅」、京都法華寺の「絵曼荼羅」が出品されていました。

特に京都法華寺の「絵曼荼羅」には、大覚上人(日像上人の弟子)の署名花押があります。

また京都本法寺の「宝塔絵曼荼羅」は、中山法華経寺の日祐目録(昭定第三巻・2734頁)にある「多宝塔本尊」のことと云われ、宗祖在世の作と伝えられているそうです。

1317年(祖滅35年)の日昭譲状に、「生御影」と記されている「日蓮聖人像」は、曽谷夫妻が説法を聴聞している図ですが、一尊四士の画像が描かれています。

画像表現は古くから在ったことが分かります。

141ガンコ:2003/05/08(木) 17:36

問答名人さん、愚鈍凡夫さん、どうもです。

だいぶ議論が込み入ってきたので、簡略に申し上げます。
まず、大聖人の御文字御本尊が画像に含まれるかどうかですが、ようするにわたくし個人の印象として画像とは思えない、ということです。わたくしの認識が間違っているのであれば改めなければなりませんが、こうした感覚的なものはなかなか変わらないものです。
小学生レベルの思考力で、木画二像といえば、ほとけさまのおすがたを彫ったものを木、ほとけさまのおすがたを描いたものを画、と考えるのです。まして幼稚園レベルになれば、これは絵ですよといっても理解できないわけです。(つまり、じぶんは幼稚園レベルだということです)
いずれにしても、御文字御本尊を拝していて画像であるなどと思ったことは一度もないです。

>木絵二像の本尊も同じように功徳を積むことになる
>同一理による本尊に格差はない

これはべらぼうに難しい問題で、うかつなことを書けばえらいことになると思ってはいますが、記号の意味は御文字御本尊が上位にくる、つまり勝劣があると申し上げたかったわけです。
しかし、問答名人さんに説明の不備をつかれてしまった格好ですね。
本尊問答抄の「法華経の題目を本尊とすべし」が御文字御本尊のことならば、同抄に能生・所生の関係を明示し給うごとく、まさしく大聖人の顕し給う御本尊こそ最上位にくるだろうと考えたのですが、辛口に申せばぜんぜん説明になっていない、まあ手心を加えてもまだまだ説明が足りないといったところでしょうか。

なんと申しますか、希望的観測というか曼荼羅正意願望が、短絡的結論を出してしまったのだと、自省しております。

まあ、正宗信徒にとってはこれでじゅうぶんなんですけど・・・曼荼羅正意を述べるのならばもっと緻密でなければならない、とのご助言と拝しました。

142愚鈍凡夫:2003/05/08(木) 18:50
川蝉さん。いつもながら丁寧な御教示有り難うございます。
日蓮聖人の御本尊の奥行きの深さを感じました。
有り難うございます。

143愚鈍凡夫:2003/05/08(木) 19:37
ガンコさんへ。

お礼なら問答迷人さんに言ってください。小生は意見を述べただけです。


スレッドテーマとは関係ないですが、こういうのがありますよ(ガンコさんには面白くないかもしれませんが)。

第一章 顕正会とは何か
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/1558/page013.html

144落ちこぼれ大作:2003/05/08(木) 20:13
ゴメン:: とても御参考になりまする、、。どなたかお教え頂きたく、、。日蓮さん当時「木の像とは=彫刻でしょうか??」、また「画の像とは”筆”にて紙面に”文字または絵”などを」書することでしょうか、、?? 難儀でしょうが、論戦イヨイヨの肝心カナメかと、存じまするが、、??

145愚鈍の田子作:2003/05/08(木) 21:23
木の彫刻は「少なからずの”ウデと技”が要か、、出来映え次第が”スグ現れる”からです、、。偶像多造時代の先代の後遺症的な、その木像から”一般の方は五字・七字の題目”を体感可能でょうか、、?? その可能な方はカナリの強信者かと、、??」「字ズラの書式なら”初心の者でもアル程度は、五字・七字のお題目を”体感・理解可能でしょうか、、??」。 ガンコさんの「木より書画が大という趣旨」には、一応賛同いたしまする、が、??。

