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素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

1339地名:2004/05/17(月) 10:45
1338も同書からの引用です。
同書続き
「(五人所破抄の)「富士は郡の号即ち大日蓮華山と称す」という表現は「産湯相承事」の「日蓮は富士山自然の名号なり、富士は郡名なり実名をば大日蓮華山と云うなり」(御書P879)によっていると、思われる。」

ここで私がわからないのは、「実名を」「大日蓮華山と云う」ということです。

1340地名:2004/05/17(月) 10:54
同書続き
「富士山が大日蓮華山という名前で呼ばれていたことは「神道深秘」に確認できたが、その由来は、山岳信仰による「大日山」「蓮華山」からきている可能性が高い。
「大日山」「蓮華山」については、日順は「表白」の中で「富士山をば或は大日山とも号し・又蓮華山とも呼ぶ、此れ偏へに大日本国の中央の大日山日蓮聖人大本門寺建立すべき故に先き立って大日山と号するか、将た又妙法蓮華経を此処に初めて一閻浮提に流布す可き故に・蓮華山と名づくるか」(「富士宗学要集」第二巻P11)と記し、日蓮大聖人の仏法が世界広布する瑞相として意義付けている。」

1341地名:2004/05/17(月) 11:03
「表白」日順
「中ん就く霊鷲山・天台山・比叡山は共に法華弘通の地なり、然りと雖ども彼は皆垂迹にして未だ本を願はさず其の故は天竺をば月氏と号す即月の国なる故なり、漢土をば震旦と名く星の国たるによりてなり、随つて天台山は三台星の所居と申すなり、我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し・月氏震旦に勝れたり・仍つて日本と名く、富士山をば或は大日山とも号し・又蓮華山とも呼ぶ、此れ偏へに大日本国の中央の大日山に日蓮聖人大本門寺建立すべき故に先き立つて大日山と号するか、将た又妙法蓮華経を此処に初めて一閻浮提に流布す可き故に・蓮華山と名づくるか」
http://nakanihon.net/nb/yousyuu/yousyuu2_2.htm
nbさんに感謝申し上げます。

1342地名:2004/05/17(月) 11:07
「五人所破抄」日順
「次に日本と云うは惣名なり亦本朝を扶桑国と云う富士は郡の号即ち大日蓮華山と称す、爰に知んぬ先師自然の名号と妙法蓮華の経題と山州共に相応す弘通此の地に在り、遠く異朝の天台山を訪えば台星の所居なり大師彼の深洞を卜して迹門を建立す、 近く我が国の大日山を尋ぬれば日天の能住なり聖人此の高峰を撰んで本門を弘めんと欲す、閻浮第一の富山なればなり五人争でか辺鄙と下さんや。 」
http://nakanihon.net/nb/yousyuu/yousyuu2_1.htm

1343地名:2004/05/17(月) 11:12
「五人所破抄訳解」雪仙日亨
「次ぎに此国を日本と云ふのは惣名である・扶桑国とも云つてをる、富士と云ふのは郡の名を取つたのであるが、大日蓮花山と古来称してをる、それで先師日蓮の名号と・妙法蓮華の経題と・山の大日蓮華の名と・州の大日本の号と・四つの名称が自然に相応する所から考ふれば、本門の法華経の弘通は富士山より起るべきなのであることがわかる、例を遠く異国支那に求めて天台山の事をたづぬれば、其地理が天文の上からは三台星の分野に応ずることで・天台大師其の天文地理に応じて天台山に道場を定めて迹門の法華経を弘められた、此れを近き我国で云へば大日蓮華の富士山は日天に応ずる地理で・日蓮聖人此の峰を撰びて本門を弘めらるゝ考へであった、誠に日本のみの名山ではない・世界第一の富士山である、其れを五老が辺鄙の富士山と卑しむるのは聞えぬわけぢや。」
http://nakanihon.net/nb/yousyuu/yousyuu2_18.htm
ご参考までです。

1344地名:2004/05/17(月) 11:24
日蓮の御書(とりあえず真蹟の有無を問わない形で摘出しました)には「大日蓮華山」という呼称は「産湯記」のみ。「富士山」という表記はあり。

産湯相承事
聖人重ねて曰ふ様は、日蓮が弟子檀那等悲母の物語りと思ふべからず、即ち金言なり。其の故は予が修行は兼ねて母の霊夢にありけり。 日蓮は富士山自然の名号なり。富士は郡名なり、実名をば大日蓮華山と云ふなり、我中道を修行する故に是くの如し。  

聖愚問答抄上
第二は山の譬なり衆山を諸経に譬へ須弥山を法華に譬へたり須弥山は上下十六万八千由旬の山なり何れの山か肩を並ぶべき法華経を大日経に劣ると云う人は富士山は須弥山より大なりと云わん人なり、

日女御前御返事
御布施七貫文送り給ひ畢ぬ。 属累品の御心は、仏虚空に立ち給て、四百万億那由佗の世界にむさしの(武蔵野)のすすき(芒)のごとく、富士山の木のごとく、ぞくぞくとひざ(膝)をつめよせて頭を地につけ、身をまげ掌をあはせ、あせ(汗)を流し、 つゆ(露)しげくおはせし上行菩薩等・文殊等・大梵天王・帝釈・日月・四天王・竜王・十羅刹女等に、法華経をゆづらんがために、三度まで頂をなでさせ給ふ。譬へば悲母の一子が頂のかみ(髪)をなづるがごとし。

身延相承書
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す、本門弘通の大導師たるべきなり。 国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と云ふは是なり。就中、我が門弟等此の状を守るべきなり。 弘安五年壬午九月 日  日蓮花押 

百六箇抄
四十二、下種の弘通戒壇実勝の本迹、 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり。〈上行院は祖師堂云云弘通所は総じて院号なるべし云云〉

1345地名:2004/05/17(月) 11:33
日興の確実なる遺文「三時弘経次第」では富士山とあります。

「五人所破抄」は日興の最晩年の時期に日順が草案といわれています。日順は10代から20代に比叡山に留学しています。

五人所破抄
次に日本と云うは惣名なり亦本朝を扶桑国と云う富士は郡の号即ち大日蓮華山と称す、爰に知んぬ先師自然の名号と妙法蓮華の経題と山州共に相応す弘通此の地に在り、遠く異朝の天台山を訪えば台星の所居なり大師彼の深洞を卜して迹門を建立す、 近く我が国の大日山を尋ぬれば日天の能住なり聖人此の高峰を撰んで本門を弘めんと欲す、閻浮第一の富山なればなり五人争でか辺鄙と下さんや。
『五人所破抄』についても古来よりその筆者については疑義があり、従って日代の作とする説もあったが、近代になって日順の草案とされるに至った。しかし、最近宮崎英修著の『五人所破抄の作者について』の論文において、本書真書の年号と日順の追記があって、本書を日代作と推定している。(e)もっとも日代筆の直筆が北山に現存するというので、日代作というのが至当のようであるが、わたしは日順の草案を日代が清書したものではないかと思う。(本書は「六人立義草案」とも呼ばれた)
 『興門教学の研究』第2篇 興門教学の形成と展開 第1章 派祖日興の教学 第3節「日興の著作と偽作論」から抜粋(海秀舎)
富士一跡門徒存知の事
一、本門寺を建つ可き在所の事。
 五人一同に云く、彼の天台伝教は存生に之を用いらるるの間直に寺塔を立てたもう、所謂大唐の天台山本朝の比叡山是なり而るに彼の本門寺に於ては先師何の国何の所とも之を定め置かれずと。
 爰に日興云く、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり、然れば駿河国富士山は是れ日本第一の名山なり、最も此の砌に於て本門寺を建立すべき由奏聞し畢んぬ、仍つて広宣流布の時至り国主此の法門を用いらるるの時は必ず富士山に立てらるべきなり。
一、王城の事。
 右、王城に於ては殊に勝地を撰ぶ可きなり、就中仏法は王法と本源躰一なり居処随つて相離るべからざるか、仍つて南都七大寺北京比叡山先蹤之同じ後代改まらず、然れば駿河の国富士山は広博の地なり一には扶桑国なり二には四神相応の勝地なり、尤も本門寺と王城と一所なるべき由且は往古の佳例なり且は日蓮大聖人の本願の所なり。

1346地名:2004/05/17(月) 11:38
「日興の著作と真偽論」執行海秀師
「次に『富士一跡門徒存知之事』は大体『五人所破抄』と同調のものであるが日澄が日興の義を付嘱されたというように「追加分」が初めからあったとすれば、『五人所破抄』が重須系で成立したのに対し、『一跡門徒事』は大石寺系ではないかと思う。」
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/chue#chue
独歩さんの「仏教再考」から引用させて頂きました。感謝申し上げます。

1347菱村正敏:2004/05/17(月) 12:30
>>私が見た「神道深秘」は、立正大学図書館の資料です。出所不明となっています。コピーされたものです。

奥書はどうなってます?写本日時は掲載されてます?

 それと、最澄は804年に空海とともに唐に渡っていますので
これが書写されたとされる803年は渡唐まえということですね。

1348地名:2004/05/17(月) 12:51
「富士山縁起状」(原文漢文を書き下し文に改め適宜句読点等を入れました。)
「それ富士浅間大菩薩とは、法性無漏の山高く三国に勝れ、垂迹和光の岸広く、権現の神風豊葦原の国にあをき、そもそも神代の往昔機根いまだ熟せざるがゆえにて、…中略…
仁王七代の帝孝霊天皇の御宇に、この御山初めて出現するところなり。…中略…
凡夫の肉身たちまち八葉等覚の峰妙覚毘盧の頂上にのぼりて、大日覚王を拝したてまつる。大俗の凡夫すみやかに即身成仏の事、霊仏霊社の参詣多しと雖も即身即仏の利生たちどころにこうむること、富士参詣にはすぎず。
そもそもこの山の総体は、外院は金の大日、内院は胎の大日、両部不二の一体なり。
八葉九尊は、第一の嶽は、天照大神の本地・地蔵菩薩なり。
第二の嶽は、熊野の権現の本地・阿弥陀如来、
第三の嶽は、伊豆権現本地・観世音、
第四の崗は、白山権現本地・釈迦如来、
第五の崗は、日吉山王本地・弥勒佛、
第六の嶽は、鹿島金山の大明神本地・薬師如来、
第七の嶽は、三島の大明神本地・宝勝尊、
第八の嶽は、箱根の権現本地・文殊御堂、
五所の権現は本地・五大力菩薩中宮観音・弥勒の二尊なり。
日神子はイザナギ・イザナミ二神ましますがゆえに、金胎両部の峰と名づく。
総じてこの御山は、下金輪際より出て、上碧天に等し。
釈尊出世して成道説法利生したまう。
諸天善神三世常住天降り音楽を奏し花を散し香を焼きたまうゆえに、
今焼香の煙立ち音楽の響き絶えざるなり。
内院の底に虎の石うずくまるに似たるあり。
これすなわち深秘尊形なり。
これによりて蹲虎山と号するなり。
この山に七種の名あり。…老養山…花角山…行向山……。来集山。これ三世諸仏十方の諸神来集するする三世常住の浄土なり。天竺霊鷲山・唐土五台山、仏いま現在せず。この御山は生身の仏菩薩・諸天善神いますがゆえに。…妙光山…仙人山……。富士山。これ参詣の人富貴安楽の徳にあずかり、長生居士の身となり、富寿をこうむるがゆえなり。…中略……南無富士浅間大菩薩皆令満足」

1349地名:2004/05/17(月) 13:02

1347 菱村さん
>奥書はどうなってます?写本日時は掲載されてます?
>最澄は804年に空海とともに唐に渡っていますので
>これが書写されたとされる803年は渡唐まえということですね。

はい、奥書や写本日時などは書いてありません。
「堀川通高辻上ル町 植村藤右衛門」とありますが本文の文字と異なります。

日付は上巻が延暦で、下巻が弘仁とあります。
図書館の資料には出所不明とあり、これ以上のことはわかりません。
恐れ入ります。

1350地名:2004/05/17(月) 14:23
「本朝神社考」林羅山
「富士山」
「本朝文粋第十二に載する都良香富士山の記に云ふ、富士山は駿河の国に在り。峯削り成せるが如く、直ぐ聳ちて天に属けり。其の高さ測る可からず。…中略…
古老伝へ云ふ。山を富士と名づくるは、郡の名を取れるなり。山に神有り。浅間大神と名づく。…中略…
縁起に云ふ、考安天皇九十二年六月、富士山涌出す。…中略…郡の名に取りて富士山と日ふ。形蓮華を合するに似たり。絶頂八葉、層層に第八層に到る。…中略…
延暦二十四年の託に日く、我れを浅間の大神と号す。平城天皇大同元年に社を立てて之を祭る。…中略…

余(私注:林羅山のことか)、駿府に在りて幕下に侍る。次で富士浅間の縁起を見る。…中略…或は日く、浅間大明神は本地大日如来、愛鷹の大明神は本地毘沙門。又日く、不動明王と。…中略…皆是れ浮屠氏の誇謾にして世人多く之を信ず。余が取らざる所なり。…中略…

義楚六帖に日く、日本国、倭国と名づく。東海中に在り。秦の時徐福五百の童男、五百の童女を将いて此の国に止る。東北千余里に山あり。富士と名づく。亦蓬莱(ほうらい)と名づく……」

