[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
90
:
ガンコ
:2003/05/02(金) 18:32
愚鈍凡夫さん。
しつこいようですが、今一度ご教示ねがいます。
あなたは報恩抄の御文を引用せられて、出世の本懐は満たされているとおっしゃいました。
・・・すると、年代的には建治二年を本懐成就の年とお考えなのでしょうか?
聖人御難事の仰せからすれば、弘安二年は動かし難いと思うのですが・・・
もし「本門の教主釈尊を本尊とすべし」を依文とするならば、すでに開目抄・本尊抄等にその意味内容は説示せられています。しかるに「一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」と仰せられるのは、大聖人は御本尊の説明を遊ばしたけれども、いまだ(本尊抄御述作の時点では)一閻浮提第一の本尊は顕して居られないということでありましょう。
ゆえに報恩抄においても、御本尊の説明だけ遊ばして、実際には一閻浮提第一に相当する本尊はいまだ顕されて居られない、と思うのです。
よって出世の本懐は、この時点ではいまだ満たされていないのではなでしょうか?
出世の本懐にこだわって申すならば、やはり弘安二年以外にはありえない、という意見です。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板