146ガンコ:2003/05/08(木) 23:07

>スレッドテーマとは関係ないですが、こういうのがありますよ(ガンコさんには面白くないかもしれませんが)。

いつも資料の提示ありがとうございます。ここは結構有名だから知ってました。もちろん全文読んでます。古参幹部はみんな注目しているんじゃないですかね。わたくしは直接面識ありませんけど、彼が男子部幹部だったのは覚えています。

147ガンコ:2003/05/08(木) 23:25

落ちこぼれ大作&愚鈍の田子作さん

あなたの文章は個性的ですから、なんだかそれだけで存在感がありますね。

148川蝉:2003/05/09(金) 14:35
問答迷人さん、愚鈍凡夫さん、ガンコさん今日は。
曼荼羅と一尊四士

建治二年七月の「報恩鈔送文」に、
「御本尊図して進せ候。」
とあって、曼荼羅を本尊と呼んでいます。
ちなみに、漢和辞典には「図」は「絵 えがいたもの」と説明しています。
宗祖は曼荼羅について、文字を書いたものと云う意識だけでなかったように思えますね。

文永十二年「新尼御前御返事」(身延曾存)
「但大尼御前の御本尊の御事、おほせつかはされておもひわづらひて候。」とあって、その御本尊を「此五字の大曼荼羅」と呼んでいます。曼荼羅を本尊と呼んでいるわけです。
そして、その曼荼羅を
「寺寺の本尊皆かんがへ尽し、日本国最初の寺元興寺、四天王寺等の無量の寺寺の日記、日本記と申ふみより始て多の日記にのこりなく註して候へば、其寺寺の御本尊又かくれなし。其中に此本尊はあへてましまさず。」(866)
と説明していますが、
この部分は、
本尊抄の
「正像二千年の間は小乗の釈尊は、迦葉、阿難を脇士と為し、権大乗並びに涅槃、法華経の迹門等の釈尊は、文殊、普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画けども、未だ寿量の仏ましまさず。末法に来入して、始めて此の仏像出現せしむ可きか」
に同じ意ですね。

「今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給て、世に出現せさせ給ても四十余年、其後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品、属累に事極て候しが、」(867)の部分は、
本尊抄の
「是の如き本尊は、在世五十余年にこれ無し、八年の間にも但だ八品に限る。」(学248・昭定713))
と同様の説明です。
「報恩鈔送文」や「新尼御前御返事」によれば、曼荼羅を本尊と呼んでいたことは確かでしょうね。

本尊抄に
「其の本尊の為体」を「本師・・」と、曼荼羅の構想を述べて「是の如き本尊は在世五十余年に之無し」とある本尊は、本尊抄述作当時にはまだ未顕ですが、宗祖の頭にすでにあった、間もなく図顕する大曼荼羅を指していることが分かります。
この文に続いて
「正像二千年の間は小乗の釈尊は、迦葉、阿難を脇士と為し、権大乗並びに涅槃、法華経の迹門等の釈尊は、文殊、普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画けども、未だ寿量の仏ましまさず。末法に来入して、始めて此の仏像出現せしむ可きか」
と続きますが、この部分の文意は、
「脇士を以て仏格を表す古来の造像上の決まりがあるから、大曼荼羅で表した寿量の仏を仏像で表すとすれば、本化四菩薩を脇士とした仏像として表すべきである」
と解釈出来ると思います。
続いての部分は
「本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば、三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由これを申ぶ」(713)
とありますが、
「本門寿量品の本尊即ち大曼荼羅本尊ならびに、四菩薩を脇士として表した本門寿量品の本尊は未だ崇重されていない」と云うようにも解釈して良いだろうと思います。

ただし、この文の「始めて此の仏像出現せしむ可きか」の「仏像とは大曼荼羅本尊の事である」とか「すなわち末法に入って始めて、未曾有の大曼荼羅本尊の形式をもって、今日蓮が、この寿量品の本仏釈尊の仏像を光顕するのである」と解釈する宗学者もいます。