1351地名:2004/05/17(月) 14:58
真言神道
「日本記一流之大事」
「富士山之由来之事」
「凡そこの山には金剛界の大日立ちたまう、内院は胎蔵界、大日如来立ちたまわぬればこれを両部と申すなり、また八葉九尊と申す事は、一には熊野、本地・阿弥陀、二には陬防、本地・普賢、三には天照大神、大日、四には貴船、釈迦、五には箱根、地蔵亦は文殊、六には鹿嶋、観音、七には白山、胎大日亦は薬師、八には日吉、弥勒、九には春日、不動、右これを九尊と申すなり、この山に室と申す所あり、五所権現本地五大力○なり。それより十里上に中宮、御立候は二神なり、本地弥勒・観音の二○おわすなり、日神號と申す所あり、イザナギ・イザナミ○尊生まれたまう時に、陽陰神二の神出下給う、それゆえ両部と申すなり、この山に金輪のあいたより出生するなり、ただし人知らず、考霊天皇の御時これを見出給う、共に見たり、釈尊出世の御山にて説法したまう、その時天下りたまう香焼たまうなり、煙の立ち挙げを名づけて戀の焼きとは申すなり、ただしこの山にあまたの名あり、初は養老山と申すなり、又花角山とも申すなり、行向山とも申すなり、亦集山とも申すなり、亦は高山とも申すなり、仙人山とも申す、亦富士山とも申すなり、この七の名あり、以下略」

1352地名:2004/05/17(月) 15:17
天台神道
「溪嵐拾葉鈔」
「問、富士の岳をもって真言の秘事とする様(方)如何、
答、富士とは郡名なり、この山富(士)郡に在るゆえなり、峯(実事)を云へば真言布字之葉(義)なり、謂意はこの峯は四方円満山高く秀たり、頂上に八葉の形あり、昔は火炎立てけり、故に富士の煙と云いけり、頂上八葉は不動の頂上之蓮花なり、又(十九の相)布字ある故に布字と名づく、……、又(一の伝に)云、我国両部曼荼羅あり、富士はこれ金剛界の曼荼羅なり、故に竪に高く秀たり云々…略」

1353地名:2004/05/17(月) 15:44
「地名辞典」によれば
「神仏分離と富士山」
「明治初年の神仏分離により山内の仏像・仏具は下山させられた。山頂の仏像の多くは大宮に下山している。各登山口の浅間神社でも鐘楼・鐘・仁王門・護摩堂などが取除かれ、村山では大日堂と村山三坊が廃された。
明治七年には富士山中の仏教的な地名の改称がなされ、
山頂八葉などでは
文殊ヶ岳→三島ヶ岳、釈迦の割石→割石、薬師ヶ岳→久須志岳、釈迦ヶ岳→志良山岳(しらやま)(白山岳)、阿弥陀ヶ久保→片瀬戸、観音ヶ岳→伊豆岳、勢至ヶ久保→荒巻、大日堂→浅間宮、東西(東斎)ノ河原→東安河原(ひがしやすのかわら)、西西(西斎)ノ河原→西安河原となった。東口九合目の迎薬師は迎久須志、経ヶ岳は成就ヶ岳と変更された。」

1354地名:2004/05/17(月) 15:51
「地名辞典」で富士門流の「富士五山」の「山号」を見ていたら次のようでした。
       山号
大石寺   多宝富士大日蓮華山
妙蓮寺   富士山
北山本門寺 富士山
西山本門寺 富士山
小泉久遠寺 富士山

1355菱村正敏:2004/05/17(月) 16:00
>はい、奥書や写本日時などは書いてありません。
>「堀川通高辻上ル町 植村藤右衛門」とありますが本文の文字と異なります。

 植村さんは京都の出版所でしょう。ただ、誰がどこで書写したかが
書いていないとすれば、わたしがみた叡山文庫の神道深秘からは少々
間引かないといけない資料かもしれません。

1356地名:2004/05/17(月) 16:06
富士山と大日蓮華山については、林羅山の本について文献を探したのですがみつからず調べきれておりません。いつになるか確約できませんが調べられましたら報告します。
現在までのところでは、大日蓮華山の出所は「神道深秘」(最澄撰と云われる)だけでした。
大日蓮華山の意味について述べられた資料は現在までのところ見つけられませんでした。
地誌名等では富士山といわれるのが一般的です。
仏教の神仏習合(本地垂迹)で富士山の本地が大日如来云々と云われるようです。
日蓮の遺文では産湯記以外での使用例は見当たりません。富士山の使用例はあります。なお、産湯記には真偽論があります。
日興も確実な著述では富士山の使用例です。五人所破抄(草案か)は日順師(日代師記すとも云われる)を晩年の日興が見て裁可したのか私にはよくわかりません。
内容等の不適切な点等は私の未熟のためですのでお許し願えれば幸いです。

1357地名:2004/05/17(月) 16:16
1355 菱村さん

菱村さんの言われるとおりかもしれません。ご覧になられている叡山文庫の方が実際に比叡山で求められたものですから。

なお、上述した山梨県青年部の「神道深秘下」(東北大学図書館、狩野文庫)と私が見た本では内容は同じでした。

1358地名:2004/05/17(月) 16:41

1299 菱村さん

>林羅山の当該文献は「神道大系論説編20」
>当該書に掲載されていました。神道秘伝折中俗解という
>名称が付されていますが、これは神道秘伝という書物のやさしい解説書とい
>うような意味なのかどうかわかりませんでした。で、神道秘伝折中俗解を見
>たところ、富士山=大日蓮華山の指摘もそれに類似する記述も見当たらない
>ように思います。
>大日蓮華山という呼称がいつ発生したのか、それは正宗系以外のさらに
>ふるい書物をあたるしかありませんが、正確にいえば神道深秘の写本には
>大日蓮山とあります。ということは大日蓮華山という呼称は正宗系以外の
>書物には記載されていないのではないかと大胆な予想をしておきます。
>余談ですが、林羅山がべつのところで仏家が「日の神は大日なり。大日の
>本なるが国、ゆえになづけて日本国という」ということを指摘していました。
>これと似ているようにすると 「本仏は大日蓮なり。大日蓮の山なるがゆえに、名付けて大日蓮山という」
>本朝神社考および神社考詳節などにも大日蓮華山に関する呼称は見つけることができなかった旨も追記しておきます。

お調べ頂きまして誠にありがとうございます。御礼申し上げます。林羅山の書物について今後調べてまいります。

1359地名:2004/05/17(月) 17:02

1295 風来坊さん
>日道師と日卿師の間で争いがあったと聞いた

どこまでご参考になるかわかりませんが、「興風」13号、興風談所、平成12年の中で、坂井師が「道郷論争と大石寺東坊地の係争」を記されています。以下に目次のみ記します。
はじめに
一章 道郷論争
 1.諸文献の検討
 2.日道の六箇・十箇謗法について
 3.鎌倉期の大石寺と日目の弟子たち
 4.伯耆阿闍梨日道
   ・西坊地について
   ・日道と日郷の接点
 5.日郷と安房国
二章 大石寺東坊地の係争
 1.係争前夜
   ・南条氏一門の動向
 2.南条氏の退出と日郷の入寂
 3.係争の幕開け
 4.大石寺御影堂と奥州の勢力
   ・日時と奥州・下野との関係
 5.日伝の退出
 6.係争のあと
むすび
東坊地係争関連略年表

ご参考になれれば幸いです。

1360地名:2004/05/17(月) 18:59
「地名辞典」の静岡県の富士宮市の項で「大石寺」については以下のように記されていました。あくまでご参考の一つとしてご理解願います。
「潤井川(うるい)上流右岸にある。日蓮正宗の総本山で、本尊板本尊。山号は多宝富士大日蓮華山。富士門流(興門派)の富士五山の一つ。寺号は富士山南西麓末端部の大石ヶ原(おおいし)に所在したことにちなむといい、建武五年(1338年)五月五日の南条時綱寄進状(安房妙本寺文書)に「大いしてら」とみえ、暦応二年(1339年)二月十五日の南条時綱置文(同文書)にも「おほいしてら」とあって、当時は訓読みしていた。大石寺蔵棟札銘および寺伝によれば、正応三年(1290年)十月、日蓮の弟子日興が上野郷(うえの)の地頭南条時光の外護を受けて創建し、日蓮を勧請開山とし、自らは二世となったという。日興は正慶元年(1332年)十一月十日、当寺の御堂・墓所を弟子日目(三世)に相承させた(「日興置文」歴代法主全書)。
翌二年、日目は大石寺を弟子日郷に相続させるため大久保本妙寺(おおくぼほんみょう)より当寺大学頭蓮蔵坊(れんぞう)に招いたという(古文書記興門雑記)。
同年十一月に日目は日郷ほかを随行させて上洛の途中、美濃国垂井駅(たるい)(現・岐阜県垂井町)で没した(本国寺年譜)。
日郷が当寺に帰住すると、留守を預かっていた当寺下之坊(しもの)の日道らは、南条氏出自ではない日郷よりも日目と同じ南条一族の自分が継承すべきだと異議を唱え、結局日道が当寺を継承したため、日郷は当寺を離れ、延元二年(1337年)小泉法華寺(こいずみ)に移ったという(古文書記興門雑記)。
しかし日郷は当寺蓮蔵坊については弟子日伝(日賢)に譲与し守ってゆくよう遺命したため、日道及び後継者の日行・日時らと係争が続き、蓮蔵坊を応永二十三年(1416年)小泉の久遠寺(くおん)(法華寺を改称)に移したという(天正十六年十月一日「日侃書状」西山本門寺文書)。
貞治四年(1365年)十一月十三日、法西は上野郷内法西知行分を大石寺御堂・西東坊とともに日行に去り渡している(「法西去状」大石寺文書)。この地は鎌倉時代以来南条氏の知行してきたところであった。しかし同年十二月二十九日、駿河守護今川氏家は大石寺の継承について、日伝の申分により取計らうよう、南条氏一族で日行の兄の興津美作入道に依頼し(「今川氏家書状案」安房妙本寺文書)、翌年九月十七日に日行り競望を止め、大石寺御堂坊地は日伝に返付されている(「法西置文写」古文書記興門雑記)。これに対して明徳三年(1392年)七月、日行の跡を継いだ日時は日伝方の押領だと幕府に訴え(「大石寺別当日時申状案」大石寺文書)、翌年一月二十三日には大石寺法華堂の地を日時に交付するよう命じられている(「散位某書下」同文書)。応永十年七月十二日、駿河守護今川泰範は当寺の堂地および西坊地等を日時に安堵しており(「今川泰範書下」同文書)、さらに同十二年四月十三日、興津氏の知行地であった当寺東坊地を日時に譲っている(「興津法陽去状」同文書)。当寺は今川氏が戦国大名への飛躍を遂げた氏親の時代からその保護を受けるようになる。享禄二年(1529年)三月十九日、氏親後室寿桂尼はさきに氏親が当寺に与えた諸役免除の判物紛失を証し、改めて門前の諸役・棟別を免除している(「寿桂尼朱印状」同文書)。以下略」

1361顕正居士:2004/05/17(月) 20:12
1360番で地名さんが引用されている地名辞典の記事ですが

なぜ日目、日道を南条氏と書いているのでしょう。

日目師の母堂は南条時光殿の姉であり、姻戚関係はありますが、南条氏と新田小野寺氏は
全く別の氏族です(南条氏は平氏、小野寺氏は藤原氏)。
そもそも道郷紛争は南条家と小野寺家の代理戦争のようにみえます。

新田小野寺氏系図
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/m210/sinonoderaseisuiki/framepage12.htm
日時は行時の子?
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/m210/sinonoderaseisuiki/onoderakeizu.htm

しかしその後、日影、日有師と大石寺はまた南条家にもどります。

1362菱村正敏:2004/05/18(火) 05:49
 大日蓮華山と大日蓮山。どちらが先に生まれたんでしょうか?神道
深秘の偽作者はどちらかを記したんでしょう。地名さんの持っている
のは神道深秘写本のコピーですか?

 余談ですが山の名前というのはナカナカ面白いもので、大日プラス
蓮華というほぼ同価値の名詞が二つくっついている山というのはあり
そうでナイように思います。もちろん、全国の山名にあたったわけで
はありません。

 有名な山名から浮かぶものとしては、鹿島槍ヶ岳・三俣蓮華岳・会津
駒ヶ岳とか名詞がふたつ並んでいる山々です。それぞれについている鹿
島・三俣・会津は、山の位置を示すものというところが特徴点です。

1363地名:2004/05/18(火) 22:03

1362 菱村さん

>大日蓮華山と大日蓮山。どちらが先に生まれたのか?
>神道深秘の偽作者はどちらかを記したのでしょう。
>地名さんの持っているのは神道深秘写本のコピーですか?

