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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
141
:
ガンコ
:2003/05/08(木) 17:36
問答名人さん、愚鈍凡夫さん、どうもです。
だいぶ議論が込み入ってきたので、簡略に申し上げます。
まず、大聖人の御文字御本尊が画像に含まれるかどうかですが、ようするにわたくし個人の印象として画像とは思えない、ということです。わたくしの認識が間違っているのであれば改めなければなりませんが、こうした感覚的なものはなかなか変わらないものです。
小学生レベルの思考力で、木画二像といえば、ほとけさまのおすがたを彫ったものを木、ほとけさまのおすがたを描いたものを画、と考えるのです。まして幼稚園レベルになれば、これは絵ですよといっても理解できないわけです。(つまり、じぶんは幼稚園レベルだということです)
いずれにしても、御文字御本尊を拝していて画像であるなどと思ったことは一度もないです。
>木絵二像の本尊も同じように功徳を積むことになる
>同一理による本尊に格差はない
これはべらぼうに難しい問題で、うかつなことを書けばえらいことになると思ってはいますが、記号の意味は御文字御本尊が上位にくる、つまり勝劣があると申し上げたかったわけです。
しかし、問答名人さんに説明の不備をつかれてしまった格好ですね。
本尊問答抄の「法華経の題目を本尊とすべし」が御文字御本尊のことならば、同抄に能生・所生の関係を明示し給うごとく、まさしく大聖人の顕し給う御本尊こそ最上位にくるだろうと考えたのですが、辛口に申せばぜんぜん説明になっていない、まあ手心を加えてもまだまだ説明が足りないといったところでしょうか。
なんと申しますか、希望的観測というか曼荼羅正意願望が、短絡的結論を出してしまったのだと、自省しております。
まあ、正宗信徒にとってはこれでじゅうぶんなんですけど・・・曼荼羅正意を述べるのならばもっと緻密でなければならない、とのご助言と拝しました。
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