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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
133
:
ガンコ
:2003/05/07(水) 17:22
これは、どうもです。
三大秘法抄の問題は承知しているつもりですが、文意は読んでのとおりです。つまり、大聖人を本仏と仰ぐのであれば、都合が悪いからといってその御書から目をそむけるわけにはいかない道理を申し上げたかったのでした。とくにわたくしの所属しているところでは、そういう傾向があるものですから、いつまでも通用しないだろうと、自戒をこめたのです。
ちょっと、愚鈍凡夫さん宛てに書いていたのですが、問答名人さんにもご意見をうかがいたいと思います。
「然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ざれば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり。」(本尊抄)
最近、記号に凝っているんですが、
一念三千の仏種>有情の成仏>木画二像の本尊
能生>所生(能説)>仏像仏画(所説)
つまり、大聖人の御文字御本尊は一念三千の仏種であり、いわゆる諸仏能生の根源ということでよろしいのではありませんか。
「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。」(本尊抄)
「今は既に末法に入って、在世の結縁の者は漸々に衰微して、権実の二機皆悉く尽きぬ。彼の不軽菩薩、末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり。而るに今時の学者、時・機に迷惑して或は小乗を弘通し、或は権大乗を授与し、或は一乗を演説すれども、題目の五字を以って下種と為すべきの由来を知らざるか。」(曾谷入道殿許御書)
「種・熟・脱の法門、法華経の肝心なり。三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり。」(秋元御書)
問答名人さんのご意見を前々より拝見してまして思うことは、必ず絵像ないし画像を曼荼羅に配当するけどなんでやろ? ということでした。わたくしは上に挙げるところの御書よりして、とても木画二像のいずれかにあてはまるものではない、むしろ一念三千の仏種に相当するのではないか? と考えるのです。してみると、
「問うて云はく、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし。」(本尊問答抄)
ここで仰せの法華経の題目とは、たんなる法華経の題名ではなく、妙法五字の大曼荼羅を示すものと考えてよろしいのではありませんか。
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