御連絡ありがとうございます。
はい、私がコピーしたものは、立正大学図書館、現在は大崎メディアセンターというのでしょうか。
そこに蔵書されている「神道深秘」という題名の本、といってもコピーしたものを装丁というのでしょうか、それを見ました。
ですから誰でも閲覧可能な蔵書です。
内容については上述しました1334、1349に記したとおりです。

可能でしたら、以下の文章とお持ちの御本の内容が一致するか教えて頂ければ幸いです。
「大日蓮山」と「大日蓮華山」と「華」の有無はわかりましたが、それ以外は同じなのかとふと思いましたためです。

立正大学蔵書の内容
「神道灌頂儀式次第  大師伝授」
「十一 浄土通穴秘伝事」
「大師尋云、予諸国を廻り諸の霊山霊地見聞するに、常陸国には筑波山、伊豆には箱根山、出雲不老山、略、出羽国には羽黒山、下野には日光山、駿河には大日蓮華山、安房国には清澄山、能登には石動山、越中には立焔山、加賀越前には白山、甲斐には身延山、白根嶽、中略、」

創価学会山梨青年部の調べられた内容
伝教の作と伝えられている「神道深秘下」(東北大学付属図書館、狩野文庫)の
「十一、浄土通穴秘伝事」の冒頭に
「大師尋ねていわん、予諸国を廻り諸の霊山霊地を見聞するに、常陸国には筑波山、伊豆には箱根山、出雲には不老山、出羽国には羽黒山、下野には日光山、駿河には大日蓮華山、安房国には清澄山(以下略)云々」との記載が見られる。」

叡山文庫の「神道深秘」について調べようと思ったのですが、仕事のため本日できませんでした。

山梨県青年部の本では、「日蓮山とも云う」とありましたので調べてみたのですが見つかりませんでした。

「新版仏教哲学大辞典」聖教新聞社では
「大日蓮華山」の項は「多宝富士大日蓮華山といい、富士山のこと。山の形が八葉の蓮華に似ているところから呼ばれた。大日蓮華山という呼び方は平安朝時代に始まると推定される。日蓮山ともいう。
重須談所の二代学頭・三位日順の詮要抄を引いて、文底秘沈抄に「天台大師は漢土天台山に於いて之を弘宣す彼の山名を取って天台大師と号す、富士山亦日蓮山と名づく」(六巻抄)と述べている。」とありましたので
「日蓮山」という名があるのかどうか調べてみました。

それから、「多宝富士大日蓮華山」というので、「多宝」とは何か、「富士」は多分富士山のことだろう。「多宝富士大日蓮華山」というと、「富士山富士山」とならないかとも思ったりしました。
「大日蓮華山」だけでなく、あるいは「日蓮山」だけでなく、なぜ「多宝富士大日蓮華山」と記すのかわかりませんでした。
このへんについて、菱村さんに教えて頂ければありがたいです。

1364地名:2004/05/18(火) 22:37

1361 顕正居士さん

>1360番で引用している地名辞典の記事で、なぜ日目、日道を南条氏と書いているのでしょう。日目師の母堂は南条時光殿の姉であり、姻戚関係はあるが、南条氏と新田小野寺氏は全く別の氏族です(南条氏は平氏、小野寺氏は藤原氏)。

ご指摘頂きありがとうございます。鎌倉時代の氏族の呼び名の使用法については私は全く無知ですので教えて頂き感謝しております。地名辞典を書かれた筆者でないと詳細はわかりませんが、私は「家中抄」日精師の以下の文で「南条一族」とするもまあいいのではと思いました次第です。
歴全二−237頁「日目遺跡付属日道道理非一。其故は新六人初日代者日興付処居住重須。日澄は先て而逝去、日道是次第の法将なり。勲功可重。学解亦勝故、是一。日道者目師甥南条時光養子性相近。最堪為付属。況日道は目師直弟、日郷は伊賀阿闍梨日世の弟子而目師孫弟子なり。是故目師常の持言に云、此栗者いかの中よりほり出と庸常御出言ありき。日代遺状の内、付処と云へる以例知之、是二。日道は時光後室妙法養子なり。上野皆南条領内なり。何閣有縁日道、可被付属無縁日郷、是三。亦次付属之状無之云事、亦以無謂。右譲状新田の坊地を日道に譲与と者、下之坊事なり。上新田講所たるへしとは大石寺の講所たるへしと。以下略」
日精師の記述の正誤は、いま問いません。

>そもそも道郷紛争は南条家と小野寺家の代理戦争のようにみえます。

この点についてもう少し詳しく教えて頂けないでしょうか。

1365顕正居士:2004/05/19(水) 01:31
道郷紛争

『蓮蔵坊72年の係争』(高橋粛道・『大日蓮』・昭和60年)にありますように
http://gappo.cool.ne.jp/yowa/60/6011.htm

「大石寺の東の方は時綱が所領なるあいだ残る所なく宰相阿闍梨の御房に寄進仕る所なり、
依て後のために寄進の状件の如し 建武五年五月五日 平の時綱在り判 宰相阿闇梨の御房」

宰相阿闍梨日郷が蓮蔵坊からいったん追放された後、南条時綱が日郷に東之坊を寄進し、この裁判
は南北朝の時代をとおして続きます。南条氏でも小野寺氏でもない日郷師は南条家に東之坊を次に
相続させる条件で南条氏の支持を得ました。したがって「代理戦争」にみえるのであります。

最終的に日時が大石寺の土地を相続するが、日影、日有と大石寺はまた南条氏の所有になったと
大石寺では伝える。参考の系図では日影も小野寺氏とし、わたしにはわからないが、9世日有が
南条氏の出であることは堀上人の確実な説らしい。

1366菱村正敏:2004/05/19(水) 05:46
 叡山文庫からの写本では。

 一 浄土通穴秘侍事

   大師尋云 予諸国ヲ回リ 諸ノ霊山霊地ヲ見聞ルニ 常陸ノ国ニハ
  筑波山 伊豆ニハ箱根山 出羽国ニハ羽黒山 下野ニハ日光山
  駿河ニハ大日蓮山 安房国ニハ清澄山 能都ニハ石動山・・・以下略
 
  まず、こちらの写本では、巻というか章立ての通し番号は123では
 なく、すべて「1」となっています。ですからこの章は16との記載で
 はなく、「1」と記されています。

  それと、浄土通穴秘侍事とありまして、「伝」→「侍」と私には
 見えますが、ひょっとしたらここはこちらの写本にも「伝」と書か
 れているのかもしれません。

  それと、大日蓮山の右となりの余白にわざわざ「冨士山也」との
 注書きが加えられています。筆跡からするとこの注書きを加えた方は
 写本作者と同一であると思います。

  余談ですが、神道深秘には諸神を1か月30日に配当した部分も
 出てきます。冨士権現と記されている右脇に本地上行菩薩化身との
 記載がありますが、これと同様なかたちの注書きになっています。

1367菱村正敏:2004/05/19(水) 05:55
 ついでです。

 大きな図書館に行くと國學院が出している
吾妻鏡地名索引があるかと思います。そこでは
大石駅という記載があります。大石はたしか
「だいしゃく」という発音だったかという記憶
です。

 過去にこれが大石寺付近の地名だったのかどうかを
調べてみたことがあります。メモしたのですが、その
資料は捨てたようですので、もしその辺に興味がおあ
りでしたら、お調べになってみてください。調査済み
だよということでしたら失礼いたしました。

1368地名:2004/05/19(水) 22:34

1366、1367 菱村さん

ありがとうございます。

>「伝」→「侍」と見える。

立正大学のものは、正確には「伝」ではなく「傳」となっています。

>「大日蓮山」の右となりの余白にわざわざ「冨士山也」との注書きが加えられている。

立正大の方にはこの注書きはありませんでした。

>「神道深秘」には諸神を1か月30日に配当した部分も出てきます。「冨士権現」と記されている右脇に「本地上行菩薩化身」との記載あり。

この部分はコピーしませんでしたので今度見てみます。

國學院大學の五反田の図書館ですと林羅山の本も、叡山文庫の御本も見れると思うのですが一般者は閲覧できないみたいですので他の図書館を探してみます。

>「吾妻鏡地名索引」があるかと思います。そこでは「大石駅」という記載があります。「大石」はたしか「だいしゃく」という発音だったかという記憶です。

「吾妻鏡地名索引」ではないですが、「地名辞典」では、「静岡県」の「富士宮市」の項目に「大石駅(おおいしのえき)」があります。その次が上述した「大石寺(たいせきじ)」です。
「大石駅: 鎌倉時代にみえる駅名。潤井川(うるい)上流右岸、現上条(かみじょう)の大石寺(たいせきじ)付近と推定される。「吾妻鏡」の治承四年(1180年)十月十三日条に「止宿大石駅」とみえ、源頼朝の協力要請を受けた甲斐源氏の武田信義・一条忠頼らと頼朝の使者北条時政父子とが大石駅に止宿している。甲斐国から南下して駿河国に入る道筋の富士山麓で、当時大石ヶ原とよばれた地にあった駅と考えられる。」とあります。

1369菱村正敏:2004/05/19(水) 23:14
>立正大学のものは、正確には「伝」ではなく「傳」となっています。

 分かりました。ここは伝ですね。叡山写本もわたしには侍に
見えてしまいましたが、旧漢字の傳でした。納得です。

 吾妻鏡の大石駅の話は、これもうろ覚えですが、静岡県発行の
静岡県史のどれかにはそのような記載がありますが、どうように
山梨県発行の山梨県史には大石駅を別の場所に比定していたような
記憶があります。とうじお互いの県どうしが我田引水的な発想だな
という印象を持ちました。

 それと、地名索引はできたら確認されると、「だいしゃく」と
発音されていたような感じで出ていますので・・・。だいしゃくと
いうのはどこからその根拠があるのか知りませんが、好奇心をもっ
た所でございました。

1370地名:2004/05/19(水) 23:28

1365 顕正居士さん

ありがとうございます。

>『蓮蔵坊72年の係争』(高橋粛道・『大日蓮』・昭和60年)に…

高橋師の内容拝見いたしました。なんといってよいか迷いますが、高橋師の御説にしては少しがっかりというのが感想です。

坂井法曄師の「道郷論争と大石寺東坊地の係争」(「興風」13号・興風談所・平成12年)の「むすび」の一部を対照のため記します。
「…東坊地の相論については、二章において現存文書を公平に分析し、それなりの結論を出したつもりである。すなわち、東坊地の相論は、南条家の退出と日郷の入寂を機に、日行が押領したことにより始まったこと、また係争の結果に影響を及ぼしたのは、従来の説、すなわち南条家の縁・無縁によるものではなく、草創期いらい、大石寺を支えてきた奥州をはじめとする旧来の勢力であったこと、などを述べた。
そして、東坊地の係争は、道郷論争の延長のように言われてきたが、逆に東坊地の係争の終結後に深化した、両門下による対立感情から道郷論争は作り上げられたことなども提示しておいた。
近年における道郷論争に関する考察といえば、決まって日精の「家中抄」説をもとに進められてきたが、本稿では、日精説それ自体を疑問視し、どのような過程においてその説が成り立ったのか、換言すれば、道郷論争は何にして成立したかを考察することに主眼をおいた。すなわち、道郷論争から東坊地の係争を観るのではなく、東坊地の係争から道郷論争の実体を探ろうという、時代の流れに逆行する方法を採ったわけである。それは日精説の再検討だけでは、全く従来の焼き直しになってしまうからであり、本稿における考察方法は、事態の打開を図るための試論の一つであり、それを実行したものである。もとよりそれは、私に「道郷論争は架空のものである」という固定観念にも似たものがあったからこそ、なし得たことであり、そもそもの方法論の可否についてもご批判をいただければと思う。
それから本稿では、係争後に記された大石寺の系譜を再考するために、日道と大石寺との関わりについての批判的考察をしたが、ついに大石寺における日道の活動は見られなかった。また日精等によって付加された、日道の位置づけを排除したが、そのことを強調したことによって、ややもすれば日道に対する批判的な印象を与えたかも知れない。しかし富士門流は、何も大石寺のみによって成り立っていたのではなく、むしろ日興の在世中に、その拠点となっていたのは重須大坊であり、日道はそこにおいて「日興上人御遺告」を筆録し、「三師御伝土代」を完成させるなど、大石寺の日盛や日郷には見られない活躍がある。ゆえに日道が当時の富士門流における重鎮たることを否定したのではない。
その末弟のいだく正嫡意識によって、日道は無理に「大石寺四世」に固定されてしまったからこそ、さまざまな矛盾が生じるのであり、本来は存在しなかった、そのような肩書きを取り外し、当時の富士門流という枠の中で捉えようとするならば、日道の存在価値は、改めて確認されるだろうし、現在の系譜をそのまま当時に持ち込めば、当然ながら矛盾が生じるし、過小評価を与える結果となるだろう。
日道や日代の位置、そして大石寺と重須本門寺など、富士門流をトータル面から捉える考察も、今後の大きな課題となろう。また、これを機に富士門流の諸問題に関する議論の高まることを、切に願うものである。」

1371犀角独歩:2004/05/20(木) 09:10

地名さん:

> 日興の在世中…重須大坊…日道はそこにおいて…「三師御伝土代」を完成

この記述なのですが、これは事実なのでしょうか。
熱原に関するなど、同記録は興師のものと違っており、興師の膝下で記されたとは思えない節があります。また、「完成」と言いますが、同書が未完であることは日蓮門下共通の認識です。

坂井師の歴史を上古から読む、従来説補完のために資料を扱わない姿勢には賛同しますが、以上の点は合点が行きません。

地名さんはどのようにお考えになりますか。

1372地名:2004/05/21(金) 00:09

1371 独歩さん

大切なご指摘を頂きありがとうございます。

「しかし富士門流は、何も大石寺のみによって成り立っていたのではなく、むしろ日興の在世中に、その拠点となっていたのは重須大坊であり、日道はそこにおいて「日興上人御遺告」を筆録し、「三師御伝土代」を完成させるなど、大石寺の日盛や日郷には見られない活躍がある。ゆえに日道が当時の富士門流における重鎮たることを否定したのではない。」
と転記しました点については確認をしてみます。しばらくお時間を頂ければ幸いです。

