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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

105川蝉:2003/05/05(月) 10:08
102 : 愚鈍凡夫 さんへ。
「聖人御難事」の文は
「所で本師釈尊は四十余年を経て後八箇年に本懐の法華経を説きたまひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年で各々出世の本懐を宣説していられるが、それまでの間には釈尊は九横の大難あり、天台には南三北七の敵対あり、伝教には南都六宗の反対あり、其の法の為の大難は申し尽くせないほどであったことは、しばしば繰り返せし通りである。今日蓮の法華弘通は二十七年であるが、其の間の大難は各々方が承知していらるる通りである」(ピタカ刊・日蓮聖人遺文全集講義第二十三巻・89頁。日本仏書刊行会の御遺文講義第十一巻・41頁も同じ解釈です)
と云う解釈が、日蓮宗における解釈です。私もその通り受け取っています。

>日蓮聖人の場合は、大難に遭ってきた年数を指すが、「まだ諸宗の高>僧達と公場対決を果たしていない」
>という意味と解釈できると言うことですか。

宗祖が公場対決を望んでいたことは確かなので、宗祖の内意を穿って云えば、「まだ諸宗の高>僧達と公場対決を果たしていない」と云う想いが含まれていると考えても良いでしょうと云うことです。

>日蓮聖人御筆の曼陀羅は全て「本門の本尊」であり、
>曼陀羅と一尊四士像は表現の仕方の違いであり、共に「本門の本尊」>と解釈してもよい。ということでしょうか。

そうです。

>「日眼女造立釈迦仏供養事・1279(弘安2)年」、「四条金吾釈迦仏供養
>事・1276(建治2)年」を拝しますと、釈迦仏の一体仏だと思うのです
>が、それでも一尊四士像と解釈すると言うことですか。

ご指摘のように、両書とも釈迦仏の一体仏でしょうね。
宗祖は一体像の随身仏を本門の教主釈尊と拝しておられた筈です。当然、四条金吾殿も日眼女も宗祖と同じく一体像であっても本門の教主釈尊として拝していたはずですね。
形式上から云えば四士像を脇士として添える必要がありますが、実質上は一尊四士像と同じと云うことになると思います。ですから形式上は不備であっても、両書にある釈迦仏の一体仏は一尊四士像に例して考えて良いと思うのです。
そこで「これらの文証との整合性如何?」に対して「木像形式で、本門の教主釈尊を表したのが一尊四士像と理解していますので、曼荼羅本尊と一尊四士像と矛盾するものでないと理解しています。」とコメントしたのでした。


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