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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
86
:
愚鈍凡夫
:2003/04/29(火) 20:21
無明者さん、恥ずかしいです。
ガンコさん、新参者が生意気言って済みません。
先の「守護国家論」の文証は、
「自我得仏来。所経諸劫数。無量百千万。億載阿僧祇。常説法教化。無数億衆生。令入於仏道。爾来無量劫。為度衆生故。方便現涅槃。而実不滅度。常住此説法。(我仏を得てより来、経たる所の諸の劫数、無量百千万億載阿僧祇なり。常に法を説いて、無数億の衆生を教化して、仏道に入らしむ。爾しより来無量劫なり。衆生を度せんが為の故に、方便して涅槃を現ず。而も実には滅度せず。常に此に住して法を説く)」(「法華経如来壽量品第十六」)
此の文証を依文としていると思うのです。
法華経の法味は未だ尽きずという意味と捉えています。
小生、『人法一箇』という仏法用語が最後まで馴染めませんでした(よく、それじゃアインシュタインと相対性理論は而二不二の関係にあるのかと、屁理屈をこねて学会幹部を困らせていました)。
仏法は、釈迦牟尼の悟達した内容を説いたものであるでしょうが、釈迦牟尼自身と一体不二の関係にあるとは思えなかったのです。
正直言って今は、「本門の教主釈尊」が仏像なのか、仏画なのか、それとも十界勧請の曼陀羅を指すのか、分かりません。
出世の本懐の件は、
「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(「聖人御難事」)
とあるものですから、仏陀のみに許される用語とは思っていません。人師論師に使用しても差し支えないと思っています。
現時点ではこのように思っています。
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