1373地名:2004/05/21(金) 01:03
独歩さんにご迷惑をおかけしたお詫びに坂井法曄師の「道郷論争と大石寺東坊地の係争」(「興風」13号)の「東坊地係争関連年表」の中から、日道と日郷の部分の一部を参考まで転記いたします。
元弘三年 1333年 十一月 十五日 新田卿阿闍梨日目寂
建武元年 1334年  正月  七日 方便品読不読問答(仙代問答)
 同     同    二月二十六日 日道、日目百箇日の追善のため本尊を書写
 同     同    六月 十六日 日郷、「薬王品得意抄」に奥書す
建武二年 1335年  正月二十四日 日道、日尊へ書を遣わす
 同     同    三月 十一日 日郷、某より安房吉浜法華堂敷地を安堵される
 同     同    五月二十八日 日道、「諫暁八幡抄」に裏書す
 同     同    六月 中旬  日郷、大石寺御仏前において日睿に法門を相伝(類聚記)
 同     同    七月二十八日 日道、「諫暁八幡抄」に裏書す
 同     同    八月二十八日 日道、「諫暁八幡抄」に裏書す   
 同     同   十二月 十五日 日道、御書四通を日行へ授与
建武三年 1336年  二月 十五日 日道、本尊を書写
 同     同    五月 十三日 日道、日興写本「法華本門取要抄」を日行へ授与
 同     同    六月  六日 日道、「諫暁八幡抄」を読誦し終る
 同     同    八月  四日 日道、「法華経題目抄」の奥に加筆
建武四年 1337年  三月 下旬  日道、「聴聞見聞録」を日目の遺言により、大弐阿闍梨日寿に授与
 同     同    五月二十四日 日道、「安国論問答」奥に御書二通を抄写し、六月二十五日にかけて夢想を記す
建武五年 1338年  五月  五日 時綱、大石寺東坊地を日郷に寄進
暦応二年 1339年  二月 十五日 時綱「置文」を作成、「寄進状」の旨を厳守するよう定む
 同     同           この年、南条牛王丸(後の日伝)誕生
暦応三年 1340年  七月 十五日 日郷、延年寺成願より鳥辺山の日目廟所を求む
暦応四年 1341年  二月二十六日 伯耆阿闍梨日道寂
 同     同    三月 十八日 時長、大石寺東大門につき「時綱寄進状・置文」に相違ないことを記す
康永二年 1343年  二月二十三日 日郷、本尊を書写し女夜叉に授与

1374地名:2004/05/21(金) 01:46
続き
康永二年 1343年 四月    日尊、鳥辺山廟所に逆修塔を建つ
康永二年 1343年 四月十六日 日郷、万年救護本尊の讃文を書写す 私注:上とここの年はどちらかが印刷ミスか
康永三年 1344年 八月一日  日郷、本尊を書写し、龍王丸に授与
 同     同   八月十五日 日郷、本尊を書写す
 同     同   八月十八日 日睿、大石寺天経所にて日郷より法門を相承される(日睿縁起)
 同     同  十二月    日睿、蓮蔵坊に参着し、越年する(日睿縁起)
 同     同  十二月十三日 日郷、本尊を書写し、円命に授与
 同     同  十二月    日郷、本尊を書写す
貞和元年 1345年 正月    日興・日目十三回忌 日郷、本尊を書写す
 同     同   二月 七日 日郷・日睿、大石寺における日興十三回忌に参列す(日睿縁起)
 同     同   二月 九日 日郷、奏聞のため上洛。日睿同伴(日睿縁起)
 同     同   六月十三日 日郷、本尊を書写し、高松に授与
 同     同   六月十五日 日郷、本尊を書写す
貞和三年 1347年 七月十八日 日郷、成瀬後家尼より鳥辺山の日目廟所を求む
貞和五年 1349年        日郷、上洛奏聞(日睿縁起)
 同     同   正月     日郷、本尊を書写す
 同     同   六月二十八日 日郷、本尊を書写す
 同     同   九月二十一日 日郷、本尊を書写す
 同     同  十一月 十五日 日郷、京都にて日目十七回忌を修す(日睿縁起)
観応元年 1350年 七月  七日 日郷、本尊を書写す
文和二年 1353年 四月  八日 日郷「置文」を作成、日郷入寂後も大石寺東御堂番を僧衆で勤めるよう記す
 同     同   四月二十五日 宰相阿闍梨日郷寂

参考
「日興が元亨四年(1324年)十二月二十九日に書写した本尊に次のような添書と加筆がある」と本文で坂井師は記しています。
「最前上奏之仁卿阿闍梨日目(日興筆)」
「日道相伝之、日郷宰相阿闍梨授与之(日興筆)」 「興本」NO216
そして、坂井師は「日道と日郷とは、むしろ親交の関係にあったと見ることができるのではないだろうか。」と記しています。

1375地名:2004/05/21(金) 01:59
訂正

「最前上奏之仁卿阿闍梨日目(日興筆)」
「日道相伝之、日郷宰相阿闍梨授与之(日道筆)」 「興本」NO216

下段の( 筆)は(日興筆)ではなく(日道筆)の私の転記ミスです。

坂井師にお断りもなく転記させていただきましたことに対しまして、
謹んでお詫び申し上げますと同時にお許し願います。

1376犀角独歩:2004/05/21(金) 11:56

地名さん:

元より、「迷惑」など片鱗もございません。
ここのところの資料のご呈示を興味深く拝読させていただいているばかりです。

> 坂井師は「日道と日郷とは、むしろ親交の関係にあった…」

れんさんのご指摘も踏まえ、この点、なかなか説得性のある分析とわたしは拝しました。

1377地名:2004/05/23(日) 21:43

「大日蓮華山」については、日蓮説法・日興記の「産湯記」を初出として、「所破抄」等に流れるという経緯でしょうか。同書の成立経由等から少しずつ探ってまいります。

「産湯相承事」日蓮宗宗学全書・興尊全集P35−39
「御名乗事、始是生、実名蓮長奉申、後日蓮名乗有御事非母梅菊女(童女御名也)平畠山殿一類御座云々、法号妙蓮禅尼御物語有之事、我不思議有御夢相、清澄寺通夜申時汝志眞神妙也、一閻浮提第一之寶ヲ與ント思也、(父母夫婦先表口傳)東條片海三国氏大夫云者アリ、是夫定云々七歳春三月廿四日夜也、正今覚侍也、我奉後父母已後、無詮方如遊女時御身父嫁、(聖人托胎口傳)有夜霊夢曰、叡山頂腰ヲカケテ、近江湖水以手洗富士山日輪出奉懐思、打驚後月水留夢物語申侍父大夫我不思議御夢相蒙也、虚空蔵菩薩見吉児御肩立給、(聖人上行菩薩口傳前是生御事)此少人為我上行菩提薩埵也、為日下人生財摩訶薩埵也、亦為一切有情行末三世常恒大導師也、是汝與ノ給見後、御事懐妊之由聞語相タリキ、サテコソ御事聖人ナレ、(聖人御生不殊佛御誕生口傳)又可産生夜夢富士山頂登見十方明事掌内如見三世明白、梵天帝釈四大天王等諸天悉来下、本地自受用報身如来垂迹上行菩薩御身凡夫地謙下、御誕生唯今、無熱池主阿那婆達多龍王八功徳水応持来也、當奉浴産湯告諸天、仍龍神王即時青蓮華一本荷来、其蓮清水出御身浴進侍、其余水灑四天下受其潤人畜草木国土世間悉放金色之光明、四方草木華發菓成、男女並座有無煩悩、淤泥中出不染塵泥譬蓮華自泥出泥如不染、人天龍畜共白蓮各捧手日向今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子唯我一人能為救護唱奉見驚則聖人出生、(苦我茀口決)毎自作是念以何令衆生得入無上道速成就佛身苦我茀キ玉フ、我少未寝様ナリシ時、(諸天頌口決)梵帝等諸天一同音唱言、善哉善哉善日童子末法教主勝釈迦佛三度唱作禮而去給寤見聞シナリト、慥語給聞食、サテハ某日蓮也言也、(日文字口傳)聖人重曰様日蓮弟子檀那等非母物語不可思、即金言也、其故予修行兼母霊夢ニアリケリ、日蓮富士山自然名号、富士郡名也、實名大日蓮華山云也、我中道修行故如此、国云日本、神日神申、佛童名日種太子申、予童名善日、仮名是生實名即日蓮也、久遠下種南無妙法蓮華経守護神我国天下始国出雲也出雲日御崎云所、天照大神始天下給故日御崎申也、我釈尊顕法華経説已来号十羅刹女、(生佛法界一如口傳)十羅刹天照大神釈尊日蓮一体異名、本地垂迹利益広大也、日神與月神合文字訓十、十羅刹女申諸神一体束合深義也、日蓮日則日神昼也、蓮即月神夜也、月水縁蓮水生故也、又是生日下人生書(本門下種口傳)日蓮天上天下一切衆生主君也父母也師匠也、今久遠下種寿量品云今此三界皆是我有(主君義也)其中衆生悉是吾子(父母義也)而今此所多諸患難(国土草木)唯我一人能為救護(師匠義也)云(佛與聖人同体口傳)日蓮今此三界主也、日蓮大恩以希有事憐愍教化利益我等無量億劫誰能報者ナルヘシ、若日蓮現在弟子並未来弟子等中、日文字名乗上字不置者、自然法罰蒙可知、予一期功徳日文字留置御説法儘、日興謹奉記之、聖人言、此相承日蓮嫡々唯授一人秘傳也、神妙神妙言給留畢
  弘安五壬午年十月八日
                                日蓮 在御判

1378菱村正敏:2004/05/24(月) 04:46
>「大日蓮華山」については、日蓮説法・日興記の「産湯記」を初出として、「所破抄」等に流れるという経緯でしょうか。

 産湯記って産湯相承事のことですか?それでしたら、これが書かれた
日付について、それが正しいものかどうかを考えないといけないのでは
ありませんか?

1379愛煙家:2004/05/24(月) 13:18
すみません 話の腰を折るようで申し訳ないのですが、どなたか教えて下さい。
日蓮正宗教義では「進化論」についてどのように定義されているのでしょうか?

例えば、地球の発展の経緯から見て、人間は猿から進化したと考えられますが、この場合「畜生界」の衆生から突然「人間界」の衆生が生まれたことになるのでしょうか?
母親が畜生で子供が人間などという関係を持った親子が存在したことになるのでしょうか。

また既に議論されていたようでしたら、どこを拝見すればよいのか教えて下さい。

1380愛煙家:2004/05/24(月) 13:19
訂正いたします。
× 日蓮正宗教義では「進化論」についてどのように定義されているのでしょうか?
○ 日蓮正宗教義では「進化論」についてどのように判断されているのでしょうか?

1381犀角独歩:2004/05/24(月) 17:29

愛煙家さん、はじめまして。

わたしが答えることかどうか解りませんが、石山義と言わず、仏法教義には「進化論」は介在する余地はないでしょうね。

ここで何度も取り沙汰される「五百塵点劫」、これが現在の時間に換算すればどれほど前のことか解りませんが、宇宙開闢以前まで遡ってしまうのではないでしょうか。十界衆生はおろか、地球も太陽系も、銀河系、現宇宙すら存在しない過去まで遡ってしまいます。

しかし、仏教‘神話’は劫(カルパ)に四周期説を採るものの、霊長類は言うに及ばず、他の生物種も永遠の過去から存続していた前提で成り立っています。

もっとも、わたし達日本人にも馴染みのある閻魔大王は、インド説話の「ヤマ」に由来するようで、このヤマの話とは、いちばん最初に死んだ人が一番最初に冥界に辿り着いたので、その世界の王になったなどという類の話であったと記憶します。まあ、こんな曖昧さはあるものの、少なくとも石山が依経とする補強のコンセプトは永遠に存続してきた衆生類であって、「進化論」との整合性はゼロに等しいと考えるほかありません。

ただし、創価学会の『生命論」やら、『科学と宗教』やらは、科学との整合性を考えて創案されたストーリーですから、適当に法華経と現代科学が矛盾しないような解説を施していたと記憶します。法華経とも、石山教義とも無関係の話ですが。まあ、それを読んですばらしいと思って自著に書き入れた大橋師の如き、人物もいますから、その影響、石山になきにしもあらずと言ったところでしょうか。

1382愛煙家:2004/05/24(月) 21:00
犀角独歩さん
丁寧が解説有難うございます。

とするとこの地球での人間の活動も、どこからか宇宙からやってきた宇宙人が住み着いて、地球に住む人間になったことになるのでしょうかね。
それとも地球が成り立つ塵の時も、灼熱の大地であった時も人間は存在していたことにでもなるのですかね。

結局こんなことでも、随分こねくりまわさねばならない屁理屈が日蓮正宗教義であると解釈いたしました。
有難うございます。
話の腰を折って申し訳ありませんでした。

1383地名:2004/05/24(月) 22:43

1378 菱村さん

ご指摘ありがとうございます。

>産湯記って産湯相承事のことですか?

はい、かってに略して記載して失礼しました。

>書かれた日付について、それが正しいものかどうかを考えないといけないのでは
ありませんか?

そのことも視野に入れて検討しなければならないと存じます。
菱村さんはどのようにお考えになられますか。

記載場所が「蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について」に変わりましたので、微力ですが菱村さんをはじめ、みなさまがたのお力を借りながら考えてまいりたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

1384犀角独歩:2004/05/24(月) 23:29

> 1382 愛煙家さん:

お記しのところと同様の感慨をわたしも懐きます。
ただ、これは石山義に留まることなく、仏教、あるいはキリスト教にしても、近代科学の発展と共に突き付けられた諸問題であろうかと存じます。

1385菱村正敏:2004/05/25(火) 07:14
 わたしには産湯相承事がいつのものか分かりません。この書物が他の場所
で最初に引用された時期を踏まえて考えたら良いなと思います。

 大日蓮華山の件で、もう少し私見を述べますと、大日と蓮華を兼ねて
山名をつける、つまり「大日山」「蓮華山」という両方の意味を兼ね備
えているから「大日蓮華山」という名称があっても不思議ではないでは
ないかという意見に対してはもっともと思う反面、じつは「大日蓮華山」と
称すると「大日如来」の「蓮華座」の山というふうに読みとられてしまう
のではないかなぁと考えたことがございます。

 阿弥陀蓮華山や釈迦蓮華山などなど、いろいろと思いをめぐらした
ものでございますが・・・。

1386ゆうじ@禁煙中:2004/05/27(木) 21:10
愛煙家さん、はじめまして。
僕も以前は愛煙家で1日2箱以上のヘビースモーカーでした。
昨年2月に一念発起して禁煙。1年4ヶ月ほどたちましたが、体の調子、よいです。

>日蓮正宗教義では「進化論」についてどのように定義されているのでしょうか?

