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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

125川蝉:2003/05/07(水) 11:54
120 : 豊穣 さんへ。

>嘘でしょう。そんなのざらにありますよ。なんでこんな嘘っぱち
>書くんですか。

別に嘘をつく必要のないし、嘘をついているのではありませんよ。私の見てきたお寺さんの数はたかが知れていますが、一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことが無いのです。

私のコメントに書いおいたように「一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛ける必要性は無い」と言うのが私の立場です。ちなみに、本山池上の一尊四士像や身延山本堂の一塔両尊四士像の背後には曼荼羅が掛かっていません。

若し背後に掛けていても、前中央に一尊四士像や一塔両尊四士像があれば、参拝者は前中央に在る一尊四士像ないし一塔両尊四士像を本尊として拝するだろうから、背後に大曼荼羅を掛けてあっても、特別に差し障りがあると思わないので、かまわないと考えています。で、「背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことが無い」と言う嘘をつく理由など無いのです。
それでも私を「嘘つき」と言いますか?

>一尊四士は日蓮ではなく、日興の考えでしょう。

「一尊四士」と言う熟語は御遺文に無いですが、一尊四士の義は教示されていますね。
問答迷人さんが
「日蓮聖人は、観心本尊抄を拝する限りでは、どちらも視野に入れて居られたと思います。」
と言われている通りですね。
「啓蒙19巻73〜74紙」に有るように、本尊抄の「地涌千界出現本門釈尊為脇士」(学会版では254頁)を
「地涌千界(垂迹)が出現して、地涌を本門釈尊の脇士と為す」
と言う意味と理解していますので、ここに一尊四士の義があると認識しています。
また真蹟は無いですが「四菩薩造立抄」に
「本門久成の教主釈尊を造り奉り、脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕候き」(学会版987頁)
と、一尊四士の義があります。
「四菩薩造立抄」は真蹟が無いので真偽について議論があるものの、「日祐目録」の「本尊造立事」がそれに当たると言う見方もあり、中山法華経寺には、鎌倉時代作の一尊四士が在ることなど考慮すれば真蹟扱いしてよいだろうと思います。


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