本尊抄の終わり部分に、
「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊を此の国に立つべし。月支、震旦にも未だ此の本尊ましまさず。」
は、「このような時こそ、地涌千界の大菩薩が出現して
四菩薩を脇士として本門寿量品の釈尊である事を表す所の一閻浮提第一の本尊を建立するであろう」
との意味ですね。此処に、一尊四士像本尊を述べている理由は、
続いての文に、
「日本国の上宮、四天王寺を建立せしに、未だ時来らざれば、阿弥陀佗方を以て本尊と為す。聖武天王、東大寺を建立せしも、華厳経の教主なり。未だ法華経の実義を顕はさず。伝教大師は粗ぼ法華経の実義を顕示す。然りと雖も、時未だ来らざるの故に、東方の鵝王を建立して、本門の四菩薩を顕はさず」
と有るように、四天王寺、東大寺等の官寺を挙げているので、公的な法華経弘通の拠点としての寺塔が建立される時には、一尊四士像を本尊とすべきだと云うお考えが有ったからだと思うのです。

149問答迷人:2003/05/09(金) 18:06

川蝉さん 愚鈍凡夫さん、ガンコさん

>宗祖は曼荼羅について、文字を書いたものと云う意識だけでなかったように思えますね。

川蝉さんのご意見に全面的に賛同します。本来、曼陀羅が、絵であることは、論議の余地が無いと思います。例えば、大辞林によれば、曼陀羅とは、「〔仏〕〔梵 maala〕画面に諸仏を描いた図形や象徴的に表した記号を特定の形式で配置し、悟りの世界や仏の教えを示した図絵。四種曼荼羅・金剛界曼荼羅・胎蔵界曼荼羅など。」とあるとおりです。

日蓮聖人が、「本門の本尊」を文字を用いて紙の上に表され、それを「曼陀羅」と呼ばれたことも確定事項です。この二つのことから、日蓮聖人が文字を用いて表された「妙法曼陀羅」が画像であることは、やはり、議論の余地がないと考えます。ただ、従来の木像や絵像と、文字曼陀羅との勝劣については、議論の余地は有ろうかと思いますが、別の次元の事であろうと思います。

150ガンコ:2003/05/09(金) 19:03

川蝉さん、恐れ入りまする。

わたくしもひとつ書いていたんですが、発表するまえに破折されちゃったみたいです。恥をかかずに済んだとも言えますが、大体こうして書き込んでいること自体、恥を晒しているんでしょうね。
恥かきついでに申し上げますと、わたくしは漢文が読めませんものですから、御書は大石寺版に依っているのが実情です。そうしますとご存知のごとく本尊抄などの重要な部分で読み方に相違がありまして、「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。」 ここがその典型なのでしょうね。
この部分は大事でありますから、じっくり考えてまいりたいと思いますが、少し関わりがあると思われるので以下質問させてください。

「問ふ、正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等、余仏、小乗・権大乗・爾前・迹門等の寺塔を建立すれども、本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す。」
「月支・震旦に未だ此の本尊有さず。日本国の上宮、四天王寺を建立すれども未だ時来たらざれば、阿弥陀・他方を以て本尊と為す。聖武天皇、東大寺を建立す、華厳経の教主なり、未だ法華経の実義を顕はさず。伝教大師粗法華経の実義を顕示す。然りと雖も時未だ来たらざるの故に、東方の鵞王を建立して本門の四菩薩を顕はさず。」

この両文は御表現ならびに内容に相違がなくはないですが、結論は同じことを仰せられているように思えます。もしそうであるならば、後文の最後の部分「本門の四菩薩を顕はさず」は “本門寿量品の本尊並びに四大菩薩を顕はさず” との意味になろうかと拝します。してみると、なぜに本門寿量品の本尊を省略あそばすのかが疑問に思われるのですが、いかがでしょうか? 

まるで大聖人にケチを付けているような書きようで申し訳ありません。

151愚鈍凡夫:2003/05/09(金) 19:13
川蝉さん、問答迷人さん、ガンコさん。お世話になってます。
有り難うございます。

「公的な法華経弘通の拠点としての寺塔が建立される時」というのは、「戒壇堂建立の時」との解釈でしょうか。

川蝉さん、問答迷人さんの御教示をまとめますと、
「本門の本尊」を画像で表現するとは、文字通り「絵曼陀羅」の場合と、文字で描かれた「曼陀羅」の場合とがあるとの解釈でいいでしょうか。


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