>例えば、地球の発展の経緯から見て、人間は猿から進化したと考えられますが、この場合「畜生界」の衆生から突然「人間界」の衆生が生まれたことになるのでしょうか?

とのことですが、御書の中には「お酒に水入れて売ったらミミズになるヨー」みたいな話も当たり前に出てくるし、
「人間界」→「畜生界」という“退化”(?)が説かれています。

十界論にしても、人間なら人間の姿のままで地獄〜仏界と変化しますので、
進化論などの科学論とはまったくの別物で整合性などを考慮する必要は全く無いと考えます。

「愛煙家」というハンドルに釣られて、カキコしてしまいました。
ロム専に戻ります。失礼しました。

1387愛煙家:2004/05/28(金) 09:16
ゆうじ@禁煙中さん

>十界論にしても、人間なら人間の姿のままで地獄〜仏界と変化しますので、

いえ、ここで私が疑問としているのは地球の成立時に人間界の衆生はどうやって生命維持をしてきたのか、ということです。
化石などの発掘などでは、過去のある時期まで人間は存在していなかったようですし、とすると人間が元々原人的な容姿をしていたとする「進化論」の猿人から進化してきたのが人間であるという説がかなり有力ではないかと考えます。
その場合、どこかのタイミングで猿人「畜生界」〜人間「人間界」に境界が変わったわけだと考えます。
人間の姿のままで境界が変化するということではなく、元々畜生だった衆生から人間界の衆生が発生した、という事が私の疑問点なのです。
ですから、進化論と仏法の整合性を考慮する必要はあると思うのですが。

1388ゆうじ@禁煙中:2004/05/28(金) 21:32
愛煙家さん、
>地球の成立時に人間界の衆生はどうやって生命維持をしてきたのか、ということです。

「化石などの発掘などでは…」と、愛煙家さんもおっしゃっているように
地球成立時には人間界の衆生は地球にはおらず、生命維持もしていないと思います。
実際にその時のことを知ってる訳ではないですが、たぶん正しいと思います。

>人間の姿のままで境界が変化するということではなく、元々畜生だった衆生から人間界の衆生が発生した、という事が私の疑問点なのです。
>ですから、進化論と仏法の整合性を考慮する必要はあると思うのですが。

とのことですが、進化論の考え方から「畜生界の衆生」→「人間界」に変化した事を何か「劇的な変化」のように捉えるのは無理があるような気がします。

猿人から進化し、火や道具の使用といった知恵で、肉体的には非力な人間が食物連鎖の頂点に上り詰めたことはそれなりにすごいとは思いますが、
それでも哺乳類の中の霊長類の一種だということに変わりは無い。
つまり進化論から「人間とサルは兄弟のようなもの」という結論は導き出せますが、
仏教で説く「畜生界と人界」ほどの異差を指摘することは出来ないと思います。

仏教の考え方で「進化論」を消化することは可能だと思いますが、逆は無理だと思います。

ちなみに僕なりに進化論を考えてみますと、仏教では
「於戯佛法に値ふこと稀にして、喩へを曇華の萼に假り類ひを浮木の穴に比せん」(日興遺誡置文)
などとありますように、仏様に巡り合えることを、大変稀な有難い事と説きます。
そのような考えで地球の誕生から生命の誕生・進化の長い長い歴史を考えると、人類が仏教というものに巡り合えている期間がいかに短いかが良く分かり、逆説的に仏教の正しさを証明しているような気がしますが…。
いずれにせよ信徒の立場からの都合の良い自己満足的な解釈であるという批判は免れないと思いますので、
「そんな風に考えている人もいるのねぇ〜」程度に受け止めていただけたら幸いです。

1389みかん:2004/05/29(土) 01:23
十界論なるものがあらかじめあるみたいに議論されてますけど、
十界説なる仏教の教説が「六道」「六道輪廻説」と、
「四聖」説、三乗、四乗説という全然関係のない、
まったく次元の違うものを無理矢理くっつけた
つぎはぎの理論であるということを理解してないと
まずいんじゃないんですか?

それが証拠に、人間は人界の衆生であるまま、菩薩
になったり、声聞、縁覚、仏になったりするわけです。
これを無理矢理くっつけて、菩薩なりなんなりが生物学的に人間で
あったり畜生(家畜)であったりすることに説明がつかなく
て、付けるために十界互具思想が生まれたのかもしれませんね。

あと、仏教は基本的にインドの古代人の世界観を前提にしてますから、
進化論などという近代的な思想とは無縁だし、親和性は悪いでしょう。
それを無理矢理統合するのは「エセ科学」としての仏教になっちゃうでしょ。
科学によって宗教の正しさが証明されるとか、宗教と科学が無矛盾だってのは
創価学会・日蓮正宗を含む、多くの伝統宗教、新興宗教で言いますが、眉唾でしょ。

「人類が仏教というものに巡り合えている期間がいかに短いかが良く分かり、逆説的に仏教の正しさを証明しているような気がしますが…。」
意味がわからないです。仏教の歴史はたかだか2600年。
あなたがたがお好きな「日蓮仏法」の歴史はたかだか700年。
それが短くていことが、どうして「逆説的に仏教の正しさを証明」
ということになるんですか?

盲亀の浮木の喩えに則って、仏教の歴史が人類の歴史に較べて極端に短いことが、
どうして仏教の正しさを証明することと関係があるんですか?
むしろ仏教なるものが、特定の時代に、特定の地域にしか存在しない、
ローカルで普遍性のない物であることの証明になりかねないんじゃないですか?
一切衆生を救うはずのものでありながら、一切衆生がそれに出会えないわけだから、
仏教が一切衆生を救えない、無力な、無慈悲な物であることの証明になっちゃうん
じゃないんですか?

(わたしはそれがローカルで普遍性がないとは思わないですがね、ただしそうすると
それはすでに仏教と呼ぶ必要すらないんですけどね)

1390ゆうじ@禁煙中:2004/05/29(土) 07:43
みかんさん、お久しぶりです。

>十界説なる仏教の教説が「六道」「六道輪廻説」と、
「四聖」説、三乗、四乗説という全然関係のない、
まったく次元の違うものを無理矢理くっつけた
つぎはぎの理論であるということを理解してないと
まずいんじゃないんですか?

そうなんですか、ぜんぜん知りませんでした。勉強になりました。

>あと、仏教は基本的にインドの古代人の世界観を前提にしてますから…

僕も同じ考えですが、みかんさんがおっしゃると説得力がありますね。

>むしろ仏教なるものが、特定の時代に、特定の地域にしか存在しない、
ローカルで普遍性のない物であることの証明になりかねないんじゃないですか?
一切衆生を救うはずのものでありながら、一切衆生がそれに出会えないわけだから、
仏教が一切衆生を救えない、無力な、無慈悲な物であることの証明になっちゃうん
じゃないんですか?

信者とそうでない人の受け止め方の違いでしょうね。
「一切衆生がそれに出会えないわけだから…」などはまさにその通りで、
逆縁だとか、そういう部分でフォローしていくのでしょうか? 良く分からないでつ。
僕は、仏教が一切衆生を救える慈悲深いものであることを証明できませんし、
僕自身が入手できるわずかばかりの情報を元に「信じるに足る」と判断しているだけですので、
その判断を他人に押し付けようとは考えていません。

別スレで話題になっていましたが、仏法と言えども「鰯の頭も信心」的な部分がある事を
信者一人一人が自覚していれば、富士門流ももう少しマトモになるような気がします。

>(わたしはそれがローカルで普遍性がないとは思わないですがね、ただしそうすると
それはすでに仏教と呼ぶ必要すらないんですけどね)

ここの部分は良く意味が分からないのですが、すごく興味がわきました。
よかったらもう少し教えてください。

1391一刀両断:2004/06/21(月) 23:22
ふと、現在の自分と嘗て自身が顕正会員であった事を思い返す中に、決定的に違うことを感じました。
それは現在の私は運命論者ではなくなってしまったということです。
運命論は、どうも現在の私の中では人間の生きていく為の理由付けになっているような気がしているのですが・・・
みなさんは運命論というものはどのように捉えているのでしょうか。
御参考の意見がありましたら是非お聞かせ下さい。

1392犀角独歩:2004/06/22(火) 10:48

一刀両断さん:

> 顕正会員…運命論者

顕正会というのは運命論であるという点にわたしはちょっとぴんと来ないのです。
この点少しご説明願えませんでしょうか。
蓮師は定業・不定業を言いました。運命論と定業論、厳密には違いますが、現代義に翻訳されるとき、蓮師の定業は運命論で諮られる傾向はあろうかと存じます。

顕正会、また、その影響下における運命論とは、どのようなものなのでしょうか。

1393Jルーカス:2004/06/22(火) 12:01
地球の成立時に人間が存在していなかった事は間違いないでしょうが、私は進化論自体に懐疑的です。
進化論ていうのは、科学的に確定されている訳では無いようですし・・・。
元々進化論ていうのは、ダーウィンの人種差別観から作られたと言う説もありますしね。
ヨーロッパの某博物館の進化論の壁画は「猿〜(中略)黒人〜黄色人〜白人」と言う進化形態を辿っているそうですからね。
そろそろ人種差別の温床になった進化論は考え直す時期が来ているのでは無いんでしょうか。

1394犀角独歩:2004/06/22(火) 12:40

Jルーカスさん:

> 進化論ていうのは、ダーウィンの人種差別観から作られた

というより、進化論が人種差別、優性論に‘利用’されたということでしょう。
進化論自体は統計分析に基づく科学ですから、その見直しは、そのような科学的なアプローチから。その科学を悪用する差別主義者には鉄槌を、と区別すればいいのではないでしょうか。

だいたい、障害が前世の因縁だとか言って憚らない狂った仏教者は、差別主義という醜い実像を闡明にして、そんな因縁譚と一緒に弾劾・葬り去るのと同様の手順です。

1395愚鈍凡夫:2004/06/22(火) 14:22

少しだけ横レス失礼。
一般的に進化論では、「猿人」→「原人」→「旧人」→「新人」という流れが常識的に語られているようですが、最近では、現生人類は、進化論者が「猿人」「原人」「旧人」と呼ぶものの生息していた時代に、すでに生息していたとする学説もあるようです。
また、現生人類が「アウストラロピテクス」「ホモ・エレタトウス」また「ネアンデルタール人」と呼ばれたものと同時代に存在していたことは、確実とされているらしいですよ。
ひょっとして、遺伝子工学の更なる発展が、進化論にとどめを刺す時代が来るのかも知れませんね。

関係ないですが、ダーウィンの進化論では、ほとんどの生物がビタミンCを自力で合成できるのに、ヒトだけが何故合成できないのかといった説明は出来ないそうですね。

「暴かれた進化論の虚構」
http://www.ne.jp/asahi/seven/angels/index.htm

「進化論のお話6」
http://ao_zatsu2.at.infoseek.co.jp/write/sinka_06.htm

1396犀角独歩:2004/06/22(火) 16:24

> 現生人類が「アウストラロピテクス」「ホモ・エレタトウス」また「ネアンデルタール人」と呼ばれたものと同時代に存在していた

ええ、もうずいぶん、昔から言われています。わたしが学生時代(四半世紀前!)に読んだ小説が、そんな内容でした。近年、訳されていたので、ああ、やっぱりと思ったものでした。

・ウィリアム・ゴールディング『後継者たち』中央公論社

> 遺伝子工学の更なる発展が、進化論にとどめを刺す時代が来るのかも

どうして、皆さん、そういう発想になるのでしょうか。
遺伝子工学の発展は、進化論に新たな真実を付加する役割をするということでしょう。

わたしが注目するのはフレッド・ホイルの『宇宙からの生命』です。定常宇宙論の提唱者であり、たしかホワイト・ホールの予言者でもあった師が、チャンドラ・ウィクラマシンゲとまとめたこの書の中で、いまの宇宙の創生年代への疑問を呈しながら、地球誕生から現在に至る‘わずかな’時間で、ここまで生物が進化できるはずがないと統計論的アプローチから疑義を呈し、生命要素は宇宙から飛来したと提唱します。また、その生命要素を養った宇宙は定常であり、永遠の存在であるからこそ、ここまでの進化の可能性を生命要素の中に封じ込めることができたと提唱したものでした。共生説などを踏まえていたか、いま手元にこの本がないので確認できませんが、面白い本でした。

・ホイル/ウィクラマシンゲ『宇宙からの生命』青土社刊

いまネットで検索したら以下のような本もありました
・ホイル/ウィクラマシンゲ『(DNA)生命は宇宙を流れる』徳間書店

1397一刀両断:2004/06/22(火) 16:28
独歩さん
定業、不定業の定義については詳細には存じ上げませんが、顕正会では定業であっても日蓮信仰、ことに顕正会活動を行う事によって宿命を転換できるのであると強く言っています。
この理屈は、大抵の幹部の言葉、体験発表、また決意発表などというものを聞いても多く使用され、定業は人にはそれぞれ既に決定しているものであり、甘んじて受ける以外に逃れる術はないのであるが、それをこの信仰によってのみ変更できるのである、と言う訳です。
しかし人は二通りの生き方を同時進行させて比較することはできません。
ですから、どのような理由でも付加できてしまう事も否めないと思うのです。

