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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

129ガンコ:2003/05/07(水) 15:21

大変な質問を受けてしまいました。

しかも「内容が低下している」との感想もよせられていることですし、とてもわたくしの手に負える問題ではございません。といって逃げるわけにもまいりませんし、はなはだ困ったものでございます。
さて、ご質問の主旨は、妙法五字の大曼荼羅と仏像造立の整合性、もっとぶっちゃけて申せば、大曼荼羅信仰の立場の者として仏像造立を認めるのかどうか、ということかと存じます。
本宗においては造像を禁止しておりますが、ではなぜに大聖人は諸御書において造像を仰せられ給ふのか? この積極的説明ということがなされていないから、いつまでも同じ問題を繰り返しているわけでして、ひとえに御宗門の、あるいは各組織の、上層部の責任であろうと思うわけでございます。
人法体一の上から申しましても造像を認めることは、まさしく日蓮本仏論をも瓦解せしめる重大事でありながら、なぜに積極的に取り組まないのか? すでに教義の修正は困難とみて諦めてしまっているのか? あるいはいざという時のために秘策を温存しているのか? わたくしには皆目見当のつかないところでございます。

「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。」(報恩抄)

下種仏法の広大深遠なるスケールを仰せられたもの、とわたくし達は拝するわけですが、であればその下種の御本仏が「本門の教主釈尊を本尊とすべし」と仰せられるわけだからそうしなければならない、また、諸御書において造像を御認め遊ばすことも御本仏の金言であれば造像を否定することもできない、つまり“御本仏”を逆手にとって反論されても、はなはだ困ったことになるのでございます。

「予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加ふべし。」(三大秘法稟承事)

これも戒壇建立という大事の御指南を門家の遺弟等のために留め置かれたと拝するわけですが、かくも用意周到・懇切丁寧の御本仏様であれば、不必要な御書を遊ばすわけなどなく、造像の御書もまた門家の遺弟等のために留め置かれたと拝さなくてはならない、ということになるのでございます。

ことは本門の本尊にかかわる問題ですから、積極的な意味づけ・理由づけがなされねばならないとするのが当然でありますが、にわか勉強のわたくしには荷が重うございます。よって諸先輩のお出ましを願うものでございます。(なーかなか居ないんだな、これが)

蛇足ですが、大聖人は永久機関のような仕掛けを遊ばしたのではと思うことがあります。いわば“教門の難信難解”のようなあんばいで、なかなか結論が出ないようになっているんじゃないかと。それが「万年の外未来までもながるべし」の仕掛けなのかなあと。

答えになっていなくてごめんなさいです。反論覚悟でもうちょっとマシなのを書いてますので、今しばらく時間をくださいませ。


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