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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

69今里祐二:2003/01/31(金) 14:07
日淳上人の御指南です。

『大聖人の三大秘法は本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目とでありますが、此れをつづめますと本門の本尊の一大秘法になります。戒壇も題目も御本尊によって起ってくるからでありまして乃ち御本尊に具つてをるところであります。しかしてまた三大秘法を開きますと六大秘法になりまして本門の御本尊は法と人とになり、戒壇は事と義となり題目は信と行とになるのであります。三大秘法を開合致しますとかようになるのでありますが、三秘のところを至極とするのであります。此の三秘の関係はまことに重要なことで、此れを誤ると大聖人の御法門を正しく拝することはできないのであります。世間では大聖人の教は題目にあらせられると思つて題目を主として御本尊を忽かせにする者が多いのであります。多いどころではなく皆左様に考えてをりますが、此れがために大聖人の教をはき違えるのであります。元来かような考へは南無妙法蓮華経は法であるとのみ考へるからでありまして宇宙に遍満する妙法の理が題目であるとするからであります。此れは大変な誤りで南無妙法蓮華経は仏身であります。即ち法報応三身具足の当体であらせられ報身中に具し玉ふのであります。妙法の理は天地の間にありましてもそれは理性であります。実際には仏の御智慧にのみ厳然として具はり玉ふのであります。その仏は十方法界に唯御一人在ますだけであります。そうしてその仏が衆生を正しく御導き下さるのであります。世間で日蓮大聖人の宗旨であると自称してをる一般の宗門では御本尊の首題の下に自分の名を記して授与してをりますが、飛んでもない大非法であります。恐らく此れは南無妙法蓮華経と唱ふるものは法華経の行者であると考へて大聖人と同じ思ひをするからでありませう。凡そ法門に於ては総別の二義があるのでありまして此れを忘れると地獄ヘ堕ちることになります。日蓮大聖人は「総別の二義を違えば成仏思ひもよらず」と仰せられてありますが、此れは行人の最も心ををくべきところであります。法華経の行者は大聖人唯御一人だけで末法の仏も大聖人であります。総じて申せば妙法を信受するほどのものは行者といえますが別して逆縁の衆生でありまして順逆の分別は行功によるところであって畢竟唯御一人の仏に対しては凡夫であります。かえすがえすも此のところが肝要であります。かようでありますから仏の所有なされる妙法即仏身たるところが根本でありまして、その御本尊を信受し奉る上の修行が題目になるのであります。すでに仏身地であらせられる大聖人の建立し玉ふ大曼荼羅を信受し持ち奉ることが肝要でありまして、此れ以外は皆偏見であり邪道であります。』(日淳上人全集『日蓮大聖人の教義』)


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