先日、顕正会幹部とばったり会う機会があったのですが、その際に私が本仏論否定、戒壇之本尊否定をすると「結局貴方の宿命は何も変わっていなかった」「上っ面の信仰しか持たないから日蓮師より信仰を召し上げられた」とこう言うわけです。
それはそれで相手の見解なのでしょうが、その言葉を聞いて感じたのは、漠然とでしたが、人というものは自分にも他人にも結果を以て語る理由付けを常に欲しているのではないだろうか、ということだったのです。
結果を見て人はその原因を過去に当然追究するでしょうし、それは可としても、何より生きていく拠り所と言いましょうか、自分の人生が前進しているという理由付けを常に求めずにはいられない生き物なのではないだろうかと思ったのです。
未来に人が生きようとした時も、これから求める結果を得られるのか得られないのか、その不安を払拭する為に、何らかの根拠を常に求めている生き物なのではないだろうかと思ったわけです。

非常にもどかしい表現しかできませんが、そもそも宗教の発生はこういったことが根本にあると考えられるのですが、こういった考え方全般に対して、私は一旦は離脱してしまう、脱却してしまう程遠ざけてしまう考え方にもなるべきではないかと、ふと思ったものでしたので、皆さんの御意見があればお聞かせ願いたいと書き込みをしました。

しかし問いかけた当の本人がよく分かっていない状態なので、流して下さって結構です。
失礼しました。

1398犀角独歩:2004/06/22(火) 16:56

1397 一刀両断さん:

ご賢察のところ、わたしはほぼ同意します。
まあ、付加すれば、自分は他と違って特別な人間であるとか、自分が生まれてきた意味は何かと言った実存主義的とも言うべき疑問が動機に含まれてはいないだろうかとわたしは考えています。そして、何より死後に対する恐怖がそれを後ろ押ししていると考えます。
定業に対句は不定業ですが、変えることのできない「定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す」と言い、真偽未決では、このことを「定業亦能転(じょうごうやくのうてん)」と引きます。

この考えを宿命(しゅくめい)転換と言い換えたのは、いったい誰であるのか、わたしはその起源を知りませんが、少なくとも石山周辺では創価学会であって、それを転用したのが顕正会であるという推移があると思います。そのことからの質問でした。

真跡で見る限り「宿命(しゅくみょう)」は宿命通の意味でただ一度、その使用を見るばかりです。
本来の意味の宿命は、いまで「過去世」の一生を言うので、宿命通とは、つまり、前世を知る力を意味したものでした。それがいつの間にか宿命=運命のように誤用するに至りますが、この過ちを犯したのは創価学会であったろうと思えます。尤も、これすら他からの‘パクり’かもしれませんが。

誤解がないように記しますが、一刀両断さんがここに呈示された点は、わたし自身に興味のある点です。一刀両断さんをはじめ、皆さんのご意見を拝聴したいと希望するものです。

1399愚鈍凡夫:2004/06/22(火) 18:15

>>1396:予想通りにきました。
犀角独歩さん、鋭い突っ込み有り難うございます。

> どうして、皆さん、そういう発想になるのでしょうか。
> 遺伝子工学の発展は、進化論に新たな真実を付加する役割をするということでしょう。

小生は、基本的に進化論は不完全な理論だと思っています。
確かに、犀角独歩さんの言うように結果的に進化論に新たな真実を付加する役割を示すことになるかも知れませんが、逆に、定説を覆す新たな理論を生み出すかも知れません(小生は、こちらの方に期待しています)。

進化論の危険性は、人種差別を助長する可能性があるということだと思います。小生の地元のS学会などでは、当たり前のような発想ですが(「常勝関西」のはしくれですから)。
それを巧みに利用した人物がヒトラーではなかったでしょうか。
彼のゲルマン民族至上主義論理には、血液型性格診断のような赤血球にくっついているタンパク質の型の違いに人格や性格を左右する因子が含まれているのか、という馬鹿げた疑問を感じます。
しかし、こんな馬鹿げた論理に、いとも簡単に引っかかる民衆の愚かさを利用した天才がヒトラーであるともいえるでしょう。そういう意味では、池田さんや浅井さんもリトル・ヒトラーかも知れません。
今更言うまでもないですが、S学会が提唱する「実践の教学」と称する「切り文勝手解釈教学」から導き出される「鰯の頭信心」も、このような単純なロジックとトリックに支えられているといえるでしょう。
「運命論」と「定業」というスレの流れとは合いませんがお許し下さい。

「進化論その2」
http://www.d1.dion.ne.jp/~chrch_/misinja/21.htm

「進化論その3」
http://www.d1.dion.ne.jp/~chrch_/misinja/22.htm

1400犀角独歩:2004/06/22(火) 18:35

愚鈍凡夫さん:

1394にも書きましたが混乱していますよ。

> 基本的に進化論は不完全な理論

反対にお尋ねしますが、完全な理論なんかあるんですか。
科学理論は日々書き換えられています。絶対と完全なんかという考えはそこに介在しないでしょう。

> 逆に、定説を覆す新たな理論を生み出す

別段、どのような形になるか、それは研究による真理探究によるものですから、期待するとかしないとかまるで関係のないことであると思えますが。

> 進化論の危険性は、人種差別を助長する可能性がある

論点がずれています。科学は元来、善でも悪でもありません。事実の素描です。それを悪用するか、利用するかという問題とは別の話です。

> 巧みに利用した人物がヒトラーではなかったでしょうか。

そのとおりでしょう。しかし、これは進化論が悪いのではなく、利用したヒットラーが悪いのでしょう。生物が進化するのが事実であるのに人種差別に利用されたから危険であるなどと言うの中世の協会が行った魔女狩りに等しい発言であるとわたしは思います。

> 彼のゲルマン民族至上主義論理

民族至上主義という人種差別思想と、進化論という科学は別のものです。

こんな論法で行けば、法華経は○○会が利用した経典だから、危険であるというものでしょう。悪用されたほうこそ迷惑なので、悪用された段階で、悪用されたものを悪用した当事者と一つに括って批判するなど、混乱以外の何者でもありません。

生物が進化するかどうかと言う事実と、進化論を差別主義者が悪用するかを混同するのはおかしなことです。

さらに突っ込ませていただけば、では、人間は最初から人間だったわけですか。

もう一点。進化論が人種差別者が悪用したのは事実です。しかし、反面、キリスト教圏では進化論否定がカルト集団に悪用されている事実もあることは留意されるべきでしょう。

1401犀角独歩:2004/06/22(火) 19:11

以下、ご参考ください。
進化論否定というと、わたしは直ちにエホバの証人を思い出します。

http://biblia.milkcafe.to/column008.html

1402愚鈍凡夫:2004/06/22(火) 20:07

>>1400:
むむっ。これは祟りか? (;^_^A アセアセ…

> 反対にお尋ねしますが、完全な理論なんかあるんですか。

それでは、不完全な理論に支えられた理論って何ですか? 若しくは、その規範となる不完全な理論から導き出される理論とは何ですか?

> 科学理論は日々書き換えられています。絶対と完全なんかという考えはそこに介在しないでしょう。

これって、「絶対」とか「完全」とかいう言葉は、単なる空手形であるということですか(個人的には同意ですが)?

>> 別段、どのような形になるか、それは研究による真理探究によるものですから、期待するとかしないとかまるで関係のないことであると思えますが

確かにそうです。でも、期待しているというだけの話しであって、そうだと決めつけているわけではありません。

> 論点がずれています。科学は元来、善でも悪でもありません。事実の素描です。それを悪用するか、利用するかという問題とは別の話です。

科学をどう拘えるかは、人間の解釈の成せる芸です。逆に「善」にも「悪」にも解釈できるのが科学ではないでしょうか。

> 民族至上主義という人種差別思想と、進化論という科学は別のものです。

これは、犀角独歩さんが「進化論」という「不完全な理論」(小生の考えです)を科学と認められているということですか。
逆に、人種差別を生む温床に進化論が存在するとは思えませんでしょうか。

>>生物が進化するかどうかと言う事実と、進化論を差別主義者が悪用するかを混同するのはおかしなことです。

生物が進化すると定義した理論を悪用することは、それを肯定した歴史的背景と切り離すことは出来ないと思います。ある面では、科学的立証といっても世論に左右されるのが歴史的事実ではないでしょうか(勿論、それが正しいといっているのではありません)。

>> もう一点。進化論が人種差別者が悪用したのは事実です。しかし、反面、キリスト教圏では進化論否定がカルト集団に悪用されている事実もあることは留意されるべきでしょう。

結局どっちに転んでも、科学は宗教に利用される運命にあるのかも知れません。しかし、「進化論肯定論」、「進化論否定論」、どちらかが正しいとする理論もまた危険ではないでしょうか。
少なくとも、小生はそう思います。

1403一刀両断:2004/06/22(火) 22:29
別論のやりとりと同時進行のようで申し訳ありません。

独歩さん
私の全く曖昧な表現をきちんと代弁して頂いたようで誠に恐縮です。
死と生、やはりここに義を求める姿から宗教の存在自体があるのでしょうね。
宗教の存在意義まで発展しそうで恐いです。

ところで顕正会員時にも思った本当に素朴な疑問ですが、指摘されている「定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す」とはつまり不定業なのではないでしょうか。
私はこの理論を聞いた時に「では定業もまた不定業」と捉えました。
定業が消滅する事が可能であれば、それは不定業の部類に入ってしまうと思いました。
変更不能の定めを変更できるのであるのに「定業」となぜ呼ぶのでしょうか?

>真跡で見る限り「宿命(しゅくみょう)」は宿命通の意味でただ一度、その使用を見るばかりです。

これは過去のログにありましたね。思い出しました。
顕正会でも御指摘の通り、どうも御都合的に信仰者の存在意義を確定させたり、存在に意味を持たせる事の指導が為される度に、こういった運命論的な指導がなされてきました。
こういった心の操作に抵抗感と、そして人の心の弱さを改めて感じたものです。

1404犀角独歩:2004/06/23(水) 06:40

愚鈍凡夫さん:

> 不完全な理論に支えられた理論って何ですか?

不確定性原理とは、そのような限界に基づくところではありませんでしたか。
ノーベル賞を取っていますね。

> 若しくは、その規範となる不完全な理論から導き出される理論とは何ですか?

不完全な論理でしょう。

> これって、「絶対」とか「完全」とかいう言葉は、単なる空手形である

そうです。

> 科学をどう拘えるかは、人間の解釈の成せる芸です。逆に「善」にも「悪」にも解釈できるのが科学ではないでしょうか。

ええ、そうでしょう。そう言っているわけです。
アインシュタインにしても、湯川秀樹にしても、科学とその応用について、その点を論究していますね。

> 犀角独歩さんが「進化論」という「不完全な理論」(小生の考えです)を科学と認められている

不完全、古典的ながら、認めています。
進化を愚鈍凡夫さんは認めないのですか?
先の質問で愚鈍凡夫さんがはっしょった質問、「人間は最初から人間だった」とお考えのわけですか。

> 人種差別を生む温床に進化論が存在するとは思えませんでしょうか。

前にも出た話ですが、「地動説は神の御技を冒涜する」と言ったところで地球は動いています。

> 生物が進化すると定義した理論を悪用することは、それを肯定した歴史的背景と切り離すことは出来ないと思います。ある面では、科学的立証といっても世論に左右されるのが歴史的事実ではないでしょうか(勿論、それが正しいといっているのではありません)。

ここは何を仰っているのか理解できません。
生物が進化する以上、進化すると言うことがなぜいけないのですか。

繰り返しお尋ねしますが、愚鈍凡夫さんは生物は進化しないと考えているわけですか。
もし、そうであれば、いったい現世人類といわれる種はいつから存在していたのですか。また、反対に進化して人間になったと考えるのであれば、そう考える愚鈍凡夫さん自身は危険思想家のわけですか。

> 「進化論肯定論」、「進化論否定論」、どちらかが正しいとする理論もまた危険

理論が危険なのではなく、その理論を悪用する人間の心と行動が危険なのでしょう。

1405犀角独歩:2004/06/23(水) 06:55

一刀両断さん:

> 定業が消滅する事が可能であれば、それは不定業の部類

なるほど。
「定業」は天台文献で検索すると『維摩疏記』『文句記』『涅槃經疏』『涅槃經南』『禪門章』でヒットします。

蓮師の主張の力点は「懺悔(さんげ)」にあるわけで、『可延定業御書』を見ると「法華経第七に云はく「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」と説き解きます。

つまり、法華経に拠れば、定業も変ずることができるということなのだと見えます。法華已前は二乗永不成仏であるけれど法華では成仏というように、法華功徳として、それまでの定説が覆るという次第なのだと思えます。

1406三吉:2004/06/23(水) 07:28
「定業」は、念仏宗では、「瞑想をすること」だったりします。
具体的には、瞑想に入り仏を観ずることです。
「定」は、瞑想。「業」は行為。
この場合、対になるのは「不定業」ではなく「散業」です。

ここでいう「定業」は、「前世から定まった業報」との意味なのですね。
その他教ゴーサーラなどが唱えた前世から定まっているという説は、
仏教の業報説に影響を与えると宿命論みたいになってしまったのだが、
この宿命論「前世から定まった業報」だと世間では言われているが、
よくよく懺悔すれば、定まった業報の罪すら滅除するのだよ、
だから心を入れ替えようね、という論理ですね。

とても「懺悔」の効果が高いということを強調するために、
ありえないことが、ふつーに起こる、と書かれていると読めば、
疑問は解消されるのでは?

