[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
99
:
川蝉
:2003/05/04(日) 12:12
ガンコさん・愚鈍凡夫 さん横から失礼します。
竜口法難から佐渡流罪の前後の時期は、文永九年四月の「富木殿御返事」に
「日蓮臨終一分も疑ひなく、刎頭の時は殊に喜悦あるべく候。大賊に値ふて大毒を宝珠に易ふと思ふべき歟。」(学会版962頁・昭定619頁)
とあるように、いつ命を取られてもおかしくない状態でした。
そこで「三沢抄」に
「而に去る文永八年九月十二日の夜、たつ(龍)の口にて頸をはね(刎)られんとせし時よりのち(後)ふびんなり、我につきたりし者どもに、まこと(真)の事をいわ(言)ざりけるとをも(思)て、さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり。此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず」(学会版1489頁)
とあるように、存生の中に弟子達に真実の法門を披瀝しておかなければと考えられたのですね。
「此疑は此書の肝心、一期の大事なれば、所所にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし。」(開目抄203頁)
「観心の法門少少を注して太田殿、教信御房等に奉る。此の事は日蓮当身の大事也。之を秘せよ、」(観心本尊抄送状255頁)
とある開目抄と本尊抄を著し、大曼荼羅本尊図顕されて、真の法門を披露されたのです。
「三沢抄」に云うところの真の法門とは、
「此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず」
にあることより、「報恩抄」に
「末法のために仏留め置き給ふ。迦葉、阿難等、馬鳴、龍樹等、天台、伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。求めて云く、其形貌如何。答へて云く、一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦、多宝、(塔)外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし。二には本門の戒壇。三には日本乃至漢土、月支、一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし。」
とある本門の本尊、戒壇、題目であることが分かります。
本尊図顕を出世の本懐とすれば、佐渡流罪中に於いて、本懐を遂げられたことになりますね。
いつ命を取られるか分からない状況に置かれていた宗祖が弘安二年まで本門の本尊(真の本尊)を図顕をしなかった筈などありませんでしょうね。
「聖人御難事」の文は、「如説修行抄」にある
「我等が本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年、今日蓮は二十余年の間権理を破す。其間の大難数を知らず。」(504頁)
との文と同じ意趣を書かれたもので、
愚鈍凡夫 さんが91で、「御自身は立宗宣言以来27年間、大難の中に身を置いてきたとの仰せだと思います」
と解釈されているとおりと思います。
あるいは、もし本懐の成就について語っている文意とすれば、
弘安元年三月「諸人御返事」に
「 三月十九日の和風並に飛鳥、同じく二十一日戌の時到来す。日蓮一生の間の祈請並に諸願、忽ちに成就せしむるか。将又五五百歳の仏記宛かも符契の如し。所詮真言、禅宗等の謗法の諸人等を召合せ、是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那となり。」
(昭定1479頁)
とあるように、宗祖は公場対決を「一生の間の祈請並に諸願」としていたと云えます。
天台大師は出家の31年後の585年に、陳の後主に招かれ法門を講じ、宮中太極殿で諸僧の難問に応え、また、伝教大師は得度出家より22年後の802年(延暦21年)に、和気弘世に招ぜられ高雄山において諸宗の高僧に天台三大部を講じ、桓武天皇の信を得ました。
「天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出家の本懐を遂げたまう」とは、両大師の公場対決を指していると解釈できます。
すると「余は二十七年なり」とは、「開宗の日よりすでに27年を過ぎ、数々の法難を受けているが、まだ諸宗の高僧達と公場対決を果たしていない」と云う意味の文と解釈すべきと思います。
「弘安二年に出世の本懐である板本尊を造った」と云う解釈は恣意的解釈と云う事になりますね。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板