1407愚鈍凡夫:2004/06/23(水) 07:35

皆さん、お早うございます。
>>1404:
うっ・・・・・。 (O.O;)(o。o;)

> 先の質問で愚鈍凡夫さんがはっしょった質問、「人間は最初から人間だった」とお考えのわけですか。

ヒトと人間の違いは何かという定義づけにもよるでしょうが、「原人」と「現生人類」がある時期、共存していた可能性も否定できないと思います。

> 繰り返しお尋ねしますが、愚鈍凡夫さんは生物は進化しないと考えているわけですか。

小生は、生物が進化しないといっているのではありません。進化論と違う考え方が存在することを紹介したまでです。環境に適応して変化していくことが「進化」ならば、その通りでしょう。

> 反対に進化して人間になったと考えるのであれば、そう考える愚鈍凡夫さん自身は危険思想家のわけですか。

チンパンジーと同一の祖先が、森から草原へ旅立つことからヒトへと進化したという考えを否定しているのではありません。それと違う考えも視野に入れるべきではないかと思っているだけです。

小生は、基本的に平和主義者です。別に「進化論」に異議を唱えることが危険思想だとは思いません。
「定説」に疑問を持つことは、逆に発展を促す重要な要素であると思っています。

1408犀角独歩:2004/06/23(水) 09:03

愚鈍凡夫さん:

どうもよくわからないですね。
「生物は進化する」=進化論がなぜ危険思想なんでしょうか。

わたしは進化論を支持しますが、別段、人種差別をしようと思いません。
優生保護法にももちろん、反対です。
進化論を信じる、でも平和主義者もありでしょう。しかし、

> 進化論の危険性は、人種差別を助長する可能性がある
> 「進化論」に異議を唱えることが危険思想だとは思いません。

進化論に異議を唱えるほうだけが非危険思想で、進化論を言うと危険思想の可能性ありというのは一方的な意見ではないでしょうか。まさに

> 進化論肯定論」、「進化論否定論」、どちらかが正しいとする理論もまた危険

なのではないでしょうか。

1409一刀両断:2004/06/23(水) 09:06
独歩さん 三吉さん
有難うございます。
「懺悔」がキーワードでしたか、了解しました。
しかしこのキーワードを会の活動などにあてはめると、意味合いをかなり飛躍させて身勝手で都合のよい論拠にし、会・団体に強い影響力を持たせる効果にも現在にはなっているのを感じます。
また他のワードに関しても同様の操作がなされていることが多いですね。
他のスレッドを拝見していても、一つの言葉を都合の良い解釈として組織にまかりとおしてしまう癖がこの系列の信仰には多いものなのだと改めて感じました。

1410愚鈍凡夫:2004/06/24(木) 13:43

>>1408:
あららっ、レスが帰ってきてたんだ。
犀角独歩さんどうも。

> 「生物は進化する」=進化論がなぜ危険思想なんでしょうか。

別に「進化論」に異議を唱えることが危険思想だとは思いません。とはいっていますが、「進化論」が危険思想だとは言っていません。

> > 進化論の危険性は、人種差別を助長する可能性がある
> > 「進化論」に異議を唱えることが危険思想だとは思いません。
>
> 進化論に異議を唱えるほうだけが非危険思想で、進化論を言うと危険思想の可能性ありというのは一方的な意見ではないでしょうか。

「進化論に異議を唱えることが」といっているのであって、「進化論に異議を唱えるほうが」と言っているのではありません。要するに、進化論に限って言えば人種差別を助長する可能性があるのではないかということです。勿論、他の理論に人種差別の可能性を認めないと言うことではありません。

悪しからず。
「何で、こんな話しになったんだろう・・・・・」(独り言) (¨;)

1411犀角独歩:2004/06/24(木) 21:10

愚鈍凡夫さん、富士門流信徒の掲示板ですから、進化論でいつまでも異を唱え合っても致し方がないのですね。

「進化論」が危険思想だとは言っていません」、でも、「進化論の危険性は、人種差別を助長する可能性がある」となると、危険思想ではないが危険性はあるの差?? 進化論と違う進化説は進化論ではないというロジック?? たいした違いがあるとは思えませんが。やめにしておきましょう、別段、わたしはダーウィンの擁護論者でもありませんので。

まあ、わたしは個人的には鎮護国家教とか、場合によっては法華経とか、前世因縁譚と言った仏教教義のほうがよほど、差別を助長するだろうと思いますね。色の白さで成不を言うのも一種の人種差別に端を発していますよね。カーストはインドでは「バルナ」、ずばり色の違い、肌の色の違いをいい、支配者、白人アーリア人の優性を言ったものでした。さらに身分差別、障害者差別、様々な差別の肯定論に使われてきたのが仏教でした。

このことを考えるほうが、当板には適しているのでしょうね。

1412愚鈍凡夫:2004/06/24(木) 21:53

犀角独歩さんどうも。

元々、思想や哲学に差別意識が備わっているのでしょうか。それとも、捉え方次第で差別意識が生れるのでしょうか。その辺のことを考えされられました。
ある意味、人の境涯(それを判断する基準に疑問を感じますが)をランク付けてして、向上心を煽るのも一つの方法論でしょうが、S学会のように「学会本部にあらずば人にあらじ」といった、地方蔑視に繋がる危険性も孕んでいますね。

ところで、釈迦牟尼はカースト制度を否定も肯定もしないという立場だったんでしょうか。
それぞれの個性を尊重し、互いを認め合うことは、仏教では不可能のでしょうか。
なんか、そんな基本的ことを考えてしまいました。
所詮、根本的な不幸を超えることが出来なければ、宗教の存在意義なんてないんですよね。

1413愚鈍凡夫:2004/06/24(木) 22:02

誤→それぞれの個性を尊重し、互いを認め合うことは、仏教では不可能のでしょうか。

正→それぞれの個性を尊重し、互いを認め合うことは、仏教では不可能なのでしょうか。

です。悪しからず。 m(_ _)m

1414犀角独歩:2004/06/24(木) 22:12

愚鈍凡夫さん、さすがの問題意識だと思います。
まったく以て思うのですが、思想信条というのは誰のものなんでしょうか。
為政者のため、支配者のため、指導者のため、集団のため?

たぶん、この疑問の共通認識で愚鈍凡夫さんとわたしは相通じていると信じています。なんかアホらしい言い合いになった気がしますが、わたしは愚鈍凡夫さんを信じています。言われる神仏は信じていませんが(笑)

1415愚鈍凡夫:2004/06/24(木) 23:36

>>1414:犀角独歩さん、有り難うございます。
>
言われる神仏は信じていませんが(笑)

何処かの教団の教義にあるように、「日顕師を咒い殺せば功徳がある」なんてことは考えていませんから大丈夫だと思います。 (^_^)v

>それぞれの個性を尊重し、互いを認め合うことは、仏教では不可能のでしょうか。

これについて、それぞれの教団に属する方の、「鰯の頭信心」以外のしっかりとした裏付けのある意見を聞いてみたいと思ったりしています。

1416三吉:2004/06/28(月) 23:39
「鰯の頭信心」に関する一考察

「鰯の頭信心」を馬鹿にされるが、存外捨てたものではない(と私は思う)。(笑)

人に理性と感性があるように、人の理解の仕方、納得の仕方には様々なタイプがある。
「頭でわかること」と「心で分かること」と「身体でわかること」は少し次元が違うように私は思う。
このことをパウロは判りやすく言う。「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシア人は智慧を
追求します」と語ります。徴(しるし)=奇跡体験・霊的体験という証拠を見て、はじめて
真実だと納得する傾向持つ人びとや、逆に論理的に明快な理屈の正当性をもってはじめて
頷く方々がいるが、「十字架につけられた救世主」を宣伝するパウロは、徴(奇跡的勝利)を
求める人にとっては、「十字架=敗北」の意味しか持たないし、理性的な判断を追及する人
にとって「十字架=愚か」の意味しか持たない、と。
「十字架=敗北・愚かな者」を神が選んだのは、この世には「強い者・賢い者」は少なく、
「弱い者・愚かな者」が多いからだと。
かくして「パウロ的鰯の頭信心」は、「弱さ・愚かさ」故に、信仰的な「義」を持つわけで
す。

1417三吉:2004/06/28(月) 23:40
さて、仏教ギョーカイ用語で同じ問題を繰り返しますと、
徴を要求する体験的感覚派を「観心」とか「事相」と言い、
理屈を追求する立場を「教相」などと言うそうです。
※徴(しるし)とは奇跡体験であれ瞑想的悟入であれ、身体で何かをわかることだと
仮定します。

天台では特に教観二門を車の両輪に喩え、理論面と実践面どちらも欠けては駄目と言われ
るそうです。
日蓮は、教相はあるが観心がない。つまり「理屈は立派だが実践がない」と同門から批判
されて、釈尊が滅度して2500年後の現代における実践とはなにか、「題目」であるという
意味で「観心本尊抄」を書いたわけです。
普通の仏教者のジョーシキから言えば実践は「瞑想」です。瞑想は整理されて体系化され
てます。そういう一般的な瞑想実践からすれば、題目なんて「鰯の頭信心」で、とてもじゃ
ないが実践とは言えない代物だったはずです。

伝統的な「深い瞑想」も「題目」も「鰯の頭信心」も実践ですし、分類すれば体験です。
この体験は、突き詰めれば、自分の身体で「何か」かがわかる体験です。
少し具体的に言えば、経文が、「私へのメッセージ」であると感得できる体験です。
日蓮さんの「法華経の一字一字が仏である」というのは、これです。
学会員が池田センセーの手紙(新聞の一般向けメッセージを自分のメッセージと読む)のも
立派な観心で、言葉を自分に向けられたもの、つまり主体的体験として理解している意味
で立派な「観心体験」です。

1418三吉:2004/06/28(月) 23:40
明証主義とか科学的とか、そういうのは理屈です。知恵です。
そういう視点から見れば、「鰯の頭信心」は「愚かに」見えます。
2000年前、パウロが指摘したとおりです。
ただ、頭で理解するだけではなく、身体でわかってこそ、頷いてこその仏教ではないでし
ょうか。
つまりは誰しも、自分が納得し(理性的であれ、感性的であれ)、頷けたらいいわけです。
体験主義的傾向の強い人は理屈派を「体験がない」と馬鹿にしますし、
理論派の方は、体験派を「愚か」だと軽蔑する傾向があると思います。
人に感性と理性があるように、一人一人の傾向はともかく、乱暴に分けると
さような傾向があるのかもです。

観心から鰯まで、様々あれど、体験に判るということは、意識のみならず、生き方が変わ
ります。釈尊が苦行主義を捨て、瞑想派になったように。日蓮が瞑想派を超え、題目を
見出したように。あるいはバウロが迫害者から使徒へと転進したように。
釈尊集団は、世間のカースト制に異議を言わなかったけれども、出家集団に入ったら、
在家時の身分差を否定しました。出家後は、世間と違う価値観で生きたのでしょう。
そこには教団規則という強制的な意識「転換」があります。
自然な内奥から沸き起こる「転換」が、鰯系体験主義の醍醐味かもです。



>「個性を尊重し、互いを認め合うことは、仏教では不可能のでしょうか」

言葉の上では某派は「ばらばらで いっしょ」を近年テーマにして、
「違いを認め合える世界」を希求はしています。
ただそれを出すということは、「認め合えてない自分たちの現実」を
深く嘆いておるからでしょう。
嘆き、そして慙愧が、願いを産むものかもしれません。

1419普段はROMしてます:2004/06/29(火) 00:41
>>1412
横からだけど「区別が差別にすり返られやすい」ってことかと。日蓮系だと「桜梅桃李」で、桜、梅、桃、李、それぞれの花の美しさを愛でるってのがあるっしょ。これは、違いをまず認めて、その違いに良さを認めようってことだよね。
キリスト教だと、神の前の平等=キリスト教徒の平等で、違いを認めない平等なわけ。その反面、キリスト教徒以外を平等視しない平等観で、カテゴリー内の平等であって、カテゴリー外は区別する。

要するに、仏教は、それぞれに個別の価値があるから、大切にしようという平等で、キリスト教は、同じカテゴリーなら同じ価値を持っているという平等なわけ。で、キリスト教の場合、カテゴリーの違いという区別が、差別へと転化すると。じゃあ仏教が、そんなに良いかといえば、個別の価値を認める姿勢がないなら、差別になるわけで。

ちなみに現代日本人は、仏教とキリスト教の平等がごっちゃになって、カテゴリーの区別を無視した上で、個別の良さを認めている。区別を差別とし、男女の生物学的違いをも無視するジェンダーフリーなんてのが、大手を振っている始末。

まとまりがないけど「区別が差別にすり返られやすい」ってことで。

1420普段はROMしてます:2004/06/29(火) 00:58
>>1416
仏教では、悟りの方法として、

信:とにかく信じる
行:修行をする
解:仏教の経典を学ぶ(解説はいい加減)

の三つがあるから。でも、いわゆる名僧の説法を聞くと、名僧自身は、最終的には信行解を全てやってたり。ま、どれも大事なわけ。ちなみに他力と自力は不二で、他力だけ、あるいは自力だけを強調しない。これは法華経に「三車火宅の譬え」があるから、日蓮系の人は理解しやすいはず。

それから、わかってると思うけど、瞑想と禅は違うよ。現代日本の言語感覚だと、瞑想はヨガを連想させるので、違和感があるというだけだけだけど。

1421三吉:2004/06/29(火) 01:28
うむぅ(笑)。
「行:修行をする」の中身が瞑想なのよ。

南伝だと、大きくはサマーディーとヴィパッサナーなのね
北伝だと、「止」と「観」
あるいは「禅」と「定」とかね。

サマディーは漢訳されると三昧とも訳されたのね。
んで雨後の竹の子ように実践マニュアル「三昧経典」が作られた。

天台はそれを整理して「四種三昧」だね。
でそういう細かい話を抜きにしたらね、「禅」も瞑想の一種ね。

1422犀角独歩:2004/06/29(火) 06:17

1416〜1421のご投稿、興味深く拝読しました。
もし、続きをお記しいただけるのであれば、14『鰯の頭も信心?』スレッドにお寄せいただければ、あとからのロムの皆さんがいっそう参考にしやすいだろうと思えました。

> 頭で理解するだけではなく、身体でわかってこそ、頷いてこその仏教

そうなんでしょうね。ただ、わたしのような生まれながらの日蓮本仏信徒・石山学会の言うが儘に「信じろ」で来た人間が、ふと立ち止まって、その心身体験を反省して、ここでは「明証主義」とまあ、こう言っているわけです。
つまり、「心身でわかったつもり」の反省としての再考です。

たぶん、ここで投稿されている皆さんは、いっとき熱烈に信仰し、強烈に活動した体験をお持ちの方がほとんどではないのかと思います。そこで置き忘れられていた宿題を、いわば記されている。その前提はあまり表に出ませんから、「信が等閑になっている」とロムされるむきはあるのだろうか?と思ったりします。

まあそんなことをかつて「命懸けの信心」をしていた一人として、補足しておきたいと思います。

1423愚鈍凡夫:2004/06/29(火) 13:28

三吉さんどうも(お久しぶりですか、初めましてか分からないものですから (゚ー゚;Aアセアセ )。

三吉さんのレス、なるほどと思いました。

悲しいのは、ストイックな「鰯の頭信者」が、本人は殉教精神に濫れた純粋な信仰者であると信じ込んでいるにも関らず、端から見れば、立派なカルト宗教信者にしか映らないと言ったギャップが存在することだと思います。周りに迷惑さえかけなければ、それが信仰者としてあるべき姿勢なのかも知れません。

体験主義を否定するものではありませんが(寧ろ、信仰を深めるために、必要な要素だと思います)、ただ、同じ体験をしても、人それぞれ解釈が異なり、その後のそれぞれの信仰に大きく作用する面があるかと思います。
たとえば、苦行を行って爽快感を感じる人もいるでしょうが、反対に不快感を感じる人もいるでしょう。
それぞれの価値観やその時の心身の状態に大きく左右されるというのが、体験主義に於いて気をつけなければいない事だと思います。

統一された価値観を押しつける教団においては、爽快感を感じても、逆に不快感を感じても、中心的指導者の指導が絶対と刷り込まれ、どんどんストイックな方向に突き進んでいく結果になるのではないでしょうか。

宗教体験を理論の上から検証して、方向性を確認する冷静な視点も必要かと思います。

1424愚鈍凡夫:2004/06/29(火) 13:50

普段はROMしてますさん、どうも初めまして。

「区別」と「差別」についてですが、

**************************************************
さ‐べつ【差別】
①差をつけて取りあつかうこと。わけへだて。正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと。「―意識」
②区別すること。けじめ。「大小の―がある」

広辞苑第4版より
**************************************************

蔑視といった悪感情を持って区別するか、論理的に区別するかで、おのずと解釈も変わってくるのでしょうね。S学会で感情的区別を散々見てきましので、ふと、そんなことを考えてしまいました。

1425平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/06/29(火) 14:20
犀角独歩さん
日蓮正宗の上人の過去帳を開いて疑問に思ったのですが、16世の日就上人から
19世の日舜上人の没年月日はおかしいと思いました。16世日就上人は寛永9
年2月21日(1632年4月10日)、17世日精上人は天和3年11月5日
(1683年12月22日)、18世日盈上人は寛永15年3月7日(1638
年4月20日)、19世日舜上人は寛文9年11月12日(1670年1月3日)
になっています。異様なのは17世日精上人が後の18世日盈上人よりも45年
も長生きし、19世日舜上人よりも13年長生きしている所です。日精上人は処
刑されたということを創価の本で読んだことがあります。また日精上人の御本尊
は昭和40年代半ばまでは、改築前の東京池袋の常在寺の本堂に御安置されてい
ました。日精上人に関することを知りたいと思いまして御質問差し上げました。

1426犀角独歩:2004/06/29(火) 14:55

1425 平和創価さん:

この問題はむしろ、わたしなんかより、たとえばれんさんその他の方のほうがお詳しいのではないでしょうか。以下、補完いただければ幸甚です。

わたしは基本的に蓮師が拝んでいたものは随身の釈迦一体仏像、その意味で造像仏像崇拝は日蓮門下では当然のことと思っています。漫荼羅ばかりを本尊とすることを「漫荼羅偏向」と思っているぐらいです。その意味で、精師に関しては、ちょっと違う観点です。つまり、造像に関してはあまり否定的に見ていません。


例として引かれる漫荼羅の取り替えは、なにも常在寺に限ることではなく、ほとんどの由緒寺院で、歴代の誰彼を問わず行われたことでした。わたしの知り限り、東京では取り替えがなかったのは品川妙光寺ぐらいではないでしょうか。要は寺院安置の板漫荼羅に「法華講総講頭・創価学会会長・池田大作」と彫られたものを安置するという学会の外圧、ならびに、新たに自分の漫荼羅を安置するという達師のやり過ぎに由来したものでしょう。それを取って、精師批判を学会がするとすれば、嗤うしかありません。

現石山では、別段、精師を批判する傾向はないのであって、漫荼羅偏向者が悪者と見立てるという一連の流れがあるばかりでしょう。石山にあっては御影を拝したものの、殊に造像をなしたわけではないので、むしろ、経営面で徳川、または公家をパトロンにして、寺運興隆、伸長させたわけですから、評価されるわけでしょう。

また、全国から資料文献を集めたという点でその価値があるのでしょう。それが元々あるような顔をして自山顕彰の勝手教学を作ったのが寛師であったのでしょう。しかし、御影堂を作るのはいいにしても、それを本門戒壇堂として建立したことは如何にも行き過ぎであったでしょうし、そこに弥四郎漫荼羅を据えたのも行き過ぎ。さらに、たぶん、御肉牙というけったいな見せ物を霊宝随一なんて詐称し、客寄せに使ったのもこの人であろうと思います。つまり、資料蒐集、宗史家としては評価できる面はあるものの、その後の謀りの原因を作ったのもこの人であろうとわたしは考えています。

まあ、かなり、学会、顕正会なんかの精師観とは違うかも知れませんが、わたしは以上のように考えています。

1427空き缶:2004/06/29(火) 18:31

犀角独歩さん、私は日精師の「随宜論」は大石寺歴代の著作の中では、最も日興師の本尊思想に近いのではないかと考えます。

曼荼羅至上主義は八品派日隆師の教説です。日有師または細草檀林開所以降、大石寺に持ち込まれた思想ではないでしょうか。

1428犀角独歩:2004/06/29(火) 20:00

空き缶さん、有り難うございます。

「なるほど、なるほど」と納得しました。
さすがのご賢察と拝しました。

1429れん:2004/06/29(火) 20:46
犀角独歩さん、私は精師につきましては、残念ながら富士宗学要集・歴全以上の知識は持ち合わせていなかったので、1426の独歩さんの御投稿に御披露された御賢察は大変勉強になりました。ありがとうございます。
空き缶さん、1427の御投稿に御披露された御賢察、大変勉強になりました。ありがとうございます。最近はパケット代節約のためほとんど閲覧だけにしておりますが、皆さんの御議論・御賢察から沢山学ばせて戴いております。これからも皆様の御賢察から学ばせて戴きます。今後とも宜しくお願い申し上げます。

1430一字三礼:2004/06/29(火) 21:01
犀角独歩さん
空き缶さん

私見ですが。
蓮祖のお考えでは、大曼荼羅と一尊四士(仏像)とは、元来の用途が違うのではないでしょうか。
大曼荼羅に言及している数少ない真筆遺文「新尼御前御返事」などを読むと大曼荼羅本尊を与えられている信者には信仰心の有無等のかなり厳しい条件が付されていたのではないか、と思えます。(亀若・亀姫等に与えられたお守りは別と考えて)
大曼荼羅を集団に与えた事を示す脇書もありません。とすると大曼荼羅本尊はあくまで個人用だったのではないでしょうか。

寺院には一般の信者のみならず、他宗派の人間も出入りするでしょうし、その折、信仰心の無いものには見せられない秘仏は安置できません。
ことによると、寺院での本尊は一尊四士に限り、大曼荼羅本尊は寺院で奉ってはいけないのかもしれないと考えております。

1431平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/06/29(火) 21:24
れんさん
室町時代後期から江戸時代初期辺りには稚児貫首の風習があったそうです。
日院上人も稚児貫首であったとの記載が聖教新聞か創価新報で以前ありまし
て切り抜きをしてノートに貼っていたのですが、今年の2月に処分してしま
いました。私が1425で犀角独歩さんに質問した件ですが、れんさんはど
うお考えですか?17世の日精上人が処刑された経緯や、日精上人が18世
の18世に日盈上人よりも45年も長生きしていると言うことは、日盈上人
が稚児貫首であって、日精上人が事実上の貫首であったためではないかと思
うのですが。また日盈上人の御遷化がお早かった為にこのようなことになっ
たのではないかと思いますが、どうお考えですか?私はお恥ずかしながら『
富士宗学要集』を持っていないために憶測しかできません。博識の方の御返
事をお待ちしております。

1432平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/06/29(火) 21:46
また8世の日影上人の御遷化の年月日の應永26年8月4日(1429年9月
2日)と9世の日有上人の御遷化の年月日の文明14年9月29日(1482
年11月19日)の間の63年の開きと、11世の日底上人の御遷化の年月日、
文明4年4月7日(1472年5月23日)と12世の日鎮上人の御遷化の年
月日、大永7年6月24日(1527年8月1日)と、との間に55年もの開
きがあるのはなぜでしょうか?この間に貫首不在の時期があったためでしょう
か。『富士宗学要集』が無い私としては手探りの状態です。私と同じように持
っていない人もいるかと思いますので、博識の方がおられたらお教え下さい。

1433れん:2004/06/29(火) 21:52
平和さん。先ず精師は処刑などされておりませんよ。当時の有力な大名信徒の敬台院さんと精師が一時期仲たがいして、精師が江戸の石山末寺に移ったということはあったようですが。平和さんが疑問を持たれている件ですが、石山は昌師以来、九代にわたり京都要法寺から貫首を迎えますが、それは精師を含め稚児貫首ではなく、相応に学業をつまれた成人貫首で、たまたま精師が前後の要山出身の貫首さんよりも長寿であっただけのことと思います。私の精師に関する知識はこの程度ですので、あとはもっと御詳しい方にお聞きになってください。

1434平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/06/29(火) 22:13
れんさん
御返事有難う御座います。精師処刑というのは私の中学生の時の誤読であった
ようです。語彙が少なかった少年時代の記憶を頼りにしていまして大変失礼し
ました。

1435平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/06/29(火) 23:00
日蓮正宗の貫首の過去帳を見て気が付いたのですが。日蓮大聖人以外の方の亡くな
られた年齢が書かれていないのです。日興上人は(1246〜1333)87歳、
日目上人(1260〜1333)73歳、日昭(1221〜1323)102歳、
日朗(1245〜1320)75歳、日頂(1252〜1317)65歳、日向(
1253〜1314)61歳、日持(1250〜?)46歳?、日寛上人(166
5〜1726)61歳と分かっているのですが、過去帳に貫首の没年齢が書かれて
いないために研究ができません。貫首の没年齢が分かる資料を御存知の方の御返事
をお待ちしております。このことは『富士宗学要集』に書かれているのでしょうか。

1436普段はROMしてます:2004/06/29(火) 23:14
>>1421
行は、禅だけじゃなくて、荒行などもあるわけで。でも臨在宗じゃなくて、曹洞宗なら、瞑想になるのかな? ま、ヨガの瞑想とは違うって、言いたかっただけなので(自分が上手く説明できないだけだけど)。

>>1424
仏教徒なら、自分のモノサシではなくて、仏のモノサシで判断するように心がけることかと。感情的区別は、自分の感情が入っている以上は、自分のモノサシだし。日蓮系なら、手前勝手な法華経解釈じゃなくて、正しい法華経解釈に基づいた判断をすれば良いかと。現実には難しいけど「損は悟り、得は迷い」と思えれば。って、一遍上人は、ここではマズイか…

1437空き缶:2004/06/29(火) 23:20

横レスします。
創価平和さん、はじめまして。大石寺歴代の没年齢は「日蓮正宗冨士年表」巻頭の「日蓮大聖人血脈付法系譜」に大体書いてあります。
大体と申しますのは、行・時・阿・乗・低の五師は空白になっているのです。先ほどより、問題提起されている面々だけになにかありそうですけどね。
確か「法主詐称」にもこの辺のことが出ていたと記憶しています。

1438愚鈍凡夫:2004/06/29(火) 23:33

平和創価さん、始めまして。

こういうのはどうですか。ご参考までに。

普段はROMしてますさん、

> 仏教徒なら、自分のモノサシではなくて、仏のモノサシで判断するように心がけることかと。

この「仏のモノサシとはなんぞや?」というのが、仏教最大の難問ではないかと思います。

日蓮大聖人血脈付法系譜(総本山大石寺 御歴代上人)
http://www.geocities.jp/shoshu_newmon/rekishi_rekidai.htm


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